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明治前期における妻と裁判

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明治前期における妻と裁判
1
説︼
法 律 論叢
︻論
第 七 一巻
次
第 二 ・三号 (一九 九入 ・ 一二)
明治前 期 にお ける妾 と裁 判
目
夫 妾 関 係 の解 消
B、 妾 契 約 の履 行
A、 妾 の戸 籍記 載
夫妾 関 係 の成 立 とそ の効果
一 はじめに
二
三
A、 妾 側 か ら の離 縁 請求
B、 妾離 縁 にと も なう 手 当 金
C 、 夫 死亡 後 の妾 除籍
むすび
D 、 妾離 縁 後 に お け る子 の処遇
四
村
上
一
博
2
一
は じめ に
TV
明 治 民法 の施 行 を 九 日後 に控 え た 明治 三 一年 七月 七 日、 ﹃萬朝 報 ﹄ は ﹁男 女風 俗 問 題 ﹂ と題 す る記 事 を 掲 載 し た 。冒
頭 に 曰 く。
酒 々た る 世間 の 男子
燐 む 可き ハ我 国 婦 人 の境遇 より 甚 だ し き ハ臭 し 。 古 来 の習慣 と ハ云 へ、 今 以 て 男子 の玩 弄 た る が 如 き 地位 に在
り ・此 地位 を 脱 せん と欲 し て種 々運 動 す る者 あ るも ・ 同 情 を以 て之 を 助 け ん とす る者 無 文
猶 却 て婦 人を 玩 弄 の地 に 置く を 快 とし 、 人倫 の根 本 を 破 壊 し て顧 みざ る 者多 し。 ⋮彼 の文 明 法 典 に 依拠 せ り と称
せ ら る ・民 法 にす ら 、庶 子を 記 し て間 接 に ︻夫 多 妻 を 国 風 と認 む る に至 り て 、最 早 や 日本 婦 人 の地位 殆 ど救 ふ に
﹁
叢
諭
由 無 き かを 疑 はし む 。 走 れ吾 人 が弦 に男 女 風俗 問 題 と し て 此記 事 を 掲 ぐ る の止 む を得 ざ る所 以 な り。
て 婦 人 に対 す る倫 常 の破 壊 を 行 ひ つ 、有 る や、 五、人 八五.人 の知 れ る藷
に於 て其 実 例 警
を 摘 記 し、 之 を社 会 の
日本 今 日 の社 会 ハ如何 な る地 位 、 如 何 な る思 想 の男 子 ま で、 [夫 多 妻 の事 を実 行 し つ つ有 る や、 即 ち事 実 に於
律
法
一
差 恥 心 に問 はん と 欲 す。 若 し 能 く 之 に 依 り て世 の獣 欲 獣 行 、 而も 猶 ほ紳 士 の名 を 冒 せ る怪 物 に 対 し、 聯 か省 る所
あ ら し む るを 得 バ、 吾 人 の労 、 徒 為 に属 せ ざら ん か。 (
以 下 略 、 句 読 点 は筆 者 )
男 子 が婦 人を 玩 弄 しそ の倫常 を破 壊 し て いる風 潮 を 厳 し く糾 弾す る、 右 の よう な 序 文 を皮 切り に、 ﹃
萬 朝 報 ﹄ は 、九
(2 )
月 二 七 日 ま で ほ ぼ毎 号 (全 六 八回 ) にわ た って、 伊 藤 博 文 ・渋 沢栄 一 ・高 瀬 真 卿 ら 政 ・財 ・教 育 界 、鳩 山和 夫 ・中 島
又 五郎 ら 弁護 士 ほか 、 総 勢 五 〇〇 名 に のぼ る当 代 著 名 人 の ﹁
蓄 妾 の実 例 ﹂ を 暴露 し た記 事 を 連 載 し 続け た。 こ の ﹃萬
朗 報﹄ の記 事 は、 同 紙 の数 あ る 暴露 記 事 のな か でも 、 相馬 事 件 ・蓮 門 教 攻 撃 とな ら ん で特 に著 名 な も の の 一つであ り 、
これ に より 黒 岩 周 六 (
涙 香 ) は権 力 者 側 か ら 恐れ ら れ 、 ﹁蟻 の周 六﹂ ﹁マ ム周 ﹂ の異 名 を と った と言 わ れ て い蘇 ∼
右 の序 文 は、 明 治民 法 が ﹁一夫多 妻 を国 風 と認 ﹂め た と非 難 し て いる が、 こ の点 は ﹃萬 朝 報﹄ の誤解 であ ろう 。 明治
民 法 は、 従 来 の事 実婚 容 認 を 改 め て法律 婚 主 義 と 一夫 一婦 制 を 徹 底 す る 一方 、 戸 籍 に 登 記 さ れな い私 通 ・妾 あ る いは
(4 )
内 縁関 係 から 生 れ る 私生 子 の権 利 を 保護 す る ため に、 私生 子 が父 の認知 を 受 け て庶 子 と な る道 を 開 い た (と く に強 制
に
認 知 規 定 を 創 設 ) の で あ っ て 、 ﹁一夫 多 妻 ﹂ を 認 め た わ け で は な い 。 明 治 民 法 解 釈 の 当 否 は と も か く と し て 、 こ の ﹃萬
記 事 は、 当 時 の 日本 社 ムム (とり わ け 上層 階 級 ) にお いて妾 を 囲 つ風 俗 が いか に蔓 延 し て いた か を袈
物 語 って いる。
﹁ 朝 報 ﹄ の譲
さ て、 問 題 は 、 こう し た明 治 三 〇 年頃 に見 ら れ る蓄 妾 の弊 風 の氾 濫 が、 何 時 ご ろ か ら、 何 を 契 機 に齎 さ れ た か であ
判
城
趾
(
年 季 奉 公 の 一種
(
5)
る。 先 学 の指摘 に よ れば 、 江 戸 時 代 に お いても 、 蓄妾 は、 上 は 将 軍 から 下 は 庶 民 に いた るま で広 く 見 出 さ れ る。 と は
、も ﹁隠 し 者 ﹂ で
、あ り 、 そ の 身 分 は 、 夫 の 配 偶 者 で
﹂ は な く ﹁召 (
6﹂
)一 奉 公 人
いえ、当 時 の妾 はあ く ま で
使
る
け
お
に
し ての萎
契約 によ ・て成立) にすぎなか 竜
啓
次 いで・ 明 治 六年 一月 一八 日 の太
と ころ が 、明 治 維新 後 の明 治 三年 一二 月 二 〇日 (
布 告 第九 四四 )、 内 外有 司 に頒 布 さ れ た新 律 綱 領 は、養 老 儀 制 令 の
墜
得 し た の で あ る 。 そ れ ゆ え 、 一見 す る と 、 妾 の地 位 は 飛 躍 的 に 向 上 し た か の よ う な 印 象 を う け る 。 し か し 、 そ も そ も
こう し て 、 江 戸 時 代 で は 召 使 ・奉 公 人 の 地 位 に 甘 ん じ て い た 妾 は 、 新 律 綱 領 を 契 機 に 、 配 偶 者 た る 法 律 上 の地 位 を 獲
(
11) (
12)
い て 、 太 政 官 は 、 妾 の 夫 方 戸 籍 への 入 籍 方 法 を 具 体 的 に 示 す に 至 っ た 。
と達 し て、 妾 が生 ん だ子
政 官 第 二 一号 布 告 に お い
、
て ﹁妻 妾 二非 サ ル婦 女 ニシ テ 分 娩 ス ル児 子 ハ 一切 私 生 ヲ 以 テ 論 シ 、 其 婦 女 ノ 引 受 タ ル ヘキ 事 ﹂
(
10)
(
庶 子 ) を 私 通 の 婦 女 が 生 ん だ 子 (私 生 子 ) と 区 別 し た 。 さ ら に 、 同 年 八 月 五 日 の 指 令 に お
五 等 親 属 制 に な ら ・て・ 妾 を ・ 妻 と とも に夫 の二等 親 す な わ ち 配偶 者 と 位 撃
唖
3
4
明 治 初 期 に お いて、 女 性 の権利 の向 上 を めざ す 立 場 は、 一夫 一婦 主義 な の であ って 、妾 を配 偶 者 に加 え た こと は、 一
(13 )
夫 一婦 制 と 対 峙す る 一夫 多 妻制 の採 用 に ほか な ら な い。 こ の意 味 で 、妾 が配 偶 者 と 位 置 づけ られ た こと を 、 女 性.全 体
の 地 位 の 向 上 の 一環 と し て 評 価 す る こ と は で き な い。 妾 を 配 偶 者 と す る こ と に よ っ て 、 男 が 公 然 と 妾 を 囲 う こ と を 認
(
14)
め る と と も に 、 刑 法 上 ﹁夫 の た め に 、 そ の貞 操 を 保 護 し 、 そ の柔 順 を 確 保 し た も の ﹂ と 言 わ ね ば な ら な い。 と も あ れ 、
(
15)
新 律 綱 領 と そ れ 以 降 に おけ る 一連 の妾制 整 備 の結 果 、 妾を 権 妻 と称 し て誇 り とす る 風 潮 、 公然 た る蓄 妾 の風 潮 が ま す
ます 助 長 さ れ た であ ろう こ と は疑 いな い。 新 律 綱 領 頒 布後 に おけ る 蓄 妾 の ﹁繁 盛 ﹂ ぶり は 、例 え ば、 明治 七 年 に刊 行
で は な い。 明 治 五 年 一 一月 二 三 日 に 、 江 藤 新 平
(司 法 卿 ) は 、 ﹁夫 婦 ノ 儀 二付 伺 ﹂ を 正 院 に 提 出 し 、 そ の な か で ﹁妾 ヲ
も ち ろ ん、 新 律 綱 領 が、 妾 を 妻 と 同 じ ぐ 二等 親 の配 偶者 と定 め た こと に 対 し て、 早 い時 期 か ら批 判 がな か ったわ け
[ さ れ・ 当 時 の べ 条 セ ・
了 とな ・た 服部 誠 = 撫 松 ) 著 ・
東京新繁盛記﹄ (
五 編 ) に、 最 近 は や り の風 物 と し て、 .写
叢
真﹂ ﹁牛 肉店 ﹂ 薪 獲 道 L ﹁西洋 断 髪 店 ﹂ な ど と とも に ・妾 宅 L が特 に取 り 挙 げ ら れ て いる ア﹂とか ら も競 落 菊
論
律
法 二惇 ル 。ト 不 少 ,白 雲
ノ 名義 ヲ廃 シ 蒙
ハ美
扁 ト被 相 定 度 、 と述 べ て 一夫 需
畜 養 シ 遂 二 正 妻 ト 同 シ ク 二 等 親 中 二列 ス ル ニ至 ル ⋮ 畢 寛 一夫 一婦 性 法 ノ 理 二相 背 キ 候 。 此 二因 テ 妬 忌 互 二生 シ 家 門 和
一 睦 ノ道 ヲ破 (り)、其 %
法
(19 )
と 廃 妾 を 建 議 し て い る し 、 そ の後 、 明 治 七 年 に 入 る と 、 ﹃明 六 雑 誌 ﹄ に 、 森 有 礼 ・福 沢 諭 吉 ・坂 谷 素 に よ る 、 西 欧 的 な
(20 )
夫 一婦制 を本 義 と す る 近 代婚 姻 思 想 の立 場 から の蓄 妾 批 判 が 掲載 され 、 これ を契 機 に、 諸 新 聞 雑 誌 に お いて妾 論 議
(そ の八 割 が明 確 な廃 妾 論 ) が活 発化 し た。
報道 され 関 心を 集 め 梅
旧刑 法 の翼
作業 は・ 明治 八
明治 一〇 年 代 に 入 ると 、諸新 聞 雑 誌 の妾 論 議 (
よ り 一般 的 に女性 論 全 体 )は急 速 に衰 退し て い った が、、
これ に か わ っ
て・ 旧 刑法 の編 纂 過 程 と り わけ 元老 院 にお け る妾 存 廃 の議 塑
年 以 降 、 ボ ワ ソ ナ ー ド 起 草 の草 案 を 刑 法 審 査 局 で 審 理 す る か た ち で 進 め ら れ て い った が 、 一二 年 二 月 、 審 査 局 は 、 妾
関 連 規 定 を 刑 法 中 に 置 く こ と の是非 を太 政 官 に伺 い出 た。 太 政 官 は、 法 制 局 ・内 閣 書記 官 局 の否 認 論 を 採 用 し、 妾 の
条 項 を 草 案 か らす べ て削除 す るよ う 指令 し た (六月 )。 = 二年 三 月 に始 ま った 元老 院 で の審議 中 、 柴原 和 議 員 か ら姦 通
罪 と親 属 規 定 に妾関 連 事 項 を 追 加す べし とす る修 正 案 が上 程 (
四 月 二 日) され 、 妾 存 置 の修 正案 が可 決 成 立す る と い
う 場 面も あ った が 、結 局 は、 原 案 通 り と決 し 、 明 治 =二年 七 月 に 公布 され た旧 刑 法 (
太 政官 第 三 六 号 布 告、 明治 一五
姦 通 罪 が 無 く な った ほ か に は大 し た影 響 は な く、事 実 上 の妾 を囲 っても 犯罪 とし て 処罰 さ れ た のでも な い。﹄ 夫 一婦
(
23)
も っとも 、 政府 が妾 制 廃 止 に踏 み 切 った背 景 に は条 約 改 正 問 題 があ り、 ま た 妾制 が廃 止 さ れ た と は い っても 、 妾 の
年 一月 施 行 ) で、 妾 に関 す る条 項 は完 全 に消 滅 し た の であ る 。
ト
制 にな ったと い 。ても 、 そ れ は 妾 を 黙認 し た 形 だ け の 芙
一婦 婚 で し が な か った ・ の で あ る .
趾
裁
指 飽 ・ 従 来 通 り の妾 の送 人箪
続 き を 認 め た・
とも か く刑 法 上 、妾制 は廃 止 さ れた わけ だが 、右 のよ う な妾 制 廃 止 の真 意 を知 ってか知 ら ず か 、刑 法 施 行 後も 、内 務
省 は ・刑 法 ・ 改定 ハ戸 籍 上 二関 係無 之L とし て (明治 一五 年 七月 合
拓
これ によ り ・妾制 の 一般 的廃 止 が確 認 さ れ て・
耐
と の指 令 を 餐
そ の 後 、 明 治 一六 年 七 月 三 日 に 至 っ て 、 太 政 官 は よ う や く 、 参 事 院 で の 審 議 に 基 づ い て ﹁妾 ハ法 律 上 之 ヲ 認 メ サ ル モ
待誕
ノ ニ付
(26 V
ノ 順 序無 之 義 ト 可懇
期
前
番
(
否 )権 妻 を 雇 い入 れら る と か に て、
(
28)
町 、 麹 町 の雇 人 請 宿 は繁 昌 ﹂ と 言 い、 ﹃郵 便 報 知 新 聞 ﹄ (
明 治 二 四 年 九 月 一九 日 ) は 、 浅 草 で 、 妾 の 紹 介 媒 酌 を 業 と
則 と か の 発 布 以 来 、 本 妻 を 迎 う る に 種 々 の手 数 が掛 か る と て 、 多 く の元 の 二 等 親
顕 著 な 変 化 は 見ら れな い。 例 え ば、 ﹃
朝 野 新 聞 ﹄ (明 治 一六 年 六 月 一〇 日 ) は 、 官 吏 た ち が ﹁昨 年 結 婚 条 例 と か 配 偶 規
こ のよう に 、 旧刑 法 の施 行 以 降、 妾 は法 律 上 、次 第 に消 滅 し て い った。 そ れ にも か かわ ら ず 、 蓄 妾 の風 潮 にと く に
す る 内 務 省 指 令 が 出 さ れ 、 ﹁妾 ﹂ と いう 文 言 そ れ 自 体 も ま た 法 律 上 消 滅 す る こ と に な った 。
(27 V
妾 の 戸 籍 登 記 の 制 も 消 滅 ﹂、 さ ら に 明 治 一入 年 四 月 に は 、 ﹁妾 ノ 称 号 ﹂ に つ い て も 、 ﹁法 律 上 公 認 ス ヘキ モ ノ 三無 之 ﹂ と
別 三晃 上裂
囎
5
6
(
29)
法 律 上 の妾 制 廃 止 に も か か わ ら ず 、 蓄 妾 の 風 潮 に な ぜ 変 化 が 生 じ な か っ た の か に つ い て 立 ち 入 っ た 検 討 は 別 の 機 会
す る ﹁媒 灼 選 集 社 ﹂ が 創 設 さ れ た 旨 を 報 じ て い る 。 果 て は 、 冒 頭 に 引 用 し た 明 治 三 一年 七 月 の ﹃萬 朗 報 ﹄ 記 事 で あ る 。
に譲 ら ざ る を えな いが、 本 稿 に お いて は、 妾 を め ぐ る裁 判 事 例 を 通 し て、 妾 紛 争 の諸 相 に つ いて検 討 し て みた い。
明 治 一〇 年 代 の 新 聞 紙 上 に は 、 夫 が 妾 を 自 宅 に 引 き 入 れ た こ と が 原 因 と な っ て 家 内 の不 和 合 が 生 じ た 事 例 が 散 見 さ
日 の ﹃大 阪 朝 日 新 聞 ﹄ か ら 、 あ る 商 人 が 家 政 改 革 と 称 し 、 本 宅 に 妾 を 入 れ て
﹁一切 の 内 事 を 監 督 ﹂ さ せ 、 妻 を
れ る 。 し か し 、 こ う し た 家 内 紛 議 が 、 訴 訟 事 件 に ま で 拗 れ る こ と は 稀 で あ っ た ら し い 。 有 地 亨 氏 は 、 明 治 = 二年 一二
月 =
叢
が、 筆 者
﹁裏 家 に 住 居 ﹂ (一ケ 月 一〇 円 を 支 給 V さ せ よ う と し た こ と に 、 妻 と 親 族 が 異 議 を 唱 え て 、 ﹁勧 解 所 ﹂ へ提 訴 し た 旨 の記
(
30)
事 を 紹 介 し て い る が 、 結 局 は 仲 裁 人 の説 得 に よ って 沙 汰 止 み と な った 。 こ の事 例 で は 本 訴 を 提 起 す る に 至 っ て い な い
これ に対 し て、 妾 自 身 の処 遇 を 争 った裁 判 事 例 は 、管 見 の限 り 、 これ ま で 一件 た り と も 報告 さ れ て いな い。 妾 を め
例 にす ぎ な いが一 を紹 介 検 討 し た こと があ る。
(31 )
は か つて、 蓄 妾 が原 因 と な って、 妻 側 から 夫 に対 し て離 婚 訴 訟 が提 起 さ れ 、 妻 側 が勝 訴 し た事 例一 わ ず か 二
論
律
法
(32 )
ぐ る事 件 に つ いて、 判 決 の みな ら ず訴 訟数 それ 自 体 が極 め て僅 か であ った であ ろう こと は 、 明 治期 の 司法 統 計 の訴 訟
(33 )
(34 )
﹁件 目 ﹂ ・﹁種 類 ﹂ 欄 に 、 ﹁妾 ﹂ 関 係 の 項 目 が 存 在 し な い こ と か ら も 容 易 に推 測 さ れ る 。
妾 の法 的 地位 に関 す る 研究 は、高 柳真 三 氏 の先 駆的 研 究 に始 ま り 、石井 良 助 ・浅 古 弘 ・手 塚豊 ・大 竹 秀 男氏 ら によ っ
て次 第 に深 め ら れ て き た と は いえ 、先 学 に よ る妾 制 度 の研究 は、 立 法 制度 史 と思 想 史 に偏 り 、 そ の運 用 実 態 の解 明 は
ほ と ん ど手 付 かず の状況 であ る 。 本 稿 に お いて紹 介 す る 妾関 係 判 決 例 は 、 数量 的 にも 僅 か で あ り、 そ の分 析 から 一般
的 な 判 例 法 原 理を 引 き 出 しえ な いが、 判決 例 を 通 し て 妾制 度 の運用 やそ の紛争 形 態 の 一端 を 眺 め て み る こ とに し た い。
一
半
裁
趾
る
ナ
捌
﹃
萬 朝 報 ﹄ 明 治三 一年 九 月 二七 日 (
第 一七八 三 号)。
﹃
萬 朝 報 ﹄ 明 治 三 一年 七 月 七 日 (
第 一七 〇 一号 )
。
注
(1)
山本 武 利 ﹁﹃萬朝 報 ﹄ の発 展 と衰 退 ﹂ [
復 刻 版 ﹃萬朝 報 ﹄ 解 説 ・解 題 ] (
日本 図 書 セ ンター 、 一九 入四 年 )。
(2)
(3)
明 治 二五 年 一 一月 一日 に、 黒岩 によ って創 刊 さ れ た ﹃
萬 朝 報 ﹄ は、 当 初 か ら 、社 会 上 層 部 の醜 聞 暴 露記 事 を売 り 物 に し た
﹁勇 肌
﹂ 路 線 で人 気 を博 し 、創 刊 し て 僅 か三 年 後 の明 治 二八 年 には、 早 くも 、 東 京最 大 の販売 部 数 を 誇 る新 聞 に ま で成 長 し て
ち な み に、 ﹃明治 ニュー ス事典 ﹄ 第 六 巻 (
毎 日 コミ ュニケー シ ョ ンズ 出 版部 、 一九 八五 年 、 七四 〇 一 七 五五 頁 ) に、 同連 載
いる。
記 事 から の抜粋 が 収載 さ れ て いる が 、七 四〇 頁 の註 にお いて、連 載 を九 月 一 一日ま で と記 し て いる (
総 数 四九 〇名 ) のは、 二
七 日 ま で の誤 り であ る。
供 ・ 順席 へ可 認 L と定 め て いた (
浅古
江 戸時 代 の妾 に つ いては 、高 柳 真 三 ﹁
徳 川 時 代 の妾 ﹂ (
﹃
法 学 ﹄五 巻 六号 、 一九 三 六 年)、大 竹 秀 男 ﹃﹁
家 ﹂と 女性 の歴 史﹄ (弘
(4) 明 治民 法 施 行 後 に おけ る私 生 子率 の急 激 な上 昇 に つ いて は、 拙 稿 .明治 .大 正期 の私 生 子 認知 請 求 ・ (
.明治 大 学 社 会科 学
研 究 所紀 要 ﹄ 三 五巻 一号 、 一九 九 六 年 ) 八 ○頁 、 参照 。
(5)
荻 生租 裸 ﹃政 談﹄ 巻 之 四 (
岩 波 文 庫 、 一九 八 七 年) 二 九 六 一 二九 入 貢 。
八 丁 九三 頁 を 参 照.
