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No.22 - 青山学院大学山岳部
緑 ケ丘 通 信 青 山 学 院 大 学 体育 会 山 岳部 O B会 度 幹 事 長 の発表 が あ り ま し た 。 8 5年 度 は斎 藤 幹 事 長 が 、 任 期 半ば にし て 海 外 駐 在 と な り、 そ の後 を 下 河 辺 幹 9年度総会 5 開催される 9年 5月 9 日 ︵ 日時 5 水︶ 場 所 三 円学 会 館 こ こ二∼ 三年 O B総 会 は渋 谷 を離 れ 他 所 で開 か れ て いた が 、 久 し ぶ り に渋 谷 に戻 り 、 初 夏 には少 し 早 いが 新 緑 の青 学 会 館 に て開 催 し ま し た 。 昭和59年 8月 21目 発行所 緑 ケ丘 山 岳 会 〒103 東京都中 央区 日本橋3213 (有 )中 条印刷所内 男 彦 之 出 恵 夫 介 郎 事 が代 行、 9 5年 度 は下 河辺 を 幹 事 長 に指 名 、 現在 、 新 幹 事 会 、 新 監 督 会 は、 左 記 の メ ンバ ーに て活 動 を 行 な ってお り ま す 。 近 西 小 安 菅 若 土 下 河 江 脇 倉 本 田 杉 田 辺 又す で に先 号 の会報 に てご 連 絡 し て有 り ま す 厚 木 キ ャ ンパ スに 日本 チ 督 参 加 者 は小 島先 輩 を 初 め 例 年 と 大 し た変 わ り も な く 、 O B、 現役 三十 名 の参 加 と な り ま し た 一 但 し、 今 年 は 現 役 に異 変 が起 こり、 何 と 1年 6 2年 4名 、 3年 3名 、 4年 1 名、 4名 と 部 員 も 久 し ぶり に 2 名、合計 1 ケ タと な り 、 恐 ら く 東 京 の大 学 山 岳 部 の中 では 一番 員 数 の多 い山 岳 部 と な った様 です 。 これ は将 来 のO B会 にと っては、 増 々力 強 い事 です 。 開 会 に当 た り鈴 木 理事 長 よ り 9 5年 1 で初 め て大 学 と し て岩 登 リ ト レ ー ニ ング 場 建 設 が 決 定 し た事 の発表 が有 り、 参 加 各 O B よ り 大 いな る拍 手 が 湧き ま し た。 次 に下 河 辺 新 幹 事 長 より 、 昨 年 の O B会 活 動報 告 、 会 計 報 告 が行 な わ れ ま し た。 ①活 動報 告 春 、 秋 、 冬 と 3 回、 日帰 り 山 行 、 スキ ー等 を 行 な った が 、 参 加 者 が少 なく 、 企 画、 時 期 等 問 題 が有 る のか も 知 れ な いが ぅ 近 い 名 O Bが 居 る 知 0名 足 ら 本 会 の中 で、 延 べ参 加 人 数 2 ず と は、 非 常 に情 け な い。 本 会 は青 山 学 院 山 岳 部 を 卒 業 し た人 々 の懇 親 の会 であ り、 今 後 は 更 に懇 親 の輪 を 広 げ て行 く様 、 会 員 全 て の人 のご 協 力 の依 頼 が有 った。 ②会計 報 告 ︵ 別紙 ︶ 8 5年 度 O B会 費 納 入 リ スト ︵四月 末 現在 ︶ 桂 道 太 郎 、 原 田市 二郎 、 斉 藤 勘 左 衛 門 、 栗 林 一路 、 市 野 道 夫 、 利 根 川 隆 司 、 木 村 太 二郎 、 草 野 順 夫 、 我 部 孝 治 、西 堀 岳 夫 、河 本 由 起 子、山 脇 隆 夫 、 永 井 敬 一、 永 井桂 子 、 白 井 茂 、 下 河 辺史 郎 、 斉 藤 健 一、 若 杉 延 夫 、 西 村 久 志 、加 藤 信 夫 、 藤 沼 裕 司、 前 川 忠 、 安 本 出 、 田中 英 一、 菅 田幸 恵 土 田紘 介 右 記 の様 に 8 5年 度 は O B会 費 の集 ま り も 悪 く 、 O B会 の財 政 も か な り 9年 度 は 、 厚 木 逼 迫 し てお り ま す 。 5 キ ャ ンパ スのト レ ー ニング 場 も 、 工 0年 2月 0 日、 オ ープ ン の予定 期は6 2 です 。 又 現 役 も 2 ケ タ に増 え 、 監 督 会 の負 担 も 増 え ま す ので、 会 員 各 位 会 費 の納 入 を 是非 お 願 い致 し ま す 。 こ こ で 一応 O B総 会 の セ レ モ ニー は終 わ り 、 一同 ビ ー ルを 飲 み な が ら 現 役 の春 山 合 宿 の素 晴 ら し い スライ ドを 見 な が ら昔 話 に花 を 咲 か せ、 現 代 と 昔 の装 備 の違 いに驚 き 、 一同楽 し い時 間 を 過ご し ま し た。 又、 岩 井 O B よ り厚 木 キ ャ ンパ ス の岩 登 リ ト レー ニング 場 の概 略 に関 し 、 図 面 、 模 型 等 に より説 明 が 有 り、 開 所 式 の時 には、 栗 林 O Bが 古 式 豊 か な ア ップ ザ イ レ ンの披 露 を し て下 さ る と の申 し出 が 有 る事 が 理事 長 よ り報 告 が 有 り ま し た。 O B諸 兄 で、 当 日初 登 攀 を さ れ た い方 は、 幹 事 会 ま でご 連 絡 下 さ い。 厳 正 な る審 査 の結 果、 幹 事 会 に てデ モ ン スト レ ータ ーを 決 め よ う と 考 え てお り ま す 。 会 費 を 払 おう ! ●お 振 り 込 み先 富 士 銀 行 八 重 州 □支 店 普通預金 一一一 四 ︲五四八四七八 青 山 学 院 大 学 緑 ヶ丘 山 岳 会 中 條好 司 -1- No.22 発 行 幸 延 紘 史 幹 文 雅 幹 幹 事 事 長 コ監 二十 年 も 前 の こと であ る。 記 憶 も さ だ か では な い。 日附 も 、 行 程 も 正 確 には 覚 え て いな い。 下 山 兄 と西 堀 兄と の間 で、 た ま た ま南 へ入 る相 談 が ま と ま った 所 で、 私 が 割 込 ん で同 行 さ せ て頂 いた ⋮と いう こと では な か った か と 思 う 。 こ 戸 を た た いた と いうわ け であ った。 