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食 の 達 人 茨城「大黒家」圷雄一さん イチゴ(ひたちなか市) い ば ら き の 元 気 な 食 材 いちごのフルーツグラタン レ シ ピ 畑 M y T a s t e 彫刻家 能島征二さん リ ハ ビ リ 忍 法 帖 受け継いだ味を守り続ける大谷明寛さんと、妻の江合子さん 男性の参加を増やす秘策は? い ば ら き 星 空 散 歩 黄金屋 提供 JA茨城みどり を貫通させたところを除け う。昭和に入って高上町通り ないようになっている﹂とい 完全な十字路はなく、見渡せ と、﹁真壁の伝統的な通りに 川嶋利弘さん による て仲町通りに入る。案内人の 見芽通りの交差点を左折し を訪れる際、平四郎最中がお 近隣の石材業者などが他県 最中の名がついた﹂。 やかり、﹁いつの間にか出世 看板商品にした。平四郎にあ 字やイラストを考案し、店の なんで昌平さんが包装紙の文 功徳を残した名僧。功績にち る。真壁菓子商組合が作った ﹁平四郎最中﹂で知られてい んをパリッとした皮で包んだ えた。昔ながらの手作りのあ ぐ、和菓子店﹁黄金屋﹂が見 仲町通りを西に向かってす い違いが残るそうだ。 仲町通りを進むと間もな が入ったという。 は遠く離れた石川県から注文 買い求める客もおり、最近で け先を通じて今度は他県から ることはうれしい限り﹂。届 て、地元の人に選んでもらえ 7 お菓子のご利益マップには、 く、御陣屋前通りとぶつかっ の経営する川島書店の見世蔵 ﹁最中を食べるとなぜか出世 がある。江戸末期の建物だ。 た。左折した左手に川嶋さん 黄金屋を経営するのは大谷 この通りは江戸時代、陣屋 明寛さん が置かれたことに由 来し、現在でも見世蔵や土蔵 夫婦。現在の場所に店 を構え、明寛さんは2代目。 など古い建物が軒を連ねる。 家人の声が通りにも聞こえて もともと大谷さんの祖父が古 に移り住んだ。 きた。﹁人と人の絆があれ ひなまつり期間中の人出はひ 大谷さんは高校卒業後、東 ば、必ずまた来てくれる﹂。 河市で和菓子屋を始め、父親 京の老舗菓子店で修業を積 歴史ある建物と生活感。その と際多く、観光客をもてなす み、家業を継いだ。自家製の 2つが真壁の魅力のようだ。 ものの、出家し修業の末、い 城主の誤解から城を出された ら。資料によれば、平四郎は に仕えた人物、真壁平四郎か れている。商品名は真壁城主 年以上たつが、同じ味が守ら 平四郎最中は作り始めて い﹂と話してくれた。 味だけにごまかしがきかな で微妙に変わる。シンプルな 分量でも、煮詰めの具合など 3時間かけて煮込む。﹁同じ 砂糖を朝から火にかけ、2 あんは作りだめせず、小豆と の昌平さんの代になって真壁 役所 、江合子さん します﹂と書いてある。 ば、それぞれ 供する。﹁真壁のお土産とし 久慈川の清流と昼夜の大きな気温 差が米作りに適した奥久慈で、たい 肥を使った土づくり、化学肥料や農 薬を減らすなどの徹底した栽培管理 が生んだ、旨みと甘みがぎっしり詰 まったコシヒカリです。 の食 コシヒカリ 5キロ 5 奥久慈の恵 うまかっぺ くつもの寺の開山となるなど 桜川・真壁商店街通り 3 【応募方法】 ハガキに必要事項を記 入し郵送してください。ホームページ からも 応募可(午前 時から) ◆記入事項 住所 氏名 年齢 職業 性別 電話番号 意見 要望 ◆応募先 〒310−8686(郵便番号のみで可) 茨城新聞社テイスト編集室 2/20付プレゼント係 ◆締め切り 2/22(火)当日消印有効 ◆当選発表 賞品の発送をもって代えさせて いただきます。 