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5号 - 北海道医師会
第 5号 1984 輛 室 蘭市 医師親 交会 誌 ′ 第 5号 1984 室 蘭 市 医 師 親 交ヽ 会 誌 中村 秀 ︰⋮ ⋮ 奇 書 ﹁え ん 録﹂ ︰⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ 。 高橋 蛎 夫 心 拍 こそ生 の証 ︰⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ・ 6 0 鴨 井 清 一⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ 2 9 ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ 松 原 初 男 ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ 1 山本 俊 一 深 瀬 政 俊 他編集 委 員 堀尾 行彦 ー 1 3 表 紙 ト ッ カリ シ ョ 加 藤 吉井 カッ ト 竹 内 隆 一 正 治 仁 良 ⋮⋮⋮⋮ i 田 智夫・ ・ ・ ⋮⋮・ ・ ⋮・ ⋮。 斎 藤 専 蔵 の 事 ⋮⋮ ⋮ 。 ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ 約島 茂夫 やはり子供は親 の背をみて いた 。 夫 岩 昌生 故峰本正 一先生 のこと ︰⋮ ⋮ ⋮⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ 。 し の ぶ 車 煙 草 考 目 ⋮ ⋮ ⋮ ⋮弘 前 の三年 ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ 。 青 春 。 通 信 次 吉 英 広 貞 10 史 張 ⋮⋮ 。 ⋮・ ・ ごと ・ ⋮⋮・ ⋮⋮・ ・ ⋮。 ら ⋮・ 家 ⋮⋮。 く︰ 2 わ 族の H 一一 れ 因 四 〓 酪 開 皆 田 川 12 記 念 ア ル バ ム 主 阿 部新 一先 生 と私 ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ 柘 植 重 夫 楽其 生 保共 寿 ⋮ ︰ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ 大吉 清 ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮湊 武雄 ⋮⋮⋮⋮。 ⋮ ⋮⋮ ・ 自 殺 か 他 殺 か⋮ 。 ︰⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮大 久 保 洋平 皇 居 参 観 記 お た まじ やく し の生 いた ち⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮安 斎 哲 郎 全 道 ド ク タ ーズ ゴ ル フ大会 に出 場 し て⋮ ⋮ ⋮ ⋮ 斎 藤 成 樹 Ⅲ︶ 私 のパ ッティ ング遍歴 ︵ 室蘭市医師会 ゴ ルフクラブ の歩 み プ 紹介 ︱ I 遠 藤 秀雄 修弥 英貞 博通 藤 ・ ︰奏オ ガラス 帰路︰・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 札幌ピール園︱ホテルーミカド 小博博覧会︱北 一 情 康夫 旅 生 日炸 目 交 27 36 あ ん ら く いす ゴ ル フ談 議 ,レ 昭和9 親 交会 旅行記 ︵ 5年▼ ⋮ ⋮ ・ I ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ︰村 井 ス乙 会 員 異動 編 集 後 記 ・ 親 小 樽 博覧 会 見 聞 記 ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ 黒光 ユーホー サルー ンカー 野幌森林 公園 正 道 あ ど け な い話 ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮大 岩 ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ 二 二村 札 幌 の夜 ″触 れ あ いと 語 ら いを 求 め て , ・ ││ サ 39 41 47 久 安 皆 グ : : : : : i : 親 交 会記念 アルバ ム 昭和 52.7.24 池 田 町 ワ イ ン 城 昭和 53.7.23 余 市 町 あ ゆ 見 荘 -1- 本 庄 凹 ︹い山 大久 高橋 開 田 遠 藤 原 田 大岩 曽根 一 伺 橋 狩ヽ 野 堀 尾 松原 種田 高橘 上 竹 藤兼 山 本 大辻 隅 井 斎 藤 細谷 鴨井 米沢 拓 植 斎 藤 瀬 襲井 高橋 山本 吉 田 峰本 大岩 島 田 立 鳥 高 橘 池 田 拓植 吉 井 奉 島 田 小 井 阿 野 皆 曹 辻 島 昭和 函館 54.6.10 聖 ハ リス トス 教 会 昭和 55.6.8 札 -2- 幌 藻 岩 山 頂 島 米 島 茂 や は り 子 供 は親 の背 を み て いた 神 夫 2年 、 4孝 の 父 は昭 和 1 3 時 に 田中 好 治 氏 の跡 を 引 し の ぶ 車 あ る。 そ ん な毎 日が 上、 日も な く、 昼 夜 を問 わず に続 い て いた 様 に思 う 。 実 際 は下 着 だ け で 生 活 父 は 病 院 へ出 る時 は 必ず 服 を 着 変 え て ︵ 、 す る事 が 多 か った様 に思 う が ︶ 診 察 着 を 着 て出 た し 帰 え る と 手 のみ な ら ず 、 顔 から 禿 げ 頭 迄 必ず 洗 う 癖 が あ った。 疾 病 の種 類 の 相 異 や、 抗 生物 質 等 も な か った時 代 の為 か、 九張 面 な の か。 父 の親 兄 弟 に つい て は祖 父 は 医者 と 言 う 以 外 はあ ま り 話 し てく れ な か ったが 、 戦 後 甲 府 市 から 近 所 へ転 り 住 んだ 父 の長 兄 は、 俺 は武 士 の出 だ と 口癖 に言 い、 弟 は絵 が 達 者 で かな り 道 楽 屯 し た と 、 酔 う 毎 に教 え てく れ た。 し か し 父 は私 は平 民 だ し 金 は使 えば な 、 く な るが 、 学 問 は そ れ を 生 む も のだ と も 言 い 世 の中 を 広 く知 る 事 は幸 せ な のだ と 良 く 言 って居 た。 言 った通 り働 いたが 子供 達 に は さ っば り 美 m は残 さず に去 って し ま った。 ? ︶ を し そ の問 私 が 夜 、 宿 題 を や って いる と 遅 く 迄 、 見 張 り ︵ の空 腹 に堪 え かね て私 の弁 当 の お かず を 食 って し ま い、 翌 朝 、 母 き 継 い で、 室 蘭 市 大 町 に 8才 開 業 し た のだ から、 3 の男 と り の時 代 に大 東 亜 の大 声 が 聞 こえ た りも し た。 父 は 肥 え た腹 、 赤 ら 顔 から 罷 落 で 酒 戦 争 に遭 遇 し た 事 にな る い つの頃 から か襟 な し の サ スペ ンダ ー に型 忌着 ス 言 えば 、 真 面 目 な 父 は苦 戦 し て いた様 子 を 見 て育 って来 た様 に思 。 ︹ ノ > 0年 代 に は、 連 合 P T A会 長 を 務 め た り、 音 楽 協 会 を育 て 昭和 3 好 き の様 に言 わ れ るが 、 宴 会 から 帰 る と よく 吐 い て いた も のだ っ た。 、 戦 後 は税 制 度 の変 化 や皆 保 険 制 度 等 の時 代 の変 化 に ど ち ら かと 白 ワイ ン ャ ツに黒 ズ ボ ン 、 ケイ ルの白 衣 を着 て、 家 族を皆疎開 さ せ 一人 で奮闘 し て いた記 、 憶が 蘇 る。 当時 の往診 は自慢 のダ ットサ ンで出 かけ たが 船 に弱 い父 は船舶 への住 診 は かな り こたえ た様 であ った。 又当時 の重患 はリ ヤ カーで運ば れ て来 た人も多 く、 大 艦骨 骨折 なども エーテ ル ク ロロホ ルムの麻酔 で 3時 間位 か か ってや って いた のを見 た事も -3- ぞv,( 、 た り 町 会 長 等 を 務 め、 晩 年 に は室 蘭 ライ オ ンズ ・ク ラブ の創 設 発 展 に意 欲 を 燃 し て いた。 。 私 が 大 学 院 在 学 中 に、 父 は軽 い脳 出 血 の発 作 に み ま わ れ た そ 、 9 ん な事 が あ って、 私 は室 蘭 に呼 び戻 さ れ た のだ が 丁度 2才 の時 であ った。 今 私 達 兄 弟 5人 は、 夫 々医 者 と し て或 は医 者 の妻 と し て 独 立 し て い るが 、 激 動 の時 代 に良 き 家 庭 環 境 の中 に過 す 事 が 出 、 。 来 た事 を 非 常 に幸 せL 思 って いる 最 後 に 母 の弔 辞 を のせ て責 太 を 注 ぎ た いと 思 う 。 、 0 思 えば 、 亡 夫 神 島 辰 雄 は 他 界 し て早 や 1年 の才 月 が 過 ぎ ま し 出 ソ 贈 輩ド 岬 呻 姉 鱒 障 の 載辮 コ 蜘 つ針 嬢 一 爆 . 大 離ぽ 剤 岬 螂巧 碑 所 紳 と し て卒 業 し、 外 科 で医 学 博 士 と な り ま し た。 学 生 時 代 に は マツ ド リ. ンを 好 み、 北 大 寮 歌 集 に は彼 の作 曲 が の って いま す 。 札 幌 北 、 日中 好 治 氏 病 辰 病 院 に勤 務 す るう ち に、 従 兄 弟 の室 蘭 田中 病 院 、 い篤 し の報 を う け 、 要 請 さ れ て病 院 を 継 承 す る事 にな り 二児 の 4才 の若 さ で引 き 継 ぎ 、 従 業 員 の監 督 も 大 変 な 事 だ 父 と は 言 え、 3 った と 思 いま す が 、 当 時 第 一回募 集 の看 護 帰 が 今 も 、 我 家 の宝 と し て奉 職 し て い てく れ る事 は力 強 い こと です 。 三男 二女 の子 福 者 で、 せ わ し い中 を 子 供 の教 育 方 針 の意 見 を 聞 き に、 登 別 の知 里真 志 保 の許 に伺 った り、 子 供 達 と 魚 つり や、 地 球 岬 に ハイ キ ング を し た り、 家 族 総 出 で 登 別 温 泉 や 定 山 漠 温 泉 に よく 行 った も の で し た。 学 校 の校 医、 P T A会 長 な ど を し た り、 ライ オ ンズ ・ク ラブ を 京 都 の薪 能 な ど を 写 真 に撮 った り、 テ ープ に収 め た り し て楽 し み 、 に し て いま し た。 五人 の子 供 も 夫 々に家 庭 を持 つ様 にな り 長 男 0才 の人 生 を 過 し ま し た。 静 か の家 の裏 に家 を 建 て、 庭 を な が め 7 、 9 な 中 に、 闘 志 を 私 め た 努 力 家 だ った と思 いま す 。 そ し て 昭 和 4 9年 ・秋 記 。 0 日静 か に旅 立 ち ま し た。 昭 和 5 年 3月 1 故 峰 本 正 一先 生 の こと 口 生 大 岩 日 今 年 三月 頃 、 北 海 道 医 報 に峰 本 先 生 の計 報 が 載 って お り突 然 の . 。 事 で驚 き ま し た。 心 から 消悔 み申 し 上げ る次 第 です ・ 先 生 と 私 と の出 合 いは 私 が 鷲 別 で小 さ な 診療 所 を開 設 し て 間 も 。 な く の頃 です から 昭 和 二十 五年 から 二十 七年 頃 の事 と 思 いま す 。 診 療 室 一室 、 住 宅 一室 の仮 住 い で、 ま だ現 在 地 に移 る前 で し た 、 突 然 オ ー トバ イ を 運 転 し て来 訪 さ れ 開 業 の現 状 を 見 に来 た と の ・ 、 こと で し た。 こ の様 な 状態 の時 で し た から 私 も 面 喰 って何 を お 診 療 所 に赴 任 さ れ ま し た。 し て居 り ま し た と ころ、 昭 和 三十 五年 頃 、 開 業 を や め て室 蘭 逓 信 話 し た か ょく 憶 え て居 り ま せ んが 何 の参 考 にも な ら な か った と 思 、 、 卜ま す 。 先 生 は仲 々意 欲 に溢 れ た抱 負 を 語 って 此 の度 壮 瞥 町 。 久保 内 で開 業 す る積 り であ ると 話 さ れ て いた のを憶 え て いま す 其 の後 は 医 師 会 が 別 な も の です から、 お会 いす る機 会 も な く 過 出 て、 米 国 や 欧 州 を 見 学 し、 叉東 京 で の世 界 大 会 に出 席 私 が 親 交 会 の役 員 を 命 ぜ ら れ ま し た 頃 に は先 生 はす で に会 計 担 室 蘭 に迎 え て初 代 会 長 と な り、 ガバ ナ ーと な リ グ ラ スの認 証 式 に 百 年 式 典 に は、 両 陛 下 を 千 歳 に お迎 え し、 円 山 グ ラ ンド で マスゲ ー ムを 共 に参 観 す る光 栄 に浴 し ま し た。 当 と し て活 躍 さ れ て居 り会 務 で屋 々お会 いす る よう に な り ま し た 、 北 海道 又 旅 行 が 一番 の楽 し み の様 で よく 旅 し て歩 き ま し た。 謡 を 好 み 親 交 会 の大 事 な 仕 事 は会 計 で、 先 生 は殆 んど お 一人 で熱 心 に切 り 盛 り さ れ て い る のを感 心 し て み て お り ま し た。 昭 和 五十 二年 、 原 田先 生が 医 師 会 長 に就 任 し親 交 会 会 長 を 兼 る 、 こと にな り ま し たが、 各 役 員 は永 年 留 年 さ れ て い る の で こ こら で 一部 若 い先 生方 に 入 っても ら って は と 考 え ら れ て 私 にも 相 談 が あ り ま し た。 各 年 度 の会 計 も 決 算 書 を 見 返 し ただ け で は経 過 の詳 細 が 判 ら な い の で、 此 の際、 外 部 監 査 を受 け て 一区 切 り つけ ょう と の事 で し た。 会 長 の考 え で は、 永 年 峰 本 先 生 が 殆 んど お 一人 で 一億 円 近 い会 計 を 担 当 さ れ、 預 金 の ル ー トも 多 岐 に わ た り年 々誤 差 が 膨 れ て苦 心 し て いる の で は な い かと の心 配 が あ った ょ う です 、 大変 有 利 昭 和 五 十 四年 六月 、 公 認 会 計 上 の監 査 を 受 け ま し たが な 預 金 の方 法 を 研 究 さ れ、 刻 々変 化 す る利 率 の計 算 も 実 に正 確 で 全 般 に亘 り非 の打 ち処 のな い経 理 であ ると の結 果が 出 ま し て会 長 、 族 を 内 地 に残 し て の遊 学 は 戦 時 中 と 云 う 困 難 な 社 会 状 勢 の中 で 大 変 な 辛 苦 が あ った事 と 思 わ れ ま す 。 戦後 引 き 揚 げ て 上 砂 川 町 の 三井 鉱 業 所 病 院 に勤 務 さ れ た後 、 昭 和 二十 八年 、 壮 瞥 町 で開 業 さ れ る に当 って私 の所 へ見 え ら れ 初 め て の出 合 いと な った訳 です 。 事 務 的 な 仕 事 に携 って お ら れ た 事が 後 の親 交 会 経 理 に抜 群 の手 腕 を発 揮 す る礎 と な った も のと 了 解 し ま し た。 現 在 、 三人 のお子 さ ん のう ち、 ご 長 男 は内 科 医 と し て 旭 川 厚 生 病 院 に勤 務 、 他 の お 二人 は本 州 にあ って 円満 な家 庭 を 営 ま れ て お り、 何 の心 配 も な く、 奥 様 は 只 今 お 一人 で 川 沿 町 の お宅 で故 人 の 霊 を 守 って 居 ら れ ま す 。 南 区 の藻 南 橋 の近 く で定 山 澳 道 路 から 少 し 入 った所 です の で、 お通 り の折 、 お 立寄 り 下 さ れ ば 故 人 奥 様 も 大 変 喜ば れ る と 思 いま す 。 先 生 のご 冥 福 を祈 り、 生 前 の想 い出 と 共 の後 のご 消 息 を 綴 りま した 。 ご 遺 族 和 枝様 2 ご 住 所 札 幌 市 南 区 川 沿 十 三条 一丁目 51 2 電 話 5 7 ・8 8 3 0 9 ・8 o6記 ︶ ︵S .5 -5- 。 も 大 変 安 心 し、 そ の熱 心 さ と 非 凡 な 才 能 に 一驚 し た わ け です 昭 和 五十 六年 、 逓 信 診療 所 長 を 退 任 さ れ 、 札 幌 のご 子息 と 一緒 、 に お暮 し にな る と の事 で退 会 移 転 な さ る こと にな り ま し たが 転 一夜、 輪 西 ニ ュージ ャ 出 に際 し、 医 師 会 、 親 交 会 の有 志 が 集 り、 、 パソで送別会を開言ましたが先生は大変元気で酒も充分に飲み . おそくと復談したらを憶たて居りすすo こちら に居 られ た当 時、 胃 の調 子が悪く て旭川医大病 院 で手術 を受 け た のを知 って おりま したが、 其 の後 症 状も なく経 過 し て い たと ころ、 昨年 五月 に健康 診断 で肺癌が 発見 され肝転 移 も発 生 し て最悪 の状態 と な り、 今年 一月 二十 九 日、 北 大 病院 で逝 去 され ま した。享年 七十才 であ りま した。 ここで先生 のご経 歴 に かれ てみます と、 出身 地 は現 在 の深川市 一己町 で、 戦前 に近 く の病院 の事務 に携 わ って いた事があ ったそ う ですが、 そ の後、 志 を立 てて満 洲 の医学 校 に進 まれ た のだ そう です。 既 に結婚 され て いて 一子 をも うけ られ て居 りま したが、 家 峰本先生の送別会席上で 昭和56.4.10(ニ ユージ ャパ ン) 医 史 斎 藤 専 蔵 の 事 上 田 智 夫 親交 会 の親 睦雑誌 に固苦 し い医史 の話 を持 ち出す のは如何 かと 思 われ る のだが、 この部 門 し か話 題 を持 たな いので お許 し いただ 、 い。 蛇 足なが ら、 知 里員志 保 さ ん の アイ ヌ語 地名解 では ト ッカ リ モイは チ カの多 い入江 であ り、 現 在 でも港内 のチ カ釣 り の メ ッ カであ る のも 面白 い。 室蘭 病院 の初 代院 長 は切治 六年 以来会 津 の医師赤城 信 一であ り 、 明 治 十九年 ま で院長 を つと めた。 二代院 長 は島 田操 と言 い 室蘭 港 の総代 人達が 札幌病 院 に頼 んで派 遣 し て貰 った のだが、 赤 城と も ども クリ スチ ャンであ った事もあ り、 明治 二十 一年 八月 には港 屋継 の契 約 を し て から僅 民 の画策 に破 れ て札幌 に去 って いるが、 一 かに四 ケ月 にすぎ な い。 そ の後 任が 三代院 長斎藤 専蔵な のであ る 俳誌 直 線 主 偶 然 な事 に小学 校時代 の同期 生 に樋 口昭 七郎 君 ︵ 催 者、 俳 号渉魚︶ が おり彼 の母が 斎 藤専歳 の四女 サダ であ った事 から関 心を いだ いて調査 し て いた こともあ って、 多 く の事が わ か ってき た。 履歴書 山形 県下 羽前 国西 田川郡 鶴 岡鍛治 町十 二番 地 平民 斎藤専 裁 安 政 五年 二月 十 五 日生 一、 明治 七年 一月 ョリ全十 一年 七月 迄都 合 三年 七 ケ月 間山形 県 羽前 国 西 田川郡大 山村 上本 町十 八番 地開 業 医栗本 節安 へ階 一、 明治 十 一年 九月 ョリ仝 十 四年 二月迄都合 二年 六 ケ月間東京 府下本 郷 元 町壱 丁目壱番 地済 生学舎 二於 テ訳書 フ以 テ医学 身 訳書 以 テ医学研究 蘭 病院 の第 三代 の院 長 であ る。 市 立室蘭病院 は、 最初 は新 道建 築 研究 一、 明治 十 四年 四月東 京 府 二於 テ御成 規之 医術開業御 試験中疾 き た い。 斎 藤専 茂 と言 っても 馴染 の薄 い方が 大部分 であ ろうが、 市 立室 仮 病院 と し て明 治 五年 三月 に崎守 町 ︵旧 名 モ ロラ ン︶ に建 設 さ れ、 札 幌 本道 の工事が 進 む に つれ て、 明 治 六年 六月 に ト ッカリ モ 病 二罹 り内 外科 実 地御 試 験之当 日欠席 一、 明治 十 四年 七月東 京府 二於 テ医術開 業 御試験 フ受 ケ同年 九 月落第 之指 令 フ拝受 イ ︵西小路 の坂を下 り切 った所︶ に移 った。開 拓使 事業 報告 など によ っても、 こ の時 点 を室蘭病院 の開 設 日時 と設定 し て いるよう で、 仮病 院 に出 張 し て来 た医員 達 は室 蘭 病院 の職員 と は み て いな -6- 一、 明 治 十 四年 十 月 四 日開 拓 使 札 幌 病 院 生雇拝 命 一、 明 治 十 五年 四月 八 日札 幌 県 雇 札 幌 病 院 副 当 直 医 拝 命 一、 明 治 十 二年 六 月 九 日札 幌 県 準 判 任 御 用 掛 拝 命 一、 明 治 十 四年 十 月 ョリ本 日 迄 公務 之 余 暇 札 幌 病 院 瓜 員 荒 川 文 碩 二階 ヒ医学 七科 ノ教 授 フ受 ク 右 之 通 相違 無御 座候 也 北 海 道 庁 履 歴 書 な ど に よ って み る と、 斎 藤 専 歳 は斎 藤 春 衛 門 の 長 男 と し て、 安 政 五年 ︵一八 五 八︶ 二月 十 五 日 に出 形 県 西 田 川 郡 鶴 岡最 上 町 に 生 ま れ た。 明 治 七年 、 十 六才 の時 から 開 業 医 栗 本 節 。 安 へ隆 身 と あ る の で、 恐 ら く 内 弟 子 修 業 と 言 う こと であ ろ う 明 。 治 十 一年 には 上京 、 長 谷 川 泰 の済 生学 舎 に入 学 し て い る 二十 才 であ った。 長 谷 川 泰 は せが わ た い ︵一人四 二十 十 一九 一二︶ 江 戸 末 から 新 潟 県 ︶ 長 岡 の人 。 江 戸 に出 て坪 井 芳 明 治 の医 学 者 。 越 後 国 ︵ 甥 治 十 五年 六月 十 八 日 洲 に西 洋 医 学 を 学 び、 のち さ ら に佐 倉 順 天 堂 で佐 藤 尚 中 に西 洋 し たが 、 許 可 さ れ な か った の で急 に これ を閉 校 し、 物 議 を かも 一九 〇 に は 日本 最 初 の総 選 挙 に当 選 。 九 八年 内 務 省 衛 生 局 長 。 二年 に専 門 学 校 令 が 公 布 さ れ ると、 済 生 学 舎 を 大 学 に し よう と 兼 中 寮 長 に任 ぜ ら れ 、 そ の校 務 に参 画。 七 四年 東 京 府 病 院 長 と な り、 七 六年 東 京 小 石 川 春 日 町 に済 生 学 舎 を 設 立 し て 瓜 学 生 の 、 育 成 にあ た る。 七 八年 内 務 省御 用 と な り 長 与 専 斎 を 助 け て衛 、 生 行 政 の根 幹 を確 立 し た 。 八 七年 国 政 医 学 会 を 創 立 し 九 〇 年 明 治 二︶ 大 学 東 校 開 設 に際 し少 助 教 一八 六九 年 ︵ 医 学 を学 が 。 右 斎 藤 専歳 団 山形 県 平 民 これ は、 医 術 開 業 願 を 出 し た時 の自 筆 の履 歴 書 であ り、 二枚 の 教 授 書 が 添 付 さ れ て いる 教授書 斎藤 専歳 右 者 明 治 十 一年 九 月 ョリ当 済 生 学 舎 二於 テ理 学 化 学 解 剖 生 理 学 薬 物 学 内 科 学 外科 学 教 授 致候 也 大 鳥 三郎 ︶ し た o ︵ 右 之 通 相 違 無 之侯 也 東 京 府 下 本 郷 元 町 二 丁目 仝 年 八月 七 日 月 俸 金 二十 円 仝 年 六月 九 日 御 用 掛 准 判 任 官 月 俸 金 十 五円 仝 年 二月 十 五 日 札 幌 病 院 副 当 直 医 明 治 十 五年 四月 八 日 月 給 十 五 円 札 幌 病 院 係 明 治 十 四年 十 月 一日 開 拓 使 札 幌 病 院 雇 月 給 十 二円 明 治 十 五年 二月 九 日 廃 使 置 県 判 任 官 以 下 ハ其 儘 事 務 取 扱 大 を 創 設 し てゆ く 訳 であ る。 、 本 題 L 戻 って、 北 海 道 簿 書 から 専 歳 の履 歴 を 追 って行 く と 余 談 な が ら、 済 生学 舎 在 校 生 達 が 、 日本 医 学 校 ︱ ︱ のち の日本 、 医 科 大 学 を 創 立 し、 更 に東 京 医 学 校 を作 った グ ル ープが 東 京 医 済 生学 舎 長 山形県平民 明 治 十 四年 二月 十 五 日 長 谷 川 泰 □ 教 授書 斎 藤 専 戒 右者 明治 十 四年 十月 ョリ理学 化学解 剖学 生理学 薬 剤 学 内科 学 外 科学教授 候 也 右 之 通相違 無之侯 也 札幌 病院 医員 明治 十 五年 六月 十七 日 荒 川 文 碩 -7- 、 明 治十 二年 瓜術開 業願 を申 し出 た時 には 二十 四才 で 札幌 病院 、 勤 務 であ った。厚 生省 の ﹁医制 百年 史 ﹂ に 開業 医許 可 の経 過が ク ヘン 試験科 目 第 三生 理学 大 意 第 二解 剖 学 大 意 第 一物 理 学 化 学 大 意 既 に述 べた ょう に、 明治 八年 二月 には医制 の趣旨 に基づ いて新 第 四病 理 学 大 意 述 べられ て いる。 規開 業医師 に対す る開 業 試験 の実 施方 に ついてまず 三府 に達 し 医 術 フ以 テ奉 職 ス ル者 ハ試 験 フ須 ヒ ス免 状 一、 海 軍 省 軍 医 副 以 上 一、 文 部 省 及 旧大 学 東 校 少 得 業 生 及 ヒ医 学 教 官 下 医 当 直 医 以 上 一、 内 務 省 警 視 病 院 医 員 及 旧警 視 庁 医 員 、 但 薬 局 専 任 ノ モ ノ ハ此 例 ニア ラ ス 以 下 之 二倣 ヘ 一、 陸 軍 省 軍 医 副 及 ヒ軍 医 試 補 以 上 試 験 フ逐 候 儀 卜 可相 心得 事 書 及 履 歴 書 二管 庁 ノ添 書 フ附 シ可申 出 此 旨 相 候 達 事 但 自 今 官 立 医 学 校 二於 テ卒 業 証 書 フ得 ン モ ノ ノ外 ハ総 テ成 規 之 奉 職 従 事 ツ主 ト ン テ医療 若 ク ハ教 授 ノ任 二当 リ タ ル者 ハ志 願 ニ 、 ヨリ試 験 フ不須 直 二免 状交 付 候 条 左 ノ箇 条 二照 観 シ本 人 之 願 ハ試 験 フ要 セ ス地 方 限 り鑑 札 等 フ与 へ新 旧 フ区 分 ン以 テ瓜 術 改 新 之 基 礎 相 立候 処、 維 新 以 来 該 術 フ以 諸 官 庁 及 地 方 公 立病 院 ニ 昨 明 治 九 年 当 省 乙第 五号 フ以 医 師 試 験 之 儀 相 達 従 来 開 業 之 モ ノ 峨肘 十 年 八月 十 六 日 . 内 務 省達 第 七十 六号 ﹁ 、 一、 産 科 限 科 口中 科 等 専 ラ 一科 フ修 ム ル モ ノ ハ 其 局 部 ノ解 剖 生 理 ノ大 意 及 手 術 フ検 ンテ免 状 フ授 ク ヘン 、 一、 試 験 ハ当 分 管 内 ノ便 宜 二障 ヒ県 庁 或 ハ病 院 に於 テ ン 共 成 績 フ内 務 省 二具 状 シ免 状 フ受 ケ本 人 二交 付 ス ヘッ 第 六内 外 科 大 意 第 五薬 剤 学 大 意 ついで翌九年 一月 に これを 逐次全 国 に及ば す こと と し て各 県 に 対 し てそ の要領 を達 した のであ るが、 明治 十 一年 には早 くも殆 、 んど全国 で開 業試 験が 実 施 され る に至 った。 し かしなが ら 明 、 治 九年 の達 は開業 試験 の概 則 を定 めて いる にすぎ ず 各地 によ りま ちま ちであ った ので、 そ の弊 を改 めるた め、 明治 十 二年 医 明 一二 ・二 ・二四内布 達 甲 三︶ を制定 し、 同規則 師試 験 規則 ︵ により開 業試 験 はそ の面目 を 一新 した。 