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神話としての弓と禅 - Publications

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神話としての弓と禅 - Publications
神話 としての弓 と禅
神 話 と し て の弓 と 禅
山
田
奨
(1 )
治
治 以 後 に限 って いえ ぽ 体 育 のた め、 あ る い は楽 し み の た め 、 と いう
連 想 す る 人 は 少 な く あ る ま い。 ﹁弓道 は 精 神 統 一にな る﹂ ﹁弓 道 は 禅
弓 道 と いう 言 葉 の響 き の中 に、 精 神 修 養 と か禅 と の密 接 な関 係 を
はご く例 外 的 な 存 在 であ る。 そ れ にも か かわ ら ず 、 弓 と 禅 と の結 び
ても 、 弓 道 を 禅 修 行 の 一環 と し て い る実 践 家 は、 日 本 国 内 に お い て
て、 禅 と の関 連 は ほ と んど 出 て こな い。 翻 って 現 代 弓 道 の現 状 を み
のが 大 勢 であ った 。 戦 前 の弓 道 書 に は 、 一部 の セ ク ト のも のを 除 い
に似 て いる ﹂ と い った 類 の言 葉 を よく 聞 く 。 と こ ろが 弓 道 史 を振 り
つき が 強 調 さ れ る に い た った 背 後 に は、 ど の よ う な 事 情 が あ った の
はじめに
返 って み る と 、 弓 道 が こと さ ら禅 と 結 び つけ ら れ る よ う に な った の
か。
1
は 、 実 は戦 後 の こ と であ る と い って過 言 で は な い。 さ ら に限 定 す る
が 書 い た ﹃弓 と 禅 ﹄ と いう 本 が 日 本 で翻 訳 出 版 さ れ た 、 一九 五 六年
始 め た 動 機 に つ い て たず ね た も の で あ る。 ﹁精 神 修 養 の た め﹂ と い
結 果 を示す (
表 1)。 西 ド イ ッ の 弓 道 実 践 家 百 三 十 一名 に 、 弓 道 を
こ こ に 一九 八 三年 に筑 波 大 学 弓 道 研 究 室 が 行 った 、 ひと つ の調 査
以 後 の現 象 と いう こ と が でき る 。 ﹃弓 と 禅 ﹄ は、 一九 四 八 年 にド イ
う 人 が 、 全 体 の八 十 四 パ ー セ ン ト を し め て い る。 ま た ﹁禅 への 興
な ら ば 、 ド イ ッ の哲 学 者 オ イ ゲ ン ・ ヘリ ゲ ル (一八 八 四∼ 一九 五 五)
ツ語 で出 版 さ れ 、 そ の後 英 語 、 日本 語 、 ポ ル ト ガ ル語 に翻 訳 さ れ、
味 ﹂ が 約 六 十 一パ ー セ ント、 ﹁ヘリ ゲ ル の ﹃弓 と 禅 ﹄ を 読 ん で﹂ が
約 四 十 九 パ ー セ ソ ト で あ る。 日本 人 の調 査 結 果 は な いが 、 筆 者 の実
今 な お 版 を重 ね て い る 日 本 文 化 論 の ベ スト セ ラ ー であ る 。
そ れ で は、 以 前 の弓 道 はど の よ う な も の で あ った か と いう と 、 明
15
西 ド イ ッ弓 道 家 (
百 三十 一名 ) の弓道を始 めた動機
精神 修養 のた め
日本 文化 への興味
(六 一 ・ 一% )
(六 六 ・ 四 % )
表1
禅 への興味
(五 四 ・ 二 % )
(
複数回答可)
美 し い姿 勢 を身 に つけ る
(四 八 ・九 % )
(八 四 ・○ % )
ヘリゲ ルの ﹃弓 と禅﹄ を読 んで
(一九 八三年、筑波大 学弓道研究室調査)
し た有 り 様 を 日 本 の弓 道 と 理解 し て いる 。 無 論 、 弓 道 論 で は な く 日
本 文 化 論 、 あ る いは ひ と つ の物 語 と し て見 た場 合 、 ヘリ ゲ ル の著 作
は極 め て特 異 で 興味 深 い。 当 時 の日 本 にお け る禅 宗 ブ ー ムを 反 映 し
て いる のだ と も いえ る。 し か し 、 現 実 の弓 道 と ヘリゲ ル の紹 介 し た
弓 道 と の、 あ る種 の乖 離 を 思 う と き 、 ヘリ ゲ ル の経 験 を 外 国 人 の異
文 化 見 聞 と し て、 そ の ま ま 受 け 止 め る こと に は消 極 的 に な ら ざ る を
え な い。
こ の論 文 で は 、 ヘリ ゲ ル の テ ク ス トや そ の周 辺 資 料 を読 み直 し、
再 構 成 す る こ と に よ って 、 い か に し て ﹃弓 と禅 ﹄ の神 話 が 析 出 さ れ
感 で は 日 本 人 の弓 道 実 践 家 は 、 禅 と の関 係 を さ か ん に語 り な が ら も 、
実 際 に は体 育 のた め、 あ る い は楽 し み の た め に 弓 道 を や って い る人
て い った か を 明 ら か に し た い。
ほ と んど は 、 ヘリ ゲ ルを 全 面 的 に肯 定 し、 ヘリ ゲ ル の解 釈 が 日 本 弓
概 観 す る。 周 知 の通 り 、 弓 は太 古 から 狩 猟 の道 具 と し て使 わ れ てき
ヘリ ゲ ル の話 題 に 入 る前 に、 日 本 弓 術 史 の概 略 を予 備 知 識 と し て
弓 術 略史
を 論 じ る出 発 点 と な って い る。 は た
2
ず 、 ヘリ ゲ ル の用 語 に あ わ せ て ﹁弓 術 ﹂ に統 一す る こ と にす る。
な お 、 以 降 で は多 分 に現 代 的 な香 り のす る ﹁弓 道 ﹂ の言 葉 は使 わ
が ほ と んど のよ う に思 う 。 こ の日 独 弓 道 家 の意 識 差 に、 ヘリ ゲ ル の
書 物 が 関 与 し て い る可 能 性 は捨 てき れ な い。
(2 )
ヘリ ゲ ル に つい て は、 多 く の論 者 に よ る言 及 が あ る。 いず れ の論
にお い ても 、 ヘリ ゲ ルと 彼 の師 であ る 阿 波 研 造 (一八 八○ ∼ 一九 三
道1
た も ので、 縄 文 時 代 の遺 跡 か ら丸 木 の弓 や 大 量 の石 鏃 が 出 土 し て い
九) と の、 神 秘 的 な エピ ソ ード が 繰 り 返 し 語 ら れ て い る。 そ れ ら の
し て日 本 の弓 道 、 芸 道 を 語 る の に、 ヘリ ゲ ルを 出 発 点 と し て良 い の
る。
ひ い て は日 本 の芸 道 1
であ ろ う か 。
う こ と と 、 弓 幹 の中 央 よ り も 下 を 握 って 使 用 す る こと の 二点 であ る。
日 本 の弓 の特 徴 は 、 長 さが ニ メ ー ト ル以 上 も あ る 長 弓 であ る と い
た こ と は 、 弓 道 研 究 者 の間 で は よく 知 ら れ て い る と ころ であ る 。 他
特 に、 弓 を 握 る位 置 が 弓 幹 の中 央 よ り も 下 にあ る と いう のは 、 日 本
ヘリ ゲ ル の師 で あ った阿 波 が 、 エキ セ ン ト リ ック な 指 導 者 で あ っ
方 で、 弓 道 専 門 家 以 外 の論 者 に よ る論 考 の多 く は 、 ヘリ ゲ ルが 紹 介
16
神話 としての弓 と禅
の弓 に特 有 の こ と で あ る。 日本 の弓 の使 用 法 に関 す る古 い記 録 と し
て は、 国 宝 に指 定 さ れ て い る伝 香 川 県 出 土 銅 鐸 の模 様 が あ る。 そ こ
に は鹿 を 狙 う射 手 が 描 か れ てお り 、 そ の射 手 は 弓 幹 の中 央 よ り も 下
を 握 って い る よ う に見 え る。 ま た 、 文 字 で記 録 さ れ た も のと し て は、
有名な ﹃
魏 志 倭 人 伝 ﹄ に ﹁兵 用 矛 楯 木 弓 木 弓 短 下 長 上 ﹂ と あ り、 当
時 か ら 弓 幹 の下 部 を握 って い た こ と が う かが わ れ る。
弓 矢 を 武 器 と し て使 用 す る よう にな った のは 、 弥 生 時 代 以 後 であ
る と いわ れ て いる 。 弥 生 時 代 に鏃 が 大 型 化 し て い る こ と や、 矢 の刺
さ った 人 骨 の出 土 な ど が 、 そ の根 拠 と さ れ て い る。 時 代 が 下 が る に
し たが って、 源 頼 政 の鵺 退 治 や 、 源 為 朝 の強 弓 が 物 語 を 彩 り 、 源 平
合 戦 に い た って武 器 と し て の弓 矢 は 花 盛 り を 迎 え る。
し かし 、 今 日 に つな が る 流 派 弓 術 の祖 の出 現 は 、 応 仁 の乱 を 待 た
な け れば な ら な い。 応 仁 の乱 の時 に、 京 の市 街 戦 で技 を 磨 き 、 そ の
後 各 地 で弓 矢 を 教 え て回 った 人物 に、 日 置 弾 正 正 次 が あ る。 日置 弾
正 に は架 空 人 物 説 が あ り 、 そ の実 在 に つ い て は、 ま だ結 論 を み て い
な い。
さ て、 日 置 弾 正 は、 彼 が 会 得 し た精 妙 な る射 術 を 吉 田重 賢 ・重 政
親 子 に 伝 授 す る。 吉 田 親 子 のあ たり か ら 、 伝 承 を 文 書 の上 で た ど る
こと が で き る。 彼 ら の伝 え た流 派 は そ の後 日 置 流 と 呼 ば れ 、 日置 流
は 印 西 派 、 雪 荷 派 、 道 雪 派 、 左 近 衛 門 派 、 大 蔵 派 な ど に分 派 し て、
今 日 でも い く つか の地 方 にそ の伝 承が 残 って い る。 ま た吉 田 家 菩 提
寺 の祈 願 僧 に、 竹 林 坊 如 成 と いう 弓 の上 手 な 僧 侶 が あ り 、 彼 が 創 始
し た 日 置 流 竹 林 派 が あ る。 これ は 日 置 流 を冠 し て は い るが 、 日 置 弾
正 と の直 接 の つな が り は な い、 と いう のが 通 説 に な って いる 。
代 表 的 な 弓 の流 派 に は、 こ の他 に小 笠 原 流 が あ る 。 小 笠 原 流 は 、
鎌 倉 時 代 始 め の小 笠 原 長 清 に は じ ま る 弓 馬 礼 法 であ り 、 弓 の有 職 故
実 的 な 面 と、 騎 射 を得 意 と す る流 派 であ る。 小 笠 原 の弓 法 は、 室 町