入 学 し て間 も な い、 S P講 堂 で のカ レ ッジ ・ア セ ンブ リ ー で、 秋 山 兄 の新 人 勧 誘 の挨 拶 に触 発 さ れ た結 果 であ った。 今 振 り 返 って み ても 、 初 め て の、 し かも た った 一人 の女 子部 員 は、 さ ぞ扱 い にく い存 在 であ った に違 いな い。 正 規 の合 宿 には参 加 せず 、 先 輩 女 子部 員 は正 式 に 認め ら れ てお らず 、 め て の涸 沢 行 で、 中 丸 兄 に歩 き 方 を の比 較 的 フリ ーな活 動 に参 加 す ると いう 形 で山 へ出 掛 け た 。 入部 し て初 方 の山 行 に加 え て頂 いた り、 又部 内 本 確 的 な部 活 動 への参 加 は 許 さ れ て み っち り教 え て頂 いた事 は今 でも 忘 れ ら れ な い事 の 一つであ るが、 厳 し れ を書 く にあ た って、 早速 お 二人 に お電 話 を し て、 色 々補 って頂 いた 次 第 であ る。 当 時 私 は大 学 二年 であ った。 ま だ いな か った。 そも そも 私 の山 岳 部 ヘ の入部 希 望 は甚 だ 短 絡 的 なも の で、 の山 岳 部 で の思 い出 は、 ど れも ほ の ぼ のと 心楽 し い事 ば か り で、 私 の気 憶 の中 に、 新 人 エレジ ー のあ のう ら が な し い旋 律 は な い。 さ て南 ア ルプ ス山 行 の 日程 も 決 っ さ を 求 め て入 部 し たも の の、 そ の頃 ﹁ 山 が 好 き だ か ら ⋮ピ ﹁ 高 校 でも 山 を や ってき た か ら ⋮己 と いう人 が 、 ご く 自 然 に山 岳 部 へ入 る のと は違 っ て、 山 は 全 く未 経 験 の、 意 気 地 のな い女 の子 が 、 精 神 鍛 練 の場 を求 め て 最も 鍛 え ら れ そう な山 岳 部 の部 室 の て、 出 発 を 目 前 に控 え た ころ、 西 堀 兄 か ら ﹁家 には 二 ・三 日ゆ と りを も って言 ってお く よ う にご と アド バイ スを 受 け た にも 拘 ら ず 、 それ を 母 に 言 い出 し兼 ね て、 私 は 五 泊 六 日 の予 定 通 り の 日数 を 言 いお い て発 った 。 二十 八年 の十 月 も 終 り の ころ であ っ た 。 先 発 し て伊 那 に滞 在 中 の両 兄 と 合 流 し、 翌 日 いよ いよ赤 石 、 荒 川 、 塩 見縦 走 の途 に ついた 。 折 、 小 渋 温 泉 か ら小 渋 川 の遡 行 ルー トを辿 った よう であ る。 小 渋 川 の徒 渉 は、 特 に忘 れ ら れ な い記 憶 であ る。 十 月 末 の、 切 れ る よ う な水 の冷 た さ と 、 と も す れ ば 足 を と ら れ そ うな 流 れ の早 さ は、 三十 年 経 った今 も 鮮 や か に甦 る。 へ っぴ り 腰 の私 は、 ザ イ ルにし っか り掴 ま って い ても急 流 に 足 を掬 わ れ た 。 現 在 のガ イ ドブ ック でも 平 均 二十 回位 と 書 か れ て いるが、 こ の山 行 が 一き わ 思 い出 深 いも の であ る 理由 の 一つは、 南 ア山麓 の風 農 家 で泊 め て貰 う こと に な った。 う に記 憶 し て いる。 水 場 が 近 いと い う事 であ った が 、 行 ってみ ると 涸 れ て いた。 西 堀 兄 と、 鍋 、 やか ん、 そ 翌 日、 大 聖 寺 平 を 経 て赤 石 に登 り、 荒 川 小 屋 には 明 る いうち に着 いた よ そ の夜 は 広 河原 小 屋 泊 り だ った事 が、 下 山 兄 の記 録 に残 って いる。 そ の時 は何 回位 徒 渉 し た のだ ろ う か、 恐 らく 私 は綿 のよ う に疲 れ 果 て、 先 輩 方 の足 を 引 っ張 った に違 いな い。 物 や、 そ こ に住 む 人 達 の素 朴 な生 活 ぶり に ふ れ乍 ら、 ゆ った り と 旅 し た 事 であ った 。 の他 水 を 入 れ ら れ そ う な袋 を あ り っ た け持 って、 ガ レ場 を 往 復 四 ・五十 分程 の沢 ま で水 を 汲 み に い った。 伊 那大 島 か ら デ コボ コの田舎 道 を 、 砂 埃 を ま き 上 げ てど の位 バ スに揺 ら れ た ろう か 。 釜 沢部 落 に着 いた と こ ろ には 日が暮 れ て了 い、 か や ぶき の 煤 け ては いた が奥 の座 敷 を 快 く 開 放 し てく れ 、 そ の夜 は家 族 の人 達 と 一緒 に囲 炉裏 を か こんだ 。 自 在 鉤 に 十 一月 を す ぐ 控 え た山 小 屋 の夜 は 寒 い。 ト ロト ロと 眠 って いる と、 時 折 険 の向 う が パ ア ー っと 明 るく な る。 た り の気 配 が ほ っこり と 温 か く な っ てく る。 南 ア ルプ スと いう と、 何 故 か行 動 よ り も む し ろ こう いう 一こま 一こま が 心 に刻 み 込 ま れ て いる。 下 山 兄 が薪 を く べ てお ら れ る姿 を 炎 が 照 し出 す 。 火 の爆 ぜ る音 が し てあ か け ら れ た 大 き な鉄 鍋 で、 大 ぶり の 大 根 や南 瓜 が グ ツグ ツと 煮 え て いる 様 が今 でも 思 い出 さ れ る。 それ が ま た実 にお いし か った。 下 山 兄 のご 記 憶 によ ると 、 翌 日出 発 に際 し て前 夜 の聖 護 院 大 根 を 二 つわ け て貰 った 由 事 程 さ よ う に そ の味 噌 鍋 は、 山 里 な ら では の味 であ った。 今 地 図 を 拡 げ てみ ると 、 恐 ら く 湯 2 右 :下 山 OB 左 :筆 者 小 河内 岳 、 鳥 帽 子 岳 を経 て三伏 小 屋 に至 った 。 東 京 を 発 ってか ら 五 日日、 荒 川 小 屋 を 早 立 ち し て、 板 屋岳 、 大 日影 山 、 な け れば な ら な か った 。 