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明治前期における教育制度及び教員の特権 ・拘束内容
明 治 前 期 に お け る 教 育 制 度 及 び 教 員 の 特 権 ・拘 束 内 容 船 引 洋 志 社 会 系 コー ス 兵 庫 教育 大 学 大 学 院 学 校 教 育 研 究 科 教 科 ・領 域 教 育 学 専 攻 M ○ 七 一七 八 D 章 ・ 第 二 節 ﹁節 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ⋮ ・ ⋮ ・ ・ ・ ・ ⋮ . . . . ・ . . 。 嶺 . . . . 膠 . . . . ・ . ・ 一 一 二 ・ ・ ・ ・ ⋮ 四 七 四 〇 五 . 二 八 . ・ ・ ・ ・ ・ ⋮ . . . . ・ . 一九 . . . ・ . . . . . . . . . ・ . .三 ・ ・ . . . . . . . . . . . ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ⋮ . ⋮ . . ・ . . ・ ・ ・ ・ ・ ⋮ の 教 員 養 成 . . ⋮ . ・ ・ ・ ・ ・ ⋮ . . . . . . . . . . . . . . . ・ . . 四 . ⋮ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ⋮ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ⋮ 制 ﹂ 頒 布 ・ ﹁明 治 前 期 に お け る 教 育 制 度 及 び 教 員 の 特 権 ・拘 束 内 容 ﹂ ・ ﹁学 の 目 的 と 内 容 五 年 ﹁学 制 ﹂ 明 治 近 代教 育 制度 の創 設 ・ 論文題目 序 第 に 伴 う 教 員 養 成 ﹁教 育 令 ﹂ 師 範 学 校 設 立 か ら ﹁教 育 令 ﹂ 頒 布 三 節 ﹁学 制 ﹂ 二 年 へ の 移 行 明 治 十 の 意 図 と 内 容 二 章 一節 教 育 令 第 第 {章 第 第 二 節 ﹁教 育 令 ﹂ 頒 布 ・ ・ ・ ⋮ 第 明 治 ﹁教 育 令 ﹂ ﹁改 正 教 育 令 ﹂ 時 十 三 年 第 三 節 第 四 節 ・ 曝 . . . . . 山ハ ○ 五 〇 ・ .・ ・ . . ⋮ ・ 教 員 の特 権 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ⋮ ・ 第 一節 ・ 五 四 ・ . ⋮ ・ .⋮ ・ 教 員 が 拘 束 さ れ て いた内 容 ・ ・ ・ ・ ⋮ ・ 第 二節 立早 ・ 第 三 章 教 員 と し て の特 権 と 拘 束 内 容 終 序章 幕 末 の 動 乱 が 終 結 し 、 明 治 維 新 の 名 の 下 に 新 し い 明 治 と い う 時 代 が 始 ま づ た 。 明 治 維 新 は 近 代 統 一国 家 (天 皇 制 統 一 国 家 ) 日 本 の 出 発 で あ り 、 ﹁学 制 ﹂ は そ の 教 育 政 策 に お け る 最 初 と い っ て い い 結 実 で あ り 、 そ の 意 義 は 高 く 評 価 さ れ ね ば な ら な い ω。 維 薪 軍 が 先 頭 に 立 っ て 明 治 新 政 府 を 作 り 上 げ た 。 日 本 は 明 治 維 新 の 直 後 に お い て 一 つ の大 き な 問 題 に ぶ つか った 。 そ れ が 何 で あ る か と い え ば 士 族 に 頼 る べ き か 全 国 民 に 頼 る べ き か と い う 問 題 であ る。 ﹁教 育 令 ﹂、 ﹁改 正 教 明 治 新 政 府 は 、 多 く の 日 本 の 文 化 や 習 慣 に 対 し て 様 々な 大 改 卓 を 断 行 し て い く こ と と な った 。 そ の改 革 は 教 育 の 面 に お い て も 容 赦 な く 行 わ れ た が 、 そ の 代 表 が こ れ か ら 述 べ る こ と に な る 、 ﹁学 制 ﹂や ﹁学 制 は 、 殖 産 に よ る 富 国 の た め だ け で 旦 廃 絶 し、 私 塾 も す べ て国 家 の 認 可が 必 要 で あ る と規 定 (一八 七 二 年 ) 八 月 の 学 制 頒 布 は 、 徴 兵 令 と 並 ん で 、 廃 藩 置 県 以 後 の 開 明 的 政 策 の 核 心 を な す も の 育 令 ﹂で あ る 。 明 冶 五 年 で あ った 。 新 し い学 制 の 意 義 は 、 旧 藩 以 来 の 学 校 を し 、 教 育 の 国 家 統 制 の 確 立 に あ た った 。 学 制 の 意 義 に つ い て 安 川 氏 は な く 、 強 兵 の た め に も 必 要 で あ る と み な さ れ て い た 。 学 制 ・徴 兵 令 ・地 租 改 正 の 三 大 改 革 の う ち 、 わ ず か の 差 で は あ る が 、 学 制 が 一香 初 め に 実 施 さ れ た の は 、 か な ら ず し も 偶 然 で は な か っ た 。﹂ と 述 べ て い る ω。 政 府 は ﹁学 制 ﹂ を 発 布 し た こと によ って、 国 民 に対 し て軍 事 の重 要 性 や 国 力 を 高 め るた め にも 強 兵 が 必要 で あ る こと を教 育 を 通 し て 国 民 に 身 に つけ さ せ る た め に 、 徴 兵 令 よ り も 学 制 を 先 に 実 施 し た の で は な い だ ろ う か 。 教 育 の 面 か ら 、 富 国 強 兵 と い う 認 識 を 植 え つけ よ う と し た 政 府 側 の 意 図 も 少 な か ら ず 入 っ て い る の で は な い か 。 ﹁学 制 ﹂ の 発 布 は 日 本 の 教 育 史 上 画 期 的 な 意 義 を も つ も の で あ る 。 全 国 民 を 対 象 と す る 教 育 制 度 を 設 け る こ ﹁学 制 ﹂ の と は 、 文 部 省 創 設 当 初 か ら の 課 題 で あ っ た 。 文 部 省 で は 、 ﹁学 制 ﹂ を 制 定 す る 準 備 と し て 、 早 く か ら 欧 米 先 進 諸 国 の 教 育 制 度 を 調 査 す る と と も に 、 全 国 の 教 育 の 実 情 の 調 査 等 を 行 って い る 。 こ れ ら の準 備 の 下 に 起 草 に 着 手 し て い った の で あ る 。 1 八 七 九 年 ) ﹁教 育 令 ﹂ で あ 二 し か し 、 画 期 的 な 制 度 と し て 発 布 さ れ た ﹁学 制 ﹂は 、 授 業 料 の 負 担 が 民 衆 に は 大 き す ぎ 、 干 渉 主 義 的 な 教 育 を 行 お う と し た こ と な ど か ら 批 判 が 集 中 し 、わ ず か 七 年 足 ら ず で 改 正 さ れ る 。 そ の後 、 明 治 十 二 年 に 発 せ ら れ た のが 、 自 由 主義 を 掲 げ 国 が 教 育 を 主 導 す る ので はな く 、 地 方 に ま か せ よ う と し た (一 八 八 っ た 。 だ が 、 天 皇 統 一主 義 が 当 初 の 目 的 で あ っ た の に も 関 わ ら ず 、 ﹁教 育 令 ﹂ で は 自 由 主 義 を 教 育 の 柱 と し て い ﹁改 正 教 育 令 ﹂ が 出 さ れ た 。 た た め に 、 政 府 に し て み れ ば 見 過 ご す こ と が 出 来 な か っ た と 考 え ら れ る 。 よ つ て 、 翌 年 の 明 治 = 二年 〇 年 ) に 教 育 の 方 針 を 当 初 の 天 皇 統 一主 義 を 基 に し た 干 渉 主 義 的 な 一連 の 政 府 が 行 っ た 教 育 改 革 に つ い て 井 上 氏 は 、 ﹁近 代 日 本 に お け る 国 民 教 育 制 度 の 起 点 と し て 、 明 治 五 年 八 月 三 日 公 示 さ れ た 学 制 の も つ制 度 史 的 な 意 義 は 、 も と よ り た か く 評 価 さ れ ね ば な ら な い 。 学 制 は と き の 文 部 卿 大 木 喬 任 が 学 制 大 綱 に そ の 指 針 を は っ き り 述 べ て い る よ う に ﹃万 国 学 制 ノ 最 善 良 ナ ル モ ノ ﹄ に 範 を も と め て 考 按 さ れ た 。 こ の舶 来 的 な 学 制 の 制 度 史 的 な 意 義 を 拡 大 し 、 法 と し て は 歴 史 的 現 実 か ら う き あ が っ て い て も 、 も つば ら そ の 理 念 的 な 結 構 の 善 美 を 称 揚 し 、 法 の 啓 蒙 的 意 味 だ け を 重 大 視 す る の は 、 き か ざ つ た 美 装 に 拍 手 を お く る の に 似 て い る 。 学 制 は ま さ に 善 美 の 故 に 空 転 し 、 実 施 に お い て 空 文 化 す る 。 し た が っ て 、 外 来 の制 度 を わ が 国 の現状 にど う 適 応 さ せ る か 、 す な わ ち 、 国 民 教 育 制度 の土 着 化 の過 程 が 学 制 以 後 の課 題 と な る。 さ ら に教 育 制 度 は 国 家 の 諸 体 制 の 進 度 に 即 応 し て 体 制 内 に 位 置 付 け ら れ 、や が て 教 育 行 政 は 内 務 行 政 の 傘 下 に 抱 合 さ れ 、 国 家 主 義 的 体 制 の 一翼 を 担 う 。 こ の 意 味 に お い て 、 国 民 教 育 制 度 の 成 立 過 程 は 、 そ の 土 着 化 の 過 程 で あ る と と も に 、 ま た 、 体 制 化 の 過 程 で も あ る と いえ よ う 。 し か も 、 明 治 五 年 の 学 制 を 発 端 と す る 近 代 日 本 の国 民 教 育 制 度 は 、 明 治 十 二 年 の教 育 令 か ら 明 治 二 十 三 年 の 小 学 校 令 改 正 に い た る 問 に お い て 、 ほ ぼ そ の 土 着 化 と 体 制 化 を な し と げ 、 近 代 教 育 の基 本 線 を 構 築 し お わ る 。 国 民 教 育 制 度 確 立 への道 は 、 学 制 の 制 定 以 来 、 決 し て 坦 坦 た る も の で は な か っ た が 、 学 制 以 後 、 そ れ が 後 退 し た り 再 前 進 し た り 、 さ ら に 再 後 退 し た り す る 一進 一 退 の 模 索 過 程 で な く 、 公 教 育 制 度 の 確 立 を 目 指 し て ジ ク ザ ク な が ら 歩 を 進 め 、 土 着 化 と 体 制 化 の 方 途 を も と め て ↓ 歩 一喘 す る 漸 進 過 程 で あ る 。﹂ と 論 じ て い る ㈲。 明 治 初 期 の 様 々 な 教 育 政 策 の 中 で 、 文 部 省 は 教 員 の 養 成 に も 力 を 注 い で い た 。 国 民 に 統 一し た 教 育 を 施 す に 2 は ま ず 、 教 授 内 容 を 理 解 し た 人 材 を 育 て る こ と が 第 一の 急 務 に な った の で あ る 。 そ の教 員 は 初 め の こ ろ は 士 族 や 華 族 が 多 か った が 、 次 第 に そ う で は な く な った 。 教 員 の立 場 が 確 立 さ れ て く る と 同 時 に 、 教 員 を 拘 束 す る よ う な 法 令 が い く つ か 出 さ れ て い く 。 そ こ で 、 実 際 一∼ 二 頁 日 本 歴 史 1 5 近 代 2﹄ 岩 波 書 店 九 七六 年 二 六頁 ﹃明 治 以 降 教 育 制 度 発 達 史 ﹄ な ど の 史 料 を 基 に 教 員 の 実 態 に つ ﹃岩 波 講 座 二 四 〇 頁 一九 六 九 年 }九 七 五 年 に は ど の よ う な 拘 束 ・規 制 を う け て い た の か を ﹃日 本 教 育 文 化 史 ﹄ 明 玄 書 房 い て 考 察 し て い き た い。 D結 城 陸 朗 ﹁学 校 教 育 と 富 国 強 兵 ﹂ 江 村 栄 一 他 ﹃近 代 日 本 教 育 法 の 成 立 ﹄ 風 間 書 房 幻安 川 寿 之 助 鋤井 上 久 雄 3 第 一章 第 一飾 近 代 教 育 制 度 の創 設 明 治 五 年 ﹁学 制 ﹂ 頒 布 国 民 の 教 育 を 政 府 が 統 一し て 行 う た め に 、 明 治 四 年 七 月 十 八 日 文 部 省 が 新 設 さ れ た 。 文 部 省 は 、 旧 来 の 錯 雑 (今 の 次 官 ) と な っ た 。 そ の 当 時 は 卿 (今 の 大 臣 ) を 置 い て い な か っ た の で 、 江 藤 が 事 実 上 の 文 部 省 の ト ッ プ し た 教 育 制 度 を 画 一化 し 、 全 国 を 統 一 し た 教 育 行 政 を 施 行 す る も の と し て 出 発 し た 。 そ の 時 、 江 藤 新 平 が 文 部 大 輔 で あ った 。 同 月 二 十 八 日 大 木 喬 任 が 文 部 卿 に 任 命 さ れ た 。 同 月 政 府 は 遂 に 列 藩 を 廃 止 し て 県 と し た の で 、 従 来 藩 の 自 治 に 任 せ て あ っ た 学 校 行 政 を 全 部 政 府 で 統 一す る こ と と な っ た 。 よ っ て ま ず 七 月 十 八 日 政 府 は 文 部 省 を 新 設 し て 、 従 来 教 育 行 政 の 府 で あ っ た 大 学 を 廃 し た 。 大 学 が 廃 さ れ た の で 、 大 学 東 校 ・大 学 南 校 は 各 々 大 学 の 二 文 字 を 省 い た 。 九 月 文 部 省 は 学 制 改 革 の 為 に 東 校 ・南 校 を 閉 じ た が 、 翌 月 又 再 興 し た 。 何 故 、 政 府 が た っ た 一 ケ 月 と い う 早 さ で 大 学 を 再 興 さ せ た か は 明 ら か に さ れ て い な い ω。 文 部 省 が 設置 さ れ る と 、た だ ち に全 国民 を 対象 と す る教 育 制 度 を創 設 す る 準 備 に着 手 し た 。 そ こに は 三 つの 側 面 を も つ て い た 。第 一 は 新 し い 制 度 を 設 け る た め に 欧 米 教 育 制 度 の 調 査 研 究 。第 二 は 国 内 の 教 育 の 実 態 調 査 。 第 三 は 直 轄 の 学 校 を 設 置 し て 新 し い 教 育 を 実 地 に 試 み る こ と で あ っ た ω。次 に 府 県 に 対 す る 文 部 省 達 に よ り 、﹁今 度 学 制 改 革 致 候 二 付 テ ハ従 前 府 県 等 ニ テ 施 行 イ タ シ 居 候 諸 学 校 病 院 ハ勿 論 其 人 員 等 別 紙 雛 形 之 通 調 当 年 中 二当 省 へ 差 出 可 相 成 候 事 ﹂と 述 べ 調 査 表 の 様 式 を 示 し て 紛、諸 学 校 ・病 院 お よ び 私 塾 等 に つ い て の 調 査 を 求 め て い る 。 文 部 省 は 、 こ の よ う な 実 態 調 査 を 学 制 を 制 定 す る 一 つ の 基 礎 と し て 企 画 し た の で あ った 。 こ の 調 査 結 果 が 学 制 に ど の 程 度 利 用 さ れ た か は 明 ら か に さ れ て い な い 。 し か し 、 文 部 省 が 学 制 を 制 定 す る 準 備 と し て 行 な った 調 査 と し て注 目 す べき であ る。 全 国 民 を 対象 と した 教 育 制度 を 創 設 す る に いた って問 題 が 生 じた 。 廃 藩 置 県 に よ って、 藩 はす べ て 県 に改 め ら れ た が 、 当 初 は 旧藩 を そ のま ま 県 と し、 全 国 に 三 府 三 〇 二県 が 置 か れ た 。 した が って 旧落 の体 制 が 直 ち に変 化 し た も の で は な か っ た 。 実 質 的 な 改 革 は 、 明 治 四 年 十 一月 の 府 県 改 置 に よ っ て 実 現 さ れ 、 こ れ に よ っ て 多 く 4 の 県 が 廃 合 さ れ て 三 府 七 二 県 と な った 。 こ の よ う な 状 況 で あ った た め に 、 文 部 省 設 置 後 も 府 県 改 置 に 至 る ま で の 間 は 、 文 部 省 が 全 国 府 県 の 学 校 を 統 轄 し 、 全 国 に わ た る 教 育 行 政 を 実 施 す る こ と は 困 難 で あ っ た ω。 要 す る に 文 部 省 が 全 国 の 教 育 を 統 轄 す る こ と は 設 置 当 初 か ら の 方 針 で あ っ た が 、 こ れ を 実 質 的 に 行 え る よ う に な った の は 府 県 改 置 後 で あ った と いえ る 。 文 部 省 と し て は 全 国 民 を 対 象 と す る 学 校 制 度 の 確 立 が 当 面 の 急 務 で あ っ た 。 こ れ と 関 連 し て 、 同 年 十 一月 の 府 県 改 置 に よ り 、 文 部 省 は 全 国 の教 育 行 政 を 統 轄 す る こ と が 可 能 な 段 階 と な っ て い た 。 そ こ で 文 部 省 は 、 設 置 当 初 か ら の 方 針 の 下 に 、 近 代 学 校 制 度 の 基 本 法 令 と し て 、 ﹁学 制 ﹂ の 起 草 に 着 手 し た の で あ る 紛。 文 部 省 は 、 全 国 民 を 対 象 と す る 教 育 制 度 を 設 け る た め に 、 学 制 取 調 掛 を 任 命 し 、 ﹁学 制 ﹂ の 起 草 に 着 手 し た の で あ る 。 ﹁学 制 原 案 ﹂ の 起 草 に 先 だ っ て 、 国 内 教 育 の 実 態 に つ い て も 調 査 し て い る 。 明 治 四 年 九 月 に 府 県 に 対 し て 、 管 内 の 学 校 の 調 査 報 告 を 求 め て お り 、 同 年 十 一 月 に は そ の 督 促 を 行 っ て い る 。 (倉 澤 剛 ﹃小 学 校 の 歴 史 ﹄) ﹁学 制 ﹂ 起 草 の た め に 、 ﹁学 制 取 調 掛 ﹂ が 任 命 さ れ た の は 、 明 治 四 年 十 二 月 で 、 そ れ は 府 県 の 大 規 模 純 織 田尚 種 内 田正雄 河津 祐 之 長 瓜生 斑 木村正辞 杉山孝敏 辻 新次 な 廃 合 が 実 施 さ れ た 直 後 の 時 点 で あ っ た 。 ﹁学 制 取 調 掛 ﹂ に 任 命 さ れ た 者 は 、 十 二 月 二 日 に 一 一 名 、 十 九 日 に 一 岩佐 訥 名 追 加 さ れ て 次 の 十 二 名 で あ っ た 。 (東 京 大 学 所 蔵 文 庫 ) 箕 作麟 祥 西沢 爽 長 谷川泰 ﹁学 制 原 案 ﹂ の 起 草 に あ た っ て 、 こ れ ら の 人 々 が ど の よ う な 役 割 を 果 た し た か に つ い て は 明 ら か で は な い ㈲。 こ れ ら 学 制 取 調 掛 に 任 命 さ れ た 多 く は 、洋 学 関 係 の 人 々 が 圧 倒 的 で あ った 事 か ら も 、 学 制 の 制 定 に お い て 欧 米 ﹁之 を 出 す に 就 い て は 江 藤 薪 平 氏 な ど も 余 程 骨 を 折 ら れ た 。 (中 略 )﹂ の 談 の 教 育 制 度 を 参 照 し よ う し て い た 意 図 が 見 え て く る 。 ま た 、 ﹁学 制 ﹂ は 数 人 に よ っ て 分 担 起 草 さ れ た も の と 考 え ら れ る。 こ の こと は 、 久 保 田譲 氏 の 話 か ら も 、 多 く の 人 が 手 伝 っ た と い う こ と を 知 る 事 が 出 来 る ω。 ﹁学 制 原 案 ﹂ の 起 卓 は 急 速 に 進 め ら れ た 。 明 治 五 年 一 月 に は す で に ﹁学 制 ﹂ の 大 網 が ま と め ら れ て い て 、 そ の後 約 二 ヵ 月 後 に は 学 制 原 案 が 成 立 し た と 考 え ら れ て い る 。 た った 二 ヶ月 と い う 早 さ で 原 案 が 成 立 し た の は 、 5 文 部 省 が そ れ だ け 早 急 に 全 国 民 を 統 ﹁し た 教 育 制 度 を 設 け た か っ た の と 、 留 守 政 府 首 脳 部 の 遣 外 使 節 に 対 す る 対 抗 意 識 が 少 な か ら ず 背 景と し て働 い て いた の で はな いか と 考 え ら れ る。 ﹁学 制 ﹂ の 基 本 方 針 を 示 し た も の は 、 明 治 五 年 一月 四 日 付 け で 大 木 文 部 卿 か ら 太 政 官 に 上 申 さ れ て い る 。 こ れ に よ れ ば 、 国 家 の ﹁富 強 安 康 ﹂ の た め に 学 制 を 制 定 し て 全 国 に 学 校 を 設 け る こ と の 必 要 性 や 、 そ の 学 制 は ﹁万 国 学 制 ノ最 善 良 ナ ル モ ノ ﹂ を 採 用 す べ き で あ る 事 や 、 人 口 を 基 準 に し て 全 国 を 七 ま た は 八 地 区 に 区 分 し 、 そ こ に 大 学 を 各 一校 、 中 学 小 学 を 若 干 校 設 け る 事 や 、 着 手 の 順 序 と し て 今 あ る 諸 学 則 を 廃 止 し 、 教 育 の 方 法 を 一新 し、 す べて新 し く定 め た 学 制 に 準 拠 さ せ る こと な ど を あげ て い る。 す な わ ち そ こに は全 国 民を 対 象 と す る近 代 学 校 制 度 の構想 が 示 さ れ てお り 、 大学 区を 設 定 し て学 区 制 を 採 用 す る学 制 の基 本 方 針 が す で に 明ら か にさ れ て い る のであ る。 大 学 を 八 つも と い う の は 当 時 と し て は 不 可 能 に 近 い こ と で あ った 。 中 学 は 全 部 で 二 五 六 の 予 定 で あ った が 、 こ れ を 建 て る の も 、 地 方 の財 政 か ら し て 不 可 能 で あ つた 。 そ の 上 、 農 工 商 の 人 達 は 従 来 の 認 識 か ら す る と 学 問 の 必 要 を 認 め て い な か っ た 。 一般 の 認 識 と い う の は 、 学 問 を 学 ぶ も の は 武 士 以 上 の も の と さ れ て い て 、寺 子 屋 ・ 私 塾 な ど が 一般 市 民 の た め に 設 け ら れ て い た 。 た だ 、 こ こ に 通 学 す る か は 自 由 で あ っ て 特 に 拘 束 を 受 け る こ と は な か った 。 ま た 、 武 士 に 関 し て は 従 来 儒 書 に よ って 修 身 斉 家 治 国 平 天 下 の 道 を 学 ん で き た の で 、 い き な り 実 用 的 な 学 問 を 学 ぶ こ と を 好 む と は 考 え ら れ な い。 し か も 平 民 の 子 弟 と 共 に 机 を 並 べ る こ と に も 不 平 が 生 じ る 。 藩 が な く な った こ と に よ って 、 こ れ ま で は 藩 が 違 え ば 隣 村 で あ っ て も 風 俗 が 違 い、 ま る で 仇 敵 の よ う に 感 じ て い た 事 も あ る の に 、 新 制 度 で は そ ん な 事 に は 一切 か ま わ ず 、 た だ 人 口 平 均 数 に よ っ て 学 区 を 定 め た 。 こ う し た 政 府 のや り 方 に 国 民 が 納 得 し て い た と は 考 え ら れ な い 。 (学 制 草 案 ) と と も に 提 出 さ れ た と 見 ら れ る 文 書 は 、 学 制 の 制 定 に 関 す る 伺 文 の (の ち の 文 (太 政 官 の 立 法 府 ) で 審 議 さ (の ち の 師 鎮 学 校 ) の 設 立 関 係 文 書 、 ⑤ 学 校 系 統 図 、 (の ち の 太 政 官 布 告 第 二 四 五 号 ㈲)、 ② 学 制 公 布 に 際 し 、 府 県 へ の 布 達 文 三 月 の上 旬 ご ろ に 学 制 本 文 ほ か、 ① 学 制 の趣 旨 声 明書 部 省 布 達 第 一 三 号 ω)、 ③ 学 制 の 着 手 順 序 、 ④ 教 官 教 育 所 ⑥ 文 部 省 予算 書 な ど で あ る。 文部 省 か ら太 政 官 に 上 申 し た学 制 原案 は 、 ま ず 左 院 6 れ た 。 左 院 は文 部 省 の原案 を全 面的 に 支 持 し て、 学 制 の即 時 断 行 を 答 申 した 。 そ れ は 三月 二 十 九 日 の こと であ る 。 そ こ で 学 制 の審 議 は 正 院 に 移 さ れ た が 、 こ こ で 学 制 原 案 は 大 き な 暗 礁 に 乗 り 上 げ て し ま った 。 正 院 の審 議 で 特 に 問 題 と な った 点 は 、 学 制 実 施 に 伴 う 経 費 の こ と で 、 文 部 省 の 提 出 し た 予 算 案 に 対 し て 、 大 蔵 省 は 国 家 財 政 の 立 場 か ら 強 く 反 対 し た た め で あ っ た 。そ こ で 文 部 省 は 大 蔵 省 と 会 議 を 重 ね た が 決 着 を 見 る に 至 ら な か っ た 。 そ こ で 学 制 は 経 費 の 点 を 未 決 定 の ま ま 実 施 さ れ る こ と に な っ た 。 文 部 省 布 達 一三 号 で は 、 従 来 県 で 設 立 し て い る 学 校 は 一 旦 こ と ご と く 廃 止 し て 、 学 制 に 従 っ て 改 め て 学 校 を 設 立 す べ き で あ る と 述 べ て い る 。 