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韓国の民主化運動と過去の清算問題
韓 国 の民 主化 運 動 と過 去 の清 算 問題 疑 問死 糾 明 の 経 験 と関 連 して一 韓 相 サ 龍 澤 範 訳 1、 韓 国 に お け る 「過 去 の 清 算 」 とい う問 題 (1)米 軍政 と"改 革"の 限界 時代 が転 換期 を迎 え,制 度 とイデオ ロギーお よび その担 当主体 が新 し く交替 す る 変 革 は,"革 命"と い う事件 にお いて 克 明に現 れ る。英 国の17世 紀 の市民 革 命(清 教徒革命 と名誉革命)や フラ ンス の18世 紀(1789年)の 革 命 を,そ の例 と して挙 げ る こ とが で きる。 しか しそ の よ うな下 か らの体 制 の全般 的変革 で な く,漸 進 的で妥協 的で既存 法秩序 の枠 を存続 させ た ま まに形 成 され る"改 革"も,転 換 期 の変動 で あ る。1945年 の太平洋 戦争 の終熔後 にな された 日本 の民 主化改 革 も,米 国の主 導で形 成 され た とい う一面 はあ るが,革 命 で はな く変革 で あっ た。 韓 国 の独 立 も,市 民革命 や反 帝民 主革命 を通 じた独 立で は なか った。 連合 国の勝 利 に よる 日帝植 民地状 態 の終臆 で あっ たため に,植 民体 制 の変革 は必ず しも十分 で はなか った のであ る。 さ らに,1945年 か ら1948年 まで38線 以南 で行 われ た変動 は米 軍 政下 で の"改 良" であ って,米 国主導 の冷 戦体制 に編 入 され る ことに よって改革 とい う点で も未完成 に終 わって しまった。 したが っ て,日 帝植 民体 制の 主要部 分が物 的 に もイデ オロギ ー的 に も人的 に も,そ の ま ま存 続 した のであ る。す なわち,日 帝 の主 要法令 制 度 と 日帝下 の植 民地官僚 が そ の まま体 制の 中に編入 された し,さ らには冷 戦体 制下 での ソ連 に対す る対決 政策 はその流 れ を一層 強め たの であ った。 (2)1948年 以後 の南 北分 断体 制 と過去 の清 算の座礁 1948年 に,韓 半 島に は南 北そ れぞ れ に政治体 制 を異 にす る政府 が樹 立 され た。二 つ の異質 な体制 の対 立 は,結 局,1950年6月25日 の韓 国戦争 を引 き起 こす こ とにな った。 この戦争勃 発 前後 の事情 を列挙 す る こ とは省略す るが,た と指 称 され る独 裁政 治 を敷 いた とい う点,特 だ,権 威 主義 体制 に戦 争 に よって途方 もない不 法 な虐殺 が発 生 した とい う点 のみ を指摘 す る。 1960年 には4・19革 命 とい う学生蜂 起 に よって李承 晩政権 が崩壊 して,民 主政府 が樹 立 され たが,こ の政府 は1961年 の クーデ ターで崩壊 し,再 び独 裁政 治へ と戻 っ 一36 韓相範 サ龍澤 訳 韓 国の民主化運動 と過去の清算問題 た。韓 国 におけ る 自由 と民主 の ための 闘争 は,誤 った過去 の清算 を要 求 しなが ら展 開 された とい う ことが で きる。そ の前後 の事情 を簡略 に整理 してみ る。 1948年 南北 にそれ ぞ れ政権 が樹 立(南 は大韓民国,北 は朝鮮民主主義人民共和 国) 1950年 6・25戦 争[韓 国 戦 争]勃 1960年 4・19学 生 革 命 に よ っ て李 承 晩 政 権 崩 壊 1961年 5・16ク ー デ タ ー[朴 っ て 軍 事 政 権 樹 立,執 1979年 朴 正 煕 暗 殺,朴 発(1953年 に 停 戦 協 定) 正 煕 陸 軍 少 将 を 中 心 と した 軍 事 ク ー デ タ ー]に 権 開始 体 制 解 体,12・12新 軍 部 ク ー デ タ ー[全 斗 換 を中心 と す る 陸 軍 士 官 学 校 第ll期 出 