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No65
http://sekaishi.info 65 08 世界史 web_No65.jtd 封建社会の成立(その1) 封建社会 10~11世紀の西ヨーロッパで社会全体に広まった封建制という支配のありかたは、 荘園制を基礎とするものだった。このような社会を封建社会と言う。 No64 の再掲載 主君を国王、家臣を諸侯と読み替えると封建国家となる。 封建制(封建的主従関係)の形成 「封建制」= Feudalism の訳語:封土を媒介とした主従関係 主 君 □ 双務的な契約関係にある。 封土 軍役と奉仕の 主君が義務を果たさなければ家臣の義務は を貸与 ※ 契約上の義務 解除される。主君どうしが敵対していない レ ー ン Lehenの訳語 限り複数の主君と契約できる。 家 臣 ・・・・諸侯、騎士。家臣は皆、立派な騎士であった。 ※この関係を結ぶ契約は、託身たくしんと宣誓からなる臣従礼によって成立した。 1)封建社会(すなわち封建国家)では、国王の権力は直接契約を結んで主従関係にある諸侯にしか及ばな い。 「余の部下の部下は、余の部下にあらず」(出典不明。乞ご教示) おまけに、国王の権力は大司教、司教、修道院などの教会所領にも及ばない。 ≪こういう状態の反対語は?≫・・・・領域国家:領土内に一円(一律)に主権が及ぶ(中央集権)。 2)主君が家臣に貸与する封土には、いくつかの荘園が含まれていた。 荘園領主たちは、弱体の王権から自立し、領主裁判権や不輸不入権を得ていった。つまり、荘園領主は 国王やその官吏が荘園に立ち入ることや職務執行(裁判や課税)を拒否できる。 3)この社会の精神的なバックボーンはもちろんカトリックである。 ただし、教会も修道院も封建領主として農民から収奪したから、これは聖書に反している。 だが、しかし、カトリックは人々の暮らしの心の面を全部まとめて面倒みていた。 誕生(洗礼)→ 結婚 → 出産 → 死亡(葬儀・埋葬) 荘園とは 1)10 世紀に西ヨーロッパ各地に普及した「古典荘園」の場合である。 10 世紀=カロリング朝末期 typical manor の訳語 【1: lords の訳語 】を持つ! 領 ※1 immunitas 領主が【2: 】を持っているため、 立入も課税も裁判権の行使もできない! 荘園 3: を貸与、支配。 tenure の訳語 主 国王の役人 manor の訳語 ○ 賦役「ふえき」※2 labour の訳語 ○【5: 】※3 tribute の訳語 ○ その他の負担※ 4 4: villein ないしは Serf の訳語 決して農業奴隷の短縮形ではない。 ※1 ※2 ※3 ※4 荘園 2 荘園 3 荘園 4 西ヨーロッパの広大な森林地帯を開 墾して荘園が無数に点在した。国王 が諸侯に貸与する封土には複数の荘 園が含まれた。 国王も、諸侯、騎士も、教会、修道院も荘園の持ち主は、みな領主である。 領主が誰であっても、荘園のしくみはだいたい同じだった。 賦役とは、主として、週に3日領主直営地で無償労働することであり、実はこれが一番大変だった。賦 役はこれ以外にもあった。領主直営地は領主の家内奴隷と農民の賦役で耕作されたが、ここでは農民の 労働意欲は低く、生産性も低かった。賦役は古典荘園の特徴! 農民保有地からの収穫の一部を現物で領主に収める。 農奴は、賦役、貢納の他にも、様々な負担を負っていた。以下の(2)で説明する。 畑のほかに、森林、原野、湖沼などの【6: 】commons があり、農奴は一定のきまりに従って利 用できた。 森林なしには農業はできない。一般に西ヨーロッパでは平地の森林が多い。 森林に豚を放牧(?)することは普通に行われていた。豚はドングリを食べる。 森林を伐採・整地できれば、腐葉土に覆われた最高の畑となりうる。 08 世界史 web_No65.jtd http://www.geocities.jp/sekaishi_suzuki/ 農民保有地と共同利用地の用益権も含めて農民1世帯ごとに設定された基本経営単位をマンス(仏)、フ ーフェ(独)という。