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Page 1 はじめに 表題につけたテーマをメインにして考えて行きたいが
西 ヨ ー ロ ッパ 中 世 都 市 の 形 成 守 山 生 あ る。 次 に構 造 論 は、 成 立 し た 中 世 都 市 の経 済 ・社 会 ・政 広 義 で は 西 ヨ ー ロ ッパ に ふ く ま れ る こ と が 多 い イ ギ リ ス に 表 題 に つけ た テ ー マ を メ イ ン に し て考 え て 行 き た い が 、 (変 質 論 ) であ るが 、 ツン フト と そ の闘 争 な ど が 主 な テ ー か ら後 期 史 にお い て主 に問 題 と な ってく る。 最 後 の発 展 論 市 貴 族 支 配 の実 態 な ど があ る。 こ の構 造 論 は中 世 の盛 期 史 はじめ に つい て は ほと ん ど ふ れ ず、 南 欧 史 にだ が これ も 広 い意 味 で マで あ り、 時 代 と し て は中 世 の盛 期 史 か ら 後 期 史 にお い て 治 構 造 を 取 り扱 い、 例 えば 、 主 な テ ー マの ひと つと し て都 西 ヨー ロ ッパ史 と し ても対 象 と な る イ タ リ ア に つい て、 若 研 究 す る こと が 必要 で あ る。 の よ う な アプ ロー チ が考 えら れ る。 即 ち 、 社 会 経 済 史 的 研 前 述 し た 対 象 と し て の各 論 を 研 究 し て行 く 方 法 と し て次 ヨ 干 考 え る こ と に し た い。 西 ヨー ロ ッパ中 世都 市 研究 の対 象 と 方 法 究 方 法 が あ る 。 そ の研究 の際 、 重 要 視 し な け れ ば な ら な い ① ② の は隣 接 諸 科 学 の援 用 と い う こと であ る。 例 え ば 、 中 世 初 究 、 政 治 史 (法 制史 ) 的 研 究 、 文 化 史 的 研 究 な ど 種 々な 研 先 ず 、 対 象 と し て、 成 立 論 、 構 造 論 、 発 展 論 (変 質 論 を 期 の 研究 にお い て文 書 史 料 の空 白 ・欠 陥 を 補 う た め に考 古 研 究 の対 象 と方 法 ふく む ) に わ け て研究 す る こと が 出 来 る 。 成 立 論 は主 に中 学 が 必要 であ る と従 来 か ら言 わ れ てき た の であ るが 、 単 な ユ 世 の初 期 史 と盛 期 史 の歴史 的 展 開 にお い て検 討 す る必 要 が 一148一 記 な ど の根 拠 に基 づ い て研 究 す る必 要 が あ り、 今 後 、 我 々は 全 体 にわ た って考 古 学 が 明 ら か に し た何 ら か の確 実 な立 地 る補 助 科 学 と 考 え る の は誤 り であ る。 む し ろ、 時 代 も中 世 れば な ら な い。 存 在 形 態 を と る住 民 も多 い わ け で、 こ の こと も 注 目 し な け と い っても 時 期 や地 域 によ って異 な るが 半 農 業 的 な 経 済 的 つけ 加 え てお き た い こ と が ひと つだ け あ る 。 即 ち、 都 市 民 ぐ む ず か し いが 常 々 そ れを フ ォ ロー す る 要 が あ ろ う 。 更 に、 ⑤ 成 立 論 を中 心 にし た類 型的 把 握 地 理 学 は各 地 方 ・各 都 市 の地 誌 の実 態 を 追 求 し 、 そ の成 果 以下 では 、 前 述 し た う ち でも 主 と し て成 立 論 を 中 心 に出 来 る だ け 具 体 的 に論 じ て行 き た いと 思 う。 を 受 け て、 歴 史 学 は ト ポ グ ラ フ ィ ーを ひと つの柱 と し て考 ら 察 す る こ と が でき る。 最 後 に、言語 学 や地名 学 は歴 史的 タ ー いう こと を 論 じ た い。 十 一 ・十 二世 紀 は中 世 都 市成 立 の ひ 中 世 都 市 の成 立 過 程 も 多 様 であ り 、 そ こ で類 型的 把 握 と 総 じ て、 中 世 都 市 の形 成 に つい て は、 西 ヨー ロ ッパ中 世 と つの画 期 であ る が、 C ・ハーゼ に負 う と こ ろが 多 い都 市 ム の解 明 に役 立 つ。 社会 ( 封 建 社 会 ) の形 成 期 の全 体 的 な 構 造 とか かわ らせ て、 概 念 の複 合 化 な ど に よ って、 中 世 盛 期 ま で の評 価 が 主 と し 工 業 者 の集 住 地 と し て都市 が 形 成 さ れ たと 言 わ れ てき た。 会 的 分 業 と し て手 工業 者 や商 人 が 生 ま れ てき て、 商 人 ・手 れ は 、 や や通 説 的 な 理解 だ が、 農 業 生 産 力 の増 加 に伴 う 社 か ら ど の よ う に し て、 都 市 が生 ま れ てき た のだ ろう か 、 そ のだ が や や 詳 し く 紹 介 す る こと によ って、 成 立 論 を 中 心 と 成 立 期 の地 域 的 類 型 を 提 唱 し た エンネ ン の少 し古 い論 考 な の連 続 性 にも 注 目 し て、 (西 ) ヨー ロ ッパ 規 模 で主 と し て ρ器 に つい て、 か な り た ち い って検 討 し た い。 古 代 都 市 と 従 って、 E ・ エンネ ン の歴史 的 類型 学 身 b90σqδ 三ω8 阜 動 態 的 に把 握 す る こと が 必 要 であ る。 即 ち、 封 建 社 会 は 圧 て問 題 と な る。 先 ほ ど述 べた 全 体 的 構 造 のな か で中 世 都 市 を 考 え て行 く と し た 中 世 都 市 研 究 の対 象 と 方 法 のあ ら ま し の 一端 を 示 し た 倒 的 に領 主 11農 民 の関 係 を 軸 とす る農 業 社 会 であ り 、 そ こ い う こと にな れ ば 、 農 村 の動 向 、 国 王 や聖 俗 領 主 な ど と の いと 思 う。 ただ し、 エンネ ンの こ の論 考 は古 い の で、 出 来 関 係 も 考 慮 し て行 か ねば な ら ず 、 後 者 の場 合 は 最近 特 に顕 るだ け最 近 の研 究 動 向 と私 見 を お り まぜ て述 べ る こと にす ア 著 な動 向 と し て注 目 し て よ いと 思 う。 や や 重 要 な こと だ が 149一 ロ る 。 フ ィー ル ドと し ては、 西 ヨ ー ロ ッパを 一巡 す る こと に 論 は、 前者 と し ては 私 見 によ る ま で も な く高 等 学 校 の教 科 境 の産 物 であ る特 定 の 一般 的 な類 型 を 区 別 し 得 る 。 と も か の相 互 関 係 に注 目 す れば 、 こ の諸 関 係 か ら 、常 に歴 史 的 環 これ ら の諸 形 態 ・諸 条 件 は、 配 い に関係 し あ って いる 。 こ の多 様 な 諸 機 能 、 そし て都 市 の法 と制 度 であ る。何 故 なら、 都 市 の社 会 的 構 造 、 経 済 的 、 行 政 的 、 宗 教 的 中 心 地 と し て ば な ら な いと 言 う 。 例 えば 、 自 然 な いし物質 的 な空 間 配置、 活 の諸 形 態 、 それ ら が 生 起 し た諸 条 件 を 考 え に入 れ な け れ 先 ず 、 エ ンネ ンは、 中 世 都 市 の歴 史 的 類 型 論 は、 都 市 生 、、 番 目 の 地 帯 は 、 北 フ ラ ン スか ら ラ イ ン ラ ン ト を 通 っ て ダ ど こ も 地 中 海 都 市 文 明 の 直 接 的 な 影 響 を 受 け な か った 。 第 ゲ ル マ ン地 域 と ス カ ン ジ ナ ビ ア 地 方 で 、 こ れ ら の 地 方 で は て 広 域 的 な 三 区 分 を す る 。 ひ と つ目 は 、 ラ イ ン 河 以 東 の 北 エ ンネ ンは、 文 明 の継 続 に留 意 し て、 ヨー ロ ッパ に対 し 中 世 ま で の変 遷 は徐 々 に な され た の であ ると 考 え て いる 。 ネ ン は 、 い わ ば 連 続 説 の 立 場 に 身 を 置 き 、 ロ ー マ世 界 か ら イ スラ ム人 た ち の な せ る わ ざと 彼 は考 え る。 し か し 、 エン こ れ に 近 い が 、 ゲ ル マ ン人 た ち の 侵 入 で な く 、 あ く ま で も 書 の イ メ ー ジ で あ り 、 後 者 に つい て は 周 知 の ピ レ ン ヌ 説 は く 、 数 多 く の タ イ プ の都 市 が ヨ ー ロ ッパ の広 大 な 空 間 の う ニ ュー ブ 渓 谷 に ま で い た る 地 域 で あ る 。 こ の 地 方 で は 、 地 なる。 ち に出 現 し 、 そ の特 殊 化 の過 程 は 地 域 毎 や 年 代 毎 に変 化 す 中 海 都 市 文 明 は浸 透 し て い た。 深 刻 な 後 退 を 余 儀 な く さ れ て お り 、 ガ リ ア ・ラ イ ン ラ ン ト ・ダ ニ ュ ー ブ 渓 谷 と 先 ず 呼 る諸 影 響 の組 み合 わ せ の下 に生 じ た 。 エンネ ン は こ の論 文 最 初 の問 題 と な る のは、 占 代都 市 と 中 世 都 市 と の関 係 で び、 次 に、 中 間ゾ ー ンと か中 央 地 帯 と 称 し て いる が 、 、 、 。つ た が 、 地 中 海 都 市 文 明 は 必 ず し も 完 全 に破 壊 さ れ な か った 。 あ る。 ゲ ル マ ン人 たち や地中 海 を自 分 たち の海 とし てし ま っ 目 は漠 然 と し てい る よ う だ が、 筆 者 に は大 変 わ か り や す い に よ って こ の よ うな 特 殊 化 の大 筋 を 指 摘 す る にし か す ぎ な た イ スラ ム人 の侵 入 によ って、 都 市 だ け にと ど ま ら ず 、 社 北 西 ヨ ー ロ ッパ と い う 言 い 方 で あ る 。 