【取り扱い】 グリーンハウス大宮(常陸大 宮市若林1832−16 0295−53 −5132)奥久慈特産物直売所(大子町頃 藤3853 0295−74−1435) ※応募の個人情報は、当選者への通知と紙面 作りの参考にのみ使用させていただきます。 ◆黄金屋は午前9時∼午後6時。定休は水曜 まつり期間中は営業) 平四郎最中は130 円。 0296(55)3658。 常陸大宮市の西ノ内紙を取り上げ、 日本一の和紙原料の那須楮を紹介 文化財ものがたり 食べれば出世の「平四郎最中」 日 日曜日 月 年 平成 年 第三種郵便物認可 ( ) 245 源氏星と平家星 進む。右側にオレンジ色の﹁ラン 号を約2 谷立体の交差点を左折し、さらに 奥 谷 の 要地方道 号 に 向 か っ て 下 り て い く 。 奥 面という標識が見えたら、二股の 左 へ 主 交差点を越えて橋を渡り、大洗・ 岩 間 方 国道6号を土浦方面に進み、小 鶴 西 の 連携し、同町内での自給率向上を目指し の具のシジミも同町産。地域の生産者と の付け合わせ野菜、ランチに付く味噌汁 ロース肉にかける。キャベツ、ニラなど 混ぜて店のオリジナル味噌にし、焼いた 噌﹂を使用。和之家豚のひき肉と砂糖を 励会で農林水産大臣賞受賞の﹁とうみ味 下水を原料とした、全国豆類経営改善共 00 地区6人の生産者が所属している。 ひたちなか苺部会には同地区 人、勝田 年に県の銘柄推進産地に指定され、JA 来イチゴの栽培を行っている。2007 前ほどに石垣イチゴ作りに取り組み、以 ひたちなか市阿字 浦地区では、 年 問い合わせは、同JA長砂直売所 0 夫さん。出荷は6月中旬頃まで。 がしっかりしているのが特徴です﹂と英 る。﹁酸味と甘みのバランスが良く、実 だが、甘みがより強く、芳しい香りがす を待って収穫するため、収穫量は少なめ 明してくれた妻の厚子さん。完熟するの イチゴ本来の旬である春に近づき、おいしく味わえる時 季を迎えた。スーパーなどの販売店には、とちおとめ、紅 ほっぺ、さちのか、章姫など多様な品種のイチゴが所狭し と並んでいる。今回は、バインベリーの生産者を訪ねた。 同JA勝田営農センター飯村義隆さん 29 285 0202。 の紹介で、﹁バインベリー﹂の生産者の 一人である小池英夫さん宅を訪ねた。今 ひたちなか市 の時期は、朝7時頃に収穫を始め、イチ の意 作り方 ゴの粒の大きさごとにパック詰めをし、 午後に出荷するのが日課になっている。 ﹁バインベリー﹂は 年に同JAが商 つる 標登録した商品名で、イチゴの品種は、 とちおとめ。バインは、蔓 味だという。﹁商品価値を高めるため、 品種名ではなく、特徴ある名称をつけま した﹂と英夫さんが話してくれた。 栽培しているハウスに足を踏み入れる と、甘い香りが一気に広がる。蔓の部分 残して切り、収穫していた。 を、通常見かけるイチゴよりも長めに約 2、3 ヘタの部分まで真っ赤なイチゴを見せ ながら、﹁完熟イチゴなんですよ﹂と説 カスタードクリーム{A…(牛乳 、砂糖 g)、 B…(卵黄 g、砂糖 g、バニラオイル少々、コーン スターチ g)、バター g}、生クリーム g、い ちご1パック、グラニュー糖適量 食の基本は、地元産の食材を当地で消費する地産地消。 チ﹂と緑色の﹁地産地消﹂と印刷 さ れ た て地産地消を推奨していきたいというこ 材 料(4人分) 採りたての新鮮なものを安価で、おいしく食べられます。 のぼり旗が見えると、道よりも低 い 所 に だわりが、メニューにも表れている。 いちごのフルーツグラタン 生産者の有志らが協力し、地域の活力源とする﹁食﹂。 位置した﹁大黒家﹂がある。ちょ っ と 遠 ﹁南瓜プリンをきっかけに、茨城町に 地元にこだわった料理人の和食店を紹介します。 回りのようだが、入口が鋭角にな っ て い 少しでも目を向けてもらいたいんです﹂ 交差点を左折して主要地方道 号を るため、水戸方面から主要地方道 と話す。