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ある弁護士文書からみた明治民法施行墜

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ある弁護士文書からみた明治民法施行墜
61
説︼
法律 論 叢
︻論
第 七 二巻
次
第 二 ・三 号 (一九九 九 ・一〇)
[
事 例 A] 妻 側 から 夫 への婚 資 取 戻 請求
村
上
一
博
あ る弁 護 士 文 書 か ら み た 明 治 民 法 施 行 以 前 の離 婚 関 係 判 決
目
[
事 例 B] 夫 か ら妻 側 への妻 復 籍 請 求
一 問 題 の所 在
二
むす び
三
四
一 問題 の所在
(1 )
筆者 は、 か つて 、明治 民 法 が施 行 さ れ る以前 の、下 級 審裁 判 所 に おけ る離 婚 関 係 判決 例 を 対象 とし て 、主 に裁 判官 の
判断基準 (
法 源 如 何 ) と いう 観 点 から 、 若干 の検 討 結 果 を発 表 し た こと があ る。 し か し 、 判 決文 から だけ では、 当 該
事 件 の背 景 にあ る諸 々 の事 実 関 係 を 窺 い知 り えな い場 合 が少 な く な いた め、 も っぱ ら 判 決結 果 に焦 点 を 絞 って検 討 し
法
律
論
叢
一
62
た にす ぎ ず 、 裁 判官 が訴 訟当 事 者 ら の主 張 を 、 ど のよう に取 捨 選 択 し 、 ど の よう な 事 実 認定 に基 づ いて法 的 判 断 を 下
し た の か、 ま た そ の判決 内 容 は適 切 であ った の か否 か と い った問 題 にま で 立 ち入 って検 討す る に は至 ら な か った。 判
決 文 以 外 の他 の裁 判資 料 、 たと え ば、 訴 訟 当 事 者 (
そ の代 理人 たる 代 言 人 ・弁 護 士 ) によ る訴 状 ・答 弁 書 (これ ら に
添 付 さ れ た証 拠 書 類 )、 そ の他 の弁 明書 、 あ る いは法 廷 で の弁 論調 書 と いった関 連 資 料 を参 照す る 必 要性 が痛 感 さ れ た
の であ る。
・尋
(訊 ) 問 L 調 書 の 一部 を 紹 介 し た ・ と も あ る 姪
最 近 に な ・ て ・ 馬 袋 鶴 之 助 と い・
り
こ のよ う な 意 図 か ら、 そ の後 、 大 分 地裁 管 内 竹 田 区 裁判 所 の民 事 判 決 原本 (
明 治 二 〇年 頃) 中 に、 偶 々廃棄 を免 れ
て綴 り 込 ま れ て いた・ 原 被 告
弁 護 士 の文 書 中 に、 離 婚 関 係 の裁 判資 料 を 見 出 す こと が でき た。
馬 袋 鶴 之 助 (ば た い ・つる のす け ) は、 元治 元 (一入 六四 )年 九 月 二 三 日、兵 庫 県朝 来 郡 真 布 土村 に生 ま れ、 明治 二
○ (一入 八 七 ) 年九 月 に東 京 法学 校 (
現 法 政 大 学 ) を卒 業 、 翌 二 一年 四月 の春 期 代 言 試 験 に及 第 し て、 七 月 一日付 で
代 言 人 免 許 を 取得 し た。 当 初 、横 浜代 言 人 組 合 に加 入 し た が、 二 六 年 七 ∼八 月 頃 郷 里 に復 帰 し 、 そ れ 以 後 は、 昭和 五
(一九 三 〇) 年 一二 月 八 日 に 死去 す る ま で の約 四〇 年 間 、 兵庫 県 城 崎 郡 豊 岡 町 に お いて弁 護 士 活 動 を行 った。 馬 袋 は 、
全 国 的 には ほ と ん ど無 名 と い って よ い地 方 の在 野 法 曹 の 一人 であ る が、 一九 九 二 年 末 、法 政大 学 大 学 史 編纂 室 の調 査
によ って、 馬袋 家 の蔵 から 、① 訴 訟 代 理 契 約書 ・依頼 人と の間 の書 簡 ・各 種 領 収書 、 訴 状 や答 書 ・裁 判 所 か ら の通 知
書 (
主 に 明治 期 のも の)、あ る い は② 業 務 日誌 ・収 支 決算 簿 (
大 正 ・昭 和 期 のも の) と い った、彼 の弁 護 士 活 動 に関 連
(3 V
(4 )
し た文 書 群 が発 見 さ れ た 。管 見 の限 り 、 これ ま で、 明治 ・大 正 期 に おけ る弁 護 士 の日常 的 業 務 に関 わ る 資 料 が、 こ れ
ほ ど 纏 ま って 発 見 さ れ た 例 は 皆 無 と い っ て よ い。
以 下 、本 稿 に お い て紹 介す る離 婚 関 係 の裁 判 資 料 二件 は、 こ の馬袋 文書 を 整 理 す る 過 程 で見 出 さ れ た も ので あ る。
(
1)
拙 稿 ﹁明治 二四 年 旧 民事 訴 訟 法施 行 以 前 に おけ る民 事法 廷 の 一騎 ﹂ (﹃明治 大 学 社会 科 学 研 究所 紀 要 ﹄ 三 四巻 二号 、 一九九
拙 著 ﹃明治 離 婚 裁 判史 論 ﹄ (
法律 文化 社 、 一九 九 四 年) な ど 。
注
(
2)
律 令 研究 会 第 二五 九 回報 告 二 九 九九
(
3) 六 年
馬)
袋。
鶴 之助 と 同 文書 に ついて は、 飯 田泰 三 ﹁
︽大 学 史 の周 辺 ︾ 馬袋 鶴 之助 の こと1 明治 二 十 年東 京 法 学 校葬 三回 卒 業 生1 ﹂
(
.法 政・ 二二 巻 一号 、 ﹂九 九 五 年)、拙 稿 .明治 期弁 護 士考 - 馬 袋鶴 之 助 文書 の研究⊥
ト
榊
ボア ・ナ L ・記 念 現代 法 研 究 所 の 研究 プ ・ジ ・ク 土
年 一月九 日)﹂ (﹃
國 學 院大 学 日本 文化 研 究 所報 ﹄ 二 〇七 号 、 }九 九九 年 ) を参 照 。
・川 ・由 彦 氏 ) と し て整 理 作 業 が進 め ら れ て き た・ 研 究 メ ン→
同 文 書 は、 一九九 六年 春 か ら、 法 政 大学
関
嚢
纒
な 紹 介 ・ し ・、 拙 稿
・ 年 代 中頃 の・ あ
院生 ) の各氏 ・村 上 (
明 大) の全 ハ名 であ る.
・ 、飯 ・泰 三 (
法大 ).濱 野 亮 (立大 ).岩 谷+ 郎 (
慶 大).{
呂平 真弥 (
螢 美
・ 、 香 川大 学 付属 図書 館 神 原 文庫 の中 ・・ 明竺
胸
本稿 に お ・て 紹介 す ・裁 判 一件 資 料 のほ か ・も、 薯
な お、 こ の共 同 研究 の成 果 は、 同 大 学 出版 会 か ら近 々刊 行 さ れ る予 定 であ る。
(・)
以
る叢
断
﹁明治 前 期 のあ る民 事 裁 判 の 一件 資 料﹂ ﹃
法 史 学 研究 会 会報 ﹂ 三 号 、 一九 九 入 牢)。
の相 続 を めぐ る裁 判 の ︼件 資 料 を発 見 し ・. 同資 料 ・ つ ・ても 、他 日拙 文 を 予定 し ・ ・る (
箪
磁
[事 例 A ] 妻 側 か ら 夫 への 婚 資 取 戻 請 求
馬 袋 は、 あ る時 期 に (お そら く は 明治 末 年 であ ろ う )、 彼 が園 与 し て き た事 件書 類 を 自 ら 整 理し 、事 件 別 に 一括封 入
二
治
明
就
筋
書
救
護
耕
し記
が
て事 件名 を表 記 して いゑ
本牌
即で取 り 上 げ る 一件 文 重日に は、 、養 子 離 縁 ノ 件・ (文書 番 号 "m27101125) ・ い- 表 題
↓
明 治 二七
年 一 一月 一〇 日、 京 都 府 丹 後国 中 郡 K 村 の野 川大 乗 ・野 川 田鶴 尾 の父 娘 は 、 田中 二郎 (
弁 護 士 )を 訴 訟 代
(
1)
理 人 に 立 て、 田 鶴 尾 の夫 であ る兵 庫 県城 崎 郡 U村 の横 田宗 太 郎 に対 し て、 次 のよう な ﹁物 品取 戻 請 求 ノ訴 ﹂ を 神 戸 地
さ れ て いる が、 そ の内 容 から みて 、養 子 の離 縁 ではな く 、 夫 婦 の離 縁 に関 す る事 案 であ る。
3
6
64
叢
論
律
法
一
裁 豊 岡 支部 に提 起 し た。
物 品 取 戻 請求 ノ訴
=疋ノ申 立
訴
状 (
写)
上
野川
大乗
原告人
野 川 田鶴 尾
京 都 府 丹 後国 中 郡 K村 (
以 下 略 )平 民僧 侶
金
原告人
二郎
右訴 訟代 理 人 兵 庫 県城 崎 郡 豊 岡 町 ノ 内本 町
弁護 士
田中
横 田宗 太 郎
兵庫 県 城 崎 郡 U 村 (以 下略 ) 平 民 医 業
被 土.人
里程 三 里
一 原 告 人 ハ別 紙 目録 ノ物 件 被 告 人 ヨリ速 二原 告 人 へ引渡 ス可 シ訴 訟 入費 モ被 告 負 担 ス可 キ旨 判 決 ア ラ ン事 ヲ 請求
仕候
但 此 物 品 見積 金 弐 百 四 拾 円 也
事実
ト
整 .ハ其 際 歴 .方 へ来 り 種 々曇 .ヲ 吐 査
タ ル モ宗 太 郎 ハ謂 レナ ク 田鶴 尾 工暴 行 ヲ 加 フ ル事 数 々ア リ テ遂 二身 体 二負 傷 セ シ ム ル ニ至 リ 田鶴 尾 ハ如 斯 暴 行
一 原 告 野 川大 乗 ハ明治 廿 六 年 一月 中 城 崎 郡 U村 菩 薩 全 道 ノ媒 酌 ニ ヨリ 長 女 原 告 田鶴 尾 ヲ被 告 宗 太郎 方 へ嫁 セ シ メ
ー
や
熱
結 果原 告 肇
濱 。惟 長殿
月古
遣 ヲ以 ・
ア原 告 田鶴 尾 力被 告 方 二置 タ
田中
右原告代理人
のであ る 。 訴 状 に は、 婚 資 七 九点 の物 件 目 録 と 、訴 訟代 理 委 任 状 が添 付 さ れ て いる。
二郎
る に、 宗 太 郎 が 、婚 資 の返 還 と 引 き替 え に多 額 の賠 償 金 を 要 求 し た た め、 止 む な く本 訴 を 提 起 す る に至 った、 と 言 う
﹂(
仲 裁) によ って、 結 婚を ﹁取 消﹂ し 、媒 酌 人 の菩 薩 全 道 を 通 じ て婚 資 の取 戻し を 催 促 し た。 し か
は檀
告
、家
田鶴
の者
尾の
に対﹁扱
し て屡 々謂わ れ な き暴 行 を 加 え た た め、 田鶴 尾 は 同 年八 月 、 母 の病気 を理 由 と し て 実家 に帰 家 し 、 原
右 の訴 状 に よれ ば 、明治 二 六 年 一月 、原 告野 川 大乗 は、そ の長 女 田鶴 尾 を 被 告横 田宗 太郎 に嫁 が せ たと ころ 、宗 太 郎
判事
神 戸 地 方 裁 判 所 豊 岡 支部
明治 廿七年±
ル目録 ノ物 品 返 戻 ヲ 屡 々催 促 ス レト モ被 告 ハ其 父 市左 衛 門 ト 共 二不 当多 額 ノ損 害 金 ヲ償 フ ニ非 ラ サ レ ハ返 戻 セ
・者 ・ 扱 二依 り結 婚 ・ 取 消 シ タリ 因 テ 原告 八前 媒 酌 人善 筆
