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韓国の民主化運動と過去の清算問題

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韓国の民主化運動と過去の清算問題
韓 国 の民 主化 運 動 と過 去 の清 算 問題
疑 問死 糾 明 の 経 験 と関 連 して一
韓
相
サ 龍 澤
範
訳
1、 韓 国 に お け る 「過 去 の 清 算 」 とい う問 題
(1)米
軍政 と"改 革"の 限界
時代 が転 換期 を迎 え,制 度 とイデオ ロギーお よび その担 当主体 が新 し く交替 す る
変 革 は,"革
命"と
い う事件 にお いて 克 明に現 れ る。英 国の17世 紀 の市民 革 命(清
教徒革命 と名誉革命)や フラ ンス の18世 紀(1789年)の
革 命 を,そ の例 と して挙 げ る
こ とが で きる。 しか しそ の よ うな下 か らの体 制 の全般 的変革 で な く,漸 進 的で妥協
的で既存 法秩序 の枠 を存続 させ た ま まに形 成 され る"改 革"も,転
換 期 の変動 で あ
る。1945年 の太平洋 戦争 の終熔後 にな された 日本 の民 主化改 革 も,米 国の主 導で形
成 され た とい う一面 はあ るが,革 命 で はな く変革 で あっ た。
韓 国 の独 立 も,市 民革命 や反 帝民 主革命 を通 じた独 立で は なか った。 連合 国の勝
利 に よる 日帝植 民地状 態 の終臆 で あっ たため に,植 民体 制 の変革 は必ず しも十分 で
はなか った のであ る。
さ らに,1945年
か ら1948年 まで38線 以南 で行 われ た変動 は米 軍 政下 で の"改 良"
であ って,米 国主導 の冷 戦体制 に編 入 され る ことに よって改革 とい う点で も未完成
に終 わって しまった。 したが っ て,日 帝植 民体 制の 主要部 分が物 的 に もイデ オロギ
ー的 に も人的 に も,そ の ま ま存 続 した のであ る。す なわち,日 帝 の主 要法令 制 度 と
日帝下 の植 民地官僚 が そ の まま体 制の 中に編入 された し,さ らには冷 戦体 制下 での
ソ連 に対す る対決 政策 はその流 れ を一層 強め たの であ った。
(2)1948年
以後 の南 北分 断体 制 と過去 の清 算の座礁
1948年 に,韓 半 島に は南 北そ れぞ れ に政治体 制 を異 にす る政府 が樹 立 され た。二
つ の異質 な体制 の対 立 は,結 局,1950年6月25日
の韓 国戦争 を引 き起 こす こ とにな
った。 この戦争勃 発 前後 の事情 を列挙 す る こ とは省略す るが,た
と指 称 され る独 裁政 治 を敷 いた とい う点,特
だ,権 威 主義 体制
に戦 争 に よって途方 もない不 法 な虐殺
が発 生 した とい う点 のみ を指摘 す る。
1960年 には4・19革
命 とい う学生蜂 起 に よって李承 晩政権 が崩壊 して,民 主政府
が樹 立 され たが,こ の政府 は1961年 の クーデ ターで崩壊 し,再 び独 裁政 治へ と戻 っ
一36
韓相範
サ龍澤 訳 韓 国の民主化運動 と過去の清算問題
た。韓 国 におけ る 自由 と民主 の ための 闘争 は,誤 った過去 の清算 を要 求 しなが ら展
開 された とい う ことが で きる。そ の前後 の事情 を簡略 に整理 してみ る。
1948年
南北 にそれ ぞ れ政権 が樹 立(南 は大韓民国,北 は朝鮮民主主義人民共和
国)
1950年
6・25戦
争[韓
国 戦 争]勃
1960年
4・19学
生 革 命 に よ っ て李 承 晩 政 権 崩 壊
1961年
5・16ク
ー デ タ ー[朴
っ て 軍 事 政 権 樹 立,執
1979年
朴 正 煕 暗 殺,朴
発(1953年
に 停 戦 協 定)
正 煕 陸 軍 少 将 を 中 心 と した 軍 事 ク ー デ タ ー]に
権 開始
体 制 解 体,12・12新
