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陸軍のアメリカ 「研究」 (その 一 )

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陸軍のアメリカ 「研究」 (その 一 )
東京大学日本史学研究室紀 要 第 二号
陸 軍 の ア メリ カ
加
藤
陽
子
も 普 遍 に近 づ く 一つ の方 法 と し て、例 え ば 、あ る事 項 を 成 立 させ る方
﹁研 究 ﹂ (そ の 一)
が だ ん だ ん 出 揃 って ゆく 過 程 と し て描 かれ る こと の多 い 一九 三 〇年 代
の外 交 と 内 政 を 、 そう で は な い過 程 と し て書 いて みた いと 思 って いた 。
五 年 ほど 前 にな る が 、 日米 開 戦 に先 立 つ 一〇年 あ ま り の時 期 を 対 象
(
←
と し て、 日本 の外 交 と 内 政 に つ い て論 じ た こ と があ る。 外 交 と いう 側
向 に は た らく 要 因 に注 目 し て書 いた ら 、今 度 は逆 に 、崩 壊 さ せ る方 向
は じ め に
考 え て みれ ば 、 一回 し か起 こ ら な い歴 史 上 の出 来 事 に つ いて普 遍 性 を
面 では 、 互 恵 通 商 協 定 や中 立 法 な ど 、 一九 三 〇年 代 の ア メ リ カ に特 有
に は た らく 要 因 に注 目 し て、 ま った く 別 の物 語 を書 く 必 要 も あ ろう と
も って語 る のは 、想 像 以 上 に難 し いこ と な のであ る。 な ら ば 、 一歩 で
であ った法 を め ぐ る日 本 側 の対 応 や 実 際 の外交 交 渉 を描 き 、内 政面 で
考 え て いた。
い のほ か効 果 的 に 日本 を 縛 って いた の では な いか 、 ま た 、合 議 的 分権
向 し た 互恵 通 商 や中 立 と いう 一見 す ると こ ろ緩 や か な概 念 装 置 が 、 思
中 のた め の制 度 改 革 の試 み に つ いて書 いた 。 そ の結 果 、 ア メ リ カ の指
つ いて 明 ら か に し な いの は、 二階 に上 げ て梯 子 を は ず さ れ た よう な気
が対 米 開戦 への最 も 熱 心 な 推 進 役 と な って ゆく のは な ぜ か 、 こ の点 に
う なも のだ った のか 、 ま た ロ シ ア (ソ連 ) を 仮 想敵 国 と し てき た陸 軍
と こ ろ が、 少 な か ら ぬ 方 か ら 、 当該 期 の陸 軍 の ア メリ カ観 がど の よ
(2 )
は、 参 議 制 や大 本 営 を 利 用 し た 、 陸 軍 中 堅 層 によ る さま ざ ま な権 力 集
的 な 軍部 の体 質 の克 服 を めざ した 陸 軍 中 堅 層 の改 革 の挫 折 は 、 陸 軍 に
分 で あ る と の感 想 を いただ いた。 も っと も な 疑 問 であ る 。
も 忠 実 であ ろ う と す れば 、 ど の よう な アプ ロー チ が可 能 であ ろう か 。
こ の難 問 に答 え 、 か つ先 ほど 述 べ た普 遍 性 を 獲 得 す るた め の方 法 に
よ る 政治 革 新 のテ ンポ の低 下す ら招 いて いた の では な いか 、 と い った
見通 し を得 る こ と が でき た。
そ の論文 を 一冊 の本 にま と め る際 、筆 者 は、 通 常 、 開 戦 への諸 条 件
1
二 〇 年 代 に始 ま る萌 芽 的 な 日米 対 立 の構 図 を概 観 し て おく こと には 意
二 〇年 代 にお け る、 日 本 陸 軍 の ア メリ カ ﹁
研 究 ﹂ の実 態 を 見 な が ら 、
そ の 一つ の試 み と し て、大 正末 か ら 昭和 初 年 にか け て、 す な わ ち 一九
れ を 本 稿 では 考 え てみ た い。
ワ シ ント ン体 制 期 の陸 軍 は 、 ア メ リ カ の何 を見 て いた のだ ろう か 。 そ
と って の日 本 に つい ても 、同 様 の こと が いえ る だ ろう 。ヴ ェルサ イ ユ ・
国 と し て位 置 づ け ら れ始 め た こ と は確 か な こと であ った 。 ア メリ カ に
筆 者 は 、 ワ シ ント ン体 制 の限 界 や幣 原外 交 の脆弱 性 を 指 摘 す るた め
味 が あ ると 思 わ れ る 。 そ の理由 を 述 べる前 に 、ま ず 一九 二 〇年 代 の 日
(3 )
米 関 係 に つい て主 要 な 研 究 の蓄 積 を 一瞥 し ておき た い。
れば 、移 民 制 限 法 で 一時 的 に せ よ劇 的 に高 ま った 日 米 双 方 の感 情 的 対
獲 得 問 題 や戦 略 プ ラ ンを 考 察 の対 象 に した 論稿 であ る 。 二 つを ま と め
り 、 いま 一つは、 ワ シ ン ト ン会 議 後 の 日米 双方 の海 軍 に お け る 、予 算
時 的 に芽 生 え た ウ ォ ー ス ケ アを 何 ら か のか た ち で問 題 と し た論 稿 であ
て いる兵 器 の性 能 差 か らく る、 国 防 面 で の力 量 の差 は 、 二 国 の力 関係
は良 好 であ っても 、 陸 海 軍 を 総 合 し た 軍 事 力 の差 や 、 そ の開発 保 有 し
とも 明 ら か に した いが た め であ る 。 さ ら に、 あ る 二 国 の関係 が現 状 で
す な わち 国 家 の安 全 保 障 の概 念 と 、 外交 政 策 形 成 と の関連 性 を 、 多 少
が先 駆 的 に そ の重 要 性 を 指 摘 し た 、 戦前 期 の日 本 に と って の国 防 概 念 、
(7 )
に こ の論 稿 を 書 こう と し て いる の では な い。 ジ ェー ムズ ・ク ラ ウ リ i
立 が 、海 軍 軍縮 や ﹁大 正 デ モ ク ラ シ ー﹂ の風 潮 によ って沈 静化 し 、 そ
を否 応 無 し に根 本 のと こ ろ で規 定 す る の では な いだ ろう か 。次 に引 く
一つは 、 いわ ゆ る排 日移 民 法 問 題 を そ の契 機 と し て、 日米 双 方 に 一
れ は 、陸 軍 に お い てす ら 、 軍隊 内 務 書 の改 定 に見 ら れ るよ う な 、 デ モ
のは 、 一九 二 三 (
大 正一二 ) 年 の ﹁宇 垣 一成 日 記 ﹂ であ る 。 政党 内 閣
高 明 、 若 槻 礼次 郎 、浜 口雄 幸 の各 内 閣 で陸 相 ) に お いてす ら 、 ﹁国 防 ﹂
(5 )
(4 )
ク ラシ ー 状 況 に 対応 し た施 策 を と らざ るを え な く な る ほど のも のだ っ
に最 も 理 解 のあ った陸 相 と いわ れ る よう にな る宇 垣 (
清 浦 奎 吾 、 加藤
さ ら に、 満 鉄 や東 拓 の事 業 拡 大 を支 え る資 金 を ア メ リ カか ら 調 達 す
と いう 用 語 か ら喚 起 さ れ るも のは 、次 のよう な も の であ った こと に注
(8 )
た 、 と いう 説 明 にな る 。
る た め 、 日 本 側 が 意 識 的 に 対 米接 近 を 図 った こ と や、 一九 二 〇 (
大正
意 し てお き た い。
借 款 団 の成 立 な ど か ら も わ か る よ う に、 東 アジ ア の市 場 を めぐ る 日米
け れど も 、 対手 の仕向 け如 何 によ り ては滅 亡 か此 の強 制 手 段 によ
を 徴 集 せ ざ る べか ら ざ る こと が あ る 。勉 め て避 く べき こと であ る
武 力 を 以 て他 邦 の領 土内 よ り帝 国 の生 存 又 戦 争 遂 行 に要 す る 物 資
(6 )
九 ) 年 五 月一一 日 の、 日 米 両 国 銀 行 団 を含 む 、 中 国を 対 象 と す る国 際
対 立 を 氷 解 さ せ う る、 経 済 の分 野 で の安 定 的 関係 の構 築 が 二 〇年 代 に
防 に は此 究 極 の処 ま で考 へて置 か ね ば な ら ぬ 。
り て生 存 す るか 二者 の外 に採 る べき道 の絶無 な る こ と があ る。 国
進 展 した こと が 説 明 さ れ る。
こ の よう に、 二 〇年 代 の 日本 にと って ア メリ カ と は 、確 か に外 交 の
か った 。経 済 と 通 商 関係 に いた っては 、 む し ろ緊 密 な 結 び付 き が安 定
対 象 と し ては、 日露 戦 争 後 の それ と は 違 い、 緊 張 関 係 に 立 つ国 で は な
