...

日本記者クラブ会報1998年5月号

by user

on
Category: Documents
18

views

Report

Comments

Transcript

日本記者クラブ会報1998年5月号
功 労 会 員 制 度 の導 入 決 ま る
第 一号 会 員 に 藤 原 作 弥 氏
動 に貢 献 さ れ た 会 員 を 遇 す る ﹃功
事 会 で 、 長 期 に わ た って 委 負 会 活
画 委 員 と し て 、 主 に 経 済 ・金 融 関
足 か け 十 年 に わ た り 当 ク ラ ブ の企
銀 の 副 総 裁 に就 任 さ れ ま し た が 、
ご 承 知 の よ う に藤 原 さ ん は 、 11
が 満 場 一致 で 椎 き れ ま し た 。
労 会 員 制 度 し の導 人 が 決 ま り 、 第
四 月 十 七 日 闇 催 の第 一
.
一
〇 一.
回理
一号 の 功 労 会 員 に 、 時 事 通 信 社 の
係 の ゲ ス ト の選 定 か ら 出 席 依 頼 の
身 会 員 の、 同 制 度 の 新 設 を 決
向 も う か が い、 会 費 免 除 で 終
事 長 、 杉 出総 務委 口
貝.長 の ご意
せ ら れ ま し た。 そ こ で 加 藤 理
方 は な い の か ﹂ と い う 声 が寄
﹁何 か 功 労 に ふ さ わ し い遇 し
し た ご 努 力 に 多 く の会 員 か ら
く れ ま し た 。 藤 原 さ ん の こう
ク ラ ブ の評価を 大 いに 高 め て
ま で ]手 に 引 き 受 け 、 内 外 に
交 渉 、 司会 、会 報 の原 稿 執筆
前 解説 委 員 会 顧 問 の藤原 作 弥 さ ん
シ ラ ク 大 統 領 尋 用 と 司 会 の 加 藤 理事 長 用 のボ デ
ィ ウ ム を 並 べ 、 立 った ま ま で の会 見 ︹4 ・29)
発 行
〔平1茂1〔〕{ド}
東 京 都 千 代 田 .区 内 幸 町 ニ ノ ﹁ ノ 一
日本、
フ レ ス セ ン タ ー ビ ル ⑰ 蝋 -咀
日 本 記 者 ク ラブ
實○.
浸 .
.
五 ∩)、
一.
吐 比に 陵 睡 ﹂
.
C社 団 法 八
と答 申 内容 を 説 明 しま し た。
﹁誠 に 、 残 念 な が
これを受 け て加 藤 理事 長 が 規約
第 五条 を 踏 ま え
ら ﹂ ヒ、 受 賞 者 な し 、を 議決 し た
の で す 。 加 藤 理 事 長 は ﹁ジ ャ ー ナ
リ ズ ム の活 性 化 の た め にも 、 で き
隔ジ 静
、ー ナ リ ス ト 魂 を 忘 れ
け す る ﹄ と の礼 状 が 届 き ま し た 。
栄 で 名 誉 な 御 配 慮 、 有 リ 難 く お受
は と いう 候 補 を 多 数 推 薦 ー て い た
いと ころ。 来 年 は各 社 とも 、 こ れ
と いう の は 、 皆 さ ん に も 異 論 の な
れ ば 毎 年 .優 れ た 受 賞 者 を 幽 し た い
そし て
だ き た い﹂ と 強 く .
要 望し ま した 。
﹃誠 に 光
ず 、 肝 に 銘 じ て 新 し い職 責 に遇 進
副・
E席 な ど 、 海 外 の 超 V I P を お
シ ラ ク 大 統 領 、 中 国 の胡 錦 濤 国 家
ァ ロ大 統 領 を は じ め 、 フ ラ ン ス の
て来 [さ れ た イ タ リ ア の スカ ル フ
四 月 の ゲ スト は 七 入 。 国 賓 と し
弼受 賞 者 な し
招 き でき ま し た し 、 斎 藤 十 朗 参 院
﹁選 号 委 員 の 評 価 が 三 つ 1
9一大 き く
す る も の で あ った 、と し た う え で 、
ー された.
二候 補 と も ク ラ ブ 賞 に 値
会 の 経 過 に つ い て 報 告 。 エ ント リ
日新 聞
ぶりを 遺憾 な く 発 揮 し まし た 。 毎
い て の質 問 に 答 え る な ど 、 知 日 派
いう 漢 字 を 説 明 し て [本 経 済 に つ
と い う シ ラ ク 大 統 領 は 、 ﹃危 機 ﹄と
特 に、 今 回 で 四 卜 四 回 目 の 訪 日
議 長 、 町村 信 孝 文 相 ら 、国 内 の要.
割 れ 、 最 終的 には 表 決 が 行わ れ た
員 長 が 、推薦 委 員 会 の推 薦 を 受 け
が 、 第 一回 投 票 で 、 三 分 の 二 を 得
聞
八 に も お 出 で いた だ き ま し た 。
る 候 補 がなく 、過 半 数 に達す る候
ま し た 。 お 読 み く だ さ い,
那部
吉正)
﹁産 経 抄 ﹂ (5 ・8 ) に 紹 介 さ れ
﹁余 録 ﹂ (5 i ) と 産 経 新
補 も な か った た め 、 ク ラ ブ 賞 内 規
(専 務 理 事
て 開催 さ れた 四月 三 日 の選考 委員
選 考 委 員 長 でも あ る 杉 田総 務委
﹂ と決 ま りま し た。
ラ ブ 賞 は 同 理事 会 で 、 残 念 な が ら
と こ ろ で、 本 年 度 の H 本 記 者 ク
記 さ れ て いま し た 。
す る 覚 悟 です ﹄ と 、 決 意 の ほ ど が
さ っそ く 藤 原 さ ん か ら
め て いた だ いた わ け で す 。
5月10日
に よ り 、 受 賞 者 な し 、 と な った ﹂
(1)
日本 記 者 ク ラ ブ 会 報
黛含q暑
1qq只f三 『 日1nFl筆
第339号1
1998年
で 日本 が ア ジ ア ヒ 欧 州 の 橋 護 し 役 を
国 民 の理 解 を 呼 び か け た 、 A S E M
い﹂ ︹
小 渕 外 相 )と し 、 外 交 闘 .
題 への
が 、﹁外 交 は 政 府 だ け で 行 う の で は な
け に国民 の 目 が内 向 き にな り が ち だ
ても そ こ は イ タ リ ア入 だ か ら 、 取 材
が 本 当 に 印 象 的 だ った 。 記 者 と い っ
ァ八 記 者 た ち の 静 け さ ヒ 行 儀 の 良 さ
に姿を 現 し た ヒ き .同 行 し た イ タ リ
員 や 在 日 大 使 館 員 に囲 ま れ て 会 見 室
小 柄 な ス カ ル フ ァ ロL
八統 領 が 、 随
ま で の大 統 領 は、 キ リ ス ト 教 民、
L党
象 ヒ な り 、 政 汁 d 命 を 失 った 。 そ れ
てき た大 物 政 治家 は ほ と ん ど 捜 査 対
た ヒき で 、 戦後 のイ タ リ ア を 動 か し
対す る 汚 職 捜 査 の嵐 が 吹 き 荒 れ て い
長 か ら 大 統 領 に就 任 し た . 政 治 家 に
大 統 領 は ︼九 元 二年 五 月 、 .
卜院 議
イ タ リ ア大 統 領
かな リ果 た し たと 誇 示 し た,
対 象 レrして 面 白 い政 蟻伽{
氷に Aム・
りレ一
、
オ ス カ ル ・ルイ ジ ・ス カ ル フ ァ ロ
質疑 で は 、 ロシ ア の エリ ツ で ンー
入
た いし て 親 し く な いの に フ ァ ー ス ト
院 議 員 で あ った が . ビ ち ら か レ一いえ
外務事務 次官
統 領 の訪 日 が 延 期 さ れ た あ ヒ だ け
ネー ム で 呼 び 掛 け たり、 質 問 の た め
ぱ 一匹 オ オ カ ミ タ ィ フ で 、 派 閥 を 作
俊二
に 、 目 ロ問 題 へ の 関 b が 高 か 一
.た 。
競 って 手 を 挙 げ た り す る な ど , そ の
ら な か った 、 身 辺 の 済 潔 さ に 定 評 が
柳井
次 官 は 北 方 領 ト で の 日 ロ共 同 繰 済 活
興奮 ぶ り は す ぐ わ かる。 彼 ら が お ヒ
あ った た め 、 政 治 への信 頼 回 復 の 切
そ の 後 の 質 疑 応 鷺口も F 際 よ く こ な
す 。 事務 方 の総 帆
只任 者 ヒ し て 、 日 本
地.
⋮
.
年 解 散 11 の 古 参 の ド
当 ク ラ ブ へ の 登 場 は ヘー回 で 三 回
動 に つ い て ﹁深 く 議 論 は し て いな い 、
な し か った ヒ こ ろ に、慎 重 な 発 言 で
に レ一
り す が って 許
た 僧服 姿 の大 統 鎮
卜 宇架 を 胸 に つ っ
ラク シ .
兀凱
自相 が 、
疑 で起 訴 さ れ た ク
や大 規 模 な 収 賄 容
レ オ ッ テ 、..
兀首 相
.ア疑 惑 の ア ンド
日 のよ う に、 マフ
だ った 。 漫 画 で 連
リ ,ク の 坊 さ ん 姿
領 は、 い つも カ ト
た、 当 時 の新 聞 漫画 で描 か れ る 大 統
(D C )
目 、冒 頭 の 約 四 卜 分 間 の ス ピ ー チ も 、
領 ﹂ 問 題 を ビ う 解 決 し て いく か に か
外 交 を 担う 白信 か ら か.
領 の真 骨 .項 が あ る の か も し れ な い。
﹁記 者 泣 か せ
り札 と し て 超 党 派 で担 がれ た のだ っ
し が二 つでき た か。
基
硯鼎冗に桝㎜
剛且杜ム酬﹂
説 禾又昌只
尚 一
た 。 日 ロ、 巨 韓 問 題 で ど う に か 兄 出
いと 述 べ、 今 秋 ま で の 妥 結 を 一
小唆 し
中 大 統 領 の訪 11 ま で に め ど を つ け た
U韓 新 漁業 協 定 に つ いては . 金 大
に不快 感 を 示 し た ,
て ﹁凱 ち ・
人 った 話 ﹂ を し て い る こ と
良 好 だ が 、 米 要 入 が 日木 経 済 に つ い
次 官 はま た 、 日米 関 係 は基 不的 に
に前 向き の姿 勢 を .
小し た 。
必 要 が あ る ﹂ と 述 べ、 ロ シ ア 側 提 案
か って い る . 両 国 が 広 く 知 恵 を 出 す
﹂ ヒ言 われ てき た 大 統
控 室 で の 記 帳 の 際 、弔 村 委 員 が ﹁見
蹴 し にな る よ う な 話 を .一つは し て く
だ 赦、い﹂と 今心ヰ一
捌ロし た が 、 ﹁外 交 課 題
は 多 いの でね ﹂ と 笑 いな が ら か わ し
た.
