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No.23 - 青山学院大学山岳部

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No.23 - 青山学院大学山岳部
緑 ケ丘 通 信
青 山 学 院 大 学 体 育会 山 岳 部 O B会
0
6年 度 O B総会 報 告
No.23
20日
行
日
召和60年 4月
発行所
緑 ケ丘 山岳 会
〒103 東京都中
央区日本橋3213
(有 )中 條印刷所内
諸 氏 は昔 を な つか しみ 、各 自 思 い思 い
に楽 し い時 間 を 過 ご し た。
7 日青 学 会 館 に て開催 。 も多 く の会 員 の方 々にO B会 費 の納 入
昨 年 同様 5月 1
促 進 にご協 力 戴 き た いむ ね依頼 が あ っ
敏 ︶ O Bも 同 日は、
大 阪在 住 の鈴 木 ︵
。
浜 松 の集 会 の後 、総会 にご出 席 を戴 き、 た
新 幹 事 長 及び 新 監督 か らも新 幹 事 、
楽 し い 一時 を 過 ご した 。
。
今 年 は 、理事 会 の改 選 時 期 でも あ り、 新 コー チ の メ ンバ ー の発表 が あ った
総 会 と し て の セ レ モ ニー終 了後 は、
鈴木 ︵
弘 ︶前 理事 長 よ り、緑 ヶ丘 山 岳
現役 諸 君 、若 手 O B諸 氏 によ る最 近 の
会 規 約 には な いが 、小 島 会 長 の名 誉 会
、副会 長
山 行 スライ ドを 見 て、栗林 O B秘 蔵 の
弘︶
長 への推 選 、 会 長 鈴 木 ︵
スライ ド を永 井 O Bが持 参 、新 旧 の ス
栗林 、新 任 理事 の紹介 、幹 事 長 、監 督
、
の指 名 が あ り、参 加 者 よ り承 認 を得 る。 ライ ド を 見比 べ年 輩 の諸 氏 は 自 分達
9
9
の時 代 と 現代 の山 行装 備 の違 いにおど
が
次 に、 5
年
度
会
計
報
告
5年 度 幹 事 長
ろ き 、若 手 O B現役諸 君 は古 い装 備 に
よ り報 告 さ れ承 認を得 る。尚 O B会 費
おど ろ き 、 日頃 山 か ら遠ざ か って いる
の徴 収 が 悪 く 、 こ のま ま の状 態 が続 く
と O B会 運 営 が難 しく な る の で、本 国
総会 にご出 席 のO B各 位 は 、同年 輩 の
0年 は 一人 で
方 々 に声 を か け て戴 き 、 6
いの で、今 後 は更 に横 の継 が りを密 に
で楽 し い会 に し て行 か な け れば な ら な
他 人 ま か せ にす る の でな く 、会 員皆 な
会 は 、 同好 の志 の集 ま り であ る の で、
閉会 に当 た り 、新幹 事 長 よ り、 O B
下 さ い。
会 員 であ れば 会 費 を納 め る のは当 然 の
義 務 です の で、是非 会 費 納 入 にご協 力
事 と な ってお りま す 。
は毎 年 幹 事 諸 氏 が大 変 苦 労 し て いる仕
りま すが 、 そ の中 でも O B会 費 徴 集 に
三〇〇 、○○○
一五 〇 、○ ○ ○
一〇 〇 、 ○ ○ ○
三〇 、○ ○ ○
一〇 〇 、○ ○ ○
五〇 、 ○ ○ ○
五〇 、○○○
に な る恐 れが あ りま す の で、会 員皆 様
のご協 力 を 重 ね てお願 い致 しま す。
七 八〇 、 ○ ○ ○
0名 ︵0万
よ って今 年 の目標 は最 低 8
8
円 ︶ の収 入が な いと緑 ケ丘 山 岳 会 の運
0年
営 は スムーズ に出 来ず 、創 部 以 来 6
の輝 か し い歴 史 を持 つ会 も実 のな い会
合計
理事 会 、幹 事 会 活 動 費
年史編纂 費
福 島基金
緑 ケ丘 山 岳会 名 簿 再 版
慶 弔費
監督会 費
緑 ケ丘 通信 、印 刷 、発 送 費
0年 度 支 出 予
現在 幹 事 会 に て作 成 し た 6
算 を 下記 の通 りと な ってお りま す。
し て、 よ り楽 し い会 にし て行 き た いと
0年 度 総会 を 終 る。
の話 が あ り、無 事 6
0
6年 度 新 役 員
名 誉会 長 小 島
副 ︿本 長 栗 林
︿バ 長 鈴 木 ︵
弘︶
賢︶
理 事 長 中 村 ︵
、西 堀 、山 脇 、
理 事 鈴 木 ︵
忠︶
、平 野 ︵
敬︶
興︶
永井 ︵
幹 事 長 下河 辺
幹 事 土 田 、藤 沼 、菅 田 、安 本
萩 原 、小 山
コ ー チ 西 脇 、近 江 、依 田
摩皿
督 小倉
O B総 会 参 加 者
、栗林 、鈴 木 ︵
、秋 山 、
鈴木 ︵
弘︶
敏︶
、
、 山 脇 、 栗 原 、永 井
中村 ︵
賢︶
西
堀
、平 野 ︵
、白 井 、中 条 、下 河
︵
敬︶
興︶
辺 、小 倉 、若 杉 、岩 井 、 尾身 、安 本 、
萩 原 、依 田 、菊 地 、以 上 2.名
0
6年 度 O B会 費 納 入依 頼
現 在 幹 事 会 の仕 事 は 、会 報 の発行 、
O B会 費 の徴 収 、 O B会 懇 談 会 等 が有
-1-
発
と 思 いま す。
長 に選 任 し た よ う であ りま す。後 日、
てお りま し て、 そ の席 上 、小生 を 理事
日、本 人 の私 は仕 事 の都 合上 、欠 席 し
そ の経 緯 を申 し上 げ ま すと 、実 は当
た。
この度 、 五 月 十 八 日 の理事会 にお い
て、 は か らず も 理事 長 に選任 さ れま し
あ りま す 。
当 時 、特 に思 い出 と な った山 行 は 、
そ の内 容 は君 を 理事 長 に決 定 し た の で、 のO B会 名 簿 に名 を連 ね て いる わ け で
鈴 木 前 理事 長 よ り手 紙 が 届 きま し て、
四年 生 の 二月 、岳 沢 にB ・Cを 設 営 、
た。 そ の苦 し さ に絶 え た十 一名 が 現在
、 退部 さ せ ら れ て い っ
のは 、び し ′
‘ヽ
を さ ぼ る も の、部 の方 針 に従 わ な いも
合 宿 に参 加 し な いも の、 ト レー ニング
と と 思 う。当 時 の部 も か な り厳 し く 、
十 一名 も いた のは わが部 創 部 以 来 の こ
か った こと と 思 いま す。 同期 の部 員 が
は じ め当 時 の下級 生 は大 変 、 や り にく