明 治 二年 の東京 府 戸響
文 堂 、 一九 七 圭
(6)
難
(・)
明 治五 年 に施 行 さ れ た壬 申 戸籍 では、妾 の登記 に ついて規 定を 欠 いて いた。当 該 指令 によ って、戸 主 の妾 は ﹁妻 ノ 次﹂、 ﹁父
ノ妾 ハ母 ノ次 、 祖 父 ノ妾 ハ祖 母 ノ次 ﹂ へ記 載 す べきも のと さ れ た。
年 )、 お よび ﹁明 治六 年 太 政官 第 二 一号 布告 と嫡 出 子﹂ (﹃
法律 論 叢 ﹄ 六 七巻 四 ・五 ・六合 併 号 、 一九 九 五 年 )参 照。
同 布告 に ついて は、 拙 稿 ﹁明治 六年 太 政官 第 二 一号布 告 と 私 生 子認 知 請 求﹂ (
﹃
法 律 論 叢﹄ 六 七巻 二 ・三合 併 号 、 }九九 五
し て 庶 子 と称 し 、 三等 親 に配 し た。
も っとも 、 妻 妾 の生 ん だ子 に つ いて見 る と、 令 では とも に 一等 親 とし て いた の に対 し て 、新 律 綱 領 は妾 の生 ん だ子 を区 別
所 収 )参 照 。
高 柳真 三 ﹁妾 の消 滅﹂ (
﹃法 学新 報 ﹄ 四 六巻 九 号 、 一九 三 六年 、 の ち、 高 柳 ﹃明 治前 期 家 族法 の新 装 ﹄有 斐 閣 、 一九 八 七年 、
弘 ﹁明治 前 期 に おけ る妾 の身 分 ﹂ ﹃
法 律 時報 ﹄ 四 七巻 = 二号 、 一九 七 五 年、 一〇 七 頁 )
。
法は ・
安 八召 仕 ・初 筆 二書 出 、 妾 腹 ・ 子 ハ妾 ・次 二不 孕
前
(11)
(10)
(9)
(8)
囎
7
8
堀内 飾 編 ﹃明治 前 期身 分法 大 全
婚 姻編 1﹄ (
中 央大 学 出 版部 、 一九 七 三年 ) 二三 七 頁。
熊 谷 開 作 氏も 、 新 律 綱 領 が妻 妾 を と も に夫 の二 等親 とし た ことを ﹁妻 の地位 を 低 く 評 価 し たと は い いえ ても 、 妾 の地 位 を
第 一巻
(
12)
石井 良 助 ﹁明治 初 年 の婚姻 法1 と く に法 律 婚 主義 と妾 に つ いてI ﹂ (﹃
家族 問題 と 家 族 法
本 の近 代 化 と ﹁
家 ﹂ 制度 ﹄ 法 律 文 化社 、 一九 八 七年 、 所 収 )参 照。
第二巻
結 婚 ﹄ 酒 井 書 店 、 一九
な お、熊 谷 ﹁
法 典 編纂 期 におけ る妻 妾論 ﹂ (
高 梨 公 之教 授 還 暦祝 賀 ﹃
婚 姻法 の研 究 (
上 )﹄有 斐閣 、 一九 七 六 年 、 のち熊 谷 ﹃日
高 く 評 価 し たも のだ と は絶 対 に いいえ な い﹂ (
﹃日本 近 代 法 の成 立 ﹄法 律 文化 社 、 一九 五 五 年 、 一 ︼二 頁) と 強 調 され て いる。
(
13)
(
14)
ちな み に、 この ﹁
権妻﹂(
ご んさ い)と いう 言 葉 は 、も とも と 、第 二 夫 人を 指す 服 部 撫松 (
誠 一) の造 語 であ ったも の が、 や
五八 年 、 のち 石井 ﹃
日 本婚 姻 法 史 ﹄創 文社 、 一九七 七 年 、 所 収) 二 五 〇頁 。
が て 一般 に普 及し 、 妾 を意 味 す る よう にな った よう であ る。
(
16) 復 刻 版 "文 学 地 誌 ﹁東 京 ﹂叢 書 第 一巻 ﹃東京 新 繁 盛 記 (
全七冊)
﹄(
大 空社 、 一九九 二年 )、現 代 語 版 一〇 〇 年前 の東 京 ω
﹃
東 京 繁 盛記 (明治 前 期 編)﹄ (マー ル社、 一九 九 六年 ) 所 収 。
(
15)
叢
(
17)
・ 一五 ・二 〇 ・二 七号 、 明 治 七年 五 月 ∼八 年 二 月)、 福 沢 諭吉 ﹁男 女 同数 論 ﹂ (
﹃明
政策 と法 ﹄七 、東 京 大学 出 版 会 、 一九 七 六 年 )、小 山静
左 院 に廃 妾 の建白 が 上 呈 され た こと も あ った。 提出 者 は 、森有 礼 方 に止 宿 し て いた伊 佐 敷 輩 と いう 二 六才 の青 年 であ る (
色
子 ﹁
明 治 啓 蒙期 の妾 論議 と鹿 妻 の実 現﹂ (﹃
季 刊 日本 思 想 史 ﹄ 二 六号 、 一九 八 六 年 ) な ど、 参 照。
なお 、詳 し く は、 野崎 衣 被 ﹁森有 礼 の家族 観 ﹂ (
福 島 正 夫編 ﹃
家族
六雑 誌 ﹄ 三 一号 、 明治 八 年三 月 )、 坂 谷素 ﹁妾 説 ノ疑 ﹂ (
﹃明 六雑 誌 ﹄ 三 二号 、 明 治 入年 三 月 ) な ど。
森有礼 ﹁
妻 妾 論 ﹂ (﹃明六 雑誌 ﹄ 入 ・ =
か らし て、 右布 告 は江藤 新 平 の意 思 に反 し た も のであ った こと が知 ら れ る。
た とす る 。 これ が事 実 だ とす る と、 そ の三 日後 の 一人 目 に、前述 し た 私生 子 法 (
太 政官 第 二 一号 布 告) が 発 せら れ て いる こと
江藤 の伺 いが 収載 され て いる が、 文 言 が相 違 す る。 石井 は、 太 政官 は こ の伺 いを 、 明治 六 年 一月 一五 日 の指令 によ って 退 け
な お、 石井.
研堂 ﹃
明 治 事 物起 原 ﹄ [
初 版 は明 治四 一年刊 ] (
1)(
筑 摩 学 芸 文庫 、 一九 九 七 年) 二 六 九 ∼二 七 〇 頁 にも 、 この
向 井 健 ﹁﹃民法 口授 ﹄ 小考 ﹂ (﹃
慶 応義 塾 創 立 百 年記 念 論 文集 ﹄ 一九 五 八年 ・ 五 〇 五頁 )。
種新 奇 の商 法﹂ があ った と言 う 。 ち な み に、 同 社 の規 定 に よ る と、 妾 ・囲 い者 の月 給 は、 一ケ月 三円 一二 五 円 であ った。
権 妻 を 抱 え る 人、 俳 譜 を好 む人 、 この三 つ﹂ (
明 治 一 一年 二 月 二 二 日) と報 じ て いる。
明治 一四年 の ﹃
朝 野新 聞 ﹄ はま た、大 坂 府曽 根 崎 に ﹁撰挙 社 ﹂ と いう 看 板 を 掲げ て ﹁お妾 、お 囲 い者 ﹂ の周旋 業 を営 む ﹁一
﹃朝野 新 聞﹄ も ﹁貴 賎 上 下 の隔 て なく 権 妻 (
妻) 流行 ﹂ (
明治 九 年 一月 一七 日)、 ﹁
流 行 も の は草 餅 (
東 京 のヂ ゴ )を 買 う 人 、
論
律
法
(
18)
(
19)
(
20)
一
(
21)
(
22)
﹃
法 規 分 類大 全 ﹄ 刑 法 門 航刑 律 (
三)、 三 八 三 ∼三 八 七 頁。
川大 吉 ・我 部政 男 監 修 ・牧原 憲 夫 編 ﹃明治 建 白書 集 成 ﹄ 第三 巻 、 一九 八 六年 、 筑摩 書 房 ) 三 三 〇頁 。
な お、 こ の間 の事 情 の詳 細 は 、手 塚豊 ﹁元老 院 の ﹃
妾 ﹄論 議﹂ (
﹃法 学 セ ミナー ﹄ 一五号 、 ︼九 五 七年 )、同 ﹁
鶴 田晧 の ﹃
妾﹄
収、 を 参 照 。
論﹂ (
﹃法 学研 究 ﹄ 三 入巻 九 号、 一九 六五 年 )、両 論 文 とも 、 のち手 塚 ﹃明治 民 法 史 の研 究 (下)﹄ (
慶 応 通 信 、 一九 九 一年 ) 所
例 え ば 、﹃
東 京 日 々新聞 ﹄ は、明 治 = 二年 六月 四 日 に、廃 妾 論 が 元老 院 の議 に付 さ れ た こと 、およ び ﹁畏く も 我 が皇 統 の今 日
に連 綿 す る も、 女 御 掌 侍 あ る によ る ﹂ と の理 由 や 時期 尚 早 論 か ら の原 案 反対 にあ って 、結 局 は蓄 妾 論 が勝 利 し た と 報じ 、 六
月 七 日 の紙 面 で、 蓄 妾 論勝 利 の記 事 を事 実 無 根 であ った と訂 正 し て いるな ど 、 元老 院 で の議 論 に注 目 し て いる。
大 竹 秀 男 .前 掲 .、家 ・ と女 性 の歴 史 ・ 二 五 丁 二 五 二頁 .
刑法 施 行 前 に 入籍 し ・ 妾 は・ 従来 通 り 配響
第 暮
第 一巻
一=一
一
扱 ・と され ・ さ
婚姻 編 ﹂
婚 姻編 1﹄ 二三 七
また ﹃
中 外 広 間新 報 ﹄ (
三 九 号 ) は、 元老 院 会 議 に おけ る妾 論 議 に つい て ﹁
鹿 妻 法 案 二付 内 閣委 員 ト 某議 官 ト ノ大 激論 ハ官
浅 古 弘 ・前 掲 ﹁明治 前 期 に おけ る 妾 の身 分﹂ 一 一二 頁。 堀内 飾 編 ・前 掲 ﹃明 治前 期身 分 法 大 全
海 近 来 ノ 大 珍聞 ﹂ と 題 し た記 事 を 掲載 し て いる。
(
32)
裁
趾
(
24)
第 一巻
婚 姻 編 1﹄ 二 三 六頁 。
が、多 く の新 聞 報 道 によ って 流さ れ た。手 塚 豊 氏 の研 究 によ れ ば、 同条 例 は 、元老 院 ・参 事 院 に お いて起 草 ・審 議 さ れ た形 跡
は存 在 し な いか ら 、 おそ ら く は、 明 治 一四 年五 月 三 日 の ﹁陸 軍武 官 結婚 条 例 ﹂ (
陸 達 達 甲 = 二 ・達 乙 二五 ) に おけ る ﹁家 計 保
とし て、 同 年以 降 数 年 に わ た って、 かな り 高 額 な ﹁
身 受 金﹂ や離 婚 制 限 な どを 内 容 とす る ﹁結 婚条 例 ﹂ が 施 行 さ れ ると の噂
な お、同 記 事 中 の ﹁結 婚条 例 ﹂ ﹁
配 偶 規 則﹂ に つ いて少 し だけ 触 れ て おく 。 明治 ﹂五 年 四月 四 日 ﹃
朝 野新 聞 ﹄ の報道 を 初 め
﹃明治 ニュー ス事 典﹄ 第 三 巻 (
毎 日 コミ ュ ニケー シ ョ ンズ 出 版 部、 一九 入 四 年) 二〇 二 頁。
堀 内 飾 編 ・前 掲 ﹃明 治前 期 身 分 法大 全
の は、 明 治 三 一年 戸 籍法 を侯 た ね ばな ら な か った (
浅 古 弘 ・前 掲 ﹁明治 前 期 に おけ る妾 の身 分﹂ 一 =二頁 )。
も っとも 、 右内 務 省達 の後 も、 旧刑 法施 行前 に 入籍 し た妾 は ﹁
総 テ 従前 ノ通 取扱 ﹂ われ 、 戸籍 面 から ﹁
妾 ﹂ の文 字 が消 え る
ら に、 施 行 後 に入 籍 し た妾 に つ いて は、 原 籍復 帰 の措 置 が とら れ た (明治 一八 年 二月 二 五 日 の内 務 省 達)。
大 竹 秀 男 ・前 掲 ・
豪 L と女 性 の歴 史 ﹄ 二 四九 頁・ も ・と敵
人頁。
浅 古 弘 .前掲 .明治 前 期 に おけ る 妾 の身 分 ・ = 三 頁 。 堀内 飾 編 .前 掲 .明治 前 期身 分 法 大 全
∼ 二三 八 頁。
る
ナ
捌
(
52)
(
28)
(
27)
(
26)
鼎
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鵬
9
1
齢
論
律
↓
(
29)
(
30)
(
31)
(
32)
(
33)
(
34)
護 金 の制度 が、 な んら か の錯 誤 で 一般国 民 の結婚 に結 び つき 、 さ ら にま た、 フ ラ ン ス法 継受 の 一般 的 風潮 の中 で、 フラ ン ス
民 法 の結婚 前 の公 示 制度 、 離 婚 の制度 な ど が継 受 さ れ る かも 知 れ な いと いう 推 測 と か ら み合 い、 噂 が 噂を 生 ん だL ので は と
明 治篇 ﹄ (
弘 文 堂、 一九 七 七年 ) 四 〇 ∼ 四 一頁 。
明 治 編年 史 ﹄ 第 八 巻 (
財 政 経 済学 会 、 一九 三 四年 ) = 二四頁 。
考 え ら れ て いる (
手 塚 ﹃明治 民 法 史 の研 究 (
上)﹄ 慶 応 通 信、 一九 九 〇年 、 二八 ○ 頁)。
﹃新 聞集 成
こ の紛議 の仲 裁 人 は、 次 の よう に 某上 等 裁 判所 長 の妾 の例 を 持 ち出 し て 、妻 側 を 説得 し た と言 う 。す な わち ﹁此事 た る や、
有地亨 ﹃
近 代 日本 の家 族 観
従 来 我 国 の慣 習上 よ り 観 る とき は 頗 る不 公 平 の如 く に思 はる れ ど、 現 に各 人 民 の詞 訟 を 公判 し、 其 権 利を 保 護 せら る る の某
上 等 裁 判 所長 とも 聞 え し 何某 公 さ へも、 年 俸 二 千 四 百円 を 賜 る高 貴 の地 位 に在 な がら 、 其 の権 妻 を 本 邸 に置 き 、 専 ら 内 政 を
く
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と。
る るを 見 れ ば 、向 来 吾 国 の民 法 を 斯
明治 一四年 五 月 一〇 日 の大阪 上 等 裁 判所 判 決 、 お よ び翌 一五 年 五月 (
日不 詳 ) の大 阪 控訴 裁 判 所 判 決 の 二件 であ る (
拙著
﹃明治 離 婚 裁判 史 論 ﹄ 法律 文 化 社 、 一九 九 四 年 、九 五 ∼九 六 頁)。
明治 期 の 司法 統 計資 料 に つ いて は、 とり あ えず 、 拙稿 ﹁明治 期 の離婚 関 係 判決 -京 都 地方 裁 判 所 所蔵 民 事 判 決原 本 よ りI ﹂
(一) (
﹃同 志社 法 学 ﹄ 一入八 号 、 一九 入五 年 ) 一〇 一 ・ 一一四 一 一 一五 頁を 、 参 照 。
高 柳 真 三 ・前 掲 ﹁妾 の消滅 ﹂。
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浅 古 弘 氏 によ る 妾制 度 研 究 と し て は 、前 掲 ﹁明治 前 期 にお け る妾 の身 分 ﹂ のほ か に、 ﹁明 治初 年 に おけ る癸 妾 資 格﹂ (
﹁早
稲 田 法 学 会 誌 ﹄ 二 六 、 一九 七 五 年 ) お よ び 、 弓げΦい㊦α
q巴 GQけ鉾 ロ。・ohOo昌oロげぎ ①ω ぎ ]
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ωε 島 田 ﹂ ㊤りN が あ る 。
二
夫 妾 関 係 の成 立 と そ の 効 果
A 、妾 の 戸籍 記載
そ れ では 、 夫妾 関 係 成 立 の形式 的 要 件 と し て の戸籍 記 載 に つ いて は どう だろう か。
(1 V
法 律 上 の夫 妾 関 係 成 立 の実 質的 要 件 とし て の嬰 妾 年 齢 と嬰 妾意 思 、 とり わ け婦 女 の妾 とな る 意思 に つ いて は、 これ
判
裁
と
妾
幡
周 知 のよう に、太 政官 は、 明治 八 年 一二月 九 日太 政 官第 二〇 九号 達 を 発 し て、法 律 婚 (妾 )主 義 の原 則 を確 認 し 、届
に直 接 言 及 し た判 決 例 を 見 出 す こと は でき な か った。 妻 の婚 姻 意 思 の有 無 が、 料 決例 に お い てし ば し ば重 要 な 争 点 と
(
2V
され 、 婚 姻契 約解 除 あ る いは 無 効 の判 断 基 準 と さ れ て い た のと、 極 め て対 照 的 であ る。
爾
出 の励 行 を 命 じ た が、 およ そ }年 半後 の 明治 一〇年 六月 一九 日、 司法 省 は、 丁 第 四 六号 達 によ り 事 実 上 の夫 婦 関 係 を
が で き た の は 、 僅 か 一件 に す ぎ な い 。
が 次 々 と 報 告 さ れ て い る 。 と こ ろ が 、 事 実 上 の 夫 妾 関 係 に つ いて 裁 判 所 が 判 断 を 示 し た 事 例 と し て 筆 者 が 見 出 す こ と
(4 )
判決 例 で は、 事 実上 の夫 婦 関 係 が し ばし ば争 点 と さ れ、 送 籍 さ れ て いな い事 実 上 の妻 を法 律 上 の妻 と 見倣 し た事 例
に 入 った妾 は 、 法律 上 の妾 乏認 め ら れ て いた の であ ろう か。
ま ま当 て はま る のだ ろう か。 夫 方 戸籍 に妾 とし て登記 され て いな いけ れ ど、 夫 妻 双 方 合意 のう え で事 実 上 の夫妾 関 係