田鶴 尾 ヲ 連 ・帰 ・上 至 田鶴 尾 ハ前 陳 ノ次 第 ニテ 配偶 スル ヲ拒 絶 シ
ノ行 為 ア ル人ト 配 偶 ス ル ニ忍 ヒ ス帰 家 セ ント スル折 柄 明治 廿六 年 八 月 母 病気 ノ報 知 ヲ得 テ幸 二帰 家 セリ 然 ル ニ
麟
スト テ之 二応 セ ス止 ムナ ク本 訴 ヲ提 起仕 候
の
前
以
断
磁
蠕
た
み
ら
勘
蚊
護
弁
る
↓
65
叢
論
律
法
一
66
物件目録
壱枚
四枚
福
綿入
壱枚
一 福
一 縮緬紋付
全
右原告人
田中
二郎
大乗
野 川 田鶴 尾
野川
京 都 府 下 丹 後国 中 郡 K村 (
以 下 略)
宗 太 郎 二相 係 ル物 ・
叩取 戻 ・訴 訟 神 戸組 合 弁 護 士 田中 二郎 ・
飛 理 ・委 託
一
、 紋 力 べ紋 付
七十九点
(以下 、 七 六 点 は 略す )
計
右 之通 二御 座 候 也
明治 廿七 年 十 一月 十 日
国城崎郡U村當
委任状 (
写)
一 自分 共 儀 盤 。入 場
致 シ候 事
明治 廿 七 年 九 月 三 十 日
右之通 二御座候也
卜
騨
繍
の
前
以
断
礎
治
明
た
み
も
勘
文
士
護
弁
る
あ
6
7
を 、 神 戸 地 裁豊 里
明治廿七年十 一月十日
な 内 容 の穀
濱 口惟長殿
神戸地方裁判所豊岡支部
判事
さ て 、右 の考
右原告代理人
(2 )
田中
二郎
部 か ら 送達 され た被 告{
示太郎 は、 馬 袋 に訴 訟代 理を 依 頼 し た・ 馬
袋 は 、 明治 二七 年 一二 月 九 日付 け で、 次 のよう な ﹁答 弁書 ﹂ を 作 成 し て いる。
答弁書
土
野川
大乗
原告人
京 都 府 丹 後国 中 郡 K 村 (以 下略 ) 平 民 僧 侶
全
野 川 田鶴 尾
二郎
全
右 訴 訟代 理 人弁 護 士
田中
横 田宗 太 郎
兵 庫 県 城崎 郡 U村 (
以 下 略) 平 民 医 業
被告人
全 県 全国 全 郡 豊 岡 町 ノ 内本 町寄 留 弁 護 士
叢
論
律
法
68
物 品 取 戻 請求 ノ訴 答 弁
一定 ノ申 立
一 原 告 ノ請 求 不 相 立訴 訟 入費 ハ原 告 ノ負 担 タ ル ヘシ ト ノ 判決 相 成 度 候 也
事実
右代理人
馬袋鶴之助
一 被 告 ハ明治 廿 六 年 一月 中 城 崎 郡 U村 善 藤 全 道 ノ媒 酌 二依 リ原 告 田 鶴 尾 ヲ妻 二貰 受 爾 来 何 事 モ無 之 一家 和 熟 シテ
暮 シ居 リ タ ル処 同 年入 月 二至 リ 原 告 大乗 ヨリ 被 告 二宛 テ原 告 田 鶴 尾 ノ 実 母病 気 二付 キ 田鶴 尾 同道 見 舞 二来 ル ヘ
シト ノ書 信 二接 シ タ ル ニ依 リ 被 告 ハ妻同 道 大 乗 方 二参 リ タ リ然 ル ニ其 病気 モ別 段 憂 フ ヘキ 程 ノ事 ニモ アラ サ ル
ヲ以 テ 被 告 ハニ 三 日逗 留 ノ后 妻 同道 帰 宅 セ ント 申 込 ミ タ ル ニ原 告 大 乗 ハ田鶴 尾 ハ看 護妾 今暫 ク止 メ置 キ 度 ト ノ
事 二付 キ 其 儘 立 帰 リ タ ル次 第 二有 之被 告 ・
ハ其 后 再 三 田鶴 尾 帰 宅 ノ事 ヲ 照会 シ タ ル モ原 告 大乗 ハ言 ヲ左 右 二托 シ
原 告 田鶴 尾 ヲ 自 分 方 二留 メ置 キ 帰 宅 セシ メサ ル モ ノ ニシ テ被 告 ハ原 告 陳述 ノ如 ク故 テ 原 告 田鶴 尾 ト ノ縁 組 ヲ解
右
馬 袋鶴 之 助
除 シタ ル モ ノ ニア ラ ス従 テ 本 訴 原 告 田鶴 尾 力嫁 資 ト シ テ被 告 方 二持 参 シ タ ル物 品 ヲ返 還 ス ヘキ義 務 ナ キ モ ノ ニ
有之候
右 及答 弁 候 也
明治 二十 七 年 十 二月 九 日
濱 口惟 長 殿
神 戸 地方 裁 判 所 豊 岡 支部
判事
す な わ ち、被 告 側 (
馬 袋) は 、田鶴 尾 を 妻 に貰 受 け て 以来 、何 事 も なく ﹁一家 和 熟 ﹂ であ ったに も か かわ ら ず 、田鶴
判
騰
ト
て 、 夫 方 への 送 籍 手 続 き は 未 だ 履 行 さ れ て いな いよ う で あ る 。 し た が って 、 当 該 訴 訟 は 離 婚 関 係 の 争 い で は な く 、 婚
に婚 資 七九 点 を 携 え て 人擦 し た ・ と が知 ら れ る が、 田鶴 尾 の苗 字 隻
から 、婚 資 の返 還 請 求 に は到 底 応 じ ら れ な いと反 論 し て いる の であ る 。
尾 は 実 母 の病 気 看 病 を 理 由 に実 家 に戻 った ま ま、 夫 方 に 帰家 しな い。 田 鶴尾 と の ﹁縁 組 ヲ 解 除﹂ し た事 実 も な い のだ
麟
(
3)(
4)
姻契 約 の履 行 を め ぐ る争 いと解 す る こと も でき る。
と も あ れ 、 原 盤 口双 方 の 主 張 内 容 は 、 当 然 の ・ と と は いえ 、 ま った - 相 容 れ な い か ち 、 裁 判 所 の 判 断 が 侯 た れ る と
家 の苗字 のま ま で変 更 さ れ て いな い ・と か ら み
訴 状 と答 弁 書 か ら は 、宗 太 郎 と 田鶴 尾 と の婚 姻 が、媒 酌 人 (
菩 薩 全 道 ) を 立 て て行 わ れ た こと、 田鶴 尾 は 宗太 郎 方
の
前
以
藺
文 書 中 に残 さ れ て いる ・と か ら、 当 該
・ろ であ る. 明治 二 八 年 三 旦
六 日 付 け の .・頭 弁論 期 日指 定 決 定 ・ が嚢
難
事濱 口惟 長 ・判 事 吉 原孝 ・判 事 濱 本 庫 吉 のも と で、 口頭弁 論 の公 判 に付 さ れ た こ とが 確 認 さ れ る。
か った.判 決 に ま で至 らず 、当 事 者 間 で示 談 が成 立 し 、訴 え 叢
下げ ら れ た 可能 性 が 強 い.訴 訟 の顛末 に つ いて は、残
し かし 、 馬 袋 文 書 中 に も、 ま た神 戸 地裁 豊 岡 支 部 の民事 判 決 原 本 中 に も、 当 該 事 件 の判 決文 を 見 出 す ・と は でき な
事件 は そ の後 、 明 治 二 七年 (ワ) 第 四 六号 ・物 品 取 戻事 件 L とし て受 理 さ れ、 一二 月 二 三 日午 前 九 時 か ら、 裁判 長 判
喘
た
み
ら
勘
敏
の立証 に つと め た思 わ れ る が、婚 姻 取 消 の合 意 を 裏 づけ る書証 が存 在 し た か否 かに つ いて、訴 状 から は 判断 し 得 な い。
を 立証 す る こと は 、 極 め て困 難 であ った であ ろ う 。 原告 側 は、 婚 姻 取 消 の扱 いに当 た った 檀家 の者 の証 言 に よ って②
(5 )
鰻 念 な がら 、 委 細 不 明 であ る. 公 判 で の審議 内 容 に つ いても ・ 関 係 書 類 はす べ て廃 棄 さ れ て いる ため 知 り え な いが・ 該
る
あ 事案 に類 似 し た他 の諸 判 決 例 から 推 測 す る と、 右事 件 の公 判 で は、① 夫 によ る暴 行 、 お よ び② 婚 姻 取 消 (
な いし 解 除)
一 の合 意 の 二点 に つ いて・ 当 妻 お よ び 証 人 の尋 問 が な さ れ・ そ の妻 認定 が争 わ れ たと を ら 廷
① 夫 に よ る暴 行
69
70
叢
論
こ こ では、 原 被 告 双 方 の主 張内 容 に、 大 き な 隔 たり があ り 、 そ の認定 が裁 判 所 に委 ね られ て いた 点 を確 認す る に と ど
馬 袋 文書 中 には 、 訴 訟代 理 委 任契 約書 が見 出 さ れ な いた め、 当 該 人 事 関係 事 件 にお いて、 馬 袋 が 依頼 人と の間 で 、 ど の程
度 の報 酬 (
③ 手 数 料 お よ び⑪ 謝金 ) を 取 決 め て いた かを 知 りえ な いの は残 念 であ る。
の実 務 経験 を 積 ん で いた先 輩 弁 護 士 と いう こと にな る。
(
代 言 人) 活 動 を行 って いる。 馬袋 が明 治 二 六年 後 半 に豊 岡 で の弁 護 士 活 動を 再 開し た当 時、 田 中 は、 す で に豊 岡 で 一〇年 程
し て いる。 豊 岡 へは 、 明治 一〇 年 代 後半 に転 入 し てき た よ う であ り 、 明 治 四三 年 一〇 月 下旬 に死 去す るま で、 当 地 で 弁護 士
原 告 側弁 護 士 の田中 二 郎 は、 京 都府 天田 郡 堀村 の生 まれ で (
年 月 日不 明)、 明 治 = 二年 一二月 に代 言 人免 許 (
京 都 ) を取 得
め ざ る を得 な い。
注
(
1)
(
2)
な お 、馬 袋 の弁護 士 報 酬 に ついて は、 拙 稿 ﹁明 治 二十 年 代 に おけ る 馬袋 鶴 之 助 の弁 護 士 活動 ﹂ (
川 口由 彦 編 ﹃
馬 袋 文書 の研
究 (
仮 題)
﹄ 法 政 大 学出 版会 、 近 刊予 定 、 所 収) 参 照 。
(
3)
法 律 婚 と事 実 婚 の問 題 に ついて は、 拙稿 ﹁明 治 一〇 年 司法 省 丁第 四 六 号達 と婚 姻 の成 立 要件 ﹂ (
﹃法律 論 叢 ﹄六 入巻 三 ・四 ・
律
[事 例 B] 夫 か ら 妻 側 への妻 復 籍 請 求
掲 ・拙 著 ﹃明治 離 婚 裁 判史 論 ﹄ 三 九 頁以 下 、 参 照)。
妻 に 対す る夫 の暴 虐 行為 の事 実を 立 証す る こと は、 一般的 に極 め て困 難 であ り 、妻側 の主 張 が退 け ら れた 例 が多 か った (
前
五 合 併 号、 一九 九 六 年) 参 照 。
法
(
4) 夫 婦 別姓 の可 能 性 が ま ったく な いわけ で はな いが、 後 述 の [
事 例 B ] か ら み ても 、 こ の場 合 は未 送籍 であ ったと 解 し てよ
い であ ろう 。
[
(
5)
三
馬 袋 が 、 明 治民 法 施 行 以前 に、 夫婦 離 縁 関 係 の訴 訟を 担 当 し て いた ことを 示 す 資 料 が 、 馬袋 文書 中 にもう 一件 見出
卜
判
離
舗
の
前
以
さ れ る 。 ﹁復 籍 請 求 ノ 件 ﹂ (文 書 番 号 "m 31 10
1102 ) で あ る 。
当 該 事 案 に お い て も 、 前 述 し た [事 例 A ] の 場 合 と 同 様 に 、 馬 袋 は 夫 側 の訴 訟 代 理 人 と し て 登 場 し 、 妻 と そ の 父 親
原告の小林文葎
旦 九星
.理 由 書 ・ を 差 出 し て い る .
