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国際法上の自衛権概念について、わが国では従来、きわめて硬直化した

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国際法上の自衛権概念について、わが国では従来、きわめて硬直化した
◎ 巻頭エッセイ ◎
Murase Shinya
国際法上の自衛権概念について、わが国では従来、きわめて硬直化した捉え方が
通説とされてきた。すなわち、国際連合憲章では 2 条 4 項で、国家による武力行使は
「一般的に」禁止されており、その唯一の例外が 51 条に規定される自衛権であると
される。そしてその自衛権についても、
「武力攻撃が発生した場合」にのみ許容され
るものとして、極度に限定的な捉え方がなされてきたのである。現在でもわが国の
国際法学界では、こうした見解に異を唱えることを「タブー」視する傾向が強い。
その背景には、国連に対する行き過ぎた期待・憧憬があることも否めない。憲法 9
条の解釈にも、このような過度に単純化された一面的な国際法理解が、ほぼストレ
ートに持ち込まれて、これまた硬直化した憲法解釈を主導してきたように思われる。
無批判の教条復唱に甘んじてきた国際法学者の思考停止・知的怠慢について、そ
の責任が問われるゆえんである。国際法学の存在理由は、何よりも、現実の国際社
会において国際規範がいかなる機能を担っているかを実証的に検証し、それを基礎
として解釈論を提示していくことである。自衛権問題は、そうした国際法学の在り
方について、深い方法論的反省を迫るテーマでもある。
問われる国連憲章の「自衛権」
国際法の観点から武力行使の権原(title)としての自衛権を論じる場合、前提的に、
少なくとも次の 3 点について、考察しておかなければならない。第 1 は適用法規の問
題、第 2 は国連憲章における自衛権の法的性質について、そして第 3 には「武力の使
用」ないし「武力攻撃」の概念にかかわる問題である。
まず第 1 の「適用法規」の問題。国際法の法源は、言うまでもなく、条約と国際
慣習法(一般国際法)である。国際法の他の分野では、通常、この適用法規の区別が
強く意識されているが、こと国連法の問題になると、往々にしてそれが忘れ去られ
る。それは国連憲章が、あたかも国際社会の「上位法」ないし「憲法」であるかの
ように過大評価されていることと無関係ではない。しかし、国連憲章といえども、
他の幾多の多数国間条約と変わりのない「普通の」条約であって、それ以上でもそ
れ以下でもない。
国際問題 No. 556(2006 年 11 月)● 1
◎ 巻頭エッセイ◎ 自衛権の新展開
同一事項に関する条約と慣習法の規則が抵触する場合、通常、条約は特別法であ
り国際慣習法は一般法であって、
「特別法優位」の原則のもとで、条約規則が優先的
に適用される。しかし、条約が何らかの理由で適用不能となる場合には、一般法た
る国際慣習法が適用されることになる。
この点はとくに、2 条 4 項に規定される武力不行使「原則」の規範的性質の問題に
直結する。国連憲章で各国が 2 条 4 項の下で武力行使の制限を受け入れた背景には、
憲章第 7 章に定める集団保障体制が実効的に機能し、この体制に自国の安全を委ね
うるということが前提になっていたのである。2 条 4 項の規範性は、その意味で、第
7 章の機能の実効性に依存している。換言すれば、安全保障理事会における拒否権行
使などにより、第 7 章が機能麻痺に陥った場合、2 条 4 項の規範性もそのままでは維
持されないことになる。そのような場合には、先に述べた適用法規の転換が生じ、
「特別法の終焉と一般法への回帰」という形で、国連憲章から一般国際法への「切り
替え」が行なわれるものと考えられる。朝鮮動乱をはじめ、テヘラン人質事件の際
の救出作戦、フォークランド紛争、コソヴォ危機における北大西洋条約機構(NATO)
の空爆など、国連の実行も、そうした捉え方を裏付けているように思われる(村瀬
信也「武力不行使に関する国連憲章と一般国際法との適用関係― NATO のユーゴ空爆を
めぐる議論を手掛かりとして」
『上智法学論集』第43 巻第 3 号〔1999 年〕
、1―41 ページ;同
、東信堂、2002 年、519―552 ページに再録、参照)
。
『国際立法―国際法の法源論』
第 2 に、憲章 51 条の自衛権も、2 条 4 項の例外ではなく、「第 7 章の例外として」、
その法的性質を捉え返す必要がある。言うまでもなく、実定法上の自衛権は、歴史
的に形成されてきた概念である。すなわち、第 1 次大戦以前の世界では、国家が戦
争に訴えることは基本的に許容されていたため、自衛権もその戦争権のなかに「埋
没」していたのである。しかし、国際連盟規約・不戦条約等により戦争が違法化さ
れてくる過程で、国家による武力行使の「留保された範域」
(reserved domain)として、
俄然、自衛権が積極的な意味をもつようになった。それはあくまで、国家が主権の
属性として実体法上有する権利として捉えられていたのである。
しかるに、国連憲章における自衛権概念は、そのような実体法上のレベルで捉え
られるものではない。憲章上の自衛権はあくまでも第 7 章の機能に依存した権利と
して、つまり国連の紛争処理手続きの文脈における手続法上の制度として設定され
ているからである。したがってここでも、その権利性は、第 7 章の実効的機能に依