こ の時 の経 験 は 、 そ の後 の私 の様 の双頭 にか か った ガ スが 全 部 吹 き 払 わ れ る迄 には、 更 に ひと ふ んば り し て重 い足 を 引 き ず る。 し か し塩 見岳 れ だ 、あれだ ! 今 度 こそ本 当 だ よ。あ と 一息 !﹂ そ の言 葉 に気 を と り直 し と 声 を か け ら れ ホ っと し て歩 を 運 ぶ。 け れ ども 暫 く 行 く と 又 ガ スが 切 れ て、 そ の上 に更 にピ ークが 現 わ れ る。﹁ あ く る と 、 今 度 は 全 く 反 対 方 向 に同 じ よ う な 灯 が 見 え る。 ﹁あ れ か な ? ﹂ ど も 灯 のみ え る方 向 に進 む う ち 、 ふ と 気 が つく と消 え て いる。 曲 り 角 に 小 屋 だ !ご と 異 口同音 に叫 ぶ。 け れ 折 の真 暗 な 道 を 行 く う ち 、 前 方 に灯 営林 署 の が ち ら ち ら 瞬 い て いる。 ﹁ よ う に思 え た も のは 折 り 重 な った 倒 木 と間隙 であ った 。 目 当 て の営林 署 も 意 外 な近 さ にあ って、 そ こで朝 食 翌朝 す っか り 元 気 を と り 戻 し て シ ュラ フか ら ぬ け 出 し て み ると 、桐 の 次 の日は 一日雨 に降 り こめ られ た 。 こ のあ た り で家 の事 が チ ラ ッと 頭 を かす め た が 、 それ 故 か こ の小 屋 は 思 い出 深 い所 であ る。 三伏 小 屋 は 当 時 丸 太 を組 んだ し ゃれ た小 屋 だ った 事 を 覚 え て いる。 食 事 々 な人 生体 験 に際 し てよ く 想 起 さ れ る 。 勿 論 こ の時 の事 ば か り では な い。 ビ バ ークす る事 を 決 め露 営 地 を探 さ れ た 。 そ の事 を後 年 西堀 兄 か ら う か ほど にも 感 じ て いな か った のだ が 、 両 兄 は 私 の疲 労 困億 の様 子 を み て、 ぐ 眠 り に ひき 込 ま れ て い った 。 ど の 位 経 った頃 だ ろ う か。 夢 う つ つの意 識 の向 う で誰 か が 唄 って いる。 パ チ パ チと 火 の粉 が 闇 に舞 い上 る。 安 堵 感 が 又 眠 り に誘 う。 今 度 は 両 兄 が 焚 火 にあ た り 乍 ら話 し てお ら れ る声 に 南 ア ルプ スの懐 ゆ た か な山容 の温 か さと 、 山 男 の心 優 し さ は、 今 も な お忘 れ難 い。 合 った仲 間 と 歩 く 山 であ るご と 。 三十 年 経 った 今 も 、 思 い出 す度 に 何 と 心 の和 む 山 行 であ った ろう か 。 ﹁南 は、大 勢 の人 達 と ワイ ワイ言 って登 る山 では な く 、 わ ず か な気 の スに つい て こう書 か れ て いた のを 思 い出 す 。 は なく 、 親 不 孝 し た 事 す ら懐 し い。 い つか 読 んだ 山 の本 に、 南 ア ルプ 二 ・三 日お く れ た 。 帰 ってみると 、 母 は心 配 のあ ま り寝 込 ん で いた。 父 に散 々怒 ら れ た が 、 そ の父 や母も 今 乗 り おく れ て、 部 び た宿 にも う 一泊 す る羽 目 に な った 。 今 はも う 現代 的 な建物 に造 り か え ら れ て いるだ ろ う が、 当 時 は気 儘 な 湯 治 客 が自 炊 を し 。 な が ら長 逗 留 す る よ う な宿 であ った そ のよ う な わ け で、 帰 宅 す る のが をご 馳 走 に な った 。 前 夜 の見 え が く れ し た灯 の事 を 話 す と 、 営 林 署 の人 は 一言 ﹁そ り ゃあ 狐 火 だ にご と言 っ た。 鹿塩 では 日 に 一本 し か な い バ スに に関 す る事 ば か り書 く よ うだ が、 最 後 の小 屋泊 り と いう事 で、 残 った食 山 登 り と いうも のが、 大袈 裟 な言 い 方 を す れば 、 人 間 の生 き 方 を 示 唆 し て いる よう に思 え る。 が って、私 自 身 驚 いた次第 であ る︱︱ 。 比較 的平 垣 な 場 所 に、 丁 度 格 好 な桐 下 さ った 。 そ れ が 老 舗 のど ん な高 価 なも のよ り お いし か った ので、 帰 宅 と 又進 む のだ が、 い つの間 に か 又 フ ッと 見 え な く な る。 気 味 の悪 さ に 心 細 さ も 加 わ って、 私 は ど う やら体 力 の限 界 であ った らし い。 自 分 では さ 料 を 整 理す る事 にし た。 先 輩 のお 一 人 が、 ザ ック の底 に残 って いた 煮 千 あ ま り にも こ の登 り が、 そ の時 の 私 に はき つく感 じ ら れ た の で、 残 念 のよ う な 窪 み が あ り、 そ の中 で私 は シ ュラ フにも ぐ り 込 んだ 。 実 際 疲 れ 切 って いた のだ ろう 、 真 し を 油 で炊 り つけ、 それ に味 噌 と 砂 糖 を か ら め て素朴 な佃 煮 を つく って 乍 ら山 頂 での展望も、それから受けた であ ろ う感 動 も 、 強 烈 には 残 って い こ の日は 一気 に下 って、 奥 水 無 沢 の近 く あた り にあ る営 林 署 小 屋 で泊 め て貰 う予定 であ った 。 当 時 の南 ア な い。 最終 日は快 晴 と は いか な か った が 、 晩 秋 の南 ア ルプ スの眺 望 が素 晴 し か し て早速 自 分 でも つく ってみ た が、 山 で味 わ った も のと は 比較 にな ら な った事 、 深 々と し てま ろ やか な印 象 が 心 に残 った 。 ルプ スの樹 林 帯 は、 恐 ら く 殆 ん ど が そう であ った のだ ろ う が、 ま る で獣 か った 。 し か し 塩 見 岳 に近 づ く に つれ てガ て了う 。 次 に揺 り起 さ れ た時 は、 目 気 付 く 。 