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フランスにおけ

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フランスにおけ
富
田
仁
フ ラ ン スに お け る 日本 仏 学 史
交 献 ・資 料
一九 七 四年 七 月 二 一日 か ら 九 月 六 日 ま で 、 ふた た び 訪 れ た フ ラ ソ
ス の地 で、 メ ル メ ・ド ・カ シ ョソを 中 心 に日 本 仏 学 史 研 究 に必 要 な
フ ラ ソ スの文 献 ・資 料 を 採 訪 す る 機 会 に めぐ まれ た 。 以 下 は そ の採
(這 ◎
。
パ リ 第 五 区 バ ック 通
り 一二 八 番 地
カ⊆o α⊆ bdp
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の海 外 布 教 団 ζ 凶ω゜。δ昌ω
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ても ら った カ シ ョ ソの
経 歴 に関 し て の小 さな
一葉 の 記 録 力 ー ド に よ
二 八 年 九 月 十 一日 ジ ュ
る と 、 カ シ ョ ソ は 一八
ー い①ω ︼
Wo広oげo纛 聖 堂
ラ 山 中 の レ ・ブ ー シ ユ
区 に 生 ま れ 、 サ ン ・ク
ロー ド の神 学 校 か ら 一八 五 二年 七 月 十 一日 パ リ 海 外 布 教 団 に入 り 、
副 助 祭 、 助 祭 、 司 祭 と 順 調 に昇 進 し、 一八 五 四年 八 月 二 五日 パ リ を
一22一
訪 記 録 の概 要 であ る 。
調 査 ・蒐 集 し た文 献 ・資 料 は 三大 別 でき る 。
一、幕 末 の外 交 史上 、 レオ ソ ・ロ ヅ シ ュの 通訳 と し て活 躍 し た宣
教 師 カ シ ョソの来 日 以前 の経 歴
二、 日 本 に最 初 に来 た フラ ソ ス人 で 長崎 で殉 教 し た ギ ヨー ム ・ク
ー ル テ の生 地 と そ の伝 記 ・研 究 に関 す る 文 献 ・資 料
三、 パリ の モ ソパ ルナ ス墓 地 にあ る 入江 文 郎 ほか明 治 の日本 人 の
墓
な お、 日本 人 と し て最 初 に フ ラ ソ スを 訪 れ た 支 倉 常 長 に関 す る カ
ル パ ソト ラ の ア ソギ ャ ソベ ル テ ィー ヌ図 書 館 所 蔵 文 書 も 閲 覧 し た 。
以 下 、 便宜 上 別 々に調 査 過程 を記 す が 、 実 際 に は平 行 的 に採 訪 が
メ ル メ ・ド ・カ シ ョ ソ 竃 奠 ヨ Oけ α¢ O鋤Oげ8
進 め ら れ て い た こと を断 って おき た い。
ω
・ブ ー シ ュ ー
カ シ ョン の 生 地,レ
出 発 し 、 日 本 に 向 っ た 。 さ ら に 、 カ シ ョ ソ の そ の後 の 経 歴 、 活 動 が
﹃パ リ 海 外 布 教 団 協 会 報 ﹄ 竃 傷ヨ oユ 巴
カ ード に記 載 さ れ て いる 。 私 は これ を ノ ⋮ ト し た あと 、 ゲ ノ オ神 父
か ら ア ドリ ァ ソ ・ロネ ー著
諺曾 幽
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の カ シ ョンの項 の記 事 を 見 せ られ た。 大 要 は前 記
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力 i ド と 同 じ だ が 、 カ シ ョソの著 作 と カ シ ョソに関 す る文 献 書 誌 が
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﹁ア イ ヌ 、 起 原 、 言 語 、 風 俗 、 宗 教 ﹂.