明治三 歪
袋に対し妻
フ葱
蘂
訴訟を依頼するに至 った経緯を詳述
(
弁 護 士 鱒芦 谷 真 三 郎 ) を 相 手 ど り 、 離 婚 協 議 の 成 立 を 理 由 と し て 、 妻 の 戸 籍 を 実 家 が 引 取 る べ き 旨 を 請 求 し て い る 。
し た、 次 のよ 、
・な
理由 書
稲刈
取 頃 二 男 伊市 ナ ルモ ノ﹂ 才 ニテ未 ダ ﹁チ ノミ 児 ヲ捨 テ置 キ 生 家 西村 伊 右 衛 門 宅 へ帰 -一 旧十 二月 廿 八 日荷 物 箪
ふさ儀 朝 来 郡 v村 ・内 ・村 西村 伊 右 衛 門 へ送 籍 ス ル ニ付 理由 左 二申 述 候 明 治 廿 七年 旧+ 月 秋 肇
賊
子長持等西村伊右肯
一 私讐
囎
家 二見 込 無 キ ヲ告 ゲ離 縁 ヲ 請 求 セ ラ レ本 人 互 二離 別 妻 ふさ ハ親戚 及 ヒ隣 家 へ ﹁イ ト マヲ申 出 デ 亦 私 シ ヨリ髄
節
た
み
も
勘
ナ ル人足二人ヲ褒 ど 家西村伊右衛門迄送リ付 タル事 二御座 保
ハ不渡ト云張リ其由窺
ママ 門藤岡治奮 門ノ三名立入匿
咄シニ掛ラレ
[
不 和 ] ヲ生 シタ ルト キ ハ其養 育 料 ト シ 田地 三 石 ヲ譲 り 渡 ス定 約 シ親戚 一同 調印 シ全 年 十 二月 廿七 日復 帰 ナ ス
親 戚 壱 同 復帰 ノ説 諭 二預 リ其 レヲ承 諾 候 所 西村 伊 右 衛 門 親類 二対 シ要 求 ス ル ニ若 シ小 林 文 蔵本 人 ふ さト 不破
左衛門。村蕎 蕎
数 十 年 召 使イ タ ル事 二付 給金 ノ請 求 シラ レ拙者 申 ス 二 八私 シ家 見 捨 テ 壱 年 ﹁チ ノ ミ児 ヲ捨 テ 置 キ帰 り候 様 ナ
者 二馨
廿八 年 旧 六月 仲 裁 立 入 壱 度 預 リ勤 メサ セ呉 レト ノ事 ニテ 妻 ふ さ儀 復 帰 致 サ セ居 リ 候 廿九 年 三 月 妻 ふ さ到 底 此
シ候
蚊
廿九 年 旧 十 二月 十 五 日該 村 木 下松 蔵 早 田林 助両 名 ヲ以 テ 送籍 示談 二二 三 回 モ参 り 候所 西 村 伊 右 衛 門申 ス ニ ハ
ノ妻ナ ルモノ へ引継護
護
弁
る
↓
71
72
事 ヲ 定 メ其 当 日 二至 リ 岡 久太 郎 木 下 松 蔵 両 人 ヲ以 テ 0 村 へ迎 ヒ ニ参 ラ セ候 所 西村 伊 右 衛 門 母 復 帰 ヲ ﹁コバ ミ
亦 三 十年 旧 正月 五 日ト 定 メ 岡久 太 郎 木 下 松 蔵参 リ候 所 亦 家内 ノ モ ノ正 月 松 カ ザ リ ノ間 ノ猶 予 延 期 シ 其 後 正月
十 七 日 ト定 メ其 日世 話 人 木 下松 蔵 岡 久 太郎 両名 不 在 二付 彼 是 手間 取 リ 0 村 世 話 人 ヨリ督 促 二相 成 リ 両名 不 在
二付 不 止得 親 戚 岡 喜 兵 衛 △⊥
代 理大 畑 徳 蔵 ヲ 以 テ参 り候 所 彼 是 遅刻 シタ ルヲ ﹁ト ガ メ色 々苦 情 ヲ申 張 リ 亦 両 人
立 帰 リ依 テ私 シ断 然 復 帰 ヲ停 止 シ其 翌 日 ヨリ彼 是親 戚 及 ビ世 話 人 西村 伊 右 衛 門 二宛 テ談 判 シタ ル復 帰 相 不成
候 テ モ受 理 [セ] 条
・事 二付 此 度 裁 判 所 へ送 奮
渡 請 求 ・依 頼 シタ ル次 箏 一御 座 保
到 底 見 込無 之 二付 送 籍 状 差 送 リ 候 二受 付 ス依 テ 役場 村 長 二瀬 此 理由 通 リ 申 立 村 長 ヨリ 西村 伊 右 衛 門 氏 へ御説
碧
別 紙 私 シ 井 二親 戚 世 話 人 等 連 印 シ 0村 世 話 人宛 二差 入迄 デ モ致 シ定 約 シタ ル ニ其 定 約 ヲ履 行 セズ 亦 定 約書 不
戻 目 今其 証書 他 人 二渡 リ 居 ル由不 詳 考 ヘル ニ西村 伊 右 衛 門 所 持 致 シ不 出 ト 存 シ居 り 候也
一
護
請
一寸
三 十 一年 一月十 九 日
小 林 文蔵
昨 年頃 ヨリ ノ心 覚 ノ 理 由右 二申 上 候 尚 不 審 ノ廉 ハ郵 便 ニテ 御尋 ネ 被 下 腹 候 也
律
法
一
馬袋様
理 由書 の後 段 に記 さ れ て いる、 妻 フサ の送籍 に ついて 文 蔵 が役 場 に依 頼 し、 村 長 から 伊 右 衛 門 へ説 諭 し ても ら った
にも かか わ らず 、どう にも 伊 右衛 門 が これ に応 じ な いこと から 、最 終 的 に訴 訟 提起 を 決 断 し た云 々の点 に つ いては 、馬
袋 文書 中 に、 朝 来 郡 ソ村 (
伊 右 衛 門 居 村) 役場 の太 田尚 か ら、 Y村 (
文 蔵 居村 ) 役 場 の木 村 寅 之 助 へ宛 て た 一通 の書
簡 が残 って い る こと か ら、 そ の事 実 を 裏 づ け る こ と が でき る。
如 件 寒 風難 堪 候 処 愈 御 溝栄 之条 慶 賀 此 事 二御 座 候
要 具 ふさ 八十数 年 間 違 添 一朝家 風云 々 ニョリ離 縁 ナ ド ハ誠 二迷 憾 至 極 加 之 年令 モ余 程 長 居 候 事故 養 育 料 ニチ モ
却 説 御 申越 し小 林 文 蔵 二対 し 西村 伊 右 衛 門 送籍 之 件 当 役場 吏 員 ヲ以 テ 右 西 村伊 右 衛 門 二種 々説諭 候 モ小 林 文 蔵
↑
年 肩 + 二日
太田
尚
草々
示 談 相 成不 申 候 テ ハ到 底 送 籍 引受 ノ模 様 更 々無 之 候 条 貴 役 場 二小 林 文 蔵 招 喚 ノ 上可 然 示 談 致 候様 御 説 諭 相 成 度
此 段 御 回答 申上 根
三±
木村寅之助
訴 状 の提 出 に 及 ん だ例 が大 半 であ るか ら、訴 訟代 理 の依頼 から訴 状 の提出 に至 るま でに 約 一ケ月 を要 し て いる のは 、馬
さ て、 文蔵 から の依 頼を 受 け た馬 袋 は 、 右 の理 由 書 か ら約 一ケ月 後 の明治 三 一年 二 月 一二 日 に、 神 戸 地 裁豊 岡 支 部
袋 の場合
訴
いさ さ か異 例 と言 え よ 先
小林
文蔵
右訴訟代理人神 戸地方裁判所 々属弁護士
原告
兵庫県朝来 郡Y村 ノ内M村平民
事 実関 係 に つ いて の確 認作 業 や 示 談 の道 を 模 索 し て い た のであ ろう か .
状 (
写)
・ の間
に、次 の よう な ﹁
復 籍 請 求 ﹂ の訴状 を 提 出 し て いる。通 常 の馬袋 の業 務 処 理 では 、依頼 を 受 け た当 日な いし数 日後 に は
囎
た
み
ら
勘
継
る
あ
蚊
輌
以
行
施
難
麟
判
麟
73
叢
復籍 請求 ノ件
訴 ノ目 的
馬 袋鶴 之 助
西 村伊 右 工門
全 県 全 郡 V村 ノ内 0 村 平 民
被告
小林
ふさ
全 県 全 郡△⊥村 西 村 伊 右 工門方 同居
全
被 告 西 村伊 右 工門 二於 テ 被 告 ふ さ ヲ伊 右 工門 方 へ復 籍 ス ヘキ 事 ヲ請 求 ス
= 疋ノ申 立
被 告 伊 右 工門 ハ被 告 ふさ ノ 戸籍 ヲ西 村 家 へ引 戻 ス ヘシ訴 訟 費 用 ハ被 告 ノ負 担 ト スト ノ判 決 相 成 度 候 也
論
律
歴 、ハ明治 + 入 年 一月 + ・盤 ・伊 右 工門 ・ 二 女 ふ さ (
相 被 出、) ・喜 憂 受 ケ歴 .家 ・戸 籍 二登 録 ・ タ リ然 ル ニ
ス ルモ伊 右 工門 二於 テ不 当 ノ抗 弁 ヲ 為 シ原 告 請 求 二応 セサ ル ニ付 キ 止 ヲ 得 ス及出 訴 候 也
乃 チ ふ さ ハ実 家 伊右 工門 方 二立 帰 リ タ リ依 テ原 告 二於 テ ハふ さ ノ戸 籍 ヲ被 告 伊 右 工門 方 へ引 戻 ス ヘキ 様 屡 督 促
二至 リ又 々 ふさ 二於 テ離 婚 ヲ請 求 シ 原 告 二於 テ モ到 底 楷老 ノ見 込 ナ キ ヲ 察 シ ふ さ ノ依 頼 ヲ 容 レ離 婚 ノ事 二決 シ
参 品 ヲ取 纏 メ引 渡 シ タ リ然 ル ニ廿 入 年 七 月中 仲 裁 人 立 入 リ 種 々依 頼 二付 キ不 得 止 復 帰 セ シ メタ ル処 廿九 年 三 月
ノ時 二際 シ実 家 即 チ被 告 伊 右 工門 方 へ立 帰 リ 廿入 年 一月 中 実家 ヨリ 荷 物 引 渡 方請 求 二及 ヒタ ルヲ 以 テ ふ さ ノ持
被 告 ふ さ ハ心 ヲ家 事 二止 メ ス原 告 二於 テ 屡 諌 メ タ ル モ毫 モ聞 入 レサ ルノ ミナ ラ ス明治 廿七 年 十 一月中 農 事 繁 忙
訴 ノ原 因
法
﹁
74
↑
齢
明治 三 十 一年 二月 十 二 日
事
宛
神 戸 地 方 裁 判所 豊 岡 支 部
判
.
二八年
百
① 明 治 二 七 年 一 一月
仲 裁 に よ り、 フサ は 夫方 へ復 帰 す る。
・サ の婚資を実家に引き渡玄
右
馬袋鶴之助
訴 状 の内容 は、お おむ ね依 頼 人 (文蔵 v の ・理 由書 L の趣旨 に則 ・て記 さ れ て いる ・と が分 か る .事 実 経 過 とし て は 、
②
七月
夫 妻 間 で離 婚 のA口意 に達 し、 フサ は 実家 に戻 る。
フサ が、 農 繁 期 に幼 児を 捨 て置 き 、実 家 に戻 る 。
前
以
同
三月
鞭
の
緬
③
二 九年
家 事 二止 メ ス. 原 告 二於 テ屡 諌 メタ ル モ毫 モ聞 入 ・・ な か った こと 、 す な わち 、 離 婚 のそ も そも の原 因 が妻 フサ の家
年
賊
④
囎
た
み
ら
勘
事 怠 慢 ・放 棄 にあ る旨 が、 訴 状 で は強 調 さ れ て いゑ
の四点 に加 え て、 文蔵 フサ の婚 姻 (フサ 送 籍)年 月 日 (
明 治 一入 年 一月 一〇 日) の確 認 と、婚 姻 以 来 、 フサ が ﹁心 ヲ
蚊
訴 状 提 起 後 に、 文 蔵 か ら 馬袋 に宛 てた 書 簡
(明 治 三 一年 二 月 一九 日 消 印 )
つ い て は 、 同 約 定 が 文 蔵 の 手 元 に な く 、 こ れ を 証 拠 と し て 裁 判 所 に 提 出 し え な い た め 、 ま っ た く 言 及 さ れ て い な い。
嬢
し か し・④ 以後 にお いて二 連 の送籍 示 談交 渉 が決 裂し た 慧 に ついて は・訴 状 で は ほと ん ど触 れ ら れ て いな い・ と
る
あ り わ け 、⑤ 明 治 二 九年 旧 一二月 に、被 告居 村 0 村 の三名 が仲 介 し て、 フサ が文 蔵 方 へ復 帰す る約 定 (
不 離 縁 担保 [
今
一 後 も し 文 栗 人 が フサ と 不和 を 生 じ たと き は扶 養 料 とし て 田 地三 石を 差 入 れ る旨 の特 約 ] を 伴 つ) が交 わ さ れ た 点 に
75
6
7
叢
論
律
法
﹁
早 々頓 首
御 依頼 申 候 件 二村 戸籍 写 差 送 リ 御 落 掌相 成 度 候 也 右先 方 へ差 入 タ ル証 類 ハ本 人西 村 伊 右 衛 門 ノ 手
二渡 リ 今 日 デ ハ取戻 ス事 ニワ 不成 シ テ迷 惑 致 シ 居 り 候次 第 二付 其 御 船律 チ ニテ御 裁 決被 成 下候 也
御免被下僕
から 見 て、 馬 袋 は 、 こ のフサ 復 帰 の約定 を 、 当 該 訴 訟 に と って重 要 な 争 点 とな るも のと 考 え 、 文蔵 にそ の提 示 を 求 め
(
1∀
て いた こ と が知 ら れ る。
原告
小林
文蔵
兵 庫 県 朝 来 郡 Y村 ノ内 M村 平 民
(
明 治 三 一年 三 月 一四 日 ) に 、 次 の よ う な 答 弁 書 を 提 出 し た 。
(
2V
と も あ れ 、 右 の よ う な 訴 状 を 受 け て 、 被 告 側 の 妻 フ サ お よ び そ の 父 親 西 村 伊 右 工門 は 、 芦 谷 真 三 郎 に 訴 訟 代 理 を 委
任 し 、 お よ そ 一ケ 月 後
答弁書 (
原 本)
.