布 達 ﹁四 号 で は、 太 政 官 布告 お よ び学 制 を府 県 に 送 付 す る旨 を 述 べ てそ の実 施 を 要 請 し て い る。 し か し、 経 費 の点 は な お未 決 定 と し て いる。 右 の よ う な 内 容 を 踏 ま え た 上 で 、 六 月 に ﹁学 制 ﹂な る 固 有 名 詞 を 用 い て 、 全 て の 学 校 を 統 制 す る 新 し い 教 育 法 令 を つく った 。 そ し て 、 六 月 二 十 四 日 付 け で 太 政 官 に お い て 学 制 原 案 が 認 可 さ れ た 。 そ の後 文 部 省 は 学 制 の条 (国 庫 交 付 金 ) に 関 す る 部 分 を 欠 字 と し て 抹 消 し た ま ま 学 制 頒 布 の 準 備 を 進 め た 圃。 こ の ﹁学 制 ﹂ に は 中 央 集 権 的 な 教 育 制 度 を 布 こ う と す る 意 図 が 含 ま れ て い た 。 同 じ く 六 月 に 、 学 制 の 草 案 が 出 来 上 が った の で 、 文 部 省 か 厚 ク カ ヲ 小 学 校 二可 用 事 。 ら 太 政 官 へ伺 書 を 出 し 、 学 制 の 着 手 順 序 の 指 令 が 下 さ れ た 。 こ れ に よ っ て 当 時 の 政 府 の 教 育 方 針 が 明 か に さ れ た 。 一 (o 師 範 学 校 ) ヲ 興 ス ヘ キ 事 。 速 二師 表 学 校 一、 一般 ノ 女 子 男 子 ト 均 シ ク 教 育 ヲ 被 ラ シ ム ヘ キ 事 。 各 大 学 匪 中 学 ヲ設 ク ヘキ 事 。 一、 一、 生 徒 階 級 ヲ踏 ム 極 メ テ 厳 ナ ラ シ ム ヘキ 事 。 凡 諸 校 ヲ 設 ク ル ニ新 築 営 繕 ノ 如 キ ハ務 メ テ 完 全 ナ ル ヲ 期 ス 事 。 、 商 法 学 校 一二 所 ヲ 興 ス ヘキ 事 。 、 生 業 成 業 ノ 規 ア ル モ ノ務 メ テ 其 大 成 ヲ 期 セ シ ム ヘキ 事 。 一、 一 一 一、 7 一 、 反 課 ノ 事 業 ヲ 念 ニ ス ル 事 ⋮。 (第 二 一 四 号 ⋮) と と も に ﹁学 ﹁学 制 ﹂ を 公 布 し 、 文 部 省 は (太 陽 暦 九 月 五 日 ) ﹁文 部 省 布 達 第 一 三 号 お よ び 第 一 四 号 圓﹂ を 発 し て 右 の 太 政 官 布 告 を 添 え て 政 府 は 五 年 八 月 二 日学制 の趣 旨 を 宣 言 した 太 政 官 布 告 翌 八 月 三 日 制 ﹂ を 全 国 に 頒 布 し た の で あ る 。 学 制 を 公 布 す る に 当 た っ て 発 せ ら れ た 太 政 官 布 告 第 二 一四 号 は 、 学 制 の 基 本 精 神 を 明 ら か に し た も の で あ り 、 学 制 公 布 に つ い て の政 府 の宣 言 書 で あ る 。 文 部 省 は こ れ を 学 制 本 文 の前 に 添 ﹁学 制 ﹂と 共 に 八 月 三 え て 全 国 府 県 に 頒 布 し た の で 、 学 制 の 前 文 に 当 た る も の で あ り 、 当 時 は こ れ を ﹁学 制 序 文 ﹂ と も 呼 ん で い る 佃。 こ こ で 少 し 注 目 し た い の が 、 ﹁被 仰 出 書 ﹂ の 日 付 は 七 月 と な っ て い る 。 し か し 、 実 際 は 日 に 出 さ れ て い る こ と で あ る 。 本 当 は ﹁学 制 ﹂も 七 月 に 発 布 す る 予 定 で あ っ た が 、 何 ら か の 事 情 に よ っ て 遅 れ た の では な いか と考 え ら れ る。 被 仰 出 書 の 特 色 と し て 四 民 平 等 か つ全 国 画 一の方 針 は 封 建 制 度 が 廃 止 さ れ た の で 当 然 と し て 要 求 さ れ る べき で あ り 、 維 新 の 国 策 を 教 育 上 に お い て も 実 現 さ せ よ う と す る 狙 い が う か が え る 。 四 民 平 等 で 全 国 を 統 一し た 教 育 制 度 を 設 け る こ と は 画 期 的 な 手 段 で は あ っ た が 、 実 際 は そ う 上 手 く は い か な か った 。 前 述 し た が 、 当 時 の } 般 的 な 教 育 に 対 す る 考 え 方 は 、 学 問 を 学 ぶ の は 武 士 な ど の上 層 身 分 の者 た ち で 、 庶 民 は 寺 子 屋 や 私 塾 な ど が あ つた が 、 強 制 で は な く 学 び た い も のだ け が 通 う 場 所 で あ った 。 学 校 に 対 す る 考 え 方 を 変 え さ せ る こ と も 重 要 な 要 因 だ と 政 府 は 考 え 、 学 制 の 根 本 方 針 と し て 太 政 官 布 告 の 中 に も 表 記 さ れ て い る 。﹁自 今 以 後 此 等 の 弊 を 改 め 一 般 の人 民 他 事 を な げ う ち 自 ら 奮 て必 ず 学 に 従 事 せ し む べき 様 心 得 べき 事 ﹂ と し て、 学 校 への入学 に 関 す る 強 制 力 を 発 揮 し よ う と し た の で あ る 。 も し 学 制 発 布 後 も 従 来 の よ う な 学 校 に 対 す る 考 え を も って 子 弟 を 取 り 扱 っ て い た な ら ば 、 学 校 に 入 学 す る 者 と し な い も の と に 二 分 さ れ て 、 結 局 新 し い制 度 は 国 民 全 般 に 開 放 さ れ た こ と に な ら ず 、 近 代 的 な 学 校 の 成 立 が 危 ぶ ま れ る こ と と な る 。 こ のた め に 小 学 校 に は す べ て の 子 弟 が 必 ず 入 学 し な け ﹁学 制 ﹂ の 附 法 と し て ﹁小 学 教 則 ﹂ を 発 布 し 、 科 目 を 定 め た 。 こ の 教 則 の 中 で は 、 下 等 小 れ ば な ら な い と い う 近 代 学 校 制 度 に 欠 く こ と の で き な い 基 本 方 針 が 明 確 に 示 さ れ た の で あ る 間。 明 治 五年 九 月 に は 学 と 上 等 小 学 で は 何 を 学 ば す か を 明 記 し て い る 。 下 等 小 学 で は 綴 字 ・習 字 ・単 語 読 方 ・洋 法 ・算 術 ・修 身 口 授 ・ 8 (今 の 物 理 学 ) ・書 槙 や 諸 科 目 の 復 習 科 目 を 学 ば せ た 。 上 等 小 学 で は 習 字 ・洋 法 算 術 ・読 単 語 藷 諦 ・会 話 読 方 ・単 語 書 取 ・読 本 読 方 ・ 会 話 諸 論 ・ 地 理 読 方 ・ 養 生 口 授 ・会 話 書 取 ・読 本 輸 講 ・ 文 法 ・地 理 学 輪 講 ・窮 理 学 輪 講 本 輪 講 ・ 文 法 ・ 地 理 学 輪 講 ・窮 理 学 輪 講 ・書 憤 ・ 各 科 目 の 復 習 も 継 続 し て 学 ば せ な が ら 、 新 た に 細 字 習 字 ・書 憤 作 文 ・史 学 輪 講 ・細 字 速 写 ・罫 書 ・幾 何 ・博 物 ・ 化 学 ・生 理 を 課 し た ⋮。 こ の 科 日 の 中 で 、 江 戸 時 代 に 盛 ん に 行 わ れ て い た 学 習 方 法 は 輪 講 で あ った 。 そ の 中 で 、 綴 字 や 会 話 や 単 語 、 洋 法 算 術 な ど 洋 風 の 名 称 が 多 く 見 ら れ る の は 、 西 洋 の教 育 制 度 を 参 照 し た か ら で あ る 。 こ れ は フ ラ ン ス よ り ア メ リ カ の 教 育 制 度 を 多 く 参 照 し た と 考 ﹁小 学 教 則 ﹂ に よ る と 、 習 字 に 分 か り や す い よ う に ≒テ ナ ラ ヒ ﹂ と 記 し て お り 、 か つ 単 語 読 方 の 科 目 え ら れ て い る。 し か し で は 地 方 往 来 農 業 往 来 ・世 界 商 買 往 来 等 を 教 科 書 と 定 め た 。地 理 読 方 の 科 目 で は 日 本 国 尽 や 世 界 国 尽 を 用 い て 、 種 で あ る 。 ﹁窮 理 捷 径 ﹂ は 物 理 学 の い ろ は 書 憤 科 は ﹁啓 蒙 手 習 本 十 二 月 帖 ナ ト ヲ 用 ヒ 簡 略 ナ ル 日 用 文 ヲ 盤 上 二 記 シ テ 講 解 シ 生 徒 ヲ シ テ 爲 シ 取 ラ シ ム 。﹂と 定 め て いた 。啓 蒙 手 習 本 はも ち ろ ん 往 来 本 であ り、十 二月 帖 は そ の を わ か り や す く 説 い た も の で 、 往 来 本 の 一種 と 見 る こ と が 出 来 る 。 ﹁学 制 ﹂は 正 院 で 暗 礁 に 乗 り 上 げ た も の の 、そ の 他 は 頒 布 ま で 順 調 に 進 め ら れ た よ う に 思 え る が 実 際 は そ う で は な か っ た 。 こ の ﹁学 制 ﹂が 制 定 さ れ る と 、制 度 の 非 現 実 的 な 内 容 を 指 摘 し 、激 し く 批 判 を す る 人 物 が 現 わ れ た 。 そ の 人 物 は 政 府 の 要 人 で 外 遊 中 の 木 戸 孝 允 で あ っ た 。 木 戸 は ﹁学 制 ﹂ の 内 容 を 種 々 抑 楡 し た の ち 、 ﹁西 洋 学 者 も ﹁学 制 ﹂ の 知 識 主 義 に は 欠 け て い た の で あ る 。 そ の た め 岩 倉 使 節 一 行 の 帰 国 ﹁学 制 ﹂ の 実 施 に 憂 い を 抱 い た 。 政 府 が の ち に 忠 君 愛 国 の 修 身 学 に よ っ て 国 民 を か え っ て 全 備 に す ぎ 候 を 種 々 狐 疑 ⋮﹂ す る ほ ど 、 ﹁学 制 ﹂ は 当 時 の 現 実 を 無 視 し て 西 欧 化 主 義 を 貫 い て い た 。 ま た 大 久 保利 通 も 、 木 戸 と 同 様 統 合 し よ う と す るが 、 そ の意 図 が 以 後、 文 部 省 の急進 的 な 積極 政策 は 次 第 に 影 を ひそ め てゆ く 。 先 に 述 べ た よ う に 、 学 制 は す ん な り と 頒 布 さ れ た の で は な く 、 激 し い 批 判 を 浴 び て い た 。 こ の批 判 が 影 響 し て い る か は わ か ら な い が 、 学 制 は 明 治 五 年 八 月 の 公 布 と と も に 実 施 さ れ た わ け で は な か った 。 府 県 に お い て 学 制 を 実 施 す るた め に学 区 を 定 め 、 学 区 取締 を 置 き 、 小 学校 が 設 立 さ れ は じ めた の はだ いた い六 年 四 月 以 後 で あ 9 つた 。 学 制 公 布 後 、 府 県 で は 実 施 の体 制 を 徐 々 に 整 え て い った が 、 旧 来 の伝 統 も 根 強 く 、 ま た 実 施 の た め の財 政 的 裏 付 け も 十 分 で は な か っ た た め に 、 学 制 を 一気 に 実 施 す る こ と は 極 め て 困 難 と い う の が 実 情 で あ っ た 。 ﹁ 気 に 実 施 す る こ と が 困 難 で は あ った が 、 文 部 省 で は 明 治 六 年 三 月 に 欧 米 視 奈 を 終 え て 帰 国 し た 田 中 不 二 麻 呂 が 中 心 と な って学 制 の実 施 に 力 を 注 いだ 。 そ れ か ら 同 年 の六 月 に は 文 部 省 顧 問 に ア メ リ カ か ら 招 か れ た ダ ビ ツ ト ・モ レ ー が 着 任 し た 。 モ レ ー の 協 力 と 指 導 の 下 に 細 部 の 規 則 を 定 め 、 具 体 的 な 施 策 を 講 じ て 府 県 の教 育 を 指 導 し、 実 施 し た 。 以 上 の よ う な 経 緯 で 公 布 さ れ た 学 制 に お け る 学 校 に つ い て の 考 え 方 は 、 徹 底 し た 近 代 学 校 の精 神 に よ る も の で あ った 。 学 制 の 手 段 に 基 づ い て 急 速 に 学 校 が 建 て ら れ て い く に つれ て 、 こ の 近 代 学 校 の精 神 が 全 国 の 隅 々 に ま で 達 し 、 教 育 や 学 校 に 関 す る 思 想 を 次 第 に 改 変 し て い っ た の で あ る 。 こ の 新 し い 教 育 観 ・学 校 観 が 、 そ の 後 何 十 年 後 に 至 る ま で 人 々 の考 え を 決 定 し 、 学 校 の 性 質 を 規 定 し 、 国 民 生 活 の 根 本 を も 決 定 し て き て い る 。 こ の よ う に し て 学 制 の 公 布 は 日 本 の 教 育 に 一時 期 を 画 す る こ と と な っ た の で あ る 。 一巻 学 校 史 要 説 ﹄ 第 -法 規 出 版 一九 七 九 年 }年 間 の 経 費 を 調 査 し て 記 入 す る こ と と し て い る 。 ﹃学 制 百 年 史 ﹄ で は 、 こ こ に 学 制 の も つ 教 育 史 上 の ﹁学 制 ﹂は 、 江 戸 時 代 以 来 武 士 の た め の 学 校 と 庶 民 の た め の 学 校 と は 別 々 に 構 成 さ れ て い た の を 、 明 治 維 新 後 は こ れ を 一 つに 合 わ せ て 組 織 し た 。 一 つに 組 織 し た こ と を -九 七 二 年 一九 三 三 年 重 要 な 意 義 を 認 め な け れ ば な ら な い と し て い る 側。 ﹃日 本 教 育 文 化 史 ﹄ 同 文 書 院 ﹃学 制 百 年 史 ﹄ 帝 国 地 方 行 政 学 会 D高 橋 俊 乗 幻文 部 省 第 そ の 調 査 票 の 様 式 に よ れ ば 、 校 名 、 教 授 学 科 名 、 教 員 数 、 生 徒 数 、 ﹁法 規 分 類 大 全 官 職 門 ﹂ ﹃学 校 の 歴 史 幻同 一 } 七 頁 の仲 新 θ文 部 省 第 [条 木 省 及 附 図 諸 管 斉 区 哲 学 局 大 中 小 学 校 ノ官 員 ヲ 統 率 シ テ 其 事 務 ヲ 哲 理 ス 第 二条 全 国 ノ大 凡 ヲ 教 育 シ テ 其 道 ヲ 得 セ シ ム ル ノ 責 二 任 ス 右 の 二 条 か ら も 文 部 省 の全 国 民 対 象 の学 校 制 度 も 整 備 が い か に急 務 で あ った か を 知 る こ と が で き る の ﹃学 校 の 歴 史 ﹄ 六 五 頁 の国 民 奨 励 会 編 ﹁教 育 五 十 年 史 ﹂ 訓 ﹃明 治 以 降 教 育 制 度 発 達 史 第 一巻 ﹄ 10 ﹃学 制 百 年 史 ﹄ ﹃学 校 の 歴 史 ﹄ 六 七 ∼ 六 八 頁 学 政門 ﹄原 書房 第 一巻 ﹄ 教 育 資 料 調 査 会 一八 七 ﹁年 明 治 五 年 ﹄ 原 書 房 -九 三 八 年 一 一三 二 頁 三 三八 頁 ﹁勧 学 の 御 布 告 ﹂ と 呼 ば れ 、 ま た 結 び の 文 に 一九 七 四 年 ﹁右 之 通 被 仰 出 候 ﹂ と あ る と こ ろ 但 シ 外 国 教 師 雇 人 有 之 場 所 ハ当 省 ヨ リ 官 員 ヲ 派 出 シ 地 方 官 協 議 之 上 可 及 慮 分 候 條 夫 迄 之 慮 生 徒 教 授 向 等 不 都 合 加 無 之 様 可 取 計 尤 当 省 出 張 ヲ不待 学制 之 日的 二依 リ成丈 ケ相 運 候様 可致 事 依 テ 一 旦 悉 令 廃 止 今 般 定 メ ラ レ タ ル 学 制 二 循 ヒ 其 主 意 ヲ 汲 ミ 更 二学 校 設 立 可 致 候 事 今 般 被 仰 出 候 旨 モ 有 之 教 育 之 儀 ハ自 今 尚 叉 厚 ク 御 手 入 可 有 之 候 虚 従 来 府 縣 二 於 テ 取 設 候 学 校 -途 ナ ラ ス 加 之 其 内 不 都 合 之 儀 モ 不 少 と し た 。 ﹁学 制 ﹂ 頒 布 と 同 日 即 ち 明 治 五 年 八 月 三 日 に 文 部 省 は 、 同 省 布 達 第 十 三 号 を 以 て 左 の 如 く 従 来 府 縣 に て 設 置 せ る 学 校 を 廃 止 す る こ と ω 教 育 史 編 纂 委 員 会 ﹃明 治 以 降 教 育 制 度 発 達 史 鋤 第 一編 ﹃日 本 教 育 文 化 史 ﹄ 五 二 六 ∼ 五 二 七 頁 第 五 巻 ノ ニ ﹁被 仰 出 書 ﹂ と 呼 ば れ る よ う に な っ た 。 ﹁後 布 告 書 ﹂、 あ る い は 地 方 で は 明治 五 年﹄ か ら 後 に ま た ﹃法 令 全 書 蝋 ﹃法 規 分 類 大 全 畑内 閣 官 報 局 蝋 ﹃学 制 百 年 史 ﹄ 第五 巻 ノ ニ 凶 ﹃学 制 百 年 史 ﹄ 細 ﹃法 令 全 書 五巻 ﹄ 東京大 学 出版 会 }九 七 -年 本 書 一六 ペ ー ジ に わ た っ て 、 下 等 小 学 お よ び 上 等 小 学 に お い て 学 ぶ べ き 学 問 を 詳 細 に 記 し て い る 。 一週 間 の う ち に ど れ だ け 学 習 す る か ま で書 か れ て お り 、 い か に 詳 細 か が わ か る。 ω 日 本 史 籍 協 会 編 ﹃木 戸 孝 允 文 書 明 治 六 年 二 月 三 日 付 の長 三 洲 木 戸 書 翰 に 記 さ れ て い る 。 鋤 ﹃学 制 百 年 史 ﹄ 一 二 七 頁 11 第 二節 ﹁学 制 ﹂ の 目 的 と 内 容 明 治 五 年 に 発 布 さ れ た ﹁学 制 ﹂ は 、 そ の 後 改 正 追 加 が 行 わ れ た が 、 発 布 当 初 の も の は 全 文 一〇 九 章 か ら な り 、 そ の内 容 は 次 の よ う に 構 成 さ れ て い る 。 (第 一章 ∼ 第 十 九 章 ) (第 二 十 章 ∼ 第 三 十 九 章 ) 大 中 小 学 区 ノ事 学 校 ノ事 (第 四 十 章 、 ∼ 第 四 十 七 章 ) (第 四 十 八 章 ∼ 第 五 十 七 章 ) 教 員 ノ事 生 徒 及 試 業 ノ事 ﹁学 制 二 編 ﹂ に よ っ て 条 文 が 追 加 さ れ 、 ま た 同 年 四 月 に は 専 門 学 (第 五 十 八 章 ∼ 第 八 十 八 章 ) (第 八 十 九 章 ∼ 第 百 九 章 ) ω 海 外 留 学生 規 則 ノ事 学 費 ノ事 そ の後 の改 正 に つい ては 、 明 治 六 年 三 月 に 校 お よ び 外 国 語 学 校 に 関 す る 規 則 な ど が 新 し く 定 め ら れ 、 同 年 七 月 ま で 条 文 の 追 加 が あ り 、 ﹁学 制 ﹂ は 全 文 で 二 = 二章 と 想 像 以 上 の 多 さ と な っ た 。 こ の学 制 に 関 し て は 、 頒 布 さ れ る ま で に 様 々な 調 査 が 行 わ れ て お り 、 最 も 力 を 入 れ て い た の が 、 欧 米 の教 育 制 度 で あ った 。 明 治 維 新 後 か ら 早 く に 欧 米 の 教 育 制 度 は 日 本 に 紹 介 さ れ て お り 、 ま た 学 制 起 草 に 際 し て さ ら に 調 査 や 研 究 が 重 ね ら れ た の で あ る 。 そ の 学 制 は 、 単 に 特 定 の 一国 の 制 度 だ け を 模 範 と し て 定 め ら れ た の で は な く 、 多 く の 国 々 の 教 育 制 度 を 参 考 に し た と 考 え る べ き で あ る 。 例 え ば 、 学 区 制 な ど 制 度 の大 網 は フ ラ ン ス の制 度 を 模 範 と し た と 考 え ら れ て い る が 、 オ ラ ンダ の制 度 と の類 似 点 も あ り 、 ま た 教 育 内 容 に 関 し て は ア メ リ カ の 影 響 が 強 い な ど 、 決 し て 一律 で は な か っ た 。 学 制 の 内 容 は ア メ リ カ 風 の 実 利 主 義 で あ っ た が 、当 時 の 日 本 は 申 央 集 権 主 義 を 取 り 入 れ よ う と し て い た の で 、 ア メ リ カ の 制 度 を 模 範 す る こ と を 好 ま し く 思 っ て い な か った 。 そ こ で 日 本 の政 府 が 目 を つ け た の が 、 教 育 に お いて最 も 中 央 集 権 的 な 制 度 を 行 って いた フ ラ ン スであ る。 も と も と フラ ン スと 日本 は幕 末 以来 か ら 深 い関 係 に 12 あ っ た の で 、 学 制 は フ ラ ン ス の 制 度 を 模 範 と す る こ と に な っ た と 考 え ら れ る 働。 ﹁ア カ デ ミ ; ﹂ を 模 範 し た も の で あ っ た 。 其 の ﹁学 制 ﹂は 外 国 の 学 校 制 度 を 参 照 に し て 作 っ た も の に 違 い な い が 、 全 国 を 大 学 区 中 学 区 小 学 区 に 分 け 、 大 学 に 督 学 局 を 置 い て 区 内 の学 校 を 監 督 さ せ る 制 度 は 正 に フ ラ ン ス の 他 学 校 を大 学 、 中 学 、 小 学 の三 等 に分 け る こと や 、 小学 の在 学 期 を 児 童 六歳 から 十 三歳 ま で に し て いる 点 な ど ﹁学 制 ﹂ は 規 模 が 大 き く 八 個 の 大 学 、 二 五 六 の 中 学 、 五 万 三 千 七 百 六 十 個 の 小 学 を 建 設 す る と い か ら 、 主 と し て フ ラ ン ス の 学 制 を 模 倣 し た よ う に 思 わ れ る 。 一方 に は ア メ リ カ の 制 度 も 参 考 に し て い る の で あ る。 と に か く う も の だ っ た 。 当 時 と し て は 思 い 切 っ た 大 計 画 で あ り 、 一方 か ら 見 れ ば 、 ほ と ん ど が 外 国 の 制 度 の 翻 訳 で 、 し (明 治 六 年 に 七 大 学 区 に 改 正 ) に か も 国 力 や 民 情 や 文 化 の 格 式 な ど 周 り の事 情 に 執 着 す る こ と は な か った 。 其 の 他 に も 実 行 も 出 来 な い よ う な 理 想 を 紙 の 上 に 書 き 列 ね た 、 空 文 に 等 し い よ う な も の ま で あ った 。 学 制 に お いて は 、 学 区 制 が 採 用 さ れ た。 学 区 制 によ ると 、 全 国 を 八 大 学 区 分 け 、 各 大 学 区 に 大 学 校 一 校 を 置 き 、 一大 学 区 を 三 二 中 学 区 に 分 け 、 各 中 学 区 に 中 学 校 ∼校 を 置 き 、 一 中 学 に さ ら に 二 一〇 小 学 区 に わ け 、 各 小 学 区 に 小 学 校 一校 を 置 く こ と に し た 。 す な わ ち 全 国 に 大 学 校 を 、 人 口 約 十 三 万 に 対 し て 中 学 校 一校 を 置 く こ と を 目 標 と し た も の で あ つ た 。 大 学 に は 督 学 局 を お い て 区 内 の 学 校 を 監 督 つま り 統 制 を 行 っ て お り 、 こ れ は 学 制 に 統 制 主 義 の 要 素 が あ った か ら で あ る 。 学 制 に お け る 統 制 方 式 は 、 文 部 卿 を 頂 点 と し て 構 成 さ れ る 督 学 、 学 区 取 締 の教 育 行 政 機 関 の 系 列 化 と 、 全 国 を 網 羅 細 分 し て 教 育 行 政 単 位 と す る 学 区 の 組 織 化 に お い て 、 と く に 顕 著 で あ った 。 統 制 主 義 の ほ か に 学 制 に は 知 識 主 義 の 要 素 も 含 ま れ て い た 。 学 制 に お け る 知 識 主 義 は 、 学 令 ・就 学 ・教 科 ・試 験 ・学 資 給 貸 ・ (藩 校 等 ) と 庶 民 学 校 (寺 子 屋 等 ) の 二 重 系 統 の 学 校 体 系 を 統 一化 し 、 全 留 学 な ど の な か に 、 制 度 化 さ れ て い る ㈲。 知 識 主 義 教 育 の 顕 著 の 現 わ れ と し て は 、 試 験 を 重 視 し た 教 育 に も つ な が っ て い っ た ④。 ﹁学 制 ﹂ は 、 江 戸 時 代 の 武 家 学 校 (校 )、 中 学 (校 )、 大 学 (校 ) の 三 段 階 と し 、 小 学 校 は 下 等 小 学 (四 年 ) ・上 等 小 学 (四 年 ) の 国 民 を 対 象 と す る 単 一 系 統 の 学 校 体 系 を 基 本 と す る も の で あ っ た 。 こ の 基 本 体 系 は 、 発 布 当 初 の ﹁学 制 ﹂に よ れ ば 、学 校 を 小学 13 四 ・四 制 、 中 学 校 は 下 等 中 学 (三 年 ) ・上 等 中 学 (三 年 ) の 三 ・三 制 で 、 大 学 に つ い て は 年 限 を 定 め て い な か つ た 。 中 学 校 に 関 し て は 、 商 業 、 工 業 、 通 辮 、 農 業 学 校 は 中 学 校 の 一種 に 数 え ら れ た が 、 師 範 学 校 だ け が こ れ ら の系 統 か ら 外 さ れ た。 も う 少 し学 制 の基 本 的 性 格 を 述 べ ると 、 学 区制 によ って近 代 学 校 制 度 を樹 立 しよ う と した 。 江 戸 時 代 に は 武 家 の 学 校 と 庶 民 の 学 校 が 別 個 に 成 立 し 、 二 重 系 統 の 学 校 体 系 を な し て い た 。 こ れ に 対 し て 、 ﹁学 制 ﹂ は 全 国 民 を 対 象 と す る 単 一系 統 の 学 校 体 系 を 基 本 と し 、 こ れ を 学 区 制 に よ っ て 成 立 さ せ よ う と し た の で あ る 。 