西 堀 兄 が熱 い コ コアを持 っ てき て下 さ る。 一息 に飲 ん で又 眠 っ あ った。 三伏 峠 か ら の下 り も 多 分 そ ん な樹 林 帯 だ った と 思 わ れ る 。 日が 事 は 言 う 迄 も な い。 の前 に熱 い甘 酒 が あ った 。 ど ちら も 下 界 では 味 え な いお いし さ であ った 落ちる頃から下り始めただろうが。 沢 の流れ の音は聞えるのだが、近く にな ったり遠 のいたりした。 つ゛ ?ら 道 のよう な道 なき 道 を 、 時 折 見 つけ る赤 い布切 を た よ り に歩 いた も の で スが か か り 、 そ の為 何度 はぐ ら か さ れ た事 だ ろう 。 塩 見 岳 の偉 容 が 迫 ってく る のだ が、 登 ′業 馨 ち てヽ球 りな い。上方 にか か って いた ガ スが スー っと引 い て コブ が 見 える。﹁ソレ ッ! もう直ぐだ ぞ,﹂ 3 夢 にまで見 た ︵ 昭和 6 5年 卒 ︶ フ ァー ス ト ア ッ セ ン ト それ は ぬけ る よ う な秋 晴 れ の、 昭 和 五十 八年 、 文 化 の日 の こと です 。 上 は ほぼ九 十度 と いう平 衡 感 覚 も 狂 わ せ られ る よ う な 空 間 な の で、 私 に は 最 初 全 く歯 が 立 た ず 、 と ても 開 拓 す るど ころか、 上 か ら 引 っば り 上 げ ても ら う のが せ い 一杯 だ った わ け で し な が ら 、 ピ ッケ ルや ワイ ヤ ーブ ラ シ、 ノ コギ リま で 持 ち出 し、 絶 妙 な ま で のク リ ー ニン グ 技術 を 駆 使 し て り っぱ な ル ートと し て再 生 さ せま し た 。 掃 除 中 の光 景 は 、 仲 間 以外 の普 ち な み に ここ の 通 のク ライ マー の 目 には さ ぞ か し 異 様 に映 った こと で し よう 。 壁 の他 の ルー ト に も 、 こう し て つく ら れ た ク ラ ックが 何 本 か あ り ます 。 だ か ら、 我 々 にと って壁 を き れ いにす る こと は 、 も う お手 のも のな のです 。 掃 除 し た後 も 、 一ケ月位 、 ク ラ ック内 が乾 く ま で、 養 生 期 間 を 置 く と い った気 の つか い よ う です 。 た だ 、 そ の間 、 他 のせ こ いク ライ マーに登 ら れ てし ま わ な い か と 、 気 が気 では あ り ま せ ん でし た 。 前 置 き が 長 く なりまし た が、 ボ ク サ ー のよ う に、 テ ーピ ング で手 の甲 を ガ ー ドし 、 いよ いよ壁 に取 付 き ま す 。 こ の ルートは途中 の テ ラ スか ら 始 ま る の で、 そ の テ ラ スま では他 の ルートを 登 ら ねば な り ま せ ん。 ジ ャ ンケ ンで、 ト ップ の順 番 を 決 め ま す 。 私 が気 合 勝 ち し て、 新 ルート のト ッ プ の権 利 を 取 り ま し た 。 一P目 四十 米 を セカ ンド で登 り 、 ム サ サビ のす み かと な って いる洞 穴 状 テ ラ スに着 い て、 さ あ いよ いよ処 女 ク ラ ック ヘ 触 れ る時 が 来 た の です 。 か な り 緊 張 気 味 で、 心臓 の鼓 動 も 早 ま って いま す 。 果 し て登 り き れ る か ? いや、 き っと 登 ってみせ る。 登 れ る 日は 今 日し か な いんだ と、 自 4 私 は 日曜 のた び に ク ライ ミ ング の ホ ー ムゲ レ ンデ でも あ る、 奥秩 父 は瑞 精 山 十 一面 岩 末 端 壁 の基部 でじ っと す。 も 登 る価 値 を 見 い出 さ ず 、 ほお って お か れ た 不 遇 な存 在 でし た 。 てや ろ うな ど と 、 助 平根 性 を 出 し て 探 し た のが 、 十 一本 目 にな る こ の ル ー ト です。 こ のク ラ ックは 当 初 、 誰 それ でも 、 一年 以上 通 い つめ ると 、 慣 れ と、 いく ら か力 も ついた ことも あ って、自 分 でも 一つルー トを拓 い 岩 壁 を 凝 視 し て いま し た 。 登 れ る可能 性 を 感 じ て、 延 べ三 日 間 にも 及 ぶ大 掃 除 を し た ク ラ ックが 今 日は誘 いを か け てく れ る よ う です 。 壁 の コンデ ィ シ ヨンも 上 々。 心 の中 で メ ラ メ ラと 闘 争 心 が 燃 え上 る のが わ か り、 は や る気 持 を抑 え て、 ま ず 身 じ たく を し ます 。 こ の岩 壁 は 私 の現在 所 属 し て いる、 グ ループ ・ド ・コ ルデ の仲 間 た ち が、 本 も 生 え て い て、 ク ライ マーが 近づ く のを 拒否 し て いた か ら です 。 そ こ で私 のパ ート ナ ーと な った 仲 間 と 二 と いう のは、 ク ラ ック そ のも のが 流 水 溝 と な って い て、 お び た だ し い 苔 と 、 木 のく ず 、 お ま け に大 木 が 二 日本 離 れ し た ク ラ ックだ ら け の花 自 岩 の岩 壁 です 。 壁 の傾 斜 は取 付 か ら、 人 で、 上 の バ ンドか ら 、 懸 垂 下 降 し 三年 以 上 の歳 月 を か け て計 十 本 の ル ートを 、 す べ て フリ ー で開拓 し た壁 で、 高 さ 二百 米 。 幅 百米 のち ょ っと 百十 度 位 の前 傾 壁 が続 き、 中 段 か ら 奥秩 父小川 山八幡沢大滝「 さよな ら百恵 ちゃんル ー ト」 を登 る き 、 体 が半 身 位 入 る よ う な サイ ズ と な って、 体 全 体 のオポ ジ シ ョンで、 ず り 上 げ る と いう つら いク ライ ミ ン グ と な り ま し た。 息 づ か いも 荒 く な 己暗 示 を か け て、 ゆ っく り、 一手 、 一手 、 適 確 に ジ ャミ ング を き め て、 体 を せ り 上 げ る。 