身 の 将 校 た ち が 起 こ した ク ー デ タ ー]勃 1980年 全 斗 換 等 の 新 軍 部 が5・17ク 措 置 の 断 行]に 6・10市 1987年 ー デ タ ー[新 よ っ て 執 権,新 民 抗 争[独 した 抗 議 行 動],大 よ 発 軍 部 に よ る非 常 戒 厳 令 の 拡 大 軍部独 裁体 制 裁 打 倒 ・大 統 領 直 接 選 挙 制 改 憲 な ど を ス ロ ー ガ ン と 統 領 直選制 への 憲法獲 得 1992年 金 泳三文 民政 府樹立 1997年 金 大 中 政 府 登 場,民 2002年 盧 武鉱 政府登 場 主改 革 の推進 (3)「 過去 の清算 」の課 題 韓 国の民 主化運 動 は,1945年 以後,米 軍政期 は もちろん,政 府 が樹 立 され た後 に も,独 裁政権 下 で過去 の清算 の課 業 を抱 えて闘争 して きた のであ る。 こ こで金大 中 政府 の登場 まで に問題 と され て きた過去 の清算 の 問題 と課題 を要約 すれ ば,次 の と お りであ る。 〈 過 去 の清 算 の問題 と課題> 1.日 帝 下 での植民 地残 渾 の清算 と民 主 人権 制度 の 定着の課 題 2.独 裁 下 で制定 され た悪法 の撤廃 と弾圧 に よって犠 牲 にな った者 たちの名誉 回復 をは じめ とす る各種 措置 〈 例〉 ① 改 革 の物 的制 度的対 象 と して,悪 法改 廃 と弾圧 の慣 行 等 の清 算(旧 時代 の誤 った 判決,行 政措置を包 む)(一 部進行 中) ②1948年 の 済州4・3事 件[済 州島での武装蜂起 に端 を発 し,そ の武力鎮圧 の過程で 3万 人を超 える島民が犠牲 になった事件]の 虐 殺等 の真相 糾 明(進 行中) ③1950年 の韓 国戦争勃 発直 後 の国民報 道連 盟員集 団虐殺 の真相 糾 明(未 決) ④ 居 昌 な どの接 戦地域 住民 の虐殺 真相 の糾 明(完 了) ⑤ 朴 大統 領 の3選 改憲(1969年)前 後 か ら1992年 に至 る までの民 主化 闘争犠 牲者 の 名誉 回復(進 行中) ⑥1980年 の5・18光 州抗争 犠牲 者 の名 誉 回復 及 び賠償(一 部進行中) ⑦1980年 の 「三清」教 育 とい う強制労働 収 容犠牲 者 の名誉 回復 及 び補償(未 決) ⑧ その他 各種 の政治 的暗殺 等 に よる犠 牲者 の名誉 回復 及び賠償(一 部進行 中,未 決) 37一 通信 教 育 部 論 集 第7号.?004年8月) 上 に挙 げた もの を主 な対象 とす る過 去 の清 算 に よって民主化 へ の基盤 を醸成 す る こ とが,韓 国 にお ける民主運 動 の課題 になって いる。 2.政 治 弾圧 に よ る犠 牲 と しての"疑 明 等 の 措置 (1)清 問 死"と そ れ に対 す る真 相 糾 算 で きない歴史一 現在 まで未決 の宿題一 韓 国 の民 主化 運動 の課題 は,い まだ に植民 残澤 の物 的制度 的 な面 を清 算 で きない まま権 威主 義 と官 僚主 義 お よび軍 国主 義の要 素 を残 してい る こ とであ る。そ れだ け で な く,親 日既得 権 勢力 は,継 続 的 に勢力 を維持 してそ の地 位 を享受 して きた し, 彼 らの2世,3世,そ して,そ の追従者 た ちは支 配勢力 の主流 になって い る。 1948年 以後 も,独 裁下 で寄 生 した勢力 がそ の ま ま放置 され てい る。 そ して植民 残 澤 の清算 も,物 的制 度 的及 び イデオ ロギー的 な面 におい て未決 の課題 なのであ る。 何 よ り1950年 の韓 国戦争 勃発 直後 に集 団虐殺 された数十万 の報 道連 盟員 の死亡 に 対す る真相 糾 明 と名誉 回復 は手 も付 け られ ない ままであ る。 そ して1980年 の強制労 働収 容 で あ る三清 教 育 隊 問題[浄 化教育 とい う名 目で強制収容 され,国 防部の資料 に よれば54人が死亡 した とされる事件]も その まま宿 題 と して残 されて い る。