軍 部 ク ー デ タ ー[全
斗 換 を中心 と
す る 陸 軍 士 官 学 校 第ll期 出 身 の 将 校 た ち が 起 こ した ク ー デ タ ー]勃
1980年
全 斗 換 等 の 新 軍 部 が5・17ク
措 置 の 断 行]に
6・10市
1987年
ー デ タ ー[新
よ っ て 執 権,新
民 抗 争[独
した 抗 議 行 動],大
よ
発
軍 部 に よ る非 常 戒 厳 令 の 拡 大
軍部独 裁体 制
裁 打 倒 ・大 統 領 直 接 選 挙 制 改 憲 な ど を ス ロ ー ガ ン と
統 領 直選制 への 憲法獲 得
1992年
金 泳三文 民政 府樹立
1997年
金 大 中 政 府 登 場,民
2002年
盧 武鉱 政府登 場
主改 革 の推進
(3)「 過去 の清算 」の課 題
韓 国の民 主化運 動 は,1945年
以後,米
軍政期 は もちろん,政 府 が樹 立 され た後 に
も,独 裁政権 下 で過去 の清算 の課 業 を抱 えて闘争 して きた のであ る。 こ こで金大 中
政府 の登場 まで に問題 と され て きた過去 の清算 の 問題 と課題 を要約 すれ ば,次 の と
お りであ る。
〈
過 去 の清 算 の問題 と課題>
1.日
帝 下 での植民 地残 渾 の清算 と民 主 人権 制度 の 定着の課 題
2.独
裁 下 で制定 され た悪法 の撤廃 と弾圧 に よって犠 牲 にな った者 たちの名誉 回復
をは じめ とす る各種 措置
〈
例〉
① 改 革 の物 的制 度的対 象 と して,悪 法改 廃 と弾圧 の慣 行 等 の清 算(旧 時代 の誤 った
判決,行 政措置を包 む)(一 部進行 中)
②1948年 の 済州4・3事
件[済 州島での武装蜂起 に端 を発 し,そ の武力鎮圧 の過程で
3万 人を超 える島民が犠牲 になった事件]の 虐 殺等 の真相 糾 明(進 行中)
③1950年 の韓 国戦争勃 発直 後 の国民報 道連 盟員集 団虐殺 の真相 糾 明(未 決)
④ 居 昌 な どの接 戦地域 住民 の虐殺 真相 の糾 明(完 了)
⑤ 朴 大統 領 の3選 改憲(1969年)前
後 か ら1992年 に至 る までの民 主化 闘争犠 牲者 の
名誉 回復(進 行中)
⑥1980年 の5・18光
州抗争 犠牲 者 の名 誉 回復 及 び賠償(一 部進行中)
⑦1980年 の 「三清」教 育 とい う強制労働 収 容犠牲 者 の名誉 回復 及 び補償(未 決)
⑧ その他 各種 の政治 的暗殺 等 に よる犠 牲者 の名誉 回復 及び賠償(一 部進行 中,未 決)
37一
通信 教 育 部 論 集
第7号.?004年8月)
上 に挙 げた もの を主 な対象 とす る過 去 の清 算 に よって民主化 へ の基盤 を醸成 す る
こ とが,韓 国 にお ける民主運 動 の課題 になって いる。
2.政
治 弾圧 に よ る犠 牲 と しての"疑
明 等 の 措置
(1)清
問 死"と
そ れ に対 す る真 相 糾
算 で きない歴史一 現在 まで未決 の宿題一
韓 国 の民 主化 運動 の課題 は,い
まだ に植民 残澤 の物 的制度 的 な面 を清 算 で きない
まま権 威主 義 と官 僚主 義 お よび軍 国主 義の要 素 を残 してい る こ とであ る。そ れだ け
で な く,親 日既得 権 勢力 は,継 続 的 に勢力 を維持 してそ の地 位 を享受 して きた し,
彼 らの2世,3世,そ
して,そ の追従者 た ちは支 配勢力 の主流 になって い る。
1948年 以後 も,独 裁下 で寄 生 した勢力 がそ の ま ま放置 され てい る。 そ して植民 残
澤 の清算 も,物 的制 度 的及 び イデオ ロギー的 な面 におい て未決 の課題 なのであ る。
何 よ り1950年 の韓 国戦争 勃発 直後 に集 団虐殺 された数十万 の報 道連 盟員 の死亡 に
対す る真相 糾 明 と名誉 回復 は手 も付 け られ ない ままであ る。 そ して1980年 の強制労
働収 容 で あ る三清 教 育 隊 問題[浄 化教育 とい う名 目で強制収容 され,国 防部の資料 に