後 の O B会 、懇 親会 等 には現役 部 員 も
現役 部 員 と O B諸 兄 と の交 流 の場 を持
つ必 要 が あ ると 思 いま す。少 く と も今
そ の規 範 と し て、少 く と も年 に数 回 は
に継 承 し て いか な け れば と 思 いま す 。
得 、 そ の構 築 を 計 り次 の世 代 へと永 遠
と 思 う。青 山 学 院 山岳 部 のそ の文 化 を
O B諸 兄 、現役 部 員 と コンセ ンサ スを
ら し て文 化 と 云 った方 が 理解 し や す い
では 云 い表 し にく いが 近頃 の云 い方 か
か わ れ た青 山 学 院 山岳 部 の伝 統 、言 葉
も知 れ な いが 、創部 六 十 有 余 年 、 つち
構 築 と継 承 。適 切 でな い表 現 であ る か
そ の 一つは 、青 山 学 院 山岳 部 の文 化 の
部 員数 の拡 大 部 員数 の充 足を 計 る こ
も考 え て見 る 必要 が あ りま すが 、先 ず 、
わ が山 岳 部 も 、推 薦 入学 制 度 に ついて
に気 が つか れ て いる こと と 思 いま す。
ベ ル ・ア スフし てき て いる こと に つい
が制 定 さ れ 、各 運 動 部 と も 、 かな リ レ
学校 側 の理解 によ る体 育 推 進 入学制 度
す こと は な いと 思 いま す 。
例 えば 母校 、青 山 学 院 大 学 体 育 会 は
だ が これを 一般 的 な傾 向 と し て見 逃
動 部 に 入部 せず 、安 意 な同好 会 に入会
す る傾 向 が各 大 学 に見 ら れ ま す。
世 、学 生 気 質 と し て、あ ま り進 ん で運
す が 、 こ の少 数 精 鋭 のあ り方 に ついて
一考 を 要 す る必 要 あ りと考 えま す 。当
二 つめ の問題 と し て、 こ ゝ数 十年 、
か って、未 だ漠 然 と は し て いま す が 理
少 数 精 鋭 ? で部 の活 動 を し てお りま
か り や ってく れ ! と の文 面 でし た。
天狗 の コルか らジ ャ ンダ ル ム、奥 穂 を
一緒 に参 加 さ せ るよ う にし た いと考 え
理 事 長 就 任 にあ た って
事 会 、幹 事 会 、監督 会 の理解 と協 力 を
得 て二 つの問題 に取 り組 ん でみ た い。
創部 六 十 余 年 の伝 統 のあ るわが 部 の○
ア タ ック した のが印象 深 か った山 行 で
て いま す 。 O B会 は O B会 、現役 は現
わが山 岳 部 O B会 、発 展 のた め に し っ
B会 の理事 長 など私 のよ う な若 輩 が と
し た 。豊 間 はナダ レの連 続 す る岳 沢 を
役 と い った か た ち では監 督会 が 組 織 上 、
実 であ りま す 。
ても引 き受 け ろ ! と の いか ついO B
の命 令 、 一喝 、就 任 さ せ ら れ た のが事
深 く 思 い出 と な って残 って いま す 。 あ
や ま さ れ て の登攀 の つら か った こと が
ら は 、滝 谷 側 か ら吹 き上 げ る突 風 にな
コルのC I ︵
雪 洞 ︶ へ、天 狗 の コルか
う。
頑 張 ってく れ たと し ても 、 コンセ。
フト
の 一致 と いう こと は 、難 し いこと と 思
れ 、時 折 り 、 O B会 、理事 会 に出 席 し、 く 、且 つ、貴 重 な話 に、有 意 義 な若 い
ま し た が 、 こ ヽ数 年 仕 事 に追 いま く ら
これを機 に こ のよ う な会 合 を持 ち た い
岳 部 づ く り﹂ の第 一歩 と し て の基 盤 の
構 築 の初 年 度 と し た い。
督 会 のご 理解 と 、協 力 を いた ゞ き、先
ず 部 員 数 の拡 大 、充 足 を計 り ﹁
強 い山
O B 、諸 先 輩 、 理事 会 、幹事 会 、監
れ た部 活 動 は でき な い筈 です。 伝 統 あ
る山岳 部 を 、更 に ﹁
強 い山 岳部﹂ づ く
り に強 化 し て いく べき時 期 にあ ると 思
いま す。
と にあ ると 思 いま す。部 員 全 員 が レギ
ュラー であ る護 送 船 団方 式 では充 実 さ
て、 スポ ー ツ紙 等 によ り そ の活 躍 ぶ り
ても引 き受 け られ る筈 も な く、幾 度 も
ベ ー ス ・キ ャ ンプ から眺 め 、夜 半 にな
ってナダ レ のお さ ま った ころ 、天狗 の
思 いだ せば 、 昭和 二十 六年 入部 し 、
れ か ら 三十 年 、 しば らく の間 は コー チ 、 の部 員 が出 席 し 、北 海 道 の合 宿 の スラ
お断 し し た が 、鈴 木 前 理事 長 よ り
り
ま
俺 が バ ック ・ア ッ。
フす る の で、 ど う し
一年 先 輩 には草 野 、我 部 、岡本 氏 を は
先 日は 、 O B総 会 の折 、現役 の殆 ど
じ め、 同 期 に は 西 堀 、 天 竺 桂 、鈴 木
吉 岡 、門 石 、青 山 、 と小 生 の十 一名 の
人 達 と の交 換 の場 が持 てた こと は大 変 、
イ ド を 見 せ ら れ現役 部 員 の活 動 の情 況 、
多 く の同期 の部 員 で青 春 時 代 の若 い エ
旧 交 を あ た た め る のが楽 し みと いう ス
喜 ば し い こと であ りま した。今 後 と も 、
、畠 山 、指 原 、 監 督 と し て部 員 と も接 触 を 保 ってお り
︵
武 ︶、渋 沢 、鈴 木 ︵
忠︶
ネ ルギ ーを 山 一筋 に ぶ つけ て いた の で
タイ ルに変 ってしま った。
こ の度 、 理事 長 と いう大 役 を 仰 せ つ
各 先 輩 のな つか し い昔 の山 行 等 、楽 し
あ る か ら当 時 の部 は大 変 な賑 いであ っ
た。今 にし て思 えば お そ ら く山 脇 君 、
-2-
山 岳 部 六十 年 に想 う
は、部 が生 ま れ て二十 年 にな る か な ら
ぬ時 だ った。 そ し て、 この戦 争 を 境 と
吉 岡 さん 、 野 口さん と いう女 性 部 員
あ った 。
く な った方 の多 い中 で平 野 さん 、 しば
松 尾 さ ん 、立 花 さ ん 、原 田 さ んと 亡
