Comments
Description
Transcript
核の超大国が破綻国家だった場合を想像してみてほしい。1991年12月
(1) Graham Allison 大まかな数字だが、ソ連が 2 万 5000 から 3 万発の核兵器を保有していたとしよう。彼らが それらの核兵器の貯蔵管理を完璧に行ない、99 パーセントその管理に成功したとして、そ の意味するところはつまるところ、それでも 250 個近くの核兵器は管理できていなかったと いうことになる。 (ディック・チェイニー、 「ミート・ザ・プレス」1991年 12月) 核の超大国が破綻国家だった場合を想像してみてほしい。1991 年 12 月、ソビエト連邦は 消滅した。それによってロシアとその他の 14 の独立国が新たに誕生した。そしてその多く は歴史上初めて独立国家となったのである。過去にそうであったように、ここでも帝国の 崩壊に続いたのは、混沌、混乱、汚職の時代であった。そして俗に言う、 「何でも売ります」 という状態に陥った。それと同時に約 3 万 5000 発の核兵器が、11 の時間帯にまたがる、広 大なユーラシア大陸に点在する数千のサイトに残されることになったのである。 今日、ソ連の後に誕生した 15 の国のうち、14 ヵ国が非核兵器国である。ソ連が消滅する ときには、4600 発以上の核弾頭が、ロシア、ウクライナ、カザフスタン、ベラルーシに残 された。その多くが、大陸間弾道ミサイル(ICBM)に搭載されて警戒状態におかれ、米国 内の標的に向けて発射準備が整った状態であった。今日、ウクライナ、カザフスタン、ベ ラルーシにあった核弾頭はすべて使用不能の状態にされ、ロシアに返還された。そして核 弾頭は解体され、弾頭のなかにあった核物質は、民生用原子炉の燃料を製造するために希 釈された。 戦略核兵器とは、敵の核兵器や都市、軍事施設を狙う核弾頭であり、爆発力が大きく、 長距離ミサイルによって運搬されるものである。しかし、テロリストにとってもっと興味 があったのは、旧ソ連の 2 万 2000 発にも上る戦術核兵器であり(戦術核兵器とは、爆発力が 、そのなかに 比較的小さく、射程も短めで、主として戦場での使用を目的として設計されている) は、ダッフルバッグにしまいこめるほど小さいものもあった。今日、すべての戦術核兵器 はロシアに返還され、ロシアを除き、いかなる旧ソ連諸国にも核兵器は残されていない。 ヴァツーラフ・ハベル元チェコ共和国大統領は、最近の出来事を評して、 「いろいろなこ とがあまりにも次々に起きるので、驚いている暇もない」と述べた。おそらく、過去 14 年 間で最も驚愕すべき事実は、何も起きていない、ということである。国防長官も務めたデ ィック・チェイニーが、現実的なリスクと見積もったにもかかわらず、ロシアの外で一発 国際問題 No. 554(2006 年 9 月)● 51 超大国ソ連の核兵器庫に何が起きたのか? の核兵器も発見されずに14 年が経過している。 本稿では、このロシアの核兵器庫に何がおきていたのかという問題を検証する〔論文末尾 。 資料 1「旧ソ連の核施設」参照〕 1 背 景 私は 1991年 8 月にモスクワで、国防体制のなかの保守派グループがミハエル・ゴルバチョ フ大統領政権の転覆を図る企てに、偶然にも居合わせた。クーデター首謀者に指揮された 戦車がクレムリンを取り囲んだ。そのときロシア南部で休暇中だったゴルバチョフは、軟 禁状態に置かれたのである。ロシア人の長年の友人で、その後ボリス・エリツィン = ロシア 大統領の国家安全保障補佐官になるアンドレイ・ココーシンとともに、私はクレムリンを 取り囲んでいる、あるいはモスクワのそのほかの場所に展開している戦車大隊やその他の 軍の部隊を観察した。われわれが歩き回り、議論してわかったことは、クーデターは失敗 するが、超大国ソ連はすぐになくなるということだった。 米国に戻る機上で、私はコリン・パウエル統合参謀本部議長宛の私的なメモを書いた。 彼とは、レーガン政権で、ともに仕事をしていた。 「警鐘を鳴らす」と題するメモに、 「ソ連 の分裂は、新たな核保有国を作り出し、ソ連の核兵器の管理をめぐる闘争を引き起こし、 戦略・非戦略核兵器の管理能力が失われることになる」と書いた。これらはすでに歴史の 出来事となり、また、メモは私的かつ機密扱いになっていないものなので、そのメモを資 料2 として論文末尾に付す。 長い間ロシアによって支配されてきた旧ソ連の新興独立諸国に対し、自国内にある核兵 器を放棄するよう説得できるだろうか。彼らの多くにとっては、核抑止こそが自らの独立 した生存と安全保障にとって最大の保証を与えてくれるもののようにみえるであろう。運 命論者は、これらの核兵器を廃棄するという提案を、徒労だとしてはねつけた。しかし、 これらの国家における核兵器をゼロにするという明確な方針を定めた大胆な戦略、熱心な 米ロ協力、そして状況に応じて注意深くアメとムチを使い分けた結果、ウクライナ、カザ フスタン、ベラルーシは、それぞれ 1994 年に、領土内にあるすべての核兵器を廃棄するこ とに合意した。96 年末までに、これらの国にあったすべての核兵器は使用不可能な状態に されてロシアに返還され、そこで解体され、弾頭内の核物質は民生用原子炉の燃料を作る ために再処理された。実際、旧ソ連の核弾頭から再生された燃料は、現在米国の原子力発 電所で作られる電力の半分をまかなっている。 ロシアの軍や治安組織が成し遂げた業績で、戦略的にも、ロジスティックの面でも優れ たものは、戦術核の弾頭を管理し、トラックや列車、飛行機に載せてロシア内の安全な保 管場所に戻したことである。DHL の元幹部が評するように、これは「世界で最も優れた小 包配送サービス」が請け負ったとしても、きわめて難しい仕事であったろう。 