Comments
Transcript
Page 1 Page 2 43 法科大学院教育と死刑存廃論 ー附・死刑存廃論の
\n Title 法科大学院教育と死刑存廃論 −附・死刑存廃論の要件事実 論的考察− Author(s) 萩原, 金美; Hagiwara, Kaneyoshi Citation 神奈川ロージャーナル, 04: 43-61 Date 2011-07-31 Type Departmental Bulletin Paper Rights publisher KANAGAWA University Repository 43 法科大学院教育 と死刑存廃論 一附 ・死 刑 存 廃 論 の 要 件 事 実 論 的 考 察 - 萩 原 金 美 ( 本学名誉教授) 目次 めには手段 を選 ばず」で良い のか》 本論 8 死刑 よ りも 「裁判 な しの死刑 の即 時執行」 1 は じめに を選ぶ のか 2 結論 - 応報刑 主義 と教育刑 主義 との段 階 9 おわ りに 的発現 3 私 の主 張 - そ の 1 被 害 者 本 人 -死 者 の 声が聞かれてい ない 補論 死刑存廃論 の要件事実論的考察 1 は じめに - 前提的 な問題 《 被害者本人 -死者 と被害者遺族 との区別》 2 自然法秩序 における要件事実論 ? 《なぜ被害者本人 -死者 の無 限 の成 長可能性 を 3 死 刑 の 「国 家 が 人 の生 命 を奪 うこ と」 と 顧慮 しない のか》 「それ は刑罰権 の行使 として行 われ る もの」 《 念 のために- 被害者遺族 の立場 の尊重》 へ の二分一死刑 の ( 罪)正 当性 ・( 不)合理 《 死者 の声 を聞 くとは どうい うこ とか》 性 に関す る主張 ・証明責任 の所在 4 私 の主 張 - そ の 2 復 讐感 情 は否 定 され るべ きか - 応報的正義 の実現 の必要 5 私 の主 張 - その 3 戦 争 の放 棄 ・禁止 と 連動 しない死刑廃止論 の一面性 ・欺晴性 4 死刑 を執行 された者 の遺族 の国に対 す る損 害賠償請求 の行方 - 相殺 の抗弁 な ど 5 要件事実論的考察 の妥当範囲 6 結語 6 私 の主 張 - そ の 4 菟 罪 ( 誤 判) の忠 れ と死刑 - 死刑判決 とその執行 との分離 《 再審 の無条件 的許容 と執行停止≫ 《 死刑廃止 は菟罪 を増加 させ る》 《圏藤博士 の死刑廃止論批判》 7 死刑 の抑止効果 の香定,死刑廃 止 に向か う 国際世論 な ど- 本論 1 はじめに 3歳 で本 学 の特任教授 の任期 が満 了 し 私は7 た後 は法学教育 の現場か ら完全 に退 き,主 とし ど う考 え るべ きか ( 「 私の て スウェーデ ン法 の研究 に没頭 して きた。法曹 主張- その 5 政治 的弾圧 を真 の理 由 とす る 養成 ( 法科大学院教育) を含 む司法制度改革 の 死刑 の禁止」 を含 む) 動 向 を見極 め るには少 な くとも数年 の 日時の経 《 死刑 の抑止効果》 過 が必要 なので, 自分 に残 された人生 の時間配 《国際世論 の趨勢 なる もの》 分 を考 えて, それ までの間は余人 に委 ね るこ と 《 私 の主 張 - その 5 政 治 的弾圧 を真 の理 由 とす る死刑 の禁止》 《 民意 を無視 した死刑廃止 の礼賛- 「目的 のた がで きない (と自分 で勝手 に思い込んでい る) も う一つの専門分野であるスウェーデ ン法 の仕 事 をす るこ とに したので あるH) 0 4 4 法科大学院教育 と死刑存廃論 とはい うものの,やむ を得 ない様 々な事情か 過去 も微妙 に影響 していた こ とを認 め ざるを得 ら法曹養成 ( 法科大学院教育) に直接 ・間接 に ない。私が死刑存廃 の問題 について 自己の意見 関連す る問題 については若干 の論考 を発表 して を明言す るのは本稿 が初 めてで ある。 きたト2)。本誌 前号 に掲 載 された拙稿 「司法制 本稿 は主 としてわが国での死刑存廃 の論議 を 度改革 と日弁連新会長」 もその-篇 に属す る。 念頭 に置 き,かつ私 の関心事で ある若干 の問題 しか し,法曹養成 と並ぶ もう一つの制度改革 に限定 した考察である。 内外 における死刑存廃 の要 を成す裁判 員裁判 について は全 く言及 して 論 の総合的 な検討 まで意 図す る ものではない。 こなか った。 スウェーデ ン法 の仕事 に一 区切 り (この よ うな総合 的検討 におい て とりわけ重要 をつ け,今改 めて司法制度改革 の主要課題 に取 なのはイス ラーム法系諸 国におけ る死刑 の問題 り組 む こ とに したわけで あるが,裁判 員裁判 に ( 例 えば殺人 と関わ りない背教 や性 的逸脱 を理 ついて論ず る場合 には私 に とって鬼 門 ( 後述参 由 とす る死刑) の比較法的考察 だ と思 われ るが, 照) ともい うべ き死刑 の存廃 の問題 を正面か ら 管見 の限 りこの面 における研究 は全 く不十分 で 考察す る必要が ある ように思 われた。 これが本 0) ある- 少 な くともわが国においては2) 稿 を草す る理 由で ある。 本稿 はい ず れ 司法制 度 改 革 と くに法 曹養 成 ところで,本稿 におい て私 は死 刑 を科 すべ ( 法科 大学 院教育) お よび裁判 員裁判 につい て き ・または死刑 を正 当化す る犯罪 を殺人罪お よ 考察 を行 う拙著 ( 仮題 『司法制度改 革論考』) び殺人 を伴 う犯罪 ( 強盗 ・強姦殺人罪 な ど) に の中に収録す る予定で あるが,死刑存廃論 を従 限定 して論 ず る3)。 それ以外 のわが国の現行法 来 の論議 とはやや異 な る視点か ら取 り扱 ってい 上死刑 が規定 されてい る犯罪 については,立法 るのみな らず,要件事実論 の限界 ない し問題点 論 としては死刑 を廃止すべ きだ と考 える。 この について も論及 してい る ( 補論) ので, とり急 こ とを前提 として以下 の論述 をお読 みいただ き ぎまず今後 の司法 を担い手 にな る法科大学院 の たい。 学生諸子 に読んで欲 しい と考 えて,本誌 に掲載 ご存 じの方 もお られ るか も知 れないが,私 は させていたいただ くこ とに した次第で ある。 あ 再審で無罪 にな った死刑事件 の一つで ある松 山 るい は羊頭狗 肉の誹 りを被 るか も知 れぬ こ とを 事件 の第一審 の審理 ・判決 に左 陪席裁判官 とし 覚悟 しつつ あえて 「法科大学院教育 と死刑存廃 て関与 した者 で ある。奇 しくも被告人 の方 ( す 論」 と題 したのは,表題 自体 でい ささかな りと でに物故) は私 と同年であ り,同事件 の有罪判 も法科大学院の学生諸子 の関心 を惹 きたか った 決 に関わ った裁判官 の中で現在 も生存 してい る か らで あるが,内容的にみて決 して全 くの羊頭 のは私 だけで あろ う4)0 狗 肉で はない はずで ある。 かねて私 は死刑問題 の論議 の在 りように若干 私 は本学法学部 におい て長年裁判法 の講義 を の違和感 を覚 えていたが,上記 の ような立場 に 担 当 して きたが, その講義 中死刑存廃 の問題 に ある者 として死刑問題 に論及す るこ とは慎 むべ ついて言及す る時 は,存置論,廃止論双方 の論 0歳, きだ と自戒 して きた。 しか し私 もい まや 8 拠 の概要 とその問題 点 についてのみ説明 し,結 裁判 員裁判 の議論 において死刑問題 が大 きなテ 論 は学生一人一人 が 自分 で考 えて欲 しい, この ーマになる以上,裁判法研究者 としては この間 種 の問題 について は全 ての国民が発言す る資格 題 に関す る私見 を明 らか にせ ざるを得 ないか と をもってい るのだか ら, と述べ て私 自身 の結論 思 う。 の明示 を留保す る よ うに していた。 こ うい う授 菟罪死刑事件 の有罪判決 に関わ った者 が死刑 業 の仕方 について は今で もそれが正 しい と信 じ 存廃 の論議 に容壕す るな ど- てい るが, 同時 に後述す る私 の裁判官 としての 論 に与す る- しか も私 は存置 「盗人猛 々 しい」 に類す る との 45 神奈川 ロージャーナル 第 4号 非難 もあ ろ う。 しか し私 は,本稿 を書 くこ とが 被告人で あ った方 に対す るささやか な磨罪 のた めに も, この事件 ( 強盗殺人 ・非現住建造物放 火被告事件) の被害者 の方々 -一家全 員 ( 夫婦 と子 ども 2人) の鎮魂 のために も多少 の意味が あ りうるのではないか と愚考 してい る。上記 の よ うな非難 は甘受す る覚悟で ある。 ( 本稿 の内容 にかんが み非法律 家 の読者 の 目 に触 れ うる可能性 も考慮 して小見 出 しをつ け る 裏 を去来す るのはカ ン トのこの言葉で ある。「お前 の死刑 に関す る議論 は この言葉 の亡霊 に支配 され てい るので はないか」 と問 われれば,そ うい う面 が あ りうるこ とを否定 す るつ も りもない。 ちなみ に廃止論者 は,死刑 は 「人 間の尊厳 に反す る」 と い うけれ ど,古典的 な死刑存置論 を展 開 した カ ン トは人 間の尊厳 ( 真 の意味 におけ る) を最 も重ん じた哲学者である。 4 ) この事件 と私 との関係 については,「座談会 萩 原金美先生 を囲む座談会 - 法化社会 の実現 をめ ざ して - 」 ( 神 奈川大学法学研 究所研究年報 2 6 ( 2 0 0 8 )1 5頁以 下)でやや詳 し く触 れ た (自分 の こ とを 「先生」 と書 くのは面 映 ゆい が,表題 なの で ご了承 を乞 う。) な ど多少で も リーダブルの ものにす る よう努 め 2 結論- 応報刑主義と教育刑主義との段階的発現 た。) 読者 の理解 の便宜上結論 を先 に述べ る と,私 は原則 として裁判 においては応報刑主義,刑 の 注 執行 ( 行刑) においては教育刑主義 の理念が支 ト1 ) この仕事 は,私 の晩年 にお け るス ウェーデ ン 法三部作 す なわち 『スウェーデ ン法律用語辞典』 ( 2 0 0 7 , 中央 大学 出版部) 『[ 翻訳] ス ウェーデ ン 訴 訟 手 続 法 - 民 事 訴 訟 法 ・刑 事 訴 訟 法 - 』 ( 2 0 0 9 ,同) 『[ 翻訳] スウェーデ ン手続諸法集成』 ( 2 011,同) として まとめ られてい る。 ト2 )「 ADR・調停 に関す るやや反時代的な一考察」 小 島武司編著 『日本法制 の改革 ・立法 と実務 の最 前 線 』( 2 0 0 7 , 中央 大 学 出版 部)2 5 8頁 以下 ,「法 学教育 に対す る司法制度改革 の イ ンパ ク ト」 日本 法哲学会編 『法哲学 と法学教育 - ロース クール 時代 の中で ‥.』法哲学年報 2 0 0 6( 2 0 0 7 )3 2頁以 下 ,「法 の担い手 の特殊 日本的存在形態」佐々木有 司編 『法 の担い手 た ち』法文化 ( 歴史 ・比較 ・情 報)叢書( う( 2 0 0 9 ,国際書 院)2 2 1頁以下 ,「日弁 連新会長 と法曹人 口問題」神奈川 p-ジャーナル 3号 ( 2 0 1 0 )4 3頁以下 - 発表順。 2) 奥 田敦教授 に よれば 「西欧 の近代法であれば, 『死』 を も って お こな われ る刑 罰 が極刑 で あ り, 『死』 に よって人 は事物 に対す る所有権者であるこ とをや め る。 (中略)『死』 - それが刑 罰 に よっ て もた らされた もので あろ うと, 自然死 に よって 迎 えた ものであ ろ うと人 は法 の支配 とい う舞台か ら降 りるこ とになる。」が, これに対 してイス ラー ム法 では 「人 は 自 らの死 に よって, ア ッラーを立 法者 とす る法 の支配 とい う舞 台か ら降 りるこ とは で きない 。 」( 同 「シャ リ-アの包括性 について」 真 田芳 憲 編 『生 と死 の 法 文 化』法 文 化 叢 書 ( 9 ( 2 0 1 0 ,国 際書 院) 5 2 5 3頁)。 この こ とは, イ ス ラーム法 におけ る死刑論 は西欧法 とは全 く異 な る アプローチ を必要 とす るであろ うこ とを示唆す る。 なお,圃藤重光 『死刑廃止論 第六版 』( 2 0 0 0 ,有 斐 閣) にはイス ラーム法 に関す る若干 の言及 がみ られ る ( 1 8 2 1 8 3 ,1 9 3 1 9 5頁)。同 書 は 全 文 5 0 0 頁 ( 英語論文 を含 む) を超 える博 引葉証 の大著 で ある。 3) 「汝が彼 を殺すな らば,汝 は汝 自身 を殺すのであ 」( 吉揮俸三郎 -尾 田幸雄訳, カ ン ト全集第 1 1 る。 巻 『人 倫 の形 而 上 学 』 ( 1 9 6 9 ,理 想 社) 2 0 4頁)0 私 が死刑存廃論 につい て考 えをめ ぐらす時 まず脳 , , , 配 すべ きだ と考 えるので51 ) , この立場 か らは 罪責の重大 な殺人事件 の被告人 に対 して死刑判 決 を肯定 せ ざるを得 ない こ とにな る52)。 もっ とも,死刑判決 については執行段 階におけ る教 育刑 を観念す る余地 は法律上 ない わけで あるが, 死刑執行 までには実際に数年間以上 の 日時があ るのが普通で あ って, その間の死刑 囚の行状等 にかんがみ恩赦 を行 うこ とが考 えられ るか ら, 判決確定後 における教育刑理念 の発現 を問題 に す る余地 があ りうる とい えよ う6)0 ところで,死刑存廃 に関す る議論 はおおむね 出尽 くした観 があ り,究極 す る ところ神 々の争 い に帰着す る面が大 きい ように も考 え られ る。 とはい うものの, もちろん合理的 な論議 は可能 な限 り尽 くすべ きで ある。