エ ン ネ ン に よ れ ば 、 こ の地 帯 に ついて は、 エンネ ンは いろいろ な言 いか えを行 っ 会 体 制 そ のも の が劇 的 に破 局 し た と す る 見 解 は 放 棄 す べき 最 後 に地 中 海 ゾ ー ンで あ り、 ロー マの都市 的伝 統を 維持 し、 いと 述 べ る。 で はな いか と エ ンネ ンは論 じ る 。 こう い った カ タ ス ト ロ フ 150-一 け た。 そ れ ば か り か 、 イ タ リ ア で は次 の 二点 を 述 べる こと 都 市 中 心 地 は特 徴 的 な 生 活 様 式 を 失 わ ず に、 居 住 さ れ つづ 単 な る 家 内 工 業 にま で レベ ルダ ウ ンし て いな か った と言 え に輸 出 し 、 多 分 領 主 の指 揮 の下 で行 わ れ た。 こ の手 工業 は 定 住 様 式 の継 続 に つい てだ が 、 考 占 学 の助 け を得 て個 別 る。 よう に、 社 会 経 済 的 発 展 も 間 断 な く 続 行 され た し、 ふ た つ 研究 を す る 要 が あ る。 そ の こと に つい て、 そ の地 域 内 だ が が 出 来 る。 即 ち 、 最 近 再 び 明 示 さ れ た ボ ー河 地 方 でわ か る 目 と し て法 形 態 にお い てさえ都 市社 会 の基本 的 な継 続 があ っ し ば し ば 中 心 地 は移 動 し た 。 ボ ン の例 を 取 り あ げ る と、 現 な 研 究 の対 象 と な る の であ る が 、 エ ンネ ンは更 に細 分 し て 前 記 し た う ち 、 第 ニ ゾ ー ンの考 察 が 特 に重 要 で あ り、 主 の キ リ ス ト 教 の 殉 教 者 た ち の 墓 場 が あ る と こ ろ で、 こ こ に ら 南 方 に 一キ ロ メ ー ト ル ほ ど の と こ ろ で、 ロ ー マ帝 政 末 期 代 都 市 の 北 で 中 世 の 囲 壁 の 外 側 に あ った ロ ー マ期 の城 砦 か ね た と 言 い得 る。 こ の地 方 を考 察 し て いる 。 古 代 か ら 中 世 への変 遷 時 にお け る決 定 的 な継 続 要 因 と し 教 会 が 建 立 さ れ 、 こ こ か ら 中 世 都 市 ボ ンが 生 ま れ は じ め た 。 以 下 、 エ ンネ ン によ って特 徴 に つい て いく つか の点 を 考 え て キ リ ス ト 教 会 の 役 割 を 重 視 し な け れ ば な ら な い。 ボ ン と 多 様 な 都 市 機 能 が こ の中 央 ゾ ー ンでど の よ う に よ く維 持 る こと に し た い。 先 ず 、 古 代 ロー マ都 市 組 織 が か な り の程 ク サ ン テ ン ×p暮 ①コ で は 一九 三 〇 年 以 降 、 ま た 、 ケ ル ン と こ の例 は 、 い た る と こ ろ で 見 ら れ 、 歴 史 的 な 観 点 か ら 言 っ 度 消 滅 し 、 都 市 か ら農 村 への政 治 的 中 心 が 移 動 し た。 経 済 ト リ アー 早 一 霞 でも 発 掘 が 続 行 さ れ、 古 代末 期 にお け る ラ さ れ た か を 問 う場 合 、 ま た 連 続 を あ く ま でも ひと つの目 や 上 で は、 も は や都 市 中 心 でな いが 私 見 によ れ ば さ さ やか な イ ン地 方 の キ リ ス ト 教 徒 の共 同 体 の重 要 性 を う き ぼ り に し ても と ても 重 要 な 事 実 であ る と エンネ ンは 述 べる。 が ら 手 工 業 活 動 は都 市 にお い て継 続 し た の で はな か ろ うか た 。 ト リ ア ー の場 合 、 考 古 学 者 ケ ン プ フ と 歴 史 家 工ー ヴ ィ す と し た時 、 そ の中 味 に重 要 な 程 度 差 が あ る こと が わか る。 と 思 う 。 ボ ン じuO目 ・ケ ル ン 囚αぎ の 問 の フ ラ ンク の 陶 器 ヒ の い わば 共 同作 業 に負 う てい る と エンネ ンは論 じ る。 コ め 生 産 に つい て、 H ・ヤ ンク ー ン q碧 ざ ぎ の取 り 扱 った 考 ン スタ ン テ ィ ヌ ス帝 (三 〇 六 - 三 三 七 ) 期 の 司 教 座 教 会 は 古 学 の調 査 か ら判 明 し た の だ が、 スカ ンジ ナビ ア に大 規 模 151 〆 鶴 '\ 編 〃/ ノ// /ノ 画 ノ / 〃〃 / 7縫 BbHEIM /, PORTA NIGRA %% ヤr・ ・餅 斌 督 多 Aula MUSIL 描 囹 塗 KAISER` HERMEN / %瀦 搬l Focum Sr.isidor 〃〃 錘 i/1 悶 Sr.1icror 一 〆 CASTEL ノ 易 .ク ー鰍 BERGENTHEIM / ノノ / / γ /一 +/ Hlg.Krcuz 膨 /' 婚 喚 ローマ時代の市壁 一騨一昌 ・ 核 TRIER;,,;'r/ .ζ/ // r 1100年頃の推定 された都市領域(ケ ンプフによる) 中世の市壁 司教座教会のあ る境内 ローマ時代 に建てられた教 会 中世初期 に建 てられた教会 ローマ時代の居住地(ケ ンプフによる) 中世都市の 主要道路 中世初期の墓地 o.s ト リア ー の 歴 史 的 地 誌 〔出 典:注(4)のM.W.Barley(ed.)EuropeanTownsに 152 よ る〕 規 模 な ど に お い て最 大 級 のも の で、 当 市 では 数 千 人 のキ リ ス ト教 徒 が定 住 し て い た と言 わ れ 、 二 五 〇 年 頃 に はじ ま っ た ラ イ ン地 方 の キ リ ス ト 教 会 の 組 織 化 の 基 地 と な った 。 十 誓 そ し て ロー ヌ河 地 方 で も 農 村 的 色 彩 の こ い ヴ ィ ラ あ った ナ ル ボ ン ヌ Z 鍵 ぴo暮 ①地 方 、 ム ー ズ 河 畔 の リ エ ー ジ く已 鋤 か ら キ ヴ ィ タ ス o才 詳pωと な った ケ ー ス が あ る 。 即 ち 、 キ ヴ ィ タ ス化 に 注 目 す る 以 外 に 、 も う ひ と つ別 の 要 次 に 、 一一 元 構 造 に つ い て ふ れ た い 。 前 述 の初 期 の 特 殊 化 、 世 紀 頃 か ら 一〇 世 紀 ま で 、 ギ ャ ップ の な い こ の 司 教 リ ス ト 世 紀 に作 成 され た最 も 信 頼 でき る 司 教 リ ス ト によ れ ば 、 三 は 、 ゲ ル マ ン 人 の 侵 入 に あ って も 教 会 組 織 や キ リ ス ト 教 徒 ヴ ィク ≦ 時 と い う集 落 であ り、 始 源 的 に は 、 先 述 の第 一 素 の 役 割 を 取 扱 わ ね ば な ら な い と エ ンネ ン は 言 う 。 そ れ は ゾ ー ンか ら 生 じ 、 こ の 北 ゲ ル マ ン地 方 で は 、 人 口 の 希 薄 、 ぼ の社 会 が 存 続 し て い たと い う ポ ジ テ ィブ な 証 拠 と な る 。 ま た 、 キ リ ス ト 教 会 と は は じ め の う ち は す ぐ れ て都 市 的 であ っ いう 事 実 は都 市 生 活 の発 展 に高 度 に不 利 であ る よ う に思 わ 支 配 階 級 た る貴 族 が全 く農 村 に支 配 の基 礎 を 置 い て いた と エ ン ネ ン は 、 ボ ン と ア ン デ ル ナ ッ ハ ﹀こ 霞 コp筈 で は 、 れ る。 そ こ で は、 商 業 は そ の目 的 のた め に団 体 と し て組 織 た と い う わ け で、 都 市 生 活 の連 続 も物 語 る も の であ る 。 墓 地 の 発 掘 の結 果 、 ロ ー マ属 州 民 が フ ラ ン ク の 征 服 者 た ち さ れ 、 特 殊 な タ イ プ の小 定 住 地 であ るヴ ィ クか ら や ってく 重 要 な こと で、 施 設 を重 ん じ る エンネ ンは、 司 教 座 教 会 都 胎 動 を も 暗 示 す る。 し か し 、 司 教 座 が 都 市 にあ った こ と は お け る農 村 人 口 の増 大 、 そ の基 礎 と な す 農 村 経 済 の新 し い は 、 単 に農 村 に キ リ スト教 会 が ふ え た の で はな く、 各 地 に や 常 に生 成 す る多 く の農 村 教 会 に つい て であ る が、 私 見 で 権 力 か ら独 立 し て いる 拠 点 が 出 来 てく る が、 そ れ は修 道 院 カ ロリ ング期 には いる と 、 エ ンネ ンに よ れば 都 市 の 司教 あ る い は カ ス ト ル ム 鍵 。。暮 ≡ 琶 に 接 合 さ す こ と が 出 来 た 。 マ都 市 か ら 変 容 を と げ な が ら も 残 存 集 落 で あ る キ ヴ ィ タ ス、 う な 環 境 にお い てヴ ィク は重 要 性 を ま し 、 そ れ 自 体 を ロー 生 き 残 っ て い た 前 述 の 第 .. ゾ ー ンにお い て であ る 。 こ のよ 発 揮 さ れ た のは 、 先 ず ロー マの都 市 的 伝 統 が 部 分 的 にし ろ 得 な か った 。 ヴ ィ ク の 都 市 形 成 に 対 し て 創 造 的 な 潜 在 力 が だ 創 造 的 な 要 素 で は あ った が 、 そ れ 自 体 で は 都 市 と は な り る 遍 歴 商 人 に よ って行 わ れ て いた 。 ヴ ィ クは 潜 在 性 に富 ん け と 土ハ 存 し続 け た と 述 べる 。 