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Page 1 Page 2 第3回 ハーンの松江時代 第三回 一 月二 日 (日)放送
熊本大学学術リポジトリ Kumamoto University Repository System Title ハーンの松江時代 Author(s) 福澤, 清 Citation 熊本大学放送講座, 1991: 43-67 Issue date 1991-08-31 Type Book URL http://hdl.handle.net/2298/23016 Right 第 三回 }○ 月 二〇 日 (日 )放 送 ハー ン の 松 江 時 代 講 師 福 澤 清 ラ フカ デ ィオ ・ハー ンが島 根 県尋 常 中 学 校 ・師 範 学 校 の英 語 教 師 と し て赴 任 す る た め松 江 に到 着 し た のは、 一八 九 〇 (明治 二十 三) 年 八月 三十 日 (土 )午 後 四時 の こ と でし た 。 横 浜 市内 の神 社 仏閣 を人 力 車 で巡 り 歩 い て いる時 に、 あ る寺 で知 り合 った 学 生 の真 鍋晃 を 通弁 と し て伴 い、 東 京 から 姫 路 ま で汽 車 、 姫 路 から は人 力 車 で鳥 取 県 の上市 - 米 子 を経 て中 海 に 入り 、 蒸 気 船 で大橋 川 を遡 り松 江 大 橋 の南 詰 の埠 頭 に姿 を見 せ た の で し距 。 少 な く と も 七 、 八日 は か か っ た旅 の よう です 。 到 着 後 、 直 ち に富 田旅 館 ( 現 大 橋 館 新 館 ) に投 宿 しま す 。 当 時 の富 田旅館 の女 主 人 、 富 田 ツネ は そ の時 の様 子 を次 の よう に述 べ ていま す 。 ﹁⋮ ⋮ ⋮ 私 方 に御 到 着 の時 は早 速 お風 呂 を た て、 お 湯 か ら 上 ら れ た時 に白 浴 衣 を 出 し ま し た と こ ろ が、 そ れ が大 層 気 に 入 りま し て、 白 浴 衣 のま ま で 二階 の 八 畳 の間 に 、 ち ょう ど 日本 人 の よ う に、 膝 を キ チ ソと 曲 げ てお す わ り でし た。 先 生 の御 到着 前 に、 県 庁 よ り椅 子 や テ ーブ ルを 沢 山 借 り ま し て、 お役 人方 の出 張 を待 ち ま し た が、 県 の お方 々は 、 西 洋 人 に面 会 す る と いう の で洋 服 でお出 た よ う でし た が、 先 生 は 西洋 人 と し ては 身 長 の低 い 五尺 二三寸 位 、 頭髪 は灰 黒 色 、 鼻 の 下 に は髭 を は やし 鼻 は 高 い方 で、 背 を 屈 め て座 布 団 にす わ り浴 衣 を 着 て葉 巻 を 口に し て おら れ る様 子 が 、 西 洋 人 のよ う な 日本 人 の よ う な格 好 で、 何 と も 知 れ ぬ お か し さを 覚 えま し た 。 私 共 には 言葉 が ま る でわ から な か った が 、 声 の 調 子 は余 り高 い方 では な く 些 か 錆 声 で、 時 々高 声 に笑 われ ま し た。 県 庁 の役 人 方 が こ れ を取 り囲 む よう にし て椅 子 に腰 か け て いられ ま し た 体 裁 は 、 ち ょう ど 役 人 が 罪 人 でも 調 べ るよ う な 格 好 でま こと に珍 風景 であ り ま し た 。 そ の後 先 生 は こ の浴 衣 が 気 に入 り ま し て、 宿 に お い でる 間 は 、 何 時 も 浴 衣 で外 洋 次 郎 著 ﹃松 江 に於 け る 小 泉 八雲 の生活 ﹄ ] 出 は洋 服 でし た 。 余 り、 浴 衣 が 汚 れ ま し た た め に、 紺 飛 白 の単 衣 物 を 作 って上 げ た こ とが あ り ま し た。 ﹂ [ 桑原 44 大橋川北岸 ( 東 本 町 ) のこ の富 田旅 館 に投 宿 し た 日 に、 尋 常 中 学 校 教 頭 西 田 千 太郎 ( 当 時 二十 八才 ) の訪 問 も 受 け て いま す。 ハー ソは、 二階 の 八畳 と 二畳 の部 屋 を使 用す る こと にな り 、 女 將 のお ツネ と 女中 代 わ り のお ノブ が 身 辺 の世 話 に あ た りま す 。 お ノ ブ と は、 能 義 郡 広 瀬 町 の出身 で姓 は 池 田 で、 両親 に早 く よ り 死 別 し 、 そ の 祖 母 にあ た る人 が 、 お ノブ 七才 の時 に そ の弟 と 二人 を 連 れ て富 田旅 館 に身 を寄 せ た のが 始 ま り で、 ハー ンが 見 え た時 、 十 五、 六才 だ った よ う です。 ハー ソは 大 層 お ノブ を か わ いが り 英語 を教 え ま す が、 二十 三才 と いう若 さ で亡 く な り ま す。 そ の頃 の松 江 は、 人 口三万 五 千、 戸 数 一万、 大 小 三 十 三 の町 から な ってお り、 バ スは も と よ り鉄 道 も敷 設 され て お らず 、 上 水 道 、 電灯 も な く ラ ソプ 全 盛 の時 代 であ り ま し た。 道 行 く 人 の多 くは 帽 子 も か ぶら ず、 雨 が降 れば 屋 号 を筆 太 く 書 き 抜 いた番 傘 を さ し、 農 家 の人 は 蓑 傘 に草 履 と いう い でた ち で、 大 橋 の東 に は 小蒸 気船 が浮 か び、 朝 の汽 笛 が 霞 が ち な 松 江 の空 気 を破 った そ う です 。 当 時 の松 江 の音 は、 寺 や宮 から も れ る鐘 太 鼓 、朝 のお祈 り拍 手 、 米 つき の音 、 高 く叫 ぶ物 売 り の声 、 声 自 慢 の魚 屋 、 天 神 や和 田見 や殿 町 か ら聞 こ え る弦 歌 の さ ん ざ め き、 時 た ま 騒 ぐ湖 水 の波 音 、 餅 つく ヤイ トヤ モ ッサ の杵 の音 、 お祭 り 所 の夜 の錯 音 、 節 分 の夜 の オ ニヤー ス (鬼 は外 ) のか け声 、 耳 の立 った 和犬 の 遠 吠 え な ど も あ った よ う です。 磐 井 著 ﹃出 雲 に於 け る小 泉 八雲﹄ ] 春 風 の空 には朝 鮮 凧 、 お し き、 豆 凧 、 奴 凧 が 舞 い、 あ いつ ( 煙 火 )も 松 江 の夜 空 を 五彩 に彩 った そ う です。 [ 根岸 だけさん 富 田旅 館 は 大 橋 川 に 面 し、 西 の方 は 宍 道 湖 、 東 の方 は崇 山、 中 海 、 美 保関 、 日本 海 へと 続 き 、 天気 の良 い 日な ど には 、 大 山 の霊 峰 も眺 望 でき ま す 。 正 面 に は 、 白 潟 本 町 、 天神 町、 寺 町、 朝 日町 、 雑貨 町 、 灘 町 と い った市 街 地 を臨 み、 末 次 公 園 、嫁 が島 、 中 国 山脈 も 眺 め ら れ ま す。 真 鍋 の いる 頃、 ハー ソは、 昼 間 、 昼 寝 や茶 話 に時 を過 ご し、 夜 は 毎 晩 のよ う お ノブ を 誘 い出 し ま す。 忙 し い時 でも お 供 を お お せ つ に、 和 多 見 の橋 姫 さ ん ( 売 布 神 社 ) や天 神 神 社 の盆 踊 り を見 に真 鍋 と 富 田旅 館 の主 、 太 平 、 あ る い は か り ま す の で、 太 平 は後 では少 々閉 口し た と いう こと です。 そし て帰 り には 何 時 も 来 迎 寺 畔 の名水 や、 京 店 の御 か け 屋 (両 替店 ) の井 戸水 を 釣 瓶 呑 み にし て 喜 び 、 夜店 で色 々な 日本 の 玩具 を 買 ってき ては夜 遅 く ま で楽 し んだ り し た の で 宿 屋 の人 か ら は ﹁ま る で 子供 のよ う でご ざ ら っし ゃる。﹂と い われ た り し た そ う です 。 九 月 三日 (水 ) に は授 業 を 開 始 し て います 。 当 時 は 、 九 月 が学 年 初 め で七 月 が卒 業 時 期 に な ってお り、 ま た外 国崇 拝 と いう よ う な 考 え か ら欧 州 を 知 る こと が 急 務 と さ れ 、 英 語 を 国語 に と い う大 臣 も いる よ う な 時代 でし た。 ハ! ソか ら 、 会 話、 英 作 文 、 読 み方 を 習 った 生 徒 は ﹁会 話 な ん か純 粋 の外 人 か ら の話 は な か な か解 り ま せ ん。 これ には 閉 口し た も の です。 ﹂ と述 懐 し てお り ま す 。 そ のよ う な会 話 の時 間 のあ る時 、 ﹁卒 業 し てか ら ど ん な も の にな ら う と 思 ふか 。﹂ と いう題 が で て、 それ に かわ る が わ る 答 え る のに難 儀 し た こと も あ った と の こと です 。 ハー ンは 、 教 室 では 絶 対 に日 本語 を使 わず 、 と に かく 英 語 一点 ば り だ った そ う です 。 そう いう 時 は 普 通 英 語 の先 生 であ る中 山 先 生 が 大 抵 ハー ン の傍 ら に つい て色 々お 世 話 し た と いう こと です。 実 に 丁寧 に懇 切 に ハー ンは 教 え て いた よ う で、会 話 の時 に は生 徒 を 一人 一人 呼 ん で ハー ンの方 から 話 し かけ ま す 。 優 秀 な者 は 立 派 に答 え ます が 、 多 く は 、 ﹁アイ、 カ ンノ ット、 ア ソダ ー ス タ ソド﹂ でお 辞儀 だ った そ う です 。 一、 二年 生 あ たり の ク ラ ス で、 先 生 は 目 が悪 いか ら 騒 い でも見 えな いだ ろ う と 思 って私 語 を始 め て茶 目り だ し ま す と 、 ハー ソは ポ ケ ット か ら ジ ャ ック ナイ フ のよ う な 眼鏡 を取 り出 し それ を ピ ンと 直 角 に起 こし て目 に 当 て、 教 室 を 一瞥 oプ ・。 、 . H op口、け げΦ円 旧. . と げe母 に 。。けお 。。。・を お き な が ら た し な め た そ う で す 。 し 、 鉛 筆 で教 卓 を コツ コ ツと 打 って、 .bUoく9 げo嘱。。噂げo審 "αoづ.↓鼠涛 ωo 暑 あ る ク ラ スでは、 読 み方 と 書取 と作 文 が あり 、作 文 は自 由 英 作文 で、 ﹁] ≦Oωρ仁詳○﹂ 、 ﹁酒﹂ 、 ﹁宍 道 湖 ﹂ 、 ﹁神 道 ﹂ と いう よ う な題 が だ さ れ た そ う です。 自 分 の家 へも って帰 って間 違 いだ らけ のも のを作 る のです が それ を ハー ンは 不自 由 な 目 で赤 い字 で綿 密 に添 削 し て返 す の でし た。 よ いイ ンキ で細 か く 丁寧 に な お し てあ った そ う です。 書 取 は ハー ンが 親 し く見 聞 し た 光 景 を文 章 にし たも のを黒 板 に書 か せ る の です 。 番 に当 たら な いも のは そ れ を写 し さ えす れ ば よ い の です が、 当 た った者 は 随 分 苦 労 し たと いう こと です 。 rと ー の区 別 が 解 ら ず、 そ れ を間 違 う と ハー ンは 大 き く叫 ぶ のだ そ う です 。 それ が 実 に恐 ろし か った よ う です 。 そ の うち 、 な れ て き てあ の声 だ か ら ー では なく rだ と 感 じ て手 早 く rを書 い た そ う です 。 書 取 の 題 目 には 、 大社 参 り、 松 江 大 橋 、 城 内 の稲 荷 さ ん、 佐 陀 の祭 り 、 な ど が あ った と いう こと です。 教 室 に持 ってき て いた 一寸 位 の厚 さ の本 で語 源 を 調 ハー ソは、 授 業 中 、 困 った 時 、 身 振 り 、 手 真似 、 板 書 で説 明 し た り 、 意 味 が わ か ら な いと き は、 始 終 べた と の こと です 。 ま た ハー ソは 黒 板 書 き が と ても 上 手 で、 チ ョー ク を 人 差 し 指 と 中指 の間 に はさ ん で手 早 く、 生 徒 の方 に向 か って左 右 ど ち ら で でも 書 き 、 ち ょ っと し た船 など 簡 単 に 描 いた そ う です。 話 を し て いる う ち に出 来 上 が り、 そ れ が ま た実 に上 手 に描 か れ て いた と いう こ と です 。 