会 と は直 接 関係 のな い話 だ が 、私 が青
が生 ま れ た のも 、 二十 年 の後半 で、 こ
と いう。 O B会 名 簿 を拡 げ てみ ると 、
大 正 十 五年卒 と し て、 岡 田喜 一、坂 岡
ら く お 目 に掛 か ら な いが 、 ま だ山 を歩
し て登 山 は大 衆 化 の 一途 を 辿 り、 そ れ
奈 保 志 、小泉 賢 三氏 ら の名 前 が ト ップ
いてお ら れ るだ ろ う か。 そ し て、大 塚
山 の中 学部 に いた と き 、栗林 君 と と も
に ﹁
山 と スキ ー の研究 会﹂ を作 った。
昭和 十 五年 七 月 にそ のグ ループ で南 ア
北 岳 に行 った のだ が 、 この行 程 中 殆 ん
も忘 れ ら れ な い。 そ し て柴 野 君 、 田島
君 、 深山 君 、大 森 君 、吉 村 君 、久 保 田
鈴 木 弘
にあ る 。 ど う いう こと か ら 、誰 が 言 い
さ ん 、大 倉 さ ん 、佐 野 さ ん の時 代 と な
り、 や が て佐 伯 さん 、笹 井 さ ん が活 躍
って来 て村 の人 を 見 た と き妙 に懐 か し
ど人 に逢 う こと が な か った。声 安 に下
君 そ し て田中 君 、数 え ると随 分 多 く の
てお ら れ る。
だ し て山 岳 部 が創 られ た のか は 、何 れ
さ れ てく る。
か った も のだ 。当 時 では当 た り前 でも
友 を失 ってしま った。矢 張 り遭 難 は起
こし ては な ら な いと改 め て思 う 。
今 年 は山岳 部 が創 設 さ れ て六 十年 だ
うが 、別 所 梅 之 助 先生 のお力 添 えが あ
ご存 知 のな い方 も多 いだ ろ うが 、私 が
今 日 では想 像 も出 来 な い こと であ ろ う。
そ れが 山 の世 界 であ った し 、 そう し た
れ も時 代 の流 れ かと思 った こと であ っ
た。
った こと は確 か な こと のよ う であ る。
坂 岡 さ ん に ついては 、記憶 さ れ て い
現役 の ころも っと も お世 話 にな った先
環境 の中 で部 の活 動 が な さ れ て いた の
も時 と と も に ひろが って い った。 O B
る方 も多 いだ ろ う 。山 を 愛 し た方 であ
輩 だ った。幼 少 の頃 の病 気 のた め か特
であ る。
戦 後 にな って、 まず 頑 張 ってく れ た
達 の考 え方 によ るも のかも しれ な い。
戦 前 の登 山 は学校 山 岳 部 が主 流 であ っ
た 。或 いは大 衆 化 の攻 でな く 、若 い人
山 岳 部 は次 第 にそ の影 を薄 く し て い っ
登 山 の大 衆 化 が進 む に つれ て、学 校
高 地 に飛び 、彼 を背 負 った悲 し み は今
難 事 故 であ った。 こ の知 ら せ に私 は上
一方 、 昭和 二十 三年 、 岡安 君 を 穂 高
で失 った。青 山 と し ては は じ め て の遭
ったが 、私 には山 岳部 を愛 し 、 O B会
異 な体 格 の持 主 であ った にも拘 わ らず
年 史 でも出 来 れば 明 ら か に なる であ ろ
を 大 切 にさ れ てお ら れ た こと の方 が 印
穂 高 岳 北 尾根 四峰奥 又側 フ ェー ス の初
登 攀 に成 功 さ れ て いる。 そ の時 使 った
佐 伯 さ ん は早 く亡 く な ら れ た の で、
象 深 い。次 の後 輩 が福 島 昌夫 氏 、 お 目
に掛 か ったと き 、 この先 輩 は本 当 に青
のが鈴 木 敏 夫 君 。食 糧 も な い、 足 の便
山 の出 身 な のか と 思 った程線 の大 い
も 悪 い、部 室 も惨 めと いう中 での活 躍
が 、山 岳 部 を いち 早 く復 興 さ せ てく れ
た。 ヒ マラヤ のナ ンダ コ ット に挑 んだ
の は立 教 大 学 の山岳 部 であ った の に、
ガ イ ド が 上 条 孫 人 、 この人 は上 高 地 の
今 日 ヒ マラヤ遠 征 隊 に大 学 山岳 部 の名
主 と言 わ れ た嘉 門次 の孫 であ る。
そ し て私 が 現役 時 代 にお世 話 にな っ
た。終 戦 の翌 二十 一年 夏 に涸 沢 で合 宿
こと にな った。青 山 の場 合 偶 々大 学 が
を や って いる の であ る。 これが 原 動 力
は なば な し い山 行 はと でも でき る状 態
期
にな って い った と私 は思 って いる 。
では な か った 。 が そう し た中 で頭 角 を
室 町 君 の監 督 の時 だ と 思 うが 、北 海
現 し た のが栗 林 君 であ った。彼 に つい 道 日高 の縦 走 が あ る し、中 村 監 督 のと
ては今 更 何 も いう こと は な いが 、唯 一 き と 、土 田監 督 のと き の 二回 に及 ぶ、
つ、戦 後 だ が ア ラ スカ ヘた った 一人 で
渋 谷 と厚 木 に別 れ た こと にあ り、尚 更
た外 山 さ ん 、田山 さん 、滝 沢 さ ん と な
ア ラ スカ で の合 宿 も あ った。 そ し て昭
和 四十 九 年 には 、青 山 と し ては じ め て
を み る こと は珍 し いこと にな ってしま
当 に長 い間 お世 話 を 頂 いて いる。 現役
行 った こと 。旅 立 つ前 彼 の家 を訪 れ て
ヒ マラヤ の ヒ マルチ ュリ ヘの挑 戦 が 栗
部 の た め に何 かが 欲 し か った。 そ れが
と な って、 や が で山 岳 部 は戦 後 の全 盛
時 代 には谷 川 岳 一ノ倉 沢 で の初 登攀 、
本 当 に 一人 で行 く のかと言 った覚 えが
林 君 、戸 張 君 が中 心 にな って行 わ れ た
人 工岩 場 の建 設 計 画 であ った。
山 が あ る以 上 、山 に登 る以上 、岩 場
る のだ が 、既 に戦 争 が は じま ってお り
方 だ った。中 島 知 久 平 氏 の秘書 を や っ
てお ら れ たと 聞 いて いるが 、後 年 長 谷
川 伝 次 郎 氏 の ﹁ヒ マラヤ の旅﹂ の編 集
を さ れ て いる。 こ の福 島 氏 の時 代 か ら
ま た数 年 前 ま で ヒ マラヤ のト レ ッキ ン
あ る。 ま た O B会 に監督 制度 が でき た