こ こで注 目す べき点 は 官 立大学 及び 欧米 大学 の卒業 生 は無試験 で開 業 し得 ると した こ と であ り、 これ に類す る無試験 免許 の制度 は後 述 の明治十 六年 、 の医師免 許 規則、 さら に明治 三十九年 の医師法 歯科 医師法 に 後述︶ も引継 が れ た ︵ 医師開 業 試 験 フ セッ ム 明治 九年 一月十 二日 内務 省達 乙第 五号 各県 医師開 業之儀 別紙之通 試 験法相 定各管 内 医師 学術之現 状 二拠 リ ︵ 別紙︶ テ緩 急 フ度 り施 行 可致候 条 此旨相達候 事 追 テ施行之 見 込相 立侯 向 ハ時 日取 極予 メ可申 出事 一、 自 今 新 二医術 開業 セント欲 スルモ ノ左 ノ試験 フ遂 テ免 状 フ 授 ク ヘシ 但 シ従 来開 業 ノ医師 ハ試験 フ要 セス 故 二県庁 二於 テ ハ新 、 二免 状 フ受 ケ開 業 スルモノト困雑 セサ ル様 処分 ス ヘン 尤 従来開 業 ノ医師 タリ ト モ志願 ノ モノ ハ試 験 フ遂 テ免 状 フ授 並 同省直 轄諸学 校 区員、 皇漢 医道掛、 種痘館掛 ハ之 ヲ除 ク 一、 司法省 及 旧弾 正台 医員 一、 官 内 省 六等侍 医以 上及 旧少典 医 旧権少 侍 医以 上 一、 開 拓使 病院 医員 一、 府 県病院 及地方 公立病 員当直 医以 上 、 これら の条 文 によ って、 官 立医学 校卒業 医試験合 格 医 限 地開 業 医、 従来履歴 医等 に区分 され、 初代院 長赤城 信 一は開 拓使 病院 、 医員 の履 歴 を認 めら れ て、 無試験 で免 状 を下附 され たが 斎 藤 専 歳 はそ うは いかな か った訳 であ る。 、 明治 十 五年 の受 験者 は、 斎藤 専歳 と 小林英 太 の二第 で 内務 省 、 から の問題 で、 札幌 病院 の馬島 院 長、 永井 四等属 一柳 九等属 が 。 試 験官 と な って十月 に札幌病略 で行 なわれ た 斎藤 専 蔵 の試 験問 外 科 一、 上 膊 骨 断 析 の種 類 原 因 徴 候 及 び 療 法 二、 強 断 術 の類 別 手 術 式 適 症 及 び禁 忌 以 上 の試 験 に合 格 し て、 め で たく 医 術 開 業 免 状 を 受 け た。 ︵署 御 受書 こ 名 は専 一 山形 県 平 民 内 外 科 医 術 開 業 免 状 御 下 附 被 成 下 正 二拝 受 仕 候 也 明 治 十 六年 二月 十 四 日 斎 藤 専 三 内 務 卿 山 田顕 義 殿 こ のあ と も、 札 幌 勤 務 が つづ く 。 明 治 十 二年 十 二月 十 二日 職 務 格 別 勉 励 候 二付 慰 労 金 五 円 下 賜 ︵註 十 六年 、 十 七年 に各 五 円、 十 九 年 に は 十 円 が 同 趣 旨 に て下 附 さ れ て い る︶ 防 に従 事 格 別 勉 励 候 二付 為 慰 労 金 五 円 下 賜 題 は、 理学 一、 音響 の速力 二、 験液 器、 液 量計 の構造 及び応用 仝 年 仝 月 仝 日 札 幌 病 院 当 直 医 明 治 十 年 一月 十 八 日 北 海 道 庁 監 獄 医 紋 判 任 官 五等 札 明 治 十 八年 十 二月 十 四 日 監 獄 医 申 付 月 俸 金 三十 五 円 本署 詰申付 明 治 十 七 年 十 月 十 八 日 御 用掛 、 准 判 任 官 月 俸 金 三十 円 監 獄 仝 年 八月 六 日 月 俸 金 二十 五 円 明 治 十 六年 二月 十 五 日 昨 十 五年 八月 以 降 管 内 各 所虎 列 羅 病 予 化学 一、 大気 の成分 及びそ の混有物 二、 有 機 性化合物 に属 す る重要 の窒素化合 物 及びそ の種 類 の別 解 剖 一、 三叉神 経 の起始枝別 及び分布 幌 監 獄署 詰 二い 腎 臓 の位置形 状 及び造構 生理 一、 動脈 静脈 及び毛 細脈 の血液 循 環機 蘭 は 明 治 二十 年 の屯 田兵 入 植 、 室 蘭 、 岩 見 沢 間 鉄 道 の決 定 ︵完 成 当 時 の業 績 に ついて は わ か って いな い。 し か し な が ら、 当 時 の室 明 治 二十 一年 に島 田 操 の後 任 と し て室 蘭 病 院 長 に赴 任 し たが 、 述 さ れ て い る の で御 覧 いた だ き た い。 明 治 十 一年 七月 廿 八 日 依 願 免 本 官 監 獄 医 に つい て は、 ﹁北 海 道 医 師 会 史 ﹂ に特 に 一章 を 設 け て詳 二、 胸 性 の造構 呼吸筋 の作 用 及び呼吸 を司 る神 経 病理 一、 上皮肥大 の種類原因 及び現症 二、 腸 チ フスに由 り淋 巴系 統 に発 す る の変 化 薬 剤 一、 細草酸 亜銀 の健体作 用 医治作 用頓 服 の量 一日 の服 量 二、 甘 禾 の健体 作 用医治 作用頓 服 の量 一日服量外用 の法 内科 一、 神経 痛 の原 因病 理鑑 別 及び療 法 二、 肝臓硬 結症 の原因解 屍所見症候 予後 及び療 法 -9- 。 明 治 二十 五年 ︶ な ど も あ ち て活 況 を 呈 し て来 て いた こ のな か で 、 専 歳 は 明 治 二十 四年 四 月 に室 蘭 病 院 を辞 任 し 幕 西 町 に私 立 病 院 、 を開 院 し、 のち に札 幌 通 り 五 十 五番 地 ︵羽 在 住 友 生命 で 近 江 家 具 店 の隣 り ︶ に移 転 開 業 し て い る。 こ の場 所 は佐 藤 雄 三先 生 の医 佐 藤 雄 三先 生 の 院 のあ った 場 所 で、 斎 藤 医 院 ︱ 佐 藤 富 太 郎 医 院 ︵ 、 長 兄。 斎 藤 専 歳 医 院 に 一時 期 勤 務 鵡 川 の土 地 改 良 事 業 に取 り く 、 み大 正 十 年 頃 から 佐 藤 農 場 を 開 設 戦 後病 院 を 雄 三先 生 に譲 り鵡 。 川 に引 退 ︶ ︱ 佐 藤 雄 三医 院 ︱ 住 友 生 命 と な って い る訳 であ る 明 治 三十 九 年 八月 から 大 工初 年 ま で は室 蘭 町会 議 員 を つと め た 、 当 時 栗 林 五 朔 の政 敵 であ った佐 々木 市 造 派 に属 し 三羽 が ら す の 、 一人 と し て活 躍 し た と いう 。 こ の為 か ﹁政 治 に熱 中 し す ぎ て 医 忠 家 に て斎 藤 医 師 方 の佐藤 富 太 郎 に会 す 。 斎 藤 の命 る べ し。 七月 十 九 日 、 両 三 日な 午 後 三時 半 斎 藤 専 裁 よ り 迎 あ り。 田中 医 学 士 と 診 察 。 終 り て 二 階 に て 佐藤 医 師 と 座 談 す 。 八月 一日 斎 藤 専 歳 遂 に起 たず 。 終 焉 は午 前 八時 な り と い か。 以 上 から、 大 正 二年 八月 一日 に死 亡 し た こと が わ か る。 五 十 四 才 であ った。 生 涯 の詳 細 に ついて は、 更 に調 査 を進 め た いと 思 っ て は いるが 、 市 立 室 蘭 病 院 の 三代 院 長 に つい て知 って居 る人 はご く 稀 で、 佐 藤 富 太 郎 先 生 を 知 る方 も 少 な く な り、 若 い世 代 で は佐 、 藤 雄 三先 生 を も 知 ら な い人 が かえ て 来 て い る様 な の で 簡 単 に紹 介 し た次 第 であ る。 煙 草 考 菩中録﹂ 奇 圭日 ﹁ 中 村 煙 草 に つい て最 近 そ の有 害 性 が 改 め て大 き く 取 り 上 げ ら れ、 胃 癌 ・肺 癌 の恐 れ が 強 調 さ れ 話 題 に のぼ って い る。 つい先 日も ス ェ ーデ ンで ﹁肺 癌 死 が 間 接 喫 煙 のた め であ ると し 労 災 が 認 定 さ れ た 、 。 ﹂ と の新 聞 報 道 が あ り 愛 煙 家 肩身 狭 しと も 書 かれ て いた 先 年 私 は乳 幼 児 に関 し て の煙 草 の健 康 上 の有 害 性 に ついて 一文 を 記 載 し た ことが あ るが 、 た ま た ま ﹁煙 草 文 化 誌 ﹂ な る 一書 を 入 手 し て、 煙 草 の歴 史 的 考 察 の上 から真 に興 味 深 いも のが あ った。 ―- 10 -― 師 と し て は失 敗 し た ﹂ と の評 も あ る。 し かし 板 沢 庄 五郎 に よ ると、 ﹁私 が 室 蘭 病 院 に赴 任 後 程 な く ︵ 、 註 明 治 四十 一年 ︶ 誰 れ 云 かと な く 病 理 の委 しき は遠 藤 副 院 長 ︵元製 鋼 所 病 院 副 院 長 に し て、 海 軍 中 佐 に て嘗 って海 軍 軍 医 学 校 。 に教 鞭 を 取 り し 人 ︶ 。 診 断 の甘 き は板 沢 副 院 長 而 し て 予後 の適 古 き 時 代 室 蘭 病 院 長 を 努 め、 後 開 業 し 嘗 っ 中 は斎 藤 専 威 医 師 に ︵ て室 蘭 外 五郡 医 師 会 長 た り し ことあ り し 人 ︶ 若 かず と 評 さ れ た も の であ り ま す ﹂ と 書 いて い る の で、 決 し て医 師 と し て の評 価 が 低 か った 訳 で は な いと 思 わ れ る。 ま た 五郡 医 師 会 長 を つと め た と あ るが 現 在 で は裏 付 け る資 料 を 得 な い で いる。 。 死 亡 の前 後 の状 況 が 、 米 川 虎 吉 の日記 に残 って いる 大 正 二年 一月 三 日 。 回診 の途 次斎 藤 専 歳 を 問 か。 顔 色 憔 悴 病 態 頗 る 宜 し から ず 心 臓 病 あ り と 云 摩。 余 り 診 せざ り し。 但 細 君 は診 察 を 乞 ひ度 面 持 。 見 ゆ るも 、 主 人 公 は料 理 を賞 味 す 故 見 会 は し度 と 云 あ故 な り 。 居 る事 半 時 間 程 に し て辞 去 す 。 真 に気 の毒 の感 に堪 へざ り し 七月 十 六日 秀 蘭 学 の大 家 、 盤 水 大 槻 玄 沢 先 生 の筆 に な る煙 草 の書 ﹁詣 録 ﹂ は 。 ﹁煙 草 文 我 国煙 草 文 献 中 、 白 眉 と称 す る こと が 出 来 る であ ろう 、 化 誌 ﹂ は こ の ﹁寿 録 ﹂ の最 も 忠 実 な る解 読 書 であ ると 同時 に 内 外 の煙 草 の文 献 の集 大 成 と も 考 え ら れ る書 であ る。 ﹁蒋 録 ﹂ が 出 版 さ れ た のは文 化 六年 の春 であ るが 、 そ の起 草 は 、 遠 く 六年 前 、 即 ち 天 明 三年 盤 水 翁 二十 七歳 の折 であ り 成 稿 は寛 政 八年 であ る。 翁自 身 少 時 よ り 喫 煙 を 好 み、 江 戸 に 五十 年 在 住 し 、 て いたが 、 郷 里、 仙 台 の煙 草 を 用 い て名 煙 を 食 はず と あ る よ う に煙 草 好 き であ った。 然 し ﹁え ん録 ﹂ は 単 な る煙 草 好 き の筆 す さ び にな った書 物 で は な く、 や む に や ま れ ぬ啓 蒙 え の逆 心 の成 果 と 断 じ ても 過 言 で は な い。 盤 水 翁 は何 故 に こ の書 を 起 草 し た の か。 広 く 大 衆 の間 に煙 草 が 愛 翫 さ れ て いた風 習 を み て、 そ の医 学 的 見 地 から 煙 草 の実 体 を 究 明 し、 中 毒 解 消 の方 法 や 如 何 にと、 実 体 把 握 を 企 図 し て の研 究 で あ った。 Fたん録 ﹂ の評 判 はす で に当 時 に於 て輝 し いも の であ っ たが 、 これ に対 し て悪 日め いた こと を 言 って いる唯 一人 の人 物 と し て 司 馬 江 漢 が あ げ ら れ る。 然 し 江 漢 も 、 煙 草 に関 す る研 究 は 盤 水 が 第 一人 者 であ ろう と も 述 べ て い る。 。 さ て ﹁え ん録 ﹂ ﹁煙 草 文 化 誌 ﹂ の内 容 の 一端 に ついて述 べ る ミ タバ コは 一小 島 の名 。 今 日 の英 領 西 印度 諸 島 の南 端 にあ る ト ノ コ島 ︵↓oげ”me を 指 し て いる。 こ の島 に生 え て い る野 生 植 物 そ 、 のも のを ﹁トバ ゴ ﹂ と 呼 が よう に な ったが 、 天 正 ・慶 長 の間 初 め てそ の種 子 を長 崎 馬 場 に植 え て裁 培 し我 国 に広 く ひ み めら れ た 嗜 好 品 と いう ょ りも 、 む し ろ 一つの 立 派 な薬 剤 と し て 医 者 の間 に 珍 重 さ れ た時 代 も あ った。 、 。 煙 草 に は毒 が あ るが 、 時 に変 じ て薬 と な る 例 えば 急 性 ロイ 、 マナ スを 癒 し、 胸 の つかえ や痰 の つかえ を 取 り除 き 脈 の結 滞 を 。 緩 和 す ると 煙 草 喫 みが 喜 び そ う な ことば かりが 書 かれ て いる 叉 。 煙 草 の毒 は蛇 の毒 を 消 す 。 かく し て食 物 の最 も 奇 な るも のな り ま こと 古 今 東 西、 愛 煙 家 にと って は食 物 であ り 然 も 最 も 不 思議 な 食 物 で さ え あ った。 小 児 の慢 性 消 化 不良 、 卵 巣 裏 腫 、 子 官 筋 腫 の如 き 腹 中 の積 塊 ︵ 、 かた ま り ︶ も ま た煙 草 で消 散 さ せ得 る と いう。 眼 科 で は白 内 障 外 科 で は 切 創 に効 あ りと す る。 煙 草 の粉 を 血 止 め に用 いた 素 人療 法 を 記 憶 し て おら れ る方 も あ る であ ろ う 。 煙 草 は医 薬 と し て正 に 茶 の上 にあ り、 嗜 好 品 と し て は 酒 を凌 ぐ 絶 妙 不 可 思 議 な車 木 であ ると 賞 讃 を お し ま な い。 次 に煙 草 の禁 忌 に ついて の記 載 が あ る。 炎 症 ・発 熱 の場 合 は い 、 け な い。 中 国 に於 て禁 煙 令 を 出 し た こと が あ るが 妄 り に民 家 の 、 財 産 を 没 収 す る事 が あ り、 晩 年 卜 帝 之 を 悔 い 始 め て内 外 に論 告 し て そ の禁 を 弛 む 。 言 摩、 此 の姻 以 て 酒 に代 ふ べく し て 而 し て人 を 損 はず と ︱ ︱ 云 々。 ア メリ ヵ の禁 酒 令 を 思 わ し む るも のが あ る 、 日本 でも 慶 長 ・元 和 の頃 に煙 草 を のむ こと を禁 止 さ せ 次 に発 売 、 の 、 ず 何 に 非 つ る 腹 満 。 。 御 法 度 にな り、 更 に寛 永 ・延 宝 年 間 に は栽 培 が 禁 止 さ れ た 然 し 。 ﹁味 の 人 間 の欲 望 は ど う す る事 も 出 来 な い。 古 人 も 言 って いる 美 な る にあ らず 、 酔 い て面 白 き にあ ら ず ﹂ の項 に、 若 し吸 咽 多 服 。 こ の禁 止令 も やが て何 時 と は な し に効 力 を 失 って し ま った 。 煙 草 は ﹁貧 報 草 ﹂ ﹁貧 乏 車 ﹂ と も 呼ば れ た ま た ﹁姻 毒 を 解 す 事 な き に かく ま で人 の好 め る は如 何 な る故 と も 知 りが た し ﹂ と 煙 草 の効 用 に つい て は次 の よ う に述 べら れ て いる。 医 薬 と し て の効 用 は、 食 後 の 一服 が 時 に胸 先 き を す っき り さ せ る の は喫 煙 者 を飲 む のが よ い。 本 邦 で は知 ら れ て いな いが 砂 糖 の であ る。 ニ コチ ン毒 の初 期 興 奮 作 用 、 次 の経 験 す る所 であ るが 、 これ は、 、 、 、 ど の場合 は味 噌 汁 な 心 悪 頭 痛 眩 暉 、 積榔 を 用 いる で麻 痺 作 用 に因 るも の であ る。 洋 の東 西 を 問 わず 、 煙 草 は単 な る -11- 異付 し て いれ ば 生命 が 維 持 さ れ、 心臓 こそ 生命 の座 であ る こと を一 、 体 重 が 四 キ ロにま で達 す る ことが あ ると いわ れ る無 脳 児 は 子 、 官 外 の生存 は望 め な いが 、 脳 実 質 の全 部 を 欠 損 し なが ら も 胎 内 で は 生 き て いる の であ る。 こ の事 実 は、 脳 が な く ても 心臓 が 拍 動 が よ い。 焼 味 噌 を な め て も よ いと あ る。 糖 分 は体 内 に吸 収 さ れ て で エ コチ ソ毒 が 解 毒 さ れ る こと は理 解 さ れ る。 ま た、 着 物 に つ い け るも の で は な かろう か。 グ リ コー ゲ ンの形 で肝 臓 に貯 え ら れ る。 こ のグ リ コーゲ ンの働 き た煙 草 の ﹁や に﹂ に対 し て は向 井 震 軒 が 、 熱 い味 噌 汁 に次 い で昆 煙 草 中 毒 予 防 十 五訓 が 記 載 さ れ て いるが 省 略 す る。 夫 発 行 所 は東 峰 書 房 。 陽 尾 を出 さ な か った ま で の こと であ る。 心摘 出 と 同時 に犬 本 来 の生 は なく 、 タ ヌキと キ ツネ の生命 が 、 心摘 出 で死 んだ 犬 の体 を 借 り て、 イ ヌダ ヌキと な リ イ ヌギ ツネ に な って 二週 間 生 き たと いう こ 、 と であ る。 移 植 外 科 医 が ま ん ま と 化 かされ た の であ って た だ 尻 生 かし た 実 験 が 報 告 され て い るが 、 これ は犬 が 二週 間 生き た ので の太 陽 であ り 生命 の座 であ る と考 え る。 七、 八年 前 、 犬 に タ ヌキと キ ツネ の心 臓 を 移 植 し て最 高 二週 間 秩 序 整 然 と 運 行 な ら ぬ循 環 を し て いる のであ る。 心臓 こそ 小宇 宙 一定 の規 則 に従 太 陽 系 に 消 い て、 天 体 の集 団 が 太 陽 を中 心 に、 って調 和 を保 ち なが ら、 秩 序 整 然 と 軌 道 に乗 って運 行 し て いるが 、 如 く、 小 宇 宙 であ る人 間 で は、 天体 な ら ぬ 血球 の集 団 が 軌 道 な ら ゑ血流 に乗 って、 太 陽 な ら ぬ心臓 を 中 心 に、 調 和 を 保 ち なが ら 生命 の座 であ り、 ま た 生命 の拠 点 でも あ ると 考 え る。 に活 動 を開 始 す る のも 心 臓 であ る し、 脳 が 失 わ れ ても、 呼 吸 が 止 っても、 一番 最 後 ま で活 動 を 続 け る のも 心臓 であ って、 心 臓 こそ 期 に個 体 の生命 活 動 が 始 ま るも のと 私 は考 え る。 臓 器 と し て最 初 の で は な か ろ う か。 胎 児 の拍 動 は、 日齢 凡 そ 二十 三 日 で開 始 さ れ ると いう 。 こ の時 生 命 点 は、 心 臓 の自 家 発 電 装 置 と も いう べき 洞 結 節 あ た り にあ る は こ こ に生命 の座 を 求 め、 こ こを 生命 点 と 呼 ん で いるが 脳 が 眠 っても 心臓 は 眠 ら な い。 呼 吸 を 一時 停 止 し ても 心 臓 は動 、 いて い る。 す な わ ち 心 臓 が 生命 を維 持 す る の であ って 脳 が 生命 、 を維 持 す る の で は な いと 考 え る。 延 髄 に呼 吸 中 枢 が あ って 古 く 、実際 の 布 の噛 み汁 を 推 奨 し て いる。 。 以 上 ﹁煙 草 文 化 誌 ﹂ を 散 見 せ し ま ま に記 述 し た 次 第 であ る 尚 橋 本 書 の著 者 は東 大 稲 国 内 科 宇 賀 田為 吉 博 士 であ る。 主 張 心 拍 こそ生 の証 高 、 今 は昔 一九 二七年 、 私 は医 学 部 一年 目 の時 に生 理 学 小 実 験 で 。摘 出 し た 心臓 は脳 が な く と ト ノ サ マガ エルから 摘 出 し た 心臓 を リ ング ル氏 液 に 入 れ て拍 動 の 有 様 を 観 察 し た こと を 記 憶 し て いる 。 も 、 相 変 ら ず 拍 動 し て いる こと を そ の時 初 め て知 った の であ る 。 心臓 は そ の筋 肉 の収 縮 に必 要 な 興 奮 を 自 分 で作 って い る す な わ 、 ち 心 臓 には自 家 発 電 と も いう べき 自 律 性 が あ って 脳 と は無 関 係 に自 分 で拍 動 し て いる の であ る。 生命 の附 属 物 であ る 五 体 から 離 れ 、 精 神 作 用 の根 源 であ る脳 と の連 絡 も す で に失 わ れ て し ま った 、 心 臓 は 生命 の座 であ ると 考 の であ るが 、 蛙 の心臓 は リ ング ル氏 液 の中 で 生 き 続 け て いる の で あ る。 す な わ ち脳 は精 神 の座 であ り え た こと であ った。 ―- 12 -― 入 れ 替 わ った のであ って、 元 の大 はも は や いな い のであ る。 元 の 犬 は 心摘 出 と 同時 に、 生命 の座 を 失 った の であ る から 死 ん だ はず 供 者 であ る こと に気 付 かな い の であ る。 す な わ ち 生 き て いる のは 提 供 者 で、 受 容 者 は反 対 に死 ん で し ま った の であ る。 そ こが 移 植 る から 死 んだ はず で、 そ こ に生 き て いる の は、 自 分 で は な く て提 入 れ 替 え と 同時 に、 自 分 の生命 の座 であ る 心 臓が 失 わ れ た の であ 受 容 者 のな き が ら な ら ぬ生命 の附 属 物 の中 に ち ゃんと 生 き て い る の であ る。 心臓 を も ら って 生き て い る か に見 え る受 容 者 は、 心臓 であ る。 ま た犬 から 摘 出 し た 心 臓 を、 キ ツネ と タ ヌキ に折 り 返 し 外 科 医 の魔 術 で でも あ ろ う 。 そ の後 世 界 各 国 で 一〇 〇 例 を 越 え る 命 の座 は失 わ れ、 タ ヌキと キ ツネ の生命 の座 が 、 犬 の生 命 の座 と 移 植 し た実 験 報 告 は聞 かな い の で、 元 の犬 は 生 き て いな い の であ る。 犬 と タ ヌキと キ ツネ の生命 相 互 交 換 は成 功 し な か った の かも 日 生 き た 例が 報 告 さ れ て いる ︵一九 八 三年 ︶ 。 し かし 人 工 心 臓 を 提 供 者 であ る こと に気 付 い て いな い の であ る。 二人 で 生 き て い る にあ の世 に去 り、 今 こ の世 に 生 き て い る のは、 自 分 で は な く 心 臓 葉 であ る。 し か し気 の毒 に思 う こと だ が 、 当 人 は移 植 手 術 の時 に 生命 の座 であ る自 分 の心臓 が 失 わ れ た の であ る から、 自 分 はす で し て は 二人 日 の、 心 臓 受 容 者 の喜 び の声 と し て報 道 さ れ てき た 言 生 き て行 く 気 持 だ ﹂ これ は本 年 四月 、 ア メリ ヵで 心 臓 移 植 手 術 を受 け た、 日本 人 と 心臓 移 植 が 行 わ れ たが 、 最 近 は行 わ れ る 例が 少 な く な った と か。 ﹁心 臓 提 供 者 は分 から な いが 、 そ の人 と 共 に これ から の人 生 を しれ な い。 人 に サ ル の心 臓 を 移 植 す る研 究 が 進 めら れ て い ると 聞 く が 、 心 臓 の移 植 を受 け た 人 はも は や 元 の人 で は な く、 人 のよ う に見 え て も 類 人 猿 に逆 戻 り し た のであ って、 サ ル の生命 が 、 そ の人 のな き が ら を 借 り て生 き て いる の であ る。 も は や ホ モサピ エン スで は な 埋 め込 ま れ た人 間 は、 埋 め込 みと 同時 に、 生命 の座 であ る自 分 の の で は な い。 喜 び と いう よ り は む し ろ、 移 植 外 科 医 の魔 法 に か か く ア ント ロポイ ード であ る。 ま た いわ ゆ る人 工心 臓 な るも のが 研 着 装後 百 十 二 究 さ れ て 、ア メリ ヵ で は 埋 込 式 人 工心臓 が 開 発 さ れ 、 心 臓 が 摘 出 さ れ た の で、 死 ん でし ま った はず であ る。 あ た かも 生 き て い る か に見 え るが 、 そ れ は なき が ら を使 って組 み 立 てら れ た って し ま った哀 れ にも 痛 痛 し い悲 劇 で は な か ろう か。 な る 人 体 実 験 であ り、 単 な る延 命 工作 であ り、 た だ 術 後 の生存 日 数 の記 録 作 り に過 ぎ な い の で は な か ろ う か。 移 植 に よ って、 実 用 術 と いう よ り は む し ろ、 奇 術 と でも いう べき で は な か ろう か。 単 人 の心臓 移 植 は、 今 の段 階 で は、 いわ ゆ る治 療 法 で は な く、 医 、 ロボ ット に過 ぎ な い の であ る。 生 き た の で は な く 動 いた と 表 現 す べき で は な か ろう か。 こ の ロボ ット に人権 を 認 め人 権 を 付 与 す 九 六七 年 十 二月、 南 ア フリ カ連 邦 の心 臓 外 科 医 バ ー ナ ード博 土 に の健 康 体 回復 と 充 実 し た 生活 を 得 る こと は、 到 底 望 む べく も な い る か否 かは保 留 し て お く。 、 次 に人 の心臓 を 人 に移 植 す る 同 種 族 間 の心臓 移 植 であ るが 一 よ る世 界 最 初 の実 験が 報 道 さ れ た 。 生命 の座 であ る 心臓 の入れ 替 の で は な か ろう か。 心臓 移 植 は好 奇 か、 好 事 か、 踊 り か、 名 声 の 対 象 で し かな いよう に思 わ れ る。 ま た ジ ュネ ーブ 宣 言 ︵一九 四 八 と にな る の で は な か ろ う か。 接 ぎ 木 が 成 功 す る に は、 生 き て い る接 ぎ 穂 を 使 う こと が 必 要 で 年 ︶ を無 視 し、 人 道 の法 則 に反 し て、 医 学 上 の知 識 を 乱 用 す る こ えが 、 人 間 同 士 の間 で行 わ れ た こと は、 と に かく 有 史 以 来 の大 事 件 であ った。 当 時 私 は こ の ニ ュー スに、 驚 異 と驚 嘆 と、 そ し てあ る種 の恐怖 さ え 覚 え た の であ るが 、 ま た 人 類 の福 音 と も 思 った こ と であ った。 し か し 生命 の座 であ る 心 臓 の提 供 者 は、 心摘 出 と 同 時 に死 んだ はず であ るが 、 自 分 の生命 の附 属 物 から 抜 け 出 し て、 ―- 13 -一 枯 れ た す な わ ち 死 んだ 接 ぎ 穂 は活 着 し な い の であ る。 活 着 す れば そ の接 ぎ 穂 は 生き て いたす な わ ち 生体 な ら ぬ生 木 から と った こと に な る。 活 着 し な け れば 、 技 術 の失 敗 は 別 と し て、 そ の接 ぎ 穂 は 死 体 な ら ぬ枯 木 から と った こと にな る。 す な わ ち 生 木 から と つた 接 ぎ 穂 は活 着 す るが 、 枯 木 から と った接 ぎ 穂 は活 着 し な い の であ る。 接 ぎ 穂 な ら ぬ移 植 用 臓 器 は出 来 るだ け 生 き が ょく て若 い のが い いと 聞 く が 、 ま こと に む べな る か な であ る。 バ ー ナ ード 博 士 の心 臓 移 植 実 験 の翌 一九 六 八年 す な わ ち 昭 和 四 十 三年 八月 八 日、 札 幌 医 大 附 属 病 院 で和 田教 授 を 中 心 と す る臓 器 移 植 外 科 医 の仲 間 に よ って わが 国 で は最 初 の世 界 で は 二番 目 の心 臓 移 植 実 験が 行 われ 、 全 国 を 驚 嘆 と 称 賛 で沸 か せ た事 件 は、 十 六 年 も 前 の こと で はあ るが 、 ま だ わ れ わ れ の記 憶 に新 た な と こ ろ で あ る。 海 水 浴 で水 死 し た と 称 せら れ る青 年 の心 臓 を 移 植 さ れ た少 く 承知 し て いる はず であ る。 さ て 和 田 心臓 移 植 事 件 後 十 六年 にも な ろうと し て い る の であ る が 、 最 初 の十 二、 三年 は、 心臓 移 植 実 験 は 立 ち 消 え た か に見 え た の であ る。 し かし こ こ 二、 三年 来 再 び 臓 器 移 植 外 科 医 の仲 間 に よ って、 本 番 であ る 生 き た 心臓 の入 手 を背 景 に、 いわ ゆ る ﹁脳 死 ﹂ 、 な るも の の研 究 討 論 が 急 に台 頭 し てき た。 研 究 目 的 は い か に し て 生体 を 死体 と認 め さ せ る か、 生 体 から 生 き た 心 臓 を 取 り 出 す こ 。 ま た 一部 の報 と の有 罪 を い か に し て無 罪 にす る か にあ る よう だ 、 道 機 関 は ﹁脳 死 の時 代 来 た る﹂ と ば かり 盛 ん に書 き 立 て 昨 五 十 八年 十 月 に は、 厚 生 省 に ﹁脳 死特 別研 究 班 ﹂が 設 け ら れ る ま で に な った 。 