]
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・原 著
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以 上 の三 冊 であ る 。 いず れ も パ リ 国 立 図書 館 に 所 蔵 さ れ て い る
(請 求 図 書 番 号 ω 。。。O。℃ω゜ ② ω 勺α鰹 ①゜ ㈲ × 卜。。。O嵩 ) 。
た だ し 、 ﹃養 蠶 秘 録 ﹂は カ シ ョ ソ の 仏 訳 本 を イ タ リ ア 訳 に 重 訳 し た
、
.
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も の を さ ら に 別 の フ ラ ソ ス人 に よ っ て フ ラ ソ ス 語 に 訳 さ れ た も の 、
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図 書 館 に あ り 、 カ シ ョ ソ 仏 訳 本 の 所 在 は い ま のと こ ろ 確 認 さ れ て い
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( 一八 〇 三 年 ) ︺
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ブ ー シ ュ ー へ の タ ク シ ー を 手 配 し て も ら った が 、 ど こ も 出 払 って 夕
郵 便 局 前 の レ ス ト ラ ソ兼 ホ テ ル に 旅 装 を 解 き 、 マ ダ ム に 頼 み 、 レ ・
ら ず 、 十 分 ほど 歩 いて 中 心 街 に出 て、 ま ず こ の夜 の宿 を 探 し た 。
分 に 到 着 し た 。 ス イ ス 国 境 に 近 い ジ ュ ラ 山 中 の 駅 前 に は 車 一台 見 当
で 鈍 行 列 車 に 換 え 、 ナ ソ ・ク ロ ー ド ω巴 口竿 Ω 磐 αo 駅 に 十 四 時 二 六
私 は パ リ の リ ヨ ソ駅 か ら 急 行 列 車 に 乗 込 み 、 ム シ ャ ー ル ζ o仁oず母 傷
さ て 、 殉 シ ョ ソ の 生 地 が 判 明 し た の で 、八 月 十 八 日 朝 八 時 十 四 分 、
一切 省 か れ て い る 。
接 訳 出 し て い る こ と が 認 め ら れ る 。 ベ ク ー ル訳 は 原 書 の 抄 訳 で 絵 は
重 訳 の フ ラ ソ ス訳 を 比 較 検 討 し た 結 果 、 両 者 は そ れ ぞ れ 原 書 か ら 直
な フ ラ ソ ス 訳 を 出 版 し て い る 。 ボ ナ フ ー 訳 と カ シ ョ ソ訳 ・ベ ク ー ル
で 集 大 成 し た も の で 、 一八 四 八 年 に マ チ ュー ・ボ ナ フ ー も ほ ぼ 完 全
﹃養 蠶 秘 録 ﹄ は 日 本 各 地 の養 蚕 技 術 を 絵 入 り
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添 え ら れ て い た こと は 有 益 で あ っ た 。 カ シ ョ y の 著 作 と し て は 、
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﹁養 蠶 秘 録 ﹂
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て い な い し 、 片 道 二十 キ ロほ ど の山道 で は歩 い ても 行 け な い。 私 は
ク シー は つか ま らな い。 聞 けば 、 レ ・ブ ー シ ュー ま で は バ スも 通 っ
い。 言 葉 通 り 、 三十 分 ほど した と き 、 一台 の小 型 乗 用 車 が 姿 を み せ
性 も 乗 込 み 、 車 を 走 ら せた 。 そ こも 不 在 だ ったQ 主 婦 はあ と 二、 三
と り の主 婦 ら し い女 性 と 出 て来 た 。 教 会 の書 記 の家 に行 こう 、と 女
