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外務省に入省して以来、今日に至るまで40年にわたって、国際関係の

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外務省に入省して以来、今日に至るまで40年にわたって、国際関係の
◎ 巻頭エッセイ ◎
Tanaka Hitoshi
外務省に入省して以来、今日に至るまで 40 年にわたって、国際関係の現場で世界
の変動を見続けてきた。国際政治構造の変化の背景には時間をかけて進む相対的国
力の変化があるが、多くの場合、戦争がその節目をなしてきた。
東西冷戦が最も厳しい局面を迎えたのは 1979 年のソ連のアフガニスタン侵攻であ
った。その後の対ソ制裁やレーガン米政権の軍事費増大など、西側で米国の求心力
は強固となった。1989 年 11 月のベルリンの壁の崩壊に象徴される冷戦の終了は、
1990 年のイラクのクウェート侵攻、そして 1991 年の第 1 次湾岸戦争を経て米国の一
極体制へと進んでいった。
冷戦から解き放たれた地域の紛争が多発したのは事実であるが、同時にグローバ
リゼーションの波が世界を民主化と市場主義に導いていった。そして 2003 年のイラ
ク戦争は西側を分断し、米国の権威を傷付け、米国の一極体制の終焉の契機となっ
たと言ってもいいだろう。グローバリゼーションは新興国の台頭に繋がり、世界は
多極化の方向に向かう。
日本はこのような世界の構造変化にどう対応していったのだろう。
1983 年、米国のウイリアムズバーグで先進 7 ヵ国(G7)サミットが行なわれたと
き、わたしは駐米大使館の書記官であった。安倍晋太郎外務大臣が長時間続いた外
相会議を終え、会議場外で待ち受けたわたしに対し、
「G7 の安全保障は不可分であ
るというコミュニケが合意されたよ」と誇らしげに話されたのを昨日のことのよう
に思い出す。これはソ連の中距離核ミサイルの配備をウラル山脈の東に移すと今度
は日本の安全を脅かすので反対であり、ソ連はこれを移すべきではなく撤去すべき
ということを意味していた。日本は明確に「西側の一員」としての立場を鮮明にし、
西側諸国におけるマクロ経済政策調整や途上国援助の面で重要な役割を担っていっ
た。
1989 年 11 月にベルリンの壁が崩壊し、冷戦が終わりを告げたとき、わたしはロン
ドンの国際戦略問題研究所(IISS)の研究員であった。欧州の知的指導者が集中的に
議論していたのは、冷戦が終わり米国の一極体制はむしろ不安定になる可能性があ
り、国際的な秩序を維持していくために欧州統合を進め、欧州がひとつの柱となる
国際問題 No. 586(2009 年 11 月)● 1
◎ 巻頭エッセイ◎ 国際政治の構造変動と日本
べきである、という点であった。マーストリヒト条約をはじめ欧州統合は加速度的
に進んでいった。一方において、1991 年の湾岸戦争は米国の圧倒的力を示すことに
なる。
日本は冷戦終了後の世界の構造変化に十分対応できる体制が整っていたわけでは
なかったし、欧州のように知的コミュニティーで深い議論が行なわれていたわけで
もなかった。湾岸戦争では「金は出しても汗を流さない」という厳しい批判を浴び、
1993 ― 94 年の第 1 次北朝鮮核危機では、日本の危機管理体制の欠如が明らかとなっ
ていった。日本は遅まきながら国際連合平和維持活動(PKO)法の制定や 1996 年の
日米安保再確認、日米防衛協力のガイドラインによる日本の後方支援の役割の明確
化、有事立法など、東西冷戦下の秩序が崩れたのちの地域の紛争やテロや大量破壊
兵器の拡散などの新しい脅威に対応する体制整備を行なっていった。
そして 2001 年の同時多発テロと 2008 年のリーマン・ショック。世界の耳目を騒が
せたこの 2 つのショックは一見異なる事象ではあるが、今日の世界が目の当たりに
している多極体制に向けた象徴的な出来事であったとみることもできる。
グローバリゼーションは中国やインドなどの新興国の成長を加速させ、富は西か
ら東に流れ、イラク戦争などにみられた米国の権威の失墜とリーマン・ショックに
象徴される金融資本主義の瓦解は、米国を中核とする先進民主主義国による世界の
秩序のマネジメントを困難にしている。先進民主主義国が世界の国内総生産(GDP)
総計の 7 割を支配していた時代から、5 割のパイしかもたず、しかも将来、新興国の
成長に依存する度合いを増していく時代の到来である。
自由と民主主義という価値の共有に基づきソ連と対抗した時代や、圧倒的な力を
もつ米国のリーダーシップに依存した時代に比べ、世界は求心力を欠き、国際社会
の意思決定が著しく困難な時代を迎えたのである。
果たして日本はそのような世界の地殻変動に対応していく十分な戦略をもってい
るのだろうか。おりしも日本では、本当の意味で戦後初めての政権交代が行なわれ
た。脱官僚をキャッチフレーズに、次々と民主党マニフェストに従った政策が打ち
