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日蓮聖人の倫理観 についての 一考察 - J

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日蓮聖人の倫理観 についての 一考察 - J
橋
日 蓮 聖 人 の倫 理 観 に つい て の 一考 察 (倉
日蓮 聖 人 の倫 理観
に つい て の 一考 察
倉
橋)
観
隆
﹁倫 理﹂ と いう 概 念 は 未 だ 我 が 国 に お い て は様 々な 規 定 が な さ れ
て おり、 況 や 宗 教 と倫 理 の関 係 に な る と そ れ 以 上 に大 き な 問題 を 孕
一四〇
で、 こ の ﹁正 直捨 方便 ﹂ と は仏 の金 言 であ る 一切経 の中 で、 殊 に法
華 経 は 四十 余 年 の経 々を 方便 とし て打 捨 て、 正 に如 来 の真 意 を正 直
の人﹂ た る釈 迦 一仏 の言 葉 に留 ま る の で は な く、 ﹃宝 塔 品﹄ に お け
に 明 か し た経 で あ る と いう の であ る。 さ ら に この所 説 は単 に ﹁
実語
る多 宝 仏 の証 明 や 十 方 分身 仏 の広 長 舌 相 に よ つて 一層 真実 性 が確 定
的 に な つた ので あ る。 この説 相 は ﹃浬繋 経 ﹄ の ﹁
依 法 不依 人﹂ と い
う 経典 選択 の大 前 提 に 立脚 し、 仏 の真 意 が 明 か さ れ た 経典 を ひた す
ら 求 め て いた 聖 人 に と つて法 華 経 を 選 び 取 ら せ た最 大 の要 素 に な つ
おけ る倫 理 性 の問 題 を 取 り 扱 つ て いく に は 種 々 の側 面 が 存 在 す る の
正 直 の経、 方 便 の経。 法 華 経 は正 直 の経、 真 実 の経 也。﹂ (一一)と
御 経﹂ (四 五 五) や ﹃戒 体 即身 成 仏 義 ﹄ に は ﹁法 華 経 已 前 の 経 は 不
で あ る。 ﹃法 門 可 被 中 様 之 事﹄ に は ﹁仏 法 の中 に 法 華 経 こ そ 正 直 の
さ ら に、 旦 連 聖 人 自身 は この法 華 経 を 次 のよ う に 表 現 し て いる の
た の であ る。
であ る が、 倫 理徳 目を 取 り 上 げ て、 そ れ と 聖 人 の教 義 と の関 わ り を
法 華経 を 正 直 の経 と い い、 そ の他 の 一切 経 を 不 正 直 の経 と いう の で
ん で い る の が現 状 であ る。 こ のよ う な 状 況 の下 に 日蓮 聖 人 の宗 教 に
検討 し て い く こ と も、 そ の 一つと 思 われ る。 そ こ で、 そ の試 み と し
あ る。 ま た、 正 直 と いう 表 現 で はな いが、 仏 の御 心 を 正 直 に 明 か し
て、 ﹁正 直﹂ と い う徳 目 を 取 り 上げ て、 正 直 の思 想 と 日 蓮 聖 人 の 教
義 と の関 わ り を考 察 し て みた いと 思 う。
シ
フ
た経 と いう 意 味 で ﹁実 語 の 中 の 実 語 ﹂ (﹃日妙 聖 人 御 書 ﹄ 六 四七)、
﹃開 目 抄 ﹄ に述 べ ら れ る ﹁事 と 心 と相 符 り﹂ (五 三 八) と い う 考 え
次 に、 日蓮 聖 人 の行 動 にお け る経 文 受 容 の姿 勢、 換 言 す る なら ば
いう 考 え 方 があ つた こ と が確 認 で き よう。
あ り のま ま に明 か し た経 でな け れば な ら な い、 と いう 意 味 で正 直 と
方 法 と いう 点 か ら み た時、 聖 人 の経 典 選 択 の基 準 に は釈 尊 の真 意 を