よ く でき た生 徒 には 、 一方 のポ ケ ット か ら英 訳 し た 眺 太 郊 や カ チ カ チ 山 の う 48 つく し い絵 入 り の小 冊 子 を 与 え た そ う です 。 細 か い点 で は、 例 え ば 、 ロー マ数 字 の X は 五を 表 わ す V と それ を 逆 にし た A を合 わ せ る の で十 を意 味 す る と 説 明 し た り 、 Q と いう 文 字 の 場 合 ○ に 目 と 鼻 を 書 き 、 そ の 口か ら舌 を つき だ さ せ ﹁キ ュー 、 キ ュー﹂ と い う発 音 を 教 え た と α仁口と いう 字 を 、 い か にも だ る そ う に 発音 し て聞 か せ た そ 午 後 一時 、 真 鍋 晃 と と も に宍 道 湖 を 蒸 気 船 に て杵 築 (出 と い う単 語 には (元 気 のな い) と いう意 味 が あ る こと は 周 知 の こ いう の です 。 ま た う です 。 9 と と 思 わ れ ます 。 九 月 十 四 日 (日 ) 雲 )大 社 へ向 か いま す 。 宍 道 湖 を渡 って荘 原 に着 き そ こ から 人 力 車 に乗 って待 国造 千家尊紀 望 の大 社 に着 き ま す 。 ア メリ カ に いる 時 か ら 日本 に興 味 を も って いた ハー ンは す でに ﹃古 事 記 ﹄ を 読 ん で いた の です。 翌 日、 第 八十 一代 龍 昌 寺 で荒 川 重 之輔 (亀 斎 )作 の地 蔵 に魅 了 さ れ 大 正 十 四年 だ そ う です。 ) 宮 司 と 面会 し、 昇 殿 を 許 さ れ 宝物 を 見 せ ても ら います 。 (杵 築 が 大 社 と改 称 し た のは 九 月 二十 八 日 (日 ) 寺 町 ま す 。 仏 像 や地 蔵 を 見 た り、 子供 達 が裡 謡 を 歌 う の を聞 い たり 遊 ん で い ると こ ろを 見 て は楽 し む 習 慣 が ハー ンに は あ った の です。 ふ と 一基 の小 さ な 石地 蔵 が 目 にと ま り 、 そ れ が 非 凡 な作 品 であ る こと を 見 ぬ い た の です 。 早 速 、 富 田旅 館 49 に亀 斎 を呼 ん だ り、 好 き な酒 を 贈 った り し て地蔵 尊 な ど を作 っても ら った り し ま す。 あ る 日、 ハー ンは、 亀 斎 、 西 田、 中 山 の三 人 を 富 田旅 館 に招 待 し て 日本 料 理 を ご 馳走 し ます 。 ﹁日本 では客 座 敷 でお 客 及 び 亭 主 の座 る席 次 が あ る よう だ が 亭 主 と し て自 分 は ど こ へす わ る のが 本 当 か。﹂ と 尋 ね 、 西 田 が ﹁入 り 口 の近 く にお す わ り な さ い。﹂ と 言 い ま す と、 言 わ れ た 通 り にし ま す 。 ハー ンは 日 本 流 に箸 を使 お う と しま す が 自 由 にな り ま せ ん。 そ れ で い つも の こ と です が 、 ま る で三、 四才 の子 供 の よ う握 り箸 にな り 、 吸物 を まず 片 付 けま す 。 食 べ ては す ぐ 大谷正信 ( 後 、 旧制 広 島 高 校 教 授 、 英 文 に皿 でも 椀 でも 膳 の外 に並 べる た め 、 最後 に は、 膳 の 上 に は何 も 残 ら な か った そ う です 。 近 眼 の せ いも あ った よ う です 。 同 じ頃 、 当 時 の尋 常 中 学 校 の生 徒 学者 、 俳 人 ) の勧 め に従 い、 寺 町 の慈 雲寺 で大 谷 な ど の演 奏 す る雅 楽 の式 典 に 出席 し ます が 、 楽 席 で 日本 流 にき ち ん と す わ って熱 心 に耳 を 傾 け 、 さ ら にそ の あ と の西光 寺 で の同 じ 会 にも 出 席 し 、 足 のし び れ に も気 が つかな い ほど だ った と いう こ と です 。 あ る 日、 真 鍋 通 辞 のも と へ女 性 が 横 浜 か ら訪 ね て来 まず が 、 同 か の理 由 で大 50 いに ハー ンは 機 嫌 を損 じ て、 間 も な く真 鍋 は解 雇 さ れ帰 京 しま す 。 中 学校 の西 田千 太 郎 や中 山弥 一郎 の い る時 は 何 か に つけ便 利 で色 々 ハー ンの望 みは か な え ら れ ま す が、 そ れ でも 突 発 の時 、 ハー ソは い つも携 帯 し て いた英 和 辞 典 で いち いち 字引 を ひ い て用 を た し ま す が 、 毎 回、 間 違 いが あ り大 笑 いし た と のこ と で す。 終 生 、 ハー ソと 親 交 のあ った 藤崎 (旧姓 小 豆沢 ) 八 三郎 の余 談 に よ れば 、 松 江 での交 友 の第 一に、 英語 が でき て親 切 な人 格 者 であ り 、 心 理 学 、教 育 学 、 哲 学 に造 詣 が 深 く 、 ハー ンと は お 互 いに研 究 上 、 資 す る と ころ が 多 か った 西 田 千 太 郎 、 それ に会 話 も 発音 も 上 手 な中 山弥 一郎 が いた そう です 。 ハー ソは ﹁西 田 は英 語 の学 問 に、 中 山 は英 語 のプ ラ ック チ ス に長 け て居 ら れ る。﹂ と話 し た こ と があ る そう です。 女 將 お ツネ 、 お ノブ と の間 に は辞 書 片 手 に ﹁エ ッギ ス、 フー フー﹂ ( 卵のフ ラ イ の熱 い も のを さ ま す 表 現 ) と か ﹁地 獄 !地 獄 ! ﹂ (お 風 呂 が あ つ い。) と い う よう な 会 話 も な さ れ た よ う です 。 当 時 の食事 等 に つ い て、 富 田旅 館 の お ツネ は 次 のよ う に語 って いま す。 ﹁先 生 は 朝 は牛 乳 と 数 個 の生 卵 で済 ま さ れま した 。 昼 と 晩 と の 二食 は お刺 身 、 煮 付 け 、酢 の物 、 焼 き 魚 等 な ん でも お 上 が り でし た 。 例 の握 り 箸 で召 し 上 が り ま す の で、 魚 の骨 は取 って置 き ま し た 。 そ の食 べ方 は 妙 な も の で、 まず 膳 の う 51 え にあ る副 食 物 即 ち お菜 の方 か ら、 それ を 一皿 一皿次 々と こ と ごと く 平 らげ て、 それ か ら巻 鮨 と かご 飯 だ け を食 う と いう や り か た でし た 。 