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55判よーさようなら

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55判よーさようなら
B5判 よー さ よ う な ら
、さ よ な ら ロ
ゲ﹂
長 い間 ご 愛 読 いた だ いた B 5 判
確 保す べく ホ テ ル側 と交 渉中 な ど
こ と に な り 、 近 い 将 来 さ ら に 一室
会 報 9月 号 か ら変 身 し ま す
四段縦 紅 み会 報 の
と あり ます
ス ペ ー ス 約 六 二 四 坪 }。
原型 は春 原 会 員 の手で
執 筆 者 は 初 代 事 務 局 長 の前 田 雄
.一さ ん で す 。 新 本 館 の 写 真 入 り で
﹁安 い酒 の サ ー ビ
原 稿 は ニ ペ ー ジ を と び だ し て いま
す 。小 見 出 し は
ス ﹂ ﹁ル ー ム の 拡 張 を 交 渉 ﹂ ﹁ゲ ス
・
会議報
ト ぞく ぞ く 来 日 ﹂一
,投 稿 を 歓 迎
会 報 の発 行 ﹂ と 続 き ま す
告 、会 員 入 退 会 、 ク ラプ ルー ム{
茱
内 図 が あ り 、 そ の後 六 ペー ジ に わ
発行
}
Ψ
.
n噛
-、
=
-﹂1
﹁
﹂、
﹂
.
一
日 本 記 者 ク ラ ブ
日 本 プ レ ス七 ンタ ー ビ ル
東京都 f
r山
代 田 .区 内 肌
Y町 .一ノ ..ノ .
.
ギ社 団 法 人
寄せ てもらう
ーワ ー キ ン
﹁と っ て お き の 話 ﹂
と .線 記 音 の 現 場 報 告
、地 方 発 ﹂、﹁写 真 回 廊 ﹂、
グ プ レ ス﹂ が始ま り ま し た。
そ の後
常 連 に加 わ りま した
一マ イ B o ok マ イ P R レ な ど も
ガ : ・フ ォ ー ル .
兀仏 首 相
員 長 、 深 谷 憲 一、 深 川 誠 、 清 原 武
小林 初 代委
原 四 郎 理 事 長 ︺ の発 .
.
昌内 容 が 収 録
彦 、 斎 川 .路 の 各 委 員 長 と 、 そ の
︻司 会 ・
さ れ て いま す . 最 後 は 行 事 予 定 、
いう 発 行 口 的 は 以 来 不 変 で 、 こ れ
周 知 、 2会 員 相 圧 の交 流 の た め と
り ま す が 、 ー ク ラプ 行 事 ・運 営 の
場 し ま す の で 、 ご 期 待 く だ さ い、
も カ ラ ー に な り ま す .新 企 画 も 登
く なり 、文 字も 少 し大 き く 、写真
九 月 号 か ら判 が ひ と ま わ り 大 き
で 現在 の会 報 があ りま す .
.
は次号 以降 も 引 き継 が れま す , ク
な お 、 記 録 版 は 従 来 通 り B 5判 で
ラブ草 創 期 に総 務部 長を 務 め た 春
充 実 し た も の に す る た め 、 ..月 か
こ れ ま で の伝 統 を 生 か し さ ら に
お届 けします、
(
上 智大名 誉 教 授 ) が
は 刷 新 案 を 協議 し てき ま し た。 そ
原昭彦 会 員
創刊 当 時 の基 本形 に、極 力 、 現
し て 、 ア定 通 り来 月 か ら 新 スタイ
・
りム酉報 委 員 八ム ︹住 田 良 能 委 員 長 )
場 の記者 の声 を 反映 さ せ よ う と 、
ルに 移 行 す ること に な り ま した 。
理事 長 を つと め ら れ た 、 口 経 の新
炎 暑 の七 月 二十 八日 、第 六 代 の
も ら いま す 、合 掌 。
です .
、次 号 で追 悼 記 事 を 書 か せ て
社 葬 は 九 月 六 日、
.温 容 と の お 別 れ
︹岩 崎 玄 道 )
炸 明 ・.
兀社 長 が 間 質 性 肺 炎 で 死 去 。
新 井 明 元 理 事 長 死去
に 、 先 輩 記 者 に 取 材 L の 思 い出 を
小林 淳 宏 初 代 会 報 委 員 長 の と き
つく った も の で す 。
と とも に新 聞 協 会か ら出 向 し 、 ク
ラブ会 報 の原 型 は、前 田事 務 局 長
第 、、
ロ
ゲか ら 四 段 紐 み が 主 体 に な
天女員 会 の メ ン バ ー の 方 々 の お か げ
8月10日
お 知 ら せ で 終 わ って いま す .
第414号
2004年
い1え1友16年}
︹現 在 の 会 員 数 は ,一、.
で す .来 月 号 か ら は A 4 判 で 再 出
六 社 、 二 、 七 六 五 人 で、 利 用 可 能
(一九
発 しま す .
、
あ ら た め て 合 本 で 第 .号
ヒ ○年 .
.
一月 .日 発 行 } を 読 み 直 し
て み ま し た 、 .題 巳々な ど の 基 本 的 体
裁 は いま と 変 わ り ま せ ん が 、 創 刊
号 へ14 P)は す べ て .二段 組 み で す 。
﹁い よ い よ ク ラ
﹁3 月 10 目
帝 国 ホ テ ル四階 松
一.面 の 見 出 し は
ブ ルー ム開室
の問 ﹂ で、見 出 し 下 に
午後 2時 ﹂と あ り ま す .
、そ の あ
ニ 四〇
と 七 行 の リ ー ド で 、 前 年 十 .月 .
日 誕 生 のH 本 記 者 ク ラ ブ
社
た っ て 第 一回 昼 食 会 ゲ ス ト の エ ド
八 五 .一
.人 ) が 帝 国 ホ テ ル 新 本
館 に.
.一四 坪 の ク ラ ブ ル ー ム を 持 つ
〔11〕
日 本 記 者 ク ラブ 会 報
第414号
2004年8月10日
安保 理 の 構想
駐 日フラン ス大使
グ ロー バル化 のひず み が顕 在 化
す る 中 、 フ ラ ン ス の外 交 力 ・政 治
ベ ル ナ ー ル ・ド ・モ ン フ エ ラ ン
▼経 済 版
会 見 後 の質 問 は お の ず と イ ラ ク
国 籍 軍 が創 設 さ れ た 後 も フ ラ ン ス
も 向 け ら れ 、 ﹁秩 序 だ った グ ロ ー
は な いだ ろう 。 大 使 の 目 は 経 済 に
力 が いま ほ ど 求 め ら れ て い る 局 面
が 派 兵 を 拒み 続 け る こと に会 場 か
バ ル化を 実 現す る た め 誰 も が守 る
問 題 に 集 中 し た 。 新 国 連 決 議 で多
ら 疑 問 の声 が あ が った が 、 大 使 の
を 訴 え 、 世 界 の経 済 機 関 を 統 括 す
こ と のでき る ルー ル作 り ﹂ の必 要
﹁戦 争 の 前 で あ れ 後 で あ れ 、 世
る ﹁経 済 版 の 国 連 安 保 理 ﹂ の創 設
答 え は 終 始 一貫 し て い た 。
界 は 一丸 と な って 努 力 し な いと い
日 本 の針 路 が 問 わ れ る な か 、 一
結 果 、 パ レ ス チ ナ 情 勢 に 一筋 の光
に 読 め ば 箱 根 で の =、
日 間 の討 議 の
岸 の分 離 フ ェ ン ス に 及 ぶと 顔 が 紅
ット 氏 だ が 、 話 題 が ヨ ル ダ ン 川 西
線 は 譲 れ な い﹂ と 応 酬 し た ア リ カ
微 笑 み を 崩 さ ず に ﹁六 七 年 境 界
そ のく ら い減 れ ば 和 平 も :﹂。
そ う だ。 パ レ ス チ ナ側 の要求 が 、
近.
二〇 キ。 (
努 ) の 減 量 に成 功 し た
レ ス チ ナ の ア リ カ ット 交 渉 相 は 最
ル 元 蔵 相 は ユ ー モ ア で応 じ た 。﹁パ
の質 問に、 イ ス ラ エルのメ リド ー
二 国 間 解 決 は 可 能 か ﹂。 会 場 か ら
イ スラ エ ル ・パ レ ス チナ 和 平 信 頼 醸 成 会 議
大 使 の熱 弁 の裏 に は 、 フ ラ ン ス
を 提 唱し た。
じ み出 るのはカ で武 装 勢 力を鎮 圧
一国 で は 決 し て で き な い 世 界 の和
。大 使 の言 葉 から に
し て イ ラ ク の安 定 を 目 指 す 手 法 よ
平 構 築 と いう 因 難 な 作 業 に ﹁平 和
け な い﹂
り 、 経 済 ・社 会 ・文 化 の多 方 面 に
国 家 ﹂ 日 本 の 力 を 借 り た いと いう
▼信 頼 醸 成 の難 し さ
わ た る 支 援 の方 が 有 効 と 信 じ て い
深 謀 が あ る の か も し れ な い。 学 者
基 づ く 和 平 合 意 は 実 現 可 能 ﹂。 昨
部 の 政 治 家 の米 国 盲 従 で 変 節 す る
が 差 し たよう にも 受 け 取 れる。 だ
(
新 和平案﹀ に
る こ と だ 。 フ ラ ン ス 外 交 の根 本 に
出 身 の大 使 の 話 を 聞 く う ち に 、 優
年 に続 き 日本政 府 が 主 催 した イ ス
日 本 に不 安を覚 え る外 国 人 が多 い
が 双 方 の代 表 が 臨 ん だ 記 者 会 見 か
﹁ロ ー ド マ ッ プ
あ る のは憎 し みを 生 む 武 力闘争 に
れ た 教育 者 が頭 ごな し に答 えを 押
と いう こ と を 再 認 識 さ せ ら れ た ひ
﹁一九 六 七 年 の 境 界 線 に基 づ く
具 体 的 道 筋 は 見 い だ せ な か った .
.