よれば54人が死亡 した とされる事件]も その まま宿 題 と して残 されて い る。4万
から
5万 に達す る人 々が その犠牲 者 と推 定 され てい る。
また,部 分的 な改革 立法 に よる対 応 であ った めに,悪 法 はその まま存 置 されてお
り,民 主化 運動 の過程 で行 われ た司法殺 人 と政治裁 判等 は,そ の ま ま判決 と して生
きて い る。現 行法 で は独 裁下 の民 主運動 で有罪 にな った人 々は,再 審 裁判 によって
無罪 にな るか赦免措 置 が と られ ないか ぎ り前科者 なので あ る。
独 裁政権 時代 の弾 圧 の張本 人や その実行 者 の反人倫 的 な犯 法行 為 は,公 訴 時効 の
制度 に よって処 罰す るこ とが で きない。 その一方 で,暴 政 の被害 者 は,国 家 公権力
の不 法性 が立証 されて も消 滅時効 の10年 が過 ぎてい るため に,現 行の 国家賠償 法 で
は救 済が不 可 能 なので ある。
これが現 在 の実情 で ある。
(2)疑
問死 真相糾 明特別 法の 内容 と問題一4大
1980年 の新 軍 部 に よる5・17ク
民主 改革法 と過去 の清 算一
ー デ ター をきっか け と して起 きた光州民 主抗争 に
対 す る流血 の弾圧 に抵 抗 した犠牲 者 の名誉 回復 の た め に,抗 争 か ら10年 が 過 ぎた
1990年 に 「光州 民主 化運 動 関連 者補 償等 に関す る法律 」 が制 定 され た(1990.8.6.
最終改正2000.1.12.)。 この法律 に よって,民 主化 運動 関連 者 に対す る名 誉 回復補償
金等 の支給 そ の他 の記念 事業 に着 手す る立法 的根 拠 が用意 され,ま た実施 され た。
そ して2000年1月12日
には,「 済 州4・3事
件 真 相糾 明及 び犠 牲者 名誉 回復 に関
す る特 別法」 と 「
民 主化 運動 関連者 名誉 回復及 び補償 等 に関す る法律 」 の2法 が 制
定 され た。済 州4・3特
別法 は,1948年4月3日
に済州道 で発 生 した事 件 にお いて
政府 側 の軍警 が数万 名 の民 間人 な どを虐殺 した不 幸 な事態 に対 す る半 世紀後 の措 置
であ る。 民主化 運動補 償法 は,軍 事 政権下,特
38一
に1969年 の朴 正煕大 統領 の3選 改憲
韓相範
サ龍澤 訳
韓国の民主化運動 と過去 の清算問題
発 議以後 の民 主化 運動 の弾圧 過程 で死 亡,有 罪 判決,懲 戒解 職,除 籍 され た者 に対
す る名誉 回復 と補償 等 を定 めた法律 で あ る。
2000年1月15日
に制 定 され た 「疑 問死真 相糾 明 に関す る特別 法」 は,民 主化運 動
補 償法 と同 じく,1969年8月7日
の3選 改憲発 議以 降 の反対運 動等 の民 主化 運動 過
程 にお ける死 因不 明 の事件 の うち公 権 力 の違 法 な行 使 に よる死 亡 であ る こ とが 立証
された者 に対す る名誉 回復 と補償 を定 め る特 別法 で あ る。
これ らの特別 法で あ る疑 問死真 相糾 明特 別法 と民主化 運動 補償法 が民 主化 運動 の
時期 を1969年8月7日
の3選 改 憲発議 以後 と定 めた こ とは,こ れ らの改 革立 法が 改
革 勢力 とそ の反対 勢力 の 問 の政治 的妥 協 の産物 であ る こ とを端 的 に反 映 して い る。
その ほか に も,疑 問死真 相糾 明特別 法 を よ く見 る と,そ の よ うな政 治的妥協 や 守旧
勢 力 の牽制措 置が あ ち こちに隠 され てい る ことが分 か る。
(3)疑
①
問死 真相糾 明特別 法 の限界
疑問死 真相糾 明特 別法 は何 よ りも限時 法で あ る。 法の存 続期 限 を初 めか ら1年
未満 と定 め た。 そ のた めに,現 在 まで に3次 にわ たって延 長措置 の法改 正が 必要 と