神 戸 地 方 裁 判所 々属 弁 護 士
右訴 訟代 人
ふさ
馬袋鶴之助
小林
同 県 同 郡 同村 ノ内 同 村 平 民
被告
西村 伊 右 工門
同 県 同 郡 V村 ノ内 0 村 平 民
被告
神 戸 地方 裁 判 所 々属 弁 護 士
ト
蘇
判
麟
輌
以
行
施
離
復籍請求 ノ訴 二対 スル答弁書
=疋申立
実 家 二立 帰 リ 居 ル
芦谷真三郎
右 両名訴訟代人
ノ御 判 決 ヲ乞 フ
妻 ノ関 係 ヲ結 ヒ公 簿 二其 登 録 ヲ得 タ ル事 及 ヒ含
原 出.ノ請 求 ハ之 ヲ却 ク 訴 訟費 用 ハ原 土、ノ負 担 タ ル ベζ
事実理由
(一) 被告 フサ カ明 治 + 入年 百 中 原 生。美
事 ハ原 告 ノ主 張 セ ル処 ノ如 シ然 リ ト 錐 ト モ ﹁被 告 フサ カ心 ヲ家 事 二止 メ ス又 ハ自 侭 勝 手 二実 家 二立 チ 帰 り 離
縁 ノ請 求 ヲ為 シ原 告 二於 テ モ到 底 楷 老 ノ見 込ナ キ ヲ察 シ フサ ノ 依頼 ヲ容 レ離 縁 ノ 事 二決 定 シ云 々﹂ 申 立 二至
テ ハ完 ク無 根 ノ事 実 ニシ テ被 告 ヲ 護 ユルノ甚 タ シキ モノト 云 ハサ ルヲ得 ス
ラ ス然 レト モ心 ヲ家 事 二止 メ内 政 ヲ 整 理 シ原 告 ノ業務 ヲ内 助 ス ルノ 点 二至 テ 八人 ノ妻 タ ルノ任 二於 テ 間 然 ス
ムロ
嚇
た
み
ら
勘
ル処 ナ キ ヲ信 ス
立ハ
弐三・
ル ・ヲ得 タ リ其 后 廿 九 年 旧 二月 十 五 日 ノ如 キ ハ乱 暴 モ其極 二連 シ ﹁テ ツカ﹂ (一名 十能 ト モ云 フ) ニテ カ ヲ 究
ナ シ タ ル ヨリ フサ ハ其 隙 ヲ窺 ヒ逃 レテ近 隣 岡 喜 平 ノ家 二投 シ后 チ 同 人 ノ老 母 おな つノ仲 才 ヲ得 其 危 難 ヲ免 力
平 穏 二復 スル ヲ得 タ リ 次 テ同 年 十 一月 廿入 日 フサ ノ 頭髪 ヲ把 リ 座 敷 井 ヒ ニ奥 ノ間 ヲ 引摺 リ廻 り 非 常 ノ乱 暴 ヲ
実例 ヲ挙 レ ハ廿 八 年 六月 十 二 日棒 ヲ 以テ フサ ヲ乱 打 シ近 隣 ノ人 加 三郎 、兵 七、柳 平 三名 ノ仲 才 ニヨリ辛 フ シテ
(
三 )然 ル ニ原告 ハ品 行修 マ・
フス常 二他婦 人 ・愛 二沈 倫 シ ヒ告 フサ ヲ疎 ・・暴 行 苛虐 ・待 遇 ヲ究 ・ [茎
(
二 ) 被告 フサ ハ身 体 壮 健 ナ ラ ス シテ 疾 病 三権 ル事多 シ為 二田野 二出 テ 耕作 二従 事 ス ル事 克 ハサ ル場 合 ナ キ ニア
蚊
樋
る
あ
77
叢
論
律
法
78
メ テ 之 レヲ乱 打 シ フサ ヲ シテ 為 メ ニ昏迷 セ シ メ容 易 二正気 二復 ス ル克 ハサ ル ニ至 ラ シ メタ リ] 其 都 度 近 隣 井
ヒ 二親 属 ノ援 助 ヲ 得 テ危 難 ヲ免 カ レタ ルノ事 実 ハ枚 挙 二暇 マア ラ ス従 テ 之 レカ証 明 モ亦 容 易 ナ ル処 二御 座 候
(
四 ) 夫 レ如 此 原 告 ハ他 ノ婦 人 二沈 溺 シヒ 告 フ サ ヲ疎 ン ジ苛 酷 ノ待 遇 ヲ極 ム ル ニョリ己 ムナ ク 実家 井 ヒ ニ親 属 ノ
モノ ト協 議 ヲ遂 ゲ フサ カ.一時 実 家 二引 取 リナ ハ原 告 モ幾 分改 竣 ス ル処 ア リ テ 夫妻 ノ間 柄 モ亦 円 滑ナ ル事 モ ア
ルナ ラ ント ノ企 望 ヨリ シ テ壱 弐 回 実 家 二立チ 帰 リ タ ル事 ア リ 而 シテ 其 都度 原 告 ノ依 頼 ニヨリ 親属 ノ仲 才 ヲ以
テ 原告 家 二帰 宅 シタ ル事 アリ テ其 当時 ノ如 キ ハ毎 々最 初 ノ 企望 ノ如 ク 夫 妻 ノ 間柄 幾 分 円 満 ナ リ シ カ時 日 ノ経
過 二連 レ其 円 満 ナ ル干係 ハ自 然 二薄 スラ キ遠 サ カ ルト 同時 二以 前 ノ暴 虐 ハ又 々其 度 ヲ高 ム ル ニ至 レリ
今 日 ヒ告 フサ カ実 家 二立チ 帰 リ 居 ルノ 目的 モ亦 以 前 ト 異 ナ ルナ ク完 ク原 告 ヲ シ テ改 俊 ノ状 ヲ 呈 セシ メ 双互 ノ
関 係 ヲ シ テ円 滑 ナ ラ シ メ ン事 ヲ図 カ ルノ制 略 二外 ナ ラ ス決 シ テ原 告 申 立 ツ ル如 ク ヒ告 ヨリ 離 縁 ノ申 込 ヲ ナ シ
又 ハ其 決 定 ヲナ シタ ルカ如 キ 事 実 ア ル モノ ニアラ ス又 之 レア ル ヘキ 道 理 ナ ケ レ ハナ リ
(
五 ) 如何 トナ レ ハフサ カ原 告 ト 夫 妻 ノ関 係 ヲ継 続 ス ル事 弦 二十 四年 数 ケ月 而 シ テ其 間 二設 ク ル処 ノ 子女 ハ長 男
十 四才 ヲ始 メト シ其 外 三名 ヲ挙 ケ (
尤 モ其 中 ノ 一人 ハ昨 年 死亡 セリ ) リ 然 ル ニ原 告 力主 張 セ ル如 ク被 告 力離
縁 ノ申 込 ヲナ シ其 決 定 ヲ得 テ夫 妻 ノ関 係 ヲ断 絶 シ実 家 二引 キ取 ル事 モア レ ハ必 スヤ原 告 ハ今 日 沈 溺 セ ル婦 女
ヲ 入 レテ ヒ告 フサ ノ 跡釜 二据 へ置 ク ヘシ 斯 カ ル暁 ニ ハヒ告 フ サ カ慈 愛 セ ル処 ノ三 名 ノ子 女 ハ世 二所 謂継 母育
テ ト ナ リ テ虐 待 ノ間 二坤 吟 ス ル ニ至 ルヤ 柄 ラ カナ リ
我身 二代 ヘテ子 ヲ思 フ ハ父母 ノ情 ナ リ フサ 去 ルノ後 チ 其慈 愛 セ ル処 ノ子 女 ヲ シ テ苛 酷 ナ ル原 告 ト 継 母 ノ手 二
養 育 セ シ ム ル モ尚 ホ 且 ツ離 縁 ノ目 的 ヲ達 セ ント ス ル カ如 キ ハ母 タ ルフサ ノ人 情 忍 フ ヘカラ サ ル処 ナ リ況 ンヤ
フサ ハ本 年 己 二一
二十 四五 才 ノ年 齢 二達 ス ル モノナ レ ハ原 告 申 立 ツ ル如 ク 仮 令 離 縁 ノ申 込 ヲナ シ其 目 的 ヲ遂 ク
ト
ル モ今 后再 ヒ良 縁 ヲ 得 ル事難 ク時 二或 ハ実 家 ノ居 候 ト ナ リ 一生 ヲ畢 ル事 ナ キ ヲ保 ス ヘカラ ス由 是観 之 ヒ告 フ
サ カ 原 告 ヨリ離 縁 セラ ル ・ト 同 時 二我 愛 児 ヲ シテ 継 母 育 チ ノ憂 目 ヲ見 セシ ム ルノ慮 り ア ルノ ミ ナ ラ ス我 力身
リ
・
ノ前途 ヲ誤 マル ノ恐 レア ルヲ以 テ フサ ヨリ離 縁 ノ申 込 ヲ為 シ其 決 定 ヲ 得 ルカ如 キ 事 実 ナ キ 事 ハ条 理 上 十 分 推
之 ・ヲ要 スル ニ本 件 ハ完 ク原 此.力或 ル欲望 ヲ達 セ ・)
知 スル喜
起 セ ルモ ノナ ・ ハ願 ク ハ+ 分 ・審 理 ヲ遂 ケ ラ レ公 明 ・御 判 決 二拠 リ ヒ告 フ葬
判
麟
一
実 家 王 学 帰 ﹂っ
ヒ ニ其 子女 ヲ シ テ将 来 永 ク 安
目 的 ・リ シテ 虚 偽 ノ事 実 ヲ構 造 シ 謂 ・ナ キ 訴 訟 ヲ 提
繍
全 二其 幸 福 得 セ シメ ラ レ ン事 ヲ企 望 仕 候
の
明治三士
芦谷真三郎㊥
右
前
以
濱 口惟長殿
止 メ ス又 ハ自 侭肇
﹁決 シ テ 原 告 申 立 ツ ル如 ク 、 ヒ 告 ヨ リ 離 縁 ノ 申 込 ヲ ナ シ 、 又 ハ其 決 定 ヲ ナ シ タ ル カ 如
(一名 死 亡 ) 設 け あ る か ら に は 、
﹂ な い の であ っ て
﹂ き も の で は な い。 夫 文 蔵 か ら の
﹁完 ク 原 告 ヲ シ テ 改 俊 ノ 状 ヲ 呈 セ シ メ 、 双 互 ノ 関 係 ヲ シ テ 円 滑 ナ ラ シ メ ン事 ヲ 図 カ ル ノ 制 略 二外 ナ ラ
フ サ と 子 供 の前 途 を 思 え ば 、 し い て 離 婚 を 請 求 す る 道 理 のあ る は ず は な い。 フサ が ﹁実 家 二立 チ 帰 り 居 ル ノ 目 的 ﹂ は 、
か し 、 フ サ 側 と し て は 、 文 蔵 と の婚 姻 期 間 も 一四 年 余 り に 及 び 、 す で に 子 供 も 四 人
た こ と で は な く 、 ④ 妻 フ サ に 対 す る 夫 文 蔵 の ﹁暴 行 過 慮 ノ 待 遇 ﹂ お よ び 、 ⑤ 夫 の 不 貞 ﹁他 ノ 婦 人 二沈 溺 ﹂ に あ る 。 し
被告 側 の弁 明 は、要 す る に、此 度 の離 縁 紛議 の原因 は、妻 ・サ が ・心 ヲ家 筆
判事
神 戸地方裁判所豊 岡支部
年三月+四日
蒲
賊
囎
た
み
も
翫
蚊
護
弁
る
あ
79
法
一
律
論
﹁
叢
80
復 籍 請 求 の訴 訟 は、 フサ の家 事放 棄 と い った ﹁虚 偽 ノ事 実 ヲ構 造﹂ し て フサ を離 縁 し 、 ﹁沈 溺 セ ル婦 女﹂ を ﹁フサ ノ跡
釜 二据 へ置 ﹂ か ん と の ﹁欲 望 ﹂ を目 的 とし た も ので あ って不 当 だ と 言う の であ る。
証
定約証
拠
写
こ の答 弁書 に は、 原 告 側 が 提出 し え な か った 前述 の不 離 縁 担 保 の ﹁定 約 証 ﹂ が 、被 告 側 の証 拠 (
写 ﹀ と し て添 付 さ
れ て いる 。
・乙 号証 ﹂
一 近 年来 壱 朝 ノ思 ヒ違 ヒ ヨリ不 和 ヲ生 シ夫 レが為 メ妻 フサ 将 二離 婚 ノ姿 二相 成居 候所 今 回 親 戚 其 他 世話 人諸 氏
ノ厄 介 二係 リ 従前 ノ不 都 合 壱 洗 シ阪来 ノ義 申 入 候 所 早速 示談 相 整 ヒ候 二就 テ ハ将 来 如 何 ナ ル不 和 ヲ生 スル共
拙者 ヨリ離 縁 為 致 間敷 万 ヶ 一難 余 儀 永 続難 致事 相 生 シ候 節 ハ妻 フサ 壱 生 ノ養 育 料 ト シテ 地 所 五 五 ナ リ ヲ無 代
相渡 尚 ホ当 村 内 二分家 永 住 為 致 可 中 暑 シ本 人其 義 履 行 セサ ルト キ ハ連 判 ノ親 戚 世 話 人 保 証 人 二於 テ当 人 二代
目
バリ 以上 ・件 遅 滞 ナ ク 仕渡 可 為 後 旦 疋約証 如 件
明 治 廿九 年 旧十 二 月
小林
文蔵