ま た 医 者 で な い各 分 野 の代 表 者 からも 、 脳 死 息 者 は 果 た し て 生体 か死 体 かを検 討 し ても ら う と も 聞 い て い るが 、 脳 死 研 究 者 は よ り 優 秀 な頭 脳 の持 ち 主 であ ると 思 うが 、 素 人 にま で相 談 し な け れば 、 人 間 の生 死 が 診 断 でき な く な った のだ ろう か。 癌 研 究 者 が しば しば 癌 に侵 さ れ る こと を 耳 にす るが 、 脳 死 研 究 者 も 脳 死 っば く な ってき た の で は と 心配 にな る。 年 は、 八十 三 日 生 き た の であ るが 、 こ こ でも 私 は、 八十 三 日 生 き さ て脳 死 と は ﹁脳 幹 を 含 め た脳 全 体 の非 可 逆 的 な接 能 喪 失 状態 た のは、 受 容 者 であ る少 年 で は な く 提 供者 であ る青 年 であ ると 考 生 命 の座 であ る 心 臓 が 切 除 さ れ ると 同時 に失 わ れ た こと に な る か え た い の であ る。 そ れ は、 少 年 の生命 は、 心 臓 入 れ 替 え の た め、 、 ﹂ と いう こと に な って いるが わが 国 で は脳 死 の判 定 規 準 と し て ① 深 昏 睡 ② 自 発 呼 吸 停 止 ③ 瞳 孔 散 大 と 脳 神 経 反 射 の消 失 ら であ る。 生 き て いる のは青 年 で少 年 は死 ん だ の であ る。 一、 二 ら の 六項 目 が す べ て満 た さ れ ると 脳 死 の状 態 が 確 定 さ れ、 週 間 の中 に 心 臓 が 止 ま って死 に到 る こと にな って い る。 心 臓 移 植 こ こ で問 題 に な る のは、 少 年 が 八十 三 日 生 き たと いう事 実 であ 外 科 医が こ の 一、 二週 間 を 生き た 心臓 を取 り 出 す 絶 対 の チ ャ ン ス ④ 急 激 な 血 圧 下 降 と そ れ に ひき つづ く 低 血圧 ⑤ 平 坦 脳 波 ⑥ こ れ ら の判 定 規 準 が 六時 間 以 上 持 続 す る こと、 を挙 げ て い る。 これ う 事 実 こそ、 生 き て いる 提 供 者 から 生 き て いる 心 臓 を 切 り 取 った 異付 け るも ので、 青 年 を 死 に到 ら し め た唯 一絶 対 の実 証 で こと を 一 る。 す な わ ち証 拠 不 十 分 と いう こと で、 和 田教 授 に対 す る殺 人 容 疑 は 不起 訴 処 分 に終 った の であ るが 、 青 年 の心 臓 が 生 着 し た と い な か ろ う か。 生着 す る のは 生 き て い る臓 器 で、 死 ん で い る臓 器 は と し て いる こと は言 わず も が な であ る。 ① 死 ん だ も 同 然 だ ② 神 経 学 的 の死 亡 ③ 心臓 が 拍 動 し て いる死 体 ④ 脳 死 を も って 個 体 死 と す る ⑤ 生 き て い る体 に死 んだ 脳 次 に脳 死 の状 態 に つい て は い ろ い ろ の表 現 が あ る。 す な わ ち 生着 し な い から であ る。 こ こ で再 び 私 は、 生 き た の は青 年 で死 ん 、 凱 行 法 律 で は青 年 が 命 だ のは少 年 であ る と 考 え た い のであ るが を 奪 わ れ た こと にな る。 結 局 当 事 者 は無 罪 と いう こと に な った の であ るが 、 こ の間 の事 情 は、 彼 ら 心 臓 移 植 外 科 医 の仲 間 が 一番 よ 14 - ―- ⑥ 死 に行 く息 者 ④ 脳 死 が 確 定 す れ ば 一、 二週 間 で心 臓 が 止 って 死 亡 す る ③ 脳 死者 の臓 器が 心停 止前 に提 供 さ れ る よ う に な れば 、 社 会 的 に大 き な福 音 であ る。 以 上 いず れ の表 現 を 見 ても 臓 器 移 、 植 外 科 医自 ら が 、 心臓 は脳 死 の判 定 と 同 時 に止 ま る の で は な く 止 ま る ま で に 一定 の期 間 のあ る こと す な わ ち脳 死 の判 定 後 に は 一 。 定 の生 存 期 間 のあ る こと を 認 め て いる の で は な か ろう か こ の生 存 期 間 を す で に死 亡 し た期 間 と 認 めさ せ ると ころ に彼 ら の魔 法 が 。 あ る の であ る。 脳 死 は死 亡 の原 因 であ って結 果 で は な い 彼 ら は 、 こ の事 実 に気 付 かな い の か、 脳 死 に 憑 かれ た の か あ る い は故 意 に目 を つぶ って い る の かも しれ な い。 結 局 臓 器 移 植 外 科 医 の仲 間 は、 脳 死 を、 動 い て いる 心 臓 を 取 り出 す と いう 生命 剥 奪 不法 行 為 、 を 合 法 化 す る た め の隠 れ 表 に利 用 し よ う と し て 日 夜 あ れ これ 策 謀 し て い る の であ ろう 。 脳 死 が 脳 だ け の死 で は なく 個体 そ のも の の死 亡 と いう の であ れ ば 、 先 の脳 死 判 定 規 準 の 六項 目 に更 に ﹁血圧 ○ 、 心拍 停 止 と そ の 後 の法 定 二十 四時 間 の観 察 ﹂ の 一項 目 を 追 加 す べき であ ると 思 う 個 体 が 死 体 と いう こと にな れ ば 、 臓 器 移 植 の絶 対 条 件 であ る 生 き て いる臓 器 はも は や 入手 不 可能 にな り、 し たが って臓 器 移 植 は絶 望 か つ不 可 能 と いう こと にな る。 あ え て こ の 一項 目 を 追 加 でき な いと す れ ば 、 そ こ には策 略 と 陥 穿 ︵かん せ い︶ と 魔 法 が あ る の で は な か ろ う か。 なぜ 移 植 用 臓 器 は、 死 体 から で は な く 生 体 から取 。 る と いう こと を 公 明 率 直 に声 明 し な い のだ ろう か 婉 山 表 現 と 詭 、 弁 に よ って問 題 は いょ いょ複 雑 怪 奇 胸 に 一物 を 疑 わざ る を 得 な い の であ る。 、 血 圧 ○ と 心拍 停 止と で死 体 現 象 が 始 ま る の であ るが こ の現 象 、 は 段階 的 に起 こ る。 す な わ ち最 初 に脳 が 死 に 一定 時 間 を 置 い て 、 、 心 臓 腎 臓 等 の臓 器 に 不 可逆 的 変 化 が 生 じ やが て全 細 胞 全 組 織 。 全 器官 が 死 に、 こ こ に初 め て個 体 の死 亡が 成 立す る の であ る 死 亡 診 断後 、 二十 四時 間 を 経 なけ れば 埋葬 が 許 可 さ れ な い の は、 死 亡 の判 定 を 一層 確 実 にす る た め でも あ ろう。 ま こと にむ べ な る かな であ る。 人 間 の死 は絶 対 であ り真 実 であ り 一点 の虚 妄 も あ って は な ら な い。 いや しく も 死 んだ も 同 然 と い った論 法 で、 軽 軽 に他 意 を も っ て簡 単 に片 付 け る べき で は な い。 脳 死 を 死 と す る こと に倫 理、 道 れ て い る から であ って ﹁人 間 こ の愚 かな も の﹂ と ま で極 言 す る 心 徳 、 宗 教 を 介 入 さ せ よう と す る のは、 人 間が 俗 信 か迷 信 にと ら わ 理 学 者 が いるが 、 精 神 文 明 の後 退 を こ こ に見 せ つけ ら れ る よう な 気 が す る。 臓 器 移 植 外 科 医 に こそ こ の観 念 、 更 に は良 心 と 良 識 が 要 求 さ れ る べき で は な か ろ う か。 心 臓 移 植 外 科 瓜 は、 脳 死 息 者 か ら 拍 動 し て い る 生 き の い い心 臓 を 摘 出 す る 承 諾 を、 ど のよう な 気 持 で、 ど の よう な態 度 で、 ど ん な 言 葉 を使 って縁 故 者 を 説 得 誘 導 す る のだ ろ う か。 脳 死者 に はも は や 意 志 は な い。 殺 さ れ る ま ま に 5 . ︲ な って い る の であ る。 何 人 も 生 ま れ なが ら に し て 生 き る権 利 を保 ・ 証 さ れ て いる こと を 忘 れ て は な ら な い。 次 に、 も し脳 死 を 即 個 体 の死 と 判 定 す るな らば 、 死 亡 時 刻 が 問 題 であ る。 ① 脳 死 が 確 定 さ れ た時 ② 人 工呼 吸 器 を はず し た時 ③ 移 植 用 の 心臓 を 切 り取 った時 ④ 心拍 が 自 然 に停 止 し た時 、 が 考 え ら れ る。 ① と ② と ③ は個 体 の生 き る 権 利 が 侵 害 剥 奪 さ れ た 時 で、 ④ は個 体 の生 き る権 利 が 自 然 に放 棄 さ れ た時 であ る。 心 拍 の自 然 停 止 こそ、 人 間 に与 え ら れ た合 理 的 の死 にざ ま で は な か ろう か。 し たが って 心拍 の自 然 停 止 の時 刻 を も って死 亡時 刻 と す る のが 妥 当 でな か ろう か。 脳 死 患 者 す な わ ち絶 対 死 に つ つあ る個 ぼ うと く ︶ す 体 に医 療 行 為 を 加 え る こと は、 尊 厳 な る死 を 冒 涜 ︵ る も の で な か ろう か。 水 を 与 え て、 生 き る権 利 の自 然 放 棄 を静 か に に見 守 って や る のが 人 間 と し て当 然 の礼 儀 で は な か ろう か。 猛 禽 猛 獣 の たぐ いは、 生 き て いる獲 物 の生 き た 内 臓 し か食 べ な いと 聞 い て いるが 、 ち ょう ど 臓 器 移 植 外 科 医 が 脳 死 息 者 は 死 んだ も 同 然 と 称 し て、 生 体 から 生を の い い心 臓 を 切 り 取 って移 植 に使 う のと、 そ のや り 日が よ く 似 て いる。 皮 肉 と いえば 皮 肉 の話 であ るが 、 心 臓 移 植 は禽 獣 にも 等 し い、 人 間 の為 す ま じき 野 蛮 行 為 で 、 は な か ろう か。 ま さ に死 に つ つあ る脳 死 患 者 から 生 き な が ら 心 。 臓 を 切 り取 る こと は 狂 気 の沙 汰 と いう べき だ ろ う 人 命 の尊 厳 を 忘 れ 、 死 に対 す る敬 虔 の念 を 忘 れ 去 った非 人 間 のわざ で は な か る 、 う か。 脳 死 の個 体 は かば ね か、 し かば ね か、 なき が ら か 死 体 か 。 屍 骸 か、 遺 体 かそ れ と も 死 んだ 人 の いず れ だ ろ う か そ の いず れ でも なく 、 疾 病 な ら ぬ いわ ゆ る脳 死 の状 態 を 患 って い る息 者 そ れ 自 身 す な わ ち 生存 者 そ のも のであ る。 す な わ ち脳 死 の個 体 は 息 者 であ って死 んだ 人 で は な い の であ る。 脳 死 患 者 の胸 郭 が 開 かれ て、 動 いて い る 心 臓 を 目 の当 た り じ っ 、 あ え て個 と 見 つめ た時 、 誰 が 個 体 の死 亡 を す な わ ち 個 体 が 即 死 体 であ る こ と を 信 ず る も のが いる だ ろう か。 心 臓 が 動 いて い ても 体 を 死 亡 す な わ ち 死 体 と 判 定 す る のは、 偏 見 と 野 心 に満 ち た 心臓 移 植 外 科 医 の仲 間 だ け で は な か ろう か。 頭 が す で に脳 死 が か って を 忘 れ て し ま った の であ ろう か。 脳 死 患 者 から 生き た 臓 器 を 取 り 出 す こと は、 凡 て の人 に与 え ら れ た 生 き る権 利 を 侵 害 す るも の で は な か ろう か。 、 そ れ や これ や を 思 い合 わ せ ると、 時 代 の変 転 と い い 思 潮 の変 革 と い い、 ま こと に今 昔 の感 に堪 え な いも のが あ る。 も っと も 今 、 日 は、 有 罪 が 逆 転 し て無 罪 と な り、 違 憲 も 合 憲 と な り 生体 も 死 体 にな ろ う と し て い る世 の中 であ る。 う なず け な い こと も な いが ﹁人 間 こ の御 都 合 主 義 的 な るも の﹂ と い いたく も な る。 今 で は 万 物 の霊 長 を も って任 ず る人 間が 、 いよ いよ本 性 を発 揮 し て、 共 食 いを す る時 代 にな ってき た か の観 が あ る。 す な わ ち臓 器 移 植 の適 応 患 者 が 病 院 に予 約 し て お く と、 す で に人 の生 き 血 は 別 と し て、 心 でも 肝 でも 腎 でも お好 み の、 生 き た 人 間 のも つを斡 旋 ︵あ っせ ん︶ し ても ら え る仕 組 みが 出 来 て いる。 人 が 人 を食 う 恐 ろ し いと いえば 本 当 に恐 ろ し い世 の中 にな ってき たも のだ と 思 。 ノ n > 臓 器 移 植 は さ す が 肉 食 の多 い、 し たが って 血 の気 の多 い紅 毛 人 か って今 次 大 戦 中 南 方 で、 兵 隊 が 仲 間 の心 臓 や 肝 臓 を 食 べ た 話 。 を 聞 かさ れ た時 、 思 わず 戦 慄 と 違 和 を覚 え た こと であ った ま た 、 戦 時 中 九 州 医 科 大 学 で、 捕 虜 の生 体 解 剖 を や った と か で ア メリ カ の軍 事 裁 判 に かけ ら れ 、 重 刑 に処 せら れ た 恩 師 の こと が 思 い出 され る。 一部 の州 と は いえ す で に、 脳 死が 裁 判 を し た そ の ア メリ ヵ で は、 も あ る。 物 質 文 明 躍 進 の時 代 と でも いう べき か。 い っそ の こと 遺 植ば かりが 医療 の進 歩 でも あ るま い。 非 文 明 的 野 蛮 行 為 は遠 慮 し て、 別 に人 間 ら し い医療 法 を 考 え た ら ど う かと 思 う 。 のす る こと と 思 って いた ら、 わが 日本 国 でも、 肉 食 で よう や く 血 、 の気 が 多 く な ってき た 医 師 た ち は、 生 体 から 心 臓 を 取 ってき て 部 品交 換 な ら ぬ臓 器 移 植 を や って見 た く な った の で はあ る ま い か 法 文 化 さ れ、 脳 死 息 者 から 生 き た 心 臓 を 切 り取 る こと が 認 めら れ 、白昼 き た の で は と 危 惧 し な いわけ でも な い。 生 体 解 剖 な ら ぬ心 臓 移 植 実 験 が 、 誰 に はば か る こと も な く 伝 子 工学 の ク ロー ニング で臓 器 移 植 用 人 間 の増 殖 を 図 った ら ど う だ ろう 。 お好 み の臓 器が 容 易 に 入 手 でき る。 無 性 生殖 で出 来 た 人 今 は野 菜 、 果 物 、 魚 類、 家 畜、 な ん でも か ん でも 増 殖 の時 代 で れば 医療 の進 歩 に遅 れ ると い って 心配 す る向 き も い るが 、 臓 器 移 療 の進 歩 で は な く む し ろ後 退 であ ると 思 う 。 臓 器 移 植 を や ら な け 、 生 贄 ︵いけ にえ ︶ に依 存 し た臓 器 移 植 行 為 は 医 の本 質 に反 し 医 堂 堂 と 重 ね ら れ て いると 聞 く 。 人 権 に ついて は こと のほ かう る さ い か に見 え る ア メリ ヵは、 人 権 に関 す る世 界 宣 言 ︵一九 四 八年 ︶ ―- 16 -― な か ろ う か。 登 録 者 は知 る権 利 が あ る し、 当 事 者 は知 ら せ る義 務 ぐ ら ︶ を か い て し ま わず に、 頭 を こ の方 向 に向 け たら ど う だ ろ う が 、 安 易 な部 品 交 換 と いう 単 純 素 朴 な 原 始 的 発 想 の上 に胡 坐 ︵あ て 生 ま れ も つか ぬ 不 具者 と な り、 縮 命 と いう 不 利 な条 件 ま で背 負 と い った こと ば で説 得 誘 導 さ れ、 本 来 生 き る た め に必 要 な るが 故 てき た よ う だ 。 生 体 腎 提 供 者 は、 人 類 愛 、 同 胞 愛 、 いけ にえ 精 神 る よう な 医 療 と 称 す る行 為 は ま だ 認 めら れ て いな い。 わ が 日本 国 で は、 血 縁 者 間 の生 体 腎 移 植 例 が よ う や く 多 く な っ が あ る と 思 う。 幸 か不幸 かわ が 国 で は、 人 の生 き る権 利 を 剥 奪 す と 余 計 な お節 介 も し た く な る。 さ れ る こと にな る の であ る。 腎 移 植 外 科 医 は説 得 誘 導 す るが 、 腎 間 は、 人 格 も 人 権 も な い ロボ ット であ る。 自 給 自 足が 出 来 る し、 第 一脳 死 のよう に人 を殺 さ なく ても 済 む 。 も っと も 今 成 功 し た と 最 近 人 類 愛 の 一環 と し て、 腎 を さ し 上げ ると いう いわゆ る献 腎 な る名 の下 に、 腎 の登 録 運 動が 展開 さ れ る よう にな った。 ﹁私 の であ る。 年 齢 も 十 六才 以 上 五十 五、 六才 ま でが 望 ま し いと か。 と 思 い込 ん で いる の で は な か ろう か。 死 体 と も な れば 、 腎 臓 は早 く から 自 家 融 解 を 起 こし てく る の で 止 以後 を 死 後 と 心得 て い るだ ろう し、 ま た高 齢 者 でも 登 録 でき る こ こ で問 題 に な る のは ﹁死後 ﹂ の解 釈 であ る。 登 録 者 は 心拍 停 え覚 え る の であ る。 ま こと に罪 な話 で はあ る。 再 び、 臓 器 移 植 を ら れ、 ど ん な気 持 で手 術 承 諾 書 に判 を 押 す のだ ろう か。 これ も 亦 一つの悲 劇 と いう べき だ ろ う。 こ の悲 劇 は、 か か る臓 器 移 植 行 為 7 . を、 あ え て腎 患 者 に知 ら し め た臓 器移 植 外 科 医 の責 任 で は な いと . ・ は い いき れ な いだ ろう 。 今 、 腎 の移 植 を 必要 と 称 す る患 者 が 一万 から 一万 五千 いる と聞 く が 、 いず れ も み ん な 誰 か の腎 を 狙 って い 分 から な い。 生 体 腎 提 供 者 はど の よ う に し て腎 の提 供 を 動 機 づ け 証 も し てく れ な いし、 生命 保 険 に は条 件 付 き でも 入れ る かど う か し ても、 移 植 用 と し て使 え るま で には 十 五、 六年 は か か るだ ろ う 死後 私 の腎 を 提 供 し ても ょ いです ﹂ の 一筆 を 入 れ ると、 誰 でも 登 は取 って取 り っば な し、 補充 す る こと は し な い。 将 来 の健 康 の保 高 齢 者 の いわ ゆ る使 い古 し た、 ま し て命 の灯 ︵と も し び︶ が 尽 き た後 の死 んだ 腎 は役 に立 た な い の であ る。 し たが って臓 器 にも 停 あ え て患 者 に知 ら し め た移 植 外 科 医 の責 任 は 重 大 と いわ な け れ ば な ら な いだ ろう 。 に 二個 の腎 を 授 か って いる の であ るが 、 そ の中 の 一個 を 切 除 さ れ 録 でき ると 聞 いて いる。 年 制 が あ って、 六 十 才 以 上 は登 録 から 自 然 に はず さ れ る こと にな る。 いわ ゆ る 死 体 腎 を ア メリ ヵ から 輸 入 し て い ると 聞 く が 、 これ あ る ま いが 、 自 動 車 の運 転 免 許 証 に、 死後 の臓 器 提 供 の承 諾 署 名 登 録 者 の考 え て い る死後 の腎 は 生 着 し な い の であ る。 生 体 から 取 る か、 脳 死 で 心拍 が 停 止 す る前 に取 った ま だ 生 き て い る腎 が 必 要 は なき が ら から 取 った 腎 で は な く 脳 死 でま だ 生 き て い るす な わ ち 心拍 停 止前 の患 者 から取 った 生 き て いる腎 の こと であ る。 ア メリ が 、 早 手 回 し の こと だ 。 竿 頭 更 に 一歩 を 進 め て い っそ、 交 通 事 故 取 締 り の撤 廃 を 申 請 し たら ど う だ ろ う 。 そ の ほう が 手 っ取 り早 い 一方 で交 通 事 故 一方 で交 通 事 故 を 取 締 れば 、 の で は な か ろう か。 多 発 を 望 むが 如 く であ る。 撞 着 矛 盾 も こ こま でき た のは脳 死 っぼ 欄 を 設 け て欲 し いと 、 自 治 大 臣 に陳 情 し た こと が 報 道 さ れ て い る 最 近 日本 臓 器 移 植 学 会 の四 人 の外 科 医 師 が ア メリ カ の真 似 でも 一抹 の寂 し さ さ る の であ る。 悲 愴 と いおう か、 無 情 と い 消 う か、 カで は賠 死 の息 者 は 生 き て いても 死 体 と 認 め て い る国 であ る から 死 体 腎 と い っても 生 き て いる腎 の こと であ る。 脳 死 患 者 から 取 っ た脳 死腎 いわ ゆ る 生 き て いる死 体 腎 は 生着 す るが 、 死 体 から 取 っ た死 んだ 腎 は生 着 し な いはず であ る。 当 事 者 は後 日 問 題 が 起 こら ぬま でも 、 こ の間 の事 情 を 登 録 者 に 周知 徹 底 さ せ て おく べき で は を も つ国 会 議 員 が 、 ① 脳 死 の診 断 が ついた ら 個 人 の最 終 的 死 亡 と 脳 死 を 即個 人 の死 と 認 め る法 律 制 定 のた め、 六人 の医 師 の資 格 す る こと にも は や 医 学 上 の問 題 は な い ② 米 国 から 脳 死 で摘 出 し く な った人 の発 想 で はと 疑 いた く も な る。 心 臓 移 植 を 早 く や って み た い気 持 は分 から ぬ でも な いが 、 分 裂 的 思 考 と 狂 気 を 恐 れ るも 臓 器 移 植 は、 民 族 性 や、 国 柄 や、 人 間 性 を も 異 にす る キ リ スト 、 叛 徒 す な わ ち紅 毛 人 の為 す 業 ︵わ ざ ︶ であ って わ れ わ れ の学 が う か。 、 情 と 申 す べき だ ろう 。 わ れ わ れ は 心 臓が 動 いて いても 死 んだ も 一度 は自 分 を 疑 って見 る 必要 が あ る の で は な か ろ 同 然 かど う か、 と は う ら はら に、 生 き る権 利 を 剥 奪 さ れ る脳 死 患 者 の最後 こそ 無 個 人 の死 と す る い わ ゆ る脳 死 法 な るも のが 制 定 さ れ た な ら ば 、 人 の生 き る権 利 は 何 に よ って保 証 さ れ る のであ ろう か。 人 類 の福 社 よう な 中 途 半 端 な 死 んだ も 同 然 的 判 定 は危 険 であ る。 心拍 の決 定 、 的 停 止 こそ 絶 命 そ のも の であ る。 も し憲 法 に違 反 し て 脳 死 を 即 て脳 死 に憑 ︵つ︶ かれ た結 果 で な か ろ う か。 こと 人 命 に関 す る限 り、 生 は 生 そ のも の死 は 死 そ のも の であ って、 生 と 死 が 共 存 す る な か ろ う か。 脳 死 を 即 個 体 の死 と 認 め る こと は、 利 己的 御 都 合 主 義 と い おう か、 偏 見 と いお う か、 む し ろ分 裂 的 妄 想 的 思 考 であ っ る権 利 を 剥 奪 し、 殺 生 の罪 を 犯 し て ま でも や る必 要 は な い の で は 実 験 で は な か ろう か。 も し流 行 な らば 、 憲 法 に違 反 し て人 の生 き 臓 器 移 植 は治 療 法 で は な く、 核 爆 発 実 験 さ なが ら の流 行 的 生体 ば 余 り にも あ さ は かな 発 想 で は な か ろう か。 も や って み た い の単 な る追 随 模 倣 主義 的 思 考 は、 あ さ は かと いえ 脳 死 を 即 個 人 の死 と す る こと は医 学 上 に こそ 問 題 が あ る の であ っ 、 て、 米 国が や って い る から、 先 進 諸 国 で認 め て い る から 日本 で る法 律 制 定 が 必 要 で は な い か、 と いう こと で議 員 立法 の準 備 を 始 め る こと に な ったと 聞 く 。 これ は去 る 六月 三十 日 の報 道 であ るが た腎 臓 を ど んど んも ら いなが ら 日本 国 内 で脳 死 を 認 め な い の は お かし い ③ 欧 米 先 進 国 の よう に 日本 でも 脳 死 を 個 人 の死 亡 と 認 め の であ る。 。 こ こ で再 び 注 意 し て おき た い こと は ﹁死後 ﹂ な る 用 語 であ る 文 字 通 り に は ﹁死 ん だ あ と ﹂ の こと であ るが 、 臓 器 移 植 外 科 医 の 仲 間 は、 脳 死 の判 定 後 を、 生 の証 であ る 心拍 が あ って も 死後 と 判 、 定 し、 わ ぉ わ れ が 習 った 医 学 を合 め て社 会 一般 通 念 は 心 拍 停 止 後 を 死後 と 承知 し て い る こと であ る。 生 は絶 対 であ り 死 も 亦 絶 対 であ る。 生 と 死 の共 存 は あ り得 な い。 生 と 死 を 共 存 さ せ ょ う と す ると こ ろ に、 彼 ら の思 考 の非 現 実 性 と 不合 理 性 が あ る の で は な か ろう か。 、 他 の生物 を 救 う た め に、 ま た は仏 に供 養 す る た め に わが 身 を 投 げ 出 す こと を 最 上 の布 施 と す る薩 達 ︵さ った ︶ 太 子 の捨 身 飼 虎 。 の教 え を引 用 し て、 献 腎 の精 神 を 説 いた宗 教 家 が い る 脳 死 の息 、 者 から 切 り 取 った 生き た 移 植 用 臓 器 を 最 上 の布 施 と す る こと は 、 精 神 の座 を 失 って も 布 施 の精 神 から う なず け な い こと も な いが な お 生 き つづ け て い る人 間 から、 生 き な が ら 臓 器 を 切 り取 る こと は、 憲 法 で保 証 さ れ た 生き る権 利 を 剥 奪 し、 仏 が 最 高 悪 と し て戒 、 そ の ロー ソ ク め て い る殺 生 す な わ ち殺 人 の罪 を 犯 かす こと にな る の で は な か ろ う か。 一本 の FI ツ ク の炎 を 別 の ロー ツ クに移 す には が 燃 え て いる 間 で な いと 移 せ な い。 燃 え 尽 き た ロー ソ ク から は炎 は 移 ら な い。 同 様 に脳 死 息 者 かち 切 り取 った 生 き て い る臓 器 は 生 。 着 す るが 、 死 体 から 取 った 死 んだ 臓 器 は 生 着 し な い の であ る 脳 、 死 息 者 こそ 友 れ にも 、 臓 器 移 植 外 科 医 にと って 最 も 理 想 的 な 好 。 餌 な ら ぬ移 植 用 臓 器 の提 供 者 であ る 脳 死 忠 者 の心 臓 は動 い て い 。 る。 最 後 の生 き る権 利 を 主 張 し て動 いて いる 脳 死 患 者 は 死 ん で 。 は いな い、 生 き て い る のであ る ―- 18 -― べ き と こ ろ で は な く、 理 性 と 良 識 のあ る ホ モ サピ ュン スな らば 決 、 し て為 す ま じき 行 為 であ ると 思 う 。 臓 器 移 植 の過 程 を 善 悪 を も って判 断 す る な らば 善 と は いえ な いだ ろう 。 む し ろ臓 器 移 植 は し 。 な い方 が 知 性 人 間 の誇 り で は な か ろ う か 、 何 人 も 生命 、 自 由 及 び身 体 の安 全 に対 す る権 利 を 有 し 何 人 も 。 