ランチのデザートで同プリンが 食べられるのは、今月末まで。午前 時 来るよりも、入りやすい。 月に、茨城町商工会青年部主催 昨年 029 292 0070。 午後2時。夜、土日、祝日は完全予約 プリン﹂。 制。 ﹁ご当地B級グルメコンテスト﹂ で 優 勝 をした料理人、圷雄一さんの店だ 。 出 品 カボチャ 作は、とてもなめらかで、ほどよ い 甘 さ の﹁南瓜 だが、同店はスイーツ店ではな く 、 和 食店。今回作ってもらったのは、 ラ ン チ わ ﹂は、店から ロース田楽味噌焼き﹂。﹁和 メニューのうちの1品で﹁和之家 豚 のかとん やそはち 分の所にある同町の和家養豚場 之家豚八十八 車で約 で、米を食べさせて育てられた豚肉。 軟らかくて脂身が少なく、くせがない ため、約1年前から使っている。 ブ ラ ン デーをかけ、ほどよい焼き色をつ け る 。 カスタードクリームを作る。鍋にAを入れ、沸騰直前 まで温める。ボウルにBを入れ、泡だて器でよく混ぜ る。Aを加え、鍋に戻し入れる。再び火にかけ、沸騰 するまでへらでよく混ぜ、最後にバターを加える。バ ットに移し、ラップをして氷水で冷やす。 と泡立てた生クリームを合わせる。 器にカットしたいちご、 を入れる。グラニュー糖を ふり、バーナーで焼き色をつける。 (1人分・ ) いちごは傷みが早く、風味が落ちやすいため、水で 洗わず、布巾などでふいてから使いましょう。 地元食材で作る豚の味噌焼き 味噌は同町産の大豆、コシヒカ リ 、 地 取材協力 中川学園調理技術専門学校 丁寧に扱いながら収穫する厚子さん イ チ ゴ [アドバイス] 盛り付けをする圷さん 和之家豚ロース田楽味噌焼き 茨城 大黒家 圷雄一さん ( ) 第三種郵便物認可 日 日曜日 月 年 平成 年 男性の参加を 全員女性で、熱心である。 うに思う。NHK文化センター いがそれ以外はやはり少ないよ った講座には男性の出席者が多 者の感想では、○○大学と銘打 様の意見を聞くことが多い。筆 ることで、茨城県の活動でも同 この課題はたびたび話題にな 増やすか﹂が議論された。 として、﹁男性の参加をいかに それでよいのだが、活動の課題 はすべて女性であった。それは れ勉強になったが、発表者7人 ンティア活動の発表で、それぞ いずれも積極的な住民のボラ ンテーターを仰せつかった。 ィア団体のシンポジウムのコメ 護予防活動をしているボランテ ォーラムに招待され、講演と介 昨年の 月、長崎県の介護フ 募集が行われている。男女を問 年度上期の体操指導士3級の ちなみに、現在健康プラザで ろうか。 の参加者を増やす秘策はあるだ いろいろの地域活動への男性 聞いた。 戸別訪問し勧誘したという話も へ参加させるために、指導士が 室を開いたところがある。そこ 市のある地区では男性だけの教 ないという話だ。そのため水戸 的に女性が多く男性の参加が少 齢者の参加状態を聞くと、圧倒 指導士さんの地域活動での高 やや男性が多くなっている。 し超える。1級は男女半々か、 3割。その上の2級は3割を少 成事業を見ると、3級は男性が 況はどうだろうか。指導士の養 操指導士養成事業やその活動状 ところでシルバーリハビリ体 のうじま・せいじ/ 年東京都生まれ。 年日展文部大臣賞。 年日本藝術院賞。 年日本藝術院会員に就 任。日展常務理事、日 彫会理事長、県美術展 覧会会長などを務めて いる。水戸市在住。 わず進んで応募してほしい。 いばらき 星空散歩 水戸市移動天文車指導員 中川 義通 源氏星と平家星 点があるヨーロッパを訪ね、パリ、 ない。そして、それを持続すること です。感動しないと、ものは出て来 自分の信条はまず、わくわく感動 いましたね。 代から人体彫刻の原 日曜に先生の所に行って模写をして 邦夫先生に出会いました。