ら は 、 可能 なは ず の和 平 に向け た
薫
と と き で も あ った 。
日本 経済 新聞 国 際 部
桜庭
潮 し ﹁国 際 法 違 反 の フ ェン ス が 完
成 す れ ば双方 の共 存 な ど不 可 能 に
な る﹂ と強 い [ 調 に。 メリド ー ル
氏 も ﹁国 民 を テ ロ か ら 守 る た め の
措 置 ﹂ と 声 高 に 訴 え 、 対 立 の構 図
に ま った く 変 化 が な いこ と が 鮮 明
に な った 。
イ ス ラ エ ル の シ ャ ロ ン政 権 が 、
和 平 交 渉 を 経 な い 一方 的 な パ レ ス
チ ナ政策 を進 め る今 、 昨年 六月 に
合 意 さ れ た ロ ー ド マ ップ は 形 骸 化
が 顕 著.
、 ﹁信 頼 醸 成 ﹂ の 困 難 さ が
木村
[浩
深 ま る中 で、 日 本 政 府 は来年 も 会
議 を主 催 する 。
共 同通信 外 信 部
(2}
通訳
者会見
代 わ り 、高 度 な政 治 力 で長期的 に
一
出 席55人
矢 島 誠司 委 員
7.M(水)記
ラ エ ル ・パ レ ス チ ナ 和 平 信 頼 醸 成
出 席55人
森巾美子
司会
大教 援)ア
リカ ッ ト ・パ レス チ ナ 交 渉 相
日本 代 表(日
橋本 光平 ・
左 か ら メ リ ドー ル ・元 イ ス ラエ ル 財 務 相
し つけず 、生徒 自 身 に答 え を考 え
需宅薫 子
安 定 を も たらす 関 与 の仕 方を探 り
通訳
会 議 の 、 総 括 文 書 の 一節 だ 。 素 直
小 池洋 次委員
さ せ る こ と に 思 い が 至 った 。
司会
続 け る こと だ 。
者会 見
75(月}記
第414号
2004年8月10日
通訳
石 川 杜・
チ
ヘ ン リ ク ・シ ュミ ー ゲ ロ ー
中 坤良 則 委 臓
駐 日 ド イ ツ大 使
ド ナ ル ド ・ジ ョ ン ス ト ン
O E C D事 務 総 長
同 地 域 の安定 と発 展 を 欧 米 が支援
ミ ュ ン ヘ ン安 全 保 障 政 策 会 議 で 、
外 相 が 、 一.
月 に 開催 さ れ た恒 例 の
(
昭 和 三 レ九 年 ) 四 月 ニレ 八 日。
D ) に 加 盟 し た の は 、 一九 六 四 年
で あ る 経 済 協 力 開 発 機 構 (O E C
日 本 が 先 進 資 本 主 義 国 の集 ま り
経 済 が 長 い ス ラ ンプ か ら 脱 し 、 た
﹁記 念 す べ き 四 十 周 年 に 、 口 本
今 回 が =.
回 ] だ と いう 。
記者 クラブ で記 者 会 見 に臨 む の は
O EC D事 務 総 長 に就任 後 、 日 本
元 カ ナ ダ 財 務 相 。 .九 九 六 年 に
す る構 想 を提案 し た のに 対 して 、
欧 米 の金持 ち ク ラブ と 呼 ば れた O
く ま し く 回 復 し て い る姿 を 見 る の
▼構 造 改 革 特 区 を 高 く 評 価
米 国 が 理 解 を 示 し た と いう 伏 線 が
E C D に仲 間 入 り す る ア ジ ア で 最
はう れ し い、 再 び 世界 経済 の牽 引
東 地 域 ﹂ 宣.
百 だ 。 フ ィ ッシ ャ ー 独
あ った 。
初 の 国 と な った 。
ド イ ツ は 軍 隊 を 派 遣 し て いな い
で に 国際通 貨基 金
大 使 は 、 イ ラク復 興 に関 して 、
.一
〇 〇 三年 のイ ラク 戦 争を めぐ
が 、給 水 施設復 旧 や 警 察 官 教育 な
進 国 な み の義 務 を 負 う ﹁I M F 八
目本 経済 の問 題点 と し て は先 進
(I M F ) で 先
今 回は、 口 本 経済 に対す る楽 観
と な った シ ュ ミ ー ゲ ロ ー 大 使 は
る 実 績 に 言 及 し て 、 ﹁ド イ ツ は 対
が ら も 、 治 安 維 持 を 担 い続 け て い
ス ト ン事 務 総 長 の 来 日 も 、 日 本 の
あ れから 四十 年 。 今 回 のジ ョン
れ ら に対処 す る た め にも、 規 制 改
共 通 す る 少 子 ・高 齢 化 を 指 摘 。 そ
的 な 見 方 を 語 った .
﹁
米 国 と 欧 州 の 、部 の 国 の 対 立 は
テ ロ戦 争 の重 点 を ア フ ガ ニス タ ン
残 高 の 比 率 と 、 O E C D加 盟 国 に
す で に 終 わ った ﹂ ﹁独 米 関 係 の 基
革 が重 要と 強 調 し た。
日本 にお いて、 イ ラク 戦争 を め
O E C D加 盟 四 十 周 年 を 記 念 す る
ぐ る欧 米 対立 が 論 じ ら れ る場合 、
評 価 し 、 ﹁規 制 改 革 の 実 験 室 だ 。
に 置 い て い る﹂ と 表 現 し た 。
関 係 が 決 定 的 に 悪 化 し た と いう イ
ド イ ツを は じ め と す る 北 大 西 洋 条
成 功 す れ ば O E C D加 盟 各 国 も 導
通訳
森 由美子
そ の中 で 、 小 泉内 閣 が進 め て い
メ ー ジ を 払 し ょく し よ う と 努 め た。
(N A T O ) 諸 国 が ア フガ
出 席46人
シ ンポジ ウ ム への参 加 と 、 政府 要
さ ら に は ﹁ド イ ツ や 日 本 が 標 榜 し
約機構
矢 島誠司 委員
と が大 事ー と も 述 べた。
産 経新 聞 論 説 副 委 員長
矢島
誠司
規 制改 革 は 市 場 原 理を 働 か せ る こ
入す るだ ろ う ﹂ と 期待 を 示 し た 。
る ﹁構 造 改 革 特 区 ﹂ の試 み を 高 く
てき た多 国間 主 義 が 注 目 さ れ るよ
ニ ス タ ン で果 た し て いる 役 割 に つ
司会
人 と の会 談 が 主 な 目 的 だ った 。
う に な った ﹂ と の 認 識 を 示 し た 。
の指 摘 は 重要 だ 。
読 売 新 聞 国際 部 次 長
千春
いて は看 過 され が ち であ り 、大 使
と し て 挙 げ た の が 、 今 年 六 月 の主
.
要 国首 脳 会議 (
シ ー ア イ ラ ンド ・
森
大 使 が 、 独 米 接 近 の 表 れ の 一つ
盤 は 傷 つ い て い な い ﹂と 述 べ 、両 国
な ど 、 活 気 にあ ふ れ て いた 。
車 に な って ほ し い﹂
って 、 ド イ ツが フ ラ ン ス と と も に
ど で貢 献 し て いると 紹 介 し た。 .
条 国 ﹂ に移 行 し て お り 、 十 月 十 日
そ の年 、 四 月 一日 に は 日 本 は す
開 戦 に反 対し て、米 国 と 厳 しく 対
方 で、 ド イ ツが ア フガ ニスタ ンに
国 の中 でも 突 出 し て 高 い公 的 債 務
立 し た こと は 、 記 憶 に 新 し い 。
に は 東 京 オ リ ンピ ッ ク が 開 か れ る
出 席51人
は 軍 を 派 遣 し 、 兵 士 の 命 を 失 いな
▼ア フガ ン で の 実 績 を 強 調
司会
サ ミ ット ) で 採 択 さ れ た ﹁拡 大 中
者 会見
7.21(水)記
(3)
己膏 会 見
7.16(金)肩
日本 記者 ク ラブ に 三 回 目 の登場
一
第414号
2004年8月10目
マ ニ ラ ル ・ト リ パ ー テ ィ
イ ン ド駐 日 大 使
ン ・サ ッ ク ス 社 の “B R I C S 報
話 題 とな って いる米 ゴー ルド マ
国 民会 議 派 軸 の 連 立 政 権 に 変 わ っ
﹁人 間 の 顔 を し た 改 革 ﹂ を 掲 げ る
と し た 人 民 党 主 体 の連 立 政 権 か ら
﹁イ ン ド は 輝 く ﹂ を ス ロ ー ガ ン
告 ”へ の言 及 が あ った 。 二 〇 〇 五
たば かり な ので、新 政 権 に対 す る
▼ G D P 世 界 三 位 への 自 信
年 に は ブ ラ ジ ル 、ロ シ ア 、イ ン ド 、
宮島
洋
早稲田大学 教 授
終身 雇 用 制 度 の終え ん で ﹁家 族﹂
や ﹁企 業 ﹂ の果たす 役 割 は 縮 小 し
た。 政 府 の果 たす役 割 は 増 し て い
る が 、 財 政 再建 を進 め る観 点 か ら
は社 会 保 障 も効 率化 は 避 け ら れな
の が主 た る メ ッセ ー ジ で あ る 。﹁円
い 。
じ る と の予 測 で あ る 。 と い っ て イ
滑 な 政権 交 代 は民主 主義 の成熟 を
年 金 を は じ め医療 、介 護 な ど の
な ど の 現 物 給 付 の重 視 ﹂を 訴 え た 。
不 安 を 払 し ょく し て ほ し い と いう
ンド のG D P (
国 内 総生 産 ) が 世
示 し た も の 。 改 革 の継 続 に 安 心 し
社 会 保 障 制 度 の 一体 的 な 改 革 の 行
そし て、 改 革 を単 な る 枠 組 み の変
中 国が 世界 経 済 で支 配 的役 割 を 演
界 三位 にな ると鼻 息荒 く 語 る と い
てく だ さ い﹂ と 述 べ 、 日 本 か ら の
方 に 注 目 が 集 ま って いる 。 政 府 の
ンと の 対 話 プ ロ セ ス が 軌 道 に 乗 っ
時 間 を い た だ き た い﹂。 パ キ ス タ
﹁
す ぐ結 論 に 飛 び つか な い で少 々