承認 し た こと か ら、 明治 民 法 施 行 以前 の婚 姻 方 式 と し て、 法 律婚 が確 立し て いた とす る見 解 と、 事 実婚 であ った とす
(
3V
る見 解 が対 立 し、 今 日ま で議 論 が 積 み重 ねら れ てき た。 婚 姻 の成 立を めぐ る従 来 の議 論 は、 夫 妻 関 係 の場合 にも そ の
醐
治
唖
11
2
一
叢
、
論
(﹁戸 籍 妨 害 取 除 ケ 之 訴 ﹂) は 、 直 接 に は 妾 の 苗 字 を め ぐ
(5 )
︻事 例 1 ︼ 明 治 = 二年 一二 月 二 七 日 の 大 阪 上 等 裁 判 所 判 決
(
控 訴 人、 夫 側 相続 人) 控 訴 の要 領 は、 次 の通 り で あ る。 明治 四 年 中 、 亡 川 口慶 太 郎 が 某 寺住 職中 川恵 実 の長
る争 いであ る。 少 し 煩 雑 に な る が、 判 決 内容 を詳 し く 紹 介 し て お く。
原告
女 ﹁フ サ ﹂ と 私 通 の 末 、 明 治 五 年 一月 に 児 子 を 分 娩 し た 。 慶 太 郎 は 之 を 我 子 と 看 認 め て 分 家 し 、 田 畑 壱 町 歩 余 を 付 与
﹁フ サ ﹂ と 記 載
し 一戸 を 設 立 し た 。 こ の 子 が 川 口 愛 次 郎 で あ り 、 養 育 は ﹁私 生 母 ﹂ の ﹁フ サ ﹂ に 委 ね た 。 ﹁フ サ ﹂ は 生 家 で あ る 中 川 恵
実 の 戸 籍 を 出 て 、 本 来 は 愛 次 郎 の 籍 に ﹁厄 介 ﹂ と 付 籍 す べ き と こ ろ 、 明 治 四 年 戸 籍 調 の 際 に 誤 っ て 母
﹁フ サ ﹂ と 誤 記 し て あ る の
1 こ れ を 元 帳 と し て 明 治 五 年 の 戸 籍 帳 を 製 し た た め 、 こ れ ま た 誤 っ て 母 ﹁フ サ ﹂ と 記 載 一 し た が 、 明 治 七 年 堺 県 第 四
六 号 達 に よ っ て 人 員 帳 を 製 し 、 戸 籍 簿 改 正 を 行 っ た 際 、 慶 太 郎 が 明 治 四 ・五 年 の 戸 籍 に 母
を 発 見 し ・ ・厄 介 L と 改 め た ・ こ う し た 経 緯 か ら 明 ら か な さ つに ・ 被 告 ヲ サ L は ・別 二姓 氏 ヲ 有 ス ル モ ノ ナ レ ハ・ 川
ロ ノ 苗 字 ヲ 称 ス ル ハ不 当 ト 謂 フ ヘキ L で あ り 、 ﹁其 事 実 二於 テ 愛 次 郎 ノ 家 族 ト ナ ル ノ 道 理 ナ シ ﹂。 ま た 被 告 は 第 三 号 証
至 当 ノ覆 審受 度 ﹂ と言 う の であ 殖
律
ヲ 妨害 致 ス等 ノ儀無 之様
に ﹁妾 ﹁フ サ ﹂ 及 ヒ 川 口 ﹁フ サ ﹂L と 記 載 あ る 旨 を 申 立 て て いる が 、 こ れ は ﹁全 ク 錯 誤 二出 テ タ ル モ ノ ニシ テ 、 ロバ是 厄
(
被 控 訴 人 、 妾 ) は ﹁抑 モ 被 告 ハ、 明 治 四 年 中 川 口 慶 太 郎 ノ 妾 ト ナ リ 、 明 治 四 五 年 戸 籍 編 製 ノ
介 籍 ノ モ ノナ ・ ハ・ 川 ・ ノ苗 字 ヲ 称 シ 川 。家 ノ籍
法
こ れ に対 し て、 被 告
際 ⋮ 川 口 愛 次 郎 ノ 戸 籍 二編 入 ア レ ハ、 其 後 ス マ ヲ モ 分 娩 シ 、 而 シ テ 右 戸 籍 簿 ニモ 生 母 ﹁フ サ ﹂ 母 ﹁フ サ ﹂ ト 記 載 有 之 次
第 ナ リ L。 に も か か わ ら ず 、 原 告 は 被 告 が 愛 次 郎 の 家 族 で は な く 、 中 川 照 千 代 の 家 族 であ る か ら 川 口 の 苗 字 を 称 す る の
(7 )
は 不 当 で あ る と か 、 あ る い は 厄 介 人 に す ぎ な い な ど と 申 立 る が 、 ﹁原 告 ハ愛 次 郎 ノ 幼 少 且 被 告 ノ 婦 女 ナ ル ヲ 僥 倖 ト シ 、
幼 者 ノ 財 産 ヲ 私 セ ント ノ 食 慾 心 ヨ リ 生 セ シ モ ノ ﹂ で あ り 、 妾 で も な い ﹁厄 介 ヲ シ テ 愛 次 郎 家 事 上 ノ 事 二付 其 会 議 二預
ラ シ メ 、 而 シ テ 第 三 号 証 二妾 ﹁フサ ﹂ ヨ リ 川 口 家 相 続 事 件 云 々 ト 明 記 ス ル ノ ミ ナ ラ ス、 川 口 ﹁フ サ ﹂ ト 署 名 ス ル ノ 理
モ亦 無 カ ル ヘシL。 こ の こと から ﹁原 告 於 テ、 既 二被 告 ハ慶 太 郎 ノ妾 ニシ テ愛 次郎 ノ家 族 ナ レ ハ川 口 ノ苗 字 ヲ称 スル ハ
相 当 ナ リ ト 自 認﹂ し た の は明 白 であ る旨 抗 弁 し た。
原告 於 テ 、 被 告 ハ亡 川 口慶 太 郎 ノ妾 二非 サ レ ハ愛 次 郎 ノ家 族 ト ナ ルノ理 モ亦 之 ナ ク、 然 レ ハ川 口 ノ苗
大 阪 上 等 裁 判 所 は、 次 のよう に 判 示し て被 告 ﹁フサ ﹂ の主 張 を認 め た。
第 一条
字 ヲ称 ス ル ハ不 当 ナ リ 。 又 被告 第 三 号 証 二妾 ﹁フサ ﹂ 及 ヒ 川 口 ﹁フサ ﹂ ト書 記 セ シ バ、 全 ク 錯 誤 二出 テタ ル モ ノ
ナ リ 云 々申 立 ルト 錐 モ、 被 告第 三号 証 二妾 ﹁フサ ﹂ 及 ヒ川 口 ﹁フサ ﹂ ト 明 記 セシ ノ原 由 タ ルヤ、 明治 九 年 十 一月
妾 ト 記 載 之 ナ キ モ実 際 亡 慶 太郎 ノ妾 ナ ル コト ヲ認 メ其 書記 ス ヘキ ノ事 実 ア リ テ 之 ヲ書 記 セシ モノ ト認 定 ス。 其 錯
中 慶 太 郎 死 亡 ノ処 其 長 男 惣 太郎 ト愛 次 郎 ト ノ 間 二於 テ 財 産 分配 方 二付 紛 議 ヲ生 シ、 明治 十 年 六月 被 告 ヨリ 、 慶 太
判
裁
と
妾
幡
記 シテ 相 渡 セシ ヲ見 レ ハ、 錯 誤 二之 ナ キ コト 益判 然 タ リ
原告 於 テ 、 第 二 三 号 証 ノ如 ク 明 治 四五 年 ノ戸籍 簿 二母 フサ ト 有 之 ハ誤 テ記 載 セ シ モノ ナ ル ニ依 リ 、 第
ト 云 フ如 キ ハ、 只原 告 口頭 ノ 陳 述 二止 リ 更 二其 改 正ナ セシ 事蹟 ヲ見 ル ヘキ ノ確 証ナ ケ レ ハ其 申 分 ハ採 用 ス ル ニ由
シ ニ相 違 ナ キ 云 々申 立 ルト 錐 モ、其 母 フサ ト記 載 セ シ バ錯 誤 二出 テ シ モ ノ ニ付 、 明治 七 年 中 慶太 郎 於 テ改 正 セ シ
リ シ バ明 治 十年 一月 ニシテ 慶 太郎 ノ 死亡 後 ナ レ ハ、 何 人 ノ 改 正 二係 リ シ や分 明 ナ ラ サ レト モ、不 正 ノ故 造 二出 テ
紙 シ引 取 入 籍 ト改 メ其 継 キ 目 二和泉 二大 区 壱 小区 事 務 所 ト ア ル印 章 押 捺 シア レト モ、 集 義 所 ヲ事 務 所 ト 改 称 相 成
四 号 証 ノ如 ク 明 治七 年 慶 太 郎 於 テ 厄介 フ サト 改 正 セシ モノナ リ 云 々、 又第 十号 証 ノ人 員 帳 二厄介 編 入 ト ア ルヲ 張
第二条
告 第 四 号 証 明治 十 一年 四 月 九 日付 ヲ以 テ 原 告 ヨリ被 告 外 二名 へ宛 テ タ ル地 券 預 リ書 ニモ、 原 告於 テ 川 口 フサ ト 書
誤 ト 云 フカ 如 キ ハ、 唯 タ 口頭 ノ 陳述 二止 リ其 錯誤 ノ証 ヲ 挙 ケ得 サ ル上 ハ錯 誤 二出 テ シト ノ申 分 ハ採用 セ ス。 又 被
郎 後 家 コト へ係 り財 産 分 与 ノ儀 堺区 裁 判 所 へ勧 解 願 出 タ ル後親 族 会 議 ノ上 成 立 タ ルモ ノナ レ ハ、 仮 令 戸籍 面 二 八
串
期
前
治
明
ー3
14
叢
論
律
法
シナ シ。 又第 十 号 証 ノ人 員帳 二厄 介 編 入 ト ア ルヲ 張紙 シ引 取 人 籍 ト改 メ、 而 シテ 事務 所 ノ印 章 押 捺 之 ア ル ハ不 正
ノ故 造 二出 テ シ ニ相 違 ナ ケ レ ハ、 被 告 ハ尚 愛 次郎 ノ家 族 二之 ナ キ コト 明白 ナ リ ト 云 フ モ、 右 八乗 シテ 不 正 ノ 故 造
二出 テ シト ノ証 愚 モ之 ナ ケ レ ハ其 申 分 ハ採 用 セ ス。 良 シ や仮 リ ニ之 ヲ不 正 ノ モノ ト ナ スモ、 既 二第 一条 二於 テ 詳
細 弁 明 セシ如 ク、 実 際 被 告 ハ亡慶 太 郎 ノ妾 ナ ル コト ヲ原 告 初 メ 其他 親 族 於 テ モ之 ヲ認 メ、 妾 フサ 又 ハ川 口 フサ ト
書 記 セシ ニ非 スヤ。 若 シ原 告 陳述 ノ如 ク 人 員 帳 二張紙 改 正 ア ルヲ 以 テ不 正 ト ナ シ 、被 告 ハ愛 次 郎 ノ家 族 二之 ナ キ
モ ノト 七 八、 妾 フサ 川 口 フサ ト書 記 ス ル ノ理 ア ラ ンヤ。 是 等 ノ 事跡 ヲ以 テ 観 ル モ、被 告 ハ愛 次 郎 ノ家 族 ナ ル コト
判 然 ナ リ。 然 レ ハ今 日 二至 リ 唯 人員 帳 二張 紙 ア ルノ 一事 ヲ以 テ 、被 告 ハ愛 次 郎 ノ 家族 二無 之 ト ノ原 告 申 分 ハ、 只
前 二条 二於 テ 弁 明 セシ 理由 ナ ルヲ 以 テ、 被 告 ハ愛 次郎 ノ家 族 二之 ナ ケ レ ハ川 口 ノ苗 字 ヲ 称 ス ル ハ不 当
是 一片 ノ苦 情 二出 テ シ モ ノ ニ過 キ サ レ ハ採 用 セ ス。
策 三条
ナ リ ト ノ原 告申 分 ハ不 相 立者 也 。
判 決 は、 夫 慶 太郎 死亡 後 の財 産分 配 を め ぐ る親 族 会 議 に お いて、 ﹁妾 フサ﹂ お よ び ﹁川 口フサ ﹂ と 明記 し てあ る 文書
が作 成 さ れ て いる点 を重 視 し 、 ﹁仮令 戸籍 面 二 八妾 ト 記 載 之 ナ キ モ、実 際 亡 慶太 郎 ノ妾 ナ ル コト ヲ認 メ、其 書 記 ス ヘキ
ノ事 実 ア リ テ 之 ヲ書 記 セ シ モノ﹂ (
第 一条 )、 ﹁実 際 被 告 ハ亡慶 太 郎 ノ妾 ナ ル コト ヲ原 告 初 メ其 他親 族 於 テ モ之 ヲ認 メ、
妾 フサ 又 ハ川 口 フサ ト書 記 セ シ﹂ (
第 二条 ) と認 定 し て いる。 明治 七 年 堺 県第 四 六 号達 に基 づ いて編 製 さ れ た 人 員帳 に
﹁厄介 編 入 ﹂ と記 載 さ れ て いる点 は決 定 的 な 反 証 と は認 め な い。 フサを 愛 次 郎 の事 実 上 の妾 、そ れ ゆ え 川 口家 の家族 で
あ ると し 、 当家 の苗 字 を 使 用 す る権 利 を フサ に 認 め て いる の であ る (
第 三 条 )。
(8 )
右 の ︻事 例 1︼ の ほ か、 本 稿 で 紹介 し た妾 関 係 判決 例 で はす べて 、妾 が夫 方 の苗 字 を称 し て いる 点 は 注 目 に値 す る
(およ そ 夫 婦別 姓 が 夫妻 関 係 にも 及 ん で いた のか否 か と いう 問 題 に つ いては 、後 考 に委 ね た い)。当 該 判 決例 以 外 に 、事
実 上 の妾 を容 認 し た事 例 を 見出 す こと は で き な か った 。事 実婚 を 容 認 し た 判 決例 が下 級 審 か ら 大 審院 ま で広 く 分 布 し
(9)
て いる のと対 照 的 であ る 。
(
10 )
明 治 八年 太 政 官 第 二 〇 九号 達 の直 後 に、 嬰 妾 の成 立 に つ いて法 律 婚 主義 を確 認 し た太 政 官 指令 (明治 入 年 一二 月 一
(
11 )
七 日)、 同達 が妾 に適 用さ れ る 旨 を 確 認 し た 司 法省 指令 (明 治九 年 一月 }四 日) が相 次 い で発 せら れ て い る こと に 加
え 、 明 治 一〇年 前 後 と 推 測 さ れ て いる ﹃大 }座 開 花 都 々逸 ﹄ に ﹁送 籍 な いけ り や唯 の人 二 等 親 と は言 はし や せ ぬ﹂ と
し てい嘉
その区別如何三
いも のとな って いるけれく 外妾 のごときは形状 窒
に書
↑
う 問 い に対 し て、 松 井 三 芋 な る 人物 が ﹁凡 ソ人 ノ妻 ト ナ リ 妾ト ナ ル者 ハ皆 ナ 必 ス其 ノ籍 ヲ 移 シ テ良 人 ノ家 籍 二人 ラ ザ
(
12)
ル ヘカ ラ ス。 ⋮世 人 多 ク ハ下 脾 ヲ以 テ 妾 ヲ 見 ル是 レ或 ハ謬 見ナ ラ ン。 未 タ 以 テ 一般 ノ法 ト 為 ス 二足 ラ サ ルカ如 シ﹂ と
でほとんど密売娑
裁
と
妾
幡
回 答 し て いるな ど、 夫 妾 関係 の成 立 に は戸 籍記 載 が不 可 欠 とす る認 識 が 見 ら れ る。 明治 一〇 年 司法 省 丁 第 四 六 号 達 の
謳われ、﹃
法 律 雑 誌 ﹄第 九 号 (
明 治 一〇 年 一〇 月 三 一日発 見 ) では 、新 律 綱領 に依 れ ば 妾 は 二等 親 でそ の身 分 は甚 だ 重
あ
(
13)
後 にな って も、 同 様 の趣 旨 の指 令 は繰 り 返 し 発 せら れ て いる。
事 裁 判 にお いて、 法 律 上 の妾 と見 倣 さ れ た 例 は極 め て稀 であ った と思 わ れ る のであ る。
(14 )
れ る可 能 性 はあ る と は いえ 、 お よ そ、 戸 籍 記 載を 欠 いた事 実上 の妾 は1 事 実 上 の妻 の場 合 と は 明 ら か に異 な り一 、 民
認 識 は か な り の程度 、 一般 に普 及し て いた と考 え てよ い ので はな いだ ろう か。 ︻事 例 1︼ と 同様 な 判 決 例 が今 後 発 掘 さ
妾 は ﹁密 売 淫 女 ﹂と の区 別 が事 実 上困 難 であ る がゆえ に、お よそ 法 的 な嬰 妾 の成 立 には 戸籍 の届出 が必 要 であ ると の
期
前
治
明
15
叢
論
律
法
16
B、 妾契 約 の履 行
(15 )
妾 契 約 の無 効 な いし取 消 が争 わ れ て いる の は、 次 の二 つ の事 例 であ る。
︻
事 例 2︼ 明治 一二年 九 月 二六 日 の東 京 上 等 裁 判 所 判決 (﹁妾 解 約 一件 ﹂) に お い て、 被 告 (
被 控 訴 人 、 妾 の 父親 )
は、 原 告 (
被 控 訴 人、 夫 ) 提 出 の甲 第 二号 証 (
妾 契 約 証 であ ろ う か ) は被 告 から 原 告 へ交付 し た覚 え な く 、 ま た該 証
被 告 名 下 の印 影 は被 告 の実 印 と は いえ、 こ れ は原 告 が 盗 用 し たも の であ る から 、 明治 一 一年 六月 三 〇 日 に被 告 方 の戸
籍 を 除 いて、 ヨシ の人別 を 原 告 方 へ送 った の は錯 誤 に 出 たも の であ る。 ま た、 原 告 が ヨシ に 対 し て残 酷 の所 為 あ る こ
と、 およ び被 告 提出 の乙第 二 号 証 の、 ヨシを 被 告 の相 続 人 とす ると き は ヨシを 原 告 の妾 と し た約 束 は解 除 す る 旨 の契
約 に依 って、 本 訴妾 解 約 の訟 求 を 提 起 し た と主 張 し た 。
判決 は、し かし 、次 のよう に判 示 し て被 告 の請 求 を退 け た 。原告 が被 告 の実 印 を 盗用 し 、及 び原 告 が ヨシ に対 し て残
酷 の所 為 を 加 へた と いう の は、 被 告 の 口述 の み に止 り そ の 犯 を 徴 す べき証 拠 がな い。 し た が って、 甲 第 二 号 証 に被
告 の実 印 が押 捺 し てあ る以 上 、 該 証 を不 正 で無 効 と は 認 め が たく 、 ま た被 告 方 の戸 籍 を 除 いて ヨシ の人 別 を 原 告方 へ
送 った の は被 告 の錯 誤 に出 たと の証 拠 も な い。 甲 第 二 号証 があ り 、 現 に ヨシ の人 別 は 原 告 戸籍 に載 せら れ て いる のだ