2 一歩一歩―ソ連の核に何が起きたか? ソ連の崩壊により、政策担当者は 3 つの特殊な課題に直面することになった。第 1 に、ソ 国際問題 No. 554(2006 年 9 月)● 52 超大国ソ連の核兵器庫に何が起きたのか? 連の終焉が大陸間核兵器をもつ国家の登場をもたらすであろうという見通しが高まるなか で、ソ連の戦略核―基本的には核弾頭を搭載した ICBM だが―が旧ソ連諸国のうち 4 ヵ 国に残されているという問題に対処することであった。第 2 に、即席の核能力を求めるテ ロ・グループやならず者国家への移送が最も容易なタイプの核兵器である戦術核の、旧ソ 連全土に広がる兵器庫の安全確保と整理であった。第 3 に、これはいまだに課題として残さ れているが、ロシア、旧ソ連地域、あるいは世界中にある安全管理の脆弱な場所から、核 兵器や核兵器に利用可能な物質が盗まれることを阻止するということである。 3 戦 略 核 ソ連の戦略核の所有権と管理をめぐる争いは、冷戦後の初期における課題であった。ソ 連が崩壊したとき、旧ソ連の戦略核兵器が、後継の 4 ヵ国、ロシア、ウクライナ、カザフス タン、ベラルーシに残された。ジョージ・ H ・ W ・ブッシュ大統領が、米国にとって最も 望ましい結末が何であるのかを理解するのに何も問題はなかった。それは、ロシアのみを ソ連の核を引き継ぐ唯一の国とすることであった。ロシアの安全保障政策関係者も強くそ れに同意した。 米国とロシアの間にあって、それぞれが野心を実現しようとするなかに、危険な地雷原 が存在した。特にウクライナの場合がそうである。ベラルーシは、モスクワに対して従順 なためにそれほど深刻な懸念とはならなかった。カザフスタンの場合には、ヌルスルタ ン・ナザルバーエフ大統領が完全な非核化をめざすという現実的な政策が固まるまでのご く短期間、揺れ動いたことがあった。カザフスタンは、1995 年 4 月に最後の核弾頭がその領 内から撤去されたことにより、非核国としての地位を得た。 ウクライナは、最小限核抑止を維持したいと望む、単純かつ直観的な抗し難い理由があ った。それはロシアからの独立の確保である。それに加えて、親切な米国人が、ウクライ ナ人に対して、ウクライナの独立を保証する最良の方法は、独立した核抑止をもつことで あると助言したのである。ズビグニュー・ブレジンスキー(カーター大統領の安全保障担当補 佐官)によれば、クリントン政権が、ウクライナが核保有国であるべきかどうかの問題に固 執するのは間違っているという(2)。事実、ブレジンスキーは、ロシアの積年の「帝国的衝動」 が引き続き強力である以上、米国は、 「ウクライナが独立して存在することのほうが、キエ フがソビエト後の核兵器を直ちに解体するかどうかよりも、はるかに重要な長期的意味を もつ」ことを認識する必要がある、と説いている(3)。 もし、ウクライナが旧ソ連から引き継いだ戦略核を保持していたとしたら、世界 3 位の核 保有国になることを意味する。米国の国家安全保障にとってその事実がいかに重要である かは、強調してもしすぎることはない。ICBM に搭載された約 1800 発の核弾頭が米国の都市 に標的を定め、キエフの新しい、不安定な政府の指揮下に置かれることになるのである。 クリントン政権は、最初の最も重要な安全保障問題への取り組みのひとつとして、迅速 かつ完全な非核化を達成することを担保するために、ウクライナとの間で多面的な関係を 構築する動きをみせた。この目的を達成するための戦略には5 つの要素があった。 国際問題 No. 554(2006 年 9 月)● 53 超大国ソ連の核兵器庫に何が起きたのか? 第 1 に、米国は、ウクライナの新しい指導者たちに対して、核兵器が彼らの抱える安全保 障問題への解決を提供するものではなく、むしろ、ロシアの攻撃を招く標的となりかねな いことを納得のいくまで説明した。当初、ウクライナにある戦略核戦力の軍事的指揮系統 は、モスクワからウクライナの戦略ロケット部隊指揮官へと連なっていた。ウクライナの クラヴチュク大統領がウクライナで任務に従事する軍の士官に対し、新しいウクライナ国 家にのみ忠誠を誓わせて以降、核兵器の指揮統制の問題はさらに曖昧になった。モスクワ は核を搭載するミサイルの鍵を解除し発射するために必要なコードを手放さなかった。そ の一方で、こうした技術的システムの多くは、今では自分たちをウクライナ人であると考 えるようになったウクライナの科学者や技術者によって開発されていた。 旧ソ連の核兵器の扱いに関する戦略の策定に責任を負う新任の国防次官補として、私は ウクライナにある核兵器の管理能力の喪失、あるいは核兵器に対する攻撃が、米国の都市 を破壊する核弾頭の誤発射を引き起こすかもしれないという可能性については過敏なまで に認識していた。ソ連自慢の ICBM、SS24 には、550 キロトンの破壊力をもち、それぞれ別 の標的をインプットされ、米国の都市に向けられた核弾頭が10 個搭載されていた。 したがって、ウクライナの新しい国防大臣であるコンスタンティン・モロゾフや国家安 全保障担当補佐官、それに大統領にあてられた国防総省からのメッセージは、ウクライナ に残された核兵器は、米国の安全保障を脅かしている、というものであった。私も次官補 として、ウクライナのカウンターパートに対し、何度も、もし私がロシア軍の参謀で、ウ クライナが核弾頭を搭載した ICBM の運用管理の権限を獲得しようとしていると結論付けら れるようなことがあれば、核兵器の獲得によってもたらされる結果を防ぐために核兵器と その施設を攻撃するように進言するであろう、と話した。 第 2 に、米国の戦略は、この危険な世界で、とりわけ過去1000年にもわたってキエフを支 配してきた手負いの熊と長い、未画定の国境を接するウクライナが生き残るために最良の 希望となるのは、米国と本当の関係を構築することにある、とウクライナの指導者たちを 説得することであった。