な った ので あ る。2002年11月 に改正 され た現行法 も最 長1年 の存 続期 間で あ る。
②
次 に真相 糾 明 とい う調査活 動 に対す る調査権 限 も,最 高 で1千 万 ウ ォンの過 料
に過 ぎない処 罰規 定 のため に,実 質調査 は困難で あ る。
③
第三 に,2002年11月
に改 正 され た現 行法 は,① で指摘 した よ うに調査 期 間 を6
か 月に 限定 し,一 回に限 って延長 で きる ように した。 それ だ けで な く,棄 却決 定が
下 され た事 件 の再審 の可否 は委員 会 の委員全 員 の合意 を要件 として定 めて いる。 こ
の ような事 例 は古今東 西 の世界 の どの国 の立法例 に もない。
④
公権 力 の違法 な作 用 で死亡 した場 合 に も現行 法 は消滅 時効10年 が 適用 され るの
で,国 家 賠償 を受 け るすべ が ない。 委員 会で審 議す る事件 は,青 年学 生 たちが軍 隊
に強 制徴 集 され た り(韓 国は志願兵制 でな く,徴 兵制である),徴 集 収容 中 に死 亡 し
た事件 が多 い。彼 らは公 権力 の不 法 な作 用 に よって死亡 して も,民 主化運 動が 立証
で きな けれ ば何 らの救 済や 名誉 回復 の措 置 も受 け られ ない ので ある。
⑤
現 行法 は,殺 人罪 の公 訴時効 が15年 で あ るので,疑 問死事 件 にお いて公安 機 関
員 の犯 罪 が明 らか に され て も公 訴時効 の ため に処 罰す るこ とが で きない。
この ような矛 盾以外 に も,現 行 法上 の制 度 として の脆 弱 点の ため に委 員会 の活動
は多 くの難 関 と障害 を抱 えてい るのであ る。
3.民
主 化 及 び過 去 の清 算 と して の疑 問 死真 相 糾 明 の展 望
(1)疑
問死真相 糾明委 員会 の 実績
疑 問死 真相 糾 明 とい う問題 は,独 裁下 で殺 され た遺族 とそ の団体員 た ちが,国 会
前 で徹 夜 篭城 を422日 も行 った こ とに よって,軍 事 政権 が名 目上 で はあ れ文民 政府
に転換 された以後 の改 革立法 として成立 す る こ とに なったの であ る。
この よ うな迂余 曲折 の末 に疑 問死 真相 糾 明特 別法 が制定 され,2000年10月17日
一39
に
通信教育部論集
第7LlrJ(2004年8月)
疑問死 真相糾 明委 員会 が公式 に発足 出帆 した。 この機構 の最高 議決機 関 であ る委 員
会 は,国 会 の 同意 を得 て大統 領が 任命 す る9名
の委員 で構成 され る(韓 国において
国会の同意 を得 て大統領 が任命す る公職者 は,最 高裁判所判事及 び憲法裁判所裁判官以
外には殆 どない)。 委 員長1人(長
官[大 臣]級)の
ほか に,常 任 委 員2名
が委 員長
を補佐 して調査 業務 を統制 指揮 し,残 り6人 は非 常任委 員 であ る。 委員 会 の調査 活
動 は,民 主化 運動経 歴 者 で公 開採 用 され た調査 官 と政府 部署(国 家情報院,国 防部,
憲兵隊 と機務司,検 察庁,警 察庁等)か
ら支援 の ため に派 遣 され た公務 員が,4つ
の
調査課 を構 成 して遂行 してい る(調 査官 は約60名)。 この調査 結 果 に基 づ いて委員 会
は事件 を審議議 決す る。 議決 は多 数決 を原則 とす る。認 定議 決(決 定)は ,死 亡者
が,① 民 主化 運動 と関連 し,② 公権 力の不 法 な作 用 によって死亡 した こ とが立証 さ
れれ ば 「認定」 され る。 上の要 件 を立証 で きなけ れば 「棄却 」 され る。 た だ し立証
資料 の調査 不足 等 に よって決定 で きない ときには 「真相 糾 明不能」 として処理 され
る。
委 員 会 が2000年 以 降 に受理 した83件 につ い て2002年11月
が,そ
れ に よれ ば,① 認 定事 件19件(23%),②
に調査 活動 を ま とめ た