か ら、 ヨシ が明 治 = 年 六月 三 〇 日 以後 、 原 告 の妾 で あ る こ と は明 ら か であ る。 さ ら に、 判 決 は、 乙第 二 号 証 の ﹁貴
殿 相 続 方 二倍 リ 政 孟 (
原 告 ) 二於 テ 柳 苦 情無 之如 何 様 ノ取 扱 云 々﹂ の趣 意 に言 及 し (そ の 文意 を 、 ヨ シを 被 告 の相 続
人 とす る際 に原 告 は 異議 な し と の趣 旨 だ とす る被 告 側 と、 被 告 の次 女 を相 続 人 と す る 際 に 原 告 は異 議 な し と の趣意 だ
とす る 原告 側 と が対 立 し て いる )、 被告 は明 治 = 年 六 月 二〇 日 に乙 第 二号 証 の契 約 を な し 、三 〇 日 に被 告 方 の戸籍 を
判
裁
と
妾
掲
酬
醐
治
明
17
・除 いて ヨ シ の人 別を 原 告 方 に送 って いる こと か ら、 乙第 二 号証 に お いて貴 殿 相 続 方 云 々の契 約 を し た のは、 他 人 が被
告 相 続 人 と な る とき の契 約 であ り、 ヨシを 被 告 の相 続 人 と す る事 を 原 告 が承 認 し た と は認 め がた く 、 およ そ妾 解 約 を
訟求 す る悪 拠 に はな らな いと の理由 で、 被 告 か ら の妾 解 約 請 求 を退 け た の であ る (原審 判 決 破 棄 )。
こ の事 例 の場 合、 妾 ヨ シ の戸 籍 は 夫方 へ送 ら れ て おり 、 そ の送籍 手 続 が無 効 で あ った か否 か (実 印 の盗 用 と錯 誤 )、
お よ び ヨシを 実 家 の相 続 人 と す る と き は 妾契 約 を解 除 す る旨 め 約 定 が あ った か否 か が争 点 と さ れ て いる。 判 決 に は、
妾 ヨシ本 人 の意 思 に関 す る 言及 がま ったく 見ら れず 、ま た、も っぱ ら 乙第 二 号 証 の文 言 の解 釈 に力点 が置 か れ て、実 家
の相 続 を 理 由 と し た妾 離 縁 請 求 の正当 性 は問 題 と さ れ て いな い。 妻 離 婚 請 求 の判 決例 に お いては 、 妻本 人 の意 思 (
婚
(
16)
姻 継 続 か離 縁 か ) が重 視 さ れ 、 実家 の相 続 人 確保 を 理由 と す る離 婚 請 求 が退 け ら れ て いた こと を 想起 す る と、 右 の判
事 例三
明 治 一四年 = 戸
(
日不 明) の静 岡 裁判 所 甲 府 支 庁判 断 .(
・妾 引取 ノ詞 訟 L) は・ 妾契 約 の履 行 に つい て
決 を 妾 の地 位 を保 護 し たも のと 評 価す る こと はで きな い。
の争 いであ る・
判決 は言う 。原 告 は、明 治 九年 六月 九 日 に被 告 の養 女 ナ カを 妾 に癸 る に際 し て 、養 育 料 と し て地 所 を付 与 す る契 約 を
交 わし 、 既 に村 吏 の奥 書 も 受 け て該 証 券 はナ カ へ渡し 、 公 然 編籍 さ せ、 ナ カ は 一旦 引移 った。 し か る に僅 か 一周 目 余
に し て病 気 保養 と 称 し て、 被 告 家 へ立戻 り 、 該 地 所 の付 与 を 求 め、 帰 宅 し な いと主 張す る。 し か し、 原告 が、 明 治 九
年 六月 に、 本 訴 に関 連 し て ﹁対 談違 約 ノ詞 訟 ﹂ を 提起 し な がら 原被 告 熟 議 解 訟 し 、 旧 山梨 裁 判 所 へ奉 呈し た済 口証 文
を 見 る と、 ナ カ は来 る七 日迄 に甲 府 表 へ転 宅 さ せ る と 明記 し て あ る から 、 被 告 が 陳 述す る通 り 、 原 告 が養 育 料 とし て
金 百円 の地 所 を ナ カ に与 へ、 甲 府 に 居宅 を 設 け て 住 ま わ せる契 約 であ った事 は 明 ら か であ る。 こ のよう に述 べ て、 判
決 は、 原 告 が己 れ の義 務 を 果 さ ず 、単 に被 告 に対 し て妾 の引 取 を要 求 す る のは 不筋 だ とし て、 そ の請 求 (
妾引取)を
叢
論
律
一
法
18
棄 却 し て いる。
(一〇 〇 円 相 当 ) の 引 渡 義 務 を 認 め 、 義 務 を
﹁
養 育 料 ﹂ は、 こ の支度 金 の類 いと 解 し てよ いであ ろ う。 判 決 は、 ナ カ の夫
妾 契 約 に 際 し て 、 一般 的 に 、 夫 側 か ら 妾 側 に 対 し て 、 支 度 金 と し て 一定 の 金 銭 が 支 払 わ れ る 慣 例 のあ った こ と は 、 他
の事 例 か ら も窺 われ るが 、右 判決 に言 う
方 戸 籍 へ の 編 籍 を 確 認 し つ つ、 妾 契 約 に 基 づ く ﹁養 育 料 ﹂ と し て の 地 所
履 行 し な い限り 、 夫 は妾 に対 し て帰 宅 を 求 め え な いとす る ので あ る。
(
18)
妾 抱 入 れ支 度 金 を めぐ る争 いは、 ︻
事 例 4 ︼ 明 治 一〇 年 七 月 一八 日 の 東 京 上 等 裁 判 所 判 決 (
﹁預 金 取 戻 ノ 一件 ﹂) に お
いて も 見 ら れ る。
こ の事例 は、 妾 契 約 の媒 酌 人 と夫 側 と の間 の支度 金 の授 受 を めぐ る争 い であ り、 判 決 の内 容 そ れ 自体 は、 妾 契 約 の
成 立 と は無 関 係 であ る。 こ こで は、 仲 介 人 が 夫 と妾 とを 引 き あ わ せ、 夫 の意 向 を確 認 し た上 で、 妾契 約 が結 ばれ る通
び と な り 、 さ ら に 媒 酌 人 が 立 て ら れ ﹁支 度 金 及 ヒ 月 給 ノ 金 額 ヲ 定 メ 抱 入 レ ノ 約 ヲ 結 ﹂ ん で い る こ と 、 妾 抱 入 れ に つ い
(
19) (
20)
て は 正 妻 も 承 知 し 、 夫 に 代 わ っ て 支 度 金 を 支 払 っ て いる こ と を 指 摘 す る に と ど め た い。
(
控訴
嬰 妾 が成 立し た 後 、妾 に支 払 わ れ る べき給 料 を めぐ る争 いも 見 ら れ る。 ︻
事 例 5︼ 明治 一五年 五 月 二 七 日 の東 京 控 訴
(
被 控 訴 人 、 妾 の養 父 ) 力 請 求 ス ル 給 料 ノ契 約 ハ壱 ケ 年 限 ニ シ テ 、 且 直 接 二原 告
(
21)
裁 判 所 判 決 (コ雇 妾 給 料 請 求 L) が そ れ で あ る 。
こ の事 例 の 争 点 は 、 ① ﹁被 告
人 、 夫 ) へ請 求 ス 可 キ 者 ニア ラ サ ル や 否 ﹂ お よ び ② ≒ 原 告 力 抱 入 タ ル カ メ ナ ル者 ハ、 被 告 力 養 育 シ タ ル モ ノ ナ ル や 否 L
の二 点 にあ った。
第 一点 に つ い て 、 原 告 は ﹁明 治 十 三 年 一月 カ メ ナ ル者 ヲ 妾 二召 抱 、 明 治 十 三 年 四 月 中 甲 第 壱 号 証 ノ 如 ク 約 定 シ タ ル
モ 、 是 ヨ リ 先 キ 金 六 拾 円 被 告 へ授 与 シ カ メ ヲ 貰 受 タ ル者 ニシ テ 、 将 来 給 料 ヲ 払 フ ヘ キ 契 約 二非 ス。 良 や 之 ヲ 払 フ 可 キ
モノト 仮 定 ス ル モ、 カ メ へ付 与 ス可 キ モノ ニシテ 、被 告 へ払 フ可 キ契 約 二非 サ ル趣 L を縷 陳 し た。 これ に 対 し て、 被
告 は ﹁妾 勤 中 ハ、 甲第 壱 号 証 第 二 項 約定 ノ如 ク給 料 ヲ申 受 ク ヘキ契 約﹂ であ る旨 抗 弁 し 、判 決 も こ の抗 弁 を 認 め、 甲
第 一号 証 第 二 項 に ﹁為 給 料 一ケ年 金 六拾 円 、 是 ヲ 三 六九 十 二月 ノ四 期 二分 チ 、 毎 期 ノ末 二金 拾 五 円 宛 通 貨 ヲ以 テ本 人
へ御 付 与 可 被 成 下。 而 テ本 人 ヨリ ハ、 之 ヲ是 迄 ノ其養 育 ノ酬 恩 ト シ テ、 其 侭 其 養 父 へ送与 可 致 主 意 ニテ御 付与 可被 成
下 候﹂ とあ る こと か ら ﹁壱 ケ年 限 ノ契 約 二非 ス、 カ メ抱 車 ハ給 料 ヲ与 フ可 キ 約 定 ニシ テ、 其 給 料 タ ルヤ、 カ メ へ付 与
実 母等 ヲ喚 問 ス ル ニ、 カ メ ハ年 齢 四 歳 ニテ 明治 二 年中 被 告 へ預 ケ、 十有 余 年 間 養 育 ヲ受 タ リト 陳 述 シ 、 又芝 区 役 所 及
影 ヲ
軸外
摂養 兀
讃 美 郎妹攣 ル垂 。
套 ノ慧 ア
被
裁
と
妾
幡
浅草 区 役 所 ヨリ ノ回答 二拠 レ ハ、被 告養 女 カ メノ 頭書 二尾 州 名 古屋 云 々 ノ数 字 ハ誤記 二出 テ、 其 実 亡 喜多 長 兵 衛 ノ女
トス
鴛 矯 鷲 錦 嚢
爾
複 二出 テタ ル者 ナ リ ト申 立 タ リ ⋮ 原 告 力抱 タ ルカ メナ ル者 ハ専 太郎 ノ妹 ナ ル モ、 年 久 シ ク被 告 ノ養育 ヲ被 り シ事 ハ証
年前 ヨリ被 告 ノ籍 二在 リ・ 而 シテ 専 太郎 籍 茄
入 セシ バ明治 + 四 年 ±
月即 本 訴 ノ起 り シ 後 ニテ・ 全 ク 重
(
22)
治 一六 年 三 月 三 一日 の東 京 控 訴 裁 判所 判 決 (
﹁地 所 井 二家 具 譲 与 約 定履 行 ノ 一件 ﹂) であ る。
妾 契 約 の内容 とし て ﹁地 所 井 二家 具 譲 与﹂ を 求 め る の と共 に、 出生 し た子 の処 遇を 夫 方 に求 め た の が、 ︻事例 6︼ 明
る のであ る。 妾契 約 が、妾 本 人 ではな く 妾 の尊 属 と 夫 と の間 で交 わさ れて いる実 態 を 反 映 し た判 決 であ ると 言 え よう 。
妾 契 約 の内 容 た る、妾 に対 す る給料 の支 払義 務 を 夫 に認 め、支 払 の相 手 方を 妾 本 人 より む し ろそ の扶 養 者 に認 め て い
ル モ、 被 告 二於 テ本 訴 ノ金 額 ヲ 請 求 ス ル ハ相 当 ノ事 ナ リト スL と述 べ て いる (
控訴 人 の請 求 棄 却 。 原審 判 決 支 持 )。
太 タ分 明 ニテ 、 今被 告 ノ求 ル所 モ其 養 育 ノ恩 二酬 ユ ルノ金 タ ル事 証 書 二明 文 ア レ ハ、 仮 令 戸 籍 二脚 力不 真 正 ノ廉 ア
ニシ テ薮
告 ト契 約 シタ ル ハ、 被 告 二欺 カ レ人 違 ヒ ニ出 テ タ ル者 ノ如 ク主 張 シ、 カ メ ノ給 料 ヲ 拒 ムト錐 ト モ、 専 太郎 始 メ カ メ ノ
鯛
治
明
19
叢
判 決 は 、 控 訴 人 た る 妾 ヨ シ の 請 求 す る ﹁地 所 井 家 具 等 ハ、 勝 一郎 ノ 妾 ト ナ リ 別 家 ヲ 立 ル ニ付 テ ノ 約 束 タ ル 事 ハ疑 ナ
ク 、 サ レ ハ其 組 Aロナ ル幸 右 衛 門 孫 右 衛 門 等 力 出 ス モ ノ ニテ ハナ ク 、 勝 一郎 ハ部 屋 住 ノ身 分 ユ へ、 其 親 ナ ル 又 三 郎 カ コ
レ ヲ 出 ス ヘキ 筋 ナ ル ヘシ 。 夫 故 二証 文 ニ モ取 扱 人 岡 野 熊 吉 ト ア リ 。 一体 取 扱 人 ト ハ差 モ ツ レ ヲ 解 ク 仲 人 ナ リ 、 仲 人 力
地 面 や 道 具 ヲ 出 ス ト イ フ 事 マ ッ ハ世 間 二間 カ ヌ 事 ﹂ で あ り 、 ま た 出 生 の 女 子 の 入 籍 に つ い て は 、 別 に ﹁女 子 入 籍 請 求
ト イ ヘ ル目 安 ニテ 願 ヒ 出 シ 事 ナ レ ハ、 此 公 事 ト ハ同 シ 様 ナ レト モ 全 ク 別 ナ リ 。 入 籍 ノ 事 ヲ 訟 ヘ タ ク ハ別 二訴 訟 ヲ 起 ス
(
23)
ヨ リ 外 二手 タ テ ナ シ ﹂ と し て 、 も っぱ ら 、 訴 訟 手 続 上 の 理 由 か ら 、 妾 側 か ら の 請 求 を 退 け て い る 。
ち な み に 、 右 の 判 決 は 平 易 な 文 言 で 書 か れ て お り 、 こ の 点 に つ い て は 、 判 決 の追 記 で 、主 任 の 富 永 冬 樹 判 事 が ﹁過 日
対 審 ノ 際 、 原 告 よ し 二於 テ 頻 り ニ初 審 才 判 書 ノ 文 字 難 渋 解 釈 三吉 ム 旨 ヲ 訟 ヘ シ ニ由 リ 、 然 う バ当 庁 ニ チ ハ必 平 易 ノ 俗
随 墨 ノ 致 ス所 幸 二斧 正 ヲ 賜 ン事 ヲ﹂ と 敢 え て釈 明し て いる。 時 代 は少 し 遡 る が、 明治 六 年 八 月 二九 日 の ﹃郵 便 報 知 新
語 ヲ 以 テ ス可 シト 申 渡 シ 置 タ リ。 故 二期 ク ノ如 ク諄 々ト 俗 談平 話 ノ ミヲ 以 テ稿 ヲ起 セリ 。 語 勢 野 鄙 二流 レタ ル ハ拙 筆
律
聞 ﹄ に、あ る窃 盗 犯 に対 し てカ ナ書 の判 決 文 が書 かれ 、当 人 に読 み聞 かせ ら れ た旨 の記事 があ り 、 こ の刑 事 判 決 文 は、
(
25)
自 由任 用制 のも と で採 用さ れ た当 時 の裁 判官 の ﹁個 性 ﹂を 窺 いう る貴 重 な 資 料 と し てし ば し ば言 及 さ れ て いる。 ︻事 例
拙 稿 ﹁明 治 一〇 年 司法 省 丁第 四 六 号達 と 婚姻 の成 立要 件 ﹂ (﹃
法律 論 叢 ﹄六 八巻 三 ・四 ・五 合 併 号 、 一九 九 六 年 )三 八 六 ∼三
浅 古 弘 ・前 掲 ﹁明治 初 年 に お け る嬰 妾 資格 ﹂ 一二 六 一 一二 七 頁、 参 照 。
こ の問題 は、 事 実 上 の妾 が 生 ん だ子 は、 庶 子 な の か私 生 子 な のか と いう 問 題 と も 関 係す る こと は 言う ま でも な いが、 こ の
九 〇 頁。
(
1)
(
3)
(
2)
注
下 さ れ て いた こ とを 示 す 例 と し て注 目 さ れ る。
6 ︼ は 、 民事 に お い ても 、無 学 な 訴 訟 当 事者 にも 容 易 に理 解 で き る平 易 な 判 決 文 がi 明治 一〇 年 代中 頃 に至 っても-
(
2
4)
法
論
20
ト
(4)
(5)
(6)
拙 稿 ・前 掲 ﹁明治 一〇 年 司法 省 丁 第 四 六号 達 と婚 姻 の成 立要 件 ﹂ 三 六九 頁 以 下 。
問 題 を争 点 と し た判 決 例 を 見出 す こと は でき な か った。
明 治 = 二年第 =二七〇 号 ﹁戸籍 妨 害 取 除 ケ之訴 ﹂ (
大 阪 高等 裁 判 所民 事 判決 原 本 )。原被 告 (とも に 平民 ) は、堺 県 和 泉国 大
覧 表﹂ 中 、 明治 九年 兵 庫 で の免 許 取 得者 に ﹁
村 井 宗 三郎 ﹂ の名 が見 え る)、 被 告側 代 言 人 は、 堺 区市 之 町 二拾 九 番 地 寄留 大 分
島 郡 に在 住。 原告 側 代 言 人 は、堺 区 界寺 地 町東 一丁平 民 の村 井 信 三郎 (
奥 平 昌 洪 ﹃日本 弁 護 士史 ﹄巻 末 の ﹁代 言人 免 許 年度 一
県 士族 の瀬 川 正治 (
明治 九 年 代言 免 許 [
大 坂 ]) であ る。 裁 判官 は、 判事 の戸 原 禎国 と 判事 補 の永 田 陽亮 。 原審 は、 大 坂裁 判
ち な みに 、控訴 人 が 言及 し て いる ﹁明治 七年 堺県 第 四 六号 達 ﹂と は 、八年 一月 に始 ま る 戸籍 帳簿 の改 正 に むけ て 、七 年 一 一
所 堺支 庁 。
月 に、 明 治 五 年九 月 の戸 籍 検査 方 法 に関 す る達 に 一六 ケ条 を増 補 し 、 遺 漏 が な いよ う 戸籍 編 製 事 務 の 正確 さ に つ いて周 知 徹
六 四 頁).
底 を図 ったも のであ る (
山中 永 之佑 ﹁明治前 期堺 県 家族 関 係法 令 (一)﹂ ﹃
阪 大 法学 ﹄三 一号 、 一九 五九 年 、六 一一 六四 頁 、お
、家 族 二之 ナ ク厄 介 人埜
申 立 ル ・・ナ ・
フン・ と主 張 し ・ ・る.