る。 書 記 が ひと り の神 父 と 下 り てき た。 事 情 を 説 明 す る。 書 記 は私
十 分 も す れ ぽ 戻 るか ら 待 つ よう にと 云 う 。 仕 方 な い。 待 つ ほ か な
が 神 父 と 話 し て い る聞 に、 教 会 堂 の方 に駈 け 出 し て行 った。 や が て
途 方 に 暮 れ 、 き ょう は ナ ソ ・ク ロー ド見 物 で 時 間 を つぶ し 、明 日 に
に詣 でた 。 カ シ ョソも 祈 り を 捧 げ た カ テド ラ ル の荘厳 な 内陣 で 、私
も 手 段 を 講 じ て レ ・ブ ー シ ュー に た ど り つ こう と考 え 、 カ テ ド ラ ル
は ふと あ る考 え を 思 い つ いた 。 急 い で外 に 出 て 近 く の僧 房 に 足 を運
き 、 私 は 全 身 に これだ け で 十 分だ と い う よ う な満 足 感 が み なぎ り わ
の洗 礼 名 、 父 母 の名 な ど が記 録 さ れ て い る ・
へ: ジを 探 し 出 し た と
た る のを 覚 え た 。 実際 、 そ れ 以 上 の こと は な にも 判 ら な か った。 神
分 厚 い書 籍 状 の書 類 綴 を抱 え て戻 ってき た。 洗 礼 記 録 だ 。 カ シ ョ ソ
の青 年 が い るだ け で要 領 を え な い。 レ ・ブ ー シ ュー の司 祭 ス ゥー 〃
んだ 。 こ こ で調 べら れ る こと が あ れ ば 調 べ てお こう 。 ひ ょ っと す る
Oξ ひ ωo彗 o の名 を 教 え てく れ た にす ぎ な い 。 オー ト ・ス ト ップ で
ス (勺①憎
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父 は 別 れ に 際 し て 私 のカ メ ラ に書 記と 並 ん で収 ま ってく れ 、 ア ド レ
と な にか 収 穫 が あ るか も しれ な い。 だ が 、 あ い にく 若 い神 学 生 ふう
レ ・ブ ー シ ュー に行 け ぽ よ いと いう 無 責 任 な こと を 口にす る男 だ っ
神 父 の話 では 、 メ ルメ 姓 は レ ・ブ ー シ ューや 近 く の ・
ヘッス 勹Φωω
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禽 02ロ﹃① ωONOO ω巴昌7Ω 9償山o) を記 し てく
た 。 い さ さ か腹 が た ったが 、 礼 を述 べ て外 に出 たと こ ろ、 幸 運 にも
に は少 な く な いが 、 カ シ ョソ の縁 者 か 現 存 す る か ど う か は いま は 判
一台 の小 型 タ ク シー が空 車 で走 ってく る。 レ ・ブ ー シ ュー に行 って
ず れ る と す ぐ さ ま 細 ま って い く 山道 を幾 度 も カ ーブ し な が ら上 って
ら な いと いう 。 カ シ ョソ の両 親 の名 は判 明 し た が 、 職 業 な ど 詳 し い
れた。
行 く 。 霧 が 濃 く か か り 始 め る。 数 メ ー ト 〃先 し か視 界 がき かな く な
こと は調 べら れ な か った 。 歿 年 に し ても 、 一八 七 一年 頃 と いう 程 度
く れ る かと 訝 ね ると 、運 転 手 は黙 って う なつ く 。 タ ク シー は町 を は
り 、 いさ さ か 不 安 に な って く る。 や が て小 さ い聚 落 に 入 った。 レ ・
(月 ) 私 は 今 回 の 旅 行 の 一 つ の 目 的 で あ る ギ ヨ ー ム ・
ギ ヨ ー ム ・ク ー ル テ Ω巳 囲
冨 離B① 60ξ 8 け の こ と
八月 二 五 日
②
い こと が な にか わ か る こと だ ろう Q
しか あ き ら か で はな い。 多 分 、 歿 し た土 地 ニー ス でも 調 べれ ば 新 し
ブ ー シ ュー の道 標 が み え た 。 ど こを 訪 ね た ら よ い か。 教 会 堂 が見 え