朝来 郡Y村 ノ内M村
本人
小林杢右 工門
全 村
親戚
問
喜兵衛
全
卜
判
縣
獅
の
前
以
行
施
賊
囎
た
み
も
勘
蚊
算
西村吉十郎殿
藤岡次左 工門殿
藤岡 徳 治殿
金郡V村 ノ内0村
世話 人
什長惣代
・
浦 野 清 右 工門
M酌村嘉左工門
親戚
全 村 ノ内
全期
全村ノ内全村
松蔵
久太郎
木下
保証 人 岡
金
書 や 右 の⑤ ・定 約 証﹂ を 見 る と (
定約 証 で は明 言 され て いな いが)、 文 蔵 に よ る暴 行虐 待 あ る いは不 貞 の妻
の
あ ・た蓑 ⋮
性 が高 いと いう 印 象 を受 け る・ と は いえ・ 馬 袋 の訴 状中 に・ こ の点 に つ いて の言 及 .釈 明 寛
出されな い
樋
の は 、 夫 側 の 弁 護 士 と いう 立 場 か ら い っ て 、 当 然 と 言 え ば 当 然 で あ り 、 ま た そ も そ も 文 蔵 か ら の ﹁理 由 書 ﹂ に 暴 行 虐
ら の 書 面 だ け か ら 、 裁 判 所 が 、 夫 妻 いず れ の 側 に 離 縁 の 真 の 原 因 が あ る の か 、 ま た 夫 か ら の 復 籍 請 求 を 容 認 す る の が
も あ れ 、 訴 状 と 答 弁 書 を 見 る か ぎ り 、 [事 例 A ] の 場 合 と 同 様 、 原 被 告 双 方 の 主 張 内 容 は 大 き く 食 い違 って い る 。 こ れ
待 ・不 貞 の 事 実 は ま っ た く 記 さ れ て いな い か ら 、 馬 袋 は そ の よ う な 事 実 を 伝 え ち れ て いな か った と も 推 測 さ れ る 。 と
る
↓
81
叢
論
律
法
一
82
適 切 か 否 か に つ いて判 断 を 下す こ と は容 易 では な い。
神 戸 地 裁豊 岡 支 部 は、 ど のよう な 事 実 判 断 に基 づき 、 ど のよう な 判決 を 下 し た のであ ろ う か 。 幸 いな こと に、 神 戸
地 裁豊 岡 支 部 の 民事 判 決 原本 中 に、 当 該 事 件 の判決 文 を 見 出 す こと が でき る。
(3 )
小林
文蔵
判 決 は、 明 治 三 一年 四 月 二 一日 に下 さ れ 、被 告 側 (
妻 側 、芦 谷 弁 護 士 ) の抗 弁 を 退け 、 原 告側 (
夫 側 、馬 袋 弁 護 士 )
か ら の 妻 の ﹁復 籍 請 求 ﹂ を 容 認 し た 。
明治 三 一年 (タ )第 三 号 事 件
判 決 原本
告
兵 庫 県 朝 来 郡 Y村 之内 M村 平 民
原
馬 袋鶴 之 助
神 戸 地 方 裁 判 所 々属 弁 護 士
右訴訟代理人
告
西 村 伊 右 工門
全 県 同 郡 ︾村 之内 0村 平 民
被
小林
フサ
全 県 全 郡 全村 之内 0村 西 村 伊 右 工門 方同 居
全
神 戸 地 方 裁 判 所 々属 弁 護 士
右訴訟代理人
卜
右当 事 者 間 ノ復 籍 請 求訴 訟事 件 二付 当 支部 ハ判 決 ス ル事 如 左
判決主文
被 告 伊 着 工門 フサ ハフ サ カ戸 籍 ヲ 被 告 伊右 工門 方 二引取 ル ヘシ
芦 谷 真 三郎
ケ原 止口家 戸 籍 二登録 シタ リ 然 ル ニ整 ロフサ ハ意 ヲ家 事 二止 ・ サ ルヲ 以 テ原 止口ニ於 テ ハ屡 々之 ヲ 諌 ・ タ ・毫
訴 訟費 用 ハ整 .ノ負 担ー ス
繍
の
前
以
断
モ聞 入 ル ・模様 ナ キ ノ ミナ ラ ス明 治 廿七 年 十 一月 中 農 事 繁 忙 ノ時 二際 シ実 家 即被 告伊 右 工門 方 へ立帰 リ シ カ翌
判
麟
賊
求 ム ル ニ依 り原 止.モ到 底 夫 妻 ー シ テ其 関 係 ヲ永 続 ス ル見 込 ナ キ ヲ慮 り終 ・
一フサ ノ依 頼 ヲ容 ・離 婚 ノ事 二決 定 シ
事 実 及争 点
驕
た
み
ら
勘
.フサ ハ実家 被 告 伊 右 工門 方 二立帰 リタ ル モノナ リ侃 テ 原 告 ハ示来 被 告 二対 シ フサ カ戸 籍 ヲ 引戻 ス ヘキ様 督 促 ス
ス ヘシ 訴 訟 費 用 ハ被 告 ノ 負 担 ト ス ト ノ 判 決 ヲ 請 度 ト 云 フ ニ在 リ
ル モ肇
七.
月 中 仲 裁 人等 立入 リ種 々依 頼 ス ル ニ付 止 ムヲ得 ス帰 宅 セシ メ タ ル ニ又 翌 廿 九年 三月 二至 リ フサ ニ於 テ離 婚 ヲ
廿八 年 一月 中 実家 ヨリ フサ カ 荷物 引取 方 ヲ 申 越 シタ ル ニ付 フサ カ持 参 品 ハ悉 皆 取纏 メ之 ヲ引 渡 シタ レト モ全 年
姦
原 告 代 理 人 陳 述 ノ要 領 ハ原 告 ハ明 治十 八 年 一月 十 日被 告 伊 右 工門 ノ 二女 即 被 [告 ] フサ ヲ原 告 妻 ト シテ 貰 ヒ受
蚊
纈
被 告 代 理 人陳 述 ノ要 領 ハ被 告 フサ カ明 治+ 八 年 百 中 原告 ト 夫 妻 ノ関 係 ヲ結 ヒ公 簿 一
碁
録 ヲ得 タ ル事 及 ヒ 今
サ ル・以 テ 止 ムヲ得 ス本 訴 ・ 提起 シ タ ル モ ノナ リ依 テ被 告 伊 右 工門 ハ被 比。フサ ノ 戸籍 ヲ西 村 家 へ引 戻
一
サ ニ於 テ離 婚 ノ請求 ヲ為 シ原 告 二於 テ モ到底 楷 老 ノ見 込 ナキ ヲ察 シ フサ ノ依 頼 ヲ容 レ離婚 ノ事 二決 定 シタ リ云 々
日 実家 二立帰 リ 居 ル事 ハ原告 力主 張 ス ル如 シ然 レト モ被 告 フサ カ心 ヲ家 事 二止 メ ス自 儘 二実家 二立 帰 リ 又 ハブ
る
あ
83
叢
論
律
法
一
84
等 ノ申 立 テ ニ至 テ ハ全 ク無 根 ノ事 実 ナ リ 元 ヨリ 被 告 フサ ハ身 体 壮 健 ナ ラ サ ル ヨリ疾 病 二罹 ル事多 ク為 二農 業 二
従事 ス ル事 能 ハサ ル場合 ア レト モ原 告 力家 事 ヲ内 助 ス ルノ点 二至 テ ハ毫 モ間 然 ス ル処 ナ シ然 ル ニ原 告 パフサ ヲ
疎 ンシ屡 々苛 酷 ノ 待 遇 ヲ ナ ス所 ヨリ 止 ムヲ得 ス フサ ハ実 家井 二親 戚 等 二協 議 ヲ遂 ケ 一時 実 家 二引 取 ラ バ原 告 モ
幾 分 力改 俊 ス ル処 ア ル ヘシト ノ希 望 ヨリ曽 テ実 家 二立 帰 リ タ ル事 アリ 当 時 フサ カ 実家 二立 帰 リ 居 ル モ其 目 的 亦
右 二外 ナ ラ ス随 テ 被 告 ヨリ離 婚 ノ申 込 ヲ ナ シ 又 ハ其 決 定 ヲ ナ シ タ ル等 ノ事 ナ キ ノ ミナ ラ ス 明治 廿 九 年 旧 十 二月
中 乙第 一号 証 ノ如 ク 仲 裁 人 ノ扱 ヒ ニ依 リ被 告 フ サ カ原 告 家 二復 帰 ス ヘキ 示 談 行届 キ タ レ ハ仮 令 襲 二離 婚 ヲナ シ
タ ル事 ア リト ス ル モ該 決定 ハ当 然 取 消 サ レタ ルモ ノナ レ ハ原告 力本 訴 ノ請 求 ハ却 下 ス訴 訟 費 用 ハ原 告 ノ負 担 タ
ル ヘシ ト ノ判 決 ヲ 請 度 ト 云 フ ニ在 リ
右 所争 ノ点 ハ第 一被 告 フサ ハ原告 ト 合 意 上 離婚 シタ ル モ ノ ニ非 ラ サ ル ヤ否 ヤ 第 二若 シ果 シテ 離 婚 シ タ ル モノナ
リ ト ス ル モ乙第 一号 証契 約 二依 リ前 ノ離 婚 ハ当 然 取 消 サ レタ ルモ ノ ニ非 サ ルヤ 否 ヤ ニ在 リ
理由
被 告 二於 テ フサ ハ歴 、ト 離婚 シ タ ル事 ナ シ ト 陳述 ス ルモ明 治 廿 三年 旧=一
月 中 フサ カ原 止.ト 合 意 上 離 婚 シ タ ル事
ハ証 人 岡喜 兵 衛 カ フサ ハ農時 又 ハ養 蚕 等多 忙 ノ時 二際 シ実 家 二立帰 ル事 ア リ シ ヨリ 終 二合 意 上 離 婚 ヲ為 シ近 隣
又 ハ親 戚 二暇 乞 ヲ為 シタ ル上悉 皆 其 所 持 品 ヲ携 へ実 家 二立 帰 リ タ リト ノ陳 述 井 二乙第 一号 証 二徴 シ テ 明確 ナ リ
蓋 シ乙第 一号 証 ハフサ カ 原 告 ト離 婚 シタ ル ニ依 リ仲 才 人 等 二於 テ フサ ヲ原 告 方 二復 帰 セ シ ム ル ノ目 的 ヲ 以 テ締
結 セラ レタ ル契 約 ナ ル事 ハ該 文 詞 二徴 シテ 明 カ ナ リ若 シ仮 リ ニ被 告 力陳 述 ス ル如 ク フ サ カ実 家 二立 帰 リ タ ル ハ
夫 妻 間 ノ関 係 ヲ円 滑 ナ ラ シ ム ル目 的 二出 テ 離婚 シ タ ルカ故 二非 スト ス レ ハ被 告 フサ カ実 家 二立 帰 ル ニ際 シ殊 更
二近 隣 又 ハ親 戚 二暇 乞 ヲ 為 ス ヘキ道 理 ナ ク 又 乙 第 一号 証 契 約 力締 結 セ ラ ル ヘキ 必 要 ナ シ随 テ被 告 力此 点 二対 ス
ト
ル陳 述 ハ之 ヲ採 用 ス ル ニ由 ナ シ 又被 告 二於 テ 仮令 ヒ フサ ハ原告 ハ現 実 離 婚 シ タ リ ト ス ルモ乙 第 一号証 契 約 二依
り 前 ノ離婚 ハ当 然 取 消 サ レタ ルモ ノナ リ ト 陳 述 ス ルモ已 二陳述 スル カ如 ク フサ カ 現実 原 告 ト 離 婚 シ タ ル以 上 ハ
単 二形 式 上前 ノ離 婚 ヲ取 消 ス ヘシト ノ合 意 ヲ為 シ タ ル モ フサ カ原 告 方 二復 帰 シ タ ルカ若 ク ハ其他 実質 上 離 婚 ヲ
ス ル ニ由 ナ シ之 ヲ要 ス ル ニ上来 陳述 ス ル如 ク 己 ニフ葬
二原生.客
意 上 離 婚 シ タ ル以 上 ハ原 告 力本 訴 ノ弦硝求 ハ
取 消 シ タ ル事 実 ナ キ 以 上 ハ真 二前 ノ離 婚 ヲ 取 消 シタ ーー ト 云 フヲ得 ス随 テ 此 点 二対 スル被 告 ノ 陳 述 モ又 之 ヲ採 用
判
麟
当 然 右雑 筆
の ・争
関 係 ス ル至 当 ノ請 求 ナ ルヲ 以 テ被 告 力謂 ハ・ナ ク其 請 求 二応 セ サ ル ハ失 当 ナ ルヲ 以 テ主 文 ・如 ク
麟
、
判決 ス
神戸地方裁判所豊岡支部