之 ヲ為 サ ・ル等後 見 人 ノ職 任 ヲ怠 ル ヨリ、 被 告 八裂キ 始 審 へ後 見 人 解 除 及 ヒ精 算 訳 立 ノ 詞訟 二及 ヒ タ ルナ リ 。 原 告 ハ右 様 被
そ の理 由 と し て、被 告 は ﹁愛 次郎 所 有 金 ノ貸 付 証書 ヲ原 告 ノ名 前 二書 換 、 或 ハ 一周年 二両 度 宛会 計 向 ノ 清算 可 致 約ナ ル ニ、
法令集・2 (
羽 曳 野 資料 塁 日6) 一九 九 三年 、 羽 曳 野市 、 一六 〇 1
半
裁
(7)
止口
於 テ愛 次 郎 ノ家 事 向 取締 ル・厭 忌 ・ ⋮
明治 民法 施 行 以前 にお け る妻 の氏 に つ いて の研究 は多 いが、妾 の氏 に言 及 した 論稿 を 寡聞 にし て聞 かな い。 な お、拙 稿 ﹁明
治鑛
・離 婚 法史 研 究 の現 状と 課 題 ﹂
) ・ー ズ比 較 家 族 8 ・ジ ェ ンダ些 女 性草 稲 田 大 学出 版 部 ) 六 四 ⊥ ハ五 東 参 照 ・
婚 姻 編 1﹄ 二 二八 頁。 な お、 こ の指 令 は、 東京 裁 判所 から の伺 (明治 八 年
堀内 飾 編 ・前 掲 ﹃明治 前 期身 分 法 大全
拙 稿 ・前 掲 ﹁明治 一〇年 司法 省 丁第 四 六 号達 と婚 姻 の成 立要 件 ﹂ を参 照 。
第 一巻
(9)
風 俗 編﹄ (
第 二 版 ) (一九 六 八年 、 日 本評 論 社 ) 五 四 二頁 。
﹃明治 文 化全 集
第 8巻
﹃
法 律 雑 誌﹂ 第 九 号 (
時 習 社 ) 一〇六 ∼ 一〇八 頁 。
た だし 、 華 族 の妾 に関 し て は、 妾 が法 律 上 消 滅 し た後 にも一 そ の法 令 上 の根 拠 は 明 ら か でな いが一 、 妾 を 届 出 る こ とが義
務 づけ ら れ て いたよ う であ る。石 井 研 堂 ﹃明治 事物 起 原﹄ 第 一編 人 事部 の ﹁
蓄 妾 届﹂ と 題し た 項目 中 に は、蓄 妾 の風潮 が華族
〇九 一 一 一〇 頁)。
明治 一 一年 八 月 一二日 の宮 内省 指 令 や 一二年 二月 = 二日 の内務 省 指令 な ど (
浅 古 弘 ・前 掲 ﹁明治 前 期 に おけ る 妾 の身 分﹂ 一
(
11)
(
13)
(
12)
一二月 二 五 B) に答 え た も の であ る。
(
10)
(8)
よ ぴ同 編 .讃
.
趾
る
ナ
捌
鯨
前
驕
一
21
2
(14 )
(
15)
間 に 広 が って た こ とを 推測 さ せる 狂歌 類 (
例 え ば ﹁今 のは や りは 権 妻 ふら ほ 、馬 車 に 人力 新 聞 紙﹂) に 加 え て、 明 治 二九 年 八
月 に 、橋本 実 梁 と 大 谷光 尊 と いう 二 人 の華 族 が、宮 内 大 臣 徳大 寺 実 則 に宛 て 、妾 の届 出 を 行 った例 が 収載 さ れ て いる (
前掲 ・
﹃
東 京 日 々新 聞 ﹄ (
明治 一六年 九 月 二 七 日) は 、 一七 ・八 才 と思 し き 娘 が、 外 妾 であ る旨 の届 書 を 役 所 に提 出 し 、却 下 さ れ
筑摩 学 芸文 庫 本、 一 = 一
∼ 一 一四 頁 )。
た話 を伝 え て いる が、 こ の役 所 の処 置 は 、前 述 し た明 治 一六年 七 月三 日 の内 務 省指 令 が妾 の戸籍 記 載 を 不要 と し た こ と の反
明治 = 一
年 第三 九 九 号 ﹁妾解 約 一件﹂ (
東 京 高 等裁 判 所 民 事 判決 原 本 )
。
映 であ ろう 。
明治 一四 年第 九 二二 号 ﹁
妾 引 取 ノ詞 訟﹂ (
甲 府 地方 裁 判 所 民事 判 決 原 本)。
拙 著 ・前 掲 ﹃明治 離 婚 裁 判史 論 ﹄ 一〇〇 ∼ 一〇 一頁 。
原告 (
士 族 )・被 告 (
平 民) は、 静 岡県 遠 江 国 敷知 郡 浜 松宿 に在 住 。 主任 判 事 は 伊藤 謙 吉 。 原審 は、 静 岡 裁 判 所 浜松 支 庁 。
(
17)
力
原 告側 の主 張 によ ると、 嬰 妾 に至 る経 緯 は次 のと お り であ る。 ﹁明治 六 年 二月 中 旬 原告 力亀 戸 天満 宮 ノ 境内 二設 置 セ シ茶 屋
内 二原 告 ヨリ被 告 二対 シ済 方 可 致義 与 可 相 心得 事 ﹂ と 判 示 し て いる。
ヲ禁 ス ル等 ノ 明文 ナ ク 、 又其 返 済 ノ 期限 ヲ定 メ ザ レ ハ、 則 チ尋 常 ノ貸 借金 ニシテ 期 限 ナ キ モ ノナ ル ニ依 リ、 自 後 十 ニ ケ月 ノ
金 ヲ ﹁ス ご 力 支度 金 ノ為 メ蝉 太 郎 二代 リ 原告 工渡 シ タ ルノ証 愚 ト 認 ム ベキ ニ非 ス。而 シ テ、 該 預リ 金 ハ、 其証 書 二融 通使 用
支
ハ、
度被
金告
二供
ハ其
セ償
シ却
ト云
ヲ峯
フ太
モ郎
、原
二求
告ト
メン
﹁ト
ス云
ごフト
モノ
、関
唯係
被告
ニシ
力テ
自被
己告
ノ損
ハ之
失ヲ
二千
慮預
レセ
ルズ
ノ、
意又
口原
想告
二力
止該
リ預
タリ金
。ノ
因済
テ方
被告
ヲ怠
二り
於タ
テ、
ル該
ニ於
預テ
ケ
告 力媒 灼 セ シト 云 フ ハ、 特 二口頭 ノ陳 述 二止 マリ テ確 証 ナ L しと 述 べた上 で、 ﹁
原 告 ノ陳述 ス ル如 ク、 該 預 リ金 ハ ﹁ス ご
原被告 (
とも に平 民 ) は、 東 京 府第 五 大 区 に 在住 。 判 事 は、 伊 藤 謙吉 。 原 審 は 、東 京 裁 判 所。
判 決 は、 原告 主 張 の ﹁明 治 六年 三 月 廿 }日付 預 リ金 ノ原 因 ナ リト ス ル、前 川蝉 太郎 力大 西 ﹁ス ・﹂ ヲ妾 ト 為 ス ヘキ 契 約 ヲ被
明治 一〇 年 一五 二 号 ﹁預金 取 戻 ノ 一件 ﹂ (
東 京高 等 裁 判 所 民事 判 決 原 本)。
原被告 (
とも に平 民) は、 山 梨県 東 八 代 郡 に在 住 。裁 判 官 は、 判事 の崔 峯 申敬 およ び 一六等 出 仕 の鈴 木 忠 高 の 二 人 であ る。
(
16)
(
18)
一
論
(
19)
叢
律
融
(
20)
二、被 告 及 ヒ前 川峯 太 郎 来 テ休 憩 シ 、黄 昏 二至 リ、 右 両 人 ハ原 告 ノ妻 ﹁マサ﹂ 及 ヒ大 西 孫兵 衛 ノ娘 ﹁スズ﹂ ヲ伴 ヒ柳島 ナ ル橋
本 楼 二赴キ 、 酒 宴 ノ末 、被 告 及 ヒ峯 太 郎 ﹁マサ﹂ ﹁ス ご 同 船 ニテ南 新 堀 ナ ル村 田 屋 二至 リ暫 時 休 息 シ、 翌 日右 同船 ニテ ﹁マ
ノ父 孫兵 衛 二面会 セ シメ タ ル ニ、 孫 兵衛 及 ヒ被 告 熟 談 ノ
ハ帰 宅 シ タリ 。 然 ル ニ、 明治 六 年 二月 下旬 、 被 告 ハ原 告 ノ家 二来 リ、 峰太 郎 力 ﹁ス ご ヲ妾 二抱 へ入 レント
ス ル ニ付 キ 其 媒 灼 ヲ原 告 二嘱 托 セシ ニョリ 、被 告 ヲ 紹 介 シ、 ﹁ス ご
サ ﹂ 及 ヒ ﹁ス ご
榊
趾
(
21)
(
22)
(
32)
ヲ妾 二抱 入 ル ・ノ契 約 ハ、 明治 六年 二 月 中、 柳島 ナ ル橋 本 二於 テ原 告
上 ﹁ス ご 力 支度 金 及 ヒ月 給 ノ金 額 ヲ 定 メ抱 入 レノ約 ヲ結 ピ タ リ﹂ と。
.
被 告 側 の主 張 にお いても ﹁前 川峯 太 郎 力大 西 ﹁ス ご
ノ 妻 ﹁マサ ﹂ ノ媒 酌 二依 リ テ成 就 シ タ ル末 、明 治六 年 三月 廿 一日、
,原 告 ハ被 告 ノ家 二朱 リ、 被 告 ハ留 守中 ナ リ シヲ以 テ 被告 ノ 、
妻 二面会 シ、 ﹁ス ・﹂ 力支 度 金 三拾 円 ヲ 受 取 ル ヘキ モ、 行 違 ヒ峰 太 郎 二面 会 セサ レ ハ之 ヲ受 取 ルヲ得 サ ル ニ依 リ 、右 調度 金 ノ
為 メ被 告 持 合 セ ノ金 円 ヲ原 告 工預 力 り度 旨 ヲ要 求 セ ラ レシ ニ、峯 太 郎 ト ﹁ス ・﹂ト ノ事情 ハ被 告 ノ妻 二於 テ モ之 ヲ承 知 セシ ヲ
以 テ 、 酉三 月 二 十 一日則 チ 明 治六 年 三 月 廿 一日 付金 拾 五 円 ノ預 り証 ヲ 領 収 シ、 金 額 ヲ預 ケ渡 シタ リL と述 べて いる。
明 治 一五 年第 八 八 号 ﹁雇 妾給 料 請求 ﹂事 件 (
東 京 高 等裁 判所 民事 判 決原 本 )
。原告 (
士族 )・被告 (
平 民) とも に 、神 奈 川県
明 治 一六 年 第 一九 九 号 ﹁地 所井 二家 具 譲与 約 定 履 行 ノ 一件 ﹂ (
東 京 高 等 裁 判 所 民事 判 決 原本 )。 原 告 は東 京 府 深 川 区 、被 告
横 浜区 に寄 留 。主 任 判 事 は 今村 信 行 、 副任 判 事 は 芳 野親 義 ・浅 田熈 光 の二名 であ る。 原 審 は 、 横 浜裁 判 所。
始嚢
判所 判 決 を不 服 とし て 控訴 し た理 由 は 、次 の三 占⋮
で あ る.① ﹁
本 人 勝 一郎 ハ申 二
は 茨 城県 新 治 郡 に 在住 (
と も に平 民 ). 専任 判 事 は富 永 冬 樹 、 副任 判 事 は永 井 岩 之 丞 と小 野 述 信. 原 審 は 土 浦始 審 裁 判 所
控 訴 人 た る妾 ヨシ が、 原 審 の蒲
及 ハス相 手 幸 右衛 門 孫 右衛 門 熊 吉 三 人ト モ突 合 セ吟 味 ヲナ サ ス シテ 裁判 セラ レタ ル事 ﹂。② ﹁
勧 解 モ願 ヒ勝 一郎 ノ父 又 三郎 モ
度 々其 席 ヘイ テ タ ル ニ出生 ノ女 子 入籍 ノ裁 判ナ キ ョリ哀 レ到 頭其 小 児 ハ無 籍 ノ モ ノト ナ リ タリ ト ノ事 ﹂。③ ﹁
幸 右 衛 門 孫右 衛
郎 ハよ し ・最 初 ・リ相 手 取 ラ サ ル人 三 ア、 裁 判所 ・呼 出 サ ・リ シ モ当 然 ・事
裁判 セ・
フレシ事 ・.
門 ノ両 人兼 テよ し身 分 ・引 受 ル為
墜
ル・ マ筆
る
ナ
捌
・裁 判 ・ ・ ハ. 笙
よ し ノ イ フ勧 解 ハ、 よ し井 女 子 入籍 請 求 ト イ ヘ ル目
幸 右 衛 門 孫右 衛 門 ノ両 人 よし ノ身分 ヲ引 受 ル約束 ナ リ ト よ し ハ申 立 レト モ、 両 人 ハ左 様 ノ約 束 セ シ覚 ナ シト申 事
裁 判 ヲナ ス ヘシ。
抑 此 度 よ し 力訟 ル地所 井 家 具 等 ハ、 勝 一郎 ノ妾 ト ナ リ 別家 ヲ立 ル ニ付 テ ノ約 束 タ ル事 ハ疑 ナ ク、 サ レ ハ其 組合 ナ ル幸右 衛
拠 ト テ ハナ ニモナ キ ヨリ、 よ し ノ 申 フ ン立 カ タ シ。 儘 、 是迄 ハ始 審 裁判 不 服 ノ廉 々ノ裁 判 ナ リ。 是 ヨリ 此訴 訟惣 体 ノ事柄 ノ
ヒ、其 証 拠 ハト チ ラ ニモナ シ。 足 力則 、今 イ フ水懸 論 ニテ、 ケ様 ノ事 ハ願 フ方 ヨリ 証 拠 ヲ出 スカ大 法 ト シ ル ヘシ。然 ル ニ其 証
シ。 第 三
安 ニテ 願 ヒ出 シ事 ナ レ ハ、 此 公 事 ト ハ同 シ様 ナ レト モ全 ク別 ナ リ 。 入籍 ノ事 ヲ 訟 ヘタ ク ハ別 二訴 訟 ヲ起 ス ヨリ外 二手 タ テ ナ
ロ約 束 ナ レ ハ終 ニ ハ俗 ニイ フ水 カ ケ論 ト ナ リ共 議 モナ カ ル ヘシ。 第 二
モ、 此 公事 ハ事 柄 モ ヨク分 り 、 何 モ カナ ラ ス本 人 ヲ ヨ ビテ調 ヘネ ハナ ラ ヌホ ト ニ事 ニチ ハナ シ。 タ ト へ調 ヘタ リト モ、素 ト
尤 モ品 二等 リ争 ヒノ 事柄 入 り 籠 ミ テ、 代 言 人 又 ハ代 人 ニテ ワ カラ ヌ事 ア ル時 ハ、 随分 本 人 ヲ 呼 ヒ出 ス場 合ナ キ ニア ラ サ レト
宥 ・廉 々 二付 圭
判 決 の全 文 を 、 参考 ま で に掲げ て おく。
束 シ ナ カ・
フ今 更 知・
フス毒
轍
前
囎
23
る
2
叢
律
.