4万 から 5万 に達す る人 々が その犠牲 者 と推 定 され てい る。 また,部 分的 な改革 立法 に よる対 応 であ った めに,悪 法 はその まま存 置 されてお り,民 主化 運動 の過程 で行 われ た司法殺 人 と政治裁 判等 は,そ の ま ま判決 と して生 きて い る。現 行法 で は独 裁下 の民 主運動 で有罪 にな った人 々は,再 審 裁判 によって 無罪 にな るか赦免措 置 が と られ ないか ぎ り前科者 なので あ る。 独 裁政権 時代 の弾 圧 の張本 人や その実行 者 の反人倫 的 な犯 法行 為 は,公 訴 時効 の 制度 に よって処 罰す るこ とが で きない。 その一方 で,暴 政 の被害 者 は,国 家 公権力 の不 法性 が立証 されて も消 滅時効 の10年 が過 ぎてい るため に,現 行の 国家賠償 法 で は救 済が不 可 能 なので ある。 これが現 在 の実情 で ある。 (2)疑 問死 真相糾 明特別 法の 内容 と問題一4大 1980年 の新 軍 部 に よる5・17ク 民主 改革法 と過去 の清 算一 ー デ ター をきっか け と して起 きた光州民 主抗争 に 対 す る流血 の弾圧 に抵 抗 した犠牲 者 の名誉 回復 の た め に,抗 争 か ら10年 が 過 ぎた 1990年 に 「光州 民主 化運 動 関連 者補 償等 に関す る法律 」 が制 定 され た(1990.8.6. 最終改正2000.1.12.)。 この法律 に よって,民 主化 運動 関連 者 に対す る名 誉 回復補償 金等 の支給 そ の他 の記念 事業 に着 手す る立法 的根 拠 が用意 され,ま た実施 され た。 そ して2000年1月12日 には,「 済 州4・3事 件 真 相糾 明及 び犠 牲者 名誉 回復 に関 す る特 別法」 と 「 民 主化 運動 関連者 名誉 回復及 び補償 等 に関す る法律 」 の2法 が 制 定 され た。済 州4・3特 別法 は,1948年4月3日 に済州道 で発 生 した事 件 にお いて 政府 側 の軍警 が数万 名 の民 間人 な どを虐殺 した不 幸 な事態 に対 す る半 世紀後 の措 置 であ る。 民主化 運動補 償法 は,軍 事 政権下,特 38一 に1969年 の朴 正煕大 統領 の3選 改憲 韓相範 サ龍澤 訳 韓国の民主化運動 と過去 の清算問題 発 議以後 の民 主化 運動 の弾圧 過程 で死 亡,有 罪 判決,懲 戒解 職,除 籍 され た者 に対 す る名誉 回復 と補償 等 を定 めた法律 で あ る。 2000年1月15日 に制 定 され た 「疑 問死真 相糾 明 に関す る特別 法」 は,民 主化運 動 補 償法 と同 じく,1969年8月7日 の3選 改憲発 議以 降 の反対運 動等 の民 主化 運動 過 程 にお ける死 因不 明 の事件 の うち公 権 力 の違 法 な行 使 に よる死 亡 であ る こ とが 立証 された者 に対す る名誉 回復 と補償 を定 め る特 別法 で あ る。 これ らの特別 法で あ る疑 問死真 相糾 明特 別法 と民主化 運動 補償法 が民 主化 運動 の 時期 を1969年8月7日 の3選 改 憲発議 以後 と定 めた こ とは,こ れ らの改 革立 法が 改 革 勢力 とそ の反対 勢力 の 問 の政治 的妥 協 の産物 であ る こ とを端 的 に反 映 して い る。 その ほか に も,疑 問死真 相糾 明特別 法 を よ く見 る と,そ の よ うな政 治的妥協 や 守旧 勢 力 の牽制措 置が あ ち こちに隠 され てい る ことが分 か る。 (3)疑 ① 問死 真相糾 明特別 法 の限界 疑問死 真相糾 明特 別法 は何 よ りも限時 法で あ る。 法の存 続期 限 を初 めか ら1年 未満 と定 め た。 そ のた めに,現 在 まで に3次 にわ たって延 長措置 の法改 正が 必要 と な った ので あ る。