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現代史の実践から−パレスチナ問題を取り上げる
タペストリ ーを使った授業案 現代史の実践から−パレスチナ問題を取り上げる− 北海道当別高等学校 吉 嶺 茂 樹 あげられることは、世界史の教師であれば異存の は じ め に ないところであろう。しかし、教科書においては、 生徒にとっては、 「現代史はわかりにくい」 「現 記述の性格上、第二次世界大戦前、戦中のユダヤ 代史は何をやればよいのかわからない」…。教員 人虐殺、イスラエル建国、中東戦争、暫定自治の 仲間でよく聞く話である。3年前、北海道内有数 問題がそれぞれバラバラに別々のページで記載さ の進学校から本校に異動になった。本校には大学 れるため、本校のような生徒たちにとってはつな 進学に世界史を使う生徒は一人もいない。それど がりが全く理解できないものになっている。そこ ころか、そもそも受験で進学する生徒がゼロの学 で、テーマ史的な扱いを行うことになるが、その 校である。中学時代、授業で余されてきた経験を 際にタペストリーのテーマ史ページが参考になる。 もつ生徒たちばかりであった。彼らに世界史、と ただし授業ではそのまま使うことは生徒たちには くに現代史を語ろうとするとき、何より大切にし 難しいことであろう。そのため、年表を教員側で ようと考えたのは、 「顔が見えること=手触り感」 作成し、パワーポイントにかけ、それを教室で写 である。筆者も顧問を務めている「国際協力クラ しながら資料と見合わせて通常の授業を行うとい 1 ブ」では、パレスチナ・ガザ地区ラファに常駐し う形になる。幸い北海道では、全教室にLAN回 て、現地の青年たちに精神的なケアを行うNGO 線が二回線ずつ引かれており、スクリーンも全教 との協力体制を進め、資金援助活動で集めたお金 室に整備され、本校の生徒は全員「情報処理」を を活動資金や物資支援にあてるという活動を行っ 科目として学習するので、パソコンの経験は一応 ている。昨年春には、現地スタッフが本校を訪問 持っている生徒たちばかりである。 され、生徒たちとの交流が行われた(後述) 。こ 展 開 うした活動の積み重ねが、中学時代、就学意欲が 低く、社会科を「暗記科目・苦手科目」として考 まず、タペストリー 238ページの年表からピッ えてきた意識を変え、世界中の地上で起きている クアップしたものを写す。ただし、中学時代年号 様々な問題に対して彼らなりの意識を持ち、それ 暗記が全くできなかった生徒たちなので、記載を が活動にフィードバックされ、さらにそれが毎日 確認するにとどめる(ちなみに考査はほとんど全 の授業への参加意欲を生んでいる。以下、本校で て論述式、年号記号問題は一問も出題しないこと 使用している帝国書院『明解世界史A』と、 「タ を年度当初に生徒に約束する) 。筆者の授業では * ペストリー」を活用したパレスチナ史に関わる授 年間を通して映画教材を活用しており、出エジプ 業実践について述べてみたい。 トやイエスの刑死にしても、映画のイメージシー ンが入っている。この知識を出させながら現代史 パレスチナ問題を取り上げる への前提を確認する。たとえばペストの流行がユ 20世紀半ば以降、第二次世界大戦∼21世紀の今 ダヤ人虐殺を生んだことは、 『ペスト大流行』 (岩 日に至る現代史のなかで、最も複雑で、なおかつ 波新書)や、中世教会史料を用いて話をする。次 国際社会において解決が求められ、そしてますま に同ページ右上、 “テーマ”の「ユダヤ人とは?」 す混迷化している問題の一つにパレスチナ問題が のコラムを参考に、 「母親がユダヤ人」という定 *帝国書院「最新世界史図説タペストリー 三訂版」 −9− 義が、実は定義を成していないことを確認する。 してパレスチナをめざす姿、そして建国から第1 その母親はなぜユダヤ人か? その母親は?…と 次中東戦争へと動いていく様子は、哀愁を帯びた たどっていけば、「歴史の彼方」へ消えてしまうこ イスラエル国歌のメロディーとともに生徒の記憶 と、それゆえ、現在のところでは、 『ユダヤ教徒 に残っていく。⑥の「イスラエル建国」の写真、 もしくは改宗したもの』という定義しか成り立ち 声明を朗読するベニ=グリオンの動画も登場する。 得ないこと、したがって記載にある「民族」という 資料で確認しながら、映像を見る。イスラエル建 きわめてあいまいな定義が通っていることを確認 国にいたる前提として、以上のような第二次世界 2 しておく。 