論
法
(4
2)
門 孫 右 衛 門 等 力 出 ス モ ノ ニテ ハナ ク 、 勝 一郎 ハ部 屋 住 ノ 身 分 ユ へ、 其 親 ナ ル 又 三 郎 カ コ レ ヲ 出 ス ヘ キ 筋 ナ ル ヘ シ 。 夫 故 二証
文 ニモ 、 取 扱 人 岡 野 熊 吉 ト ア リ 。 }体 取 扱 人 ト ハ、 差 モ ツ レ ヲ 解 ク 仲 人 ナ リ 。 仲 人 力 地 面 や 道 具 ヲ 出 ス ト イ フ 事 、 マッ ハ世 間
二間 カ ヌ 事 ナ リ 。 若 シ 出 ス時 ハ、 証 文 ニ カ ナ ラ ス英 訳 ヲ 書 テ 置 ネ ハナ ラ ス 。 書 テ ナ ケ レ ハ世 間 並 二伸 人 力 出 ス モ ノ ナ ラ ス ト
へ遣 り ハ セ ヌ ト 申 立 、 熊 吉 モ 多 分 又 三 郎 力 出 ス ナ ラ ン ト 思 ヒ 、 勝 一郎 二頼 マ レ ウ カ ト 証 文 ヲ 書 タ リ ト イ フ 上 ハ、 別 二両 人 ノ
裁 判 ス ヘ キ 筋 ナ リ ト ス。 ヨ シ や 仲 人 力 出 ス モ ノ ト 見 ル モ 、 孫 右 衛 門 幸 右 衛 門 ハ其 様 ナ ル 事 ノ 為 メ ニ、 熊 吉 ヲ 代 人 ト ナ シ 水 戸
イ ・付 タ ル証 拠 モ ナ ク 、 証 据 ナ ケ レ ハ、 両 人 ハ言 付 ヌ モ ノ ト 看 認 ル ヨ リ 外 ナ キ 次 第 ナ リ 。 両 人 ノ 申 付 ケ ナ ラ スト ス レ ハ、 熊
吉 ヒ ト リ ナ リ 。 熊 吉 ハ、 よ し モ 知 ル 通 り 、 イ マ タ 部 屋 住 ノ 身 分 、 地 所 杯 ヲ 有 ツ 人 ニ ア ラ ス 。 タ ト ヘ モ ツ ト モ 、 前 ニ モ イ フ 通
り 、 仲 人 力 出 ス 道 理 ナ ク 、 且 ツ 又 三 郎 勝 }郎 等 へ対 シ 斯 ク セ ネ ハナ ラ ヌ 程 ノ義 理 ア リ ト モ 見 ヘ ス 。 又 よ し ハ、 勝 一郎 ノ 証 文
ヲ 差 出 シ 彼 是 申 立 レ ト モ 、 勝 ︼郎 ヨ リ 見 レ ハ、 よ し ト 小 児 ハ妾 ナ リ 、 子 也 ナ リ 。 此 地 所 ヲ 取 り テ 遣 り タ キ ハ胸 一杯 ナ ラ ン。 サ
レ ト モ 、 イ カ ニ セ ン、 右 ノ 証 文 ハ此 公 事 ノ 相 手 ノ 人 々 ノ 知 ラ ヌ 証 文 ユ へ、 何 ノ 役 ニ モ 立 モ ノ ナ ラ ス。 但 、 此 度 ハ又 三 郎 ヲ モ 相
裁 判 ハ、 何 事 三眠 ラ ス 、 約 定 ノ 出 来 タ ル原 ト ノ 事 柄 ヲ ヨ ク 吟 味 セ ネ ハナ ラ ヌ モ ノ ナ リ 。 此 公 事 ノ 事 柄 ヲ 吟 味 ス レ ハ、 右 ノ
手 ノ 一人 ト シ 来 レ ト モ 、 又 三 郎 ハ原 ト ノ 裁 判 ヲ モ 受 ケ ス 、 証 文 二名 モ ナ キ モ ノ ナ レ ハ答 ヘ ヌ ト 云 フ モ 理 り ナ リ ト ス。
通 り ニテ 、 よ し ノ ト リ タ ル 証 文 ハ何 ニ モ ナ ラ ヌ 人 ヨ リ 取 タ ル モ ノ ナ リ 。 先 日 吟 味 ノ 時 、 よ し ハ、 カ ホ ド 立 派 ナ ル 証 文 ア ル ニ
ソ レ カ 役 三夕 ・ヌ 又 道 理 ハア ル マ シ ト 怨 ミ カ コチ タ レ ト モ 、 世 ノ 理 り 二時 ク 其 証 文 ハ役 二 立 タ ヌ 人 ヨ リ 取 り タ ル モ ノ 故 ・ 役
二五 号
ト ウ キ ヤ ウ 、 ダ イ ・チ ダ イ ク 、 ハチ シ ヤ ウ ク
明治山
ハ年 八 月 二九 日) の記事 は・ 次 の通 り ・
二立 ヌ モ 道 理 ナ レ ハ、 総 テ 始 審 才 判 ノ 通 り ト 心 得 ヘ シ L。
・
郵 便 報 知新 聞 ﹄ (
笙
ヘイ キ チ
ミナ ミ コンヤ チ ヤ ウ ・マレ、 ト ウ ジ ヤド ナ シ
ソ ノ ホ ウ ギ 、 ヌ ス ミ イ タ シ 、 ロク ヂ ウ タ ・カ レ、 ソ ノ ・チ 、 ブタ ・ビ ヌ ス ミ イ タ シ 、 ト ヲ ワ レ ル セ ツ 、 ヤ マ ヒ モ チ ユ へ、 キ ン
明 治 編 年 史 ﹄ 第 2 巻 、 一九 三
ゴ ク ミ 十 二チ ニ、 シ ヨ セ ラ レ ル ・ミ ブ ン ニテ 、 ナ ヲ マタ 、 オ ・カ ン ニオ イ テ 、 オ ・ラ イ ニ ン ノ 、 フ ト コ ロ ノ キ ン セ ン、 ヌ キ ト
ル、 ゾ ウ キ ンイ チ エ ン ヨ ノ ト ガ 、 セ ツ ト ウ リ ツ ニ ヨ リ 、 チ ヤ ウ エキ 七 十 ニチ 、 モ ウ シ ツ ケ ル。
﹃郵 便 報 知 新 聞 ﹄ 第 2 巻 、 一九 入 九 年 、 柏 書 房 、 二 五 一頁 お よ び 、 ﹃新 聞 集 成
此 者 唖 に し て 且 践 な れ ハ、 申 渡 を 仮 名 書 に て 、 当 人 に 読 ま せ ら れ し と な り 。
五年 、 財 政 経済 学 会 、 六 四頁 )
(
復刻版
裁 判 の場 A、と 同様 に、 夫 によ る無
﹃学 識 ﹄ 判 事 と の遭 遇 ﹂ (﹃日 本 法 曹 界 人 物 事 典 ﹄ 別 巻 、 一九 九 六 年 、 ゆ ま に
な 事 例 が争 われ た の であ ろ、
つか. 妻 の聾
(25 ). 例 え ば 、 岩 谷 十 郎 ﹁近 代 日 本 法 史 研 究 に お け る
に つ いては 、 ど の 考
夫妾 関 係 の解 消
書 房 ) 三 ∼ 四頁 、 な ど参 照 。
三
夫 妾 関 係 の羅
因専 権 離 婚 が 赤口定 され 、 妻 の意 思 (
離 婚 意 思 あ る いは婚 姻 継 続意 思 ) が保 護 さ れ て いた の であ ろ、
つか。 判 決 はど のよ
一
料
う な 事 由 の妾 離 縁原 因 を 認 め て いた のだろ う か 。 ま た、 妾 離 縁 に とも な う 身 分 的 お よ び財 産 的 効 果 と し て、 ど のよう
な争 いが法 廷 に持 ち込 ま れ た の であ ろう か。
・、妾 側 か ら の離 縁請 求
(
﹁離 縁 ヲ 乞 フ ノ 件 ﹂) は 、 妾 側 か ら 離 縁 請 求 が 提 起 さ れ
(
控 訴 人 、 夫 ) は 、 ﹁妾 ピ サ ト ノ間 ニ ハ男 子 モ 之 ア リ 、 轍 ク 離 別 ハ致 シ 難 キ 旨 ﹂ 陳 述 す る が 、 こ れ
(
被 控 訴 人 、 妾 の 父 ) は ﹁長 女 ピ サ ヲ 妾 二道 シ タ ル ハ、 原 告 ト 密 通 ノ 末 懐 妊 シ ﹂ た こ と が 原 因 で あ る が
合 二依 リ タ ル モ ノ ナ レ ハ、 分 娩 後 ハ離 縁 ヲ 受 ク ル 約 定 ナ ル而 巳 ナ ラ ス 、 ピ サ ハ原 告 ト 別 家 住 居 ノ 処 遂 二 八食 料 等 更 二
届 等 モ不 都 合 ト 思 慮 セ シ ヨ リ 、 原 告 ノ 請 願 二任 セ 被 告 モ生 活 ノ 補 助 ヲ 受 ル筈 ニテ 妾 二送 籍 シ タ ル モ 、 素 ヨ リ 一時 ノ 都
﹁然 ル ニ被 告 玄 隆 夫 婦 ハ已 二七 十 有 余 歳 ナ ル ニ、 ピ サ ノ 外 他 二侍 養 ノ 者 ナ ク 、 向 後 糊 口 ニ差 支 フ ル モ 、 分 娩 ノ 後 出 産 ノ
に対 し て被 告
た事 例 であ る 。原 告
︻
事 例 7 b ︼ 明 治 一二 年 七 月 三 一日 の 東 京 上 等 裁 判 所 判 決
(1 )
趾
る
け
お
駐
翻
明
一
5
2
}
法
律
論
ー
叢
26
仕 送 ラ ス、不 得 止 小 内 平 吉 ヨリ 白 米 ヲ借 受 ケ漸 生 活相 立 ル程 ナ レ ハ、 永 続 ス ヘキ 目 的無 之 ヲ以 テ速 二離 縁受 度 ﹂ と答
弁 し 、 引 合 人 と し て出 廷 し た ピサ (
妾 ) も ま た 、被 告 と同 様 に離 縁 を請 求 し て いる。
原 被 告 の陳 述を 受 け て、 東 京 上 等裁 判所 は、 次 のよう に述 べて 原審 判決 を 破 棄 し 、被 告 た る妾 側 から の離 縁 請 求を
棄却した。
被 告 ハ、 ピ サ分 娩 ノ后 チ 離 縁 ヲ受 ル約 定 ア リ 、 又 ハ被 告 モ生 活 ノ補 助 ヲ受 ル筈 ナ リ ト云 フト 錐 モ、無 証 ノ 陳述
・述 ル・ 得 ス・ 且 食 料 ・送 付 セ サ ルー ハ被 告 及 ・引 A・人 ・陳
二止 リ 原 告 二対 シ其 効 ナ ク 、 或 ハピサ ノ外 他 二侍養 ノ者 ナ シト 云 フモ、 現 在 別 戸 ノ長 男 ア リ、 仮 令 侍養 ノ 子 孫ナ
キ ・既 二承諾 シ テ妾 二送 籍 セ・上 ハ・ 今 更 之 力 落
述 ノ ミ ニテ、 証 ト シテ 見 ル ヘキ モノナ ク、 奮 二小内 平 吉 ヨリ 白 米 ヲ借 受 ケタ ル事 ハ初 審 庁 二於 テ 原 被 告 ノ ロ供符
合 ス ル モ、 同 口供 中 水 車 休 業 依 テ玄 米 三差 問 ト ア リ テ、 其 文 旨 ハ兼 テ玄 米 ヲ与 へ置 タ ルモ、 渇 水 シテ 水 車春 米休
業 ノ為 メ 臨時 借 受 ケタ ル旨 二之 ア リ然 レ ハ、 借 受 ケ タ ル事 ヲ 承知 セシト 云 フ原 告 ノ供 述 ヲ以 単 二食 料 ヲ 送付 セサ
。尽 。、 藁
ヲ 倶 ニス ル
ルト ノ証 拠 ニ ハナ シ難 シ9 仮 令該 時 玄 米 ノ貯 モア ラ サリ シ モ ノト ス ルモ、 凡 妾 ト ナ リ 夫ト ナ リ シ上 ハ、 臨時 不得
止 情 態 等 ヨ リ シ テ 生 活 二苦 ム 事 ア .
フ ハ、 協 力 飢 餓 。 凌 ク . 方 便 。 求 、 、 互 二因心愛 、 薯
ハ当 然 ノ 事 ニシ テ、 上 文 二云 ル如 ク其 他 二食 料 等 ヲ送 ラ サ リ シ証 拠 ノ 一切 見 ル ヘキ ナ ケ レ ハ、 蕾 二此 一事 ヲ 以 テ
離 婚 ヲ要 ム ル原 因 ト 為 ス ヘカ ラ サ ルモ ノト ス。 因 テ被 告 ノ請 求不 相 立 儀 ト 可 心 得 事。
妾 側 は 、① 両 親 が高 齢 と な り 妾 に送 った娘 のほ か に侍 養 を 期 す べき者 がな い こと 、 お よ び② 妾 (
別 宅 ) に対す る食
料 な ど の仕 送 り が途 絶 え た こと を 理 由 に、 妾 離 縁 を 請 求 し た の だ が、 東京 上等 裁 判 所 は 、① 娘 の他 に別 戸 の長 男 も お
り、 ま た ﹁仮 令 侍養 ノ子 孫 ナ キ モ、 既 二承 諾 シテ 妾 二送籍 セ シ上 ハ、 今 更之 力苦 情 ヲ述 ルヲ得 ス﹂、② 一時 的 に食 料 の
仕 送 り が 途 絶 え た とし ても ﹁凡 妾 トナ リ夫 ト ナ リ シ 上 ハ、 臨 時 不 得 止情 態 等 ヨリ シテ 生 活 二苦 ム事 ﹂ があ っても ﹁協
力 飢 餓 ヲ 凌 ク ノ方 便 ヲ求 メ、 五 二恩 愛 ノ情 誼 ヲ尽 シ、 苦 楽 ヲ倶 ニス ル ハ当 然 ノ事 L であ って、食 料 の仕 送 り が途 絶 え
たと いう 一事 を 以 てし て は離 縁を 要 め る十 分 な 理由 とは な らな い、 と判 示 し て いる。 こ の判 決 は、 夫 妻 関 係 を 、 夫 婦
関 係 と 同様 に 終生 的 な 配 偶関 係 とし て捉 え 、道 徳 上 の相 互 の協 力 扶 助 義 務 を 課 し たも のと 言 って よ い。
(2 )
右 判 決 は 原審 判決 を破 棄 し て いる の だか ら、 原審 の熊 谷 裁 判所 前 橋 支 庁 は 、妾 側 から の離 縁 請求 を 認 容 し て いた は
ず であ る 。 幸 いな こ と に、 ︻
事 例 7 a︼熊 谷裁 判 所 前橋 支 庁 判 決 (
明 治 一 一年 六 月 二 四 日 (﹁離 縁 ヲ乞 フ ノ訴 訟 ﹂) を 、
前 橋 地 方 裁 判所 民事 判 決 原 本 中 か ら発 見 し え た ので、 そ の判旨 を控 訴 審 判 決 と対 比し て検 討 し て み た い。
裁
と
妾
掲
送 居 ル義 ナ レ ハ・ 即 今 二至 リ 離 別 ヲ乞 フ ハ了 解 致 シ 多
年 五 月 = 日 に妾 に貰受 け 入 籍 、別 戸 に住居 させ た。 妻 カ ノ が ピサ を罵 署 し た 事実 も な く 、﹁仕 着 セ食 料 等 モ無 不 足 仕
卜
副
の抗 弁 を
被告 (
夫 ) は ﹁ピサ ト姦 通 追 々深 ク馴 染 タ ル ヨリ ﹂ 明治 九 年 九月 に夫 婦 の契 約 を な し 、﹁後 日変 心 ナ キ ヲ保 セ シカ 為
醐
該 約 定 書 を 閲 す る に 、 該 書 は ﹁妻 タ ル ノ 契 約 ヲ ナ シ タ ル モ ノ ﹂ で あ り ﹁却 テ 両 妻 ヲ 有 ス ル ノ 証 ト 云 ヘク シ テ 、 離 別 ヲ
ク 旨 ﹂ を申 立 て 蜷
盤 。が離 別 を差 拒 む根 拠 と す る
し か し・ 熊 谷 裁 判 所前 橋 支 庁 は こ の被 告
な趣 旨 で退 け た・ そも そ も ピサ を妾 に貰 受 け る原 因 とな り ・ 台
に は 、 前 掲 の 東 京 上 等 裁 判 所 判 決 と は 対 照 的 に 、 仕 送 り の 途 絶 え た こ と を ﹁自 食 ナ ス能 ハサ ル ノ 妾 ハ 一時 タ リ ト モ 怠
以離 別 ヲ差 拒 ム ノ権 利無 之義 ト 可 相 心 得事 ﹂ と の理 由 で、 判 決 は 、 妾側 から の離 縁 請 求 を 認 め た の であ る。 こ の判 決
相 違 無 之 旨 自 ラ 申 述 ナ ス上 ハ、 自 食 ナ ス能 ハサ ル ノ 妾 ハ 一時 タ リ ト モ 怠 ル可 ラ サ ル ノ 義 務 テ 怠 り タ ル モ ノ ナ レ ハ、 労
不 可 欠 ル必 需 ノ 食 料 ヲ 既 二渇 水 ニテ 水 車 休 業 日 米 二差 間 タ ル ヨ リ シ テ 、 ピ サ ニ於 テ 他 借 ニ テ 弁 シ 居 タ ル義 ハ後 二承 リ
ハ為 ス ヲ 得 ヘカ ラ サ ル ノ 契 約 ナ レ ハ、 最 モ 無 効 ノ契 約 ナ リ ト ス 。 加 之 食 料 等 モ 無 不 足 仕 送 ル赴 二申 立 レ ト モ 、 一日 モ
差 拒 ム ノ 証 ト ナ ス ニタ ラ ス 。 仮 令 明 治 十 二 年 一月 二至 リ 妻 カ ノ ハ離 別 ヲ ナ ス 心 組 ナ リ ト モ 、 現 二妻 ア ル ノ 時 ニ ア ツ テ
次 の考
メ﹂、 ピサ の言う に任 せ て証 書 を 認 め 遣 し、 ピ サ が自 署 栂 印し た約定 書 を 取 置 いた。 そ の後、 ピサ妊 娠 の末 、 明治 一〇
治
明
2
叢
論
偉
法
28
ル可 ラ サ ルノ義 務 ヲ怠 りタ ルL も の、 換 言 す れ ば 、 夫妻 関 係 から 発生 す る妾 扶 養義 務 の不 履 行 と 解 し て 、 そ れ だけ で
十 分 に離 縁 事 由 た りう ると の考 え方 が示 さ れ て いる。 夫 妾 関 係 を 、夫 婦 関 係 と は区 別 し、 一つの扶 養契 約関 係 と し て
捉 え た判 決 と 考 え てよ いで あ ろう 。
妾 側 か ら 提 起 さ れ た離 縁 請 求 と し て、 これ ま で筆 者 が見 出 し え た の は、 右 に検討 し た事 例 ただ }件 に す ぎ な い。
B、妾 離 縁 にと もな う 手当 金
(
被 控 訴 人 、 妾 の兄)
(
日 不 明 ) の 東 京 控 訴 裁 判 所 判 滅 .(
・対 談 與 約 金 請 求 L) に よ れ ば ・ 離 縁 の 要 求 は 夫 側 か ら な さ れ た と 認 定 さ れ て
妾 離 縁 を め ぐ る 争 い と し て は 、 東 京 高 等 裁 判 所 民 事 判 決 中 に 、 も う 一件 の 事 例 が あ り 、 こ の ︻事 例 8 ︼ 明 治 一六 年
五月
(
控 訴 人 、 夫 ) 力被 告
﹁シ マ﹂ (
妾 ) ヲ 離 別 セ シ カ 、 成 ハ ﹁シ マ﹂ ヨ リ 之 レ ヲ 求 メ シ カ 否 L に あ る 。
い る が 、 直 接 の争 点 は 、 妾 離 縁 に と も な う 手 当 金 の 支 払 い の 可 否 、 ﹁原 告
ノ妹
判 決 は 言 う 。 原 告 方 を シ マ が 逃 走 し 離 別 を 求 め た こ と を 論 証 す る 番 外 乙 第 壱 二 号 証 は 訴 外 業 へ宛 て た 書 簡 の 写 で あ
﹁畢 尭 間 接 ノ 書 信 ﹂ にす ぎ ず 、 ま た 同 証 は 始 審 庁 で 提 供 さ れ て
﹁以 テ 離 別 ノ 如 何 ヲ 判 定 ス ル ノ 証 料 ト 為 ス ヲ 得 ﹂ な い。 し か し 、 被 告 の主 張 す る よ う に ﹁原 告 力 家 事 ノ 調 和 セ
り 、 右 文 中 に シ マ の 離 別 に 関 す る 記 載 は あ る と は いえ
お らず
サ ル ヨ リ ﹁シ マ﹂ 二待 ス ル苛 酷 ヲ 極 メ 、 遂 二事 二託 シ テ 媒 釣 人 小 俣 弥 兵 衛 へ引 渡 シ タ ル 事 実 ハ、 ﹁シ マ﹂ 及 ヒ 弥 兵 衛 ノ
ロ 供 符 Aロス ル ノ ミ ナ ラ ス、 小 林 常 兵 衛 ハ原 告 力 ﹁シ マ﹂ ヲ 殴 打 シ 弥 兵 衛 へ引 渡 シ タ ル事 ヲ 目 撃 セ シ 旨 始 審 庁 へ証 言 セ
リ 。 然 リ ト 難 其 証 言 モ亦 同 類 ノ 証 拠 ナ レ ハ、 恰 モ 原 告 ノ 証 ト ス ル手 書 ノ他 二翼 賛 ノ 証 ナ ケ レ ハ効 力 ヲ 生 セ サ ル カ 如 ク 、
到 底 単 行 独 立 ノ 証 林 タ L り え な い 。 そ こ で 、 ﹁両 造 ノ 交 情 如 何 ﹂ を 吟 味 し て み る と 、 ﹁抑 原 告 力 被 告 ト 私 通 セ シ バ 一朝
︼タ ノ 事 ニ ア ラ ス 、 荷 旦 ニ モ 十 余 年 来 外 妾 同 様 ニナ シ 置 キ 、 遂 二本 宅 へ迎 へ、 殆 ト 一年 間 モ 妾 ト シ テ 使 用 シ タ ル者 ナ
リ 。 亦 被 告 ヲ 妾 ト セ シ 以 来 家 内 風 波 絶 ヘ ス、 遂 二本 妻 ノ 家 出 セ シ 事 モ ア リ ト ハ原 告 ノ 明 言 ス ル所 ナ リ 。 而 其 風 波 ノ 為
メ 或 ハ前 途 期 シ カ タ シ ト 被 告 力 慮 リ シ モ ノ ニ ヤ 、 彼 ノ 甲 第 一号 証 中 ﹁貴 殿 妹 シ マ儀 拙 者 妾 二貰 受 候 処 、 往 々治 リ 方 之
御 心 配 有 之 由 二付 、 御 安 心 之 為 メ 前 書 之 金 円 同 人 方 へ手 当 金 二相 備 云 々﹂ ト ア リ L。 さ ら に ま た ﹁シ マ﹂ の身 上 よ り 推
察 す る と 、 ﹁若 シ 自 己 ヨ リ 離 別 ヲ 求 ム ル 時 ハ、 十 余 年 来 ノ 丹 精 一朝 水 泡 二帰 シ 、 而 モ契 約 二基 キ 得 ラ ル可 キ 手 当 モ得 ル
終 二本 妻 ハ家出 シ タ 隻
。ナ レ ハ・ 馨
ノ論 証 ス ル如 簾
告 ヨリ ﹁シ マ﹂ ヲ離 別 セ シ モ ノト 推測 スルご
能 ハ ス。 然 レ ハ自 己 ヨ リ 離 別 ヲ 欲 セ サ リ シ 事 推 知 ス ル 二足 ル可 ク ﹂。 原 告 の身 上 よ り 論 じ れ ば 、 ﹁示 来 枕 席 ノ 間 風 浪 穏
以 上 のよ う な 理 由 で 、 東 京 控 訴 裁 判 所 は 原 審 判 決 を 支 持 し 、 甲 第 一号 証 の 約 旨 に し た が っ て 、 妾 側 へ手 当 金 一〇 〇
カナ三
円 を 給与 す べき こと を 、 夫 に命 じ て いる のであ る。 な お、 判 決 中 には 、妾 の側 から 離 縁 を請 求 し た場 合 に は、 離 縁 給
ト
裕
足 レ リ L。 こ の よ う に 考 え て く る と ﹁弦 二到 テ 始 テ 引 合 人 等 ノ 証 言 真 実 ナ ル 事 ヲ 知 レ リ ﹂。
諮
も 報 告 さ れ て い苑
一般 的 に 存 在 し な か った 1 訴 訟 手 続 の 上 で認 め ら れ て い た か に つ い て も 不 明 で あ る一 と 考 え て よ い で あ ろ う 。
で き 、 妾 側 が こ れ に 抵 抗 し た 事 例 は あ った と し て も 、 お よ そ 妾 と し て の 地 位 を 裁 判 に 訴 え て ま で 守 ろ う と す る 意 思 は 、