す な わ ち 階 ﹁学 制 ﹂ の 規 定 (文 部 省 布 達 五 十 七 号 ㈲) さ れ た こ ﹁学 制 ﹂ の 性 格 を 考 察 す る 際 に 注 目 す べ き こ 級 的 複 線 型 の 学 校 体 系 を 改 め て 民 主 的 単 線 型 の 学 校 体 系 の 樹 立 を 目 指 す も の で あ った 。 し か し を 詳細 に見 れ ば 、 そ こ に複線 的 要 素 も 含 ま れ て お り、 こ の こと も と な の で あ る。 し か し 、 明 治 六 年 に 専 門 学 校 お よ び 外 国 語 学 校 の 規 定 が 追 加 と に よ っ て 、 ﹁学 制 ﹂の 学 校 体 系 は 複 雑 な も の と な り 、 学 校 体 系 は 複 線 的 性 格 を 強 め る こ と と な っ た ㈲。 学 制 の 内 容 と し て は 、第 一 に 義 務 教 育 が と ら れ た 。﹁ 一般 の 人 民 (華 士 族 農 工 商 及 婦 女 子 )必 ず 邑 に 不 学 の 戸 な く 、 ﹁身 を 立 る の 財 本 ﹂ ﹁其 産 を 治 め 、 共 業 を 昌 に す る ﹂ に 置 き 、 従 来 の ひ た す ら 国 家 の 為 に 家 に 不 学 の 人 な か ら し め ん 事 を 期 す ﹂ と し て 、 従 来 の 学 問 が 士 人 以 上 の も の で あ った 身 分 差 を 否 定 し た 。 第 二 に 学 問 ・教 育 の 目 的 を と 唱 え る 教 学 的 性 格 を 否 定 し た 。 第 三 に 学 問 ・教 育 が 人 民 の 自 主 自 発 に よ っ て 行 わ る べ き だ と 定 め 、 学 費 衣 食 の 用 を 官 よ り 支 給 さ れ る 善 習 を 否 定 し た 。 重 複 す る 部 分 も あ る が 、 学 制 の中 に 規 定 さ れ た 学 校 制 度 の 基 本 的 性 格 と し て最 も 重 要 な の は、 維新 以 来 の新 政 府 の教 育 政策 の中 に残 存 し て いた 二重 系 統 の学 校 組 織 に 対 す る考 え 方 を 捨 て た こ と で あ る 。 す な わ ち 学 校 は こ れ を 小 学 ・中 学 ・大 学 の 三 段 階 に 組 織 し 、 こ れ を 全 国 民 に 対 し て 一 様 に 解 放 し 、 単 一化 さ れ た 制 度 を 確 立 す る よ う に な っ た こ と で あ る 。 こ の 方 針 は 太 政 官 布 告 の 中 に す で に 明 確 に 現 わ れ て い る ω。 ﹁自 今 以 後 ∼般 の 人 民 ﹂ は 必 ず 学 校 に 入 学 す べ き と し 、 ﹁必 ず 邑 に 不 学 の 戸 な く 家 に 不 学 の 人 な か ら し め ん 事 を 期 す ﹂ と い う 大 き な 抱 負 を 持 っ て 、 学 校 は 立 身 ・治 産 ・昌 業 の た め に 役 立 つ も の で な け れ ば ﹁華 士 族 卒 (誤 り 訂 正 に よ り 卒 を 追 加 ) 農 工 商 及 婦 女 子 ﹂ と し て 華 族 か ら 農 工 商 に 至 る ま で す べ て の 人 に 対 な ら な い と 宣 言 し て い る 。 そ の 際 一般 の 人 民 と は い か な る も の を 表 わ す か に つ い て 註 釈 を 加 え て い る 。 す な わ ち 14 し て 一様 に 教 育 が 施 さ れ る こ と を 制 度 の 土 台 と し た の で あ る 。 ま た こ の 布 告 の 中 に ﹁高 上 の 学 に 至 て は そ の 人 の 才 能 に 任 か す と い へど も 幼 童 の 子 弟 は 男 女 の 別 な く 小 学 に 従 事 ﹂ を さ せ な け れ ば な ら な い と し て い て 、 特 に 小 学 校 の 教 育 が 国 民 全 て に 対 し て 一様 に 課 せ ら れ る べ き で あ る と 明 確 に し て い る 。 小 学 校 以 上 の 学 校 教 育 に 関 し て は 才 能 に 任 す と し て い る が 、 そ の 際 に 小 学 校 を 卒 業 し も の は す べ て 一様 に 上 級 の 学 校 に 進 学 す る 機 会 を 持 つも の で あ る こ と を 示 し て い る の で あ る 。 ﹁其 父 兄 の 越 度 ﹂ (﹁被 仰 出 書 ﹂) と し て 、 半 強 制 的 な 就 学 督 促 策 が 実 施 さ ま た 、﹃文 部 省 第 三 年 報 ﹄ で は 、 就 学 ﹁督 励 ノ 際 梢 強 促 二 渉 ル ノ 跡 ア ル モ 目 シ テ 非 義 ト 称 セ デ ル ハ 識 者 ノ 通 論 ﹂ と 書 い て いる よ う に、児 童 の不 就 学 は れ た こと を 知 る こと が でき る 。 学 制 の 主 眼 点 は 、 小 学 校 義 務 教 育 制 で あ った が 、 こ の義 務 制 は 当 時 と し て は 驚 く 程 敏 速 に 実 施 さ れ た 。 学 制 発 布 の 翌 年 に は 、 小 学 校 を 起 し 、 公 立 が 八 千 校 、 私 立 が 四 千 五 百 校 に お よ び 、 以 後 年 々増 加 さ せ て い き 二 八 年 後 に は 就 学 比 率 が 四 二 ・二 六 % と い う 目 覚 し い も の で あ っ た 。 だ が 、 当 時 に 山 村 僻 地 に ま で 普 及 し た 目 覚 し さ は 、 当 局 の ﹁頗 る 強 硬 手 段 を 用 い た ﹂ 強 制 と 、 ﹁政 府 の 命 令 と い え ば 、 一 も 是 に 抵 抗 す る 者 な く 、 皆 慎 ん で 命 を 奉 ﹂ し た 人 民 の 服 従 と の 、 専 制 主 義 的 支 配 ・被 支 配 関 係 に よ つ て 支 え ら れ て い た の で あ る 。 学 制 の整 然 と し た 学 校 制 度 の 中 心 に は 、 先 に 述 べ た 小 学 校 義 務 教 育 制 度 が あ った か ら で あ る 。 こ の義 務 教 育 制 を 小学 校 に お い て力 を 発 揮 さ せ る こと を 第 一の目標 であ ると 学 制 に お い て宣 言 し て い る。 国 家 権 力 に よ る就 学 強 制 が こ の 制 度 を 支 え た の で あ る 。 し か し 、 実 際 の 予 算 面 か ら み る と 、 義 務 教 育 費 は 民 費 つま り 費 用 の 大 部 分 を 民 衆 の 直 接 負 担 と し て 、 そ れ に 頼 っ て い た の で あ る 。 よ つ て 負 担 に 耐 え 切 れ な く な った 民 衆 に よ る 学 制 反 対 の 一 揆 も 起 こ っ た の だ が 、 こ の こ と は 自 然 な 流 れ で は な い だ ろ う か ㈲。 小 学 校 を 義 務 制 に し ても 、 児 童 た ち の学 ぶ 場 所 が な け れ ば 実 施 でき な いの で、 学 校 の設 立 と と も に学 齢 児 童 を 就 学 さ せ る こ と が 当 面 の課 題 で あ った 。 府 県 に お い て は 、 小 学 校 の設 立 を 意 味 す る も の で あ った 。 し か し 、 学 制 の 教 育 観 と 民 衆 の教 育 観 と の距 離 は 男 女 別 の就 学 率 に お い て も 明 ら か に み ら れ た 。 明 治 六 年 に お い て 就 学 率 は 約 二 九 % で 、 男 子 三 九 ・九 % 、 女 子 一 五 ・ 一% と す で に 開 き が あ っ た 。 男 子 は 八 年 に 五 〇 % を 越 え て い る 15 の に 対 し 、女 子 は 一 八 ・七 % に 過 ぎ ず 、就 学 率 は 約 三 五 % だ っ た 卸。学 制 の 実 施 に お い て 小 学 校 の 設 立 に お い て 、 (寺 院 四 〇 % 、 民 家 三 二 ・ 四 % そ の ほ 明 治 六 年 で は 一万 二 千 余 、 明 治 八 年 に は 全 国 に 二 万 四 三 〇 三 校 と 当 初 の 計 画 の 約 半 数 が 設 立 さ れ た も の の 、 学 制 の 要 求 す る 新 築 完 備 は わ ず か そ の 一八 % で あ り 、 八 〇 % 以 上 が 旧 施 設 髄 率 か ) の利 用 で あ っ た 。 小 学 校 の 設 置 は 順 調 に は 進 ま な か っ た こ と が わ か る 。 平均 女 男 zi.o (ほ か に 三 円 五 〇 銭 ・二 円 )、 小 学 校 は 五 〇 銭 (ほ か に 二 の だ と 考 え ら れ る ゆ。 中 学 の 進 級 法 も 小 学 と 同 じ で 、 上 下 二 等 に 分 け 、 各 三 年 問 で 、 下 等 六 級 か ら 上 等 一級 ま で 次 等 に 上 が っ て 上 等 一級 を 最 後 と し た 。 こ の 進 級 法 は 、 豊 後 の 日 田 で 廣 瀬 淡 窓 が 開 い た 成 宜 園 を 参 考 に し た も あ る が 、半 年 毎 と し 、 最 下 を 下 等 八 級 と 名 づ け 、 そ れ よ り 下 等 七 級 ・六 級 と 進 み 下 等 一 級 か ら 上 等 八 級 に 昇 り 、 石 で 四 円 九 銭 し て い た こ と か ら も 、 援 業 料 が い か に 高 額 で あ った か を 知 る こ と が 出 来 る 。 ま た 当 時 の進 級 法 で 五 銭 ) と し た 。 こ の 額 は 当 時 と し て は 極 め て 高 額 で 重 い負 担 と な った こ と は 確 か で あ る 。 当 時 の米 の 値 段 が 一 ほ か に 六 円 ・四 円 の 二 等 を 設 け 、 中 学 校 は 五 円 五 〇 銭 区 で 支 払 う か 政 府 か ら 補 助 し た 、 従 って 各 学 校 は 、 授 業 料 を 徴 収 し た 。 大 学 校 は 月 額 七 円 五 〇 銭 を 標 準 と し 、 学 制 は ﹁受 業 料 ﹂ (授 業 料 ) に つ い て も 定 め て い た の で 、 学 校 の 経 費 は 民 費 が 原 則 と な っ て い て 、 不 足 分 は 学 年次 22.3. 23.5 22.6 の 十 二 級 に 分 け た ⋮。 16 1&.7 学 就 表1 童 の 児 齢 学 1ア2 2s.゚ 32.3 35.4 38.3 39.9 41.3 41.2 15正 39.9 46.2 50.8 54.2 56.0 57.b 5&.2 ∼12年) (明 治6年 ﹁学 制 ﹂に お い て 特 に 注 意 す べ き は 、 教 育 行 政 上 重 要 な 四 つ の 大 事 項 が 定 め ら れ た こ と で あ る 。 第 ﹁ は 義 務 教 育 に 関 す る こ と で あ る 。 ﹁学 制 ﹂ は 男 女 に 関 係 な く 六 歳 よ り 十 三 歳 ま で に 至 る 尋 常 小 学 の 課 程 を 修 め る 義 務 が あ る と し た 。 そ の 義 務 を 負 う 者 が 何 人 で あ る か は 法 文 の上 で は 余 り 明 確 に な って い な い が 、 多 分 父 兄 お よ び 保 護 者 に 対 し て そ の 保 護 の 下 に あ る 児 童 を 就 学 さ せ る 義 務 を 負 わ せ る 趣 旨 で あ つた だ ろ う 。 義 務 教 育 の 期 問 等 に つ い て は そ の 後 様 々 な 変 更 は あ る が 、 義 務 制 と す る 精 神 は ﹁学 剃 ﹂の 時 既 に 始 ま っ た も の で あ る 。 第 二 は 教 育 と 宗 教 と の 分 離 の問 題 で あ る 。 宗 教 を 少 し で も 教 育 の 中 に 入 れ る こ と の 利 害 得 失 に つ い て は 人 々 の 言 う こ と は 一致 し な か っ た 。 欧 州 諸 国 で は 宗 数 的 普 通 教 育 を 行 っ た せ い で 長 年 に 渡 り 苦 い 経 験 を な め 、 フ ラ ン ス に お い て は 、 革 命 以 来 非 宗 教 教 育 即 ち 世 俗 教 育 を 標 榜 に す る に 至 った 。 し か し 、 フ ラ ン ス に お い て は 宗 教 教 育 の 必 要 を 唱 え る 者 が 絶 え る こ と は な か っ た 。 こ の こ と と は 別 問 題 と し て 、 ﹁学 制 ﹂は 断 然 教 育 と 宗 教 を 分 離 す る 主 義 を と って い る。 第 三 は 地 方 公 共 団 体 によ って経 営 さ れ る学 校 の経 費 に対 す る国 庫 補 助 のこと であ る。 第 四 は 小 学 校 を 総 て の 学 校 の 基 本 と す る 主 義 の こ と で あ る 。 ﹁学 制 ﹂ は 小 学 校 を 総 て の 教 育 の 基 礎 と し 、 如 何 な る 上 級 の学 校 に 入 る に も 必 ず 小 学 校 を 経 由 し な け れ ば な ら な い 主 義 を 取 っ て い る 。 学 制 頒 布 後 の 学 校 の 設 置 は 各 方 面 の 努 力 に よ り 漸 次 、 校 数 も 整 備 ・充 実 し て い っ た 。 し か し 一方 で は 、 学 制 は高 い指 標 を掲 げ な が ら や が て空 転 し てし ま う のだ が 、 そ の理 由 と し て指 標 を 支 え る政 治 的 な な いし社 会 的 経 (実 作 ) で 、 徴 兵 反 対 、 小 学 校 廃 止 を 叫 ぶ 暴 動 が 済 的 基 盤 が 変 化 し て い っ た こ と が 考 え ら れ る 。要 す る に 学 制 そ の も の に 、理 由 が 隠 れ て い た と い う こ と に な る 。 そ う い った こ と が 顕 著 に 現 わ れ 始 め た の が 、 明 冶 六 年 北 條 県 起 こ っ た 。 こ れ に よ っ て 、 管 下 四 十 六 校 が 破 壊 さ れ た の を 発 端 と し て 、 小 学 校 破 壊 の 一揆 が 現 わ れ 始 め た の で あ る。 そ れ は民 衆 の反 動 性 を 意 味 す る の では な く て、 授 業 料 な ど の重 い負 担 や 、 就 学 の強 制 に対 す る 反抗 であ 第 一巻 ﹄ つ た の だ ろ う 。 こ の 騒 動 は 次 第 に 全 国 へ と 広 が り 、 そ れ と 同 時 に ﹁学 制 ﹂ 改 正 の 動 き も 出 始 め て き た の で あ る 。 D ﹃学 校 の 歴 史 17 の高 橋 明 治 三 年 フ ラ ン ス は プ ロ シ ア と 戦 っ て 敗 れ た と は 言 え 、 我 が 国 と の は ア メ リ カ ・イ ギ リ ス ・ ロ シ ヤ に つ い で 深 い 関 係 に あ つ た し 、 ﹃日 本 教 育 文 化 史 ﹄ 五 三 四 頁 一九 六 三 年 -九 七 五 年 二五 二頁 ﹁世 界 は ひ ろ し ﹂ へ 殊 に 明 治 初 年 の 我 が 国 の 法 律 が フ ラ ン ス 法 を 模 倣 し て 立 て ら れ た と い ふ 事 が 、フ ラ ン ス に 依 ら し め る 有 力 な 原 因 に と な っ た の で あ ろ う 。 紛井 上 久 雄 ﹃学 制 論 考 ﹄ 風 間 書 房 の結 城 陸 朗 ﹃目 本 教 育 文 化 史 ﹄ 明 玄 書 房 の 転 換 で あ る 。知 識 主 義 的 学 校 教 育 を 全 国 に は り め ぐ ら す こ と に よ つ て 国 民 を 近 代 化 し 、独 立 自 尊 の 人 間 を つ く り 、 国 家 の 近 代 化 教 科 内 容 は 、 伝 統 的 ・ 儒 教 的 な も の は 一掃 さ れ 、 近 代 西 欧 の 知 識 を も っ て 緑 織 さ れ る 。 ﹁子 ノ タ マ ワ ク ﹂ か ら 第 一編 学 制 門 ﹄ 八 八 頁 ど の臨 席 の も と 厳 重 に お こな わ れ る 。 を は か り 万 国 併 立 を は か った も の と いえ る 。近 代 西 欧 の知 識 内 容 の 注 入 、吸 収 、 そ の 暗 記 が 問 題 で あ り 、そ れ ら の 知 識 を ど れ ほ ど 吸 収 し て い るか が 闇 題 な の で あ り 、 そ れ は 試 験 に よ っ て 判 定 さ れ る 。 そ れ 故 、 小 学 校 の 試 験 が 、 学 区 取 緑 ・区 戸 長 ・県 学 務 課 員 な ω ﹃法 規 分 類 大 全 第 ↓巻 ﹄ 専 門 学 校 お よ び 外 国 語 学 校 の 規 定 が ﹁学 鰯 ﹂に 追 加 さ れ た こ と は 、 欧 米 の 学 徳 文 化 の摂 取 が 急 務 で あ った 当 時 の 事 情 に よ る も の で あ った と 考 え ら れ る。 的 ﹃学 校 の 歴 史 α め に 学 校 は な く て は な ら な い 働 き を も っ て い る 。 そ し て 人 は 学 校 と い う 機 関 を と お し て 勉 励 し て こ そ 、は じ め て 立 身 出 世 で き る の ﹃学 制 百 年 史 ﹄ 一 二 四 頁 太 政 官 布 告 は 、 ﹁人 々 自 ら 其 身 を 立 て 其 産 を 治 め 其 業 を 日日に し て 以 て 共 生 を 遂 る ゆ え ん の も の は . ・⋮ ﹂ で 始 め ら れ て い る が 、 ま ず 学 校 を 設 立 す る 主 旨 を 述 べ て い る 。 人 が 立 身 出 世 し 、悔 い の な い 生 殺 を 送 る た め に は 学 問 を 修 め な け れ ば な ら な い 。 こ の 学 問 の た 明 治 国 家 の 成 立 ﹄ 山 川 出 版 社 ﹁九 六 人 年 一九 九 六 年 で あ る 。 人 間 が そ の身 を 滅 ぼ す の は 多 く 不 学 に そ の 原 因 が あ る と し て い る 。 ﹃日 本 歴 史 体 系 1 3 ﹃日 本 近 代 国 家 の 形 成 ﹄ 岩 波 書 店 井 上 光 貞 他 ㊧原 口 清 ・習 字 ・地 学 ・史 学 ・ 外 国 語 ・窮 理 学 ・叢 学 ・ 古 言 学 ・幾 何 学 ・星 学 大 意 を 加 え た 。 .修 身 学 。側 量 学 .奏 .国 勢 大 意 を 加 へ 、 上 等 で ・外 国 語 ・ 窮 理 学 ・ 罫 豊 古 言 学 ・ 幾 何 ・ 代 数 学 ・ 記 簿 法 ・化 学 . 修 身 学 ・ 測 量 学 . 経 済 学 . 重 學 . ・記 簿 法 ・ 博 物 学 ・ 化 学 ﹁五 年 任 と 文 部 少 丞 兼 侍 読 艸 額 制 五 篇 上 之 。﹂ と あ る か ら 、 恐 ら く 我 が 国 学 制 に お け る 進 級 法 ﹁フ ラ ン ス 学 制 ﹂ に は 見 ら れ な い も の で あ つ た 。 廣 瀬 淡 窓 は 学 剃 頒 布 の 頃 、 文 部 省 に 居 っ て 功 を 立 て 九 長 芙 が 成 宜 ﹃日 本 教 育 文 化 史 ﹄ 俵 ﹃学 制 百 年 史 ﹄ 紛高 橋 こ の 進 級 法 は 園 に 学 ん だ 人 で あ り 彼 の墓 誌 銘 に も 一巻 ﹄ は 威 宜 園 の そ れ を 転 用 し た も の で あ ろ う 。 期 ﹃明 治 以 降 教 育 制 度 発 達 史 ・数 学 下 等 お よ び 上 等 で 何 を 学 ぶ か も 決 ま って い た 。 下 等 で は 国 語 楽 を 課 し 、 上 等 で は 国 語 ・習 字 ・生 理 学 動 物 ・ 植 物 ・ 地 質 ・ 鉱 山 学 を 学 習 さ せ た 。 但 し 後 に 下 等 で 測 量 学 を や め て 、 代 数 学 ・生 理 学 ・ 政 瞭 大 意 重 学 大 意 18 第 三節 師 範 学 校 設 立 に伴 う教 員 養 成 学 校 が 設 立さ れ ても 生 徒 に教 え る 人 間 が いなけ れ ぼ 意 味 が な く 、 文 部 省 も政 府 も そ れ は認 識 し て いた 。教 員 養 成 政 策 が 行 わ れ 、 政 府 は 小 学 校 教 員 の 養 成 を 第 一の 急 務 と し 、 政 府 は 自 ら そ の養 成 に 乗 り 出 し 、 東 京 以 下 に 官 立 師 範 学 校 を 七 校 設 置 し 、 教 員 養 成 を 行 お う と し た 。 こ の節 で は 、 教 員 養 成 を 目 的 と し て 設 立 さ れ た 師 範 学 校 の 設 立 過 程 お よ び 教 員 の資 格 に つ い て考 察 し で い き た い 。 文部 省 は 全 国 に 学 校 を 作 り 始 め た 。 学 制 の条 文 から も わ か るよ う に、 学 校 は寺 を 借 り て も 出来 る が 、教 員 に 関 し て は そ う 簡 単 に は い か な い 。 し か し 、 日 本 で は 教 師 よ り も 学 校 を 先 に 作 っ て し ま った の で あ る 。 唐 澤 氏 は ﹁学 校 は 文 部 省 令 で 一 日 の 問 に で も 出 来 る が 、教 師 は そ う 早 く は 出 来 る も の で は な い 。ω﹂と 述 べ て い る よ う に 、 一般 的 に 考 え れ ば こ の よ う な 事 は 予 測 出 来 た は ず で あ る 。 し か し 、 文 部 省 は 全 国 に 学 校 を 作 る こ と に 焦 っ て い た こと が 見え て く る。 小 学 校 普 及 の 必 要 性 は 文 部 省 も 認 識 し て い た 。 小 学 校 の 普 及 に 伴 っ て 最 も 困 難 だ った の が 教 員 の 問 題 で あ っ た 。 ﹁学 制 ﹂ の 定 め に よ れ ば 、 小 学 校 教 員 の 資 格 は 師 範 学 校 の 卒 業 者 で あ る こ と を 前 提 に し 、政 府 に お い て も ﹁学 制 ﹂ 頒 布 に 少 し 先 だ って 東 京 に 官 立 師 範 学 校 を 設 立 し た 。 明 冶 七 年 に は 数 個 の 官 立 師 範 学 校 を 各 地 に 設 立 し 、 ま た 同 年 東 京 に女 子師 範 学校 を 設 立 し た が 、そ の卒 業者 が 出 る ま でに は 相 当 の時 間 を 要 した 。 卒 業 者 の出た 後 で も そ れ だ け で は 急 激 に 増 加 す る 教 員 の需 要 に 応 じ 切 れ な い た め に 、 士 族 な ど で多 少 漢 学 の 教 養 が あ る 者 を 間 に 合 わ せと し て採 用 し た ので、 物 理 化学 や 博 物 な ど を教 え る 先 生 が そ の事 項 の内 容 は自 分 にも 分 か らず た だ 教 科 書 の 文 字 の意 味 の 訳 だ け を 教 え る と いう お か し な こ と も 多 々 あ った 。 八 、 九 年 頃 か ら は 各 府 県 で 臨 時 的 に 設 け ら れ た 教 員 養 成 機 関 も よ う や く ま と ま り は じ め 、 教 員 の資 質 も 次 第 に 向 上 す る こ と と な った 。 こ こ で 学 校 設 立 の 概 要 に つ い て 述 べ た い。 諸 種 の 学 校 の 発 達 状 況 と し て は 、 五 年 五 月 に 東 京 に 官 立 師 範 学 校 を 、 明 治 六 年 に大 学 区 が 八大 学 区 から 七大 学 区 に 改 正さ れ 、 大 学 本 部 と な る 大阪 と宮 城 に 官 立 師 範 学 校 を 建 て た 。 七 年 に は、 愛 知 、 広 島、 長 崎 、新 潟 に も官 立師 範学 校 が 建 てら れ た 。 各 地 に建 て ら れ た 官 立 師 範 学 校 も 目 19 的 は 小 学 校 教 員 養 成 のた め で あ った 。 し か し 、 当 時 の卒 業 生 の 多 く は 、 小 学 校 な ど の 教 師 と し て で は な く 、 官 立 師 範 学 校 の教 師 と し て赴 任 し て いた よ う で あ る 。 こ の よ う に 学 制 期 に お け る 積 極 督 励 策 は 、 教 員 の 養 成 に も 遺 憾 な く 発 揮 さ れ た 。 文 部 省 は 自 ら 教 員 の養 成 に ﹁後 来 ノ 目 的 ヲ 期 シ 当 今 着 手 之 順 序 ﹂ 乗 り 出 し 、 学 制 の 公 布 以 前 早 く も 東 京 に 官 立 師 範 学 校 を 開 き 、 つづ い て 他 の 六 大 学 区 本 部 に そ れ ぞ れ 官 立 師 範 学 校 を 設 け た と う いう こと か ら も 知 る 事 が 出 来 る 。 ﹁学 制 発 行 ノ 儀 伺 ﹂ を 正 院 に 提 出 し た と き ﹁速 二 師 表 学 校 ヲ 興 ス ヘ キ 事 ﹂ を 掲 げ た ω。 ﹁当 今 着 手 第 一 中 ノ 尤 急 務 ﹂ と し て 、 何 よ り も 先 に 教 員 養 成 が 急 務 で あ る と 示 ﹁厚 ク カ ヲ 小 学 ヲ 小 学 校 二 可 用 事 ﹂ に つ い で そ こ で 文 部省 は 、 五 年 三 月 を 上 申 し た が 、 こ こ に こ こ で は、 小学 校 教 員 の養 成 を し て いる点 が注 目さ れ る 。 小 学 校 教 育 の 発 達 を 図 る た め に は 、 ど う し て も 教 員 養 成 の た め の 師 範 学 校 の 発 達 を 図 る 必 要 性 が あ った 。 学 制 頒 布 の際 に も 文 部 省 は 実 施 計 画 と し て速 や か に 師 表 学 校 を 興 す べ き だ と 述 べ て い る 。 