る 。 会 堂 前 の広 場 に小 さ い像 が 建 って い る 。 カ シ ョソの像 ?違 う。
大 戦 で戦 死 した 兵 士 のた め の像 だ 。 車 か ら 下 り て 、教 会 堂 の 入 口に
近 づ く 。 扉 を 開 け よ う と す る 。 が 、 固 く 閉 ま って い る 。 べ つな 入 口
を 探 し て み よう と 教 会 堂 を 回 り か け る と 、 い つし か数 人 の子 ど も が
ク ー ル テ の 生 地 セ リ ニ ャ ソ ω驚 闘
oq蠧 口 訪 問 に 先 だ っ て 、 途 中 南 フ ラ
集 ま ってき て いた 。 司 祭 は スイ スに 行 ってい な い よ 、と ひと り が 云
う 。 折 角 こ んな 山 中 ま で に来 た の に、 司 祭 が 不 在 と は 。落 胆 し た私
ソ ス の ア ヴ ィ ニ ョ ソ 諺丘 σ
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に 一泊 し 、 ほ ど 近 い カ ル パ ン ト ラ
を 見 て、 タ ク シ ー の運 転 手 は 一軒 の家 に入 って行 き 、 間 も な く 、 ひ
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O鋤巷 Φ暮 蕁 ω の ア ソギ ャ ソベ ル テ ィー ヌ図 書 館 UU同
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ソ字 で埋 めら れ て いる 。 一九 四 〇 年 七 月 、 中 村 拓 氏 が ζ 。疂 ヨ①三9
請 求 記 号 と 標 題 で保 管 さ れ て い る 。 六 ・
へー ジ の羊 皮紙 に ぎ っち り ・
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) に支
倉 常 長 に関 す る文 書 を 閲 覧 す る こと にし た 。 朝 八 時 に アヴ ィ ニ ョソ
Z6bo巳。9 に内 容 の紹 介 を さ れ て い る こと を 知 って い た ので 、ぜ ひ
から バ スに乗 り 、 カ ル パ ント ラ に着 い た の は九 時 少 々前 だ った 。 図
書 館 はま だ 門 が 閉 ざ さ れ て いた 。 門 前 の掲 示 では 、 月 曜 日 は 午 後 二
と も こ の眼 で 見 て お き た か った のだ 。
ニ ョソ に引 き 返 し 、わ ず か に 四 分 間 ほ ど の乗 換 時 間 に 、
駈 け足でホー
私 は 文 書 の コピ ー をと り 、 カ メ ラ に も 収 め た あと 、 バ スで ア ヴ ィ
時 か ら 開 か れ る こと にな って い る。 私 は午 後 に は セリ ニャ ソ に発 つ
た 。 三十 分 後 、 掃 除 が す む 頃 に来 る よう にと 特 別 の処 置 を と って く
ム に到 着 中 の列 車 に飛 び 乗 り 、 ニー ム 2戸
ヨΦω に向 った 。 ニー ムで
予 定 だ った の で、 掃 除 中 の係 員 に事 情 を 話 し て、 文 書 の閲 覧 を 願 っ
れた。
円o℃ΦN に 二 、 三 日 間 滞 在 し た 支 倉
の た め に 南 仏 ナ ソ ・ト ロ ベ ωけ ↓o
ペデ ィ エ駅前 か ら タ ク シー をと ば す こと に し た。 片 道 二 ニ フ ラ ンで
バ ス の便 が あ った が 、 一時 聞半 あ ま り待 た な く て は な ら な い の で 、
乗 り 、 ペデ ィ エ b
づ傷臥窪
U躄 α9 の生 家 の写 真 を大 急 ぎ でと った。 そ し て、 ふ た たび 列 車 に
は 、 前 回 の渡 仏 のと き撮 り洩 ら し た ア ルフ ォ ン ス・ド ー デ ≧ 9 0づω①
常 長 に関 す る 文 書 が こ の 図 書 館 に
ソギ ャソ ペ ル テ ィー ヌ図書 館 に は
之四五)にも翻訳されている。ア
ま では
σq曾 卑 巴 α①ω﹂
≦ 9昌⊆ω?