庫吉㊥
年四月廿 百
渠
明治三士
の
前
以
判事
裁判長判事
断
賊
信 夫㊥
濱 ・ 惟長㊥
囎
白木
・事実 L の項 で原 被 告 の主 張 内 容 を簡 略 に記 し たう え・ 該妻
因 の究 明 を不 要 と 見 倣 し た か ら で はな く 、 当該 事 案 が ﹁
離 婚 請 求 ﹂ で は な く 、 離 婚 の 事 実 上 の成 立 を 前 提 と し た ﹁復
不 貞 に あ る の か に つ い て は 、 審 理 の争 点 か ら 除 外 さ れ て い る 。 こ れ は 、 裁 判 官 ら が 事 案 の 内 容 を 実 質 的 に 判 断 し て 、原
こ こで は、離 縁 紛 議 を引 き 起 こし たそ も そも の原 因 が、ω 妻 フサ の家 事放 棄 にあ る のか、あ る いはω 夫 文 蔵 の暴 虐 ・
点 L を 、 ③ ﹁被 告 フ サ ハ原 告 ト 合 意 上 離 婚 シ タ ル モ ノ ニ非 ラ サ ル や 否 や ﹂、 ⑤ ﹁若 シ 果 シ テ 離 婚 シ タ ル モ ノ ナ リ ト ス ル
モ 乙 第 一号 証 契 約 二依 り 前 ノ 離 婚 ハ当 然 取 消 サ レタ ル モ ノ ニ非 サ ル や 否 や ﹂ の 二 点 に 絞 っ て い る 。
神 戸 地 裁豊 岡 支 部 の三 名 の判 事 は、 判 決 文中
判事
た
み
も
勘
蚊
護
弁
る
あ
85
86
一
叢
論
律
法
籍請 求 ﹂ の訴 え であ った と いう 訴 訟形 式 上 の理由 から であ る と 理解 し てよ いであ ろう 。そ れ ゆ え 、﹁争 点 ﹂ は 、離 婚 が
事業 上成 立 し たか 否 か (か か る合 意 が そ の後 取 り 消 さ れ て いな いか否 か) と いう 点 に絞 ら れ る こと にな る。
公 判 で は、 おそ ら く 、原 被 告 双 方 か ら、 証 人 尋 問 の申 請 が な さ れ た と推 測 さ れ る。 被 告 側 の資 料 が残 って いな い の
は 残 念 であ る が、 原告 側 す な わ ち 馬 袋 の弁護 方 策 に つ いて は 、馬 袋 文 書 か ら そ の 一端 を 知 る こと が で き る。
同 文書 中 に、 馬 袋 に よ る走 り 書 き のメ モ (一枚 ) が残 って いる。
月 中 野 二出 タ ル先 キ ・リ 自侭 実 家 へ帰 り タ リ
一 汁九 年 三 月 離 縁 ノ際 下 男 西 村 覚 蔵 ト 坪井 熊 蔵 ノ両 人 道 々届 ケ タリ
伊 右 衛 門 ノ 妻 ノ ぬ いナ ル モ ノ 荷 物 ヲ 受 取 リ ニ来 リ タ リ 荷 物 八 一切 返 シ タ リ
一 廿七 年 ±
一
一 其 后 七 月 頃 伊 右 衛 門 ノ近 所 ノ モ ノカ其 使 二来 リ 嘉 三 郎 兵 七 ノ身 受 ヲ頼 ミ ふ さ ノ振 居 ヲ直 サ シ ム ル ニ依 リ器
使 ヒ呉 レト ノ事 ナ リ シ ヲ以 テ 帰 宅 セシ メ タ リ
一 其 際 荷 物 ハ持 チ来 ラ ス
こ こで は、 訴 状 に記 さ れ た事 実、 す な わち 、① 明治 二七 年 = 月 に 妻 フ サ が実 家 に帰 った こ と、 ② 翌 二人 年 一月 に
婚 資 を 悉 皆 フサ の実 家 に戻 し た こと、 ③ 同 年 七 月・
に仲 裁 が入 って フサ は 一端 は 文蔵 方 に復 帰 し た が 、 そ の際 、 婚 資 は
持 参 し な か った こ と、 換 言 す れ ば、 離 婚 が実 質 的 に成 立 し た こと 、 お よ びそ の後 、 妻 の身 柄 は 一時 的 に夫方 に復 帰 し
たも の の、完 全 に復 縁 し ては いな い (
婚 資 が 戻 さ れ て いな い) こと が確 認 され て いる のであ る。
ま た、 豊 岡 支部 が争 点 の第 一と し た、 ④ 離婚 に つ いて夫 妻 側 双 方 の合 意 が成 立 し た と され る明 治 二 九 年 三 月 の出 来
事 、 お よ びそ の後 の経 緯 に つ いて、 馬袋 は、 同 支部 に対 し 、明 治 三 一年 三 月 二 一日 およ び 四 月 一日 の二度 に わ た って、
四名 の証 人 訊 問を 申 請 し て いる。
↑
判
蘇
証 拠 調 ノ申 請
証
人
村ノ匹全村
喜 兵衛
浦 野 清 右衛 門
西 村 嘉 左衛 門
岡
兵庫 県 朝 来 郡 Y村 ノ内 M村
全県華
全
全県 全 郡 全 村 ・内 H村
△⊥
右 原 告 小 林 文蔵 被 告 西 村 伊 右衛 門外 一名 間 ノ復 籍 請 求 事 件 二付 キ証 人 ト シテ御 召喚 ノ上 左 ノ事 項 訊問 相 成 度 候
証人岡喜兵衛 寿 シテ 八
繍
の
前
以
行
施
賊
一 証 人 ハ明治 二十 九 年 三 月中 ふさ 小 林 家 ヲ離 縁 シタ ル以来 其 復 籍 等 ノ暮 雲付 キ被 告 等 二対 シ談 判 シ タ ル事 ア
リ や 之 レア リト ス レ ハ其 顛末 如 何
証 人 西 村 嘉左 衛 門 寿
シタ ル事 実 ヲ知 ルや又 其 以 後右 離 縁 一件 ノ談
一 証 人 ハ明治 二十 九 年 三 月中 小 林 文 蔵 ノ妻 ふさ 力小 林 家 ヲ離 縁 シタ ル事 実 ヲ知 ルヤ
端
た
み
ら
勘
蚊
一 証 人 ハ明治 二+ 九 年 三 月中 小 林 文 蔵 ・妻 ふさ 力小 林 家 ヲ難
シテ ハ
纈
清右 衛 門 二対 シテ ハ
以 後 右事 件 二関 係 シタ ル事 之 レ アリ ヤ ア リト ス レ ハ其始 末 ノ詳 細
一 証 人 ハ明治 二十 九 年 三 月中 小 林 文 蔵 ノ妻 ふさ 力小 林 家 ヲ離 縁 シ実 家 二引取 リ タ ル事 実 ヲ 知 ルや又 証 人 ハ其
証人醇
判 二関 係 シ タ ル 事 ア リ ヤ 之 レ ア リ ト ス レ ハ其 始 末 如 何
一
る
あ
87
右申請候也
明 治 三 十 ﹁年 三月 廿 ﹁日
濱 口惟 長 殿
神 戸 地方 裁 判 所 豊 岡 支 部
判事
証拠調申請
原告代理人
久太郎
馬袋 鶴 之助
岡
丘ハ庫県 朝 来 郡 Y 邨 ノ 内 M村
人
右 原 告 小 林 文蔵 被 告 西 村 伊 右衛 門外 一名 間 ノ復籍 請 求 事 件 二付 キ証 人ト シテ 左 ノ 事 項 訊 問相 成 度 候
証
律
一 証 人 ハふさ 力離 縁 ト ナ リ 実家 へ立帰 リ タ ル后右 事 件 二関 係 。タ ル事 アリ ヤア リ ト ス レ ハ華
右申請候也
明 治 三 十 一年 四 月 一日
濱 口惟 長 殿
神 戸 地 方裁 判 所 豊 岡 支 部
判事
原告代理人
馬袋 鶴 之 助
実 , 詳 細 如何
一 証 人 ハ明治 二十 九 年 三 月中 小 林 文 蔵 ノ妻 ふさ 力夫 文 蔵 ト 協議 上 離 縁 ヲ為 シタ ル事実 ヲ知 ル や
法
一
論
﹁
叢
88
原告 側 (
馬袋 ) が証 人申 請 を 行 った岡 喜 兵 衛 ・西村 嘉 左 衛 門 ・浦 野 清 右衛 門 、 お よ び岡 久 太郎 の 四名 は 、 いず れ も 、
よう な 供 述 を 行 った か、彼 ら の訊 問調 書 の具 体 的な 内 容 (
判 事 と の問 答 な ど )は 知 り得 な いが 、岡 久 太郎 に つ いては 、
不 離 縁 担保 の ﹁定 約 書 ﹂ の仲 介 に立 ち 入 った原 告 側 の親 戚 ・世 話 人 ・保 証 人 であ る。 召 喚 さ れ た法 廷 で、 彼 ら が ど の
卜
し れ な い)、 次 のよ 、
・な 覚 書 が残 さ れ て いる 。
岡
久太郎
馬 袋 文書 中 に、 そ の供 述内 容 を 要 約 し た も のと思 わ れ る (
あ る いは 、 供 述 に先 立 って馬 袋 に差 し 入れ ら れ た も のかも
判
際
(
ママ
)
奎 記 ス置
明治三+年産
・り小林 文蔵妻 ふさ 二係 る妻
擶
一月 十 七 日 ニテ ふさ 送籍 噛し 木 下 松 蔵 早 田林 助 両 人 O村 西村 伊 右 衛 門 隣 家 へ罷越 什長 組 ヨリ 伊 右 衛 門方 へ段 々
月+吉
磁
決 テ致 間 敷 ト 申 立余 儀 な く モ翌 日 十九 日岡 久太 郎 ト 申 者 小 林 文 蔵 ヨリ頼 二付 木 下松 蔵 早 田林 助 ヲ 同道 ニテ岡 久
麟
の
前
以
囎
た
み
も
勧
申 居 リ候 二付 テ ハ不 止 得 壱 対 ト シ テ金 員 弐 百 円 ニテ送 籍 請 取 リ 呉 候様 申 込 候 得 共 西村 伊 右 衛 門 方 申 立 ル ニ ハ右
二
御 出 呉 レタ ル事 二付 我 両 人 立 入妻 ふ さ小 林 文 蔵方 へ戻 ル咄 し 致度 ト 被 申 夫 レ ニ付 テ ハ岡 久 太 郎 木 下松 蔵 両 人 二
不 致 ト 申 居 リ 候 処 0村 藤 岡 徳 治 井 二藤 岡 治 左 衛 門両 人立 入 岡 久 太郎 へ其 後 御 伝 呉聞 及 二 八此 度 ふさ 送籍 咄し 二
ふ さ ハ本 年 迄者 小林 文 蔵 .宅 へ縁組 期 日 ヨリ 十 三年 二相 成 リ 子 供 モ多 分 ア ル中 ニヨり無 給 料 ニチ ハ送 籍 請 取 事 ハ
可被 下 様 咄 し 致 候得 共 伊 右 衛 門方 ニ ハ前 日 之通 リ金 員 の百 や 弐 百円 ニチ ハ妻 ふさ の送 籍 請 取 事 ハ決 テ致 間 敷 ト
太郎 三 名 の者 ・村 西村 伊 右 衛 門 隣家 什 長 組 西村 吉 重 郎 方 へ罷 越 岡久 太 郎 の申 立 ニ ハ送 籍 ヲ伊 右 衛 門 方 へ袈
帰 り其 翌 日十 八 日亦 候両 人 罷 越 右 送籍 之 咄 し 再 応致 候 得 共 前 日 之如 キ金 員 の百 や 弐 百円 デ ハ送 籍 請 取 リ申 事 ハ
咄 し 致 候 処 送籍 ハ不 請 取 な と 以 テ金 員 の百 円 や 弐 百円 デ ハ送籍 請取 事 ハ不 致 ト申 其 場 ステ 置 M 村 小林 文蔵 宅 へ