と こ ろが 、 それ 程 、 甘 く は な か っ た。 ク ラ ック は 次 第 に幅 を 広 げ て い タ イ ルと さ れ て いま す 。 し か し、 今 回 の場 合 は、 処 女 ルー トと いう こと も あ り、 そ の辺 は大 目 に見 ても ら っ て、 と に角 、 登 り 切 る こと に全 力 を ん だ りす る のは、 価 値 が 低 いと みな さ れ るか ら です 。 も し 墜 落 し た 場 合 は 、 基 部 ま で い った ん お り て、 初 め か ら 登 り な おす と いう のが、 よ い ス ロープ に ぶ ら下 って休 墜 落 し たり 、 前 に、 な ん と か完 成 さ せ た いと いう 思 いを 合 わ せ て付 け た、 ルー ト名 で 自 己満 足 にす ぎ ま せ んが 、 私 にと っ て記 念 す べき 日と なり ま し た 。 自 分 の ルー トが でき 上 った の で名 前 も 付 や った ! も う我 を 忘 れ て絶 叫 です 。 初 登 と は こん な に気持 ち が よ いも の だ った のか 。 末 登 のク ラ ックを や っつけ た のです 。 るも のが あ り ま し た 。 一人 前 に記 録 岩 と 雪 二 〇 一号 ︶ にも 出 し ま し た ︵ し、 や っと ク ラ イ マーと し て 一人 立 ち出 来 そう な気 も し ます 。 ち ょ っと 山 岳 部 時 代 、 考 え て いた 山 登 り と は か け 離 れ た世 界 だ と 思 い ま す。 時 代 の流 れ でし ょう か、 完 全 に岩 登 り 、 特 に フリ ーク ライ ミ ング の世 界 は 独 立 し てし ま った のです 。 スポ ー ツの 一ジ ャ 山 と いう よ り は、 ン ルと し てみ た方 が 自 然 かも 知 れ な い。山 登 り は今 日、 いろ ん な分 野 に こんな岩 登 り を 、 私 は こ こ約 二年 間、 続 け てき ま し た 。 まだ ま だ、 自 細 分化 し て い て、 それ ぞれ の部 門 が エスカ レ ー トし て い って います 。 そ し てお 互 い に刺 激 し 合 い、 登山 の世 ま す 。 た だ 、 登 った スタイ ルか ら 見 れば 、 本 当 の完 成 と は いえ な い の で ま だ 満 足 でき ま せ ん。 学 生 時 代 、 貪 り読 んだ 山 の本 の中 分 の可能 性 は高 め ら れ る よ う な気 が す る ので、 暫 く は続 く こと でし ょう 。 楽 しま せ てく れ そう です 。 時 には渓 流 にた わ む れ、 あ る いは、 純 白 な 頂 を 踏 み、 山 は 一生 か か って も 飽 き そ う にあ り ま せ ん。 来 ま し た 。 ま だ ま だ 、 面 白 そう な岩 場 が、 日本 に は ゴ ロゴ ロし て いて、 国 内 の岩 場 も 、 関 西、 広 島 、 九 州 と 巡 り、 つい こ の間 の連 体 には、 御 在 界 を 発 展 さ せ ると いう、 よ い傾向 に も な って いる と 思 いま す o で、 出 てく る数 々 の初 登攀 行 に、 先 人 の偉 大 さ を 感 ず ると と も に、 も は 所 のみご と な白 い花 商 岩 にも 触 れ て す 。 仲 間 に は、 イ モ っぱ い名 前 だ と 言 わ れ ま し た が、 私 は気 に入 って い け ま し た 。 ﹃冬 が来 る前 に﹄ 。 私 の 好 き な 曲 と 、 冬 が来 て登 れ な く な る 山 登 り を 始 め てか ら、 憧 れ て いた こと が、 自 分 の手 で実 現 し た の です 。 り、 プ ロテ ク シ ョン ︵ラ ンニング ・ ビ レイ︶ を セッ トす る のも や っと と いう状 態 と な る。 そし て、 と う と う 傾 け ま した。 ロープ に ぶ ら 下 り な が ら、 な んと か突 破 口を 開 こう と頭 を ひ ね り 、何 度 目 か の ト ライ の末 、 や っと 前 進 でき た の です 。 な にし ろ、 ほぼ九 十 度 の傾 斜 の上 に、 壁 の基 部 か ら五 十 米 以 上 の高 さ の所 な ので、 い った ん 弱 気 にな った ら も う負 けだ と 思 い、 気 持 ち だ け は 上 へ上 へと 持 って、 奮 闘 の末 、 や っ と の こと で、 四十 米 ザ イ ル 一杯 のび て、終 了点 には いり ま し た 。と う と う や、 国内 に未 登 の ルートは な いんだ と いう 、 あ き ら め に近 い気 持 ち を 抱 いた も の です 。 海 外 に目 を 向 け ても 、 日 ば し い山 は ほと んど登 ら れ てお り 、 処 女 峰 を 探 す のに苦 労 す る と い った 具 合 。 と こ ろが、 ど っこ い。 身 近 か に、 初 登攀 の でき る場 が ま だ あ った ヒ ラリ ー の エベレ スト初 登頂 ほど の です 。 セ ンセ ー シ ョナ ルでは な いにし ろ、 自 分 の中 の興奮 度 は、 それ に匹敵 す 5 ロープ張 って, 耐 えき れ なく な り、 の声 と と とも に、 お っこち ⋮。 と い っても 、 プ ロテ ク シ ョンの間隔 が 短 い の で、 た いし た 距 離 では あ り ま せ んが、 精 神 的 ダ メ ﹁ジ は大 き いも の があり ま し た。 我 々 の仲 間 内 の ルー ルでは、 い っ た ん ルート に取 付 いた 以上 、 途 中 で 奥秩 父小川 山 マ ラ岩 「 ホ リデ ー」 を登 る 山岳部現役 は今 … 現役 の よ うす を知 りた い とい う声が よ く聞かれ ます ので ,「 現役特集 ・ 第 1弾 」 と して ,全 員 のプ ロフ ィール を まず′ ご紹介 します。 