市 と い って い る が、 ラ イ ン ラ ン ト、 か つて ロー マの属 州 で 153 一 鵬. ︽ー N z 000000000 後期 ローマ帝国時代の囲壁 ●■ ■■ 匿■ ■■9●■閣 ■)■■ ■9■■一●■■ ■■D6■ ■ ■ 陰■ ■■9 下町の防禦施設の推定線(11世 紀 13世 紀?) 1Cathedrale 5Saint-ti'laur 9Saint-Victor AYIaceMazel 2Saint-Vanne 6La:Madeleine 10Saint-Sauveur BKueChatel 3Saint-Pierre 7Sainte-Croix CTourleVoue 4Saint-Paul 8Saint-Airy DBraceolum ヴ ェ ル ダ ン の 都 市 図 〔出 典:注(17)のE.Fnnen,DieeuropaischeStadtdes Mittelaltersに 154一 よ る 〕 は 古 い ロ ー マ都 市 、 即 ち キ ヴ ィ タ ス の 囲 壁 外 に ラ イ ン地 方 い ロ ー マ の 城 砦 の南 方 に商 人 定 住 区 が つく ら れ 、 ケ ル ン で い く つか の 例 を あ げ る と 、 ラ テ ィ ス ボ ン 即暮 一 ωσ8 は 、 古 世 都 市 成 立 の 中 味 の 規 準 は 都 市 共 同 体 ○。鐙 鼻 σqΦ3 9巳 ① に 中 世 都 市 の形 成 が み ら れ る と いう こと であ る。 そ し て、 中 は 、 あ く ま で も こ の 両 者 の 融 合 過 程 に こ そ 北 西 ヨ ー ロ ッパ る コミ ュー ンが 一応 重 視 さ れ て いる。 り エ ンネ ンも お い て いる よ う であ り、 そ れ を成 り立 た せ て い では 、 そ の都 市 の知 見 の 商 人 た ち は 彼 ら 自 身 の城 外 区 で あ る ス ブ ウ ル ビ ウ ム を つ く った 。 ま た 、 ヴ ェ ル ダ ン く興 α巷 エ ンネ ンは第 ニ ゾ ー ン にあ り な が ら、 イ ギ リ スの特 異 性 次 に、 エンネ ンは 第 三 地帯 の地 中 海 都 市 に つい て以 下 の に 基 い た リ シ ェ 即一 窪 霞 の九 五 五 年 の 描 写 が あ る 。 そ れ に 禦 施 設 の プ リ ミ テ ィブ な も の は 既 に あ った と 考 え ら れ る 商 よ う に論 じ る。 即 ち、 第 ニゾ ー ン の都 市 と は明 らか に異 な を 次 のよ う に論 じ て いる。 即 ち、 貨 幣 経 済 と王 権 の優 越 性 人 の 植 民 区 が あ り 、 近 接 し て い る が ム ー ズ 河 に よ っ てキ ヴ ィ り、 都 市 生 活 が消 滅 し な か った イ タ リ アが典 型 的 であ り、 よ る と 一五 四 頁 の 図 で も よ く わ か る よ う に キ ヴ ィ タ スが 先 タ スと は 切 り はな され 、 橋 に よ って のみ連 絡 さ れ て い る。 二元 構 造 と は対 象 的 に、 キ ヴ ィタ スは統 一性 を 維 持 し 、 中 の故 に、 都 市 は た だ 限定 さ れ た法 上 の自 治 を 得 た にし か す 最 後 の例 と し てガ ン Ωき αの 二元 構 造 に つい て の エ ンネ ン 世 初 期 の当 初 か ら す で に地 域 市 場 を は ら ん で い る。 既 に九 ず あ り 、 次 い で そ の 防 禦 施 設 が 完 成 さ れ る の は 十 一世 紀 か 説 で は な く 、 ガ ンの都 市 形 成 は複 合 的 な 過 程 を と ってな さ 世 紀 と 一〇 世 紀 に、 自 由 な 商 人 が コ ンタ ー ド 8 暮 巴 ○の ぎ な い、 と。 れ た こと を 考 え る要 が あ り、 私 見 に よ れ ば、 キ ヴ ィ タ スと 土 地 を 購 入 し つ つあ り、 貴 族 も 任 意 な い し強 制 的 に都 市 へ ら 十 三 世 紀 ご ろ ま で な の であ ろ う が 、 九 五 五 年 現 在 で も 防 ヴ ィ ク や ボ ル ト ゥ ス と い っ た スブ ウ ル ビ ウ ム と の 二 元 構 造 移 住 し 、 彼 ら の都 市 邸 宅 ・塔 は特 徴 的 であ り、 都 市 に よ る ロ は大 枠 を 示 し て い るが や や古 典 的 な 見 解 と言 わ ざ る を え な コ ンタ ー ド支 配 が な さ れ、 商 人 を 中 心 とす る都 市 国 家 と い ハ い し、 個 別 都 市 の研 究 を す る要 が あ ろ う。 し か し 、 エンネ う 特 徴 を も つよ う にな る。 第 三 ゾ ー ン か ら 第 ニ ゾ ー ン へ の 影 響 に つい て エ ン ネ ン は の ン は 、 ヴ ィ ク す な わ ち スブ ウ ル ビ ウ ム は 勢 力 を 増 加 さ せ 、 キ ヴ ィタ ス の方 は下 降 し が ち にな る が、 エンネ ン の強 調 点 155一 第 三ゾ ー ンは、 エンネ ン によ れ ば 、 第 二地 帯 の法 制 度 史 ズ 河 畔 の ナ ミ ュー ル Z9ヨξ の都 市 景 観 な ど があ げ られ る。 影 響 が 古 く か ら 運 ば れ る ル ー ト であ り 、 個 々 の 例 と し て ム ー こ む ザ ー ル川 の 諸 地 方 で、 こ れ ら は い ず れ も 地 中 海 文 明 の そぎ こむ こ と に な る モー ゼ ル河 の上 流 、 モ ーゼ ル河 に流 れ が 現 在 で も み ら れ る 地 方 と し て 、 ム ー ズ 河 、 ラ イ ン河 に そ はも と も と南 欧 か ら拡 大 し た の であ り、 居 住 様 式 の南 欧 型 以 下 の よ う に論 じ る。 即 ち 、 集 住 の習 慣 、 石 造 建 築 の技 術 パ型 の都 市 に典 型 的 であ り、 他 地 域 へ の広 汎 な 伝 播 が みら た 占 代 都 市 と 相 異 し 、 前 述 のよ う な諸 特 徴 は北 西 ヨー ロ ッ が 統 治 し 、 常 にL と し て政 治的 ・軍事 的 ・宗教 的拠 点 であ っ 融 合 し 、 共 同 体 と し て成立 し た。 専 ら都 市 住 い の貴 族 階 級 政 治 的 諸 権 利 を 享 受 し 、 多 様 な社 会 階 層 が ﹁市 民 ﹂ と し て つの観 点 を 総 じ て述 べれ ば 、 史上 は じ め て、 経 済 的 人 間 が は 、 商 r 業 のき わ だ った 重 要 性 を も ってお り、 これ ら ふ た 成 さ れ て い る のが 特 徴 であ り 、 経 済 的 観点 か ら の中 世 都 市 テ ィが 認 め ら れ る が 、 阻 止 し が た い団 体的 諸 力 によ って構 も ム ー ズ河 地 方 の重 要 を 指 摘 し 、 第 二地 帯 の都 市 が、 南 欧 定 的 諸 力 も 地 中 海 都 市 か ら 伝 播 し た 。 そし て、 そ の う ち で 人 間 の人 的 統 合 を領 域 性 を も つ共 同 体 勢 力 に移 行 さ せ た決 ス タ 以 後 の ス ペ イ ン諸 都 市 、 南 フ ラ ン ス の ソ ォ ー ヴ テ ら れ た 都 市 を ﹁建 設 都 市 ﹂ と い う 。 諸 例 と し て 、 レ コ ンキ べ る 。 即 ち 、 領 セ に よ っ て領 域 支 配 の た め に 、 計 画 的 に 作 次 に 、 ﹁建 設 都 市 ﹂ に つ い て エ ンネ ン は 以 ド の よ う に 述 れ にも 影 響 を 与 え た わ け であ り 、 司 教 都 市 の司 教 の支 配 は帝 れた。 都 市 を モデ ル にし解 放 区 と し て最 初 に姿 を 見 せ た の は こ の 。。窪 く①諭 と バ ス テ ィ ッ ド σ霧 江α①、 北 東 フ ラ ン ス の ヴ ィ ル ・ れ 政 ロー マ末 期 か ら の遺 産 であ り 、 ギ ル ド構 成 員 と し て の商 地 方 であ る。 一方 、 都 市 法 の領 域 性 は フラ ンク の地 域 社 会 ヌ ー ブ <一 一 一 ① 出 2 <①、 ド イ ツ の 国 王 ・領 主 都 市 な ど が あ り 、 輸窮 都 市 の単 な る地 域 的 類 型 だ け で は不 十 分 で、 年 代 的 変 ハ に モデ ルを持 つが、 前 述 のよ う な 南 欧 か ら の影 響 を 受 け て ド イ ッ で の こ の種 の都 市 建 設 は 主 と し て 十 三 ・四 世 紀 で あ 十 一・十 二世 紀 あ る いは 中 世 盛 期 の中 世 都 市 の特 徴 に つ 化 も考 え る 要 が あ り、 この種 の都 市 は中 世 都 市 のう ち で高 お 効 果 を表 わ し た。 い て の エンネ ン の主 張 を 要 約 す れ ば 次 の よう にな る。 即ち 、 い 割 A口を 占 め る 。 従 っ て、 特 に 中 世 の 後 期 史 に お い て 、 人 り 先 ず 、 法 制 的 観 点 か ら み た 中 世 都 市 は、 各 地 で オ リジ ナ リ 156 エ ンネ ンは、 結 語 と し て、 類 型 論 の意 義 に つい てふ れ 、 ℃げ 巳 訂 と こ の ふ た り の大 家 の 中 世 都 市 の 成 立 論 を 批 判 し 研 究 を 土 台 に し て 理 論 を 打 ち た て た H ・プ ラ ー ニ ッ ツ の 一端 を 示 し た 。 こ の 章 で は 、 次 の ふ た つ の点 を 主 に述 べ 中 世 都 市 は全 く 画 一性 を示 さ な い。 そ の歴 史 を と ても 興 味 た E ・ エ ン ネ ン 国暮 窪 の 研 究 動 向 を 主 軸 に し て 、 内 外 の 口 一万 人 以 上 の大 都 市 、中 規模 都市 、小都 市 と い った規模 ・ あ る も の にす る と同 時 にむ つか し く し て いる のは こ の多 様 研 究 動 向 を 明 ら か にす る。 次 に、 そ のさ い、 成 立 論 で大 き る 。 即 ち 、 ひ と つ目 は 、 H ・ピ レ ン ヌ 空 同8 器 の 経 済 史 的 性 に よ って であ る。 従 って、 類 似性 を 詳 し く 検 討 し 、 都 市 な 位 置 を 占 め て き た ピ レ ン ヌ 理 論 の 修 正 ・批 判 を 通 じ て 、 人 口 に よ る類 別 も 必 要 であ る。 の諸 類 型 を 区 別 す る こと によ って のみ 、 個 別 都 市 の歴 史 の 中 世 初 期 の 問 題 も 考 え て み た い。 