柳 片 次 官 は ﹁わ が 国 の ・
E要 外 ﹂
父課
(ア ジ ア 吹
題 ﹂ と いう 資 料 を 事 島
嗣に配布 し て い
た の で、最 近 のA S E M
州 会 議 )首 脳会 議 の結 果、 これ に 関
連 す る ア ジ ア 経 済 危 機 への 対 応 、 日
ロ首 脳 会 談 の見 通 し 、 日 米 、 日 韓 関
㌧
昌㌔活ワ11{}ノ
一・
委 歩i
争:尋1]「
尚
係 な ど 醸 要問 題 に つ いて要領 よく コ
メ ント し た .
宝利
(2)
承'垂」{1占}卜委 ら1
口1`セ
{卜 食 ∫,
i、丼(∫ ド
次 嘗 は 11 本 経 済 が よ く な い時 期 だ
ん も会 見 に 同 席
ン+さ
長 女 の マIIア
ト
ス
ゲ
ヅ
ラ
ク
第339号
1998年5月10日
第339号
1998年5月10日
る に頑 固哲 で自 分 の政 治 信 念を 曲 げ
分 の 道 を 歩 いた と いう こ と は . 要 す
に あ り な がら、 派 閥 に属 さ な いで自
つ あ る 。 長 い間 D C と いう 中 核 与 党
坊 さ ん姿 で描 か れ た 理由 はも う 一
た。
た イ タ リ ア国 民 の 留 飲 を 下 げ て い
し を 請 い、 政 治 家 の 腐 敗 に怒 って い
者 が ﹁き ち ん と 点 数 を つけ る .
へき だ ﹂
だ った 、 ロ ー マ の メ ッサ ジ ェ ロ の 記
領 の 立 場 か ら 点 数 を つけ ら れ な い﹂
ら れ る か 聞 い て み た 。 答 え は ﹁大 統
政 治 改 革 の 進 ち ょ く 具 合 に 何 点 つけ
本 の状 況 とも 関 連 し て、イ タリ ア の
こ ろ か 精 気 す ら み な ぎ って いる 。 日
ってき た はず だ が、 疲 れを 兄 せ る ど
駆 け 引 き な ビ 、 ず っと 修 羅 場 を く ぐ
日 本 記 者 ク ラ ブ の企 画 に つ い て
に 比 べ て 少 な い感 じ を 受 け る 。
った 基 本 に 関 わ る 記 事 は 、 ひ と こ ろ
の 選 挙 制 度 を ど う 変 え て いく か と い
民 の意 見 を 反 映 さ せ る た め に 参 .
議院
参 議院 の機 能 は ど うあ る べき か 、 国
く さ ん出 て いる が . 二院 制 の 下 で の
報 道 では 参議 院 に 関係 し た .
記事 は た
と こ ろ で 、 最 近 の新 聞 ・テ レ ビ の
歳 で議 長 に 就 任 、歴 代 議 長 の最 年 少
話を.
兀に .
戻す ヒ 斎 藤 氏 は 、 丘 卜 丘
レ一
あ り が た い。
んか ら 率 直 な感 想 や意 兄 を いた だ く
さ せ て いく た め に も . A吾 貝の み な さ
と う れ し く な る。 企 画 の中 身 を 充 実
ヒ 、 企 画 の意 味 が わか っても ら え た
言 が 引 尉 さ れ て いる の を 見 つけ る
ラ ムや 社 説 な ど に企 画 し た 会 兄 の発
デイ リ ー の.
記事 にな ら な く て も 、 コ
(
な か った か ら だ 。 [ さ が な い政 治 家
と援 護 射撃 し て く れ た が、受 け 付 け
は 、 当 面 の 大 き な 問 .題 を タ イ ム リ ー
な役 割 だ と 個 人 的 には考 え て いる 。
た ち は 陰 で 、 妥 協 し な い と いう 意 味
て く れ な か った 。 ﹁記 折 泣 か せ ﹂は 相
いう 印 象 を 受 け た 。
を こ め て ﹁神 学 者 ﹂ と 呼 ん で いた 。
で、 政 界 で は 続 投説 も 聞 か れ る 。 ボ
スト はと も か く 、時 代 の大 き な 変 わ
に 取 り L げ る こ と が第 一。 こ れ に 加
え て.比 較 的 地 味 な テ ー マで も 基 本
リ 目 を 迎 え て いる の で 、 参 議 院 の 基
本 ・在 り 方 に 踏 み 込 ん だ 改 革 の 推 進
役 を 期 猟けし た い。
川、
”
出席
神志 名 泰裕
4 ・17 (
金 昼.
食 会 司会
恵.
r委員 神志呂 泰裕委 員
1ノ
、
8
N 11 K 解 説 委 員
川
㎜
開
川
O EC D 経 済 総 局 長
問 題 提 起 か ら 十 八 年-ぶ り に実 現 し た
参 議 院 の独 自 性 を 発 揮 す る た め 、
身 の エ コノ ミ ス ト であ る。 そ れ だ け
済 総 局長 は 、 イ タリ ア の中 央 銀 行 出
イ グ ナ ツ ィ オ ・ビ ス コO E C D 経
部 に み ら れ る 口 本 経 済 論 に は ﹁崩 壊
だ が、 最 近 、 外国 の マス コ ミ の 一
イ グ ナ ツ イ オ ・ビ ス コ
に関 わ る問 題 に 取 り組 む こ と が 大 き
変 わ ら ず のよ う だ 。
共 同 通 信社 編 集 委 員
正信
取 り出 し 、国 民 に 身 近 な 参議 院 を 目
川 4 ・16 ︹
木 }記 耗会 兄 司会 加
㎜ 藤博久 理躯 長 通訳 レ !テ ル駐
川 H尺 使館 通 訳官 出席 隙人
中沢
そ ん な 孤 高 の 姿 勢 を ち ゃ か し て大 続
領 に 僧 服 を 青 せ た の だ った 、
久 し ぶ り に 兄 た 大 統 領 は 顔 の色 つ
や も 良 く 、 上 機 嫌 だ った 。 イ タ リ ア
政 黒川の再 編 と 財 政 赤 {
r削 減 . 単 ご 翅
貨 ユ ー ロ導 入 を め ぐ る 欧 州 各 国 と の
参 議 院選 挙 が 近 づ いて きた ので、
指 し て 努 力 し て いる こ ヒ を サ ラ リ と
参 議院議長
斎 藤 議 長 に登場 願 った 。当 面 の政治
P R 、 ま じ め そ う な 風 ぼ う と 違 って
十朗
の 争 点 だ け で な く 、 参 議 院 の在 り 方
な か な か 、 芸 が 紐 か い.
.
斎藤
に つ い て考 え て お こ う と いう 狙 い か
﹁衆 議 院 の カ ー ボ ン ・コ ピ ー 的 存 在
押 し ボ タ ン式 投 西耶、 委 n
貝会 の再 編 成
に 口本 経 済 に つ い て の話 も 感 情 を 抑
ψ 前 の 日 本 ﹂ と い った 調 子 の も の が
内 容 に終 始 し 、 正直 い って、 さ し て
で は な いか と の 批 判 に ど う 答 え る
な ど の説 明 を 聞 く と 、 歴 代 議 長 に は
え 、 客 観的 な 数 字 に基 づ いた 手 堅 い
ら であ る。
か ﹂ と いう 質 問 に 、 衆 議 院 に は な い
少 な い ﹁説 明 能 力 の あ る 政 治 家 ﹂ と
.面 自 いと は 思 え な か った 。
参 議 院 独 自 の カ ラ ー 印 刷 の傍 聴 券 を
(3)
ト
ス
ゲ
ブ
ラ
ク
と を 指 摘 、 こ れ ら の マイ ナ ス 面 に ど
期 、 構 造 的 な マイ ナ ス 要 閃 が あ る こ
産 業 分 野 で の競 争 力 の 欠 落 な ど 、 長
の 場 A14は 人 目 の 老 齢 化 や 、 サ ー ビ ス
加 者 記 録 (三 .
一.一八 )を 塗 り 替 え た 。
九 一.
年 の 江 沢 民 総 書 記 の 時 の最 多 参
を 会 見 の ゲ スト に 迎 え た が 、 今 回 は
皮 切 り に、 過去 ニレ 六 人 の中 国要 入
じ 非 民・
王的 選 出 パ タ ー ン で は っ・
﹂と
が 江 沢 民を 後 継哲 に 指 名 し た のと同
と の 質 問 が いき な り 飛 ん だ 。﹁郡 小 .平
か 、 そ れ とも だ れ か が 推 し た のか﹂
と く に 徴侃通 、 運 輸 、 エ ネ ル ギ ー 、
ヰb
包 ん で旧
呪れ た 。 胡 啓 ゐ
凱 ・.
兀政 り
禰局
ン ス ﹂ は 、 紺 の ス ー ツ に 気 ロ⋮と 知 性
丘 卜 丘 歳 の ﹁中 国 第 四 世 代 のプ リ
も 、な ゆ た いと も 思 わ な か った ﹂﹁全
続 き を 説 明 し た L で ﹁自 分 が な る ヒ
じた様 。
†は な か った , 憲 法 の 選 出 手
胡 氏 は 一瞬 苦 笑 を 浮 か べ た が 、 動
い う 底 意 のあ る 質 問 だ っ た .
電 気 通 信 な ど の分野 で の規 制 緩 和 を
常 務 委 員 に 似 て いる な あ 、と 思 った 。
人 代 代 表 ヒ八 民 の 信 傾 の 表 れ で あ
” への関 心 のな せ る 業 だ。
多 い だ け に 、 か え って O E C D のよ
強調 し て いた のが注 目 さ れ た 。 最 後
同 じ 共 産 主 義青 年 団 の出 身 。 啓立 氏
り 、 期 待 に こた え る べく 全力 を 尽 く
”未 知
う な国 際機 関 の責 任 あ る専 門 家 が 日
に 、 日 本 経 済 は 基 盤 が し っか り し て
も 次 世 代 の指導 者 と 嘱 望 さ れ た が、
・
・ーチ ャ レ ン ジ す る か が 大 き な 課 題 だ
本 経済 を ど う 評 価 し て いる か が わ か
いる の で長 期 的 に みれ ば 大 丈 夫 と の
す ﹂ と よ ど みなく 答 え た 。
と警 告 し て いた。
って 有 益 だ った 。
. 安 門 事 件 で挫 折 し た 。 柔 和 な外 見
大
72人
﹁あ な た の 若 さ で 副 主 席 に 選 ば れ
わ る のは 疑問 だ ﹂ と の質 問 への応答
国 首 脳 が いま だ に 過 去 の 戦 争 に こ だ
と し な が ら ﹁日 中 は 歴 史 を 教 訓 に し
発 展 に 日米 と の関係 は いず れも 重.