と き 、 そ の初 代 が彼 であ った。
の であ る。 これ ま で の間 、部 員 は揃 っ
次 第 に山 岳 部 の伝 統 が築 か れ てき た よ
グ に出 掛 け てお ら れ た こと は皆 さん ご
て いた し、 ま た部 活 動 も 可 成 り活 発 で
O B会 の幹 事 長 、副 会 長 、会 長 と本
ん であ る。
O B会 と し ては何 かを 考 え ねば な ら ぬ
た こと は 、 や むを 得 な い ことと し ても 、
が減 少 し 、従 って活 動 も小 規 模 にな っ
こう し た環境 の変 化 で山 岳部 は部 員
って いる。
承知 の通 り。 山 と は何 か 、山岳 部 は、
振 り か え ってみ ると 、私 の現 役 時 代
う に思 う。 こ の跡 を継 いだ のが小 島 さ
O B会 は に つい て、確 た る考 え を持 っ
-3-
レー ニング を 通 し てチ ー ム ヮー ク の育
の技 術 が 遭 難 を 回 避 し 、 ま た こ の ト
に つけ る こと は大 切 な こと であ る。 そ
従 って山 に登 る か ら には そ の技 術 を身
や氷 壁 を避 け て通 る こと は出 来 な い。
私 は山 岳 部 を 今 日ま で育 て、今 日 に
この計 画 の実 現 を 願 いた いと 思 って い
ス
一。
岳 部 の将 来 を 考 え れば 、何 んと し ても
いう他 は な い。 六 十 年 の歴 史 を も つ山
浮 い てし ま って いる こと は、唯 残 念 と
認 可 が得 ら れず 、 この計 画 は今 日宙 に
今 後 な お続 け ら れ 、七 十 年 、 百年 への
心 よ り の誇 りを 感 じ る。 そ し てそれ が
か し全 く確 実 に この六 十 年 の間山 岳 部
が連 綿 と 受 け継 が れ てき た こと に私 は
こ の六 十 年 間 の山 岳 部 の足跡 に、誇 る
べき こと は 、 な いかも知 れ な い。 が し
輩 のO B諸 君 に心 よ り感 謝 を し た い。
に是 非 心 よ り な るご協 力 を お願 いす る。
思 う。 私 は この こと に、 O B の皆 さ ん
欲 を 言 えば キ リ が な いが 、私 は ひた
成 を は か る こと が出 来 る。 学校 当 局 も
至 った多 く の先 輩 の方 々 に、 そ し て後
ま す 。 そ れが ま た汗 にな って⋮ ⋮ 。 と
んだ でし ょう か。茶 店 では紅茶 を 飲 み
部 の灯 を 、 ひと と きも絶 や す こと のな
いよ う 、 O B の 一人 と し て努 め た いと
す ら に六 十 年 前 に先 輩 が と も し た山岳
これを 理解 さ れ 、計 画 は着 実 に進 ん だ
少 し行 きま すと 、大 き な仏 像 が ニ ョ
ッキ リ と立 って いま す。小 さ な お堂 と
いう繰 り返 し でし た。
人 々は 、夕 方 か ら夜 にか け て登 り 、頂
店 が 何 軒 か 並 ん で いま し た。 巡 礼 の
階 段 が だ んだ ん多 く な ってきま す。 多
く な ったと 思 う う ち に、も う す べ て石
は 、 ゆ るや か な登 り の道 でした。 石 の
日本 寺 院 か ら少 し い ったあ た りま で
これ が 。 暑 さ は暑 し、 で何 度 茶 店 で休
長 い溝 を 区 切 ったトイ レが あ り、 わ坊
の です。 と にか く暑 い。 で、 そ れ ほど
の中 のう ね う ね と し た道 を歩 いて いく
家 は な く な り 、 しば ら く の間 、紅 茶 畑
さ ん が 二人 程 のんび りと歩 き ま わ って
いま し た。 そ のお堂 を 過 ぎ ると も う人
道 を歩 ん で欲 し いと 願 う 。
が 、 そ の建 設 場所 を め ぐ って厚 木 市 の
あ の日 あ の山
新婚旅行 の山
歩 いたわ け でも な いの です が 、茶 店 で
一体 み。 行 く 手 に仏 塔 ︵
∪出 3 と が
見 えま す。 近 づ いて いく と 、 そ こに 日
本 の寺 院 ︵
何 宗 でし ょう か? ︶が建 っ
上 で夜 明 けを 迎 え る そう です 。私 達 は
ま っ昼 間 、登 る こと にな りま し た。 頭
段 と な りま し た 。 石段 は延 々と続 い て
いた の です 。 三階 へのは しご段 程 の、
7 、
1月 2
日
人 は 、 ヌヮ ラ ・エ
私
達
2
リ ヤ ︵
Z﹂lRヽ 国︼
ぞし か ら 、 車 で
の スリ ラ ンカ の聖 な る山 スリ ・パダ
︵
∽ユ o“0●︰ 剛省% >∝”日、
∽00”ォ︶ に
登 ってきま し た。
こ の山 は、 スリ ラ ンカ の南 部 丘 陵 地
上 に は太 陽 がギ ラギ ラ。行 く先 が 思 い
な か な か骨 の折 れ る傾 斜 な ん です ね 、
て いま し た。 これ には少 し驚 か さ れま
し た。 ︵ペ ンキ で ″フ ロ″ と 書 い て あ
帯 にあ り、標 高 二、 二 四三 m。仏 教 ・
や ら れま し たが 、と にかく歩 き は じ め
る小 屋 が あ りま し た。︶
イ スラ ム教 ・ヒ ンド ゥ教 と 、 3 つの宗
2月 か ら 4
教 の聖 地 と な って いま す。 1
月 ま でが 巡礼 の季 節 で、山 道 には 、 ス
た の です 。
国鋒 o口 の 町 を 経 由 し て登 り 口 に着 き
ま し た 。 が らん と し た広 場 が あ り、茶
リ ラ ンカ各 地 か ら集 ま った巡礼 の人 々
の長 い列 が続 く そ う です。
仏 教 の国 と いわ れ る スリ ラ ンカ 。 そ
⑤
︱ ︱ 余 談 に な りま す が 、考 え て みま
達 です。相 変 わ らず ゆ っく りゆ っく り
ん が 見 え ま し た。 登 ると き に会 った人
着 く ま で に暗 く な ってしま うだ ろ う に
・
︰ ち ″ と 俗 人 は 思 いま し た ね 。 今 、
考 え てみ る と 、老 いた 2人 は、満 ち 足
下 って いま す 。 r﹂の分 で は ふも と に
に白 いサ リ ー のおば あ さん と お じ いさ
5人 の青 年 達 は 、笑 いさざ めき なが ら。
ら し て、頂上 を後 に しま した。