以 上、 日 蓮 聖 人 の法 華 経 引 用 文、 及 び、 聖 人 自 身 の法 華 経 の表 現
四) と いう よ う に表 現 さ れ て いる の であ る。
ス
今 回 は 日蓮 聖 人 の遺 文 を 一瞥 し、 法 華 経 引 用 文 及 び法 華 経 の表 現
﹁法華 経 と 中 は 随 自 意 と 中 て仏 の御 心を とか せ給。﹂ (﹃随 自 意 御 書 ﹄
フ
ノ
一六 一 一)、﹁三 世 仏 陀 本 懐 之説 ﹂ (﹃曾 谷 二 郎 入 道 殿 御 報 ﹄ 一八 七
ヘ
ノ
方 法 に み る 聖 人 の 正 直 に対 す る見 解。 も う 一点 は、 聖 人 の行 動 にみ
日 蓮 聖 人 は 遺 文 中 に法 華 経 自 ら が正 直 の経 で あ る こ とを 示 す 文 を
ら れ る 経 文 受容 の姿 勢。 こ の 二点 を中 心 に 一考 し て みた い と思 う。
ク
引 用 し て いる。 そ の中 で も取 分 け ﹃方 便 品 ﹄ の ﹁正直 捨 方 便、 但 説
無 上 道 ﹂ の文 を 重 視 し て いる。 た と え ば ﹃可 延 定業 御 書 ﹄ に
シ
一代 の聖教 は皆如来 の金言、無量劫 より 已来 不妄 語 の言 也。就
ヘ
レ中此法華経 は仏 の正直捨方便 と中 て真 実が中 の真実 なり。多 宝
証 明 を 加、 諸 仏 舌 相 を添 給。 い か で か む な し か る べ き。 (八六 一)
と示 さ れ て いる よ う に 聖 人遺 文 の処 々に 引 用 さ れ て い る。 と こ ろ
-622-
思 想 が 確 認 でき る ので は な か ろう か。 こ の点 に つ いて は 聖 人 の弘 経
方 に 示 さ れ る よ う に経 文 と現 象 の 一致 に お い て、 そ の根 底 に 正直 の
難 の受 容 のあ り 方 に つい て考 察 し て み る。 こ の 点 に つい て は ﹃開 目
さ て次 に、 日蓮 聖 人 が 法 華 経 の経 説通 り弘 法 し た結 果 招 く迫 害 受
の鳳 詔 と いう 釈 尊 の 滅 後 法 華 経弘 通 の 勧 奨 が ﹃宝 塔 品 ﹄ ﹃提 婆 品 ﹄
詔 にを ど うき て勧 持 品 の弘 経 あ り﹂ (五 九〇) とあ る よ う に、 五 箇
ま で の弘 経 生 活 が こ の連 続 であ り、 ﹁
邪 智 心詔 曲 の 比 丘 ﹂ は 聖 人 に
平 頼 綱 等 を 始 め と す る 念 仏 者 等 に よ つて加 え ら れ、 日 蓮 聖 人 の こ れ
照 合 せ し め て いく ので あ る。 ﹁
悪 口罵 四
言 加 刀 杖 瓦 石﹂ は東 条 景 信、
れ た滅 後 末法 に お け る法 華 経 弘 通 者 の迫 害 受 難 の文 を 逐 次 に 現 実 と
六〇) に端 的 に伺 え る。 す な わ ち、 ﹃勧 持 品 ﹄ に 記 さ
活 動 と 迫 害 忍 受 の姿 勢 の面 から 検 討 を 加 え てみ る。
抄 ﹄ (五 五九
に てな さ れ る の であ る。 そ れ を 受 け て、 次 に続 く ﹃勧 持 品 ﹄ の 二十
迫 害 を 加 え る念 ・禅 ・律 等 の 法 師 等 で あ り、 ﹁常 在 大 衆 中乃 至 向 国
ま ず、 日蓮 聖 人 の弘 経姿 勢 に つ い て は、 ﹃開 目 抄 ﹄ に ﹁五 ケ の鳳
行 の偶 文 は、 菩 薩 の滅 後 弘 経 の発 誓 な ので あ る。 日蓮 聖 人 も こ の 五
放、 流 罪 を体 験 す る の であ る。 こ れら の符 合 に よ つ て こ の釈 尊 の金
であ る。 さ ら に、 ﹁
数 々見 濱 出 ﹂ と あ る 通 り、 聖 人 は 数 度 に 及 ぶ 追