要
は 巧 み だ った 。 世 界 と 地 域 の .
悟和 と
た の は 不 可 解。 肖 分 で 立 候 補 し た の
﹁日 米 ど ち ら と の 関 係 が 蔽 要 か 、中
明 る い展 望 にも触 れ、 話 を 締 め く く
経済 総 局 長 は 、 几 八 年 の 日 本 の G
の 陰 に 強 い意 思 を 秘 め た タ イ プ だ 。
田中 洋之助
(
毎 B新 聞 O B )
出席
関 係 を 発 展さ せ る べき ﹂ と 語し 、 H
本 側 の 歴 史 認 識 の甘 さ を さ り げ な く
指 摘 。 1ー 中 が 米 中 レ一
同様 に戦 略的 パ
そ れ が 今 春 の全国人 民代 表 大 会 で
日 中 共 産 党 の関 係 修 復 の 動 き を 率
も っぱ ら 党 務 畑 を 歩 み . 外 国 と 接 す
川 了
㎜ 4 ・鉤 {
月り記者会 見 司会 リ
⋮ ンダ .シーグ委 員 通 訳 長片鞠
個人 D会員
って いた 、
D P成 長 率 を ド 方 修 正 し た 理 由 と し
て 、 ア ジ ア 通 貨 危 機 の影響 、 九 七年
度 か ら の財 政 引 き 締 め 、 銀 行 に よ る
中 小 企業 への貸 し 渋 り と いう 三 つ の
要 因 を挙 げ て いた. し か し 、 こ れ ら
中 国国家 副主 席
は いず れ も 短 期 の 要 因 で あ り 、 日 本
胡錦濤
﹁フ ー ・ジ ン タ オ (胡 錦 濤 )、 フ
で チ ベ ット 自 治 区 党 再 記 か ら 共 産 党
国 家 副 主 席 に選出 され 、 対 外 活 動 の
直 に 認 め 、 米 国 の レ ス タ ー ・ブ ラ ウ
! ト ナ ! にな る に は 、 な お努 力 を要
の ト ップ 七 人 で 構 成 す る 政 治 局 常 務
表 舞 台 に 。 副 主席 とし て海 外 デ ビ ュ
ン博 士 の中 国 の 水 資 源 ・食 糧 危 機 説
る 機 会 が 少 な か った せ い だ ろ う 。
委 員 会 入 り し た 時 、 多く の人 が驚 い
ー に な った 日 本 で 、 本 格 的 記 者 会 見
に 関 す る 質 問 に は 、 中 国 の 水 利 ・食
i 2 ﹂。 一・
几九 .一年 秋 、四 十 代門の 若 さ
た 。 昨 秋 、 常 務 委 員 に再 選 、 次 期 総
に初 め て 臨 ん だ. 当記 者 ク ラ ブ では
す る こ とを 示 唆し た。
書 記 の最 有 力 候補 と の定 評 を 得 て
七 八 年 の故 郡 小平 副首 相
糧 政 策 の正 し さ を 強 調 し て 反 論 、 清
﹁フ i P ﹂ が つき ま と う 。
(当 時 ) を
も、依然
(4)
ト
ス
ゲ
ブ
ラ
ク
第339号
1998年5月10日
第339号
1998年5月10日
義 青 年 団 の 伝 統 だ ろう
す べき だ ﹂ と厳 しく 批 判 し た 。
つぶ れ る だ ろ うし 、 個 入 的 に は つぶ
も な か っ た 。そ れ で も 通 常 な ら 退 学 、
も な い。 ノ ン セ ク ト だ が ラ ジ カ ル で
(三 八 と も 同
華 大水 利 工 程科 阜 の専 門家 ヒ し て の
停 学 処 分 を 受 け て も お か し く な い立
”秘 話 ” も 。
首 相 官 邸 や国 会 に 石 を 投 げ た ヒ い
場 だ った ﹂ と の
の系 譜 と 受 け取 ら れ ると ころ だ が、
う 人 が 、 いま や 自 民 出
兄 の 幹 虹r長 と い
し た ひ と 昔 前 な ら “タ カ 派 文 教 族 η
全 体 の ト ー ンは 法 秩 序 を 全 面 に 出
姓 と は ー )。 カ リ ス マ性 と は 無 縁 の 、
共 同 通 信 社 編 集 局 次長
正
今 はそ ん な 色 分 け は 不要 な ほ ど 、教
う 安 保 闘 争 匪 代 が 政 治 の第
.線 歩﹂撹
育 の 荒 廃 が 深 刻 と いう こ と だ ろ う 。
う ご 痔 勢 で も あ る 。 ﹁皆 手 中 の 跨 手 ﹂
﹁新 憲 法 、 教 育 基 本 法 に 問 題
あえ て
と い う 毛 筆 で 、 文 相 は 大 き く ﹁誠 実 ﹂
と書 いた 。
毎 日 新 聞 社 論説 副 委 員 長
岸 井
川 4 ・28 ︹
火}昼 食会 司会
⋮ 恵 f委 員 岸 挫 成 格 委 員
臆 D 、
田 8ノ
川.
11
出席
ら 、 日本 に厳 し いこと を 言 うはず は
フ ラ ン ス大 統 領
成 格
の根 源 が あ る レ一
考えるか﹂ と質問し
てき た シ ス テ ム が壊 れ始 め た 。 教 育
㎜ 4 ・2
4 ︹
金)記茜会見 司会 斎
㎜ 田 一路 理嚇 通訳 呉江 浩馴 11大
⋮ 使館 一等 詐記官 出席 蜀入
伊藤
新 し いタ イ プ の指 導者 と 見 受 け た 。
プ ラ イド を のぞ か せ た。
そ の応 答 ぷ り に 頭 の 回 転 の 速 さ と
と も に誠 実 か つ率 直 な 人 柄 が う か が
え た。党 幹 部 の腐 敗 が深刻 化 し て い
(元 総
る 中 、 こ の 人 に ス キ ャ ンダ ル の う わ
さ は皆 無。 廉 潔 さ は故 胡 耀 邦
書 記 ︺、胡 啓 藍 両 氏 が 指 導 し た 共 産 主
にも 崩 壊 現 象 が見 え る﹂ と 断 じ 、 最
ろ に よ る と 、 東 大 の学 園 闘 争 の時 は
文帽
町村 文 相 は会 見 に合 わ せ て、 焦 点
近 の 少 年 犯 罪 の凶 悪 化 、 い じ め 、 不
ス ト を 指 揮 す る 全 学 連 の書 記 局 に い
信孝
﹁そ う は 孝 え て いな い﹂ と いう
の 教 育 改 革 プ ログ ラ ム の 改 訂 案 を 発
た と い う 。﹁し か し 、三 派 で も 民 青 で
町耕
たら
表 し た 。 ク ラ ブ への 敬 意 と サ ー ビ ス
登 校 な ど ﹁こ こま で 学 校 の 荒 廃 が 進
答 え だ った 、
の あ ら わ れ だ った よ う だ 。 改 訂 の 要
む と、 家 庭 の問 題 にも踏 み 込 ま ざ る
ジ ャ ッ ク ・シ ラ ク
﹁実 は ﹂と 文 相 が 明 ら か に し た と こ
点 は ① 心 の教 育 の充実② 個性 を 紳 ば
を 得 な い﹂ と の 認 識 を 示 し た 、
ま た 害ハ任 、 義 務 の 伴 わ な い・
目由 と
し多 様 な 選 択 が で き る学 校 制 度 の実
現③ 現 場 の白 駐 性 を尊 重 し た 学 校 づ
冒 頭 に 四 十 四 回目 の来 日 と 紹 介 さ
な い , そ れ で も ﹁日 本 滞 在 は 楽 し い 。
平 鮒寸の 山
権 利 此思温
識 のμ
∬き 過 ぎ・が ﹁,
悪平
滞 在 が短 す ぎ る の が い っも 残念 だ ﹂
れ た 。 三 年 前 に大 統 領 に 当 選 し た と
き には 確 か 訪 H 四レ 回 の親 日 家 と 紹
と いう の は 外 交 辞 A11で は な く 水翰口の
等 と無 秩 序 を 生 ん だ﹂ と 、 具 体 的 な
介 さ れ て いた か ら 、 そ れ 以 降 で も 四
。
事 例 を 挙 げ な が ら 、 家 庭 や 渇†校 教 育
よ う だ。
く り の促 進 ④ 大 学 改 革 と研 究 振 興 の
冒頭 、 文 相 は こ の日報 じ ら れ た大
の 問 .題 を 指 摘 す る と と も に 、 そ れ は
任 佐}
子
﹂
﹂i
蔵 省 の大 量 処 分 に 触 れ ﹁戦 後 を 支 え
回 目 の 訪 問 と いう こ と に な る 。 今 回
日 本 経 済 の 先 行 き に つ いて は 、 回
﹁大 入 の 社 会 に も 真 卍 面 か ら 反 省 を
は フ ラ ン ス文 化 を総 合 的 に 日本 に紹
求 め る こ と で も あ る ﹂ と 語 った 。
復 す る と 信 頼 し て いる し 、 心 配す る
て いな いと 日本 政府 を 激 励 す る .
菖葉
介 す る た め の ﹁U 本 に お け る フ ラ ン
相 撲 を 愛 し 、 日 本 文 化 に 詳 し い大
を 並 べ た が 、 そ の後 で 日 本 通 ぷ り を
さ ら に文 相 は 大 学 改 革 に 関 し て
統 領 が フ ラ ン ス 商 品 の輸 出 促 進 に つ
必 要 は な い、 欧 州 諸 国 も 不 安 を 持 っ
そ う で な い 大 学 の華 が 大 き い ﹂ と 述
披.
露した。
ス年 ﹂ 開 幕 式 出 席 のた め。
べ た う え で 、﹁文 相 と し て は 語 弊 が あ
な が る イ ベ ント のた め に来 た のだ か
﹁積 極 的 に 取 り 組 ん で い る 大 学 と 、
る か も し れ な い が 、 や ら な い大 学 は
(5)
ト
ス
ゲ
ブ
ラ
ク
(リ ス ク V は 管 理 し な け
漢 字 で は ﹁危 機 ﹂ は 危 険 と 機 会 と
の で 欧 州 統 合 建 設 に は 支 障 が な いと
権 を と って も 、 コ ン セ ン サ ス が あ る
の だ と説 明 し 、欧 州 でど の政 党 が政
敦口く 。 危 険
(チ ャ ン ス )
な 顔 を し て悲 観 的 に考 え る よ り将来
は 、 米 欧 自 由 貿 易 協 定 構 想 を ﹁や り
フ ラ ンス大統 領 ら し さ を 畠し た の
○ 囲碁 の会●
一
.一
月 の例 会 が 四 月 にず れ 込 ん で し
ま った た め 、 遅 れ ば せ な が ら 九 七 年
⑦長尾潤
(・80 ) ② 船 山 庄 一
度 の 各 種 ベ ス ト テ ン の 発 表 で す .(敬
称 略V
勝率
→ 72 V .