毎週土・ 校1年生の時に県展に入選し、小森 を拾い、こねたりしていました。高 工場があって、牛車が落とした粘土 笠間の粘土なんですよ。近くに土管 彫刻家としての原点は、疎開した 目が来たかなと感じて、自分なりに げていかなければならない。その役 なったら社会貢献をして発展につな 順繰りと言いますか、ある程度に んですね。 くて、いろいろなものが見えてくる にしています。健康にいいだけでな いですか。外国に行っても歩くよう く歩きます。1時間に4、5 水戸に住んで 年経ちますが、よ 備と努力が必要です。 すかね。でも、そのためには心の準 ントが湧いてくる。連続性と言いま 彫刻を作っていると、次の作品のヒ 構成・中村勉、撮影・柳下知彦 としても成功させたいですね。 談 ぐら ローマ、フィレンツェなどの美術館 力を尽くしています。6月からの日 が重要です。 に行って歴史的なものを順番に見て 展茨城展は、茨城の代表者として何 カ 回りました。 その後を含めると、これまで 国以上に行きましたね。人々の暮ら しとか、日本にはない風景を見ると 感動します。昨年訪れたカナディア ンロッキーの風景は美しかった。美 しいものに触れることが芸術の原点 であると、改めて痛感しました。海 わくわく感動 外だけでなく、音楽会に出掛けたり 小説を読んだり、日々感動する時間 歩くこと を大切にしています。 それと、今は規則正しい生活を心 掛けています。冬だと朝6時半頃起 きて、8時過ぎから仕事をします。 ニュースを見ながら昼食を取り、午 後からまた仕事に入ります。一つの 規則正しい生活 をはじめ、多くの要職に就かれているが、 ざっくばらんな話しぶりにすっかり魅了さ れた。プロフィールに書ききれなかったも のをここに追加します。「 年県特別功績 者。 年水戸市文化栄誉賞」。元気3カ条 の「わくわく感動」をいかに持続するか。 自分なりに試してみたいと思った。(中) マイテイストの取材 で、彫刻家の能島征二さんにお会いしてき た。お茶をいただいた後、アトリエに案内 されて、いろいろな話をうかがった。アト リエには能島さんが制作したいくつもの人 体彫刻が置かれ、それらを見ているだけ で、幸せな気分を味わった。日展常務理事 増やす秘策は? ドクター大田の超高齢社会の自助共助茨城県立健康プラザ管理者・医学博士:大田仁史 の筆者の体操講座でも参加者は 午後8時過ぎ、南の空にはオリオン座の威風堂々たる 姿を見ることができる オリオン座の左上に輝くのが ベ テルギウス。星としては一生の終わりに近づき、表面の 温度が下がってオレンジ色に見える。そして、右下の明 るい星がリゲル。こちらは若い星で、白く輝いている。 この2つの一等星を、それぞれ「源氏星」「平家星」 と呼ぶ地方がある。その色の違いから、源平合戦の時の 両軍の旗印に見立てたものであろう。両軍の間を隔てる ように三つ星が輝いているが、その南を良く見ると、な にやらぼうっとしたものが見える。これが「オリオン大 星雲 である。よく 鳥が羽を広げたような姿」と表現さ れるが、ここは一つ、これを扇に見立ててみよう。そう すると、これはまさに屋島の合戦。弓に鏑矢 かぶらや をつがえ、扇の的を見事に射 落とした那須与一の物語を思い浮かべることができる。星座の物語と言えばギリシャ 神話がほとんどだが、時にはこうして日本の物語を思い浮かべてみてはどうだろう。 感 動 を 持 続 さ せ る こ と が 重 要 で す 能 島 征 二 彫 刻 家 9] リハビリ忍法帖[1 9 日 日曜日 月 年 平成 年 第三種郵便物認可 ( ) 、など えちぜんほうしょ 、﹁越前奉書 なく、昔から﹁本美濃紙 ほんみのし す と和紙の一大産地でした。当 県北の久慈川、那珂川流域はかつて楮 名だたる和紙の原料として使われてきました。