唯一残った超大国として、米国の軍事力は間違いなくナンバー・ ワンであった。さらに、ワシントンは非核兵器国としてのウクライナとの間で、軍軍関係 を強化する用意があった。また世界一の経済大国として、米国はウクライナが世界銀行や 国際通貨基金(IMF)、あるいは欧州連合(EU)から受けたいと切望する経済・技術支援の ゲートキーパーでもある。したがって、米国の対ウクライナ外交は、ウクライナによる核 兵器の廃絶にかかっていたのである。 第 3 に、米国の戦略は、核兵器によって突きつけられた本当の危険をウクライナ人に対し て力説することであった。そのわずか 6 年前にウクライナは、民生用原子力発電所がメルト ダウンを起こし、ウクライナとベラルーシの一帯に高放射性物質を撒き散らしたチェルノ ブイリの悪夢を経験していた。新しいウクライナ政府の閣僚や軍の幹部はみな、その悲劇 によってもたらされた衝撃的な帰結をめぐる個人的な経験をもっていた。以前、誕生直前 のキエフ政府に対して経済、政治問題に関して助言するためのハーバード大学のプロジェ クトに参加していたとき、私は新たに独立するウクライナにおける最初のバンパー・ステ 国際問題 No. 554(2006 年 9 月)● 54 超大国ソ連の核兵器庫に何が起きたのか? ッカーを作った。そこには、ロシア語とウクライナ語で、次のような警告が書かれていた。 「核兵器ひとつひとつが、今まさに起ころうとしているチェルノブイリである」と。 核兵器をめぐる交渉が長引き、ウクライナが真剣に核兵器の運用管理を構築しようとし ているという証拠が積み上げられていくにつれて、ロシアの交渉担当者は、ウクライナに ある核兵器は、整備保証期限を過ぎており、放射線漏れや爆発の危険さえもあると言って、 琴線に訴えた。そして米国は、この誇張された主張を否定するようなことはしなかった。 第 4 に、米国のウクライナ非核化戦略は、ウクライナだけでなくロシアも関与させるもの であった。そこでは、米ロは死活的な国益を共有していた。もちろんロシアは、クリミア の地位の明確化や黒海艦隊の保有権、そして、ほとんどのロシアの安全保障関係者にとっ ては、独立したウクライナの生存といった多くのイシューをウクライナとの間で抱えては いた。しかしながら、ウクライナの非核化という共通の目的のために、米国とロシアは連 携して「良い警官と悪い警官」の手法を作り上げた。時には、ロシアは米国がウクライナ に惑わされている、もしくは誘惑さえされていると異議を唱えることもあった。とりわけ パヴェル・グラチェフ = ロシア国防相などは、レス・アスピン米国防長官がウクライナの国 防大臣と「いちゃいちゃ」しているのではないかと私に不平を漏らしたりした。そんなと きに私は、米国では、搾り取るためには抱きしめてあげることも時には有効なんだと言わ れている、と返した。 最後に第 5 として、米国の戦略には、ウクライナ(ロシアもそうだが)が望ましい行動を とるようなインセンティブを与えるためのナン = ルーガー法による支援が含まれていた。当 初年間 4 億ドルが拠出されていたナン = ルーガー・プログラムは、今や年間 10 億ドル規模に 膨らみ、主として国防総省が運用している。ウクライナの新規軍の関係者が資金獲得に悩 んでいるとき、ナン = ルーガー資金によって、ウクライナからの核の撤去に協力することが ウクライナ軍にとって最大の外貨(ドル)獲得源となったのである。 米ロ外交の多くの部分は、ヴィクトル・チェルノムイルジン = ロシア首相とアル・ゴア 米副大統領が主催して、米ロの政府高官を招いて重要、かつ時に技術的な交渉を行なうた めに年に 2 回開催されたゴア = チェルノムイルジン委員会の枠組みのなかで実施された。ゴ ア副大統領は、1993 年末にウクライナの非核化を再開する取り決めを仲介した。この取り 決めは、1994 年 1 月にモスクワで開催されたビル・クリントン米大統領、ボリス・エリツィ ン = ロシア大統領、レオニド・クラヴチュク = ウクライナ大統領の 3 者の首脳会談で出され た「3 極合意」へと結実した。 モスクワでの首脳会談で発表されたこの 3 極合意は、まさに歴史的均衡の達成であると言 えよう。この合意によって、ウクライナは戦略核を廃棄するためロシアに核弾頭の移送を 開始し、非核兵器国として核兵器不拡散条約(NPT)に加盟し、第 1 次戦略兵器削減条約 (START 1)を発効させることを可能にする枠組みが確立したのである。その見返りとしてロ シアは、民生用の原子炉で使用する燃料棒のウクライナへの移送を開始し、ロシアと米国 はウクライナの独立と領土の保全の正式な保証を共同で与えたのである。 国際問題 No. 554(2006 年 9 月)● 55 超大国ソ連の核兵器庫に何が起きたのか? 4 戦 術 核 ソ連の戦術核戦力全体の規模は、いまだに議論の的になっている。しかし、最も正確と される見積もりによれば、1991 年には、ソ連を構成した 15 の共和国のうち 14 に約 2 万 2000 発の戦術核が配備されていたとされている。ソ連軍部内の階層が次第に混乱し、ソ連の周 辺部、とりわけ、アルメニアやアゼルバイジャン、グルジア、タジキスタンといった紛争 を抱える共和国において不安定さが増大するなかで、ソ連の戦術核は深刻な転用のリスク を抱えていた。もし、それらが国際的な武器バザールに出されれば、ならず者国家だけで なくテロ・グループも含め、買い手がついたに違いない。 この危険性を認識した米ロ両政府は、1990 年代前半に両国の戦術核を削減するために一 連の政策イニシアティブを実施した。