な
下 り始 め ると 、雨 が パ ラ ついてきま
家 族 でわ参 り の人 達 。 お 母 さ ん は片 腕
に赤 ん坊 を 抱 き 、も う片 方 には手 さげ
し た。 頂上 か らす ぐ の茶 店 で雨宿 。紅
ず いぶん と階 段 を 登 り下 りし たも の で
カバ ンを さげ て いま す。
す と 、 この国 にき て、 これ ま で にも 、
す 。 シギ リ ヤ と いう所 では、岩 山 の頂
狭 く も あ りま せ
分 く ら い でし ょう か ͡
が ら歩 い て いた のかも 知 れ ま せん 。急
茶 を飲 ん で いると かけ声 を掛 け なが ら
。
0
1人 程 の人達 が 登 って いき ま し た 遠
方 か ら の人 達 な の でし ょう か。手 に手
何 段 登 り下 り し た こと でし ょう か。 そ
登 ると き は 、 あ ん な に暑 か った の に
ん け れど広 く も な いの です ︶全 部 白 く
塗 ってあ りま し た。頂 上 か ら の視 界 は 、 雨 のわ かげ でず いぶん じ のぎ や す く な
いでも 、ゆ っく り でも人 間 の行 き つく
上 の王 宮 跡 ま で、絶 壁 の ふち の石 段 で
歩 き は じ め てか ら約 3時 間 。 や っと
恐怖 に戦 き 、ダ ンブ ラ の石窟 寺 院 でも 、 頂上 に辿 り着 き ま した。 頂上 は 、何 畳
し て、 この国 にお い て、最初 に仏 教 が
りま し た。 ど んど ん 、ど んど ん 下 って
余 談 の余 談 。 この ミ ヒ ンタ ー レは 、
の宗 教 の聖地 です 。私 達 が ま ご ついて
ま し た が 、 そ の先 は⋮ ⋮ 。何 し ろ 3 つ
し ょう か 。朽 ち か け 、摩 り減 った石 段
スリ ・パダ の石 段 は何 段 あ った の で
てきま し た。 それ が済 むと 、今 度 は お
徒 。 仏 足 跡 と し てそ の前 に手 を 合 わ せ
な穴 な の でし ょう 。 でも 、私 達 は仏 教
宗 教 心 な し でみ れば 、岩 に でき た小 さ
シヴ ァの足跡 と考 え て いる そう です。
所 は皆 同 じ な の です か らっ
に6年 の歳 月 が流 れ去 ろう と し て い
追
悼
祭
の
お
知
ら
せ
4年 3月 3 日 の
早 いも の で、 昭 和 5
2
田中宏 一〇 B の遭難 事 故 か ら、 す で
し ょヽ
フ。
れ込 ま せ てし ま って いる のが 現状 で
た ち の憶 い出 を 日常 生 活 の些 事 に紛
の機 会 を な かな か得 ぬ ま ま に、故 人
す いぶん 下 ってき たと 思 う頃 、前 方
ま す 。 こ の間 、 現 役部 員 を は じめ 、
接 知 る者 は現 役部 員 の中 には 一人 も
いな いと いう のが 現状 です 。 ま た 、
は代 も変 わ り 、過 去 の遭 難 事 故 を直
し か し 、 6年 と いう長 い年 月 の間 に
さ れ て いた か ら にほ かな り ま せん 。
れ た方 々の悲 し く も尊 い教 訓 が 生 か
ら れ ま し た のも 、慰 霊碑 に名 を刻 ま
も出 す こと な く登 山 活動 を 続 け て こ
9 6 2 9 ま でお願 いし ます 。
永 井 敬 一理事 宅 80 4 41 9 6 6 1
込 め て、追 悼 祭 を 挙 行 す る運 び と な
り ま し た。 連 絡 、 問 い合 わ せ先 は 、
と共 に、 今 後 の安 全 登 山 への祈 願 も
そ こ で この度 、 故 人 の冥福 を 祈 る
よ う な事 故 が何 度 か発 生 し て いる と
山 行 の中 には合宿 を中 止 に追 い込 む
明神館 2食付 一泊六千 五百円
一万 三千円
往復バ スの直行便を利用。
ではあ り ま し ょう が 、 近年 の現 役 の
そ れを これ とを 結 び つけ る のは早 計
8
3
●日時 0
1月 1日0 2時 新宿 発
9
︲日0 6時 上 高 地着
※慰 霊 祭
0 日0 2時 上高 地 発
2
1
た ち にと り ま し ても 、穂 高 への再 訪
我 々O B会 員 の中 か ら 一人 の犠 牲 者
いう のも 事 実 です 。
一方 、 我 々O B
いき ま す。
りた想 いを 大 切 に大 切 に そ っと抱 き な
伝 わ った土 地 と いわ れ る 平 地 ミ ヒ ン
残 念 な が らガ スに遮 ら れ て いま し た。
スリ ラ ンカ の旅 の中 でも忘 れ ら れ な い
いると 、家 族 連 れ の人 達 が いろ いろ面
は 、何 百 年 、 いえ 、千 年 以 上 も の昔 か
燈 明 の黒 い油 ͡す すが ま じ ったも の ︶
にかば ん や手 さげ を持 って いま す 。
タ ー レ でも 、
一八 四〇段 の石段 を 登 り
所 の 一つです 。茫 々と茂 った草 の中 に、
拝 みま し た。 仏 足跡 と い っても 、 それ
お参 り の方 は 、 と にかく裸 足 にな り
僧 坊 の跡 、仏 塔 、水 浴 場 跡 など が点 在
し 、兄 お ろ せば 、濃 い緑 に白 い大 き な
は仏 教 徒 の伝 説 cイ スラ ム教 では楽 園
下 り し た の です。
花 が浮 かん で いま す。座 って いると時
を追 放 さ れ た アダ ムが地 上 に降 りた時
倒 を み てく れ ま し た。 まず 、仏 足跡 を
の流 れ が 止 ま る か と 思 わ れ ま し た。
ら この国 の人 々 の何 かを受 けL
lめ て今
に至 って いる の でし ょう。白 いサ リ ー
に つけ たも のと考 え 、 ヒ ンド ゥー教 は 、
を 纏 った おば あ さ ん と 、白 い衣 のお じ
香 の煙 を 体 の悪 い所 に つけ る 、 それ と
人 が い て、手 を 合 わ せ ると 、額 に テ ィ
カを 着 け てく れ ま し た。 最後 に、鐘 を
同 じ よ う な こと な の でし ょう。 ヒ ンド
ゥー のお堂 の前 には、 お坊 さん ら し き
を 髪 の毛 にな で つけま す。 日本 でお線
いさ ん が 下 り てき ま す 。 足 が不 自 由 な
の でし ょう。 お じ いさ ん は 一段 一段 、
おば あ さ ん に支 え られ て下 って いきま