④吉 沢
(・68 ) ⑥ 丸 山 勝
(・79 )③ 田 川 丘 郎
正 也 、 中 俣 冨 .二郎
→ 61 ) ⑧ 河
→ 58 ) ⑩
(17 ) ② 日
(・56 ) (十 五 局 以
→ 59 ) ⑨ 山 崎 政 八
(・63 ) ⑦ 目 比 野 和 幸
野聡
小 沢 信 昭、 出 田 裕
上V
持 ち点 増加 数① 田 川 五 郎
“
日経 、 産経
一 年 生 記 者 が シ ラ ク会 見 を “取 材
れ ば な ら な いが 、 機 会
に 向 け て機会 を と ら え る こ とを考 え
方 が 横暴 だ ﹂ と厳 し く 拒 否 した こ と
欧 州 の成熟 ふ りを 誇 .
不し た ,
る べ き だ と 説 いた の だ 。 ほ か の ヒ こ
と . 文 化 の 画 一性 は 危 険 だ と 断 言 し
エ レ ー ヌ ・ヘ ス ケ
真)。
フ ラ ン ス の シ ラ ク 大統 領 の 会 見14.29)に 、
ll本 経 済 新 聞 と産 経 新 聞 の 新 人 記 者 が 、 研 修
の ひ とつ と し て 出 席'し ま した.4月
に 入社 し
た ば か りの 計45人 は 緊 張 した 面 持 ち で 会 兄 場
に 入 り、 ベ テ ラ ン 記 者 に 混 じ り熱 心 に メ モ を
会 見 終 ∫後 、 大 統 領 の “生 の 姿 、 に 興 奮 し
な が ら 出 て き た 産 経 の 記 者 は 「日 本 の メ デ ィ
ア だ け で な く、 ロ イ タ ー な ビ世 界 的 な ブ レ ス
の 記 者 も脇 で 取 材 を し て い た 。 遠 い 世 界 だ っ
た 場 所 に い ま 自分 が い る ん だ と思 う と圧 倒 さ
れ ま し た 」と新 人 ら し い 感 激 の 弁 。 さ ら に 「日
本 の 非 核 一三原 則 を ど う 思 うか 質 問 して み た か
っ た 」 と い う頼 も しい 発 言 もあ り ま した 。
(10 ) ⑤ 長 尾 潤
(9 ) ⑤ 中 俣 富 二、
︹7 ) ⑧ 羽 田 晋 .、 山 路
① 西 山武典
(18 )
(35 )② 目 比 野
(19 ) ⑨ 後 藤 文
(時 事 通 信 顧 問 )、
午 後 一時 か ら で す 。
次 回 の 例 会 は 五 月 二 上 ﹁.H ︹⊥ )
長 ) の両 氏 が 新 た に入会 し ま し た 。
斉 藤 寿 (北 目 本 新 聞 東 京 支 社 編 集 部
な お、 佐 伯 安 彦
康 、 都 留重 人
⑦ 占 沢 正也 、 下 村 澄
⑤ 相 川 誠 一 (24 V⑥ 小 野 盛 四 郎 ︹23 )
和 幸 (31 )③ 田 川 五 郎 、 吉 川 真 澄 ︹28 )
勝 ち数
憲 夫 (6 )⑩ 松 本 昭 男 、 河 野 聡 (5 )
郎 、大 空 博
也
比 野 和 幸 、 船 山 庄 一 (11 ) ④ 占 沢 正
取 っ て い ま した(写
は つ か ま え な け れ ぱ な ら な い。 膿
ホ刻
ろ で も ﹁木 を 見 て 森 を 見 ず ﹂ にあ た
った が 、 壇 上 に 並 ん で いす に座 る よ
た こ と だ 。 名 指 し は し な か った が .
目本 や ア ジア の危 機 と は 対 照的 に
り ス マー ト に 見 え る 。 た だ し 、 こ の
る 表 現 を さ り げ な く 使 った り 、 日 本
欧 州 が自 信 を深 め て いる ことも 言葉
日 は 百 几 ト セ ンチ を 超 す 長身 の シラ
﹁英 語 帝 国 室 義 ﹂ へ の 反 撃 で あ る .
のは し はし に にじ み 出 て いた、統 一
ク 大 統 領 が 相 手 だ った だ け に 、 司 会
文 化 に つ い て の素 養 は さ す が に 付 け
﹁ユー ロ﹂ の ス タ ー ト 確 定 で 欧
立 って の会 見 に 出 た の は 初 め て だ
通貨
者 が や り にく そう に見 え た.
伊 藤 ひろみ
ノ
」、1rlカ ミー ユ
(6)
焼 を㌔刃 で は な い。
州 は ア ジア経 済 危機 の 影 響 を 免 れた
個 人 D 会 員 (共
民雄
同通信OB)
秋山
本 多f{知1∫ ・
通訳
加藤 博久理事 長
司会
者会 見
4.29{水,記
ト
ス
ゲ
プ
ラ
ク
第339号
1998年5月10日
出 席3il[入
第339号
1998年5月10日
氏 ) を 報 告 し た後 、 五 月 号 の編集 に
出席
波 、 埜 邑 の各 委 員 。
田 村 、 塚越 、 和 田 、 秋 山、伊
な ど に つ いて 意 見 を 交 換 し た 。
臓会 議 報 告 顧
左会 議室 “
つ い て 協 議 し た ほ か 、 .夏 の 口
写の 特 集
︹4 ・3
98 年 度 日 本 記 者 ク ラ ブ 賞 選 考 委 員 会
クラ ブ 賞 推 薦 委 鼓会 の春 原 昭 彦 委
員 長 の 報 告 を 受 け た 後 、選 考 に 入 り 、
出席
藤、 市村 、 村 上 の各 委員 。
第 71 回 総 務 委 員 会
︹4 ・17 小会議 室 ︺
・
几 七 鉱-度 の事 業 報 生口お よ び 収 支 決
算 を 原 案 通 り承 認 、 次 期 繰 り越 し 収
(収 支 差 額 四 . 五 六 八
田 、 住 田 、 斎 田、 長 谷 川 、 出
村 (泰 )、斉 藤 、小 笠 原 、 黒 澤 、
小会 議 室 )
木 下 、 石 川 、 浅 野. 酒 井 の各
理 事 。 矢 野 監 弔.
第 m回 施 設 運 営 委 員 会
︻4 ・⑳
几 ヒ年 度 の貸 室 収 入と ア ラ ス カ か
支 差 額 処 分案
万 五 、 0 11 じ 円 の う ち 、 一. ○ O O
ら の割 リ 戻 し 収 入 に つ いて 事 務 局 か
第 蹴 回 企 画 委 員会
万 円 を 退 職 準 備 禎 立 金 に . .、 ○ ○
ら 報 告 が あ っ た 後 、前 回 に引 き 続 き 、
﹁本 年 度 は 受 賞 折 な し ﹂ を 決 め 、 理
禾各貝交 代一 ︹
時 事 ・藤 原 作 弥 氏 か ら
∩)万 円 冷﹂資 産 准・
備 積 俘⋮
金 に繰 り 入 れ
総務委 員 会 か ら検 討を 依 頼さ れ た テ
最 終的 に は内 規 によ る投 票 の結 果 、
福 沢 亜 夫 解 説 委U
貝長 兼 婿
柵集 局 解 説 セ
几 八 年 度.
r算 に 追 加 計 上 し 、 二 . 丘
ー マ ・若 手 の 現 役 記 者 に 親 近 感 を 持
L
へ会議室 ︺
杉 田 委員 長。 神 塚 、 住 田 、 斎
ンタ ー 長 、 N H K ・小 宮 山 洋 f 氏 か
六 八 万 配 、〇 五 七 円 を 繰 越 金 と す る )
(4 ・15
田 .田 村、田畑 、石 川 、浅 野 、
ら 迫 田 朋 子 解 説 委 員 )を 報 告 し た 後 、
事 会 へ答 申 し た 。
酒 片 の各委 員 。 加 藤 理事 長 、
し た。
マレー シ ア 歴 台 天 国
︹N T T 出 版
寄 贈書
野原
明
培春
ヒ 一.○ 円 ︺
陸
ユー ラ シ ア 研 究 所
現 代 の ロシ ア
一、 四 〇 〇 円 }
(
丸善 ラ イ ブ ラ リー
母 親 のた め の 教 育 学
{ご恵 贈 いただきま し た H
川 、 山 田 の各委 員 .
石 川 委 員 長, 佐藤 、 川 村 、 宮
って も ら う た め の 方 策 に つ い て 協 議
出席
を 作 成 し、 理事 会 に ヒ 申 し た。
杉 川委員 長 。 住 川、斎 出、 田
斎 藤 副 理 事 長 、那 部 導 務 理 事 .
村、 石 川、 浅 野 、 酒 片 の各 委
第 襯回 理事 会
﹁受 賞 者 な し ﹂ を 決 定 し た .
一、 瓦 八 年 度 日 本 記 者 ク ラ ブ 賞 の
の総 務 委 員会 案 を 承 認 し た。
一、 兀 L 年 度 の 事 業 報 告 ・収 支 決 算
{4 ・17 大会議 蜜 }
の両 副 理 事 長 、那 部 専 務 理 事 。
神 塚委 員 長 。 住 川 、 重 村 、宝
A・後 の ク ラ プ ゲ ス ト に つ い て 意 兄 を
出席
大会議室}
菱 山 、 ワ ー グ ナ ー 、 浅 挫 の各
委員。
第 25 回 監 事 会
(4 ・15
富 尾 、矢 野 の両 監 事 。
九 七 年 度 の 会 計 監 査 を 行 った .
出席
第 瑠 回 会 員 資 格委 員 会
個 人 を 対 象 に ﹁功 労 会 員 制 度 ﹂ を 新
情 報 総覧
一、 委 員 会 活 動 で 多 大 な 貢 献 を し た
五 月 一日 付 の 人 退 会 を 審 議 し 、 理
設 し 、 藤 原 作 弥 ・前 企 画 委 員 に こ れ
小会議室 一
事 会 に答 申 し た.前 回 に引 き 続 き、
防 衛 庁 長官 官 .