的 に構 築 さ れ た 。 し か し 、同 時 に、 国 防 の対 象 と し て の ア メリ カ が 、
む し ろ 将来 的 に敵 対 す る 可能 性 のあ る仮 想 敵 国 と し て、 研 究 を 要 す る
2
一
日 本 と ア メ リ カ の国 防 方 針
一九 〇 七 (
明治 四 〇 )年 に策 定 さ れ、 一九 四 一 (
昭 和 一六 ) 年 の日
起 さ れ る と の判 断 は的 確 な も の であ ろう 。﹁帝 国 軍 ノ用 兵 綱 領 ﹂中 に は 、
海 軍 の作 戦対 象 と し て ﹁米 国 ニ対 ス ル作 戦 ハ開 戦劈 頭 先 ツ敵 ノ東 洋 ニ
敵 本 国 艦 隊 進 出 セ ハ之 ヲ我 近
於 ケ ル海 上兵 力 ヲ掃 蕩 シ以 テ西 太 平 洋 ヲ制 御 シ且 帝 国 ノ交 通路 ヲ確 保
(12 V
シ併 セ テ敵 艦 隊 ノ作 戦 ヲ困 難 ナ ラ シ ム
い っぽ う ア メリ カ側 で対 日作 戦 が策 定 さ れ る背 景 には 、 一九 〇 六年
海 ニ邀撃 撃 滅 ス﹂ と の記 述 があ る の み であ る。 陸 軍 の作 戦 は考 え ら れ
のう ち 、 太 平洋 を は さ ん で対 峙 す る 二国 であ り 、 当 時 は 大 艦 隊 同 士 の
三 月 七 日 に 、 カ リ フォ ル ニア の州 議 会 が 日本 移 民 制 限 の決 議案 を採 択
米 開 戦 ま で に 三度 の改 定 を見 て いる国 防 方 針 中 に、 ア メ リ カは ど のよ
一大 決 戦 で勝 敗 が決 せ ら れ ると 考 え ら れ て いた の で、 両 国 の国 防 方 針
し た こと な ど に 現 れ た 、人 種 問 題 の発 生 があ った 。 さ ら に同年 四 月 一
て いな い。
は お のず か ら 一定 の対 応 関係 を も ったも の に な って いた と 考 え ら れ る 。
八 日 、 サ ン フ ラ ンシ ス コを 襲 った地 震 と 火 事 によ る大 損 害 の渦 中 で、
う に描 か れ てき た のだ ろう か 。ま た、 日本 と ア メ リ カは 、 三 大 海 軍 国
よ って、 日本 の国防 方 針 だ け で は な く、 そ れ に 一定 度 の対 応 関 係 に立
オ ド ア ・ローズ ヴ ェル ト大 統 領 時 代 の こと であ る。 翌 年 の 一九 〇 七年
﹁対 日 戦 争 計 画 ﹂ を 策 案 し た 。 日 本 が 国 防 方 針 を 策 定 す る 一年 前 、 セ
(13 )
一九 〇 六 年 ア メリ カ 海 軍 総 会 議 は 日 本 を 潜 在 的 敵 国 と し た 場 合 の、
東 洋 人 に 対 す る大 規 模 な略 奪 ・暴 行 事 件 も 起 こ った 。 これ を受 け て、
一九 〇 七年 の国防 方 針
った ア メリ カ の対 日 戦争 計 画案 にも 一瞥 を 加 え てお こう 。
(一)
一九 〇 七年 四 月 四 日 に策 定 さ れ た 国防 方 針 (﹁日本 帝 国 ノ 国防 方 針 ﹂、
一月 か ら 二 月 に か け て 、陸 軍 大 学 に陸 海 軍 将 校 五名 か ら な る陸 海 軍 統
(9 )
﹁国 防 ニ要 ス ル兵 力 ﹂、 ﹁
帝 国 軍 ノ用 兵 綱 領 ﹂ の三 要 素 か ら な る ) に お
合 幕 僚 委 員 会 が 編成 さ れ 、対 日戦 争 基 本 計 画 に基 づ いて、 兵 棋演 習 を
ア メリ カ の対 日作 戦 計 画= オ レ ン ジ計 画 (ア メ リ カは 想 定 敵 国 を 色
い ては 、 想定 敵 国 の第 一に ロシ ア が挙 げ ら れ、 米 、 独 、 仏 の諸 国 が こ
海 軍 の正 面 は ア メリ カ ま た は ド イ ツ、次 いで ロシ アと い った よ う に、
で表 し てお り 、 日本 は オ レ ン ジ であ った) に つ いて の大 作 を 著 し た エ
行 って いる 。
いず れ に し ても 一国 を想 定 敵 国 と し て いた 。 こ の時 の ﹁日本 帝 国 ノ国
ド ワー ド・ミ ラー に よ れ ば 、海 軍総 会 議 の史 料 か らは 、 同 会 議 が 策 定
れ に 次 ぐ 、 と さ れ て いた 。 具体 的 に は 、陸 軍 の正 面 は ロ シ ア陸 軍 と し 、
防方 針 ﹂ 中 、 ア メリ カ に言 及 さ れ て いる の は 、第 四項 ﹁敵 手 タ ル ヘキ
し た 一九 〇 六年 の対 日戦 争 プ ラ ンに はす で に、 ア メ リ カを 勝 利 に導 く
(10 )
モ ノ﹂ の想 定 の部 分 で、 露 国 に次 ぐ 部 分 であ る。 ﹁米 国 ハ我 友 邦 ト シ
戦 略 の主 要 な 要 素 を 、 ﹁日本 の通 商 を 最 終 的 に 完 全 に孤 立 さ せ る﹂ 点
に求 め た 完 全 封 鎖 の発 想 が見 え て いたと いう 。
(14 )
地 理 、経 済 、 入 種 及 宗 教 等 ノ関 係
(11 )
他 日劇 甚 ナ ル衝 突 ヲ惹 起 ス ル コト ナキ ヲ保 セ ス﹂。
テ之 ヲ保維 ス ヘキ モノ ナ リ ト錐 モ
ヨリ 観察 スレ ハ
後 述 す る よ う に 、前 年 の 一九 〇 六年 に カ リ フォ ル ニア で起 こ った 事
態 を 考 え れば 、 短 い記 述 で は あ れ 、 ﹁人 種 ﹂ 問 題 か ら 激 し い対 立 が 惹
贈
3
(19 )
九 二 〇年 に ア メ リ カが 行 った 一〇 隻 の主 力 艦 の起 工 は 、弩 級 戦艦 の登
定 で は 、 アメ リ カ ・ロシ ア ・中 国 の 三国 の複 数 国 を 想 定 敵 国 と し た 。
一九 一八 (
大 正 七 ) 年 六 月 二九 日 に裁 可 され た 国 防 方 針 の第 一次 改
軍 縮 条 約 の締 結 を背 景 と し てな さ れ たも のであ る。 技 術 的 には 、 主 力
第 二次 改 定 は 、 ロシ ア帝 国 の崩 壊 、 日英 同 盟 廃 棄 、 ワ シ ント ン海 軍
本 も 同 じ年 に 、 八 ・八 艦 隊 計 画 を 盛 り 込 んだ 法 案 を 成 立 さ せ て いた 。
場 以 来 ど の国 も や った こと のな い、 猛 烈 な ペー ス の建 艦 で あ った 。 日
今 回 の国 防方 針改 定 の背 景 に は 、対 華 二 一力条 要 求 や それ に付 随 し て
艦 の対 米 比 が 六割 と な った ワシ ント ン海 軍 軍縮 条 約 以 降 の事 態 を 受 け
(二) 第 一次 改 定 と 第 二次 改 定
起 こ った 排 日 運 動 が あ った 。 一九 一七年 度 か ら対 支 作 戦 計 画 は年 度 計
て、 ﹁用 兵 綱 領 ﹂ を も 修 正 す る た め の改 定 でも あ った 。 決 戦 前 の ア メ
(15 )
画 に載 る よ う にな り 、 陸 海 軍協 同 の対 支 干 渉 政策 も 練 ら れ る よう にな
リ カ側 の海 軍 力 を ﹁減 殺 ﹂ し てお く 必 要 が 生 ま れ 、大 型 巡 洋 艦 と 潜 水
(21 )
う な文 言 が あ る こ と に当 面 注 意 し て おき た い。
惟 フ ニ大
さ て、 五 つ の節 か らな る ﹁帝 国 国 防 方 針 ﹂ の第 ﹁三 ﹂ 節 に、次 のよ
(20 )
った 。 さ ら に、 陸 軍 の対 米 作 戦 計 画 が 初 め て具体 化 さ れ た点 に特 徴 が
艦 の役 割 が重 視 さ れ るよ う にな った 。
(16 )
あ った 。 ア メ リ カ の極 東 への政 治 的 経 済 的 関 心 の増 大 と 、 日本 の南 満
洲 権 益 の獲 得 ・韓 国 併 合 と によ って、 日 米 両 国 の利 害 の対 立 が 顕在 化
(17 )
し 、疎 隔 の傾 向 が強 ま った こと を 背 景 に し て いる。 陸 軍 の作 戦 目 的 は 、
政局紛糾
資 源 豊 富 ニシ テ他 国 ノ開 発 ニ
列 強 経 済 戦 ノ焦 点 タ ル ヘキ ハ東 亜 大 陸 ナ
禍 機 醒醸 ノ起 因 ハ主 ト シ テ経 済 問 題 ニ存 リ
フィ リピ ン の マ ニラ と ス ビ ク湾 を 確 保 し て、 海 軍 の根 拠 地 と な す こと
戦 ノ創痍 癒 ユ ルト 共 ニ
(18 )
に お か れ て いた 。
蓋 シ東 亜 大 陸 ハ地 域広 大
侯 ツ ヘキ モ ノ多 キ ノ ミナ ラ ス巨 億 ノ 人口 ヲ擁 ス ル世界 ノ 一大 市 場
ル ヘシ
ラ ン シ ング 協 定 によ って、 一定 度 進 ん では いた 。協 定 の内 容 は 、 い っ
ナ レ ハナ リ
外 交 的 な 緊 張 緩 和 の試 み は 、前 年 の 一九 一七年 一 一月 二 日 の石 井 .