煎 茶 も 飲 ま れ ま し た が何 時 も大 概 は水 を 飲 ま れ ま し た。 先 生 は乾 物 でも 干 魚 でも 万 事 好 き嫌 いと 云 う こ と は あ り ま せ ん でし た が、 た だ 糸 こん に ゃくだ け は 嫌 い で ﹁私 の国 コンナ 虫 い て そ れを 思 い出 す か ら いや だ。 ﹂ と 言 って食 べら れ ま せ ん でし た 。 生 卵 は 一度 に 八、 九 個 も食 ぺら れ ま し た。 ま た 酒 は 昼 と 晩 に日 本 酒 一本 二 合 八勺 入 り) を 飲 ん でお ら れ ま し て、 洋 酒 を 注 文 し た こと は 覚 え ま せ ん。 珈 瑳 も 飲 ま れ ま せ ん でし た が、 た だ煙 草 だ け は大 好 物 でし て、葉 巻 と 刻 煙草 を絶 え ず 吸 ってお ら れ ま し た。 刻 煙 草 は 日本 の煙 管 を 使 う の です が、 そ の数 がだ んだ んと ふえ て数 十 本 と な り、 掃 除 は 大 概 お ノブ が 引 き 受 け て いま し た。 葉 巻 は 横 浜 か ら 大 箱 のも のを取 り寄 せ てお ら れ ま し た 。 先生 は横 浜 で巻鮨 をあ が った こと が あ って、 それ が 余 程 うま か った と見 え て、 私 ど も へお出 の日 よ り、 毎 日 のよう に昼 晩 共 に 必ず 、巻 鮨 をさ し あげ まし た が、 ﹃松 江 に於 け る 八雲 の私 生 活﹄ ︺ 後 では 、 お 飽 き にな り、 普 通 のご 飯 を 上 げ ま し た。 ま た フラ イ ・エ ッグ ズ の製 り 方 は 先 生 に教 わ り毎 々差 し上 げ ま し た 。 ﹂ ︹ 桑原洋次郎著 ハー ン は 、 ほ か に 、 卵 焼 き 、 ト ロ ロ汁 、 奈 良 潰 、 沢 庵 な ど も 賞 味 し 、 か な り 隻 欽 圧 蓋 で あ った と ハう 二 と で ナ O 52 煙 草 は 当 初 か ら 吸 って いた よう で刻 煙 草 を 煙 管 の皿 に積 め て、 パ ッパ ッと 吹 き 、 火 鉢 の縁 を ポ ンポ ソ打 つのは い い の です が 、 近 眼 な も の で す から 吸 殻 は 飛 び 散 り 畳 や衣 服 の到 る と こ ろ に黒 点 が でき た と いう こと です 。 藤崎 ( 小 豆沢 ) 八 三郎 も 次 のよ う に述 懐 し て いま す。 ﹁先 生 は マ ニラ の葉 巻 煙 草 を好 み 、 散 歩 の時 でも、 読 書 の時 でも 常 に 口 にせ られ る事 が多 か った ので、 余 は初 め て葉 巻 煙草 を 見 、 そ の香 りを 知 った のであ っ ﹃旧師 八雲 先 生 を 語 る ﹄︺ た 、 そ の後 今 日ま で、 葉 巻 煙 草 の香 り を嗅 ぐ毎 に 必 ず、 松 江 時 代 の先 生 を 思 い 出 す。 ﹂ ︹ 松 江中 学 校 編 ハー ソは水 泳 、 と り わ け 、背 泳 ぎ が得 意 だ った の です が、 自 慢 は 上 手 に波 に 浮 かび 、 眠 る が ごと く、 そし て巧 み に波 を さ け 、葉 巻 を くゆ ら す と いう の です。 当時 、 外 人 と いう だ け でめ ず ら し い のに、 恵 曇 や杵 築 で遊 泳 す る とき 、 海 の中 でも帽 子 に シガ ーと き て いま す の で浦 の人 は ﹁是 れ、 た だ の 人間 にあ ら ず﹂ と 少 な か ら ず驚 いた、 と いう こと です。 そ れ ほ ど の達 人 であ り な が ら、 い つも フ カ は いな いか フカ は いな いか と 心 配 し た そ う です 。 これ は、 ハー ソが フカ の本 53 場 の西 イ ンド 諸 島 (マル テ ィ ニー ク島 ) で過 ご し た か ら と 思 わ れま す 。 独 特 の 泳 法 も この西 イ ンド 諸 島 のカ リ ブ海 での修 行 によ ると いう説 も あ り ます 。 当時 は、 牛 肉 は も と よ り鶏 肉 等 も ま だ 一般 には 使 わ れ て居 ら ず、 料 理材 料 は 主 と し て野 菜 や魚 類 に限 ら れ て いま し た の で、 富 田旅 館 在 中、 洋 食 は 一切 と ら ず ま た、 取 り 寄 せ た こと も な く、 従 って ナ イ フ や フ ォー ク な ど使 用 し た こ と は な か った と の こと です。 ハー ソはお 風 呂 好 き で毎 日 入 り ます が、 ぬる ま 湯 を 好 み浴 後 冷 た い水 を 浴 び る 習慣 が あり ま し た。 平素 か ら衛 生 面 に注 意 を 払 って、 外 出後 や執 筆 の後 には 必 ず 手を 清 め、 ま た う が いを怠 ら な か った そう です 。 ま た、 ト イ レ には いる光 景 が 一風変 わ って い て、 い つも葉 巻 を く わ え て、 し か も ど う いう も のか帽 子 を か ぶ って いた そう です 。 洋 傘 や ステ ッキ は所 持 せず 使 用 す る こと は な く 、 雨降 り の時 は人 力 車 を 呼 ん で外出 し、 ネク タイは 非常 に狭 い黒 いリボ ンか紐 に限 られ ていたと いう こと です。 学 校 でも 大 体 こ の よ う な ぐあ いだ った よ う です。 先 生 は ふ だ ん 茶 色 の 背 広 に 、 ソ フ ト シ ャ ー ツ、 ソ フ ト カ ラ ー を 用 い ら れ 帽 子 は 大 底 司 じ 茶 邑 の 雫 所 れ と き ま っ て 舌 ヒ 。 ⋮ ⋮ ⋮ 更 折 こテ 弧 配 る 寺 も 司 羨 で ・ 54 彼 の教 場 か ら便 所 に通 ず る 長 い廊 下 を こと り こ と りと 歩 か れ た様 子が 、 今更 眼 前 に彷 沸 と し て居 る。 シ ガー は 、 好 物 の上 に臭 気 消 し の為 と も 思 わ れ たが 、 学 校 の往 復 以外 、 帽 子 を 冠 ぶ る慣 習 な ど全 く な か った ⋮ ⋮ ⋮ 田舎 小僧 共 は、 先 生 ああ、 が便 所 通 い に帽 子 を 冠 ぶ ら れ る こ と だ け でも 非 常 な キ ュー リ オ シチ を 以 って見 守 ら ざ るを 得 な か った。 