以下 では,従前論議 がほ とん ど欠落 していたあるい は希薄 だ った と 思 われ る 4つの問題 について まず愚見 を提示 し ( 「私 の主張 - その 1ない し4 」 ) ,ついで従来 の論議 について若 干 の補 足的検討 を行 う ( 「私 の主張 - 」 はその中で述べ る) こ とに その 5 す る。 注 5 1 ) 修 習生当時 に感銘 を受 けた本 の一つ に横川敏 雄 『刑事裁判 の実際 - と くに新 しい公判手続 の 運用 について - 増訂版 』 ( 1 9 5 3 ,朝倉書店)があ 4 6 法科大学院教育 と死刑存廃論 る。私 は同書 のい わゆ る新 旧両派 に対す る批判 に 瞳 目 させ られ る と同時 に,刑罰 は制 定,宣告,執 行 とい う三 つ の段 階 を経 て次第 に具体化 されて ゆ くもので, その各段 階 におい て刑 罰 の 目的 や機 能 の現 れ方 にニ ュア ンスが あ る こ と, それ ゆ え刑罰 の 目的 や機 能 は動 的発展 的 に考 える必要 が あ るこ とを教 え られた。 ちなみ に, この刑 罰 の段 階的具 体化 に関す る考 え方 はエ ム ・エ ・マ イヤ ー ( M. E す ら一身専属的権利 は遺族,相続人 は行使 で き Ma ye r ,De r Al l geme i ne Te i lde s De ut c he n St r a f f r e c h t s ,S. 41 9f f ) に示唆 され る ところが多い 死刑 を望 まないか らとい って,当然 に死者 もそ と記 して あ る。( 2 7 3 2 7 8頁) 爾 来 私 は若 干 の先 輩裁 判官 か らの影 響 もあ ったが,裁判 におい で は 原 則 として応報刑 主義 の理念 に基 づ き量刑 をすべ きだ と考 えて きた。 なお最 近, 内 田文 昭 『刑 法概 要 上 巻 〔 基礎 理 論 ・犯 罪論 ( 1 )〕』( 2 0 0 7 ,青 林 書 院) を読 ん で, 刑 罰 の 目的 につい て は 「統 合説」が通 説 で あ り, 刑 罰 法規 の制 定 におい て は 「一 般 予 防」 が,刑事 裁判 で の刑 の宣告 におい て は 「行為 者 の責任 に よ って修 正 ・縮 小 された応 報」す なわ ち 「適正 な応 報」 が と くに強調 され るべ きで あ り,刑 の執 行 に おい て は 「特 別 予 防」 の 目的 ・意 味 も可能 な限 り 考慮 されて しか るべ きだ とされ る こ と,M. E ・マ イ ヤ ーが統合説 とい うよ りは区分説 ない し配分説 と呼ぶ ほ うが適切 で あ る と してい た こ とを知 った ( 6 7 6 8 ,7 0 7 1頁)0 5 2 ) 横 川判事 は上 記 『刑 事裁 判 の実 際』 の 中で こ うい う。「私 は ここで殺人罪 の刑 の量定 について一 言所感 を述べ て みたい。 それ は如何 な る事情 が あ るに もせ よ,人 の生命 はか けが えの ない もので, 如何 に重視 して も重視 し足 りない とい うこ とで あ る。従 って私 は刑 の量定 に際 して も先 ず この点 を 念頭 におか なけれ ば な らない と考 え る。 これ は余 りに も当然 な こ とで はあ るが,又 それ だ け看過 さ れ や す い 点 で もあ る。 」( 2 2 8頁,傍 点原 文) そ し て 「私 はカ ン tの刑 罰論 にその まま賛成 す るわ け ではない。」 としつつ, カ ン トの死刑論 を引用す る ( 2 2 8 2 2 9頁)0 6) 刑事 訴 訟法 475条 2項 は,法務 大 臣の死刑執 行 命令 は判 決確 定 の 日か ら 6箇 月以 内 に しなければ な らない 旨規 定 す るが, これ は一 つ の訓 示 的性質 を もつ職務期 間 ともい え,法 務大 臣におい て少 な くともその間 に確定判 決 につい て再審等 の必要性 の有 無 を確 か め, また と くに死刑 確定者 に対す る 恩赦 を考慮 す る余地 を検 討 す るな どの趣 旨 を含 む で あ ろ うとされ てい る。伊藤 栄樹 な ど 『注釈刑 事 訴訟法 ( 新 版)第 7巻 』( 2 0 0 0 ,立花 書房)2 8 9頁 ( 朝 倉京一 ・ ・ )0 ない ので あ る7)。 ま して被害者本人 -死者 の加 害者 に対す る処罰意思 ( 見) については然 りと い うべ きで ある。 もとよ り,死者 の意思 ( 見) を直接的に知 るこ とはで きない。 ただ,遺族 が うだ と即断す るのは短絡 的 な思考で あるこ とに 注意 を促 したい のである。遺族 の中に も加害者 が死刑 になるの を望 まない者がい るこ とは死刑 廃止論 の論拠 の一つ として採用 され る ところで あ るが, この間題 につい て遺族 が死 者 の意 思 ( 見) を全面的 に代 弁で きる とす るのは越権行 為 の容認 とい うぺ く,極 言すれば死者 に対す る 冒演 とさえい えるので はあるまいか。 《なぜ被害者本人 -死者 の無 限の成長可能性 を 顧慮 しない のか》 さらに死者 に対す る顧慮 についてい えば,死 刑廃止論 の理 由づ けや量刑事 由 として加害者 の 将来 における更生可能性 ( 可塑性) が しば しば 援用 され るけれ ど,被害者 の将来 に対す るほ と ん ど無限の成長可能性 (とくに年少,若年 の死 者 の場合)が無視,軽視 されてい るのは私 には 全 く納得 がいかない。 これでは まさに 「殺 され 損」である。被害者 の この成長可能性 とのバ ラ ンスを考 える と,死刑廃止論 の理 由づ けや量刑 の事 由 として,加害者 の更生可能性 は無条件 に 少 な くとも過大 に考慮 に入れ るべ きではない と 考 える。「犯人へ の過度 の同情 とすで に失 われ て しま った生命 へ の共感不足 」8)はバ ラ ンスを 欠 く思考で ある。 上述 した点 について私 は,在来 の論議 に論者 は無 自覚的なのだろ うが 「生 きてい る人間の倣 3 私の主張- その 1 被害者本人-死者の声が 聞かれていない 《 被害者本人 -死者 と被害者遺族 との区別》 慢」9) を痛感せ ざるを得 ない のであ る。 《念 のために - 被害者遺族 の立場 の尊重≫ 誤解 のない よ うに附言 してお くが,私 は被害 まず第 1に,私 が奇異 に感 ず るのは当の被害 者本人 の立場 が従前 の論議 において は無視,軽 者本人す なわち死者 の立場 に対す る顧慮 がほ と 視 されて きた こ との問題点 を指摘 してい るので ん ど全 く払 われてい ない とい う点で ある。当然 あ って,被害者遺族 の立場 を軽んず る意図は毛 なが ら,被害者本人 -死者 とその遺族 とを完全 頭 ない。被害者遺族 の立場 はそれ 自体 として最 に同一視す るこ とはで きないO財産権 について 大限に尊重 され るべ きで ある。 それは多 くの場 神奈川ロージャーナル 第 4号 47 合 に最 も良 く被 害 者 本 人 の立場 と同一視 され る 現 時 点 で の妥 当 な応 報 的正 義 の実 現 に努 め るべ に値 す る とい え よ う10)。 そ もそ も幼 児 そ の他 きだ ろ う と しか私 にはい えない。死 者 の平 均 的 の意 思能 力 を欠 く被 害 者 につ い て は遺族 の意 思 意思 ( 見 ) は, お そ ら くその よ うな正 義 が実現 ( 見 ) を本 人 の そ れ と等 値 す るは か ない 。 しか され る こ とを天 国 あ るい は泉 下 で望 ん でい るの し両者 の単 純 な 同一視 は危 険 で あ る。 この こ と で あ って, それ以 上 で は ない と考 え るべ きで あ を被 害 者 遺 族 が弁護 士 で あ る事 例 につ い て考 え る12)。 また, そ れ 以 上 は単 純 な復 讐 を禁 じた て み よ う。 現行 法 秩序 が認 め ない とこ ろで あ る ( 復讐 ( 戟 周 知 の よ うに妻 ( 千) が殺 人 の被 害者 で あ る 復 ) に つ い て は次 節 4を参 照)。 そ して検 察 官 ふ た りの高名 な弁 護 士 が死 刑 存 廃 問題 につい て は論 告 ・求刑 におい て この死 者 の意 思 ( 見) を 全 く対艦 的 な態度 を示 してい る。 ひ と り ( 故磯 最 大 限 に代 弁 すべ き職 責 を有 す る と考 え る13)。 部 常治 氏 ) は従 前 か らの廃 止 論 を堅 持 し,他 の ひ と り (岡村 勲 氏 ) は廃 止 論 か ら強硬 な存 置論 に転 じ, そ の立場 か らの運 動 を精 力 的 に展 開 し てい る。 どち らを是 とすべ きか ? 廃 止論 者 は 前 者 を称 賛 し,存 置論 者 は後 者 に心 か ら賛 同す るだ ろ う。 私個 人 は どち らに も脱 帽 して敬 意 を 表 した い 気 持 で あ る1 1 ) 。 い ず れ に せ よ, 両 氏 は被 害者 本 人 の思 い をその ま ま代 弁 してい る と 考 えて お られ るのだ ろ うが, や は り自分 の信 念 に殉 じてい るのだ とみ るのが妥 当 で は あ る まい か。親 子 とい え ど も考 え方 や 生 き方 が異 な るの は当然 で あ り,被 害者 遺族 の意 思 ( 見 ) は死 者 の それ を推 定 す る最 も有 力 な資料 で あ るにせ よ, あ くまで も死 者 の それ とは区別 して考 え るべ き だ と思 う ( 夫婦 ・親 子 の間 で も死 刑 の存廃 に関 す る意 見 が異 な る こ ともあ りうる)0 《死 者 の声 を聞 くとは ど うい うこ とか ?》 で は,死 者 の声 を聞 くとは ど うい うこ とか ? 死 者 の処 罰 意 思 ( 見 ) は どの よ うに して知 る こ とが で きるのか ? 実 は私 に も良 く分 か らない。 結局 ( 擬 制 的 な) 死 者 の意 思 ( 見 ) な る もの を 国 家 が 代 弁 す る ほ か あ る まい 。 これ は被 害 者 ( 遺 族 ) か ら復 讐 とい う一 種 の報 復 的正 義 の権 利 を取 り上 げ て刑 罰権 を独 占 した 国家 の責務 で あ ろ う。 具 体 的 に は判 決 裁 判 所 が諸 般 の事 情 に 基 づ き綜 合 判 断 して決 す るはか ない 。 その場 合 には ( た とい遺 族 が宥 恕 の意 思 を示 してい るか ら とい って必 ず しもそれ に囚 われ る こ とな く) 無 限 に近 い 可能 性 に満 ちた 自己 の生命 を奪 われ て しま った死 者 の無 念 の思 い を深 く理 解 しつ つ , 注 7) 一身専属的権利には帰属上のもの と行使上のも の とがある。死者の処罰意思 ( 見)についてこの ような分類は無意味であるが,あえていえば両者 を包含するといえよう。 8) 加藤松次 「 最近の裁判例における死刑 と無期の 法務 研究 6 7集 4号)の表 現 ( 重松 一義 限界」 ( 1 9 9 5 ,信山社)9 0頁か ら再引 『 死刑制度必要論』( 用) 。廃止論者は死刑囚の人格形成の無限の可能性 を強調する。私 もそれに反対 しないけれど,論者 は逆にその無限の可能性 を剥奪 されて しまった被 害者 -死者のことはいったい どう考えているのか。 死刑囚の驚異的なまでの精神的成長の事例が報告 されているが,被害者の死 を踏み台に して得 られ た ものであることを思 うならば到底手放 しで賛美 することなどできないはずである。( それを可能な らしめたのは日々死に直面するとい う恐 らくどん な宗教的修行 よりも苛酷 ・切実な生活環境だろう。 とい うことは,恩赦で社会復帰 した場合にはそれ が元の木阿弥に帰す る危険 もあ りうるわけであ る。 ) 9) 私はこの言葉 を鈴木邦男 『 愛国の昭和 - 戦争 2 0 0 8 ,講談社)2 3 8頁か ら借用 し と死の七十年』( た。この本は第 7 3回ピースボー トの地球一周クル 2 0 1 1・4・2 4 -7・1 2 )で船上備付 けの書棚 ーズ ( から 「 筑紫哲也文庫」 とい うラベルが貼 ってある のに興味を惹かれて借覧 したものである。こうい う偶然がなければ私が同書 を読むことなどなか っ たか も知れない。( 新右翼随一の論客 とされるこの 著者の本は昔 1冊読んだことがあるだけだ。 ) なあ 岸田秀 -三浦雅士 『 靖国問題の精神分析』 ( 2 0 0 5 ,新書館)には 「 被害者のことよりもとにか く加害者が気の毒だ と。殺 されちゃった方は死ん だんだか らもういい, とい う発想で きちゃったの だが,いま揺 り戻 しがきているわけですね。 」 とい 5 7頁)。 う端的な三浦発言がみられる ( 1 0 ) 例えば藤井誠二 「 『 少年事件被害者の視点』への 展開」筑紫哲也責任編集 『ジャーナ リズムの条件 1 職業 としてのジャーナ リス ト』( 2 0 0 5 ,岩波書 店)8 1 8 2 ,8 5 8 6頁における被害者の父親の痛切 な発言をみよ。 l l ) もう6 0年 も前の話であるが,私は第二東京弁護 4 8 法科大学院教育 と死刑存廃論 士会 で弁護 士修 習 を し,生前 の磯辺氏 か らも指導 を受 けた こ とが ある。当時 は氏 が熱心 な死刑廃止 論者 で あ るこ とな ど全 く知 らず,記憶 に残 ってい るのは熱 々た る感 じで修習生相手 に きわ どい猿談 ばか り語 ってい た氏 の面影 で あ る。 こん な こ とを 書いて も別 に氏 の人格 を股 めるこ とにはなるまい。 今 に して思 えば氏 は,早晩事件処理 におい て男女 間の機微 に関 わ る問題 に遭遇 す るこ とにな る修習 生た ちに自分 の流儀 で一種 の性教育 をされてい た ので はあるまい か。 そ うい えばなん とな く一休禅 師 の よ うな高僧 を思 わせ る方 で あ った と思 う禅 師 にはその 自由閣連 な性的言動 に関す る逸話 が 多 く残 されてい る。) 