生 ま れ なが ら に し て 生 き る権 利 を 妨 げ ら れ な い ま た医 学 に志 す 、 。 も のは 医 学 の知 識 の乱 用 を し て は な ら な い 臓 器 移 植 は 人 の生 、 き る権 利 を 剥 奪 し、 健 全 な る身 体 を 毀 損 し 医 学 の知 識 の乱 用 で も と ︶ る行 為 であ って、 厳 に戒 あ る限 り、 人 道 に反 し 医 道 に惇 ︵ む べき であ る と 思 う。 人 の命 は軽 視 し て は な ら な い。 人 の命 は尊 重 さ れ な け れば な ら 通 信 原 初 男 な い。 ま た そ の死 は尊 厳 であ り厳 粛 であ る。 人 は脳 死 で は死 な な 。 い。 人 は 心拍 停 止 で死 ぬ。 心 臓 は 動 いて い る人 は 生 き て いる 殺 o す べ からず 生 かし む べ し。 生 かし む べ し殺 す べ からず 人 の命 は 地 球 ょ 併 重 い。 盆 九 八 四年 八月 五 日︶ 旧 友 松 、 、 室 蘭 市 医 師 会 の皆 さ ん、 お 元 気 です か 私 も 元 気 で 毎 日診療 に励 ん で いま す 。 、 三十 年 余 り お世 話 に な った室 蘭 市 医 師 会 より 胆 振 西 部 医 師 会 に移 って、 早 く も 六年 にな り ま す 。 誠 に月 日 の経 つ のは早 いも の です 。 私 の勤 務 先 は、 豊 浦 町 大 岸 豊 泉 にあ り ま す 特 別養 護 老 人 ホ ー ム 。 幸 豊 園 と、 大 滝 村 優 徳 にあ り ま す 北 湯 沢 病 院 の ニ ケ所 です ど ち ら も 老 人 主 体 の施 設 です ので、 ま る で自 分 の親 か伯 父伯 母 を 世 話 、 し て い る よう な感 じ です 。 自 分 も 将 来 あ のよ う にな る の かと 一 、 、 寝 た切 り老 人 も いれ ば 、 結 構 元 気 で ミ ニビ リ ヤ ード や ゲ ー 寸 さ び し い気 も し ま す 。 。 、 ト ボ ー ルを し て楽 し ん で いる老 人 も い て い ろ いろ です 中 に は 、 し 可 成 リ ボ ケた 老 人 も いま す 。 こ こ に勤 め る看 護 婦 や 寮 母 は 少 、 も いや な顔 を せず に、 献 身 的 に身 の廻 り や 下 の世 話 を し て いま 。 す 。 そ の姿 に は 全く 頭 の下 る思 いが し ま す 、 、 姉 妹 病 院 の エル ム大 滝 病 院 に は 有 路 先 生 が お られ て 元 気 に し 。酒は 働 い て いま す 。 今 年 も 休 日 に は好 き な 山 菜 取 り を し て いる事 で よう 。 健 康 の為 に、 タバ コは こち ら え き て から す ぐ や め ま し た 付 き 合 い程 度 に し て いま す 。 消蔭 で今 は身 体 にど こも 悪 いと こ ろ 、 、 はあ り ま せ ん。 休 日 は、 夏 は ゴ ル フ 冬 は スキ ー を し て いま す 、 、 此 度 は、 室 蘭 登 別 保 健 セ ンパ ー の竣 工 並 に活 動開 始 お目 出 度 う ご ざ います 。 室 蘭 市 医 師 会 の益 々の発 展 と 会 員 の皆 さ ん の健 康 を祈 り ま す 。 ―- 19 -― Hわ が 青 春 = 弘 前 の 三一年 鴨 井 清 一 私 の青 春 と 云 えば 四 十 七年 前 、 苦 し く 嫌 な 入 試 を 終 え 弘 前 で過 し た 旧 制 官 立 高 校 時 代 であ ろ う。 当 時 、 日本 は紀 元 二千 六百 年 を 認 歌 し 絶 頂 に違 し た時 期 で、 他 面 に於 い て は無 謀 な 迎 え、 昭 和 に入 って自 由 主義 、 人 格 主 義 を ば し、 特 に形 而 上 学 を聴 き 、 文 幸 を 語 り 合 問題 に せず 、 何 時 も 愉 快 に語 り、 万 人を 飛 校、 寮、 運 動 の三位 一体 と 云 わ れ たが 、 私 あ った。 叉、 先 輩 から説 かれ た 生 活 の真 髄 は、 学 試 合、 冬 に は スキ ーと 全 く 無 我 無 中 の様 で 夏 は笹 森 山 の道 蓬 、 秋 は寮 祭 に文 理 科 対 抗 にダ ベ リ、 春 は岩 木 山 を 望 む鷹 揚 城 の桜 、 コンパ 吟 、 長 髪 を 乱 し て スト ー ムの乱 舞 、 き なが ら 通 学 し た構 梗 野が し のば れ、 静 か 彩 を 変 え、 郭 公 の鋭 い声 が 鳴 き 渡 る のを 聞 上 にば っかり浮 んだ 津 軽 冨 士 が 朝 に夕 に色 甘 い花 香 匂 る林 槍 野 を、 遠 く 青 い山 脈 の あ った。 長 を つと めら れ た相 馬 一男 さ ん の若 き 姿 で 応 援 団 長 は以 前 、 新 日鉄 室 蘭 製鉄 所 労 働 部 々し く 応 援 合 戦 を し たも の で、 相 手 の文 科 羨 面 の故 を 以 って理 科 応 援 団 長 に祭 り 上 げ ら れ 黒 紋 付 の羽 織 袴 に組 白 の峨 を 立 て て花 抗 戦 に出 場 し、 特 に秋 の行 事 と し て の文 理 科 対 抗 戦 は最 も 熱 の こも った も の で、 小 生 った り、 ま た 処 々を 一泊 見 学 旅 行 し、 級 対 揚 げ て先 達 た る自 覚 と 希 望 に燃 え つ つも 、 絹 々と 打 ち寄 せ る軍 国 主 義 の嵐 に抗 し かね 入学 し て第 一頁 は朴 歯 の下 駄 に腰 手 拭 、 て苦 悶 を 呈 し始 め て いた。 は これ を 全 う す る事 が 出 来 ず 、 寮 で は 北 一 肩 から マントを ひ っかけ 街 頭 濶 歩 、 寮 歌 高 一年 で辞 め て桔 梗 野 寮 委 員 を し て い たが 、 な 幸が 私 を 包 ん で、 戦 争 が 何 処 で行 わ れ て いる の か錯 覚 を す る様 であ った。 富 田通 り 慈 善 館 ︶が 唯 一の洋 画 常 設 館 で ﹁望 郷 ﹂、 の曲 り角 の赤 屋 根 の ト ンガ リ塔 の映 画 館 ︵ の下 宿 に移 り、 運 動 に つい て は、 北 一寮 同 室 で理 科 甲 類 の真 面 目 優 秀 な 木 村 喜 代 治 君 ︵ 現 在 名 古 屋 国 立 病 院 長 ︶ と 共 に スキ ー部 た り し て往 年 のミ ノンカ ラ気 風 が 残 って いた 様 で 三年 間 の高 校 生活 は、 日本 の運 命 を 決 軍 事 教 練 の時 間 に下 駄 や草 履 を 履 いて み に属 し て いたが 、 ラ ソ ニングが 不得 意 のた め か春 から 秋 に かけ て の毎 日 五 キ ロを 走 る 練 習 に へば って 了 い、 終 り に は コンパ部 員 に な って了 った。 す る大 戦争 を控 え た異 常 な社 会 情 勢 に押 さ ﹁格 子 なき 牢 獄 ﹂、 ﹁会 議 は 踊 る ﹂ 等 の封 切 を観 た の は此 処 であ った ょう に思 わ れ る 当 時、 学 校 の席 次 は毎 年 成 績 順 で、 教 壇 に向 って最後 列 の右 端 から 順 次 に坐 ったも わ れ、 これ は 生活 の流 れ を 反 映 す るも の で く れ た様 に思 わ れ る の であ る。 ず 、 揺 ぎ な い人 格 形 成 の基 礎 を 打 ち建 て て れ な が ら も、 依 然 と し て、 そ の本 質 を 失 わ の で、 第 一外 国 語 を ド イ ツ語 と す る定 員 三 も あ るが 、 何 れ に せ よ当 時 の生 徒 は席 次 を 軍 国 主 義 の最 大 最 後 の賭 勝 負 に突 入す る直 前 で、 日中 戦 争 勃 発 翌 年 、 国 家 総 動 員 法 公 布 の年 であ った。 十 名 の我 が 理科 乙 類 は最 も 激 しく 変 動 が 行 高 校 生活 は 明 治 に発 し大 正 に爛 熟 時 代 を -20- 彦 皆 川 英 貞 深 瀬 政 俊 堀 尾 開 田 吉 広 山 本 俊 一 他 編 集 委 員 行 、 加藤 お晩 でご ざ いま す 。 夏 日が つづ いて 。 十 日日、 お渡 れ のと こ ろご 苦 労 様 です 波 久 鳥 五 号誌 に載 せ る座 談 会 な ん です が 古 い歴 史 を も つ土 地 柄 でも あ り、 青 い灯 赤 い灯 と いう よ りも 幌 別 ド ク タ ーな ら で は の お話 を 伺 いた いわけ で し て、 何 は と も あ れ 、 気 楽 に始 ll 入 り 三先 生が 、 保 健 所 も 同 じ な ん だ から 室 蘭 医 皆 川 そ う です 。 大 岩 先 生 や温 泉 の斉 藤 省 め た いと 思 いま す 。 8年 です ね、 室 蘭 医 師 会 に合 併 さ れ 昭和 2 た の は ⋮ ⋮。 に出 て落 ち ま し て ネ、 間 も な く 亡 く な った 、 ん です 。 そ の白 鳥 さ んが や めら れ た後 に 、 伊 藤 、 上 田 の両 先 生 が 来 ら れ て そ の後 に 地 開 業 と いう の かな︱ ︱ そ の人 が 村 長 選 挙 。 のあ た り に診療 所 が あ り ま し てね 白 鳥 先 、 生 と いう 正 規 のド ク タ ーぢ ゃな いけ ど 限 ら の方 にも いろ い ろ縁 が あ った わけ で︱ ︱ だ から 幌 別 に 入 った ら ボ クな ん か より 先 生 て鷲 別 に来 た ん です が 、 ボ クは壮 瞥 に行 っ 。 て 一年 後 りが年 に な った わけ です 。 開 田 ば く は遅 いん です 。 7 3年 2年 。 深瀬 ぼ く は 3 。 堀 尾 ぼ く は 4 3年 です 、 皆 川 こ の先 生 は富 士 鉄 病 院 に いて こ ち 皆 川 先 生が ⋮ ⋮。 8 師 会 の方 へ入 ろ う かと いう こと に な って 2 年 に 入 れ ても ら つた 訳 です 。 斉 藤 義 太 郎 先 は な い ん です 。 れ から 第 一回 の選 挙 が あ った ん です ね 。 そ の時 、 私 は学 生 だ った から 幌 別 に居 た こと 0年 4月 長 と し て来 た ん です 。 そ れ が 昭 和 2 です が 終 戦 にな って追 放 令 に か か って、 そ 深 瀬 お や じ は官 選 の村 長 で空 知 から 終 戦 の年 に 派 遣 さ れ て︱ ︱ ま あ 転 勤 に な って村 皆 川 ば く の時 は 大 石稿 村 長 。 か った ん です よ。 山 本 深 瀬 先 生 の お 父 さ んが 村 長 さ ん、 長 皆 川 そ う、 そ のと き 登 別 には 狩 野 君が 既 に来 て いて、 大 岩 先 生 は ボ クと 一緒 に や め 深 瀬 記 憶 あ り ま す ょ。 二十 六号 線 の警 察 。 8月 に鞄 一つで こ っち へ来 ま し てね そ の 当 時、 国 立 の分 院 が あ って伊藤 貢 先 生 と 上 。 田憲 次 君 と 二人が 出 張 医 で居 た ん です 皆 川 ば く は伊 達 日赤 の壮 瞥 分 院 から 必年 男 生が 会 長 で し た。 ぼ く は5 2年 に来 た ん です が そ の時 は幌 別 村 で、 そ れ から 町、 現 在 は 登 別 市 です ね 。 ノド を う る お し なが ら ︱ ︱ ま あ 幌 の方 へ、 先 づ ⋮ ⋮。 。 堀 尾 いや ぁ、 そ ん な こと な いです よ 、 、 6 山 本 広 瀬 先 生 は6 3年 私 が 4年 で 久安 -21- ホテル平安 登別市中央町 昭和59年 8月 6日 会 談 座 「わ れ ら 家 族 の ご と く」 8年 かな 。 一番 新 し い のが 中 央 病 院 。 先生4 堀 尾 住 み つかれ た のは深 瀬 先 生が 一番 最 初 で し ょう 。 、 深 瀬 そ う、 大 学 に 入 った年 だ った か ナ 0年 です から 。 白 鳥 先 生が 一人、 そ の 昭和 2 後 に広 瀬 先 生 の親 戚 で渡 辺 先 生 が 来 ら れ た んだ け ど ⋮ ⋮大 久 保 先 生 の始 父 さ ん は 此 処 へ見 え た で し ょう 。 ︲年 に 日 大 久 保 思 い出 し ま し た。 親 父 は 2 鉄 病 院 を や め て から しば ら く し て東 室 蘭 駅 前 の 工藤 先 生 と いう 方 が 亡 く な ら れ た跡 を お 借 り し て開 業 し た こと が あ る ん です け ど 大 久 保 中 村 秀 先 生 の お話 で は、 開 業 医 で ーを 始 め た ん です ヨ。 ほ んと 。 皆 川 あ っちぢ ゃ雪 かき に忙 しく て スキ ー だ け 。 天 と 地 の違 いで し た ね。 お かし な話 だ け ど、 こ こ へ来 て から スキ 笑︶ は出 来 な か った ? ︵ 古 い人 は いな いけ ど 戦 争 中 から 来 馬 社 宅 の 深 瀬 ウ ン、 そ れ が 現 在 の堀 尾 先 生 のと こ 山 本 北 海 道 は 小 さ な島 だ け ど、 四辺 形 の 方 に診療 所が あ った ん です ね。 堀 尾 俺 の家 な の、 元 の幌 別 診 療 所 が 。 来 開 田 今 だ から 言 う け ど開 業 規 制 に距 離 の 問 題 が あ り ま し た ね。 三百 米 だ った か ナ。 さ な も んだ から 雪 の少 い の に惹 かれ て。 寒 い で し ょう 。 こ こ の 一辺 が 一番 い いんぢ ゃな い かなあ 、 特 に冬 場 は ネ。 な ん せ物 臭 の違 いはあ る んぢ ゃな い かな。 江 差 の冬 は知 ら な いけ れ ど 北 見 、 釧 路 は 一つ 一つなら 、 ち ょ っと し た大 き な 国 ほど 、 馬 の社 宅 は昭 和 7 1年 に出 来 た そ う で ぼ く の開 業 し た頃 に引 き 払 って行 った んだ け ど 当 時 七 千 人 位 いま し た。 千 四百 戸 あ り ま し てね 。 ニセ コの人 開 田 そ う 聞 いて いま し た よ。 口が 八千 人 な ん です 。 幌 別 に は社 宅 が あ っ て 八千 人 い る から お 前 行 っても 間 に合 う よ ︱ ︱ と 言 わ れ ま し た よ。 に生命 保 険 の診 査 医 や ってま し て ね 。 高 額 の診 査 で出 張 し てき た事 あ った ん です 。 来 接 引 っ張 れ ば 三百 以 内 だ け ど お前 ど う す る 先 生 で ネ、 彼 みづ から メジ ャー持 って 笑 ︶ 測 って、 イ ヤあ るあ る って。 直 ナて ︵ あ の時 、 山本 先 生 と 私 のと ころ と 近 いんぢ ゃ い かと いう事 にな った わ け 。 委 員 長 が て み た ら 全 然 雪 が 少 いん です も ネ。 札 幌 で って聞 く から、 オ ンは 山 本 先 生 に来 ても い 山本 ン と ﹂に来 た 理 由 に特 別 な も の は な い ん です 。 無 給 医 局 員 だ った 頃 小 遣 い か せぎ 時 は食 糧 事 情 が 悪 か った でし ょう。 進 駐 軍 は ウ ンザ リ し て た で し ょう、 北 海 道 で こ ん 週 2回 ほ ど 白 烏 先 生 の処 に行 って いま し た 。 2 2年 頃 で し た 深 瀬 お 父 さ ん の名 儀 で や って た ん です ね の配 給 の空 缶 を 二 つ持 た さ れ て親 父 に つい な 処あ る って知 ら な か ったも んね 。 こり ゃ ケ ガ タす る必 要 な いよ って。 大 久 保 ば く が ま だ 中 学 生 の時 で し た。 当 て行 き ま し た ネ、 イ ヮ ン、 魚 のイ フ ンを 貫 って 帰 って来 る ん です 。 い いわ、 と に角 雪 のな い土 地 で開 業 し て や り ま し ょう と 思 った ん です ョ。 先 生 と オ ンは 同 じ 医 局 だ から、 ど う で、 は 完 全 に属 く ん です 。 そ ん な豪 雪 地 帯 で し ようo こ つち へ来 た ら︱ ︱ あ の当 時 は殊 に 往診 、往診 ま た往診 ど う ぞ って歓 迎 し た方 だ から ネ。 いよ って 予 め言 ってあ る から い い んだ 、 ガ 頃 ま で遡 る わ け で し ょう 。 当 然、 医 者 は 居 開 田 ば く は ニセ コから でし ょう 。 ニセ コ 青 木 正確 に は適 正 配 置 委 員 会 で し た ね 。 幌 別 は古 い で し ょう 。 片 倉 藩 が 入植 し た た筈 な ん です よ ね、 昔 は ど う な ん で し ょう は屋 根 の雪 は下 ろす ん でな く 、 上げ る ん で す よ。 窓 の周 囲 を 堀 ってね 。 電 信 柱 の電 球 ね。 少 な か った から 一年 中 に何 回 か竹 幕 で掃 く 深 瀬 ウ ー ン、 そ のあ た り は 上 田智 夫 先 生 よ り 古 いと 思 う け ど 登 別 に鈴 木 正 先 生が い に でも 聞 かな け れば 判 ら ん なあ 。 狩 野 先 生 ま し た け ど ネ。 ―- 22 -― いう 形 で行 き ま し た。 軽 便 軌 道 でね。 し たが ︱ ︱ 鉱 山 に は週 一回金 曜 日 に嘱 託 と 皆 川 いやぁ 、 往 診 は ま あ 社 宅 方 面 だ け で 団 団 皆 川 先 生 が いら し た 当 時 は往 診 範 囲 に歩 かれ た ん で し ょう ? って来 た ん で し ょう。 開 田 あ の時 の新 聞 記 事 知 って る? ダ ブ ル パ ソナ って出 て たも んね 。 上 下 線 同 時 に や ら 上 ・下線 の真 中 で車 が 止 ま って し ま った 海 霧 が か か って い たも ん だ から斜 め の踏 切 り を真 っ直 だ と 思 って ⋮ ⋮ ボ ンと 行 った 、広 そ の頃 は従 業 員 が 大 分 いま し た ょ。 し て ネ、 下 り 線 を 止 め てく れ た の。 ぼ く は れ て。 ︵ 笑︶ 6軒 ぢ ゃ大 変 です ね え 。 囲団 ︲ 深 瀬 も っと、 そ の前 、 開 業 当 時 か ナ。 イ で ︵ 笑 ︶ 。 そ う し たら ゴ ル フ場 に呼 び 出 し が か か って来 て ね 。 警 察 に行 って調 書 取 ら 翌 日 ゴ ル フに行 った の。 届 け も 何 も し な い 堀 尾 飲 ん で いた のと は関 係 な いです ね。 深 瀬 そ れ が ね、 常 識 が な いも んだ から、 山 本 接 触 し た って こと です か? 深 瀬 いや、 車 は メチ ャ メチ ャ。 ボ ー ンと 打 つか った の、 車 に。 ︵ホ ー︶ ト ンネ ル の方 へ向 って 上 り の汽 車 を 止 め に 走 った んだ け ど、 両 方 から や って来 て︱ ︱ 深 瀬 そ う な の。 鉄 道 官 舎 が あ った から 起 爪気 も よ か った ん で し ょう 。 堀 尾 星 皆 川 ぁ の頃 は み ん な 同 じ だ った ろう け ど 夜 中 に よく 起 さ れ ま し た。 深 瀬 日曜 でも 午 前 中 や って ま し た から ね 剛任 地 の ニセ コで は有 線 放 送 で往 診 開 田 一 依 頼 な ん です 。 O Kだ と 言 う と 馬 や馬 そ り で迎 え に来 る ん です が 、 午 後 9時 に連 絡 が 0時 に出 発 、 診 て 帰 ると 一十 二時 あ って、 1 間 た って い る ん です 。 そ ん な 辛 い日 に会 って いま す から、 こ つ ち へ来 て開 業 し て み ま す と 七転 八倒 し て て も 皆 さ ん ト ラ ック に乗 せ て く る の で、 ず い 分 楽 な 処 だ な と 思 いま し た。 そ の代 り祭 の 夜 な ど 一時 間 おき に起 さ れ て、 ズ ボ ンを 穿 いた ま ま寝 た 記 憶 はあ り ま す が ね 。 山 本 あ の頃 は熱 が 出 た だ け で往 診 な んだ ン フ ル エンザが 流 行 し ま し てね 。 朝 6時 か ら 9時 ま で往 診 、 帰 ってき て 昼 ま で診 察 、 深 瀬 車 が 無 い時 代 だ から 連 れ て 来 れ な い 堀 尾 内 科 医 の宿 命 で し た ネ。 深 今 だ に記 憶 し て いる のは、 土 曜 日 で 瀬 6軒 目 は夜 の し た か、 昼 から 往 診 ・往 診 で 1 。 2 ︲時 に な った ん です た ま た ま弟 が 東 京 か ら 遊 び に来 て い て マアち ょ っと 飲 ん で は い ま し たが ネ。 富 浦 ま で行 ってそ の帰 り 踏 切 年 後 から ま た往 診 ・往 診 で夜 の 1時 に虎 杖 0軒 残 って いま 浜 から 帰 ってき て︱ ︱ ま だ 1 し た よ。 と ても 廻 り 切 れ な か った。 に突 込 ん じ ゃ った。 -23- 日 日 ず い分 頑 丈 だ ったも ん です ね 。 二日 間 そ ん な 状 態 が 続 いたら 家 内 の 深瀬 一 方 が 倒 れ ま し た よ。 け 破 って ね、 う ち の家 内 き て る か っ! て。 て来 た こと あ った の。 一枚 ガ ラ スのド アを だ な、 や っば リ カ ルテ の方 だ ネ ︶ 俺 、 こん な チ ビ だ け ど 格 闘 さ。 日 日 水害 はど う で し た ? 6年 、 忘 れ も し な い次 男 坊 が 生 深瀬 昭 和 3 れ た年 に洪 水 が あ り ま し てね 。 運 が よ い事 に病 院 を ち ょ っと 高 く 造 って いた ん です 。 院 だ と 思 って乗 り込 ん でき た わ け 。 が 子 供 を かく し た も ん だ から 、 て っき り 病 よ。 向 い の家 な ん か押 入れ ま で水 が つい て ︱ ︱ 下 水 道 が な いから ウ ンチ ツが 上 ってく 上 げ ま し たけ ど 床 下 す れ す れ の浸 水 で し た 息 者 さ んが 入 る の に 不便 だ ょ って説 も あ っ た ん です が ネ。 そ れ で荷 物 は み ん な 二階 に 堀 尾 ク ラ ンケぢ ゃな い の? 深 瀬 酔 って家 に帰 ってネ、 腹 立 て て子 供 皆 川 ウ ン、 話 に聞 いた こと あ る な ア。 山 本 し かし現 今 の患 者 み た い に ウ ル サ ク な か った から、 そ の意 味 で は気 楽 と いえば ≡ ﹂で は皆 さ ん のよ う な 話 は な いけ 山本 ン 4年 だ から 他 処 では 似 た経 験 はあ ど卒 業 が 3 り ま し た。 流 感 と 往 診 と は 同 意 語 み た いな 深 瀬 む かし は往 診 の未 収 多 か った ナ、 何 を 窓 から ほう り 投 げ た のね。 お かあ ち ゃん 軒 も 廻 って い ると 名 前 が 判 ら な く な って、 ど こど こ の家 の何 才 の女 の子 って︱ ︱ そ ん も の で し た から ね 。 気 楽 かも しれ な い。 な書 き 方 で ネ、 殆 ん ど が 未 収 で し た。 4年 開 業 です け ど 診療 所 に は 堀 尾 ぼ く は 3 前 から す こし居 た で し ょう 。 組 合 運 動 が 一 頃、 愛 想 の い いプ レが 居 た の。 そ し た ら ネ エ 一人 で来 た の、 ん な じ顔 し て る ん だ ネ。 って 昨 日と 同 じ よう に ライ ね、 始利 口ね、 取 ってき た の か ナ。 出 るね え。 開 田 出 る で し ま。 頃ぼ く も 飲 み過 ぎ ると ク シ ャミ出 る の。 年 深 瀬 皆 川 先 生 は酔 う と ク ツ ャミが 連 発 す る の。 当 時 面 白 が って笑 って い たけ ど 、 近 友 あ り て 酒 日 日 お 酒 の話 にな り ま し た ね 。 話 、 有 名 だ った も ん ね 。 ︹ 笑︶ 深 瀬 そ う そ う 、 まづ 酒 を 避 難 さ せ た って われ て る んだ。 ︵ 録笑 ︶ 皆 川 ば く は最 初 の時 は ひど い日 に会 いま 4 . 2 し た 。 す っかり や ら れ て ネ。 荷 物 を 入 れ な ・ い で神 棚 に 一升 瓶 上げ た って︱ ︱ 今 でも 言 去 年 、 おと と しも あ り ま し た よ。 る の、 向 いあ た り に兄 貴 が いる ん だ け ど、 笑︶ ひど いんだ 。 ︵ 番 強 い頃 だ し、 毎 日 2、 3回 は起 さ れ ま し 0軒 以 上 廻 って いた け ど 。 た。 社 宅 も 1 日 団 組 合 が 強 い頃 って いえ ば 、 ク レ ー ム 子 供が 一人 で来 た の、 昨 日診 た 子 供 ⋮ ⋮ お ぼ く は な か った 。 お 尻 出 さ せ て ペ ニンリ ン注 射 し た のさ 。 深 瀬 こ ん な 事 も あ った な。 開 業 し た て の な ん かあ り ま し た ? 皆 川 外 科 は伊 藤 貢 先 生 だ け で忙 し か った 爆笑︶ ち ゃん の薬 ち ょう だ い。 ︵ 堀 尾 前 の人 はあ ったL か聞 い て た け ど 、 です よ。 開 田 お産 は産 姿 さ ん で大 体 間 に合 って い 山 本 先 生 方 、 カ ルテ見 て患 者 の顔 浮 が 場 合 と、 息 者 の顔 を 見 て名 前 が 浮 が 場 合 と、 注 射 終 って ネ、 そ の子 が 言 う んだ 。 お 兄 ま し た ね。 ぼ く の来 た 頃 は これ から 町も 発 展 す る と ば く はね、 息 者 の顔 見 ても 名 前 浮 ば な い ど っち です か? ︵ウ ー ン︶ 屋 も 出 来 始 め た し、 な に か荒 んだ 感 じが 流 いう 時 で し た から、 バ ラ ックみ た いな 飲 み れ て い て、 ド アを け と ば さ れ た事 も あ り ま は 全 く 判 ら な い ナ。 ︵そ う 言 わ れ れ ば そ う カ ルテ見 て何 々さ んと 呼 ぶ時 パ ッと 顔 浮 が ん です よ。 だ から 街 の途 中 で会 っても 姓 名 し た。 何 度 壊 さ れ た か ナ。 深 瀬 真 夜 中 に酔 っば ら った オ ヤ ジが 入 っ も ん な のさ。 伊藤 先 生が と に角 呼 び かけ る 深 瀬 誰 か仕 掛 人 が いな いと 飲 み に出 な い 開 田 出 る出 る。 開 田 行 き ま せ んね 。 鷲 別 の飯 島 。大 岩 先 皆 川 あ は は は は ⋮。 深 瀬 シ ュンと し て いる よ。 囲 囲 最 近 は ど う です か? 反 論 な し︶ た ことが な いです よ。 ︵ 囲 団 幌 別 は地 区 的 に広 い です け ど 人 口は 区 分 さ れ て集 中 し て ます ね。 そ ん な 状 況 の 同 族 な ら ね ど 生 ぐ ら いぢ やな い です か。 割 に ド ク タ ー の数 は多 いと 思 いま す が 。 も な いし、 町 場 に は結 構 行 き ま し た ょ。 開 田 あ あ 、 そ う、 い い思 いは し た? 堀 尾 ぼ く は社 宅 が 相 手 だ った から 差 障 り せ ん で し た。 って 言 ってく れ る け ど、 や は リ ネ。 行 き ま 団 囲 地 元 で は? 開 田 小 さ い店 はあ って、 行 け ば ヤ ア ヤ ア れ る直 前 ま で よ く 行 った ん です フ。 そ し て狩 野 さ ん で し ょう、 開 田先 生が 来 ら 言 え な いた ち だ し、 大 岩 先 生 も あ の通 り、 あ ると 思 って ね 。 み ん な 流 れ ち ゃ ったけ ど こと はあ る の。 二月 に 一度 な ら 行 く こと も いも の。 でも 三軒 ぐ ら いボ ト ル置 い て来 た った り も す るけ ど、 駅 の向 う 側 に は渡 ら な 山 本 イ ヤ ァ⋮ ⋮ 一頃 東 室 蘭 に マージ ャ ン に行 って ま し て ね 。 勝 った時 は焼 鳥 屋 に寄 の?・ ね 、 ウ イ ー クデ イ は。 引 く手 あ ま た で な い 深 瀬 へえ 、 そ ︱お。 先 生 は今 独 身 だ から 山 本 ぼ く は 一年 以 上 中 島 に行 ってな い。 皆 川 う ち の 二人 は結 構 歩 い て いる よう だ ヽ な、 市 立 病 院 の若 手 の人 達 と 関 係 も あ 舟て と 言 って ね。 開 田先 生 の奥 さ んが 主 体 に な って年 に 一回 か、 集 って いま す 。 