文 部 省 は 、 学 制 頒 布 よ ﹁大 概 流 落 無 頼 ノ 禿 人 自 ラ 糊 予 不 能 ル モ ノ ニ シ テ り 四 ケ 月 前 の 明 治 五 年 四 月 二 十 二 日 に 小 学 教 師 教 導 場 建 立 の 伺 を 正 院 に 提 出 し た の で あ る ㈲。 こ れ は 、 従 来 の 教 育 の欠 点 を 五 弊 に わ た っ て 批 判 し 、 特 に 寺 子 屋 師 匠 に つ い て 素 ヨ リ 教 育 ノ 何 物 タ ル ヲ 不 弁 其 筆 算 師 ト 称 シ 書 読 師 卜 称 ス ル モ 綾 二 其 一端 二 止 ル ノ ミ 而 其 教 亦 浅 々 ク ト ビ 之 ヲ 習 フ ト イ ヘト モ 以 テ 普 ク 物 理 ヲ 知 ル ニ 不 足 其 不 学 ル モ ノ ト 相 去 ル 不 遠 ﹂ と 指 摘 し た 。 こ れ に 対 し て 、 新 し い教 育 制 度 の 実 施 に 必 要 な 小 学 校 教 師 の 養 成 機 関 を 設 立 す る 趣 旨 も 述 べ ら れ て い る ω。 明 治 五 年 五 月 十 三 日 に 正 院 か ら の許 し に よ って 、 東 京 に 日 本 最 初 の師 範 学 校 を 設 置 す る こ と を 決 定 し た 。 文 部 省 は 、 ﹁東 京 二 師 範 学 校 ヲ 開 キ 規 則 ヲ 定 メ 生 徒 ヲ 募 集 ス ﹂ の 布 達 を 発 し て 、 新 た に 設 け ら れ る 師 範 学 校 の 趣 旨 に つ い て 明 ら か に し 、 生 徒 の 募 集 に 着 手 し た 紛。 ﹁小 学 校 ノ 外 師 範 学 校 ア リ 此 校 ニ ア リ テ ハ 小 学 二 教 ル 所 ノ 教 則 及 其 教 授 ノ 方 法 ヲ 教 授 ス 当 今 学 制 頒 布 の際 に 師 範 学 棟 を 速 や か に 興 そ う と し て い た こ と は 述 べ た が 、 そ の学 制 に お い て 第 三 十 九 章 で は 、 師 範 学 校 に ついて 二 在 リ テ 極 メ テ 要 急 ナ ル モ ノ ト 此 成 就 ス ル ニ非 サ レ ハ 小 学 ト 錐 モ 完 備 ナ ル コ ト 能 ハ ス 故 二 急 二 此 校 ヲ 開 キ 其 成 20 就 ノ 上 小 学 教 師 タ ル 人 ヲ 四 方 二 派 出 セ ン コ ト ヲ 期 ス ㈲﹂ と 規 定 し て い る 。 こ の よ う に 学 制 頒 布 に 先 だ っ て 師 範 学 校 の設 立 を 具 体 化 し た こ と は 、 新 し い 国 民 教 育 制 度 を 実 施 す る た め に は 教 員 養 成 が 重 要 で あ る こ と を 明 ら か に し た も の で あ る 。 学 制 に よ る 教 育 企 画 に 着 手 し た 第 {歩 が 師 範 学 校 で あ っ た こ と を 示 し て い る で は な い か 。 (東 京 文 理 科 大 学 編 纂 ﹃創 立 六 十 年 史 ﹄ に よ る ) ωを 本 校 付 小 学 生 徒 と し て 入 学 を 許 し 、 授 業 を 開 始 明 治 五 年 八 月 に 諸 葛 信 澄 が 東 京 師 範 学 校 の 校 長 に 任 命 さ れ た 。 同 月 入 学 試 験 を 行 い 、 翌 九 月 入 学 試 験 の合 格 者 五 十 四 人 し た 。 教 師 に は 米 国 人 エ ム ・ エム ・ス コ ット を 招 き 、 坪 井 玄 道 が 通 訳 に 当 った 。 つま り 創 立 当 時 の師 範 学 校 は 米 国 の師 範 小 学 校 を 模 倣 し て 、 そ の 授 業 法 を 伝 習 し 、 か つ彼 我 の 事 情 を 理 解 し な が ら 小 学 校 の教 則 を 定 め る こ と を 目的 と した 。 生 徒 を 上 下 の 二種 に分 け 、 外 国 教 師 はま ず 上 等 生 を 小 学 生 徒 と みな し、 外 国 の小学 科 を授 け て そ の授 業 法 を 理 解 さ せ た 。 上 等 生 は 理 解 し た そ の 方 法 を 移 し て 、 下 等 生 を 小 学 生 徒 と し て 教 授 し た 。 修 業 年 限 は 一年 で あ つ た 。 校 舎 は 仮 に 湯 島 奮 昌 平 蟹 の 建 物 で 補 い 、 そ の 講 堂 を 教 室 と し 、 教 科 用 図 書 教 具 器 械 の 類 は 米 国 から 送 られ て き た も のを 使 用 し 、 図 書 の多 く は翻 訳 さ れ た 。 師 鎮 学 校 は 徐 々 に 各 地 に 建 て ら れ て い った が 、 七 年 二 月 十 九 日 文 部 省 布 達 第 五 号 を も と に 名 古 屋 、 広 島 、 長 崎 及 び 新 潟 に 師 範 学 校 が 設 立 さ れ た ㈲。 こ れ に よ っ て 、 東 京 、 大 阪 、 宮 城 と 合 わ せ て 全 国 に 七 個 の 師 範 学 校 が 存 在 す る こ と と な っ た 。 同 年 三 月 四 日 文 部 省 布 達 第 八 号 を 広 島 師 範 学 校 生 徒 募 集 の 件 が 定 め ら れ た 紛。 ま た 、 七 年 三 月 十 三 日 に は 文 部 省 布 達 第 九 号 を 以 て 東 京 に 女 子 師 範 学 校 が 設 立 さ れ た ⋮。 次 に 小 学 校 教 員 の 規 定 ・資 格 に つ い て 見 て い き た い 。 学 制 に は 、 小 学 教 員 は 年 齢 二 十 歳 以 上 で 師 範 学 校 卒 業 免 状 あ る いは中 学 免 状 を 有 す る も のと し て いる が 、 これ は 目 標 を 示 した も の で数 年 後 に これ を 行 おう と し て い た 。 七 年 七 月 大 体 二 十 歳 以 上 の 者 に 全 科 の 試 験 を 行 い 学 力 に 応 じ て 第 一等 ・ 第 二 等 ・第 三 等 の 免 許 状 を 与 え る こ と と し た が 、 こ れ を 三 年 限 り の 証 書 と し た 。 こ れ が 教 員 資 格 検 定 制 度 の 最 初 で あ った 。 試 験 に よ って 教 員 資 格 を 与 え る こ と は 文 部 省 も 認 め て い て 、 七 年 七 月 二 十 五 日 文 部 省 布 達 第 二 十 一 号 を 以 て 公 示 し て い る ⋮。 学 制 に は 、教 員 に つ い て も 定 め ら れ て い る わ け で 、四 十 ∼ 四 十 三 章 、四 十 五 章 、四 十 六 章 ま で が そ れ で あ る ⋮。 こ こ で は 第 } に 、小 中 大 学 教 員 の あ る べ き 資 格 を 定 め る と と も に 、現 在 の 状 況 に 応 じ 過 渡 的 措 置 を 定 め た こ と 、 21 第 二 に、 小 学教 員 に ついて は 男女 同 等 の原 則 を 打 ち だ した こと 、 第 三 に、 公私 学 校 の間 に差 別 を し な い こと師 範 学 校 卒 業 生 の転 職 を 禁 じ た こ と 、 な ど が 注 目 さ れ る 。 ま た 専 門 学 校 及 び そ の 他 の 学 校 の 教 員 の資 格 に つ い て は 何 等 規 定 は さ れ な か った 。 次 に 中 学 校 に つい て であ るが 、八 年 八 月 十 三 日 に東 京 師 範 学 校 に中 学 師 範 学 科 を 設 置 し、九 年 四 月 か ら生 徒 を 入 学 さ せ た 。 こ れ は 中 学 校 教 員 養 成 を 目 的 と す る も の で あ っ て 、 中 等 学 校 教 員 養 成 の き っか け と な った 。 そ し て中 学 校 教 員 は 二 十 五 歳 以 上 で 大 学 免 状 を 有 す る も の 規 定 し た 。 こ れ に 関 し て は 、 先 に あ げ た 学 制 の 中 の 四 十 一章 で 定 め ら れ た 。 大 学 教 員 に 関 し て は 学 士 の 称 号 を 有 す る 者 と し た が 、 当 時 こ の 資 格 を 有 し た 教 員 を 求 め る こ と は 困 難 で あ った か ら 、 実 現 ま で に は 数 年 か か った 。 ま た 私 学 、 私 塾 及 び 家 塾 を 開 こ う と す る 者 は そ の 属 籍 、 住 所 、 事歴 、 学校 の位 置教 則 等 を 詳 記 し 、 学 区 収 締 に 出 し、 地 方 官 を 経 て督 学 局 に出 す こと と し た。 こ の よ う に 学 校 体 系 が 整 え ら れ る と 同 時 に 、 寺 子 屋 か ら 近 代 学 校 へ展 開 し て い き 、 従 来 の 個 別 的 な 授 業 法 か ら 一斉 教 授 方 へ転 換 し て い っ た 。 手 習 い 申 心 の 近 代 的 教 育 内 容 へ と カ リ キ ュ ラ ム が 変 化 し て い っ た の に 伴 い 、 教 師 も こ れ ら の 近 代 的 教 育 技 術 が 必 要 と な っ て き た の で 、 こ の 節 で 述 べ て き た よ う に 師 範 学 校 の確 立 が 急 務 に さ れ た の であ る。 こ の 師 範 学 校 の 出 現 に よ つ て 、 従 来 の寺 子 屋 師 匠 は 終 わ り を 迎 え る こ と に な った 。 た だ 当 時 の教 員 の実 態 と し て は 、 中 央 に お い て も 教 員 が 不 足 し て い た 状 態 で あ った の で 、 地 方 の 教 員 不 足 は 言 う ま で も な く 明 ら か な 状 態 で あ った 。 そ ご で師 範 学 校 で新 し い 教 授 法 を 学 ん だ 卒 業 生 が 各 地 の 師 範 学 校 や 、 極 め て 不 完 全 な 教 員 養 成 所 に 派 遣 さ れ て 、 そ の指 導 に あ た っ て い た 。 働 明 治 前 期 の教 員 に は 士 族 が 多 か った の で あ る が 、 こ れ と 並 ん で 明 治 前 期 の 師 範 学 校 に お い て も 、 教 官 は も ち ろ ん 、 生 徒 も 士 族 が多 数 を占 め て いた 。例 え ば 東 京 師範 学 校 卒 業 生 の族 籍 を 見 る と 、 小 学 師 範 学 科 卒 業 生 、 明 治 六 年 よ り 十 一 年 に 至 る 総 数 二 四 〇 名 の う ち 士 族 は 一 六 四 、 華 族 一、 平 民 七 、 五 の 割 合 で あ り 、 十 一 年 七 月 卒 業 の 中 等 師 範 学 科 十 二 名 中 、 士 族 が 一 〇 、 平 民 二 の 割 合 で あ る 簡。 ま た 、 当 時 の 教 員 は 一般 に 経 済 的 に は 恵 ま れ て い な か っ た よ う で 、 志 望 者 は 少 な く 、 し た が っ て 師 範 学 校 の 22 入 学 競 争 率 も 高 く は な か った よ う で あ る 。 し か し こ れ に は 他 の 理 由 と し て 当 時 師 範 学 校 の 入 学 者 が 主 に 士 族 で あ って、農 民 出身 のも のな ど は軽 蔑 さ れ ると いう 風 潮 が あ り、 そ の入 学 者 の階 級 が お のず と 限 定 さ れ て いた こ と に も 大 き な 原 因 が あ っ た と 考 え ら れ る 。 例 を あ げ る と 、 ﹁明 治 十 年 春 西 南 戦 争 の あ り し と き 本 県 下 各 師 範 学 校 に て生 徒 を 募 集 せ ら れ しが 、 創 立 以来 日浅 く し て 応募 人 員 甚 少 く 止 む を 得 ず 十 八歳 以 下 十 七 歳 、 十 六歳 、 甚 し き は 十 五 歳 の 数 へ 年 の 者 迄 も 試 験 の 上 入 学 を 許 可 さ れ た り 。 吾 々 は 其 の 甚 し き 一 人 な り 。﹂ (平 井 慶 次 記 、﹃兵 庫 県 御 影 師 範 学 校 創 立 六 〇 周 年 記 念 誌 ﹄ 四 二 九 頁 ) 個と あ る 。 ﹁師 表 学 校 ﹂ つ ま り 教 員 養 成 の た め の 師 範 学 校 は 、 明 治 五 年 五 月 に 東 京 に 設 置 さ れ た 文 部 省 直 轄 の も の が 最 初 で あ った 。 全 国 か ら 生 徒 を 募 集 し 、 教 員 養 成 の ほ か 小 学 教 則 の 編 成 、 新 教 科 書 の 編 集 な ど 、 学 校 教 育 確 立 の た め 重 要 な 役 割 を 果 た し た 。 府 県 内 の教 員 養 成 に つ い て は 、 各 府 県 は 明 治 六 年 か ら 教 員 養 成 機 関 を 設 け は じ め た 。 こ れ ら は 比 較 的 短 期 間 の 養 成 で 六 ヵ 月 程 度 が 多 く 、 一県 で 数 校 あ る い は 数 分 校 設 置 す る も の も あ り 、 寺 子 屋 の 教 師 の 再 教 育 な ど 教 員 養 成 に 積 極 的 に 取 り 組 ん だ 。 ま た 、 師 範 学 校 は 、 小 学 ・中 学 ・大 学 の 学 校 体 系 の な か に は 位 置 づ け ら れ ず 、 そ れ と は 異 な った 性 格 の 学 校 と し て 構 想 さ れ て い た が 、 そ れ の 入 学 資 格 等 に つ い て 具 体 的 に は 規 定 さ れ て い な か った 。 し か し 府 県 で は 、 東 京 師 範 学 校 を モ デ ル に し て 師 範 学 校 等 の設 置 に 次 第 に 着 一四 頁 手 し 、 教 員 の養 成 を 積 極 的 に は か り は じ め た 。 一九 五 五 年 一九 七 三 年 ﹃教 師 の 歴 史 ﹄ 創 文 社 ﹃学 制 の 研 究 ﹄ 講 談 社 D唐 澤 富 太 郎 小 学 ノ 教 ヘ ノ 能 ク 完 全 ナ ル ヲ 得 ル ユ ヘン ノ モ ノ 小 学 教 則 ノ 能 ク 斉 整 ス ル ニア リ 、 小 学 教 則 ノ能 ク 斉 整 ス ル ユ ヘ ン ノ モ ノ 小 学 教 師 幻倉 澤 剛 ノ ヨ ク 教 則 ヲ 維 持 シ テ 之 ヲ 教 ユ ル ノ 正 シ キ ヲ 得 レ ハ ナ リ 、夫 レ 師 ノ 生 徒 二 於 ル 形 卜 影 ト ノ ヲ 如 シ 、 形 不 直 シ テ 影 直 ナ ラ ン ヲ 求 ム 不 可 得 、 各 国 已 二師 表 校 ノ 設 ア リ 、 是 レ 小 學 教 員 ヲ 植 成 シ 以 テ 教 則 ヲ 整 全 ナ ラ シ メ ン カ 為 也 、 故 二 速 二 師 表 校 ヲ 興 シ 小 学 ノ 教 員 ヲ 植 第 -巻 ﹄ 七 七 七 ∼ 七 七 九 頁 成 シ 、 順 次 四 方 二 派 出 セ シ 益 以 テ 之 ヲ 増 植 シ 其 教 則 ヲ 正 シ 、以 テ 小 学 ノ 教 育 ヲ 完 斉 セ シ メ ン ヲ 欲 ス 、 是 当 今 着 手 第 -中 ノ 尤 急 務 ト ス 幻 ﹃明 治 以 降 教 育 制 度 発 達 史 ク 是 レ 文 明 ノ 各 国 小 学 ノ設 盛 大 隆 肚 ナ ル 所 以 ニシ テ 要 之 其 始 メ ヲ 横 ミ 終 リ ヲ慮 ル 所 以 ナ リ 夫 レ 人 ノ 學 業 初 メ ア ル ニ非 レ ハ 能 ク 終 リ ア ル 鮮 シ 故 二 老 成 ノ 練 熟 ハ少 壮 ノ 研 業 ニ ア リ 肚 盛 ノ 進 達 ハ 幼 時 ノ 習 学 二基 皇 邦 従 来 教 育 之 法 ナ キ ュア ラ スト 錐 モ 共 法 二不 備 ル ト 其 施 為 ノ 不 善 ト ニ ヨリ 共 弊 ヲナ ス ヤ 甚 タ多 シ 夫 レ 少 年 拶 髄 未 定 物 ヲ 知 リ 智 ヲ 開 ク 宜 シ ク 此 時 ニ ア ル ヘ シ 然 ル ニ 従 来 ノ 風 凡 人 八 九 歳 若 ク 十 一= 二 歳 ヲ 過 ク 之 力 父 兄 タ ル モ ノ 全 ク 23 之 ヲ 度 外 二 置 キ 之 ヲ シ テ 学 二 従 事 セ シ ム ル を 知 ラ ス 漸 ク 長 ス ル ニ 及 ン テ 或 ハ 之 ヲ 学 フ ト イ ヘト モ 素 ヨ リ 之 ヲ 可 学 ノ 時 二 不 学 ル ヲ 以 テ 其 基 礎 巳 二 失 シ 至 ル 所 稽 留 シ 其 学 遂 二 上 達 ス ル コ ト 不 能 一弊 其 不 学 ル モ ノ ハ奈 ヨ リ 物 理 ノ 何 物 タ ル ヲ 不 辮 忽 然 ト シ テ 営 生 之 事 ヲ ナ ス ト イ ヘ ト モ 志 行 賎 劣 求 ル 所 亦 随 テ 之 ヲ 失 シ 、 流 落 自 ラ救 フ 不 能 ル モ ノ極 メ テ 多 シ ニ ⋮ 弊 一 ニ シ テ 素 ヨ リ 教 育 ノ 何 物 タ ル ヲ 不 辮 其 筆 算 師 ト 称 シ 書 読 師 ト 称 ス ル モ 縷 二 其 -端 二止 ル ノ ミ 而 其 教 亦 浅 々 タ ト ビ 之 或 ハ 之 ヲ 学 フ モ ノ ト 錐 モ 多 ク ハ 之 ヲ 寺 子 屋 ナ ル 者 二委 ネ 其 師 匠 ナ ル 者 ハ 大 概 流 落 無 頼 ノ 禿 人 自 ラ 糊 ス ル 不 能 ル モ ノ 般 幼 学 所 ノ 風 ナ リ 是 以 其 教 ヲ 受 ク ル モ ノ 終 年 之 ヲ 計 ル ト モ 得 ル所 ア ル 不 能 四 弊 ヲ 習 フ ト イ ヘト モ以 テ 普 ク 物 理 ヲ 知 ル ニ不 足 其 不 学 ル モ ノ ト 相 虫 ル不 遠 三弊 或 ハ 之 ヲ 教 ユ ル ニ其 規 則 ナ キ ヲ 以 テ 子 弟 ヲ 集 ム ル 数 十 百 人 朝 ヨ リ タ ニ 至 ル 聾 音 鴛 々 唯 其 童 然 之 ヲ 以 テ 教 学 ト ス 亦 モ ノ 四 書 也 五 経 也 タ ト ヒ 勉 励 シ テ ヨ ク 之 ヲ 暗 諦 ス ト モ 其 今 日 二 用 ア ル 何 二 是 亦 其 不 学 モ ノ ト 相 去 ル }間 五 弊 或 ハ 稀 二学 校 ノ 設 ア リ テ 其 公 ト 云 ヒ 私 ト 云 フ モ 其 教 ユ ル 所 大 概 従 来 之 風 習 ニ シ テ 亦 成 規 ア ル コ ト ナ シ 其 之 ヲ 教 ユ ル 右 数 ノ モ ノ ハ 則 当 今 一般 ノ 風 習 彼 二 不 出 レ ハ 必 ス 此 二 入 ル 之 ヲ 以 テ 之 ヲ 論 ス レ ハ 教 育 之 法 ノ 如 キ 抑 モ 亦 地 ヲ 梯 テ 之 ル ニ教 育 之 道 ハ其 本 必 ス 小 学 二 成 ル 而 テ 小 学 ノ 教 ノ 能 ク 完 全 ナ ル ヲ 得 ル ユ ヘ ン ノ モ ノ 小 学 教 則 ノ 能 ク 斉 整 ス ル ニ ア ナ キ ト 謂 フ モ 可 也 唯 皇 国 人 生 資 質 之 美 ナ ル ヲ 以 テ 幸 ニ シ テ 野 蛮 ノ 風 ヲ 免 ル ノ ミ 之 ヲ 以 テ 海 外 ト 相 並・馳 セ ッ ト ス 千 鞭 萬 策 不 可 不 加 宜 シ ク 急 二良 法 ヲ 求 メ テ 以 テ 教 育 之 道 ヲ シ テ 大 二世 二普 及 ナ ラ シ メ ス ン ハ ア ル 不 可 今 籍 二之 ヲ 考 フ リ 小 学 教 則 ノ・ 能 ク 斉 整 ス ル ユ ヘン ノ モ ノ 小 学 教 師 ノ ヨ ク 教 則 ヲ 維 持 シ テ 之 ヲ教 ユ ル ノ 正 シ キ ヲ 得 レ ハナ リ 夫 レ 師 ノ 西 洋 入 一人 ヲ 雇 人 レ 之 ヲ 教 師 ト ス へ ヘキ コト 一人 ヲ 置 ク コ ト 生 徒 二 拾 四 人 ヲ 入 レ 之 ヲ 助 教 ト ス ヘシ 同 九 拾 人 ヲ 入 レ 之 ヲ 生 徒 ト ス ヘ シ 助 教 ト 云 ヒ 生 徒 ト 云 其 実 ハ皆 生 徒 ナ リ 可 加 ノ 書 類 ハ 之 ヲ 加 へ以 テ 小 学 -右 助 教 ヨ リ 生 徒 二 授 ク ル ノ 問 教 師 之 ヲ 通 覧 シ 其 不 規 則 ナ ル 所 ア レ ハ 時 々 改 正 ヲ 加 フ 要 之 ス ル ニ 助 教 直 チ ニ 教 師 ヨ リ 傳 習 ヲ 受 ク ル ハ彼 レ ノ 成 規 ヲ 求 ル 也 助 教 生 徒 二 授 ク ル ハ 彼 ノ 成 規 ニ ョ リ テ 我 二 窩 ス モ ノ 也 但 此 間 我 小 学 ノ 教 法 ⋮種 良 善 ナ ル モ ノ ヲ 藤 シ 出 ス ヘ シ 之 ヲ 以 テ 小 学 教 師 ソ 植 成 シ 以 テ 四 方 二 分 派 シ 順 漸 興 張 ナ ラ シ ム ル ル 要 ス 一綴 法 字 一博 一算 一習 物 術 字 一化 一養 一単 学 生 語 一生 皿地 一会 理 学 話 一墨 }理 讃 書 学 本 一史 ↓修 学 身 共 教 授 ノ 目 大 賂 如 左 -文 一幾 何 學 壬 申 四 月 二 十 二 日 文 部 省 右 諸 件 之 義 今 般 奉 伺 候 学 制 中 略 其 意 ヲ 陳 述 ス未 夕其 允 可 無 之 候 得 共 前 文 中 述 候 通 教 育 之 道 ハ何 分 至 急 之 務 ニシ テ 此 儘 御 差 置 可 相 成 候 義 二有 之 間 敷 左 候 而 至 急 手 ヲ 下 シ 候 ハ 而 ハ 一 日 ノ 明 開 ヲ 妨 ケ 可 中 候 二 付 先 不 取 敢 此 段 奉 伺 候 也 24 生 徒 二於 ル形 ト 影 ト ノ 如 シ 形 不 直 シ テ 影 直 ナ ラ ン ヲ 求 ム ル モ 不 可 得 各 国 已 二師 表 学 校 ノ 設 ア リ 宜 シ ク 先 ツ 急 二師 表 学 校 ヲ 建 立 ス 可 シ 其 施 為 ノ 順 序 如 左 一 イ ロ ハ ニ 直 シ 彼 ノ オ ー ル ト ハ易 ル ニ 我 単 語 ヲ 以 テ シ 其 外 彼 ノ ロ 授 講 義 之 法 ヲ 始 メ ト シ テ 一切 彼 ノ 成 規 ニ ヨ リ テ 我 レ ノ 教 則 ヲ 掛 酌 シ 以 テ 之 ヲ 其 ノ 生 徒 二授 ク 小 学 校 可 用 書 籍 器 械 切 当 時 米 利 堅 二注 文 ス来 着 セ ハ其 採 ル ヘキ ハ反 詳 シ 更 二 教 師 二 拾 四 人 ノ 助 教 二教 授 ス ル ニ }切 西 洋 小 学 ノ 規 則 ヲ 以 テ ス 但 シ 通 辮 ニ テ 之 ヲ 解 澤 ス 右 九 拾 人 ノ生 徒 ヲ 六 組 二分 チ 其 萱 組 ヲ 助 教 四 人 ニテ 受 持 チ 教 師 ヨ リ 傳 習 ス ル所 ノ 規 則 ニ ヨリ 彼 ノ レ ッ テ ル ハ我 教 師 ト 生 徒 ト ノ 問 通 辮 亡 ππ π π 正 院 御中 教 育 之 道 ハ其 本 必 ス小 学 二成 ル 而 テ 小 学 ノ教 ノ能 ク 完 全 ナ ル ヲ得 ル ユ ヘン ノ モ ノ 小 学 教 則 ノ能 ク 斉 整 ス ル ニ ア リ 小 学 教 則 ノ 能 ク ρ ﹃学 制 百 年 史 ﹄ 二 三 五 頁 斉 整 ス ル ユ ヘン ノ モ ノ 小 学 教 師 ノ ヨ ク 教 則 ヲ 維 持 シ テ 之 ヲ 教 ユル ノ 正 シキ ヲ 得 レ バ ナ リ 夫 レ師 ノ 生 徒 二 於 ル 形 ト 影 ト ノ 如 シ 形 不 第 -巻 ﹄ 七 七 九 ∼ 七 八 -頁 直 シ テ 影 直 ナ ラ ン ヲ 求 ム 不 可 得 各 国 巳 二 師 表 校 ノ 設 ア リ 宜 シ ク 先 ツ 急 二 師 表 学 校 ヲ 立 ス ヘシ 。 ㊦ ﹃明 治 以 降 教 育 制 度 発 達 史 ル ヘ キ 人 ヲ 養 ヒ 候 義 第 }之 急 務 二有 之 且 外 国 二於 テ モ 師 範 教 育 所 ノ 設 ヶ 有 之 ニ ヨ リ 其 意 ヲ 取 リ 外 国 教 師 ヲ 雇 ヒ 彼 国 小 学 ノ 規 則 ヲ 今 般東 京 二於 テ 師 範 学 校ヲ 關 キ 候 師 範 学 校 ハ小 学 ノ 師 範 タ ル ヘキ モ ノ ヲ 教 導 ス ル 盧 ナ リ 全 体 人 ノ 学 問 ハ身 ヲ 保 ツ ノ 基 礎 ニシ テ 順 序 階 級 ヲ 誤 ラ ス 才 能 技 術 ヲ 成 長 ス ル ニ ア リ 依 テ 益 々 小 学 ヲ 開 キ 人 々 ヲ シ テ 務 デ 学 二就 カ シ ム ル ノ 御 趣 意 二 候 庭 差 向 小 学 ノ 師 範 タ ノ如 シ 取 テ 新 二我 国 小 学 課 業 ノ 順 序 ヲ 定 メ 彼 ノ 成 法 二 囚 テ 我 教 則 ヲ 立 テ 以 テ 他 日 小 学 師 範 ノ 人 ヲ 得 ン ト 欲 ス 今 立 校 ノ 規 則 ヲ 定 ム ル 事 左 一外 国 人 {人 ヲ 雇 ヒ 之 ヲ 教 師 ト ス ル 事 一生 徒 二 十 四 人 ヲ 入 レ 之 ヲ 師 範 学 校 生 徒 ト ス ル 事 ↓人 ヲ 置 ク 事 ↓ 別 二生 徒 九 十 人 ヲ 入 レ 之 ヲ 師 範 学 校 付 小 学 生 徒 ト ス ル 事 一教 師 ト 生 徒 ノ 間 通 辮 官 一教 師 二 十 四 人 ノ 生 徒 二 教 授 ス ル ハ 一切 外 国 小 学 ノ 規 則 ヲ 以 テ ス ル 事 二 依 リ 我 ノ 教 則 ヲ 斜 酌 シ テ 之 ヲ 小 学 生 徒 二授 ク 右 授 受 ノ 問 二 一種 良 善 ナ ル 我 小 学 教 則 ヲ 構 成 ス ヘ キ 事 一 二 十 四 人 ノ 生 徒 ハ 九 十 人 ノ 小 学 生 徒 ヲ 六 組 二 分 チ 其 一組 ヲ 四 人 ニ テ 受 持 チ 外 国 教 師 ヨ リ 傳 習 ス ル 庭 ノ 法 二 因 リ 彼 ノ ﹁レ ツ テ ル ﹂ ハ 我 ノ 假 名 二 直 シ 彼 ノ ﹁オ ー ル ド ﹂ ハ 我 ノ 単 語 二 改 メ 其 外 習 字 会 話 ロ 授 講 義 等 一 切 彼 ノ 成 規 二入 校 ノ節 成 一生 徒 ハ 麹 漢 通 例 ノ 書 及 ヒ 粗 算 術 ヲ 学 ヒ 得 テ 年 齢 二 十 歳 以 上 ノ 者 タ ル ヘ シ 然 レ モ 成 丈 ケ 勉 者 ヲ 選 ム ヘ キ 事 但 試 験 ノ 上 入校 差 許 ヘキ 事 一生 徒 ハ 都 テ 官 費 タ ル ヘ キ 事 但 二 十 四 人 ハ 一ケ 月 金 十 圓 宛 九 十 人 ハ 一ケ 月 金 八 圓 宛 ノ 事 業 ノ上 必 ス教 育 二従 ス ヘキ 謹 書 ヲ 出 ス ヘキ 事 一生 徒 入 校 成 業 ノ 上 ハ他 途 ヨ リ 出 身 ス ル ヲ 貨 セ ス 小 学 幼 年 ノ 生 徒 ヲ 教 導 ス ル ヲ 以 テ 事 業 ト ス ヘ シ故 七 八 一頁 一成 業 ノ 上 ハ免 許 ヲ 興 フ 速 二之 ヲ 採 用 シ 四 方 二 分 派 シ テ 小 学 生 徒 ノ 教 師 ト ス ヘ キ コ ト 右 之 通 相 定 メ 師 範 学 校 不 遠 開 校 相 成 候 間 御 趣 意 ヲ 奉 認 シ 生 徒 タ ル ヘキ 志 顯 有 之 者 ハ来 ル 七 月 晦 日 迄 其 地 方 磨 ヲ 経 テ 当 省 へ 可 願 出 候事 ㊧右 に 同 つ右 に 同 の右 に 同 七 九 二頁 文部 省布 達第 五号 今 般 第 二 大 学 区 愛 知 県 下 第 四 大 学 区 広 島 県 下 第 五 大 学 区 長 崎 県 下 第 六 大 学 区 新 潟 県 下 二於 テ 師 範 学 校 設 立 致 候 條 此 旨 布 達 候 事 但 生 徒 募 集 ノ 方 法 等 ハ迫 テ 相 達 可 申 事 田右 に 同 文 部 省布達 第 八号 今 般 第 四 大 学 区 広 島 師 範 学 校 へ生 徒 百 名 ヲ 限 り 学 業 試 験 ノ 上 入 校 差 許 候 條 左 ノ 通 相 心 得 志 願 ノ 者 ハ 別 紙 雛 形 ノ 添 書 等 持 参 末 ル 四 月 十 五 日 ヨリ 同 月 三 十 日 限 り 同 校 へ可 願 出 此 旨 布 達 候 事 25 一生 徒 ハ皇 漢 通 例 ノ 書 及 ヒ 粗 算 術 ヲ 学 ヒ 得 タ ル 者 ニ シ テ 年 齢 廿 歳 以 上 三 十 五 歳 以 下 タ ル へ午 事 一体 質 壮 健 ニ シ テ 已 二 種 痘 天 然 痘 ヲ ナ セ シ 者 二 非 サ レ ハ入 校 ヲ 許 サ 、 ル 事 一入 校 ノ 生 徒 ハ 初 メ 之 ヲ 下 等 生 ト ナ シ 学 箭 ノ 進 歩 二 囚 リ テ 上 等 生 ト ナ ス ヘ キ 事 一生 徒 学 資 金 ハ 宮 費 フ 以 テ 上 等 生 ハ -ケ 月 金 拾 圓 下 等 生 ハ 一ケ 月 金 八 圓 給 ス ヘ キ 事 一成 業 ノ 上 ハ専 ラ 小 学 ノ 生 徒 ヲ 教 導 ス ル ヲ 以 テ 事 業 ト ス ヘ シ 故 二 入 校 ノ 節 成 業 ノ 后 必 ス 教 員 二 奉 事 ス ル ノ 謹 書 ヲ 出 ス ヘ キ 事 但 父 母 ノ 病 気 等 不 得 止 ノ 事 情 ハ 此 限 二非 ラ ス 一入 校 ノ 上 半 途 退 校 ハ 勿 論 館 郷 等 決 シ テ 許 サ 、 ル 事 一成 業 ノ 上 ハ免 許 状 ヲ 興 へ 之 ヲ 各 地 二 派 遣 シ テ 小 学 訓 導 二 任 ス ヘキ 事 -o 右 に 同 七 九三頁 文部省 布達 第 九号 今 般 第 一大 学 区 東 京 府 下 二於 テ 女 子 師 範 学 校 設 立 致 候 條 此 旨 布 達 候 事 但 生 徒 募 集 ノ 方 法 等 ハ 迫 テ 可 相 達■ 事 行 状 正 ク シ テ 尋 常 普 通 ノ 書 ヲ 講 読 シ 略 算 術 ヲ 学 ヒ タ ル モ ノ ニ 非 サ レ ハ 試 験 二中 ル ヲ 得 ス 一 第 m右 に 同 八 八 二∼ 人 八 三 頁 文 部 省 布 達 第 二 十 一号 各 地 方 二於 テ 小 学 教 員 タ ラ ン ヲ 欲 ス ル 者 ハ 大 学 区 本 部 官 立 師 範 学 校 於 テ 学 業 試 験 ノ 上 小 学 訓 導 タ ル ヘキ 謹 書 可 相 興 候 條 志 願 ノ 者 ハ左 ノ條 相 心 得 其 地 方 便 宜 ノ官 立 師 範 学 校 へ可 申 出 此 旨 布 達 候 事 (書 式 三 号 ) ヲ 附 興 ス ヘ シ 試 験 ハ該 校 教 則 ノ全 科 ヲ 以 テ シ 尚 付 属 小 学 ノ 生 徒 二接 セ シ メ 実 際 授 業 ノ方 法 フ試 ム ヘ シ 年 齢 ハ大 約 二 十 年 以 上 タ ル ヘ シ 試 験 二 中 ル 者 ハ 学 カ ニ 応 シ テ 第 ﹁等 第 二 等 第 三 等 ノ 謹 書 体 質 壮 健 且 種 疸 或 ハ天 然 痘 為 セ シ 者 二非 サ レ ハ試 験 ユ 中 ル ヲ 得 ス 故 二 参 校 ノ 時 先 讐 員 ヲ シ テ 検 査 セ シ ム 謹 書 ヲ 得 ン ト 欲 ス ル 者 ハ 保 謹 書 (書 式 一 号 ) 及 ヒ 履 歴 書 (書 式 二 号 ) ヲ 以 該 校 へ 申 出 ヘ シ 試 験 ノ 日 限 ハ其 時 々 該 校 ヨ リ 報 告 ス ヘ シ 第 二 第 三 第 五 第 六 第 四 第 七 ・資 格 に つ い て 定 め た 章 は 以 下 の 通 り で あ る 。 ヲ 許 サ 又 小 学 教 員 ハ男 女 ヲ 論 セ ス 年 齢 二 十 歳 以 上 ニ シ テ 師 範 学 校 卒 業 免 状 或 ハ中 学 免 状 ヲ 得 シ モ ノ ニ 非 サ レ ハ 其 任 二 当 ル 教 員 の 規 定 (第 -号 書 式 及 第 二 号 書 式 略 ) 第 三 号書式 用紙 鳥 ノ子 紙四 ツ切 第 四 十 章 切 ﹃学 制 の 研 究 ﹄ 六 二 六 頁 大 学 校 教 員 ハ 学 士 ノ 称 ヲ 得 シ モ ノ ニ非 サ レ ハ 許 サ ス ヲ 許 サ ス 第 四 十 一章 中 学 校 教 員 ハ 年 齢 二 十 五 歳 以 上 ニ シ テ 大 学 免 状 ヲ 得 シ モ ノ ニ非 サ レ ハ其 任 二 富 ル 第 四 十 二章 第 四 十 五 章 小 学 教 員 ハ男 女 ノ 差 別 ナ シ 其 才 ニ ョ リ 之 ヲ 用 フ ヘ シ 督 学 局 二出 ス ヘシ 師 範 学 校 二於 テ 教 授 ヲ 受 ケ タ ル 教 員 ハ 他 ノ 職 務 ヲ 兼 ネ 及 他 二轄 ス ヘカ ラ サ ル ヲ 法 ト ス 以 上 三 章 ハ其 目 的 ヲ 示 ス 数 年 ノ 後 ヲ 待 テ 之 ヲ 行 フ ヘ シ 、 後 章 ハ 現 今 ノ 位 ニ シ 応 シ テ 之 ヲ 許 ス モ ノ ト ス 第 四 十 三 章 私 学 私 塾 及 家 塾 ヲ 開 カ ン ト 欲 ス ル 者 ハ其 属 籍 倥 所 事 歴 及 学 校 ノ 位 置 教 則 等 フ詳 記 シ 学 区 取 緑 二出 シ 地 方 官 ヲ 経 テ 第 四 十 六 章 瑚 ﹃教 師 の 歴 史 ﹄ 一 三 四 頁 て い た 所 で あ る 。 不 完 全 な 教 員 養 成 所 と み な さ れ て い た の は 、 小 学 校 教 員 伝 習 所 、 小 学 講 習 所 、 師 範 講 習 所 、 あ る い は 伝 習 学 校 、 養 成 校 と 呼 ば れ 26 揃右 に 同 掛右 に 同 二八 〇頁 二九 頁 27 第 二章 第 一節 ﹁学 制 ﹂ か ら 明治 十 二年 ﹁教 育 令 ﹂ へ の 移 行 ﹁教 育 令 ﹂ 頒 布 学 制 は 、 日 本 最 初 の 公 教 育 の 組 織 化 と 管 理 の 原 則 を 定 め た も の で あ り た が 、 欧 米 諸 国 の教 育 制 度 を モデ ル に ﹁学 制 ﹂ で あ る が 、 授 業 料 等 の 問 題 な ど で 民 衆 の 不 満 は 暴 動 な し た 、 あ ま り に 雄 大 か つ理 想 的 に 構 想 さ れ た 教 育 計 画 で あ った こ と は 前 章 で も 述 べ た 。 全 国 民 を 対 象 と し 、 統 一し た 教 育 を 施 す た め に 満 を 持 し て 発 せ ら れ た ど の 形 と し て 現 わ れ て い っ た 。 そ れ 以 外 に も 種 々 の 問 題 に よ つ て 、 ﹁学 制 ﹂ 改 正 の 動 き は 、 学 制 後 期 か ら 始 ま っ て い っ た 。 そ し て 、 ﹁学 制 ﹂ 頒 布 か ら わ ず か 七 年 足 ら ず で ﹁教 育 令 ﹂ が 頒 布 さ れ る こ と と な る 。 こ の 章 で は 、 ﹁教 育 令 ﹂ 頒 布 ま で の 過 程 や 、 改 正 に 至 った 理 由 に つ い て 考 察 し て い き た い 。 ﹁自 由 教 育 令 ﹂ で あ る 。 就 学 義 務 年 (義 務 ) 年 限 の 短 縮 と 画 一的 教 則 の 緩 和 の 措 学 制 に対 す る 民衆 の不 満 と 抵 抗 が 、 不 就 学 、 中 途 退 学、 学 校 焼 き 打 ち な ど と いう 形 で表 さ れ る よう にな り、 政 府 は、 明 冶 十 年 頃 か ら 学 制 政 策 の手 直 し を 開 始 し、 と く に就 学 置 が 実 施 さ れ た 。 後 で詳 し く 述 べ るが 、 こ の 手直 しが 十 二年 年 の いわ ゆ る 限 は 八 年 か ら 一挙 に 年 間 四 カ 月 以 上 四 年 間 、 つ ま り わ ず か 一六 ヵ 月 に 短 縮 さ れ た 。 学 科 も 簡 略 化 さ れ 、 学 校 以 ﹁農 村 の 近 代 化 に 大 き な 歴 史 的 役 割 を は た し た が 、 外 の 形 で 普 通 教 育 を う け る 術 や 、 学 務 委 員 の 公 選 制 、 授 業 料 徴 収 の自 由 化 な ど が 認 め ら れ た 。 不 満 と 抵 抗 は 農 村 部 ま で広 ま ってお り、 倉 澤 氏 によ れば と 述 べて いる。 せ っ か く 設 立 し た 小 学 校 も 教 則 政 策 の 失 敗 か ら 実 地 に 役 立 つ教 育 を も り あ げ る こ と が で き ず 、 人 民 の 不 満 と 苦 情 が 甚 だ し か った 。 9 こ のよ う な 情 勢 か ら 、 学 制 全 般 を 検 討 し て 、 改 革 す べき であ ると の要 望 が 次 第 に 強 く 起 こ ってき た 。 さ ら に 十 年 代 の初 め こ ろ は 国 民 思 想 の転 換 期 で も あ り 、 維 新 以 来 の 文 明 開 化 の 風 潮 を 批 判 し て 、 伝 統 的 な 国 風 を 尊 重 し た 復 古 思 想 が 興 隆 し 始 め た 。 ま た 西 南 の 役 後 は 一応 国 内 の 政 治 的 統 一が 行 わ れ た が 、 そ の 反 面 自 由 民 権 運 動 が 盛 ん と な り 、 一方 財 政 面 で は 国 庫 財 政 が 行 き 詰 ま り 危 機 的 状 況 に 陥 っ て い た 。 こ の よ う な 諸 条 件 の 下 に 全 国 画 一的 な 学 制 を 改 め て 教 育 を 地 方 の 管 理 に ゆ だ ね よ う と す る 改 革 の 動 き が 生 じ て い た 。 そ こ で 文 部 省 で は 、 明 28 冶 十 年 に 文 部 大 輔 田 中 不 二 麻 呂 を 中 心 と し て 委 員 を 設 け 、学 制 の 改 正 に 着 手 し た の で あ る 。こ の 田 中 で あ る が 、 学 制を 改 革 す る に あ た って大 いに 尽力 した 人物 であ る。 学 制 は 画 一的 で 中 央 集 権 的 で あ る の に 、 田 中 は ア メ リ カ の 地 方 自 治 主 義 の 教 育 制 度 を 喜 び 、 日 本 の 教 育 も 地 方 の 自 治 に 任 す べ き で あ る と 考 え て い た の で 彼 個 人 と し て は 、 ﹁学 制 ﹂ の 中 央 集 権 的 な の に は 不 賛 成 で あ っ た 。 田 中 は 目 指 し た の は 教 育 の 自 由 化 で 、自 由 化 政 策 は 学 制 後 期 か ら 活 発 に 実 施 さ れ て い た の で あ る 。そ の 田 中 が 、 学 制 の改 革 す な わ ち 日本 教 育 令 案 の起 草 にと り く む のは 二 回 目 の海 外教 育 視 察 を おえ て帰 国 した 直 後 か ら であ ﹁学 監 考 案 日 本 教 育 法 ﹂ を 立 案 し た が 、 そ れ は 、 学 制 る 。 帰 国 し た 明 冶 十 年 一月 八 日 直 後 か ら 学 制 改 正 案 に 具 体 的 に 着 手 し て い っ た わ け だ が 、 当 時 、 文 教 政 策 の 最 高 顧 問 で あ った モ ル レー も 、 た だ ち に そ の 改 正 案 と し て 改 正 案 の 作 成 過 程 に お い て 貴 重 な 資 料 と し て 活 用 さ れ た と 考 え ら れ る 。 井 上 氏 に よ れ ば 、 ﹁田 中 は 、 い わ ば 改 革 ム ー ド の み な ぎ る な か に 帰 国 し た と い って よ い。 し か し 、 田 中 の 学 制 の 改 革 は 行 政 改 革 の 気 運 に お さ れ て 、 や む な く と り あ げ た の で は 、 も ち ろ ん な い。 学 制 の改 正 を ふ か く 期 し た 田 中 は 改 正 の 示 唆 を う る た め に 、 自 ら も と め て ア メ リ カ に わ た り 、 そ の 方 策 に 確 信 を え て 帰 国 し た も の と 察 せ ら れ る ω﹂。 改 革 の 方 向 も 協 議 さ れ 、 田 中 の 政 策 路 線 で あ る 自 由 化 政 策 で お お む ね 省 議 の 一致 を 見 た 。モ ル レ ー の 学 制 お よ び そ の 改 革 に つ い て の 見 解 も 、 田 中 の 見 解 と 一致 す る と こ ろ が あ っ た と 考 え ら れ る 。 田 中 は こ れ ら を 参 照 し 、 さ ら に 自 分 の 米 国 教 育 行 政 制 度 の 研 究 と 結 び あ わ せ て 法 令 案 の 起 草 を 進 め た 。 田 中 の 学 制 改 革 の 精 神 は 、 ﹁干 渉 か ら 自 由 ﹂ で は な く ﹁断 行 か ら 合 意 へ﹂ と 把 握 せ ね ば な ら な い 。 前 述 し た が 、 十 年 に 学 制 改 正 の 委 員 を お き 、 日 本 教 育 令 案 の準 備 に 着 手 し て い く 。 準 備 に 先 立 っ て 教 育 令 取 調 委 員 が 任 命 さ れ た の だ が 、 こ れ を は っき り さ せ る 史 料 は ま だ 極 め て 少 な い 状 況 で あ る 。 教 育 令 取 調 委 員 に は 文 部 本 省 の 奏 任 官 が 任 命 さ れ た 。 文 部 大 輔 田 中 不 二 麻 呂 、 文 部 小 輔 神 田 孝 平 、 文 部 大 書 記 官 九 鬼 隆 一、 お な じ く 牟 田 口元学 、 おな じく 西村 茂 樹 、 文 部 権 大 書 記官 辻新 次 、 おな じ く中 島 永 元、 おな じ く 野 村素 介 ら によ って 合 茜 的 に学 制改 正が 討 議 さ れ 、 文 部 少 書 記 官 浜 尾 新 や 文 部 権 少書 記官 久 保 田譲 な ど も 参 加 し た。 これ ら の人 々 が 教 育 令 取 調 委 員 に 任 命 さ れ 、 日 曜 日 毎 に 会 議 を 開 い た ㈲。 教 育 令 取 調 委 員 で あ る 西 村 、 九 鬼 、 神 田 、 野 村 、 辻 29 溺 明 治 十 年 か ら 十 一年 に か け て そ れ ぞ れ 行 っ て い る 地 方 学 事 の 視 察 は 、 学 制 施 行 の 地 方 的 実 態 に 照 ら し て 改 正 の 問 題 点 を さ ぐ る た め と 考 え ら れ る 。 彼 等 は 巡 視 を 通 し て 、 異 口 同 音 に 国 民 生 活 の現 実 に 即 し た 教 育 法 再 編 制 の 必 要 を 論 じ て い た 。 こ の こ と か ら も 、 日 本 教 育 令 は 決 し て 田 中 の 一人 舞 台 で は な か っ た こ と が わ か る 。 ﹁十 年 文 部 省 委 員 を 設 け 、 翌 十 一年 五 月 に 及 ん で 改 正 法 案 た る べ き 日 本 で は 、 教 育 令 の 原 案 は い つご ろ 成 案 を 見 る こ と に な った の か 。 倉 澤 氏 に よ れ ば 、 こ れ を 的 確 に つき と め る 史 料 は ま だ 見 当 ら な い。 田 中 文 部 大 輔 は ﹁日 本 教 育 令 ﹂ が 上 申 さ れ て い る 。 数 育 行 政 を 草 し ﹂ と 語 っ て い る か ら 、 今 は こ れ に よ っ て 教 育 令 の 文 部 草 案 が で き た の は 、 十 一年 五 月 と 解 す る こ と と す る ω。 そ し て 、 五 月 に は 新 し い 法 令 案 と し て の 文 部 省 は 、 明 治 十 一 年 五 月 十 四 日 を 以 て 教 育 令 草 案 を 上 奏 し て い る 紛。 奏 文 で は 、 教 育 令 制 定 の 精 神 を 明 確 に 示 し て し る 。 こ れ は 教 育 令 制 定 伺 の 本 文 と い え る も ので 、 こ こ で 学 制 を 廃 し て 教 育 令 を 定 め る こ と の 必 要 や 理 由 を は っき り さ せ る の が 妥 当 で あ る と 考 え ら れ る 。 し か し 田 中 は 学 制 の 条 歎 に は 加 除 訂 正 を 要 す る も の が あ る と い う だ け で 、 改 革 の意 図 と 方 策 を 少 し も 具 体 的 に 示 し て い な い 。 こ の 上 奏 文 に は 、 布 告 案 と 勅 諭 と 日 本 教 育 令 案 と を そ え て い る が 、勅 諭 (案 )は 学 制 の 披 仰 出 に も 相 当 す る も の で あ っ た が 、非 常 に 簡 単 な も の で あ っ た ⑥。 当 時 の 経 緯 に つ い て 田 中 は 、 後 に 次 の よ う に 語 っ て い る 。 ﹁学 制 発 布 以 後 賃 目 行 政 の 事 務 遂 次 緒 に 就 か ん と す る 際 、 各 地 方 の学 事 も 漸 く 勃 興 し 来 り 、 同 時 に 学 制 の條 款 も 世 運 の 進 度 に 感 じ 往 々加 除 訂 正 を 要 す る こ と と 少 な か ら ず 、 故 に 随 時 単 行 の 布 令 を 以 て 之 を 彌 縫 し 来 り し が 、 文 化 の 上 進 す る や 諸 般 の事 亦 従 っ て 推 移 さ ざ る を 得 ず 、 因 っ て 実 際 の 経 験 に 徴 し 遂 に 学 制 の 改 正 を 喚 起 す る に 至 れ り 。 十 年 文 部 省 に 委 員 を 設 け 翌 十 一年 五 月 に 及 ん で 改 正 方 案 た る べ き 日 本 教 育 令 を 草 し 、 同 月 十 四 目 を 以 て 予 は 之 を 上 奏 云 々 ω﹂。 ﹁当 今 ノ 時 次 に 日 本 教 育 令 は 、 法 制 局 に お い て 伊 藤 博 文 長 言 の も と で審 査 さ れ 、 大 幅 に 修 正 さ れ た 後 、 原 案 上 奏 か ら 約 九 ヵ 月 後 の 十 二 年 二 月 二 十 目 に 太 政 官 に 提 出 さ れ た ㈲。 そ の 際 の 上 申 書 の 一節 に は 、 審 査 し た と こ ろ 勢 二 治 当 ﹂ で な い 条 文 が あ っ た の で 修 正 し た こ と が 述 べ ら れ て い る 。 確 か に 、 こ の 一年 足 ら ず の 間 に 社 会 情 勢 は 激 変 し つ つあ っ た 。 翌 二 十 一目 、 伊 藤 参 議 か ら 上 申 さ れ た 教 育 令 改 正 之 俵 は 閣 議 に 提 出 し 、 裁 可 を う け た の ち 、 法 制 局 に よ っ て 30 修 正 さ れ た 教 育 令 案 は内 閣 原案 と し て元老 院 に下 付 さ れ る。 伊 藤 の上 申 書 に ﹁別 冊 ノ 通 良 二 起 草 ﹂ と あ る よ う に 、 目 本 数 育 令 案 全 七 十 八章 のう ち 、 そ の三 十 章 を 全 章 削 除 し、 四 章 を 他 に合 併 し、 さ ら に新 た な 五章 を作 定 し 、 結 局 文 部 省 案 よ り 二 十 九 章 も 少 な い 全 四 十 九 章 の 教 育 令 に 組 み か え ら れ 、 各 条 に 修 文 が 加 え ら れ て い る 紛。 削 除 さ れ た主 な も のに ついて 見 て いき た い。 文 部 卿 に 関 す る八 章 のう ち 六 章 を 削 り 、 地 方 官 に関 す る 三章 を 全 て 削 り 、 学 区 に 関 す る 三 章 の う ち 二 章 を 削 り 、 学 校 に 関 し て は 盲 学 校 と 聾 唖 学 校 と 改 善 学 校 の規 条 を 削 り 、 教 師 に 関す る 七章 のう ち 三章 を削 り 、 生徒 に 関 す る 二章 を 全 て削 り 、 教 員 研 修 会 と 教 育 議 会 さ ら に 幼 稚 園 と書 籍 館 の 規 条 を 全 て 削 り 、 雑 則 十 一章 か ら そ の 五 章 を 削 っ て い る 。 明 冶 十 二 年 四 月 二 十 二 日 に 、 ﹁教 育 令 布 告 案 ﹂ と し て 元 老 院 へ 下 付 さ れ た 。 元 老 院 は 第 一 三 六 号 議 按 と し て 教 育 令 布 告 案 を 審 議 し 、 五 月 二 十 日 第 一読 会 、 六 月 六 日 、 十 三 日 、 十 七 日 、 十 九 日 、 二 十 目 、 二 十 三 日 第 二 読 会 、 た だ し 二 十 日 は 出 席 議 官 定 数 を わ っ て 流 会 、 六 月 二 十 五 目 第 三 読 会 を 開 き 、 合 わ せ て 七 回 の 会 議 を も つて 審 茜 を つく し 、 元 老 院 修 正 の 教 育 令 布 告 案 全 四 十 七 章 を 上 奏 し た 。 そ し て六 月 二十 五 日に 、教 育 令 案 の議定 を 終 え た 元老 院 は修 正 の条 項 を 整 え 院 議 を 適 要 した 修 正事 由書 を そ え て 七 月 九 日 に 上 奏 す る 。 元 老 院 修 正 教 育 令 案 を 法 制 局 が 審 査 し 、 そ の 修 正 を 了 承 し て 教 育 令 の布 告 を 上 申 し た の は 、 七 月 十 九 日 であ る 。 教 育 令 は 九 月 二 十 九 日 に 太 政 官 布 告 第 四 十 号 を も っ て 公 布 さ れ る が 、 そ の 間 、 ニ ケ 月 余 が 過 ぎ て いる 。 そ の原 因 は宮 中 であ る 。 明 治 天 皇 は教 育 令 の裁 可 を 長 く 留 保 し て いた だ け で なく 、 侍 講 元 田 永 孚 ら の意 見 を 入 れ て、 学 制 改 革 を 期 に 政 府 の 主 知 主 義 的 教 育 政 策 の 転 回 す な わ ち 道 徳 主 義 的 な 国 民 教 育 (十 二 年 十 月 十 三 日 ) す る な ど 、 か な り の 曲 折 が あ っ た こ と も 見 逃 せ な い 。 九 の 再 編 成 を 望 ん で い た 。 天 皇 の考 え を 動 か し た の は 元 田 永 孚 で あ る 。 ま た 、 政 府 に 対 す る 天 皇 側 近 の 発 言 を 封 ず る た め に 侍補 制 度 を 断 然廃 止 月 十 目 、 空 席 だ った 文 部 卿 に 寺 島 宗 則 を あ て た の は 、 文 部 大 輔 田 中 不 二 麻 呂 に 対 す る 宮 申 の 強 い 風 あ た り を 防 ぎ 、新 文 部 卿 も 承 認 す る政 府 原案 教育 令 は も は や 動 か し が た い こと を 示 そ う と す る も のだ と 考 え ら れ る。 田中 の 草 定 に 基 づ く と は い え 、 す で に 法 制 局 と 元 老 院 の 審 議 を へて 修 正 さ れ 、 内 閣 の 布 告 案 と し て 上 奏 さ れ て い た 教 育 令 案 が 、 宮 中 側 近 の も の い い に よ って 棚 上 け さ れ る こ と は 、 政 治 の 本 筋 を ゆ が め る だ け で な く 、 も つと も 31 政 府 の威 信 に 関 わ る か ら で あ る 。 新 文 部 卿 寺 島 も 原 案 に 異 議 が な い と す れ ば 、 裁 可 を の ば す こと は 穏 や か で な い。 す な わ ち 、 二 十 四 目 に裁 可 さ れ 、 二十 九 日 に 公布 さ れ た と いう こと だ ろう 。 文 部 省 か ら 出 さ れ た 日 本 教 育 令 は 、 文 部 卿 ・地 方 官 ・学 区 ・学 区 委 員 ・学 校 ・学 齢 ・学 資 ・ 小 学 校 補 助 金 ・ 学 校 廃 置 ・学 校 巡 視 ・学 事 申 報 ・ 公 立 師 範 学 校 ・教 員 ・生 徒 ・ 巡 回 授 業 ・教 育 議 会 ・幼 椎 園 ・書 籍 館 ・ 雑 則 の 各 項 に わ た って 七 十 八 章 か ら な っ て い た 。 し か し 、 教 育 令 案 で 全 四 十 九 条 と 圧 縮 さ れ 、 地 方 分 権 主 義 の 性 格 が 一層 強 化 さ れ て い っ た 。 さ ら に 元 老 院 の 修 正 案 で 四 十 七 条 へ と 次 第 に 条 章 は 簡 略 化 に な っ て い き 、 一 層 と 自 由 主 義 の 要 素 が 強 ま っ て い った 。 だ が 井 上 氏 は 、 条 章 が 縮 小 さ れ た か ら と い っ て 自 由 化 を 意 味 す る わ け で は な い と 述 べ て い る ⋮。 次 に 審 議 さ れ る 過 程 で削 除 さ れ た も のに つい て見 て いき た い。 日本 教 育 令 案 の特 質 で規 案 で の中 で、 国家 ノ 福 祉 ハ 人 民 ノ 才 識 ト 徳 行 二 根 セ リ 云 々 ﹂ (第 二 章 ) ﹁生 徒 ヲ シ テ 道 徳 ノ 性 情 ヲ 函 養 シ 、 愛 国 ノ 主 義 ヲ 銘 記 セ シ ム ル ハ 、 特 二 教 員 ノ 注 意 ス ヘ キ 者 ト ス ﹂ (第 五 十 六 章 ) ﹁生 徒 ハ 従 順 ニ シ テ 教 員 ヲ 尊 敬 シ 、 其 指 示 二 悼 ラ ザ ル ベ シ ﹂ (第 六 十 一 章 ) ⋮も 削 除 さ れ 、 徳 行 、 道 徳 、 愛 限 、 従 順 、 尊 敬 な ど 道 徳 的 心 情 に 関 す る 規 定 を 含 む も の は 一 切 削 除 さ れ て い る 。 同 時 に 小 学 校 の 教 科 科 目 も 大 い に 減 少 さ れ た 。 