領主はマンス(仏)、フーフェ(独)を単位に課税した。 マンス(フーフェ)保有農民の出自は様々だった。 独立の自由農民が有力者に従属するに至ったケース。・・・・自由民である。 大領主の家内奴隷が土地を貸与されて独立したケース。・・・・解放されていない限り奴隷身分である。 しかし、たとえ奴隷など不自由身分であっても、自分のマンス(フーフェ)を自由に経営し、事実上子 孫に相続させることができた。また、自由民であっても領主の人身的支配に従属したから、隷属民とみ なしうる。このような隷属的な地位にある農民を一括して農奴(serf セルフ)と呼ぶことになっている。 また、今日では、農民のうちどのくらいの割合がこのような隷属的地位にあったかは、地域によってか なりの差があったことが知られている。 2)意外に重かった農奴の「その他の負担」 今日の価値観からは「イミフメイ」とされる負担が無数にあった。当時はそれなりの意義があった。 ①人頭税 少額の税負担であるが、隷属的身分にあることを象徴する税である。少額であるためか、なぜ か教科書、参考書類に記述されていないことが多い。 ②婚姻許可税(結婚税) marrige fine 結婚して荘園の外に出る女性に課されたが、夫となる男性が支払ったのであろう。領主は、これで彼女 自身の労働力と彼女が出産すると予想される子孫の労働力の損失を補填させた。当初、労働力の荘園外 流出防止が目的とされ、特に領主が強い地方では領主に「初夜権」がある場合さえあった。 ☆領主直営地の耕作を農民の賦役労働に依存していた「古典荘園」では、労働力の喪失や流出を防ぐこ とは重要な課題だった。以下の③④もこの側面から理解すべきである。 ③【7: 】 heriot 家族が死ぬと相続人は領主に「死亡税」を払わなくてはいけない。農奴はこれ によって農民保有地の世襲を保障された。これは後に相続税に移行した。 ④身代金≪税ではないが≫ 例えば、父母が息子の一人を町に出して修業させ職人や商人にしようと 決断したとする。農奴は原則として移動と職業選択の自由はないが、領主の正式の許可があれば、ギル ドに属する親方の一人に弟子入り(これも有料)できる。この許可を得るためには、領主に高額の「身 代金」を支払わなければならない。 ⑤≪税ではないが≫水車やパン焼きかまどなどは、領主のものを使うよう強制された!そして使用料を払 う。これを使用強制と言う。農奴たちが資金を出し合って水車やパン焼きかまどを共同で作ることは可 能だったが、それは禁止されていた! ⑥【8: 】 tithes 教会所有の荘園でなくても、教会に収穫の10分の1を納めた。 3)農奴は奴隷とどう違うか? 奴隷より ①自分専用の土地(農民保有地)と小屋を持てる。 マシな点 ②結婚して家族を営むことができる。 ③荘園の農民仲間と話し合って、集団の力で農業を行った。 ④その年の地代支払いを完了したら、家族の食べる分を残して、あとは売ってよい。 奴隷同様 ①農奴には、移動の自由も、職業選択の自由もなく、領主の土地の付属物として売買、 不自由な点 贈与、相続された。息子の1人を農民ではなく職人や商人にしたいと思った親は、領 主に高額な「身代金」を支払い荘園を出ることを認めてもらわねばならなかった。 ②領主は、領主裁判権まで持ち、農奴の生殺与奪を自由にできた。このことによって、 農奴を力によって支配することが可能となった。 純粋(地代)荘園とは 重量有輪犂の普及、水車の利用などで生産力が向上すると、領主は、領主直営地を農奴に分割して、農 民保有地に繰り込み、賦役に相当する分、貢納に相当する分を、一括して生産物地代として受け取るよ うになった。このようになった荘園を「純粋(地代)荘園」という。まだ貨幣納ではないことに注意。 純粋荘園は、フランスでは11~13世紀、イギリスでは14世紀ごろ、ほぼ普及した。 生産物地代は定率だったため、農奴にとって有利であった。 商業、貨幣経済の発展を背景に、生産物地代が貨幣地代に変わると、領主の支配力は低下し、荘園制の 崩壊、農奴解放につながって行った。 【 】記入例 1:領主裁判権 8:十分の一税 2:不輸不入権 3:農民保有地 4:農奴 5:貢納 6:入会地 7:死亡税