ぽう で、 ア メ リ カ の中 国 政 策 の 一般 原 則 (
中 国 の独立 と領 土保 全 、 門
ノ趨 ク ト コ ロ遂 ニ干戈 相 見 ユル ニ至 ル ノ虞 ナ シト セ ス
改 定 ) では 、 陸 海 軍 共 通 の仮 想敵 と し て第 一に ア メリ カ の名 前 が挙 げ
作 戦 や占 領 計 画 を プ ラ ン ニング す る 際 には 、 当 然 の こと と し て対 米 作
進 めざ るを え な か った 。 と いう のは 、 こ の時期 以降 、陸 軍 が中 国 への
ン攻 略 に つ いて の海 軍 作 戦 の補 助 、 と いう こ れ ま で の存 在 意 義 を 一歩
ら す る日 米 対 立 を端 的 に想 定 し て いる ので 、陸 軍 と し ても 、 フ ィ リピ
最 も 高 い国 と し て ア メ リ カを 挙 げ て いる 。中 国 を めぐ る利 害 の対 立 か
経 済 問 題 か ら す る国 家 間 の対 立 を 重 視 し、 日本 と 衝 突 す る可 能 性 の
而 シ テ帝
勢
戸 開 放 ・機 会 均 等 ) を 確 認 し 、 い っぽう で、 日 本 が 主張 す る南 満 洲 .
国 ト衝 突 ノ機 会 最 多 キ ヲ米 国 ト ス
是 ニ於 テ帝 国 ト 他 国 ト ノ間 ニ利 害 ノ背 馳 ヲ来 シ
東 部 内 蒙 古 に お け る特 殊 利 益 を 、 日本 が そ の地 理 的 位 置 の結 果 と し て
有 す る と こ ろ の特 殊 利 益 、と 限 定 的 に定 義 す る こと で、 両 立 し が た い
二 国 の主張 に妥 協 点 を与 え たも のだ った 。
ら れ た。 第 一次 大 戦 に より 世 界 第 二位 のド イ ツ海 軍 は完 全 に解 体 さ れ
戦 と の関連 を お のず か ら 想 定 せ ざ るを え な か った であ ろう し 、事 実 そ
(
大 正 一二 )年 二 月 二 八 日 に裁 定 さ れ た国 防 方 針 (
第 二次
た 。 そ のた め 、 ワ シ ン ト ン海 軍 軍 縮 条 約 によ り 、 結 果 的 には歯 止 め は
一九 二三
か か った も の の、第 一次 世 界 大 戦 後 の建 艦 競 争 は 日米 間 で始 ま り 、 一
4
れ は 史 料 上 か らも 確 認 でき る事 態 と な って ゆく 。
駐 在 武 官 のも の以 外 に も 、 陸 軍大 臣 に宛 て た ﹁大 正 十 二年 六 月 三 十
軍事 調 査 報 告 ﹂は 支 那 駐屯 軍 司令 部 の作 成 で、大 正 十 二 年 五 月 末 日 調 )
北支 那 軍事 調 査 ノ件 報 告 ﹂ (
﹁北 支 那
によ り 編 綴 し た 簿 冊 を ﹁
陸 軍省 大 日記 ﹂ と い い、 ﹁軍事 機 密 大 日記 ﹂、
な ど が注 目 さ れ る。 直 隷 省 、 熱 河 、 チ ャ ハル 、繧 遠 、外 蒙 古 、河 南 省 、
支 那 駐 屯 軍 司 令 官 鈴 木 一馬
﹁密大 日記 ﹂、﹁
永 存 書 類 甲輯 ﹂な ど が含 ま れ る。そ のう ち 、た とえ ば ﹁
密
山 西省 、陳 西省 、甘 粛 省 、 新 彊 省 、 の中 国 側 の駐在 軍 隊 の能 力 に つ い
日
大 日記 ﹂ には 、 官 制 官 規 ・兵 役 ・作 戦 ・検 閲 ・演 習 ・通 信 ・外交 な ど
て、 隊 長 の系 統 ・経 歴 、 装 備 、 兵 力 、 編 成 要 領 、 教育 な ど の項 目 に つ
陸 軍 省 か ら の発 翰 及 び接 受 し た文 書 を 、 陸 軍 大 臣官 房 が 一定 の区 分
に区 分 さ れた 資 料 のう ち 、秘 密 区 分 ﹁秘 ﹂のも のが 含 ま れ る 。こ の ﹁密
い て、 詳 細 な 調査 を 行 って いる こと がわ か る 。
参謀本部﹂を作成し、翌日 の
一二 日付 で陸 軍 省 に送付 し て いた 。陸 軍省 で は、 大 臣 の田 中 義 一、 次
日付一の
一 ﹁支 那 ノ現状 ニ対 スル策 案
作 戦 計 画 に任 じ て いた参 謀 本 部 でも 、 一九 二三 (
大 正 一二 )年 七 月
大 日記 ﹂ を 見 ると 、 一九 二三 (
大 正 一二 )年 の年 か ら、 分 類 の項 目 と
(22 )
して ﹁
情報 (
支 那 ) の部 ﹂ が 新 設 さ れ て いる こと が わ か る 。
北
そ の内 容 の大 部 分 は、 支 那 在 勤 帝 国 公 使 館 付 武 官 (
林 弥 三吉 ) か ら
の報 告 によ って占 め ら れ て いた 。 いわ く ﹁大 正 拾 弐年 弐 月 廿壱 日
ま ず 、 中 国 の将 来 を ﹁依 然 不 統 一ナ ル現状 ヲ持 続 スル モノ ト﹂ と 判
官 の白 川 義 則 、 副 官 の松 木 直亮 、 軍 務局 長 の畑 英 太 郎 が閲 読 し て いる
報 告 で注 目 さ れ る も のに 、 軍務 局 長 畑 英 太 郎 、 軍 事 課 長 杉 山 元 、 軍 務
断 し 、 す べて の計 画 は こ の分 析 を 前 提 にし て いる と述 べる 。対 中 国 の
北支 那 ノ特 性 ニ鑑
日本陸軍
支 那 ノ攻 略 作 戦 ニ就 テ﹂ ﹁
大 正 十 二年 十 二 月 五 日
局 課 員 梅 津 美 治 郎 が 閲 覧 し た こと の判 る ﹁
支特報第拾弐号
国 際 関 係 は 、列 国協 調 主 義 に よ る ほ か な いと し な が らも 、 ﹁英 米 ニ対
こ と の確 認 でき る こ の書 類 の要旨 は 、次 のよう なも のだ った。
ノ国 防 上 支 那 軍 権 者 ニ対 ス ル方 針 ﹂ に は 、例 え ば 次 のよ う に書 か れ て
シ テ ハ不 即 不 離 ノ 関係 ヲ保 チ、 窮 極 ニ於 テ極 東 ニ於 ケ ル英 米 利害 ノ 一
ミ作 戦資 料 編成 装備 ニ関 スル研 究 ﹂ な ど 。 こ のよ う な 駐 在 武 官 か ら の
いる 。
致 セサ ル関 係 ニアル ヲ利 用 シ 、成 ル ヘク両 国 勢 力 ヲ相 牽 制 セ シ ム ル ヲ
之ニ
(
中 国 は、 引 用 者 註 ) 軍 権 者 ノ割 拠 状 態 ヲ継 続 ス ル ナ ラ ン
得 策 ナ リト ス﹂ と 判 断 し て いた 。東 三省 の特 殊 権 益 問 題 に つい ては 、
﹁華 府会 議 ニ於 ケ ル門 戸 開 放 国 際 協 調 主 義 ノ確 認 及 石 井 ﹃ラ ンシ ン グ﹄
モ係 ラ ス 一方 ニ ハ日本 帝 国 ノ対 米 英 作 戦 ハ最 モ真 率 ニ最 モ迅 速 ニ
其 準備 ヲ完 成 セ サ ル ヘカ ラ サ ル ノ情 況 ニアリ 。
テ ハ、実 力 ノ扶 植 ニ依 リ 当 初 ノ目 的 ヲ達 成 スル コト特 ニ肝 要 ﹂ と の判
協 約 等 ノ廃 棄 ニョリ 、 満 蒙 特種 地位 ノ 国 際的 承 認 消 滅 ニ近 キ今 日 ニ於
断 が見 え 、 日本 の東 三 省 権 益 が 国 際 協 約 上 の実 質 的 承 認 を も たな い、
こ のよ う な 情 況 を前 提 と す れ ば 、 ﹁対 支 作 戦 ハ固 ヨリ 之 レ ヲ準 備 ス
不安 定 なも のと な った 現 状 を 自 覚 し て いる さ ま が う か がえ る 。
ヘキ モ、 吾 人 ハ支 那 以外 ノ第 三国 ト ノ戦 争 ニ於 テ、 支 那 ヲシ テ帝 国 軍
ノ与 国 タ ラサ ル ヘカ ラサ ル カ如 ク 、平 時 ヨ リ支 那 軍 権者 ヲ掌 握 ス ル ノ