これらの「大統領核イニシアティブ(PNI’s: Presidential 」は、両者が法的ではなく、政治的に拘束されることを意味する「相互的 Nuclear Initiatives) 片務約束(reciprocal unilateral commitment)」であった(4)。 この前例のないイニシアティブの最初の動きは1991年 9 月、モスクワにおけるクーデター が失敗してからちょうど 1 ヵ月後のことであった。ジョージ・ブッシュ大統領は、演説で世 界中の米軍に配備されている戦術核を一方的に撤去すると発表した。これは、何十年も堅 持してきた米国の軍事作戦を一気に覆す劇的な方針転換であった。ブッシュ大統領は、彼 のロシア側のカウンターパートであるミハエル・ゴルバチョフに対して、ロシア軍が海外 に配備している戦術核を同様に撤退させるよう求めた。これは、控えめな規模ではあった が、すでにモスクワ側も始めていたプロセスではあった。 ブッシュ大統領の発表の 1 週間後、ゴルバチョフは演説でこれに前向きに応じた。演説の なかで彼は、ソビエト帝国の外縁からすべての戦術核を撤去するロシア側の計画の概略を 述べた。1992 年末までには、ロシアの国境の外に配備されていた 1 万発以上の戦術核がロシ アに返還されたのである。 ボリス・エリツィンが1992 年 1 月にロシアの大統領に就任した際、彼はこの問題に対する ゴルバチョフの約束を強調し、さらに拡大した。彼は、新しいロシアは核の管理に係るす べての 2 国間、多国間取り決めを守り、「徐々に、均衡を保ちながら」世界中の核兵器を廃 絶するために努力し続けると述べた(5)。 このプロセスに対しエリツィンが継続して責任を果たし続けたことで、その後の 12 ヵ月 の間に旧ソ連の 14 の新興独立国から 2 万 2000 発以上の戦術核兵器が取り除かれ、ロシア中 央部の保管施設に返還された。 5 ナン = ルーガー このプロセスにおける重要な要素は、サム・ナン、リチャード・ルーガー両上院議員に よって始められたプログラムだった。上院のどの委員会の公聴会も、立法活動も経ること なく、両上院議員は 1991 年の国防歳出法案に、ソ連の核弾頭を保全するため、国防総省に 対し 4億ドルの資金を割り当てることを許可する特別の付帯条項をつけることに成功した。 国際問題 No. 554(2006 年 9 月)● 56 超大国ソ連の核兵器庫に何が起きたのか? 1991 年ソビエト核脅威削減法(the Soviet Nuclear Threat Reduction Act of 1991)というこの歴史 的なイニシアティブは、提案者 2 人の名前をとって、一般には「ナン = ルーガー計画」とし て知られている。ナン = ルーガー計画は、核兵器と運搬手段の安全かつ確実な移送と解体の ために、旧ソ連諸国に技術支援を提供するためのイニシアティブに対し、その初年度に国 防予算から 4 億ドルを支出することを米国政府に許可するものであった。ナン = ルーガー計 画を進めるための旧ソ連諸国との交渉プロセスは、そのために特に創設された「安全かつ 確実な解体(SSD: Safe and Secure Dismantlement)」代表団の下で進められ、その運用の責任は、 国防長官室に割り当てられた。 実際の成果が上がった最初のナン = ルーガー計画のなかのプロジェクトのひとつが、1992 年にウクライナに対し、ロシアへの移送を行なうために戦術核兵器を保管場所から鉄道ま で運ぶのに必要な輸送機器を届けるというプログラムであった。 ナン = ルーガー計画は今日に至るまで、是非をめぐる議論はあれども、米ロ両政府がソ 連崩壊直後の時期に新たな核の課題に対処するために行なった努力において重要な役割を 果たしてきている。また、同プログラムは、ルース・ニューク(核の漏洩)の危険やその脅 威へ対処する行動を促進するための米ロの協力を維持するのに多大なる貢献をした。 6 核の盗取 ソ連崩壊後の時代における第3 の核をめぐる課題は、最初の2 つとは質的に異なっており、 より困難なものである。最初の 2 つの問題の解決は、旧ソ連の核兵器―約 3 万から 4 万発 ―をロシアに集中させることで成功を収めた。したがって、旧ソ連の核の地理的な分布 は、地表の 6 分の1 の規模から 7 分の 1 まで縮小した。 かつてソ連の一部をなしていた諸国からすべての核兵器を取り除いたことが良いニュー スであったとすれば、悪いニュースはそれらの核兵器が大きな混沌の渦中にあるロシアへ と返還されたことである。何千発もの核兵器や何十万ポンドの兵器級核分裂性物質が、混 乱したロシア連邦の各地に散らばる何十ものサイトに保管された。 ソ連は、核兵器庫からの盗難を阻止することを、強力な国家と社会に対する絶対的な統 制に頼ってきた。したがって、ソ連の解体は前例のない国際安全保障の問題を生じさせた。 すなわち、核兵器と核物質が、適切な安全管理も行なわれず、しかもきわめて不安定な地 域に位置する施設に貯蔵されるということである。インサイダー、もしくはインサイダー と侵入者が結託して旧ソ連の核兵器や核物質を盗み出すリスクが不気味に迫っていた。 ソ連が崩壊した直後、米国とソ連の政策は、この問題が両国にもたらす利害の重要性に 見合う形での対処を始めてはいなかった。1992 年から 94 年にかけて、核の盗難の脅威と闘 うための米国のイニシアティブのほとんどは、国防総省のナン = ルーガー計画のなかで実施 されていた。そしてその初期の努力は、法的な制限や官僚的な障害に苦しみ、ナン = ルーガ ー計画は、迅速に、あるいは総合的にロシアの核分裂性物質の保全を改善するには問題の 多い手段であった。94 年から 95 年にかけて、米国のさまざまな盗難防止プログラムを実施 する責任が拡張され、こうした官僚機構の適正化によって 95 年には好ましい兆候が二、三 国際問題 No. 554(2006 年 9 月)● 57 超大国ソ連の核兵器庫に何が起きたのか? みられるようになったとはいえ、米国政府全体の努力はそれでも滞りがちであった。 