服 装 に就 い ては薄 鼠 色 の背 広 を始 終 着 て居 ら れ て、 遙 か遠 方 か ら でも あ れ は ヘル ン先 生 だ と い ふ事 が す ぐ に解 り ま し た。 様 々の洋 服 を き ら れ な か っ た事 が 深 く 印 象 に残 って居 りま す 。 日本 人 は 着 物 が 多 す ぎ る。 ヘル ン先 生 を 見 よ、 と い ふ こと を中 山先 生 か ら も教 え られ た 事 を 記 憶 し て居 り ま す。 ま た、 先 ﹃旧 師 小泉 八雲 先 生 を語 る﹄ ︺ 生 が眼 鏡 を かけ ら れ る時 は非 常 に迅 速 なも の でし た 。 ︹ 松江中学校編 ハー ソ の嗅 覚 は異 常 に鋭 敏 であ った と いう 人 が いま す。 そ れ は た だ彼 の鼻 の 作 り を 見 た だ け でも 、 そ の方 面 に彼 が す ば ら し い能 力 を持 ってい た こ とが 知 れ ると いう の です。 彼 の鼻 は 鷲 鼻 で非 常 に大 き く、 そ し てき ち ん と形 の とと の っ た 敏感 な 鼻 孔 は、 な に か興 奮 し た り 非 常 に興 味 を感 じ た り す る時 に、 ぴく ぴ く 震 え る 奇 妙 な癖 を持 って いた と いう の です 。 ﹁﹂ド フード ・ラ コッケ ニ rイ ノわ ー ﹁へー ノヒ臭 謡 一﹂ 55 ハー ソは非 常 な 近 眼 であ ったた め、 常 に虫 眼 鏡 型 の、 高 度 の大 単 眼鏡 を用 い これ を細 い紐 で頭 から ぶ ら さげ て胴 衣 のポ ケ ット にお さ め て いま し た。 学 校 で は、 よ い方 の 目、 つま り、 右 目を 生 徒 に向 け て、 横 向 き に教 壇 に 立 って授 業 を し た と の こ と です 。 民謡 、 童 話 、 盆 踊 り な ど に深 い興 味 を 示 し 、 た び た び そ れ を聞 い て深 く感 動 しま す 。 富 田旅 館 の前 を 通 る金 魚 売 り 、 花 売 り 、鮮 魚 売 り、 な ど の呼 び声 にも 耳 を 澄 ま し ては 聞 き 入 っていた と の こと です。 神 社 、 仏 閣 、 伝 説 地 と い うも のも 随 分 見物 に出 か け ま し た。 同 行 は大 抵 、 西 京店 織原 田先 生 だ った そ う です。 例 えば 、 十 二月 には佐 太神 社 を参 詣 し、 龍 蛇 を見 学 し て いま す 。 十 月 下旬 - 十 一月中 旬 頃 に富 田旅 館 か ら転 居 し ます 。 第 二の宿 方 の離 れ 座 敷 ( 末 次 本 町 ) に移 り ま す。 そ の時 分 の松 江 の光 景 を次 の よ う に描 写 し て いま す。 この よ う に町 の人 た ち の生 活 が 始 ま る早 朝 の物 音 に起 こさ れ て、 私 は 小 さ な 障 子 を開 け て朝 の様 子 を眺 め渡 す 。 川 っ縁 で区 切 ら れ た 庭 から 若 葉 が 伸 び 上 が り、 柔 ら か な緑 の雲 と い った趣 を 呈 し て い る。 私 の前 には 対 岸 のあ ら ゆ る物 の 56 ゆ ら ぐ 姿 を 映 し な が ら、 大 橋 川 の幅 広 い鏡 のよ う な水 面 が ち ら ち ら 光 る。 そ の 水面 は更 に広 が って宍道 湖 と な り、 そ こか ら湖 の洋 々たる おも ては右 手 に向 か っ てぐ ん ぐ ん伸 び て、 遙 か に霞 む 山並 み が灰 色 の わ く を つく る境 界 線 に達 す る 。 川 を隔 て てち ょ うど 私 と 向 き 合 った と こ ろ にあ る 日本 式 の住 居 は 青 っぽ い屋根 が い や に 目立 つ家 並 みを 連 ね、 それ が どれ も 雨 戸 を 立 て渡 し て、 箱 を閉 じ た よ う に締 め釦 ったま ま にな って いる。 と 言う のも 、 夜 は 明 け た が 、 朝 日 の昇 る 時 刻 に は ま だ少 し間 が あ る か ら であ る。 し か し、 あ あ 、 そ の光 景 の魅 力 は ど うだ ろ う。 あ のも や に浸 さ れ て定 か な ら ぬ朝 の最 初 の艶 や かな 色 合 い。 こ う いう朝 の色 綾 は眠 り そ のも の のよ う に柔 ら 山 々 の裾 は か なも や か ら軽 く 抜 け 出 て目 に見 え る蒸 気 と な って うご く 。 ほ のか に 色 づ いた 霞 は長 く伸 び広 が って湖 の遙 か彼 方 の端 にま で達 す る。 そ のた め湖 は実 際 す べ て そ の霞 で隠 さ れ る。 更 に霞 は 果 て しな く 長 い薄 織 布 のよ う に 、 よ り高 い 峰 々を それ ぞ れ 違 った 高 さ の所 で横 ぎ って進 む 。 よ り比 較 にな ら ぬ ほど 大 き く見 え、 現 実 の湖 と い う より む し ろ 、 そ れ は 曙 の空 と同 じ 色 を し た 美 し い幻 の海 と なり 、 空 そ のも の と見 事 に溶 け 合 う 。 幾 つも の 峰 の頂 が 薄 いも や のな か か ら島 の よ う に浮 か び、 山 並 み のか す か にた ど れ る輪 郭 の幾 す じ かは 果 てし な い土 手道 の よ う に伸 び つづ け なが ら 先 細 り し て消 え 失 せ る。 そ れは 素 晴 ら し い混 沌 の領 域 で、 淡 い朝 霧 が ご く緩 や か に立 ち のぼ る に つ匝 て ハみじ く も 変 ヒ し て やま k ハ。 57 太 陽 の黄 金 色 の緑 が のぞ き は じ め る と、 いま ま で よ りも っと 暖 か い色 調 の1 淡 いす み れ い ろ や乳 白 色 のー 微 妙 ・繊 細 な光 線 が さ っと差 し 込 み、 木 々 の上 端 の こず え は火 の よ う な赤 味 で照 り 映 え 、美 し いも や を へだ て て見 る 川 向 こう の ・: o 高 い建 物 の木 造 の全 面 は 本 来 の木 の色 か ら し っと り と し た黄 金 色 に変 わ る ⋮ ⋮ ・: 。 