(第 十 二 編
の は 一九 四 〇 年 の頃 の こと で 、 い
エ スト ゥー ルネ 司祭 だ と 紹 介 し てく れ た 。まず 、司祭 は教 会 堂 の内 部
を 待 ち受 け て い た か の よ う に ひと り の老 人 が扉 を開 け た。 運 転 手 は
ルテ の像 が鎮 座す る教 会 堂 前 の広 場 に タ ク シー が到 着 す ると 、そ れ
だ と 教 え て く れ る 。 日本 に最 初 に来 た フ ラ ン ス人 、 ギ ヨー ム ・ク ー
を あ げ て走 った 。遠 く教 会 堂 の塔 が み え てく る。 あ れ が セ リ ニ ャ ソ
行 って く れ ると い う タ ク シー の運 転 手 の車 は 地中 海 方 向 ヘ スピ : ド
へ赴 い た 。 ギ ヨー ム ・ク ー ルテ の生 地 へは
あ る こ と が 知 ら れ る よ う に な った
O碧 巴 oσ
q器
を 案 内 し て く れ 、 ク ー ルテ殉 教 の絵 姿 の掲 げ られ て い る片 隅 に連 れ
﹃大 日 本 史 料 ﹄
匡 冖゜D 傷①ω げ一
σ二〇匪 9 霧 ω冒自げ嵩ρ器 ω
閃螽 g ρ 09 母 8 ヨ o巨 のー
9
ャ ソ教 会 刊 行 のパ ソフ レ ット ﹁長 崎 の殉 教者 た ち﹂ω鉱導 ω 罎 母 亳屋
て 行 って く れ た 。殉 教 者 の絵 、各 種 拷 問 の説 明 な ども あ る。 セリ ニ
住① Z凋 pωρ匹 は ク ー ルテ の生 涯 を簡 潔 に記 し た手 ご ろな 解 説 書 だ 。
↓ 08 0×××く"09ε Φ葺 蠶 のb輿 ]
≦ ≦°
目 (勹櫛ユ9 = σ蕁 三 〇 コ o昌 一◎◎㊤O)
エ スト ゥー 〃ネ 司祭 の責 任 編 集 であ る。
Uβゴ9。ヨ 〇一 9 い冨 σ器 # 09 ↓o旨 o
に ょ る と 、 閃Oド 謡 bo°肉色9ユO昌 αロ
一25一
一六 一五年 十 月 初 旬 、 イ スパ ニア か ら ロ ー マに 向 う 途 中 、 悪 天候
支 倉 常 長 記 録 文 書(カ ル パ ン トラ)
㎜
㈱
< ° 勺。 O 信博目p⊆ヨ ① Oo葺 冨 計 卷 聴
一9 ヨ o冨
︹括 弧 内 の 記 号 は パ リ 国 立 図
要 な 文 献 は 集 め ら れ た よう だ 。 つぎ に 、 主要 な文 献 名 を .
パリ 国 立 図
書 館 請 求 記 号 を つけ て 記 し てお こう 。
司 祭 は 今夜 僧房 に泊
δ
家 ・ 旨三 ①ω
一、
oωb齧 づ9
9 ω ぎ 9 ω" 9
U°O巳 =p信ヨ ① Ooξ 8 計 # と 三 け 号
①耄 畠 ひ 昌o⊆くo昌①ヨ o暮
書 館 請 求 記 号 であ る。 ︺
(一) 菊o冨 謡§
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れ 、 夜 にな って 、 ペデ
され る ホ リ デ ー ・オ ソ
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冖Φω ω蝕 簿 ω 帥
(パ リ 国 立 図 書 館 蔵 版 は 一八 九 二 年 再 版 本 で 、 ク ー
同琶 崗 一ヨ o霞 ゜・ αoω 閃碧 巳 鼠 ω 099 0=ρ器 の
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凄 9・需 鉱 ω ∋ 彎 蔓 臨ωひ 蝉⊆ ㎏巷 o昌 鋤⊆ <同o 餓①
Ω゜↓髯 巳 ρg 梓i
冒 Oo口
(吉 田 小 五 郎 訳 ・岩 波 文
"田 ω8 幽δ 山。 冨 力亀 舮q凶
o昌 oぎ 鑑 ①目 Φ 窪
モ ソ バ ル ナ ス墓 地 に眠 る日 本 人
パリ の モ ソ.