中 世 都 市 研 究 の 最 も 豊 富 に行 わ れ て き た ド イ ッ の 研 究 を 問 に存 す る多 く の相 異点 に つい てそ の本 質 を 現 実 に理 解 す る こと が出 来 る。 こ の方 法 によ って のみ 、 我 々 は諸 都 市 が ひ と つ の 軸 と 一応 し て 、 ベ ル ギ ー 、 イ ギ リ ス、 日 本 の そ れ 論 を 考 え て 行 き た い 。 筆 者 の 得 意 と す る フ ラ ン ス の研 究 動 西 ヨー ロ ッパ の歴 史 にお い て果 し てき た き わ だ った 重 要 な 以 上 で、 エンネ ン の歴 史 的 類 型 学 に つい て終 るが 、 エ ン 向 は 、 ド イ ッ 学 界 の 影 響 を ほ と ん ど と い っ て よ い程 受 け て ぞ れ の研 究 動 向 を お り こ む こ と に よ っ て、 中 世 都 市 の 成 立 ネ ンが自 説 を や や 評 価 しす ぎ て いると の感 はあ るが、西 ヨー い な い。 従 っ て 、 フ ラ ン ス 学 界 の 動 向 は 若 干 だ け 述 べ る に 役 割 を 理解 す る大 筋 を つか む こと が 出 来 る 。 ロ ッパ の中 世 都 市 研 究 の対 象 と 方 法 に つい て や や古 い学 説 と ど め て、 別 稿 で述 べ る こと にし て割 愛 す る。 F ・ア イ ヒ ホ ル ン 票 。喜 。毎 と 彼 以 後 の 法 制 史 研 究 の ひ と ド イ ッ に お い て 、 成 立 論 に つい て、 一九 世 紀 は じ め の K ・ であ る が 一定 の貢 献 を し て い ると い え る であ ろ う。 西 ヨー ロ ッパ 中 世 都 市 の成 立 ント ヘル シ ャ フト こ そ重 要 であ ると の両 者 の主 張 が され 、 ⑪ 第 一章 では 、 中 世 都 市 を 研 究 す る場 合 、 ど ん な対 象 が あ 更 に それ ら と の対 立 す る共 同 体 を こ そ重 視 す べき であ ると つの成 果 と し て、 王 権 を重 視 す べき で はな いか 、 い やグ ル り、 方 法 が あ るか を 、 エ ンネ ンの業 績 を 主 と し て用 い、 そ 一157一 し て G ・V ・ ベ ロ ウ じd①δ 乏 が あ げ ら れ る が 、 彼 は 都 市 共 ら れ る こと であ る。 これ ら の研 究 動 向 を 代 表 す る ひ と り と ラ ン ス で も こ の時 期 に 同 じ よ う な 個 別 都 市 研 究 の 動 向 が み 個 別 研 究 が勢 力 的 にさ れ る よ う にな り 、 注 目 す べき は、 フ 優 越 し て いる と は いえ 、 わ か れ て出 てく る。 更 に、 都 市 の え る わ け で、 法 制 的 研 究 か ら 経 済 史 的 研 究 が 、 前 者 が ま だ あ げ ら れ る 。 一八 七 〇 年 後 半 以 後 、 ひ と つ の 過 渡 期 を む か 体 。。$ 象 σq①ヨ Φぎ働Φを 区 別 し て 考 え る よ う に な った こ と が と つ の 成 果 と し て 都 市 領 主 制 ○。げ巴 夢 ①ほ 。。窪 p津 と 都 市 共 同 の観 点 が出 てき た。 従 って、 理 論 を 重 視 す る とす れ ば、 ひ の否 定 、 大 戦 の原 因 にひ と つの影 響 を 与 え た ナ シ ョナ ル ・ し た。 そ の こと によ って、 ピ レ ン ヌは従 来 の西 欧 中 心 史 観 ま でも 自 己 の専 門 分 野 であ る歴 史 学 に よ って解 決 し よ うと ヌも そ の ひと り であ った。 け れ ど も、 彼 は こ の苦 悩 を あ く と いう 深 刻 な 懸 念 を 特 に知 識 人 は も つに い た る が、 ピ レ ン パ ワ ーが 破 綻 を き た し、 当 時 、 ﹁西 欧 に 明 日 は あ る の か ﹂ あ ろ う。 大 戦 は西 欧を 主と す る近 代国 家 のバラ ン ス ・オブ ・ な変 化 を も た ら し た こと を述 べ てお か な く ては な らな い で り し た こと な ど の戦 争 の原体 験 が彼 の歴史 上 の見 解 の大 き お く る こと 、 ま た 、 愛 息 を イ ゼ ー ル河畔 の戦 い でな く し た 北 西 ヨ ー ロ ッパ の中世 都 市 の成 立 を と り扱 い、 これ ま で の ヒ スト リ イ の批 判 を 通 じ て、 現 実 の国 境 の枠 をと り はら い、 一八 九 〇 年 代 は 、 経 済 史 的 研 究 の前 段 階 と し て 、 R ・ゾ ー 伝 統 的 な 見 解 の批 判 を都 市 研究 に お い て も代 表 さ せ た こと 同 体 を 重 視 し、 農 村 共 同 体 に そ の根 を み た。 ム ω○ゴ白 の市 場 法 説 、 S ・リ ー ッ チ ェ ル カ一 Φ訂 筈 ①一の 市 場 が重 要 であ る 。 彼 の中世 都 市 成 立 の要 約 は次 のよう にな る。 定 住 説 が、 そ れ ぞ れ 出 てく る。 即 ち、 ﹁十 一世 紀 の商 業 の復 活 によ って 確 立 し た商 人 定 住 ピ レ ン ヌ学 説 の影 響 は欧 米 学 界 に わ た り注 目 され た が 、 ② 区 の遠 隔 地 商 人 が 中 心 に な って中 世 都 市 は成 立 し た。﹂ 研 究 が軌 道 に のせ ら れ る の は周 知 の事 実 であ る。 何 故 、 ピ そ の検 証 ・発 展 が 以 下 の よ う な研 究 者 を 代 表 と し て行 わ れ H ・ピ レ ン ヌ説 ピ レ ン ヌ に いた って、 成 立 論 に対 す る本 格 的 な経 済 史 的 レ ン ヌを重 視 す る のか を 詳 論 す る の は割 愛 す る が、 第 一次 る。 即 ち 、 先 ず H ・L ・ ガ ン ス ホ ー フ に よ っ て ピ レ ン ヌ ・プ ラ ー ニ ッ ツ 、 ピ レ ン ヌ の 高 弟 の F ・ 世 界 大 戦 でド イ ッ軍 に当 時 ガ ン大 学 の花 形 教 授 で あ った彼 フ ェ ル コ ー ラ ンと F れ は消 極 的 な レジ ス タ ン スを や った と い う こ と で捕 虜 生 活 を 158一 ン ソ ンは、 ピ レ ン ヌ理論 を イ ギ リ ス にあ て はめ て、 イギ リ 理 論 は 検 討 さ れ な が ら 発 展 さ れ て い った 。 C ・ ス テ ィ ー ヴ 期 市 が 開 か れ た 所 で あ る ト ロ ア 弓同o巻 ωな ど が 八 世 紀 半 ば 場 と し て す で に 、 後 の 十 二 ・三 世 紀 に シ ャ ン パ ー ニ ュの 定 時 、 主 だ った 交 通 路 と し て セ ー ヌ 河 が あ った わ け だ が 、 市 ス 中 世 都 市 の 研 究 を 行 った 。 ∵ 三 世 紀 に シ ャ ン パ ー ニ ュの大市 が 開 か れ る こと にな る ラ ニイ 以来 あ り、 十 世 紀 の後 半 と も な れ ば、 これも 後 の士 の 西 ヨ ー ロ ッパ 中 世 社 会 の 形 成 を め ぐ る M ・ ロ ン バ ー ル な ピ9σq塁 、 プ ロヴ ァ ン 男同o<冒 。。な ど の定 期 市 、 そ の 他 、 局 地 ピ レ ン ヌ説 の修 正 ・批 判 に つ い て 考 え て み る 。 ピ レ ン ヌ ど の批 判 と密 接 な 関 係 を も ち な が ら 、 彼 の都 市 成 立 論 に つ 内 交 換 の場 と し て ロ ー カ ル な 週 市 や 農 村 市 場 が あ っ た 。 輸 ﹁要 す る に 、 多 分 こ れ は 本 質 的 な こ と で あ る が 、 ヴ ァ イ キ 説 的 で あ る が 、 ヴ ァ イ キ ン グ 研 究 の 大 家 L ・ミ ュ ッ セ の を ど れ ほ ど ま ひ さ せ た か で 、 S ・ボ ー リ ン説 も 反 ピ レ ン ヌ ひと つ目 は、 ノ ル マン人 の侵 入 が 初 期 の西 欧 の都 市 機 能 こ に あ る の か と い う こ と で あ り 、 そ れ は セ ー ヌ河 上 ・中 流 エ ー ル ト の強 調 点 と し て 、 ブ ド ー 酒 商 業 の発 展 の 基 盤 が ど 量 販 売 と いう こと に注 目 す る 必 要 が あ る。 と ころ で、 ド ゥ 当 地 方 の特 産 物 た る ブ ド ー 酒 と い う い わ ば 生 活 必 需 品 の 大 出 品 と し て パ リ 盆 地 生 産 の ブ ド i 酒 が 最 重 要 で、 こ の 場 合 、 い ても 以 下 の よ う な 問 題点 が 指 摘 さ れ て い る。 ン グ は 全 ヨ ー ロ ッパ の す べ て の 地 域 を 諸 交 換 にめ ざ め さ せ 、 地 方 のブ ド ー栽 培 の生 産 力 の向上 と 関連 し て いた こ と であ あ 商 品 の諸 流 通 を起 さ せ た﹂ と いう 考 察 を ふま え て ノ ル マ ン る。 パリ 地 方 の農 村 社 会 に商 品 流 通 を 展 開 さ せ る活 力 が存 ピ レ ン ヌ の学 説 批 判 を 主 眼 と し て いる と い ってよ い。 前 者 が 人 の果 し た ポ ジ テ ィブ な 役 割 を 過 大 評 価 す る こと な く認 め 在 し て いる こと を 強 調 し 、 都 市 の遠 隔地 商 業 を重 要 視 し た 第 二 の批 判 的 な動 向 と し て、 ピ レ ンヌ の遠 隔 地 商 業 ・商 のよ う な 動 向 か ら 都 市 の成 立 も 又 展 望 し て いる と いえ る で る こと が 必 要 であ る と 思 う。 人 の重 視 に つい て であ る。 これ に批 判 的 な 学 説 と し て ふ た あ ろ う。 