そ れ か ら今 度 は 私 のと ころ の庭 に面 し た 川岸 から 拍 手 を う つ音 が 聞 こえ て来 る◎ 一つ、 二 つ、 三 つ、 四 つ 拍 手 を打 つ音 は 鳴 り 止 ん で、 一日 の骨 の折 れ る営 みが 始 ま る 。 橋 を 渡 って行 き来 す る下 駄 の音 が 一層 か し ま し く な る。 大 橋 を 渡 る下 駄 の響 き ほ ど 忘 れ 難 い も のは な い。 足 速 で、 楽 し く て、 音 楽 的 で、 大 舞 踏 会 の音 響 にも 似 て いる。 そ う 言 えば 、 それ は 実際 に舞 踏 そ のも のだ。 人 々は 、 皆 が 皆 、爪 先 で歩 い て い る。 朝 の日差 しを 受 け た 橋 の上 を無 数 の 足 が ちら ち ら 動 く さ ま は 驚 く べき眺 め であ ﹁神 々 の国 の首 都 ﹂ ] る。 そ れ ら の足 は す べ て小 さ く て均 斉 が とれ て い て、 ギ リ シ ャ の瓶 に 描 か れ た 人物 の足 の よう に軽 や か であ る。 [ 平川祐弘編 学 校 から 帰 り ま す と、 例 の浴 衣 に着 替 え て、 絶 え ず 何 か を書 いて い た そ う で ず 。 覧 分 書 喚 え を し、 そ の砥 片 が 尺 ﹄ あ った と いう こと でず。 こ の こ と ぽ著 書 58 を 二十 遍 も 三十 遍 も洗 練 に洗 練 を 重 ねた も の でな いと 発 表 し な か った こと と 整 合 し て いま す。 倒 置 の多 い ハー ン の文 体 も ナ ルポ ドと 思 わ れ ま す。 ハー ンは情 深 い人 であ り ま し た 。 十 一月 の あ る 日曜 日、 富 田 旅館 の女 將 お ツ ネ と 眼 の悪 いお ノブ を 伴 い 一畑 薬 師 (平 田市 小 境 町 ) に参 詣 し ま す。 取 材 活 動 の 一環 と し ての名 所 旧 跡 巡 り であ った わ け です が 、 お ノブ の眼 の全快 祈 願 の参 詣 も兼 ね て いま し た 。 こ こは 眼 病 を 治 す 仏寺 と し て出 雲 では よ く 知 ら れ て いま す。 お ノブ の眼 が 時 々痛 み 、 ま た スガ 目 であ った のを 非常 に憐 れ ん で のこ と で し た。 そ し てお ノブ に治 療 代 は 全 部 自 分 が負 担 す る から と い って診療 を勧 め ま す。 近 く にド イ ツ で修 業 し てき た 医 者 が いる こ とを 聞 い て、 即 刻 、着 物 を洋 服 に替 え 、神 戸酒 を 贈 って治 療 を 懇 願 し ま す。 医者 は ハー ン の篤 志 に感 激 し治 療 費 は辞 退 し ます 。 そ の結 果 お ノブ の目 は 全治 し た と いう こ と です 。 ま た神 社 、 仏 閣 を 崇 敬 し て、 何 円 、 何 十 円 の寄 付 も しま した 。 一畑薬 師 に は 大枚 十 円 (今 日 の 五万 円 位 ) を 寄進 し た そ う です 。 ハー ソには ま た す こぶ る 無頓 着 な と ころ が あ った よ う です 。 お金 は い つも ポ ケ ット の中 に札 も 貨幣 も 一緒 に、 ザ ク リ ザ ク リ と無 造 作 に 入れ てお い て、 月 末 に月 給 を も ら いま す と、 宿 の家 族 の者 に全 員 残 らず 、 一円 ず つ分 配 し ま し た 。 お か みが 代 表 し てお礼 を 言 う わ け です が、 外 の者 が何 も言 わ な い の で お か みが 黄 頁 し ヒと 耶 佳 し 下幾 兼 k 二と も ら つ﹂ こヒ ρう 二 と でポ 。 ﹁遍 留 ん﹂ (へる ん) と いう 印鑑 も年 未 に は作 って いま す 。 十 二月 。 旧 暦 十 月 で 一般 的 に は 神 無 月 です が 、 出 雲 は 、 国 中 の 神 々 が 集 ま り ま す の で神 有 月 と い い 、 そ し て厳 し い冬 を 迎 え る こ と に な り ま す 。 十 年 に 一度 の 割 合 で 豪 雪 に な る の が 出 雲 の特 徴 です が 、 ち ょ う ど こ の 年 が そ う で あ った よ う です 。 結 核 にか か って いた 西 田 に と り、 こ の寒 さ は こと のほ か こた え寝 込 み ます 。 積 雪 が 五 十 セ ン チ 位 あ った よ う で す 。 ハー ン は た び た び 雑 貨 町 の 西 田 を 見 舞 い ま す。 正 月 に は 、 お ツネ に紋 付 き 羽 織 を 新 調 さ せ 、袴 、 白 足袋 、 靴 と いう出 で立 ち で挨 拶 回 り を し ま す 。 紋 所 は 、 ハー ン 家 の家 紋 で あ る 鷺 を あ つ ら った と い う こ と で す 。 ま た 、 ハー ソ は 正 月 の 注 連 飾 り が 気 に 入 り 、 一月 未 ま で そ の ま ま 飾 ら せ て いた そ う です。 そ う こ う し て い る う ち に 、 ハ1 ン 自 身 が こ の厳 し い 寒 波 で 風 邪 を ひ き 一月 二 十 四 日 頃 ま で寝 込 み 、 学 校 も 休 み ま す 。 ハー ン を 採 用 し た 篭 手 田 安 定 知 事 の 令 嬢 よ し 子 か ら 見 舞 い 状 と 鴬 が 届 い た の も こ の頃 です 。 こ ん ど は 、 西 田 が 自 分 の病 気 も か え り み ず ハー ンを た び た び 見 舞 い ま す 。 ハー ■ 三'i﹂ )胤 庵 ) 戸蜘、 P一一、) 3一 ﹂O ン は こ の 頃 、 約 一月 間 、 午 前 三 時 前 に 眠 る こ と は で き な か った そ う で す 。 ひ ど 、乳 B ) 六 虻 )賦 ー" ーコ こう いう 状 況 のも と で、 小 泉 セ ツが住 み込 み女 中 と し て ハー ソ の身 辺 を世 話 す る こと に な り ます 。 やが て、 同棲 、 事 実 上 の結 婚 と いう関 係 に発 展 し ま す 。 一月 下 旬 ー 二月 上 旬 の頃 です。 数 え年 で ハー ソ、 四十 一才 、 セ ツ、 二十 三才 の とき の こ と です 。 