算 が 難 航 し て いる 点 に つ い て は 、
投 資 問 題 で 抵 抗 さ れ て新 政 権 の 予
閣外 協 力 を す る共 産党 か ら直 接
ら先 送 り さ れ てきた保 険 料 の引 き
改 革 法 に つ い て は ﹁政 治 リ ス ク か
し て 、 自 ら 検 討 に か か わ った 年 金
社 会 保 障 審 議 会 の年 金 部 会 長 と
る宮 島 教 授 か ら話を 聞 いた 。
会﹂ の初 会 合 を 前 に メ ンバ ー で あ
﹁社 会 保 障 の 在 り 方 に 関 す る 懇 談
と の主 張 に は 、 説 得 力 が あ った 。
イ ン フ ラが 崩 れ れば、 意 味 を 失う
の就 労 の 確 保 な ど の制 度 を 支 え る
化 対 策 や 経 済 成 長 の維 持 、 高 齢 者
ら 制 度 を い じ った と こ ろ で 、 少 子
や経 済 の構 造変化 への総 合 的 な 対
更 に 終 わ ら せ な いた め に は ﹁社 会
性とし て ﹁
年 金 よりも 医 療 や介 護
宮 島 教 授 は 今 後 の目 指 す べ き 方 向
医 療 技 術 の高 度 化 を 踏 ま え て 、
う わ け でなく 、 あ くま で抑え 目 な
直 接投 資 増 大 を呼 び か け た 。
一方 で イ ン ド が 今 年 、 日 本 の O
て い る こと も 順 を 追 って説 明 し た 。
﹂げと 給 付 水 準 の抑制 を実 現 し
消費 税 を 含 む財 源問 題 も 含 め 、
▼構 造 変 化 へ の 総 合 的 対 応 を
ト ー ン。だ か ら 、 イ ンドが 日 本 の
DA (
政 府 開 発援 助) 最 大供 与先
夫人 は カナ ダ大 使 など を 務 め 、
た﹂ と高 く 評 価 。懇談 会 で は ま ず
改 革 に は 政 府 .丸 と な った 取 り 組
刺 した。
出 席38人
G D Pを 追 い 抜 く の は .一
〇 三 二年
国 に な った こ と に 謝 意 を 示 し な が
お し ど り 外 交 官 と し て知 ら れ る 。
年 金 改革 を ベ ー スに、医 療 や介 護
みが 必 要 であ る点も 実 感 し た 。懇
通訳
西村好 美
と い った く だ り に は 触 れ な い 。
ら 、 ﹁援 助 は 圧 力 の 道 具 に 使 わ れ
イ ンド の 激 変 を 日 本 メ デ ィ ア が 十
な ど の自 己 負 担 、 給 付 の 配 分 な ど
春 名幹 男 委 員
る こ と を 期 待 し た い。
朝 日 新 聞 経 済 部 ・生 活 部
日浦
統
応 が 大 切 だ ﹂ と も 強 調 し た 。 いく
て はな らな い﹂と 、 や んわり 釘を
分 と ら え て いる と は 言 え な いだ け
談会 で の議 論 が実り あ るも のにな
を 迎 え て い る 。少 子 化 や 年 功 序 列 ・
日 本 の社 会 保 障 は 大 き な 転 換 点
を議 論 し て いく こと にな るだ ろ う
(
毎 日新 聞 出 身 )
に 、 日 本 中 を 飛 び 回 って い る 実 力
個人 会 員
川西
和夫
と の見方 を 示 し た。
司会
(4)
ス27(火)研 究 会
「
年金 改革」⑤
司会 飯野 奈津 了委 員
出席56入
派 新大 使 の説 法 に期待 が かか る。
者 会見
7.22(木}記
第414号
2004年8月10日
第414号
2004年8月10日
キヤノン社 長
会 議 事 務 局 が 会 見 し た
く援 助 資 金 を 募集 し た いと し て、 同
行わ れ る が 、 口本 政 府 や産 業 界 に広
連開 発計 画
国
す る報告 潜 の〇 四年 版 が発 行 さ れ 、
に ..百 万 ド ル の O D A を 行 い 進 め て
ビ オ タ ス ﹂ は H 本 政 府 が .九 九 ..
年
き た も の で 、 コ ロ ンビ ア の サ バ ン ナ
﹁ラ ス ・ガ
U N D P の サ キ コ ・フ ク ダ ・パ ー 氏
を 熱 帯 雨 林 に 転 換 さ せ る 植 林 プ ロジ
ェク ト ⊃ 〇 四 年 ま で に 八 〇 〇 Q ヘ ク
11汀 ︹英 文 二 八 五 ペ ー ジ ︺ の サ ブ タ イ
由 夕こ
照会 先
2削 減 を 達 成 し て い る 、
務 局 11 N P O 法 人 フ ユ ー チ 瀞、: 5 0
ダ ー ル の 植 林 と ..四 〇 万 ト ン の C O
る 、 と い う の が メ ッセ ー ジ 、 ﹁社 会
アイ デ ン テ ィ テ ィーを 認 め る 礼 会 こ
の多 数 派 か ら 排 除 さ れ て い る 少 数 民
0 11 掴 0 3 1 5 7 7 7
そ が民 ﹂ L 義 と 経 済 発展 に も つな が
ト 中 は ﹁こ の 多 .
様 な 世 界 で文 化 的 自
多 様 性 を 尊 重 し、 少 数 者 の
︹U N D P ) が 毎 年・
発行
が 内 容 説 明 を 行 な った 、 今 年 の 報 告
﹁人 間 開 発 報 告 書 2 0 0 4 ﹂発 表
團
国型 企業統 治 を 切 り 捨 てる. 社 長
にな って最 初 の 五 年 間 は ﹁利 益 優
先﹂ ﹁
財 務 体 質 改 善 ﹂を 掲 げ 、年 間
売 ヒ高七 .
.
一
四 億 円 に相当す る不 採
算事 業 から撤 退 し た .
、財 務 体 質 の
改 善 に メ ド を つけ た ..
O O二 年 か
ら は ﹁カ ネ は あ る 。 欧 米 で M & A
成 長 に不可 欠 と 判 断 した大 型 の設
族集 団 や 宗 教 集 団 が 、そ れ ぞ れ の存
ゼ ロ エミト 周 年 世 界 会 議事
な ぜ、キ ヤ ノ ンが .
圧気 な の か 、
備 投 資 に も 矢 継 ぎ 早 に踏 み 切 った 、
.
在 を柄 張 す る
.ア イ デ ン テ ィ テ ィ i
政 治﹄ は 憎 悪 を 植 え付 け 、 地 域 社 会
の 対 象 を 探 せ 一と 指 示 し 、 永 続 的
こ の人 の話 を 聞 く と 誰 も が 納 得 し 、
﹁攻 撃 す る 時 は ...
O% の備 え
[7 ・日
尺会 議室 一
6 7 3 0
な ん と な く 力 が 湧 い てく る 。 ﹁世
を し て か ら で な いと 攻 撃 し な い、
、
v上 海 支 局 開 設
中国 行 き を 前 か ら (
}希 望 し て ビ ザ を 長 く 待 っ て い ま し (
語 とも 思え るよ う な
﹁
夢﹄ が次 か
ヒ 高 71 兆 円 を 日 指 す ﹂ な ど 大 .
言壮
代 の﹁
戦 争 ご っ こ ﹂で身 に つけ た 。
で ガ キ大 将 と し て 過 ご し た 少 年 時
語 った経 営 手 法 は 、 大 分 県 蒲 江 町
れる予 {
疋.
. 照会 先
U N D P東 京 事
いる 、 日 本 語 版 は 十 月 中 旬 に 発 行 さ
v引 っ 越 し ま し た .
.そ の た め 皆 さ ま に
(
vき ち ん と 個 別 に ご 挨 拶 す る こ と が で (
vに 間 に 合 わ せ る た め 、 慌 し く ヒ 海 に (
大ム.A議 室 }
ロ エミ ッ シ ョ ン 十 周 年 世 界 会 議 ﹂ で
表 は今 年 九 月 、東 京 で 開 催 さ れ る ﹁ゼ
減 効 果 が 期 待 さ れ る と いう 、
.正 式 発
実現す れ ば 、 世 界 最 大 級 のC O 2削
ガ ビ 才 タ ス ﹂の 大 幅 拡 大 を 許 可 し た 、
酸 化 炭 素 固 定 化 プ ロジ ェ ク ト ﹁ラ ス ・
成 功 を 収 め て き た 大 規 模 な 植 林 ・二
コロンビ ア の ウ リ ベ大統 領 が 同 国 で
ゼ ロ エミ ッ シ ョ ン 十 周 年 世 界 会 議
(7 ・6
務 所 11 h O 31 5 4 6 7 1 4 7 5 1
て の ﹁先 駆 的 な 考 察 ﹂ も 行 な わ れ て
ら 次 へと 飛 び 出 す 。し か し 、
九五年
御 手 洗 氏 は ﹁米 国 の超 優 良 企 業
芳徳
﹁管 轄 ﹂ (
シ ュピ ー ゲ ル誌 上 海 支 局 長
平公摯
3 5 7号 選
電
(
^
︹
)
^
(
ヴ ィ ー ラ ン ト ・ワ ー グ ナ ー (
2 6 3号 麟 編 2 0 1 7 ⑪ 2
ー )
窯宅 ㊨讐 碍 δ σ
診
。ぎ 韓
) ー ー ー > ﹀ ) ﹀
8 6 1 2 ー -5 9 8 8 - 6 6 4 6
)) ﹀ ) ー
)電 子 メ ー ル
)話
V盛 杉 庄
・上海 青 浦 区 害
V
v
V連 絡 先 は 左 記 の 通 り で す 。
Vに お 会 い で き る と 思 い ま す 、 新 し い (
V東 京 に あ り ま す の で 、 ま た 逝 い う ち (
に残 り ま す し 、そ し て、 妻 の実 家 も ・
り
目 本 は 、当 面 の あ い だ 、私 の
vき ず 、申 し わ け あ り ま せ ん 。 し か し 、(
に 社 長 に就 任 し て か ら の実 績 を み
の社 員 と う ち の 社 員 を 比 べ る と 品
格 が 違 う ﹂と 分 析 し た .世 間 で は キ
ヤ ノ ンを 優 良 企 業 と も ては や し て
ー ド ルは高 ま り つ つあ る .