読 書 ・習 字 ・算 術 ・地 理 ・歴 史 ・修 身 等 の 初 歩 ﹁学 制 ﹂ 以 来 の 実 用 主 義 を 受 け 継 と し 、 土 地 の 情 況 に よ り 罫 書 ・唱 歌 ・ 体 操 等 を 加 へ 、 物 理 ・生 理 ・博 物 等 の 概 要 を 加 へ 、 女 児 の 為 に 裁 縫 を 加 へた 。 こ う し て 日 本 の 教 育 制 度 は 画 一を 捨 て た が 、 し か し 内 容 は 依 然 と し て い で い た 。 こ の こ と か ら も 、 学 制 が い か に 画 期 的 な 法 令 で あ った か を 知 る こ と が で き る 。 学 制 はわ ず か 七 年 余 で改 正 さ れ る わ け だ が 、 文 部 省 の改 正 理 由 と し て は元 老 院 に下 付 さ れた 時 に 具体 的 に表 明 さ れ て い る 。 こ れ に よ っ て 、 文 部 省 側 の 改 正 理 由 は 始 め て 具 体 的 に 表 明 さ れ た 。 第 一に 、 学 制 中 大 中 学 区 の 区 分 や 学 校 の 設 置 目 標 な ど は 今 日 必 要 が な い か ら 廃 止 に す る こ と 。 第 二 に 、 学 制 中 補 助 金 費 目 ・中 報 書 式 ・海 外 留 学 生 規 則 ・学 位 称 号 授 与 規 則 な ど は 文 部 卿 の 権 限 で 定 め る こ と が で き る か ら 廃 止 。 第 三 に 、 学 制 中 学 校 費 目 ・受 業 料 等 差 ・学 校 規 則 な ど は 地 方 宮 又 は 各 学 校 の 制 定 に ま か せ る べ き も の だ か ら 廃 止 。 以 上 の 三 点 が 学 制 中 削 除 す べき 箇 所 だ と いう のだ が 、 しか し 格 別 これ を 削 除 しな い でも 当 面 の教 育 施 策 に差 し支 え が あ る と も思 32 わ れ な い 。 と こ ろ が 倉 澤 氏 に よ れ ば 、 ﹁地 方 に お い て 、 学 事 巡 視 ・ 公 立 師 範 学 校 ・幼 稚 園 な ど す で に 着 手 し た も の 、 ま た 学 校 所 属 の 土 地 免 除 、 或 い は そ の教 旨 が 国 安 を 害 す る と 認 め ら れ る と き に は こ れ を 禁 止 す る な ど 、 当 面 必 要 な 事 柄 は 新 た に 加 え な け れ ば な ら ぬ 留 、 と い う の で あ る 。 文 部 省 の 首 脳 部 が 改 正 に 踏 み 切 った 理 由 と し て は 、 修 業 年 限 の 短 縮 、 教 則 の自 由 化 、 私 立 小 学 の 自 由 化 、 就 学 義 務 の 緩 和 な ど 、 学 制 後 期 以 来 文 部 省 が お し す す め. て き た 自 由 化政 策 を 法 的 に 基 礎 づ け る た め で は な い か と 考 え ら れ る 。 前 章 で述 べ た よ う に 、 五 年 の学 制 に よ っ て 国 民 教 育 制 度 が 確 立 さ れ た 。 し か し 、 学 制 の 理 想 が あ ま り に も 高 す ぎ で 、 さ ら に 画 一過 ぎ て 当 時 の 国 力 や 民 情 に 適 す こ と が 出 来 な か っ た 。 し か も 、 半 ば 強 制 的 に 実 施 し よ う と し た 為 に 干 渉 が 度 を 過 ぎ 、 地 方 の 経 費 を 増 大 し 、 種 々 の弊 害 が 生 じ て 不 平 の 声 が 出 て き た の で 、 十 二 年 に 政 府 は 学 制 を 廃 止 し て新 た に 教 育 令 を 制 定 す る こ と に な った の で あ る 。 こ の 教 育 令 は 、 今 節 で も 述 べ た よ う に 干 渉 的 よ り む し ろ 自 由 放 任 的 で あ った 。 以 上 のよ う に述 べ てき た よ う に 、 教育 令 は 、 十 二年 五 月 二十 九 日大 政 官 布 告 と し て公 布 さ れ た 。 そ れ は、 わ ず か 四 七 条 か ら な り 、 主 と し て 初 等 教 育 の組 織 化 と 管 理 に つ い て 規 定 し 、 就 学 義 務 を 緩 和 す る な ど 、 国 民 の生 ﹃教 育 令 の 研 究 ﹄ 講 談 社 -九 七 五 年 十 九 頁 -九 六 九 年 一六 四 頁 活 実 態 に 即 す る と 同 時 に 、全 体 と し て 自 由 主 義 を 基 調 と し て い た の で 、﹁自 由 教 育 令 ﹂と も 一 般 に 呼 ば れ て い る 。 ω倉 澤 剛 ﹃近 代 日 本 教 育 法 の 成 立 ﹄ 風 間 書 房 改 革 ム ー ド が み な ぎ つ て い た こ と は 、 文 部 省 学 第 百 一七 号 を も っ て 一月 二 十 六 日 に 法 制 局 あ て 回 答 さ れ た 文 書 に は 、 す で に 学 制 幻井 上 久 雄 一四 頁 江 木 千 之 は 後 年 そ の ﹁経 歴 談 ﹂ で 、 当 時 の 状 況 を 次 の よ う に 語 っ て い る 。 の 改 正 に 言 及 し 、﹁学 制 之 儀 当 省 於 改 正 之 見 込 取 調 追 テ 稟 申 ス ヘ キ 件 有 之 ﹂と 明 言 し て い る 。 と い う こ と か ら も 知 る こ と が で き る 。 ﹁文 部 で は 数 年 前 よ り し て 、 教 育 令 取 調 会 を 開 い て 、 当 時 の 文 部 本 省 の 奏 任 官 を 以 て 其 会 員 と し 、 日 曜 日 毎 に 会 議 を 開 い て 、 教 訂 ﹃教 育 令 の 研 究 ﹄ 二 〇 ∼ 二 -頁 育 制 度 の 案 を 作 った の で あ っ た 云 々 ﹂ 心右 に 同 二 五 頁 教 育 令 草 按 ヲ上 奏 ス ル ノ 議 厨右 に 同 学 制 頒 布 以 降 藪 二 五 閲 年 教 育 ノ 途 漸 ク 開 ケ 奎 文 ノ 景 象 ヲ 社 会 二 現 シ 、 ハ 、固 ヨ リ 気 運 ノ 然 ラ シ ム ル 所 ト 錐 モ 畢 寛 其 功 ヲ 学 制 ノ カ ニ ノ 條 欺 二 就 キ 反 復 審 査 シ テ 之 ヲ 目 下 ノ 情 況 二 照 シ 之 ヲ 将 来 ノ 進 度 二 測 レ ハ 往 々 加 除 訂 正 ヲ 要 ス ヘ キ モ ノ ア リ 、於 是 乎 臣 等 ノ 嘗 テ 実 欝 セ サ ル コ ト ヲ 得 ス 、 顧 フ ニ 世 ノ 開 明 二 赴 ク ヤ 百 般 ノ 事 徒 二 株 守 ヲ 用 ヰ ス 措 置 時 二 随 フ ハ 施 政 上 敏 ク 可 ラ サ ル ノ 緊 務 タ リ 、今 学 制 33 ㈲ ヲ 上 奏 シ謹 テ 進 止 ヲ 取 ル -年 五 月 十 四 日 上 奏 文 に 添 え ら れ た と い って も 、 簡 単 な 文 部 大 輔 田 中 不 二 麻 呂 一、 二 行 の も の で あ っ た 。 験 セ シ 所 ヲ 参 シ 更 二教 育 方 法 ノ 要 領 七 十 八 項 ヲ 提 出 シ 、且 名 称 ノ 妥 当 ナ ラ ン コト ヲ 欲 シ 改 メ テ β 本 教 育 今 ト 題 ス 、因 リ テ 草 按 明 治 十 ﹃近 代 日 本 教 育 法 の 成 立 ﹄ 一 四 六 頁 一冊 朕 惟 フ ニ 、 民 生 ノ 慶 幸 ヲ 保 佑 シ 、 世 道 ノ 昭 明 ヲ 賛 褻 ス ル ハ 、 教 育 ヲ 恢 宏 ス ル ニ在 り 。 伽 テ 今 、 教 育 令 ヲ 裁 定 シ 、 之 ヲ 頒 布 セ シ ム。 汝 衆 庶 、 其 斯 旨 ヲ躰 セ ヨ ω ﹃教 育 令 の 研 究 ﹄ 一 三 頁 ω ﹃近 代 日 本 教 育 法 の 成 立 ﹄ -七 八 頁 参議伊 藤 博文 明 治 十 二年 二月 二十 日 明 冶十 二年﹄ 原書 房 }九 七 五 年 七 五∼ 七 八頁 文 部 省 ヨリ 教 育 令 改 正 ノ儀 上 申 相 成 、 遂 審 査 候 処 、当 今 ノ時 勢 二適 当 難 致 侯 条 モ 有 之 候 二付 、別 冊 ノ 通 更 二起 草 仕 、同 省 ヘ モ照 会 第 二巻 ノニ 遂 協 議 候 。 至 急 元 老 院 議 定 二被 付 度 、 仰 高 裁 候 也 ㈲ 内 閣 官 報 局 偏 ﹃法 令 全 書 太 政官 布告第 四〇号 一八 〇 頁 期 ﹃近 代 日 本 教 育 法 の 成 立 ﹄ 11 右 に 同 拗 ﹃教、 育 令 の研 究 ﹄ 三 六 頁 34 第 二節 教 育 令 の意 図 と 内 容 書 籍館 幼 稚園 教育 議会 巡回授業 生 徒 教 員 公立 師 範 学 校 学事申報 学 校 巡視 学校 配置 小学 校 補 助 金 学資 学令 学校 学 区 委員 学 区 地方官 文部卿 第 六 十 八 章 ∼ 第 七 十 八章 第 六 十 七 章 第 六 十 六 立 早 第 六 十 四章 ∼ 第 六 十 五章 第 晶 ハ十 一 二立 早 第 六 十 一立 早∼ 第 六 十 二 立 早 第 五 十 四章 ∼ 第 六 十章 第 四 十 九章 ∼ 第 五 十 三章 第 四 十 六章 ∼ 第 四 十 八章 第 四 十 四章 ∼ 第 四 十 五章 第 四 十 一立 早∼ 第 四 十 一 二立 早 第 三 十 七章 ∼第 四 十章 第 一 二 十 =一立 早∼ 第 一 二十 六 立 早 第 二 十 九章 ∼第 三十 二章 第 十 十 七章 ∼第 二十 八章 第 十 五章 ∼第 十 六章 第 十 二章 ∼第 十 四章 第 九 章 ∼ 第 十 一章 第 一章 ∼ 第 八 章 全 十 一章 ω 全 一章 全 一章 全 二章 全 一章 全 二章 全 七章 全 五章 全 三章 全 二章 全 三章 全 四章 全 四章 全 四章 全 十 二章 全 二章 全 三章 全 三章 全 八章 日 本 教 育 令 は 十 九 項 目 全 七 八 章 か ら な る 。 各 項 目 、 章 の内 訳 は 以 下 の 通 り で あ る 。 雑則 35 学 制 の給 貸 生 公 撰 生 に関 す る規 定 (第 百 十 章 ∼ 第 百 五 十 三 章 )、 神 宮 僧 侶 学 校 の 事 (第 百 五 十 四 章 ∼ 第 百 五 (第 五 十 二 章 ∼ 第 五 十 七 章 )、 海 外 留 学 生 規 則 の 事 (第 五 十 八 章 ∼ 第 八 十 八 章 )お よ び 学 制 二 編 の海 外 留 学 生 規 則 十 八 章 )、貸 費 生 規 則 (第 百 六 十 章 ∼ 第 百 七 十 六 章 )、学 士 称 号 に か ん す る 規 定 (第 百 八 十 二 章 ∼ 第 百 八 十 人 章 )、 専 門 学 校 す な わ ち 外 国 語学 校 、 獣 医学 校、 商 業 学 校 、農 業学 校 、 工 業 学 校 、 鉱 山 学 校 、 諸 芸 学 校 、 理 学 校 、 医 学 校 、法 学 校 な ど に 関 す る 規 定 は 日 本 教 育 令 案 か ら は 削 除 さ れ た ω。こ の よ う に 学 制 に 比 べ て 簡 略 化 さ れ た の は 、 教 育 令 は教 育 制度 の根 本 を 規定 す るも の であ って、 制定 以 降 に 特 に改 正 を 必 要と しな いよ う に条 文 を 整 え よ う ﹁教 育 令 ﹂ の 内 容 で あ る が 、 大 中 小 の 学 区 制 を 全 廃 し 、 学 校 の 種 類 を 小 学 校 ・ 中 学 校 ㈲・大 学 校 ・師 範 学 と し た た め であ る 。 次 に ﹁教 育 令 ﹂ で は 四 年 間 毎 年 最 小 校 ・専 門 学 校 そ の 他 各 種 学 校 と し た 。 ま た 学 区 取 締 を 止 め 、 こ れ に 代 る 学 務 委 員 を 設 け た 。 さ ら に 学 齢 児 童 の 義 務 年 限 は ﹁学 制 ﹂で は 明 記 さ れ て は い な か っ た が 、 八 年 と 見 な さ れ て い た の を (主 と し て 寺 子 屋 を 指 す の で あ ら う ) が あ れ ば 、 公 立 小 学 校 を 設 け な く て も よ い 事 と し 、 児 童 も 小 学 校 に 入 限 を 四 ヶ月 、 計 十 六 ヶ 月 に 短 縮 し た 。 小 学 校 は 一町 村 単 独 或 は 数 町 村 併 合 し て 設 け る べ き で あ る が 、 私 立 小 学 校 ら な く て も 普 通 教 育 を 受 け る 術 が あ る 者 は 、 小 学 校 へ就 学 し た も の と 見 な す こ と と し た 。 そ の 他 の 規 定 は 大 網 を 示 す に 止 り 、 殊 に 専 門 学 校 に つ い て は 名 称 を 示 し た だ け で 府 県 並 び に 町 村 の 自 由 な 経 営 に 一任 し た 。 ま た 多 く の 条 章 が 、 小 学 校 に 関 す る も の で あ った 。 そ れ は 、 小 学 校 を 整 備 す る こ と に よ っ て 、 国 民 教 育 の 基 礎 を 確 立 し よ う と し て いた た め であ ると 考 え ら れ る。 自 由 を 基 礎 と し て い た 教 育 令 で あ った が 、 当 時 の 人 々 は 自 治 に つ い て 全 く 理 解 が な か っ た の で そ の 意 味 を 誤 解 し た 。 人 々 は 政 府 が 教 育 の 振 興 を 中 止 し た と 信 じ 、 小 学 校 を 廃 し 、 あ る い は 数 校 を -つ に 併 合 し て 負 担 を 減 ら そ う と し て い た 。 父 兄 も 子 女 の教 育 を 怠 る よ う に な り 、 文 部 省 の 予 想 は 外 れ て 教 育 は ま た た く 問 に 衰 え 始 め た 。 小 学 校 で 例 を と る と 、 学 校 の 総 数 は 減 っ て い な い が 、 増 加 率 は 著 し く 減 っ た 。 明 治 六 年 か ら 十 一年 ま で 年 平 均 二 千 八 百 校 を 増 し て い る の に 対 し 、 十 二 年 に は 僅 か に 四 四 一校 、 十 三 年 に は 三 八 一校 し か 増 え て い な い 。 小 学 枚 の 児 童 の 就 学 割 合 は 明 か に 減 退 し 、 十 一年 に は 四 一 ・ 二 六 % で あ る の に 、 十 二 年 に は 四 一 ・ 一 六 % 、 十 36 三 年 に は 四 一 ・ 〇 五 % に 下 が っ た ω。 日 本 教 育 令 の 特 質 で あ る が 、 第 一の 特 質 は 初 等 教 育 を 中 心 と し た 構 成 に あ る 。 初 等 教 育 の 普 及 と 充 実 の た め に 公 立 師 範 学 校 に 関 す る 規 定 や 教 員 に 関 す る 規 定 あ る い は 巡 回 授 業 に 関 す る 規 定 な ど 、 学 制 に 比 べ て 一層 詳 細 に な る と 同 時 に 、 新 し い 構 想 を 盛 り 込 ん で い る 。 そ の結 果 、 元 老 院 で の審 議 の際 に 、 教 育 令 の 名 称 は 内 容 上 ふ さ わ し く な い の で 、 小 学 校 教 育 令 と 改 称 す べ き で あ る と の議 論 が 起 こ る ほ ど 、 初 等 教 育 中 心 の も の で あ った 。 第 二 の特質 は、 学 制 が学 校教 育 を 主 と し て規 定 し て いる のに 対 し て、 社 会 教 育 お よ び 特 殊教 育 の振 興 を 新 た な 方 針 と し て い る こ と で あ る 。 第 三 の 特 質 は 、 教 育 に 対 す る ナ シ ョ ナ リ ズ ム の導 入 で あ る 。 学 制 は 教 育 の 個 人 的 機 能 を 強 調 し 国家 的 機能 は 背 後 に 隠 れ て いた が 、 日本 教 育 令 案 は教 育 の国家 的 機 能 を 明 示す る と と と も に、 学 制 の主 知 主 義 的 実 学 に 対 し て は 徳 行 " 道 徳 の 教 育 を 新 た に 盛 り 込 ん で い る 。 学 制 は 問 題 点 が 浮 き 彫 り に な っ て 改 正 さ れ た わ け だ が 、 日 本 教 育 令 に も 問 題 が な か った わ け で は な い 。 井 上 氏 に よ る と 、 第 一に 高 等 教 育 中 等 教 育 に た い す る 政 策 の 検 討 、 第 二 に 漸 進 方 式 へ の 切 り 換 え が 地 方 に お よ ぼ す 影 響 、 第 三 に 当 時 考 案 さ れ つ つあ った 三 新 法 に よ る 地 方 改 革 と の 関 係 、 こ れ ら の 点 に 関 す る 配 慮 は か な ら ず し も 十 分 だ っ た と は い え な い ㈲、 と し て い る 。 次 に 学 制 と の比 較 を し な が ら違 いに つい て見 て いき た い。 教 育 令 に おけ る 小学 校 を 学 制 と 比較 す る と 、全 学 校 制度 内 に お け る 位置 は な ん ら変 わ り は な い。 明 ら か な 違 いが 見 ら れ る の は、 そ の設 置 運 営 に関 す る規 定 で、 そ れ を 当 時 の民度 に合 わ せ て よ り適 切 な も のに しよ う と した 点 であ る。 ま た 、 教育 令 と 学 制 を 比較 す れば 、 学 区 制 を 廃 止 し た こ と が 注 日 す べ き 変 化 で、 教 育 令 で は 町 村 を 小 学 校 設 置 の 基 礎 と し て い る 。 就 学 義 務 に つ い て は 学 齢 期 間 中 少 な く と も 十 六 ヶ 月 と 定 め 、 学 制 と 比 べ て 明 ら か な 違 い が 見 ら れ る 。 教 育 令 は 、 学 制 の中 央 集 権 的 、 画 一的 性 格 を 改 め て 、 教 育 の 権 限 を 大 幅 に 地 方 に 委 ね 、 地 方 の 自 由 に ま か せ た 。 こ れ は 学 制 に 対 す る 批 判 に 応 え よ う と し た も の で あ った が 、 同 時 に そ の 緩 和 政 策 は 新 し い 批 判 を 呼 び 起 こ す 原 因 に な っ て し ま っ た 。 教 育 令 は、 ア メリ カ 諸 州 のよ う に 、 そ の土 地 と 民 度 に 応 じ て取 捨 選 択 を そ れ ぞ れ の地方 に 委 ね る 進 歩 した 方 法 で あ った が 、 日 本 で は 、 か え っ て 小 学 校 教 育 を 後 退 さ せ る こ と と な っ て し ま っ た 。 ま た 強 制 教 育 論 と 自 由 教 育 論 37 あ た り 経 経 費 冶 228,882 2,751 41.16 69.47 242 245,309 2,984 41.05 70.48 266 285,941 3,059 42.98 64.68 へ と 進 ん だ 要 因 の 一 つ だ と 考 え ら れ て い る 。 表 一 の よ う に 、 歳 入 の 国 民 一 人 あ た り 経 費 も 歳 出 の 一校 あ た り 経 38 % 223 14 70,26 13 41.26 12 2,603 1 1 Es) 率 学 と 就 政 財 の 校 % 円 円 円 年 244,019 問 題 点 が 浮 き 上 が っ て き た こ と に よ っ て 、 教 育 令 も 改 正 へと 動 い て い く わ け だ が 、 経 費 や 歳 出 の 問 題 も 改 正 明 2正0 と が 対 立 す る こ と に も な り 、 結 局 こ の教 育 令 を 改 正 し な け れ ば な ら な い 事 情 に ま で 進 ん で い く の で あ る 。 -校 学 小 立 公 〉 <表1 経 費 費 率 国 民一 人 り 席 日s出 就 学率 一 児 童 あ た あ た り 歳 出 歳 出 歳 入 年 次 費 も 歳 出 の 一児 童 あ た り 経 費 も 、 す べ て 増 加 し 、 町 村 教 育 は 不 振 に な っ て い っ た 。 ま た 。 表 一 の よ う に 明 治 十 二 年 度 は 就 学 率 と 日 日 出 席 率 は 十 一年 度 を 下 回 り 、 就 学 率 に つ い て は 十 三 年 か ら 立 直 っ て い る が 、 日 日 出 席 率 は 十 三 年 に 上 向 き な が ら 十 四 年 に は 十 二 年 を さ ら に 下 回 る ほ ど 低 下 し て い る 。 十 二 年 の 就 学 不 振 の 一因 が 教 育 令 に あ る こ と は 疑 う 余 地 も な い。 こ の よ う に 教 育 令 の 招 い た 教 育 不 振 が 、 局 地 的 な 状 況 か ら 全 国 的 に 拡 大 す る のを 未 然 に 防 ぎ 、 教 育 令 の 問 題 を 克 服 す るた め に、 翌 年 早く も 教 育 令 が 改 正さ れ る こ と にな る。 教 育 令 は自 由教 育 を 称賛 し 、 国 民 も ま た そ の 自 由 を 受 け 入 れ た 。そ れ は 、学 制 が 強 圧 的 だ っ た た め に 、少 し の 緩 和 さ え 大 き な 自 由 と 見 え た の か も し れ な い 。 教 育 令 が 国 民 に 解 放 感 を 与 え た こ と は 否 定 で き な い が 、 そ れ も 一瞬 で 、 自 由 教 育 は 誤 解 か ら 批 判 さ れ 改 正 を 余 儀 な く さ れ る の で あ る 。 し か し 仲 氏 は 、 ﹁ 一 面 で は そ の 体 制 的 衰 退 の た め に 、 自 由 教 育 令 は 一年 有 余 の 短 命 に 終 つ た が 、 こ の 教 育 自 治 の 組 織 化 と 実 践 へ の 試 行 は 、 注 目 す べ き 歴 史 的 経 験 で あろ た よ う に 考 え ら れ る 。 ω﹂ と 述 ﹃近 代 日 本 教 育 法 の 成 立 ﹄ 一四 六 ∼ -四 七 頁 べ て い る よ う に 、 教 育 令 自 体 は た っ た ︻年 で あ っ た が 、 全 く 無 意 味 に 終 っ た わ け で は な か っ た 。 D 餅 右 に 同 五 五 一頁 ㈲ 高 橋 ﹃日 本 教 育 文 化 史 ﹄ 五 四 九 頁 高 橋 氏 に よ れ ば 、 小 学 校 ・中 学 校 に 校 の 宇 を 附 け る 始 め と さ れ て い る 。 の右 に 同 二 ﹁ 一頁 第 }巻 学 校 史 ■ 要 説 ﹄ 九 四 頁 勧 ﹃近 代 日 本 教 育 法 の 成 立 ﹄ 一 七 八 頁 ㊥右 に 同 η ﹃学 校 の 歴 史 39 第 三節 明 冶 十 三 年 ﹁改 正 教 育 令 ﹂ 発 布 教 育 令 が 失 敗 し た 結 果 、 文 部 省 は 自 由 主 義 を 捨 て て 画 一主 義 に 戻 さ な け れ ば な ら な く な っ た 。 寺 島 文 部 卿 と 田 中 文 部 大 輔 は 責 任 を 負 い 、 文 部 省 を 去 る こ と に な る 。 明 治 十 三 年 一月 か ら 三 月 に か け て の 文 部 省 首 脳 の 更 迭 は 、 省 内 を 一新 し 、 内 務 行 政 主 導 に よ る 教 育 支 配 体 制 の 強 化 を も た ら す 。 井 上 氏 は こ の 更 迭 に 関 し て 、 ﹁こ の 人 事 を た だ ち に 教 育 令 失 政 に む す び つけ 、 と く に 田 中 の 左 遷 と 解 さ れ て い る が 、 は た し て 田 中 は 教 育 令 失 政 の責 ﹁教 任 を お っ て 文 部 省 を 去 っ た の だ ろ う か 。 ω﹂ と 疑 問 を 投 げ か け て い る 。 代 っ て 文 部 卿 に は 河 野 敏 鎌 が 就 任 し 、 田 中 は 七 年 間務 め た 文 部 省 大 輔 か ら 司 法 卿 に転 じ た 。 そ し て十 三 年 十 二月 前 半 に、 干 渉 主 義 に基 づ く第 二 の 育 令 ﹂ を 発 布 し た 。 こ れ を 俗 に ﹁改 正 教 育 令 ﹂ と い う 。 こ の 節 で は 、 ﹁改 正 教 育 令 ﹂ に つ い て 考 察 し て い き た い 。 征 韓 論 に 失 敗 し た 前 参 議 の 板 垣 退 助 ・ 副 島 種 臣 ・ 後 藤 象 次 郎 ・江 藤 新 平 の 四 氏 が 、 明 治 七 年 一 月 に 民 選 議 院 設 立 の建 白 を 政 府 に 対 し て 行 った こ と で 、 自 由 民 権 の 気 運 が 高 ま っ て い った 。 西 南 の 役 以 降 、 武 力 で 政 府 に 対 ﹁集 会 条 例 ﹂ に よ っ て こ れ を 弾 圧 し 抗 す る の は 不 可 能 で あ った の で、 言 論 に よ っ て 政 府 と 対 抗 し よ う と す る 気 運 が 高 ま っ て き た 。 十 二 、 三 年 頃 に 国 会 開 設 の 請 願 が 強 ま り 、 政 府 は 不 測 の事 態 を 避 け る た め に 政 、 十 三 年 に ﹁教 育 が 衰 え て い く の を 防 ぐ 為 始 め た ので あ る。 同 様 に 教育 に お い ても自 由 主 義 を 喜 ん で いな い政 府 が 、 干 渉 主 義 に 変 え た と 考 え ら れ る。 た だ 、 教 育 令 の 発 布 か ら わ ず か 一年 余 り で の 改 正 は ど う な の だ ろ う か 。 高 橋 氏 も だ け だ っ た と し た ら あ ま り に も 唐 突 す ぎ る の で は な い だ ろ う か 。 ω﹂ と 述 べ て い る 。 し か し な が ら 、 改 正 教 育 令 を 出 す 事 態 に な っ て し ま った の は 、 文 部 省 の 失 策 で あ る 。 