存するのである。一般国際法上の自衛権の要件・効果が、憲章 51 条のそれとは大き
く異なることは言うまでもない。
第 3 には、国際法における「武力の行使」(use of force)および「武力攻撃」(armed
attack)の概念が明確にされなければならない。まず、憲章 2 条 4 項では、武力の行使
およびその威嚇を「全面的に」禁止しているわけではなく、
「その国際関係において」
、
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◎ 巻頭エッセイ◎ 自衛権の新展開
「いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するもの」
(したがって例えば自国民保護
のためのエンテベ型の人道的介入〔“in-and-out” rescue operations〕などは必ずしも禁止され
、および「国連の目的と両立しないもの」を禁止するにとどまることを確認し
ない)
ておく必要がある。また、「武力行使とは性質を異にする実力行使」、例えば、域外
法執行活動(law enforcement actions)としての「武器の使用」
(use of weapons)が「武力
行使」に該当しないことは明らかである(例えば不審船に対する追跡権行使などの警察
。
活動)
他方、51 条の自衛権発動要件である「武力攻撃が発生した場合」については、い
くつかの重要な論点がある。まず、51 条は通常兵器を前提とした規定と考えられ、
憲章採択当時には存在していなかったミサイル兵器や宇宙兵器などからの攻撃につ
いて、そのまま適用されるかについては異論も多い(51 条は、武力攻撃が「発生した」
〔has occurred〕という完了形ではなく、「発生する」〔occurs〕と現在形で規定している)。
ここでは、先制的な自衛権行使がどの範囲で許容されるかが問われているのである。
他方、
「武力行使に至らない実力行使」の法的評価が問題となる。国境付近の小競り
合いなど、個々の行為は、武力行使や(その極端な形態としての)武力攻撃には当た
らないが、それが「集積」することによって「低水準(低強度) 敵対行為」(low
intensity hostilities)として、武力攻撃に匹敵するものと評価することができるか否かと
いう問題である(国家責任条文草案 15 条 1 項の集積理論参照)。さらに最近では、国際
テロリズムによる攻撃を「武力攻撃」と捉えて、自衛権発動の対象としうるかとい
う問題が提起されている
国際テロリズムへの対応と自衛権
9 ・ 11 の同時多発テロ事件以降、自衛権は国際テロリズムへの対応に援用される
ようになってきている。同事件の翌日に全会一致で採択された安保理決議1368号は、
前文で「集団的および個別的自衛権」を確認し、これがアフガニスタン軍事活動の
法的根拠とされたかのようである。しかし、国際法上の自衛権は、本来「国家対国
家」の関係で適用される制度であり、テロ集団という非国家団体(non-state entities)
に対する措置を、これに同化して捉えることは適当とは考えられない。自衛権はあ
くまでも「国家からの」武力攻撃に対して「国家に対して」反撃するための権利で
あり、
「国家以外の主体からの」攻撃に対して「国家以外の主体に対して」反撃する
権利ではない。
9 ・ 11 テロは、その攻撃がいかに大規模なものであったにせよ、その法的性質と
いう点に鑑みれば、基本的に米国内で完結した国内犯罪である。その犯罪をアフガ
ニスタンからアルカイダ幹部が指揮していたことは明らかであったから、本来であ
れば、関係国間で犯罪人引き渡し等の手続きにより処理されるべき事案である。し
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◎ 巻頭エッセイ◎ 自衛権の新展開
かし、同国は「破綻国家」であったために、米国は自ら「法執行活動」を域外で行
なったと捉えるほうが、法的構成としては、国連憲章上の自衛権を持ち出すよりは
るかに適当であろう。カー事件、アイヒマンの拉致、アキレラウロ号事件、ノリエ
ガ将軍の引致、ユーニス事件などの先例からも、こうした域外法執行には急迫性・
衡平性を条件として、一般国際法上、完全に合法とは言えないとしても、少なくと
(opposability)が認められるということは明白である(村瀬信也「国際法
も「対抗性」
『上智法学論集』第 49 巻第
における国家管轄権の域外執行―国際テロリズムへの対応」
。
3・4 号〔2006 年〕
、119―160 ページ参照)
自衛権行使としての戦闘には、武力紛争法( jus in bello)上の害敵手段(兵器・戦闘
方法)に関する規則の適用があるものと考えられるが、法執行活動の場合の「武器
の使用」にはいっそうの制限が課せられよう。一般市民を巻き込んで被害が生じた
場合、自衛権行使であれば、軍事的必要性が認められる限り、その損害は受忍すべ
き「付随的損害」ということになろうが、法執行活動の場合には補償の対象となる。
さらに、拘束された被疑者について、国家間の武力衝突であればジュネーヴ条約
(および追加議定書)の下で「捕虜」としての待遇を受けるのに対して、法執行活動
においては、適用ある刑事法の下で「法の適正手続き」が保障されなければならな
いなど、検討すべき課題は多岐にわたる。
むらせ・しんや 上智大学教授
[email protected]
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