2002年11月 に改正 され た現行法 も最 長1年 の存 続期 間で あ る。 ② 次 に真相 糾 明 とい う調査活 動 に対す る調査権 限 も,最 高 で1千 万 ウ ォンの過 料 に過 ぎない処 罰規 定 のため に,実 質調査 は困難で あ る。 ③ 第三 に,2002年11月 に改 正 され た現 行法 は,① で指摘 した よ うに調査 期 間 を6 か 月に 限定 し,一 回に限 って延長 で きる ように した。 それ だ けで な く,棄 却決 定が 下 され た事 件 の再審 の可否 は委員 会 の委員全 員 の合意 を要件 として定 めて いる。 こ の ような事 例 は古今東 西 の世界 の どの国 の立法例 に もない。 ④ 公権 力 の違法 な作 用 で死亡 した場 合 に も現行 法 は消滅 時効10年 が 適用 され るの で,国 家 賠償 を受 け るすべ が ない。 委員 会で審 議す る事件 は,青 年学 生 たちが軍 隊 に強 制徴 集 され た り(韓 国は志願兵制 でな く,徴 兵制である),徴 集 収容 中 に死 亡 し た事件 が多 い。彼 らは公 権力 の不 法 な作 用 に よって死亡 して も,民 主化運 動が 立証 で きな けれ ば何 らの救 済や 名誉 回復 の措 置 も受 け られ ない ので ある。 ⑤ 現 行法 は,殺 人罪 の公 訴時効 が15年 で あ るので,疑 問死事 件 にお いて公安 機 関 員 の犯 罪 が明 らか に され て も公 訴時効 の ため に処 罰す るこ とが で きない。 この ような矛 盾以外 に も,現 行 法上 の制 度 として の脆 弱 点の ため に委 員会 の活動 は多 くの難 関 と障害 を抱 えてい るのであ る。 3.民 主 化 及 び過 去 の清 算 と して の疑 問 死真 相 糾 明 の展 望 (1)疑 問死真相 糾明委 員会 の 実績 疑 問死 真相 糾 明 とい う問題 は,独 裁下 で殺 され た遺族 とそ の団体員 た ちが,国 会 前 で徹 夜 篭城 を422日 も行 った こ とに よって,軍 事 政権 が名 目上 で はあ れ文民 政府 に転換 された以後 の改 革立法 として成立 す る こ とに なったの であ る。 この よ うな迂余 曲折 の末 に疑 問死 真相 糾 明特 別法 が制定 され,2000年10月17日 一39 に 通信教育部論集 第7LlrJ(2004年8月) 疑問死 真相糾 明委 員会 が公式 に発足 出帆 した。 この機構 の最高 議決機 関 であ る委 員 会 は,国 会 の 同意 を得 て大統 領が 任命 す る9名 の委員 で構成 され る(韓 国において 国会の同意 を得 て大統領 が任命す る公職者 は,最 高裁判所判事及 び憲法裁判所裁判官以 外には殆 どない)。 委 員長1人(長 官[大 臣]級)の ほか に,常 任 委 員2名 が委 員長 を補佐 して調査 業務 を統制 指揮 し,残 り6人 は非 常任委 員 であ る。 委員 会 の調査 活 動 は,民 主化 運動経 歴 者 で公 開採 用 され た調査 官 と政府 部署(国 家情報院,国 防部, 憲兵隊 と機務司,検 察庁,警 察庁等)か ら支援 の ため に派 遣 され た公務 員が,4つ の 調査課 を構 成 して遂行 してい る(調 査官 は約60名)。 この調査 結 果 に基 づ いて委員 会 は事件 を審議議 決す る。 議決 は多 数決 を原則 とす る。認 定議 決(決 定)は ,死 亡者 が,① 民 主化 運動 と関連 し,② 公権 力の不 法 な作 用 によって死亡 した こ とが立証 さ れれ ば 「認定」 され る。 上の要 件 を立証 で きなけ れば 「棄却 」 され る。 た だ し立証 資料 の調査 不足 等 に よって決定 で きない ときには 「真相 糾 明不能」 として処理 され る。 委 員 会 が2000年 以 降 に受理 した83件 につ い て2002年11月 が,そ れ に よれ ば,① 認 定事 件19件(23%),② に調査 活動 を ま とめ た 棄 却事 件33件(40%),③ 真 相糾 明 不 能事件30件(36%)で あ る。 