紙を漉 こうぞ 地で生産される紙は﹁西ノ内紙﹂と呼ばれ、地元産の那須楮 を 原 料 と し て い ま 手間が必要です。今回は楮の栽培から出荷までの一連の作業を紹介しましょう。 くまでには、1年もの す。那須楮は、その光沢と繊細さから絹にもたとえられ、地元の西ノ内紙だけで ン皮を干しあげたものを黒皮という。 黒皮の表面の皮を削り取り、白皮にする。﹁ヒョヒト リ﹂という。常陸大宮市諸沢に住む相沢初江さんの作業 を見てみよう。黒皮を一晩水に浸し柔らかくする。ヒョ ヒトリ台の三つ編みにした部分に座り、表皮に小包丁の 刃を当てて甘皮まで削り取る。内側の乳白色のやわらか な部分が紙の原料となる。この部分が白皮である。 実はここに那須楮の大きな特徴がある。楮の皮は外側 かつて那須楮は大子町、常陸大宮市、常陸太田市ほぼ 県から各地に出荷されたためである。 郡烏山藩から、近代は早く開通した東北線を使って栃木 にも関わらず、那須楮と呼ばれたのは、近世は隣国那須 植物名ではなく流通名である。主に茨城県北部で産する どで栽培や加工が行われている。そもそも那須楮とは、 子町大沢を中心に頃藤、西金、常陸大宮市盛金、諸沢な 現在、那須楮は久慈川の支流、大沢川沿いの久慈郡大 語った。﹁1本の真っすぐな木に育てないと、和紙の原 くなり、和紙の原料として適さないという。高村さんは て、刈り取る。一年を過ぎると木の繊維が硬く、かつ粗 多く使われてきた。楮は、株から伸びた芽を1年だけ育 で、その樹皮は、古くからわが国の紙の原料として最も 当たりのよい山の斜面で栽培される。楮はクワ科の植物 交じりの水はけの良い土壌を好み、風の当たらない、日 高村喜典さんの畑で、楮の栽培を記録した。楮は小石 皮、という意味であるという。皮を剥いで残った楮の芯 さんによれば、塩をしていない生の状態、﹁無塩﹂の いない楮の皮を﹁ブイン皮﹂という。紙漉きの菊池正氣 て皮が収縮し、剥き安くなる。剥いたままの、乾燥して まんべんなくかける。こうすると楮の温度が急に下がっ 頃合を見計らってビニールシートをはずし、楮に水を るが、2釜目からはおよそ1時間半ほどである。 ばれている。楮を蒸す時間は、1釜目はやや時間がかか 気漏れを防ぐパッキングの役目をし、﹁コシマキ﹂と呼 スノコと釜の間には、藁で作った輪が置かれている。蒸 る。以前はコシキと呼ばれる大きな桶が使われていた。 ています。現地で紙漉きの人達の汚れやキズを取り除く 町頃藤 の竹内智洋さんは語った。﹁岐阜や福井に送っ 昔から白皮の買い付けを行ってきた、竹内商店 漉き職人や原料問屋に引き取られる。 うに手間をかけるのだ。乾燥すると、白皮は、地元の紙 た所は乾きが悪く腐敗しやすいので、全体が乾燥するよ 天日乾燥する。頃合を見て縛り直し、再度吊るす。縛っ ある。表皮を取り除いた白皮は、共皮で縛 え、緑色の甘皮を残らず削り取ってしまうこの加工法に 那須楮の品質の高さは、植物としての品質の良さに加 部分を削り残すが、那須楮は乳白色の部分のみを残す。 部分に分けることができる。他の産地では、緑色の甘皮 から、茶色の薄い外皮部分、緑色の甘皮部分、乳白色の 全域と、栃木県那須烏山市、那珂川町の県境付近までの 料として良い皮が取れません。わき芽もきちんと取って を﹁コウズッカラ﹂という。少し前まで、女たちの楮剥 苦労を見て、私の所でそれらをなるべく取り除き、最高 軒ほどの紙漉きの家があった が、取材当時は 軒だという。代表の長谷川聡さ 紙を漉く姿も、漉きあがった紙を1枚1枚透かし 相沢初江さんのヒョヒトリ 見て選別するのも真剣勝負そのものである。 那須楮について語った。「那須楮は繊維が細か く、仕上がった紙も緻密です。加工して下さった 方がどのくらい気を使ったか肌で感じます。