小泉 湊 の次 女 と し て生 ま れ て いま す 。 母 の チ エは 、 ﹁御 小 泉 セ ツは 一八六 八 ( 慶 応 四 )年 二月 四日 南 田 町 の 一角 (殿 町 二百 九 十 三 番 屋 敷 ) に松 江 藩 士 族 家 中 一番 の御 器 量﹂ で、 嫁 い でく る ま では塩 見家 の広 壮 な 屋 敷 で家 老 家 の 一人 娘 と し て育 って いま す。 セ ツが 生 ま れ る前 、 小 泉 家 と そ の遠 い親 戚 筋 に当 た る稲 垣 家 と の間 には 、 養 子 の話 が ま と ま って いま し た 。稲 垣 家 に は 子供 が授 か って いな か った の です 。 誕 生 七 日 を祝 う お 七夜 の晩 に、 篭 に揺 ら れ て内 中 原 町 も 祖 母 橋 のす ぐ 近 く に あ る稲 垣 家 の屋 敷 に連 れ て いか れ ます 。 養 父 は金 十 郎 、 義 母 は ト ミ 、 金 十 郎 の父 親 、 万右 衛 門 な ど セ ツを ﹁お嬢 ﹂ と呼 ん で か わ いが り ま す 。 し かし 、 明 治 の大 変革 に よ る士 族 の没 落 が セ ツのも と にも お し 寄 せ ま す。 セ ツが満 七才 の時 、 養 父 、金 十 郎 は 事 業 に失 敗 し、 一家 は 中 原 町 に引 越 し ま す 。 実 父 の小 泉 湊 は 機 織 会 社 の設 立 の事 業 に参 加 しま す 。 こ の会 社 で機 を 織 る 士 族 の娘 の 一人 と し て セ ツは娘 時 代 を 迎 え ます 。 十 八才 に な ると 、 セ ツは 因幡 の貧 窮 士 族 で あ る前 田家 の次 男 為 二を 婿 養 子 と し て迎 え る こ と に なり ま ず◎ 61 稲 垣 家 では、 万右 衛 門 が 厳 格 さ と 高 い気位 の家 風 を 二十 八才 の婿 に求 め ます 。 一方 では 事業 失 敗 の負 債 が あ って貧窮 の生活 が続 き ま す 。 、そ の頃、 初 め好 調 だ った実 父 、 小 泉 湊 の機 織 会 社 が倒 産 し てし ま います 。 さ ら に、 湊 自身 が リ ュー マチを 患 い病 床 に つき ます 。 婿 養 子 の為 二は 一年 も た た な いう ち に、 貧 し さ に耐 え ら れ ず出 奔 し ます 。 一 度 、後 を 追 いか け て大 阪 ま で行 き懇 願 し ます がむ なし い結 果 に終 わ りま す 。 し ば ら く し て、 セ ツは 満 二十 二才 に な る少 し前 の 一八九 〇 (明治 二十 三 )年 の 一月十 三 日、 為 二と の婚 姻関 係 を解 消 し、 同 時 に小泉 家 に復 籍 し ま す 。 セ ツは、 義 父 母 と 養 祖 父 の扶 養 、 それ に実 母 の世 話 と いう 困窮 の状 態 にあ っ て機 織 だ け では ど う にも な ら な い窮 状 に陥 って いた の です 。 ︹長 谷 川洋 二著 ﹃小 泉 八雲 の妻﹄ ︺ セツが ハー ン の家 に 入 って間 も な く 、 セ ツ への哀 れ な境 遇 への同 情 か ら か 、 ハー ソは 稲 垣 家 の縁 戚 の数 え十 八才 の高 木 八百 を家 の中 の面 倒 を 見 る 女 中 と し て呼 び 寄 せ ま す。 或 る 夕 方 、私 が軒 端 に立 って、 湖 の夕 方 の景 色 を眺 め て いま す と、 す ぐ 下 の 渚 で 四、 五 人 の い たず ら子 供 が 、 小 さ な猫 の児 を 水 に沈 め ては 上 げ、 上 げ て は 沈 め て いじ め てい る の です 。 私 は、 子供 達 に、 お詫 びを し て宅 に つれ て帰 り ま し て、 そ の話 を いた しま す と ﹁お お か わ いそう の子猫 、 む ご い子 供 です ね ー﹂ と い いな が ら、 そ の び っし ょり濡 れ てぶ る ぶる ふ る え てい る のを 、 そ のま ま自 ﹃思 い出 の記﹄ ︺ 分 の懐 に 入 れ て暖 め て やる の です。 そ の時 は 私 は 大層 感 心 い たし ま し た 。 ︹小泉 セ ツ著 一八九 一 (明治 二十 四 )年 四月 三 日 (金 ) に は大 橋 開 通 式 が あ り これ を こ の 織 原 家 の 二階 よ り眺 めま す 。 六月 二十 一日 (日 ) には 、 西 田千 太 郎 が 国 の風 俗 を ハー ン に見 せ よ う と松 尾 町 の大 黒舞 を呼 んだ こと が あ り ま し た 。 女 ば か り 三人 や ってき て玄 関 先 で竹 で 作 った カ チ カ チ と いう 楽 器 に合 わ せ て歌 いだ し ます 。 ハー ソは だ ん だ ん と 興 に の ってき て近 眼 鏡 を 取 り 出 し 研 究 熱 心 のあ ま り前 へ出 て見 よ う と し ま す が、 目 が悪 いも の です か ら 膳 を 踏 ん で目茶 苦茶 に し てし ま った そう です。 翌、 二十 二 日根 岸 千 夫 方 (北堀 町 三 一五番 地 ) に転 居 し ま す 。 こ の家 は 、織 原 の住 居 を 北 に出 て京 橋 を渡 り、 殿 町 を北 へと進 み北 堀 橋 を 越 え 西 に曲 が り 、 壕 を左 に 二百 メー ト ル程 行 った 所 の右 手 に あ る古 風 な 屋 敷 です 。 静 か で庭 のあ る家 中 屋 敷 で、 こ の 一帯 は 塩 見 縄 手 と 呼ば れ、 士 族 屋 敷 の並 んだ 所 です 。 向 い ぽ、 封 木 の圭 い麦 った 戎 勾 謡 苛 坤 生 で、 そ りず ぐ句 こ う こ千 島 或 と乎 ま 瓦 る訟 63 江 城 が あ り ま す。 大 き な 木 が壕 に影 を落 し、 小 鳥 の鳴 き 声 が 始 終 聞 こ え る閑 静 な 場 所 です。 ハー ン は こ こ の庭 が 大変 気 に いり 、 靴 も 下 駄 も は か ず、 靴 下だ け で砂 の上 や飛 石 の 上 を ぶら ぶら 散 歩 し ます 。 こ の根 岸 邸 の前 庭 は 荒島 砂 と い っ て大粒 の大 豆 か小 豆位 の砂 で、後 庭 は 一寸 位 の 玉砂 利 が 敷 き 詰 め てあ った そ う で、 そ のま ま庭 か ら座 敷 に上 が っても靴 下 で汚 す こと は な か った と いう こ と で す。 