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十字軍遠征
http://sekaishi.info 70 08 世界史 web_No70.jtd 十字軍 十字軍遠征 《すべてのきっかけと結末》 1)11 ~ 12 世紀、ヨーロッパでは【1: 】が流行した。三大巡礼地は、ローマ、イェルサレム、 サンティアゴ=デ=コンポステーラ(スペイン北西部。聖ヤコブの墓があるとされる?) 聖地では巡礼者の保護や病人の救護のため騎士たちの修道会が結成された。いわば武装した修道士であ る。ヨハネ騎士団(1113)、テンプル騎士団(1119)、ドイツ騎士団(1190)・・・・三大宗教騎士団。 2)聖地イェルサレムは7世紀以来イスラームの支配下にあり、11 世紀には【2: 】が小 アジア(アナトリア)に進出、ビザンツ帝国やをおびやかした。ビザンツ皇帝アレクシオス1世は、ロ ーマ教皇【3: 】位 1088-99 を通じて、西ヨーロッパ諸国に救援を求めた。具体的には、傭 兵を送って欲しかったようであるが、実際には西ヨーロッパ諸国の「多国籍軍」が送られた。 3)教皇ウルバヌス2世は、1095 年 、【4: 】を開いて、聖地奪還の十字軍をおこす ことを提唱した。 その時の演説で強調したこと→①信仰心(参加者はすべての罪が許される)。②東方教会 への優位を確保できる。③土地や財貨獲得の期待、聖遺物の豊富さ。 宗教的情熱と領土的野心もある数万の諸侯・騎士による第1回十字軍 1096-99 は1096年に開始。1099 年、 イェルサレムを占領し、シリア・パレスティナ地方に【5: 】と諸侯による十字軍国 家が成立した。 第4回十字軍がコンスタンティノープルに建てたのはラテン帝国。混同に注意しよう! なんでこんなことができたのだろうか? ①ローマ教皇のキリスト教世界統合の夢 平たく言えばビザンツ世界をカトリックに併合したい。 ②諸侯・騎士の領土的野心。 ③北イタリア諸都市の貿易圏拡大への要求。 十字軍の輸送・補給を担当した。 4)鈴木流の十字軍ミニマム これ以上簡単にはできない! 回 数 期 間 回数外 第1回 1096-99 聖地回復 できたか 遠征のきっかけ となった事件 実際の目 的は何か 問題外 民衆十字軍 聖地奪還 小アジアに入ってまもなく壊滅。 セルジューク朝 の聖地占領 聖地奪還 聖地を奪還し イェルサレム王国 を建国した。フ ランス諸侯が中心。 1099-1291 ◎ 輸 送 摘 要 陸 第2回 1147-49 確保して いた セルジューク朝 勢力回復 聖地支配 の続行 仏王、独皇帝が指揮。不団結で失敗。 アッコンに達したが追われるように帰国。 第3回 1189-92 × サラディンの聖 地占領 1187 ※1 聖地奪還 最高潮期 独仏英、西ヨーロッパあ げて参戦したが最終的には失敗! 第4回 1202-04 目標とせ ず ヴェネツィア商 人の要望。 コンスタンティノ ープル占領 回数外 1212 問題外 独仏の少年たち 聖地奪還 に「神のおつげ」 上 教皇インノケンティウス3世の下に組織されたが、聖地に は向かわずコンスタンティノープルを占領して略奪し ※2 【6: 】を建設した。 いわゆる「少年十字軍」。目的地に到達せず。 奴隷に売られた者もいる。 海 第5回 1228-29 ○ 一時的 アイユーブ朝の 聖地占領 聖地回復 ドイツ皇帝フリードリヒ2世 ※3 は、話し合い で一時聖地を回復したが長続きしなかった。 第6回 1248-54 × エジプトによる 聖地占領 エジプト 攻撃 仏王ルイ9世 が実際にエジプトを攻撃したが失 敗した。 第7回 1270 目標とせ ず 上 チュニス 攻撃 仏王ルイ9世 がチュニスを攻撃したが、疫病で 王も死亡。最後の十字軍!! 1291年、十字軍最後の拠点アッコ(アッコン)の陥落をもって、十字軍は失敗のうちに幕を閉じた。 