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Page 1 Page 2 %世紀の新しい知 ドイツ自然哲学者バーダーに学ぶ
\n Title Author(s) Citation ドイツ自然哲学者バーダーに学ぶ「生命エネルギー」理論 伊坂, 青司; ISAKA, Seishi 人間会議, 2003年冬号: 192-195 Date 2003-12 Type Journal Article Rights publisher KANAGAWA University Repository 哲学の最前線- 環境哲学 p ... y .︼ ノ ー . ■ . ' P L 1∫ V f ︰ ∵ ▲ 2t世紀の新しい知 神奈川大学外 国語学部教授 伊 坂 青 司 ドイツ自然哲学者バーダーに学ぶ 「 生命エネルギ⊥ 理論 ドイ ツ ・イギ リ スの産 業革命と ロ マン主義 し かも 哲 学 の問題 と し て問 おう と した のであ る。 最 采を 予見 し っ つ、自 然環境 と 人 間 の関係 を根 本的 に、 にお いて であ る。 と いう こと は、 そ れ はす でに20 0年 以 上も前 、 しかも 工業 化 社 会 に入 る前 のこと で と であ ろう か。 そ れ は 18世紀 の末 、 と り わ け ド イ ツ 近代 にお いて考 察 の対象 にな った のは、 い つ頃 のこ し た のは他 でも な い石炭 であ って' 石炭 を 燃 やし 、 ま った イギ リ スの産 業 革命 があ る。産業 革命 を推 進 「 自 然 哲 学 」 形 成 の背 景 に は ' 18世紀 半 ば か ら 始 が含 ま れ て いる。 伺 い知 る こと が でき るよう に、 現代 にも 通 じ る知 見 近年 のドイ ツが環境保 全 の先進 国 であ る こと からも 初 の環境 哲 学 と も いう べき こ の 「 自 然 哲 学 」 には、 あ る。 そ の時期 の ヨー ロ ッパ に ロ マン主 義 の思想 文 そ の熱 エネ ルギ ー で蒸 気 タ ー ビ ンを 回 し動 力 を 得 そも そも 環境 と し て の自 然 が、 哲 学 の問題と し て 化潮 流 が現 れ、 と - わけ ドイ ツに ロ マン主義 的 な色 て、 そ れま で の手 工業 は機 械 制 工業 へと 転換 し て い った。輝 かし い産業 革 命 は、 し か し同時 に石炭燃 焼 彩 の濃 い 「 自 然哲学 ( Na t ur phi︻osophie)」 が形 成 さ れ た。 そ の 「 自 然哲 学」 は、 ヨー ロ ッパが科 学技 術 の時 代 に入- つ つあ った時 代 に、 工業 化社 会 の到 1 9 2 近代理性の限界 と自然哲学の復権 も に' いち 早- 環 境 問 題 に直 面す ること にな った の であ る。 る。 イギ リ ス の産 業 都 市 は、生 産 の飛躍 的 躍進 と と によ る大 気 汚染 な ど影 の部 分を も 生 み出 す こと にな フラ ンツ ・バーダ ーの自然哲学 ギ リ スの産業 都市 のな か に垣 間 みた はず であ る。 さ れ る こと にな る であ ろう 工業 化 社会 の未 来 を ー イ そ のう ち の 一人 で、後 に帰 国 し て 「 自 然哲 学」 を の共感 を 詩 的 言語 で表 現 し た。魂 を癒 し てく れ る湖 - る。彼 ら は都市 を 逃 れ て湖水 地方 に住 み、自 然 と れ る シ ェリ ング に隠 れ て影 が薄 いが、 そ れ でも イ ギ と にし よう。彼 は ドイ ツ自 然哲 学 の代 表者 と見 な さ von B 提 唱 す る こと にな るF ・バー ダー こう し た な か で、 18世 紀末 のイ ギ リ スに ワ-ズ ワ ー スや コウ ルリ ッジな ど の ロ マン派 詩 人 が輩 出 し て 水 地方 の 「 自 然」 は、彼 ら によ って産 業 都 市 の背 理 ( Fr an zXae vr iJし て再 発見 さ れた のであ る。 イ ギ リ ス ・ロ マン派 リ スで の体 験を 踏 まえ た独自 の自 然 哲 学 には、今 日 ( W州i am Wor ds wor t h:17701850) d ワ-ズワース a aer:1765- 1841) を 紹介 す る こ の形成 と 時 期 を 同 じく し て、 いま だ 産業 の後 進 国 ド レ の環 境哲 学 を考え る上 でも 見 る べきも のが少 な- な ヽ 一〇 2 0 0 3 人 間会議 ・ 冬号 1 93 イ ツから 先端 技 術 を 習得 す るた め にイ ギ リ スに渡 っ ( 『もうひとつのイギ リス史』 ( 中央公論 新社) よ り) た知 識 人 たち が いた 。彼 ら は遠 か らず 自 国 にも 形 成 ランカシャー県の工業労働者住宅 こと にな る。 