結 婚 後 の小 泉 セ ツは 、終 始、 日本 服 で、 髪 は 丸 ま げ で、 ハー ン の寝 具 は ベ ッ ド では な く敷 布 団 を た く さ ん 重 ね て休 んだ そう です 。 織 原 に い る頃 、 ハー ソは胃 腸 を悪 く しま す 。 多 年 の習慣 に 反 し、 日本 食 を 取 り す ぎ た よ う であ る と 田 野俊 貞 医 師 の注 意 を う け て いま す。 こ の 頃 の食 事 は、 朝 が、 牛 乳 二合 と生 卵 五個 、 昼 は 、曳 野 ホ テ ルか ら取 り 寄 せ、 夜 は 必ず 、 洋 食 だ った そ う です 。 ホ テ ルか ら のも のは煮 〆物 と か卵 を 使 っ た 日本 料 理 が好 物 で、 夜 の洋 食 は コー ヒー、 パ ンな ど 五 品 位 で 一皿 は 必ず ビ フ テキ で材 木 町 の西 洋 料 理店 魚 才 こ と鎌 田才 次 よ り 取 り寄 せ た そ う です 。 夕 食 後 に は 必 ず朝 日 ビ ー ルを 二本 ず つ飲 み、 そ の ビー ルは 大 橋 北詰 め の 山 口兵 衛 薬 店 に し か な く い つも 何 ダ ー スか買 い置 き し て毎 晩 、飲 ん で いた と い う こと です 。 そ の肴 に は卵 黄 製 で黄 色 の花 弁 の、 ま ん中 が 紅 色 の実 に柔 ら か い黄 金 牡 丹 と い う菓 子 を 五、 六個 食 べ て いた そ う です 。 日本 酒 と か刺 身 は あ ま り好 ま ず 、 魚 の 煮 つけ と 焼 き魚 を好 んだ と いう こ と です 。 毎 日、 午 前 八時 頃 起 き て十時 頃 、 休 んだ そう です。 洗 面 は い つも 台 所 です ま せ、 九 時 頃 ま で には 出 か け、 二時 間 位 授 業 し て昼 ま でに は帰 宅 し て いた よ う で す。 ハー ン の嫌 いな も の に割 木 を 炊 いた 時 の煙 が あ り、 風 呂 を わ か す のも 、牛 乳 を あ た た め る のに も木 炭 を 使 用 し た と の こと です 。 ハー ン の風 呂 は 、 毎 日 の こ と でき わ め てぬ る いお湯 に し かも烏 の行 水 であ った よ う です 。 ハー ソは 、 暑 さ は あ ま り気 にな ら ず 、 む し ろ好 ん で いた よう で、 太 陽 直射 の も と庭 の飛 石 や荒 砂 の上 で大 の字 に仰 向 け にな って日光 浴 を楽 し んだ よ う です 。 ハー ンと セ ツは海 水浴 や旅 行 、 買 物 な ど よ く 一緒 に出 かけ てお り ま す 。 反物 屋 な ど へ行 って ﹁一番 上等 、 上 等 ⋮ ⋮ ⋮﹂ と 言 って 一番 良 いも のを セ ツに 買 っ てあげ て いた そ う です 。 旅行 は、 杵築 、 稲 佐 浜 の養 神 館 、 日御 岬 、 加 賀 の潜 戸 、 美保 関 な ど です。 十 月 初 旬 に チ ェンバ レ ソ から 熊 本 で の就 職 に関 す る 手 紙 が 届 き ま す 。 八 日 (木 ) に 西 田千 太郎 に熊 本 転 任 の決 意 を報 告 し、 二十 六 日 (月 ) 尋常 中学 校 で 最 終 講 義 を し解 任 と なり ま す。 松 江 の寒 さ、 給 料 が 倍 にな る こと 、 セ ツが 心 な い人 に悪 し様 に 言 われ た こと、 執 筆 のた め の新 し い材 料 捜 し 、 な ど が 転 任 の理 由 と考 え られ ま す 。 65 十 一月 十 五 日 (日 )、 午 前 八時 、 北 堀 の家 の前 に 二 百名 の生 徒 が集 ま り 、 大 橋 西桟 橋 へ行 進 し、多 く の人 々 の見送 りを 受 け 、汽 船 で宍 道 湖 を 渡 って行 き ま す。 ハー ンは、 あ る送 別 会 の席 で イギ リ ス の歌 を 、 二、 三、 大 き い声 で歌 い、 煎 餅 食 い と い う余 興 にも 参 加 しま す 。 膝 で歩 い て天 井 か ら つり さげ てあ る煎 餅 を 奪 い食 いす るも の です が、 ぶら ぶら し てな か な か 思 う よ う に食 べら れ な いゲ ー ム です 。 拍 手 喝 采 を あ び た そ う です。 も や に包 ま れ 、 早 くも 訪 れ た冬 の冷 気 に身 の引 き締 ま る よう な 、 美 し い朝 で あ る 。 こ の町 の見 納 め に私 は 小 さ な 甲板 に 立 つ。 白 い長 い橋 のか か った 大橋 川 の趣 のあ る 風 景 、 鏡 のよ う な 水 面 に ま る で足 を浸 す よ う に、 肩 を 寄 せ て立 ち 並 ぶ 奇 妙 で懐 か し い古 い家 々、朝 日 を受 け て金 色 に輝 く何 隻 も の小舟 の帆 、 そ し て夢 のよ う に美 し い姿 の、昔 と変 わ ら ぬ 山 々。 こ の国 の魅 力 は 実 に魔 法 のよ う だ。 本 当 に神 々の いま す 国 さ な が ら、 不思 議 に人 を ひき つけ る 。 色 彩 の霊妙 な美 し さ、 雲 に溶 け込 む 山 々 の姿 の美 し さ、 と り わ け 、 山 の頂 を 空 中 に漂 う か に見 せ る、 あ の長 く たな び く霞 の裾 の美 し さ と い った ら な い。 空 と 地 と が 不思 議 に混 ざ り合 っ てい て、 現 実 と 幻 が見 分 け難 い 国一 す べ てが、 今 にも消 え て行 く し ん気 楼 の よ う に思 わ れ る 国。 そ し てこ の私 、一 乙- ﹄コノ ﹄一 コ m 旧ヨく.'、) h ﹂ )コノ に と っては、 そ れ は ま さ に永 遠 に消 え去 ろう と し て いる のだ。 66 追記 詳 し く は、 梶 谷 泰 之 著 ﹃へる ん先 生 生 活 記 ﹄ 、 池 野 誠著 ﹃松 江 の小 泉 八 雲 ﹄ を 参 照 され た い。 本 稿 作 成 にあ た り 、 小 泉 凡 氏 と 今井 書 店 の川 名 由 美 子氏 には 資 料 等 々、 大 変 お 世 話 にな って いま す 。 67