1 2) 津 田ふ じ子 「もどれぬ橋」『にた り地蔵 公事宿 事件書留帳』( 2 0 0 2 ,幻冬舎) は,若者 同士 の出会 い頭 の衝突 に端 を発 した殴 り合い の喧嘩 の結果 が 死 を招 き,被害者 の若者 -貞吉 の雇い主で跡取 り が な くいずれ定 吉 に店 を譲 りたい と考 えてい た九 兵衛 が出 した大枚 1 0両 - 当時 は 1 0両以上 の窃 盗 は死罪 - の犯人探 しの褒賞金 が絡 まるス トー リーである。 ( 公事宿 は旅寵 を兼ね弁護士事務所的 な役割 を果 た してお り, この連作小説 で は公事宿 の居候 で京都東町奉行所 同心組頭 の異母兄 ( 妾腹 の子) の田村菊太郎 が活躍す る。上記 の褒賞金 も 菊太郎 の発案 に よる。法律論文 の 中に こ うい う時 代小説 を引用す るこ とに眉 を聾 め る読者 もい るか も知 れぬが,若い法律家 ( 志望者) に昔 の法制 に つい て少 しは興味 を もって欲 しい老婆 ( 爺 ?)心 も手伝 っての こ と, ご海容 を乞いたい。)第 3の若 者 -藤八 は貧 ゆ えの姉 の身売 り話 の際 に当時 の 自 分 の雇い主茂兵衛 が店 を抵 当に入 れて金 を作 り身 売 りを止 めて くれた恩義 に報 い るぺ く,老いて貧 しい茂兵衛 に藤八 の犯行 を目撃 した証人 として名 乗 り出て褒賞金 を得 る偽計 を承知 させ,下手人 と して逮捕 され る。が,無実 の者 が逮捕 された こ と を知 った加害者 の若者 -友助 は良心 の珂責 に耐 え かね奉行所 に出頭 す る。以下 は この よ うな事情 が 判 明 した際 の吟味方与力組頭伊波又右衛 門の言葉 で ある。「友助 は自訴 して まい った。藤八がお上 を 欺 い たのは不時 ( ふ らち)極 まるが, これは忠義 の心 か ら。茂兵衛 も事情 が判 明い たせ ば,深 く呑 め る気 にな らぬ。--お奉行 さまにひたす ら慈悲 (じひ) を願い,若い二人 は遠 島,茂兵衛 は百叩 き ぐらい です ませ たい と,い まわ Lは思 うてい る。 導奉を争うして も期 間 を短 くYt =せG ぎ手早?与 。 . 死 んだ定吉 も主 の九兵衛 も,そん な ところで許 し て くれ よう」 。( 2 5 8頁,傍点引用者) 「被害者で ある死者 の声が聞かれ る判決」 とは別 言す れば, ( 判決裁判所 が想定 した)「死者 が許 し て くれ る よ うな判決」 だ と思 う。 わが国の国民 の 大 多数 が死刑 に賛成 だ とい うこ とは,被害者 で あ る死者 の大多数 もまたそ うであるこ とを意味す る。 この よ うな死者 た ちは絶対 に死刑 のない判決 を果 た して許 して くれ るであろ うか。 1 3) 論告 の重要性 につい て は,美達大和 『人 を殺 す とは ど うい うこ とか 長期 L B級刑務所 ・殺人 犯 の告 白』( 2 0 0 9 ,新潮 社) 5 9頁 以 下 参 照。著 者 は二つ の殺人 の罪 で服役 中の無期懲役 囚で あ る。 ( 注 41と同一人 の著作) 4 私の主張- その 2 復讐感情は否定されるべ きか- 応報的正義の実現の必要 第 2に,死刑廃止論 の立場 か らは,復讐 ない し報復 ( 以下,両者 を同義的 に用い る) はそれ 自体 が悪 の よ うに語 られ てい るが1 4 ) ,果 た し て そ う断定 して よい のか。復讐感情 は実 は人 間 が正義 とい う言葉で意味す る ものの根元 に位 置 してい るのだ と思 う。 もっ とも, われ われ は復 讐感情 の噴 出の危 険性 についてつ とに 自覚 して い た よ うで あ る。復讐 は人 間 に とって根源 的 な 欲求で あ るに もかか わ らず, その際限 な き連鎖 は人 間 を破滅 に導 きかね ないか らだ。 そ こで古 来人 間 は この復讐感情 とい う巨大 なマ グマの制 御 に苦慮 を重 ねて きた。「目には 目を,歯 に は 歯 を」 とい うタ リオ ( 同書報復) の法 は決 して 赤裸 々 な復讐 その ものではな く,復讐感情 の合 理 的抑制 の一面 を有す るこ とは周知 の ところで あ る15)。す な わ ち正 義 とは程 度 の差 こそ あれ " 昇華 された復讐" を意味す る とい って よい。 古 来,人 間 とそ の集 団 は様 々 な形 にお け る " 昇 華 された復 讐" を応報 的正 義 の実現 として 行 って きた。 そ して今 も行 ってい る。「繰 り返 し囚人 の ジ レンマ」 ゲ ームにおいて 「しっぺ返 し」戦略が最 も有効 で あ るこ とが実証 され,莱 際 に米 ソ冷戦時代 か ら現在 に至 る まで核兵器保 有 国 は 全 て 「し っぺ 返 し」戦 略 を と って い る16)。 しっぺ 返 し とはい い か えれ ば即 時 また は迅速 な報復 にはか な らない。相手方 が核 を使 用 した場合 には こち らも核 で報復 す る とい うこ とは復讐観念 が人 間 とその集 団に確 固た る基礎 付 け を有 してい るこ とを如実 に物語 ってい よ う (それが全 面戦 争 に発展 した場合 に は人類 の破 滅 を招 来 す るわ けで あ るが)。 多 くの戦争 に は 国家,民 族 に よる報 復 の面 が あ る17)。報 復 に 『理 性』 を超 えた根 源 的 な人 間 の本 性 の よ は 「 8 ) と思 わ ざるを得 な うな ものが関 わ ってい る」1 い。 わが国の仇討 ちにみ られた よ うに,個人 に よ る復讐 は加害者 の力 が強大 で あ る場合 には実行 不可能 で あ るな ど様 々 な不合理 や弊害 を伴 う。 神奈川ロージャーナル 第 4号 国家的刑罰 として の死刑 には被害者遺族 に よる 敵討 ちに代 わ る現代 的 な合理化 された復讐 -応 報 的正義 の実現 の役割 も期待 されてい るこ とを 率 直 に認 め るべ きで あ ろ う19)。 そ うで な けれ ば,時 として抑圧 された復讐感情 の暴走,爆発 に よる新 た な殺人 な どを誘発 しかね ない恐 れが あ る。死刑廃止論 は復讐 -応報 とい う素朴 な正 義感情 の根源 にあ る もの を甘 くみ過 ぎてい る と 考 えざるを得 ない。人 間 の復讐感情 の抹殺 は不 可能 で あ り, その最大 限 に賢明 な制御 こそ望 ま しい こ とを知 るべ きで あ る20)。 注 4 9 にみ られ る とい えようか。 1 9 ) 内田 ・前掲 (注 5 1 )『刑法概要 上巻』 は 「刑 罰 に 『応報』 の意味が あ るこ とは,決 して否定 さ れ えない 。 」「 『応報』でない刑罰 はあ りえないので ある。」 とい う ( 6 6頁)。弁護士兼作家 の中嶋博行 氏は 「 他人 に よって権利 を侵害 された者 は,本来 復讐権 を もってい る。 これは人類史上,最 も古 く か ら認 め られて きた固有 の権利 とい っていい。 (中 略)現代 の復讐権 は,金銭賠償 に よる資本主義的 復 讐 で あ る。 」( 2 3 4頁) と して,死刑 を廃 止 して 命脈 が尽 きるまで民営刑務所 で働 かせ るこ とな ど を提案す る (同 『罪 と罰, だが償 い は どこに ?』 ( 2 0 0 4 ,新潮 社) 1 9 0頁 その他)。同書 は通 常 の死 刑存廃論 とは異 な るユニ ークな もので一読 に値 す る。 2 0 ) 橋 田幸子 『覚悟 戦場 ジャーナ リス トの夫 と生 きた 日々』( 2 0 0 4 , 中央公論新社) 1 5 8 9 ,1 7 4 1 7 7 頁 を読 む と,問題 の難 しさ,問題 を本来 の被害者 の視点か らみ るこ との大切 さを改 めて痛感 させ ら れ る。著者 の夫 の信介氏 は 2 0 0 4年 5月 2 7日イ ラ クのマ フムデ ィアで殺害 された。 1 4 ) 例 えば,伊藤政夫 「要件事実論 の汎用性 を示す 要件 事 実論 と基 礎 法 学 との協 働 に関す る一 考 察 - 死刑制度 の存廃 について の検討試論 - 」伊 藤滋夫編著 『要件事実論 と基礎法学 』( 2 0 1 0 , 日本 評 論社) 1 8頁 注 16参 照。 なあ この伊 藤論 文 に ついては 「 補論 死刑存廃論 の要件事実論的考察」 において改 めて検討 を行 う。 1 5 ) ノ、ムラ ビ法典 について例 えば C.ダグラス ・ラ ミ ス氏 はい う。「この言葉 は今 日の私たちには残酷 で 原始的 に聞 こえるが,確 か にそ うには違 い ない。 これ は正義 で はな く,復讐 の言葉 なのだ。だが, 注意深 く読 めば, この条文 の求 めてい る ものが復 讐 で はな くて復讐 の制 限で あるこ とがわか る。歯 を失 った者 は歯以外 の物 を奪 って はな らぬ。 目を 潰 された者 は 目以外 の物 を苦 しで はな らぬ。」 これ に続 けて氏 は 「国連 多国籍軍 が もし, この古代 の 武骨 な言葉 に従 って イ ラク襲撃 を行 っていた らど れほ ど多 くの命 が救 われていただ ろ うか。」 と述べ てい る (同 「イ ラクで考 えた こ と」『憲法 と戦争』 ( 2 0 0 0 ,晶文社) 1 1 5頁)0 なあ 旧約 聖書 出 エ ジプ ト記 2 1章 2 4節 におけ る同様 の律法 について三浦綾子 『旧約聖書入 門 光 と愛 を求 めて』( 1 9 8 4 ,光文社文庫) 1 6 7 1 6 9頁 参照。 1 6 ) 高橋 昌一郎 『理性 の限界 - 不可能性 ・不確定 性 ・不 完全 性 』( 2 0 0 8 ,講 談 社 現代 新 書) と くに 8 4 8 5 ,8 7 ,9 8頁0 1 7 ) 例 えば,岸 田 -三浦 ・前掲 (注 9 )『靖 国問題 の 精神分析 』2 7 5 2 7 6頁参照。 1 8 ) これ は囚人 の ジ レンマにおけ る裏切 りと協調 の 比率 について の高橋氏 の言葉 の借用 ( ただ し,引 用文 には 「か も しれ ない」が続 く)で あ る ( 同・ 『東大生 の論理 - 「理性」 をめ ぐる教室 』( 2 0 1 0 , ち くま新 書) 9 1頁). なあ 囚人 の ジ レンマにお け る 「裏切 り」 と 「協調」 につい て,論理 学者 ス マ リヤ ンと認知科学者 ホ フスタ ッタ-はかつての 大学 の同僚で親友で もあるが, スマ リヤ ンは前者, ホフス タ ッタ-は後者 を主張 して譲 らない との こ とで ある (同頁)。死刑存廃論 における報復 の問題 について も同様 の根本的 な意見 の対立 が論者 の間 5 私の主張- その 3 戦争の放棄 ・禁止 と連動 しない死刑廃止論の一面性 ・欺隔性 第 3に,死刑廃止論 は,死刑 は国家権力 に よ る殺人 で あ るか ら是認す るこ とがで きない と主 張す るが, 国家権力 に よる殺人 として死刑 よ り もは るか に大規模 に現実 に行 われてい るのは戦 争 に よる殺人行為 で あ るのに, 国連 も EU もど の死刑廃止 国 も戦争 と死刑 との関連 について全 く口を閉 ざ してい るのは偽善 の最 た る もので は ないか ( 通常 の犯罪 につい て死刑 を廃止 しなが ら,戦 時下 の特定 の犯罪 について は死刑 を維持 す る国 もか な り存在 す る)21 ) , 2 2 ) 。た しか に戦 争 の 中には 自衛 な しい Lは正義 のための止 むにや まれぬ戦争 もあ ろ う。 しか し現実 にはほ とん ど の戦争 は 自衛 や正義 を口実 に して な されて きた し, その よ うな正 当性 が ある とされ る戦争 にお いて も無事 の市民 に対す る殺害 が行 われてい る こ とは明 白な事実 で ある。戦争 の放棄 は も とよ り国 に よる武力 の行使 の暫時的停止 さえ現時点 で は至難 で あ るこ とは認 め ざる を得 ない。 ( 上 述 した よ うに多 くの戦争 には国家,民族 に よる 報復 の面 が あ る)23)。 それ に して も戦 争 に関す る言及 を欠如 した ままで国家権力 に よる殺人 で あ る死刑 は決 して正 当化 され ない とい う廃止論 者 の論理 は,戦争 に よる殺人 の被害者 ( 遺族) 50 法科大学院教育 と死刑存廃論 に と って あ ま りに も一 面 的 す ぎ る偽 善 的 な主 張 と しか 思 え な い で あ ろ う。 日本 国 憲 法 は戦 争 を 放 棄 して い る。 しか し, 死 刑 廃 止 (そ の執 行 停 止 を含 む ) を主 張 す る国 会 議 員 の 中 に は 憲 法 9 条 を改 正 し, 再 軍 備 す べ き こ とを主 張 す る議 員 が 少 な くな い 。 彼 らはい った い 死 刑 と戦 争 との 関 係 を ど う考 えて い る の だ ろ うか 24)。 注 21 ) ヨーロッパ の中世や宗教戦争 の時代 には敵 の兵 士 を殺す こ とは処罰 -死刑 の執行 だ と考 えられて 5 ) いた とい われ る (ラ ミス 「 正戦論」前掲 ( 注1 『憲法 と戦争』2 0 7頁)。そ して ダグラス ・ラ ミス 氏 は 「交戦権 とは兵士が人 を殺す権利」で あ り, 「それは兵士個人の権利ではな く,国家の権利であ る。」 とい う ( 同 『憲法は,政府 に対す る命令であ 』( ( 2 0 0 6,平 凡 社)7 8 7 9頁)。 また,岸 田理 る。 論が個人心理 と集 団心理 との仕組 みは変 わ らない と主張 してい る点 に注 目すべ きである ( 岸 田 -三 )『靖 国問題 の精神分析 』7 9 8 2頁 浦 ・前掲 ( 注9 参照)。上記のことは殺人 ・死刑 と戦争 との密接 な 関連性 に容易 に気付かせ るはずである。 2 0 0 9,ち くま新 なあ 河井幹雄 『日本の殺人』( 死刑 は人 を殺す ことであ り,殺人 と別 と 書) は,「 は考 えない。