十 三 年 二 月 に 文 部 卿 に 就 任 し た 河 野 敏 鎌 は 、 そ れ ま で 元 老 院 副 議 長 を 務 め 、 区 町 村 会 法 と い う 地 方 制 度 の改 革 問 題 を 審 議 し て い た 地 方 官 会 議 の 議 長 を つと め て い た だ け に 、 地 方 官 の 教 育 令 に 対 す る 強 い 不 満 と 批 判 を よ く 理 解 す る こ と も で き た は ず で あ る 。 河 野 の 文 部 卿 就 任 の 直 後 、 事 実 上 の 文 部 行 政 の最 高 責 任 者 と し て 教 育 令 体 制 を 推 進 し て き た 文 部 大 輔 田 中 不 二 麻 呂 が 司 法 卿 に 転 出 し た こ と は 、 自 由 教 育 令 路 線 の 再 検 討 に か か わ って 重 要 な 政 治 的 意 義 を も って いた に ち が いな い。 4a 河 野 は も と も と 文 部 卿 に な る こ と を 望 ん で お ら ず 、 ま し て教 育 令 の 改 正 を 目 指 し て い た わ け で も な い。 し か し 、 河 野 が 教 育 令 の 改 正 を 決 意 す る に は 、 そ れ ほ ど 月 日 を 要 し な か った も よ う で あ る 。 と い う の は 、 河 野 が 文 部 省 入 り を し て か ら 三 、 四 ケ 月 た った 五 月 な い し 六 月 こ ろ 河 野 の も と で ま と め ら れ た と み ら れ る 文 書 に 教 育 令 改 正 の 件 が 明 示 さ れ て い る か ら で あ る 。 ﹁新 定 教 育 令 ヲ 更 二 改 正 ス ヘ キ 以 前 二 於 テ 現 在 施 行 ス ヘ キ 件 ㈲﹂ は 河 野 ﹁教 育 令 改 正 草 按 ヲ 旦ハシ テ 上 申 が 示 さ れ て い る 。 表 題 そ の も の が す で に 教 育 令 の 改 正 を 示 唆 し て い る が 、 そ の 第 一項 と 第 二 項 を 内 の 新 政 策 に 関 す る 腹 案 を 覚 書 風 に 四 十 二 項 に 要 約 し た も の で あ り 、 そ の 一項 に ス ヘキ 事 縛 容 と す る問 題 の文 書 が 元 田永 孚 の手 稿 であ る こと か ら 、 元 田 の提 唱を いれ た も のと みら れ て い る。 要点 と し て は 、 高 等 教 育 の整 備 と 拡 充 、 教 員 の 規 制 強 化 と 待 遇 改 善 、 道 徳 教 育 の 高 揚 、 監 督 行 政 の 明 確 化 を 中 心 に し 、 職 業 教 育 の振 興 や 伝 統 的 技 能 教 育 の 伝 承 に お よ ん で い る 。 自 由教 育 令 に 対 す る批 判や 改 正 の要 求 は 、 単 に就 学 率 が 低 下 し、 町 村 教 育 費 が 減 額 さ れ る傾 向 が で て き た か ら で は な い。 政 治 的 な 批 判勢 力 が 大 き く な ってき た と いう 状 況 に対 応 し て、 いわ ゆ る体 制 内 部 に お いて強 くな つて いた 。 か か る動 向 を 背 景 に し て河 野 は 、 上 申 後 の十 三 年 六 、 七 月 に 天皇 の巡 幸 に先 発 し て愛 知 、 三 重な ど 七 府 県 で 教 育 の 実 態 を 視 察 し た 。 河 野 の 一行 は 各 地 の 巡 視 で 自 由 教 育 令 の 失 敗 を 認 め た の で 、 同 年 九 月 文 部 省 に 帰 ると 調 査 委 員 を 任 命 し て改 正 教 育 令 の起 草 に着 手 した の であ る 。 河 野 は た だ ち に 教 育 令 を 改 正 す る 準 備 を 進 め 、 明 治 十 三 年 十 二 月 九 日 に 改 正 原 案 を 太 政 官 に 上 申 し た ⑮。 こ の ﹁教 育 令 改 正 案 ヲ 上 奏 ス ル ノ 議 ﹂ に 布 告 案 (文 部 省 改 正 原 案 ) を 添 え て 提 出 し て い る が 、 上 申 書 か ら 原 案 は 新 し く 創 案 し た も の で は な く 、 教 育 令 の 条 文 の 改 正 で あ った の で 、 あ ま り 時 間 を 必 要 と し な か った 。 上 申 書 に は も 極 め て改 正 を 急 いで いた こと が う かが え る。 河 野 の上 申 した 文 部 省 改 正原 案 は教 育 令 四 十九 条 のう ち 改 正 十 八 条 、 追 加 四条 、 削 除 六 条 であ る。 文 部 卿 の ポ ス ト に 特 に 興 味 を 示 し て い な か った 河 野 は 、 教 育 令 の 問 題 点 を ど う つ か ん で い た の だ ろ う か 。 文 部 卿 演 説 に よ る と 、 ﹁余 ノ 東 京 ニ ア ル ヤ 、 各 府 県 ヨ リ 人 民 教 育 令 ノ 誤 解 ヨ リ 小 学 ノ 衰 廃 ヲ 醸 セ シ ノ 報 道 耳 聴 ヲ 絶 タ サ リ シ カ バ、 幾 何 力 改 正 ヲ 要 ス ヘ シ ト ハ思 考 セ シ カ ト モ 、 拝 命 ノ 後 日 尚 浅 ク 教 育 ノ 事 柄 ニ モ 未 タ 熟 セ サ レ ハ 41 妄 二改 正 ノ 意 見 ヲ 下 ス モ 安 ン セ サ ル 所 ナ レ ハ、 親 シ ク 之 ヲ 実 際 二徴 シ 考 案 ノ 料 ヲ 得 ン コ ト ヲ 欲 セ シ ニ 、 幸 二今 般 ノ 御 巡 幸 二 際 シ 列 外 供 奉 ヲ 恭 ク シ 云 々 ㈹﹂と 冒 頭 か ら 教 育 令 に よ る 教 育 の 衰 え を 挽 回 す る た め に 教 育 令 の 改 正 を 決 意 し 、 そ の改 正 案 を 実 際 に練 る好 機 を 得 たと 述 べ て い る。 河 野 の要 望 に 応 え る か のよ う に審 議 は迅 速 に進 めら れた 。 改 正を 上 申 し た 十 二 月 九 日 、 太 政 大 臣 か ら 内務 部 法 制 部 に お く ら れ 、 即 日 、 共 同 の 監 査 を お え て 送 付 さ れ る 。 そ の 修 正 は た だ 一 ケ 所 、 ﹁公 立 学 校 ノ 土 地 ハ 免 税 タ (教 育 令 改 正 布 告 案 ) と し て 会 議 に か け 、 十 二 月 二 十 二 日 に 議 長 代 理 佐 々 木 高 行 の も と で 第 一読 会 ル ヘ シ ﹂ (第 二 十 六 条 ) の 土 地 を 敷 地 に 代 え た に す ぎ な い 。 元 老 院 に 下 付 す る の が 十 二 月 十 八 日 、 元 老 院 は 第 二 百 十 七 号 議 案 と 第 二 読 会 、 翌 二 十 三 日 に 議 長 代 理 細 川 潤 次 郎 の も と で 第 二 読 会 の 続 き と 第 三 読 会 を 開 き 、 わ ず か 二 日 間 の審 議 で審 議 を 終 え て い る。 そ し て、 二十 四 日 に 元老 院 修 正 案 は内 閣 に上 申 さ れ 、 そ の 日 のう ち に上 奏 さ れ、 二十 八 日 に 太 政 官 布 告 第 五 十 九 号 ωを も っ て 公 布 さ れ た 。 元 老 院 の 第 一読 会 に お い て 教 育 令 改 正 案 の 趣 旨 を 内 閣 委 員 島 田 は 、 改 正 案 が 教 育 令 を 充 実 す る 補 修 案 た る こ と を 明 言 し て い る 。 島 田 の 趣 旨 説 明 は 注 日 さ れ て よ い 。 井 上 氏 は 、 ﹁改 正 案 は 教 育 令 に お け る 不 明 確 な 規 定 を 明 確 に し て条 文 上 の 不 備 を 補 正 す る趣 が つよ く 、 新 案 も そ れ に 便 乗 し て 添 加 し た 観 が ふ か い 。 教 育 令 が 学 制 を 転 回 し た ほど の改 新 的 な 意 味 を 、 教 育 令 改 正 案 はも た な い。 そ れ にも か か わ ら ず 、 教育 令 の指 針 を あ た か も 百八 十 度 に 逆 転 さ せ た か の よ う に み ら れ て い る の は 、﹃教 育 令 改 正 案 ヲ 上 奏 ス ル ノ 議 ﹄ な ど に お け る 河 野 の 激 烈 な 改 正 点 の 強 調 に も と つ く と こ ろ 多 い と い う べ き だ ろ う 。 ㈲﹂ と 述 べ て い る よ う に 、 教 育 令 の 自 由 主 義 と 改 正 案 の 干 渉 主 義 と を 対 決 さ せ て い る が 、 改 正 案 は教 育 令 の 延 長 で あ っ て も 、 そ れ を 崩 し て新 体 系 を 打 ち 立 て よ う と す る も の で は な か った 。 迅 速 な 審 議 に よ って 公 布 さ れ た 改 正 教 育 令 で あ った が 、 民 権 派 か ら は 、 教 育 の 干 渉 主 義 の 復 活 に 対 し て 強 い (明 治 十 三 年 十 月 ) に 第 一 巻 ﹂ に 載 せ ら れ て い る ﹃愛 国 新 誌 ﹄ 第 一 〇 号 批 判 が あ つた 。 仲 氏 の ﹁操 人 形 ノ 如 キ 者 ﹂ を ﹁学 校 の 歴 史 よ れ ば 、 ﹁教 育 ハ 自 由 ニ セ サ ル ヘ カ ラ ス ﹂ と の 論 説 が 掲 載 さ れ 、 教 育 の 国 家 統 制 の も と で 養 成 す べ き で は な い と 主 張 さ れ て い た 桝。 し か し 河 野 は 、自 由 教 育 令 の 路 線 を 法 制 的 に 早 急 に 修 正 す る 必 要 が あ 42 ﹁教 育 令 改 正 案 ヲ 上 奏 ス ル ノ 議 ﹂ に よ っ て 明 る と の確信 を 深 め て いた の で、 教 育 令 改 正案 の作成 と 公 布 を急 いだ と考 え ら れ る。 改 正 教育 令 の基 本 方 針 は、 改 正教 育 令 案 上申 の際 に付 せ ら れ た ら か に さ れ て お り 、 教 育 例 改 正 の 趣 旨 が 明 確 に 示 さ れ て い る ⋮。 教 育 令 は 教 育 行 政 の 上 で 地 方 の 自 由 を 認 め る 方 針 で あ った の に 対 し て 、 改 正 教 育 令 は 国 家 の 統 制 、 政 府 の 干 渉 を 基 本 方 針 と し た 点 に 明 ら か な 特 徴 を 見 る こ と が でき る。 改 正 教 育 令 は 教 育 令 の 条 文 に 修 正 、 追 加 、 削 除 し た も の で あ る が 、 有 効 な 条 文 は 四 十 四 条 で あ った 。 重 要 な 修 正 点 と し て は、 学 校 の設 置、 就 学 の義務 に 対 す る 規定 の強 化 であ る 。 小 学 校 の設 置 に つい て は、 教 育 令 で は 単 に 公 立 小 学 校 の 設 置 を 町 村 に 義 務 づ け て い た に 過 ぎ な か った が 、 改 正 教 育 令 で は 、 各 町 村 は 府 知 事 県 令 に し た が っ て 小 学 校 を 設 置 す べ き と 厳 格 に 規 定 し て い る 。 学 校 の 種 類 と し て は 、 小 学 校 ・中 学 校 ・大 学 校 ・師 範 学 ﹁法 学 理 学 医 学 文 学 等 ノ 専 門 諸 科 ﹂、 専 門 学 校 は ﹁専 門 一科 ノ 学 術 ﹂ を 授 け ﹁教 員 ヲ 養 成 ス ル 所 ﹂ と 定 め て い る が 、 こ れ は 教 育 令 の 規 定 を そ の ま ま 受 け 継 い だ も の で 修 ﹁高 等 ナ ル 普 通 学 科 ﹂、 大 学 校 は 校 ・専 門 学 校 の ほ か に 、 新 し く 農 学 校 ・商 業 学 校 ・ 職 工 学 校 を 加 え て い る 。 各 学 校 の 目 的 に つ い て は 、 中 学 校 は る所 、 師 範 学 校 は ﹁商 売 ﹁百 工 ノ 職 芸 ﹂ を 学 ぶ 所 と 定 め た 。 学 校 の 設 置 に 関 し て 、 教 育 令 で は 師 範 学 校 に つ い て だ 正 は さ れ て い な い 。 新 し く 追 加 さ れ た 産 業 関 係 の 学 校 に つ い て は 、 農 学 校 は ﹁農 耕 ノ 学 業 ﹂、 商 業 学 校 は ノ 学 業 ﹂、 職 工 学 校 は け 府 県 の 設 置 義 務 を 定 め て い た が 、 や や 不 明 確 で あ った 。 し か し 、 改 正 教 育 令 で は 設 置 義 務 が 明 確 に 定 め ら れ た 。 次 に 改 正 教 育 令 の 要 点 で あ る が 、 小 学 校 の 義 務 年 限 を 三 年 に 延 長 し 、 学 務 委 員 の 選 任 を 厳 し く 行 い、 各 町 村 は 単 独 ま た は 併 合 に て 必 ず 小 学 校 を 設 け る こ と と し た 。 ま た 教 育 令 で は 、 公 立 学 校 の 設 置 ・廃 止 は 府 知 事 . 県 令 の 認 可 を う け 、 私 立 学 枚 の 設 置 ・廃 止 は 府 知 事 ・県 令 に 開 申 す べ き と 定 め て い た が 、 改 正 教 育 令 で は 、 府 県 立 の 学 校 ・ 書 籍 舘 ・ 幼 稚 園 の 設 置 ・廃 止 は 文 部 卿 の 認 可 を 経 て 、 町 村 立 に 係 る も の は 全 て 府 知 事 ・ 県 令 の 認 可 を 必 要 と し た 。 私 立 の 設 置 は 府 知 事 ・ 県 令 の 認 可 を 必 要 と し 、 廃 止 の 場 合 だ け 府 知 事 ・県 令 に 開 申 す る こ と と し た の で 、 設 置 ・廃 止 共 に 教 育 令 よ り 厳 重 と な っ た 。 改 正 が 成 功 し た の か 、 小 学 校 は 明 治 十 六 年 に 至 り 、 三 〇 43 一五 六 校 、 児 童 数 は 二 八 三 八 一〇 八 人 と な り 、 明 治 七 年 の 児 童 数 の 約 二 倍 に 上 り 、 就 学 割 合 は 五 一 ・〇 三 % に 達 し た ㈹。 次 に 改 正 教 育 令 の特 質 に つ い て 見 て い き た い 。 第 一の 特 質 は 、 小 学 校 の設 置 と 就 学 の規 定 を 強 化 し た こ と で あ る 。 第 二 の 特 質 は 、 官 僚 支 配 体 制 の 確 立 に 改 正 の 力 点 を お い て い る こ と で あ る 働。 小 学 校 の 施 設 や 管 理 に つ い て地 方 官 の 認可 権 を強 め 、 学務 委 員 の選 任 に よ って町 村 教 育 を 規 制 し、 公立 はも と よ り 私 立 の学 校 設 置や 廃 止 を 厳 し く し た 。 教 員 の 免 許 や 任 免 や 俸 給 を 地 方 官 の 職 権 に 定 め る な ど 、 官 僚 支 配 の 強 化 を は か り 監 督 行 政 の確 立 を 行 って い る 。 第 三 の 特 質 は 、 地 方 官 の権 限 が 広 範 か つ強 大 で あ った こ と で あ る 。 改 正 教 育 令 は 地 方 官 の権 限 を 広 範 か つ 強 大 に 規 定 し た ば か り で な く 、 こ れ に 関 連 し て 一 般 行 政 の 役 職 系 列 の 中 に 一層 教 育 行 政 ⋮ 機関を 組 み 込 ま せ 教 育 支 配 の 体 制 化 を 推 進 し た の で あ る 。 第 四 の 特 質 は 、 教 員 お よ び 教 員 養 成 を 官 僚 統 制 化 に は っき り 定 位 し た こ と で あ る 。 第 五 の 特 質 は 、 小 学 校 教 則 の 統 制 と そ の 簡 易 化 で あ る 。 第 六 の 特 質 は 、 道 徳 教 育 の尊 重 であ る。 第 七 の特 質 は 、 教 育 令 改 正 が そ の教 育 支 配 の強 化 にも 関 わ ら ず 、 財 政 的 に は補 助 金 制 度 を廃 止 し た点 にあ る。 以 上 七 つの特 質 を 列 挙 し た が 、 これ が 改 正 教育 令 の特 質 であ る。 改 正教 育 令 は 、教 育 令 と 同 じ く 、 実 質的 に は小 学 校 教育 関 係 を 中 心 に 公教 育 の組 織 化 に つ いて規 定 し た も の であ る。 ま た基 本 と な る 条 文 だ け を 定 め た 簡 略 な 法 令 であ り 、 これ に基 づ い て諸 規 則 が 制 定 さ れ、 これ に よ つ て は じ め て 改 正 教 育 令 が 実 際 に 施 行 さ れ る 性 質 の も の で あ っ た 。 そ の 多 く は 全 国 画 一的 に 施 行 す る 規 則 を 定 め た の では な く 、 主 と し て各 府 県 で定 め る 規 則 の基 準 を 示 す た め の規 則 を 定 め た の であ る。 こ のこ と は学 制と 異 な る 改 正 教 育 令 の 趣 旨 に よ る も の で あ り 、 改 正 教 育 令 は 教 育 を 地 方 の 管 理 に 委 ね る こ と を 本 来 の性 格 と し て い た の であ る。 そ の点 では 教育 令 の基 本的 性格 を 受 け 継 い で いた 。 し か し改 正 教 育令 は 、 中 央 集 権 的 教 育 管 理体 六 頁 制 を 法 体 系 的 に も 制 度 的 にも 形 成 し、自 由教 育 令 と は 全 く 対 照 的 な 公教 育 の管 理 が 示 さ れ た と 考 え る こと が で き る。 D ﹃近 代 日 本 教 育 法 の 成 立 ﹄ 二 44 幻高 橋 ﹃日 本 教 育 文 化 史 ﹄ 五 五 三 頁 文 部 省 罫 紙 六 枚 、 貼 紙 二 葉 、 筆 者 、 日 付 、 宛 名 な ど を 欠 い て い る が 、 明 治 十 三 年 文 部 卿 河 野 敏 鎌 の も と で ま と め ら れ て い た 教 育 田 ﹃近 代 日 本 教 育 法 の 成 立 ﹄ 二 -= 二 頁 令 改 正 に そ な え る た め の 計 画 書 と み ら れ る 。 起 稿 の 時 期 に つ い て は 四 月 頃 と か 九 ・十 月 頃 と か 言 わ れ て い る 。 ω 海 渡 宗 臣 ﹃元 田 家 文 書 ﹄ 一 一 三 頁 河 野 の 文 書 を 元 田 が 書 写 し て考 按 を 加 え た と も 考 え ら れ る が 、 し ば ら く 元 田 が 起 草 し て 河 野 に し め し た と 解 さ れ て い る 。 教 育 令 改 正 案 ヲ 上 奏 ス ル ノ 議 の教 育 史 編 纂 委 員 会 ﹃明 治 以 降 教 育 制 度 発 達 史 第 二巻﹄回 教育 資 料 調 査 会 一九 三 八 年 一七 三 ∼ 一七 五 頁 別 冊 教 育 令 改 正 案 井 其 上 奏 之 議 共 進 呈 候 間 奏 上 披 成 下 度 候 右 ハ 昨 日 モ 略 陳 述 候 通 施 政 上 至 急 ヲ 要 シ 候 モ ノ ニ付 御 裁 可 相 成 仮 ハ ハ 本 月 二 十 =二日 頃 迄 二 布 告 相 成 候 様 致 シ 度 将 又 本 案 ノ 旨 趣 二 関 シ 内 閣 各 部 二 於 テ 御 質 疑 ノ 廉 モ 御 坐 候 ハ ハ 辮 明 之 儀 文 部 権 大 書 記 官 島 田 三 郎 同 少 書 記 官 久 保 田 譲 二中 付 置 候 二 付 爾 官 へ 向 ケ 詳 議 相 成 度 且 本 案 御 採 用 之 上 元 老 院 議 定 二被 附 候 節 ハ右 副 爾 書 記 官 ヲ 以 テ 内 閣 香 員 二披 命 候 様 相 成 候 ハ ハ幸 ノ 事 二有 之 候 此 段 上 申 候 也 維 新 俣 武 ノ 後 政 府 大 二文 教 ヲ 興 シ 越 テ 明 治 元 年 泰 西 ノ 法 度 ヲ 折 衷 シ新 タ ニ学 制 ヲ 布 ケ リ 其 事 草 創 二属 ス ル ヲ 以 テ 尤 雑 叙 無 ク 事 態 二齪 齢 ス ル モ ノ ノ ナ キ ニ ア ラ ス ト 錐 ト モ 学 校 ノ 設 置 天 下 二遍 ク 人 民 就 学 ノ 途 侵 二 洞 開 セ シ モ ノ ハ 万 一 二 此 法 ノ 致 ス 所 ニ ア ラ ン ス ン ハ ア ラ ス 爾 来 五 七 年 世 態 大 二改 マリ 百 般 ノ 制 度 又随 テ愛 ス ル ヲ 以 テ 学 制 漸 ク 其 権 衝 ヲ 失 セ リ 是 レ 明 治 十 二 年 九 月 四 十 七 條 ノ 新 二鋭 ク シ 校 舎 ヲ 壮 大 ニ シ 外 観 ヲ 装 飾 ス ル ノ 事 往 往 ニ シ テ 免 レ ス 是 二於 テ カ 学 問 ノ 盆 末 タ 顯 ハ レ ス シ テ 人 民 之 ヲ 厭 フ ノ 念 先 ツ 生 ス 法 ヲ 定 メ 以 テ 蕾 学 制 二 代 ル 所 以 ナ リ 蓋 シ 此 改 正 二 当 リ 薔 法 ノ 麓 雑 ヲ 蔓 リ 過 度 ノ 制 限 ヲ 除 ク ニ急 ナ ル ヨ リ 其 勢 ノ 及 フ 所 往 往 放 任 ス 可 ラ サ ル モ ノ ヲ 併 セ テ 放 任 ス ル ニ 至 レ リ 其 然 ル 所 以 ノ 故 ヲ 考 フ ル ニ亦 偶 然 ニ ア ラ サ ル ナ リ 夫 レ 学 制 ノ 頒 布 二当 リ 執 事 者 意 ヲ 成 功 議 者 其 弊 ノ 因 ル 所 ヲ 深 考 セ ス徒 ラ ニ罪 ヲ 学 事 ノ 干 渉 二隔 シ テ 之 ヲ 尤 ム 而 シ テ 教 育 令 此 際 二成 レ ル ヲ 以 テ 為 メ ニ其 精 紳 ヲ 謬 マ ル モ ノ 蓋 シ 寡 シ ト セ ス 臣 ヲ 以 テ 之 ヲ 観 ル ニ前 日 ノ 弊 タ ル 学 制 ノ 主 流 ニ ア ラ ス シ テ 施 行 ノ 宜 キ ヲ 失 フ ニ ア リ 干 渉 ノ 過 度 ニ ア ラ ス シ テ 干 渉 ノ 途 轍 ヲ 過 ツ ニ ヨ レ リ 侮 ト ナ レ ハ 前 日 ノ 干 渉 ス ル 所 ハ 唯 学 校 ノ 設 立 費 用 ノ 募 集 等 専 ラ 外 部 ノ 事 二 止 マ リ 授 業 ノ 得 失 ヲ 考 へ費 途 ノ 緩 急 ヲ 奈 ス ル カ 如 キ 内 部 ノ 事 二 至 テ ハ其 意 ヲ 経 ル 蓋 シ 寡 ケ レ ハ ナ リ 而 シ テ 議 者 一切 尤 ヲ 干 渉 制 度 ノ 上 二 臨 シ 反 動 ノ 勢 普 通 教 育 ト 錐 ト モ亦 干 渉 ス 可 ラ スト 云 フ ニ至 ル過 テ リ ト 云 フ ヘ シ猶 ホ 醤 師 ノ治 ラ 過 ツ ハ醤 術 ノ 答 ニア ラ ス而 シ テ 留 ノ 不 良 ナ ル カ 為 二遂 二 シ メ ン ト ス ル ハ教 育 ノ 普 及 ニ ア ラ サ レ ハ不 可 ナ リ 而 シ テ 政 府 之 ヲ督 励 セ ス シ テ 其 普 及 ヲ 望 ム 殆 ント 河 清 ノ 竣 ツ 可 ラ サ ルカ 如 シ 夫 馨 術 ヲ 廃 セ ン ト ス ル カ 如 シ 豊 理 ナ ラ ン ヤ 蓋 シ 普 通 教 育 ハ国 民 ノ 品 位 ヲ 上 下 ス ル ノ カ ア リ 筍 モ 国 ヲ シ テ 開 明 二 民 ヲ シ テ 良 且 慧 ナ ラ ノ 英 国 ノ 如 キ 之 ヲ 欧 洲 大 陸 諸 国 二 比 ス レ ハ 頗 ル 教 育 ヲ 放 任 ス ル モ ノ ト ス 而 シ 全 国 人 民 ノ 無 智 ナ ル 夙 二識 者 ノ 慨 ク 所 ト ナ リ 世 論 漸 ク 干 渉 ノ 止 ム 可 ラ サ ル ヲ 登 知 シ 遂 二 一千 八 百 三 十 九 年 二及 テ 橿 密 院 中 二 教 育 局 ヲ 設 ケ 若 干 ノ 費 用 ヲ 議 定 セ シ ョ リ 年 年 其 権 阻 ヲ 接 充 シ 費 額 ヲ 増 益 シ - 千 八 百 七 十 人 年 ノ 如 キ ハ 補 助 金 二 百 十 四 萬 九 千 二 百 零 八 ﹁ポ ン ド ﹂ ノ 巨 額 ヲ 議 院 二 於 テ 議 定 ス ル ニ 至 レ リ 夫 ノ 政 事 二 干 渉 ヲ 事 ト セ ス 又 教 育 ノ 一事 二至 テ ハ 欧 洲 大 陸 ノ 諸 国 二 数 等 ヲ 譲 レ ル ノ 英 国 ニ シ テ 其 措 置 尚 ホ 此 ノ 如 シ 其 他 ハ類 推 ス ヘ キ ナ リ 蓋 シ 其 政 体 ノ 如 何 二 関 セ ス 荷 モ 文 明 ヲ 以 テ 称 セ ラ ル ル 国 ニ シ テ 普 通 教 育 ノ 干 渉 ヲ 以 テ 政 府 ノ 務 メ ト セ サ ル ハナ シ 是 レ 豊 普 通 教 育 ハ其 国 運 二 関 ス ル 最 大 ナ ル カ 故 ニ ア ラ ス ヤ 我 国 ノ 如 キ 学 制 ヲ 施 シ テ ヨ リ 縷 二数 年 末 タ 其 功 績 ヲ 見 サ ル ニ 於 テ ハ 深 ク 怪 ム ニ 足 ラ ス 但 其 施 行 ノ 問 二 当 リ 僅 僅 ノ 弊 ヲ 見 ル カ 為 二其 精 神 ヲ 挫 シ 又 皮 相 論 者 ノ 説 二 謬 ラ レ テ 此 主 義 ヲ 揉 ム ル ニ 至 テ ハ何 レ ノ 日 ニ カ 此 民 ト 友 二文 明 ノ 域 二 進 ム コ ト ヲ 得 ン ヤ 是 臣 力 今 日 二当 リ 教 育 ノ 主 義 ヲ 定 メ ン ヲ 希 圖 シ テ 巳 マ ス 教 育 令 ノ 改 正 案 ヲ 進 奏 ス ル 所 以 ナ リ 或 ハ 日 ハ ン 客 年 教 育 令 ヲ 制 定 シ テ 墨 痕 未 タ 乾 カ ス 今 又 之 ヲ 改 正 セ ハ 信 ヲ 国 民 二失 フ ヲ 如 何 セ ン ト 是 レ 亦 事 ヲ 解 セ サ ル ノ 言 ノ ミ 荷 モ法 令 ノ 国 家 人 民 二不 利 ナ ル ヲ 知 ラ 随 テ 之 ヲ 改 正 ス ル 又 何 ノ悼 ル所 力 是 ア ラ ン ヤ 若 シ 既 二其 不 利 ナ ル ヲ 覚 ユ ル モ 敢 テ 之 ヲ 改 メ ス荏 再 年 ヲ 渉 ル 者 ハ彼 ノ 不 可 ナ ル ヲ 知 テ 難 ヲ 嬢 ミ 来 年 ヲ 竣 テ 止 メ ント ス ル者 ト 其 異 果 テ 何 ク ニア ル ヤ 抑 亦 自 家 ノ 便 ヲ 計 ル ニ厚 フ シ テ 国 家 ヲ 念 フ ニ薄 キ 者 ト 謂 ハ サ ル 可 ラ ス 是 レ 臣 力 今 日 改 正 案 ヲ 進 奏 ス ル ニ於 テ 敢 テ 渥 疑 セ サ ル 所 以 ナ リ 抑 現 行 教 育 令 ノ 高 等 諸 45 ﹁往 々 学 事 上 二 齪 酷 ヲ ナ ス 者 ハ 皆 コ レ 法 律 ノ 完 美 ナ ラ サ ル ニ 由 ル 。 