用 さ れ る のは 、 日本 で国 防 方 針 の第 二次 改 定 のな さ れ た 翌年 、 一九 二
さ て、 ア メリ カ に お いて、 オ レ ンジ ・プ ラ ンが 正式 の計 画 と し て採
手 段 ヲ講 ス ル﹂ 必 要 が あ る だ ろう と述 べ て いる。 対 米 英 作 戦 の際 に、
中 国 を 与 国 と でき る よ う に 、 地域 の実 質 的 な 軍事 力 掌 握 者 と の密 接 な
関 係 を 築 いてお く こと の重 要 性 を 説 い て いる 。
5
そ れ に つ い て、戦 時 日本 の不 足 す る量 、 満 蒙 ・東 部 内 蒙古 、沿 海 州 、
(23 )
戦 時我 国資 源 ハ到 底 自 給 自 足 ス ル コト ヲ得 ス シ テ、 他 国 ノ供 給 ヲ
四年 九 月 か ら であ った 。多 数 のオ レ ンジ ・プ ラ ン が存 在 し た が 、 一貫
る こと で始 ま り 、 第 二段 階 は 、 ア メリ カ 側 が 西太 平 洋 に に じり よ って
必 要 ト ス ル コト ハ既 ニ世 人 周 知 ノ事 ナ リ 。 而 テ是 等 不 足資 源 ハ海
北支 那 な ど の産 出 量 を 縦 にと った 表 が 添 付 さ れ て いる 。本 資 料 の緒 言
ゆく 過 程 で、 第 三 段 階 は 、 海 空 か ら の爆撃 封 鎖 に よ って 日本 を 包 囲 す
上 交 通 ノ安 全 ヲ確 保 シ難 キ ニ至 テ ハ、 支 那 西 伯 利 等 ノ大 陸 ニ求 メ
し て いた のは 、 日 米 の戦 闘 を 三 段 階 と し て想 定 す る こと だ った 。 第 一
る、と いう コ ン セプ ト にな っており 、第 二 段 階 のバ リ エー シ ョンは 多 々
サ ル ヘカ ラ ス。然 ル ニ西 伯 利 ニ於 ケ ル軍 需 資 源 ハ現 在 貧 弱ニ シ テ
は次 のよう に書 き だ さ れ て いた 。
あ った (フィ リピ ン の地 上 兵 力 の利 用 の度 合 いな ど) が、 第 一と 第 三
利 用 ノ価 値甚 タ少 ク 、従 テ戦 時 帝 国 ノ絶 対 不 足 資 源 ハ支 那 ヨリ 之
段 階 は 、 フ ィ リピ ン や ハワイ な ど ア メ リ ヵ側 根 拠 地 を 日本 側 が 攻 撃 す
の段 階 に つ い て の想 定 には 、 ほ と んど 変 化 が な か った 。
ヲ求 メサ ル ヘカ ラ ス。
海 上 交 通 の途 絶 す る 戦時 を 考 え れば 、 中 国 と シ ベ リ ァな ど 大 陸系 資
ア メリ カ が オ レ ン ジ ・プ ラ
ンを立 てる よう にな って以 来 、 こ の戦 略 は 一度 も変 わ って いな い。
源 に依 存 す る事態 が考 え ら れ る が 、 シ ベ リ ア の資 源 は 乏 し いの で、 日
日本 を 海 か ら包 囲 し て降 伏 さ せ る
こ の考 え 方 は 、陸 の戦 力 を 海 の戦 力 で圧 倒 す る と いう オ レ ン ジ ・
本 の不 足 資 源 は 中 国 に求 めざ る をえ な い、と 判 断 し て いた こと が わ か
参 謀 本 部 第 六 課 で は 、 一九 二 二 (
大 正 一 一)年 五 月 の時 点 で 、 ﹁秘
で考 へて置 か ね ば な ら ぬ﹂ 国 防担 当 者 の当 然 の発 想 では な か ろう か 。
﹁陸 の戦 力 ﹂ で何 が でき るか を 考 え る のは 、 宇 垣 の いう ﹁究 極 の処 ま
般 論 だ け では な か ろう 。﹁海 の戦 力 ﹂で包 囲 さ れ ても 対 応 でき る よ う に、
え に、 き た る べき 総 力 戦 に備え 中国 で資 源 を 獲 得 し てお く と いう 、 一
る。 単 に第 一次 世 界 大 戦 の戦訓 を 学 ん で、 総 力 戦 思 想 に触 発 さ れ た ゆ
れ て い る意 味 に つい ては 、 あ ら た め て考 え な け れ ば な ら な いと 思 わ れ
陸 軍 によ って対 中 国作 戦 のさま ざ ま な 案 が、 こ の時 期 に真 剣 に検 討 さ
な ア メリ カ 側 のプ ラ ン の 一端 を 日本 側 が予 想 し て いた と す れ ば 、 日本
日 本 海 軍 の対米 作 戦計 画 の詳 細 は こ こ では 論 じ な いが 、 以 上 のよう
戦 ﹂ であ った のか 、個 々 の作 戦 の性 格 を 確 定 す る作業 が 、 日中 戦 争 と
過 程 を 想定 し な が ら 、ど の作 戦 が ﹁資 源 獲 得 ノ目 的 ヲ以 テ スル 一部 作
年 、 日 本 軍 は 大冶 への作 戦 を 行 って いる 。 八年 にわ た る 日 中戦 争 の全
て いた 。 こ の後 、実 際 に 日中 戦 争 が 開 始 さ れ る 一九 三 七 (
昭和 一二)
上海 間 ノ海 上交 通 可 能 ナ ル以 上 之 ヲ利 用 シ得 ヘシ﹂ と の見 通 しを も っ
あ る が 、 ﹁大 冶 ニ兵 ヲ進 ム ル コト ハ必 シ モ不 可 能 ニ非 ルカ 故 ニ、 内 地
の鉄 は製 鉄 原 料 に不 向 き であ る か ら 、大 冶 の鉄 鉱 の利 用 が最 も 緊 要 で
ル 一部 作 戦 ヲ実 施 ス ル ヲ必 要 ト ス ヘシ﹂ と 予想 し て いた。 特 に満 洲 産
の四通 り を 想 定 し てお り 、 四 つめ の場合 に ﹁
資 源 獲 得 ノ目 的 ヲ以 テ ス
合 、厳 正 中 立 を 守 る場 合 、敵 意 を有 す る場 合 、敵 国 と な り た る場 合 、
る 。資 源 の具 体 的 収 集 利 用 に つ い ては 、中 国 が 日本 に好 意 を 有 す る 場
(24 V
プ ラ ン の基 本 理念 と 一体 にな って いた 。
支 那資 源 利 用 二関 ス ル観 察 ﹂ と いう資 料 を ま と め て いた 。 こ の資 料 中
太 平 洋 戦 争 の因 果 関係 を 考 え る上 で必 要 にな って こよ う 。
(25 )
に は ﹁国 軍兵 力 (
約 四十 師 団 ) ト 支 那 及 沿海 州資 源 ト ノ関 係 ﹂ と し て、
鋼 ・銑 鉄 ・鉄 鉱 ・石炭 ・鉛 ・亜 鉛 ∴錫 ・綿花 な ど の品 目 を 横 に、 それ
6
駕
ニ
アメ リ カ に つ いて の情 報
を 対 象 と し て、毎 学年 毎 週平 均 三時 間を 軍事 教 育 に当 てた 。 ア メリ カ
参 戦 後 は 、 予 備 将 校 教育 団 の制 度 を廃 止 し 、予 備 将 校 志 願 者 には 普 通
の課 業 を 廃 止 し 、 三 カ 月 間 の軍事 教育 を施 し 、卒 業 後 には 陸 軍 の将 校
訓 練 所 で三 カ月 の速 成 教育 を受 け 、 予備 将校 と し た こと が紹 介 さ れ て
(
29)
いる 。
(一) 筑 紫 熊 七 中 将 の欧 米 視 察 と 国 防 会 議
陸 軍 の国 家総 動 員 施 策 に つ いてま と めた 研 究 と し て、 現在 も そ の画
筑 紫 の報 告 で初 め て日 本 に紹 介 さ れ た と考 え ら れ る 、 こ の予 備 将 校
月 に一
兵一
器 局 長 ) であ り 、 随 員 の吉 田豊 彦 砲 兵 大 佐 、 内 田 三 郎 工 兵
に出 張 の命 を受 け た 筑紫 の兵 科 は砲 兵 (
当 時 は重 砲 兵 監 、 一九 一八年
営 場 (一つは ペ ンシ ル ヴ ァ ニア の ゲ チ ス バ ーグ 、 一つは カ リ フ ォル ニ