御手洗 氏
キ ヤ ノンに人 社 し て五年 目 の六
十 =、
年間駐在 し 、 ビ ジネ ス の ﹃
常
が 語 った ﹃
夢 ﹂の 実 現 に は 、
自身 が分
いる が 、
期 待 も あ いま って評 価 の ハ
識 ﹄ を 身 に つ け た 。 な の に 、 ﹁日
大村
日本経済 新 聞 産 業 部編集委 員
析 した ﹃
欠 点 ﹄克 服 が 欠 か せ な い.
.
﹁会 社 の こ と を 知 ら な い社 外 取 締
本 で は 日本 型 企 業 統 治 が機 能 す る ﹂
六 年 に 米 国 に 赴 任 し た 。 以後 約 .﹁
う ﹂ と 思 わ せ る 経 営 者 であ る 。
ると、﹁
御 手 洗 さ ん な らや る だ ろ
ん で いる ﹂ と 。 こ う し た 状 況 に つ い
縁慕 講 縮
鰍麓烈
や国全 体 を .
分 裂 さ せ る危 険 性 も は ら
界 に 冠 た る 会 社 を 作 る ﹂ ︻肚 界 の
岡 田直敏 委員
守 り ができ る ま で は我慢す る ﹂ と
出 席1.18人
ト ップ .○ ○ 社 に 人 り た い﹂ ﹁売
▼収 益 で 世 界 の 一〇 〇 社 へ
御手洗冨士夫
宇 治敏 彦 企 【
由倭 員 長
呵会
食会
73GL金}昼
役 は キ ヤ ノ ン に は いら な い﹂ と 米
(5}
ト
ス
ゲ
ブ
ラ
ク
巖
国,翻 ﹃剛 湘㎞園
流 砂 の 後 を 追 って
(
八 月 三 H)
バ キ ア ・ブ ラ チ ス ラ バ
連 ・東 欧 首 脳 と の ス ロ
道 機 関 も ﹁言 論 の自 由 ﹂を 得 て 、 生
誌 ル デ ・プ ラ ボ を は じ め と す る 報
指 導 部 を支 え て いた 。共 産 党機 関
し か し ソ連 は そ も そ も 、 東 西 冷
で の会 議
会 議か ら わ ず か 十 七 日
戦 下 で 衛 星 国 と み な す チ ェ コス ロ
き 生 き と 政治と 経 済 の民主 化 と自
後 に は ソ 連 ・東 欧 五 力
バ キ ア に独 自 路 線 を 認 め る わ け に
で両者 の和 解 が 演 出 さ
国 軍が 侵 入 、 そ の後 ソ
は いか な か った 。 ド プ チ ェク 第 一
由 化 を 論 じ て いた 。
連 軍 の 一部 は 二 十 一年
書 記 ら の改 革 派 も い った ん 国 民 に
れた にも か か わ らず、
余 後 の 八九 年 十 二月、
約 束 し た 民 主 化 ・自 由 化 を 後 退 さ
プ ラ ハと ワ シ ン ト ン の 間
市 民 革 命 で チ ェコ ス ロ バ キ ア共 産
信行
私 が 直 接 現 地 で取 材 し た 事 件 で
佐藤
政治 、 経 済 、 社会 を め ぐ る あ ら
せ る ことは 国民 の信 頼 を 裏切 る こ
私 は プ ラチ スラバ で の和 解 劇後
ソ 連 ・東 欧 軍 侵 入 の 第 ⋮報 を 聞
党 政 権 が 崩 壊 す る ま で 居 座 った の
連 ・東 欧 軍 の 侵 入 )、 カ ー タ ー 大
も 、 ソ連 の軍事介 入 は避 け られな
い て ド プ チ ェク 第 一書 記 は ﹁ひ ど
は、 チ ェ コ事 件 (
民主 化 運 動 の
も し が た い力 学 が 働 く も の だ と 思
統 領 の当 選 、 イ ラ ン革 命 、 フ ィ リ
い 、 し か も そ の時 点 は 迫 って いる
い こと だ。 こん な こと が起 ころう
ゆ る 情 勢 は = 疋段 階 に 達 す る と 、
わ ざ る を 得 な い。 私 は 勝 手 に ﹁流
ピ ン革 命 、 湾 岸 戦 争 、 ク リ ン ト ン
と み た 。 チ ェ コス ロ バ キ ア 共 産 党
と は ﹂と 言 って絶 句 し た と いう が 、
と に な る 。 両 者 に妥 協 の余 地 は あ
砂 の力 学 ﹂と 名 付 け て い る 。主 に 国
大 統 領 の 当 選 な ど 、 いず れ も そ の
改 革 派 指 導 部が翌 九月 九 H に臨時
情 勢 展 開 の力 学 か ら す れ ば 、 起 こ
で あ った 。
際畑 で の三 卜 六年 間 の経 験 で何 回
見 通 し を 誤 ら ず に済 ん だ が 、 そ れ
党 大 会 を 開 き 、中 央 委 員 会 を 改 造 、
る べ く し て起 き た 悲 劇 で あ った 。
﹁プ ラ ハ の 春 ﹂を 押 し つ ぶ し た ソ
も こ の力 学 の威力 を 見 せ つけら れ
も そ こ に 流 砂 の力 学 が 働 い て い る
保 守 派 を 追放 し て民主 化 路 線を 定
そ の進 展 方 向 に 人 知 で は い か ん と
た 。自 然 現象 に たと え れ ば 、波 に
のを 感 じ た か ら だ った 。
方 、 経 済 で は も ち ろ ん バ ブ ル の崩
辞 職 、政 権 の 崩 壊 や 交 代 、選 挙 の行
は な い。大 統 領 な ど の要 人 の 辞 任 ・
ろ ま で行 か な い 限 り と ど ま る こ と
展 開し 始 め た 情勢 は 行 き着 く と こ
二 十 九 日 ∼ 八 月 一日 )、 次 い で ソ
ティ ソ ウ で の両 国首脳 会 談
(
七月
バ キ ア 国 境 の町 チ ェル ナ ・ナ ド ・
ェ コ事 件 で は 、 ソ連 ・チ ェ コ ス ロ
た 大 事 件 で あ った 一九 六 八 年 の チ
特 派 員 と し て最 初 に ぶ ち 当 た っ
ド プ チ ェ ク 第 一書 記 率 い る 改 革 派
語 り A口う 上 気 し た 市 民 の群 れ が 、
悪 行 を 糾 弾 し、国 の未 来 を 熱 心に
の輪 を 作 り 、過去 の共 産 党 独 裁 の
プ ラ ハ の市 内 で 、 あ ち こ ち に 人
着 さ せ よ う と し て いた か ら で あ る。
と 尋 ね た と こ ろ ﹁五 十 年 く ら いか
﹁ソ 連 が 変 わ る 日 が 来 る と 思 う か ﹂
入 後 、 プ ラ ハ市 内 で 中 年 の 女 性 に
壊 の 予 兆 にも 思 わ れ た 。 ソ連 軍 侵
か か ろ う と も 、 免 れ 得 な い ソ連 崩
し か し これはま た 、 ど れ だけ長 く
り 得 な か った の で あ る 。
洗 わ れ る 流 砂 の よ う に 、 い った ん
壊 な ど に こ の力 学 が 働 いて いる 。
(6)
第414号
2004年8月10日
いま で も 脳 裏 に 残 って いる 。
か る の で は ⋮ ﹂ と つぶ や いた の が
に な った の で あ る 。
氏 当 選 へ の 流 れ が 勢 いを 増 す こ と
生 し た 。 .一
月 十 一日 に 私 が マ ニラ
ハ ワ イ へと 去 り 、 ア キ ノ 政 権 が 誕
と いう 学 説 が あ り 、 こ の説 に 従 え
先 の 政 治 が 三 卜 年 周 期 で繰 り 返 す
誌 に ﹁ソ 連 は チ ェ コ事 件 で “ソ 連 帝
ご した。 帰 国 後 間 も なく 、 あ る雑
を カバ ーす る東 欧 特派 員 と し て過
年.
一
.
月ま で の 二年 半を 、 東欧 全 域
私 は ソ連 占 領 下 の プ ラ ハで 七 一
に反 政 府 デ モ が展開 さ れ 、 特 に若
し た イ ラ ン 革 命 では 、 連 日 の よ う
て いた 。 テ ル ア ビ ブ か ら 出 張 取 材
朝 の 衰 退 に 伴 う 革 命 の力 学 が 働 い
ブ イ リ ピ ン 革 命 では 、 そ れ こ そ 王
七 九 年 の イ ラ ン革 命 と 八 六 年 の
時 間 の 問 題 であ った 。 し か し こ の
り 得 る は ず はなく 、米 国 の開 戦は
ト占 領 を 解 かな い限り 、妥 協 があ
争 で は 、 フセ イ ン 政 権 が ク ウ ェー
ワ シ ン ト ン支 局 長 だ った 湾 岸 戦
前 回 の大統 領 選 が 行 わ れた 二〇
に私 には 思わ れ た の であ る.
.
トス (
精 神 ) を つか ん で いる よ う
利 益 を 重視 す る民 主 党 が時 代 の エ
衰 退 す る中 間 層 や 少 数派 、女 性 の
実 、 米 国 で の暮 ら し を 通 し ても 、
ば 、 こ の年 は ま さ に こ の歴 史 的 潮
国 ”の 維 持 に .応 成 功 し た か に 見
者 た ち は も ち ろ ん 、ス ー ク (
市場)
戦 争 で勝 利 を収 め 、九 〇 % の支持
〇 〇 年 には、 ま だ こ の時代 精 神 は
人 り し てか ら帰 国す る ま で、 わず
え る.