こ のよう な 「 生命 エネ ルギ ー」 理論 の基礎 には、 バーダー の自然全体 に ついての哲学構想 があ る。 そ で、水 ・火 ・地 ・空気 によ って構成 さ れ る。冷 の元 れ は古 代 ギ リ シ ア の自 然 四元素 説 を 踏 ま え た も の 素 であ る水 の凝集力 と熟 の元素 であ る火 の膨張力 の スに渡 った。 しかし環境 汚染 など 工業化社会 の現実 鉱物 学を 学 んだ後 、採 鉱技術 の習得 のた め にイギ リ ーダーは、当時と し ては最先端 の学 問分 野 であ った ミ ュン ヘンの清浄 な空気 のな か で生 ま れ育 った バ ギ ーを供給す る元素 であ ること によ る。 そう だとす そし てまた人間身体 の活 動 にと って不可欠 な エネ ル こ のよう な高 い位 置 づ け は、 そ れ が生命 体 一般 に、 し ての空気 だと いう わけ であ る。空気 に与え られた な生命 の活動 に活力を付与 す る のが'神的な元素と さまざ まな形態 を産 み出 し てゆく 。 そし てそ のよう 均衡 のもと で、地 の元素 は生命 の形成を促 し生命 の を体 験 し て哲 屈と した気 持ち で帰 国 した彼 は、自 然 体 は健康を 阻害 され、生命 の流動性を失 って病気 に な ると いう こと にな る。 ると' こ の空気 が汚染 され ること によ って、人間身 環境 と人 間身体 の関係を改 め て考え直 し て、自然哲 学を構想 し て い った のであ る。彼 の自 然哲学 の特徴 は'熱学 を基礎 にし てそれを生 理学と結 び つけ、 さ ら に人間 の身 体を 「 生命 エネ ルギ ー」 から捉え よう とす ると ころにあ る。 人間身体 の自 発的 で能動 的な 人間を取り巻く自然環境と人間 の身体生命 人間を取り巻-自 然環境と人 間 の身体生命 は不可 活 動 が 、 外 部 的 な 力 か ら では な く 、 「カ ロリ ック」 と呼 ば れ る身 体内 の熟素 と 「 空気」 の結合 から理解 され'燃焼作 用 によ って発生す る 「 生命 エネ ルギ ー」 はじ め' ロ マン主義 的な自 然哲学 にはそ のよう な基 本 的視点 が貫 いて いる。 しかしそれま での自 然科学 分 に結 び つき、有機的 に関連 し て いる。 バーダ ーを に基づ けられ る のであ る。 こう し て燃焼 に不可欠 な 元素 であ る 「 空気」 に、身体 生命 に 「 自 発性」 の エ ネ ルギ ーを供 給す ると いう 特 別な役割 が与え ら れ る 1 9 4 環 に支 障 が生 じ れば 理性 の働- 部位 であ る脳 は、 そ らず 、生 理学 や医学 の知 見 によ って明 ら か であ ろう 。 て規定 さ れ る こと は、 私 たち の日常 的 な経 験 のみな な か った 。 し か し 理性 の働 き が身体 の在 -方 によ っ いるかぎ- 、 理性 にと っては外 部 にあ るも のでし か と し て理解 し てき た。 人 間身 体 も ま た自 然 に属 し て って解 明 さ れ、 そ し て人 間 のた め に利用 さ れ るも の は自 然 を 、 人 間理性 の外 部 にあ って、 理性 の力 によ を構 想 す る にあ た って、 こ のよう な知 恵 が格 好 の手 忠 ) が豊 富 に含 ま れ て いる。 現代 にお いて環境哲学 自 然 の知 然哲 学 には、科 学技 術 が見 落 と し てき た ( か し バー ダー に みら れ るよう に、 ロ マン主義 的な自 理性 的 な幻 想 や懐古 趣 味 のよう に蔑 ん でき た が、 し る こと であ ろう 。 近代 理性 は ロ マン主 義 の運動 を非 境 の関係 を根 本 的 に捉え 直 す 倫 理 的視 点 を身 に つけ と 工業 化 社 会 の在 -方 を自 ら 反省 し、 人 間と自 然環 と す れば 、 そ れは近代 理性 が推 進 し てき た科 学 技 術 1 94 8年 三重 県生 ま れ。東 北 大 学 文 学 研究 科博 士 課 程 哲 学 専 攻 終 了 ( 文学博士 )。主著 に、﹃ 市 民 のため の生命倫 理≡ 御茶 の水書 房 、2001 年 )﹃ヘーゲ ルと ドイツロマン主義 ﹄( 御茶 の水書 房 、2000年)0 いさ か ・せいし がか- を提 供 し て- れ る にち が いな い。 身 体 が病 気 にな れば 理性 の明 断 さ は失 わ れ、 血液 循 の機 能 を喪 失 す る。 そう だ と す ると 、 理性 も じ つは 身 体 の生命 活 動 に依存 し て いると考え ら れ、 近代哲 学 にお いて与え ら れ てき た特権 的 な ( 「 超 越 論 的 な」) 地位も 怪 し- な って- る。 む し ろ現代 にお いて果 たす べき役 割 が 理性 にあ る