野 営 を実 施 す る 目的 で設 置 した も の で、 本 協 会 は 、 実 験 的 に 二 つ の野
る ) は 、 一九一三 年 夏 ア メ リ カ陸 軍 が 、 大 学 生 を 対 象 と し た 軍事 訓 練
(MTCA軍 事 訓 練 野 営 協 会 と の訳 を 日本 陸 軍 は当 て て い
AM
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ct
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ioT
nraining
られ る情 報も含 め て説明 を補 っておこう。
(30 )
教 育 団 の制 度 以 外 にも 、 同 様 の ア メリ カ 特有 の施 設 に つ いて、 今 日得
第 一
期 的意 義 を失 わ な い論 文 に 、山 口利 昭 ﹁国 家 総 動 員 研 究 序 説
(26 )
筑
次 世 界 大 戦 か ら資 源 局 の設立 ま で﹂ があ る 。 こ の論 文 でお そ ら く 最初
(27 )
に言 及 さ れ てか ら 、 そ の存 在 を知 ら れ る よう に な った も の に ﹃秘
大 尉 の兵 科 か らも わ か るよ う に、 主 に軍 需 工業 動 員 に力 点 を お いた ア
ア の モ ント レ ー 軍根 拠 地 の そば ) を 設 け て訓 練 を 行 った 。 一九 一七年
(31 )
メリ カ 視 察 を 要 請 さ れ た 。 調 査 事 項 と し て は 、 ﹁兵 器 行 政拉 工 業 及 経
四 月 ア メリ カ が参 戦 す ると 、 軍 事 訓 練 野 営 協 会 は 陸 軍 長 官 に対 し て、
紫 中 将 戦 時 欧 米 視察 報告 ﹄ が あ る 。 一九 一八 (
大 正 七 ) 年 一月 二三 日
済 ニ関 ス ル動 員 拉 其 ノ実 施 状 態 ﹂、 ﹁戦 争 ノ需 要 ニ伴 フ各 国 ノ自 給 力 及
こ の野 営 を 将 校速 成 教 育 私 設 ⋮
機関 と し て性 格 を 変 え るよ う 提 言 し 、 実
(CMTC日本 陸 軍 は こ れ に 米 国 市 民 軍事 訓
そ の 結 果 、 ア メ リ カ 陸 軍 省 と M T C A の協 力 の 下 にM
、i
Al
ti
it
za
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ny
'sTrainin
Camps
(﹁予 備 将校 教 育 団 ﹂ と の訳 を 当 て られ 紹 介 さ れ て いる) であ った 。高
教 育 を 受 け た 者 を 特 別 の プ ロ グ ラ ム に よ っ て予 備 役 将 校 にす る 制 度
練 野 営 と の訳 語 を 与 え て いる ) が 、 一九 二 〇年 の国 防 法 中 に市 民 軍 事
際 に将 校 補 充 に つ いて効 果を あ げ る こと が でき た 。
(32 )
之 ニ対 ス ル処 置 ﹂ な ど が挙 げ ら れ て い る。
等 教育 を受 け た者 を 軍隊 内 にど の よう に定 着 さ せ る か と いう 問 題 は 、
訓 練 野 営 に つ いて の条 項 を基 礎 と し て発 足 す る よう に な った 。 さ ら に、
こ の視 察 報 告 で強 調 さ れ て いる のは 三 点 であ り 、 一つめ が、 中 高 等
第 一次 世 界大 戦 の参 戦諸 国 に つ いて、 将 校 不 足 の深刻 な状 況を 知 る立
一九 二 二年 一二月 、 陸 軍 長官 は 書 翰 の形 式 をも って 、 軍事 訓 練 野 営 協
(28 )
会 を 、 市 民 軍 事 訓 練 野 営 に関 す る 陸 軍省 の補 佐 機 関 と し て公 認 し た 。
7
場 にあ った 日 本 側 に と って も喫 緊 の関 心 であ った か ら 、 こ の点 に注 意
が 向 け ら れ た のもう な ず け る 。
ヲ召募 スル為 メ、 陸 軍 省 ニ協 力 ス ル団 体 ト シ テ公式 ニ認定 ス﹂ と いう
(33 )
そeの内A容
自 今 軍事 訓 練 野 営 協 会 ヲ以 テ市 民 軍事 訓 練 野 営 志 願 者
D)
efenc
cは
t、 ﹁
を 根 拠 と し て設 置 さ れ た も ので 、 満 一四歳 以 上 の体 力 壮 健 な 米 国市 民
も ので あ った 。
予 備 将 校 教 育 団 は 、 一九 一六 年 の 国 防 法 (National
で、 公 立 ・私 立 の中 学校 か ら 教育 年 限 四年 の大 学 に いた るま で の学 生
一九 二 五 (
大 正 一四 )年 一月 一〇 日 の会 議 の席 上 、 山 川 健次 郎 が、 イ
年 限 の短 縮 の 問題 ﹂ に つ いて の諮 詞 を受 け て いた文 政審 議 会 に お いて、
日 本 の軍 関 係 者 以 外 にも 注 目 さ れ て いた 。 そ れ は 、 ﹁
兵式 訓練と在学
ア メ リ カ の予 備 将 校 教 育 団 や市 民 軍事 訓 練 野営 に つ いて の施 策 は 、
ル モ ノ、 又 ハ陸 軍 大 臣 ノ定 メタ ル各 種 軍用 品 ノ価 格 ニ従 ハサ ル モ ノ ア
ヲ拒 絶 シ タ ル モ ノ、 又 ハ陸 軍大 臣 ノ命 シ タ ル軍 用 諸 品 ノ数 量 ニ応 セ サ
此 ノ命 令 ニ対 シ服従 ノ義 務 ヲ有 スル コト、 若 シ営 業 者 ニシ テ此 ノ命 令
体 ノ営 業 者 ニ、 随時 政府 購 買 ノ命 令 ヲ発 シ得 ル コト 。 又 此 等 営業 者 ハ
ハ、 戦 時 又 ハ危 急 ニ際 シ其 ノ品 種 ノ製 造 ニ従 事 シ ツ ツ ア ル個 人 又 ハ団
(34 )
ェー ル大 学 の軍事 教練 に つ いて委 員 の注 意 を 喚 起 す る発 言 を 行 っ て い
ル場 合 ニ ハ、 此 等 営 業 ヲ政府 ニ没収 シ陸 軍兵 器 部 ヲ シ テ之 力製 造 ヲ行
必 需 品 の生 産 増加 、生 産 物 の産 額 ・産 地 ・産 出 方 法 や軍 需 品 と し て の
制 、 水 運 の利 用方 法 、 軍需 品 の戦 時 動 員 、 外 国 貿 易 が 途 絶 し た 場合 の
(35 )
る こと か ら も知 ら れ る 。文 政 審 議 会 で こ の問 題 が 論議 さ れ た背 景 に は、
ハシ ム ル ト同 時 ニ営 業 者 ハ重 罪 犯 人 ト シ テ処 分 ス ル コト﹂ であ り 、 営
(36 )
同 年 四 月 = 日 に 公布 さ れ る陸 軍現 役 将 校 学 校 配 属令 の問 題 があ った
業 権 の没 収 な ど 、 か な り 強 硬 な手 段 を 規定 し て いると こ ろ が注 目 さ れ
る。
の であ る 。
亜 米 利 加 辺 リ デ ハ、大 ピ ラ ニ学 校 ニ於 テ軍 事 教 育 ト 云 フ コト デ ヤ
い て設置 さ れ た国 防 会 議 (Council
筑 紫 の報 告 書 は 三 つめ に、 一九 一六 年 八 月 の いわ ゆ る 国防 法 に基 づ
フ大 学 カ ラ シ テ、 其会 計 報告 ヲ送 ツ テ来 マシ タ ノ ヲ見 マスト 云 フ
る 。 国家 の安 寧 と 国 力 の増 進 、 国 内 の産 物 や 工 業 上 の統 制 を 図 る た め
ツ テ居 ル ノ デ アリ マ ス、 ッイ 此 間 亜米 利 加 ノ ﹁エー ル﹂ 大 学 ト 云