房広 報 課
平 成 捕年 版 防 衛 ハン ド ブ ック
を 適 用 す る こと を 承 認 し た 。
副 理事 長 、 那 部 専 務 理 事 、 杉
加藤 理事 長 、 斎 藤 、 藤村 の両
ジ ュ ニ ア 会 員 制 度 の導 入 や 法 入 賛 助
斎 田 委員 長。 北 村 、 河 西 、伊
出席
出席
会 員 の 入会 問題 に つ いて協 議 し た。
(4 ・16
会 員 の著 書
員。 加 藤 理 事 長 、 斎 藤、 藤 村
出席
小 会議室 }
代表 取締役 社長
利 、 小 林 、福 沢 、 迫 田 ,羽 生 、
交 換 し た。
{1 ・B
︹
大 空博 氏 か ら秋 山 民 雄
第 剛 回会 報 委 員 会
委 員交 代
武彦
A法 人 会 員 代 表 変 更 ∀
産経 新 聞 社
(
新)清原
︹旧 ) 羽 佐 間 重 彰
河北 新 報 祉
(
新 ) 河 束 田義 郎
取 締 役 論 説 ・編 集 ・次
東京支 局長
期 制作 シ ステ ム担 当
(旧 ) 相 沢 雄 一郎
CN N
(新 } 上 村 マリ ー ナ
(旧 ) ジ ョ ン ・ル イ ス
(7)
書 いた 話
書 か な か った 話
美 千生
も 口を き かな いことも あ る から ね
私 の 担 当 当 時 は ﹁保 利 さ ん も 、
の古 強 者 を 配 し て
を決意 、 社 を 辞 め
一度 落 選 し て か ら は 随 分 柔 ら か く
え ー ﹂ と 、 新 米記者 に 同 情 的 な眼
たため 、 建 設 省 担
な った ﹂ と いう 評 判 も 聞 こ え てき
いた が 、 同 記 者 が
当 だ った 若 い 私
た だ け に 、 目 の前 に い る 難 解 な 政
差 し を 向 け てくれ たも のだ 。
が 、 急 き ょ ﹁剰 員
治 家 の 昔 は 一体 ど う だ った の だ ろ
衆 院選 挙 に立 候 補
ク ラ ブ ﹂ の 一員 と
う、 と 想 像 した りし た 。
さ て 、冒 頭 の横 羽 線 開 通 式 の朝 、
な った の で あ る 。
東 京 目 翌⋮の E 仁
は 各 社 、 相 当 の ベ テ ラ ン記 者 を 配
佐 藤 派 の重 鎮 ・保 利 氏 に つ い て
し な がら親 切な 他社 の先輩 記 者 に
き た ら 、 ま る で ﹁禅 問 答 ﹂。 恥 ず か
(
現 朝 日 新 聞 西 部 本 社 代 表 取締
け 出 し だ った 朝 日 の 羽 原 清 雅 記者
あ と 一人 、 や は り 私 同 様 、 ま だ 駆
私 は 開 通 式 の テ ー プ カ ット に 出 席
十 一月 ニー
,八 日 の こ と で あ る 。 折
し て いた 。そ し て 保 利 番 記 者 は ﹁剰
頼 ん で 帰 路 、 近 く の 喫 茶 店 で ﹁翻
役 ) と 二人 が、保利 氏 を 真 ん中 に
木 通 り の 保 利 邸 へ の朝 駆 け が H 課
し も 、 当 時 の佐 藤 栄 作 首 相 は 、 自
員 ク ラ ブ ﹂ と 呼 ば れ て いた 。 名 前
訳 ﹂ を し て も ら って か ら 、 社 の デ
挟 む よ う に し て 横 浜 へ向 か った 。
氏 を 担 当 し て いた の に は 、 ち ょ っ
尾崎
保利 茂 さん のピ シ ャリ
あ れ は 高 速 道 路 ・横 羽 線 の開 通
民 党 総 裁と し て三 選 を 果 たし た も
の由来 は、保 利氏 が農林 大 臣 の時
ス ク に報 告 を 入 れ る と いう 体 た ら
す る 保 利 建 設 大 臣 の 車 に ﹁ハ コ乗
の の 、 す で に党 内 で は ﹁ポ スト 佐
の総選挙 で油 断 し て落選 、 不 遇 を
く も 一度 で は な か った 。
で に お お か た の大 臣 ポ ス ト が 固 ま
と な った が 、 保 利 氏 と ベ テ ラ ン 記
藤 ﹂ へ向 け て の姦 動 が 始 ま って お
か こ って いる 時 に 訪 れ て いた 記 者
保 利氏 と は姻 戚筋 に当 た る社 の
り、 焦点 は内 閣官房 長 官 にだ れ が
と し た 訳 があ った 。
り、 同 三十 日 に完 了 し た佐 藤 改造
た ち を 、 保 利 氏 が 同 氏 一流 の譜 誌
先 輩 か ら ﹁ど う だ ね 、 最 近 の 親 父
座 る か に 絞 ら れ て いた 。
式 の 日 だ った か ら 、 昭 和 四 十 三 年
内 閣 の 人 事 を め ぐ って は 、 福 田 赴
精 神 で ﹁(
ネ タ の な い)わ し の と こ
さん のご機 嫌 は P﹂と 聞 か れ た こ
一時 は 、 当 時 要 職 を 離 れ て いた
り ﹂(
同 乗 取 材 Vを す る こ と に 成 功 。
夫 、田 中 角 栄 両 氏 の 動 き を 焦 点 に 、
ろ へ来 る 諸 君 な ん ぞ 、 さ し ず め 新
と が あ る 。 ﹁え ー 、 ま あ ﹂と あ いま
田 中 角 栄 氏 の名 前 も 取 リ ざ た さ れ
者 の間 で 交 わ さ れ る 話 の難 解 さ と
激 し い舞 台 裏 の駆 け 引 き が 展 開 さ
聞 社 のあ ま リ 者 (
も ん )じ ゃ ろ う ﹂
いな 答 え を す る 私 に 、 先 輩 記 者 は
た が、 こ の日朝、 佐 藤 首 相 に 呼ば
じ っと 窓 の 外 を 眺 め な が ら 何 分 間
れ た 田 中 氏 は 、 官 房 長 官 ポ スト を
話 は 当 然 、 改 造 人 事 。 そ の 日ま
れ て い た。
と 、 か ら か った こ と に 端 を 発 し た
﹁ワ シ が 何 か 質 問 し ても 、 無 言 で
私 は 、 佐 藤 派 の 番 頭 格 で、 建 設
大 臣 だ った 保 利 茂 氏 番 を 任 さ れ て
ら し い。
同 クラブ に は ﹁
毎 日﹂も か な り
いた 。 と は 言 って も 、 ま だ 政 治 部
新 米 記 者 だ った 私 が 大 御 所 の 保 利
(8)
第339号
1998年5月10日
務 大 臣 )は 苦 手 じ ゃ﹂ ﹁死 刑 の ハ ン
は 、 そ れ ま で の 取 材 に ﹁横 文 字 (
外
﹁親 福 出 ﹂と 見 ら れ て いた 保 利 氏
し たも のと観測 さ れ た。
に身 近 な 官房長 官 への就 任 を固 辞
首 相 の ﹁調 整 ﹂ を 警 戒 し て、 首 相
相 に 福 田 赴 夫 氏 を 推 し て いた 佐 藤
臭 いを 嗅 ぎ に い った ら し い。 私 は
劇 の 空 臼 時 間 を 利 用 し て、 人 事 の
邸 に佐藤栄 作 首 相 を 訪 れた 。 改 造
派 の侍 大 将 、 木 村 武 雄 氏 が 首 相 官
この日 のお昼 過 ぎ 、 やは り佐 藤
や ら な いよ う で す よ ﹂と 報 告 し た 。
クに ﹁
保 利 さ ん の官.
房長 官 は ど う
言 葉 の激 し さ に 圧 倒 さ れ た 。 デ ス
の 気 概 も あ った ろ う 。 私 は 、 そ の
った ポ スト な ど 受 け ら れ る か 、 と
先 輩 格 の自 分 が 、 田 中 角 栄 氏 が け
そ の後 私 は 、 建 設 省 か ら 労 働 省
は ﹁後 の 祭 り ﹂ で あ った 。
いた か も し れ な い。 し か し 、 そ 釦
ら、あ る いは 特 ダ ネをも の にし て
の懐 を 読 む 能 力 が備 わ って いた
う。当 時 の私 に、もう 少 し 政 治 蜜
氏 の条 件 反 射 で は な か った か と 黒
シ ャリ ﹂ は 、 図 星 を 指 さ れ た 保 利
後 で考 え て み る と 、 私 へ の ﹁ピ
房 長官就 任 が 発 表 され た。
い。 結 局 二 日 後 に は 、 保 利 氏 の 官
を漏 らし た のか どう かは 分 か らな
し かし 、 そ れ が永遠 の別 れ と な っ
き 良 く な る さ ﹂と 佐 賀 弁 で 答 え た 。
や いた 私 に 、 保 利 氏 は
に な っ て く だ さ い ﹂ と .耳 元 で さ さ
会 見 が 終 わ り 、 ﹁先 生 、 早 く 元 気
長 辞 任 の 記 者 会 見 を セ ット し た 。
ク ラ ブ で 当 番 幹 事 だ った 私 が 、 議
一年 後 、 病 に 倒 れ 、 当 時 衆 院 記 者
外 と 早 か った 。 衆 院 議 長 就 任 か ら
そ のあ と .保 利氏 と の別 離 は意
え て く れ た。
崎 君 か 、 一別 以 米 じ ゃ な あ ﹂ と 迎
を じ っと 凝 視 し な が ら 、 ﹁お う 、尾
断 って いた 。 ポ ス ト 佐 藤 の座 を 密
コ押 し (
法務 人 臣 V は ご勘弁 を ﹂
担 当 を 経 て 、 正 式 に自 民 党 ク ラ ブ
か に 狙 って いた 田 中 氏 は . 後 継 首
と 、 残 さ れ た 重 要 ポ ス ト へ の就 任
議 員 会 館 に戻 った ﹁木 村 元 帥 ﹂ を
た。
一九 .
二し 年 生 ま
﹁ナ ニ 、 じ
拒 否 を 言 外 に ほ の め か し て いた 。
に移 り 、 ﹁角 福 戦 争 ﹂の前 夜 、 田 由
め、ポ スト 佐 藤 では、福 田 氏 を 堆
、
蚕 か な か った 話
、議 会代 表幹事 .
調査 部 艮.入 口問題 調査会 那 務 局長兼編
集委 員 などを務 める。現 在、 入 11問.
題協
れ。 h
ハ一.