大戦前後の状況を話したうえで、現在のパレスチ この点をふまえたうえで、今度は同ページ右下 ナの実態に迫っていかないと、生徒のレベルでは の“テーマ”から、ユダヤ人と映画産業の関係を 単純に「どっちが良いか悪いか」の話になってい 考えていく。⑩のスピルバーグの「シンドラーの ってしまうからである。 リスト」は見た生徒もいるが、授業の中で、 「映画 第2次∼第4次中東戦争までの領土の動きに関 の内容が全くわからない」 という声が出た。そこで、 しても、世界史A教科書の記載地図では、4つの 内容がわかるためには、ユダヤ人の問題を考える 地図が一枚に重なっているためわかりにくい。こ 必要があることを合わせて話した。③の杉原千畝 のため、タペストリー 239ページの4枚の地図を 氏のビザ発給は、つい先月TVドラマとなり、視 併用する。③の「パレスチナ分割案」では、エル 聴した生徒も多かった。生徒の「先生、何で反町 サレムが国際管理になっていたことを注記させる。 隆史はあんなとこに行ったのさ?」という女子生 ④では、ガザ地区がエジプト管理下におかれてい 徒の質問が授業のスタートになった。番組HP たこと、および、ヨルダン川が、対岸に容易にわ (http://www.ytv.co.jp/rokusen/index2.html) を たれる小河川にすぎないことを確認する。⑤では、 スクリーンで投射して、解説しながら基本的な説 イスラエルが領土を3倍に増やしたこと、第4次 明を行ったクラスもあった。アンネ=フランクの 中東戦争では、イスラエル側が多くの犠牲を払い 話は小学校時代聞いたことがある、という生徒も ながらその領土を死守したことを確認する。この 多いので理解しやすい。 点が、 「もはや血であがなった土地をパレスチナ 第二次世界大戦後になぜイスラエル建国がパレ 側に引き渡す必要はない」という、いわゆる「ユダ スチナで行われたか。 「そもそもユダヤ(民族名) ヤ人入植地」の発想につながっていったことを確 パレスチナ(地域名)イスラエル(自称)が同じ 認し付記させておく。⑥の暫定政府による自治区 地域に居住する、宗教が異なる人々の別々の呼称 案と、ガザ地区の動き、そして入植地の返還が次に にすぎない、ということを理解していないとこの 述べる寺畑さんの活動の舞台だからである。 ③パレスチナ分割案 問題がわからない」 、ということが筆者には改め レバノン レバノン シ リ ア 地 て、先述のラファ在住で一時帰国した寺畑由美氏 ④第1次中東戦争 中 ヨ ル ダ ン テルアヴィヴ 川 イェリコ 海 と私の自宅で、あるいは本校で語り合う中で、よ イェルサレム くわかってきた。そういう意味で、私にとっても ガザ 死 海 ガザ ル建国の模様は、中東戦争のそもそもの原因をよ ト 0 く伝えている。600万の同朋を殺され、ヨーロッ パに居られない、あるいは共にヨーロッパに住む ことを拒まれたユダヤ人たちが、 「約束の地」と − 10 − 50km ユ ダ ヤ 人 国 家 アカバ ア ラ ブ 人 国 家 0 50km ス エ ズ 運 河 スエズ アカバ アルクセイマ ヨ ル ダ ン ギディ峠 ミトラ峠 シナイ半島 エ ジ プ ト 0 イェルサレム イスラエル 海 1982年, エジ ( ) プトに 返還 アカバ ガザ 海 ン 1994.5 先行自治 1994.5 先行自治 アルクセイマ サウジアラビア 100km ヨ 死 ベツレヘム ル ヘブロン ダ イスラエル 0 エ ジ プ ト } 「映像の世紀」 (NHK)に登場する、イスラエ パ英 レ委 ス チ任 ナ統 エ 境治 ジ 界領 線の プ ガ ザ 地 区 ( エ ジエ プ トジ の 管プ 理ト ) 岸 地 区 ヨ ル ダ ン ヨ 併 合 ル ダ ン 死 海 イ ス ラ エ ル 国 家 ) 形」での理解が必要だったのである。 イ ェ ル サ レ ム は 国 連 管 理 下 { 西東半半分分−−ヨイスルラダエンル ざんてい じ ち ⑥パレスチナ暫定自治 シ イスラエルの占領地 レバノン シ レバノン リ イスラエルによるレバノン リ ゴランア 地中海 南部の「安全保障地帯」 ゴラン ア 高原 高原 (1982年以降) ヘーファ イスラエル軍の ヨルダン川 ヨ ヨ 侵攻ルート (1967年) ル ジェニン ル 西岸地区 ダ ヨルダン川西岸地区 ダ ン トルカレム ン テルアヴィヴ 地中海 ナブルス カルキリヤ 川 テルアヴィヴ 川アンマン ガザ地区 イェルサレム イェリコ ガザ地区 ラ ム ラ ガザ ポートサイド 死 イェリコ ( ン ヨ ヨ ル ル ダ ダ ン ン テルアヴィヴ 川 川 イェリコ 西 イェルサレム ヨ ル 海 ダ 「本の中、頭の中」の理解ではなく、 「顔の見える シ リ ア 地 中 ⑤第3次中東戦争 50km アカバ パ レ ス チ ナ 暫 定 自 治 区 タペストリー p.239 パレスチナ・ガザ地区ラファからの便り 本校の国際協力クラブでは、 山形市在住の医師・ イ ス ラ エ ル 占 領 地 桑山紀彦さんの体験型プログラム「地球のステー 3 はある意味で「命がけ」の活動なのであるが、そ ジ」との協力関係を持ってきた。