ふ た つ目 は 、 ム ーズ 河 地 方 の地 域 研 究 か ら 得 ら れ た成 果 つの重 要 な い わ ば地 域 研究 に つい て ふれ た いと 思 う。 一番 目 は、 R ・ド ゥ エー ル ト の九 ・十 世 紀 の パ リ地 方 で の商 品 であ る。 そ れ は、 G ・デ スピ ィ によ る 九 ・十 世 紀 の都 市 ・ 流 通 、 と り わ け、 ブ ド ー酒 商 業 に つい て の研 究 であ る。 当 159一 ら都 市 の成立 を 論 じ る のではな く、あ く ま でも在地 の生 産 ・ ピ レ ン ヌ のよ う な 在 地 に結 び つか な い よ う な生 産 ・流 通 か く簡 単 に次 のよ う な 結 論 だ け 述 べ て お く にと どめ る。即 ち、 あ る。 そ の内 容 に つい て はす で に紹 介 さ れ て い る の で、 ご 農 村 の動 向 であ り、 ム ーズ 河 地 方 の商 業 の場 合 に つい て で つ目 は 、 中 世 都 市 の 成 立 過 程 の 経 済 的 基 礎 -先 ず も っ て、 ラ ー ニ ッ ツ理 論 の 問 題 点 を や や た ち い っ て考 え た い。 ひ と な 中 世 都 市 が 成 立 し た と 主 張 し た。 以下 では、 む し ろ、 プ う に 、 商 人 ギ ル ド と 都 市 宣 誓 共 同 体 が 中 心 に な っ て本 格 的 ピ レ ン ヌ の経 済 史 的 研 究 の成 果 を土 台 にお い て、 周 知 の よ ツ の中 世 都 市 成 立 論 の要 点 だ け を 記 す。 プ ラー ニ ッツは、 流 通 か ら 都 市 の形 成 を 考 え よ う とす る わ け であ り、 画 期 的 経 済 的 基 盤 を 置 い て論 じ よ う と し た 視角 は 正 し い ーを ピ レ れ な文 献 であ る と い って よ い。 ンヌ説 にお い て い る以 上 、 ピ レ ン ヌ説 が批 判 さ れ れ ば、 プ て 一定 の 重 要 性 を 与 え ら れ た ﹁ヴ ィ ク ﹂ 概 念 も 、 実 態 は は 日 本 で のピ レ ンヌ説 に対 す る批 判 的 論 者 と し ては 、 瀬 原 こ の よう な 二 ・三 の いず れ も重 要 な も のな の で はあ るが る か に 農 村 的 集 落 が 多 い と い わ れ て い る 。 ふ た つ目 の 問 題 ラ ー ニ ッ ツ の 見 解 も 連 動 し て 問 題 視 さ れ ざ る を 得 な い。 こ 問 題 点 だ け を 取 り上 げ ても 都 市 成 立 に関 す る ピ レ ンヌ理 論 点 だ が 、 プ ラ ー ニ ッ ツ の コ ミ ュー ン運 動 の と ら え 方 だ が 、 義 生 、 井 ヒ 泰 男 、 森 本 芳 樹 の 三氏 が代 表 的 であ り 、 瀬 原 氏 は再 検 討 を せ ま ら れ、 そ れ は か な り 果 さ れ た と 思 う が 、 し 都 市 領 主 対 都 市 宣 誓 土ハ 同 体 と いう よう に視 野 が せ ま く、 司 れ は若 干 こ ま か い こと かも しれ な いが、プ ラ ー ニ ッツによ っ か し な が ら、 こ の よ う な 研 究 動 向 そ のも のが 、 ピ レ ンヌ が 教 の 暴 政 に よ って コ ミ ュー ン運 動 が お こ り 勝 利 を 席 捲 し て は ドイ ツ学 界 の動 向 も ふ ま え て いる。 現 在 の都 市 研 究 の本 格 的 な 出 発 点 と な って い る こと を 明 確 行 く と プ ラ ー ニ ッツは い う が、 原 因 が 単 純 す ぎ る し 、 闘争 に示 し てい る。 と い う よ り も いわ は平 和 的 に認 め ら れ た 場 合 も 多 く、 既存 わ ⑤ の諸 権 力 と の関係 を再 検 討 す る要 が あ ろ う 。 フ ラ ン ス ・ベ H ・プ ラ ー ニ ッ ツ 説 プ ラー ニ ッツ に いた って はじ め て中 世 都 市 成 立 の法 制 史 ロ ル ギ ー 史 学 の動 向 と し て 、 こ の よ う な 観 点 か ら コ ミ ュ ー ン ゆ 的 ・経 済 史 的 研 究 の 総 括 が さ れ た と し て 、 か つ て は 、 も う 史 研究 が さ れ てお り、 プ ラ ー ニ ッ ツの視 野 の狭 さ に対 し て れ 他 の学 説 を詮 索 す る 必要 は な いとま で言 われ た。 プ ラー ニ ッ 160一 の主 な 研究 動 向 は プ ラ ー ニ ッツ学 説 の評 価 を ひ と つの軸 と ラ ー ニ ッツ理 論 の評 価 は非 常 に高 か った と い わ れ る。 戦 後 と く に か つて の ドイ ッ民 主 共 和 国 (東 独 ) に お い ては プ ◎ E ・ エンネ ン説 論 にあ う こ と にな る 。 役 割 を 高 度 に重 視 す る のも 問 題 であ り 、 エ ンネ ンな ど の反 商 人 ギ ル ド が都 市 宣 誓 共 同 体 ひ い ては 都 市 共 同 体 に果 し た に都 市 宣 誓 共 同 体 ( 横 点 筆 者 ) のな か にみ た こと 、 ま た、 討 さ れ て い る。 最 後 に、 都市 共 同 体 の根 を 余 り にも 一面 的 は、 ドイ ッで は例 え ば ケ ル ン史 に つい て国 制 史 レ ベ ル で検 な 慣 習 と 法 に よ っ て判 決 し たか ら であ る。 こ のよ う に エ ン 者 が 任 命 さ れ る よ う に な り、 ラ ント法 によ ら ず 商 人 の公 正 のは 十 世 紀 以 降 す で に存 在 す る参 審 員 の団 体 は 市 民 の有 力 下 であ っても 自 治 的 発 展 を 徐 々 に促 進 し た と す る。 と いう も に、 こ の組 織 に みら れ る参 審 員 の制 度 が都 市 領 主 の支 配 に、 こ の裁 判 組 織 は都 市 共 同 体 に地 域 的 基 盤 を与 え ると と 的 な裁 判 共 同体 に地 域 共 同 体 と し て の画 定 を み て い る。 次 て成 立 し た個 別共 同 体 、 と く に、 都 市 領 主 の支 配 す る全 市 を 基 盤 と し商 人 ギ ルドと当該 地域 の農 村共 同体 の影 響 によ っ あ ったと す る。 つま り、 先 ず、 ケ ル ンに代 表 させ て、 教 区 進 め ら れ 、 宣 誓 共 同 体 の運動 は そ の ひと つの仕 上 げ 段 階 で お し て き た と い ってよ か ろ う。 こ の う ち、 E ・ エンネ ン のプ 定 的 要 因 と 見 な す プ ラ ー ニ ッツ に対 し て、 エ ンネ ンが ど の 誓 共 同 体 の結 成 と 運 動 (コミ ュー ン運 動 ) を 都 市 成 立 の決 エンネ ンのプ ラ ー ニ ッツ批 判 は多 岐 にわ た る が 、 都 市 宣 二段 階 であ った と す る。 こ のよ う な論 点 を 主 と す る エンネ し た宣 誓 土ハ同体 の運 動 は少 な く と も都 市 共 同体 の成 立 の第 と考 え る べき であ り 、 ゲ ノ ッセ ン シ ャ フト的 な自 治 を 獲 得 自 治 的 発 展 を う な が し た が ゆ え に、 都 市 共 同 体 の第 一段 階 ネ ンは、 裁 判 共 同 体 は ヘル シ ャ フト的 な 拘 束 が あ った にし よ う に考 え て い る か が先 ず 重 要 であ る 。 都 市 の成 立 に領 主 ン の見 解 は 、 不 十 分 にし ても 、 領 主 権 力 か 市 民 か と いう 二 ラ ー ニ ッツ批 判 が ま ず 注 目 さ れ る。 以下 では、 エ ンネ ンの 側 の役 割 も 認 め よ う と す る エ ンネ ンは、 宣 誓 共 同 体 の 運動 者 択 一論 でな く 、 後 者 の発 展 に前 者 が 対 応 す る と いう 形 で ても そ れ は形 骸 化 さ れ、 地域 的 共 同 体 と し て の画 定 と そ の を 決 定 的 要 因 と は考 え な い。 エ ンネ ンは都 市 領 主 支 配 の時 地 域 共 同 体 と し て の都 市 共 同 体 の実 質 的 基 盤 が 形 成 さ れ て 見解 を 中 心 に み て行 き た い。 代 にす で に地 域 共 同 体 と し て の画 定 と 自 治 的 発 展 が徐 々 に 一161 行 く よ り 現 実 的 な 過 程 が 認 識 され て い る と いわ れ る。 商 人 ギ ル ドが そ のま ま 発 展 し て都市 共 同 体 にな った と は考 質 的 に新 し い地 域 共 同 体 と し て の画 定 と裁 判 、 行 政 の自 治 の相 互 作 用 に捉 え よう と し てお り 、 前 述 し た よ う に、 全 な 結 局 、 エ ンネ ンは中 世 都 市 の成 立 過 程 を よ り多 く の要 素 え て いず 、 主 に宣 誓 共 同 体 の運 動 の指 導 勢 力 と し て重 視 し 組 織 の成 立 が みら れ た と し て いる。 一方 、 エンネ ンも 都 市 いし 西 ヨー ロ ッパ規 模 で都 市 成 立 の地 域 的 類 型 を企 てる 必 し か し、 プ ラ ー ニ ッ ツも 裁 判 共 同 体 、 参 審 員 制 度 の存在 領 主 支 配 の時 代 にす で にあ る程 度 み ら れ た 自 治 的 発 展 を 一 要 性 を 強 調 し て い る。 プ ラ ー ニ ッ ツの取 り 上 げ な か った都 て い る のだ か ら、 エ ンネ ン の いう よ う に商人 ギ ルド が確 に 応 更 にお こな わ せ た の が宣 誓 共 同 体 の運 動 に ほか な ら な い 市 に つい ても 詳 説 し て いる わ け だ が 、 エンネ ン の見解 は プ は事 実 と し て認 め てお り、 ただ 都 市 領 主 の支 配下 にあ る裁 と 認 め て い る。 