ト 、 其 費 用 ノ中 ノ軍事 諸費 ト 云 フ科 目 ニ以 テ行 ツテ 五萬 圓 ダ ケ 計
に設 置 さ れ 、陸 軍 長 官 を 議 長 と し て、海 軍 長 官 ・内 務 長官 ・農 務 長 官 ・
自 身 、 イ ェー ル大 学 で土 木 工 学 を 学 ん だ 山 川 は 、 軍 国主 義 は侵 略 主
供 給 力 、 な ど の事 項 に つ い て調 査 し、 意 見 を 述 べ、 監 督 す る 権 限 を も
8
Na)
tを
i紹
on
介a
しlて い
Defence
上 シ テ居 ル ノ デ ア リ マス (
中 略 、 引 用者 )決 シ テ ﹁エー ル﹂ 大 学
商 務 長官 ・労 働 長 官 、 そ し て特 別 の知 識 を 有 す る 七名 以内 の顧 問 委 員
義 と いう 意 味 で悪 い の であ って 、 ﹁学 校 ニ於 テ 軍事 教 育 ヲ為 ス ノ ハ、
つと され て いた 。会 議 設置 以 降 の業 績 と し ては 、 電 信 電 話 会 社 の統 一、
of
バ カ リ デ ハナイ 、 亜 米 利 加 ノ多 ク ノ 学校 ハ皆 ヤ ツテ居 ル ノ デ ア リ
会 (
大 統 領 によ る指 名 ) か ら組 織 さ れ て いた 。 国 防 会 議 は 、鉄 道 の統
全 ク 国防 ノ為 ニ人 ガ我 ヲ侵 ス ト云 フ時 ニ、 国 民 ガ 武 器 ヲ取 ツテ防 グ ガ
鉄 道 就 業 者 の同 盟罷 工 中止 な ど が挙 げ ら れ て いる。
(37 )
マス。
為 メ ノ能 力 ヲ増 進 ス ルノ ヲ誰 ガ是 ハ悪 ク言 ヒ マセ ウ ﹂ と の論 を 展 開 し 、
(38 )
諮 詞案 を支 持 し て いた 。
日本 側 の注 意 を ひ いた のは 、 ア メリ カ陸 軍 の拡 張 予 算 を 決 め た 国 防
いだ ろう か 。 そ の点 に つい て、 これ か ら 説 明 を加 え て ゆ こう 。 一九 二
定 や労 働 力 動 員 の規 定 を含 み こむ も のだ った点 に求 め ら れ る の では な
法-や 、陸 軍 長 官 を 議 長 と す る 国 防会 議 が 、広 範 な産 業 動 員 のた め の規
Appro
次 い で、 筑 紫 の視 察 報 告 の二 つめ に注 目 され て いた のが 、 一九 一六
年 八 月 二九 日 に 大 統 領 の裁 可 を 経 て成 立 し た 国 防 法 (Army
三 (
大 正 一二) 年 三 月 一六 日 付 で参 謀 本 部 か ら 陸 軍省 に 八部 送 付 さ れ
Nati
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t 同法 は 、
主 と し て陸 軍 予 算 の拡 張 を 規定 す る法 であ った が、 ア メリ カ の工 業 動
通常
員 に つ いても 同 法 中 に規定 し て いた 。特 に注 目 さ れ る条 項 は ﹁大 統 領
産業 動 員 の責 任 者 であ る ア メ リ カ陸 軍 省次 官 が 、陸 軍省 に よ る産 業 動
課 、 工政 課 、作 戦 整 備 課 に配 布 さ れ た こと が確 認 でき るも の であ る。
た ﹁米 国 産 業 動 員 計 画 ノ進 捗 ニ就 テ﹂ と の文 書 は、 大 臣 、 次 官 、 軍 事
本 にも 国 防 会 議 を ﹂ と いう 建 議 を う みだ し て ゆく 。
つあ ると いう 状 況 は 、次 に述 べ る よう な 日本 の帝 国 議会 にお け る ﹁日
き た 。 ワ シ ント ン会 議 後 の ア メ リ カ が、 総 動 員 体 制 を着 々と 整備 し つ
将 の報 告 書 を み な が ら、 ア メ リ カ に関 す る情報 を 三点 に わ た って み て
情 報 を 日本 側 が吸 収 す る様 を 描 い てき た の で、 本稿 で は 、筑 紫 熊 七 中
(39 )
員計 画案 完 成 の目 的 を も って、 一九 二三年 二 月 初旬 ま で に米 国 全 土 を
ト会 同 シ 、 軍 需品 ノ製 造 ニ関 ス ル工 場 ノ選 定 拉産 業 動 員 ニ要 ス ル
一行 ハ各 地 方 ニ在 ル陸 軍 諸 機 関 及 有 力 ナ ル実業 家 、 製 造 工業 家 等
るも のと な った 。 衆 議 院 で は 、 同年 一月 三 〇 日 に蟻 川 五郎 作 ほ か 三 〇
は、 これ 以 降 の陸 軍 を 、 国家 総 動 員 準 備 機 関 設 置 に向 け て、 後 押 し す
一九 二五 年 の第 五 〇帝 国議 会 に おけ る、 国 防 会 議 設 置 を め ぐ る議 論
(40 )
ま わ った様 子 が報 じ ら れ て いる。
地 方 的 施 設 、 即 チ各 地 方 毎 ニ予 備 将 校 及 民 間有 力 者 ノ志 願 者 ヲ以
名 の賛 成 を 得 た ﹁国 防会 議 設 置 ニ関 ス ル建 議 案 ﹂ と 、 二月 三 日 に長 岡
委 員 会 で、 二 つの建 議 案 を 一つ のも の、 す な わ ち ﹁防 務 委 員 会 設 置 ニ
テ、 産業 動 員 関係 要 員 ヲ養 成 ス ル件 等 ニ関 シ協 議 ヲ遂 ケ 、 且本 動
産 業 と 労 働 をも 統 括 す る法 と 機 関 と し て の国 防 法 と 国 防会 議 と い っ
外 史 ほか 三 一名 の賛 成 を 得 た 同名 の建 議 案 が提 出 さ れ、 三 月 一〇 日 の
た 側 面 は 、 当 然 のこ と な が ら 日本 に お いて軍 関 係 者 以外 の注 目 す る と
関 スル建 議 ﹂ と いう 名 称 に変 え て、 三 月 二三 日 、 政府 に提 出 され て い
(
42)
る。
員 ニ関係 ヲ有 ス ル地 方 諸 問 題 ニ関 シ 一般 的 ニ懇 談 セ リ 。
こ ろ でも あ った 。内 務省 社 会 局 労 働 部 労 務 課 作 成 の ﹁大 正 十 五年 八 月
蟻 川 らと 長 岡 ら の建 議 理 由 書 に は 、 や や ト ー ンに違 いがあ る の で、
(41 )
国 家 総 動 員 ト労 働者 ト ノ 関係 ﹂ は 、大 戦 中 の英 国 、 米 国 にお け る
そ れ を引 いて お こう 。 ま ず 蟻 川 五郎 作 の建議 理由 書 は 、次 の よう に官
秘
兵 員 の調 達 と 労 働 力 問 題 の調整 と政 府 の措 置 を 考 察 し た も の であ る 。
民 一致 の、 ひ ろく 国 民 の諒 解 を 得 た 国 防 を考 え る た め の国防 会 議 の設
現今 ノ戦 争 ハ国 力 ノ戦 争 ナ リ 。 故 ニ国 防 ノ整 備 ニ就 テ ハ軍部 当 局
ア メ リ カ に つ い て は、 ﹁対 独 宣 戦 前 二年 八 ケ 月 、 ヨク 列 強 ノ為 ス所 ニ
ロ ニ備 フ ル所 アリ ﹂ と 高 い評 価 を与 え て いる 。 さ ら に労 務 課 作 成 の同
ノ外 、直 接 間 接 之 ニ関 係 ア ル各 方 面 ノ官 民 ヲシ テ予 メ其 ノ議 ニ参
置 を求 め たも のだ った 。
資 料 は 、 宣 戦 に先 立 つ一一 カ 月前 に 国 防法 を制 定 し て、 戦 時 にお け る
画 セ シ ム ヘシ 。是 レ実 ニ国 民 ノ諒 解 ア ル国 防 ヲ作 成 シ国 防 ノ基 礎
注 意 シ、 其 ノ無 尽 ノ天 産 ト大 戦後 獲 得 セ シ巨 額 ノ富 力 ト ヲ擁 シ テ、 徐
工業 上 の国 家 強 制 権 に関 す る 諸 規定 を ア メリ カ側 が作 成 した こと を ま