し た。
若 い人 達 にも会 いま し た。私 達 と後
にな り先 にな り し なが ら登 った人 達 。
-5-
私 の魅岳
こん な山 が あ っても い いでは な いで
あ った の であ る。 しか し この柔 道 と や
俣 連 華 の小 屋 で雨 で三 日間停 滞 し、家
族 と 学校 当 局 を 慌 てさ せ ると いう 、 お
ま け ま で つい て段 々山 ら し く な って い
ったも の であ った。
縮 み上 り今 ま で ロ マンチ ックな ハイ キ
ング し か経 験 し な か った私 には 、 なん
い込 んだ 心細 い気 持 にな ってしま った。
と も場 違 いな 、山 賊 のす み かなど に迷
ち にだ ん /ヽ 雰 囲気 にも馴 れ る にし た
しま った と 思 ったが も う遅 い。然 し入
ってみ る と以 外 と先 輩 は親 切 。 そ のう
軒小 屋 ︵
当 時 は転 付 峠 を徒 歩 で越 し て
入 ったも の であ る ︶か ら荒 川 岳 、赤 石
が って、部 室 の雰 囲気 にも 入 り込 め る
勿 論 翌 十 六 年 の夏 も 、南 ア ルプ ス 二
岳 を 通 って伊 那遠 山 川 へ抜 け ると いう
は 、今 を と き め く 、平 光 淳 之助 氏 と 関
登 り の練 習 で あ る。 岩 登 り の練 習 な
口福 二郎 氏 と私 の二人 であ った。
こう し て山 岳 部 に入 る と 、先 ず 、岩
よ う にな って い った。当 時 の同期 生 に
当 時 の私 にと っては破 荒 天 な大 山 行 を
や ったも の であ る。 この時 も 又 おま け
にビ バ ー クを重 ね、 も って い った食 糧
ど ヽい っても 、キ ャ ンパ ス内 に岩 場 が
が ついて、百 間 洞 で道 に迷 いビ バ ー ク
も つき 、 又帰 路 に立 ち よ った 、無 人 の
光 輝 あ る 、青 山 学 院 のあ の苔 む し た校
カ ラ な ハイ キ ング マ ニア であ った の で
実 は こ の私 の卒 業 し た静 岡 の商 業 学
が浮 か れ に、浮 かれ て いた時 であ った。
、
この年 、静 岡 の田舎 か ら 一人 の少 年 が 、 校 の英 語 の教 師 が 当 時 と し ては ハイ
ま っ唯 中 。緒 戦 の大 勝 利 に、国 民全 体
あ る。 こ の教 師 の影 響 を う け 、春 の伊
ん と も 云 え な い異 様 な雰 囲気 であ った
け ら れ 、 そ の間 に尻皮 が 下げ ら れ 、 な
入 る と 、天 丼 か ら自 在 が下 が り、壁 に
はピ ッケ ルと か 、 ワカ ンが所 狭 しと か
す る。 と に角 そ の部 室 のド アを 押 し て
って、長 屋式 に建 てら れ て いたと 記憶
今 の青 学会 館 のあ ると ころ に、塀 にそ
のあ と の体 暇 が 四 ・五 日続 く期 間 に入
と ころが 六 月 に入 って、中 間 テ スト
馳 せ て いたも の であ った。
く 、 まだ 見 ぬ山 々を勝 手 に想 像 し 、特
に夏 山 の合 宿 の決 って いる釧 岳 へ夢 を
す る こと であ った。 でも結 構 毎 日楽 し
四階 建 の教室 のあ るビ ルの外 壁 へ挑 戦
枠 と か樋 を 足場 に し て屋根 へ攀 登 る こ
と であ った。 それ が な ん と か済 む と 、
あ る わ けが な い。 何 を す る かと 思 った
ら 、先 輩 の指 導 で先ず 部 室 の外 壁 の窓
小 屋 で蚤 の大 群 におど か さ れ 、遠 山 川
では山 ビ ルの集 団 に襲 は れ ると いう エ
ピ ソー ド ま で ついたも の であ った。
門を く ぐ って入 って い った の であ る。
豆 の山 であ ると か 、秋 の箱 根 と か 、 日
の であ る。 そ し てあ のテ ント独 特 の鼻
話 は横 道 にそ れ たが 、当 時 の部 室 は
高 等 商 学 部 に入 学 を許 さ れ た、私 の若
を 乾 燥 さ せ る よ う な臭 いと 、 スキ ー の
った の であ る。当 然 山 岳 部 と し ては個
らが当 時 の私 にはナ ンともダ サイ 感 じ
し ょう か︱
僕 は山 岳
で嫌 いであ った。嘘 も方 便 ﹁
今 を 去 る こと 四十 三年 前 。時 は昭 和
十 七年 の春 か ら、 この物 語 りは始 ま る。 部 に入 りま し た﹂ など と 云 ったば か り
にと う /ヽ 山 岳 部 の扉 を押 しあ け る ハ
き姿 であ った 。
一かど の ハイ キ ング 通 にな って いたも
曜毎 に日帰 リ ハイ キ ング 山行 を 催 さ れ
好 奇 心 も手 博 って、毎 回参 加 し 一応 、
ワ ック スの香 りが充 満 し た部 室 の真 中
昭和 十 七年 四月 、時 代 は大 平 洋 戦 争 の
当 然 今 の大 学 と 同 じ で、 入学 式後 の
の であ った。 そ し て昭和 十 五年 の夏 に
道 部 が 一番 熱 心 であ る。 と いう のは 、
であ った。ど こか ら聞 いてき た のか柔
を 通 り、 雲 の平 を 通 って有 峯 へ抜 け る
は 、北 ア ルプ ス の笠 ケ岳 か ら 三俣 連 華
に、 日を ギ ョロ ッと さ せ 、 これ以 上 は
人 山 行 が 行 は れ る こと にな って いる こ
とを 、 ま ったく知 ら な か った の であ る。
メ にな ってし ま った の であ る。
各 スポ ー ツ ・ク ラブ の新 人 勧 誘 が盛 ん
私 が卒 業 し てき たば か り の静 岡 の旧 制
焼 き よ う も な い真 黒 な顔 を し た先 輩 が
二人 程 ド カ ッと 腰を 下 し ﹁ヨウー来 た
各 自プ ラ ンを 発 表 し て出 掛 け る こと に
な った。春 の涸 沢 と か 、白 馬岳 へと か
と いう 、今 で云 う ト レ ッキ ング に参 加
し たも の であ った。然 も この途 中 の二
か﹂ など と大 声 を上 げ る の で 一ぺん に
商 業 学校 では 、 た し か に柔道 を や って
いた の であ る。 然 も講 道館 の有 段者 で
-6-
にな ると ころ では 、例 え 日が違 って い
ても ヤ バ イ の であ る。 そ こ で先 輩 、 同