従 って、 エンネ ンは 相 対化 し ている のだが、 ラ ー ニ ッツが取 扱 った 諸 都 市 に つい ても 少 く と も そ の初 期 人 的 団 体 にす ぎ な いと し ても 、 プ ラ ー ニ ッツ理論 を基 本 的 こ の段 階 に関 す る か ぎ り、 プ ラ ー ニ ッ ツ理 論 は完 全 に破 棄 の成 立 過 程 には エ ンネ ンの学 説 の妥 当 性 に つい て検 討 の余 判 活 動 は 自 治 と は い いが たく 、 宣 誓 共 同 体 の結 成 と 運 動 に さ れ る こと は な い と考 え ら れ る。 従 って、 エ ンネ ンの い う 地 を 残 し て いる。 プ ラ ー ニ ッ ッ、 エ ンネ ン以 後 の主 な中 世 にゆ るが す こと にな ら な い の では な か ろ う か と 思 う。 都 市 共 同 体 の第 一段 階 であ る 都 市 領 主 支 配 の時 代 で の主 に 都 市 成 立 の研究 は こ の両 理 論 を 全 な いし 西 ヨ ー ロ ッパ規 模 よ っては じ め て都 市 領 主 の持 って い る支 配権 に由 来 し な い 裁 判 共 同 体 と いう 形 で の地域 共 同 体 と し て の画 定 と 漸 次 に と な ってき た。 し か しな が ら、 こ の三 者 それ ぞ れ の理論 も で これ ま で各 地 域 、 各 都 市 にわ た って検 討 し てき た と いえ 又 、 ヴ ィク の団 体を 一義 的 に商人 ギ ルドとす る プ ラー ニ ッ エンネ ンは ま だ存 命 中 だ が極 論 す れ ば か な り古 典 的 見 解 に み ら れ る自 治的 発 展 が 都 市 共 同 体 の成 立 にど れ ほ ど積 極 的 ツの 見解 は 、 少 く と も エ ンネ ンの いう よう に商 人 ギ ルド は 徐 々 にな り つ つあ る の が現 状 であ ると い って よか ろう 。 し る であ ろ う。 そ し て、 ピ レ ンヌ理 論 も 検 討 の ひと つの対 象 人 的 団体 であ り 地 域 共 同 体 を 構 成 し な い と い う か ぎ り にお か し 、 エンネ ン の見解 は都 市 成 立 に お け る市 民 の役 割 を 先 な 意 義 を も つのか を あ ら た に問 わ れ ねば な らな い。 い て修 正 さ れ な け れ ば な ら な い。 し か し、 プ ラー ニ ッツも 162 ず ふ ま え な が ら も 領 主 の役 割 を も検 討 を要 す る と いう今 日 の 有 力 にな り つ つあ る研 究 動 向 に大 き な 影 響 を 与 え て いる と いえ る。 結び にかえて 最 近 で は我 国 の学 界 でも プ ラ ー ニ ッ ツと エ ンネ ンの両 論 を 止 揚 し よ う と いう 研究 動 向 が 、 いま だ 明確 に ではな いが 、 ゲ 模 索 中 で あ る よ う に思 う。 無 論 ピ レ ンヌ の見 解 に対 し ても そ う であ る。 松 山 宏 先 生 は研 究 者 と し て立 派 であ っただ け で はな く、 教 育 者 と し ても厳 し く は あ った が 偉 大 であ った。 松 山 先 生 の本 学 で の後 者 のご活 躍 を 僧 越 な が ら た た え てあ え て概 説 風 の 一作 を草 し た。 松 山 先 生 のご 健 康 と ご多 幸を 祈願 す る。 ε 薯コ ℃讐 ユ 9 讐 Φ藁 )餌。。{ 鋤口α ℃奉 ω8 ゴ づ○・ ρ 一㊤器 ・﹂● 楚ωρ 一逡 ○ 。も b﹄ ー 一認 ・ 鯖 田 豊 之 [都 市 餌 ﹀∋ 一 8 。。 (= O⑩1 × 一く 。ω。) " ζ 鋤ωω一9 島¢ じσ一Φω戸 ピ○。。 ○ユ σq一50ω 9Φ 一鋤 ℃○℃巳 讐 一〇5 雲 Z O乙 α⊆ ℃讐 ユo一讐 。 ξ σ9ヨ ℃Φ<⊆Φ 9 貴 族 の 起 源 に つ い て 1 中 世 都 市 成 立 論 に 関 連 し て ー ﹂ ﹃史 林 ﹄ 第 三 七 巻 第 二 号 、 一九 五 四 年 、 四 九 頁 ⊥ ハ三 頁 。 斎 藤 綱 子 、 ﹁第 三 部 第 二 章 、 ト ゥ ー ル ネ の 都 市 貴 族 ﹂ (同 氏 、 ﹃西 欧 中 世 慣 習 法 文 書 の 研 究 ー ﹁自 由 と 自 治 ﹂ を あ ぐ る 都 ﹃ド イ ッ 中 市 と 農 村 1 ﹂ 一九 九 二 年 、 所 収 )、 二 〇 一頁 - 二 二 一頁 参 照。 (3 ) そ の 一例 と し て 、 G ・ シ ュ モ ラ i 、 瀬 原 義 生 訳 葺① 一⑩ミ ・ 更 に 、 考 古 学 論 文 (・9・) 南ξ 8 Φ窪 ↓。≦ づ。。・臣 。マ ≧ 窪 - 世 都 市 の 成 立 と ツ ン フ ト 闘 争 ﹂ 一九 七 五 年 、 六 七 頁 ー 一九 八頁 を参 照。 団髪 ξ 霞 馨 ○﹃ざ (4 ) 。h.ζ ≒ ・Ud鋤ユ ε ゆ。○}○σq図 P巳 と し て 例 え ば 、 ﹀ .< 鋤5 α① ≦ 巴 一ρ 国×oゆく讐 一〇b ぎ pコo一①募 8 三 霞 oh>三 ≦ Φ門P H ≦①象 Φ<巴 胃 oげゆΦ○}○σqど ρ 一⑩①一● 考 古 学 で は な い が 、 そ れ を 重 視 し た 次 の 重 要 な 論 文 げ9 ≦ ①①コ ﹀ コげδ 巳 身 i 悼8 ●αoこ ピΦω ○ユσ qぎ ①。。 雲 OQ①ゆ G 。" 一ゴ 一ω8 曽 ① = 一ωε 憎ざ 夢 Φ Z O円夢 Oh ζ Φ象 ①<巴 ○{ コ oヨ 一。。げ o一け一Φω げ簿 ≦ ①8 ゆコ@ ] ≦ 乙 巳 Φ ﹀σ q①ω日 が あ る 。 即 ち 、 ﹀ .︿ ①葺 三 。。ゴ ﹀ コ 餌ω℃。9 0h窪 Φρ¢①ω鉱○口 ohoO艮 ヨ 巳 ξ 爵 ①○ユ σqぎ ﹃ド イ ッ 中 世 都 市 法 の 研 究 ﹂ 一九 七 二 年 参 照 の こ と 。 (1 ) 林 毅 ︹注 ︺ (2 ) 以 下 あ げ る 文 献 は 成 立 論 と も 関 連 す る が 、 9 ピΦ馨 08 ⊆oざ pづα ぎ ① GQoげΦ}鼻 ︺﹂oξ コ巴 一Φ刈メ ℃℃﹂δ α。一ω <三 ①μo じu2 σ q。 (一×. 1 × =。 。。・ ン 一Φζ ○巻 p 鋤コo一8 器 σqぎ ①。。 α巴 鋤 げ〇二門σpΦ○一ω一①"ピ①。。<三 ①ω傷①コ pコα話 > σqρ ①ρ お ①P 前 者 の フ ル ヒ ュ ル ス ト の 論 文 を 主 に 援 用 ﹀ ⊆× ○ユ 9 α、 =巴 一① 。。○⊆。。一Φσ qO⊆<○≡ ①∋ ①づε Φω℃讐 ユ o一①屋 (× { 。ー × ︿。 。。・ ) 一㊤9 ・﹀ ●じd・= 一げσ霞 ゴ 日びooユ σ q一霧 oP 冨 ] ≦①島 ①<鋤一 一163一 三 、 歴 史 的 都 市 ﹄、 一九 八 五年 、所 収 ) 三 二 三 頁 - し た 共 著 の拙 稿 、 ﹁ベ ルギ ー の中 世 都 市 ﹂ (﹃講 座 、 考 古 地 理学 三 三 三 頁 も 参 照 。 瀬 原 義 生 、 ﹁ヨー ロ ッパ中 世 都 市 の起 源 と支配権力﹂ ( ﹃歴 史 学 研 究 ﹂ N O .四 七 一、 一九 七 九 年 、 同 体 、 上 ﹄ 一九 九 一年 、 所 収 ) 一頁 ー 二 〇 頁 。 の 現 状 ー 組 織 ・テ ー マ ・方 法 1 ﹂ (﹃西 洋 史 学 ﹄ 一 一〇 号 、 (9) E ・ エ ン ネ ン、 魚 住 昌 良 訳 、 ﹁ド イ ッ に お け る 都 市 史 研 究 一九 七 八 年 、 所 収 ) 四 〇 頁 。 (10) 団 ﹄ 弓 ①p ピ①。。 a hh①奉 g ωξ b①ωαΦh。門3 p江8 α①ω<已 ①。。 OG﹃○℃①①55①。。︺ピ① ζ ○図Φコ ﹀ σqρ 一¢㎝◎ bb.G。㊤刈ー 幽一一● こ の 所 収 ) 一二頁 。 (5 ) 勿 論 、 地 理 学 書 で は な い が、 ト ポ グ ラ フ ィ ー の研 究 成 果 も (11 ) ω○鼠 ①多 英 訳 文 献 と し て 、 90こ 弓落 象 hh 霞 09 蔓 ℃①ωOhhO門含 餌江○コ B ①a Φ<巴 も り こ んだ 次 の労 作 に し て大 著 が あ る 。 即 ち 、 瀬 原 義 生 国霞 一図 一㊤①刈も ℃﹂ 置 1 一。。P 以 下 注 (27 ) ま で は 、 主 に 最 近 の 研 究 成 果 を 述 べ た 。 GQ● ピ ●↓ξ 暮 P 8 乏 屋 }冒 Oh 閏霞 8 Φ窪 か ら ①島 8 山 9 ﹃ヨ ー ロ ッパ中 世 都 市 の起 源﹂ 一九九 三 年 。 ﹀σqρ ζ 鋤 き σ q① 。 ・Ω・ 会 の特 徴 を ヨー ロ ッパ的 規 模 で知 る には 偉 大 な 研 究 者 M ・ OO。。要 も ⊆σ一 一 ①。。℃胃 しーζ O⊆︿○。。ρ⊆①一①け﹀●O一 Φ蒔 曾 。。" (6 ) ≦ =・。。。。再 ゆヨ 冨 σq器 。。 窪 ζ 3 露 ブ ロ ッ ク の 次 の 書 も 参 考 に な る 。 即 ち 、 Uu一〇。貫 ﹃ゆ (11) や や 脈 絡 を 異 に す る が 、 も っと 大 き な テ ー マ で あ る 封 建 社 にお け る都 市 11農 村 関 係 の研 究 ﹂ 一九 八 八 年 を そ れ ぞれ 参 一九 七 お ωP ℃℃● Nヨ ー 悼①⑩・ (マ ル ク ・ブ ロ ッ 三 二 三頁 、氏 は結 論 と し ては 、 連 続 性 は と ても 微 少 と い っ (13) ト リ ア ー に つ い て も 、 瀬 原 、 注 (5 ) の前 掲 書 、 三 一七 頁 - (5 ) の 前 掲 書 、 三 一四 頁 ⊥ 二 そ れ ま で の経 済 的 ・社 会 的 発 展 を ふ ま え て、 都 市 共 同 体 と て お ら れ る が 、 例 え ば そ の 三 一七 頁 で は 、 [⋮ ⋮ つ ま り 都 一七 頁 を 参 照 の こ と 。 (12) ボ ン に つ い て は 、 瀬 原 、 注 三 年 、 一五 九 頁 - 一七 〇 頁 。) ク 、 新 村 、 森 岡 、 大 高 、 神 沢 訳 、 ﹃封 建 社 会 、 1 ﹂ 。。Ooみa 翼 ①09巴 P 一 ¢⑩一・G ・デ ュビ ィ他 、 森本 芳 樹 編 訳 ﹃西 欧 中 世 にお け る 都 市 と 農 村 ﹄ 一九 八 七 年。 