出されている。しかし、対外政策の面でも本当に必要なのは、世界の変動を踏まえ
て十分練られた戦略とそのような戦略に基づく具体策なのであろう。そのような戦
略を構築していくに際して、わたしはいくつかの主要な事項を提起しておきたいと
思う。
第一に、日本の立ち位置である。日本は自由と民主主義に基づいて繁栄を享受し
ている国であり、どのような戦略の基本にもこのことがなければならない。したが
って、例えば日米同盟関係は引き続き日本の外交政策の機軸であり続けるのだろう
し、欧州との協調を含む先進民主主義国との連携と結束は大事にしなければならな
い。世界経済のマネジメントは主要 8 ヵ国(G8)から 20 ヵ国・地域(G20)に移るの
国際問題 No. 586(2009 年 11 月)● 2
◎ 巻頭エッセイ◎ 国際政治の構造変動と日本
は必然であるが、同時に G8の「灯台」としての役割は残しておかなければならない。
G8 を内心円とし G20 を外心円とする同心円を国際的な統治の基本形とすべきであ
る。
第二に、日本は東アジア戦略を国家戦略の中核にもたなければならない。理由は
簡単である。日本は今後少子高齢化がいっそう進み、内需には限界がある。経済成
長を維持していくためには日本が位置する東アジアの成長を活用することが必須と
なる。日本や米国の潜在成長率が 2 ― 3% なのに対し、中国やインドは 8 ― 10% と見
積もられている。東アジアは世界の成長センターである。同時に東アジアは数々の
深刻な問題を抱えている。中国の軍事的能力の拡大、政治的自由や少数民族問題、
国内の所得格差、非効率なエネルギー消費、環境問題。北朝鮮問題は引き続き地域
の深刻な安全保障課題である。日本は東アジアを面として考え、リスクを最小化し、
機会を最大化する戦略を構築しなければならない。
鳩山由紀夫内閣が提案する東アジア共同体は長い将来の目標として認識されるべ
きものであるが、重要なのはそのような目標に向けての、経済・安全保障面での地
域協力構想と具体的ロードマップである。わたしは経済については東アジアサミッ
ト参加国 16 ヵ国の多国間経済連携協定、安全保障については 16 ヵ国に米国を加えた
17 ヵ国の非伝統的安全保障(災害救済、海賊防止、反テロ、核不拡散など)のネットワ
ークをまず整備すべきなのではないかと思う。もちろん、日米安保体制は引き続き
抑止力として枢要な役割を果たし続ける。また、北朝鮮にかかわる 6 者協議に加え、
日米中の戦略的協議の必要性も高まろう。
このように東アジア共同体に向けての協力は「機能主義」と「重層的な枠組み」
を基本的なコンセプトとすべきなのである。特定の機能によって構成国は異なり、
いくつもの重層的な協力体を構築することによって地域のリスクを下げ、機会を最
大限のものとすることが戦略の基本である。
第三に外交のツールである。日本はこれまで国際関係の変動に対応して外交のツ
ールを拡充してきた。援助の拡充、PKO 法の制定や日米防衛協力のガイドライン、
自衛隊派遣についての特措法などである。冷戦や米国一国主義とは異なる世界の多
極的な政治構造の下で、外交のツールも拡充されなければならない。
わたしは少なくとも、国連安全保障理事会の決議や場合によっては上に述べた地
域の枠組みに基づく平和維持活動には、自衛隊は従来のような制約なく参加するこ
とが認められるべきと思う。これが冷戦時代に行なわれた憲法の禁じる集団的自衛
権の行使に当たるとは考えない。また、近年政府開発援助(ODA)が減り続けてい
るが、援助の削減には歯止めをかけ、上に述べた日本の戦略構想に従った形で援助
を活用していくべきなのだと思う。
そして第四に、外交政策基盤の抜本的拡充である。多極化時代においては、米国
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◎ 巻頭エッセイ◎ 国際政治の構造変動と日本
との同盟関係を大事にすること以外に多くの選択をしていかなければならない。外
交政策において国内的なコンセンサスを作っていく必要も大きくなる。外交当局を
支える幅広い国内基盤がないと日本の政策はともすれば感情的な「世論」に流され
ていく危険性も高い。米国や欧州諸国ではシンクタンクが恒常的に外交を論じ、政
治任用を通じる官民交流によって外交の基盤が拡がる結果、合理的な外交政策を支
える体制が強化されている。わたしは日本もシンクタンクの強化を図らねばならな
いと思うし、米国の外交問題評議会のような政・官・学者・ジャーナリスト・企業
家が恒常的に外交を論じる場を創設していくのが急務なのではないかと思う。
わたしは、現在、世界の政治構造は冷戦の終了と同じ、あるいはそれ以上の変動
を経験していると思うし、日本が的確な戦略を構築することを心から期待する。
たなか・ひとし 日本国際交流センター・シニアフェロー/
東京大学公共政策大学院特任教授
国際問題 No. 586(2009 年 11 月)● 4
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