棄 却事 件33件(40%),③
真 相糾 明
不 能事件30件(36%)で
あ る。
この委員会 の調査 結果 は,調 査報 告書 と して大統領 に提 出 され ,国 民 に対 す る報
告 の形 式 で出刊 され た(4巻 になっている)。 ここに は決 定文 以外 に も,疑 問死事件
の背 景 とそ れ に ともな う政策 的建 議 までを含 んでい る。
(2)疑
問死 真相糾 明 の成 果 と展望
疑 問死真 相糾 明の調 査対象 事件 は,過 去 の独 裁 政権下 の政 治的弾圧 過程 で発 生 し
た死亡事 件 で ある。拷 問等 の苛酷 な行為 をは じめ,政 治 的 な圧 力や弾 圧等 の各種 の
原 因が作 用 して他 殺や病 死 また は変 死,ひ
いて は 自殺 に まで至 っ た事 件 であ る。 そ
して これ らの事件 は既 に何 十年 も経 った事 件 が大部 分で あ るだけで な く,そ の事件
に関連 した政 府機 関や そ の構 成 員 の利 害 関係 に直結 す る敏 感 な問題 を抱 え て もい
る。そ の ため に,当 初 か ら委員 会 の各種 の活動 は,守 旧既得 権勢 力や独 裁権 力 の恵
沢 下で富 を蓄積 した名望 家や その遺族 たちの激 しい反 発 と妨 害 を受 けて きた。
その具体 的事 例 と しては,委 員会 の調査権 限 をほ とん どな きもの に しよ うとす る
守 旧 なる言論 の誹諺 的 な歪 曲報 道の動 きだけで な く,関 係情 報機 関の協 力が消極 的
であ り否 定的 にす ら感 じられ る こ とが挙 げ られ る。
しか しその ような多 くの難 関に もかか わ らず,公 安情 報機 関 の政治 的脱 線 や司法
官僚 の不正 不法 な どを明 らか に して きた。例 を挙 げれ ば,① 民主運 動 関連学生 を強
制 的 に軍 隊 に徴 集 して死 亡 に至 ら しめた事件(ハ
の拷 問 な どの政 治弾 圧 に よる虐 殺(例:チ
ン ・ヒチ ョル等),② 公安情 報機 関
ェ ・ジ ョンギル,ソ ウル大学法学部教授事
件),③ 事 件 の捏 造 に よるで っ ち上 げの司 法殺 人(人 革党事件[人 革党関係 とされた
8人 が1975年4月8日
死刑判決確定の翌 日処刑 された]),④
強制 労働 収容 所 で の不 法
な人権 侵 害 の実態(三 清教育隊事件)の 暴露 な どであ る。 そ して,そ
の ような事件
の背 景 と原 因 を診 断 して,改 善の ため の政 策 を提 示 した(報 告書参照)。
一40一
韓相 範 サ龍 澤 訳
韓 国の民主化運動 と過去の清算問題
制度 改善 な どの勧 告事 項 と して は,① 被 害者(死 亡者)の 名誉 回復 と被 害補 償 を
は じめ と して,② 人権制 度改 善の ため の悪 法廃 止,思 想転 向制 度の廃止,刑 事 手続
制 度 の大 幅 改正,死
因確 認 制 度 の確 立,③
大 々的な改 善策 の講究,④
矯 導 所(刑 務所)内 の 実態 を踏 ま えた
軍隊 内での死 亡事故 処理 の新 しい制 度 の確 立,軍 隊 内で
の捜査 と裁判 制 度の改 善 の建 議 な どをあげ る こ とがで きる。 問題 は,こ の よ うな事
項 を政府 が どれ くらい法令 及 び政 策 に反映 して施行 す るか否 かで あ る。
2003年 には金 大 中政府 に代 わって盧 武鉱 政府が 成立 したが,こ
の改革 政策 は継 承
され てい る。
しか し,金 大 中政府 当時 の政治 的制約 は,い
まだに大部 分が その まま存在 してい
る。 国会の多 数党 が守 旧勢力 であ る野党 で ある とい う点,そ
して,旧 既 得権勢 力 が
政治経 済社 会 な どの各分 野 で実質 的 に勢 力 を握 ってい て国民 の改革参 与が 十分 で な
い とい う点 で ある。 これ らの点 は,韓 国民 主主義 の現実 と限界 で あ る と見 る こと も
で きる。 この政 治 的制約 と限界状 況 を どの よ うに して 克服 して進 んでい くのか に,