つ ま り死刑賛成 ではない。 しか し, 」( 2 2 8頁) とい 死刑廃止 に も明確 に反対 で ある。 うユニ ークな立場 を提示す るが,戦争 も死刑 と同 2 3 5頁以下)。同書 は必ず しも賛 同で 様 だ とす る ( きない箇所 も散見す るにせ よ,死刑存廃論 のみな らず裁判 員裁判 について も有益 な情報 と示唆 を与 える好著である (その クールで リア リステ ィック な論述 はかな り魅力的である)0 0年以上前 に 「西独 ちなみに,私 自身はすでに 3 は死刑 を全廃 してい る。だが,刑事裁判 の前 に戦 争 とい う名 目で被害者 ない し犯人 を射殺す るこ と が安易 に許 され るな らば,死刑廃止 はナ ンセ ンス 」( 拙稿 「- イ ジ ャ ック事件 へ の の極 みで あ る。 裁判法 の考 え 日 ・独 両両政府 の対応 を評す る」『 1 9 8 4,信 山社,初 出は 1 9 7 7年)3 5頁) と書 方』 ( いた。 もっとも, この文章 は死刑 を取 り扱 うもの ではない。 2 2) さすがに園藤博士 は 「死刑 とい うのは戦争 と同 様,そ もそ もあっち ゃいけないんです。 」 と明確 に 両者 の関連性 を指摘 してい る。圏藤重光著 ・伊東 2 0 0 7,朝 日新 書) 1 5 2頁)0 乾 編 『反 骨 の コツ』( )『死 刑廃 止 論』2 3 4頁,2 41頁 注 同 ・前 掲 ( 注2 1 4に よれば,丸 山美男,家永三郎両氏か ら著者 に 戦争放棄 と死刑廃止 とが不可分 だ との所見が寄せ られた との こ とで ある。以下 における圏藤氏 の著 書か らの引用文 は,刊行 日時が よ り新 しくかつ表 現が平明 ・端的 な上記 『 反骨 の コツ』か ら引 く。 8 6頁 の伊東発言 に よれば憲法学者 の水 島朝 同書 1 穂教授 も圃藤氏 と同説 の よ うで ある. もっとも, 憲法解釈論 としては死刑 を違憲 とまで解す るのは 2 01 1 ,成 無理である。佐藤幸治 『日本国憲法論』( 4 0 3 41頁参照。 文堂)3 2 3 ) 注1 7参照。 2 4) 戦争 は他国民 に対す る殺人行為であるのみな ら ず, 自国民 に対す る殺人行為で もある。鈴木 ・前 )『愛 国の昭和』第 7章 「果 た して特攻 は 掲 ( 注9 1 6 9頁以下)は,戦争 が 国家 ( 秤)だ った のか」( 権力 に よる特攻隊員 とい う若者たちに対す る一種 の殺人行為で あ った こ との如実 な描写 として読む こ とがで きる。なあ ラ ミス氏 に よれば,国家が 殺 した人 の大半 は自国民で あ り,その引用す るあ 0世紀 におい て 1 9 8 7年現在 1 る研究 は,国家 は 2 億3 4 7 5万人 の 自国民 を殺害 し,6 8 4 0万人 の外 国 5 ) 人 を穀 した とい う ( 同 「 暴力国家」前掲 ( 注1 『憲法 と戦争 』1 7 6頁)0 ちなみに,後藤 田正晴氏 は内閣官房長官 として 中骨根 内閣当時のペル シャ湾での機雷除去 のため の自衛隊掃海艇派遣 に反対 し,法務大 臣 として死 刑 の執行命令 に署名 したが,いずれ も彼 の護民官 意識 と現行法尊重 の観念 に基づ くものだ と筑紫哲 也氏 は解釈 してい る ( 同 「 後藤 田正晴 ` 護̀民官" 」『旅 の途 中 巡 り合 った 人 々 の 「 筋」 と 「 軸」 1 9 5 9 2 0 0 5 』( 2 0 05 ,朝 日新 聞 社)3 5 0 3 51 ,3 5 3 3 5 4頁)。死刑 の執行命令 については後藤 田氏 自身 が,死刑制度 が存在 し,裁判所 が死刑判決 を した 以上 「 行政 の長官である法務大 臣が,執行命令 に 判 を捺 ( お) さない とい うこ とがあ り得 るのか。 それはおか しい とい うのが僕 の考 え方です」 と語 ってい る ( 御厨貴 『後藤 田正治 と矢 口浩一 の統率 2 01 0,朝 日新聞出版)2 9頁)。 力』( 6 私 の主 張 - 刑- その 4 寛罪 ( 誤 判 ) の恐 れ と死 死 刑判決 とそ の執行 との分 離 第 4に , 菟 罪 の 恐 れ が しば しば死 刑 廃 止 論 の 最 大 の 論 拠 と して 主 張 さ れ る が 2 5 ), 菟 罪 防 止 は死 刑 判 決 の是 非 の 問 題 で は な く, 死 刑 の執 行 に つ い て 最 大 限 に慎 重 な手 当 て を講 ず る こ とに よ って 実 現 可 能 で あ る。 な お , 厳 密 にい え ば誤 判 は菟 罪 よ り も広 い 概 念 で あ るが , 以 下 で は 両 者 を 同義 と解 して 論 を進 め る。 《再 審 の 無 条 件 的 許 容 と執 行 停 止 》 現 在 の死 刑 判 決 に対 す る再 審 の要 件 は あ ま り に も制 限 的 に過 ぎ る。 死 刑 は 回復 不 能 な刑 罰 で あ る こ とに か ん が み , 少 な く と 4 )死 刑 囚 か らの 再 審 請 求 は無 条 件 に認 め る こ と と し, か つ 再 審 請 求 に は 自動 的 に執 行 停 止 の効 力 を付 す る こ と に す べ きで あ る。 そ うす れ ば , 理 由 が ない 再 審 請 求 を繰 り返 す 死 刑 囚 は事 実 上 無 期 懲 役 刑 の執 行 を受 け て い る の に等 し くな る け れ ど, 一 方 に お い て 死 刑 の恐 怖 に 怯 え な が ら生 涯 を過 ごす わ け で , こ の こ とは被 害 者 遺 族 に対 して 死 刑 判 決 神奈川ロージャーナル 第 4号 51 に よる応報的正義 の確認 と相 まって一応 の満足 あ る30)。 この意 味 で も,死刑 制 度 を推 持 しつ 感 を与 え うる とともに,他方 において死刑 囚に つ事実認定 に極度 の細心 ・周到 さを求 める私見 対 して完全 な無期懲役刑 よ りも希望 を与 える余 のほ うがはるかに優 ってい る と考 える- 再審 地 があ るので ( 菟罪で ない死刑 囚 さえ再審 に- の無条件 的許容 が同様 の恐れ を生 じかねない と 接 の望 み を託せ る),脱走 を図 り刑務 官や近 隣 い う一抹 の懸念 はあ りうる として も。 住民 に危害 を与 えるな ど絶対的終身刑 に伴 う危 ところで,菟罪概念 について伊藤滋夫教授 は 険 ・弊 害 を 防 止 ・軽 減 す る こ とが で き よ 独 自の概 念 を提 示 してい る。す な わ ち,量刑 う26),27)。 「判 断 を誤 って死刑 と判 断す るべ きで ない事件 もっ とも,菟罪 防止 と真犯人処罰 とは相反す について死刑 の判決 が言い渡 された場合 には, る目標 で あ って,死刑事件 における菟罪 を完全 それ も菟罪 のひ とつ として考 えなければな らな に防止 しよ うとすれば,真犯人処罰 とい う目標 い。」 とい うので あ る31)。 しか し,従 来量刑 の の達成 が あ る程度 まで犠牲 に供 され るこ とを覚 当 ・不 当の問題 とされて きた領域 に まで菟罪概 悟 しな けれ ば な らない28)。 しか し死 刑 が 回復 念 の外延 を拡張解釈す るこ とは,犯罪事実 の認 不能 な刑罰 で あるこ とにかんがみ,社会 の側 と 定 と量刑判断 との区別 を暖昧化 し,事実認定 に してはそれ を甘受す るほか あるまい。菟罪防止 負 の影響 をもた らす とい わなければな らない。 と同時 に真犯人 の必罰 を刑事 司法 に求 めるのは とりわけ裁判 員裁判 の もとで は素人で ある裁判 万能 の神 の仕事 を人 間に求 める もので ある。 こ 員の事実認定能力 に大 きな期待 が寄せ られ るが, れは フィクシ ョンの世界で しか満 た されない願 量刑判 断 は よ り専 門的な要素が多い ので (これ 望 で あ り,現実 の世界 では誤判 の根源 を成す こ が英米 の陪審 において原則 として陪審 は事実認 とを知 るべ きで ある。 定 のみに関与す るこ との主 な理 由で あ ろ う)32), ちなみに,菟罪防止 との関係 で私 が我慢 な ら ない のは,現在 の戦争 では誤爆 に よる無章 の市 民 の殺害 が 日常茶飯事的 に行 われてい る事実で 無用で不適切 な菟罪概念 の拡大で ある。 《圃藤博士 の死刑廃止論批判》 以上 の よ うに考 えるな らば,菟罪 の防止 を理 ある。 これは まさに大規模 な菟罪 に よる死刑 の 由 とす る死刑廃止論 はその根拠 を失 うと思 う。 即 時執 行 にはか な らない29)。死 刑 廃 止 の論 拠 高名 な刑事法学者で ある圃藤重光博士 ( 元最高 として菟罪防止 を主張す る論者 は, この ような 裁判事) は菟罪防止 をその死刑廃止論 の最大 の 悲惨 な事実 をどう考 えてい るのか質問 したい と 根 拠 と してい るが33),失礼 なが らこれ は同氏 ころで ある。 の ような碩学 の所論 としてはい ささか浅薄では 《 死刑廃止 は菟罪 を増加 させ る≫ ないか と愚考す る。 菟罪防止 との関係 で一考 を要す るのは,死刑 圏藤氏 の死刑廃止論 は, その独 自の主体性理 の代替刑 として ( 特別 の)無期刑 を採用 した場 論か ら導 かれ る もので,全 ての人間が等 しく有 合 には,事実認定 が安易 にな り菟罪事件 が増加 す る主体性,生命 を人間の慈意 に よって奪 うの す る可能性が あるので はないか とい う危供 であ は神,天 の意 思 に反 す る とされ る34)。 しか し, る。死刑 の ように絶対的 に回復不能 な刑罰では 仮 にその主体性論 の立場 に与す るに して も,死 ない安堵感 と事案 の重大 さか ら真犯人処罰 の 目 刑判決 は被告人 の犯 した他人 の主体性,生命 の 標 を達成 したい とい う願望 の圧力 ゆ えに,事実 否定,剥奪 とい う行為 を理 由 としてな され るの 認定 が多少甘 くな って しま う恐れ は決 して否定 で あるか ら,人間の悉意 に よるものでは決 して で きない。 そんな こ とはない と反駁 されれば立 ない。 同氏 の死刑廃止論 の論拠 として一般 に説 証困難 な危倶 であるがゆ えに,私 は刑事裁判官 得力 があるのは,死刑 とい う回復不能 な刑罰 を 経験者 として この こ とを切言 してお きたい ので 伴 う誤判 の防止 のみ とい うべ きで あろ う。 だが, 5 2 法科大学院教育 と死刑存廃論 これ も結局失 当なので ある。 念 のために,死刑存廃論 のポイ ン トを衝 く同 氏 の言葉 をここに引用 ・再現 す る。「 死刑 の存 廃 については,か りに百歩 を譲 って考 えれば, 両論 とも結局,水掛 け論 だ ともい えるか もしれ ない。 しか し,少 な くとも誤判 の問題 だけは水 掛 け論 で はない。誤判 の可能性 は,誰 もこれ を 否定す るこ とは絶対 にで きない ので ある。 あ り 得 るのは,死刑 についてた まには誤判 があ って も仕 方 が ない とい う- お よそ人 間性 無視 の - 議論 だけで ある35)。」 従来 の死刑存廃論 と現行 の刑事再審制度 を前 提 とす る限 り私 は この文章 に全面的 に同意 しよ う。 しか し,死刑存置論 の立場か ら誤判 (に よ る死刑執行) を絶対 に避 け る方策 が存在す るこ とは上述 した とお りである。 ちなみに, 同氏 は最高裁判事 として殺人 の被 告事件 において死刑判決 を宣告 した下級審判決 を確 認 す る上 告棄 却 の判 決 を言い渡 した時, 「人殺 し- !」 と叫 ばれた こ とが死刑廃止 を真 剣 に考 え る大 きな契機 に な った, と述 べ てい る36)。氏 の率 直 さに は敬 意 を表 す るが,裁 判 官で ある以上, この ような- プニ ングがあ りう る こ とは当然 覚悟 して お くべ きこ とで あ る。 ( 法学教授 として の現役 時代 の氏 は死刑廃止論 者 で は なか った37)。比類 を絶 す る氏 の刑 事 法 学 は素人 の絶叫の一撃 にあえな く揺 らいで しま ったのだ ろ うか。法学者 としての氏 に限 りない 尊敬 の念 を抱 きつつ一抹 の寂 しさ,空 しさを感 ず るこ とをあ えて ここに表 白 して お きたい。 ) 被告人 の無事 を確信 す る家族 や支援者 として は 裁判官 を 「 人殺 し」 と叫びた くなる気特 も分 か らないではない。実 は私 自身 も松 山事件 の第一 審死 刑判 決 を宣告 して裁判 官室 に戻 った直後 ( 死刑判決 の宣告 は まず理 由の朗読 か ら始 めて 最後 に主文 を言い渡 し,他事件 の審理 がない場 合 には直 ちに閉廷す るのが慣例 である- 少 な くともその当時 は),被告人 の母親 が裁判所 の 中を 「お前 らは人殺 しだ」 と怒 鳴 り回 った こ と 8 ) , 3 9 ) 。 を記憶 してい る3 注 2 5 ) 五十嵐敬喜 ら 『国民がつ くる憲法』( 2 0 0 7 , 自由 国民社) は 「 死刑廃止 の理 由 も感情 を抜 きにす れ ば,最 も重大 な論点 は菟罪が な くな らない現実で ある。」 と述べ る ( 1 0 0 1 0 1頁)0 2 6 ) 死刑廃止論者 の多 くは死刑 に代 えて完全 な無期 刑 を提案す るが,廃止論者 で あ りなが ら圏藤氏 は 「一生出 られない刑 とい うのは,死刑 よ りも残酷で す。」 とい う ( 圃藤 ・前掲 ( 注2 2 )『反骨 の コツ』 1 1 4頁)。坂 本俊 夫 『死 刑 と無期 懲 役』( 2 0 1 0 ,ち くま新書)』 は刑務官 の間に無期懲役囚の暴動や集 団脱獄 の発生 を懸念す る声が あ るこ とを指摘す る ( 8 7頁)。