組丁{
母日斬闇囲・
へ社り 政 払
旧憩⋮酔
H甜叩{
目
邸 クラ ブキ ャ ップ、 政冶部 副 部 長、世論
みち お会 負
﹁ピ シ ャリ ﹂ 事 件 を ど う 見 る か 、
﹁バ ル カ ン政 治 家 ﹂と 言 わ れ た 三
し て いた 保 利 氏 の と こ ろ か ら は 向
右 側 に 座 って いた 私 の 左 の大 腿 部
に 、 保 利 氏 の分 厚 い右 手 が 飛 ん で
おざき
追 っか け て 、 こ の 日 朝 の保 利 氏 の
私 は ズ バ リ 切 り 込 ん だ つも り だ っ
木 武夫 氏 さえ 、 田中 内 閣 誕生 の際
然 に足 が遠 の いた。再 び 保 利 氏 P
角 栄 通 産 相 担 当 と な った 。 そ の ハ
﹁
キ ミには し て や ら れた よ﹂ と シ
会 った の は 、 福 田 氏 を 退 け て 田 山
聞 いて み た 。
ャ ッポ を 脱 い だ 木 村 氏 、 な か な か
角 栄 氏 が 首 相 の座 にす わ り 、 保 創
た 。﹁先 生 、こ う な れ ば も う 官 房 長
の タ ヌキ ぶ り で 有 名 だ った が 、﹁官
氏 が衆 議 院 議 長 に 就 任 し て か ら 弔
官 し か な いで は あ り ま せ ん か ﹂。そ
き た 。相 当 の力 が 入 って い た。﹁キ
邸 に は絵 を 見 に 行 った だ け さ 。 だ
ある 。
の 時 で あ る 。 ﹁ピ シ ャ リ ﹂と 大 臣 の
ミ は わ し が初 め て 官 房 長 官 を や っ
が 保 利 と いう 御 仁 は ね 、 佐 藤 の 言
な って いた 保 利 議 長 を 公 邸 に 訪 杁
う 久 し く ご 無 沙 汰 し て敷 居 の 高 /
私 が衆 議 院 担 当 記 者 と し て 、 乳
た 時 、 も う 生 ま れ と った か ね ﹂ と
う こと な ら ど ん な こ と で も 聞 く
木村 氏 が首 相 官 邸を 訪れ た 際 、
る と 、 議 長 は 分 厚 い眼 鏡 越 し に 劃
よ ﹂ と 解 説 し て く れ た。
いう 怒 気 を 含 ん だ 声 と 一緒 に 。
前 の 吉 田 内 閣 の時 に 官 房 長 官 の重
首 相 が 保 利 氏 の 官 房 長 官 への 起 用
保 利 氏 はす で に 、 こ の 十 七 年 も
責 を こ な し て いる 。 佐 藤 派 内 で は
書 いた 詣
(9)
こ う し た 情 勢 を 背 景 に、 車 中 の
第339号
1998年5月10日
ワ ー キ ンク
だ が 、 今 年 ︼月 か ら の 、 こ う し た
プレ ス
ま た 、外部 か ら 最高 意志 決定 機
ら 、 一部 、 先 取 り し て い る 。 公 定
日本 銀 行 の記者 ク ラブ の担 当 に
事 前 に 日程を 公 開す る と とも に、
関 の 政 策 委 員 会 に 人 った 人 た ち の
姿 勢 が な け れ ば 、 日 銀 の自 浄 能 力
決 定 内 容 を直 後 に公 表 。 月前 半 の
発 言 のな か に は 、 過 去 の金 融 政 策
歩 合 操 作 な ど の基 本 的 な 金 融 政 策
会 合 で 決 め た情 勢 判 断 は 、 二営 業
への理論的 批 判 や 、 現状 に対す る
な っ た の が 、 昨 年 の 四 月 一日 。 一
日 後 に ﹁金 融 経 済 月 報 ﹂で 公 開 す る
分 析 な ど 、 いま ま で の 目 銀 マ ン に
に 対 す る 批 判 は も っと 強 ま って い
と と も に、 会 合 の 議 事 .
要 旨 も ﹁カ
は な い率 直 な も の が あ り 、 記 者 も
を 決 め る 政 策 委 貝 会 の 会 議 を 月 .一
月 後 に は 公 開 す る よ う に な った .
、
試 さ れ て い る 。 ﹁過 去 か ら の 独 ﹂1ービ
年後 に、 改 正 日銀法 の施 行 があ る
政 策 委 員 会 の冒 頭 写 真 撮 影も数
応 じ な い こ と にな った 。 事 前 に金
月か ら経済部 日銀 クラ プキ ャソプ
す ぎ うら .のぷゆき
一九 八 .年人杜 経 済
部 ロンド ン特 派員 など を 経 て 垢 し 年 四
れ の 課 題 でも あ る 。
新 た な金 融取 材 を 担 当す るわ れ わ
(藤 原 副 総 裁 )は 、 目 銀 と と も に 、
合 の前 後 二 営 業 H を ﹁プ ラ ック ア
る こ と が 必 要 だ が 、 口 銀 は こ の会
材 は 、 委 員 の意 見 を 慎 重 に 見 極 め
員 九 人 の 多 数 決 で 決 め る た め、 取
た だ 、 政策 決定 会 合 は 、政策 委
裁 室 の撮 影 も 行 わ れ た 。
回 に わ た って 実 現 し 、 四 月 には 総
た だ ろ う。
の は 知 って いた が . ま さ か こ ん な
形 で 、 今 年 四 月 一[ を 迎 え る こ と
非常 駐な が ら同 じ
に な ろ う と は 、 思 いも 寄 ら な か っ
た 。 お そ ら ・\
ク ラ ブ 員 で 、 そ のH を 日 銀 副 総 裁
と し て迎 え た 藤原作 弥 氏 も 、 同 じ
思 い だ った ろ う 。
三 月 L 旬 の営 業 局 課 長 の 収 賄 容
疑 で の逮 捕 、 松 下 康 雄 総 裁 の 辞 意
表 明 で 、 ー1 銀 は 新 ス タ ー ト 直 前 の
一カ 月 を 、 日 銀 始 ま っ て 以 来 の 嵐
のな か で 過 ご す こと にな った 。
ヤ ップ が 藤 原 氏 の ク ラ ブ 退 会 届 を
そ れ は 、 わ れ わ れ に と って も 岡
じ だ 。 任 期 五 年 の 日銀 総 裁 の入 事
持 って き た のも 前 代 未 聞 だ 。
独疏 性 ﹂ だ 。金 融政策 が 政 治 や 大
融 政 策 を 決 め打ち し て報 道す る こ
ウ ト ﹂ と し て、 政 策 関 連 の 取 材 に
め 、H 銀 プ ロ パー の 順 番 の と き は 、
蔵省 か ら の独立 性を確 立 す る た め
と は 、 か な り 難 し く な った 。
新 生 ・口 銀 の 理念 は ﹁開 か れ た
ほ ぼ 見 当 が つき 、 大 蔵 O B の と き
に は、 市 場 や金 融機関 、 国 民 と の
﹁連 の 不 祥 事 が 、 内 部 管 理 担 当
て は な ら ず 、そ れを 担 保 す る に は 、
H 銀 職 員 に 、 新 生 日 銀 マ ンと し て
間 に、 確 固と し た信頼 関 係 がな く
じず 、 結 局 、 H銀 O B の速 水 優 氏
日銀 の情報 公 開と説 明 責 任
の 明 る さ を 見 いだ す の は 、難 し い。
処 分 に 加 え 、高 給 批 判 も 絶 え な い。
接 待 に か ら む 九 十 八 人 に 及 ぶ内 部
理 事 の 自 殺 にま で発 展 し 、 いま の
が総裁 に、 時事 通 信社 の藤 原 氏 が
ウ ンタ ビ リ テ ィー ∀の 徹 底 が 必 要 、
(ア カ
副 総 裁 に な る 人 事 と な った 。 藤 原
と いう 誉 え 方 だ 。
し か し 、 今 回 ばか り は それ が通
に取 材 が白 熱 化す る、 と。
H銀、 大 蔵 のたす き がけ でき た た
取 材 は ﹁十 年 に .回 ﹂と .
﹁
.
目わ れ た 。
新 た な手 法 で
日 銀 は 、 そ の理 念 を 今 年 一月 か
長 撮 章多)
り1りと1よ速 ノ}(総裁.ノ1ヨ よ藤7野{高II総裁 〔4.9f℃
杉
浦
信
之
(朝ij新 聞 社}
レ
回 の ﹁金 融 政策 決 定 会 A口﹂ と し 、
金 融取 材 も
氏 の内 定 流 後 、 当 時 、 ク ラ ブ の 幹
事 だ っ た 私 の と こ ろ へ、 時 虫 ・の キ
改1}1臼 銀 法 ドで 初 め て 開 か れ た 金 融 政 策 決 定 会 合.
(m>
新 生 ・日銀 一
一
第339号
1998年5月10日
第339号
1998年5月10日
北 国 の春 は遅 い。 例 年 、 桜 前 線
し て いた 。 戦 前 、 戦 後 も 北 海 道 経
り 、 北 海 道 開 拓 の 歴 史 と 軌 を 一に
み だ った 。 だ が 、 ロ 本 の サ ッカ ー
聞 休 岡 n で 、 翌 十 七 [ の朝 刊 は 休
し 、 過 去 最 悪 の結 果 と な った 。
に 乱 倍 も の 一兆 一
.
一
千 六 百 億 円 に達
負債 総 額 のうち お よそ 九 千 億 円
が 札 幌 に到 着 す る の は 五 月 の初
を た く ぎ ん 抵 当 証券 な ど 前 記 の 五
チ ー ム の ワ ー ルド カ ップ へ の初 出
場 が 決 ま った た め 、 北 海 道 新 聞 社
社 が 占 め て いる .
済 を 支 え る 屋 台 骨 だ った 。
多 く の道 民 に と って ﹁ま さ か ﹂
は そ れを 伝 え る 号 外 の 準 循 を 進 め
ですか ﹂1
。
て本 当 で す か ﹂﹁こ の 会 社 は 大 丈 夫
﹁今 度 は あ の会 社 が 倒 産 す る っ
の 破 た ん は、 あ っけ な く 現 実 のも
め 。 最 北 の稚 内 、 本 土 最 東 端 の根
室 市 民 が 花 見 酒 に 頬 を 染 め る のは
五 月 も 末 の こと と な る 。
予定 され て いた 号 外 は、ま さ に
て いた。
﹁天 国 か ら 地 獄 へ﹂ と 内 容 が 変 わ
の と な った。
最 大 の原 因 は ﹁バ プ ル期 の貸 し
そ れ で も 、 春 は 確 実 に や って来
る。 雪 解 け水を集 め た 川 面 が陽光
出 し か ら 生 じ た 不 良 債 権 に尽 き
北 海 道 を 襲 った 激
の先 行 き に 疑 心 暗 鬼 を 募 ら せ る 道
スク に 相 次 い で いる 。 北 海 道 経 済
こん な 電 話 が 、 今 も 経 済 部 の デ
震 は 、 そ の後 も 、 激
民だ け でな く 、取引 先 に 信 用 不安
った 、
し い 余 震 を 伴 った 。
を 抱 く 本 州 方 面 か ら の 問 い合 わ せ
も 少 な く な い。
た ち まち、 た く ぎ
ん 抵 当 証券 、 たく ぎ
ビ ス が連 鎖 倒 産 し
い。 が 、 当 然 の こと な が ら 活 路 は
の答 え を 見 いだ す の は 容 易 で は な
窮 状打 開 の方策 はあ る の か 。 そ
た 。 直 接 、間 接 の影
切 り 開 か な け れ ば な ら な い。
ん 7 アイ ナ ン ス サ ー
響 は そ れだけ にと ど
も 、 拓 銀 の傘 ド に あ った テ ル メ イ
今 年 に な って か ら
重 ね れ ば 、 遠 か ら ず ﹁春 ﹂ は や っ
背伸 び を せ ず 、 地道 に努 力 を 積 み
と 沈 没 し て し ま う わ け で は な い。
人 口孔 百 七卜 万 の北海 道 が丸 ご
ンタ ー ナ シ ョナ ル ホ テ ル シ ス テ
て来る はず だ。 今 はそう 確 信 す る
ま ら な い。
ム 、 タ ウ ナ ス テ ル メ 札 幌 、 エイ ペ
記 者 会 見 で V。
拓 銀 は 、 日本 全 体 が バ プ ル に 狂
(
す ぎ え ・よ し ゆ き ∀
常な のだ か ら ⋮。
て く る わ け で は な い。 三 寒 四 温 が
実 際 の ﹁春 ﹂ だ って 一気 に や っ
し か な い。
融 資 合 戦 を 繰 り 広 げ た 。そ こ に は 、
九 件 、負債 総 額 は前 年度 に比 べ実
は 、 件数 で前 年 度 比 三割増 の干 十
一九 九 七 年 度 の 道 内 の企 業 倒 産
い っこう に 収 ま る 気 配 が な い。
ック ス の大 型 倒 産 が 続 き 、 余 震 は
(4ヒ1毎
」
茸斜「
【
野1制.糸
子「
斉 剖;」
乏)
奔 し た 当 時 、 他 の都 銀 に 負 け じ と
る ﹂(
河 谷 禎 昌 頭 取 、破 た ん 当 H の
之
を キ ラ キ ラと 反 射 し 、 色 と り ど り
の花 が競 うよう に咲 き 乱 れ る。 そ
の様 は 、 雪 に 埋 も れ て 長 い冬 に 耐
えた野 山が ﹁
狂 喜 乱 舞 ﹂ す る、 と
い って も 過 、
.