の であ る。然 しま てよ 、先 輩 達 と 一緒
にな った 。先 ず 行 先 を決 め ねば な らな
い。 も う こう な った ら 、ど こ でも良 い
そ こ で いよ いよ計 画 を 実 行 す る こと
か答 は 一つであ る。
の であ る。山 を と る か 、親 孝 行 を と る
両親 が待 って いる筈 であ る。親 孝 行 な
家 では 一日も 早 く帰 ってく るよ う に、
そ し てチ ャ ッカ リ家 へ帰 って いよ う。
い い ではな いか 。 心配 す る こと は な い。
じ た。 そ うだ 山 へ行 った こと にす れば
帰 り た い 一心 であ る。 そ こ で 一計 を案
ホ ー ムシ ック にか ヽ って いる私 は家 に
あ る。然 も故 郷 静 岡を出 て早 ニケ 月 。
山 の名 前 も ろ く ろ く知 ら な い 一年 生 で
番 に な った。 し か た な い、 や る し か な
い。 な ん と か空 ん でた 、名 案 内 文 を 心
ぜ ん /ヽ 耳 に入 ら な い。 いよ /ヽ、私 の
る 日 にな った の であ る。先 輩 か ら順番
回 も読 ん で当 日 に そな え た 。 そ し て つ
いに 、報 告 会 の ミ ー テ ィ ング が 開 か れ
れ も 暗 記 し な け れ ば な ら な い。 な か
/ヽ の名 文 章 であ る。 そし て何 回 も何
え ん で いるなど と 、書 い てあ るが 、 こ
は歩 き であ る。道 路 傍 の道 祖神 が微 笑
か入 って いな い。 戸倉 か ら大 清 水 ま で
と にし た。 沼 田 か らバ スは戸倉 ま でし
あ る。 必 死 に この案 内 文 を暗 記 す る こ
コー スと が あ る。 ど ち ら でも良 いの で
け る ルート と 、鳩 待 峠 か ら 入 って逆 の
か ら入 って尾瀬 沼 を 通 り尾瀬 ヶ原 へ抜
あ る /ヽ 尾瀬 の部 を 見 ると 、 二平峠
読 ま れ て いた 、山 の案 内 書 ﹁
東京 付 近
の山 の旅﹂ を 早速 買 って来 て、 尾瀬 の
部 を探 し出 し た。
私 を 最 後 に報 告 会 が終 った 。 2づ いて
悪 いも の で、誰 も黙 って ニヤ /ヽ 笑 っ
て聞 いて いるだ け であ る。 そ し て この
出 てく る わ け であ る。先 輩 達 も意 地 の
岳 。 スイ岳 と私 の報告 の中 に は何 回 も
イ 岳 と読 ん でしま った の であ る。 スイ
岳 を ヒウ チ と読 む ことを私 はま った く
知 ら な か った の であ る。 ク ン読 み で ス
岳 が 見 え てく る。 と ころが こ の山 。隧
だ あ た り の樹 間 か ら 、尾瀬 沼 と名 峰 隧
であ る。峠 か ら少 し下 り右 に廻 り込 ん
て いる。今 書 い て いても赤 面 す る思 い
か に出 る の であ る。峠 には残 雪 が残 っ
のむ こう にG
ち岳 は私 を 迎 え てく れ た。 あ の尾瀬 沼
四年 経 った、戦 後 の 十 一年 の春 であ
二
った。 四年 前 と 同 じ よ う に ︵
? ︶ひう
際 に尾瀬 の地 を 訪 れ た の は 、 そ れ か ら
然 し この ニセ報 告 書 の謝 罪 を かね て実
罪 し た のか読 者 の想 像 にお ま か せ す る。
あ の報 告 書 がバ レた のか 、 あ と で謝
バ カ ヤ ロー!﹂ と ど な ら れ てしま った。
あ の 日 の こと は終 生 忘 れ る こと が でき
な い。
り ︱ダ ー達 の批 評 にな り開 口 一番 ﹁八
輩 達 のプ ラ ンを み て、誰 も行 か な いと
ころ 、当 時 す でに 、水 芭 蕉 で有 名 な尾
持 ち 下 を向 き なが らポ ツリポ ツリ と し
ゃ べり出 し た。先 輩 達 の顔 はま と も に
こ ヽか ら道 はジ クザ ク に登 って三平峠
瀬 に行 く こと にしよ う 。然 も時 あ た か
は見 られ な い。 も はや時 効 だ と 思 う の
で許 し て いただ き た いが 、滝 沢 さ ん と
二人 二人 と パ ー テ ィを 組 ん で新 宿 発 の
も六 月 であ る。高 山植 物 の群 生 の間 を
か 、亡 く な った黒岩 さん 、リ ーダ ー の
木 は本 当 に スイ 岳 、 スイ 岳 と い って尾
瀬 のあ た りを う ろ /ヽ︲し て いた のか。
歩 き 廻 って来 た こと にす れば 良 い、 シ
イ / ヽ であ る。誰 も 見 て いる わ け では
田山 さ ん達 が 日を ギ ョロ つか せ 、小 さ
>まだ現役 ・八木先輩
か ら続 く稜 線 に出 る筈 であ る。 いや確
な い、 わ か るも のか と 開 き直 った の で
く な って いる私 を 見 て いる。 も はや乗
夜 行 で発 ってゆ く。 さ あ大 変 であ る。
あ る。 そ こま では良 か った。休 暇 も済
ら な い。大 清 水 か らブ ナ や 、 ミズ ナ ラ
の林 の 間 を 抜 け て、
一ノ瀬 に着 く。
り か ヽ った船 であ る。私 は進 め ねば な
に楽 し か った山行 が報 告 さ れ て いるが
ん で東 京 へ皆 戻 ってき た。 そ こに予期
し な か った報 告 会 が待 って いた の であ
る。 さあ 困 った 、ど う し た ら良 い であ
ろ う。 そ こ で何 はと も あ れ 、当 時 良 く
-7-
山岳部 現役 の便 り
、
9
5年 度 の我 青 山 学 院 大 学 山 岳 部 は
前 年 と 同 じ白 馬 岳 では じま った。 6名
の初 々し い新 人 は期 待 と不安 の交 叉 す
る複 雑 な気 持 で夜 行 列 車 に乗 り こん だ 。
こん な時 代 は誰 に でも あ るも の であ る。
約 1週 間 の新 人 合 宿 は例 年 にな い豪 雪
で天 幕 が つぶさ れ た り し たが 、初 め て
の雪 山 に新 人 は新 鮮 な印象 を受 け たよ
うだ 。 そ し てそ の夏 は北 ア ルプ スの雑
踏 を避 け 一路 北 海 道 の 日高 山 脈 へ向 か
った。額 平 川 か ら幌 尻岳 へ登 り、 ほ ぼ
中 心 に位 置 す る ウ チ カ ウ シ山 への縦走
であ る。 こ の合 宿 の報 告 は次 の歌 に集