河 井 ・前 掲 (注 2 1 )『日本 の 殺 人』 も 「テクニカルな問題点は さておいて も,私 には偽善 に しか見 えない。」 とい う ( 2 2 9頁)。氏 のい うテ クニカルな問題点については,同 『終身刑 の死角』 ( 2 0 0 9 ,洋泉社新書) の第 5章 ( 1 3 1頁以下) を参 照。 なお圃藤氏 は,死刑 を存置す る として も死刑 の 宣告 まで は よい として最小 限度 において死刑 の執 行 まで は認 めるべ きでない とす る ( 同 ・前掲 ( 注 2 )『死刑廃止論 』3 2 1頁)。私見 との差異 は外見上 極 めて小 さい ともい えるが,実 は両者 には径庭 が あ るのだ ろ う。 また,亀 山継夫氏 は最高裁判事定 年退官直後 の新 聞の取材 に対 し,死刑判決 につい て私見 に酷似す る面 があ る意見 を述べた と伝 え ら れる ( 山 口進 -宮地 ゆ う 『最高裁 の暗闇 少数意 見 が 時 代 を切 り開 く』( 2 011 ,朝 日新 書) 6 0 6 1 頁)0 2 7 ) 私 見 に似 た発 想 と して 「死 刑 の執 行 延 期」や 「条件付執行猶予 (中国刑法 の死刑緩期執行制度)」 が あ るが,いずれに も特有 の問題 点が存 す る。現 行再審制度 の部分的修正 で あ る私見 がは るかに勝 る と考 え る。重松 ・前 掲 ( 注 8)『死 刑 制 度 必 要 論 』7 5 7 6頁参照。 2 8 ) 小坂井敏 晶 『人が人 を裁 くとい うこと』( 2 011 , 3 4頁。つ とに私 は この こ とを拙 著 岩 波 新 書) 1 『裁判 とは何か - 市民 のための裁判法講話 - 』 ( 2 0 0 3 ,御 茶 の水 書房)3 4頁以下 におい て 自己の 誤判経験 を省みつつ述べた。 2 9 ) ラ ミス氏 の以下 の指摘 を参 照。「『都会,町,村 の悉意的破壊』 は昔 か らの戦争犯罪 で あるに もか かわ らず,現代 国際法 で は飛行機 か らの空襲 が処 罰 されない どころか,起訴 され るこ ともほ とん ど ない とい うこ とは不祥事 で あ って忘 れて はな らな い。空襲 は国家 テ ロで あ り,金持 ちのテ ロである。 この 6 0年間で,人類 の歴史 に名 を連ね る反政府 テ ロ リス トよ りも, この国家 テ ロの方が,燃 や した り爆発 させた りした罪 のない人 の数が圧倒 的 に多 い。 」( 同 「誰 が監視 を監視す るか」前掲 ( 注1 5 ) 『憲法 と戦争』)7 5頁)。 3 0 ) しか し,筆者 の危倶 の念 の立証 に援用 で きる若 干 の文献 は存在す る。圃藤 ・前掲 ( 注 2)『死刑廃 止 論 』2 6 2 7頁 注 1 1 ,1 9 5頁 注 3 6 ,坂 本 ・前 掲 ( 注2 6 )『死刑 と無期懲役』1 0 6 1 0 7 ,1 1 5頁。 とく に後者 は貴重で ある。 3 1 ) 伊藤滋夫 ・前掲 ( 注1 4 )3 4頁注 44。 3 2 ) もっとも,米 国の陪審裁判 で は こ と死刑事件 に 関 しては陪審が量刑手続 に も関与す る ( 小早川義 神奈川ロージャーナル 第 4号 2 010,成 文 堂) 1 3 則 『裁 判 員裁 判 と死 刑 判 決 』 ( 頁)0 3 3) 圃藤 ・前 掲 ( 注2 )『死 刑 廃 止論 』 〔 29〕 ( 第 三版 2,1 59頁。 のは しが き),1 3 4) 圃藤 ・前掲 ( 注2 2)『反骨 の コツ』7 98 0頁。 3 5) 圃藤 ・前 掲 (注 2)『死 刑 廃 止 論 』 〔 2 9〕頁 ( 第 三版 のは しが き)。 この個所 のみ同書 か らの引用文。 3 6) 圏藤 ・前掲 ( 注2 2)『反骨 の コツ』8 78 8頁。 な 0411 05頁 の伊 東乾教 授 お, これ に関連 す る同書 1 の発 言 は的外 れ だ と思 う ( 氏 自身 その こ とを意識 してい る よ うであ るが)。私 の感想 はそ こで批判 さ れてい る評論 家 の意見 にや や近 い。 もっ とも, 圏 藤 氏 の死 刑 廃 止 論 は少 年 時代 か らの 陽 明学 的 な 43頁,圃藤 ・前 「根」 に も繋 が る とい う (同書 2 )『死刑廃止論 』2 91頁参照。 掲) ( 注2 37) 教授在職 中には まだ廃止論 にな ってい なか った とい う ( 圏藤 ・前掲 ( 注2 2)1 02頁)。 38) この こ とにつ い て は前 掲 (注 4) の座 談 会 で も 1 8頁)0 触 れた ( 3 9) た だ し,裁判 員制度 が導 入 され た現在,法 学者 か ら裁判 官 に転 じられ た園藤 氏 の ケ ースは,死刑 宣告 事件 にお け る この よ うな事 態へ の対処,裁判 員の心 の ケアについ て新 た に深 刻 な問題 を提示 す る と思 う ( 圃藤 ・前掲 ( 注2 2) におけ る PTSD に 1 55頁)参 照)。 この間題 につい 関す る伊 東発言 ( て は裁判 員裁判 につい て考察 す る別稿 におい て取 り上 げ る こ とを予定 してい るので, ここで は割愛 す る。 ところで,圃藤 氏 は裁 判 員制度 に対 す る全 面 的 1 31頁 以 否 定 論 を展 開 してい るが (同書 第 4章 ( 下 )),刑 事訴訟 法学者 かつ最 高裁 判事 経験 者 とし て 日本 の刑事 司法 の積弊 につい て熟知 してい るは ず の氏 は, その克服 の方策 につい て ど う考 えてい るのだ ろ うか。裁判 員制度 に は こ うい う観 点か ら 大 きな評価 に値 す る面 が あ るので はない か。 この点 に関す る外 国人研究者 の評価 として デ イ ビ ッ ド ・T ・ジ ョンソ ン, 田鎖 麻 衣 子 訳 「検 察 改 革 を真 剣 に考 える」 自由 と正義 2 011年 4月号 82頁 参照。 ( 代用監獄制度 ,警察官 の頭 の切 り替 えな ど 」 (同 も)「死刑 を廃止 すれば全部改 まって きます 。 3 8頁) とい うので は あ ま りに もナイ ー ブで説 書1 得力 に欠 け る と思 わ ざるを得 ない。 53 難 しい ようで ある。存廃論いずれの 立場 も自己 の有利 に援用す るこ とが可能 だ ろ う。 しか し, 法制度,法規定 の合理性,正 当性 について十分 な経験科学的 な立証 に基づ くこ とがで きる事項 は こ との性質上極 めて限 られてい る。学問,理 論 の世界 で は永遠 に争い を続 け るこ とが可能で あるが,現実 の行為 の世界ではある時点で何 ら かの決断 を しなければな らない。死刑 に抑止効 果 がない とす るな らば, その代替刑 について も 同 じだ ろ うし, そ もそ も刑罰一般 の抑止効果 が 疑問 とされ るこ とにな る。事実,修復 的司法 に おける最 もラジカルな立場 (ピュア リス ト) は 0 ) 。死 刑 につ い そ う主 張 してい る よ うで あ る4 て こ とさら抑止効果 のない こ とが力説 され るの は,死刑 が絶対 に回復不可能 な刑罰で あるこ と に よるのだ ろ う。 それはそれ として,抑止効果 について云 々す る者 は統計数字 な どをあげつ らう前 に, まず 自 分 自身 に対 して死刑 が抑 止効 果 を有 す る (し た) か どうか を自問 してみては どうか。少 な く とも私 自身 についてい えば死刑 ひ ろ く刑罰一般 が抑止効果 を有す る (した) こ とを認 め ざるを 得 ない。 あま り ドラマチ ックで ない わが人生 を 顧 みて も,殺 したいほ ど憎い人間に出会 った こ とが皆無 で はない。 だが,「こん な下 らぬ奴 を 殺 して死刑 にな るのは間尺 に合 わない」 と思 っ て我慢 したのだ。 どこまで本気で殺 そ うと思 っ ていたのか と反 間 され るか も知 れない。 しか し, どん なに微 かな殺意 の芽生 えで も抑止で きれば 7 死刑の抑止効果の否定,死刑廃止に向かう国際 「 私の主張世論など- どう考えるべきか ( それ も立派 な抑止効果である。 殺人行為 に及ぶ直前 の激情的 な犯人 は死刑 の その 5 政治的弾圧を真の理由とする死刑の禁 こ とな ど念頭 にない はずだか ら抑止効果がない 止」を含む) とい うのは皮相 な見解 である。死刑 は もち ろん 最後 に,死刑 には抑止効果 がない とか,世界 刑罰一般 は少 な くとも私 に対 して抑止効果 があ の趨勢 は死刑廃止 に向か ってお り,死刑 を存置 った こ とは厳然 た る事実で ある。 だか ら,私 は す る 日本 は国際社会 におけ る後進 国だ とい う議 ) 。私 が と くに異 常 抑 止 効 果 の存在 を信 ず る41 論 な ど,従来 か ら多 くみ られ る廃止論 の論拠 に な人間 とい うわけではあるまい。刑罰 と無関係 対す る私見 を一言 してお きたい。 に自分 は犯罪 を行 うこ とな ど一度 も思 った こ と 《 死刑 の抑止効果》 がない とい う高尚な倫理的人間はあ ま りい ない 抑止効果 の有無 について経験科学的 な立証 は だ ろ う。いた として もそんな人間離れ した人 に 5 4 法科大学院教育 と死刑存廃論 通常人 に対す る抑止効果 の有無 について論ず る 2 ) 0 資格 が あるのだ ろ うか4 ちなみに,神 が存在す るか香 か不 明な らば, 文化 と強い摩擦 を生 じかねない一律 の死刑廃止 に向か って狂奔す るよ りもは るかに合理的かつ 8 ) 0 現 実 に有効 な努力 目標 で はない か と考 える4 存在す るほ うに賭 けるのが得 だ とい う見解 があ ( 死刑廃止 が早 急 に困難 な場合 に も少 な くとも る ( パ スカル の賭 け)43)。 それ に倣 ってい えば, その執行 の停止 を実現すべ きで あ る。) これ を 死刑 の抑止効果 の有無 が不 明 な らば抑止効果が 「私 の主 張 - ある もの として死刑制度 を認 め るのが人命 の保 が国では現在 の ところこの種 の事件 が シ リアス 護す なわち人 間の尊厳 を最大 限に尊重すべ きき な問題 として存在 しない こ とは まこ とに慶賀す 国家 の責務で あろ う44)O べ きこ とで ある。 《国際世論 の趨勢 な るもの》 《 民意 を無視 した死刑廃 止 の礼賛 … 2 0 0 8年 現在全 て の犯罪 につい て死刑 を廃 止 」 と したい。幸 い に もわ その 5 「目的 の ためには手段 を選 ばず」で良い のか》 した 国 は 9 2 ,通 常犯 罪 のみ廃 止 した国や事 実 また,「死刑廃止 は,民意 に依 拠 してい て は 上 の廃 止 国 まで含 めれ ば死刑 廃 止 国 の総 数 は いつ までた って も実現 しないであ ろ う。 」「ヨー 1 3 7に達 す る とい われ る45)。 しか し,人 口の極 ロッパ各国は---民意 に反 して まで も,死刑廃 めて少 ない国家 も多 く存在す る。 国の数 だけで 止 を実現 して きたので あ る。」 とい う意見 が あ 世界 の趨勢 を云 々す るのは選挙 について著 しく 9 ) 。 この よ うな見解 は死刑 廃 止 論 者 の 中に る4 正義 に反す る違憲 の 1票 の価値 の格差 を当然視 かな り多 く,寡聞に して私 は廃止論者 で これに して論議す るに等 しい謬論で あ る46), 4 7 ) 0 批判 的な見解 に接 した こ とがない。 しか し, こ 《 私 の主 張 - そ の 5 政 治 的弾圧 を真 の理 由 とす る死刑 の禁止》 れは極 めて危険で倣慢 な考 え方で ある。 目的の ためには手段 を選 ばない論法 とい うはか ない。 もっとも,国連 ,EU や アムネステ ィ ・イ ン 死刑廃止論者 はこの点において人権尊重 を標梼 ターナシナル な どが死刑廃止 に熱心 な理 由の一 しなが ら,実 は大衆 を愚民 と決 めつ ける選民意 つ には,政治的弾圧 のために死刑 が乱用 されて 識 に囚われた ア ンチ民主主義者 に自分 が変貌 し きた ( い る) とい う過去 の歴史 的経験 お よび現 て しま って い る こ とに気 付 か ない の だ ろ う 状認識 に基づ く死刑 に対す る強い危倶 の念があ か5 0 ) 0 るので はないか と推測す る。私 もこれ を共有す る者で あ って,政治犯 ( かな り広義 に解すべ き で ある) の被告事件 におけ る死刑判決 を禁止す る方策 は絶対 に必要 で ある。 したが って,死刑 制度 を存置す る として もこの よ うな被告事件 に おける死刑判決 は例外的 に禁止 しなければな ら ない。通常 の殺人 -日然犯 の外見 を装 う事案 に おいて も被告人 の側 か ら広義 の政治犯 に属 す る 8 8条 等 で い う 旨の一 応 の立証 ( 民事訴訟法 1 「疎 明」 の程度) が あ る場合 には同様 で あ る。 さらに これは職権 で も可能 とすべ きで ある。私 は国際人権法 について門外漢 で あるが,国際人 権法 の問題 として も国際社会 において上記 の よ うな禁止 の合意 が速 やかに形成 され るこ とが望 ま しく, このほ うが一 国にお ける規範意識,港 注 4 0 ) 西原春夫 ら編著 『修復的司法 の総合的研究 刑罰 を超 え 新たな正義 を求 めて - 』( 2 0 0 6 ,風 4頁 ( 前原宏一)0 間書房)6 41) 経験科学的研究 に基づ き例 えば松原英世教授 は, 死刑 へ の支持 には犯罪 を減 ら したい とい う意識 が あ ま り関係 してい ない こ とが窺 われ,抑止的 な関 心 は厳罰化 に影響 を及 ぼ してい ない こ とが推測 さ れ る とい う。 同 「厳罰化 を求 めるものは何 か」『市 民参加 と法』法社会学 7 1号 ( 2 0 0 9 )1 5 1頁。ただ 4 )2 7頁 は被調査者 (有効票 し,伊藤 ・前掲 ( 注1 01) の対象人数 が少 ない欠点 が あ る と考 える 数3 旨指摘す る。 