紬会﹂ 深 瀬 奥 さ ん連 中 の会 が あ る の。 ﹁ 開 田 本 当 腹 の底 から 仲 が 良 いんだ な あ 。 と いう か仲 が 良 い の。 いし。 で 一人 だ け い い子 にな ろう な ん て人 は居 な ぢ ゃな い です か。 そ れ に先 生 方 が 皆 い い人 開 田 まあ 、 い い按 配 に配 置 さ れ て い る ん いる んだ し。 ︵殊 に夜 の? そ う そ う 笑 ︶ 堀 尾 いや、 ぼ く は全 然 ⋮ ⋮ い い思 いも 失 山本 イ ャ ァ、 物 臭 さ な だ け 。 皆 川 そ う かな。 大 き な病 院 が あ ると い っ て も 全 道 的 と いう か、 そ ん な 性 格 を 持 って 深 瀬 そ う ね 。 鷲 別 は室 蘭 市 民 だ も のネ、 日 日 中 島 町 には? の。 ほと ん ど 毎 日 出 た ネ 。 伊 藤 先 生 の車 で 浜 町 へ︱ ︱ 酔 って運 転 し て帰 って来 る の。 第 一回 座 談 会 に出 て たけ ど 、 佐 藤 善 弘 先 生 が 、 幌 別 の奴 等 は浜 町 のし て歩 い て る って ネー ー 伊 藤 先 生が 号令 かけ ると、 皆 川 先 生 敗 も な い です よ。 深 瀬 う ち の町 で 六無 会 と いう のを 作 った 大 久 保 山 本 先 生 と 私 は 大 学 同 期 な ん です は 消人が 好 いし、 ボ クも 誘 わ れ ると イ ヤと こと あ り ま し て ね。 ば く が チ ビ ド ク、 皆 川 相 談 申 し 上 げ たら 、 そ れ は善 い事 であ る と いう こと から 始 ま った の。 て見 よ う と いう 訳 で皆 川 先 生 の奥 さ ん にご そ れ ぞ れ 親 し か った わ け 。 でも お 互 い知 ら な い奥 さ ん方 も いる で し ょう 。 そ れ でや っ た ま た ま ウ チ の女 房 は先 生 方 の奥 さ ん と 開 田 皆 川 先 生 ご 夫 妻 が 音 頭 を と ら れ て、 そ れ を 中 心 と し て出 来 上 った ん です 。 深 瀬 よ そ に比 べ て い いと こ ろ は ネ、 団 結 笑 先 生 は ハゲ ド ク、 伊藤 先 生が ヒゲ ド ク ︵ け ど 、 わ れ わ れ の年 代 が 一番 マジ メぢ ゃな 0 円 の ハイ ボ ー い です か。 学 生時 代 は 一杯 5 ル全 盛期 で し ょう 。 赤 線 も 青 線 も 知 ら な い ト ル コ風 呂 な ん かず ︱と あ と にな って から 堀 尾 真 面 目 な んだ ね 。 買 って儲 け て飲 も う って わ け 。 何 の こと は な い、 儲 け の何 倍 も 何 十 倍 も 飲 ん でし ま っ で ま だ な か った し、 友 達 の浮 いた 話 も 聞 い ︶ あ と の 三人 は ド ク タ ーぢ ゃな いけ ど 株 を たけ ど 。 ︵そ ん な も んだ ヨ︶ - 25 -― 団囮 成 程。 皆 さ ん片倉藩 の同族ぢ ゃな い かと 思 う ほど な ん です けど、 医師協 議会が 団結 に役 立 った わけ です か。 社 会 時 評 と 主 に山 本 先 生 の幸 辣 にし て ︵こ の後 、 医 師 論、 友 情 論 から 世 相 、 深 瀬 そ う な ん です 。 大 岩 ・狩 野 ・皆 川 の も 更 に談 論 風 発 、 予定 の時 刻 を は る か い に笑 い、 か つ傾 聴 す る。 ほ ど よき 酔 い の楽 し さ に乗 って各 先 生 一座 消 お ユ ニー クな 論 説 が つづ いて、 三先 生 でや って た ん です が 、 そ こ に僕 が 入 って広 瀬 さ んが 来 て、 開 田先 生、 堀 尾 先 生 と な って ⋮ ⋮だ から 歴 史 が 何 時 から だ つた か判 然 し な い の。 規 約 も な い の。 に オ ーバ ーし た︶ 村 井 ま こと に 心 楽 し い座 談 会 にし て いた 山 本 平 取 のあ る ド ク タ ー の川 柳 に∧ 犬 と 猿 さ て そ の次 は 医 者 同 志 ∨ って いう のを 見 ま し たが ネ、 こ こ の医 者 に は全 く そ う いう だ き、 ま た 長 時 間 あ り が と う ご ざ いま し た 、 これ で西 から 東 と 一応 終 った わけ です が ど うも あ り が と う ご ざ いま し た 。 ︵ 拍 手︶ も そ ろそ ろ い い んぢ ゃな い か、 と 思 います 笑 ︶ 世 相 を 斬 る、 そ ん な 座 談 会 会 を斬 る ︵ 山 本 先 生あ た り に中 心 と な っても ら い医 師 と こ ろな い ん です 。 開 田 恵 ま れ て い る んだ なあ 、 本 当 に。 珍 ら し いく ら いです よo 深 瀬 ボ スが い い から な あ 、 皆 川 おと う ち ゃん。 堀 尾 そ う な ん です 。 山 本 た だ ネ、 俺 が そ う だ から 思 う ん だ け ど う でも い い って感 覚 が 底 に強 いと 思 う ど幌 別 の医 者 は物 臭 さ だ コ ︵ 笑︶ んだ 。 ま あ、 こう いう ヌ ル マ湯 的 な 中 で は ね、 プ ラ スの面 も あ るけ ど マイ ナ ス の面 も 笑︶ あ るし ネ ︵ ガ ッガ ッ働 く 人 も いな い。 せ っせと 勉 強 笑︶ す る人 も いな い。 ︵ 囲 団 でも 最 後 に残 る のは ヒ ュー マンな つ き 合 いだ から 。 開 田 そ う な ん だ ナ、 仲 良 さ は自 慢 出 来 る ナ。 何 よ り も ボ ク は そ れ を 言 いた か った ん だ。 村 井 い い落 ちが つき ま し た ね 。 -26- あ ん ら く とヽ す ♂ ︹ ︻ ヽ ︼ ︶ ︶ ′ ′ ︹ . . , ︻ 阿 部 新 一先 生 と私 柘 植 重 夫 大 正 の終 り から 昭 和 の初 め に かけ て の東 北 大 学 医学 部 の研 究 室 生 活 は、 極 め て厳 し いも の であ った。 初 代 教 授 の加 藤 豊 治 郎 先 或 る ド イ ツ語 の原 書 の翻 訳 に精 を 出 し て い た の で、 ド イ ツ語 に は そ う 弱 く は な か った つも り で いた。 そ れ で 可成 り 重 宝 が ら れ た の であ った。 阿 部 さ んも そ れ を 徳 と し て い た こと であ ろう が 、 翌 六年 に は 論 文 を 提 出 し て、 研 究 室 に別 れ を つげ 、 室 蘭 市 立 病 院 の内 科 医 長 と し て赴 任 し て行 かれ た。 私 は 昭 和 六年 二月 ょ り 十 ケ月 間 、 陸 軍 衛 生 部 幹 部 候 補 生 と し て軍 隊 生 活 を 送 り、 同 年 十 二月 ょ り 医 局 L 戻 って研 究 生 活 を や っ て い た。 昭 和 七年 七 月、 室 蘭 市 に パ ラ チ フ そ し て阿 部 さ ん や、 当 時 既 に室 蘭 病 院 の医 教 授 に医 師 の応 援 を た のむ と の要 請 が あ っ た。 そ こ で教 授 から 為前 行 け と 私 が 指 命 さ . 2 れ た の であ った。 私 は そ の頃 いわ ゆ る軍 隊 ・ ボ ケ で、 がら がら し て いた の で早 速 パ ラ ナ フ スの防 疫 の応 援 に かけ つけ た の であ った スが 大 流 行 し た の で、 阿 部 さ ん から 、 加 藤 し いと う わ さ さ れ て いた教 室 に 入 局 し た。 員 と し て働 い て いた、 内 科 、 小 児 科 の同 期 生 の丁度 アブ ラ の のり 切 って いた時 期 であ り、 弟 子 達 は夜 遅 く 迄、 研 究 に精 を 出 し て いた。 そ し て教 授 の前 に出 る と、 直 立 不動 室 蘭 市 出 身 で現 在 加 藤 叛 授 、 中 沢助 教 授 ︵ れ が 、 ぞ ろ り と 揃 って いた 。 教 室 員 は 六 十 後 七、 八年 の講 師 や助 手 な ど 舒 々た る顔 ボ 寂 そ のも の で、 ホ テ ルは 一軒 か 二軒 し かな 爺 湖 の周遊 を 試 み た。 そ の頃 の洞 爺 湖 は静 終 燻 し た の で、 一日阿 部 さ ん の招 待 で、 洞 生 の友 人 と 一緒 に、 防 疫 業 務 に専 念 し た の であ った。 そ し て 一ケ月 后 に パ ラ チ フ スは 昭 和 五年 春 、 私 は卒 業 と と も に、 こ の厳 り であ った。 ロク に 口も き け な い緊 張 振 の姿 勢 を と り、 中 央 町 で洋 品 店 を開 業 し て い る ﹁柏 屋 ﹂ の 名 も いた こと であ ろ う。 そ のな か に研 究 論 関 謙 吉 君 の伯 父 に当 る ︶ を 頭 と し て、 入 局 文 に精 を 出 し て い た 阿 部 新 一氏 が おら れ た か った よ う に記 憶 し て いる。 端 を発 し た 日支 事 変 勃 発 、 阿 部 さ ん は 召集 さ れ た 。 私 は 仙 台 の研 究 室 に在 って、 間 も 時 は移 って 昭 和 十 二年 七 月 意 濤 橋 事 件 に そ の頃 の博 士 論 文 は、 す べ て ド イ ツ語 に翻 訳 さ れ て研 究 誌 に公 表 さ れ た も の で、 そ の 阿 部 さ ん の論 文 の校 正 の手 伝 い に、 新 参 者 の私 が 駆 り出 さ れ た の であ った。 当 時 私 は 任 と し て働 かさ れ た。 そ の年 の 八月 学 当 局 と が 、 いろ い ろ選 考 を 重 ね た ょう だ て いた矢 先 、 思 いも かけ ず 市 立 病 院 の全 焼 と いう こと にな った。 しば ら く し て 阿部 院 し て いた 。 丁度 今 の診 療 所 のあ る幸 町 の新 地 を 購 め て新 築 を 完 成 し、 や れ や れ と 思 っ 長 生 活 に ピ リ オド を う って、 開 業 医 に転 身 し、 自 転 車 を と ば し て 盛 ん に往 診 に精 を 出 が 解 除 さ れ た の で、 直 ぐ 加 藤 教 授 に挨 拶 に 行 ったと こ ろ、 先 生 は待 って ま し た とば か が 、 結 局 他 に適 任 者 を 得 ら れ ず に半 年 を 経 、 な く研 究 論 文 も 出 来 上 る頃 であ ったが お 、 な じく 召集 を 受 け、 仙 台 の陸 軍 病 院 で 昭 和 十 五 年 の夏 迄、 丁度 三年 間 内 科 の診 療 主 、 召集 り、 室 蘭 市 立 病 院 の内 科 医 長 が 空 い て い る 。 の で、 お前 行 かな い かと の こと であ った 長 は辞 任 さ れ、 後 任 院 長 に市 当 局 と 東 北 大 阿 部 さ ん は、 既 に中 支 から 帰 還 さ れ て いて そ の年 に急 逝 さ れ た斉 藤 豊 治 先 生 の後 任 と 過 し て から、 と ど の つま り、 市 立 病 院 に最 も 近 い診療 所 で開 業 し て いた 私 に お鉢 が 廻 って来 た の であ った。 阿 部 さ んと 私 は、 前 後 輩 の私 に課 せら れ た責 務 であ ると も 感 じ と 因 縁 浅 から ざ る関 係 にあ った が 、 先 生 の 跡 を 継 い で院 長 に な ると は ま こと に 不 思議 、 な え に し と も 思 い、 あ の焼 け 跡 の整 理 は に記 し た ょう に大 学 の研 究 室 時 代 から 何 か う な 診 療 態 勢 を 整 備 さ れ て いた。 時 恰 も 大 東 亜 戦 争 の昭 和 十 九 年 に は幕 西 の料 亭 ﹁常 と った わ け であ る。 し て院 長 に据 って おら れ た。 阿 部 さ ん は そ れ から 十 年 の間 、 院 長 と し て快 腕 を か る わ 、 れ た。 そ の頃 は未 だ 開 業 医 が 少 な い の で 盤 ﹂ を 分 院 と し て買 収 し て本 院 と の間 に約 と は、 開 業 さ れ た り、 函館 検 疫 所 室 蘭 支 部 輪 西、 祝 津 に分 院 を建 てら れ、 網 の日 のよ 八十 米 位 の隧 道 を 造 り、 本 院 と の連 絡 路 と し て のみ な ら ず 、 いざ 空 襲 と な った 際 に は 心 から な る祝 福 を 贈 るも の であ る。 大 柄 な て、 叉 先 生 の跡 を 継 いだ 者 と し て、 そ し て 半 世 紀 の永 い間 幌 懇 を 願 って いた者 と し て 功 労が 認 めら れ て、 勲 章 を 受 け ら れ た こと は、 ま こと に日 出 度 い こと で、 私後 輩 と し 間 の実 債 と、 検 疫 業 務 に長 期 間 努 力 され た 院 の副 院 長 、 院 長 と し て勤 めら れ た 二十 年 長 と し て活 躍 さ れ たが 、 こ の度 市 立 室 蘭 病 阿 部 先 生 は 市 立 室 蘭 病 院 を 辞 めら れ たあ 応 急 処 置 を と れ る簡 易 手 術 室 を 設 備 す る な ど、 病 院 の管 理 運 営 に当 って の手 腕 を 発 揮 さ れ て いた。 そ し て戦後 も 落 ち つい て来 た 昭 和 二十 三年 頃 に は、 大 正 初 頭 建 築 の木 造 、 異に 本 院 も 老 朽 そ の度 を ま し て いた ので 一 、 副院 テ ニス コー トと し て使 用 し て い た 空 地 を 整 地 し て、 本 格 的 な 病 院 建 築 の構 想 を 練 って 私 は 昭 和 二十 二年 、 七年 間 の医 長 おら れ た。 阿 部 さ ん は見 る から に乗 道 の猛 者 であ り 旧 。 制 二高 時 代 は選 手 と し て活 躍 さ れ た 豪 放 、 轟 落 、 スケ ー ル の大 き な 方 であ り 部 下 に 。 対 し て は鷹 揚 寛 大 な 心 の持 ち 主 であ った な に せ夫 々個 性 のあ る 一匹狼 的 な さ む ら い 医 師 十 数 人 が ぞ ろ りと 揃 って いた 医 局 であ った の で、 そ の統 卒 指 導 も 並 大 低 の こと で は な か った ろ う と、 医 長 時 代 に は腸 手 な 熱 を 吹 き ま く って いた自 分 が 、 院 長 にな って み て初 め て そ の苦 悩 を いやと いう 程 思 い知 ら さ れ た の であ った。 あ の時 代 の こと を今 は な つか しく 偲 び つ つ、 阿 部 先 生 の余 生安 穏 な れ と 祈 る も の で あ る。 楽 其 生 保其 寿 大 士口 清 ﹁楽 其 生保 共 寿 ﹂ 僕 の大 好 き な 言 葉 で す。 こ の掛 軸 を 床 間 に かけ て 三十 年 近 く に な り ま す 。 ﹁夫 たの人 生 を 楽 し く 過 し、 夫 々 の天 寿 を 全 う し よう ﹂ と 僕 な り に解 釈 し て いま す 。 常 日頃、 僕 が こ の様 な 人 生 を おく ―- 28 -― ︱ にも、 そ うあ って ほし いと 念 願 し て いま ま わ り の人 々、 ︱ 家 族 、 従 業 員、 息 者 さ ん の自 然 治 癒 への アド ミ ′イ ザ ー にす ぎ な いと 思 う し、 病 気 だ け を み ても 良 く な ら ず 、 多 人 よ り少 し経 験 が あ る から、 息 者 さ ん自 身 す 。 叉、 医 師 が 病 気 を な 為す と は も って の ︶医 師 は素 外 と 思 う よ う にな って 来 ま し たへ 察 に連 絡 し 刑 事 の立 合 い の下 で検 案 し、 男 去 った。 三十 分 ぐ ら いし て亦 や ってき た。 来 れ る筈 であ る。 死 人 を 医 院 に残 し て男 は 坂 道 と は い っても せ いぜ い 二、 三十 分 で す。 く の人 が い って い る よう に、 病 人 を み て、 其 の人 にと っても っと も 良 いと 思 わ れ る方 と自 宅 に おも む いたが 、 す で に食 器 や 食 物 類 を 水 でき れ いに洗 った後 な の で毒 物 は検 り た いと 思 って い る ので、 少 く と も 、 僕 の 何 時 頃 から こ ん な 気 持 にな った のだ ろう 法 を 考 え て、 導 いてあ げ る のが 医 師 で は な か ろ う かと 思 って いま す 。 いづ れ に し ても 出 さ れ な か った。 後 に思 う と、 死 体 を 置 いて 三十 分 の間 に 屋 を 暖 め、 強 心剤 や 人 工呼 吸 、 心 臓 マ ッサ ージ を し たが 息 を 摩き かえ さ な い。 直 に警 一旦家 に帰 り、 食 器類 を 洗 って から 医 隅 に 来 たも の で、 警 察 が 行 った時 はす で に おそ か った わけ であ る。 9 . 2 私 の推 理 で は、 夫 婦 喧 嘩 を し た後 、 女 に 一 毒 物 を のま せ て から 、 あ ま り 重 い の で途 中 雪 の上 に寝 か せ て休 み医 院 にき た も のだ か ら、 二、 三十 分 のと こ ろを 小 一時 間 か か っ た のだ ろう 。 私 は以 前 にも 青 酸 カソ に よ る 医 師 生 活 を 三 十 五年 間 も す ご し ま す と、 持 にな った のだ ろう と 思 いま す 。 んと 同 じ よ う にし てあ げ た いと 思 いま す 。 不成 功 例 の累 積 と 孫 の出 生 で、 こん な 気 少 く と も ぃ 独 立歩 行 時 に は普 通 の子 供 さ そ う す ると 、 一 月 に か つい で 四 十 五町 の小 だ った の で断 る こと も 出 来 ず 、 す ぐ 連 れ て く ると いう の で午 前 ○ 時 頃 ま で待 って い た 半 頃 一人 の男 が 飛 び こ ん でき て、 う ち の女 一 房が 死 んだ と 言 った。 そ の頃 は ま だ 当 直 医 も う 約 二十 三年 前 に な るが 、 午 後 十 一時 酸 性 毒 物 に よ って殺 し た のであ ろう 。 現 在 男 は そ れ から 三 ケ月 す ると 再婚 し て い る 湊 武 雄 一月 の寒 い時 期 な ので スト ーブ を た い て部 か。 永 年 、 医 師 生 活 を 送 って いると、 仲 々 良 く な ら な い人 のみが 頭 に残 って来 ま す 。 人 生 は 一回 です 。 皆 、 夫 々人 生 を 楽 し く お 医 師 と し て 一〇 〇 人 の人 を 治療 し て 一人 の 不 成 功 例 を つく ると、 九 九 % 成 功 と は いえ ず、 一人 の不成 功 例 にと って は 一〇 〇 % の く り、 天 寿 を 全 う し ま し ょう 。 ︵五 十 九 年 二月 三 十 一日記 ︶ 失 敗 と いう こと にな り ま す 。 医 師 と はき び し い職 業 と 思 いま す 。 四十 才 代 で孫 が 出 来 て お爺 い ち ゃん に な り ま し た。 真 実 に孫 は 可愛 い です 。 孫 にも 幸 福 な 人 生が おく ら れ る こと を 祈 る様 に な り ま す 。 股 関 節 の乳 児 検 診 を し て、 先 天 性 股 脱 や 日 蓋 形 成 不 全 を発 見 し た時 、 自 分 の 一日も 早 く 正常 な股 関 節 ヘ 孫 と 同 じ様 に、 専 門 の整 形 外 科 学 でも 、 少 し得 意 の疾 患 と 肥 り の女 を 寝 台 の上 に の せ た。 寝 台 はぐ っ し ょり と 水 に ぬれ 、 女 は陸 孔 を 開 い てす で 自 殺 体 を 三人 程 診 て い る の で、 こ の女 も 青 酸 カ リだ と 判 断 し て いた の であ る。 不得 意 の疾 患 が 出 来 てき ま す 。 整 形 外 科 的 に死 ん で いた。 であ れ ば 少 し の飲 食 物 から でも 毒 物 の検 出 結 局 、 男 は女 が 出 来 、 女 房 が 邪 魔 にな り青 相 を 呈 す るも の であ る。 に な り 苦 悶 の様 子 は な く、 全 く 安 ら かな 死 青 酸 化 合 物 に よ る死 人 は、 顔 面が 鮮 紅 色 に不得 意 の疾 息 に対 し、 そ の疾 患 に対 し て と 導 いて や り た い気 持 に な り ます 。 他 殺 か も っと も す ぐ れ て いる施 設 に紹 介 し て いま 自 殺 か 入 った の であ ろ う。 青 酸 カ リ によ る 死 は 服 用 後 一分 位 で や ってく るも の であ る。 男 は鍛 冶 工だ から 容 易 に青 酸 カ リが 手 に も 断 定 し た の であ ろう 。 し た 面 倒 な 手 続 き は せず 、 日 で診 て警 察 官 は 出 来 た の であ ろうが 、 二十 三年 前 は そ う L 尿 って解 散 と いう 将 に明 治 生 れ の幹 事 先 そ し て夜 は横 浜 中 華 街 で懇 親 会 を し て新 宿 のあ と、 皇 居 参 観 、 高 輪 泉 岳 寺 の お詣 り、 こ の 日 の 日程 は、 観 音 さ ん で の追 善 供 養 9 知利 別 の話 な ど を し な が ら 暫 く バ スを 待 つ。 子 様 も 見 え ら れ て い て、 戦 時 中 や 敗 戦 直 後 院 ︶ 院 長 の故 豊 福 先 生 の奥 様 と お 二人 の お 来 ら れ る の で、 そ れ ま で待 機 し て欲 し い、 が あ り、 これ から 官 内 庁 の係 官 が こ ち ら ヘ 余 程 の御 尽 力 が あ った に違 いな い。 やが て、 バ スに戻 った添 乗 員 氏 から 説 明 ると な ると 面 倒 な も の の様 だ。 官 川 先 生 の ると 聞 い て いた の に、 矢 張 り皇 居 に立 ち 入 人 の皇 官 警 察 官 が 近 づ い てき て、 官 川 先 生 追 記 ︱ ︱ 目 下 右 手 の三、 四、 五指 に軽 度 生 の企 画 ら し い行 程 であ る。 既 に、 二回も 追 善 供 養 を 催 し て頂 き 、 そ の 度 に 消誘 いが あ った ので、 何 事 三度 目 の今 れ る官 川 知 平 先 生 であ る。 僕 は初 参 加 だ が が 、 ﹁東 京 フラ テ会 ﹂ 会 長 を つと め て お ら が トイ レに向 う。 お濠 端 で写 真 を 撮 った り 近 く を 歩 き ま わ って 三十 分 過 ぎ ても 係 官 は で済 ま せ る事 と 注 意 が あ り、 ひと 先 ず 全 員 用 を 足す 事 が 出 来 な い から 、 比 処 の トイ レ 。 の事 で全 員 が ミ ′スを 降 り た 皇 居 内 で は小 但 し、 こ のミ ノスは こ の場 所 に駐 車 出 来 な い 、 ので、 廻 送 す る から 下 車 し て待 つ様 に と 旅 行 社 の添 乗 員 と 話 し 合 う 。 話 が 長 引 い て いる様 子 。 既 に参 観 者 の名 簿 を 提 出 し てあ の床 痺 が あ り現 在 治 療 を 続 け て いる。 大久保 洋 平 年 は ど う し ても 顔 を 出 さ ねば 失 礼 と 思 って 上京 し た。 は と バ スで浅 草 見 物 し た のが 学 現 れ ず 、 皆 いら いら し てき た。 今 係 官 が こ ち ら へ向 った と 言 う 。 衛 門 には、 七、 八人 乱 文 乱 筆 を 始 ゆ る し 下 さ い ︵昭 和 男年 ︶ 昭 和 二 十 九 年 五月 二日 の大 安 吉 日。 北 大 生 の時 だ った から、 も う 三十 年 近 く も 前 に の再 会 を 約 束 し て別 れ 、 十 九 人 の 一行 が バ スで東 京 見 物 に出 発 す る事 に相 成 った。 場す る の で退 屈 し な いう ち に、 大 手 町、 九 町 ﹂ な ど 銭 形 平 次 で憶 え た 町が 、 次 々と 登 変 更 が な い かな ど と話 し 合 う 。 た ﹂ と 係 官 が 現 れ た。 そ し て 又、 参 観 者 に と 黒 い乗 用 車 が 出 て来 て ﹁消待 た せ し ま し 煙 草 を く わ え乍 ら、 詰 所 内 で雑 談 でも し て いる様 子 であ った。 待 つこと 一時 間、 や っ 幹 事 の先 生 は、 ご 存 知 の方 も 多 いと 思 う 医 学 部 一期 生 ﹁物 故 者 の追 善 法 要 ﹂ が 終 る な る。 観 音 さ ん や 仲 見 世 は、 記 憶 と あ ま り ﹁ 皇 居 参 観 記﹂ と も う 昼 近 く 、 浅 草 観 音 堂 の境 内 に は、 夜 門 を開 け た り 閉 め た り し て いるが、 せ いぜ い 二人 位 が こ の役 で、 他 は何 ん の用 も な く 一行 の顔 が れ は 四 名 が 今 も お 元気 に活 躍 の内 に 入 り、 右 手 に 一段 と 新 緑 の鮮 かな 皇 の警 官 が 居 て出 入 り す る自 動 車 が 通 ると 、 来 の雨が 嘘 の様 な 眩 し い春 の日 差 しが い っ 変 って いな か ったが 、 バ スの左 右 は皆 同 じ 様 な コンク リ ー ト の建 物 が ぎ っし り で、 ど っち に走 って い る の か見 当 も つかな いが 、 ば い に照 り つけ て いた。 中 の 一期 生 の先 生 で、 残 りが 夫 人 あ る いは 居 の森 が 見 え て き た。 こ こ で参 列 者 二十 二人 のう ち 三 人が 次 回 故 人 の家 族 であ る。 室 蘭 から は、 故 斎 藤 義 こ の頃 から、 上 空 に黒 い雲 が 拡 が り急 に 寒 く な って来 た。 三度 日 の トイ レに行 く 人 道 路 標 識 に、 ﹁馬 喰 町 ﹂ ﹁伝 馬 町 ﹂ ﹁人 形 太 郎 先 生 の奥 様 が 川 崎 在 住 の御 子 息 吾 朗 氏 ミ ノスは外 苑 を 大 き く 半 周 し て ﹁桔 梗 門 ﹂ と 言 う 所 に着 いた。 直 ぐ 衛 門 の詰 所 から 二 現 新 日鉄 病 と 同 行 さ れ て いた。 日鉄 病 院 ︵ ―- 30 -― いて来 て、 我 々の 一行 に加 え て欲 し いと 頼 に整 列 し た。 ア ベ ック の外 人 観 光 客 が 近 づ て十 数 人 の団 体 が 降 り、 そ の人 達 の方が 先 も 何 人 か いる。 そ の間 に別 な バ スが 到 着 し こ の ﹁窓 明 館 ﹂ は 参 観 者 と 奉 仕 団 体 の休 憩 人 かは 此 処 で待 つ事 に し た。 斎 藤 夫 人 も リ ウ マチ な の でと 息 子 さ んと 残 る事 にな った ﹂ と 言 ったも の の脚 に自 信 が 無 い から と幾 で 一時 間 も 待 ちぼ う け を 喰 わ さ れ る のな ら った。 雨 こそ 凌 げ るも の の、 こ ん な寒 い所 皇 居 のあ ら ま し な るも のを 十 五分 掛 け て終 さ ん の お戻 り を お待 ち下 さ い。 念 の為 ﹂ と は無 理 を せず に、 此 の建 物 内 で休 み乍 ら 皆 張 り の消 立台 が 、 ま だ 備 付 け ら れ た ま ま に い は 万 一の際 の避 難 壕 かも 知 れ な いと 勘 繰 って み た 。 長 和 殿 中 央 に は、 つい数 日前 の 皇 居 にそ れ 程 の車 が 来 る訳 が な い の で、 或 よく 映 え て 見 え る。 約 二万 人 が 入 れ る そ う で、 こ の地 下 は 全 て駐 車 場 と 説 明 さ れ たが が 敷 き 詰 めら れ て いて、 ブ ロンズ の屋 根、 ベ ージ ェの壁 、 え び 茶 色 の柱 の官 殿 が 実 に 大 き な 長 和 殿 の前 庭 に は、 白 い大 判 の石 畳 であ る。 七棟 が 連 ら な る建 物 の中 で、 最 も 物 が 見 え てき た 。 テ レビ で 清 目 に掛 る官 殿 ﹁桔 梗 門 ﹂ を 入 って直 ぐ 右 側 の古 い建 物 に案 内 さ れ たが 、 こ の頃 から と う と う 雨が 降 り 出 し た。 ﹁窓 明 館 ﹂ と 言 う だ だ っ広 い 建 物 で、 長 い机 と 粗 末 な 椅 子が 並 べら れ て 天 皇 誕 生 日 の参 賀 に用 意 さ れ た 例 の ガ ラ ス 真 直 ぐ に坂 を 登 りき ると や た ら 大 き な 建 テ⊂。 ん で い る様 だ が 係 官 に断 ら れ て何 度 も 振 り 室 に当 てら れ て い るそ う だ 。 