Comments
Description
Transcript
中国産陶磁器の取引を描いた絵画(トプカプ宮殿蔵)
絵画資料を読み解くための展開方法 中国産陶磁器の取引を描いた絵画(トプカプ宮殿蔵) 東京都立日野台高等学校 住司憲史 1.トプカプ宮殿の『画冊』 点の青磁、3209点の元・明・ベトナム陶磁、清朝 ボスポラス海峡に面したイスタンブルは、なん 時代のもの5795点、その他18 〜 19世紀の日本の とも魅力的な町である。どことなく西洋の雰囲気 伊万里焼も含まれている。何故、これほど多くの も持ちながら、アヤ・ソフィアやブルーモスク、 陶磁器がこのトルコの地に存在しているのであろ スレイマン・モスクの威容は間違いなくここがか うか?「明解新世界史A 初訂版」 (以下、教科書) つてのイスラーム大帝国の都であったことを感じ と「タペストリー」(七訂版)も使用しながら展 させてくれる。歴代スルタンの居住地であったト 開方法も考えていきたい。 プカプ宮殿は海峡と金角湾の入り江とにはさま 3.陶磁器をめぐる東西交易路 れ、海に向かって突き出した地点に位置している。 陶磁器は壊れやすいので陸路は向かなかったと 1924年、トルコ共和国建国の父ケマル=アタテュ 思われるが、本図で描かれているように陸路の「絹 ルクの命によって博物館として一般に公開され、 の道」も長く使われていた。教科書p.13と「タペ 現在ではイスタンブルを訪れる人は必ず立ち寄る ス ト リ ー」p.105が 参 考 に な る。1960年 代 以 降、 観光の目玉となっている。宝物殿には、映画『ト アッバース朝のサーマッラー遺跡の発掘で、唐・ プカピ』で泥棒が盗み出そうとした短剣や86カ 五代の三彩、白磁、青磁の破片が発見され、早く ラットのダイヤ、スレイマン大帝の閲兵用の宝石 から中国の陶磁器が陸路によって西方に運ばれて をちりばめたヘルメットなどが展示され、その豪 いたことが実証されている。13世紀の「モンゴル 華さは目も眩むほどである。本図はここに所蔵さ の平和(タタルの平和)」は駅伝制を整備し、東 れる通称『画冊』と呼ばれる一群の作品の第130 西アジア間の安全な交易路を確立した。多くの商 葉である。15世紀にサマルカンドで描かれたと 人が往来し、文物の移動も活発となった。教科書 されている。この『画冊』には、ペルシアやトル p.59と「タペストリー」p.95参照。次に「海の道」 コの写本挿絵、切り絵、トルコ語やアラビア語の である。別名が「陶磁の道」と呼ばれただけあっ カリグラフィー、中国の絵画とイスラーム画工に てこのルートは広く用いられた。オスマン領内に よるその模写など様々な内容と形式の作品が雑然 はペルシア湾や紅海を通って運ばれた。教科書 と無秩序に貼り付けてある。セリム1世の時代に p.57と「タペストリー」p.119の地図でルートを確 現在の形に編まれたということの他には、どのよ 認させたい。明の第3代永楽帝は鄭和に南海大遠 うな目的で制作されたのかは不明である。ただ、 征を命じたが、第7回遠征隊(1431 〜 33)は、 東西アジアの交流という観点からすると興味深い ペルシア湾のホルムズなどにも寄港している。ト ものが少なくない。本図を手がかりに中国とイス プカプの陶磁器コレクションの中にはこの遠征の ラーム世界との関わりを考えていきたい。 際に持ち込まれたのではないかと推測されている 2.トプカプ宮殿の中国陶磁器コレクション ものもある。これ以降、海上ルートは活発化し、 トプカプ宮殿における中国や日本の陶磁器のコ 大量の物資が運ばれるようになった。鄭和に関し レクションは莫大なもので、台湾の故宮博物院と ては教科書p.65、 「タペストリー」p.28、96。ヨー 並ぶ世界屈指のものといわれている。13世紀から ロッパの到来以前に世界的規模の貿易が極めて活 20世紀にまでわたる陶磁器コレクションは、1354 発に行われていたことが見てとれる。 − 16 − 「明解新世界史A 初訂版」p.64 Ⓒ大村次郷 設問1 中国産陶磁器はどのようなルートでイスラー れているが、上方には遊牧騎馬民族のテントを象徴す ム世界に運ばれたのか? る建物や馬の尾を束ねた幟が描かれている。周りの 解 答 人々は器を手に取り、 商談が行われているようである。 本図が描かれたサマルカンドで多年行われてきた発掘 設問2 オスマン帝国では中国産陶磁器をどのように 調査でも中国の青花磁器の破片が大量に出土してお 使っていたのか? り、このような取引が実際に行われていたことを示唆 解 答 している。 設問3 中国の陶磁器生産にはイスラーム世界から見 わけではなく、宮廷内での実用品としての価値に重き てどのような独自性があったか? 解 答 設問4 イスラーム世界が中国陶磁器に与えた影響と してはどのようなものがあるか? 解 答 設問2 中国産陶磁器は美術品として収集されていた が置かれていた。 「タペストリー」p.119にトプカプ宮 殿の厨房を描いたミニアチュールが掲載されている。 イスラームでは緑色は神聖な色とされており、エメラ ルドや翡翠が特別好まれたように最も愛好されたのは 青磁であった。また、青磁が毒に反応して変色すると か毒消し作用があると信じられ、スルタンたちに殊の 外珍重された。 設問3 中国の磁器の素材である磁土(白色のカオリ <別添 解答> ン・高嶺土)は東アジアでしか産出せず、しかもこれ 設問1 唐代以降に「絹の道」が使われるようになり、 を高火度焼成する技術も東アジア独自のものであっ 15世紀以降は「海の道(陶磁の道)」が活発化した。 た。磁器は貴重品として輸出されたのである。 「タペ 本図では陸路が描かれている。中国の青花磁器風の容 ストリー」p.92、119。 器を積んだ荷車が見えるが、これを引く馬上の人物は 設問4 当時の中国には鮮明な青色を発色する顔料が 毛皮の帽子をかぶりブーツを履いて髭を生やしてお なく、イランやアフガニスタンから染付に使用するコ り、中央アジアの民族を思わせる。教科書の図では切 バルト(呉須)がもたらされた。 「タペストリー」p.95。