ヲ強 固 ニ シ、又 其 ノ実 施 ニ遺 憾 ナ カ ラ シ ム ル所 以 (
後 略 )。
民 総 動 員 ヲ以 テ ス ル国民 戦 ノ準 備 ノ統 制 ハ、 全 知 全 能 ヲ尽 シ テ精
帝 国 将 来 ノ国防 ハ、国 家 ノ総 力 ヲ以 テ之 ニ当 ラサ ル ヘカ ラ ス。 国
ポ イ ント を お く も のと な って いる。
そ れ に対 し て、長 岡 外 史 の建 議 案 理 由 書 は 、 機 関 の統 合 力 の強 さ に
と め、 国 防 会 議 の構 成 員 の 一人 であ る 労 働 長官 が 、労 働 争 議 調 停 ・労
働 仲 介 の指 導 にあ た る 職 責 を も ち 、 国 防会 議 顧 問委 員 会 のう ち 、 労 働
部 長 に米 国 労 働 同 盟 首 領 のゴ ンパ ー スを 就任 さ せ て、 同 盟 罷 業 ・工 場
閉鎖 に対 す る防 遍 に絶 大 な る効 果 を も た ら し た こ とを 報 じ て いた 。
こ れま で の研 究 の多 く は 、 第 一次 大 戦 に参 加 し た ヨ ー ロ ッパ諸 国 の
9
神 的 物質 的 能力 ノ組 織 連 繋 統 一ヲ図 リ統 帥 権 ノ徹 底 ヲ期 セ サ ル ヘ
カ ラ ス。 是 レ本 案 ヲ提 出 ス ル所 以 ナ リ。
こ の二 つ の建 議 を 一つにま と め て政 府 に提 出 し た際 に は 、上 述 のよ
う な特 色 は払 拭 さ れ て、 単 に国 家 総 動 員 に対 す る準 備 を 遺 憾 なく 進 め
る よう に 、 と の建 議 にな って いる。 貴 族 院 にお い ても 、 同年 三 月 二 四
日 徳 川 義 親 ほ か 一〇名 の発 議 者 (
賛 成 者 は 一二 九 名 ) の名 前 で 、 ﹁国
防 ノ基 礎 確 立 ニ関 ス ル建 議 ﹂ が な さ れ 、 三 月 二七 日、 議 決 の上 政 府 に
提 出 さ れ た。
(1) 加 藤 ﹃
模 索 す る 一九 三 〇年 代
注
一九 九 三年 )。
日米 関 係 と 陸 軍 中 堅 層 ﹄ (
山 川 出版 社 、
2﹄ (
東 京 大 学 出 版 会 、 一九 七 一年 )所 収 。
(
2 ) こ の問題 に つ いて の先 行 研 究 と し て、 藤 原 彰 ﹁日 本 陸 軍 と 対米 戦 略 ﹂、
細 谷 千 博 ほ か編 ﹃日米 関 係 史
(
3 ) 有 賀 貞 ﹁排 日 問題 と 日米 関 係 ﹂、入 江 昭 ・有 賀 貞 編 ﹃
戦 問期 の日本 外 交 ﹄
(
東 京 大 学出 版 会 、 一九 八 四 年 ) 所 収 、 麻 田 貞 雄 ﹃両大 戦 間 の 日米 関 係 ﹄
(
東 京 大 学出 版 会 、 一九 九 三 年 )。
(
4 ) 麻 田 前 掲 書 、 ウ ィ リ ア ム ・ブ レ イ ス テ ッド (
麻 田貞 雄 訳 ) ﹁ア メリ カ
海 軍 と オ レ ンジ 作 戦 計 画 ﹂、 細谷 千 博 ・斎 藤 真 編 ﹃ワ シ ン ト ン体 制 と 日
こ の貴 衆 両 院 の建 議 を 陸 軍 省 は 最大 限利 用 す る。 陸 軍 省 の発 案 で閣
議 請 議 を 行 った 際 の文 書 ﹁国 家 総動 員 機 関設 置 ノ為 準 備 委 員 会 設 置 ニ
米 関係 ﹄ (
東 京 大 学 出 版 会 、 一九 七 八年 )所 収 。
(43 )
(
青 木 書 店 、 一九 九 四 年 ) 所 収 。 浅 野和 生 ﹃
大 正 デ モ ク ラ シ ー と 陸 軍﹄
(
慶 応 通 信 、 一九 九 四年 )第 四 ・五章 。
米 関 係 ﹂、 前 掲 ﹃ワ シ ント ン体 制 と 日米 関 係﹄ 所 収 、 同 ﹁日本 の 国際 金
(6) 三 谷 太 一郎 ﹁ウ ォー ル ・スト リ ー トと 満 蒙 ー 外 債 発 行 計 画 を め ぐ る 日
Crowley,
Japan's
Quest
for
融 家 と 国 際 政 治 ﹂、佐 藤 誠 三郎 ほ か編 ﹃
近 代 日本 の対 外 態 度 ﹄ (
東京 大学
B.
出 版 会 、 一九 七 四年 )所 収 。
(7)James
10
1﹄F
(
み
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rず
e書
ig
房n
、 一
P
九o六
l八
i年
c)
y四1
二9
二3
頁0。
-1938,
三月 )。小 林 道 彦 ﹁﹃
帝 国 国 防 方 針 ﹄ 再考 ー
(一九 九 七 年
日露 戦 後 に お け る陸 海 軍 の
と 国 防方 針 の第 一次 改 定 ﹂、 ﹃
史 学 雑 誌 ﹄ 第 一〇 六編 第 三号
政 戦 略 考 ﹂、 ﹃
国際政治﹄ 一= 一
号 (一九 九 六 年 五 月)。 同 ﹁第 一次 大 戦
(9) 国 防 方 針 に つ いて は、次 の よう な 論 文 が あ る。黒 野耐 ﹁﹃
帝 国国 防 方 針 ﹄
大 正 一二年 五月 か ら六 月 に書 か れ た と 推 定 さ れ る 記事 。
(8) 角 田 順校 訂 ﹃
宇 垣 一成 日記
N
Pri
Autonomy,
第 四九 七 号 (一九 八 一年 一〇 月 )、 のち に 同 ﹃
近 代 日本 軍 隊 教 育 史 研 究 ﹄
(
5) 遠 藤 芳 信 ﹁
大 正 デ モク ラシ ー 下 の日本 軍 隊 の思 想 動 向 ﹂、﹃
歴史学研究﹄
関 ス ル閣 議 案 (
陸 軍 省 ノ原案 )﹂ には 、 ﹁国家 百 般 ノ資 源 及 其 ノ需 給 状
態 ノ精 査 ノ如 キ ハ、 蕾 二国防 上総 動 員 ノ為 之 ヲ必 要 ト ス ル ノ ミナ ラ ス、
帝 国 ノ現 下 喫 緊 ト 認 ム ル産 業 ノ助 長 蛇 社 会 政 策 ノ立 案 上 ニモ亦 欠 ク ヘ
カ ラサ ル基 礎 的 要素 ﹂ であ る 、 と の認 識 が見 え る。 産 業 と 社会 への目
配 り を 加 え た と ころ に、 一つに は時 代 の要 請 を 、 一つには ア メリ カ の
国 防 会 議 と 無 縁 に生 ま れ た わ け ではな いそ の出 自 を 、 感 じ さ せ る も の
と な って いる 。 そ し て、 こ のよう な準 備 を す る 機 運 も 、 両院 の建 議 に
よ っても 明 ら か な よう に熟 し て いる のだ 、 と 説 明 を加 え て いる 。 一九
二 六年 四 月 二 〇 日 、準 備 委 員 会 設 置 は 閣 議 決 定 を み た 。
翌 日 の 四月 二 一日 付 ﹁大 阪 朝 日新 聞 ﹂ は 、 ﹁欧 州 諸 国 で は 戦 後 の体
験 か ら 国家 総 動 員 の必 要 な るを 痛 感 し 、 ア メリ カ も ま た徹 底 的 総 動 員
を計 画 し て太 平 洋 に大 艦 隊 の演 習 を 敢 行 し た り 陸 上 に全 米 総 動 員 な ど
を 決 行 し て、 世 界 の注 意 を 喚 起 した が﹂、 日 本 でも 総 動 員 の準 備委 員
会 を 発 足 す ると こ ろま で い った と 、 満 足 す る 調子 で大 き く 報 じ た 。
(
未完)
(23) ﹃
大 本 営 陸 軍 部 (1)﹄ 二 五六 頁 。
(﹁九 八 九 年 四 月 )。島 貫 武治 ﹁国
The
沢田
(26) ﹃
国 家 学会 雑 誌 ﹄ 第 九 二巻 三 ・四 号 (一九 七 九年 二 月 )。 ほ か に参 照す
(25) ﹁密大 日記 ﹂ (
陸軍省 /
/密 大 日記 / T 一二 ∼五 / 一 一)。
Plan 邦
O訳
ra
一n
五g
二e
頁,
。 150p.