それでも、旧ソ連の核兵器は国外や国際的な武器バザールにおいて、ひとつも発見され ていない。この信じがたい結果は、ナン = ルーガー法とそれに従って議会が通した法案を基 に米国が提供してきた技術・経済援助によって支援された、ロシアの国防省と原子力省の 核の保安要員を含む、ロシア政府の断固とした努力の証左である。もし、旧ソ連諸国の核 科学者や労働者の大半が自らの職責に対して抱く強力な職業意識と愛国心、それに献身が なければ、核拡散の大惨事が現実のものとなっていた可能性はかなり高かったと考えられ るであろう。 しかし、初期の熱気が冷めてしまうと、協調的脅威削減計画はほどなくして官僚的な 「日常業務」として行き詰まりをみせ、冷戦特有の思考の習慣が再び頭をもたげ始めてきた。 米ロ両軍が大事なロシアの安全保障制度を保全するために親密に協力しているという首脳 の宣言は、50 年間の露骨な対決に触れるまでもなく、歴史の本質に逆らうものであった。 米政府がスパイ活動をしているのではないかというロシア側の疑念、ロシアが資金を流用 しているのではないかという米国側の不満、 「自国流」以外への抵抗、そして深く染み込ん だ態度や慣習は、ハイレベルの介入によってしか克服できない障害を作り出した。 このためクリントン政権末期には、ハワード・ベーカーとロイド・カトラーが議長を務 めた公的タスクフォースは、ロシアとの不拡散計画に関する名高い「レポート・カード」 のなかで、 「計画における現在の範囲、ペース、および運用は、受け入れがたいほどの大き な失敗のリスクと、破滅的な結果となる可能性を残している」と結論付けた。ベーカー = カ トラーのレポート・カードは、300 億ドルと見積もられる資金の完全な拠出をもって早急に すべての兵器や物質を保全する任務を完了するよう、この事業の再構築を要求した。 2001 年に発足したジョージ・ W ・ブッシュ政権は、ナン = ルーガー計画に懐疑的だった。 計画の予算承認を数ヵ月遅延させた後に最初の削減を行なったが、政権は共和党のルーガ ー上院議員らからの厳しい批判を受け、それに対応してクリントン政権期のレベルにまで 資金量を戻した。 しかし計画の運営は、これに何の熱意もない新しい役人にゆだねられた。場当たり的な イニシアティブや、個人の孤軍奮闘、そして時々出される大統領の宣言はあるものの、計 画は米国とロシア、両サイドの官僚主義のなかに深く沈んでいった。第 1 期ブッシュ政権の 終了時、ソ連崩壊以来 13 年の努力を重ねた後の核防護のバランスシートは、ロシアの核兵 器および核物質の保全という任務の半分しか達成されておらず、核兵器 4 万 4000 発相当の濃 縮ウランとプルトニウムが盗難に対し脆弱なままであることを示している。たしかに、そ の任務は物理的にも政治的にも困難ではある。しかし、計画が現在のペースでしか進まな いとすれば、核の購入のための猶予としてさらなる 13 年をテロリストに与えることになる であろう。 これらの努力に対しては、第 2 期ブッシュ政権の早い時期、スロバキアのブラチスラバで 開催された米ロサミットにおいてカンフル剤を与えられた。このサミットをめぐる報道の ほとんどは、ロシアにおける民主主義の後退をめぐる激しい対決に注目していたが、ブラ 国際問題 No. 554(2006 年 9 月)● 58 超大国ソ連の核兵器庫に何が起きたのか? チスラバ会合で話し合われた最重要課題は、ロシアの核兵器と核物質の保全である。 ブッシュ、プーチン両大統領は、核の脅威への取り組みと、それぞれの国内にある管理 の行き届かないルース・ニュークを両政府が保全することに対して、個人的に責任を負う ことをはじめて認めた。従来のスケジュールを前倒しし、2008 年にはこの危険性が実質的 に封じ込められるように目標を定めたのである。 両大統領は、それぞれの政府が、核物質や「ダーティー・ボム(汚い爆弾)」に使用され る物質の紛失に対する新しい緊急対策の手順を定める約束をした。彼らはまた、途上国や 移行期にある国に対して米ロ両国から提供された研究炉を、高濃縮ウラン用から核兵器の 製造が不可能な低濃縮ウランを使用する型へ転換することを約束した。さらに、米エネル ギー長官のサミュエル・ W ・ボドマンとロシアの原子力庁長官のアレクサンダー・ルミヤ ンツェフが議長を務める「上級省庁間グループ(SIG)」を創設して、これらの試みの実施を 監督し、その進捗を定期的に両大統領に報告させるようにした。 7 将来何をすべきなのか ブラチスラバ会合は、核テロとの対決やルース・ニュークの保全への取り組みにおける 重要な進展を象徴している。しかし、この首脳会談での言葉と、両国の市民をテロリスト の核爆弾から守るのに必要な数多くの具体的な行動の間にあるギャップを埋めるためには、 両大統領が常にこの問題に注目し、努力を傾ける必要がある。 この取り組みにおける大きな成果のひとつとして期待されるのが、新しい「ゴールド・ スタンダード(金本位制=絶対的基準)」の設立である。米国とロシアは、それぞれが採用す る核兵器や核物質の保全手法が、それぞれの備蓄がテロリストによって利用されえないと いう信用を与えるに十分な透明性をもたせるプロセスを工夫しなくてはならない。この基 準は、その他の貴重な物品や危険物の防護と同じように最高の安全レベルのものとなるべ きであろう。この基準はまた、各国に、原子力施設へのアクセスが認められている職員の 管理から、許可なしで物質が持ち出された際には警報を発する出入り口の電子監視装置、 施設の周囲に厳重な監視体制を敷いた立ち入り禁止区域などの管理システムを構築、もし くは強化することを求める。 