蚊
護
弁
る
↓
89
0
9
モ咄 し有 之 ナ ル事 ナ ラ バ纈 諄 ナ ル事 ト 致 居 リ 夫 レナ ラ バ乍 手 数 宜敷 ト 御 頼 申 居 リ サ ラ バ是 ヨリ 伊 右 衛 門 方 へ藤
岡 両 人 之 立 入 ルノ ヲ聞 □ 伊右 衛 門 方 ヨリ藤 岡 両 人江 ふさ 壱 人 小林 文蔵 宅 へ戻 ス咄 し 八相 止 メ呉 ト ノ 御 咄 し ニテ
藤 岡 両 人 ヨリ 致 方 モ無御 座 其 ま ・岡 久 太郎 へ節 角 我 両 人 立 入 候得 共 伊 右 衛 門 方 不 服故 二断 リ ス ルト ノ 咄 しナ リ
夫 レ ヨリ岡 久 太 郎 木 下松 蔵 両 人 立 帰 リ時 二M村 西 村 徳 ト 申者 立入 小 林 文 蔵 親 類 井 二世 話 人 協 議 之 上 廿 一日午 後
二時 頃 二〇 村 藤 岡 惣 蔵宅 へ罷 越 西 村徳 岡久 太 郎 木 下 松 蔵 三名 同 道 シテ 惣 蔵 宅 ニテ 0村 藤 岡 徳 治 藤 岡 治左 衛 門 ヲ
候処 伊 右 衛 門 方 ヨリ申 立 ル ニ 蓮
三 雲き
小 林 文 蔵 方も ド シ簿
共永ゾ
ま ねき 妻 ふさ 壱 人 小林 文 蔵 宅 へ戻 ス咄 し申 込 候 ハ者 藤 岡 両人 ヲ相 頼 右 西村 伊 右 衛 門 方 へ西 村徳 藤 岡 徳 治 藤 岡 治
左 衛 門 三 名 罷 越 ふ ・戻 ス咄 し 段 裏
ク ス ルミ コミ無 御 座 ト 申 居 リ 夫 レ ニ西村 徳 藤 岡 両 人 ト モ伊 右 衛 門 へ段 々申 込 候 得 者 貴 殿 之 異見 二随 ヒ妻 ふさ 戻
スナ ラ バ 何 ゾ妻 ふ さ の立 行 事 ヲ致 呉候 様 被 申 ス レバ小 林 文 蔵 代 理 人 小林 杢 右 衛 門 岡 喜 兵衛 H村 親 類 浦 野 清 右 衛
一
叢
論
門 三 人 ヲ惣 蔵宅 へ呼 出 伊 右 衛 門之 始 末 ヲ申 ノベ 候処 親 類 三 人 ヨリ 西村 徳 藤 岡 徳 治藤 岡 治 左 衛 門 三 名 之者 二相 尋
候 へ者 伊右 衛 門 中 居 リ 候 ニ 八雲 ふ さ戻 ル ニョリ永 ゾ ク方 法 ハ此 后 二至 リ テ 亦 候不 和 ヲ生 シテ 不 都 合 之事 力出 来
律
法
一 ・難 羅 拶獲就鞭難 尉
騨
蔵垣雛 鴇 尋 燥粥諜
辣﹂髭 離騒 補
﹁世話 人藤 岡 徳 治 藤 岡 治右 衛 門 両 力 預 ル事 ト 決 シ全 廿 一日 ヨリ 廿四 日迄 此 趣 キ ニよ り 夫 レ ヨリ 妻 ふ さ小 林 文 蔵 方
へ返戻 之 日限者 廿九 日ト 申 藤 岡 徳 治藤 岡治 左 衛 門 へ岡 久太 郎 木 下 松 蔵 両 人 ヨリ申 置 候 事 ニテ 廿 四 日午 後 第 六 時
ハ.
苧
夫 レ ヨ菩
九 星 一テ 藤 岡 治左 衛 門 へ面 会 致 廿九 星
ハ不 返事 ナ ラ バ 二月 六 日 ニ ハ吉 日
頃 二M 村 小 林 文 蔵宅 へ世 話 人 之者 帰 リ 廿九 日 ニテ 一応 藤 岡 治 左 衛 門 ヘイ ヨイ ヨ廿 九 日 ニ 八雲 ふ さ戻 ル事 カ ト 相
尋候得共廿九星
ト ス ニヨリ 夫 レ ニ ハ妻 ふさ 戻 ル様 二伊 右 衛 門 方 へ御 噛 し 込 被 下 ト申 置候 処 六 日之 午 后第 三時 頃 二迎 ひ岡 久 太郎
↑
木 下松 蔵 両 人藤 岡惣 蔵 宅 へ罷 越 候 得 共藤 岡 両 人 ヨリ伊 右 衛 門 之 申 伝 ニ ハ今 日 モ返 戻 ス ル事 ハ御 断 ト 申 居 リ 其議
者 如何 之 事 カト 相尋 申 候 得 者 妻 ふさ 女親 の云 ニ ハ未 タ妻 ふ さ 二正 月 餅 ヲ ク ワ セタ イ ニよ り今 日 ヨリ十 四 五 日后
ニシテ ク レト ノ御 咄 し ナ リ小 林 文 蔵 方 ニ ハ酒肴 買 求膳 等揃 へ待 居 リ 候 へ共右 様 之 申 立 ニテ妻 ふ さ返 リ 事 不 致無
余 議 岡 久太 郎 木 下 松 蔵 両 人之 者 M 村 帰 リ其 后 二月 十 入 日吉 日 ニテ妻 ふさ 返 リ都 合 之 書 面 ヲ 岡 久太 郎 ヨリ藤 岡 治
右衛門藤岡徳治両人アテ 三習 ニテ差送リ候処何 の御返事 モ無御座候竺
岡久太郎木下松墜 他行致居リ候ア
蘇
上
判
麟
郎 ト 申 者 両 人 0村 西 村 伊 右 衛 門宅 へ罷 越 候 処 伊右 衛 門 方 夫 レ ニハ云 々ヲ申 立 小林 文蔵 方 ニ ハ決 テ 妻 ふ さ返 ス事
・ の岡 久 太郎 の覚 書 き では 、⑤ 明 治 二 九年 旧 三 旦
吾
に、 不 離 縁 担 保 の特 約 を と も な ・た フサ復 帰 の約 定 が交
事 ニテ 西 村徳 岡久 太 郎 木 下松 蔵 三 名 も の へ申越 シナ り夫 レ ヨリ小 林 文 蔵 親 類 へ咄 し致 候処
ハ不 致 致 方 無御 座 候 故 岡 喜 丘ハ衛大 塑 疋五 郎 両 人帰 リ夫 レ ヨリ ・ ク談 ・致 藤 岡 徳 治藤 岡 治 右 衛 門 両 人 ・リ段 々世
二大畑定五
輌
話 人 の手 ヲ ぬけ )
ふさ迎 ひ 二岡喜兵算
側
施
磁
小 林 文蔵 井 二親 類 ヨリ西 村 伊 右 衛 門宅 へ罷 越 右 妻 ふ さ漸 時 預 ケ置 ト 申込 候 得 共 伊 右衛 門 ニ ハ預 カ ル事 者不 致 サ
・書 面 二預リサ ・主 両人他行後ノ事故致方ナ萎
囎
ス レバ妻 ふさ 小 林 文 蔵 の 入籍 之 者 故速 帰 リ ト 申 立 候 テ モ︹
糞v
ニテ 返 ス事 ハ 一切 不 致 ト ノ 申分 レ ニテ 済
テ愈 々妻ふさ返事
航
筋
書
蚊
つき) が交 わさ れ た 後 も、 原 被 告 間 の復 帰 交 渉 は も っぱら 被 告 側 の責 め に帰 す べき 理 由 に よ って難 航 し 、結 局 は決 裂
意 によ って 離婚 が確 か に成 立し た こと (
明 治 二九 年 三月 )、⑤ 妻 フサ が文 蔵 家 に復 帰 す る 旨 の約 定 (
不 離 縁 担保 の特 約
嬢 わ され てか ら 後 の事 実 経 過 に つ いても 、 原 被 告 双方 間 に仲 介 人 が 入 れ替 わ り 立 入 ・て、 ど のよう な交 渉 が行 わ れ 、 ど
る
あ
のよう にし て決 裂 に至 った かが 、 詳 細 に述 べら れ て いる。
7
塁 は・ 四 名 の証 人尋 問 によ って ・神 一
地 董 岡支 部 が当 該 事 案 の ・争 点 ﹂ と 判 断 し た 二点 に つ いて・ @ 夫 妻 の合
ユ
9
92
し た の であ り 、該 約定 によ って先 の離 婚 の合意 は ﹁取消 ﹂ さ れ た とは 言 えな い こと 、を 立 証 し よう と し た のであ ろ う 。
判決 文 で は、 こう し た証 言 内 容 に つ いてま った く 言 及 さ れ て いな いが、 判事 ら の心 証 形成 に影 響 を 与 え た こと は 間
違 いな かろ う 。
神 戸 地 裁 豊 岡支 部 は 、@ フサ が ﹁実 家 二立帰 ル ニ際 シ殊 更 二近 隣 又 ハ親 戚 二暇 乞 ヲ 為 ス ヘキ 道 理 ナ ク﹂、離 婚 が 夫 妻
側 双方 の合 意 に よ って成 立 し た こと が推 測 さ れ ると し たう え、 ⑤ 被 告 側 が 提出 し た 乙 一号 証 (妻 フサ復 帰 の約 定 ⋮不
離 縁 担 保 の特 約 つき) によ って ﹁
離 婚 ヲ取 消 ス ヘシト ノ合 意 ヲ為 シ タ ルモ、 フサ カ 原 告 方 二復 帰 シタ ルカ 若 ク ハ其 他
に暇 乞 を し た 事実 によ って、 離 婚 の合 意 の成 立 を 認 め、 そ し て⑤ 乙 一号 証 によ り フサ の夫方 復 帰 の約 定 が 交 わ さ れ た
﹁ 実 篁 讐 ヲ 取 消 ・ タ ル妻 ナ キ 以 上 ハ真 二苗
田ノ 讐 ヲ取 消 シタ リ 上 否 ヲ得 ス﹂ と の判断 を 下 し た・ す な わ ち・ 判
叢
決 は、 妻 側 が 戸籍 の引 戻 し を あ く ま で拒 否 し た理 由 に つ いて実 質 的 な 判断 を せず に、 も っぱら 、 @ フサ が 近隣 ・親 類
論
こ とを 確 認 し つ つも 、 そ の後 フサ が 夫方 に復 帰 し な か った と いう 事 実 によ って、先 の離 婚 の合 意 は いま だ 取 り 消 さ れ
当該妻
の揚A・に は、 前 述 し た さ つに訴 訟 形式 上 の制 約 があ る と は いえ 、 離 婚 の紛議 をも たら し た 責任 の所 在 を 明
て いな いと の結 論 を 引 き 出 し て いる のであ る 。
律
法
一
確 にし な い (有責 主 義 的 でな い)、 こ のよう な判 決 の傾 向 は、 明治 民 法 施 行 以前 にお いて 、全 国 の裁判 所 でし ば しば 見
ら れ る 傾 向 で あ る。 こう し た傾 向 は、 確 か に、 夫 側 の有 責 行 為 を 不 問 に付 す る 結 果 をも たら す 場 合 が あ る ([事 例 B]
の事 案 では 、 夫 の暴 虐 と 不 貞 行為 を う ったえ た答 弁書 の趣 旨 が 事 実 だ とす れ ば 、 妻 側 に と って過 酷 な結 果 をも たら し
た) け れ ど も、 反 面 で は、 婚姻 が実 質 的 に破 綻 し て いるか 否 か と いう 点 を 最 重 視 し た (
破 綻 主義 的 な )態 度 であ る と
[
事 例 B] の判
解 す る ことも でき る の であ り、 こう し た破 綻主 義 的 な 判 決 によ って、 夫 の有 責 行為 を 立証 す る こと の困難 性 が回 避 さ
(
4 )
れ て 、 妻 の 離 婚 意 思 が 保 護 さ れ た と いう 側 面 も あ っ た こ と を 看 過 し て は な ら な い。 し た が っ て 、 当 該
ト