あわせて ︵理 工学 部 電機 電 子学 科 4年 ︶ 羽 田登 志 男 青 山 学 院 高 等部 山 岳 部 出 身 B型 2年 の後 半 よ り 現在 ま でリ ーダ ー を 長 年 務 め て いる。 そ の柔 和 な 物 腰 にだ ま さ れ て、 入部 し てし ま った 部 員 も 数 知 れ な い。 登山 活 動 は年 間 の 合 宿 は む ろ ん のこと 、 は ては ヨー ロ ッパ ア ルプ スか ら丹 沢 の沢 ま でと 幅 広 い。 オ ー ルラウ ンド指 向 であ る が 、 し い て いえば 、岩 登 り を 最 も 得 意 と す る。 現在 、 後輩 のふ が いな さ を 嘆 い てけ 留 年 を決 意 し て いる と の ウ ワ サが 流 れ て いる。 鈴木 成 治 ︵ 経 済 学 部 3年 ︶ 青 山 学 院 高 等 部 山 岳 部 出 身 B型 次 期 リ ーダ ーと し て、 羽 田主 将 の 下 で頑 張 って いる。 性 格 的 に は のん び り し てお り、 細 か いと ころ は気 に し な い。 一年中 色 が 黒 く 、 そ の風 貌 は ト ンガ王 国 の王様 と い った と こ ろ だ 。 最 近 は 沢登 り に興 味 が あ る ら し い。 今 後 の活 躍 に乞 う御 期 待 ! P S ⋮彼 の唯 一の欠 点 は酒 グ セ の 悪 さ で、 す ぐ に パ ン ツを 脱 が せ た が る こと ”数 名 の犠 牲 者 あ り 。 青木 悦郎 ︵ 文 学 部 日本 文 学 科 4年 ︶ 皆 川伸 也 ︵理 工学 部 機 械 工学 科 2年 ︶ 国学 院 久 我 山 高 校 出 身 0型 男 子高 校 か ら駿 台 予備 校 、 そし て 山 岳 部 と 全 く 色 気 のな い不 幸 な人 生 を 送 って いる。 ﹁ 俺 には山 が あ る﹂ と 豪 語す るが 、 秘 か に ﹁ 女 を 世話 し てく れ ど と 相 談 を も ち か け ら れ る こ と しば しば であ る。 ロックZ フイヽ シグ ヽ は天 才 的 で、ど んな ルート で 含石登り︶ 芝 高 校 出 身 B型 2年 よ り 入 部 し た た め に ク ラブ で は 一年 下 であ る が彼 の人 格 は、 素 晴 ら し く 、 文 学 的 才 能 か ら エ ロ話 ま で も スイ スイ登 ってし ま う。 そ のう ち み ん な にね た ま れ てザ イ ルを 切 られ てし ま う かも し れ な い危 険 な人 物 で あ る。 柿 崎 滋 ︵ 経 済 学 部 経 済 学 科 2年 ︶ 青 山 学院高 等部出 身 A型 春 歌 か ら プ ロレ スま で、 と ど れを 取 っても な か な か であ る。 ク ラブ の中 で 一番 恐 し い反 面 、 下 級 生 の面倒 見 が よ く 、 江 戸 子 ら し さを 見 せ て いる。 合 宿 で の彼 の扱 いは見物 であ るが、 下 界 に帰 ると 山 では見 ら れ な い彼 の 広 い趣 味 の 一面 が 見 ら れ る。 合 宿 では料 理 長 的 存 在 。 そ の味 つ け は絶 妙 で 一度 鍋 を も った ら 二度 と 離 そう と し な い。 飯 を つく り なが ら、 江原 淳 子 ︵理 工学 部 機 械 工学 科 3年 ︶ 千 葉 県 立 東 葛 飾 高 校 出 身 0型 ど う し よ うも な い こと ば か り 口走 っ て いるが それ が テ ント の中 を なご や 西 沢直 志 ︵ 経 済 学 部 2年 ︶ 神 奈 川 県 立 中 沢高 校 出 身 0型 人 柄 が し のば れ る。 か な雰 囲 気 にし てし ま う 不 思 議 な力 を も った人 であ る。 豊 富 な読 書 量 に 異打 ち さ れ た彼 の話 は実 に奥 が深 く 一 山 岳 部 に 一年 の冬 より 入 り、 いき な り合 宿 でしご か れ、 女 子旋 風 を 巻 き起 こし た 。 そ のが んば り ぬ いた 根 性 は な か な か で、 いま でも 男 子部 員 と 、 す べ て同 等 に活 動 し て いる。 ク ラブ では 男 子部 員 が彼 女 の恐 ろし さ と美 し さ には負 け てし ま う 。 山 でも 縦 走 か ら岩 ま で、 花 より だ んご 、 だ んご よ り岩 登 り、 と いう ぐ ら い岩 が 好 き であ る。 我 が部 の飛 脚 と 言 わ れ 、 何 かあ れ 6 まず 部 員 紹 介 ゴール デ ンウ ィー クの合 宿記 ,こ れ は前記 のプ ロフ ィール で個人名 を憶 え てか らお読 み下 さい。 ば ひと 走 り 。 恒 例 の、 学 生 部 マラ ソ ン大 会 ・団 体 戦 2位 と いう戦績 も 彼 によ ると ころ が 大 き い。 高 校 時 代 に 山 岳 部 を 創 設 し た く ら い、 山 や ク ラ ブ に対 す る熱 意 は人 一倍 だ 。常 に大 学 山 岳 部 と は何 か を 考 え 、 山 の こと だ け でなく 、 恋 愛 か ら単 位 の取 得 ま で幅 広 く 気 さ く に話 し が でき る。 同 輩 、 後 輩 の良 き 相 談 役 でも あ る。 東 聡 君 ︵ 経 済 学部 2年 ︶ 広 島 県 立 三原 高 校 出 身 A型 高 校 時 代 、 写真 部 だ ぅ た彼 は、 山 の写真 に魅 せ ら れ て入 部 し てし ま っ た。大 学 か ら 始 め た 山 登 り だ が、 単 独 行ば か り や って いる変 わ り者 であ る。特 に下 級 生 のめ ん ど う みが よく 一年 生 の信 頼 も 厚 い。 山 に対 す る確 ・ 固 た る独 特 の考 え の持 ち 主 でも あ る。 し か し、 酒 が 入 った り 、 や や高 い山 に登 ると 、 超 高 音 で発 狂 す る悪 い癖 が あ る。 高橋信 行 ︵ 経 済 学 部 2部 1年 ︶ 東京 都 立府 中 高 校 出 身 A型 山 と渓 谷 の9月 号 を 見 て大 学 を 青 学 に決 め た と いう彼 は、 大 学 に入 っ た のでは な く 、 大 学 山 岳 部 と いう 団 体 で山 登 り が し た いそ う であ る。