また,殺人罪 に よる無期懲役 の受刑者 が書いた 死刑肯定論 の著書 は 「 他者 の生命 は紙屑 の ように 捨 て,良心 の珂責 もない受刑者です が, 自分 の命 には敏感 に反応 します。捕 まる可能性 を考慮す る 者 は,死刑 を忌避す るこ とか ら,一定 の抑止力 は ある と言 えます。」 とい う ( 美達大和 『死刑絶対肯 神奈川ロージャーナル 第 4号 定論 無期懲役 囚 の主張 』( 2 010 ,新潮新書) 1 6 8 頁 )0 ( 注1 3と同一人 の著作) 4 2 ) これは私 の持論 だが,法律家 は少 しや ま しい と ころがあ った人 のほ うが適 してい る と思 う ( 前掲 ( 注4 )の座 談 会発 言 7頁)。実 は河 井 ・前掲 (注 2 1 )『日本 の殺人 』1 5 7頁 で 「そ もそ も,刑罰 のせ いで殺人 を犯 さない とい う計算 高い人 間観 自体 が 全 くの誤 りで,普通 の人間 は,死刑制度 どころか 刑 罰 が な くて も殺 人 は しない と私 は認識 してい る。」 とい う記述 を読んで少々驚いた。私 は どうも 河井氏か ら厳 し く批判 され る人 間観 の持 ち主 の よ うだか らで あ る。 しか し,人 間観 について誤 りか どうか を論 じてみて も無意味 だ ろ う。 それはその 人間の人生 の信条 の ような ものだか ら。 ちなみに, 私 は法律 家 とい う職業 を選 んだか らこそ何 とか こ れ まで善 良な一市民 としてや って こ られた,法律 は人生最大 ・最強 の ( 広義 にお け る)護 身術 だ と 実感 してい るのである。 4 3 ) 高橋 昌一 郎 『知 性 の 限界 不 可 測 性 ・不 確 実 性 ・不 可知性 』( 2 010,講談社現代新 書)2 4 4 2 4 6 頁。 4 4 ) 厳密 には抑止効果 とはやや異 な る問題 か も知 れ ないが,以下 の こ とも書 き添 えてお きたい。私 は 弱い卑小 な人 間で ある。せ っか くこの世 に生 を受 けた以上 は貴重 な生 を全 うしたい。 だか ら他人 に 穀 された くない。穀 された くないか ら他人 を殺 し てはな らない。素朴 にそ う信 じてい る。 そ して他 者 の暴力 に対す る自分 の生命 の保護 を国家権力 に 託 し,応分 の税金 を納 め国法 に遭 って暮 ら してい る。 これが私 だけでな く普通 の人間の姿 だ と思 う。 (ここで私 がい う普通 の人 間 の姿 と注 4 2にお け る 河井氏 が描 く普通 の人 間 との異 同について は読者 各位 の ご判 断 に委 ねたいO なあ これ に関連 して 末木文美士 『仏教 vs,倫理 』( 2 0 0 6 , ち くま新書) 2 4 4頁参照。) 人 を穀すが 自分 は穀 された くない, とい うのは身勝手 で危 険極 まる考 えで ある。死刑 廃止論 はそれ を教 唆 ・煽動 してい る よ うな もので はない のか。 この 「殺 された くない か ら,殺 しで はな らない」 とい うのは,論理 的 に詰 めてゆけば 刑法学者 の武 田直平教授 の死刑存置論 の社会契約 説的論拠 に連 な るだ ろ うが, もっ と素朴 な普通 の 人 間 の生へ の執着 ・願望 に発す る規範意識 の よ う に思 え る。武 田 「立法 にお け る死刑」 甲南 法学 1 巻 1号 ( 斎 藤 静 敬 『新 版 死 刑 再 考 論 第 二 版』 ( 1 9 9 9 ,成文堂) 2 3 3頁 に よる)参 照。 なお 中嶋 ・ 前掲 ( 注1 9 )『罪 と罰,だが償い は どこに ?』1 8 9 頁 も参照。 廃止論者 は 「殺 され るこ と ( へ の恐怖)」す なわ ち死 の問題 を抽象的 な死一般 として捉 えてい るだ けで,具 体 的 な 「有 史 以 来 起 こ った こ との ない 『私 の死 』」 ( 河井隼雄 「現代 と神話 二一世紀 の生 と死 を探 る」『 「日本人」 とい う病 』( 1 9 9 9 ,潮 出版 社) 2 1 3頁) とい うシ リアスな問題 と して考 えて い ない のだ と思 う。 (同書 2 1 5頁 にい う。「 『死』 と は何 か。 これ はい ろい ろな本 に書い て あるで しょ う。 しか し,『私 の死』 については, これは何 とも 言 えない。 とくに科学的 な こ とをや りたい人 に と っては,実験 で きない だけに何 とも言 えない ので す。」) 廃止論 について圃藤氏 は 「これは もう直観的に, 死刑 とい うものが許 されない とい うべ きなんです。 55 これ は最後 は論理 じゃないですね。『死刑廃止』, 『汝,殺す なかれ』 は もう絶対的な命題」だ とい う けれ ど ( 圃藤 ・前 掲 ( 注2 2 )『反 骨 の コツ』1 1 1 頁), これに対す る同様 に断定的な存置論 が 「穀 さ れた くないか ら殺 してはな らない」 とい う立場 か らもで きるだ ろ う。 も う少 し, この冗長 な注記 に関連す る記述 を続 け させ てい ただ きたい。河井 ・前 掲 ( 注 21 )『日 本 の殺人』 に よれば,わが国におけ る殺人率 は著 しく低い こ とが分 か る ( 1 5 1 6頁 な ど)。 しか し, それがわれわれの殺人 ( 者) に対す る恐怖 の軽減 に必ず しも寄与 しない のは,い わば三人称 の死 は 「私 の死」 とい う一人称 の死 に直接的に連動 しない か らで ある。例 えば 「ヤ クザの場合,脅す のが本 分で あ り本当に殺す こ とは少 な」 く,「ヤクザに よ る殺 人 既 遂事件 は年 間数十 件 もない と予 想 され る。」 との こ とで あ る ( 同書 1 0 0頁)。 しか し, ヤ クザに よる脅迫 ビジネスが成立 ・繁栄す るのは, 彼 らが確率 は低 いにせ よ究極的 には殺人 を行 う現 実 的 可能 性 を保 持 してい るか らで あ る。つ ま り 「私 の死」の決定権 を握 ってい る (と思わせ る)か らである。 (もっとも,脅迫の対象 としては二人称 の死 - 家族 ・恋人等 - も含 まれ るこ とが多い だ ろ う。 ) しば しば指摘 され る指数治安 と体感治 安 との差異 もこの辺 に一つ の理 由が あるのだ と恩 フo ( 余談 だが,「私 の死」 とい う言葉 がつ とに作家 高見順 の 日記 に見 えるこ とを知 った。彼 は 「死 の 淵」での あ えぎの 中で こ う書 く。「昭和 4 0年 5月 3 0日 死 は私 の死で ある。死 は私 に とって一般的 な事柄ではない---。 (中略)私の死 はこの私 の死 なのだ。私 だけの死 なのだ。 だれの死 で もない。 だれ それの死, ひ との死,一般的 な死 な ど, どう で もいい,問題 は この私 自身 の死 , 」( 傍 点原 文) ( 厳谷大四 「 『近代文学館』 の設立 と高見順」『懐か しき文士 た ち 戦後編 』( 1 9 8 5 ,文春文庫) 1 7 3頁 に よる。) 4 5 ) 伊藤滋夫 ・前掲 (注 1 4 )2 4頁 に よる。 4 6 ) 「今 日の国連 の百何十票 とい うのは非常 に滑稽 な 百何十票であることは疑い もない。」 とい う鈴木治 雄編 『現代 「文明」 の研究 普遍的価値 の幹 を求 めて』( 1 9 9 9 ,朝 日ソノラマ) における桜井修氏 の 2 0 5頁)参照。 発言 ( 4 7 ) EU諸 国 な どその大部分 は人 口規模 でい えば小 国 に属 す る。EU諸 国の死刑廃 止 は本物 で ない と す る河井氏 は,「アムネステ ィな どが発す る日本が 欧米諸 国 よ りも遅 れた国であ るこ とを前提 に して い るかの よ うな発言 に,私 は,強 い エス ノセ ン ト リズムを感 じて しま う。」 と批判 してい る ( 河井 ・ 前掲 ( 注2 1 )『日本 の殺人』2 2 7頁)0 4 8 ) 本文 との関係 で片倉 もとこ教授 の 「現在,文 明 や文化 につい ては様 々な定義 が存在 す るが,私 は 文化 とは, ローカルな価値 を持つ もので あ る と考 えてお り,文 明 は開かれた価値 を持つ もので あ る と捉 えてい る。」 とい う指摘 が と くに重要 で あ る (同 「 『文明 の衝突』 に対す る視 点」前掲 ( 注4 6 ) 『現代文明の研究 』2 0 7 2 0 8頁)。 4 9 ) 伊藤滋 夫 ・前掲 (注 1 4 )2 2頁注 2 0掲記 の横 山 実論文。 5 0 ) 「死刑 に対す る世論 は,死刑制度 について何 らか の意識 ある階層 の意見 が尊重 され るべ きだ」 とす 56 法科大学院教育 と死刑存廃論 る意見 も同断であろ う。論者はその ような階層 の 意見 として刑法 ・意法学者,弁護士,国会議 員の 4 )2 2 それを援用 してい る ( 伊藤滋夫 ・前掲 ( 注1 頁注 2 0掲記 の菊 田幸一著)。 また,死刑 に関す る 世論 を批判 し,「 質の民主主義」 とそれを担 う専門 家の果たすべ き役割 に大 きく期待す る意見 もこの 範噂に属 しよう ( 同注摘記の内田論文)0 しか し私は,少な くとも死刑 の存廃 その他一般 市民の生活 に密接 に関係す る立法問題 ( 夫婦別姓 や離婚原因の拡大な ど)については専門家,有識 者 と一般市民の意見 とは等 しく尊重 されるべ きだ と思 う。率直にい って一部の廃止論者 の論調 には 往々鼻持 ちならないエ リー ト意識 を感ず ることが ある。信念は人 を盲 目にす る。た しかに内閣や政 党の支持率が容易 に変化す る浮動的な ものである ことは事実だが,それ と死刑存廃 に関す る国民世 論 の傾 向 とを同 日に談ず ることはで きない。後者 はかな り長期ににわた る恒常的な傾 向なのである 3頁参照)。廃止論者は伊藤氏 ( 伊藤滋夫 ・同論文 2 が戒 め る 「悪 しきエ 7 )- ト主義」( 同論文 7頁注 6) の陥葬に陥 ってい るとしか私には思 えない。 この点に関連 して, ダグラス ・ラミス氏の以下 の言葉が参照に値す る。「みんなで どのような共同 生活 を選ぶか, とい う議論 を 『政治』 と呼ぶ。(中 略)/ どれを選ぶかを考 えるとき,専門家の知識が 参考になる場合 もあるが,最終的にその選択 の結 果 を生かす人 び とが決 める しかない。/そ うい う 意味では民主主義」は 「 誰が より頭がいいか, と い うことではな く,民衆が政治的選択の結果 を担 うので,その選択 に参加す る権利がある, とい う 同 ・前掲 ( 注2 1 )『憲法 は,政 考 え方 であ る。」( 』1 1 7 -1 1 8頁)0 府に対す る命令である。 なあ 「私が社会科学 を研究 しているのは,気の 刺 (き)いた 『意見』 を言 うためではあ りません。 学問 とは本来,それぞれの人が 自分の意見 を持つ ための 「材料」,言 ( い)い換 ( か) えれば議論の 前提 となるものを提供す るためにあるのです.そ 」( 小室直樹 『日本人のため れが学問の使命です。 2 0 0 6 ,集英社 インターナショナル) の憲法原論』( 1 5頁) とい う言葉は,上記 の ような廃止論者 に対 す る頂門の一針になろう。 さ れ る か らで あ る53)。 そ して だ か ら こ そ こ の 危 険 性 は看 過 して は な らない 。 わ れ わ れ は三 審 制 と再 審 に よ る慎 重 な死 刑 と全 くの裁 判 な しの 死 刑 (の即 時 執 行 ) のい ず れ を選 ぶ か の 岐 路 に 立 た され て い る とい う表 現 は決 して オ ーバ ーで は な い の で あ る54). た とい 殺 害 行 為 を行 う捜 査 官 憲 個 人 に正 当 な 合 法 的 理 由 が存 す る場 合 に もそ れ は 国 の死 刑 廃 止 と矛 盾 す る行 為 で あ る。 この点 を死 刑 存 置 論 の決 定 的 な論 拠 と して 主 張 す るの は犯 罪 学 者 の 坂 田仁 博 士 で あ る。 氏 に よれ ば ,「警 察 官 の 武 器 (ビス tJ レそ の他 の銃 器 ) 使 用 の根 拠 は死 刑 制 度 に あ る」 。「どの よ うな残 虐 な方 法 で 人 を殺 害 して も裁 判 で は絶 対 に死 刑 に処 す る こ とが で きない の に, 警 察 官 は そ の職 務 の執 行 と して銃 器 に よ る犯 人 の殺 害 が認 め られ る」 とい うの は 矛 盾 で あ る。 「警 察 官 の銃 器 の使 用 は 国 の定 め た厳 密 な使 用 要 領 に基 づ く」 の で あ るか ら, こ れ は 「警 察 官 個 人 で は な く国 が 犯 人 に対 して 発 砲 して い る こ とを示 して い るの で あ って , 死 刑 を一 方 で廃 止 して い な が ら, 他 方 で は 司 法 手 続 を経 る こ とな く-- ・ 行 政 的 裁 量 で 犯 人 を殺 害 す る ( 事 実 上 死 刑 を執 行 す る) こ とを認 め る とい う矛 盾 した状 況 が 生 ず る こ とを意 味 す る55)。」 坂 田氏 の議 論 はす こぶ る説 得 的 で あ る。 そ し て死 刑 廃 止 論 が無 意 識 的 にせ よ司 法 軽 視 に強 く 傾 斜 す る立 場 で あ る こ とを鋭 く暴 露 して い る と い え よ う56) - 8 死 刑 よ りも 「 裁判 な しの死 刑 の即 時執行 」 を選 も っ と も, 氏 は こ の 点 に つ い て 明 言 して い ない け れ ど。 ぶのか 以 下 に述 べ る とこ ろ は, 廃 止 論 の批 判 自体 と い う よ り も存 置 論 擁 護 の論 拠 の補 強 (を通 じて の廃 止 論 の批 判 ) な の で , 節 を改 め る。 