.し かし 巨 視 的 に見 れ ば 、 や
の商 人 た ち ま で も が 反 国 王 に 結 集
率 を 勝 ち え た ブ ッシ ュ大 統 領 が そ
流 の 分 か れ 目 に当 た っ て いた 。 事
はり こ の”
帝 国 ”の お そ ら く は き わ
し て 店 を 閉 ざ し て いる 光 景 を 見 れ
か ト 八 日 間 の出 来 事 で あ った 。
め て 長 い崩 壊 過 程 の始 ま り を 告 げ
衰 え て いな いは ず だ った が 、 米 国
特 有 の 間 接 選 挙 制 度 に よ って 、 一
の約 一年 半 後 の大 統 領 選 で は 南 部
小 州 の 無 名 の知 事 に 敗 北 す る と は
般 得 票 で 五 十 三 万 票 以 上 の差 を つ
ば 、 結末 は容 易 に予 測 でき た 。
外 信 部 デ ス クから派 遣 さ れ た ブ
だ れ が 予 想 でき た で あ ろ う か .
.大
和洋女 子人学非 常
〔7>
た も のと いえ る の で は な いだ ろ う
か ﹂と 書 い た 。 結 局 こ の 過 程 が 終
イリピ ン革 命 でも、私 は マル コス
ッ シ ュ大 統 領 に 敗 れ 去 った の で あ
着 地 に た ど り つ いた のは 、 チ ェ コ
二 年 八 月 、私 は 中 央 公 論 (
十 月 号)
った .
.私 が 今 年 の 大 統 領 選 で 注 目
け な が ら 民主 党 のゴ ア候補 は 現 ブ
権 崩 壊 の に お いを か ぎ と った 。 他
に 、 こ の 選 挙 に つ い て ﹁政 権 交 代
す る の も ﹁ア メ リ カ 帝 国 ﹂ の こ の
統 領 選 挙 を ニ カ月 余 後 に 控 え た 九
社 が マル コス政権 継続 と 判 断 し て
の機 は 熟 し た ﹂ と 題 し て 、 ク リ ン
エト ス のあ り よ う で あ る 。
大 統 領 の 一方 的 “
当 選 宣 言 ”に 、 政
応 援 要 員 を 引 き 揚げ るな か で、 私
ト ン氏 の当 選を 予想 す る 記 事 を書
事 件 か ら 五 十 年 を 経 ず し て 一、
十二
は社 に 出 張 期 間 を 延 長 し て も ら
いた 。
年 目 の こ と で あ った 。
一九 七 四 年 ウ ォ ー タ ー ゲ ー ト 事
い、 逆 に 応 援 要 員 を 要 請 し た 。 大
◇
件 で ニク ソ ン 大 統 領 が 辞 任 し た
東欧 (
在
ロン ド ン
.九 .
.
一
七 年生 ま れ
な ぜ こん な大胆 な 予 測 に踏 み切
さ と う ・の ぶ ゆ き
団 円 は 近 いと 確 信 し た か ら で あ っ
った か と いえ ば 、 一つ に は ケ ネ デ
ワ
テルアビブ
整 理部長
編 集委 員室 長を歴任
外 信部 長
現在
同 年 か ら ︻.
○○.
.
一
年ま で和
七 四年 度 ボ ー ン国 際 記者 賞受 賞
書 か な か った 話
勤講 師
歌 山大学教 授
九 七年 退社
シ ン ト ン支 局 艮
支 局長 を経て
プ ラ ハ} ワ シ ント ン 特 派 員
六 .年 共 同 通 信 入 社
後 、 フォー ド 大 統領 が昇 格 、 間 も
た.
、 二 月 十 五 日 の大 統 領 “
当 選 ”か
(
六〇年)からこ
の年 は 三 十 三 年 目 に 当 た っ て いた
ィ 大 統 領 の当 選
ンリ レ 国 防 相 と ラ モ ス参 謀 総 長 代
こ の こと が 後 々 ま で 尾 を 引 く よ う
に思えた 。 民 心 は 共和 党 を 離 れ 、
書 いた 話
政 治 には 公 共 の利益 重 視 と 私 益優
か ら で あ る 。 と いう の も 、 米 国 の
コス大統 領 は そ の四日後 に 米 機 で
行 が 大統 領 に反 旗を翻 し た 。 マル
ジ ア 州 のピ ー ナ ツ 農 場 主 力 i タ ー
七 六年 の大 統 領 選 で は 南 部 ジ ョー
ら わ ず か 一週 間 後 の 二 十 二 日 、 エ
なく ニク ソ ン大 統 領を 特 赦 し た .
、
第414号
2004年8月10日
U F J と 向 き 合 った 半 年
▼品 田
卓
﹁他 の 新 聞 は 気 が 付 い て い な い
だ った .
首 脳 が U FJ 首 脳 に経営統 合 を 打
か な ﹂。 記 者 と そ ん な 心 配 を し な
が 取 材 を 進 め て いく と 、 一
、
一
菱東 京
診 し て い る こ と が 分 か った 。 実 現
金融 は製 造 業 など と違 って、 ラ
がら 、 原稿 に手 を人 れ る、
、
グ ループ が 誕 生 す る。 U FJ が こ
イ バ ル と の 製 品 ・サ ー ビ ス の 差 別
す れ ば 、 資 金 量 で 世 界 最 大 の金 融
、そ れ が
れ に応 じ る か ど う か ー
に メ スを 入 れ よ う と す る 金 融 庁
に改革 を迫 る 竹 中 、
半蔵金 融担 当 相
七 月 十 .口 、 参 院 選 挙 、 U F J
追 求 し て 再 編 に 動 く 。 銀 行 再 、編 は
務 を し て いる か ら 、 規 模 の 利 益 を
れ な い. ど の 銀 行 も 同 じ よ う な 業
百 本経済新聞経済部次 長)
﹁U F J グ ル ー プ 首 脳 が
と 、抵 抗 す る UF ﹂.
. いわ ゆ る U
が 大 蹴 得 票 で 当 選 し 、 小 泉 純 一郎
化 は 難 し い、 カ ネ に は 色 を 付 け ら
こ のま ま で は 九 月 中 間 決 算
F J 問 題 の 口 火 を 切 った 報 道 だ つ
取 材 の焦 点 だ った .
.
が 組 め な いと ぼ や い て いる
顧 客 のす そ 野 と い い、 資 金 最 と い
い 、他 の 業 界 に 比 べ て 大 き い た め 、
政 権 の続 投 が 決 ま れ ば 、 U F J も
答 え を 出 さ ざ る を え な いと 考 え
た。
だが 、
当 初 は U F Jは 全 面否 定 、
ここ十 数 年 、 金融 再編 取 材 と向
六 月 ド 旬 、現 場 記 者 か ら
金 融 庁 も ノー コメ ント
だ が 、 本 当 に 動 く の か 、 ﹁住 友
注 目を 集 め る 。
こ ん な 連 絡 が 入 った ,決 算
融 庁 の発表 で、報 道 の正確 さ が証
六 月 の金
が 組 め な いと は 、ま た 赤 字
る こと も あ れ ば 、 抜 か れ る こ と も
き 合 って き た 。 特 ダネ を も の に す
売 却 を 白 紙 に 戻 し て ま で統 合 に 踏
信 託銀 行と 基 本 合 意 し て いる信 託
ら 冷 た い視 線 を 浴 び た
明 され たが、 当初 は金 融 界 など か
行 に必要 な自 己資 本 比率 八
五 月 、金 融 庁 か ら 不 良 債 権 処 理
ク ー プ し た い ﹂。 祈 る よ う な 気 持
あ る 、 だ が 、 こ れ ほ ど の 大 .再 編 に
% の維持 が 困 難 に な る と い
の L 積 みを 迫 ら れ て い る U F J が
そ し てト 一
.一H 、
、
ち だ った .
待 と 不安 が 人 り ま じ る。
み 切 る の は 難 し いか も ﹂ 1
う こと だ った 。単 独 で の再 建
ど ん な =一
月期 決算 にす る か、経 営
、U F J が 一
.一
菱 東 京 と の統 合 に
﹁ぜ ひ 、 ス
を 断 念 し て 、他 の 銀 行 と の
責 任 はど うな る か が注 目を集 め
通 信 社 電 が 気 にな る .N H K も
込 ん だ 段 階 に な っても 、 他 紙 が 辿
つけ た ま ま 、 原 稿 を 最 終 版 に 突 っ
U F J の動 き と は 、 首 脳 が 住 友
っ て く る 気 配 が な か った の で 、 ホ
て いた .
汗葉 が 飛 び 込 ん でき た 。
は接 し た こと が な い
経 営 統 合を 模索 す る かも し
よ う や く 動 き 出 し ま し た ﹂.
.待 っ
U FJが
た 。 特 ダネ を 狙 った が 、 他 の新 聞
れな い
U FJは今 年 の最 大 のテ
信 託銀 に白 紙 撤 回 の打診を 始 め た
ッと 胸 を な で ド う し た .
、
今 回 は何 とし て
こ と だ った . 十 四 日 に も 臨 時 取 締
(7 月 2
30 記 )
ど こと 組 む のか
U F Jの再 編相 手 候補 と ささ や
役会 を 開き 、信 託 売 却撤 回と 三菱
ー マだ った . 一月 .一
卜 四日
F J 調 査 へ. 貸 出 先 査 定 、
か れ て いた の は 、 .
.
一
菱東京グルー
東 京 と の統 合 交 渉 開 始 を 決 議 す る
しなだ・
す ぐる
.九 八κ年入社 日銀 一
金融
担当 響
キ ヤ,プ プリ ュ!セル特 派 員を 経 て
..
OC ..
年 から金 融担当デスク
.
-
内 部 資 料 を 精 査 ﹂ と いう 独
プ、.
.
弄 住 友銀 行 、り そ な グ ルー
段取 りも 整 った 。 ほ ぼ完全 な 情 報
も モ ノ にした い
{
ロネ タを 掲 載 . U F J の大
プ 、 英 H S B C な ど . 現 場 の記 者
付 朝 刊 .面 に ﹁金 融 庁 、 U
と の 打 ち 合 いに な った
。緊 .張 が 走 った -
、期
に 陥 り 、国 際 業 務 を 営 む 銀
た。
よ う です ﹂
プ レス
口 融 資 先 企 業 の 再 生 ・処 理
(8)
ワ ーキ ング
三菱東京統合
UFJ一
第414号
2004年8月10日
第414号
2004年8月10日
す べ て は ギ リ シ ャ的 に
▼結 城 和 香 子
よ う 、最 後 ま で確 認 す る責 任感 に
れ る の だ が 、 一方 で 間 違 い の な い
議 。 困 って い る と 親 切 に 助 け て く
実 ”を 疑 って か か る し か な い 不 思
っ て 情 報 が 異 な り 、 ”目 の 前 の 事
を 妙 に.