期 に入 って い った ん中 絶 す る。 そ の間 、 小 笠 原家 は い く つ にも 分 家
し、 江 戸 時 代 に は 小 笠 原 を名 乗 る家 は 、 大 名 家 だ け でも 五家 あ った。
八代 将 軍 吉 宗 は、 全 国 に伝 わ る 弓 術 書 を献 上 さ せ、 旗 本 であ った 小
笠 原 平 兵 衛 常 春 に、 そ の内 容 の研 究 と 中 絶 し て い た騎 射 、 故 実 の復
元 を 命 じ た。 こ の小 笠 原 平 兵 衛 が 、 現 存 す る東 京 の小 笠 原 流 の直 接
の祖 と さ れ て いる 。
以 上 が 弓 術 流 派 の概 略 であ る。 日本 の弓 術 を 技 術 面 か ら分 類 す る
な ら ば 、 礼 射 と 武 射 に分 け ら れ る。 礼 射 は 弓 の儀 式 的 な い し 呪術 的
な 側 面 で、 こ の方 面 は 小 笠 原 流 の独 壇 場 と い って過 言 で はな い。 武
射 は さ ら に歩 射 、 騎 射 、 堂 射 に分 類 でき る。
歩 射 は 、 歩 兵 の戦 場 に お け る射 術 を指 す 。 こ れ は 矢 が 十 分 な 威 力
を 発 揮 でき る射 程 距 離 であ る 三 十 メー ト ル内 外 の距離 に お い て、 自
ら の生 死が か か った状 況 下 で、 鎧 を 貫 く ほ ど の貫 徹 力 を 与 え つ っ必
中 の矢 を 発 射 す る技 術 であ る。 歩 射 の伝 承 では 、 精 緻 な技 を 尽 く す
こ と と 、 死 線 を 乗 り 越 え る高 度 の精 神 的 要 素 が 訓 練 の中 心 と な って
17
いる 。 歩 射 を専 門 と し た流 派 に、 日置 流 印 西 派が あ る。
騎 射 は馬 上 から 弓 を射 る技 術 を指 す 。 戦 場 で の騎 射 の実 体 が ど の
よ う な も の であ った か は 定 か で は な いが 、 現 在 の流 鏑 馬 や 、 犬 追 物
の文 献 か ら 推 定 す る に、 騎 射 は 弓 を 持 った ま ま 馬 を 巧 み に操 作 し て
標 的 と の距 離 を縮 め、 射 あ て る の に さ ほ ど 苦 労 を し な い距 離 にま で
追 い つめ つ つ矢 を 射 かけ る技 術 であ った と 考 ・
兄ら れ る。 し た が って、
騎 射 で は弓 を 持 った姿 勢 で の馬 の操 作 と いう こと が 、 訓 練 の中 心 と
な る。 騎 射 は 小 笠 原 流 、 武 田流 で 行 わ れ て き た。
最 後 の堂 射 は、 通 矢 競 技 に特 化 し た技 術 であ る。 通 矢 は江 戸 時 代
に盛 ん に行 わ れ た競 技 で、 京 都 蓮 華 王 院 三 十 三間 堂 の軒 下 、 長 さ 百
二十 メ ー ト ル、 高 さ 五 メー ト ル の空 間 を 一昼 夜 通 し て矢 を射 かけ 、
軒 下 を 何 本 射 通 す こ とが でき た か を競 ったも の であ る。 堂 射 で必 要
と な って く る の は、 軽 い矢 を 低 い弾 道 で、 か つ少 な い疲 労 で飛 ば す
技 術 であ る 。 堂 射 で は 矢 の貫 徹 力 は要 求 さ れ な い分 、 そ の技 術 は 歩
射 と は相 当 異 な る 。 ま た堂 射 に は スポ ー ツ、 な いし は見 せ物 的 な 要
素 が 多 分 にあ り 、 戦 場 を 基 本 と す る歩 射 、 騎 射 と は精 神 的 な 側 面 に
お い ても 異 質 のも の であ った と いえ る 。 堂 射 に熱 心 に取 り 組 んだ 流
派 に、 日置 流 竹 林 派 、 日 置 流 雪 荷 派 が あ る。
歩 射 は 、 射 距 離 二十 八 メ ー ト ル の空 間 を 弓 道 場 の基 本 構 造 と す る
こ と に よ って、 ま た 騎 射 は、 流 鏑 馬 と いう 形 で現 在 ま で維 持 さ れ た。
そ れ に対 し て堂 射 は、 幕 末 に衰 退 し て し ま い、 三 十 三 間 堂 上 で は競
技 が 行 わ れ な く な って し ま った。 明 治 期 の堂 射 は 、 堂 上 と いう 空 間
を失 い、 そ の射 術 と精 神 の伝 承 は行 き 場 を な く す 、 危 機 的 な 混 乱 状
況 にあ った と いえ る。 ヘリ ゲ ル の師 であ った 阿 波 は、 堂 射 系 の日 置
流 雪 荷 派 ・木 村 辰 五 郎 と 、 や は り堂 射 を 専 門 と し て い た 尾 州 竹 林
派 ・本 多 利 実 か ら 弓 術 を 学 ん だ 。 ま た竹 林 派 の流 祖 は僧 侶 で あ った
こ と か ら 、 同 派 の教 え に は仏 教 の影 響 が 色 濃 く残 って い る 。 堂 射 の
特 質 と 、 当 時 の堂 射 が 置 かれ て いた 状 況 を 知 る こと は、 阿 波 を 理 解
阿波研造 と大射道教
す る上 で重 要 な 手 が か り と な る。
3
さ て 、 話 を 少 しず つ ヘリ ゲ ルに近 づ け よう 。 ヘリゲ ルに 弓 術 を 教
(3 )
え た 阿 波 研 造 と いう 人 物 の生 涯 を、 簡 単 に追 って おく 。 阿 波 の生 涯
に つい て は、 櫻 井 保 之助 に よ る ﹃阿 波 研 造 - 大 いな る射 の道 の教 ﹄
と いう 大 著 が あ る。 こ の書 は、 阿 波 の生 誕 百 年 を 記 念 し て発 行 さ れ
たも の であ る。 出 版 の性 格 上 、 バ イ ア ス のな い書 物 と は い 、
兄な いが 、
阿 波 の研 究 書 と し て は こ れ に並 ぶ も のは な い。 阿 波 の人 と な り を 語
る の に、 生 誕 地 ・石 巻 地 方 の地 勢 や棲 息 動 物 を語 り 、 親 潮 と 黒 潮 の
海 洋 エネ ルギ ーが 阿 波 を 生 んだ か のよ う な叙 述 に い さ さ か 辟 易 の感
はあ るが 、 豊 富 な 一次 資 料 に基 づ く 論 考 は、 阿 波 の実 像 を 知 る多 く
の手 が か り を 与 え てく れ る。 本 節 で は、 櫻 井 の記 述 を 参 考 にし な が
ら 、 阿 波 の生 涯 を ま と め る こ と にす る。
18
神 話 としての弓 と禅
阿 波 は 一八 八○ 年 (
明治 十 三年)、 宮 城 県 河 北 町 で麹 屋 を 営 ん で い
た佐 藤 家 の長 男 と し て生 ま れ た。 学 校 教 育 は 小 学 校 だ け であ ったが 、
十 八歳 の こ ろ に漢 学 の私 塾 を 開 い て い る。 そ こ で何 を 教 え て い た か
は不 明 であ る。 二十 歳 の時 に、 石 巻 で 同 じ 麹 屋 業 を 営 ん で いた 阿 波
家 の入 婿 と な って阿 波 家 を 継 いだ 。 石 巻 で雪 荷 派 弓 術 を 教 え て い た
旧 藩 士 、 木 村 辰 五 郎 に入 門 し て 弓 術 を 始 め た の は 二十 一歳 の時 であ
った 。 阿 波 は 弓 術 の上 達 が 相 当 早 く 、 わ ず か 二年 ほ ど で木 村 か ら雪
荷 派 の免 許 皆 伝 を 受 け た。 そ し て 二 十 三 歳 の時 に、 自 宅 近 く に自 分
の道 場 を 開 設 し て い る。
一九 〇 九 年 (
明治 四十 二年 )、 三十 歳 の時 に仙 台 に出 て新 し い弓 術
道 場 を 開 き 、 一九 一〇 年 (
明治 四十 三年 )、 当 時 東 大 弓 術 部 師 範 であ
った 本 多 利 実 の門 を 叩 い た。 ほ據 同 じ 時 期 に、 阿 波 は 二高 弓 術 部 の
師 範 に就 任 し て い る。 こ の こ ろ の阿 波 は百 発 百 中 に近 か ったら し く 、
二高 の学 生 に対 し ても 的 中 を 重 視 し た 指 導 を し て い た よ う であ る。
と こ ろ が 大 正 のは じ め こ ろ にな って く ると 、 自 分 の弓 術 に疑 問 を 持
ち 始 め る 。 そ し て、 雪 荷 派 伝 書 にあ る ﹁な ん に も いら ぬ﹂ と いう 教
、
兄に深 く 共 鳴 し、 弓 術 を 否 定 し 始 め た。
雪 荷 派 の ﹁な ん に も い ら ぬ﹂ の教 え は、 ﹃
吉 田豊 要答 書﹄ と いう
伝 書 に出 て く る も ので、 そ こ に は次 の よう な こと が 書 か れ て い る。
﹁縦 ハ足 踏 、 胴 造 り、 弓 構 、 手 の内 、 か け 、 打 起 し、 弦 道 、 箭 束 、
(4 )
延 詰 、 楓 〆 、 強 弱 、 張 合 、 村 雨 、 朝 嵐 、 な ん に も いら ぬ と 見 申 候 ﹂
つま り 、 諸 々 の技 は な ん にも いら な い ん だ と 説 い て い る。 と こ ろ が 、
こ の伝 書 に は そ れ に続 け て次 の よ う な こ と が 書 か れ て あ る。 ﹁此 い
ら ぬ ハ始 か ら 不 入 に て ハ無 之 候 。 初 何 を も 不 存 、 と っと初 心 の時 ハ
先 足 踏 み を な ら わ ね ハ胴 腰 か 定 り 不 申 候 ﹂ つま り 吉 田 豊 要 は 、 最 初
にま ず 射 術 を 習 いな さ い、 そ し てそ れ に十 分 習 熟 す れ ば 、 意 識 し な
く ても 自 然 に でき る よ う に な る のだ 、 と いう こ と を教 え て いる の で
あ る。 と こ ろ が 阿 波 は そ れ を 、 最 初 から 技 は な ん にも いら な い ん だ 、
と拡 大 解 釈 し て い る こ とが わ か る。
﹁な ん にも いら ぬ ﹂ を 誤 解 し た阿 波 は 、 弓 術 を コ 種 の技 巧 的 試 練
を 能 と し た遺 伝 病 ﹂ と し、 ﹁人 間 学 を 修 め る修 行 ﹂ と し て の ﹁射 道 ﹂
を 説 き は じ め た。 そ れ が た め に、 弓 術 界 か ら は狂 人扱 い さ れ、 伝 統
弓 術 が 根 強 いと こ ろ に出 向 く と う し ろ か ら 石 を 投 げ ら れ た こ と も あ
った 。 本 多 利 実 の孫 で 、 のち に本 多 流 宗 家 を 継 いだ 本 多 利 時 は、 研