十字軍の回数の数え方についてはこれ以外の立場もある。上記一覧表は一般的な説による。 08 世界史 web_No70.jtd http://www.geocities.jp/sekaishi_suzuki/ 第3回十字軍は、1187 年にアイユーブ朝のサラディン(サラーフ=アッディーン、クルド人)に イェルサレムを奪還されたことが契機となって起こされた。これを撃退したサラディンはクルアー ンの教えを守りキリスト教徒に復讐を行わず生命の安全を保障した。なお、第3回十字軍の統率に あたった神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世位 1152-90(赤ひげ王)は、1190 年、川で沐浴中に溺死し ている。1191 年 8 月 22 日リチャード1世はサラディンの協定不遵守を理由にムスリム捕虜 3000 人あまりを処刑した。 ※2 キリスト教徒の町ツァラを攻撃した段階で教皇インノケンティウス3世は兵士全員を破門したが効 果はなく、兵士はコンスタンティノープルに向かったのである。 ※3 1229 年、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は外交交渉によってイェルサレムを回復した。彼はム スリム多数が住むシチリア育ちでムスリムに対して偏見を持っていなかった。 A面の一覧表の二重線より下の十字軍は宗教的性格が弱まった。 重要! 十字軍兵士は、①どん欲であり(財宝、聖遺物)②残虐であり、③非キリスト教的であった。 5)結局、どうなったのかというと ①結局、聖地奪回に失敗。【7: 】の権威は失墜した。 ②出征した諸侯・騎士の多くは土地も財宝も得られず没落した。家系が断絶した諸侯・騎士の所領は国王 が没収した。指令官として活躍した、【8: 】の権力は強化された。 ③地中海を経由する東方貿易が本格化し【9: 】は繁栄した。 ④イスラーム世界やビザンツ帝国のすぐれた学問・文化が西ヨーロッパに流れ込んだ。その入口はレコン キスタ完成以前のイベリア半島および両シチリア王国(1130 年建国)である。 上記③④は「ルネサンス」が起きる重要な要因となる。 6)西ヨーロッパの膨張は、十字軍以外にも見られた。 ①「西方の十字軍」とも呼ばれた【10: 】(再征服運動) イスラーム勢力からイベリア半島を奪回する運動。1492 年、グラナダ陥落により完成。 ②東方植民 ドイツ騎士団がエルベ川以東に入植、スラヴ人にも布教。 【11: 】は後のプロイセンの基礎。 ③シチリア島・南イタリア ノルマンディー公国の騎士たちが【12: 】1130-1282 を建国。 7)十字軍遠征で盛り上がった宗教的情熱は次のようなことの原因の一つとなった。 ①南フランスのアルビジョワ十字軍・・・・・異端排除 アルビジョワ派:12 ~ 13 世紀、南仏アルビ地方で広まったカタリ派(マニ教の影響を受けた異端)。地 方貴族に支持されたが、1209 ~ 29 年、国王側のアルビジョワ十字軍に攻撃され根絶された。ルイ9世 は南フランスへの王権拡大に成功した。 No69 参照 ②ユダヤ教徒に対する迫害 No69 参照 8)地名・地理確認 作業せよ。 次の 地点 ・地 域を、お よそ でよいから左図に記せ。 ローマ イェルサレム アナトリア地方 *クレルモン コ ンス タン ティノー プル *チュニス *アッコ(アッコン) アルビ *グラナダ ドイツ騎士団領 ※1 *は そこ で起 きたでき ごと と年代を記せ 「ラ テン 帝国 」はどこ にあ ったか? 【 】記入例 1:聖地巡礼 2:セルジューク朝 3:ウルバヌス2世 4:クレルモン宗教会議 5:イェルサレム王国 6:ラテン帝国 7:ローマ教皇 8:国王 9:イタリア諸都市 10:レコンキスタ 11:ドイツ騎士団領 12:両シチリア王国