の離 縁事 由 に つ いては 先例 も全 く 存 在 し な いこ と から み て、 夫 妾 関 係 は、 夫側 の意 思 に よ って自 由 に解 消す る こ と が
夫 側 か ら の 妾 離 縁 に 関 す る 訴 訟 と し て 確 認 し え た の は 右 の 事 例 の み で あ り 、 ま た 、妻 の 離 婚 事 由 の 場 合 と 異 な り 、 妾
の場 倉
付 を放 棄 す る結 果 と な る旨 の記 述 があ る が・ これ と 同様 の慣 例 は・ 妻 聾
治
明
醐
裁
と
妾
29
叢
論
律
法
30
C、 夫 死亡 後 の妾 除 籍
(6 V
︻事 例 9︼ 明治 一四 年 一月 二 一日 の高 知 裁 判所 判決 (
﹁除 籍 ノ訴 ﹂) は、 夫 が 死 去し て後 に、 妾 に 対 し て 、亡 夫 の家
督 相 続 人 か ら ﹁除 籍 ﹂ が 請求 さ れ た事 例 であ る。
原告 (
亡 夫 の家 督 相続 人 )陳 述 の要 領 は 、次 の通 り で あ る。① 明治 七 年 五月 = 日養 父清 吾 は病 死 し た が 、嗣 子 とな
す べき 男 子 がな いた め親 族 で協 議 中 、 被 告 久 米 (
養 父 の妾 ) は 、喪 中 (
清 吾 死 亡 後 わず か に七 人 目 ) で は あ る が ﹁暇
ヲ 得 テ 里方 へ立 帰 度 ト ﹂希 望 し た た め、 親 族 協議 を遂 げ て双 方 承諾 の上 、 久 米 は 里方 へ差 戻 った 。 そ の後 、 明治 七 年
七 月 一二 日 に、 当 戸 主 勝 美 が、 清 吾 血 統 の同 姓 の故 を も って養 子 とな り 家 督 相続 をな し た。 勝 美 と 清 吾 の女 子 が とも
に林 勝 好方 で養 育 中 、 被 告 久 米 は妾 勤 め中 の給金 を受 取 度 旨 を 請求 し た ため 、 明 治入 年 四 月 六 日 に 久 米 の実弟 な る国
久 直 次 へ金 員を 渡 し た。 給金 とし て渡 し た金 額 は 一〇 〇 両 であ り、 これ は清 吾 の女 子真 幸 が出 生 し た慶 応 二寅 年 から
明 治 八 年迄 都 合 一〇 ケ年 分 (一ケ年 }○ 両 ) に 当 た る。② と こ ろ が、 被 告 久 米 が原 告 方 の暇 を え 、 給金 等 も収 受 し て
か ら 殆 ど 七 ケ年 を 経 過 し な が ら、 明治 = 二年 五月 に至 って、 当 戸主 勝 美 の離 退 を高 知 区 裁 判 所 へ勧解 願 出 し取 調 を 受
け た 際 、原 告 は町 役 所 へ立 越 詮議 し て初 め て 戸籍 面 に妾 久 米 と 登録 し てあ る のを知 った、 そ の登 録 の手続 に つい て清
吾 が関 与 し て いた か否 か は 判然 とし な いが 、 原告 家 を 去 って既 に七 ケ年 の星 霜 を 経過 し 、 そ の間 毫 も 原告 方 の家 事 に
参 与 し た ことも な く 、 相 当 の給 金 等 も 渡 し 済 み であ る から 、被 告 から の戸 主 離 退 の請 求 に応 じ る 理 由 は な い。 被 告 も
勧 解 願 の本 義 に背 い て いる ことを 覚 知 し た のか 、結 局 は願 下 げ た。 以上 のよ う な 次第 であ る から 、③ ﹁被 告 ハ決 シテ
原 告方 ノ家 族 タ ル権 利 ハ毫 モ無 之 二付 、 速 カ ニ原 告 ノ籍 ヲ 除 キ其 実 弟 ナ ル国 久 直 次方 へ復 籍 セ ン コト ヲ請 求 ス﹂ と。
判
裁
衆
幡
こお
期
前
治
↓
31
ち な み に ﹁曇 キ ニ原 告 ヨ リ 妾 帰 宅 催 促
[被 告 久 米 ヲ シ テ 原 告 方 へ帰 ラ シ ム ル ヲ 云 フ ] ノ 勧 解 出 願 シ タ ル ハ⋮ 原 告 ノ
(
7)
戸 籍 中 二在 ル ヲ 覚 知 シ タ ル ヨ リ 、 兎 二角 一旦 久 米 ヲ シ テ 原 告 方 へ立 戻 ラ シ メ 然 ル上 除 籍 ノ 示 談 二及 ハ ント ノ 趣 意 二出
テ シ モ ノナ リ﹂ と主 張 し て いる。
(8 )
こ のよう な原 告側 の主 張 に対 し て、 被 告 は、① 清 吾 の死 亡後 、 里方 へ立 ち 戻 って は いな いこと 、② 弟 が受 領 し た 給
金 は、 妾 と な る以 前 の水 仕 奉 公中 の給 金 であ る こと、 ③ 戸籍 上 に妾 と記 載あ る以 上 、 被 告 が 原 告 の家 族 であ る こと は
(
9)
明瞭 だ と 陳 弁す る。
条
原 告 二於 テ、 被 止、ハ養 父 亡 清 五ロカ妾 タ リ シ 処、 明治 七 年 五 月 + 百 右 清 五口死 亡 致 シ、 其 後 盤 ・ノ垂
判 決 は 、 次 の よう に判 示 し て、 原 告 の請 求 を退 け た。
笙
久 米 ) ト記 載
二依 リ親 族 協 議 ヲ遂 ケ暇差 遣 ハシタ ル旨 申立 ルト 錐 ト モ、 其 証 悪 難 之。 若 シ果 テ 然 レ ハ、何 ソ 明治 十 三 年 六月 廿
一日妾 帰 宅 催 促 ノ勧 解出 願 ス ルノ理 ア ラ ンヤ [況 ンや第 壱 号 証 即 戸 籍 面 ニモ依 然 (
養 父 亡清 吾 妾
ア ルヲ 以 テ視 レ ハ⋮ ⋮ 以上 抹 消 ]。 因 テ右 原 告 ノ申 分 八相 立 ス。
久 米 ﹂ と記 載 さ れ て いる点 を 重 視 し 、既 に妾 の地 位 を 退 いた と いう 明 確 な 反証 が
他第
二離
二退
条 ノ証
原拠
告第
トナ
二号
ル証
ヘ書
キ文
ノ国
詞券
ナ百
ケ両
レハ
ハ、
、双
暇方
差ノ
遣陳ハ述
シ符
タ合
リセ
トス
ノト
証錐
拠トニモ八、
相到
立底
タ該ス証。書 ハ只 給金 ノ受 取 証書 ニシテ 、
判 決 は、 戸籍 に ﹁養 父 亡清 吾 妾
な い限 り、 夫 死 亡 後 も1先 掲 ︻
事 例 1 ︼ の場 合 と同 様 に一 、 自 己 の意 に 反し てそ の家 族 た る 地位 を 追 わ れ る こと はな
一致 す る 。
いと の判断 を 示 し て いる。 こう し た 判決 の基 本 姿勢 は、 夫家 の親族 か ら の ﹁追 い出 し ﹂ (
舅 去) か ら寡 婦 を 保 護 し て い
(10)
た こと と
叢
論
律
法
32
D、妾 離 縁後 にお け る子 の処 遇
(
12 V
(11 )
月に病
︻
事 例 10︼ 明治 二 三 年 五 月 二 八 日 の金 沢 始 審 裁 判所 判 決 (
﹁姪 連 戻 シ詞 訟﹂) は 、 妾離 縁後 に おけ る子 の帰属 に関 す
(
亡 夫 の 兄 ) の陳 述 に よ れ ば 、 原 告 誠 之 の 弟 の 信 は 生 前 陸 軍 省 士 官 を 奉 職 し て い た が 、 明 治 二 〇 年 =
る事 例 であ る。
原告
死 し た 。 被 告 照 は 信 の妾 で あ って 、 信 の 死 後 、 示 談 上 離 別 し た 者 で あ る 。 信 に は 、 操 と いう 名 の 本 年 五 歳 に な る 娘 が
﹁
檀 二連 帰 リ 、 其 後 屡 ハ督 促 ス ル モ 返 戻 セ ス ﹂。
お り ・ こ れ は 照 の 生 ん だ 子 に 相 違 な い が ・ 該 児 は 信 の 死 後 も ・原 告 方 二編 籍 シ テ 之 ヲ 養 育 シ 来 り タ リ L・ と こ ろ が ・ 明
治 二 二 年 一二 月 六 日 、 被 告 照 は 突 然 、 原 告 方 門 前 で 遊 ん で い る 該 子 を
こ れ は ﹁不 当 ノ 所 為 ニシ テ 、 之 ヲ 捨 置 ク ト キ ハ取 締 上 不 都 合 ナ ル ノ ミ ナ ラ ス、 人 二生 死 ア リ 、 一日 モ 忽 ニ ス ヘカ ラ サ
ル ヲ 以 テ 本 訴 二及 ヒ タ ル次 第 二付 、 速 二右 小 児 ヲ 差 戻 ス ヘキ 様 才 判 ヲ 請 フ ト ﹂ 言 う の で あ る 。
原 告 の 陳 述 を 受 け て 、 判 決 は 、 被 告 照 が ﹁亡 岩 井 信 力 妾 ニ シ テ 其 正 妻 ニ ア ラ サ ル事 明 瞭 ﹂ で あ り 、 ま た ﹁信 力 死 後 、
示 談 上 離 別 シ テ 生 家 へ復 帰 セ シ 事 実 モ 、 原 告 力 車 供 二依 テ 之 ヲ 推 知 シ 得 ヘ シ ﹂ と 述 べ 、 さ ら に ﹁今 日 二在 ツテ ハ、 被 告
照 ハ信 ト 全 ク 其 関 係 ヲ 断 シ 信 ノ 遺 族 ニア ラ ス。 又 タ 小 児 操 ハ其 生 出 ス ル 所 ナ ル モ 、 法 律 上 其 母 ト 云 フ ヲ 得 ス 。 已 二小
児 ノ 母 ニ ア ラ ス 信 ノ 遺 族 ニア ラ サ ル 以 上 ハ、 該 小 児 二対 シ 正 当 養 育 ス ヘキ モ ノ ト シ テ 小 児 ヲ 編 籍 ス ハ原 告 .
ニシテ 、 被
告 ハ之 二関 係 ス ヘキ モ ノ ニ非 ス﹂ と 断 じ 、 被 告 に 対 し て ﹁小 児 操 ヲ 抑 留 ス ル権 利 ナ シ 。 速 二原 告 請 求 ノ 如 ク 之 ヲ 原 告
へ差 戻 ス ヘ シ ﹂ と 命 じ て い る 。
亡 信 と 照 の 夫 妻 関 係 が 、 い つ成 立 し 、 は た し て 戸 籍 に 記 載 さ れ て い た か 否 か は 明 確 で は な い 。 前 述 し た よ う に 、 明
(戸 籍 記 載 ) が 、 明 治 一五 年 以 前 で あ れ ば 、 判 決 当 時 に お い て も 妾 記 載 は 依 然 と し て 有 効 で あ った ろ う 。 も っ と
治 一五 年 の 旧 刑 法 施 行 を 契 機 に 妾 は 配 偶 者 と し て の 法 律 上 の 地 位 を 失 い、 次 い で 戸 籍 記 載 も 消 滅 す る が 、 夫 妻 関 係 の
成立
も 、 判 決 中 の ﹁亡 岩 井 信 力 妾 ニシ テ 其 正 妻 ニア ラ サ ル事 明 瞭 ﹂ と いう 表 現 か ら は 、 照 は 信 の 戸 籍 に 入 籍 し て い な か っ
た と 推 測 さ れ る 。 事 実 上 の 夫 妾 関 係 の成 立 は 、 子 の 年 令 か ら 推 測 す る と 、 明 治 一七 年 頃 で あ ろ う か 。 妾 で は な く 、 事
実 上 の 妻 で あ っ た 可 能 性 も あ る が 、 照 が 公 判 を 欠 席 し た た め 、 事 実 関 係 の 詳 細 は 不 明 で あ る 。 ﹁妾 ﹂ と いう 称 号 は 、 前
称 呼 ナ シ ﹂ と 回 答 し て い る . し た が っ て 、 判 決 に お い て 、妾 ・ (
ま た 妾 に 対 す る .夫 ・) と い、
つ表 現 を 使 用 し え な か っ
山 県 か ら の質 疑
述 し た よ う に 、 明 治 一入 年 の 内 務 省 指 令 に よ っ て 既 に 法 律 上 非 公 認 と な っ て お り 、 さ ら に 、 明 治 二 〇 年 七 月 に は 、 岡
判
裁
(﹁妾 タ ル モ ノ 其 男 ヲ 指 シ テ 夫 ト 称 ス ヘキ や 否 ラ サ レ ハ其 称 呼 ナ キ 哉 ﹂) に 対 し て 、 内 務 省 は ﹁戸 籍 上
趾
と も あ れ 、 妾 照 の生 ん だ 女 子 は 、 お そ ら く は 庶 子 と し て 認 知 さ れ 、 夫 の 子 と し て 編 籍 さ れ た と 推 測 さ れ る 。 法 律 上
た 筈 で あ る が 、 明 治 二 〇 年 代 の 判 決 例 に ﹁妾 ﹂ と いう 表 現 が 使 用 さ れ て い る の で あ る 。
防
保 護 の 対 象 外 で あ る 妾 、 し か も 事 実 上 離 縁 と な って 実 家 に 復 帰 し た 妾 が 、 夫 家 の 家 族 た り え ず 、 ま た 夫 の認 知 と 引 取
拓
期
前
治
明治 一一年 第 二 〇五 号 ﹁離 縁 ヲ乞 フノ訴 訟﹂ (
前橋 地 方裁 判 所 民事 判 決 原本 )。な お 、原 告 (
妾 の 父親) 側 の代 言 人 はま だ 選
任 され て いな い (
同人 姪 が 代 人)。裁 判 官 は 、所 長代 理 判 事 補 の納 富 利邦 、 主 任 は十 六等 出 仕 の松 崎 朝 益 、副 が 十 六等 出 仕 の
王 野又 次 郎 (
明治 一〇 年 代言 免 許 [
東 京 ])。主 任 判 事 は 、犬 塚 重 遠。 原 審 は 、 熊谷 裁 判 所前 橋 支 庁 であ る。
原被 告 (
とも に平 民) は、 群馬 県 上 野国 那 波郡 に在住 。被 告 側代 言 人 は、東 京 府 日本 橋 区 田所 町 四番 地 寄 留島 根 県平 民 の伊
明治 一 一年第 八 八 二 号 ﹁
離 縁 ヲ乞 フ ノ件 ﹂ (
東 京 高 等 裁 判所 民 事 判決 原 本 )。
﹂ す る権 利 な し と 判 示し て いる の であ る。
り
判に
決よ
もま
って
た子
、 照(
私
は 生﹁子
法)
律に
上対
其す
母る
ト親
云権
フを
ヲも
得失
スっ
﹂、
たも
とは
解や
す子
るの
の身
は柄
、を
当 時﹁抑
に留
お け る 妾 法 制 の解 釈 上 や む を 得 な い で あ ろ う 。
(2)
(1)
注
↓
3
3
3
原告 (
妾 の 父親 )・被 告 (
夫 )・引合 人 (
妾 ) の陳 述 内 容 は、 控 訴 審 判決 から 知 ら れ るよ り 詳 細 であ る 。
内 藤 正 脩 であ る。
﹁
原 告 訴 フ ル趣 ハ、 同郡 川 井村 平 民 副 戸長 斉 藤鷲 五 朗 妾 ピ サ義 ハ、訴 訟 本 人 天川 玄 隆長 女 ニテ、 同 人 手元 二差 置 タ ル処 、 被告
区 裁 判所 へ勧 解 出願 及 ヒタ テ ト モ 終 二不 調 二相 成 、 無 是非 出 訴 及 ヒタ ル義 故 、 仮 令 向後 ノ手 当無 不 足 仕 送 ルト ノ 約定 ヲ 立 ル
(
3)
二妾 二貰 受度 旨 掛 合 ヲ受 、 然 ル処 、 玄 隆並 同 人妻 モ追 々老 年 二及、 外 二侍養 ノ者 モ無 之 二付、 募 以 断 二及 タ レト モ別 戸 為 致
斉藤 鷲 五朗 ト 姦 通 ノ末 妊 娠致 タ ルヨリ 、 明治 十年 五月 二王 リ 、右始 末 玄 隆耳 二触 タ ル ニ付、斉 藤 鷲 五朗 ヨリ 媒 対 人 ヲ頼 ミ 、更
置 二付 強 テ 申受 度 旨 依 頼 有 之、 此 上 難 及断 情 実 モ有 之 上妊 娠 中 ノ義 奔 不 得 止 ヲ 呉遣 シ、 則 別 戸 二引 移 リ 衣 類食 料 其 余 美 都 テ
不 都Aロ
ナ ク齋 藤 鷲五 朗 ヨリ 可 仕 賄筈 ノ処 、 其 後 二至 リ追 々仕 送 リ不 足 ニテ 醐 口難 相 立 、其 趣 ヲ以 ピサ ヨリ齋 藤 鷲 五 朗 へ毎 々
依 頼ナ セ共 同 様 ノ義 ニテ、 ピサ 一身 ノ義 ナ レ ハ又 自 食 ノ道 モ可 有 之 ナ レト モ、 既 二乳 児 モ有 之上 八達 モ自 食 ヲ ナ ス ノ手 段 無
之 、殊 二明治 十 一年 四月 十 五 日 已来 ハ更 二仕送 無 之 、 加 之 入籍 以 来本 妻 ノ妬 心 ニテ 連 モ親 睦 ノ 見 込 モ無 之 、 分 娩 後 ハ 一層 妬
論
ト モ、前 顕 ノ次 第故 、 是 非 離 別 受度 旨 申 立 タ リ。
被 告答 ル趣 ハ、 去 ル明治 九 年 九月 不 斗 心 得 違 ニ ョリ同 村 天 川玄 隆 長 女 ピサ ト 姦 通 及 ヒ、 追 々深 ク馴 染 タ ヨリ 互 二夫婦 ノ約
齢
律
ヲ成 シ 、 妻 カ ノ義 ハ平素 老 母 ト 不和 合 ニモ有 之 二付 、 明 治 十 二年 一月 二至 リ離 別 及 フ心組 ニテ 、 明治 九 年 十 二 月 文意 ハピサ
申 二任 セ自分 認 メ遣 シ タ ル証 書 ヲ 、後 日変 心 ナ キ ヲ証 ス ル為 メ自 分 方 へ取 置 キ 、 其 後 妊娠 、 明 治 十年 五 月 十 一日 同村 小内 平
ル処 、却 テ ピサ へ対 シ不 当 ノ取 扱 ヒ モ有 之 程 ノ義 二付 、 是非 離 別 ヲ 受帰 家 、 老 父 母 ノ看 護 モ致度 旨 取 縄 リ 相歎 ク ニ付 、 前 橋
心 甚敷 毎 々罵 署 ヲ受 如 何 ト モ難 忍、 劣 以 永続 ノ見 込 無 之 二付 離 別 受度 旨 ピサ 申 ス ニ付 、 被 告鷲 五朗 へ余 人 ヲ 以 テ 掛A口
及 ヒタ
法
吉 ナ ル者 ヲ媒 灼 二相 頼 ミ妾 二貰 受 入籍 致 シ、 後 日 ノ不 和 合 ヲ 恐 レ別 居 之義 ピサ 申 二任 セ、 村 内 二借家 為 致 、 仕 着 食 料 二至 ル
迄 無 不 足 仕送 リ置 ク 処 、 明治 十 一年 四月 中 渇 水 ニテ 水車 休 業 故、 白 米 二差 問 タ ル ヨリ シ テ其 節 ピサ 自身 家 主 方 ニテ 白 米 五升
ル杯 勧 解 出願 ノ瑚 モ原 告井 ピサ ヨリ 申 立 タ レト モ、 実 々跡 方 モ ナキ 申 述 ニテ了 解 致 シ難 ク ナ レ共 、 右苦 情 ハ措 キ 自 後 一層 相
五合 借 受 タ ル義 ハ後 二承 リ相 違 無 之 、 然 ル ニ右 ヲ 原 因ト ナ シ、殊 二妻 カ ノ 妬心 ヲ懐 キ 罵 署 致、 且 自 分 ヨリ モ無 調 打擁 及 ヒ タ
改食 料 ハ勿論 仕 差 等 遭 難不 足致 ス可 ク旨 申 聞 タ レト モ承 諾 不 致 終 二不 調 二相成 ル ノ末 、 今般 ノ出 訴 二及 ハレタ レト モ、前 顕
ノ次 第 殊 二七 ケ月 ノ男 子 モ有 之 義 二付、 自 分 於 テ ハ離 別 致 シ カ タキ 旨 申 立 タリ 。
引 合 人 ピサ申 立 ル趣 ハ、 去 ル明 治 九 年九 月 不 斗 心 得違 ヨリ 被 告斉 藤 鷲 五 朗 ト度 々姦 通 致 シ居 りタ ル処 、 明治 九 年 十 二 月 二
至 リ鷲 五 朗 ヨリ他 日変 心無 キ ヲ証 ス ルノ約 定 書 ヲ 差 出 ス様 申 聞 タ レト モ、 素 ヨリ変 心 可 致 訳 モ無 之 義 二付証 書 ハ及 フ間 敷旨
申 タ ル処 、却 テ 疑心 ヲ懐 キ 強 テ申 ス ニ付 、 左様 ノ義 ナ レ ハ如 何様 ニチ モ宜 自 分 二相 分 ル様 仮 名文 字 ニテ認 メ呉 ル様 答 タ ル処 、
判
裁
趾
(4)
今 般被 告 ヨリ 為証 拠 差 出 タ ル証 書 ヲ認 名前 自 署 栂 印 可致 様 申 ス ニ付 、 何 分 文 字相 分 リ 難 ク如 何 認 メタ ル義 歎 自 分 於 テ ハ何 モ
弁 へ不 申 、 鷲 五 朗 ヨリ 何 モ不都 合 八難 之 二付 揚 印 可 致様 申 ス ニ付、 其 意 二任 セ名 前 相 認 メ 栂印 ノ上 相 渡、 其 後 妊 娠 終 二翌 明
治 十年 五 月 二至 リ前 頭 ノ始 末 父 母 ヘモ相聞 へ、 鷲 五朗 義 ハ副 戸 長 モ相 勤 居 ル義 故 難 止 情 実 モ有 之 二付、 穏 二已 後 断 念 ノ義 ヲ
父 玄隆 ヨリ 一応 ハ申 タ レト モ、 其 後 媒 灼 ヲ立 是 非 貰受 度 旨 申 込 ミ ニ相 成 、 何分 遮 テ ノ依 頼其 上 妊 娠 致居 ル義 故 、 不 得止 ヲ承
諾 致 シ自 分 ヘモ申 聞 、 然 ル処 父 母共 追 々老 年 外 二侍 養 ノ者 モ無 之、 労 以鷲 五朗 方 へ入 籍 致 ラ バ自 分 於 テ モ不 本 意 ナ レ共、 老
父 母 ノ義 モ安 心 致 ス様 ニナ シ不 自 由 ハ致 サ セ間 敷 旨 二付 、 明 治 十年 五 月 十 一日鷲 五 朗 方 へ入籍 別 戸 罷在 ル処 、 本 妻 カ ノ妬 心
甚 敷且 又 先 約 二連 ヒ仕 送 リ モ不 足致 シ糊 口 モ難 立 ナ レト モ、 妊 娠中 ノ義 二付 諸 事 差 控 へ居 ル処 、 明 治十 年 十 二 月 男 子出 生 就
テ ハ本 妻 カノ 妬 心 一層 甚 敷毎 々罵 署 致 サ レ実 々難 忍、 其 上 明 治 十 一年 四 月 十 五 日以 来 ハ更 二食 料 仕 送 モ無 之 、 何 方 ニモ乳 呑
子 モ有 之 義 敬 白食 ノ手 段 モ無 之、 時 々他 借 ニテ 仕 賄居 ル次 第 、労 以 連 モ永続 ノ見 据 モ無 之 二付 離 別 ヲ乞 ト 錐 ト モ、 鷲 五朗 於
明治 + 六 年第 六 百+ 二 号 .