決 の場 合 (
と り わけ⑤ 夫 に よ る不離 縁担 保 の約定 書 の存 在 が軽 視 さ れ て いる点 が気 に か かる のだ が)、 基 本的 に夫 専 権
この書簡 に封入されて いた小林家一
暴
写)によるζ 文葎
文久三年 万 一九星 まれで 明治 =ハ年四月二四県
離 婚 観 念 に立 脚 し たも のと 位 置 づけ る こと には 、 躊躇 せざ る を えな い。
(
主1)
ま れ) を 鑑
・、 長 女 す が
林 家 を 相続 、 父利 助 に かわ って戸 主 とな って いる 。妻 フ サは 、文 久 三年 七 月 二七 日 に、 西村 豊 平 の 二女 とし て生 ま れ、 明治 一
被 告 側 弁護 士 の暮
真 三郎 の経 歴 ・ つ・ ては委 細 不 明 で あ ・ が、 明 治三 ・ 年 末 か ら 翌三 一年中 頃 ま で、 大 賢
夫 の弁 護 士
(
明治 二 〇年 九 月 一五 日生 ま れ)・二 女 み つ (
明治 二 三年 八 月 二 〇日 生 ま れ)・三女 とみ (明治 二 五年 一月 一五 日生 ま れ、 二 二
. 夫 婦 の間 に は、 長 男甚 之 助 (
明治 元 年 六月 二五 星
や
係
八年 亘
・ ・ に小 林 方 ・ 入籍 し ⋮
欄
日 死亡 )お よ び二 男伊 平 (明治 二七 年 入 月 一〇 日生 ま れ、 三〇 年 八月 一七 日死 亡 ) の二 男三 女 の子 があ る (
う ち 二名 は死 亡 )
。
(
・)
大 槻 貞 夫 ・・ 安 政五 (天 五 入 )年 四 月 ・丹 波 山家 藩 士 の 子 とし て生 まれ ・ 明治 天 年 に代 昌
・
・人免 許 を 取得 (
神 戸)・ 翠
士 を 開業 し、 豊 岡 町 と
事 務 所 に所属 (
豊 岡 町 に寄 留 ) し て いたよう であ る 。前 掲 の答 弁書 およ び 証 拠写 し は ﹁大槻 訴 訟 用 紙﹂ に記 さ れ て いる。
は 、神 戸 市 内 で叢
施
退覆
判検事登用暖
にも 及 第 し た ため 任官 した が 、 二 六年 五 月 ・判 事 を 轟
篠 山町 に出張 所 を 開 設 し て いる。 大槻 が豊 岡 で 活発 な 弁 護 士活 動 を 始 め た の は、 明 治三 二年 頃 か ら のよ う であ る から 、 当 該
むす び
明治 期 に おけ ・破 綻嚢
四
的 な 判決 例 の意義 ・ つ ・て は、 前 掲 拙著 .明治 離 裏
判 史 論・ (
と乏
第 二章 ) を 参 照.
以 上 、 本 稿 に お いては 、 馬袋 鶴 之 助 と いう 弁護 士 の文書 中 に残 さ れ て いた 、 明治 民 法 施 行 以前 の離 婚 関 係 裁 判 (二
(
・)
月 二三 日 に確 定 し て いる。 控 訴 の事 実 は、 確 認 でき な い。
事 件 当 時 芦 谷 は、 大 槻 弁護 士 霧 所 の豊 岡出 張 所 を 預 か ・て、 活動 し て いたも のと 考 え てよ い であ ろう ・
な お 、 当該 判 決 は 、 明 治三 ﹂年 四 月 三 日 に昌
。
口
渡 し があ った のち 、 二三 日 に判 決 正本 が原 被 止口に領 収 さ れ、 二 ヶ月 後 の六
た
(
3)
磁
側
離
の
前
.
驕
赫
謝
文
趾
一
碑
あ
93
94
︻
叢
論
律
法
件 ) に関 す る 諸 資料 を紹 介 し た。 紹介 し た裁 判 資 料 の内 容 は、 そ れ ぞ れ 次 のよ う な 文書 類 であ る。
書 (
同
年三 月
九 日)
関連書類 (
訴 訟 代 理 の委 任 状 )
証拠 書 類 (
婚 資 の物件 目 録 )
状 (明治 二七 年 = 月 ]○ 日)
被告側弁護士 属 鶴
之助
原 告 側弁 護 士 ⋮田中 二郎
[
事 例 A ] ﹁物 品 取 戻 請求 ノ訴 ﹂ (
原 告 "妻 お よ びそ の父 親、 被 告 ⋮夫 )
訴
算
理由 書 (明治 三 一年
一月 一九 日 )
夫 か ら馬 袋 鶴 之 助
訴 訟 代 理 の依頼 理由
[事 例 B] ﹁復籍 請求 ノ訴 ﹂ (
原 告 "夫 、被 告 "妻 およ びそ の父親 )
年
三 月 一四 日 )
二月 一二 日 )
被 告 側 弁 護 士 ⋮芦 谷 真 三郎
原告 側 弁 護 士 "馬 袋鶴 之 助
関連書類 (
村 役場 間 の通 信 、 夫 か ら馬 袋 宛 の書 簡 と夫 家 の戸 籍簿 写、 およ び馬 袋 のメ モ)
同
年
状 (
訴
同
同
年
四 月 二 一日)
証拠書類 (
不 離 縁 担 保 の約定 書 )
決 (
神 戸 地 方 裁 判所 豊 岡 支 部
答弁書 (
判
裁 判 関係 書 類 (
証 人 申 請 二 通、 証 言 覚 書 )
判 決 文 に お い で は 、 争 点 整 理 に よ っ て 、 当 事 者 の主 張 内 容 や 細 か な 事 実 関 係 な ど が 往 々 に し て 割 愛 さ れ る 場 合 が 多
い が 、 こ れ ら は 、 ﹁訴 状 ﹂ ・﹁答 弁 書 ﹂ に よ って 、 か な り 詳 し く 知 る こ と が で き る 。 も っ と も 、 ﹁訴 状 ﹂ ・﹁答 弁 書 ﹂ に は 、
(
あ る い はそ の捏造 ) が記 さ れ て いる 可
(
弁 護 士 ) が そ の作 成 に関 与 し て いる場 合 に は 、訴 訟
客 観 的 な 事 実 と い う よ り は 、 主 観 的 に 自 己 の側 に 都 A口の良 い と 思 わ れ る 事 実
能 性 が高 いこ と は言 う ま でも な かろ う 。 と り わけ 、 訴 訟代 理人
を 依頼 人側 に有 利 に導 く た め に、 ど こに主 張 の力 点 を 置 こう とし た のか を読 み取 る こと も でき よ う 。
(
お よ び不 貞 ) に つ いて切 実 なう ったえ が記 さ
卜
、 も っぱ ら 妻 の非 (
家 政 怠 慢 な ど ) が 強調 さ
﹁訴 状 ﹂ ・﹁答 弁 書 ﹂ に 添 付 さ れ た 証 拠 書 類 は 、 判 決 で は 具 体 的 内 容 が 正 確 に 引 用 さ れ る 例 は ほ と ん ど 見 ら れ な い に
[事 例 A ・B ] で は 、 と も に 、 妻 側 の 陳 述 中 に は 、 夫 に よ る 暴 虐 行 為
へ
も か か わ ら ず 、 判 決 の重 要 な 論 拠 の 一 つと さ れ て いる 場 A.が 少 な - な い. [事 例 B ] の 場 合 のよ 、
つに 、 夫 に よ る 不 離 縁
れ て いる の に対 し て 、夫 側 の主 張 には 、 そ の点 に関 す る言口明 が 一切 守
前
以
擶
担保 の特 約 を 含 ん 萎
離
賊
事 者 およ び関 係者 の証 =
口内 容 は 、 彼 ら に対 し て 直 接 に尋 (
訊 ﹀ 問 を行 った裁 判 官 ら の心 証 形 成 に、 大 きな 影 響 を 与 え
れ て いるわ け であ る.
號
た
み
ら
勘
た と推 測 さ れ る か ら、 そ の内 容 は、 判 決 の帰 趨 に墨
驕
の
蚊
る の は極 め て稀 れ であ る ) 中 の残 存 が期 待 さ れ る わけ であ る。
な 役 割 を 果 た し ・ とは 疑 いな い. 判 決 原 本 中 に偶 々廃 棄 を 免 れ
が 綴 り込 ま れ て いる ・と が稀 れ にあ る が・ 弁 護 士 文書 (
家 族 関 係 紛争 の場 A。・ 当 事者 文書 が保 存 さ れ て い
紹介した [
事 例 A ・B ] の事 案 で は、 夫 に よ る妻 への暴虐 行 為 や 不 貞 な ど の事 実 が、 離 婚 紛議 の背 景 にあ った こと
で
こ から 直 接 に、 弁護 士 や 裁 判 官 の評 価 (
規 範 意 識 や社 会 的 役割 な ど) を 引 き 出す こ と は困 難 で あ る。 た とえ ば 、本 稿
以 上 のよう に、裁 判関 係 資 料 は、 判決 文 だけ から では得 ら れな い豊富 な情 報 を 、我 々に 提供 し てく れ る。し かし 、 こ
て尋 問 馨
で きな い。 し か し、 離 婚 関 係 裁 判 と い った多 分 に当事 者 間 の感 情的 な纏 れ が審 議 の対 象 とさ れ る 事案 に お いて は、 当
証 言 の内 容 に つ いても 、 し ば し ば 判決 中 に部 分 的 に引 用 さ れ る が、 判 決 文 から 、 そ の内 容 の全 体 を 読 み取 る こと は
復 帰 の約 定書 な ど は、 夫 に離婚 原 因 があ ・た ・とを 多 分 に推 測 さ せ るも の であ る.
轍
る
あ
95
叢
論
律
法
96
が裁 判 資 料 (
妻 側 の主 張 や証 拠書 類) から 推 測 さ れ る にも か かわ らず 、 夫側 弁 護 士 は こ の点 に つい てま った く 言 及 し
て おら ず 、 ま た裁 判 官 は ([
事 例 B ] の場 合 )夫 の離 婚原 因 に つ いて の事 実 認定 を、 訴 え の形 式 と いう点 から 、争 点 と
し て いな い。 こ の こと から 、 直 ち に、 夫 側 弁 護 士 で あ る馬 袋 を し て 、 も っぱら 夫 側 の訴 訟代 理を 担 当 し て いる 、 女性
の人 権 擁 護 ・解 放 の意 識 に乏 し い弁護 士 であ り 、 ま た裁 判 官 ら は 、 旧態 同然 たる 夫 専 権離 婚 の観 念 に執 着 し た 人 々で
あ る と いう 評 価 を 引 き出 す こと は 、 早計 と言 わ ざ る を えな いであ ろう 。
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