今 は、 も っぱ ら岩 登 り が 好 き で岩 ば か り や って いるが、 冬 期 の ル ンゼ に興 味 を も って いる。 酒 を 飲 む と 一人 で 躍 り出 し、 場 を盛 り 上 げ る のが得 意 のひ ょうき ん者 だ 。 伊藤 紫 映 ︵ 文 学部 史 学 科 1年 ︶ 桜 美 林高 校出身 0型 山 岳 部 の恐 ろし さ を 全 く 知 ら ず 、 ﹁ 蝶 よ花 よと おだ てら れ ﹂ で入 部 し てし ま った 最 た る人 であ る。 新 人 合 宿 の渋 谷 ま で の歩 き でや っと 気 づ い た と いう幸 せ0 な人 だ 。 常 に マイ ペ ー スで、 皆 にど つか れ て いる が 、 ガ ッツと 返 事 は他 の男 子 一年 部 員 誰 も 庄 司弘文 ︵ 理 工学部 化 学科 1年 ︶ 両 国高 校 出 身 1年 A型 高 校 の時 、 山 岳 部 で北鎌 尾 根 に憧 れ、 大 学 では岩 登 り や、 海 外 の活 動 を し た いと 思 い入 部 し た。 現在 、 滝 谷 、 ヨー ロ ッパ 一周 な ど に目 標 を お い て いる。 そ ん な事 を 考 え て いた せ いか 一年 の中 で最年 長 であ る。 現在 準 大 学 生 の時 に ついた脂 肪 を シ ェイ プ oア ップ 中 。 埼 玉 県 立蕨 高 校 O型 中津 治 展 ︵ 経 済 学部 1年 ︶ 山 登 り は 大 学 に入 って初 め て であ るが、 高 校 の時 か ら キ ャンプ な ど が 好 き であ った 。 現在 、桶 川 の自 宅 か 日向 の コルで行 な った 。 こ こは、 5 月 の連 体 でも 涸 沢 が岳 沢 のよ う に喧 騒と し た 雰 囲 気 が な い。 そし て、 眼 前 には杓 子 岳 、 自 馬 鑓 ケ岳 の雄 大 な 姿 が望 ま れ る。 B Cを 置 く にはも っ 今 年 度 の新 人 合 宿 は 、も う ほと ん ど恒 例 化 し て いる。 白 馬岳 東 面 の小 ら厚 木 キ ャ ンパ スま で、片 道 3時 間 か け てか よ って いる。 ク ラブ の 一年 で見 た 日 は 一番 、 青 山 ら し い学 生 で あ るが ⋮ ⋮。 都 立 八 王 子 東 高 校 出 身 B型 桜 井 哲 雄 ︵理 工学 部 機 械 工学 部 1年 ︶ 高 校 時 代 陸 上 に入 部 、 大 学 山 岳 部 に入 った 切 っ掛 け は、 ク ラブ の勧 誘 の日、 2年 の西 沢 に﹁山 と は 何 か ?﹂ と 山 の素 晴 ら し さを 聞 か さ れ 単 純 に 入 部 し たと か、 現在 大 学 へは 、 日野 、 、 から8 4年 型 レオ ーネ で ガ タ ビ シ ガ タ ビ シと マイ カ ー通 学 を し て いる。 い っも 無 口 で何 か 言 わ せ ると 怒 って いる よ う に物 事 を 言 う。 る。 これ は横 隔 膜 の痙 攣 と 思 わ れ る。 こ の日 の行 程 は小 日向 の コルま でだ った が、猿 倉 で行 動 を 打 ち 切 る こと ま では、 誰 も 脱 落 す る こと な く歩 い た 。 猿 倉 で大 体 止 を と り歩 き出 す と す ぐ、 1年 の伊 藤 が 、 呼 吸 困難 にな ず な のだ が、 今 年 は 雪 が 多 く 二俣 ま 。 二俣 よ り歩 き出 す 。 でし か ら 入 な い 0 々 の荷 を か つぐ 1年 生 の大 多 数 は 3 のは初 め て であ る。 し か し 全 員猿 倉 ‰一 例 年 な ら猿 倉 ま で車 が 入 る は 9年 度新 人合宿 、白 馬 で 5 勝 てな い意 気 込 み であ る。 す べ てが 山 岳 部 では初 め て のク ラブ の マス コ ット ア ラ レ チ ャンであ る。 新 井 正義 ︵ 経 済 1年 ︶ 群 馬 県立 渋 川高 校 出 身 0型 山 岳 部 に入 った動 機 は 大 学 に 入 っ た ら 運 動部 に入 り た い。 それ が た ま た ま 山 岳 部 であ った と いう こと です 。 高 校 の時 は演 劇 部 に いただ け あ り 顔 の表 情 や彼 のせ り ふ は豊 であ る。 上 し ては合宿 や ト レ ー ニング の 級 生 と ・ 時 、 そ の表 情 にだ ま さ れ そう であ る。 て こ い の場 所 であ る。 新 入 部 員 男 子 5名 女 子 1名 の計 6名 を受 け 入 れ た 。 3名 で これ ら 6名 を含 め、 全 員合 計 1 8 日 の夜 、 勇 躍出 発 し た 。 4月 2 7 にし た。 テ ントを 設 営 し 昼食 の後 、 明 日 の こと を 考 え少 し 、 1年 生 に歩 行訓練 を行 う。 ︲ ‰ 昨 日調 子 の悪 か った伊藤 も 元 気 にな った。 長 走 沢 の出 合 ま で伊 藤 は、 みご と に江 原 の尻 にく っつい て 歩 い て い った 。 他 の1年 も 伊 藤 に刺 激 さ れ てか、 誰 一人 と し て遅 れ る者 は いな か った 。 こ こよ り小 日向 の コ 宿 に入 って初 め て の フリ ー の時 間 が でき た ので、 1年 生 は ホ ッと し て い た ようだ。 子 尾 根 は 、 例 年 と 違 いナイ フ エ ッジ の所 が あ った 。 他 の者 は、 こ の日も 機 し てみ るが 、 い っこう に天 気 は変 わ ら な い の で、 BC に引 き 返 す 。 双 降 って い る。 ツ ェルトを被 り少 し 待 % 昨 日 の昼 か ら の雨 が 夜 半 に雪 に変 わ った。 1時 ご ろ西 沢 と 庄 司 が にな った と ころ で寝 る。 % 本 日は下 山 日 であ る。 小 日向 の コルを あ と に、 羽 田、 鈴 木 は スキ ー で猿 倉 ま で降 り て いく 。猿 倉 で全 員 合 流 す る。 白 馬 駅 ま で各 自 、各 々 歩 き、全 員無事 到着 。 