造 の射 風 を酷 評 し て気 分 だ け で引 い て い る と い い、 本 多 門 下 で の兄
弟 弟 子 にあ た る 大 平 善 蔵 は 、 阿 波 が 後 に説 い た コ 射 絶 命 ﹂ の教 え
を 、 た だ 死 ぬ ま で頑 張 れ な ど と いう のは 馬 鹿 げ た こ と だ と い つ(
池。
こ のよ う に、 阿 波 に対 す る本 多 門 下 か ら の評 価 は散 々 であ る。
阿 波 が ﹁弓 術 か ら射 道 へ﹂ を説 い た背 景 に は、 嘉 納 治 五 郎 の講 道
館 柔 道 の成 功 が あ った。 阿 波 は遺 稿 ノ ー ト の中 で、 ﹁其 処 で 一番 近
く例 を 挙 ぐ れば 、 今 の嘉 納 治 五 郎 氏 の講 道 館 柔 道 が 、 我 が 日 本 は勿
論 諸 外 国 迄 にも 賞 揚 せ ら れ る のも 、 是 れ 道 と し て 一流 一派 に拘 泥 せ
19
(6 )
ず 、 各 派 の長 所 を採 り た る と こ ろ に発 す る ﹂ と 述 べ て い る。 つま り 、
嘉 納 に よ る柔 術 か ら 柔 道 への転 換 に触 発 さ れ て、 ﹁弓 術 か ら 射 道 へ﹂
の着 想 を 得 た の であ る。
一九 二 〇 年 (
大 正 九 年 )、 四 十 一歳 の時 に 阿 波 は、 決 定 的 に エキ
セ ソ ト リ ック な 体 験 を す る。 櫻 井 の言 葉 を 借 り る な ら ば 、 阿 波 は
﹁大 爆 発 ﹂ を 経 験 す る。 櫻 井 は そ の体 験 を 、 阿 波 の いく つ か の短 文
や 図 を手 が かり に し て、 次 のよ う に表 現 し て い る。
あ る深 夜 、 家 族 も 寝 静 ま り 、 四 周 は寂 と し て音 な く、 月 が 穏
や か に夜 の闇 を 照 ら す のを み る だ け であ る 。 研 造 は独 り 道 場 に
入 り、 愛 用 の弓 矢 と と も に静 か に的 前 に進 んだ 。
決 意 が あ った 。
肉 体 が 先 に滅 び る か、 精 神 が 生 き 残 る か。
無 発 。 統 一。
一歩 た り と も 退 か ぬ覚 悟 の射 であ った。
苦 闘 が 続 く 。 肉 体 は既 に そ の限 界 を越 、
兄た。 わが い の ちも こ
こ に究 ま る。
遂 に滅 び た 。
と 思 った と き 、 天来 の妙 音 が 響 い た。
天 来 と 思 った のは 、 こ れ ま で自 分 に も 耳 に し た こ と のな い、
も っと も 澄 明 で 、 も っとも 高 く 強 い弦 音 であ り的 中 音 であ った 。
くら
(7 )
聞 いた と 思 った と 同 じ 瞬 間 、 自 己 は粉 微 塵 に消 し 飛 ん で、 目 も
弦 む 五 彩 の中 、 天 地 宇 宙 に轟 々 た る大 波 紋 が 充 満 し た。
こ う い った 一種 の神 秘 体 験 は、 各 種 の宗 教 の原 点 に な って い る こ
と が 多 い。 例 え ぽ 空 海 が 室 戸 岬 で修 行 中 に、 明 け の明 星 が 口 の中 に
飛 び 込 ん だ と いう 話 と 、 体 験 と し て は類 似 し て い る。
﹁大 爆 発 ﹂ の後 、 阿 波 は彼 の教 え の中 心 と な って く る 、 コ 射 絶 命 ﹂
﹁射 裡 見 性 ﹂ を 唱 え 始 め る。 コ 射 絶 命 ﹂ ﹁射 裡 見 性 ﹂ の正 体 に つ い
て は 、 ﹁自 然 力 と いう も の の心 気 の鍛 錬 、 そ し て霊 気 の発 動 が 求 め
ら れ る。 か く し て相 対 を絶 し た絶 対 道 に入 る。 空 間 を 滅 し そ こ を通
過 す る。 そ し て は じ め て仏 陀 の光 明 に つ つま れ 、 仏 陀 の光 明 を映 発
し て いる自 己 を 発 見 す る こ とが でき る。 そ のと き 自 己 は自 己 に し て
自 己 に あ 転 覺 ﹂ と櫻 井 は解 説 し て い る。 ﹁見 性 ﹂ は禅 語 では あ るが 、
阿 波 の教 え に禅 の要 素 は、 ほ と んど 感 じ る こ とが でき な い。 意 外 な
こ と に阿 波 自 身 が 禅 に参 じ た こ と は 、 生 涯 に 一度 も 無 か った よう で
(9 )
あ る。 阿 波 の生 涯 を 克 明 に調 査 し た櫻 井 も 、 ﹁研 造 は、 禅 僧 に つ い
た事 実 は認 めら れ な い﹂ と 述 べ て いる。 ま た、 ﹁研 造 は 弓 禅 一味 も
(10 )
い い、 ま た と く に大 乗 仏 教 哲 理 の表 現 も射 道 に 用 いた が 、 無 条 件 に
禅 を 評 価 し て いた の で は な か った﹂ と も 述 べ て い る。
で は、 なぜ ヘリ ゲ ルは 、 阿 波 の教 え を 禅 に結 び つけ た の か。 そ こ
へ議 論 を進 め る前 に、 阿 波 の生 涯 を 最 後 ま で追 って お こう 。 ヘリ ゲ
20
神話 としての弓 と禅
ルが 阿 波 に入 門 し た の は、 ﹁大 爆 発 ﹂ の翌 年 、 後 に 述 べ る ﹁大 射 道
(12 )
う に、 熱 心 に神 秘 説 を 研 究 し て いた ﹂。 そ の神 秘 説 と は 、 マイ スタ
であ った 。 阿 波 は 一九 二 七 年 (
昭和 二年 )、 四 十 八 歳 の時 に、 二 高
え た禅 に関 心 を持 ち 、 ひ い ては 日 本 に関 心 を 持 った と 思 わ れ る 。 ヘ
のこ と であ る。 そ の結 果 、 彼 自 身 が 神 秘 的 宗 教 に も っと も 近 いと 考
ー . エ ッ ク ハル ト (一二 六〇 頃∼ 一三 二七) の ド イ ッ神 秘 主 義 思 想
生 の大 反対 を 押 し切 って ﹁大 射 道 教 ﹂ と いう 名 の団 体 を 設 立 す る。
リ ゲ ル は 一九 二 四 年 (
大 正 十 三年 ) に東 北 帝 国 大 学 に招 か れ て来 日
教 ﹂ 設 立 を 提 唱 し て 二高 生 や 東 北 帝 大 生 の猛 反 対 にあ う 前 年 の こ と
そ の後 の 二高 生 は、 ﹁弓 は宗 教 ﹂ ﹁開 祖 は 阿 波 研 造 先 生 ﹂ ﹁先 生 が 地
し 、 一九 二九 年 (
昭 和 四年 ) ま で そ こ で哲 学 の教 鞭 を と った 。 帰 国
く な って いる 。
ヨー ロ ッパ人 にす ら 可 成 り 以 前 か ら 、 も は や 何 ら の秘 密 でも な
結 局 ひ と つの共 通 な根 源 す な わ ち 仏 教 に遡 る と いう 事 は、 吾 々
一た い日 本 の いろ い ろ な芸 術 が 、 そ の内 面 的 形 式 に お い て 、
禅 ﹄ に は 、 つぎ のよ う な 記 述 が あ る。
ヘリ ゲ ル来 日 の背 景 に禅 への関 心 が あ った こ と に つい て、 ﹃弓 と
って い る。
に 退 職 、 そ し て 一九 五 五 年 (
昭和 三十年 ) に七 十 一歳 で こ の世 を 去
後 は エル ラ ンゲ ソ大 学 教 授 に就 任 し、 一九 五 一年 (
昭 和 二十 六年 )
方 に巡 回 指 導 す る を、 単 に稽 古 と か 、 教 授 と か云 わず ︿布 教 ﹀ と 云
(11 )
って居 る﹂ と 証 言 し て お り 、 大 射 道 教 が は っき り と 宗 教 と し て の性
格 を持 って いた こと が わ か る。
し か し 大 射 道 教 設 立 の翌年 、 阿 波 は病 に倒 れ、 一旦 奇 跡 的 に回 復
す るも 、 そ れ 以 後 は 亡 く な る ま で半 病 人 の よう な状 態 であ った 。 そ
し て 一九 三 九 年 (
昭和 十 四年)、 阿 波 は 六十 歳 で病 没 し て い る。
今 日 で も 大 射 道 教 の流 れ を引 く 阿 波 の孫 弟 子 、 曾 孫 弟 子 にあ た る
弓道 家 は大 勢 あ るが 、 宗 教 的 な 団 体 と し て の大 射 道 教 は 、 阿 波 の死
ヘリ ゲ ル、 阿 波 と 出 会 う
去 と 同 時 に消 滅 し て し ま った と い って差 し支 え な い。
4
(
中略 )
勿 論 此 処 に仏 教 と い っても 、 只 単 な る仏 教 を意 味 し て いる の
さ て、 い よ い よ ﹃弓 と 禅 ﹄ の著 者 、 オ イ ゲ ン ・ ヘリ ゲ ルに話 題 を
移 す こと に す る。 ヘリ ゲ ル は、 一八 八 四 年 (
明治 十 七 年 ) に ハイ デ
で は な い。 表 面 上 近 づ き 易 い文 献 の故 に、 そ れ だ け が ヨー ロ ッ
い る、 あ の明 白 に思 弁 的 な 仏 教 の事 を 云 って い る の で はな く 、
パ で知 ら れ て お り 、 又 人 々が 之 を 理 解 す る 事 を す ら 要 求 さ れ て
ル ベ ルク近 く で生 を 受 け た。 ハイ デ ルベ ル ク大 学 で は は じ め神 学 を
学 び 、 のち に転 じ て哲 学 を 学 ん だ 。 学 問 的 には 新 カ ント 学 派 に属 し
て いた 。 ヘリ ゲ ル は、 学 生 時 代 か ら ﹁不 思 議 な 衝 動 に駆 ら れ て のよ
21
禅 宗)
日 本 で "禅 " と 呼 ば れ て い る デ ィ ア ナ ・ブ デ ィ ス ム ス (
(13 )
を指 し て いる の であ る。
イ ッ の神 秘 説 を 詳 し く 調 べ て いた 。 と こ ろが そ の際 、 こ れ を 完
全 に理 解 す る た め に は自 分 に は何 かが 欠 け て い る こ と を 悟 った。
も そ の解 決 の道 が 見 いだ し え な い究 極 のも の であ った 。 私 は最
そ れ は、 私 に はど う し ても 現 わ れ て来 そ う にな く、 ま たど こ に
﹁日 本 のす べ て の芸 術 は禅 に遡 る ﹂ と いう 言 説 に、 違 和 感 を 感 じ な
後 の門 の前 に立 ち 、 し か も開 く べき 鍵 を 持 って いな い よ う な気
ヘ
へ
数 年 前 の大 地 震 の記 憶 が 今 だ に 人 々 の脳 裏 に生 々
し く 焼 き つ い て い た。 か く 言 う 私 も 、 戸 外 に 飛 び 出 そ う と し た
地震 だ!