汀 い得 て い る 。 聞 く 人 に よ
建 設 の遅 れ を 含 め て の こと だ .
、
社 会 イ ン フラ の不 備 や、五輪 施 設
終 わ る話 な のだ . そ れは、 基 本 的
の感 覚 に 照 ら せ ば
口 が ふ さ が ら な い思 い でも 、 当 地
か った 、 日 本 人 の 常 識 で は 開 い た
賃 ヒ げ ス ト で 、 π 輪 報 道 は .切 な
の体 験 談 が 、 後 続 ・記 者 への
五輪開 幕直 前 、 本 紙 紀者
荷物
た う え 、途 中 で 五 輪 警 備 の警 察 官
と.
.
肖わ れ 、 序 盤 の 行 き 方 を 教 わ っ
み 乗 車 拒 否 に .結 局 ﹁歩 いて 行 け ば ﹂
の 行 き 方 が 明 瞭 で な いた め 、軒 並
不 満 。 人 は 実 に い い のだ が、 ど こ
待 って い て も 何 も 起 こ ら な い 欲 求
心 で 安 請 け 合 いを す る た め 、 結 局
に な いギ リ シ ャ 的 唯 我 独 尊 、
.親 切
く 、 他 人 の迷 惑 と いう .
.
﹂
口葉 は 辞 書
え ず 、 ぶ っ つけ 本 番 に近 い こ と .
.
建 設 遅れ で 運 営 訓 練 が ほと ん ど 行
凝 ら し 始 め て い る .残 る疑 問 は 、
技 会 場 は ほ ほ完 成
カ ウ ン ト ダ ウ ン が 始 ま った .
.各 競
八 月 レ ご.B の 開 幕 に 向 け 、 κ 輪
ーあ あ そ う ﹂ で
欠 け る アバウ ト さ.
.自 己 宅 張 が 強
警 告 と し てメ ー ル で配布 さ
に道 を 聞 く よう 指 .
小さ れ た
か ズ レ て いる ボ ラ ン テ ィ ア. こ れ
こ れ に ギ リ シ ャ的 詰 め の汁 さ が 加
(
読 売 新 聞 ア テネ 支 局長 .
一
れた
を 抱 え て 夜 道 を 歩 い て 行 った 記 者
に 、 ギ リ シ ャ人 特 右一
の .西 洋 文 明 の
わ って 、 運 営 が ス ム ー ズ に 行 く か
設を 代川 し てく れと 頼ま れ
戸定 に間 に合 わ ず 、 別な 施
た 同 記者 らは 、 準 備 が入 居
た メ デ ィ ア村 に 移 ろ う と し
ら 、組 織委 に申 し 込 ん で い
者 た ち に 、 メ デ ィ ア 村 のギ リ シ ャ
午 前 二 時 過 ぎ に た ど り 着 いた 彷 復
と こ ろ を ゆ う に .一
時 間 超 , し かも
羽 口 に。 ここま で 、車 な ら 五分 の
職 員 に 泣 き つき 迎 え に 来 ても ら う
C ま で引 き 返 し て、 メ デ ィ ア村 の
で プ ラ ス だ った か も し れ な い。 地
て も 驚 か な い心 構 え を 与 え る 意 味
本 か ら来 た 記者 た ち に、何 が起 き
でも見 方 を 変 え れ ば、体 験 は 目
え て く る。
とう 句 を加 え れ ば 、 大体 構 図 が見
好 き か.
、 い い国 だ ろ う ﹂ と いう 常
た ﹂ と いう 、 最 大 の目 的 が 達 成 さ
に せ ず 、 ﹁オ リ ン ピ ック が 開 催 さ れ
え れば 良 いのだ 。 瑠 末 な こと は気
る か も し れ な い.
、ギ リ シ ャ 的 に 考
な と ころ。 でも 、 結 局 は何 と か な
む 我 々は、 気 が 気 でな いのが 正 直
を 旨 と す る 分 刻 み の 五輪 報 道 に 臨
に は大 き な 疑 問 符 が 付 く 。 凋 到 さ
本 番 の 装 いを
五 輪 施 設 の建 設 が t 壇 場 に
た ち は 、 し か し 、 指 定 場 所 で警 察
礎 を 作 った ”誇 り と , ﹁ギ リ シ ャ は
た . そ こ ま で は ま あ い いの
人 ボ ラ ンテ ィ アが に こや か に声 を
域 停 電 、断水 、 電 話 回線 不具合 は
は そも そ もが、
な る 、 ギ リ シ ャ 的 顛 末 のと
官 に 行 き 会 わ ず 、 道 に 迷 い、 M P
だ が 、 そ の夜 、 プ レ ス セ ン
か けた そう だ.
.﹁
疲 れ た だ ろう.
.今
で 最 後 の⊥ 事 を し て いる に も か か
ター (
M PC )か ら 宿 泊 所 ﹁メ
五 輪 の先 遣 特 派 員 と し て臨 時 支
わ ら ず 、 ﹁す で に 完 成 ﹂ と し て 組 織
れれば成 功な のだ 、と.
.
ろう とし た数 人 が ﹁
今 ︺は
局 を 設 け 、 当 地 に .年 四 カ 月 住 ん
委 に引 き 渡 さ れ た .
. 宜 輪 .カ 月 前
ゆうき・わか こ .九 .
八六年人社 英 字 新 聞
部などを 経 て 九 一
.
一
年 から運動 部所 属 シ
ド ニー芝局.
長 ロンド ン総局を 経て 0.
.
一
年
四月からアテネ支 局長
茶 飯 事 。 スタ ジ ア ムは、 まだ 内 外
バ スは 早 く 終 わ った ﹂ と 告
で い る 筆 者 か ら 見 る と 、 エピ ソー
の節 目 の 日 に は 、 地 元 報 道 機 関 は
口 本 か ら着 いた のか ﹂。
げ ら れた 。 M P C でタ ク シ
ド は 五 輪 直 前 の 今 の ア テ ネ の様 相
デ ィ ア村 ﹂ 行 き の バ ス に 乗
﹁
事件
ば っち り だ った , ホ テ ル か
プ レス
ー を 頼む と 、 メ デ ィ ア村 へ
(9)
ワ ーキ ング
膨 ア テ ネ ・オ リ ン ピ ッ ク
した 曽 我 さ ん は
﹁だ か ら 頑 張 っ て
を す る ﹂ と し か った .
、気 を 取 り 直
が自 殺 し た ら 、 子 ど も も 同 じ 思 い
か った の は 切 ね え が 、 母 親 の お 前
さ い ん だ と 思 っ て ﹂. イ ン ド ネ シ
の前 で は ﹁自 分 の替 労 は な ん て 小
込ま れ 、常 に耐え てき た 曽 我 さ ん
す 。 拉 致 と いう 国 家 的 犯 罪 に 巻 き
い つも 逆 に 励 ま さ れ て い る ﹂ と 話
励 ま し 励 ま さ れ た こ の 二年
る ん だ ﹂ と ぽ つ り 。 皿そ う だ 、 頑
節 子
▼ 堀 内
の 大 切 さ を 教 わ った ﹂ ﹁入 間 の 強
ア で の高 額 の 滞 在 費 を 問 題 視 す る
﹁首 相 の 胸 に 輝 い て い る 青 い バ
さを 感 じ た﹂ と曽 我 さ ん か ら何 か
張 ら ん で ど う す る ﹂。 励 ま し 合 い 、
が 詰 め か け た . 曽 我 さ ん の家 族 、
ッジ を 見 て 、 も っと も っ と 、 大 き
を 得 て いる 人 た ち に も 出 会 った .
︹
新 潟 日報佐 渡支 局 ∀
拉 致 被害者 の曽 我 ひと みさ ん
親 せ き、友 人 は 、絶え 間 な く 押 し
な期 待 を し た ﹂と 曽 我 さ ん が 望 み
曽 我 さ ん 家 族 の来 H ・帰 国 は 実
入 々 も い る 中 、 ﹁曽 我 さ ん に 家 族
(四 五 )が 家 族 と 日 本 に 戻 っ て き
寄 せ た 報 道 関 係 者 に へき え き し 、
を か け た 五 月 一.
十 二日 の小 泉 純 一
、年 九 カ 月 間 待 ち 続 け た 。
た 、
曽 我 さ ん の 地 元 、新 潟 県 佐 渡 市
口を 閉 ざ し た . 当 時 の担 当 記 者 は
現 し た が 、 行 方 不 明 のま ま の母 ミ
で 生 活 を 始 め る ま で に は 、夫 ジ ェ
郎 首 相 の再 訪 朝.
. 一人 だ け 家 族 と
ヨシ さ ん 、 旧新穂 村 か ら拉 致 され
ン キ ン スさ ん (
六 四 ︺の訴 追 問 題 な
会 え な か った 曽 我 さ ん に 、 地 元 は
た 疑 い が 濃 厚 の新 潟 県 職 員 、 大 沢
孝 司 さ ん の問題 など 、拉 致 問題 解
﹁か け る 言 葉 が な い ﹂ と 沈 ん だ 。
﹁取 材 し て も 自 分 は 結 局 .
}
.
百分 の
.の存 在 で し か な い、
.信 頼 関 係 が
つく れ な か った ﹂ と 振 り 返 る 。 集
ど 、い く つか の ハー ド ル が 残 っ て
い る が 、帰 国 ・
来 日 が 実 現 し 、東 京
カ月 、 再 会 場 所 を 巡
決 に は ほ ど 遠 い. 今 後 も 佐 渡 か ら
それか ら
っ て .一転 三 転 し た 後 、 ジ ャ カ ル タ
団的 過熱 取 材 を 避け る ため 代 表 取
材 が中心 に な り 、直接 話 を 聞 け な
で家 族と 接す る様 子 を 見 守 る佐 渡
市 の支 援 者 、住 民 は ﹁良 か った ﹂と
伝 え て いき た い。
)り 、2008年
ご ろ にF定
さ れ て い る 野 生 復,
'.帰 へ 向 け た 環 境 整 備 へ の 動 き も 注 日 さ れ
,
︹
ほ り う ち ・せ つ こ
今國年3∫11目
、1口画巨鞍rl∫
、旧fミ 野f町∫な ど.