それはまた、ヤブジェニ・マスリン将軍(ロシア国防省第 12 総局の元司令官)、ユージン・ ハビガー将軍(米国戦略軍元司令官)、そしてジグフリド・ヘッカー(ロス・アラモス国立研究 所元所長)といった核防護の元担当者が率いる独立した監査や試験が、安全システムに対し て求められることになる。その最終証明書は、閣僚レベルの高官、そして最終的には両国 の大統領に送られることになる。 米ロ両国の国内における核のリスクへの取り組みに道筋をつけたら、次に両大統領は他 の核保有国の指導者にも、この事業に対する彼らの個人的な関与を約束させなければなら ない。これらの政府指導者たちは、その領土内にあるすべての核兵器や核物質を、新しい ゴールド・スタンダードに基づいて保全し、そして核クラブの他のメンバーに対してそれ を証明する義務を引き受ける必要がある。この基準に適合させるために技術的あるいは資 国際問題 No. 554(2006 年 9 月)● 59 超大国ソ連の核兵器庫に何が起きたのか? 金的支援が必要なところには、米国は支援を惜しまないだろう。2 人の大統領は、全力で説 得にあたり、 「ノー」という回答の受け入れを拒絶すべきである。 最後に、ハーバード大学ケネディ行政大学院の同僚であるマシュー・バンが提案してい るように、途上国や移行期の国家にある研究炉から、ゴールド・スタンダードでは保全で きないすべての核物質を抜き出すための「グローバルな一掃キャンペーン」が必要である。 2004 年 5 月に打ち出された米国国務省の地球的規模脅威削減イニシアティブ(GTRI)は、 「核拡散における機微な物質の保全もしくは排除を加速、拡大させる」ことを目的としてい るが、これはいいスタートではあるが、今後は焦点を絞った大統領の指導力がいっそう求 められるであろう。NTI〔the Nuclear Threat Initiative〕という民間の財団が資金を助成し、ユー ゴスラビアのヴィンチャという場所にある原子炉から 3 つの核兵器を製造可能な量の核物質 を抜き出した 2002 年 8 月の米ロ共同のイニシアティブが良い例である。この成功の後、米ロ 両政府は、ソ連が供給した 24 の研究炉を特定し、これらの施設から核兵器に利用可能な高 濃縮ウラン(HEU)を取り除くために共同で作業することに合意した。以後、ブルガリア、 ルーマニア、チェコ、ウズベキスタン、ラトビア、そしてカザフスタンから核物質が除去 されてきた。しかし、現在の進捗具合では、プロジェクトは 2020 年までに完了することは ないであろう。 技術的に可能であれば、HEU の代わりに、核兵器への利用が不可能な低濃縮ウラン(LEU) で運転できるように改造することもできる。研究炉が LEU 仕様に改造できず、最大限の安 全が保証できない場合には原子炉は閉鎖される。ヴィンチャの原子炉から HEU を取り除く ために何年も悪戦苦闘したのに比べ、米ロの両大統領は、すべての危険な物質をできるだ け早急に、いずれにしても 1 年以内に取り除くことを求めるべきである。 米国務長官とロシア外相の指導の下、米エネルギー長官とロシア産業エネルギー相の支 援を得て、両国は技術的、資金的支援を含む、この事業に必要なあらゆる資源を動員すべ きであり、米国やロシアとの関係において対象国が現在享受している利益を保留する意志 のあるところを示すべきである。各長官、大臣にとって、ウズベキスタン、ベラルーシ、 ガーナの脆弱な施設に残された核兵器の材料となる物質を取り除くことは、最優先課題で あり、テロとの戦いと同等の関心と決意もって追求しなければならない。 核分裂性物質の買い取りや施設の閉鎖では、それぞれの案件に、それぞれ異なる障害や 条件がある。これらの研究所で行なわれていた研究には最先端のものはほとんどないが、 原子炉があることによってスタッフの雇用が生まれ、科学者たちは権威も保てる。これら の人々は、間違いなく彼らの生きる糧を放棄することに抵抗するであろうし、彼らの政府 もそれを支援するであろう。医療用のアイソトープやその他の商業的価値のある物資が製 造されている場合には、代替品の供給が可能である。このグローバルな一掃を監督する役 人は、解決策を臨機応変に変更できる柔軟性をもたなければならない。その解決策には、 環境浄化への支出、失業への補償、科学者への新たな研究の機会の提供、影響を受ける 国々の政府に対する財政的その他のインセンティブの提供などがある。最も重要なのは、 これに従う国が、核兵器に利用可能な物質を取り除き、移送するためのコストを払わされ 国際問題 No. 554(2006 年 9 月)● 60 超大国ソ連の核兵器庫に何が起きたのか? るべきではない、ということである。 上述の 24 ヵ所の施設すべてから物質が一掃されるのに 2020 年までかかるということは受 け入れ難い。両大統領は、外務、エネルギー関係の閣僚に対し、1 年で完了させるか、もし それができないのならばその理由を説明するように指示すべきである。もし、アル・カイ ーダの訓練キャンプがウズベキスタンもしくはウクライナにあったとしたら、原子炉をい つまでも稼動させておいてよいのであろうか。 8 核兵器管理における日本の役割 米国政府がソ連の戦術・戦略核兵器の遺産の危険性を認識し、それらを保全するために 迅速に動いたように、一国のみで取り組むには大きすぎるこの世界全体の安全保障に対す る喫緊の懸念について、あらゆる国が認識しなければならない。 日本は、核による破壊の悪夢について独特の立場にある。また、今こそ日本が世界の都 市に対する核テロ攻撃の防止に指導的役割を果たす機会でもある。米国への信頼が重圧に さらされ、米国の真意に疑問が呈されている時代にあって、日本は核防護において比肩す るものなきチャンピオンとして自らを強く打ち出すことができよう。 