レ ベ ー タ ー に殺 到 し た。
ル で待 ち 合 わ せ を し て いる 最 中 に地 震 が 起 き 、 多 く の客 が 階 段 や エ
ピ ソ ード を 引 用 し て お く。 在 日 当 初 のあ る日 、 日 本 人 の同 僚 と ホ テ
来 日後 の ヘリ ゲ ルが 、 禅 を 激 しく 希 求 す る に いた った ひ と つ の エ
と で あ った。
(16 )
る かも 知 れ な いと 考 え るだ け でも 、 そ れ は 私 に と って嬉 し い こ
った ﹁離 繋 ﹂ の本 質 に つ いて多 少 詳 し い こと が 、 あ る い は分 か
ック ハル トが あ のよ う に称 揚 し な が ら そ れ に至 る道 を 示 さ な か
接 す る見 込 み が 立 ち、 か つそ の接 触 に よ って、 マイ ス タ ー . エ
き 民 族 を 知 る機 会 を 喜 ん で迎 え た。 そ れ に よ って生 き た仏 教 に
ヘ
は な い か と いう 問 合 わ せ を 受 け た時 、 日 本 お よ び そ の驚 嘆 す べ
が し た 。 そ ん な わ け で私 は 、 東 北 帝 国 大 学 に数 年 間 勤 め る意 向
い者 はあ る ま い。 こ の考 え は、 鈴 木 大 拙 に影 響 さ れ た も の であ る こ
と は、 ﹃日 本 の弓 術 ﹄ に出 てく る つぎ の 一文 か ら わ か る。
例 え ぽ 鈴 木 大 拙 氏 は そ の著 ﹃禅 論 集 ﹄ の中 で 、 日 本 文 化 と 禅
と は き わ め て緊 密 な 関 係 にあ る こ と 、 日 本 の いろ い ろ な 術 、 武
士 の精 神 的 態 度 、 日本 人 の生 活 様 式 、 道 徳 的 ・実 践 的 な ら び に
美 的 方 面 は お ろ か、 あ る程 度 ま で は知 的 方 面 に お いて さ え 、 日
本 人 の生 活 態 度 は、 そ の根 底 を な す 禅 を無 視 し て は ま ったく 理
(14 )
解 す る こと が 不 可 能 だ と いう こと を、 証 明 し よ う と し て いる。
﹂ と表 現 し て い る よう に 、 日 本 文 化 の中 に
こ こ か ら 看 破 で き る こ と は、 鈴 木 大 拙 に影 響 さ れ た ヘリ ゲ ル は、
彼 自 身 が ﹁神 秘 への輪
可 能 な 限 り 禅 的 要 素 を 見 いだ そ う と し て い た と いう こ と で あ る。 ヘ
リ ゲ ル は来 日 の意 図 に つ い て、 つぎ の よう に述 べ て い る。
何 ゆ え 私 が 他 な ら ぬ こ の弓 術 を 習 お う と 企 て た か は、 一往 の
説 明 を 要 す る。 す で に学 生 の こ ろ か ら 私 は神 秘 説 、 わ け て も ド
22
神 話 としての 弓 と禅
一人 であ った 。 も ち ろ ん 歓 談 中 の同 僚 にも 、 早 く 出 る よ う 急 か
し て、 ﹁と り あ え ず 最 初 は、 と く に禅 に 強 い影 響 を う け た 芸 道 を 選
せ よ﹂ と アド バ イ スを し た。 そ こ で ヘリ ゲ ル は弓 術 を 習 う た め に、
(18 )
ん で、 そ れ を 修 行 し な が ら 、 ゆ っく り と 回 り 道 を し て禅 に 接 近
組 ん だ ま ま 、 目 を 半 眼 に し て、 ま る で何 事 も 起 こ ら な か った か
当 時 東 北 帝 大 弓 術 部 の師 範 であ った 阿 波 の門 を 叩 い た。 弓 術 を 選 ん
す つも り だ った 。 と こ ろが 驚 ろ いた こと に、 そ の同 僚 は、 腕 を
の よ う に、 身 じ ろ ぎ も せず 坐 って い た。 そ れ は、 ぐ ず ぐ ず と何
だ 理 由 は、 彼 に は射 撃 の経 験 が あ り 、 そ れが 役 に立 つ の で はな いか
ヘリ ゲ ルは 、 東 北 帝 大 の同 僚 で あ った小 町 谷操 三 を 通 し て、 阿 波
を 相 当 行 な って い た と 思 わ れ る。
集 を 残 し てお り 、 そ れ を 見 る か ぎ り に お い て は、 禅 に つい て の研 究
にも 存 在 し な い。 し か し なが ら 、 ヘリ ゲ ル は ﹃禅 の道 ﹄ と いう遺 稿
ヘリ ゲ ルが 日本 滞 在 中 に禅 そ のも の に参 じ た と いう 記 録 は 、 ど こ
と考 え た か ら であ る。
かを 躊 躇 った り、 ま だ 決 断 し か ね て い る者 の姿 で は な か った。
む し ろ、 あ れ こ れ と迷 わ ず に、 当 然 の こ と を 当 然 のご と く 行 な
って い る者 の、 も し く は 行 な わ な い者 の姿 であ った。
(
中略 )
数 日 後 、 私 は、 こ の 日本 人 の同 僚 が 禅 仏 教 者 であ る こ と を 知
り 、 あ の時 、 彼 は極 度 の禅 定 に入 る こ と に よ っ て ︽不 動 ︾ で い
ら れ た のだ と いう こ と を 、 そ れ と な く察 知 し た の であ る。
であ った。 ヘリ ゲ ルも 小 町 谷 も 、 一九 二 三 年 (
大 正十 二年 ) に東 北
への入 門 を 願 い出 た。 小 町 谷 は 二高 生 時 代 に、 阿 波 の最 初 の門 下 生
難 いけ れ ど も ー
帝 大 に設 置 さ れ た 法 文 学 部 の教 官 と し て、 一九 二 四年 (
大 正十 三年 )
漠 然 と し た想 像 の域 を 脱 し て いた と は言 い
多 く の こ と を 見 聞 し て いた 。 し か し 、 禅 に接 触 し た い と いう 、
に招 か れ た 。 櫻 井 は 、 ﹁(
小町 谷 は) た だ 研 造 と は十 二 年 ぶ り の 再 会
と こ ろ で私 は
そ れ ま で の単 な る 願 望 は (そ の願 望 が、 日本 に行 く と いう決 断 を
そ れ 以 前 に、 す で に何 冊 か の禅 書 を読 みも し、
容易 にし てく れ た のだが )、 こ の決 定 的 な 体 験 を 機 に、 直 ち に禅
であ り 、 こ の段 階 で 研 造 の そ の後 の心 境 の進 展 と 変 化 を 知 る由 も な
大 正 十 五 年 の春 ご ろだ った と 思 う 。 ヘリ ゲ ル君 が 訪 ね て来 て、
の よ う に振 り 返 って い る。
に ヘリ ゲ ル の入 門 を 仲 介 し た 。 そ のあ た り の事 情 を 小 町 谷 は、 つぎ
(19 )
か った ﹂ と述 べ て い る。 小 町 谷 は ヘリ ゲ ルに 請 わ れ る ま ま に、 阿 波
(17 )
た 。
に接 近 し 、 禅 をも っと つぶ さ に観 察 し よ う と い う意 志 へと 一変
し
ヘリ ゲ ル は、 あ る 日 本 人 に禅 を 学 び た いと 相 談 を も ち か け た 。 相
談 を 受 け た 日 本 人 は 、 こ の 日本 語 に決 し て堪 能 で は な い異 邦 人 に対
23
弓 を 稽 古 し た い から 、 阿 波 先 生 に紹 介 し て く れ と 言 った 。 弓 は
日 本 人 で も 取 り つき にく いも ので あ る。 そ れ を 、 ど う いう わ け
でや って 見 る気 に な った の か と 思 って、 理 由 を 聞 い て見 た と こ
ろ、 ヘリ ゲ ル君 の言 う に は、 自 分 はも う 日 本 へ来 て 三 年 に な る 。
そう し て日 本 の文 化 に つ いて 学 ぶ べき も のが い ろ いろ あ る こ と
が 、 よ う よう わ か って来 た 。 殊 に 日本 人 の思 想 には 、 仏 教 、 な
か ん ず く 禅 宗 の影 響 が 非 常 にあ る よ う に見 え る 。 これ を知 る捷
(20 )
径 は 、 弓 道 を 学 ぶ に し く は な いと 思 う 。
し か し阿 波 は 最 初 、 ヘリ ゲ ル の願 い出 を 断 った 。 以 前 外 国 人 を教
え た と き に、 面 白 く な い こと が あ ったと いう のが そ の理由 であ った 。
そ の後 の小 町 谷 の説 得 に より 、 小 町 谷 が 通 訳 に責 任 を持 つこ と を 条
件 に、 阿 波 は ヘリ ゲ ル の指 導 を 承 諾 し た。 か く し て ヘリ ゲ ルは 、 阿
波 か ら週 一回 の弓 術 の指 導 を 受 け る よ う にな った。 ヘリ ゲ ルが 弓 術
を 合 理 的 に理 解 し よ う とす る の に対 し て、 阿 波 は合 理 を 超 え た 言 葉
で彼 に対 し た。 こ の西 洋 文 化 と 日 本 文 化 の対 話 は 、 そ れ だ け と って
み れ ば と て も 面 白 く 、 ヘリ ゲ ル の著 作 が 文 学 的 に大 成 功 を 収 め た大
き な 理 由 と な って いる。 し か し、 ヘリ ゲ ル自 身 は合 理 主 義 者 と いう
よ り も 、 エ ック ハル ト に心 酔 す る 性 向 を持 つ神 秘 主 義 者 と 理 解 す る
のが 妥 当 であ ろ う。
弓 を宗 教 に し よ う と し て いた 阿 波 と 、 阿 波 の特 異 性 を 知 る由 も な
か った ヘリ ゲ ル。 決 し て禅 を肯 定 し て いた わ け で は な か った 阿 波 と 、
禅 的 な るも のを 求 め て や ま な か った ヘリ ゲ ル。 こ の両 者 の対 話 の実
像 は 、 如 何 な る も の であ った の か、 そ れ を 検 証 す る こ と な し に、 ヘ
リ ゲ ル の テ ク ス トを 論 じ る こ と は でき な い。
そ こ で検 証 の題 材 と し て、 ﹃日 本 の弓 術 ﹄ ﹃弓 と 禅 ﹄ の中 で神 秘 的
に し て感 動 的 な ふ た つ の場 面 を 取 り 出 し、 そ れ ら の エピ ソ ード の再
検 討 を企 て た い。 第 一は ﹁暗 闇 の的 ﹂ の エピ ソ ー ド 、 第 二 は阿 波 の
神秘 的 な るも の の検 証 1
1暗 闇 の的
指 導 の根 幹 であ る ﹁そ れ が 射 る ﹂ と いう 教 え に つ い て であ る。
5
第 一の エピ ソ ー ド ﹁暗 闇 の的 ﹂ が ど のよ う な も のだ っ た か を、
﹃日 本 の 弓 術 ﹄ で の記 述 を も と に簡 単 に述 べ て お く 。 ヘリ ゲ ルが 三
年 間 の巻 藁 で の練 習 の後 で、 初 め て的 の前 に立 って 弓 を 引 く こ と を
許 さ れ た と き 、 何 度 や っても 矢 が 的 に 届 か な か った 。 ど う や った ら
的 中 さ せ る こ とが でき る のか 、 と 聞 いた と こ ろ、 阿 波 は ﹁的 中 を 考
え ること は邪道 であ る から、的 を狙 うな﹂ と教 、
兄る。 ヘリ ゲ ル は
﹁狙 わ な い で的 に 当 て る こ と は でき な い﹂ と 納 得 し な い。 そ こ で阿
波 は、 夜 に道 場 に来 る よ う に命 じ る 。
私 た ち は先 生 の家 の横 にあ る広 い道 場 に入 った 。 先 生 は 編 針
のよ う に細 長 い 一本 の蚊 取 線 香 に火 を と も し て、 そ れ を 躱 の中
24
神話 としての弓 と禅
分 から な いく ら い であ る 。 先 生 は 先 刻 か ら 一語 も 発 せず に、 自
の微 か に光 る 一点 は非 常 に小 さ い の で、 な か な か そ のあ り かが
ど 明 る く見 え る。 し か し 的 は ま っ暗 な と こ ろ にあ り、 蚊 取 線 香