言 た る 法 華 経 の真 実 性 が 証 明 さ れ得 た の であ る。 も し、 こ の現 象 が
波 羅 門 居 士﹂ は建 長 寺 道 隆 や 極 楽 寺 良 観 等 の 日蓮 聖 人 の流 罪 策 謀 者
さ ら に、 同 じく ﹃開 目抄 ﹄ に ﹁退 転 せじ と 願 し ぬ ﹂ (五 五 七) と、
経 説 と 違 背 す る な ら ば 法 華 経 は虚 説 と な り、 仏 自 身 妄 語 し た こと に
箇 の鳳 詔 と勧 持 品 の文 を、 そ の要 請 通 り 受 け 取 り、 ﹃勧 持 品 ﹄ の 二
聖 人 の弘 経 に先 立 つて の逡 巡 と決 意 が述 べら れ て いる と ころ に、 如
な る。 こ のよ う に日 蓮 聖 人 自 身 が 法 華 経 の経 説 を色 読 し て、 仏語 の
十 行 の偶 文 に従 つて忍 難 慈 勝 の弘 経 活 動 を 展 開 し て いく ので あ る。
来 の要 請 に 随順 し て い こう と す る、 正 直 者 と し て の聖 人 の姿 が 伺 え
真 実 な る こと を 実 証 す る こ とに よ つて、 法 華 経 が ﹁正 直 の経 ﹂ で あ
る ので あ る。 これ に 加 え て、 弘 経方 法 に お い て は折 伏 弘 通 を展 開 し
日 本 国 に は日蓮 一人 計 こそ 世 間 ・出 世 正 直 の者 に て は 候 へ。其 故
て いく の であ る。 ﹃法 門 可 被中 様 之 事 ﹄ に
以 上、 小結 す る と 旦 連聖 入 は ﹁正直 捨 方便 ﹂ し、 釈 尊 の真 意 を 示
る こ と を顕 示 し て い つた の であ る。
し た 正 直 の経 な る法 華経 を、 そ の教 相 通 り 仏 の 未 来 記 と し て 受 容
ツ
は 故 最 明 寺 入 道 に向 て、 禅 宗 は 天魔 のぞ い (所 為) な る べし。 の
ス
し、 法 華経 の 要 請 通 り 死身 弘法 し て い つた と ころ に ﹁正直 の者 ﹂ と
ル
し。 こ れ ほど 有 事 を 正 直 に中 も のは 先 代 に も あ り が た く こ そ。
ち に勘 文 も て こ れを つげ し ら し む。 日 本 国 の皆 人 無間 地 獄 に堕 ベ
いう こと が い え、 ま た 死 身 弘法 の結 果 招 く、 数 々 の迫 害 受 難 が法 華
経 が 正 直 な る こと を 同 時 に 証 明 す る 結果 とな つた の であ る。 こ の よ
(四 五 五)
と示 さ れ る よう に、 諦 法 者 に対 し ては そ の 諺 法 の 由 を 正 直 に 明 か
う に、 ﹁正 直 の経 ﹂ と ﹁正 直 の者﹂ の 相 即 し合 つた 姿 が 聖 人 の 宗 教
の根 底 に あ り、 こ こに 日 蓮 聖 人 の教 義 と 正直 の思 想 の 関 わ り が み ら
し、 諌 暁 し て いく の であ る。
れ る の であ る。 引 用 文 下 の頁 数 は ﹃昭 和 定 本 日 蓮 聖 人 遺 文 ﹄ の頁 を
以 上 のよ う に、 釈 尊 の 要 請 に随 順 し、 諺 法 者 の科 をあ り の ま ま告
示 す。
一四 一
(立 正 大学 大 学 院)
に、 聖 人 が 自 己 を ﹁正直 の者﹂ と し た 所 以 が確 認 で き る ので あ る。
橋)
げ 知 ら し め、 延 い て は 法 華 経 信仰 に帰 入 せ し め よ う と す る と こ ろ
日蓮 聖 人 の倫 理 観 に つ いて の 一考察 (倉
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