死 刑 が廃 止 され た場 合 , 捜 査 官 憲 が被 疑 者 の 逮 捕 , 犯 行 抑 圧 の際 に そ れ に薄 口 して被 疑 者 を 殺 害 して しま う危 険 性 が増 大 す る こ とは見 易 い 道 理 で あ る。 事 実 そ の よ うに疑 わ れ る事 例 は死 刑 廃 止 国 に お い て 枚 挙 に蓮 が な い 51 ), 52)。 あ え て 「疑 わ れ る」 と書 い た の は こ との性 質 上 これ を実 証 す るの が極 め て 困難 な場 合 も多 い と推 測 注 51) 佐々木知子弁護士 ( 元検事,前参議院議員)は警 s umma r ye xe c ut i o n) 」 察官による「簡易死刑執行 ( とい う。ht t p: / / www. s a s a ki l a w. c o m/ me mbe r o f / c o nc e r n7. ht m 5 2 ) 河井 ・前掲 ( 注2 1 )『日本 の殺人』は, 自称死 刑廃止国例 えば フランスにおいて,逮捕時に犯人 が警察官に よって多数射殺 されてい ることを指摘 2 2 7頁)。なお後藤 田氏 ( 元警察庁長官)は, する ( 日本の警察は逮捕第一で射殺 しないが,外国の警 察 は射殺 す る, と述べ てい る ( 御 厨 ・前掲 ( 注 2 4 )『後藤田正治 と矢 口浩一の統率力』3 5頁)。死 刑制度 の廃止は, この 日本 の警察の良 き伝統 を変 神奈川ロージャーナル 第 4号 えて しま うか も知れないので ある。 5 3 ) 死刑存置論者 の重松一義教授 は擬似仮称 として 「捜査上 の死刑」 とよび,国の殺 し屋 ( 秘密機 関) に よる暗殺 な どもこの範暗 に入 れ る ( 重松 ・前掲 ( 注 8)『死 刑 制 度 必 要 論 』2 8頁)。 同頁 の 「殺 し 屋」 とい う表現 には限定 がない けれ ど,文脈 か ら 上記 の よ うに解すべ きだ ろ う。表 で死刑 を廃止 な が ら,裏 で この よ うな行為 を容認す るのは論外 な ので,本文で はわが国で通常想定 され うる危供 に つい てのみ言及 した。 しか し外 国 にその よ うな事 例が少 な くない こ とは周知 の事実 に属す る。 5 4 ) 河井 ・前掲 (注 2 1 )『日本 の殺人』2 2 8 2 2 9頁参 照。 5 5 ) 同 「死 刑 雑 感 」『罪 と罰 』2 9巻 4号 ( 1 9 9 2 )6 2 頁以下。引用 は 6 4頁。 5 6 ) 拙稿 ・前掲 (注 21)参照。 9 おわ りに 57 の行使 としての戦争 は,憲法 9条 の よ うな戦争放 棄規定 (その解釈 は多岐 にわた るが) の有無 に関 わ りな く存続す る とい うべ きで あ ろ う- 現実 に それ を他 の戦争 と区別 す るこ とはほ とん ど不可能 だ として も。 (この ような考 え方 に対 しては批判 が あ りうる (ラ ミス ・前 掲 ( 注2 1 )『憲法 は,政府 に対 す る命令 で あ る。 』8 2 8 3頁 な ど)。今 この間 題 につい ては深入 りしない が, さしあた り以下 の 西原春夫博士 の見解 を参照。「私 は刑法研究者 だか ら,個人 に正 当防衛権 が あるの と同様 に,国に も 正 当防衛権 が ある と考 えてい る。 それに伴い 自衛 のた め の最低 限 の戦 力 は必要 と考 え ざる を得 な い。 」 (同 『日本 の進路 ア ジアの将 来 - 「未来 か らの シナ リオ」 』( 2 0 0 6 ,講 談 社) 1 7 5頁 )0) こ の個人 の正 当防衛権 と国家 の 自衛権 との関係 は, 弱者 の強者 に対す る復讐 -応報的正義 の実現 を死 刑制度 に よって国家が代行す るの と似 てい る面 が ある とい え よ う。 なお,憲法学 におけ る 9条 の解 釈論 の展 開 につい て は佐藤 ・前掲 ( 注2 2 )『日本 国憲法論 』9 2頁以下参照。 以上,死刑 が存置 され るべ きこ と,ただ し死 刑 は回復不能 な刑罰 で あるか ら絶対 に菟罪が あ ってはな らず, その防止 は再審 の無条件的許容 とそれに伴 う執行停止 に よって可能で あるこ と 補論 死刑存廃論 の要件事実論的考察 1 はじめに- 前提的な問題 な どを明 らかに したつ も りで ある。戦争 の廃絶 最近,死刑存廃論 を要件事実論 の立場か ら考 が極 めて困難 でおそ ら く永遠 の課題 ( 全面的な 察す るユニ ークな論考 が,要件事実論 の主唱者 核戦争 は人類 の 自滅 を意味す るか らもはや不可 で あ る伊藤滋夫教授 に よって発表 された1 ) 。以 能 にせ よ)で あ るように死刑 の廃止 もそ うだ ろ 下 では この論考 に対す る批判的考察 を行 う。 う。人命 の殺傷 を当然視す る戦争が存在 し,人 私 は,死刑制度 の存廃 を考 えるための前提 と を殺す明確 な意思 ・意欲 に よる殺人 が存在す る して,「人 間 の尊厳 の尊重」 を根源 的価値判 断 に もかかわ らず ( 戦争 と殺人 こそ人 間の原罪 な とす る伊藤説 に同意 す る。 また,「根源 的価値 のか も知 れ ない),刑罰 として の死刑 だけ を廃 判断か ら従属的 ( 具体 的)価値判断 を導 出す る 止 す る とい うの は ど う考 えて もおか し くない こ と」 に も異存がない。 しか し, その導 出は良 か57)。戦 争 に よる国家 の殺 人 を肯 定 す る現在 識 あ る人 々の合理的判断 に よる として同論文 7 の死刑廃止 国は,真 の意味での死刑廃止 国の名 頁で述べ られ る論述 については賛 同で きない。 に催 しない とい うべ きで ある。本稿 が死刑存廃 す なわち氏 は,地球環境 に関す る 「保全 の方策 の論議 を深 めるためにい ささか な りとも寄与 し を考 えるための地球環境 の現状及 びその改善 の うるこ とを願いつつ稿 を閉 じる。 ための方策 については」「専門家 の合理的判断」 た とえそれが圧 が必要 で,「単 に多 くの人 々 ( 注 5 7) 廃止論者 の側 か らは, この地上 か ら戦争 を廃絶 す るこ との極度 の困難 さにかんがみ,死刑廃止 は 戦争 を含 む国家権力 に よる殺人 を廃絶す るための 第 1歩 なのだ とい う主張 が提起 され る可能性 が あ りうる。私 自身 は この よ うな優先順位 の決定 に同 意で きない けれ ども,せ めて こ うい う声 を全 ての 廃止論者 か ら聞 きたい と思 う。 ちなみに,個人 の 自然権, コナ トゥスで ある正 当防衛 の権利 の総和 を成 す国家 の 自衛権 ( 集 団的 自衛権 を含 まない) 倒 的多数 の人々で あろ うとも)が この よ うに考 える とい うこ とだけで決 めるこ とはで きない。」 とい う。 しか し,少 な くとも保全 のための方策 については国家財政 その他 の多種 多様 な面か ら の考量 が必要 とな る し,専門家 (その分野 の限 定 も必要) の意見 とい えども容易 に合致 しない 場合が多いだ ろ う。結局 は専門家 の多数 または 一部 の意見 を参考 に しつつ民意 を代表す るはず 5 8 法科大学院教育 と死刑存廃論 とい うもの を相手 にす る限 りは,単 な る科学的合 理主義 では うま くいか ない」 とい う臨床心理学者 の河合 隼 雄 氏 の言葉 も書 き添 えて お きたい ( 同 「現代 と神話 21世紀 の生 と死 を探 る」『「日本人」 1 9 9 9 ,潮 出版 社) 21 3頁)。本論 注 4 4 とい う病 』( におけ る同書か らの引用 も参 照。死刑存廃論 は結 局人間その ものに深 く関わる問題 なのである。 の政府 の意思決定 で決 め ざるを得 ない こ とにな ろ う。現状認識 についてす ら専 門家 の間で意見 の一致 をみ るのが難 しい場合 が少 な くあるまい。 C02等 の排 出量規制 問題 や今 回の東 日本大震 災 に よる福 島第一原発事故 な どの例 にかんがみ, 専 門家 の合理的判断 なる ものが現実 には容易 に 調達 しがたい こ とを認 め ざるを得 まい 2)。 ま し て伊藤氏が上記 の論理 をその まま死刑廃止 とい 2 自然 法 秩序 にお ける要 件 事 実 論 ? 氏 の論考 は,「特定 の実定法秩序 をはなれて, う問題 に まで援用す るこ とについてはい ささか お よそ人間社会 におけるあ り方 として,死刑制 強 引な感 じを否定 しえず,廃止論者 の伊藤氏 は 度 の当否 を考 え よ うとす る もので あ る」4) ,「現 死刑存置 とい う国民 の多数意見 を否定す るため 行 の 日本 国憲法や刑法 な どの実定法秩序 を前提 に結論 の先取 りの誤謬 を犯 してい るので はない とした ものではな く,一種 の仮想 の自然法秩序 か とす ら疑 われ る。 ここでの氏 の議論 について を前提 とした もの」5)だ とい う。 しか し要件事 行 くこ とがで きない ゆ えんで ある3 ) 0 実論 とい うのは特定 の実定法秩序 とくに 日本 の それ にお け る主 張 ・証 明 ( 伊 藤 氏 の用語 で は ) の理論 として提唱 されてい るものであ 「立証 」 注 る。 日本法 を離 れ る どころか一種 の仮想 の自然 1 ) 法秩序 に まで要件事実論的思考 を妥 当 させ よ う 伊藤滋夫 「要件事 実論 の汎用性 を示す要件事実 論 と基礎法学 との協働 に関す る一考察 - 死刑制 度 の存廃 について の検討試論 - 」伊藤滋夫編著 『要件 事 実論 と基 礎 法 学 』( 2 01 0, 日本 評 論 社) 1 頁以下。 (この論考 についてはすでに本論 の注記 で しば しば引用 してい る。) この論考 は死刑存廃論 を扱 う刑事法学者 や犯罪 学者 な どに とって要件事 実論 とい う不慣 れ な民事 法 のテ ーマに関わ る ものなので,無視 ・黙殺 され て しま う恐 れが あ りうる。 自分 の専門領域 に対す る他 の分野 の研究者 か らの発言 は, あたか もその 私有地 に対す る無断侵入 の ご と くみな して無視 ・ 黙殺 して しま うこ とが タコ壷的 な 日本 の学問風土 で はあ りが ちだか らで る。私 は以下 に述べ る とお り伊藤氏 の所説 には反対 で あ るけれ ども,氏 の実 勢 な知 的営為 に対 してはそれ にふ さわ しい敬意 を 表すべ だ と考 える。 そん な思い もこの補論執筆 の 背景 にある。 2 ) 例 えば福 島第一原発事故 について,副島隆彦 2 011 , 武田邦彦 『原発事故,放射能, ケ ンカ対談』( 幻冬舎) における武田発言 を参照。 3 ) 本節 の引用文 はいず れ も同書 7頁。 なお,以下 の ダグラス ・ラ ミス氏 の言葉 は 「政治 に関す る知 識」 を 「 死刑存廃論」 と言い換 えて も基本 的 に妥 当す る と思 う。「政治 に関す る知識 は,数学や 自然 科学 の知識 の よ うに確実 にはな らない-・ -。 そ し て, それ は政治学 が進んでい ないか らなのではな い。政治 におけ る知識 は 自然科学 の知識 と質的 に 違 うか らで あ る。科学的 な方法論 を利用すればそ うでな くな る とい う問題 ではな く, これは 『政治』 の本質 と関係 す る問題 で あ る。 」「それは事実 を知 る こ とと行動 方針 を選 ぶ こ ととの違 い で あ る。」 ( 同 『憲法 は,政府 に対す る命令 である。 』( 20 0 6, 平凡社) 1 1 5 -11 6頁)0 さらにここに,「人間 とい うもの を研究 し,人間 とす るのは無理ではあるまいか。氏 は要件事実 論 を自然法則や論理則 の よ うな もの として理解 されてい るのだ ろ うか。論文 の表題 に 「要件事 実論 の汎用性」 とい う表現があ るのは この こ と を示 してい るのか も知れない。私 はすでに この 出発点 において伊藤説 について行 けそ うもない のであ るが, ともか く氏 の論理 を辿 ってみ るこ とに しよう。 ちなみに,私 は広義 におけ る 「要 件事 実 的思考」 ( 要件事実論 的思考 で はない こ とに要注意 !) はおそ ら く時代 と場所 を超 えて 法律家 の仕事 とくに裁判 において大切 だ と考 え るが6), この こ とは もち ろん伊 藤 要 件 事 実論 ( 的思考) の一般的妥 当性 を意味す るわけで は ない。例 えば,私 がい ささか詳 しく知 ってい る スウ ェーデ ン法 においては 日本 とは全 く異 な る 主張 ・証 明責任論 が行 われてい る7)。 日本法 の 主張 ・証明責任論 として も氏 の要件事実論 ( 裁 判規範 としての民法説) が通説でない こ とは氏 自身が認 める ところである8)0 神奈川ロージャーナル 第 4号 注 4 ) 伊藤 ・前掲 ( 注1 )7頁。 5 ) 伊藤 ・前掲 ( 注1 )1 4頁。 6 ) スウェーデ ンにおける主張 ・証明責任論の法 理の開拓者 とい うべ きK.オ リーグェクル ーナ ( 01 i v e c r o na )は,以下のようにい う。判決の基礎 となるべ き法律事実 として私法上関連を有する事 実は,潜在的にはほ とん ど無限である。 しか し当 事者はそれを基礎的要件,拡大的要件,反対事実 の順に主張 ・証明 して行けば足 りる。これを継続 的関連性の原則 ( 主張)および継続的証明の原則 と称する。この二つの原則は神託裁判のような原 始的司法でない限 り,全ての裁判運営において必 要であり,あらゆる時代の良き法律家は実質的に この原則 を通用 してきたのである, と。拙著 『 訴 訟における主張 ・証明の法理』( 2 002,信山社) 1 6 1 7頁。ちなみに,彼は日本では法哲学者 とし て知 られているが,定年 までル ンド大学の訴訟法 担当教授であった。 