この委員会 の調査 結果 は,調 査報 告書 と して大統領 に提 出 され ,国 民 に対 す る報 告 の形 式 で出刊 され た(4巻 になっている)。 ここに は決 定文 以外 に も,疑 問死事件 の背 景 とそ れ に ともな う政策 的建 議 までを含 んでい る。 (2)疑 問死 真相糾 明 の成 果 と展望 疑 問死真 相糾 明の調 査対象 事件 は,過 去 の独 裁 政権下 の政 治的弾圧 過程 で発 生 し た死亡事 件 で ある。拷 問等 の苛酷 な行為 をは じめ,政 治 的 な圧 力や弾 圧等 の各種 の 原 因が作 用 して他 殺や病 死 また は変 死,ひ いて は 自殺 に まで至 っ た事 件 であ る。 そ して これ らの事件 は既 に何 十年 も経 った事 件 が大部 分で あ るだけで な く,そ の事件 に関連 した政 府機 関や そ の構 成 員 の利 害 関係 に直結 す る敏 感 な問題 を抱 え て もい る。そ の ため に,当 初 か ら委員 会 の各種 の活動 は,守 旧既得 権勢 力や独 裁権 力 の恵 沢 下で富 を蓄積 した名望 家や その遺族 たちの激 しい反 発 と妨 害 を受 けて きた。 その具体 的事 例 と しては,委 員会 の調査権 限 をほ とん どな きもの に しよ うとす る 守 旧 なる言論 の誹諺 的 な歪 曲報 道の動 きだけで な く,関 係情 報機 関の協 力が消極 的 であ り否 定的 にす ら感 じられ る こ とが挙 げ られ る。 しか しその ような多 くの難 関に もかか わ らず,公 安情 報機 関 の政治 的脱 線 や司法 官僚 の不正 不法 な どを明 らか に して きた。例 を挙 げれ ば,① 民主運 動 関連学生 を強 制 的 に軍 隊 に徴 集 して死 亡 に至 ら しめた事件(ハ の拷 問 な どの政 治弾 圧 に よる虐 殺(例:チ ン ・ヒチ ョル等),② 公安情 報機 関 ェ ・ジ ョンギル,ソ ウル大学法学部教授事 件),③ 事 件 の捏 造 に よるで っ ち上 げの司 法殺 人(人 革党事件[人 革党関係 とされた 8人 が1975年4月8日 死刑判決確定の翌 日処刑 された]),④ 強制 労働 収容 所 で の不 法 な人権 侵 害 の実態(三 清教育隊事件)の 暴露 な どであ る。 そ して,そ の ような事件 の背 景 と原 因 を診 断 して,改 善の ため の政 策 を提 示 した(報 告書参照)。 一40一 韓相 範 サ龍 澤 訳 韓 国の民主化運動 と過去の清算問題 制度 改善 な どの勧 告事 項 と して は,① 被 害者(死 亡者)の 名誉 回復 と被 害補 償 を は じめ と して,② 人権制 度改 善の ため の悪 法廃 止,思 想転 向制 度の廃止,刑 事 手続 制 度 の大 幅 改正,死 因確 認 制 度 の確 立,③ 大 々的な改 善策 の講究,④ 矯 導 所(刑 務所)内 の 実態 を踏 ま えた 軍隊 内での死 亡事故 処理 の新 しい制 度 の確 立,軍 隊 内で の捜査 と裁判 制 度の改 善 の建 議 な どをあげ る こ とがで きる。 問題 は,こ の よ うな事 項 を政府 が どれ くらい法令 及 び政 策 に反映 して施行 す るか否 かで あ る。 2003年 には金 大 中政府 に代 わって盧 武鉱 政府が 成立 したが,こ の改革 政策 は継 承 され てい る。 しか し,金 大 中政府 当時 の政治 的制約 は,い まだに大部 分が その まま存在 してい る。 国会の多 数党 が守 旧勢力 であ る野党 で ある とい う点,そ して,旧 既 得権勢 力 が 政治経 済社 会 な どの各分 野 で実質 的 に勢 力 を握 ってい て国民 の改革参 与が 十分 で な い とい う点 で ある。 これ らの点 は,韓 国民 主主義 の現実 と限界 で あ る と見 る こと も で きる。 