;.卜 市 町 村 が 合 併 し て 遜 生 、.鬼」<鼓 な ど の 「
:1郷L某
能 や 、局 内 に33あ る 能 舞 台 で の 薪,
瞥我 さ ん は同 市真 野 支所 で会 見 を
で の再 会 が 決 定 .出 発す る 直 前 、
曽 我 さ ん が .一
卜 四年 ぶ り の 佐 渡
開 いた ,
)田 ゴ亨}25527トf
いも ど か し さ も 募 った .
..
O Q 二年 九 月 、 歴 史 的 な 日 朝
で の生 活 に 慣 れ 始 め 、 徐 々 に 静 け
﹁苦 し い こ と も あ っ た け れ ど 、
'.佐 渡 市 メ モ:
祝 福 し 、帰 郷 の 時 を 待 って い る 。
首 脳 会 談 の結 果 明 ら か に な った 曽
さを 取り 戻 す 町 .
、遅 々 と し て 進 ま
佐 渡 ト.
;.能な ど .伝 統 文'化 が 息 づ い て い る
我 ひ と み さ ん の拉 致 と 生 存 . 静 か
大 切 な 幸 せ を つか む こ と が で き な
そ れ を 乗 り 越 え な け れ ば 、 も っと
致問 題風 化 の懸 念 が大き く な って
い 、と い つ も 白 分 に .
言 い 聞 か せ て、
な い北 朝 鮮 と の 交 渉 に 、 今 度 は 拉
い った 、
.永 住 帰 国 が 決 定 後 、 曽 我
前 を 向 い て は っき り 語 った 言 葉
頑 張 って き ま し た ﹂
待 てと いう な ら 、死 ん だ 方 が い い﹂
に 、 離 れ ば な れ だ った 六 百 三 十 三
さ ん は ﹁五 カ 月 も 六 カ 月 も 家 族 を
と 親 せ き に 漏 ら し た こと も あ っ
﹁ひ と み さ ん に は
日 間 分 の 思 いが 込 め ら れ て いた 。
友 人 の ﹁人 は
た.
、親 せ き は ﹁そ ん な こ と 言 っ て
ど う す る 。 帰 ってき て 母 親 が い な
る
カ1飼 育 さ オして お
〉キ1恥`{璽セ ン タ ー で は58羽
の 約L1「
京23区
ノ
」'キ ロ1東
'.面 積854.94'ド
'倍1
現 習
」E〕
、12004{1モ7月1日
:1ノ
㌦[.;7αOllノ
だ った 旧 真 野 町 は 一転 、 事 件 の 舞
新潟
台 と し て .時 三 百 人 を 超 す 報 道 陣
囲圏発
{101
第414号
2004年8月10日
第414号
2004年8月10日
試 写会
でも 杉 並 木 を 見 回 り し 、 わ が f
のよ う に樹勢 を診 断 す る のが 目
課 だ . 杉 の樹肌 に.
月を 傾 け 、杉
一.
千本 余 が連 なる 特 別 天 然 記 念
樹齢 約 、
.
.
百 互 卜 年 、巨 木 .万
康 な の か、 衰え て いる のか を見
や根 の 張 り 具 合 も 観 察 . 杉 が 健
L げ る 音 を 聞 き 分 け る 、 枝 ぶり
杉 に生 き る
物 の日 光杉 並木 .戟 時 中 、 軍需
極 め る。
が ﹁朝 ご は ん ﹂ と し て 水 を 吸 い
供 木 運 動 の象 徴 的 な 対 象 に な っ
慧会 議報 生暴
八 月 号 の 編 集 と 九 月 り か ら の紙 .
面刷
住 田委 員 長 、 永 井 、中 園 、 福
沢 、 布 施 、 仙 石 の各委 員
小会 議室 ﹁
新 委 員 の帆 江 勇 朝 日 新 聞 編集 局 長
﹁7 ・21
第 謝回会 員 資 格 委 員 会
出席
新 に つ いて協 議 し た 、
小会議室 }
第 鵬回 施 設運 営 委 員 会
(7 ・6
新 委 員 の伏 見 俊 之 N H K 報 道 局
総 務 部 長 ︻旧 ・冷 水 仁 彦 氏 [と 梅 田
光 男 日本 プ レスセ ン タ ー 常 勤 監 査 役
補佐
﹁
旧 ・石 坪 勤 氏 一 を 委 員 長 が 紹
例 年 行 って い る 八 月 の 貸 室 料 割 引
介 し た 、 八 月 .11 付 の 会 員 入 退 会 を
(旧 ・川 村 進 氏 )を 委 員 長 が 紹 介 し た 。
︹.律 、
.
.κ % 引 き ) と 第 ..週 の 早 閉
共 同 通信 社
︹
新 ) 国分
翁 目面 ↓
俊英
常 務 理 肇 ・編 集
左 記 の理 事 交 代 を 承 認 し た
第 細回理 事 会
元 、川 中 、船 川 、今 川 の各 委 員
滝 鼻 委 員 長 、帆 江 、守 屋 、 堂
審 査 し理 事 会 に答 申 し た
C ホ ー ル 一
出席
ま いを 今 年 も 実 地 す る こ と を .
j承 し
そ ん な 銀 松 にも 痴 ほ う の症 状
貸 室 利 用 状況 を 野 務 局 が報 告 し た .
第 謝回 企 画委 員 会
・7
総本部長
(旧 ︼ 門 旧
衛1
2.
員長
時事 通信 社
清 .、 取 締 役 労 務 ・ マ
(旧 ・谷 口 育 生 氏 ) を 委 員 長 が
紹 介 し た .参 院 選 前 に実 施 した 党 首
(
新 )一
.
.
橋
北 海道 新 聞 社
開発 局担 当
戦 略 局 ・メ デ ィ ア
常 務取締 役 経 営
東京支社長
ス メ デ ィ ア担 当
討 論 会 に ついて意 見 交 換 し た ほ か、
岩男
良之
宇 治 委 員 長 、村 松 、石 井 、山 田 、
中片
(新 } 杉 江
正敏
ハ
康 }、 岡 田
(直 }, 矢 島 、 宮 川 、 春 名 、 稲
(旧 }村 川
(
良 }、 中 井
出、菅 沼 、 飯 野 、 芋 原 、岡 田
克己
民三
テ レビ東 京
︹
旧)ヒ田
(新 } 鈴 木
(晃 }、 鳥 居 、 長 沢 の各 委 員 、
.
ゴ ー ルド ルームリ
(旧 ・.
兀田 成 氏 )を 委 員 長 が 紹 介 し た 、
新 委 貝 の布 施 優 子 N T V 外 報 部 長
︹7 ・15
第 廟回 会 報委 員 会
出席
今 後 の ゲ スト 選 考 に つ い て 協 議 し た 、
戸旧 ) 天 野
新 委 員 の稲 川 好 美 時 事 通 信 解 説 委
︻7
梅 田 、 阿 部 、 占 野 の各 委 員 、
岡.
兀委 員 長 、柴 田 、伏 見 、平 間 、
涯、 六月 の ア ラ ス カ売 り 上げ と
たが 、 日光 東 照宮 な ど が 保 護 に
が 出 、 家 族 は杉並 木 を 俳 徊 す る
一之
日 光 杉 並 木 保 護 の在 り 方 を 問 い
下 野 新 聞 東京報 道 部 長
伊藤
た
奔 走 し 、伐 採 を免 れ た 話 は有 名
を慕 う 孫家 族は 銀松 の生 き が
銀 松 に翻 弄 され る .し か し 銀松
し か し 、地 .
兀の若 者 た ち が 軍
い、 杉 の 見 同 り を 理 解 . 銀 松 の
だ.
に 対 し て伐 採 阻 止 の実 力 行 動 に
死 後 、 孫 は ﹁お じ いち ゃ ん は も
出席
立 ち 上 が った 話 は あ ま り 知 ら れ
っと 生 き た か った の だ ろ う な 一
今 、 H 光 杉 並 木 は 年 間 約 κ十
て いな い .
.し か も 憲 兵 に 拘 束 さ
話 に こ そ 伝 わ って い る が 、 誰 だ
本 が 枯 死 し 、第 二 の危 機 に瀕 し
と 思 いを 巡 ら す .
.
った の か 、今 で は 分 か ら な いと
て い る.
.銀 松 の死 と 衰 退 が 激 し
れ な が ら も 杉 を 守 った ﹁男 ﹂は 、
いう .
.
オ ー バ ー ラ ップ 、 杉 も
い杉 並 木 .
.映 画 で は こ の 二 つが
銀 松と 設定 .今 、 生 き て いれば
生きた い 一
と 叫ん で い る よ う で、
映 画 で は こ の ﹁男 ﹂ を 、 曽 根
杉 並木 を こ よなく愛 し 、 杉 のこ
掛 け て いる。
﹁も っと
と な ら 誰 にも 譲ら な い であ ろう
.徹 な 老 人 と し て ﹁再 現 ﹂ し て
いる 。
九 十 六 歳 に な った 銀 松 は 、 今
〔11}
九 人 が プ ロ と の指 導 対 局 に 挑 み ま
(土 )
し た 。 大 野 八 一雄 六 段 に は 全 敗 で し
七 月 三十 一日
紅友 会 と の対 抗 戦 を行 いま し た 。
た が 、 安 食 総 子女 流初 段 に対 し 、 安
将棋 の 会
紅 友 会 か ら は 五 段 を 筆 頭 に 一.
十人が
原幸 雄 氏
七 月 二十 四 日 (土 )
ム リ ン に 足 を 踏 み 入 れ さ せ 、 ﹁ソ 連
参 加 し ま し た 。 成 績 は ク ラ ブ の 一.