広島と長崎をのみ込んだきのこ雲は、20 世紀の象徴となった。この恐ろしい現実は、日 本国民の間で広く共有される核兵器に対する心理的抵抗感の根本にある真実である、とい うことは誰の目にも明らかである。日本人は、ニューヨークやモスクワ、あるいは東京に おいて、たったひとつの小さな核爆弾が爆発しただけでも、それがいかに世界を変えてし まう出来事となるかを明瞭に想像することができるのである。その結末の重さを考えれば、 この挑戦を絶対的な優先課題とすべきであろう。広島の平和記念資料館の石碑には、この 痛切な思いが次のように刻まれている。 「ヒロシマを考えることは、核戦争を拒否すること です」 。 日本はまた、大量破壊兵器によるテロについても特別な立場にある。1995 年、東京は、 政府を転覆させる計画の一端として一般市民を狙った、カルト教団によるはじめての大規 模な化学兵器攻撃の標的となった。オウム真理教の計画には核兵器に関するものも含まれ ていた。アナリストたちにとってこの宗教団体の最も驚くべき点は、一介の民間のグルー プであるにもかかわらず、誰にもみつからずに何年もの間、大規模な化学兵器生産施設を 稼動させてきた能力である。もし、このグループが核爆発を起こすのに必要な高濃縮ウラ ンを入手していたとしたら、その工場で核爆弾を組み立てていたかもしれない。 たとえ日本が盗取された核爆弾の最初の標的にならないとしても、米国への核テロ攻撃 は、世界経済、国際社会の主要な柱である日本にも壊滅的な結果をもたらすであろう。最 初の核テロ攻撃が起きた時、まずとられる措置は次の爆弾が標的に届かないようすべての 入国地点を閉鎖することである。その結果、製品や原材料のグローバルな「カンバン方式」 的流通が遮断されることになる。日本製品にとっての市場が消滅し、それぞれが密接につ ながっている各地の金融市場が暴落すれば、それはまさに死活問題である(6)。 政治的には、米国の同盟国は怒りに駆られ報復を急ぐ超大国に向き合うことになるだろ 国際問題 No. 554(2006 年 9 月)● 61 超大国ソ連の核兵器庫に何が起きたのか? う。9 ・ 11 同時多発テロ後のアフガニスタンのように、テロリストたちが核兵器あるいは核 物質を北朝鮮のようなならず者政府から受け取っていたことが明らかになれば、米国は明 確な標的を得ることになる。しかし、より懸念されるのは、彼らが移行期の国家や崩壊し た国家にある原子力発電所や研究炉から核兵器あるいは核物質を不法に取得する可能性で ある。米国の同盟国は、米国を支持するのか、それとも報復の衝動をいさめるのか、選択 を迫られよう。もし、間違った情報によって米国が、評判は悪いが無実の国家を標的にす るようなことがあれば、外交的な反動は、イラク戦争の時など及びもつかないほど大きく、 不拡散レジームと同盟による安全保障の構造を破綻させることにつながりかねない。 米国は一国だけでは対核テロ戦争を始めることも、遂行することもできない。幸いなこ とにそうする必要は今のところない。今日、大国のすべてが、この対核テロ戦略において 重要な国益を共有しているのである。それがアル・カイーダであろうとチェチェンのゲリ ラであろうと、あるいは専制的なカルトのメンバーであろうと、各国にはテロリストの手 に核兵器が渡ることを恐れるに足る十分な理由があるのだ。大国間の新しいグローバルな 協調体制、まさに対核テロ大同盟に向けて動き出す機が熟したと言える。この同盟の使命 は、テロリストが核兵器や核物質を入手するのを防ぐために、物理的、技術的、そして外 交的に可能なあらゆる行動をとることで、核テロのリスクを最小限に抑えることである。 2004 年 4 月 28 日に採択された国連安保理決議 1540 は、この同盟のための国連としての枠組 みを与えるものである。同決議は、すべての国に対して、拡散を犯罪化し、厳格な輸出管 理を施行し、領土内にある機微な物質を防護することで、核兵器や核物質、それに技術を 安全に確保することを求めている。ただ、大量破壊兵器の闇市場ネットワークが利用して きた制度的欠陥を補正するために、主権国家は法律を採択し実施することを義務付けられ る一方で、必要な強制のメカニズムが欠如している。 小泉純一郎総理大臣は、2005 年、 「平和および安全保障に関する協力のための日加計画」 の発表のなかで、 「テロ対策のため法的枠組みや法執行機能を強化し、交通保安を確保し、 また CBRN テロ(化学・生物・放射性物質・核を用いたテロ)に対して効果的に対応するため (アジア太平洋諸国を) 「支援」することを約束している。 に」 、 日本は核兵器保有の道を捨てた最大の先進工業国であり、気前のいい、国際的な資金提 供国として、核テロを防止するためにリーダーシップをとるべきだ。日本政府は、早くか ら多少なりとも核テロの脅威を認識し、それに対処する努力のなかで役割を果たしてきた。 2002 年 6 月の主要国首脳会議(カナナスキス・サミット)において G8 諸国は、大量破壊兵 器・物質の拡散に対するグローバル・パートナーシップを立ち上げた。各国は、ロシアや 旧ソ連諸国にある化学、生物、核兵器を保全し廃棄するために、米国が拠出する 100 億ドル に合わせ、総額で100 億ドルを拠出することを約束した。 しかし、約束と実行のギャップは大きい。しかも、資金が提供される活動にも適切な優 先順位付けがなされていないのである。朽ち果てた原子力潜水艦の解体も重要であるが、 日本と米国の安全保障にとって、核兵器や核分裂性物質の計量管理、防護、最終処分以上 に重要な問題であるとは思えない。ロシアのさびついた原潜が漁場に近いところにあるの 国際問題 No. 554(2006 年 9 月)● 62 超大国ソ連の核兵器庫に何が起きたのか? は、環境にとって緊急の脅威であるとは言っても、核爆発ほどではないだろう。