来 た。 先 生 は 光 を ま と も に受 け て立 って いる の で、 まば ゆ い ほ
ほ ど にあ る 的 の前 の砂 に立 て た。 そ れ か ら 私 た ち は射 る場 所 へ
○ ・三 % と な った。 ﹁暗 闇 の的 ﹂ の エピ ソ ー ド は、 統 計 学 的 に み て
み た 。 二射 を十 万 回 シ ミ ュレ ー ト し て み た結 果 、 矢 筈 を壊 す 確 率 は
る こ と が でき る 確 率 を 、 コソ ピ ュー タ ・シミ ュレ ー シ ョソ で求 め て
率 九 九 ・七 パ ー セ ント の射 手 が 一本 目 の矢 の筈 に 二本 目 の矢 を 当 て
ル の標 準 的 な 的 に直 径 八 ミ リ メ ー ト ル 0矢 を射 か け る と し て、 的 中
る 九 九 ・七 パ ー セ ント の正 規 分 布 と す る。 直 径 三 十 八 セ ソ チ メ ー ト
し か し、 弓 術 家 間 の共 通 理 解 で は 、 矢 筈 を壊 し て し ま う こと は自
分 の弓 と 二 本 の矢 を執 った。 第 一の矢 が 射 ら れ た。 発 止 と い う
ま れ た。 先 生 は私 を促 し て、 射 ら れ た 二本 の矢 を あ ら た め さ せ
ら 自 分 の道 具 を 壊 し て し ま う と いう 、 恥 ず べ き 失 敗 な の であ る。
も 確 か に稀 な出 来 事 であ る と い え る 。
た 。 第 一の矢 は み ご と 的 のま ん中 に立 ち、 第 二 の矢 は第 一の矢
﹁暗 闇 の的 ﹂ の エピ ソ ー ド は 、 弓 術 家 と し て決 し て 自 慢 げ に話 し て
音 で、 命 中 し た こ とが 分 か った。 第 二 の矢 も 音 を 立 て て打 ち こ
の筈 に中 た って そ れ を 二 つに割 い て い た。 私 は そ れ を 元 の場 所
よ い こ と で は な い。 ヘリ ゲ ル は、 ﹁先 生 は そ れ を 見 て考 え こ ん で い
た﹂ と 書 い て い る。 阿 波 は心 中 、 ﹁し ま った、 お気 に 入 り の矢 を 壊
へ持 って来 た 。 先 生 は そ れ を 見 て考 え こ ん で い たが 、 や が て次
(21 )
の よう に言 わ れ た。
は こ の エピ ソ ード を 、 一人 の高 弟 以 外 の誰 に も 話 し て いな い。 阿 波
し てし ま った ﹂ と でも 思 って い た の かも し れ な い。 事 実 、 阿 波 自 身
暗 い夜 の道 場 で、 師 匠 が 一人 の弟 子 の た め に模 範 を 見 せ る。 ほ と
彼 の講 演 を 読 ん だ後 に、 こ の出 来 事 に つい て、 あ る 日 阿 波 先
し て い る。
小 町 谷 は 、 ﹁暗 闇 の的 ﹂ の エピ ソ ー ド に つ い て、 次 の よ う に 証 言
だ と 考 え る のは 、 邪 推 に過 ぎ る だ ろ う か。
は矢 筈 を 壊 し た こと を、 恥 ず べき こ と と し て 口外 し た く な か った の
こ
ん ど 見 え な いほ ど の的 に向 か って矢 を 放 って、 そ れ が 的 心 に命 中 し 、
第 二 の矢 は的 心 に刺 さ って い る矢 の筈 に命 中 し てそ れ を割 く
の話 に は誰 し も 感 動 を 覚 え る であ ろ う 。
し か し、 感 動 に流 さ れ て、 事 の本 質 を 見 失 う こと のな いよ う 、 こ
波 が 当 時 、 ど の程 度 の的 中 率 を 持 って い た か は 不 明 であ る が 、 百 発
生 に う かが った と こ ろ、 先 生 は 、 ﹁いや ま った く 不 思 議 な こ と
の出 来 事 の ﹁稀 さ ﹂ を 、 あ え て数 量 的 な 手 法 で検 証 し てみ た い。 阿
百 中 に近 か った と 仮 定 し て、 的 中 率 を 統 計 学 で いう 三 シグ マにあ た
25
が あ る も の で す 。 偶 然 に も 、 あ あ いう こ と が 起 こ った の で す﹂
(22 )
と 言 って笑 って 居 ら れ た。
ま た、 阿 波 が こ の エピ ソ ード を 明 か し た唯 一人 の高 弟 であ る安 沢
り は微 塵 も な い。 と こ ろ が 阿 波 が ヘリ ゲ ル に語 った と さ れ る言 葉 は、
こ れ と は ま ったく 雰 囲気 が 異 な って い る。
﹁私 は こ の道 場 で 三十 年 も 稽 古 を し て い て暗 い時 でも 的
が ど の辺 にあ る か は 分 か っ て い る はず だ か ら 、 一本 目 の矢 が 的
い う 何 か にブ ッ ツ か った 様 な 音 が し た 。 そ れ か ら あ と 、 オ イ ゲ
﹁あ の 時 、 礼 射 を や った ん だ 。 甲 矢 が 中 っ て 、 乙 矢 が タ ー ッ と
か ら 出 た の でも な け れば 、 私 が 中 て た ので も な い。 そ こ で、 こ
か も 知 れ な い。 し か し 二 本 目 の矢 はど う 見 ら れ る か。 こ れ は私
な た は考 え ら れ る で あ ろ う 。 そ れ だ け な らぽ い か に も も っと も
平 次 郎 は、 阿 波 自 身 は つぎ の よ う に語 った と述 べ て い る。
ンさ んが いく ら 経 って も 帰 って こ な い んだ 。 オイ ゲ ンさ ん オ イ
ん な 暗 さ で 一体 狙 う こ と が でき る も の か、 よ く 考 え て ご ら んな
のま ん中 に中 た った の はさ ほ ど 見 事 な出 来 ば え でも な いと 、 あ
ゲ ン さ ん っ て 呼 ん だ ﹂ と 云 う ん だ 。 ﹁何 だ 、 返 事 し な い ﹂ と い
さ い。 そ れ でも ま だ あ な た は、 狙 わ ず に は中 てら れ ぬ と 言 い張
よ う に証 言 し て い る。
的 ﹂ の時 に は 、 阿 波 と ヘリ ゲ ルは 二 人 き り であ った。 小 町 谷 は次 の
小 町 谷 の通 訳 を 介 し て阿 波 の指 導 を 受 け て い た。 し か し ﹁暗 闇 の
そ こ に立 ち 現 れ て く る の は、 通 訳 の問 題 であ る。 ヘリゲ ルは普 段 、
葉 と 、 ヘリ ゲ ルに語 ったと さ れ る 言 葉 の落 差 は い った い何 な のか 。
これ は極 め て難 解 で神 秘 的 な 言 葉 であ る 。 阿 波 が 安 沢 に語 った 言
と同 じ 気 持 ち にな ろう で は あ り ま せ ん か﹂
(24 V
ら れ る か。 ま あ 私 た ち は 、 的 の前 で は仏 陀 の前 に頭 を 下 げ る時
へ
うんだ。
そ れ か ら ま あ オ イ ゲ ン さ ん が 的 の前 に ち ゃ ん と 坐 っ て い る 。
先 生 が こ う や っ て そ ぼ 行 っ て (の こ の こ 出 掛 け る 格 好 ) ﹁ど う し
た ん だ ﹂ と 云 う と 、 声 も 出 さ ず に オ イ ゲ ンさ ん凍 て つい た様 に
坐 って い る。 そ し て そ のま ま 矢 を 抜 かず に持 ってき た。
(
中略 )
先 生 は 、 ﹁い や 、 あ れ は た だ の 偶 然 だ よ ﹂、 ﹁こ ん な こ と 別 に
(23 )
お れ は し て見 せ た つも り で も ね え ん だ﹂ と 云 う ん だ 。
これ は阿 波 が 安 沢 に語 った言 葉 であ る。 極 め て平 易 でわ か り や す
い。 要 す る に、 あ れ は偶 然 だ った と いう こ と だ 。 こ こ には 神 秘 の香
26
神 話 と して の 弓 と禅
的 の前 に線 香 を と も し て射 た 二本 の矢 のう ち、 乙 矢 が 甲 矢 の筈
ヘリ ゲ ル君 の講 演 の中 に 、 阿 波 先 生 が ま っく ら や み の中 で、
ぎ の よ う に述 懐 し て い る。
発 ﹂ 以 後 、 難 解 な言 葉 を 多 用 す る よう に な って い た。 小 町 谷 は、 つ
波 の間 に は、 常 に 通 訳 と し て 小 町 谷 が 介 在 し て い た。 阿 波 は ﹁大 爆
段 で あ り 、 悟 道 の方 法 であ る こと を説 い た。 そ し て実 に 即 興 詩
先 生 は ま た、 稽 古 ご と に 、 弓 道 が 術 に非 ず し て精 神 修 養 の手
に当 った こと 、 そ の時 に先 生 が 説 いた話 し の こ と が あ る。 そ の
晩 に は 、 私 は通 訳 に行 か な か った か ら、 ヘリ ゲ ル君 は、 自 分 の
日 本 語 の理 解 力 を頼 り に、 以 心 伝 心 で 、 実 に驚 く べき こ と であ
(25 )
阿 波 と ヘリ ゲ ル の間 に、 そ の時 何 語 で ど の よう な や り と り が あ っ
ろ いろ な 図 を書 い て、 ヘリ ゲ ル君 に 理解 せ し め よ う と し た。 あ
ど か し く な る と 、 た ち ま ち道 場 の壁 間 に掛 け て あ る黒 板 に、 い
るが 、 あ れ だ け の こと を 理解 し た のだ と 思 う 。
た の か は、 今 と な っ て はわ か ら な い。 し か し 阿 波 が 通 じ ぬ言 葉 で、
る 日 な ぞ は、 円 の上 に立 って弓 を 引 い て い る 人 形 を 書 き 、 人 形
人 の如 く 、 禅 的 な 警 句 を随 所 に、 自 由 自 在 に使 った 。 そ し ても
こ の偶 然 の出 来 事 を苦 心 し て説 明 し よう と し た であ ろ う こ と は 、 容
の臍 下 と 円 の中 心 と を 結 び 付 け 、 こ の人 形 す な わ ち ヘリ ゲ ル君
も の で あ る 、 と 説 明 し た こ と も あ った 。
(2
6 )
は、 丹 田 に力 を 入 れ て無 我 の境 に 入 り 、 宇 宙 と 一体 と な る べき
易 に想 像 が つく 。
二本 目 の矢 が 前 の矢 の矢 筈 に命 中 す る と いう 、 偶 然 的 事 象 の空 間
が 生 み 出 さ れ た。 そ こ に 通 訳 不 在 と いう 状 況 が 重 な った 。 ﹁暗 闇 の
櫻 井 は、 ﹁筆 者 ら は、 曾 って 阿 波 研 造 の教 え が 深 遠 で 理 解 に苦 し
的 ﹂ の エピ ソ ード に お い て、 極 め て稀 な出 来 事 が 起 こ った と いう 、
そ の偶 然 に神 秘 を 認 め よと いう な ら ぽ 、 そ れ も 良 い であ ろう 。 し か
み、 先 輩 の ︿通 訳 ﹀ に よ って師 の教 え を模 索 し なが ら 、 辛 う じ て稽
例があ る。
難 解 な 講 義 を別 と し ても 、 小 町 谷 の必 ず し も 適 切 でな い通 訳 の 一
評 し て い る。
(27 )
と く に長 文 のも の に論 旨 の 一貫 性 に欠 け る点 が あ る こと であ る ﹂ と
し 、 そ こ に仏 陀 を 持 ち 出 す こ と は 、 い たず ら に神 秘 を 増 幅 さ せ る効
1 そ れが 射 る
古 に励 ん だ ﹂ と い い、 阿 波 の文 章 を ﹁論 理 の面 で は 厳 密 で な い こと 、
神 秘 的 な るも の の検 証 2
果 し か な か った。
6
次 に 第 二 の エピ ソ ー ド 、 ﹁そ れ が 射 る﹂ の教 え の検 討 に 移 る 。 本
題 に入 る前 に、 通 訳 の問 題 に つ い て整 理 し て お こ う 。 ヘリ ゲ ルと 阿
27