傘 を さ し た り 合 羽 を 羽 織 ってぞ ろぞ ろと な って いた。 こ の 二万 人 も が 入 れ る 広 場 に、 我 々と も 何 ん の皇 居 見 物 か、 ﹁み ん な 行 き ま し ょう 返 り乍 ら 去 って行 った。 僕 達 も き ち んと 二 列 に並 ん で、 よ う や く 門 の中 に 入れ て頂 い オ ジ サ ンの後 に続 く 。 な る べ く 道 路 の中 央 を 歩 く よう に、 二、 三列 の 一団 と な って進 た。 初 め て見 る皇 居 内 であ る。 む 様 にと 再 三 注 意 さ れ る。 団 体 の後 尾 に官 内 庁 係 官 、 そ の更 に後 に皇 官 警 察 官 が つい い る。 こ こ で暫 く お待 ちと き た。 火 の気 が 欲 し い程 肌 寒 い。 煙 草 を 吸 った り 壁 の パネ 、 ルを 見 た り、 意 外 な 事 に売 店 が あ って 宮 て来 る。 窓 明 館 の真 向 いが 皇 官 警 察 本 部 、 こ の本 部 に向 って左 手 の舗 装 道 路 を 奥 に進 央 に並 ん う 一団 の僅 か 四十 人 足 らず が 中 ‘ で、 両 足 を揃 え て背 筋 を ピ ンと 仲 ば し て マ 、 イ クを 口にあ て 白 手 袋 の右 手 を かざ す 例 のオ ジ サ ン の有 難 い説 明 を 聴 く 。 官 殿 も 見 あ って ﹁富 士 見 櫓 ﹂ と 説 明 さ れ た。 桔 梗 門 広 い通 り に出 て や や 左 に折 れ ると 見 上 げ 内 庁 御 用 達 の黒書 き さ れ た お菓 子 や し お り 地 図 、 絵 葉 書 な ど の お土産 品が 並 べら れ て 一行 が 買 った のは、 五 百 円 のビ ニ いるが 、 む。 左 側 は皇 居 を 囲 む 石 垣 と 松 林 が 長 く 続 い て い る。 って いた の で、 先 程 のミ ′スを降 り る時 に置 で待 って い る時 に、 松 の樹 間 から 見 え て い たあ の櫓 かも 知 れ な い。 最 初 の登 り 坂 に か か るが 大 し た勾 配 で な い。 こ の坂 を 左 手 に か屍 間 に思 って、 宮 内 庁 の係 官 に訊 ね て み い て、 一体 こ の剪 定 を ど の様 に し て や る の 長 方 形 の緑 の大 テ ーブ ル の よう だ 。 近 づ い て み る と 木 々の間 隔 が 五 十 糎 位 で密 生 し て 凡 そ 一米 二十 ∼ 三 十 糎 位 で、 き れ い に水 平 に剪 定 さ れ て い て、 大 き さ は 五、 六 十 坪 の 前 庭 の端 にあ る さ ざ ん か の植 込 み は、 丈 が 事 だ が 、 庭 の植 込 みが 素 晴 ら し い。 殊 に、 ー ル傘 や合 羽 であ った。 僕 も 若 し や と 朝 に 傘 を 持 って出 た の に、 昼前 から青 空 が 拡 が 。 い てき て し ま い、 仕 方 な く 傘 を 買 った 、 皆 ん なが 元 の椅 子 に戻 った 頃 制 服 制 幅 、 の オ ジ サ ンが 正 面 に直 立 し て マイ クを 口 下 る と 突 き 当 り に、 大 き な 問 が 閉 ざ さ れ た ま ま にな って い るが 、 これ が 坂 下 門 と の こ る程 の高 い石 垣 の上 に、 白 壁 の大 き な櫓 が に当 て て、 F﹂れ から ご 案 内 す る皇 居 は ⋮ 、 ﹁行 程 凡 そ 三 ・ ⋮ ⋮ ﹂ と ス ライ ド を 見 せ 、 五 キ ロ所 要 時 間 一時 間 半 、 途 中 に 三 ケ所 、 歩 行 難 儀 な方 坂 が あ る の で気 分 の悪 い方 -31- ハイど う なく L も 聞 え な い。 ﹁で は 次 へ、 さ つき 、 木 蓮 が 花 を つけ て い る。 そ し て、 これ だ け 森 に 囲 ま れ て いる の に、 高 の姿 は た め か、 こ の時 季 に、 椿 、 八重桜 、 つ つじ 橋 を波 る と これ ま で で最 も 急 な 坂 道 で、 な い様 に仕 掛 け さ れ た木 橋 で あ った そ う で 右 に左 に折 れ なが ら 登 って行 く 。 城 跡 の大 音 、 話 声 、 時 折 通 る自 動 車 の音 し かな い。 た ら、 庭 師 が 狭 い樹 間 に立 って切 り 揃 え る き な 高 い石 垣が 続 い て いる。 石 に は はや♯ △ な ど 刻 印 さ れ た も のが あ って、 これ ら は 別 な道 から 東 御 苑 を 下 ると、 皇 后 さ ま の あ る。 石 を献 上 し た 大 名 や藩 の紋 章 、 あ る い は藩 の で、 庭 師 の首 の高 さ よ り も 幾 分 低 い所 で 印 と の こと であ る。 外 壁 の桃 華 楽 堂 、 宮 内 庁 楽 部 、 著 陵 部 な ど の建 物 が あ って、 こ の 一角 だ け は少 し建 て が 見 え るが 、 色 々な 樹 々で彩 ら れ て い て迷 かな り離 れ て 二 つのま ん じ ゅう 型 の築 山 揃 え て いる と の こと であ る。 彩 服 の模 様 にそ っく りだ 。 夫 々十 二種 の寄 木 植 で亀 の甲 羅 を 型 取 ったも のと 説 明 され れ る庭 に な って いて江 戸 城 本 丸 跡 と の こと 混 ん で いると 思 わ れ た 。 建 物 が あ った。 ﹁百 人 番 所 ﹂ と 言 って 江 戸 見 る から に古 め かし い木 造 平 屋 の大 き い 府 県 の木 が 植 え ら れ て いて、 そ の中 に ライ ラ ック の花 を見 つけ た。 急 な汐 見 坂 を 降 り てく ると 平 地 にな る。 還 歴 を 記 念 し て建 立 され た モザ イ ク タ イ ル ぞ ﹂ と案 内 す る オ ジ サ ンの声 と 一行 の歩 く た 。 四季 を 通 じ て葉 の色 が 変 る のだ から、 前 方 が ゆ っく り と 下 って い て、 正 面 に丸 の 大 手 門 に近 い こ の 二 の丸 庭 園 の 一郭 に都 道 名 な松 の廊 下 も そ こ にあ った由 。 配百通 の 大 名 はあ そ こま で。 こち ら に いま 居 ら れ る 一本 の立 派 な 松 が あ る辺 りが 中 奥 、 あ の有 最 も 高 い広 場 に出 た。 ﹁東 御 苑 ﹂ と 呼 ば い つ眺 め ても き っと 美 し い こと だ ろう 。 我 々が 進 ん で来 た のと は、 丁度 反 対 側 が 二重 内 のビ ルが 見 波 せ る。 今 、 我 々が 立 って い る辺 りが 昔、 大 奥 であ った 所 で、 そ の先 に 橋 に通 じ る道 で、 そ の先 が 現 在 の皇 居 正 門 であ る。 一般 参 賀 で は 正 門 から 入 って、 二 重 橋 を波 って こ の広 場 に来 る こと に な る。 こ の新 官 殿 の辺 りが 旧西 丸 であ った そ う で あ る。 官殿 から少 し戻 って左 手 の官 内庁 の前 か 左 側 に下道灌濠 を みるあ たり に来 ると、 ま さ に垣間見 る ことが 出 来 る のだ。 濠 そ し て石 垣。 外 から は皇居 はす っかり松 に囲 まれ て いて、 櫓 や石 垣 し か見 え な いの に、 内 から は意 外 に外 の景色が よく見え る 府 に は 既 に再建 す る 財 力 が な く、 石 垣 だ け 、 三年 ︵一六 五 七年 ︶ の火 災 で焼 失 以 来 幕 城 天 守 閣 が 答 え て いたそ う であ るが 、 明 暦 は最 上 段 に金 色 の銃 ほ こを 頂 く 五層 の江 戸 乗 物 を降 り て、 これ から 先 は、 徒 歩 で参 上 ﹂ と 大 書 き さ れ た石 柱 の立 つ狭 い門 の所 で か って は、 大 手 門 から 登城 し た大 名 達 は、 これ ら の番 所 で幾 度 も 検 問 を 受 け て ﹁下 乗 ら左 に曲 り奥 へ進 む。森あ り林 あ り、 池 や 濠 の向 う は 一層深 い森 であ る。 この中 に皇 し た そ う であ る。 城 警 備 の侍 詰 所 だ った そ う で附 近 にも 二、 三 のも う 少 し小 さ い同 心番 所 な ど が あ って 后 さ ま の養 蚕所、 そ し て右 手 の奥 に、 陛下 が 当 時 のま ま と 説 明 さ れ た。 雨 も あ が って再 び青 空 と な る。 気 が つい い つの間 に か現 れ て いた も う 一人 の警 官 と 今 ま で 一行 の後 尾 に 同行 し て いた警 官 が 、 皆 さ ん は、 言 わば 上位 の始方 達 ﹂ と 冗談 を オ ジ サ ンが 真 面 日 に言 った。 広 場 の最 も 奥 のお住 い ﹁吹 上御 所﹂があ ると聞 く。 右 に て み ると 、 皇 居 の庭 に は草 花 や 花 壇 が な く 全 て樹 木 が 植 って い て、 ま た 外 来 の木 々も にま た 一段 と 高 く 石 垣 が 組 ま れ て い て、 昔 折 れ て濠 に かかる小 さ い石橋 を渡 る。 西桔 橋 ︵にし のはねば し︶ と言 って、 江戸城 の 無 い様 に思 われ た。 今 年 は東 京 も 寒 か った え てき た。 ギ ーと 音 が し た の で振 り 返 ると 間 も な く スケ ー ト地 点 の ﹁窓 明 館 ﹂ が 見 頃 は非常 の際 に内側 に跳 ね揚げ て、 渡 られ ―- 32 -一 で、 し っかり と 頑 丈 な鉄 門 を閉 ざ し た所 で あ った。 わ れ わ れ 一同、 初 め て見 た皇 居 に感 激 し な が ら ﹁桔 梗 門 ﹂ を 出 た と こ ろ で参 観 の お し ま いと な った。 かたまじゃくし の生 いたち 哲 良Б の数 字 譜 は デ ィジ タ ル図 形 であ る。 現 在 の 一二三 ⋮ ⋮斗 為 巾 の峯 曲 の譜 や ハー モ ニカ 四角 い音 符 が 書 い てあ る。 これ は音 の高 さ タ マジ ャ ク ンの代 り に ヘブ ライ 文 字 に似 た 譜 ﹂ が そ の譜 で、 五線 で は な く 四線 で、 オ 合 理 的 に でき て い る。 も っと も 、 合 理 的 と は い っても む ろ ん完 全 な も の で は な く、 不 発 達 し た も のだ が 、 四線 譜 の長 所 と 後 に述 が 発 現 さ れ た 。現 在 の五線 譜 は そ れ が 変 化 ン ス期 に な って これ を 改 良 し た定 量記 譜 法 リ ズ ムな ど が 表 現 でき な いた め、 ルネ ッサ の メ モ のよう な も の で、 音 の長 さ、 強 さ、 洋 楽 の楽 譜 、 俗 に いわゆ る オ タ マジ ャク ン は そ の両 方 の長 所 を 併 せも って い て、 大 変 完 全 な るが 故 に音 楽 的 な寛 容 度 ︵ラ チ チ ェ 化 の過 程 で 一つの大 発 明 は 小 節 縦 線 を発 明 べ る タブ ラ チ ュア の長 所 と を た く み に取 り ま ぜ た こと が 成 功 の秘 訣 であ った。 そ の変 ード︶ が 広 く、 個 性 表 現 の余 地 が あ る の で あ って、 も し楽 譜 が 完 壁 な も のだ った ら 、 お が 鍵 盤 を 踏 も う が 名 人 が 演 奏 し よう が 全 く ﹁楽 譜 通 り ﹂ と な って、 音 楽 は 面 白 く も す る こと に よ って音 の高 さ、 長 さ だ け で な ど は楽 譜 の歴 史 を 書 け と いう 編 集 部 の命 令 であ ろう 。 そ の発 明 者 が 誰 かと いう こと は の書 き 方 が 定 着 し た の は た が ん十 六世 紀 頃 音 の強 弱 や 表 情、 曲 の速 さ ︵テ ンポ︶ や そ の変 化 を も 記 号 と し て書 き 入れ る よ う に し く 、 リ ズ ムを も 表 現 でき る よ う に し た こと であ る。 た ぶ ん これ は 編 集 委 員 会 の総 意 な 十 六世 紀 から 十 八世紀 に至 る いわ ゆ るバ ロ 五線 に オ タ マジ ャク ンと いう 現 在 の楽 譜 な んと も な く な って し ま う 筈 であ る。 ど で はな く、 来 編 集 子 の個 人 的 希 望 だ ろ う スと いう も のは束 縛 を 嫌 い自 由 を 愛 す る精 全 く わ か って いな い、 と いう よ り も む し ろ 自 然 発 生 的 な も の で、 な に ぶ ん ルネ ッサ ン た こと で、 これ が でき る よう に な った の は と 思 う の で、 蛙 の子 の生 い立 ち な ど に興 味 音 を図 形 化 し て視 覚 的 に表 現 す る のが 楽 グ レゴ リ オ聖 歌 と いう の は、 これ は ル ネ ッ て い った の であ る。 中 世 の教 会 音 楽 のう ち に いろ い ろ な 方 法 を 考 え て使 って いる う ち に、 い つと は な し に次 第 に今 の形 に定 着 し れ て、 十 九 世 紀 にな る と 完 全 に姿 を 消 し て ば 現 代 のギ タ ー の コード ネ ー ムと 似 た よう な 機 能 を も って いた の であ るが 、 ビ バ ルデ ィ、 バ ッ ハの頃 から 次 第 にそ の風 習 が う す を 積 み 重 ね なが ら 弾 く 方 法 が あ った。 いわ を 示 す 数 字 を 見 なが ら 演 奏 者 が 即 興 的 に音 ック音 楽 の時 代 の こと であ る。 そ れ でも 、 バ ロ ック期 に は数 字 付 低 音 ︵フ ィギ ュアド ・ベ ー ス︶ と いう のが あ って、 和 音 の種 類 譜 だ が 、 大 別 し て これ に は ア ナ ログ 図 形 と サ ン ス の精 神 と は 正 反 対 の厳 格 な 規 則 づ く め、 束 縛 い っば い の、 ラ チ チ ュード ゼ ロの 神 が 原 動 力 だ から 、 音 楽 家 も め い め い勝 手 一見 ミ ミズ か ア デ ィジ ケ ル図 形 と が あ る。 音 楽 で いわば お経 の文 句 、 西 洋 版 ﹁声 明 ﹂ な い し、 よ って講 釈 と も 漫 談 と も つかな い ラビ ヤ文字 風 の曲 線 で メ ロデ ィを 表 現 す る も の で お時 間 拝 借 ⋮ ⋮ ヨー ロ ッ。 ハでも 中 江 差 追 分 の譜 は前 者 で、 し ま った。 五線 譜 の特 徴 は音 楽 の音 そ のも のを符 号 ︵し ょう み ょう ︶ であ る。 パ リ の左 岸 の古 ︰ 本 屋 台 な ど で売 って い る偽 羊 皮 紙 の 一古 楽 り 使 え な い学 術 論 文 ほど 書 き にく いも のは のな い方 に は申 し わけ な い し、 図 表 を あ ま 前 号音 楽 馬 鹿 の記 のあ と を受 け て、 こ ん 斎 世 のグ レゴ リ オ 聖 歌 で四線 譜 が 制 定 され る 一方、 前 に は似 た よ う な記 譜 法 が あ った。 ―- 33 -― 安 マン派 の時 代 から 二十 世 紀 前 半 ま で にも う いう 無 責 任 な グ ラ フ ィ ック ・ス コアな るも のを 試 み る人 も いる。 偶 然 性 の中 に新 し い な いが 、 私 に は面 白 く も な んと も な い。 エ セ芸 術 的 ナ ル シ ンズ ムと い った ら 叱 ら れ る 化 し たも の であ る から、 た と えば 声 楽 でも だ ろう か。 美 を 発 見 し た いと いう 意 欲 は わ から ぬ で は たと えば 強 弱 記 号 に し ても 、 音 楽 物 理 学 的 楽 譜 の進 化 は行 く と ころ ま で行 き ついた 感 じ であ る。 し かし 音 楽 と いう も のは 芸 術 で な 強 弱 と、 音 楽 の流 れ の中 で聴 衆 が 感 ず る あ る から 、 主 観 的 な 要 素 が 入 る の は当 然 で 強 さ と は 全 然 一致 し な いし、 そ の感 覚 は 人 に よ って ちが う。 ま た休 止符 ︵日本 語 で間 ︹ま︺ に相 当 す る ︶ の長 さ、 リ ズ ム の微 妙 な 感 じ な ど はと ても 五線 譜 で表 現 す る こと 正確 だ ったら し く、 彼 の指 定 通 り で は ほと いと いう証 左 であ ろう か。 も っと も ベ ー ト ーヴ ェツの使 った メト ロノ ー ムは だ いが 不 た こと が あ るが 、 結 局 こ の試 み は途 中 で放 棄 し て し ま った。 これ など 、 芸 術 は 心 であ って、 機 械 的 な 正確 さ で は 芸 術 は つく れ な は友 人 メ ル ツ ェルの発 明 し た メト ロノ ー ム を 使 って全 作 品 の速 度 を 指 定 し よ う と 試 み う から、 作 由 者 の意 図 が 正 しく 伝 え ら れ な い ことが あ ると いう の で、 ベ ー ト ーヴ ェン しれ な い。 脈 拍 や脚 の長 さ は 人 に よ って違 長 さ の人が 普 通 に歩 く 速 さが 標 準 な の かも ﹁歩 き なが ら ﹂ の意味 だ から、 普 通 の脚 の 中 でき い た 母 の動 脈 音 が 原 型 だ と いう から 速 度 記 号 は平 均 的 心拍 数 毎 分 八十が 標 準 だ 4 . と いう 説 が あ る。 し か し ア ンダ ンテと は ・ 意 味 であ る。 音 楽 の リズ ムは胎 児 が 子 宮 の バトーゾ睦 ﹁ ゆ つくりと、荘重に﹂という 楽 譜 の頭 に書 いてあ る イ タ リ ー語 の指 定 に は速 度 指 定 と 表 情 指 定 と が あ る。 た と え ば ア レグ ロ ・コン ・ブ リ オは ﹁速 く、 元 気 よく ﹂ と いう 意 味 だ し、 ア ンダ ンテ ・マ エ 器 楽 でも 、 ま た 器 楽 な ら ど ん な楽 器 でも、 共 通 な 符 号 系 列 と い う強 みが あ る。 だ から た と えば 同 じ 譜 を みなが ら さ まざ ま な 楽 器 が 同 じ 音 で演 奏 す る こと も でき る し、 多 声 音 楽 の時 は 五線 譜 を 何 段 か重 ね て 一人 の指 揮 者 が 合 奏 や 合 唱 を 指 揮 す る こと も でき る 現 代 の大 編 成 の オ ー ケ スト ラ で は 二十 段 三 十 段 と いう 五線 譜 が 同時 進 行 す る こと にな る。 と こ ろが 、 ギ タ ーや ソ ュー トな ど で は は でき な い。 そ れ が 冒 頭 に述 べ た ラ チ チ ュ 一時 ﹁強 く ﹂ ﹁弱 ード と いう こと であ る。 、 く ﹂ な ど の記 号 は 無 意 味 だ と い って 者 の 強 さ を 一から 十 ま で の数 字 で表 現 し ょう と 音 そ のも のを 符 号 化 す る よ り も 演奏 法 を 符 号 化 し た 方 が 便 利 な こと が あ る。 五線 の上 に張 り ついた オ タ マジ ャク ンを 見 て、 第 何 試 み た り、 デ ッ ベ ルで表 現 し ょ う と し た 屁 い抽 象 的 な 図 形 を 描 い て、 そ れ を 見 なが ら ヽ 心 に浮 んだ イ メージを 勝 手 に音 に し ろ、 と 者 の即 興 性 を 重 要 視 す るあ ま リ オ タ マジ ャ ク ンを 全 廃 し て し ま って、 何 や ら 意 味 のな 最 近 の前 衛 音 楽 の作 曲 家 の中 に は、 演 奏 る わけ に は ゆ かな いよう であ る。 ア ナ ログ 符 号 と し よ う と す る試 み ︵ク ラヴ ァー ル スク リ ボ︶ も あ るが 、 かえ って繁 雑 で、 使 いな れ た 五線 譜 の人 気 は容 易 に忘 れ つま り 音 を 一旦地 理 的 な も の に置 き 換 え て 理 屈 好 き な作 曲 家 も い たが 、 そ の結 果 は無 惨 なも の であ った。 ま た 最 近 で は ピ ア ノの 、 鍵 盤 上 の位 置 を そ のま ま ア ナ ログ化 し て 弦 の第 何 指 と 条 件 反 射 的 に頭 の中 で翻 訳 す る よ り も、 弦 と 指 と を 直 接 画 像 化 し た 方 が 但 し調 弦 が 誤 って い 弾 き 易 い のであ る。 ︵ んだ り す る と 全 く た り、 演 奏 中 に弦 が ゆ る ︲ 別 の音 に な って し ま う 。 ︶ いわば ハー モ ニ カ の数 字 譜 ︵これ は ジ ャ ン ・ジ ャ ック ・ル ソ ー の発 明 と いわれ る ︶ や客 山 の譜 の よ う な も の で、 これ を ケブ ラ チ ュアと 呼 ん で、 ルネ ッサ ン ス期 の リ ュー ト音 楽 で は かな り 愛 用 さ れ た。 五線 譜 そ のも の はバ ロ ック の中 期 頃 に は ハイ ド ン、 モ ツ ぼ 発 達 の極 限 ま で来 たが 、 ア ル ト の頃 に な ると 強 弱、 表 情 など の記 号 ロ 化 が さ ら に発 達 し、 多 様 化 し て い って、 ん ど 演 奏 不能 と いう 曲 も あ る。 現 在 の メト ら 一緒 に音 楽 を 始 めま せ ん か。 て無 謀 な の であ る。 だ から 皆 さ ん、 明 日 か に セパ レイ トさ れ た コー スは新 鮮 で期 待 し に は 全で こた え る。 し かし、 白 樺 、 落 葉 松 全道 ドクタ ーズ ゴ ルフ大会 か った。 夜 は先 輩 後 輩 を 交 え た 歓 迎 会 の第 け 出 発 。 コンペ特 有 のあ わ た だ し い療 囲 気 翌 十 五 日 六時 、 本 番 の大 雪 山 コー ス ヘ向 2 ラ ウ ンドが 夜 半 ま で続 き 、 五時 間 の睡 眠 を ど う に か確 保 す る。 樹 ア組 。 原 田会 長、 竹 内、 鴨 井 、 中 野、 車 田 成 の諸 先 生。 西 コー スは青 年 組 で昭 和 七 年 以 藤 の中 で受 付 登 録 を済 ま せ、 食 堂 で朝 食 を と る。 な つかし い顔 が あ ち こ ち に見 え、 挨 拶 昨 年 は釧 路 で開 催 さ れ た大 会 に出 場 し、 、 0 2年 が り に釧 路 の地 を 踏 み 減 多 にプ レイ 出 来 な い儒 居 ︵ 東 ︶ 、 幌 呂 ︵西 ︶ コー スで 降 の若 者 、 斉 藤 、 菊 入、 木 下 の市 立 病 院 の 斉 に出場し て 望 さ れ る残 雪 の大 雪 連 峰 は 雄 大 で素 晴 ら し て いた 以 上 に美 し く 、 ク ラブ ハウ スから 眺 ロノ ー ムは 水 晶 時 計 の原 理 を使 って い る か ら 限 り な く 正 確 に近 い。 表 情 記 号 の方 は機 械 にま か せ る わけ に は ゆ かな い の で、 今 でも 昔 のま ま のイ タ リ ー 語 が 使 わ れ る。 し か し ツ ュー マンは断 固 と し て ド イ ツ語 し か使 わ な か った し、 日本 で は 日本 語 し か使 わ な い人 も い る。 ド イ ツ話 ロシ ヤ語 や ハン 英 語、 日本 語 はと も かく、 ガ リ ー語 な ど で書 かれ ると わ れ わ れ は困 っ て し ま う 。 な ぜ イ メ リ ー語 な の かと いう と ゴ ル フを 楽 し み ま し た。 ま た、 同 門 の先 輩 の声 も 一段 と 親 し み を 増 し て い る 。 ン ス期 だ った から で、 音 楽 的 に は イ タ リ ー 語 が 国 際 語 な の であ る。 最 近 は コンピ ュー 後 輩 と 久 し が り に楽 し く 歓 談 し、 余 り出 場 五 十 台 ト リ オ。 五線 譜 の発 祥 の時 期 が イ タ リ ヤ ・ルネ ッサ タ で音 楽 を 作 る のが 流 行 し は じ め て いる か し た 事 のな い大 会 の良 さ を 経 験 し ま し た。 国 語 を し ゃべ ると 同 じく 、 か の サ ッチ モの 文 字 で、 文 字 が 読 め な い子 供 でも 達 者 に母 逆 であ る。 音 楽 を 言語 に たと え れ ば 楽 譜 は が わ から な い﹂ と いう 人 が いるが 、 これ は ︹蛇 足︺ よく ﹁楽 譜 が 読 め な い から 音 楽 る。 さ しず め リ ト ル札 幌 の観 が あ った。 翌 朝 は前 夜 の雨 も あ が り、 旭 川 国 際 愛 別 し ぶ り の旭 川 市 街 の発 展 と 変 貌 に 日 を 見 張 そ の足 で夜 の街 へ出 て歓 迎 会 を 受 け る 。 久 に来 て いた。 ホ テ ル の チ ェ ックイ ンを し て た。 駅 に は 雨 の中 を 後 輩 のT 君 ら が 出 迎 ヘ 一日早 く 七 月 十 三 日夜 遅 く 旭 川 に 入 り ま し 今 年 は 比較 的 近 い旭 川 であ り、 旭 川 国 際 愛 , 別 コー スのプ レイ も 楽 し み に し て いた の で あ る。 コー スは打 ち 上 げ 、 打 ち 下 ろ し、 砲 分 を 良 く し た のも 束 の間、 気 温 が 上 昇 し湿 赤 い顔 で のド ライ ヾ ハーは 見 事 に チ ョ P。 旭 川 勢 に励 ま さ れ、 ど う に か パ ーで上 る。 気 ー スに比較 し て樹 木 の少 な さ が 日 に つく 。 ー三名 は旭 医 ︶ 。 一望 す ると 昨 日 の愛 別 コ 初 め て の大 雪 山 カ ント リ ー ク ラブ、 西 コ 一番 テ ィグ ラ ンド に 立 つ ︵。 ー ス3 ハー ト ナ 室 蘭 から の出 場者 は東 コー ス壮 年 、 ン ニ ら、 イ タ リ ー語 に代 って コボ ルだ の ベ ー シ よ う に、 オ タ マジ ャ ク ン の読 めな い大 音 楽 台 グ リ ー ン、 だ ら だ ら し た 上 り 坂 が 多 く 、 ックだ のが 国 際 音 楽 用 語 と し て幅 を き か せ る時 が 来 る のだ ろう か。 ベ ー ト ーブ ェンが 家 さ え いる。 楽 譜 を 知 ら な け れ ば 音 楽 が わ コー スで第 1 ラ ウ ンド開 始 す 。 快 晴 であ る 木 陰 が 少 な い。 初 め は和 気 あ いあ いだ った き いたら 何 と いう だ ろう か。 から な いと 思 う のは、 文 字 を先 に覚 え て か が 蒸 し 暑 く 、 室 蘭 の ガ ス冷 え に慣 れ た身 体 度 も 高 く、 今 年 初 め て経 験 す る蒸 し 暑 さ で ら 言葉 を 習 おう と いう のと 同 じ く、 かえ っ ―- 35 -― が 次 第 に 口数 も 少 な く な り、 砂 漠 な ら ぬ コ ー スを 唯 、 水 を 求 め て歩 く 状 態 であ る。 多 分、 感覚温度 と し ては0 3 ℃ はぁ る のだ ろ う 顔 を 上げ ると 眩 量 が す る の で景 色 は眺 めず 硬 い フ ェア ウ ェイ を 歩 き なが ら 白 鳥 コー ス の軟 ら かな フ ェア ウ エイ を 思 い出 す 。 上 半 身 から ベ ル トま で汗 でぐ し ょぐ し ょと な り あ え ぎ なが ら も 何 と か完 走 す る。 そ ん な 訳 で コー ス の長 所 よ り短 所 ば か り で し た︶ 。 多 く の先 生 方 の 一致 し た意 見 う と 思 った ︵ たが 生 ジ ョ ッキ ーな ら ど ん な に美 味 し か る 方 が よ り 的 確 かも し れ な いと いう こと です 短 い パ ット は 当 然 入 り や す い の です から ﹁ な ぜ ミ スを す る こと が あ る の か﹂ と 言 った ョー ト 。 ハ ットと は 何 m以 内 かと いう 点 と、 こ の標 題 に は 補 足が 必 要 の よう です 。 ッ 一番 多 忙 であ る原 田 会 長 が 毎 年 の よう に トと いう プ ロの感 覚 に は と ても つい て いけ こと ﹂ と ぁ り ま し た。 5 mを シ ョート パ ッ で お り ま す と 最 後 の項 目 で ↓ 5 m以 下 の シ ョート パ ット は真 っす ぐ 狙 って強 日 に打 つ ョー ト パ ットが パ ッテ ィ ング のす べ てと い っても 過 言 で な いと 思 われ ま す 。 4 m或 は の状 況 は 次 の様 な も の で し た。 最 終 組 で青 て し かも 微 妙 に左 右 に切 れ る最 大 級 に難 し い状 態 であ った ょう です 。 