対 談 與 約金 請 求 ・ (
東京山
。
同等 裁 判所 民 事 判 決原 本 ).
テ 却 テ不 当 ノ 取 扱 モ有 之 、無 是 非 父 玄 隆 ヨリ 出 訴 及 ヒタ ル次第 二付 、 是非 離 別 ヲ 受帰 家 老 父 母 ノ看 護 モ致 シ度 旨 申 立 タ リ。﹂
原被 告 (とも に平 民 )は 、山 梨県 甲 斐国 北 都 留郡 に在住 。 裁判 官 は、主 任 判 事 の永 井 岩 之丞 、副 任 判事 の富 永冬 樹 と 小野 述
信 であ る。 原 審 は、 山 梨 始審 裁 判 所 。
拙著 .前 掲 .明治 籍
る
ナ
捌
(・)
裁 判史 論 ・ 二 ・九 頁 な ど、 参 照 .
轍
盤 ・側 代言 人 は、 土佐 郡 八 軒 町士 族 の武 内 栄 久 (明治
明治 = 二年第 四 七 一六 号 ﹁
除 籍 ノ 訴﹂ (
高 知 地方 裁 判 所 民事 判 決 原本 )。
拙著 ・前 掲 ﹃明治 離 婚 裁 判史 論 ﹄ 五 三 ∼五 四 頁 ・九 三 頁 、参 照。
明治 二三 年 第 二九 号 ﹁姪連 戻 シ詞 訟﹂ (
金 沢 地 方裁 判 所 民 事判 決 原 本)。
編 製 二係 ル モノ ナ レ ハ、 原告 二於 テ 承 知 セサ ルノ道 理 ナ ク 又 之 二妾 ト 記載 ア ル上 ハ被 告 ハ原 告 ノ家 族 タ ル コト愈 明瞭 ナ リ。﹂
第 三条 ﹁原 告 二於 テ ハ、 戸籍 上 二妾 ト記 載 ア ルヲ 明治 十 三 年 五月 中 始 メ テ 承知 セ シ旨 申 立 ルト 錐 ト モ該 戸 籍 ハ明 治十 年 ノ
第 二条 ﹁原 告方 ヨリ給 金 ト シ テ国 券 百両 、実弟 直 次 力受 領 シ タ ル ハ、被 告 力未 タ妾 トナ ラサ ル以 前 水 仕奉 公中 ノ給 金 ナ リ。﹂
区 裁判 所 へ妾 帰 宅催 促 ノ勧解 ヲ出 願 セシ点 二依 テ視 ル モ、被 告 力暇 ヲ 得 テ立 帰 ラ サ リ シ コト ハ愈 明 カナ り。﹂
責 任 ア ル モノ ナ レ ハ、 何 ソ原 告開 陳 ス ル如 ク暇 ヲ得 テ 里方 へ立 帰 ル ノ道 理 ア ラ ンヤ。 即 チ 原告 力明 治十 三 年 六 月 廿 一日高 知
第 一条 ﹁被 告 ハ原告 ノ養 父 亡清 吾 力 妾 ニシテ 、 清吾 死亡 シタ レ ハ其 亡魂 ヲ 吊慰 シ且 ツ遺 家 ヲ シテ 永 ク陸 続 セ シメ ント ス ル
︼○年 代 言 免 許 [
高 知 ])。裁 判 官 は 、 判事 の津 村 一郎 と 、 判事 補 の西 内夘 三 郎 で あ る。
原告 (
士族 )・被告 (
平 民 ) は、高 知 県 土佐 国 土 佐 郡高 知 街 ・荏
(6)
(10)
(
11)
(9)
(8)
(7)
前
囎
35
3
(
12)
(
13)
原告 (
士 族 ) は富 山 県 礪 波 郡、 被 告 (
平民 ) は石 川県 金 沢 市 に在 住 。 裁 判官 は、 判 事 の林 勝 造 であ る。
第 一巻
婚姻 編 1﹄ 二 三 六頁 。
・効 果 ・解 消 を め ぐ る 紛 争
な お、 この判 決 は、被 告 (
照) に訴 状 が送 達 さ れ 、告 知 書 が 発 つせ ら れ たにも か かわ らず 、被 告 は答 弁 書 を 提出 せず 、 か つ
むす び
堀 内飾 編 ・前 掲 ﹃明治 前 期身 分法 大 全
期 日 に出 頭 し な か った た め、被 告 欠 席 のま ま審 理 が 行 われ 、 判 決 が下 さ れ た。
四
本 稿 では、 筆 者 が、 これ ま で収 集 す る こと ので き た妾 関 係 判 決例 から 、 夫 妻関 係 の成 立
事 例 を 紹介 し、 そ の内 容 を 検 討 し て み た。 今 回 検 討 し た判 決 例 は、 地域 的 には関 東 地方 に偏 り 、 数 量 的 に は僅 か 一 一
叢
論
件 、 し か も 、 控 訴 審 判 決 七 件 のう ち で 、 原 審 判 決 を 確 認 し え た の は 一件 に す ぎ な い (﹁妾 関 係 判 決 一覧 ﹂ 参 照 )。 し か
啓
.・れ ま で ま ったく 検 討 の対 象 と され た .・・ が な か っ葦
の立
愚昧 で
本 稿 が、 近 代 日本 にお け る 妾 法制 の研 究
し 、 ﹁は じ め に ﹂ で も 述 べ た よ う に 、 妾 関 係 判 決 例 に つ い て は 、 民 事 判 決 原 本 を 閲 覧 す る 困 難 性 に 加 え 、 そ の 稀 少 性 の
律
融
︻事 例 1︼ は、戸 籍 に妾 とし て記載 され て いな い事 実 上 の妾 を 、法律 上 の妾 と 見倣 し、夫 の
に、 さ さ や か な が らも 寄 与 でき れ ば幸 いであ る。
(一)夫 妾 関 係 の成 立
家 の苗 字 を 使 用す る権 利 を 認 め た事 例 であ る。 未 送籍 の事 実 上 の妻 を めぐ る訴 訟 が 、 大審 院 から 下 級 審 ま で広 く分 布
し散 見 さ れ る こと は 既 に別 稿 で触 れ た が、 それ と対 照 的 に、妾 に つ いて は該 判 決例 の ほ か に は 一件 も 見 出 し えな か っ
た。 し かも 、 こ の事例 は、 後掲 ︻
事 例 9 ︼ と同様 に、夫 死 去 後 の夫 家 か ら の ﹁追 出 し ﹂離 縁 か ら、妾 を保 護 し た も ので
あ って、 夫 存生 中 に争 わ れ た 事例 で はな い。 し た が って、 一般 的 に事実 婚 主 義 が夫 妾 関係 にま で及 ん で いた か 否 か と
明 治 前期 に おけ る妾 と裁判 一
37一
妾 関係判 決 一 覧(判 決 年 月 日順)
東京裁判所
①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
4
10・152
10・7.18
預 金 取戻 ノー 件
東京上等裁判所
7a
11・205
11・6・24
離 縁 ヲ乞 フ ノ訴 訟
熊谷裁判所前橋支庁
7b
11,882
12・7・31
離 縁 ヲ乞 フ ノ件
東京上等裁判所
熊谷裁判所前橋支庁
2
12,399
12・9・26
妾 解 約一 件
東京上等裁判所
静岡裁判所浜松支庁
1
13・1370
13・12・27
戸籍妨害取除ケ之訴
大坂上等裁判所
大坂裁判所堺支庁
9
13・4716
14・1・21
除 籍 ノ訴
高知裁判所
3
14,922
14・12
妾引取 ノ詞訟
静岡裁判所 甲府支庁
5
15.88
15.5・27
雇妾給料請求
東京控 訴裁判所
横浜裁判所
6
16,199
16・3・31
地 所 井 二家 具 譲 与
東京控 訴裁判所
土浦始審裁判所
⑭
⑪
8
16・612
is5
対談與約金請求
東京控 訴裁判所
山梨始審裁判所
10
23・29
23・5・28
姪連戻シ詞訟
金沢始審裁判所
約 定履 行 ノー件
初審庁
裁判所
訴訟事件名称
判
年決
月日
事件
番
号
事例
番
号
いう 問題 につ いて、 ︻
事 例 1︼だけ から 即 断す る こと は でき
な い。 今後 、 事 実 上 の妾 の処遇 が争 わ れ た 判 決例 が発 掘 さ
︻
事 例 2︼ ∼ ︻事例 6︼ は、 妾 契
れ る に し ても 、 数 的 に多 く は望 めそ う にな いが、 後 考 に委
ね た い。
(二) 夫妻 関 係 の効 果
約 の履 行を めぐ って の争 いであ る。 妾 側 か ら 、妾 抱 入 れ に
際 し て 支 度 金 の支 払 が 請 求 さ れ た ︻
事 例 3 ・4︼、 妾 中 の
給 料 の支 払 が争 わ れ た ︻事例 5︼、 そ の他 の財 産 譲 与 に関
する ︻
事 例 6︼ であ る 。 立証 の不 備 を 理 由 に請 求 が退 け ら
れた ︻
事 例 6︼ のほ か は、 いず れも 、 夫 方 の契 約 履 行 義 務
が 確 認 さ れ、 妾 側 か ら の請 求 が認 め ら れ て いる。 ︻事 例 2 ︼
では 、 妾側 から の、 相 続 人確 保 を 目 的 と し た妾 契 約 の取 消
(
解 除 )請 求 が棄 却 さ れ て いる が、妾 契 約時 の文 言 の解 釈 が
争 点 と な って い る にす ぎず ( 妾 本 人 の意 思 (夫妾 関 係 継 続
の意思 ) や、 妾 の実 家 の相 続 人確 保 と いう 理由 自 体 の不 当
︻
事 例 7︼ は、 控訴 審 判 決 b と初
性 が 判 決 理由 と さ れ た わけ で はな い。
(三) 夫妾 関 係 の解 消
審 判 決 aの両 方 を 確 認 し え た唯 一の事 例 であ る。 初 審 の熊
38
谷裁 判 所 前 橋 支庁 は、 妾 への食 料 支 給 の中 断 は ﹁自 食 ナ ス能 ハサ ル ノ妾 ハ 一時 タリ ト モ怠 ル可 ラ サ ルノ義 務 ヲ怠 り タ
ル﹂ も のであ り、 か か る妾 扶 養 義 務 の不 履 行 は十 分 に離 縁 事 由 た りう る と判 示し た が、 控 訴 審 の東 京 上 等 裁 判 所 は、
一時 的 に夫 か ら妾 への食 料 の仕 送 り が途 絶 え た と し ても 、 ﹁互 二恩 愛 ノ情 誼 ヲ尽 シ、苦 楽 ヲ倶 ニス ル ハ当 然 ノ事﹂ であ
る と述 べ て、 表 側 か ら の離 縁 請 求 を 退 け た。 初 審 が 、 夫 妻関 係 の扶養 契約 とし て の側 面 を 重視 し た の に対 し 、 控 訴 審
は、 夫 妻 関 係 に、 夫婦 関 係 と同 様 な 終 生的 な 配 偶 関 係 を 認 め、 道 徳 上 の相 互 協 力 義 務 を 強 調す る の であ る。 ︻
事 例 8︼
記 あ り ) を保 護 し た事例 であ る・ こ の 事 例 8 ・9 ︼ は・① 難
給付 契 約 の有 効 性 の確 認 と② 曇
の基 本 的 否
で は、 妾 離 縁 の際 の手 当 金 の請 求 が容 認 さ れ て お り、 ︻
事 例 9︼ は 、 夫 死 亡 後 の親族 か ら の ﹁追 出 し﹂ 離 縁 か ら 、 妾
(
戸婁
定 と いう 点 で、 夫婦 関 係 の解 消 を め ぐ る 判 決例 の動 向 と の共通 性 が見 ら れ る。 最 後 の ︻
事 例 10︼ は、 妾 が法 律上 否定
され た (旧刑 法 施 行 )後 に成 立し た ﹁妾﹂ に関す る判 決 例 であ る。 ﹁妾 ﹂ と いう 名 称 そ のも のも 既 に 消滅 し た はず であ
一
議
論
る にも か かわ らず 、 判 決 文 中 に ﹁妾﹂ の文 言 が使 用 さ れ て いる。 こ こ で の争 点 は、 示 談 によ って離 縁 さ れ た 妾 (事 実
夫 妾 関 係 を め ぐ る判 決 例 が、 夫 婦関 係 のそ れ に比 べて著 し く 僅 少 で あ る こ と は、 新 律 綱 領 に よ って妻 と 並 ん で 法律
ら、 子 の身 柄 を .抑留 ・ す る権 利 な し と断 じ て いる .
上 の ?) が夫 家 に残 し た子 に対 し て何 ら か の権 利 を有 す る の か にあ った が、 判 決 は ﹁法律 上其 母ト 云 フ ヲ得 ﹂ な いか
律
法
[
上 は配 偶 者 と し て位 置 づけ ら れ た に も か かわ ら ず 、 配偶 者 とし て の妾 の権 利 保 護 が 、 妻 の場合 と比 較 し て著 し く希 薄
であ った こと を裏 付 け て く れ る。妾 の地 位 が 裁判 所 によ って保護 され て いた こと が 明確 な のは、夫 が死 去し た後 に 、夫
家 の親 族 か ら ﹁追 出 し ﹂ 離 縁 の請 求 があ った場 合 に 限 ら れ るよ う であ る。 蓄 妾 の風 潮 が 蔓 延し て いた こと か ら 、 かな
り の紛争 が発 生 し て いた と予 想 さ れ る が、 そ の ほと ん ど全 て の場合 、 妾 問題 は、法 律 上 の問 題 と は認 識 さ れ て おら ず 、
当事者 (
仲 介 人 ) の間 で適 宜 処 理 さ れ て いた と 考 え ざ るを えな い。 本 稿 で紹 介 し た = 件 の判 決 例 は 、 そ の意 味 で、
卜
裁
趾
幡
捌
に
期
前
治
明
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極 め て特 異 な事 例 であ ろ う し 、 ま た こ こ から 妾 に関 す る 一般 的 な判 例 法 理 を 引 き 出す こ とも 困 難 であ る が、 婚 姻 の成
立 ・効 果 ・解 消 が争 わ れ た 事 例 と の比 較 を 通 じ て、 少な く と も嬰 妾 の法 的 性 格 や 妾 の権 利 保 護 が如 何 に希 薄 であ った
かを 検 証 す る こと は でき た と 思う 。
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追 記 ︺判 決 例 の収 集 は 、か つて民 事判 決 原 本 が裁 判 所 に保 管 さ れ て いた時期 に行 った調 査 (
東 京 ・大 阪高 裁 、高
知 ・金 沢 地 裁 ) を基 礎 とし て いる が、 今 回 の補 充調 査 にあ た って は、 東 京 大 学 法 学部 の青 山善 充 教 授 な ら び に和
仁陽 助 教 授 か ら格 別 のご 配慮 を いた だ き、 ま た実 際 の作業 で は、宮 平 真 弥 氏 (
都 立 大院 ) の助力 を 得 た。 各 位 に、
厚 く御 礼 申 し 上 げ た い。
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