ハルナ ス墓 地 に埋 葬 さ れ た こと は 記 録 にも 残 さ れ て い る
あ った 入 江 文 郎 は 一八 七 八 年 一月 、 パ リ の客 舎 で病 死 し た。 従 来 、
入江 文 郎 。 明 治 初 期 の仏 学 者 で オ ー ギ ュスト ・コ ソト の 理解 者 で
㈲
住①勹巳 ω 旨 ⑩゜。 甘 ωρ鑑、 呼 同○。﹃O な ど が あ る 。
庫 ) い仙○昌 黒 嚥雰
レ オ ソ ・.
ハ ジ ェ ス の ﹃日 本 切 支 丹 宗 門 史 ﹄
ク ー ル テ に部 分 的 に言 及 して いる 文 献 な 少 な く は な い 。 たと え ぽ
住① ζ 嵩Φ'μQ。⑩い ︹cQo 冖、
づ鵠刈躯O吋α旨︺
ピ、
﹀ σま
ぐひ昌仙蕁 玄 ① Ω巳 =p蝿目 ① Ooロ嵩 ①r 菊2お 同①賃× Uoヨ 剛
巳8 ぎ
(
腿) ピo 肩 ⑦日 同奠
ル テ に 関 す る 記 述 は 第 二 巻 二 一〇 ∼ 二 二 三 ペ ー ジ に み ら れ る 。 )
︹GOO ]
[づー〇一α⑩︺
H・諺 σσひ 国 ゜ ω巴 餌げΦ答 巳 1
(
○。)
O o霞 け①酢゜ 1
(
卜。) Z o鉱 8
↓ 9 0ω①L ヨ づ゜畠o ℃ ﹂ ).両 ω8 団゜ 嵩 自 ゜ ︹]
[⇔爵嘱 切O虧O︺
・ア イ スにも 招 い てく
れ た。 夏 の夜 空 の下 に
繰 り ひろ げ ら れ た 氷 上
の祭 典 を 私 は ア ノ ラ ッ
ク 着 用 と いう 姿 で 見 物
し た。 月 光 に美 し く 映
え る 氷と 色 彩 豊 か な 衣
裳 は私 の旅 の疲 れ を い
や し てく れ た。 夏 の夜
風 は 涼 しす ぎ た が、 快
通 って調 べ、 複 写 した 。 ク ー ル テ伝 を 日 本 仏 学 史 の観 点 で書 く に 必
パリ に戻 ってか ら 、 そ のと き に知 り え た 文 献 を パ リ 国 立 図書 館 に
な ぜ か 拘 泥 す る も のが 私 の心 に 生 ま れ て い た のだ った。
司 祭 の 研 究 ・著 作 に 必要 な文 献 ・資 料 を そ のま ま コピ ーす る こと に
メ モし 、 わ ず か な 個所 を ノ ー ト し ただ け で、 司 祭 に別 れ を 告 げ た 。
寛 大 に資 料 を提 供 し てく れ たが 、 私 は司 祭 の教 え てく れ た 文 献 名 を
必要 な 資 料 は ノ ー ト し ても よ い、 カ メ ラ に撮 し ても よ い、 と 司 祭 は
い まそ れ ら を整 理 し て 一巻 の書 にま と め る予 定 だ と 話 し てく れ た 。
翌 日、 司 祭 はク ー ル テ に関 す る文 献 ・資 料 を み せ てく れ 、 ご 自 身
か った 。
地 ・セ リ ニ ャ ン)
ギ ョ ー ム ・ク ー ル テ 像(生
}
一
26
が、 そ の墓 ・
の所 在 は 不明 と さ れ て い た。 入 江 家 でも そ れ を 知 ら な い
`
そ の 結 果 、 萩 原 正 倫 は 朔 太 郎 と は 関 係 の な い 貿 易 商 で 、 一九 〇 二
所 に 赴 き 、 死 亡 証 明 の 請 求 手 続 を と った 。
年 一月 十 日 に 若 冠 三 三 才 で パ リ に 死 ん だ こ と が 判 明 し た 。 死 亡 届 は
よう で あ った の で、 今 回 の .