こ の時 の ゲ ー ム う な 平 坦 で大 き な こ のグ リ ー ンは実 は速 く の逆 転 優 勝 と し て大 変 な話 題 を 提 供 し てく 6 . 3 れ た わけ です が 、 私 が 面 白 いと 思 った の は 一 、 8番 グ 彼 の フ ァイ ン シ ョ ット で は な く て 1 リ ー ンの こと な のです 。 何 の変 哲 も な さ そ 0 2 ヤ ード の ラ フから P ・ウ エ ー ル第 3打 を 1 ッジ で見 事 カ ップ イ ンし て イ ーグ ル、 奇 蹟 ワイ オ ープ ンの こと です 。 青 木 功 が 最 終 ホ ことが あ り ま し た。 そ れ は 一九 八 三年 の ハ 前 回 ワ ー ルド レデ ィー スで の こと を 述 べ ま し たが も う 一つ非 常 に興味 深 く 心 に残 った トを 狙 う 必 要 は な い とも いえ ま す 。 プ ロにも シ ョー ト パ ット ミ スはあ り ま す 5 m以 上 の距 離 から の 1 パ ット は 1 ラ ウ ン 道 ︵W 皿︶ ゴルフ談議 正 ド で平 均 一本 あ る かど う かと いう のが 現 実 です から 逆 に こ の距 離 から は無 理 に 1 パ ッ 安 私 の パ ツティング 遍 歴 久 大 雪 山 コー スで の大 会 は暑 さ にバ テ、 悪 あ る プ ロの書 いた パ ッテ ィ ング の本 を読 ん ω シ ョ ー ト パ ット ー な ぜ 入 ら な い か 戦 苦 闘 の連 続 で し たが 、 ゴ ル フ以 外 の喜 び 目 に つく結 果 と な り ま し た。 困 み に ス コア o 、 ッ 6 5、 7、 2 は4 4 9 ネ ト7 で し た ホ ー ル ア ウ トし て飲 んだ カ ンピ ー ル の味 は格 別 で し と 参 加 し て意 義 のあ る大 会 であ る事 は諸 先 出 席 さ れ て い る由 、 室 蘭 ド ク タ ーズ の諸 先 な い の で私 な り に こ の距 離 を 設 定 し ま す と 生 の胸 に抱 かれ て い るも のと 思 いま す 。 生 も 今 後 は機 会 を 作 り 出 席 し よ う で はあ り 木 と ベ ソ ・ク レ ン シ ョーは激 し く 首 位 を 争 って いま し たが 7 1番 終 了 の時 点 で ベ ンは 一 8 、 歩後 退 の マイ ナ ス7 ー 青 木 は マイ ナ スー で 8 でジ ト ップ、 一組 前 に は 同 じく マイ ナ スー 8香 剛 ヤ ード ャ ック ・レナ ーが いま し た。 1 比較 的 入 る 可能 性 が あ ると 思 わ れ る 2 m、 拡 大 解 釈 し て 3 m以 内 を シ ョー ト パ ットと す る のが 妥 当 と 考 え て いま す 。 の ロング ホ ー ルで レナ ーは 2 オ ン、 ピ ン横 2 m弱 に寄 って いま し た。 同 じ 組 の シ ンプ ま せ ん か。 感 想 と 希 望 を書 き 拙 文 を終 り ま す 。 最 後 にな り ま し たが 一致 団 結 し て大 会 運 営 を 行 った 旭 川 医 師 会 の諸 先 生 に心 から 御 礼 申 上げ ま す 。 一般 ゴ ル フ ァーにと って は、 こ の シ ョー ト パ ット は特 に重 要 であ る と いう よ り、 ン 5・mの パ ー パ ットを 残 ソ ンは ︲ 青 木 は第 1打 を 右 の浅 い ラ フ って 了 い ま 打 を レナー 入れ ま した て いま し た の方 に動 く 、 共 に スイ ー ト スポ ット を 外 し て思 った 距 離 が 出 な い。 す ると 視 線 が パ タ ー ヘ ッドと 共 に右 め に視 線 と 共 に頭 が カ ップ の方 向 に 動 く、 逆 にゆ っく リ バ ック スイ ング ② いわ ゆ る ヘ ッド ア ップ、 打 ち急 ぐ た ① オ ーバ ーす る のが 恐 いと いう 港 在 意 識 的 な も のが あ って強 く 打 て な い。 持 つこと が シ ョー ト パ ット 征 服 の ポ イ ント であ ると 思 います 。 け ら れ る距 離 の感 覚 と、 意 識 し て真 っす ぐ 打 て る技 術 を練 習 に よ り 掴 みと って自 信 を 結 局、 入 って 当 然、 入 れ な け れば な ら な い が 、 2 オ ン の可能 性 が あ る第 1 の中 に打 ③ ライ ンを読 む こと に集 中 し て打 つタ パ ット の感 じが お かしく な ると 誰 か上 手 そ う な 人 に教 え を 乞 う こと にな り ま す 。 答 7 . え る方 も 仲 々大 変 で、 そ の人 の欠 点 を 指 摘 一 覚 のギ ャ ップ を如 何 に修 正 す る か ① プ ロの書 いた指 導 書 ︱ プ ロと の感 ヘ ッド ア ップ を 誘 う 大 き な 原 因 と な る わ け です から 、 l m或 は 2 mを し っかり打 ち分 と いう 心 理 作 用 が タイ ミ ング を 狂 わ せ た り の組 が グ リ ー ン上 に いる の に レ ナ ーも ち込 ん だ わけ です 。 さ てグ リ ン 上 で は レ ナ ーよ り先 に ジ ェー コブ ソ ン、 次 に シ X フ し た。 結 果 は左 ラ フのギ ャラ なが ら 入 ら ッ 、 ェ ソ ンは l mのミ ノ︲デ ィ パ ト ジ I R フ ソ ンが 打 ち ま し たが 2人 共 失 イ ミ ング を 崩 し て し ま う 。 イ ーグ ルパ ットが カ ップを祗 或 は気 が つかな い。 ④ カ ップ の周 縁 の芝 の盛 り 上 り を 失 念 叉、 オ ーバ ーす る のは、 ず し かし マイ ナ スリと な って後 続 の青 木 の シ ョ ット待 ちと いう 状 態 で し た。 勿 論 結 果 ① 距 離 の感 覚 を把 握 し て いな い。 論 です が 、 パ ット の名 手 と いわ れ て いる青 木 が 、 2 オ ンせず 、 こ の難 か し いグ リ ー ッ ②前 のく ′ ットが 短 かす ぎ た と き に は 打 ち 過 ぎ に な り や す い。 いう 事 に な り ます 。 ど う し ても 納 得 の いく し て アド バ イ スら し い こと は 一応 伝 え ら れ 暴づ け は 一口で ると し て納 得 の いく 理 論 的 一 説 明が ほ し い の でプ ロの指 導 書 を読 み ま す ② 方 向が 狂 う 原 因 は で パ ットを し な か った こと が 優 勝 の原 因 と も 思 わ れ て強 く 印 象 に残 って いる わけ です ① フ ック或 は スライ スライ ンを 読 み 過 ぎ る 場合 が 多 い。 青 木 功 、 杉 原 、 杉 本 、 矢 部 、 小 松 原、 村 上 当 時 何 種 類 か のゴ ル フ雑 誌 を 見 ま し たが こ ん で し た。 兎 も 角 、 グ リ ー ンに よ って は 世 ② 弱 目 に打 つた め に芝 の影 響 を う け や は説 明 出 来 な いし結 局 フ ソポ イ ント回 答 と 界 の ト ップ プ ロも こ の距 離 を ミ スす る こと んな そ の道 の大 家 です 説 得 力 も あ り 一読 し ニク ラ ウ ス、 大 古 清 、 更 に ボブ ・ト スキ、 フト ソ ン、 ヒ ューバ ートグ リ ー ン等 々、 み つも りが 外 れ る の は要 す る に打 ち 方 が 悪 い、 基 本 から し つかり練 習が 必 て分 か った様 な 気 にさ せら れ る こと も あ り のグ リ ー ンの こと を書 いた記 事 はあ り ま せ が あ る わ け です 。 す い。 ③ 直 っす ぐ な ライ ンを 真 っす ぐ 打 った プ ロの パ ット は さ て お き ま し て ア ベ レ ー 5 ジ ゴ ル フ ァーが ン ョー ト パ ット特 に︲・m以 内 の ミ ス の原 因 を 分 析 す ると 大 体 次 の様 な ま す 。 併 し ど う し ても 理 解 出 来 な い こと も 要 と いう こと にな り ま す 。 以 上 です が 、 これ ら の こと は 何 も シ ョー こと にな り ま す 。 ① 距 離 の面 から 見 ま す と シ ョー トす る事 幾 つかあ り ま す 。 そ れ は プ ロと 一般 ゴ ル フ ァーと の技 術 の差 が 実 は 比較 にな ら な いく が 多 い の です が 短 い距離 を 何 故 シ ョー トす ト パ ット に限 った こと で は な く、 す べ て の く ット ミ ス の原 因 と 共 通 の点 が 大 部 分 です ノ る の かそ の原 因 。 ら い大 き い こと が 原 因 で、 そ れ に附 随 し て 準 の 3 mを 正 確 に打 て な け れ ば 強 日 も 弱 日 mの逆 日、 や や 強 日 に打 てと いわれ ても 基 も のを開 講 し て います が 、 ア マのた め の練 と 一歩 前 進 と いう わ け です 。 感 覚 の段 差 も 非 常 に大 き いと いう こと です も な いと いう わ け です 。 ー スの向 き が 狂 って いる。 ② 狙 い方 の間 違 い︱ アド レ スで既 に フ エ ω 読 み方 の誤 り。 求 さ れ ま す 。 で は方 向 が 狂 う 原 因 は 何 か、 次 の点 が 考 え ら れ ま す 。 シ ョー ト パ ット で は特 に 正確 な 方 向 が 要 ア マのA氏 は ﹁パ ッテ ィ ング教 室 ﹂ な る プ ロにと って説 明 を 要 し な い様 な 当 然 の こ 習 の課 程 を 設 定 し て います の で、 そ の テ キ スト の 一部 を 紹 介 し ま す 。 パ ッテ ィ ング の冷 酷 な 仕 打 を 幾 度 か受 け 示針 閃 パ ット の方 程式 ︱ 練 習 の 一つの と が ア マに は 重 要 な ポ イ ン ト であ る こと も あ り得 る わけ です 。 ッ 小 針 春 芳 プ ロは ﹁猛 烈 に入 り 出 す パ ト 。 の極 意 ﹂ と 題 し て 次 の様 に述 べ て いま す ﹁距 離 を 決 め る の は ″出 ″ す な わ ち初 速 で あ る。 5 mの パ ット でも 実 際 は スパ ットま る と パ タ ー恐 怖 症 にな って パ ット の無 いゴ 一部 ル フを し た いな ど と 思 った り し ま す 。 の人 は真 剣 に パ ット の練 習 を し よう と 決 心 0 イ ンパ ク ト で の フ エー スのブ レ。 うが 、 少 なく と も スパ ットま で の初 速 で距 よく 入 った り し ま す 。 面 白 く も 何 と も な い り ま す 。 実 戦 で は仲 々入 ら な い距 離 も 割 合 と り か かり ま す 。 さ て練 習 グ リ ー ンで カ ツ プ を 狙 って打 って み る と 思 った ょ り ょ く 入 イ ン叉 は イ ンサイ ド ア ウ ト に振 った 場 ④ スイ ング の方 向 の誤 り ︱ ア ウ ト サ イ ド ② スイ ー ト スポ ットを 外 し た た め に打 った 衝 撃 で フ エー スの向 き が 狂 う 。 ① 打 ち方 の誤 り。 離 を 測 れ る よう にな れば 大 き な 狂 いも 出 な 練 習 の ポ イ ント、方 法 等 を 確 立 し わ け です 。 し そ のう ち の更 に 一部 の人 が 実 際 に練 習 に く な る。 ⋮ ⋮ ﹂ と あ り ま す 。 初 速 が 距 離 を 合。 。 で の距 離 の コ ロガ リ し か計 算 し て いな い 0 卿先 の スパ ットま で に ボ ー ルを 何 例 えば 3 、 回 転 さ せ る か で距 離 を 決 め る のであ る 一 決 め ると いう のは分 か る様 な 気 も し ま す が て お かな い から 単 な る時 間 つぶ し の球 転 が 般 ア マチ ュアは そ こま で計 算 出 来 な いだ ろ スパ ットま で のボ ー ル の回 転 数 を ど の様 に し にな り かね な いわ け です 。 大 部 分 の人 が の場合 ボ ー ルのブ レはが であ ると いう こと スイ ングが ♂ の カ ット打 ち る わけ です が 、 スが ♂ ブ レて ヒ ットす ると ボ ー ルも ♂ブ レ ブ レのχ と いわれ ま す 。 即 ち 仮 り に フ エー ット打 ち に よ る ボ ー ルのブ レは フ エー スの り 問 題 は な いと さ れ て います 。 正確 に は カ ー ト パ ット で は 極 端 な カ ット打 ち でな い限 防 ぐ こと は 可能 であ る し、 叉 ① は特 に シ ョ こ のう ちω 。② は慎 重 にす る こと に よ り 数 え る か理 解 出 来 そ う にあ り ま せ ん。 プ ロ こ の時 点 で断 念 し、 ご く 一部 の人 が 自 分 自 を す る から に は 何 かを 掴 む ま で や る べき で そ の何 かが 正 し いも の であ れ ば そ れ で や っ 途 半 端 な練 習 は 何 も し な い のと 同 じ か、 逆 に かえ って お かし く な った り し ま す 。 練 習 暗 中 模 索 の状 態 が 続 く こと に な り ま す 。 中 筈 が あ り ま せ ん、 何 と か能 率 的 な練 習 を と が 、 プ ロで は な い の で充 分 な 時 間 が あ ろう 身 の課 題 を 考 え て練 習 路 線 を 進 む わ け です が 練 習 に線 習 を 重 ね 長 い時 間 の中 で得 た微 妙 な タ ッチ、 距 離 に対 応 す る力 加 減 な ど を 不特 定 な ア マに理 解 さ せ ょう と いう のも 実 は 仲 々困 難 な仕 事 のよ う です 。 要 す る にプ ロの指 導 書 に示 さ れ て いる沢 山 の ハイ レベ ルな 項 目 を 自 分 な り に整 理 し て練 習 方 針 を 決 め な け れば な ら な い様 です 何 し ろ狙 え と いわ れ ても 狙 った と こ ろ に真 っす ぐ 行 かな い のが ア マの悩 み であ り、 3 -38- です 。 0 銅、 ス タ ン 問 題 は0 ,① です 。 僅 か数 1 スの幅 ぐ ら い の スイ ング の間 に フ エー ス の 向 き が 狂 って 了 う わ け です 。 こ の フ エー ス のブ レを チ ェックす る のが 左 のグ リ ップ 正 確 に は左 の手 関 節 です 。 ア マの パ ッテ ィ ン グ で は多 少 と も 手 首 を使 って打 つ人 が 多 い の です が 、 イ ンパ クト で工 しく 左 手 関 節 を アド レ ス の状 態 L 展す ことが 出 来 れば フ ニ 。 ー ス のブ レは無 いと い多 わ け です ペ ンデ ュラ ムでも 同様 です が こ の場合 は手 関 節 と 同時 に両 肩 の振 りが ライ ンと 平 行 であ る こ と が ポ イ ント です から 多 少 む つかし い面 も あ る様 です 。 方 向 = フ エー スの向 き = 左 手 、 関 節、 こ の図 式 を常 に念 頭 に お いて 左 手 関 節 に意 識 を集 中 し て ボ ー ルを 打 つこと が 特 に ン ョート パ ット の練 習 の最 重 要 眼 日 で あ る。 と いう のが A氏 の解 説 です 。 こ の様 な 至 極 当 然、 パ ッテ ィ ング のイ ロ ハの様 な 事 柄 グ ル プ 紹 介 ︱ 室 蘭 市 医師 会 ゴ ルフクラブ の歩 み 白 鳥、 洞 爺 湖、 千 才 空 港 、 大 沼、 樽 前 と 転 戦 し て いま す 。 こ の他 に 六月 二十 日 に は、 小樽 、 函 館 、 室 蘭 の医 師 会 で、 三大 良 港 戦 が 行 わ れ 、 室 蘭 から 十 二名 の参 加 が あ り ま し た。 会 員 数 は 五 十 二名 にな って います 。 昭 和 四 十 七年 三月 、 竹 田 プ ロに よ る ゴ ル フ レ ッス ン教 室 が 持 た れ 、 大 西 先 生 を は じ め 二十 五名 が 受 講 し て いま す 。 こ の年 から 室 蘭 市 医 師 会 に ゴ ル フク ラブ が 設 立 さ れ 日胆 地 区 が ニ チ ー ムに かえ、 西部 地 区 を 代 ロ ック対 抗 全 道 ド ク タ ーズ ゴ ル フ競 技 会 で で苫 小 牧 が 団 体 優 勝 を し て いま す 。 ま た ブ 雄 て十 五年 にな ろう と し て いま す 。 当 時 の状 秀 況 や これ ま で の経 過 が 記 憶 の中 から 次 第 に 選 手 が 参 加 し、 十 九 チ ー ム中 十 七位 で、 他 藤 薄 ら い で来 て いま す の で、 残 さ れ て いる資 料 の中 から、 そ の歴 史 を簡 単 に振 り 返 って み た いと 思 いま す 。 地 区 と の実 力 の差 を 思 い知 ら さ れ ま し た。 遠 室 医 と 苫 医 親 善 対 抗 戦 が は じ ま り、 第 一回 昭 和 四十 五年 三月 二十 日 に、 会 員 数 四 十 七 月 から は、 昭 和 四十 九 年 に室 蘭 で開 催 の 決 ま った北 海 道 ド ク タ ーズ ゴ ル フ大 会 の準 は白 鳥 コー スで室 蘭 、 第 二回 は樽 前 コー ス 五名 で発 足 し、 役 貝 は会 長 平 間 章 先 生、 幹 昭 和 四 十 八年 四 月 室 医 ゴ ル フク ラブ総 会 表 し て、 三好、 木 戸 実 、 小 田切、 西 原 、 木 戸 就 一郎 、 遠 藤 、 小 森 、 和 田 ︵日赤 ︶ の 八 事 長 佐 藤 善 弘 先 生、 幹 事 国 本 、 鈴 木 、 木 戸 備 が 始 ま って いま す 。 さ れ ま し た 。 五月 十 七 日 に第 一回 日 の コン 年 会 費 が 三千 円 から、 五 千 円 に ア ップ し ま 鈴 木 、 木 戸 実 、 種 田、 遠 藤 先 生 が 決 ま り、 平 間 先 生 が 死 去 さ れ 会 長 に佐 藤 先 生が 推 挙 実、 広 瀬 再 三好 先 生 で し たが 、 四 月 十 七 日 ペが 白 鳥 コー スで行 わ れ、 鈴 木 久 雄 先 生が で副 会 長 に本 庄 晋 一先 生 、 幹 事 に は 三好 、 流 さ れ て いる こと が 多 い様 です 。 ア マな ら 優 勝 し て いま す 。 は指 導 書 に は記 載 さ れ て いな い か軽 く 書 き で は の着 眼 点 で我 々に は理解 し やす いも の し た。 七 月 十 五 日北 海 道 ド ク タ ーズ ゴ ル フ 昭 和 四十 九年 六 月 十 六 日 に第 九 回 北 海 道 ね て、 室 蘭 から 二十 九 名 が 参 加 し て いま す 大 会 が 苫 小牧 で開 催 さ れ 、 翌 年 の下 見 を か ゴ ル フビ デ オ レ ッス ソが 行 わ れ 、 技 術 向 上 の意 気 盛 ん であ った こと が し のば れ ま す 。 昭 和 四十 六年 四 月 に は大 沢 プ ロの指 導 で であ ると 思 わ れ ます 。 ﹁距 感 を つかむ ﹂ は 次 回 に いた し ます 。 離 ︵ 続 く︶ コー スも こ の年 は 九 回 の コンペが 行 われ 、 ―- 39 -― 一 一六名 の中 し込 みが ブ ハウ スで行 わ れ、 順 調 に盛 大 に行 わ れ ま し た。 懇 親 会 は ク ラ 備 の甲 斐 が あ り、 二四 九 名 の参 加 を 得 て、 コー ムで行 わ れ 、 会 員 の情 熱 と 精 力 的 な 準 ド ク タ ーズ ゴ ル フ大 会 が 、 室 瓜 の手 で白 鳥 ま で会 費 と メl ヵ l、 問 屋 から の協 賛 金 と ま し た。 、 昭 和 五 十 六年 四月 の総 会 に 消 いて これ ハト ンタ ッチさ れ に よ り 当 ク ラブ 会 長 職 も 、 生 から 原 田 一洋 先 生 に変 ら れ た の で、 規 約 に差 が あ り過 ぎ て団 体 戦 の形 を な さ な い こ ま し た。 そ の理 由 は、 三 チ ー ムの参 加 人 数 で省 略 し ま す 。 昭 和 五十 年 度 のビ ッグ ニ ュー スは、 体 育 全 道 ド ク タ ーズ ゴ ル フ競 技 会が 入月 三十 日 ま し た 。 叉、 白 鳥 、伊 達 、登 別 で行 わ れ てき た コンペも 白 鳥 コー スだ け に しば ら れ、 年 六回 と な り ま し た。 第 十 四 回 ブ ロ ック対 抗 す の で、 記 念 事 業 の 一環 と し ても 会 員 総 力 が あ ると は いえ、 大 事 業 であ り ま す 。 し か し明 年 は当 ク ラブ発 足 十 五 周年 に当 た り ま 要 請 が あ り、 諸 般 の状 勢 から、 引 き 受 け ざ るを 得 な い こと にな り ま し た。 前 回 の経 験 から、 昭 和 六十 年 度 第 十 九 回北 海 道 ド ク タ ーズ ゴ ル フ大 会 を、 室 蘭 で引 き 受 け る よう と にな ると 思 いま す 。 八月 に 入 り道 医 師 会 と であ り ま す 。 今 年 から そ の方 針 で行 う こ あ った の です が 、 実 数 は 八十 一名 で し た。 で ま かな ってき た 事 業 を、 会 費 の み で行 う こと が 決 議 さ れ、 す っき り と し た形 と な り の日 に行 わ る た 三師 会 ゴ ル フ コンペ で、 山 輪 厚 コー スで行 わ れ、 日 胆 室 蘭 チ ー ムは木 表 彰 式 で は当 医 師 会 から も 数 人 の先 生が 入 本 健 三郎 先 生が ホ ー ルイ ン ワ ンの快 挙 を と 戸 実 、 遠 藤 、 久安 、 安 田、 皆 川 和、 森 川、 賞 し て いま す が 、 そ の記 録 が 手 元 に無 い の げ ら れ た こと で し ょう 。 大 分 お高 かく つ い 足 永 、 畠 山 選 手 が 出 場 し、 二十 九 チ ー ム中 た かが ゴ ル フと お考 え の先 生方 も いら つ の準 備 に追 わ れ て いる こと で し ょう 。 を も って成 功 さ せ た いと 念 じ て 渚 り ま す 。 こ の拙 文 が お目 に止 る頃 に は、 大 車 輪 でそ た よう であ り ま す 。 し て遠 藤 が 就 任 し、 事 務 局 も 三好 医 院 から た た め、 当 ク ラブ も 退 会 され 、 そ の後 任 と こら れ た 三好 晃 二先 生が 花 畔 町 に転 出 さ れ 昭 和 二 十 八年 四月 の総 会 で、 こ こ 二年 間 の コンペ の参 加 者 が 平 均 三十 名 と減 ってき と な り ま し た。 ア ップ を 証 明 し ま し た。 会 員 数 は 七 十 六名 し ゃる こと と 思 いま す が 、 当 医 師 会 の親 陸 恵 愛 病 院 に移 り ま し た。 会 員 数 は 七 十 二名 て い る こと から、 入賞 者 を 五名 から 十 名 に と 談 笑 し た り、 緑 の芝 生 を歩 き な が ら の四 六位 の好 成 績 を お さ め、 当 ク ラブ の レベ ル と な り ま し た。 又 四年 間 続 いた室 ・苫 戦 は 摩やす こと、 表 彰 式 で の会 食 を オ ード ブ ル 昭 和 二十 一年 四月 に名 幹 事 長 役 を 勤 め て 開 催 地 に よ って対 戦 人 数 に差 が あ り 過 ぎ る 形 式 から 食 券 で好 み の物 を た べ ても ら う よ 御 入会 を お待 ち し て いま す 。 医 師 会、 薬 剤 師 会 ︶ ゴ ル フ対 抗 戦 を、 三師 設 立 以 来 続 い てき た 三師 会 ︵医 師 会 、 歯 科 ︵昭 和 二十 九 年 八月 記 ︶ 時 間 のド ラ マを 満 喫 し て み ま せ ん か。 し た り、 普 段 顔 を 合 わ せ る こと の少 い先 生 相 の中 で、 心を痛 め て い るば かりが 能 で は あ り ま す ま い。 夢 中 に な って ボ ー ルと 格 闘 団 体 であ り ま す 。 最 近 の暗 い医 師 受 難 の世 団 体 と し て は、 最 も 活 発 に活 動 を し て いる た め中 止 す る こと と な り ま し た。 う に変 更 す る こと が 決 定 さ れ ま し た。 昭 和 五 十 九 年 四月 の総 会 で は、 当 ク ラブ ド ク タ ーズ ゴ ル フ大 会 が 旭 川 で開 かれ る 予 定 が 、 七月 十 日参 議 院 議 員 選 挙 日と 重 な っ 会 親 陸 ゴ ル フ大 会 に変 更 し、 団 体 戦 を 取 り 昭 和 五 十 二年 度 の ハプ ニング は、 北 海 道 て中 止 と な った こと で、 非 常 に めず ら し い 止 め て、 個 人 戦 のみと す る こと が 議 論 さ れ 記 録 であ り ます 。 昭 和 二十 四 年 四月 に医 師 会 長 が 、 佐 藤 先 ―- 40 -― 9 5 ・ 6 B 4 2 ぞ ぐ ヽ 3 2 ´― ´/ゥ ぶ ′導 ″/ャ 倉 夕 ∼ ∼ ,″ ′ ‐″ ″ 斉 藤 ロ ユー ホ ー サ ル ー ン カ ー 修 弥 様 子 で、 中 に入 ると 応 接 間 風 の サ ル ー ン、 シ ャ ンデ リ ヤな ど と ても ゃ ハスと は 思 え な い 設 備 に 二度 驚 き、 思 い思 い の座 席 を 選 ん で 楽 し ま れ て いま し た。 バ スが 走 って いく と 道 行 く 人 は 立 ち 止 ま り、 信 号 待 ち し て る と 他 の観 光 バ スの人 が 物 珍 ら し そ う に窓 を 開 け て こち ら に見 入 って いま し た。 白 老 から 、 高 速 道 路 に 入 って約 0 3分 苫 小 牧 西 イ ンタ ー附 近 で 小 休 止 と な り ま し た。 自 家 用 車 で で初 め て見 る整 備 さ れ た 花 壇 や、 く っき り と そ び え る樽 前 山 に見 入 って いま し た。 身 は殆 ん ど の先 生が たが 通 過 し て いる 処 な の が 再 び 走 り 出 す と 、 車 内 は い よ いよ本 格 的 、 ”年 度 親 3 日︵土 ︶ 晴 天 に恵 ま れ た 6月 2 交 会 旅 行 は午 後 1時 市 役 所 前 を 予 定 通 リ ス 5名 で は タ ー トし ま し た。 今 回 の参 加 者 は 3 ば 例年 通 り の人 数 です が 、 ゴ ル フパ ックを な いよ う に感 じら れ ま し た。 し か し なが ら 宴 会 の雰 囲 気 と な ってき ま し た。 省 いた た め か比較 的 若 い先 生 方 の参 加 が 少 母 恋 。輪 西 ・グ リ ー ン ホテ ル前 な ど 乗 車 予 定 地 に は各 先 生 方 が 時 間 前 よ り 待 って おら ミ ノスは最 初 の目 的 地 野 幌 森 林 公 園 に到 着 し 3年 5月 に道 立自 ま し た。 こ の公 園 は 昭 和 4 然 公 園 と し て指 定 さ れ たも の です が 、 開 拓 約 2時 間 の高 速 道 路 の旅 を 楽 し んだ 後 、 □ 野 幌 森 林 公 園 心 と も に ス ッキ リと し た諸 先 生 を 乗 せ て車 れ こ の旅 行 に かけ る意 気 ご みが 盛 ん であ る と いう 印 象 を 受 け ま し た 。 最 終 乗 車 予定 地 幌 別 駅 前 で全 員 が 合 流 し た後 、 大 岩 部 長 か ら 今 回 の旅 行 全 般 に ついて説 明 が 行 な われ ま し た。 次 い で添 乗 員 ・運 転 手 ・ミ ノスガ ィ ド ・旅 行 幹 事 など の紹 介 が す む や 否 や、 先 生方 の強 い要 望 に よ って ビ ー ル、 水 割 り な 為 、 森 林 公園 に は 入れ ず 百 年 記 念 塔 だ け 見 先 生 方 から 見 学 の要 望 が 強 か ったも の の 一 つです 。 当 日 は 生憎 到 着 時 刻 が 少 し 遅 れ た 記 念 舘 や 百年 記 念 塔 な ど が 有 名 で何 人 か の し か無 いと いう ﹁ユー ホ ー サ ル ー ンカ ー﹂ ど の車 内 サ ービ スが 早 くも 始 ま り ま し た。 