更 に、 森 本 芳 樹 編 著 ﹃西 欧 中 世 照。 (7) 森 本 芳 樹 ﹃ 西 欧 中 世 経 済 形 成 過 程 の諸 問 題 ﹂ 一九 七 八 年 、 二 二七 頁 - 一ご二五 頁 。 ( 8 ) こ の時 期 に い た っては じ め て中 世 都 市 が 成 立 し た と い う看 し て成 立 し てく る わ け であ り 、 そ こ では 伝 統 的 な 見 解 か ら 市 生 活 の 明白 な連 続 を 示 す も の であ ろ う ﹂ と 論 じ ら れ て い 板 はも う お ろ さ な け れ ば な ら な いか も し れ な い。 し か し 、 ミ テ ィブ であ っても 展 望 でき る最 初 の時 期 にあ た る。 も っ 言 え ば、 法 的 成 果 の獲 得 、 ひ い ては 都 市 自 治 が た と え プ リ ﹃ド イ ツ 農 民 史 の 研 究 ﹄ 一九 八 八 年 、 七 頁 ー 二 九 頁 。 瀬 原 (14 ) 瀬 原 義 生 氏 の次 の 大 著 で 名 著 も 参 考 に な る 。 即 ち 、 同 氏 、 る。 を森 本 芳 樹氏 が 試 論 さ れ て い る。 森 本 芳 樹 ﹁西 欧 中 世 初 期 と も 最近 では 、 西 欧 中 世 初 期 の都 市 共 同 体 の成 立 の可 能 性 都市 共 同 体論 の可 能 性 ﹂ ( 比 較 都 市 史 研 究 会 編 ﹃都 市 と 共 164 氏 は 、 そ の 二 七 頁 で 、 一フ ラ ン ク 族 が ロ ー マ住 民 に 対 し て 、 一九 七 五年 。 N ・オ ット カ ー ル、 清 水 ・佐 藤 共 訳 、 ﹃中 世 れ て行 く。 。粘 ・清 水 広 一郎 、 ﹃イ タ リ ア中 世 都市 国家 の研究﹂ αΦ。。 塁 算Φす 一§ の曽 ζ pσqα①σξ σq か ら つ れ て こ ら れ 、 こ こ ヴ ェ ル ダ ン で 去 勢 さ は都 市 法 は常 に領 域 性 を も って い たと 述 べ るだ け で、 漠 然 ( 23 ) 決 定 的 諸 力 と は何 か に つい て、 エンネ ン は、 地 中 海 都 市 で 等 が 密 集 し て か た ま って いた 。 (22 ) 筆 者 も 二度 見 学 す る機 会 を も った が 、 現 在 でも 石 造 の家 屋 スあ た りと は対 照 的 であ る 。 紀 末 以 降 王 権 に よ る いわ ゆ る 中 央 集 権 化 が な さ れ る フ ラ ン 都 市 国 家 であ るが これ は 北 イ タ リ ァ で多 く み ら れ、 一二世 れ 、 キ ヴ ェスと 対 立 関 係 にな る こと が 時 には あ る。 ま た、 る 。 一般 の いわ ば 中 ・下 層 の市 民 は ポ ポ ロ ℃○℃○一 〇と呼 ば 何 ら か の形 で関 係 を も った小 貴 族 あ る い は騎 士 が ふ く まれ 彼 ら は 勿 論 ふ く ま れ 、 そ し てこ れ ら の商 人 と血 縁 関 係 な ど 者 でも あ る のだ が 、 上 層市 民階 級 。一 <。。。の範 疇 の中 に は 、 (21 ) こ こ で取 り あ げ て いる の は主 に富 裕 な 商 人 で あ り土 地 所 有 都 市 コ ムー ネ ﹄ 一九 七 二年 。 大 体 に お い て平 和 的 に対 処 し た ⋮ ﹂ と 論 じ ら れ て い る。 (15 ) も と は 村 落 だ った の だ が 中 世 に は い っ て 司 教 座 が お か れ る こ と によ って繁 栄 し た 典 型 的 な 司 教 都 市 あ る い は中 世 都 市 で あ る 。 リ エ ー ジ ュ史 に つ い て は 、 次 の 文 献 が 参 考 と な る 。 一Φ¢一・ 即 ち 、 = 一馨 o冒 ① αo ζ 仙σqP ωo⊆。。 一p 象 語 o江○コ αo ﹂・ ω二雪 50P (16 ) こ の タ ー ム を 中 世 都 市 成 立 論 と の 関 係 で 注 目 し た の は 、 周 ω鼠 象 知 の よ う に 、 H ・プ ラ ー ニ ッ ツ で あ る 。 2 δ 忌 巨 ぎ 参 照 の こ と 。 こ の ヴ ェル ダ ン の 主 な 商 人 た ち の ℃. ㊤刈の 図 、 更 に 、 αOこ 6げ。ヨ Φ巳 ①<巴 δ ≦ P 一⑩刈ρ (17 ) 団﹄ 暮 ①P u δ 一⑩謬 薯 ・ 。。一1 。。ω であ るが 、 オ ット ー諸 帝 時 代 の奴 隷 を 売 る富 裕 な商 人 た ち れ 、 コ ル ド バ Ooa O<p の カ リ フ に ボ デ ィ ー ガ ー ド と し て い た ム ー ズ 河地 方 の 重要 性 に つい て は、 デ ィ ナ ン U言 p募 と し て い る。 ロー マと ゲ ル マ ンの諸 制 度 が 長 い間 交 差 し て で博 ス ラ ブ の 戦 争 奴 隷 が 、 ケ ル ン経 由 で マ グ デ ブ ル ク 売 ら れ 、 こ の 商 業 利 益 は 莫 大 で あ った が 、 九 八 〇 年 頃 に は と フイ =ξ を 取 り あ つか った次 の名 著 を 参 照 さ れ た い。 停 止 さ れ た と い わ れ る。 こ の ヴ ェルダ ン では 、 金 属 工 業 も 即 ち、 瀬 原 、 注 (5 ) の前 掲 書 、 二 二六 頁 - 二 三 二頁 。 更 五 年 。) 世 都 市 の世 界 ー ベ ルギ ー都 市 ウ イ の栄光 と 衰 退 ー﹂ 一九 九 3 8 みく巴 ρ 一⑩①α (A ・ジ ョリ ス、斎 藤 綱 子 訳 、 ﹃西 欧 中 参 照 の こと 。 な お、 ウイ に ついて は、 ﹀﹂ ○﹃一 ρ =ξ ●く三 ① に、 同 書 、 二 五 九 頁 の注 (51) の 興味 深 い エ ンネ ンの説 を 有 名 で 、 ハ ル ツ山 脈 の 銅 を も た ら し た ケ ル ンと 関 係 が 密 で、 (4 ) の 拙 稿 を 参 照 さ れ た い 。 (﹃西 洋 史 学 ﹂ 一 一〇 、 一 一九 三 頁 - 二 〇 一頁 ま で 参 照 の こ と 。 更 に、 ケ ル ン へは香 辛 料 や そ の他 の地 中 海 産 物 を も た ら し た 。 注 (18 ) 森 本 、 前 掲 書 、 (19 ) 。h●エ ン ネ ン 、 魚 住 訳 、 前 掲 論 文 九 七 八 年 、 所 収 )、 四 五 頁 。 (20 ) 一二 世 紀 後 半 の ポ デ ス タ ℃○島○ω暮 9 制 下 で 、 徐 々 に 完 徹 さ 165 団⊆門Ob9 <○= "﹁δ ∋ チ ①①=α ○= 冨 国○筥 餌コ 乏 〇二 α 一つ 夢 Φ≦ ①ω算 ○ チ ① σ①σ qぎ bぎ σ q。。 Ohチ ①署 ①ω8 3 ω雷 8 。。一一Φ00。" ( 2 4) 以 上 の よ う に 見 て く る と 、 エ ン ネ ン の 見 解 は 、 マ ッ ク ス ・ ぎ ζ 気 ○憎 戸 文 献 は か か せ な い。 即ち 、 } 白 コ 餌三 一N.区 pξ ∋ 鋤弓 ωσq二α① (30 ) プ ラ ー ニ ッ ツ説 は か な り 詳 し く 後 述 す る が 、 以 下 の よ う な の 生 涯 ﹂ ]九 八 一年 を 参 照 。 一生 に つ い て は 、 佐 々 木 克 己 、 ﹃歴 史 家 ア ン リ ・ピ レ ン ヌ 一¢00。・ こ れ ら の 著 は ド チ① マ ンイ デを 主 と し て指 標 し て三 つの類 型 を いわ ば 社 会 学 的 ヴ ェー バ ー の 中 世 都 市 像 に 類 似 し て お り 、 ヴ ェ ー バ ー は ゲ 勾①コ巴 。。ω鋤口o① pコ鳥 " 亀 OB 鋤け一 〇P ε に示 し た の で あ る が、 は か ら ず も か ど う か は 不 明 だ が 、 エ イ ッ 軍 に よ る 捕 虜 生 活 中 に 書 か れ た 作 品 で あ る が 、 <○ン 一} 。Φg ⊆蔓 ンネ ンは こ の類 型 を 歴史 学 的 に検 討 し た と いえ る。 ヴ ェー ℃℃﹂。 ・一- 器 ①で 、 商 業 の 復 活 、 都 市 の 形 成 、 都 市 の 成 長 と チ ① 廿丁三 8 ロチ バ ー 、 世 良 晃 志 郎 訳 、 ﹃都 市 の 類 型 学 ﹂ 一九 六 四 年 を 参 照 。 そ の結 果 に つ い て 彼 は 既 に 論 じ て い る 。 ま た 、 ピ レ ン ヌ の 写 OB (25) 井 上 泰 男 、 ﹃西 欧 社 会 と 市 民 の 起 源 ﹄ 一九 七 六 年 、 一六 一 頁。 は 、 例 え ば 、 一 一世 紀 に お け る フ ラ ン ド ル 伯 の 都 市 建 設 に (26) こ の 種 の 建 設 都 市 が 従 来 か ら 重 ん じ ら れ て き た が 、 最 近 で つ い ても 、 建 設 都 市 の事 実 上 の根 を そ こ に見 い出 し ている。 (31 ) <霞 o鋤三 霞 9 圃ε αΦ ωξ 一〇。。 o一く雰讐 ○ω α0 5 一凶○一σq5 仁o 参 照 の こ と 。 宮 下 、 前 掲 書 、 二 八 一頁 以 下 参 照 の こ と 。 ﹃ド イ ツ 中 世 都 市 法 の 研 究 ﹄ 特 に 六 九 頁 か ら 八 〇 頁 ま で を ツ 、 林 毅 訳 、 ﹃中 世 ド イ ツ の 自 治 都 市 ﹂ 一九 八 三 年 。 林 毅 、 人 ギ ル ド と 都 市 宣 誓 共 同 体 1﹂ 一九 五 九 年 。) プ ラ ー ニ ッ 一﹂× 一遭 コα 一ま O (同 、 鯖 田 豊 之 訳 、 ﹃中 世 都 市 成 立 論 : 商 一3 = .⊆コα お .﹂鋤丁} ⊆コ90門ゴ Nω勾 Ω . Ω﹀ ● 。。げ巴 蓼 筈 ○ 田 9σq①8 ω。。①霧 ○ご hニ コ 巳 ○αΦ嘱7 讐 ズ一。。? ⊆巳 ヨ 三 鋤一一 く○ 丁2 00凱 葺 8 9 oh・し・じ 5( )5鼻 ﹂ )○<①ト○℃℃①3 0艮 =ヨ 鎚ぎ Oc] B け巴 の05 Ψ、す コ9お 餌⊆ × 一 . 、ω二 " o<⊆① 島⊆ Z ( )﹁9 ゴωρ 一逡 ○。. (27 ) フ ラ ン ス の 場 合 で は 、 ど ち ら か と い え ば 、 む し ろ 中 ・小 規 模 の都 市 が 多 い。 (28 ) か な り 古 い が 、 宮 下 孝 吉 、 ﹃ヨ ー ロ ッパ に お け る 都 市 の 成 立 ﹂ 一九 五 三 年 が 若 干 参 考 と な る 。 (29 ) こ れ は 筆 者 自 身 の ピ レ ン ヌ の 見 解 に 対 す る 要 約 で あ る が 、 OOOOOコ9ρ 一¢㏄ハ・α○●﹂ 白ε α①α.三 。。ε 一奉 ヨ 巴 一のく巴 P 一⑩○ 。刈. 特 に 、 都 市 史 の 関 係 文 献 で は な いが 次 の文 献 中 に フ ェル コ ー ピ レ ン ヌ 、 佐 々 木 克 己 訳 、 ﹁中 世 都 市 ー社 会 経 済 史 的 試 論 ー ﹄ 一九 七 〇 年 を 参 照 さ れ た い 。 ピ レ ン ヌ の 他 の 業 績 に つ い て α○ = ○コユ } )マo貝; ○ ト ラ ン の 重 要 な 論 文 が の せ ら れ て い る 。 即 ち 、 団ε α霧 。。○。Q鋤づ○一8 。。o一①<o。。﹄Φ巽 も ℃. 心悼0ー 念 ¢● (32 ) Ω 鋤塁 70捨 圃ε α○。。ξ 一Φα○<○一( )℃℃Φヨ § 一号 。。<≡ ○ω○コ嘗 ○ ℃窪 αゴ 一〇。ε 一門ρ 鋤Φ臼 ○○の 鋤 }餌 ヨ の3 0一話 は 、 若 干 だ け 述 べ る 。 }{●で冒 ①暮 P ご○。。<一=の。。 〇二 Φ。。一コ。。串 ε 二〇コ。。 ξ σ鋤ぎ ①。。け﹂ 9 び﹄ ・ お ωΦ (こ の ゴ 一 に ふ く ま れ Oh て い る作 品 を 翻 訳 し た も の と し て、 ピ レ ン ヌ、 佐 々木 訳 、 ﹃中 世 都 市 論 集 ﹄ 一九 八 八 年 が あ る 。) ユ○・一﹀ ●= 一。。8 身 166 じ9 話 雲 勾 げぎ ゆロ ζ ○図oコ ﹀ σq①﹂ 逡 ω● (33 ) ○08 ℃ぎ コのOP ↓げ① 〇二σ qぎ oh葺 ○団コσq=ωげ 鵬○門○¢σ q貫 一⑩ω①. 一九 三 〇 年 代 に は な ぱ な し い 論 争 が 次 の J ・テ イ ト と な さ れ 、 ア ン グ ロ ・サ ク ソ ン期 に バ ラ が す で に 成 立 し て い た と す る 後 者 に軍 配 を 日本 の学 界 は現 在 で は あ げ てい る よ う に 思 う 。 ↓ 巴 ゴ 日プΦζ Φ@一Φ<巴 団づ四 一ωT Oσ○胃○¢σ Q・ 互 GQε αδ ω ○コ 詳Q。 ○ユ σQぎ の 餌コα oOコo。二 ε 二〇口巴 三 〇。ε 憎ど 一⑩ω①.亀 ・OQ・ 勾 ①春 。江 。。噂﹀ 三 曇 δ 9 9 一〇三 〇 ぎ Φ ぼ ωδ 蔓 Oh国二σq, 一冨 げ H ≦ Φ良帥o<Φ一弓○≦ づω﹂ Φ刈8 (34 ) ﹃08 σ鋤a りζ 鋤げ03 9 Φ一〇げ霞 一①B 餌σq口Φ・﹃① 嘆 ○び扇 ヨ O (3 4 ) の {b ヨ σゆa 説 と こ の 労 作 の 日 本 語 Z ρ 二 ¢㎝ωも P Oー ωρ 特 に 有 名 で 重 要 な 勺 ]①の 図 表 を 参 照 の こと 。 注 へ ー ピ レ ン ヌ 学 説 と そ の 検 討 ー ﹄ 一九 七 五 年 参 照 。 訳 と し て 、 ピ レ ン ヌ 他 、 佐 々 木 克 巳 編 訳 、 ﹃古 代 か ら 中 世 (36 ) ζピo 。o。oゴ 一﹂①ω ぎ く餌○。一 〇コ○。曽ピO G。Φooコα 鋤ωQ。鋤三 〇〇曇 門㊦ ﹃ 団ξ ○℃① oげみ =oコ富o (< =。1 × 一。 。ら●) ﹄¢コ も ・ 厳 一・ コαω"○の ρ仁、oコ <○コ9巴 げ雲 Oo∋ ヨ Φ三 〇コ一①<Φうα巴 げ@餌冨G。 (37 ) 一 )co5¢ 。Φ乙 一﹀ ζ ε ∋ ℃ω9Φ ○げ鋤ユ①3 餌σ Qコ① ○け創①ωZ O憎3 鋤- (18 ) ざ σゆ○。○。一コ,℃節ユ 巴 oP >コ5巴 ①6。 詞.OQ.○こ一¢ミ も ℃・b。①①i b。○ 。P を 参 照 さ れ た い。 (38 ) 井 上 、 前 掲 書 、 五 二 頁 i 五 三 頁 、 特 に 二 九 七 頁 の 注 豆 Φ α⊆ で餌図。。∋ ○。。鋤P 寓oε Φ α¢ Z o乙 浜 ・r (39 ) O①o。℃ざ く ご一①。。9 0餌3 ℃鋤σqbo。 。餌仁× 一 × 。の一×。。。﹂ ㌧の×①ヨ ー よ る西 欧 中 世 社 会 の形 成 に対 す る ネ ガ テ ィブ な 影 響 を 強 く 訳 、 咽九 - 十 世 紀 の 都 市 と 農 村 ー ム ー ズ 地 域 の場 合 i ﹂ (森 αー δ 。 。・こ の 日 本 語 訳 と し て 、 同 上 、 平 嶋 照 子 ・森 本 芳 樹 ロ ンバ ー ル は ピ レ ン ヌ説 であ る イ ス ラ ム の地 中 海 侵 出 に oooコΩB 一ρ¢ρ ﹀ づコ巴 Φω 団。ω●○; 営ω噂 一逡 ○◎も ℃﹂ c◎Q◎ー 一㊤ρ 否 定 し て 結 論 と し て 以 下 の よ う に 論 じ る 。 即 ち 、 ﹁八 世 紀 時 代 で あ り 、 次 に 、 十 一世 紀 と 十 二 世 紀 に お い て (西 欧 の) 掲 書 、 二 一九 頁 ー 二 二 五 頁 を 参 照 。 本 芳 樹 編 、 前 掲 訳 書 、 所 収 ) 七 一頁 ー 一二 二 頁 。 森 本 、 前 一⑩①○。も ℃●= か ら 十 一世 紀 ま で の 西 欧 の 覚 醒 一、 ⑪<①二 9① 一. ○ 。9 α①三 の 躍 進 一げωω○﹃、 即 ち 、 新 時 代 が 経 済 史 に 当 時 ひ ら か れ る 。 (40 ) プ ラ ー ニ ッ ッ説 の 参 考 文 献 と し て は 、 注 (30 ) を 参 照 。 オ リ エ ン タ ル な 時 期 ¢コΦ 冨 甑 oαΦ oユ Φ9 巴 Φ に 続 い て オ (41 ) ミ ッ タ イ ス U リ ー ベ リ ッ ヒ 、 世 良 晃 志 郎 訳 、 ﹃ド イ ッ 法 制 史 概 説 ﹄ 一九 七 一年 、 三 八 八 頁 。 ク シ ダ ン タ ル な 時 期 仁コ① ℃耐ユ ○α① ○。9 α①9 巴 ① が は じ ま (42 ) 商 人 ギ ル ド に つ い て は 、 瀬 原 義 生 、 ﹁ヨ ー ロ ッ パ 中 世 の 手 工 業 と 商 業 ﹂ (﹃中 世 史 講 座 、 三 、 中 世 の 都 市 ﹄、 一九 八 二 ﹃ヨ ー ロ ッ パ文 化 発 展 の経 済 的 社 会 的 基 礎 ー る 。﹂ 一豆 9 も ●一Φ⑩●ま た 、 A ・ド ブ シ ュ、 野 崎 直 治 、 石 川 年 、 所 収 ) 三 五 一頁 ⊥ 二五 六 頁 。 ま た 、 伊 藤 栄 、 ﹃西 洋 中 操 、 中 村 宏共 訳 カ エ サ ル か ら カ ー ル 大 帝 に い た る 時 代 の ー ﹂ 一九 八 〇 年 を ス を 中 心 と し た 谷 和 雄 、 ﹃中 世 都 市 と ギ ル ド ﹄ 一九 九 四 年 世 都 市 と ギ ル ド の 研 究 ﹄ 一九 六 八 年 を 参 照 。 更 に 、 イ ギ リ 参 照 のこ と 。 ωopづαぎ 鋤く貯 づ 国oobO] B 一〇 = 一ω8 弓図 即 Φ<一①≦ 噂くo一●一 . (35 ) bσo一言 ﹂≦ ○げ9B B Φ9 0げpユ oヨ oσqコ㊦ ゆコ匹 幻¢ユ P 日7① 一167一 も 参 照 の こ と。 (43) 拙 稿 、 ﹁成 立 期 の 中 世 都 市 コ ミ ュ ー ン 運 動 一 (下 ) ー 主 と し て 北 フ ラ ン ス の 場 合 ー ﹂ (﹃奈 良 大 学 紀 要 ﹂、 第 二 三 号 、 α餌づω一① Z oa 島① 一 の 司鑓 58 (× 一。 一①ω○弓一σqぎ Φ。。雲 一p巴 σq巳 h一 〇鋤け- 九 九 五 年 、 所 収 ) 三 三 頁 以 下 を 参 照 さ れ た い。 一〇づ 号 δ oO旨 白 ¢話 (44 ) > 8く 霞 ヨ ①①ωo互 国ωω巴 ω霞 ①一× 目. ω・ ) 藁 ¢①①・ (45 ) 団暮 。p 写 欝 σ qΦω。三 。葺 ①α霞 ㊦霞 8 讐 ω筈 ・b ω鼠 αこ 8 ω・ (エ ン ネ ン 、 佐 々 木 克 巳 訳 、 ﹃ヨ ー ロ ッ パ の 中 世 都 市 ﹄ ま た 、 90こ O δ ①ξ o℃讐 。。oゴo ω憲 9一 鉱①。 。 ζ 一暮〇一巴 審 門P 一⑩謬 一九 八 七 年 。) 上 記 の 英 語 訳 版 で あ る 団コづ①P 弓げ①ヨ ①象 甲 お お ・更 に 、 エ ン ネ ン、 小 倉 欣 一訳 、 ﹁ヨ ー ロ ッ パ 中 世 都 市 ﹂ (﹃経 済 経 営 論 集 ﹄ ︹東 洋 大 学 ︺、 第 五 二 号 、 一 く巴 ε ≦ P 九 六 九 年 、 所 収 ) 二 六 三 頁 ー二 七 三 頁 も 参 照 。 (46) 服 部 良 久 、 ﹁ド イ ツ 中 世 都 市 研 究 の 現 状 と 課 題 ﹂ (﹃歴 史 評 に、 八 八 頁 。 論 ﹄ N O .三 二 六 、 一九 七 七 年 所 収 ) 八 三 頁 - 九 八 頁 、 特 (47) 宮 松 浩 憲 氏 は 、 そ の 労 作 の 結 論 で 次 の よ う に 論 じ て い る 。 即 ち 、 ﹁こ の 光 景 は 、 言 う ま で も な く 、 ピ レ ン ヌ が 描 い た 遍 歴 商 人 の定 住 によ る 都 市 成 立 の映 像 と 著 し く 異 な るも の ス に お け る 都 市 化 の 様 相 ー ﹂ (森 本 芳 樹 編 著 、 ﹃西 欧 中 世 に で あ る 。﹂ 同 氏 、 ﹁中 世 盛 期 ア ン ジ ュ ー の ブ ー ル ー 西 フ ラ ン ︹付 記 ︺ 脱 稿 後 、 山 瀬 善 一氏 に よ る 両・団暮 ①P ピΦ。。象 鴫卿 お け る 都 市 -ー農 村 関 係 の 研 究 ﹄ 所 収 ) 一九 三 頁 。 ①づ冨 身 ℃○。。 αΦ8 ﹃3 讐 δ コ α①の三 一〇。。 Φξ ○冨 讐 ①ω の 要 約 一九 五七年 、所収 。 ) に接 し た。 同 氏 、 ﹁ヨー ロ ッパ 中 世 都 市 の形 成 に関す る種 々 型﹂ ( ﹃国 民 経 済 雑 誌 ﹄ 第 九 六 巻第 三口 ﹃ 併 せ て参 照 さ れ た い。 一168一