か に、 矛 盾 し た こ と を 話 さ れ た の であ って、 私 の握 り 潰 し戦 法
わ し た いた め に、 いろ い ろ な禅 語 を 使 い、 そ の う ち 無 意 識 のな
し たが って弓 術 を 実 際 に支 え て い る根 底 は、 底 な し と 言 って
は、 先 生 から も ヘリ ゲ ル君 か ら も 、 許 し ても ら え る こと であ っ
的 が 私 と 一体 にな る な ら ぽ 、 そ れ は 私 が 仏 陀 と 一体 に な る こ
であ ろ う 。
訳 を し て いた の であ る 。 し か し 、 一方 的 に小 町 谷 を非 難 す る のは 酷
小 町 谷 は 半 ぽ 、 確 信 犯 と し て 阿 波 の矛 盾 し た言 葉 を 握 り 潰 し、 意
(30 )
い い く ら い無 限 に深 い の で あ る。 あ る いは 、 日 本 の弓 術 の先 生
た と、 今 でも 思 って い る。
(28 )
方 の問 でよ く 通 じ る言 葉 を 用 い て言 う な ら ぽ 、 弓 を射 る時 に は
﹁不 動 の中 心 ﹂ と な る こ と に 一切 が 懸 か って い る。
ヘリ ゲ ル の記 述 と は反 対 に、 ﹁不 動 の中 心 ﹂ は 弓 術 の先 生 の問 で
(2
9 )
は 、 は っき り と は意 味 が 通 じ な い用 語 であ る 。 小 町 谷 は 、 難 解 な 阿
波 の言 葉 を 曲 げ て通 訳 し た こ と に つい て も、 つぎ のよ う に明 快 に証
言 し て いる 。
と を意 味 す る。 そ し て私 が 仏 陀 と 一体 にな れば 、 矢 は有 と非 有
矢 が 中 心 に在 る
の不 動 の中 心 に、 し たが ってま た的 の中 心 に在 る こと に な る 。
る よ う な こ と を言 わ れ る 場 合 も 相 当 あ った。 し か し 私 は そ う い
釈 す れ ば 、 矢 は 中 心 か ら 出 て中 心 に入 る の で あ る。 そ れ ゆ え あ
も っと も 、 時 に は、 先 生 が 先 に教 え てお い た こ と と 、 矛 盾 す
う 時 に は、 ヘリ ゲ ル君 に 通 訳 しな いで 黙 って いた 。 そ う す る と
な た は 的 を 狙 わ ず に自 分 自 身 を 狙 いな さ い。 す ると あ な た は あ
こ れ を わ れ わ れ の目 覚 め た 意 識 を も って解
ヘリ ゲ ル君 は 不 思 議 に思 って、 先 生 は いま な ん と 言 わ れ た か 、
な た 自 身 と仏 陀 と 的 と を 同 時 に射 中 てま す 。
こ と を 繰 り返 し て い る ん だ よ﹂ と言 って、 そ の場 を つく ろ って
常 に熱 中 し て お ら れ る だ け で、 い つも の 一射 絶 命 、 百 発 聖 射 の
東 北 大 学 で国 際 法 の教 授 に な る ほど の人 物 であ って、 外 交 的 な セ ソ
て考 え れ ぽ 、 意 訳 は決 し て 悪 意 に よ る も の で は な い。 小 町 谷 は 後 に
こ のよ う な 、 阿 波 特 有 の意 味 不 明 な言 説 を 通 訳 す る者 の身 にな っ
(31 )
と熱 心 に問 いか け る の で 、 私 は しば し ば ま った く 当 惑 し た 。 そ
し ま った。 つま り 先 生 は 、 弓 道 の精 神 を 説 い て い るう ち に、 お
スと 配慮 を 持 って い た のだ と 理 解 す べ き であ る。
う し て す ま な いと は 思 った が 、 ﹁な あ に、 先 生 は い ま 説 明 に 非
のず から 興 が 湧 い て来 て、 な ん と か し て自 分 の気 持 ち を 言 い現
28
神 話 と して の 弓 と禅
る﹂ の教 え に つ い て、 簡 単 にま と め てお く こ と にす る。 ヘリ ゲ ルが
さ て、 本 題 の ﹁そ れ が 射 る﹂ の教 え の分 析 に 入 ろ う 。 ﹁そ れ が 射
﹁そ れ が 射 る﹂ と は何 な の か。
あ る。 し か し 、 わ れ わ れ は 少 し 立 ち 止 ま っ て考 え る べ き であ る。
こ の エピ ソー ド は、 ﹃
弓 と 禅 ﹄ 全 体 の中 心 と な る感 動 的 な 部 分 で
禅 ﹄ の草 稿 と も いえ る ﹃日 本 の弓 術 ﹄ に は 一切 出 て こ な い。
と教 え た形 跡 が な い。 第 二 に、 ﹁そ れ が 射 る﹂ と いう 言 葉 が 、 ﹃弓 と
す る 。 第 一に、 阿 波 が ヘリ ゲ ル以 外 の弟 子 に対 し て ﹁そ れ が 射 る﹂
筆 者 は ﹁そ れ が 射 る﹂ の教 え に つ い て、 次 の二 つの疑 問 点 を 提 起
何 度 や っても 巧 く 矢 を 射 放 せな い時 に、 阿 波 に尋 ね た。
コ 体 射 と いう も のは ど う し て放 さ れ る事 が 出 来 ま し ょう か。
若 し "私 が " し な け れ ば ﹂ と。
﹁"そ れ " が 射 る の です ﹂ と 彼 は答 え た 。
コ 度 こ れ が お分 り にな った暁 に は、 貴 方 は も は や私 を 必 要 と
﹁で は こ の "そ れ" と は誰 で す か 。 何 で す か ﹂
は 、 ﹁暗 闇 の的 ﹂ の同 じ 場 面 の記 述 で、 ﹃日本 の弓 術 ﹄ で は 登 場 し な
い てし か出 て こな い こ と によ って裏 付 け ら れ る 。 第 二 の点 に つ いて
を 通 読 す る限 り に お い て、 ﹁そ れ が 射 る﹂ が ヘリ ゲ ル と の関 係 に お
第 一の点 に つい て は、 阿 波 研 究 の決 定 版 と も いえ る櫻 井 の研 究 書
し ま せ ん。 そ し て若 し 私 が 、 あ な た 自 身 の経 験 を省 い て、 之 を
か った ﹁そ れ ﹂ が 、 ﹃弓 と禅 ﹄ で は登 場 す る。 ﹃日 本 の弓 術 ﹄ で は、
(
中 略)
探 り 出 す 助 け を 仕 様 と 思 う な らぽ 、 私 はあ ら ゆ る教 師 の中 で最
つぎ の よ う に表 現 さ れ て い る。
(32 )
悪 のも のと な り、 教 師 仲 間 か ら追 放 さ れ る に値 す る でし ょう 。
ヘリ ゲ ルは 、 こ の教 え にな や み な が ら 稽 古 を 続 け た。 そ し てあ る
体 狙 う こと が で き る も のか、 よ く 考 え てご ら ん な さ い。 そ れ で
も な け れ ぽ 、 私 が 中 て た の でも な い。 そ こ で、 こ ん な 暗 さ で 一
で す か ら も う そ の話 は や め て 、 稽 古 し ま し ょ う 。﹂
日 の こと 、 ヘリ ゲ ルが 一射 す る と 、 阿 波 は 丁 重 に お辞 儀 を し て稽 古
も ま だ あ な た は、 狙 わ ず に は 中 て ら れ ぬ と 言 い 張 ら れ る か。 ま
へ
し か し 二本 目 の矢 はど う 見 ら れ る か 。 これ は私 か ら 出 た の で
を 中 断 さ せ た 。 ヘリ ゲ ルが 面 食 ら って阿 波 を ま じ ま じ と 見 て いる と 、
あ 私 た ち は、 的 の前 で は仏 陀 の前 に頭 を 下 げ る時 と 同 じ 気 持 ち
(24 )
阿 波 は ﹁今 し方 "そ れ" が 射 ま し た ﹂ と 叫 ん だ 。 そ し て 、 ﹁や っと
に な ろ う で はあ り ま せ ん か。
(33 )
彼 の云 う 意 味 が の み 込 め た 時 、 私 は 急 に こ み 上 げ て く る 嬉 し さ を抑
え る 事 が 出 来 な か った ﹂ と ヘリ ゲ ルは 歓 喜 す る。
29
こ れ が 、 ﹃弓 と 禅 ﹄ で は 、 つぎ の よ う に 変 わ っ て い る 。
﹃弓 と 禅 ﹄ の序 文 の中 で、 ﹁本 書 の叙 述 に お い て、 私 の師 匠 が 直 接 語
(
3
5)
ら な か った 言 葉 は、 一言 も 記 さず 、 又 彼 が 用 いな か った如 何 な る 比
も のと し て、 第 一仮 説 は捨 て て よ いだ ろ う 。 し か し、 す で に述 べ た
喩 や 比 較 も 用 いな か った ﹂ と 宣 言 し て い る。 こ の宣 言 は 信 頼 でき る
かく 私 は 、 こ の射 の功 は "私 " に帰 せ ら れ る べき も の でな い事
よ う に、 阿 波 と ヘリ ゲ ル の間 に は 小 町 谷 と いう 通 訳 が 介 在 し て お り、
之 を ど う考 え ら れ ま す か。 と に
を 知 って いま す 。 "そ れ" が 射 た ので す 。 そ し て中 て た の です 。
そ の通 訳 の正 確 さ に は疑 問 が あ る。 ヘリ ゲ ルが 記 録 し て いる 言 葉 は、
併 し 甲 矢 に中 た った乙 矢
仏 陀 の前 で の よう に、 こ の的 に向 か って頭 を 下 げ よ う で はあ り
阿 波 が 発 し た言 葉 と は異 な ると 理 解 し な け れ ば な ら な い。 だ が 、 そ
を 超 え 出 た も のを 表 現 す る非 人 称 代 名 詞 で あ る﹂ と指 摘 し て いる 。
(
36 )
ら な いが 、 "そ れ" に当 た るド イ ッ語 の三 人 称 代 名 詞 ①ω は、 自 我
に か の日本 語 に 三 人 称 代 名 詞 を適 用 し た のか 、 本 当 のと こ ろ は 分 か
に "そ れ " と い う 日 本 語 を 語 った の か、 ヘリ ゲ ル自 身 が 語 ら れ た な
﹁そ れ が 射 ま し た﹂ (両ω.σ
qΦ8ゴ。ωω
Φp) に つ い て、 ﹁阿 波 師 範 が 実 際
つぎ に、 第 二 の仮 説 の可 能 性 に つ い て考 え て み る 。 西 尾 幹 二 は、
れ は ヘリ ゲ ル の責 任 で は な い。
(34)
ま せ ん か。
こ れ ら の疑 問 点 に対 す る仮 説 と し て 、 つぎ の二 つが 考 え ら れ る。
﹁そ れ が 射 る ﹂ が 、 ﹃弓 と 禅 ﹄ に お け る ヘリ ゲ ル の 創 作 で あ っ
﹁そ れ が 射 る ﹂ を め ぐ っ て 、 阿 波 と ヘリ ゲ ル の 問 に な ん ら か
た。
一
二
の コ ミ ュ ニケ ー シ ョ ン上 の行 き 違 いが あ っ た 。
こ れ に 関 し て 、 ド イ ッ 弓 道 連 盟 の会 長 で あ った フ ェリ ク ス ・ホ フ は 、
であ った と す る な ら ば 、 ﹃日 本 の弓 術 ﹄ か ら ﹃弓 と 禅 ﹄ ま で の十 数
が 良 い パ フ ォ ー マ ソ ス を 見 せ た と き に 使 う に 無 理 の な い言 葉 で 、 単
い か と の 仮 説 を 提 示 し て い る 。 ﹁そ れ で し た ﹂ は 日 本 語 で は 、 弟 子
薗 ω.ひ
q①ωoげ○ωωΦづ・と 訳 さ れ た の で は な
年 の間 に創 作 し た と い う こ と にな る。 第 一仮 説 に対 し て は、 ﹃日 本
に
日 本 語 の ﹁そ れ で し た ﹂ が
の弓 術 ﹄ は 元 来 講 演 と し て行 わ れ た も の で、 あ ま り 高 度 な 内 容 に は
れが
ま ず 、 第 一の仮 説 を 検 討 す る。 ﹁そ れ が 射 る ﹂ が ヘリ ゲ ル の創 作
踏 み 込 ま な か った、 あ る い は ヘリヅ ル自 身 ﹁そ れ ﹂ に つ い て の解 釈
と いう 自 我 を超 え 出 た何 か が 射 る と いう 形 に意 味 が 変 化 し た の で は
.