良い 仕事をして作られた原料を使うと、紙漉きの善し 悪しに関わらず良い紙が出来ます。昔からこの那 須楮が使われてきたのは、紙漉きの技量を上げて くれる原料だったからでしょう」。 本美濃紙は障子紙など以外にも、古文書や美術 の修復に使用する紙として日本だけでなく、海外 日本の誇る和紙を世界に売り込んでほしい。 楮は1束4貫( )に束ね て出荷する 竹内商店にて 文と写真・茨城ビデオパック社長 岩崎真也 ▽著作者 茨城ビデオパック 年4月 平成 ▽監修 常陸大宮市歴史民俗資料館 ▽製作期間 平成 3月▽時間 分 俳協 ▽撮影・シナリオ 岩崎真也 ▽編集 大森智加江 はすでに 4月 日 2 14 にて上映中。問い 0295 857 まで。 2726 市在住。 7 いる。稲敷 評価を得て ど常に高い 選ばれるな 科省特選に 本以上を数える。作品は文 録をライフワークとし、製作した作品 わる。現在、主に県内の文化財映像記 生まれ。大学在学中より映像制作に携 いわさきなおや。1953年土浦市 著者プロフィール FAX共通 パック 029 つくば文化郷別館1F 茨城ビデオ 5ー0022 つくば市吉瀬1876 ○ビデオ製作の問い合わせは、〒30 300。 宮市立図書情報館 0295 ○上記DVDの視聴及び貸出は常陸大 50まで。 合わせは資料館 月 日 ﹁水戸の紙 生産と流通と消費﹂ ○常陸大宮市歴史民俗資料館企画展 ▽ナレーション 中村啓子 年 大子 って 広い範囲で作られていた。そして産地の土壌や地形、気 おくのも生産農家の役目ですよね﹂。地元では刈り取っ 焚き付けや燃料とし このあたりには ほどさかの 支流、板取川を少し遡った川沿いにある。かつて 川を1 長谷川和紙工房は、この旧市街地から長良川の しば 候によって﹁本場もの﹂﹁準本場もの﹂﹁場違いもの﹂ た楮の原木を﹁キコウズ﹂と呼んでいる。 きの手間賃は、このコウズッカラ 品質のものを送ろうと思いました﹂。日本一の品質と評 がらない』という言葉はここからきている。 。 このキコウズを加工し和紙の原料とする。まず、木を て重宝 であった。私も皮剥きに挑戦してみたが﹁意外 される那須楮。久慈川、那珂川の清流に生きてきた名も とで、裕福な家の象徴でもあった。『うだつが上 須楮の栽培が行われ、品質が最上とされた﹁本場もの﹂ うだつとは、屋根より高く設けられた防火壁のこ 図参照 久慈川の支流、久隆 くりゅう 切りそろえ、蒸して、すぐに皮を剥ぐ。桐原義一さん と不器用なんですね﹂などと言われ、材料を無駄にして なき人々によって守られ続けてきたのである。 軒を連ね、「うだつ」の町として知られてきた。 などと呼ばれ差別化されていた ぼった所に、常陸大宮市盛金地区岡平がある。昔から那 の所で、その一連の作業を記録した。専用の は申し訳ないと思いすぐに降参した。ブイン皮は、束に た。美濃市の旧市街地はかつて紙問屋の豪商達が 大子町 大型カマドで8束から9束を一度に蒸す。原木の束を竹 軒ほどあった栽培 川和紙工房を訪ねたのは、平成 を産出していた地域である。以前は の有名美術館からも注文があるという。原料あっ 年、新進気鋭の紙漉き職人である。 んはこの道 年7月であっ 本 美 濃 紙 の 工 房 を 訪 ね て 那須楮の行き先の一つ岐阜県美濃市にある長谷 楮を蒸す 桐原 義一さん宅 ての製品。お互い交流を持ち、共に協力し合い、 那須楮の生産地 分布図 して風通しのよい場所に干し、天日で乾燥させる。ブイ 日 本 一 の 和 紙 の 原 料 高村喜典さんの楮畑 (刈り取りの様子) のスノコの上に立てて並べ、ビニールシートをかぶせ 常陸大宮市「西ノ内紙」(上)那須楮編 農家も現在は、5軒に減っている。 漉き上げた紙の選別をする長 谷川聡さん 岐阜県美濃市 ( ) 第三種郵便物認可 日 日曜日 月 年 平成 年