この政 治 的制約 と限界状 況 を どの よ うに して 克服 して進 んでい くのか に, 将 来の帰趨 が かか って いる。 今,韓 国 の問題 は韓 国国 内だ けの問題 と見 る こ とはで きない。 まず,韓 国の問題 は南北 間の二 つ の政府 の 問 の問題 で あ る。 そ して,こ の南北 問題 は,日 本,米 国, 中 国,ロ シアが 当事 者 と して関連 す る国際 問題 で あ り,世 界 の問題 であ る。 特 に,韓 日間の問題 は よ り一層 密 接 かつ敏感 な事 項 であ る。 日本 政府 の韓 国に対 す る政策 や 日本 の民主 勢力 と守 旧保守 勢力 問の問題 は,直 接 に韓 国 に影響 を及 ぼ し てい るので ある。 我 々は,こ こで 日本の市 民大 衆が韓 国 の民主化 に対 す る理解 を持 って くれ るこ と を何 よ りも心 か ら願 う。 隣 国であ る以上,我 々 に とって 日本 が民 主 と平 和 を志 向す る こ とは,我 々が民 主 と平和 の国 に なる こ とであ り,そ れ は 日本 に とって も有益 で あ る と考 え るためで あ る。 訳者後記 「大統領 所 属 ・疑 問死 真相 糾 明委 員会 」 とは,2000年 に制定 され た 「疑 問死 真相 糾 明 に関す る特 別法 」 に基づ いて設 立 された委 員会 であ る。 この委員会 設立 の 目的 は,1969年8月7日 以後(朴 大統領 の三選 を可能 とす るための憲法改正反対運動以後) の民主 化運動 と関連 して,違 法 な公 権力 の直接 的 また は間接 的 な行使 に よ り死亡 し た と疑 われ る事件 の 真相 を糾 明 し,被 害 者 に対 す る補 償 ・名誉 回復 をす る こ とで, 遺族 の願 い を叶 え,歴 史 の真 実 を正 し,ま た,過 去 の誤 っ た慣 行 と制度 を改善 して 類似事 件 の再発 防止 と人権 の伸張 を図 り,も って,政 府 が志 向す る民主 人権 国家 の 具現 に寄与 す る もの と され て い る。 委 員 は9人 級,常 任 委員(2人)は1級 で構 成 され,委 員長 は長 官(大 臣) 相 当 の特 別 職 であ る。委 員 はす べ て 国会 の 同意 を得 て 大統 領 に よって任命 され,任 期 は2年 で あ る。 この委 員会 は,2002年9月16日 に活 動 を終 え る予 定で あ ったが,世 論 の強い支持 に よって,そ の活動期 間が1年 間延長 41 通信教育部論集 第7号(2004年8月) され た。 疑 問死 真相 糾明委 員会 の一行 は,2003年8月25日 て,法 か ら28日 まで 日本 を公式 訪 問 し 医学 関係 者 た ち との懇談 を重 ね られた 。委 員 長 の韓 相 範長 官 と姜 京 根委 員 (崇実大学法学部長)の お二 人 は,公 務 ご多忙 に もか か わ らず,8月27日 学 を訪問 され,特 には創価 大 に韓 相範委 員長 には,講 演 まで していた だい た。 本稿 は,こ の と きに行 われた講演 会 での発 表原稿 で あ る。 実 は,韓 相範 委員 長か ら,公 務 での訪 日とい うこ と もあ るの で,当 日の 講演 は一切 の対価 の ない,全 くの ボ ラ ンテ ィア と して行 いた い との お話が あ り,大変 に申 し訳 ない 限 りで は あったが , 本 学 と して もそ の 申 し出 を受 け る こ とに した。 「疑 問死真 相糾 明」 とい う歴 史的課 題 を 自 らの 崇 高 な使命 と して真 剣 に取 り組 む韓 相 範 委員 長 と姜京 根 委員 の高 潔 さ と,学 生 に語 りか け る熱 き情熱 は,韓 国の 「士 」(ソ ンビ)を 髪髭 とさせ る ものが あ り,本 学 の教員 と学 生 に大 きな感銘 を与 え る もの であ った。 この場 を借 りて,心 か らの感謝 を申 し上 げ る次 第で あ る。 なお,[]内 一42一 は訳者 が付 した訳 注 であ る。