将 来の帰趨 が かか って いる。
今,韓
国 の問題 は韓 国国 内だ けの問題 と見 る こ とはで きない。 まず,韓
国の問題
は南北 間の二 つ の政府 の 問 の問題 で あ る。 そ して,こ の南北 問題 は,日 本,米
国,
中 国,ロ シアが 当事 者 と して関連 す る国際 問題 で あ り,世 界 の問題 であ る。
特 に,韓
日間の問題 は よ り一層 密 接 かつ敏感 な事 項 であ る。 日本 政府 の韓 国に対
す る政策 や 日本 の民主 勢力 と守 旧保守 勢力 問の問題 は,直 接 に韓 国 に影響 を及 ぼ し
てい るので ある。
我 々は,こ
こで 日本の市 民大 衆が韓 国 の民主化 に対 す る理解 を持 って くれ るこ と
を何 よ りも心 か ら願 う。 隣 国であ る以上,我
々 に とって 日本 が民 主 と平 和 を志 向す
る こ とは,我 々が民 主 と平和 の国 に なる こ とであ り,そ れ は 日本 に とって も有益 で
あ る と考 え るためで あ る。
訳者後記
「大統領 所 属 ・疑 問死 真相 糾 明委 員会 」 とは,2000年
に制定 され た 「疑 問死 真相
糾 明 に関す る特 別法 」 に基づ いて設 立 された委 員会 であ る。 この委員会 設立 の 目的
は,1969年8月7日
以後(朴 大統領 の三選 を可能 とす るための憲法改正反対運動以後)
の民主 化運動 と関連 して,違 法 な公 権力 の直接 的 また は間接 的 な行使 に よ り死亡 し
た と疑 われ る事件 の 真相 を糾 明 し,被 害 者 に対 す る補 償 ・名誉 回復 をす る こ とで,
遺族 の願 い を叶 え,歴 史 の真 実 を正 し,ま た,過 去 の誤 っ た慣 行 と制度 を改善 して
類似事 件 の再発 防止 と人権 の伸張 を図 り,も って,政 府 が志 向す る民主 人権 国家 の
具現 に寄与 す る もの と され て い る。 委 員 は9人
級,常 任 委員(2人)は1級
で構 成 され,委
員長 は長 官(大 臣)
相 当 の特 別 職 であ る。委 員 はす べ て 国会 の 同意 を得 て
大統 領 に よって任命 され,任 期 は2年 で あ る。 この委 員会 は,2002年9月16日
に活
動 を終 え る予 定で あ ったが,世 論 の強い支持 に よって,そ の活動期 間が1年
間延長
41
通信教育部論集
第7号(2004年8月)
され た。
疑 問死 真相 糾明委 員会 の一行 は,2003年8月25日
て,法
か ら28日 まで 日本 を公式 訪 問 し
医学 関係 者 た ち との懇談 を重 ね られた 。委 員 長 の韓 相 範長 官 と姜 京 根委 員
(崇実大学法学部長)の お二 人 は,公 務 ご多忙 に もか か わ らず,8月27日
学 を訪問 され,特
には創価 大
に韓 相範委 員長 には,講 演 まで していた だい た。
本稿 は,こ の と きに行 われた講演 会 での発 表原稿 で あ る。 実 は,韓 相範 委員 長か
ら,公 務 での訪 日とい うこ と もあ るの で,当
日の 講演 は一切 の対価 の ない,全
くの
ボ ラ ンテ ィア と して行 いた い との お話が あ り,大変 に申 し訳 ない 限 りで は あったが ,
本 学 と して もそ の 申 し出 を受 け る こ とに した。 「疑 問死真 相糾 明」 とい う歴 史的課
題 を 自 らの 崇 高 な使命 と して真 剣 に取 り組 む韓 相 範 委員 長 と姜京 根 委員 の高 潔 さ
と,学 生 に語 りか け る熱 き情熱 は,韓
国の 「士 」(ソ ンビ)を 髪髭 とさせ る ものが
あ り,本 学 の教員 と学 生 に大 きな感銘 を与 え る もの であ った。 この場 を借 りて,心
か らの感謝 を申 し上 げ る次 第で あ る。 なお,[]内
一42一
は訳者 が付 した訳 注 であ る。
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