国ω.ひ
q①ωoゴ○ωω①P と し て 通 訳 さ れ た 。 そ れ が た め に 、 ﹁そ れ ﹂
﹁い ま の は よ か っ た ﹂ と い う 意 味 に な る 。 だ が 、 ヘリ ゲ ル に は そ
を ま と め き れ て いな か った の だ と 反 論 でき る。 ま た、 ヘリ ゲ ル は
30
神 話 と して の 弓 と禅
(37 )
な いか 、 と い う の であ る。
筆 者 は ホ フ説 を 支 持 す る も の で あ るが 、 ﹁そ れ ﹂ の解 釈 を め ぐ っ
て ヘリ ゲ ル の苦 悩 が あ った と 考 え る。 ﹁そ れ﹂ に 一切 触 れ な か った
﹃日 本 の弓 術 ﹄ か ら ﹁そ れ ﹂ を中 心 に据 え た ﹃弓 と 禅 ﹄ の 発 表 ま で
に、 戦 争 を は さ ん だ と は いえ 十 余 年 の歳 月 を 要 し た こと が 、 そ れ を
物 語 って い る よ う に 思 う 。 ﹃弓 と 禅 ﹄ の序 文 に あ る つぎ の 一文 が 、
そ れ を裏 付 け て い る。
的 な状 態 を 指 す ﹁そ れ ﹂ が 出 現 す る と は 、 到 底 考 え ら れ な い の であ
る。 阿 波 は、 ﹁い ま の は よ か った よ﹂ と ほ め ただ け だ った と 考 え る
ほう が 、 は る か に自 然 であ る 。
し か し 、 ヘリ ゲ ル は ﹁そ れ ﹂ の正 体 に つい て、 次 の よう な結 論 に
到達 した。
弓 射 の場 合 に "そ れ " が 狙 い、 中 て る と 云 わ れ ね ば な ら な い
内 面的 に
それは私 にと
の で あ る 。 そ し て こ の 場 合 で も 亦 そ の "そ れ" と は、 決 し て
自 我 が 意 識 的 な 努 力 で自 己 のも のと し た能 力 や 技 倆 を駆 使 す る
よ う に、 此 処 でも 亦 自 我 の代 わ り に "そ れ" が は入 って来 て、
って た え ま な い練 磨 の十 年 を 意 味 す る ので あ るが
人 々が 理解 し 得 るも の でも 、 又追 い求 め て 獲 得 出 来 る も の でも
し か し な が ら そ の時 、 過 ぎ 去 った 十 年 間 に
一段 の進 歩 を と げ 、 以前 よ り も更 に上 達 し て、 一層 充 実 し た態
な く 、 只 之 を 経 験 し た 人 に のみ 明 ら か と な る 或 るも の に つけ た
(39 )
度 で、 こ の "神 秘 的 な " 弓 道 の中 心 問 題 を述 べ る事 が 出 来 る と
名 前 に過 ぎ な い の であ る。
(38 )
いう 確 信 を 抱 い て いた 私 は、 こ の際 新 に書 き 下 ろ し の著 作 を 公
と す る な らば 、 そ の意 味 は、 そ の道 に熟 達 し た 者 に し か 理 解 でき な
良 い射 を 示 し た時 に 阿 波 が 叫 ん だ 言 葉 が ﹁そ れ で し た ﹂ であ った
訳 さ れ た時 の、 そ の 一瞬 の意 味 のず れ に よ って生 じ た空 間 に、 別 の
す る と、 ﹁そ れ が 射 ま し た ﹂ と いう 教 え は、 日本 語 が ド イ ッ語 に 通
ゲ ル は、 ﹁そ れ ﹂ を 自 我 を超 え 出 た何 か と 理 解 し て し ま った。 だ と
にす る事 を 決 心 し た の であ る。
い、 感 性 的 な ﹁良 さ ﹂ を いう 。 文 脈 か ら 考 え る と 、 阿 波 が 最 初 に
意 味 が 充 足 さ れ て生 ま れ た のだ と いえ る。
﹁そ れ で し た ﹂ が ﹁そ れ が 射 ま し た ﹂ と 通 訳 さ れ て し ま った。 ヘリ
﹁そ れ が 射 ま し た ﹂ と ほ め た時 期 は、 ヘリ ゲ ル は ま だ 正 規 の的 を 射
る こと を許 さ れ る前 の巻 藁 練 習 の段 階 であ った 。 初 心 者 の域 を出 な
い こ の時 期 に お い て、 自 我 を 超 え 出 た何 か と いう ほど に高 度 に精 神
31
い った 空 虚 性 が 神 話 作 用 の源 泉 に な る と 述 べ て い る。 こ の空 虚 な 空
あ り 、 そ の働 き が 神 話 作 用 であ る 。 ﹃弓 と 禅 ﹄ に お い て は、 弓 術 の
間 に意 味 を呼 び 込 ま せ る の は、 個 人 の意 図 や社 会 の イデ オ ロギ ー で
ヘリ ゲ ルは 六 年 間 の日本 滞 在 に も か かわ らず 、 最 後 ま で日 本 文 化
中 に禅 的 な も のを 見 いだ そ う と し た ヘリ ゲ ル個 人 の意 図 が 、 神 話 を
おわ り に
を か い か ぶ って い た 面 が あ る。 例 え ば 、 ﹁術 と 言 え ば 、 日 本 人 は だ
生 み出 し た。
7
れ でも 、 少 な く と も 一つ の術 を修 得 し て、 生 涯 これ を 行 って い る、
と 言 う こ と が でき る ﹂ と い った大 袈 裟 な 表 現 や 、 ﹁日 本 の弓 術 家 に
う いう わ け で はな い。 岡 山 池 田藩 に伝 わ る 日 置 流 印 西 派 の弓 目 録 に
日 本 の弓 術 に はも と も と 禅 的 な 要 素 が な か った の か と いえ ぽ 、 そ
(40 )
は 、 弓 と矢 の使 用 法 に関 し て、 本 当 に中 絶 し た こと は 一度 も な い古
は 、 ﹁弓 は や く い て能 所 の事 ﹂ と い う 箇 条 が あ る。 こ の目 録 の成 立
研 造 は 弓 禅 一致 の表 現 を 用 い て い る。 し か し、 禅 に い た る 道
弓 と 号 す の み。 幸 死 即 生 、 必 生 即 死 の理皆 同 じ 事 な り 。 心 の動 き 、
﹁殺 人 刀 、 活 人 剣 、 真 言 家 の仏 説 に 之 有 る由 。 其 の理 を 取 り て殺 人
(41 )
い立 派 な伝 統 に頼 り う ると い う便 益 が あ る﹂ と い った誤 解 が 散 見 で
は 、 江 戸 初 期 に ま で遡 れ る こ と が 確 か め ら れ て い る。 そ こ に は 、
と し て、 弓 道 や射 道 を 説 いた も の で は な い。 ヘリ ゲ ルの こ の理
危 ぶ み迷 う 問 は殺 人 弓 也 。 身 を 捨 て命 を軽 んじ 一矢 射 るを 活 人 弓 と
(42 )
き る 。 ま た 、 櫻 井 は つぎ の よ う に 述 べ て い る 。
解 は し か し、 日本 人 の う ち にも 同 様 の理 解 が 多 く 見 ら れ る 現 状
いう 也 ﹂ と 書 か れ て い る。 こ こ に は確 か に禅 の影 響 が 入 って いる 。
﹁殺 人 弓 活 人 弓 の事 、 無 門 関 に いう 所 の殺 人 刀活 人 剣 の事 ﹂ と あ り 、
で は 、 彼 を 責 め るわ け に は い か な い。 む し ろ、 日 本 の芸 道 と 禅
し か し こ の目 録 で い って いる こと は、 武 人 の心 意 気 を 示 し て い るも
(44 )
と の差 を 明 ら か に し な か った日 本 の学 者 こ そ責 めら れ る べ き で
の で 、 阿 波 ー ヘリ ゲ ル に つ な が る も の は 何 も な い 。
(43)
あ る。
﹃弓 と 禅 ﹄ は 、 当 時 の 鈴 木 大 拙 ブ ー ム と も 相 関 し な が ら 、 世 界 の ベ
世 界 中 を 闊 歩 し は じ め た 。 一九 五 三 年
ス ト セ ラ ー に な っ た 。 か く し て 、 ﹃弓 と 禅 ﹄ は ひ と つ の 神 話 と し て 、
を与 え る な らぽ 、 ﹁暗 闇 の的 ﹂ で は 偶 然 に よ って生 み 出 さ れ た 事 象
に 共 感 し た 八 十 三 歳 の鈴 木 大 拙 が 、 六 十 九 歳 の ヘリ ゲ ル を 訪 ね て ニ
ヘリ ゲ ル の著 作 で根 幹 を な す ふ た つ の エピ ソ ード に、 あ え て解 釈
の空 間 に、 ﹁そ れ が 射 る﹂ で は、 通 訳 の過 程 で 生 じ た 意 味 のず れ の