バリ滞 在 中 にぜ ひと も 在 処 を つきと め て
伍ひOαω
み た いと 考 え て い た。 た ま た ま同 じ く パリ 滞 在 中 の高 橋 邦 太 郎 共 立
山①
林 忠 正 か ら 出 さ れ て い た 。 以 下 は 入 江 の証 明 書 。
諺08
女 子 大 学 教 授 が 墓 地 管 理 事 務 所 で調 べら れ 、 あ る 日 曜 日 、 私 を 誘 わ
る こと を教 え てく れ 、 鮫 島 尚 信 と 萩 原 正 倫 の墓 に案 内 し てく れ た 。
O霧 陣導 搾 ∪①冨 乱σQぎ
嘆 o﹁
oωωo霞 口o ℃ぼ δ のo℃霞 Φ"匹ひoひαひ Φ口 ω○昌 創08 凶
o躍o 位 ℃9ユ ω﹃qΦ
畠岱 ヨ 鍛 ぎ ゜8 ε 息⑦ ま a ω 住⇔蕁 ①暮 8 口ω畠 鼠 亀Φ 凋ρヨ δ H勾田
∪⊆ 勹誘 ヨ 凶
興 隷 くユ窪 ヨ 昌 ず信同δo①三 ωo団
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た ま た ま 日本 入 旅 行 者 夫 妻 も 墓 地 見 学 に みえ 、 写 真 を 撮 ろうと し て
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墓 地 の監 視 人 の ひと り が 入 江 の ほか にも 二人 の日 本 人 の墓 所 が あ
れ て入 江 文 郎 の墓 に詣 でた 。
い たと こ ろ を監 視 人 に注 意 さ れ て困 って いた 。 そ れ を み て、高 橋 先
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生 が チ ップ をわ たす よう にす す めた 。 す る と 、 た ち ま ち 案 内 を 申 し
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出 、 私 たち に同 行 し た の であ る 。 フ ラ ン ス人 気 質 の 一端 が み ら れ て
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面 白 か った 。
鮫 島 は 日本 全 権 公 使 であ り 、 外 交 史 上 の 一入 物 で あ る が 、萩 原 の
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方 は無 名 であ り 、 最 初 日 本 の詩 人 の いど こだ と いう話 で あ った 。 朔
太 郎 の縁 戚 か も しれ な いと 考 え る と 、 こ の人 物 の身 許 を 調 べ て み た
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く な った。 墓 地 の管 理 事 務 所 に行 き 、 埋 葬 記 録 の閲 覧 を 求 め た 。 受
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録 を 叙 勲 局 で調 べた が 、 記 録 は な か った 。中 江 兆 民 の パ リ で の 足 ど
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パ リ 滞 在 中 、 私 は 村 上 英 俊 の レジ ョソ ・ド ヌー ル叙 勲 に 関す る 記
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付 の マド モ ァゼ ルが 親 切 にも メ モし てく れ た こと は つぎ のよ う で あ
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る 。 ︹ ︺内 は墓 地 整 理 記 号 。
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り を パ リ 警 視 庁 に 探 そ うと し た が 、 や は り 記 録 な しと い う こと だ 。
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百 年 と いう 歳 月 は あ ま り に も 長 い 日 々で あ った よ う だ 。
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つぎ に 、私 は 埋葬 願 い の 出 さ れ た第 六 、第 九 、第 十 六区 の各 区 役
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