桑山医師が代表 れを優しい語り口と爽やかな笑顔で語りかけてく を務めるNPO法人「フロントライン」では、2003 れた彼女の講演は、 生徒たちの気持ちの中に、 「顔 年5月からパレスチナ・ガザ地区ラファに現地事 の見える形」での「パレスチナ問題」の「今」を 務所を設け、イスラエルからの攻撃によって心を 考えさせてくれたのである。パレスチナ・イスラ 病んだ青年たち(日本の中学∼高校生にあたる世 エル双方の若者が戦争を止めるため語り合える場 代)の心のケア活動を行っている。この現地リー はないのだろうか?…その後の「パレスチナ支援 ダーとして、ラファ地区唯一の日本人・寺畑由美 パンプキンケーキ」作りの間、調理室の生徒たち 4 さんがいる。当別高校は桑山氏の活動を北海道で の間でそれが話題に上ったのはいうまでもない。 最初に紹介し、 昨年・今年と授業の一環として 「地 そしてその活動は今日も続いている。 球のステージ」を企画している。また本校は家政 お わ り に 科を併置して いるので調理 現代史の問題は、 「何をもって歴史とするか」 室の機材がそ という哲学的な問題とも関わり難しい問題を含ん ろっており、 でいることは確かである。価値判断も難しい。 「歴 この施設を生 史的な評価が下されていないこと」を扱うことに かしてクラブ 対する問題もあるだろう。しかし、高校生がこれ 員で放課後ケ から出て行く社会の「今の姿」を知ること、そし ーキを焼き、 て共感していくことは、ある意味では歴史教育の それを売店で生徒が販売し、その益金を「フロン 一番大切な要素の一つではないだろうか。本校・ トライン」に募金してきた(上写真) 。 国際協力クラブの活動とリンクしながら、アフガ 2004年5月、パスポート切り替えのため一時帰 ニスタン・アフリカ・パキスタン・南米と様々な 国し、その間全国で報告会を開催した寺畑氏は、 現代史の取り組みを続けていく中で、確実に生徒 当別高校への感謝の気持ちを表すため、その最初 が変わり、考え始めていくことを実感している。 の報告会を当別町からスタートしてくれた。翌日 「進学指導はできない」 、しかし逆に「進度を気に には高校の授業へも参加してくれ、生徒たちは生 せずテーマ史やコラムをじっくり取り扱える学 の声と映像写真、そしてモノを通してパレスチナ 校」だからこそ可能な世界史の授業が確かにある の「今」を知ることができた。パレスチナの青年 と思う。大学に進まない高校生大部分にとっては、 たちが描く、戦車やロケット弾の絵(下写真) 、 高校が学校最後の「歴史を教わる場」である。教 死が日常的に目の前にある中で、それでも毎日続 師の責任は重いと思う。 く変わらない 日々の生活の 姿。つかの間 の遠足、いく つもの関門所 を通り抜けた 先にある、生 まれて初めて 見る海。そして宗教上水着にはなれないものの、 初めて海を見た女子生徒の表情…。寺畑氏の活動 1 国際協力クラブの活動については、帝国書院『地理・ 地図資料 2005年8月号』に顧問の田辺孝規先生が執筆 された 「私たち北海道当別高等学校国際協力クラブです!」 を併読していただきたい。 2 本稿では詳述しないが、この点は、アイヌ民族の問題 を抱える北海道で歴史教育に当たる際、教師側が十分に確 認しておかなければならない問題だからである。 3 桑山氏は医師としての活動の傍ら、中学・高校を中心 に全国で1000回以上のステージ活動を行い、紛争地にあ る世界中の子どもたちの姿を全国の学校で伝え続けている。 その様子は最近朝日新聞にも掲載された。 (朝日・2005年 10月10日付「ひと」欄) 。 4 寺畑氏の活動の様子は、 「地球のステージ」HP上に「寺 畑由美のラファ日記」として写真付きで報告されている。 (http://www.e-stageone.org/diary/MP050624dairy.html) − 11 −