ュ ー ヨ ー ク か ら ド イ ツ に 赴 い て い る 。 ヘ リ ゲ ル は 、 ﹃弓 と 禅 ﹄ の 翻
(
昭 和 二 十 八 年 ) に ﹃弓 と 禅 ﹄
空 間 に、 空 虚 な 記 号 が 発 生 し た ので あ る。 ロ ラ ソ ・バ ルト は 、 こう
32
神話 としての弓 と禅
訳 者 の ひ と り 、 稲 富 栄 次 郎 に た いし て ﹁つ い こ の間 、 ニ ュウ ヨ ー ク
(45)
か ら 鈴 木 大 拙 博 士 が 来 ら れ て、 一日 大 い に談 じ た が 大 変 愉 快 であ
った ﹂ と 語 って い る。
﹃弓 と 禅 ﹄ は、 今 な お ベ ス ト セ ラ ー を つづ け て い る。 日本 語 版 は、
﹁日 本 語 ← ド イ ッ語 ← 日 本 語 ﹂ と いう 翻 訳 過 程 で、 阿 波 の言 葉 の原
型 を と ど めな い ほ ど に形 を 変 え て伝 わ り 、 今 な お多 く の人 々 に 弓 道
に対 す る 一定 の見 方 を 与 え 続 け て い る。 こ の論 文 の目 的 は、 ヘリ ゲ
を 追 わ な け れ ば な ら な い。 続 編 は 、 ま た稿 を 改 め て詳 記 し た い。
註
引 用文献 の表記 は、 原則 と し て常 用漢 字、 現代 かな つ か いに準拠 し
た。
﹁大 日本射 覚院 ﹂ を設立 し、 ﹁射 禅見 性﹂ を唱 え た。
(
1) 例 えぽ、 自 らを ﹁射仏 ﹂ と名乗 った大平 善蔵 は、 一九 二一
二年 に
(2) 大森 曹玄 ﹁禅 と弓道 ー ヘリゲ ル博士 の ︿弓と禅 ﹀﹂ ﹃現 代弓道 講
座 ﹄第 六 巻
ル の著 作 と 周 辺 資 料 を 別 の角 度 か ら 読 み直 す こ と に よ って、 ﹁日 本
的 な るも の﹂ が 創 出 さ れ て い った神 話 作 用 を 明確 化 す る こ と にあ っ
新 聞﹄ 一九七 八年 四月十 一日号、 源 了圓 ﹁武道 の自 然観 -阿 波研 造
一九 八 一年。
一九九 五年 など。
こ れ ら は み な 、 弓 術 の テ ク ニカ ル タ ー ム であ る。
誕 百年祭 実行 委 員会
(
3) 櫻 井保 之助 ﹃
阿波 研 造-大 いな る射 の道 の教﹄阿 波 研造先 生 生
の場合 ﹂ ﹃日本 人 の自 然観 ﹄ 河出童旦房新 社
一九 八 二年 、 西尾 幹 二 ﹁
和 魂 洋魂 ー 無 心 ﹂ ﹃日本 経済
た。 ま た そ れ は 同 時 に、 ﹃弓 と 禅 ﹄ が これ ま で ほ と ん ど 無 批 判 に読
ま れ て き た こ と への、 さ さ や かな 抗 論 の試 み で も あ った。
筆 者 の構 想 で は 、 ﹃弓 と 禅 ﹄ に関 す る論 及 は ま だ 第 一段 階 のも の
(
4)
(5 ) 櫻 井 前 掲 書 、 一六 二 頁 。
であ る。 つぎ の段 階 と し て、 外 国 人 の日 本 理解 、 な か んず く 弓 術 へ
の俗 解 を 与 、
兄た ﹃弓 と 禅 ﹄ の特 異 性 を 究 明 す る た め に 、 ﹃弓 と 禅 ﹄
(6 ) 櫻 井 前 掲 書 、 一四 五 頁 。
(8 ) 櫻 井 前 掲 書 、 一六 四 頁 。
(9) 櫻 井 前 掲 書 、 二 二 三 頁 。
頁。
(7 ) 櫻 井 前 掲 書 、 一五 九 - 一六 〇 頁 。
と 同 時 期 に や は り 外 国 人 に よ って 記 録 さ れ た 日 本 の 弓術 に関 す る テ
ク ス トを 対 置 し 、 内 容 を 比 較 検 討 す る 必 要 が あ る 。 ま た、 ヘリ ゲ ル
が ド イ ッ国 内 で行 った ﹃日本 の弓 術 ﹄ の講 演 を、 ナ チ ズ ム の嵐 が 吹
(
10 ) 櫻 井 前 掲 書 、 二 六 六 頁 。
(
11 ) 櫻 井 前 掲 書 、 二 一〇 1 二 =
き 荒 れ て い た 一九 三 六 年 ベ ル リ ン と いう 時 代 背 景 にお い て定 位 し な
お す 必 要 が あ る。 さ ら に は ﹃日 本 の弓 術 ﹄ を 戦 後 に リ メ ー ク し た
一九 五 六 年
(
以後
﹃弓 と 禅 ﹄)、 五 六 頁 。
オ イ ゲ ン . ヘリ ゲ ル (
稲 富 栄 次 郎 、 上 田 武 訳 ) ﹃弓 と 禅 ﹄協同
(12 )
出版
﹃弓 と 禅 ﹄ が 広 く 受 け 入 れ ら れ 、 阿 波 ー ヘリ ゲ ル の弓 術 思 想 が 伝 統
的 な も の と錯 覚 さ れ て 、 日 本 に逆 輸 入 、 伝 播 さ れ て い った プ ロ セ ス
33
(
13 )
(
14 )
﹃
弓 と 禅 ﹄、 四 四 - 四 五 頁 。
(
以後
﹃弓 術 ﹄ 文 庫 版 )、 一六 ー 一七 頁 。
オ イ ゲ ン ・ ヘリ ゲ ル (
柴 田治 三郎 訳) ﹃
日 本 の弓 術 ﹄ 岩 波 文 庫
一九 八 二 年
(
33 )
(
32 )
(
31 )
﹃弓 と 禅 ﹄、 一二 八 - 一二 九 頁 。
﹃
弓 と 禅 ﹄、 一二 六 - 一二 七 頁 。
﹃
弓 術﹄ 文庫 版、 四三頁 。
(
3
4 ) ﹃弓 と 禅 ﹄、 一四 一i 一四 二頁 。
昏 Φ Oo屋 8 器 昌8 ωし ・一口け
Φ学
(35 ) ﹃弓 と禅 ﹄、 三 七 頁 。
(
40 )
(
39 )
(
38 )
﹃
弓 術﹄ 文庫 版、 九頁 。
﹃
弓 術 ﹄ 文 庫 版 、 六 一頁 。
﹃
弓 と 禅 ﹄、 一六 五 頁 。
﹃
弓 と 禅 ﹄、 三 六 頁 。
(43 ) 櫻 井 前 掲 書 、 二 八 三 頁 。
射 は幕 末 に中 絶 し て い る 。
的 に よ って 弓 と 矢 の使 用 法 が 異 な る。 騎 射 は室 町 か ら 江 戸 期 に、 堂
(42) す で に 見 た よ う に、 日 本 の弓 術 に は 、 歩 射 、 騎 射 、 堂 射 と 、 目
(41)
一㊤逡 ●
蠧 江8 巴 内旨 α○ 錚 日 Oo皀ニヨ 零 08 巴 貯 σqρ 薯 ・
囲 -ω㎝"寓 四39 饋 "
(37 ) 悶Φ穿 ω 閏・=o{抄 =①三 ひqΦ一餌巳
(15 ) ﹃弓 と 禅 ﹄、 五 九 頁 。
所 収 )、 六 九
一九 九 一年 )、 二 〇 〇 i 二 〇 一頁 。
(36 ) 西 尾 幹 二 ﹃行 為 す る 思 索 ﹄ 中 央 公 論 社 、 一九 八 二年 、 三 二 頁 。
所収
(16 ) ﹃弓 術 ﹄ 文 庫 版 、 二 三 - 二 四 頁 。
﹃禅 の道 ﹄ 講 談 社 学 術 文 庫
(17 ) 榎 木 真 吉 ﹁ヘリ ゲ ル小 伝 ﹂ (オ イ ゲ ソ ・ ヘリ ゲ ル (
榎木真 吉 訳)
(18 ) 榎 木 前 掲 書 、 二 〇 二 頁 。
(
19 ) 櫻 井 前 掲 書 、 二 八 五 頁 。
(
20 ) 小 町 谷 操 三 ﹁ヘリ ゲ ル 君 と 弓 ﹂ (﹃弓 術 ﹄ 文 庫 版
﹃
弓 術﹄ 文庫 版、 四 六i 四七頁 。
- 七〇頁 。
(
21 )
阿 波 研 造 博 士 と そ の弟 子 オ イ ゲ ン ・ ヘリ ゲ ル博 士 の
(22) 小 町 谷 前 掲 書 、 九 九 頁 。
(23 ) ﹁
座談会
事 を 小 町 谷 博 士 に聞 く ー そ の三 1 ﹂ ﹃弓 道 ﹄、 第 一八 三 号 、 昭 和 四 十
(44 ) ﹃日 置 流 弓 目 録 ﹄
年 八月、 四1 七頁。
(24 ) ﹃弓 術 ﹄ 文 庫 版 、 四 七 ー 四 八 頁 。
﹁ヘリ ゲ ル先 生 の想 い出 ﹂ (﹃弓 と 禅 ﹄ 所 収 )、 一五
岡山 大学 附属 図書 館池 田家 文庫
(25 ) 小 町 谷 前 掲 書 、 九 八頁 。
(
45 ) 稲 富 栄 次 郎
頁。
(
26 ) 小 町 谷 前 掲 書 、 八 六 1 八 七 頁 。
﹃
弓 術 ﹄ 文 庫 版 、 = 二頁 。
(
27 ) 櫻 井 前 掲 書 、 六 - 七 頁 。
(
28 )
﹁
会 ﹂ を 指 す も の で あ る と 思 わ れ る 。 ﹁会 ﹂ は 弓 を 引 き 絞 った 状 態 か
(29 ) 小 町 谷 が 選 択 し た ﹁不 動 の中 心 ﹂ と い う 概 念 は 、 弓 道 用 語 の
ら 、 さ ら に左 右 に力 を 加 え つ つ発 射 の機 を 熟 さ せ る 状 態 を いう 。
(30 ) 小 町 谷 前 掲 書 、 八 七 - 八 八頁 。
34
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