合宿 前 半 は 天 気 が 悪 く、 雪 訓 し か でき な か った 。 上 級 生 は欲 求 不満 に な った よ うだ が 、 1年 生 は み っち り と 雪 訓 が でき て、 よ か った よ う に思 う 。 後 半 は、 非 常 に良 い天 気 に恵 ま L 待 ち に待 って いた好 天 気 であ る。 白 馬 岳 主 稜 に 2、 3年 生 のパ ー テ ィを出 し、 他 は 大 雪 渓 に ゆく 。 雪 い合 宿 であ った ろ う。 1年 生 は これ か ら も つら い事 が 多 いだ ろ う が、 が んば って や ってほ し い。 雪 訓 で、 B C に帰 り これ に合 流 す る。 合 宿 に入 ってか ら物 が 晴 れ の他 、 そ れ か ら毎 日天 気 は良 く な い。 上 級 生 は 全 員 、 ど こにも 行 けず 歯 ギ シリを し て いる 。 が 降 った の で汚 な い雪 は全 部 かく れ あ た り 一面 真 自 であ る。 主稜 は、 ト 編 ンであ る。 歩 き 始 め た と た ん、 ど こ か ら とも な く 、コ 番 に着 く ぞ﹁ 早 く 後 記 の方 は、 日 の具合 と 多 忙 な こと のた め、 ご 無 理 と の こと でし た 。 日 で、 ま だ ︵ と 言 っては失 礼 です が ︶ 教 壇 にお 立 ち の日も あ り 、 お 元気 の ご 様 子 でし た 。 残 念 な が ら、 ご 執 筆 た 。 お話 によ ると 、 大 変 お 忙 し い毎 ● ﹁ あ の日 あ の山 ﹂ は 岡 田喜 一大 先 輩 に是非 お書 き 頂 き た く 、 前 回 に 続 い てご 執 筆 を お願 いし た と ころ、 わ ざ わざ 電 話 を 頂 き 誠 に恐 縮 し ま し 学 生 々活 が充 実 し たも のであ る こと を 祈 り ます 。 ●残 暑 お 見舞 い申 し 上 げ ま す 。今 回 は ﹁ 現 役 特 集 ﹂ と し ま し た。 彼 等 の 集 れ全 員 頂 上 に立 てた わ け だ か ら 、 良 苦 し か った ら し い。 そ こ で東 と 新 井 が 除 雪 に出 た。 テ ント のポ ー ルが 2 レ ー スが あ った も の の、 例 年 にな い 雪 の量 と 、 真 白 い雪 のお かげ で快 適 除 雪 に出 る。 雪 は依 然 と し て力 強 く 降 って いる。 3時 ご ろど こか ら か 、 ﹁タ スケ テク レー﹂と 弱 々し い声 が 聞 こえ た 。 声 の出 ど ころ は 1年 高 橋 だ った 。 テ ント のは じ が 雪 で つぶ さ れ ち ょ う ど そ の下 に顔 が あ って息 が 本 折 れ てし ま った 。 これ は朝 修 理 す る こと にし て、 こ の テ ントは 、 ひ し ゃげ た ま ま 我 慢 し ても ら う こと に し た 。 明 け方 から 風 が強 く な り 音 が う な 登攣 が 楽 し め た。 頂 上 で全 員合 流 し た 。 1年 生 全 員 元 気 に登 ってき た 。 ルま では 眼前 の急 斜 面 を 登 り切 れ ば 到着 す る。 出 合 で1本 と る。 上 級 生 る さ い。 伊 藤 は、 恐 く て寝 ら れ な か った ら し い。 し か し 江原 は こ の夜 の は な に やら薄 気 味 悪 く 笑 って いる。 こ こか ら は、 上 級 生 と 1年 生 が ペ ア を組 ん で登 る。 いわ ゆ る マン ツー マ 行 け L歩 け L 前 を 抜 か せ﹂ な どと 大 でき 事 を 一切知 ら ず に熟 睡 し て いた。 よ ら な か った 。 夕 食 後 、 最 後 の夜 と いう こと で全 員 で コンパを 行 う。 H 時 ご ろま で歌 い つづ け、 ガ ラガ ラ声 も 新 井 は 、 悲 惨 で、 顔 が 2倍 に ふ く れ あ が ってし ま った。 た った 2 日間 で、 これ ほど 日焼 けす ると は 思 いも 樺 平 で雪 訓 の総 復 習 を す る。 全 員 真 白 い雪 によ る 日 の照 り返 し のせ い で、 も のす ご い顔 にな って いる。 な か で % 今 日も 晴 れ 、 皆 川、 西 沢 に小 山 さ んが つい て杓 子岳 に行 く 。 他 は 声 が 聞 こえ てき た。 1 年 全 員 フラ フ ラにな って小 日向 の コ ルに到着 。 入 の中 を 、 鈴 木 、 東 、 皆 川 で双 子 尾 根 よ り 杓 子 岳 に向 か う 。 樺 平 近 く よ り 、 み ぞ れ が 降 ってき た 。 樺 平 は ガ スが 濃 く 、 風 も 強 く 、 み ぞ れ も が ガ スが か か り 風 が 強 い。 し か し こ な新 雪 のう え でプ ロレ スご っこを や って いる。青 木 は、 江 原 に逆 エビ固 め を 決 め ら れ、 ギブ ア ップ し て いた。 % 天 候 は 回 復 す る か と 思 った 朝 に な っても 雪 が やま ず 、 風 も 強 い。 停 滞 と す る。 午 後 か ら は、 雪 も や み 薄 日も 少 し さ し てく る。 な ぜ か み ん B C に、 小 倉 監 督 、 井 沢 O B夫 妻 、 小 山 O B が、 いら し て いた 。 山 祝 いを 行 う 。 午 後 か ら は小 日向 山 の斜 面 で、 雪 上 訓 練 を 行 う。 キ ック ステ ップ を 中 心 に、 約 2時 間歩 き 込 む。 一年 生 は も ち ろ ん の こと上 級 生 も 全 員、 汗 だ く に な る。 % 丸 1 日雪 上 訓 練 を 行 う 予定 で テ ントを 出 る。 午 前 中 は やは り歩 き 込 み中 心 に行 う 。 昼 近 く にな ってか ら滑 落 停 止 を 行 う 。 雪 質 が 悪 く な か な か 思 う よ う に いか な い。 昼食 を と り に テ ント に戻 る と 雨 が降 ってき た 。 雨 は やみ そうも なく 強 く降 って いる ので、 午 後 の雪 訓 は中 止 にす る。 合