nで は な い。
北 海 道 経 済 の現 状 に 日 を 転 じ る
と 、 様 相 は 一変 す る 。 春 の 足 音 が
聞 こ え る ど ころ か 、 吹 雪 が 猛 威 を
った だ 中 に置 か れ て い る 。 冷 え 込
ふ る い、 八 ぴ と は厳 寒 、 厳 冬 の真
み は 、 こ の先 、 季 節 の 移 り 変 わ り
に 逆 ら って厳 し さ を 増 し そ う で さ
えある。
自 然 界 で は、 シ ベ リ ア 、 オ ホ ー
ツク 海 方 面 の高 気 圧 が 日 本 に 冷
気 、 寒 気 を運 んでく る .
は、昨年1
, 一月 の ﹁拓 銀 破 た ん ﹂
破 た ん 前 日 の十 一月 十 六 日 は 新
も あ った 。
最 下 位 と は いえ 都 銀 を 名 乗 る意 地
創 業 百 年 を 目前 に し て い た 北 海
道 拓 殖 銀 行 の歩 み は 、 そ の名 の通
(11)
その 後
拓 銀 シ ョック
良
江
杉
い が …
“は 遠
“春
北 海道 一
一
が 直一
接 の引 き金 と な った 。
北 海 道 経 済 の 猛 列⋮
な 冷 え 込み
列 島 報 告
﹁ア ン ダ ー グ ラ ウ ン
映 画 を 見 た こ と も な いと いう が 、 素
な か な か 面 自 い映
決 し て 単 純 な 正義
砲 声 、 銃 撃 、 寒 さ.飢 え 、 渇 き の
ズ ・エ ル ロイ は血 ヒ
原 作 者 の ジ ェー ム
い こ ろ の 暗 い体 験
に 取 り 付 か れ、 幼
野 心 と 暴 力 と欲 望
の 使 彿険で は な い。
スラ ビ ア紛 争 を舞 台 に
中 で叔 母 を 探 す 二入 の面倒 を み て い
暴 力 と 権 力 の腐 敗 を
に 深 く と ら われ た
画 であ る 。
し た 映 .
画 が最 近、 目血
るう ち に、 詩 入 と rビも の間 に 親 予
生 々L く 描 く 作 家
男 たち でもあるの
直な 演 技 は 感 動 的 だ.
つ. 厳 し い内 戦 が 背 暴
のよ う な 絆 が 生 ま れ、 共 同 艦 活 を 始
だ 。 ﹁﹂ ・A ・コ ン フ
であ る 。 生 き方 が
ド ﹂ を はじ め 旧 ユー ゴ
にあ る の で、 イ ンパ ク
め る 。 銃 撃 の 最 中 、 .月 が 聞 こ え な い
﹂は.
.い 。
fデ ン シ わ
、ル
ト が 強 い秀 作 が 多
兄 が命 が け で 助 けた負傷 し た 犬 も 仲
た だ 民 族 紛争 が テ ー
の刑 事 が 命を 賭 け
そ れ ぞ れ 違 う三入
に 始 ま る ロ サ ンゼ ル
て戦 わ ね ば ならな
コプ ラ ッ ク ・ダ リ ァ ﹂
=.
人 は 恐 怖 に お びえ な が ら も 生 き
ス 四 部 作日の 第 三 作 目
い相 手 と は 2
閻 に加 わ った 。
反 セ ルビ ア側 な ど と い
延 び 、 脱 吊 の た め に空 港 へ向 か う 。
に当 た る ド
、
な ん せ 、す
マな の }
.
﹂、セ ル ビ ア 側 、
った 映 画 を 作 る 江 場 の
だ が、 彼 ら の前 には銃撃 か ら 逃 れ ら
ハー ド な 男 .
優 の 血 生 臭 い暴 力 の場
色 調 が ビ うし ても にじ
面 の息 抜 き になる の は 、 有 名 映 画女
さ ま じ い 暴 力 場 .面 に 満 ち た 原 作 な の
で、 フ ラ ンス の犯罪映 画 のよ う に モ
れ な い皿刑走 路 が あ った 。
三 八 が 生 き 抜 き .愛 し 合 い、“
夢を 兄
み 出 る。
こ の映 画 は 内 戦 下 の荒 廃 し た サ ラ
楽 し め る のはも ち ろ ん だ が、自 由
ン ガ ー は そ の役 を 好 演 し て い る。
め か し い姿 態 で あ り 、 キ ム ・ベイ シ
優 に そ っく り の高 級 娼 婦 リ ン の な ま
特 の レ ト ロ感 覚 の 漂 う 魅 力 的 な カ ラ
一元 五 ()年 代 を 扱 っ た こ の 作 品 を 独
が 、 カ ー テ ィ ス ・ハ ン ソ ン 監 督 は 、
ノ ク ロ が へ”う の か な と 思 っ て い た 。
敵 ね た 手・
沙箇が 不当 の悲 惨 さ 亭讐
伝・
ゐて
る 姿 を 、 内 戦 の リ ア ルな 7 イ ル ム を
の も のも 、敵 も 描 い て いな い.見 え ざ
いる の で は な い か。
エボ を 舞 台 に し て いる が 、民 族 紛 争 そ
る 敵 に よ って 戦 争 が 起 こ さ れ 、 入 々
昨 年 の東 京 国 際 映
さ れ て いるア メリ カ の知 ら れ ざ る暗
が殺 さ れ 、苫 し む 姿
画祭 グ ラ ン ア
五 .
.
.
年 末 、 ロサ ン ゼ ル ス
い素 顔 を 畑.
間見る こと が でき る の
リ ー 警 視 の指揮 で 、 .
二入 の
個 人 D 会員
権田
菖治
(日 本 新 聞 協 会 O B ・
推 理作 家協 会 理事 )
L ・A ・
コン フ ィデ ン シ ャ ル
刑 事 が動 き出す と こ ろ か ら こ
の映 画 は始
ま る 。 これ
ら の刑事 も
と 臣.
義 の 国 と いう バ ラ 色 の 神 話 に 隠
だ け を 描 く、
.世 界 の
リ 作 品 。 ユー
の あ る カ フ ェ で 起 こ った 男
東京新 聞 編
ー 映 画 に仕 ヒげ て み せ た .
F
二こでも 、 だれ も が
ゴ紛争 も の の
巻 き 込ま れ か ねな い
も 、 こ の 映 画 のも う 一 つ の 効 用 か も
映画 ではト ッ
女 六 入 の 惨 殺 事 件 を 追 っ
現 代 の戦 争 の 気 味 悪
し れ な い。
プ ク ラ スだ ろ
て 、 ロ ス市 警 刑 事 課 の ダ ド
さも 浮 か びヒ が る。
さ れ た初 老 の詩 入 と
集 委員 兼 論
う.
そ こ へ迷 い込 ん で き
説委員
サ ラ エボ に取 り残
た 孤 児 の 兄 弟 一.人 が
潤
陸口
(12)
バ ー7ヱ 勿 も費 一 ク%
・
E役 . 二 八 の.
r役 は
試写 会
第339号
1998年5月10日
1998年5月10日
第339号
(13)
1998年5月10日
第339号
ク ラ ブの 貸 室 が 利 用 しや す くな り ま した
ク ラ ブ の 貸 室 は 、会 員 の 皆 さ ん が 自 由 に お 使 い に な れ る ス ペ ー ス で す 。下 記 の よ う に 、用 途 と人 数
に あ わ せ て い ろ い ろ な 使 い 分 け が 可 能 で す の で 、有 効 に ご 利 用 い た だ き た い と思 い ま す 。こ の4月
か
ら、宴 会 割 引 料 金 が 新 設 さ れ 、10階 の レ ス トラ ン ・ア ラ ス カ も ク ラ ブ 料 金 並 み で 使 用 で き る よ う に な
り、利 用 範 囲 も大 き く広 が り ま した 。 社 内 会 議 は も と よ り、杜 外 の 方 を 招 い て の 会 議 、 セ ミナ ー 、 懇
親 会 、 同 窓会 、 出 版 パ ー テ ィー な ど に お使 い くだ さ い。
貸 室 料金
*割 引 科 金 は 、1人
当 た りの 飲 食 料 金 が3 .OOO円 以.Lの 場 合 に 適 用 さ れ ま す 。
*上 曜 日 は 飲 食 科 金 の 単 価 に か か わ ら ず 、 … 律 割 引 料 金 に な り ます 。
*ABCホ
ー ル に は 終 日料 金(午
半 日料 金(午
前10時30分
前10時30分
∼ 午 後9時258
∼ 午 後4時30分150
.500}IDも
,000円)、
あ ります 。
利用時間
平 日は 午 前10時30分
一 午 後9時
、 土 曜 日 は 午 前10時30分
∼ 午 後5時30分
です 。
た だ し、レス トラ ン ・ア ラ ス カ の 貸 し切 りは 平 日 の 夜 、シ ル バ ー ・ゴ ー ル ドの 各 ル ー ム は 平 日 の 昼 と夜
の 時 間 帯 と な り ま す 。ご 利 用 は す べ て2時
料
間 単位 で す(1時
間 の 延 長 料 金 は 上 記 の 半 額 と な り ます}
。
理
●会 食
や 洋 食2
噸
● パ ー テ ィー
,500円 か ら
・ 料 理4,000円
訟 喫:騰:1ド
から
飲物1 ・50鵬
レ ス トラ ン ・ア ラ ス カ の 利 用
会 食 、パ ー テ ィ ー メ ニ ュ ー と も ク ラ ブ 料 金 とほ ぽ 同 程 度 で す 。そ れ 以 外 の グ ラ ン ドメ ニ ュ ー は2割
引 で ご 利 用 に な れ ます 。 な お 、 レ ス トラ ン ・ア ラ ス カ の 貸 し切 り(部 屋 代 な し)は 飲 食 料 金 が1人
当
た り7,000円 、100人 か ら と な り ま す 。 ご 予 算 に も よ り ま す が 、土 曜 の 夜 や 日曜 、祝 口の レ ス トラ ン ・
ア ラ ス カ の 貸 し切 りに つ い て も仲 介 し ま す の で 、 ご相 談 くだ さ い 。
*お 闘 い 合 わ せ 、 お 申 し込 み は ク ラ ブ の フ ロ ア マ ネ ジ ャ ー(電
(14)
話3503-2721)が
承 り ます
。
第339号
1998年5月10日
入 並 み に 花 粉 症 ら し き も の に か か った 。
ら し き と いう の は 、 年 寄 り は 花 粉 症 に は な
らな いζ .