一
十
勝 、 深 谷 憲 一氏 ハT V 東 京 O B ) も
囲碁 の会
は も は や 悪 の帝 国 で は な い﹂ と .
百わ
八勝 二十 二 敗 。 佐 沢 利和 、 畠 山 武 の
二枚 落 ち で金 星を あげ ま し た 。 大 野
あ の反 ソ 反 共 の タ カ 派 を し て 、 ク レ
し めた ゴ ル バ チ ョフの並 外 れ た 説 得
両 氏が 四 勝 ○ 敗 、 安 原和 雄 、 田 川 五
六 段 か ら は 加 藤 .二 一
.
一
九 段をく だし
﹃ゴ ル バ チ ョ フ と 池 田 大 作 ﹄
(
時 事 通信 出 身 ﹀
力 。 ま た 、 晩 年 の ニク ソ ン の あ ま り
郎 、都 留 重 人 の各 氏 が 三勝 ○ 敗 の ほ
孝之
本 書 執 筆 後 、レ ー ガ ン が 病 死 し た 。
知 ら れ て い な い エピ ソ ー ド に も 触 れ
か 、 宮 沢 昭 ..郎 、 友 出 錫 、 三 ツ 野 充
中澤
そ の レ ー ガ ンと ゴ ル バ チ ョ フと の 出
た 。 ゴ ルバ チ ョフ周 辺 は彼 の異 常 な
ま した 。
蔵 の み な さ ん も “団 体 優 勝 ”に 貢 献 し
譜 の解 説 も し て い た だ き ま し た 。
た 朝 日 オ ー プ ン 予 選 (7 ・27 ) の 棋
(
読 売 O B V が .事 手 で 二 連
会 い は、 本 書 のさ
人 格 に 驚 が く し た の で あ った 。
.五 〇 〇 円 )
の膨 大 な 回想 録 を 比
(
角 川 書店
わ り の [つ だ 。 二 人
較 検 討 す る作 業 は楽
し か った 、 つ いに、
(12)
第414号
2004年8月10日
第414号
2004年8月10日
記 者 研 修 会 の 申 し 込 み は 16 日 ま で
会 員 の著 書 {
ご寄 贈 いた だ き まし た ︺
芳賀
繧会 員
牟 出 口義 郎 会 員
3503-2728
昭 和 人 物 ス ケ ッチ
3503-2フ25
地 中 海 歴 史 回廊
・ 貸1L{{】㌻辛り
3503-2766
・・1薯f寸
、'良:公 打 ち で}才,・
せ
3503-2724
クラ ブ 行'拝 へ の1μ し 込 ノ函
3503-2721
(
朝 日新 聞 )が 同レ 九 H 、中
(
巾 面 ・東 京 新 聞 出 身 ) が 同 .一ト ヒ
.四 六 社
た しま す .
法 人会 員
法 人 ・
特別賛助
橋 場 義 之
二 一.六 社
中 園 龍 二
仙 石仲 也
. 、七 六 五 人
.一〇 一人
会員現 況
計
名 犀ロ・功 隅刀ム五昌ハ
八 〇社
.、六 七 ヒ 人
hハレ﹂人
個人賛助会員
ムム員
会 報 委 員 会
布 施 優 子
O 一
.
.⊥ .一
五 〇 一
.
.1 七 一.七 .)
〇 一
一
.1 一
.一
κ 〇 一
.
.1 一.七 五 .﹂ .
本 庄 五 月
(電
絡 11 長 谷 川 和 子
福 沢 亜夫
員 11 永 片 多 恵 子
委 員 長 11 住 川 良 能
委
連
(F A X
話
.一.人
個人会員
基本会員
目 死去 さ れま し た。 謹 ん でご 冥福 を お 祈 り い
川 陽会 員
佐 々木 芳 隆 会 員
(
朝 日 新 聞 出 身 ︺ が 同 卜 六 11 、
羽 牛 健 ..
会 員 (T B S )が ヒ 月 卜 .二H 、
3503-2723
石 川真 澄 会 員
卦報
・iサ 重ミ レ ス ト ラ ンILO防 〒』1
八〇 八人
﹁日 本 記 者 ク ラ ブ 会 合 の お 知 ら せ ﹂ の
ま で お問
・経 理
毎 年 、 地 方 紙 、 地 方 局 の参 加 が 多 い 記 者 研
寄贈書
日本新 聞協 会
H本 民間放 送 連 盟
放 送文 化基 金
防衛 白書
アテ ネ 五 輪 にち なん で、今 月
防 衛 庁 長官 官.
塀広報 課
11 本 の 防 衛
放 送 基 準 解 説 書 .一
〇 〇四
H 本 新 聞 協 会 の活 動
民放連
.
一
.
十 年 のあ ゆみ
平 成 レ 六 年版
吉 富 コク テ ル
3503-2722
修 会 も 、 へ'年 で 七 回 目 に な り ま し た . プ ロ グ
ラ ム は 、 ワ ス コー 在 日 米 軍 司令 官 、 生 田 日 本
郵 政 公 社 総 裁 の 両 昼 食 会 の ほ か 、 ﹁平 成 の 大
合 併 の 光 と 影 ﹂(
逢 坂 誠 .一
北 海 道 ニ セ コ 町 .長 、
嶋 津 昭 元 総務省事 務 次 官 、 北川正恭 早 大 大 学
院 教 授 )、﹁リ ス ク コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン と マ ス ・
メ デ ィ ア = 広 瀬 弘 忠 東 京 女 f大 教 授 ︺ の 研
究 会 な ど 七 項 巨 です 。
所 定 の 申 し 込 み 用 紙 は す で に各 社 の 編 集
(0 3 1 3 5 0 3 1
局 長 、 報 道局 長 宛 に お 送 り し て いま す が 、
出 席 ご 希 望 の方 は 事 務 局
い ”の 花 、
﹂
⋮
口葉 を も つ八 月 の 花 、 ひ ま わ り を オ
は オ リ ンピ ヤ ー ド で す 。 “あ な た は 素 晴 ら し
村ヒ )ま で お申 し出 くだ さ い。 も
・ 和 食 レ ス ト ラ ン 〔9階,
デ ー と オ レ ンジ ジ ュー ス な ど を シ ェイ ク し た
リ ン ピ ック 選 手 た ち に た と え ま し た 、 ブ ラ ン
27 25
(
月 ) です 。 多 数
ち ろ ん 、在 京 会 員 社 か ら の 参 加 も 大 歓 迎 で す .
、
申 し 込 み 締め切り は ト 六 日
の参 加 を お待ちし ま す .
.
・ニミ`ユ`罫務
話
ブ の 電
ラ
ク
色 鮮 や か な コク テ ル で す .
うに
み は 、 送 付 され た メ ー ル に杜名 、 氏名 、出
タ イ ト ル で お 送 り し ま す . 会 合 へ の申 し 込
す で に ご 案 内 し た よ う に 、九 月 一日 か ら
席 希 望 の会 合 名 を 記 し て 、 返 信 し て い た だ
電 子 メ ールでの 会 合 案 内 を始 めま す
﹁会 合 の お 知 ら せ ﹂ が .電 子 メ ー ル で の 案 内
く こと にな りま す 。
276←
ご 不 明 な点が あ れ ば 、 ク ラブ事 務局 の河
(0 3 -3 5 0 3
い合 わ せ く だ さ い 。
野
メ ー ル 受 付 ア ド レ ス ⋮ 盃 罫oコ⑨嘗 でob こ で
も 可能 になりま す 。
ハガ キ ま た は フ ァ ク ス に 代 わ り 、電 f メ
ー ル で の 案 内 を 希 望 さ れ る 方 は 、下 記 の ア
ド レ ス宛 に 、
ご 自 身 の メ ー ル ア ド レ ス 、社 名 、
氏 名 を 明 記 した メ ー ル を お 送 り く だ さ い。
電 子 案 内 の場 合 も ク ラ ブ 行 事 と わ か る よ
{13}
.:ダ で ヤ,1レ イ ン:.
撮影
芹 沢
伸生
(写
産真
経報
新道
聞局
東京)
〔7.201
柴〔寿〔 ・楽斤イ菅
B
か
A
そう だね、
.極 め て 暑 い の は 極 熱 、 焦
猛暑 か 、 酷 暑か ,
こ う いう 暑 さ は 何 と 呼 べ ば い い の
沙 、厳 し い暑 さ は劇 暑、 炎 暑 、烈 暑 、苦
熱 、焼 く よ う な 暑 さは、 灼 熱 、沸 く よう
な 暑 さ は 沸 熱 、蒸 す よ う に 暑 い の は 蒸 暑 、
艦 唇 、源 暑 、焦 が す よ う に 暑 い の は 焦 暑 、
A
世 界 に は 、 も っと 暑 い 国 も た く さ ん
も う い い、
.聞 く だ け で 暑 い.
、
仁陽
丸い.
:.
..目
{ハ
垂臼
B
あ る. .
西 ア フ リ カ の ガ ー ナ で は 、 ..月 に
サ ハラ 砂 漠 か ら の北 風 が 吹 く と 、 木 材 が
ピ ー ンと ひ び 割 れ す る . 水 県 や 金 星 の表
面 温 度 は さ ら に す ご いそ 、 水 星 は 平 均 摂
氏 .ヒ .
.一
度 、 金 星 は四六 四度 だ、 地 球が
最 高 で も κ 八 ・八 度 で 、 人 類 が 生 存 で き
し か し 、 そ の人 類 存 続 を 可 能 に し た
る 環 境 で あ る こ と に感 謝 し た い よ .
A
地 球 の表 面 温 度 が 、 混 暖 化 の進 行 で 、 じ
わ じ わ L 昇 し つ つあ る .
、世 界 の 国 々 は 本
と.
.
.
肖う ヤ ツ が 、 ネ ク タ イ を 締 め 、 暑
当 に危 機 感 を 持 つべ き だ 。
B
逸男)
い暑 いと 冷 .
腸を ガ ンガ ン利 か せ る , そ れ
済 み ま せ ん、
が 温 暖 化 の 一因 に も な っ て い る .
.
A
︹
森 脇
(14.[
第414号
2004年8月10日
暑 っ!!
Fly UP