今 回 の旅 行 の目 玉行 事 の 一つは デ ラ ック を よ う やく 一年 が か り で チ ャ ー タ ーし、 こ 学 す る こと にな り ま し た。 長 時 間 の車 の旅 から 降 り て 心 地 よ い風 が 吹 く な か、 緑 鮮 や ハスに 二台 スバ スを 利 用 し た 事 です 。 道 南 ヾ の 日 に備 え ま し た。 三階 建 バ スかと 思 われ る位 の大 き さ に先 生 方 は まず び っく り し た -41- ● P 鰍旅 行 記 刈 ヽ , く かな 森 の散 策 は ま こと に気 持 ち のよ いも の で、 記 念 写 真 を 撮 った後 、 先 生 方 の中 から 小 樽 博 見 学 を 中 止 し て、 明 日も こ こ に来 よ う と いう 冗談 が 出 る位 素 晴 し い公 園 で し た 記 念 塔 は見 上 げ ると 高 さ が 百 米 も あ る鋼 板 張 り の立派 な作 品 で、 先 人 への感 謝 と 将 来 に向 って た く ま し く仲 び ょう と す る意 志 を 表 わす と いう こと で し た。 □ 札 幌 ビ ー ル 園 ︱ ホ テ ルー ミ カ ド 名 残 り は 尽 き ま せ ん で し たが 再 び ミ ′スに ビ 乗 り 込 み約 0 3分 で第 2 の目 的 地 札 幌 ー ル ハスが ひ っ 園 に到 着 し ま し た。 こ こ は大 型 ヾ き り な し に発 着 し ま る で都 心部 を 思 わ せ る 、 程 の人 混 み でび っく り し ま し たが 用 意 さ れ て いた別 舘 で 原 田会 長 の音 頭 に よ リ ビ ー ルパ ー テ ィが 賑 や か に始 ま った のは午 後 5 時 半 ご ろ であ った と 思 いま す 。 天 気 が 良 く バ スの パ ー テ ィの盛 よ り を そ のま ま持 ち 込 ん だ 結 果、 ビ ー ル の ジ ョツキ ーや 成 吉 思 汗 鍋 の材 料 が 次 々と 空 にな り諸 先 生 の旺 盛 な かび っく りす る程 で し た。 楽 し 食 欲 に は 些一 ィ いビ ー ルく ′︱ テ を 約 一時 間 半 で打 ち 上げ 午 後 七 時 に宿 舎 の ホ テ ル ニ ュー オ オ タ ニに 到 着 し ま し た。 部 屋 割 り のあ と 原 則 と し て 明 朝 ま で自 由 行 動 と いう こと にな って いま し たが 、 夜 のす す き の に馴 染 み のう す い先 生 方 の要 望 も あ った た め、 急 拠 幹 事 が 二次 0 会 を ﹁ミ カド ﹂ に セ ットし た結 果 約 2名 の 先 生 方 が 参 加 さ れ ま し た 。 く り 出 し た時 間 が 良 か った の か サ ービ ス料 金 の割 に は美 人 が 多 数 席 に来 て、 酒 落 た ステ ージと あ いま って都 会 の雰 囲 気 を 充 分 に楽 し ま せ てく れ ま し た。 これ 以後 の動 向 に つい て は個 人 の プ ライ バ ッ ー に関 係 し ま す の で割 愛 いた し ます 。 □ 小 樽 博 覧 会 ︱ 北 一ガ ラ ス 翌 朝 は午 前 9時 に ホ テ ルを 出 発 し ま し た こ の 日も 素 晴 し い青 空 に恵 ま れ、 車 内 は昨 夜 の経 験 談 も 加 わ って昨 日 よ り 一層 賑 や か に 一路 小 樽 博 へと 向 か いま し た。 す す き の の夜 風 に吹 かれ ると 早 朝 の起 床 が 難 か し く 脱 落 す る先 生 が 多 い の で は な い かと 幹 事 は 予 測 し て いた の です が 、 こ の予 想 は見 事 に 外 れ 止 む を 得 な い事 情 の先 生 以 外 7 2名 全 員 が 乗 車 し て いま し た。 小 樽 博 見 学 は 予 定 通 0時 から 始 ま り ま し た。 時 間 が 比 較 的 早 り1 か った せ い か会 場 の人 混 み は まず まず で雄 大 な テ ー マ舘 に は じ ま り お た る コネ ク シ ョ ン ・ポ ー トバ ザ ー ル ・エレク ト ロ ニク ス ヮ ー ルド な ど 如 何 にも 海 を テ ー マと し た 小樽 ら し い祭 典 に諸 先 生 方 も す っか り満 足 さ れ た様 子 で、 予 定 さ れ た 一時 間 半 が あ っと い う 間 に過 ぎ て し ま いま し た。 H時 半 から は 最 終 見 学 コー スの北 一ガ ラ スに 立 ち寄 り ま し た。 こ こは伝 統 あ る ガ ラ スエ芸 店 です が 制 作 のデ モ ン スト レー シ ョンが 呼 び 物 と な って おり、 多 数 の観 光 客 が 詰 め かけ て いま し た。 薄 暗 い採 光 の中 でゆ った り と し た雰 囲 気 で並 び 立 って いる ガ ラ ス製 品 を 見 て い ると、 ひと と き 現 代 を離 れ た ロ マネ スク の 世 界 へ私 達 を 案 内 し てく れ る よ う な 感 じが し ま し た。 、 盛 沢 山 な 見 学 で空 腹 と な った先 生 方 は 北 海 ホ テ ル地 下 の和 風 料 理 屋 に着 く と 直 ち に ビ ー ル ・酒 で喉 を う る 清 し、 美 味 し い弁 当 を 食 べ なが ら 話 が はず ん で昼 食 休 憩 の 一 。 時 間 は ま た たく 間 に過 ぎ て し ま いま し た □ 帰 路 帰 路 のバ スは ま す ます 賑 や かで早 速 カ ラ オ ケ大 会 が 始 ま り、 参 加 者 に は豪 華 な景 品 一方、 昼 食 時 のビ が 次 々に渡 さ れ ま し た。 ー ルが き いた為 か、 稲 穂 峠 の絶 景 の為 か 一 時 停 車 を 希 望 す る先 生が 相 次 ぎ 、 各 所 で旅 の最 後 を 楽 し む 風 景 が 続 出 し ま し た。 洞 爺 湖 畔 の見 え る頃 から 例 年 通 り来 年 の 、 コー ス選 定 が 話 題 と な り 車 内 の先 生 方 の 、 大 方 の希 望 を 大 岩 先 生が ま と めら れ 来 年 は 函館 方 面 に行 き た いと いう 提 案 が 示 さ れ ―- 42 -― 反 省 に鑑 み、 来 年 は 再 び ゴ ル フパ ックを 取 に な り 色 内 会 場 に は行 かな いと 云 う連 絡 が 時 間 が 無 い の で勝 納 会 場 の み見 学 す る事 近 く 右 眼 下 に小 樽 博 勝 納 会 場 の全 景 が 見 え てき た。 十 時 十 分 ヾ ハスは駐 車 場 に到 着 。 明 や 衛 星 放 送、 文 字 放 送、 緊 急 警 報 放 送 、 バ ー ケ ーブ ル、 海 底 ケ ーブ ル等 の通 信 の説 ュ ニケ ー シ ョン舘 で は 通 信 衛 星、 光 フ ァイ 未 来 の情 報 通 信 のあ り方 を 披 露 し た コミ 都 市 であ る。 り 入 れ 観 光 と ゴ ル フの 二本 立 てを 採 用 し ょ あ る。 早 速 博 覧 会 場 に入 場す る。 先 生 方 の承 認が 得 ら れ ま し た。 ま た今 年 の う と いう 意 見 が 出 され ま し た。 旅 の終 り は 高 品 位 テ レビ 放 送 な ど 放 送 の ニ ュー メデ ィ ア、 パ ソ コンプ ラザ 等、 興 味 のあ る最 新 の 時 間 の経 過 が 早 く 、 これ ら の意 見 が 出 さ れ 市 は ロ マンの香 り 高 く、 歴 史 と 文 化 の重 み 技 術 を 結 集 し た 展 示 品 を 見 る。 昭 和 六十 年 に開 基 百 二十 年 を 迎 え る小 樽 を 充 分 に備 え、 産 業 経 済 の活 性 化 と 観 光 の エレ ク ト ロワ ー ルド で は ジ ャ ンボ な ロボ ット獅 子 舞 や、 振 子 の原 理 を 利 用 し て図 形 て いる う ち にバ スはも う 白 鳥 台 に達 し、 夕 日 に輝 く 室 蘭 の町 並 へ優 雅 な車 体 が す べり こん で いき ま し た。 今 回 の旅 行 を 省 り み て 再 開 発 を 目 指 し て こ の博 覧 会 を開 催 す る事 た。 を 描 いた り の エレク ト ロ技 術 を紹 介 し て い 天 候 に恵 ま れ た こと から 参 加 さ れ た先 生 方 会 場 に は既 に相 当 の人 数 が 入 って い る。 に し たと いう 話 だ 。 入 って直 ぐ 正 面 に テ ー マ箱 の巨 大 な 貝 形 の に比較 的 良 好 な 評 価 を 下 し て戴 いた の に勇 気 づ き、 幹 事 一同 来 年 は更 に内 容 を 充 実 し く ら し の百 科 舘 で は 九 面 マル チ ス ク リ ー ン劇 場 に入 る。 三百 六十度 の超 パ ノ ラ マ映 ツ ア タ ーが 来 場客 を 迎 え る。 西 独 のデ ザ イ 像 が 周 囲 を ぐ るりと 取 り巻 く 。 北 海道 を舞 の 口が 開 く と 同 時 に テ ー マ音 楽 が 高 ら か に 樽 博 の シ ンボ ル マー クが 映 し 出 され る。 貝 ナ ー、 ルイ ジ コラ ー ニのデ ザ イ ンによ るも の で、 内 面 が 鏡 張 り にな って いて巨 大 な 小 楽 し いも の に し た いと 考 え て 始 り ます の で 来 年 も ど う ぞ 多 数 御 参 加 の はど 宜 し く お 願 い いた し ます 。 小樽 博覧 会見聞 記 台 に卵 を産 む鮭 、 羽 根 を 休 息 め る白 海 の群 ッ ア フリ カ の サバ ンナ で ライ オ ン ・ミ ノ ファ ロー ・象 ・フラ ミ ンゴ ・河 馬 等 、 野 生 の動 そ の中 の ル ー ト ナ ホ ト カ舘 に入 る。 ナ ホ ト の木 製 の建 物 が 六 戸 放 射 状 に並 ん で いる。 隣 り が お た る コネ ク シ ョン会 場 で 三角 形 鋭 の自 動 車 、 モ ー タ ーボ ー ト等 が 展 示 さ れ ら リ ニア モ ー タ ー カ ー の ミ ニチ ュアや最 新 至 る ま で、 明 日 の北 海 道 の交 通 網 、 S L か て いく 様 で ダ イ ナ ミ ック に楽 し か った。 新 交 通 博 物 舘 で は、 陛 海 空 は 勿 論 宇 宙 に 物 の繰 り広 げ る躍 動 が 自 分 を 中 心 に 展開 し 今 年 の親 交 会 旅 行 会 は札 幌 泊、 翌 日 小樽 博 見 物 と 決 ま った。 カ市 の紹 介、 シベ リ ア の特 産 品、 毛 皮 の生 流 れ 、 噴 水 の乱 舞 そ れ に赤 黄 緑 の照 明 が 加 わ り 暫 く の間 そ れ に見 と れ る。 やが て貝 の 六月 二十 三 日札 幌 ニ ュー オ ー タ ニホ テ ル 様 で、 そ の上 テ ント張 り な の で猛 烈 に暑 い 光 康 夫 里ヽ 宿 泊 、 翌 二十 四 日 七時 起 床 、 窓 の カ ー テ ン 活 用 品 等 が 豊 富 に展 示 さ れ て いた。 次 にダ ニーデ ン舘 に入 る。 ニ ュージ ー ラ ンド のダ ポ ー ト゛ ハザ ー ル舘 で は ガ ラ スエ芸 品、 木 工品 、 民 芸 品 、 海 産 物 加 工 品 等 が 揃 って い 口が 静 か に閉 じ る。 を 開 け ると 雲 一つな い快 晴 の空 が 眩 し い。 ニーデ ツ市 の紹 介 、 羊 毛 を 中 心と し た特 産 品 が 展 示 し てあ った。 両 市 と も 小樽 の姉 妹 若 者 や 子 供 連 れ に人 気 が あ る の か満 員 の有 ミ ノスは九 時 過 ぎ ホ テ ルを出 発 し て札 樽 高 速 自 動 車 道 に入 る。 やが て高 速 道 の終 点 に -43- た様 だ が 時 間 が な く 割 愛 す る。 、 広 場 の半 分 を占 め る プ レイ ラ ンド で は スピ ードと 恐 怖 の宙 返 り、 な んと 云 っても 、 人 気 の的 スタ ンデ ィ ング コー スケ ー 振 子 、 の様 に大 き く 揺 れ る グ レー トポ セイ ド ン 高 さ 約 五 十 米 の頂 上 から 小 樽 市 を 一望 出 来 る大 観 覧 車 が あ り、 子 供 連 れ の客 や 若 者 達 で賑 わ って いる。 そ れ を バ スの車 窓 から 遠 望 し乍 ら 座 席 で ホ ッと 一体 み、 やが て全 員 一時 間 半 の慌 た だ し い走 り歩 き の観 覧 を終 ハスは え、 次 の目 的 地 の ガ ラ スエ 場 へ向 け ヾ 会 場 を 出 発 し た。 あ ど け な い話 石 昌 生 大 山 、 野 幌 の森 林 公 園 に到 着 し た のは 年 後 四 、 緑が 時 過 ぎ で し た。 開 拓 村 の閉 館 時 間 が 迫 ま っ て いま し た の で、 入村 を 諦 め、 周 囲 の散 策 、 にと ど め ま し たが 、 百 年 塔 のあ た り は 広 大 な 芝 生 で 周 り を 原 始 林 で か こま れ 一層 美 し く 眺 めら れ ま し た。 ﹁さ て、 そ ろそ ろ集 合 時 間 です よ。 S先 ﹁そ う だ な、 俺 達 の車 は ど れ だ ろう ﹂ 生﹂ バ ス駐 車 場 に は、 大 小 色 と り ど り の車 が 数 十 台 止 ま って いま す 。 一番 大 き く てデ ラ ッ ﹁決 って いま す よ。 ン ・カ ーだ から ね ﹂ ュー ホ ー ・サ ル ー ク スな や つさ 。 何 し ろ、 私 達 の隣 に つ いて いた のは、 可成 り 大 型 で 一段 階 格 下 です 。 す が、 商 人 の伝 統 と熟 達 さ であ ろう か、 名 人 芸 の 売 り 込 み に つら れ て、 財 布 が しば む 程 に買 物 袋が 満 杯 に な って し ま った。 、 家 に帰 って お 土産 を 整 理 す る と ど う も 。 買 った覚 え のな い物 が 一個 入 って いた ち ゃんと 包 装 し てあ った から、 指 を 曲 げ たも の でな い事 は確 かだ が 、 サ ービ ス品 と し て く れ た物 であ ろう か。 そ れ と も 誰 か の買 物 。 と 間 違 って私 の袋 に入 れ た のだ ろう かi ﹁や っぱ り 我 々の は最 高 だ ね 。 隣 の車 が 小 さ く 見 え る﹂ ら お申 し 越 し下 さ い。 注 意 の ほど を 1 ﹂ です よ。 こ の地 方 の農 協 産 の マー ク に はご ん 。 悪 い味 が し た ら、 A先 生 のし ょん べ ん さ れ て、 皆 さ ん のお 口に入 る かも し れ ま せ て行 った のは、 かな り銘 酎 し た A先 生 です 見 れ ば 、 白 菜 の苗 の頭 から悪 水 を かり かけ 、 て いる のです 。 車 窓 から 見 て いた私 は 心 配 に な って マイ クを 取 り ま し た。 ﹁あ の白 菜 は、 来 月 頃 室 蘭 の市 場 に出 荷 にな り ま し た。 山 を 眺 めな が ら の青 し ょん も 味 な も の です 。 わざ わざ 畠 の 中ま で 入 っ 申 込 みが 出 て、 遂 に野 路 で臨 時 停 車 す る事 、 かが ﹁小 便 だ ! ﹂ と 言 い出 し た ら 次 々と いま し た。 羊 蹄 山 の裾 野 に近 づ いた 頃 安 の トイ ンタイ ム﹂ を 忘 れ て通 過 し て し ま 、誰 車 内 で は、 余 興 の カ ラ オ ケ大 会 や クイ ズ で騒 い で い るう ち に、 予定 し て いた ﹁倶 知 コンブ 巻 の詰 合 せ、 ど な た か の買 物 で し た 隣 の車 の客 の耳 に 入 った ら し い。 ﹁君 達 、 な に威 張 って いる のさ 。 自 分 の も の でも な いだ ろう に ﹂ す かさず S先 生、 ﹁な っ! 借 家 だ ってデ ラ ック スの方 が 良 い に決 って る さ ﹂ 言、 く し ゅん。 隣 の車 の客 、 征︹ 小 樽 会 場 は、 表 から 見 る よ り かな り の広 さ であ った。 各 パ ビ リ オ ンを 廻 って、 特 産 品 売 場 へ入 った 頃 は、 足 が 重 く な って 来 た が 適 当 な休 憩 場 が 見 当 ら な い。 も う 一つ頑 張 って お 土産 でも 買 う か、 店 の売 り 込 み は 凄 ま し いば かり であ る 。 普 通 な ら 品 物 の向 う 側 で、 ﹁いら っし ゃ い。 いら つし や い ﹂ と や る んだ ろう が 、 こ こは、 店 員 が 皆 ん な ま んば かり の熱 心 さ であ る。 そ れ でも いや 店 の前 に出 て来 て、 手 を 引 き 体 を か かえ 込 ら し さ を 感 じ さ せな い のが 、 名 だ た る小 樽 -44- O O チ ャ ンの毒 水 で 立 ち所 に枯 れ る こと受 車 内 より 声 あ り 。 ﹁心 配 ご 無 用 。 あ の白 菜 育 つわ け な いよ てあ ち こち の場 所 に散 って行 った の で し た そ の後 は、 そ れ ぞ れ に自 由 な時 間 を 求 め 楽 の中 に、 華 や かな 数 刻 を 送 った のであ っ た。 5、 知 能 程 度 低 ︵ 年 令 り才 程 度 、 美 女 程 度 6 い、 低 能 美 女 か! 因 み に昔 の遊 郭 の女 性 の 三 は境 界 型 精 薄 であ った と か︶ 割 ﹁私 大 阪 から彼 を 追 って来 た ん じ ゃん。 彼 さ ! お店 の支 配 人 よ。 私 は ト ル コに働 い て い る ん だ け ど 、 今 日 ス ナ ック で飲 ん で い る の。 ア ルバ イ ト し て い る の。 彼 の お店 で は働 け な い の、 事 情 が あ って さ、 ト ル コの お客 取 っても さ、 や っば り彼 と い る時 が 一 ︲才 程 度 、 大 阪 弁 年令 2 番 い い のよ ! ﹂ ︵ な ま り、 若 いと いう だ け で他 に取 り得 が な い︶ ﹁今 日 は本 当 に有 難 度 う 御 座 いま し た。 。 私、 お店 を し て から 6 1年 にな り ま す 今 夜 は こ ん な に お客 が いら し て来 て下 さ って、 不思 議 な 夜 です わ ! 嬉 し いわ ! お 金 が 数 え ん かさ ! あ こが れ ち ゃんだ よ ね 。 美 し い髪 6 ︵ 年令 2 3∼ 3才 忍 耐 強 い芯 のあ ると 思 わ れ る、 美 女 程 度 平 均 ︶ し て下 さ いね ﹂ 、 切 れ な い位 入 って、 売 上 一〇 〇 万位 かし ら 今 日 は計 算 が 大 変 よ。 嬉 し いわ ! 叉 いら つ 麗な 服 着 てさ、 な ん かさ、 私 に合 を し て綺 一 、 今 は 母 と 二人 暮 し 母 は 7 8才 姉 達 は皆 結 婚 2才 、 九 年 前 に離 婚 し て いる ん です 。 私 は 3 し てそ れ から は 一人、 妻 子 のあ る 人 を 愛 し し て し ま う の。 や っば り普 通 が い い です ﹂ 、 ︵2 3才 の女 性 美 女 程 度 は群 を ぬ いて い る ︶ ﹁私 って お店 を し て 八年 にな る ん です 。 う んだ よ ね 。 ス ナ ックも い いし、 ク ラブ も ゃな い、 でも ど ん ど ん 消客 が 指 名 し て く れ て さ、 私 って水 商 売 合 って い る み た い。 そ ﹁私 ってさ、 ○ ○ を 使 う と さ、 皮 フ炎 起 し て、 ど んど ん お金 が 入 る じ ゃん ︱、 お金 い いし さ、 ト ル コ って ち ょ っと 抵 抗 あ る じ ﹁わ た し って水 商 売 が 合 う ん だ よ ね。 な 以 下 は、 札 幌 の夜 の 一隅 で女 性 と 交 わ し た 他愛 な い会 話 を 思 い出 し て綴 って み た 。 ︵二日酔 いを し て、 翌 日 の小 樽 博 行 き を と り や め に な さ った先 生 が おら れ たと か︶ 波 に乗 って酔 い に任 せ歩 き 続 け た。 ま でも 終 り のな い夜、 溢 れ で て い る人 の波 はど こ へ向 って行 く の か、 私 達 も そ の人 の く のを 待 って い ると は1 札 幌 の夜 は、 い つ 並 んだ 男 性 が 二〇 ∼ 三〇 名 、 店 の椅 子 が 開 のド ア ー の前 に は、 驚 いた こと に は 三列 に を試 み ま し た。 何 軒 か の中 で目 指 し て行 っ た、 ﹁、 フス ッ子 ﹂ と いう ギ ャ ル ・ス ナ ック が 、 私 も H 。M ・S先 生 と 共 に徘 徊 と 放 浪 け あ いだ。 ほれ ほれ も う し おれ て来 た ! ﹂ 札 幌 の夜 ″触れあ いと 語ら いを求 め て ″ 村 博 通 〓一 、 札 幌 の夜、 日本 経 済 高 度 成 長 と と も に 、 爆 発 的 に成 長 を 遂 げ た 百 五十 万 都 市 の夜 そ こ に繰 り拡 げ ら れ て い る人 生 模 様 は 空 々 し い冷 た さも あ り、 叉 一方 、 人 と の触 れ 易 、 い出 会 い の多 い場所 でも あ る。 し かし そ こ に生 き て いる人 々でも 、 そ こを 徘 徊 す る 放 浪 渚 でも 、 も し語 ら いと 触 れ 合 いが な い , たら、き つと心は氷の様に固 ってしま とし う であ ろう 。 札 幌 の灯 は い つま でも 消 え る こと な く 、 と 触 れ 合 いが 、 こ の上 も な い救 いであ り、 短 か い時 間 で はあ った け れ ど 、 医 師 親 交 会 旅 行 と し て出 席 な さ った諸 先 生 と の語 ら い 楽 し い 一時 を 過 し た の で し た。 札 幌 の薄 暮 ? 、 消 金 って よ り さ、 そ ん な 仕 事 が 好 き な ん だ ね 、 男 の人 って さ、 私 のす べ てが い い って さ ︱ や っぼ リ ト ル コに行 く かな ﹂ の町 に乗 り こ んだ 私 達 一行 は、 札 幌 ビ ー ル 園 で夕 食 を と り、 ホ テ ル到 着 後 は ミ カド ヘ 美 女 が 繰 り ひ ろげ る舞 台 の踊 り と 昔 と、 -45- て いる フリ ー って いう 存 在 よ !今 は こ の仕 事 が 好 き に な れ ま し た。 宣 しく ね ! ﹂ ︵スタイ ルも 良 い、 性格 も 棘 が な い︶ ﹁男 の人 を み た ら、 お金 の固 ま り と 思 い な さ い1 洋 服 を ぬが せ ると 同 じ に 一枚 一枚 、 剥 い で、 裸 に し て し ま う と 同 じ に お金 を 出 さ せ る様 にと 努 め な さ いと 言 わ れ て いる ん です 。 今 日 の方 々は、 き っと お金 の固 ま り よ1 ︵ 諸 先 生 の集 団 を み つめな が ら ︶ ︵ご 用 心 ︱ あ る ス ナ ック の女 性 偶 然 の た わ い のな い会 話 の中 に、 私 は札 幌 に生 出 会 い、 美 女 程 度 普 通 ︶ き る現 代 女 性 の遅 し い考 え 方 に触 れ た。 な に か、 彼 女 ら と の佗 し い空 虚 な対 話 に、 あ あ そ う か、 あ あ そ う かと 頷 いて い るだ け で し た。 や は り 日頃 お会 い し て いる諸 先 生 方 の対 話 に は童 みを 感 じ た し、 久 し振 り の札 幌 の夜 を 送 って、 語 ら い、 触 れ 合 い に満 足 し て旅 行 の楽 し さ を知 った も の で し た。 ま ナ ホ ト カ の 写 真 な つかし ソ聯 館 こけ も も ジ ャ ムを 買 ひ求 め た り 真 紅 な る 火 の玉 ガ ラ ス 細 工 せる 手 造 り現 場 ンカと なが めき 同行 に 奇 人変 人 野人あ り 爆笑 は絶 えず ヾ ハス旅行 かな 蒼 空 に そ よ吹 く風 に 若車 に 尿 す る人 足 は揺れ おり 柾 玉 の 石碑 の前 に ひと やす み 留 寿 都 高原 そ ょ風 かほる -46- き っと、 そ う み た いだ わ、 あ の ロ マ ン ス ・ 貞 グ レ ー の方、 特 にそ う み た いだ わ、 な んと 旅 情 此 処 なれ や 交 た 来 年 も 一人 でも 多 く こ の旅 行 に参 加 な さ って ″語 ら い、 触 れ 合 い ″楽 し い 一時 を 過 し て いた だ き た いと 思 います 。 親 原 始林 蝦夷 地 の歴 史 仰ぐ 札幌 の 夜 を た のしむ 一的 に 空 にそ び え る 記 念塔 幌 の人 よ り も 財 布 の紐 す ぐ解 いて く れ る わ ︱ や っば り 通 じ て いる の かな。 室 蘭 の人 っ 心れが たけれ リ ーゼ車 屋 士 は特 にそ う だ わ ! ﹂ 英 な く わ かるわ !﹂ ︵ 獲 物 を ね ら つて い る女 性、 5 3才 程 度 プ ロポ ー シ ョン平 均 ょ り 上 ︶ ﹁男 の人 って、 ど ん な 人 を み ても 子 供 み た い で かわ い いわ ! ど ん な に年 を め し た方 でも 頭 の はげ て い る方 でも、 な んと な く か わ い いわ ︱ ち ょ っと 無 理 を 言 っても結 局 言 う 通 り に な ってく れ る わ。 ち ょ っと 馬 鹿 み た な 人 も いるけ ど さ ! ﹂ い な ︵5 2孝 程 度 瞳 を 輝 か せ極 め て現 実 的 女性︶ )││ て純 情 な人 多 い んだ よ ね 。 お年 を め し た方 ﹁私、 室 蘭 から 来 て いる ん です よ。 懐 し いわ ︱ 室 蘭 の人 って や さ し い人 多 いわ ︱ 札 皆 集 後 記 札幌市東区北17東 15 ま す。今 に観光協会あ たりから金 一封 が送 られ て 来 る のではありますま いか 。 先生 出 会 会 会 野 出 出 西 南 里 村 弘 邦 靖 弘 宏 一一 札幌東豊病院 進 んで投稿 に応じられ た先生方 に、はた又し つ ︵ 村井 ム乙︶ こい原稿依 頼 に堪 えきれず寄 稿され た諸先生 に厚 く御礼申し上げます。 は らだ外科病院 入 入 入 転 転 上 編 ニ ューメデ ィアと か INSと か の論議 が喧し い 昨今 ですが、ワープ ロの投稿も散 見され 、時 の流 今 回 は原稿 の集ま りが順調 で、頁数 の都合もあ れを感じます。 かなり古 り 、 シリーズ物 の ﹁ 大正 っ子物語﹂、 ﹁ 室蘭市東 町 4-20‐ 同 上 いお話﹂ 、 ﹁チ ベ ット弥次原 行記﹂ は次号 に掲載 さ せ て頂きます ので御了承下さ い。また大辻先生 ?し に鑑みて割愛せざるを の学術長論文 が誌風 ︵ 室蘭登別健診 センター 入 転 -47- 得なか った のは誠 に残念 で申し訳なく 思 いま す。 6 室蘭市東町 2-4-12 月ヽ 林 滋 宗 先生 何等か の方法 で公表され る ことを 切望する次第 で す。 ﹁ 主張 ﹂欄 の 〃心拍 こそ生 の証 〃は正論か異論 か は招くと して、臓器移植 に真正面から率直 に取 り組 んだ迫力あ る高橋哲学 の展開 で、斯界 の反応 や如何と 固唾を のむ 思 いです。恒 例 の座談会 は、 当りさわり のあ る話を引き出す編集長 の座談 の妙 ウを男 全 田 益 単 先生 同 先生 59, 3 よろしく時間を忘れさ せる語ら いでしたが、没 に 室蘭市高砂町 2-31-19 西里 内科循環器科医院 59, 3 した マル秘裏 テープ の方 が断然面白 いのですが⋮ 白老町竹浦133番 地 会 先生 59. 1 それ にしても之を原稿 にまと めあげ る編集長 の苦 内 海 寿 彦 58. 11 労 は並大低 ではなく脱帽 するほか はありません。 東室蘭医院 12 続 き物 のゴ ルフ談議 は益 々佳 境 に入り 、頭 の悪 い プ ロが書 いた指 導書 は見る のも いや になりま す。 のやさし い音楽講座︱ま こと知 ると いう こと は人 親交ハ ボ △ ボ 誌 波 久 鳥 発行日 昭和五十九年十月二十五日 発行所 室 蘭 市 医 師 親 交 会 印刷所 室 蘭 印 刷 株 式 ︿ 石社 室蘭市東町 2-4-6 58。 毎 号味わ い深 い好 エッセイを寄 せられ る安斉先生 生を楽 しく するも のデ ス。突貫 レポーター による 皆 川御大 の旅情豊かな歌 でしめくくり 、 旅行記 は、 来 年も是非行 ってミ ヨー″と いう気分を起 こさ せ 先生 森 先生 59, 2 ビ リテー シ ョ 塩 沢 英 光 58.11 考 備 名 氏 由 事 日 月 59e8. 昭和 58.9.∼ 動 異 員 △ 富