.
口い張 る 友 人 が い る せ い で 、 老 化 と
と も に 免 疫 力 は落 ち る が 反 応 も に ぶ る 、 だ か
ら 'りう 依儲貝が 変 わ る こ ヒ は な い と い う の だ 。
去 年 の 揮 .番 が 吹 い た H 、 .
11 を 開 け 放 し た
巾-に 一H 山
9わ っ て い (
κ・り目 が 痛胴く '
ゲリ 、 翌 11
か ら サ ング ラ スな し で は 歩 け な く な った .
こ と し は ノ ド の 痛 み が つづ いた . 医 搭 の 指
.
小 ビ お リ カ ゼ 薬 と 抗 生 剤 を ト ー1 も 飲 ん だ の
に、 治 ㌦
、た と 思 う ヒ 痛 み が .
戻る . あ れ は 本 当
は 花 粉 症 で は な か った か と 、 いま も って 半 分
・
'-た が っ て い る 。 だ が 、 友 氏 は .医 療 関 係 者 だ
か ら 素 尺 はかな ・
わな い、
一
自 鉄押界 の 媒“
変 ザoつ づ い て い る .
. 直磐尽 で も 花
は 季 節 の 移 リ 変 わ り を 告 げ な い で、 ツ バ キ も
サ ク ラ も ツ ツ ジ も い っし ょ に 咲 いた ,
花 や 老 化 の異 変 ど こ ろ か 、 ヒ ト や 生 き 物 の
種 の 存 続 が 危 機 に 瀕 し て い る と は ゆ ゆ し い トへ
事 で 、 近 ご ろ 、暗 い気 分 か ら の が れ ら れ な い 。
そ れ に し て も ダ イ オ キ シ ンや 合 成 洗 剤 や フ
ラ ス チ ック の毒 陛 に つ い て な ら 、 ふ た 昔 も 前
か ら ず い ぶ ん 書 か れ て い た し 、書 い て も い た 。
そ れ が いま ご ろ 突 然 、 環 境 ホ ル モ ン の 名 で 再
登 場 す る か ら 、 び っく り す る 。
ま わ り だ け 花 び ら が 渦 巻 い て いる こ の 写 頁
に も 、 な に や ら あ や し い気 配 が あ る 、
.
(
小 川 津 根 子)
ll5)
ノ\ 、,・
こf肥iM嚢1て'}
τさIX>7))欠
〔4 .8[lll目
シ マ1フ ーア'ノ)lllμニ
・端 イヒ しN・'ノ
ブ㌧1逢巴姜
'琴元国織llな
螺 臼霊1灘跨ll部)
紀男
田中
真
写
1'缶ち ノご ソ メ イ ヨ シ ノ 乃'と しド ・'ノ
カ疫筒 を 巻 く
春 の異変
五 月 二十 五 日 に 岸 恵 子 さ ん が 記 念 講 演
(月 ) 午 後 四 時 半 か ら 、 女 優 の 岸
五 月 二 十 一日 に 春 の コ ン ペ
四月 から 、 ア ラ ス カ のクラ ブ担 当 責 任 者 に遠 山
アラ ス力
==⋮
;=一≡ =[=
転 し た 二 十 .︼
年 前 、 宴会
ア が プ レ ス セ ン タ ー に移
務 が中 心 で し た が、 ク ラ
ス サ イ ド 店 や 本 部 で の勤
明 彦 さ ん (四 卜 一歳 )が 就 任 し ま し た 。こ れ ま でパレ
九 階 の責 任者 が代 わ り まし た
第 71 回 ゴ ル 7 会 を 左 記 の よ う に 行 い ま す 。
五 月 二 十 一日 (
木 )午 前 九 時 集 合
五 月 二 十五 日
日
時
恵 子さ んを 迎 え、 総会 記念 講 演 会 が 行 わ れ ます 。
藤 ヶ斧 カ ント リ ーク ラ プ
二三
五 三人
二 、 九 一〇 入
重 要 人 事 の 決 定 は エリ ツ ィ ン政 権 の 最 も 不 透 明
ク ﹂は ロシ ア の 予 測 不 可 能 性 を 改 め て 証 明 し た 。
全 閣 僚 を 突 然 解 任 し た ﹁エ リ ツ ィ ン ・シ ョ ッ
れ 死角 が でき ま す 。 そ こで、 私 は 国 際 的 な 視 野
る し、 私も 勉 強 し ま し たが 、舞 台 が 国 内 に眼 ら
恐 慌﹂ と の類 似 性 が指 摘 さ れま す 。 確 か に似 て
パプ ル⋮
朋壇 後 の 混 乱 を め ぐ り 、 ﹁昭 和 の 金 融
じ 展 開 で 、 我 な が ら び っく り す る ほ ど で
月
行
= 一 一 .=≡
の
.≡=
二≡ }一一. 三 ==≡ ⋮ =三 一
⋮ =
事 ︹7日 現在 )
岸 恵子 さ ん
ぎ
⋮
三=一
試 写会
総会記
噛
バ ガ バ ンデ ィ ・ ⋮
モ ンゴ ル 大 統 領 記 者 会 見
﹂
14 日 (
木 ) 午 後 5 時 30 分 ∼ 7 時 10 分
﹁ウ ワ サ の真 相
念講演
=≡ =一
≡ ≡ =三 ≡ =
≡ 一==
﹂一三 ≡ ≡ .
二'一一
.一
≡ = .三 ≡ ﹁
⋮
二一=. 三≡= .
三 ≡ =⋮ ..
⋮
二≡ 一三= 三
一
〇 三ー .
一.
五〇 三 - 一
.一
七 六 四) 榊
午 後 5 時 30 分 ー 7 時
一
≡ = 二= 一= ≡ ≡ ≡
会 員 懇 親会
25 日 (月 ) 午 後 4 時 30 分 ∼ 5 時 3
0分
.一三 一
三
三 三=一=≡ 三=
⋮
⋮
塚 越 喜 昭
伊 波 新 之 助
委 員 長 11 住 田 良 能
.会 報委 員会
秋 山民 雄
⋮
員 目 出村 欣 也
○ 一一
.
﹂ 二五 〇 三 ー 二 七 二 二 )
本 庄 五 月
和 田千 年
O 三 -三 況 〇 三 - 七 二 七 ;
絡 1
1長 谷 川 和 子
埜 邑 義 道
委
連
(電
話
(F A X
ヨ一
茎≡= 三≡ ≡一
≡= 三=;
=≡≡一
=
三二
⋮二≡=≡三
[
≡=≡≡= .
[
一
≡=
≡≡三 三=
=一
一
=ヨ
川
覗
⋮
⋮
一
ヨ ≡ ≡ = 至 = 三 一= 三 三 =三
⋮ ︹
行 事案 内 電 話
⋮
⋮ 13 日 (水 ) 午 後 2 時 ー 3時
五
場 や会議 室 な ど のサー ビ
.
.歪
基 本会員
叩
スに携 わ った 経 験 者 です 。
八 .
(三 五 〇 .
一
﹁
コー ス
二 七 ︼.
二 ) ま で ご 連 絡 く だ さ い。
一五 〇 社
二 〇六 社
特別賛助 会員
.、 八 四 六 八
一八 二 入
計
法 人 ・個 人 賛 助
参加 ご希 望 の方 は 、 事務 局 の小 橋
パ リ と 口 本 を 往 復 し な が ら 、 女 優 と し て 、 テ レビ
のキ ャスタ ー や リポ ー タ ー、 そ し て エ ッセイ スト
と し て も 活 躍 。 九 六 年 か ら は 国 連 人 ] 基 金 の親 善
大 使 と し て 人 口 ・人 権 問 題 に も 取 り 組 ん で いま す 。
個人 会 員
法人 会員
π人
五六 社
会 員 現況
終 了後 五 時 三 十 分 か ら は、会 員 懇 親 会 が行わ れ
会員
講 演 の テ ー マ は ﹁ヨ ー ロ ッパ と 目 本 ﹂ で す 。
ま す 。 講 演 会 、 懇 親 会 いず れ も ビ ジ タ ー ﹁人 を 伴
名 幣会貝
﹃世 界 同 時 デ フ レ ﹄
一四 人
って いただ いて結 構 で す。
﹃ロ シ ア の 選 択 ﹄ エ ゴ ー ル ・T ・ガ イ ダ ル著
な 部 分 だ 。 チ ェ ル ノ ムイ ル ジ ン前 首 相 と 同 じ よ
を 持 つ必 要 を 感 じ 、 小 著 で は ﹁大 恐 慌 ﹂ に こ だ
山 田伸 二 ︹
N HK 解説委員︺
う な 憂 き 口 に あ った の が 、 こ の 本 の 著 者 E ・ガ
わ って、 現 代 と の 類 似 性 を 考 え ま し た 。 ア ジ ア
(
時事通信 OBV
イ ダ ル氏 。 九 .一
年 丑 月 、 政 府 の 事 実 土 の ト ップ
の通 貨危機 は 、 当 時 の通貨 の切 リ 下 げ 戦 争 と同
中 澤 孝之 訳
(当 時 ・第 一副 首 相 ) の 頭 越 し に
副首 相 人事 が決 め ら れ、 エリ ツ ィ ンか ら
す。 小 著 で は 、 デ フレ の恐 ろ し さ は 並大
で あ った 同 氏
事 後 通 知 さ れ た と いう の で あ る 。 こ う し
抵 のも の で は な い こ と を 、 ご 理 解 い た だ
けれ ば と 思 いま す。
(宙小洋 以杣済 新 報 社
一、 山ハ○ ○ 山U)
た 未 公 開 の 興 味 深 い エピ ソ ー ド の 数 々 が
三、 五 〇 〇 円 )
明 らか にさ れ て いる。 本書 は 日本 の読 者
向 け に書 き 下 ろ さ れ た 。
(ジ ャ パ ン タ イ ム ズ
(16)
第339号
1998年5月10日
Fly UP