たったひ とつの核兵器でも壊滅的な被害を発生させるのである。焦点を、最も恐ろしい兵器と物質 の保全に定めるべきではないだろうか。 そのほか拡散対抗の分野においても、 「拡散に対する安全保障イニシアティブ(PSI)」な どの幅広い協力がみられる。PSI は、拡散ネットワークと戦う 15 ヵ国間の国際協力の枠組み である(日本はその起案に協力しており、現在さらに 60 以上の国々が PSI の原則を支持している)。 2003 年、米国と英国の情報機関は、ドイツ船籍の貨物船「BBC チャイナ」の積み荷にリビ ア向けの遠心分離機の部品が含まれていることを突き止め、追跡した。PSI に基づいて、当 局が船に乗り込み、A ・ Q ・カーン・ネットワークによって製造された遠心分離機の部品が 詰め込まれた貨物を差し押さえた。PSI は、核の保有を企む者たちが物資や知識を取得する ことを防止するための妨害や先制行動も含んだ拡散対抗活動における国際的な情報共有や 協力の一例である。リビアの事案では有効であったが、核兵器の大きさや特徴、グローバ ルな輸送ネットワークの多様性などを考えると、核兵器や核物質の不法な移転を阻止する ことは、現在麻薬を対象にした同様の取り組み以上に成功するとは考えにくい。したがっ て、防衛する側からすれば、最も効果の高い手段は、核兵器と核物資をその流出源となる ところで防護することである。 非核兵器国もまた、自国にある兵器への転用可能な物質や技術を保全する責務がある。 すべての国は、核関連技術がテロリストの手に渡ることがないように手立てをとる責任が ある。日本は、ロシア、米国、フランスを除くその他の核保有国が保有するよりも多くの 兵器転用可能な物質を保有している。保有する核物質や技術を防護するためにセキュリテ ィのゴールド・スタンダードを適用することで、日本は他の国々の手本となれる。さらに、 日本は、ノーベル賞受賞者であるモハメド・エルバラダイの提唱する 2つのイニシアティブ、 つまり多国間の核燃料バンク構想と、ウラン濃縮およびプルトニウム再処理施設の新規建 設の 5 年間のモラトリアムを推進すべきだ。後者は、「新たな核保有国を許さない」ことが 規範として受け入れられるようになるまでの猶予を与えることになろう。 国連のコフィ・アナン事務総長は、核兵器不拡散条約(NPT)35 周年にあたり、世界に向 かって次のように説いた。 「軍縮と不拡散の両面における進展が不可欠であり、そのどちら かが他方の人質になってはいけない」 。非核兵器国のなかには、核保有国が誠実に軍縮に取 り組む約束を果たしていないとして、その苛立ちや感情から核のならず者たちの側に立つ 国もある。冷戦時代の核兵器を大幅に削減し、国際関係における核兵器の価値を下げるに は長期的な取り組みを必要とする。一方、今喫緊の課題は出血を止めることである。危険 な隣人がいるという観点から言えば、新たに核武装に走ったり、核の開発能力の芽を伸ば そうとするのを止めるという点においては交渉の余地はない、ということを説得するのに、 日本は非常に適した立場にある。 日本は、この議論において最も権威ある、そして説得力のある発言をすることができる のだ。自ら核兵器をもつことを拒否し、核攻撃の唯一の被害者でもある先進経済国の日本 が、核テロに対するグローバルな同盟を支持すれば、この同盟に多大な信用をもたらし、 国際問題 No. 554(2006 年 9 月)● 63 超大国ソ連の核兵器庫に何が起きたのか? 他の国々の参加を促すのに役立つに違いない。この戦略は、 「全世界の国民が、ひとしく恐 怖と欠乏から免かれ、平和のうちに共存する権利を有することを確認する」と謳う日本国 憲法の理念にもかなっているのである。 ( 1 ) この論文は、拙著 Nuclear Terrorism: The Ultimate Preventable Catastrophe( 『核テロ―今ここにあ る恐怖のシナリオ』 、秋山信将、戸 洋史、堀部純子訳、日本経済新聞社、2006 年)ならびに関連 する論文等の分析を使用している。この論文を作成するにあたり、Melanie Getreuer に感謝申し上げ る。 ( 2 ) Zbgniew Brzezinski, “The Premature Partnership,” Foreign Affairs, Vol. 73, Issue 2, March 1, 1994. ( 3 ) Ibid. ( 4 ) Eli Corin, “Presidential Nuclear Initiatives: An Alternative Paradigm for Arms Control,” Center for Nonproliferation Studies(CNS) , Monterey Institute of International Studies and The Nuclear Threat Initiative, March 2004(www.nti.org) . ( 5 ) Ibid. ( 6 ) 米国政府が出資しているシンクタンクであるランド研究所の研究員は、ロサンゼルス港で核爆発 が発生した場合、世界全体がこうむる直近の間接的被害は 3 兆ドル、米国の港湾が閉鎖された場合 には、世界貿易は 10% 減少する、と見積もっている(Sibhan Gorman, “If Bin Laden reads the financial pages,” National Journal, April 2, 2005.) . Graham Allison ハーバード大学教授 *原題= What Happened to the Soviet Superpower’s Nuclear Arsenal? (訳=秋山信将) 国際問題 No. 554(2006 年 9 月)● 64