協 調 ﹂、 ﹃
史 学 雑誌 ﹄ 第 九 八 編 第 四号
邦訳
Orange,
War
(24)Miller,
第 2次大隈内 閣下におけ る陸海両
(一九 七 三 年 三 月 )、 第 九 巻 第 一号 (一九 七 三年 六月 ) 所 収 。斎 藤
防 方 針 、 所 要 兵 力 、 用 兵 綱 領 の変 遷 (
上) (
下)
﹂、 ﹃
軍事史学﹄第八巻第
四号
聖二 ﹁
国防方針第 1次改訂 の背景-
Plan
(一九 八 二年 一 一月 )。
(一九 七 九 年 九 月 )、 黒 沢 文 貴 ﹁日本 陸 軍 の総 力 戦 構 想 ﹂、 ﹃
上智
べき も のと し て、 吉 田裕 ﹁
第 一次 世 界 大 戦 と 軍 部 ﹂、 ﹃
歴史 学 研究 ﹄ 第 四
六〇号
軍 関 係 ﹂、 ﹃
史 学 雑 誌 ﹄ 第 九 五 編 第 六 号 (一九 八 六年 六月 )。
War
S.
一八 六 八 ∼ 一九 四 五﹄ (
吉 川 弘 文 館 、 一九
Defeat
Naval
米 国 市 民 軍 事 訓 練 野 営 二関
Annapolis:
Japan,
1897-1945,
to
11
Institute
1
F9
o2
r1
go1
t9
t4
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筑 紫 中 将 戦時 欧 米 視 察 報 告 ﹄ 九 四頁 。
Strategy
1
5部
.第 1
参9
謀9本
二p
部.
作成
ス ル官 民 提 携 ノ 成 立 ﹂、 前掲 ﹁
密 大 日記 ﹂ (
陸 軍 省 /密 大 日 記 / T 一二 ∼
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31) l﹁
大
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(29) ﹃
秘
九 六 年 ) 皿 章参 照 。
(28) 加 藤 ﹃
徴兵制と近 代日本
筑 紫 中 将戦 時 欧 米 視 察 報 告 ﹄ 陸 軍 省 印 刷 、 一九 一八 年 一二 月 。
(
10 ) 黒 野 ﹁
第 一次 大 戦 と 国 防 方 針 の第 一次 改 定 ﹂ の註 六 八 、六 九 。
Miller,
(27) ﹃
秘
史 学 ﹄ 第 二 七号
下防 研 と 略 す )。
(
1)﹄ (
朝雲新
(
11) ﹁
明 治 四十 年 日 本 帝 国 ノ国 防 方 針 ﹂ (
防 衛 庁 防衛 研究 所 図 書 館 所 蔵 、 以
S.
(
二)
﹄ 第 二七 巻 第 二 ・三 合 併 号 (一九 九 一年 一二月 ) 所 収 、六 五頁 。
第 二次 世 界 大
(
1)﹄ と 略 す 。
大 本 営陸 軍部
聞 社 、 一九 六 七 年 ) 一六 一頁 。 以 下、 ﹃
大 本 営 陸 軍部
(
12 ) 防 衛 庁 防 衛 研 修 所 戦 史 室 著 ﹃
戦史叢書
戦
(13 ) 三木 秀 雄 ﹁ア メ リ カ陸 軍 と オ レ ンジ 計 画 ﹂、 ﹃軍事 史 学
(14)Edward
あ る 二 〇 〇 頁 に わ た る註 や付 表 が邦 訳 では 落 と さ れ て いる 。
博訳 ﹃
オ レ ンジ計 画﹄ (
新 潮 社 、 一九 九 四年 )。 的 確 な 翻 訳 だ が 、 原 書 に
5p.
米国市民軍事訓練野営
フ ィ ッツジ ェラ ルド﹄ (
こ びあ ん書 房 、 一九 九 六
プ リ ン スト ン大 学 と フ ィ ッツジ
参 謀 本 部第 二部 作 成
Summers,
(
32 )Forgotten
五 / 一 一) 所 収 。
(
33 ) 前 掲 ﹁
大 正 十 二年 一月
(15) 島 貫 ﹁国 防 方 針 、所 要 兵 力 、用 兵 綱 領 の変 遷 (
上 )﹂ 一五 頁 。
(16) 斎藤 ﹁国 防 方 針 第 1次 改 訂 の背 景 ﹂ 二 一頁 。
ェラ ル ド﹂、 同 ﹃
特講
(
3
4︶ 永 岡定 夫 ﹁﹃
学 徒 出 陣 ﹄ ア メ リ カ版
二関 ス ル官 民 提 携 ノ成 立 ﹂。
(17) 三 谷 太 一郎 ﹁
大 正 デ モ ク ラ シ ー と ワシ ント ン体 制 ﹂、 細 谷 編 ﹃日米 関
﹃
大本営陸軍部 (
1)
﹄ 二二三頁。
係通史﹄ (
東 京 大 学 出版 会 、 一九 九 五年 ) 所 収 、 七 七 頁 。
(18)
年 ) 所 収 。 第 一次 世 界 大 戦 に際 し て の、 ア メ リ カ東 部 の大 学 に おけ る参
(19) 山 田 朗 ﹃
軍 備拡 張 の近 代 史 ﹄ (
吉 川弘 文 館 、 一九 九 七 年 ) 七 七 頁 。
(20) 同 右 書 九 四 ー九 六頁 。
戦熱 の高 揚 に つ いて、 ロ スト ・ジ ェネ レ ー シ ョ ン の代 表 的 な作 家 であ る
総 長 ジ ェイ ムズ ・コナ ント を 中 心 に﹂、 白 井厚 編 ﹃
大学と アジ
界大戦
フィ ッ ツジ ェラ ルド の場 合 を 論 じ た も の。 ま た 、第 二次 大 戦 時 の ハー ヴ
(21) 島 貫 ﹁
国 防 方 針 、 所 要 兵 力 、 用 兵綱 領 の変 遷 (
下 )﹂ より 再 引 用 (
六
ァー ド 大学 に つ いては 、 原 田譲 治 ﹁ハー ヴ ァー ド 大 学 に お け る第 二次 世
六 頁 )。
大 正 十 二 年 六 冊 ノ 内第 五 冊 ﹂ (
陸 軍 省 /密 大 日 記 /T 一二
ー 五 /一一 、 防 研 所 蔵 )。 以 下 に言 及 す る 資 料 は 、 特 に断 ら な い限 り 、
ア太 平 洋 戦争 ﹄ (
日本 経 済 評 論 社 、 一九 九 六 年 ) 所収 。
(22) ﹁
密大日記
こ の簿 冊 か ら の引 用 であ る。
(
3
5) ﹁
諮 詞 第 四号
文政審議会議事速記録 (
二 止 )﹂(
二 A / 三 六 /委 三 八 八 、
Council
of
Nationaの
l史 料
De
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筑 紫 中 将 戦 時 欧 米 視 察 報 告 ﹄一一 八 頁 。
国立 公文 書 館 所 蔵 )。
(
36 ) ﹃
秘
(
3
7)The
Washington:
筑 紫 中 将 戦時 欧 米 視 察 報 告 ﹄ 一二〇 頁 。
National
大 正 十 五 年 昭 和 元年
巻 五﹂ (
二 A / 一二 /類 一五六 一) 所 収 。
62
to
Archives
と し て、米 国 国立 公 文 書 館 に所 蔵 さ れ て い る。 一九 二 一年 六月 三 〇 日ま
Guide
で機 能 し て お り 、 一九 四 〇年 から 四 一年 にか け て同様 の名 前 で復 活 し た 。
(38) ﹃
秘
陸 軍 軍 需 動 員 (1)計 画 編﹄ (
朝
一九 一八 (
大 正 七 )年 制 定 の軍 需 工 業 動 員 法 に基 づ い て新 設 さ れ たも
(39) 前 掲 ﹁密大 日 記﹂ (
陸 軍省 /密 大 日記 / T 一二 ∼五 /
/一一) 所収 。
(40)
の。 陸 軍 省兵 器 局 工 政課 。 ﹃
戦史叢書
雲 新 聞 社 、 一九 六 七年 ) 七 〇頁 。
(41) ﹁
大 正 十 五年 公文 雑 纂 ﹂ (
二 A / 一四 /纂 一七 四 五 ) 所 収 。
編
(42) ﹁
国 家 総 動 員 機 関 設 置 準 備 委 員 会 設 置 二関 ス ル件 ﹂、 ﹁公 文 類 聚 第 五 十
(43) 同 右 。
in
the
12
Archives
1995.
National
Administration,
Records
Records
Federal
and
of
t
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