7) スウェーデンの主張 ・証明責任論については拙 著 ・前掲 ( 注 6)第 3 ( 1 2 7頁以下)およびとくに その最近の状況については,ベーター ・ヴェス ト べ リィ,拙訳 「 処分主義的民事訴訟における訴訟 戦術 と証明責任」判例 タイムズ 11 7 0号 ( 2 005)5 8 頁以下参照。 8 ) 伊藤 ・前掲 ( 注1 )2頁注 2 。 59 責任 は実定法 が死刑制度 を採 用 してい る以上 , それ を否 定 す る者 す なわち原 告 の側 に あ る と考 え るべ きで あ る。 した が って ,Ⅹ の請 求 は主 張 自体 失 当 として棄却 され る こ とにな る。伊藤 氏 の 自然 法秩序 におい て はそ もそ も実定 法 が存 在 しない とい われ るか も知 れ ない が,死刑 が行 われかつ これ を理 由 とす る損 害賠償請 求 が な さ れた とい うこ とは,死刑 も不 法行為 に よる損害 賠償 請 求 も制度 的 に承認 されてい るこ とを意味 す るわ けだか ら同様 に考 えるべ きで あ る。死刑 制度 が存在 しない 国 におい て これ を創設 す る場 合 に は,「人 間 の尊 厳 の尊 重 」 を根 源 的価 値 判 断 とす る立場 か ら主張 ・証 明責任 を死刑創 設 の 主張 をす る側 に課 す る こ とも考 え られ よ うが9), それ と本件 の損 害賠償 請 求 の場合 とを同一視 す る こ とはで きまい。伊藤説 に したが えば, 多 く の実定 法規 につい て これ を援用 す る側 はその立 法理 由 を主張 ・証 明す る責任 を負 うこ とにな り かねず,収拾 のつ か ない混 乱 が生 ず るだ ろ う。 上記 の主張 ・証 明責任 の分配 に関す る私見 に 3 死刑の 「国家が人の生命 を奪 うこと」 と 「それ よれ ば, か りに二分 説 に したが った場合 で も, は刑罰権の行使 と して行われるもの」への二分 国 が A の生命 の剥 奪 は死 刑 の執 行 とい う刑 罰 - 死刑の ( 非)正当性 ・( 不)合理性に関する 権 の行使 として な された もので あ る旨の抗弁 を 主張 ・証明責任の所在 提 出 す れ ば ,Ⅹ は再 抗 弁 と して 死 刑 の執 行 が 氏 は,死 刑 とは 「国 家 が 人 の 生 命 を奪 うこ 法 的 に無効 な もので あ るこ と, す なわ ち死刑制 と」 と 「それ は刑 罰権 の行使 として行 われ る も 度 の非正 当性 ,不 合理性 に関す る主張 ・証 明 を の」 とい う二 つ に分 けて考察 すべ きだ とし,前 しな け れ ば な らない か ら,Ⅹ の請 求 は再 抗 弁 者 が原則 ,後 者 が例 外 の関係 に立 つ とす る。 そ の段 階 で理 由が ない もの と して棄却 され るこ と こか ら,死 刑 を執 行 され た者 A の子 -唯一 の にな る。 国 に とって この抗弁 の提 出 は一挙手 一 相 続 人 Ⅹ が提 起 す る不 法 行 為 に よる 1億 円 の 投 足 の労 で足 りるの で,事 態 は Ⅹ の請 求 が主 損害賠償 請 求訴訟 の請 求原 因 と して は国家 が死 張 自体 失 当 と して棄却 され る場 合 とほ とん ど変 刑 を執 行 した こ とのみ を主張 す れ ば足 り,後者 わ りが ない。 す なわち刑 罰権 の行使 の妥 当性 は抗 弁等 として 被 告 -国 Y が主 張 ・証 明責 任 を負 う とい う論 理 が導 かれ る。 注 しか し,死刑 を上記 の よ うに二 つ に分 けて み 9 ) 伊藤氏が引用する圃藤博士の死刑制度に関する る こ とは可能 で あ るに して も,法 制度 として の 挙証責任論 ( 存置論の側にあるとする)も 「 死刑 制度 を創設するのには・ -・ -」 と述べているので, 創設の場合に関す る立論 と読める ( 伊藤 ・前掲 ( 注1 )1 0頁注 7,圏藤重光 『 死刑廃止論 第六 版 』( 2 00,有斐閣)1 5 3頁) 。そ うでなければ不 通切な議論 とい うべ きである。 死刑 は両者 が不 可分一体 の もの と して成 り立 っ てい るので はない か。 また,死刑制度 の正 当性 , 合理 性 (を否定 す る こ と) に関す る主張 ・証 明 60 法科大学院教育 と死刑存廃論 4 死刑を執行された者の遺族の国に対する損害賠 る損害賠償 請求 は Zか ら Xに対 す る損害賠償 償請求の行方- 相殺の抗弁など 請 求 を誘 発 し,Ⅹ の請 求 の認 容,棄 却 に関 わ 死 刑 制 度 の非正 当性,不 合 理 性 に関す る主 りな くⅩは訴 えに よる経済的 目的 を達す るこ と 張 ・証明責任 が原告 にある とい う立場か らは, はで きない とい う結果 に終 わ るはずである。 伊藤氏 の抗弁 ・再抗弁等 に関す る分析 について い ず れ に して も,Ⅹ の国 に対 す る損 害賠 償 0 0歩 とくに論 ず る必要 はない わけで あ るが, 1 請求 はその経済的 目的 を達す るこ とはで きない を譲 ってその存在 の主張 ・証明責任 が被告 -国 わけであ って,多大 の時間 と費用 とェネノ レギ ー にある として も,私見 に よれば この請求 は否定 を使 ってなん ら自己に経済的利益 をもた らさな され,棄却 されて しま う結果 になる。 その理 由 い こ とを行 う愚か者 はい ない だ ろ うか ら, この は次 の とお りで ある。 損害賠償請求 の事例 の想定 は無意味ではあるま 被 害者 -死者 は A に対 して殺人 とい う不 法 いか。 行為 に よる損害賠償請求権 を有 し, その金額 は 人の 少 な くとも 1億 円を下 らない はずである ( 注 生命 は等 し く尊重 され るべ きで あ るか ら)。 し た が って,A の唯一 の相 続 人 の原 告 Ⅹ は,被 1 0 ) 中嶋博行 『罪 と罰 , だ が償 い は どこに ?』( 2 0 0 4, 新潮社) 1 9 0 1 9 1頁な ど参照。 害者 の子 ( Z とす る) に対 して この損害賠償債 務 を負 う。国が Ⅹ に代 わ って Zに この債 務 を 6 要件事実論的考察の妥当範囲 弁済 す れ ば,国 は代位 弁 済者 と して Zが Ⅹ に もっとも伊藤氏 の主眼 とす る ところは,本件 対 して有す る損害賠償請求権 を取得す る。 国は の請 求 の認 容 ひい て Ⅹ の経 済 的利 益 の確保 と この反 対債権 を も って Ⅹ の本訴請 求債権 と対 い うこ とよ りも,要件事実論 の適用 に よ り神 々 当額 で相殺す る旨の相殺 の抗弁 を提 出で きるわ の争いの観 を呈 してい る死刑存廃 の議論 の生産 けで ある。 的 な整 理 を行 うこ とに あ るの だ と考 え られ 相殺 の 自動債権 の成否 については消滅時効, る1 1 ) 。 そ うす る と,問題 は要件 事 実論 的考 察 除斥期 間の問題 もあるが,一種 の自然法秩序 の の妥 当範 囲いかん とい うこ とにな る。 ( 実 は設 もとでの議論 としては この間題 に まで言及す る 例 の検討 に入 る前 にまず この間題 を取 り上 げ る 必要 はあ るまい ( 第三者 の弁済,弁済 に よる代 べ きだ ったか も知れないが,叙述 の便宜上最後 位 の効果,相殺 の要件 ・効果 については民法 と に残 しておいた。) 同様 の制度 の存在 を想定 してい るが)。 それ に 要件事実論 は本来民事訴訟 における主張 ・証 この結論 は国に よる被害者 ( 遺族) の救済 を促 明責任 の分配 に関す る理論 で ある。 とりわけ伊 進 し,かつ その支払原 資の負担 を加害者 の側 に 藤氏 のそれは 「裁判規範 としての民法説」 と自 も帰 しうる とい うメ リッ トがあ る。 そ もそ も, 身で命名 されてい るように, 日本民法 を基本 と 仮 に Ⅹ の請 求 が認 容 され,Ⅹ が 国か らそ の支 して構成 されてい る。 それが現行実定法規 の大 払 い を受 けた とす れ ば,Ⅹ は これ を被 害者 の 半 を占める行政法規等 にその まま妥 当す るか香 Zか らの Ⅹ 霊 前 に捧 げ るべ き筋 合 い で あ る ( か疑問であ る。 また,民法典 その他 の民商法 関 に対 す る損害賠償請 求 を待 つ まで もな く)。 そ 係 の法規 な どを除いては立法準備作業 の担当者 れ が普 通 の人 間 の なすべ き行為 だ ろ う10)。殺 が要件事実論 に関す る十分 な素養 を有 してい る 人犯 の遺族 が死刑判決 の執行 に よって 巨額 の利 とは思 えず,立法準備作業 の最終段階 を受 け持 得 を し,他方被害者 の遺族 は困窮 す る とい うよ つ内閣法制局 の参事官等 の職 員 もご く少数 の法 うな構 図は とうてい普通 の人間が納得 しうるも 曹有資格者以外 については同様 の こ とがい え よ ので は ない と確 信 す る。 なお,Ⅹ の国 に対 す ヽ つo 61 神奈川ロージャーナル 第 4号 死刑存廃 とい うのは複雑 で多面 的 な考量 が必 要 な立法 ( 政策)論 に属 す る問題 で あ る。 そ こ も少 な くないか も知 れぬが, その点 につい て は ご寛恕 を乞 うはか ない。 で の議論 の整理 に要件事 実論 が どれ ほ ど有効 か 甚 だ疑 問で あ る。 そ もそ も何 を もって原則 とし, 後記 本稿 はわが傘寿 の記念 を兼 ねて行 った 何 を例外 とす るか は しば しば大 きな対立 を招 く 4回 目の ピー ス ボ ー ト地 球 一 周 の船 旅 ( 第7 3 価値判 断 の問題 で あ って,妥協 的立法 も要求 さ 回,2 0 1 1年 4月 2 4日- 7月 1 2日) のオセア れ よ う。要件事実論 の出番 は民商法 関係以外 の ニ ック号船上 で書 かれた - 帰 国後 に若干 の修 立法論 の場 で は極 めて限定 された ものにな ろ う。 正 と注記 の補充 を した以外 は。 あい に く船旅 中 風 邪 を こ じらせ て しまい ,3 8度 5分 を超 え る 高熱 が出て頭 の割 れ る ような激 しい頭痛 に悩 ま 注 され,体調 が完全 に回復す るまで に 1月以上 を ll ) 伊藤 ・前掲 ( 注1 )8 9頁参照。表題 の 「要件事 実論 の汎用性 --・ 」 とい う表現 自体 が この こ とを 示唆す る。 よ り具体 的 には,死刑 の問題 に関す る 「議 論 の展 開 を,要件 事 実論 を踏 まえて明確 にす る」 こ と,「議論 の明確化 とは どの意見 とどの意見 が ど うい うよ うな対応 関係 にあ るのか, どの よ う な意見 が どち らの側 が積極的 にその正 当性 を立証 す るべ き性質 (ち ?) の もので あ るか,争い の あ る点 が事実問題 か評価 問題 か な どとい った こ とが 明確 にな る とい うこ とで あ る。 それに よって議論 のいたず らな混乱,行 き違い を避 け るこ とがで き 」( 同論文 1 5頁) と述べてい る。 る と考 える。 なあ 以下 の論述 については注 3を参照。 要 した。 これほ どのひ どい風邪 は生 まれて初 め て の体験 で あ る。 そん な中で少 しずつ這 うよ う に仕事 を進 めて何 とか本稿 をま とめ るこ とがで きた。外界 の情報 か ら遮 断 された船上 は貧 しい 思 索 の た め に もこ よな き場 所 で あ った と思 う ( 私 は船 内で は イ ンターネ ッ トも携 帯 電話 も使 用 しない)0 2 01 1年 7月 2 0日 前号 ( 3号)49頁 補記の追加 6 結語 「司法 制 度 改 革 と 日弁 連 新 会 長」 萩 原 金 美 以上 のほか,死刑 の抑止効果, 国内世論 の問 題 ( 国際世論 との比較) お よび誤判 ( 菟罪) の 4 3 4 9頁 中 4 9頁 の補 記 に以 下 の文 章 を追 加 致 します。 可能性 につい て伊藤氏 の述べ る ところに対す る 批判 は,すで に本論 におい て行 ってい るので こ の補論 で は言及 を省 略す る。 補記 その 2 校 正終 了後 に遅 れ ばせ なが ら 注 1の記 述 は正 し くない こ とを知 った。 昨 日 かねて私 は,伊藤氏 が精力 的かつ野心的 に要 ( 2 01 0年 9月 2 2日),久 しぶ りに所属 事務所 に 件事実論 の深化 とその妥 当領域 の拡大 に精進 さ 行 き, 山の よ うな郵便物 な どを整理 してい る う れてい るお姿 に脱 帽 し,心か らの敬意 を覚 えて ち ( 緊急 を要す る文書 は事務局 か ら自宅 に送 ら い る。4 0年 以 上 前 の裁 判 官在 職 当時 か ら存 じ れて くるが, それ以外 は自分 で整理 す るこ とに 上 げてい る畏友 で ほぼ同年齢 の氏 の ご活躍 は, してい る),本 年 1月初 めに 「市 民 のた め の司 法律学 の一 隅で蛸牛 の歩 み を続 けつつ ある私 に 法 と日弁連 をつ くる会」 ( 代 表 世話 人 とって何 よ りの励 みで あ る。 しか し 「君子 は和 健児) か ら送 られて きた 「市民 のた めの司法 と して同ぜず」 なので - 日弁連 をつ くる会 自 らを 「君子」 に比す 政策要綱 宇都 宮 日弁連 に新 しい るのはお こが ま しい けれ ど- ,残 念 なが ら氏 風 を」 とい う文書 な どが届いてい るの を見落 と のユニ ークな死刑存廃論 の要件事実論 的考察 に してい た こ とに気付い たので あ る。 お詫 び して 追随で きない ゆ えん を書 き綴 って きた。不敏 の この注記 を削除す る。 ためあ るい は氏 の所論 を誤解 し妄評 を加 えた点 2 01 0年 9月 2 3日