約 さ れ る。
日高 旅 情 ︵
知床 旅 情 の節 で︶
額 平 の ほと り に ただ す む 君 が いた
署び を感 じ て
ふ り そ そ ぐ 日射 し に 一
フ ァイ アーを 囲 み 天 を こが せば
あ ふ る る血 潮 に 微 笑 む幌 尻
H月 は冬 、春 の偵察 を行 い、 下旬 に
富 士 山 でト レー ニング 合 宿 を 行 った。
ノ ンシ ュラ フ、 ノ ンテ ント で3 日間 ビ
バ ー ク し冬 山 に備 え た。冬 山 合 宿 は横
7日間変 則 ポ ー ラ
尾 尾根 か ら槍 ヶ岳 を 1
型式 でアタ ック す る計 画 であ る。 クリ
7
ス マス寒 波 の到 来 で平 均 温 度 氷点 下 2
度 と いう酷 寒 の中 、吹 雷 の横 尾 の歯 を
局 アタ ック は断 念 し次 の機 会 を待 つこ
な り夜 にな って雪 洞 に切 り換 え た。結
越 え な ん と か ベ ー スキ ャ ンプ を 設 け た
も の の、突 風 で天 幕 が つぶ さ れ そ う に
特 に槍 ヶ岳 か ら剣 岳 ま での縦走 は近年
剣 岳 ま で縦 走 し欅 平 へ下 る予定 であ る。
媒 酌 = 土 田0
石 黒 O B ・村 上 O G ︵
、 五 月 に は西 脇 O B ︵
媒酌 =中 条
B︶
り滝 谷 、前 穂 高 岳 東 壁 、 屏 風を 登攀 後 、 ●結 婚 = 昨 年 末 、 近 江 O B 、本 年 二月
あ る。 又夏 山 合 宿 は涸 沢 に ベ ー スを 張
O B ︶が め でたく 結婚 し ま し た 。
あ ・れ 二 ∵ れ
と にな る。冬 山 合 宿 の雪辱 を 果 た す た
成 功 し て いな いの で、今 年 こそ はと部
は全 く驚 くば か り であ った。以 上 が昨
ホ ワイ ト アウ ト で何 も 見 え な か った の
に、 こん な すば ら し い景 色 が あ ったと
的 な も の に部 員 不 足 の問 題 が あ る。 こ
つかあ る のは当 然 と いえ る。 そ の代 表
我 々 にも 頭 を か かえ る よ う な問 題 が幾
も そ の時 代 な り の苦 悩 が あ る よ う に、
指導 に当 た り ま し た 。
れ 、栗 林 、 土 田、菊 池 、 小 山 O Bが
本 年 も 七 月末 に立 山を 中 心 に行 な わ
●大 学 の体 育 実 技 集 中 講 義 へO B派 遣
●
め 、春 山 合 宿 は再 び横 尾 尾根 に向 か っ
●転 勤 = 木 村 O B、草 野 O B の影 響 力
の大 き な 二先 輩 が東 京 へ。若 千 の安
年 度 の主 な る活 動 の報 告 であ る。
れ は他 大 学 でも 頭 を痛 め て いる問 題 で
沢 君 が 前 穂 東 壁 登 攀 中 に落 石 を 受 け
穂 高 で夏 山 合宿 中 の現 役 、 三年 生 西
け各 穂 高 に アタ ックを か け る つも り で
た。幸 い天 候 にも恵 れ 、 予定 通 り槍 ヶ
今 年 は新 人 が 1人 も 入 らず 淋 し い幕
か な り深刻 な問 題 であ る。 そ の原 因 と
本 O B は大 阪 へ。
開 け と な ったが 、 5月合 宿 を 穂 高 の岳
し て、最 近 の登 山 の多 様 化 に伴 い、偏
岳 のピ ー クを踏 む こと が でき た。冬 は
員 一同 張 り切 って いる。以 上 、青 山 学
0年 の伝 統 を 受
院 大 学 体 育会 山 岳 部 は 6
け つぎ今 も 健在 であ るが 、 い つの時 代
沢 で行 い、 コブ 尾根 、南 稜 、前 穂 高 岳
●本 年 O B会 費未 納 の方 は至 急 お振 込
み お願 い致 し ま す 。 活動 に支障 を き
★幹 事 会 よ り O B諸 氏 ヘ
鈴 木 O Bも参 加 さ れ ま し た 。
と いう ツ ア ーが 8月 ∼ 9月 にあ り 、
●栗 林 一路 氏 と ヨー ロ ッパ ア ルプ ス ヘ
救 出 されま した。
肛 骨 骨 折 の傷 を負 い ヘリ コプ タ ー で
●現 役 合宿 中 に事 故
北 尾 根 を そ れ ぞ れ登攀 し た。 そ の際 重
食 指 向 の人 間 が増 え た こと が あ げ られ
る。例 えば ﹁
岩 は こわ いか らや り たく
享 楽 主 義 的 性 質 も 一役 か って いる よ う
ま っぴ らご めん﹂ と いう人 が今 や 沢山
いる の であ る。 又最 近 の学生 に顕著 な
と いう人 は昔 にも いた と 思 う
な い。
﹂
が ﹁
岩 は登 りた いが重 荷 を背 負 う のは
太 郎 新 道 を 下降 中 、 3年 部 員 一名 が落
石事 故 を 受 け頭部 に外 傷 を負 った が 、
幸 い大 し た こと も な く上 高 地 で解 散 す
る こと が でき た。 ご心 配 を お か け し た
O B諸 氏 、監 督 、 コーチ に改 め て深 く
わ詫 び を申 しあげ た い。
次 にク ラブ の現状 に ついて話 し た い
と 思 う 。 こ こ2年 間 、我 々は槍 、穂 高
であ る。 そ の他 にキ ャ ンパ ス移 転 の弊
岳 を中 心 に積 雪期 の合 宿 を 行 ってき た。 害 も今 だ に続 いて いる。 し か し 、 こ の
いが 、常 に向 上 心 を も って今 後 も自 分
一朝 一夕 に解 決 す るよ う な問題 では な
そ し て今 年 度 も そ れを 受 け継 い でや っ
て いく つも り であ る。今 年 度 の総 決 算
であ る春 山 合 宿 には 、 か ね てか ら の目
達 の登 山 を し て いき た いと 思 う 。
更 等 あ り ま し た らご 一報 下 さ い。
よ う な諸 問題 を 解 決 す る こと は こ の時
た し ます 。
代 に山 岳 部 に いる自 分達 の使 命 であ る。 ●会 員名簿 を お届 け し ます 。 白井 O B
の尽 力 で出 来 上 が った も の です 。変
標 であ った前 穂 高 岳北 尾根 を 、冬 山 合
︵3年 西 沢 ︶
宿 には そ の前 哺 戦 と し て、涸 沢 岳 西 尾
根 か ら白 出 乗 越 にべ ︱ スキ ャ ンプ を 設
-8-
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