乃 チ 改 正 ヲ 要 明 治十 三年 ﹄ 三 二五 ∼三 二九 頁 二 本 案 ヲ 進 ム ル ニ 当 リ 此 事 由 ノ = 言 シ テ 以 テ 予 メ 他 日 改 正 ノ 端 結 二供 ス 伏 シ テ 請 フ 陛 下 ノ 此 二 照 察 セ ン コ ト ヲ ヲ 敏 鎌 恐 憧 頓 首 謹 額 校 二 於 ケ ル 綾 カ ニ其 名 称 ヲ 掲 ク ル ニ 止 マ リ 之 力 制 規 ヲ 立 ル ノ 條 ハ全 ク 鉄 如 タ リ 臣 ノ 意 将 二之 フ 補 テ 其 体 ヲ 具 ヘ シ メ ン ト ス ル ニ 在 り 但 普 通 教 育 ノ 哀 頽 ヲ 挽 回 ス ル コ ト 焦 眉 ノ 急 二 属 ス ル ヲ 以 テ 今 回 ノ 改 正 ハ専 ラ 小 学 二 係 ル ノ 事 ヲ 主 ト シ テ 其 他 二 及 ハ ス 謹 テ 此 言 の ﹃近 代 日 本 教 育 法 の 成 立 ﹄ 二 二 九 頁 第 十 三巻 ノ } ﹃近 代 日 本 教 育 法 の 成 立 ﹄ 三 三 六 ∼ 三 三 七 頁 わ内 閣 官 報 局 ﹃法 令 全 書 酬 ( 第 一巻 学 校 史 要 説 ﹄ 九 八 頁 ス ル 所 以 ナ リ i ⋮ ⋮ モ ト 、 コ レ 大 体 ノ 改 正 ニ ア ラ ス シ テ 、 単 二現 行 法 律 ノ 修 正 二 止 ル モ ノ ナ レ バ 、 速 二 議 決 ア ラ ン コ ト ヲ 欲 ス ﹂ で 元 老 院 第 一読 会 に お け る 内 閣 委 員 島 田 の 主 旨 は あ った 。 田 ﹃学 校 の 歴 史 ﹃日 本 教 育 文 化 史 ﹄ 、 竣 ツ ヘ カ ラ サ ル カ 如 シ ⋮ ⋮ 蓋 シ 其 政 体 の 如 何 二関 セ ス 筍 モ 文 明 ヲ 以 テ 称 セ ラ ル ル 国 ニ シ テ 普 通 教 育 ノ 干 渉 ヲ 以 テ 政 府 ノ 務 メ ト セ サ ル ハナ シ 二 民 ヲ シ テ 良 且 慧 ナ ラ シ メ ン ト ス ル ハ教 育 ノ 普 及 ニ ア ラ サ レ ハ 不 可 ナ リ 而 シ テ 政 府 之 ヲ 督 励 セ ス シ テ 其 普 及 ヲ 墾 ム 殆 ン ト 河 清 ノ ニア リ 干 渉 ノ 過度 ニア ラ ス シ テ 干 渉 ノ 途 轍 ヲ 過 ツ ニ ヨ レ リ ⋮ ⋮ 蓋 シ普 通 教 育 ハ国 民 ノ品 位 ヲ 上 下 ス ル ノ カ ア リ 荷 モ 国 ヲ シ テ 開 明 レ ル ヲ 以 テ 為 メ ニ其 精 神 ヲ 謬 マ ル モ ノ 蓋 シ 寡 シ ト セ ス 臣 以 テ 之 ヲ 観 ル ニ前 日 ノ 弊 タ ル 学 制 ノ 主 義 ニ ア ラ ス シ テ 施 行 ノ 宜 キ ヲ 失 フ 夫 レ 学 制 ノ 頒 布 二当 リ 執 事 者 意 ヲ 成 功 二 鋭 ク シ 校 舎 ヲ 壮 大 ニ シ 外 観 ヲ 装 飾 ス ル 事 往 往 ニ シ テ 免 レ ス 是 二 於 テ カ 学 問 ノ 益 末 タ 顕 ハ レ ス シ テ 人 民 之 ヲ 厭 フ ノ 念 先 ツ 生 ス 議 者 其 弊 ノ 因 ル 所 ヲ 深 考 セ ス 徒 ラ ニ罪 ヲ 学 事 ノ 干 渉 二 帰 シ テ 之 ヲ 尤 ム 而 シ テ 教 育 令 此 際 二 成 期 ﹃学 制 百 年 史 ﹄ 改 正 教 育 令 の 基 本 方 針 は 以 下 の よ う な も の で あ る 。 m高 橋 ) (第 九 条 ) (第 二 十 二 条 ) 権 (第 二 十 条 ) の私立 小学 校 の廃止 に かんす る認可権 権 (第 二 十 一条 ) ω ﹃近 代 日 本 教 育 法 の 成 立 ﹄ 改 正 教 育 令 が 府 知 事 県 令 の 職 権 と し て 明 示 し た 事 項 は 、 次 の よ う に 広 範 で あ つ た 。 私 立 小 学 校 の 公 立 小 学 校 代 用 に か ん す る 認 可 権 学 務 委 員 の 定 員 と 俸 給 に か ん す る 認 可 権 (第 十 一条 巡 回 授 業 の 開 設 に か ん す る 認 可 権 (第 十 八 条 ) 町村 立学 校幼 稚 園書籍 館 の設 置廃 止 にかん す る認可 私立 学校 幼稚 園 書籍館 の設置 およ び 公立小 学校 代用 小 学 校 の 町 村 設 置 に か ん す る 指 示 権 (第 九 条 ) 学 務 委 員 の 撰 任 権 (第 十 -条 ) 町 村 立 学 校 教 員 の 任 免 権 (第 四 十 八 条 ) 教 員 免 許 状 の 交 付 権 (第 三 十 八 条 ) 学 務 実 員 薦 挙 規 則 の 制 定 権 (第 十 -条 ) 就 学 督 責 規 則 の 制 定 権 (第 十 五 条 ) 町村 立 私立学 校 幼稚 園書 籍館 等 設置廃 止規 則 の制定 小 学 教 則 の 編 制 権 (第 二 十 三 条 ) 町 村 立 小 学 校 教 員 俸 給 規 則 の 制 定 権 (第 四 十 九 条 ) 46 第 四節 ﹁教 育 令 ﹂ ﹁改 正 教 育 令 ﹂ 時 の 教 員 養 成 改 正 教 育 令 によ る挽 回政 策 と し て の、教 員 養 成 政策 の強 化 と師 範 学校 の育 成 方 策 は注 目す べき 点 で あ る。 そ し て 改 正 教 育 令 に お い て 、 初 め て 教 員 の 資 格 に 一 つ の 明 瞭 な 規 定 を 作 っ た 。 こ の 節 で は 、 ﹁教 育 令 ﹂ ﹁改 正 教 育 ﹁各 府 県 二 於 テ ハ 便 宜 二 随 ヒ テ 公 立 師 範 学 校 ヲ 設 置 ス 令 ﹂ 時 に お け る 、 師 範 学 校 と 教 員 の資 格 に つ い て考 察 し て い き た い 。 師 範 学 校 に つ いて は 、 教育 令 で は第 三 十 三条 に お いて ﹁師 範 学 校 ハ 教 員 ヲ 養 成 ス ル 所 ト ス ﹂ と し 、 ま た 第 三 十 三 ﹁各 府 県 ハ 小 学 校 教 員 ヲ 養 成 セ ン カ 為 二 師 範 学 校 ヲ 設 置 ス ヘ シ ﹂ と 規 定 し て 府 県 に 設 置 の 義 務 を 負 ヘシ ﹂ と し た の を 、 改 正 教 育 令 で は 第 六 条 に お い て 条 に お いて (三 年 )、 中 等 師 範 学 科 (二 年 半 ) ・高 等 師 範 学 科 (四 年 ) わ せ た が 、 師 範 学 校 の 内 容 を 示 す 一般 的 規 定 は 何 も な か っ た 。 よ っ て 、 明 治 十 四 年 八 月 に ﹁師 範 学 校 教 則 大 網 ﹂ を 制 定 し た ω。 こ れ に よ れ ば 師 範 学 校 に 初 等 師 範 学 科 の 三 課 程 を 置 き 、 小 学 校 の 初 等 科 ・ 中 等 科 ・高 等 科 の 教 員 を 養 成 す る こ と と し て い る 。 次 に 教 員 の資 格 に つ い て で あ る 。 明 冶 五 年 の 学 制 で は 、 小 学 校 教 員 は 官 立 師 範 学 校 を 設 け た り 、 短 期 の養 成 所 で あ った り 、 官 立 師 範 学 校 で学 業 試 験 を 行 い 資 格 を 与 え て い た 。 し か し 、 こ れ ら の 有 資 格 者 だ け で は 、 全 国 の 小 学 校 教 員 を 満 た す こ と は で き な か っ た 。 申 等 ・高 等 教 員 に 関 し て は 、 さ ら に 養 成 が 困 難 で あ っ た 。 教 育 令 時 の教 員 養 成 は 、 師 範 学 校 卒 業 者 以 外 で資 格 が な く て も 、 教 員 に 推 薦 す る 学 力 を 持 っ て い る 者 に 対 し て 文 部 省 は 、 明 冶 十 二 年 の 布 達 で 府 県 に こ れ ら の 者 に 適 切 な 方 法 で 学 力 を 検 定 さ せ た 。 学 制 も 教 育 令 も 教 員 の資 格 と し て は 、 学 力 だ け を 考 慮 し 、 品 行 に 関 し て は 一切 説 い て い な か つ た 。 し か し 改 正 教 育 令 で は 、 品 行 に つ い て も 定 を 定 め 小学 校 教 員 を 規 め て い た ω。 さ ら に 改 正 教 育 令 で は 、 府 知 事 ・県 令 か ら 教 員 免 許 状 を 得 れ ば 、 そ の 府 県 に お い て 教 員 と し て 勤 務 で き る よ う に な っ た 。 そ し て 十 四 年 一月 三 十 一 日 に 、 ﹁小 学 校 教 員 免 許 状 授 與 方 心 得 鯉 定 した 。 こ こ で は、 師 範 学 校 卒 業 者 以 外 の者 が 教 員 にな る場 合 は学 力 を 検 定 し、 三等 の免 許 状 を 交 付 す る と し た 。 ま た 教 育 令 で は 、 教 員 は 男 女 関 係 無 く 年 齢 は 十 八 歳 以 上 の 者 と 定 め て い る だ け で 、 他 は 何 も 規 定 し て いな か った 。 47 (第 三 十 八 条 )。 ﹁私 立 二 改 正 教 育 令 の 教 員 養 成 は 、 府 県 に 対 し て 師 範 学 校 設 置 の 義 務 を 明 示 し (第 三 十 三 条 )、 教 員 の 資 格 と し て は 官 公 立 師 範 学 校 の 卒 業 証 書 を そ の 条 件 と し 、 別 に 地 方 官 交 付 の教 員 免 許 状 を 定 め て い る 係 ル モ ノ ハ必 ス 其 費 用 ヲ 減 少 シ テ 非 構 成 不 備 タ ラ サ ル コト ヲ 得 ス。 是 レ 私 立 師 範 学 校 ノ 望 ヲ 嘱 ス 可 カ ラ サ ル 所 以 ニ シ テ 、 既 二 已 二 不 備 ナ ル コ ト ヲ 予 知 ス レ ハ、 豊 之 ヲ 以 テ 官 公 立 ト 同 一規 ス ル ヲ 得 ベ ケ ン ヤ 。 故 二 今 回 ノ 改 正 案 二 於 テ ハ 官 立 公 立 ノ 四 字 ヲ 加 ヘ タ リ ④﹂と あ る よ う に 私 立 師 範 学 校 を お さ え て 教 員 養 成 を す べ て 官 公 立 の 専 有 に 帰 し て いる 。 述 べ て き た よ う に 文 部 省 は 師 範 学 校 の 育 成 方 策 を 打 ち 出 し て いた が 、 大 き く 三 つに 分 け る こ と が で き る 。 第- 一は 師 範 学 校 の 職 制 改 正 と 教 員 処 遇 の 改 善 で あ る 。 第 二 は 師 範 学 校 教 則 大 網 の 頒 布 と 教 育 内 容 の 改 良 で あ る 。 そ し て 第 三 は 府 県 立 師 節 学 校 校 則 の 制 定 と 教 員 ・設 備 の 拡 充 で あ る 。 第 二 の 師 範 学 校 教 則 大 網 の 制 定 と 、 こ れ に よ る 教 育 内 容 の 改 良 で あ る が 、 こ れ ま で 官 立 師 範 学 校 は 米 国 や 独 逸 の師 範 学 校 に 模 し て 教 則 を 作 り 、 府 県 の 師 範 学 校 は 官 立 師 範 学 校 に 模 し て 教 則 を 工 夫 し て い た が 、 明 確 に は な っ て い な か った 。 そ の た め 修 業 年 限 も 各 地 ば ら ば ら で 、 そ の 組 織 も 小 学 師 範 科 だ け の も の が あ り 、 小 学 師 範 科 と 中 学 師 範 科 を お いた も の が あ り 、 師 範 ﹁田 中 大 輔 は 教 員 政 策 を 自 由 化 し て 教 員 委 嘱 制 を う ち だ 学 校 の学 科 も そ の 程 度 ぱ ら ぱ ら で あ った 。 し か し 師 範 学 校 の 程 度 範 囲 を 定 め な い で は 、 師 範 学 校 を 着 実 に 育 成 す る こ と が で き な いと考 え て いた。 倉 澤 氏 は 教育 令 、 改 正 教育 令 時 の教 員養 成 に つい て し 、ま た 教 員 養 成 を 自 由 化 し て 師 範 学 校 も 自 由 に 放 任 し た の で 、府 県 の 師 範 学 校 は お お む ね 低 調 無 気 力 に 流 れ 、 ﹁各 府 県 ハ 小 学 校 教 員 ヲ 養 成 セ ン カ 為 二 師 範 学 校 ヲ こ れ が 小 学 校 衰 退 の 大 き な ㎜因 で あ っ た 。 そ の た め 河 野 文 部 卿 は 応 急 挽 回 政 策 の 一環 と し て 、 教 員 養 成 の 強 化 と 師 範 学 校 の改 良 を う ち だ し 、 改 正 教 育 令 の第 三 十 三 条 に 設 置 ス ヘシ﹂ と定 め 、管 内 に 必 要な 小学 校 教 員 を 養成 す る に 足 る べき 師 範 学 校 の設 置 を 府 県 に義 務 づ け た ので あ る 。 ㈲﹂ と 述 べ て い る よ う に 、 教 育 不 振 を 立 て 直 す た め に 、 教 員 の 養 成 強 化 と 師 範 学 校 の 設 置 が い か に 急 務 で あ った か が わ か る 。 48 明治 ÷ 四年 ﹄原 書房 一九 七 六 年 (八 月 十 九 日 輪 廓 附 ) 師 範 学 校 教 則 ノ 大 網 別 冊 ノ 通 可 相 心 得 此 旨 相 達 候 事 と し 、 ﹁師 範 学 校 教 則 大 網 ﹂ は 別 冊 第 十四 巻 文 部 省 達 第 二 十 九 号 D内 閣 官 報 局 ﹃法 令 全 書 明 治 十 四 年 ﹄ 八 〇 二 ∼ 八 〇 三 頁 ﹁品 行 不 正 ナ ル モ ノ 教 員 タ ル コ ト ヲ 得 ス ﹂ と 規 定 し て い た 。 で 十 五 条 が 定 め ら れ て い る 。 幻 ﹃学 制 百 年 史 ﹄ 第 十 四 巻 教 員 の資 格 と し て 文 部 所 達 第 六 号 の 別 紙 と し て 、 六 条 に わ た って 定 め ら れ て い る 。 齢 ﹃法 令 全 書 の ﹃近 代 日 本 教 育 法 の 成 立 ﹄ 二 四 六 頁 ㊦ ﹃教 育 令 の 研 究 ﹄ 三 八 〇 頁 49 第 三章 第 一節 教 員 と し て の特 権 と 拘 束 内 容 教 員 の特権 明 治 前 期 に お け る 教 員 の 社 会 的 地 位 は ど の よ う な も の で あ っ た の だ ろ う か 。 当 時 の 教 員 は 、 一般 に 寺 子 屋 師 ﹁学 制 ﹂ 頒 布 後 の 同 年 九 月 三 日 太 政 官 匠 の 延 長 で あ った の で 威 厳 は 保 ち 、 社 会 人 か ら は 尊 敬 さ れ 、 父 兄 か ら も 尊 敬 の 念 で 見 ら れ て い た の と 同 時 に 生 徒 に 対 し て は 極 め て 厳 し か った 。 当 時 の教 員 は 、 官 吏 待 週 を 受 け て い た 。 そ の 始 ま り が 、 明 冶 五 年 八 月 布 告 第 二 四 六 号 ωを 以 て 発 せ ら れ た 。 こ こ で は 、 大 中 少 博 士 が 廃 せ ら れ 、 大 中 小 学 に 分 け て 大 中 少 教 授 、 大 申 少 助 教 を 置 く こ と と な っ た 。 す な わ ち 、 当 時 は 官 立 学 校 の 教 員 は }般 行 政 官 と 等 し く 純 然 た る 官 吏 で あ っ た こ と が わ か る 。 そ し て 、 六 年 七 月 十 八 日 に 文 部 省 は 太 政 官 に 対 し て 、 伺 出 を 出 し ω太 政 官 に お い て 趣 旨 を 採 用 し た の で 、 明 治 六 年 八 月 十 二 日 太 政 官 布 告 第 二 九 六 号 ㈲を 以 て 教 員 等 表 が 改 め ら れ た 。 こ の 改 正 に よ っ て 従 来 純 然 で あ る 官 立 学 校 教 員 は 奏 任 官 者 は 判 任 官 を も っ て 接 待 さ れ る こ と と な り 、 官 吏 待 週 者 と な った の で あ る 。 次 に 公 立 学 校 職 員 の 待 遇 等 に 関 し て は 従 来 何 等 の 規 定 も な か った 。 し か し 、 明 治 十 四 年 六 月 十 五 日 に 文 部 省 達 五 十 二 号 ωを 以 て ﹁府 県 立 町 村 立 学 校 職 員 名 称 並 び に 准 官 等 に 関 す る 規 定 ﹂ で 始 め て の 規 定 を 設 け 、 校 長 、 教 諭 、 助 教 諭 、 訓 導 の 等 位 お よ び 准 官 等 を 定 め た 。 こ の達 に 関 し て 文 部 省 は 同 月 府 県 対 し て 同 省 達 第 三 十 三 号 を 発 し た ㈲。 こ れ に お い て 、 公 立 学 校 職 員 は 初 め て 官 吏 待 遇 と し て 認 め ら れ た の で あ る 。 十 八 年 一月 十 日 に 府 県 立 学 校 長 お よ び 一等 教 諭 に つ い て は 奏 任 と す る こ と が で き る と 定 め た 。 十 六 年 五 月 二 十 六 日 に は 官 吏 懲 戒 例 、 行 政 官 吏 服 務 規 律 を 府 県 立 町 村 立 学 校 長 教 員 な ど に も 適 用 す る と 定 め た . こ れ ら の 措 置 は 、 公 立 学 校 職 員 を -般 官 吏 に準 ず る官 吏 待 遇 者 と し て認 め た こと を 示 し て いる。 官 立 学 校 の 職 員 は 初 め は 一般 官 吏 と 同 じ く 純 然 た る 官 吏 で あ っ た が 、 明 治 六 年 八 月 太 政 官 布 告 第 二 九 六 号 に よ っ て 、奏 任 官 待 遇 者 は 判 任 官 待 遇 た る 官 吏 待 遇 者 と な り 、更 に 明 治 八 年 五 月 十 四 日 太 政 官 布 告 第 人 十 四 号 ㈲に よ っ て 何 等 官 吏 と し て の 待 遇 を 受 け れ る 者 と な り 、そ の 後 明 治 十 年 八 月 二 十 三 日 太 政 官 達 第 五 十 人 号 ωを 以 て 明 5a 治 八 年 五月 太 政 官 布 告 第 八 十 四 号 が 改 正さ れ た が 、 官 立学 校 教 員 が 何 等 官 吏 と し て の待 遇 を 受 け れ る点 は変 ら な か った 。 ﹁師 範 学 校 ノ 卒 業 証 書 ヲ 得 タ ル 教 員 ハ 常 備 兵 役 ヲ 免 ル ル コ ト 次 は教 員 の徴 兵 つい て であ る。 学 制時 に は 、 教 員志 願者 に は 公費 を 貸 与 し 、 徴 兵 を 免 除 し て いた 。 教 育 令 の 時 は 、 元 老 院 審 議 の第 三 読 会 に お い て 、 第 四 十 条 ヲ 得 ヘシ ﹂ は 議 案 か ら 外 さ れ た 。 そ し て 兵 役 免 除 の規 定 は 徴 兵 令 に 委 ね た 。 明 冶 十 二 年 十 月 二 十 七 日 太 政 官 布 告 第 四 十 六 号 ㈲の 第 二 十 八 条 第 八 項 に お い て 、公 立 学 校 教 員 お よ び 官 立 学 校 教 員 は 兵 役 を 免 除 さ れ る と 定 め ら れ て い る。 ﹁余 の 教 員 生 活 と 教 育 上 の 些 細 な 仕 事 ﹂ ﹃教 育 ﹄ 第 三 巻 一号 ㈲に よ れ ば 、 ﹁余 の 郷 党 に 於 て は 、 教 師 は 万 人 で は 当 時 の教 員 は 社 会 人 や 父 兄 か ら は 尊 敬 さ れ て い た わ け だ が 、 ど れ ほ ど で あ った の か を 見 て い き た い 。 樋 日長 市 尊 敬 の 的 で あ り 、 村 長 様 と いえ ど も 三 尺 去 っ て師 の影 を 踏 ま な か った か ら の こ と で あ る 。 余 の 郷 里 に は 、 昔 か ら 教 師 を 尊 敬 す る 風 習 が あ り 、 祭 日 や 婚 礼 の式 揚 に は 招 待 せ ら れ て 、 上 席 に 据 え ら れ 、 道 を 通 る 時 に は 行 き 交 う 人 が 頬 冠 り を 取 る は 勿 論 、 遥 か に 遠 い 田 畠 の中 に 働 い て 居 る 者 で も 、 笠 に 手 を か け て 目 礼 し 、 村 芝 居 の あ る 際 に は 、 授 業 を 早 く 切 り 上 げ て 態 々 見 物 に 出 か け 、 入 れ ば ﹃先 生 様 が お 出 で だ 。﹄ と 盃 や 重 詰 が 彼 方 か ら も 此 方 か ら も 飛 び 、 終 幕 の 後 は 個 人 の家 に 請 ぜ ら れ 、 二 次 会 三 次 会 に 夜 を 更 か し 、 い か が は し い 歌 を 諦 つ て も 答 め ら れ ず 、 翌 日 は熟 柿 臭 い息 を し て 援 業 を し て も 、 生 徒 は 非 難 せ ず 、 全 く の道 徳 的 特 権 階 級 で あ った 。 余 の 家 に も 先 生 方 が 二 次 会 に 流 れ 込 み 、母 は 倉 皇 と し て 洒 屋 に 走 り 、余 も 揺 り 起 さ れ て お 燗 番 を さ せ ら れ た こ と 演 あ っ た 。﹂ と の べ て い る 。 ま た ﹃守 屋 喜 七 自 叙 伝 ﹄ で は 明 冶 十 二 年 頃 の 教 師 像 に つ い て 、 ﹁こ の 頃 の 先 生 と 父 兄 と の 連 絡 の 親 密 さ は 、 今 の 人 に は 一寸 想 像 出 来 な い 位 濃 厚 な も の で あ っ た 。 正 月 や 盆 、 飾 句 な ど 何 か 変 わ っ た 祝 日 な ど に は 、 子 供 と い う 子 供 は 皆 餅 や 赤 飯 を 先 生 の 自 宅 に 持 って 行 く 事 に 決 ま って 居 た 上 に 、 季 節 の 変 り 目 な ど に は 、 蕎 麦 や ト ロ ロな ど 田 舎 料 理 が 出 来 る と 、 先 生 及 び 先 生 の家 族 を 招 待 す る こ と に な っ て 居 た 。 ⋮ ⋮ 従 って 先 生 の 御 家 族 の 病 気 と か 不 幸 の あ った 時 な ど は 全 村 挙 げ て 、 其 の 心 配 を し た も の で 、 現 に 先 生 の 御 親 父 に 当 て ら れ る 方 の 亡 く な ら れ た 時 な ど 、 区 民 全 体 で 葬 儀 を と り 行 わ れ 、 其 墓 所 が 今 に 残 っ て い る 。 ㈲﹂ と 述 べ て い る 。 こ の よ 51 う に 尊 敬 さ れ た 教 師 は 、 生 徒 に 対 し て極 め て 厳 格 で あ った こ と を 知 る こ と が で き る 。 明 治 前 期 の 小 学 校 教 師 と い う の は 寺 子 屋 師 匠 の 伝 統 を 受 け て 極 め て 厳 格 で あ った よ う で あ る 。 こ の よ う な 教 師 像 の性 格 は 少 な か ら ず 出身 階 級 が 関 係 し て いた よ う であ る。 八 八 八 頁 D ﹃明 治 以 降 教 育 制 度 発 達 史 第 [巻 ﹄ 入 八 七 頁 太 政官 布告 二四六 号 文 部 省 中 大 中 大 博 士 以 下 ノ 教 官 名 被 廃 更 二大 中 小 学 教 官 学 士 称 号 別 紙 表 面 ノ 通 被 定 候 條 此 旨 相 達 候 事 幻 右 に 同 ( }九 七 四 年 四 四 七 頁 職 務 自 ラ 大 少 丞 ノ 管 掌 中 二有 之 却 テ 複 式 二隔 シ 候 問 右 ハ廃 止 セ ラ レ 更 二督 学 ノ 下 二大 中 官 等 例 ノ 職 員 二備 へ 置 レ 候 へ 共 右 ハ全 ク 其 教 揚 司 職 ノ 権 ヲ 有 ス ル ノ ミ ニ シ テ 他 ノ 職 官 ト 二非 ス シ テ 其 職 ヲ 承 ク ル モ ノ ト 見 倣 シ 毎 名 候 約 状 ヲ 以 テ 之 ヲ傭 ヒ 其 接 待 ヲ奏 判 以 下 ノ 班 シ 百 圓 ヲ 最 下 ト シ 中 学 教 官 八 百 園 ヲ 最 上 ト シ 三 十 圓 ヲ 最 下 ト シ 小 学 教 官 ハ三 十 圓 以 下 十 ヘ ス シ テ 其 管 任 二 因 テ 之 ヲ 壇 減 ス ル ノ 定 例 二致 シ 度 且 又 従 前 学 位 ノ 称 号 五 等 ノ 学 士 ヲ 以 学 士得 明 治 六 年 ﹄ 原 書 房 置候 庭其 学校教 授 向後 官員 ヲ最 上ト テ之 ヲ興 以 テ博士 (八 月 十 二 日 ) 第 六 巻 ノ 一 従 前 当 省 職 員 申 大 少 監 二宮 ヲ 被 少 ノ視 学 ヲ被 置度 且是 迄大中 小 ハ甚 司 掌 ヲ 異 ニ ス ル モ ノ ニ候 條 二置 キ 其 給 俸 ハ大 学 教 官 四 百 圓 圓 ヨ リ 滅 セ ス 三 枚 皆 其 等 次 二因 テ叙 テ候 ヤゥ相 応 メラ レ候庭 是 ﹃法 令 全 香 太 政 官 布 告 第 二 九 六 号 の 内 閣 官 報 局 文・ 部 省 職 員 中 大 少 監 ヲ 更 二大 中 小 視 学 書 記 ヲ 置 キ 且 教 員 ノ 等 次 学 位 ノ 称 号 等 別 表 ノ 通 改 定 候 條 此 旨 布 告 候 事 紛 ﹃明 治 以 降 教 育 制 度 発 達 史 第 二巻﹄ 五 四六 頁 府 県 立 町村 立 学 校 職 員 名 称 井 二准 官 等 左 ノ 通 相 定 候 條 此 旨 相 達 候 事 右 ノ 外 専 門 学 校 農 学 校 商 業 学 校 職 工 学 校 等 職 員 名 称 井 二 准 官 等 ハ 該 学 校 ノ 等 位 二 撮 リ 師 範 学 校 中 学 校 若 ク ハ 小 学 校 二準 ス ヘ シ 畠右 に 同 ω内 閣 官 報 局 ﹃扶 令 全 書 第人 巻 ノ 一 明冶 八年 ﹄ 原書 房 一九 七 五 年 九七 ∼ 九八 頁 太 政 官 布 告 第 八十 四 号 明 冶 六年 八月 第 二九六 号布 告文 部省 官等 表中 教員 等 表相 廃 シ同省 直轄 官立 学校 教 員等 次別 表 ノ通相 定候 條 此旨 布告 候事 の 内 閣 官 報 局 ﹃法 令 全 書 第 十巻 明治 十 年﹄ 原書 房 一九 七 五 年 二〇 三頁 太 政 官 布 告 第 五 十人 号 明 治 人 年 五 月 第 八 十 四 号 布 告 文 部 省 直 轄 官 立 学 校 教 員 等 次 ヲ 廃 シ 更 二同 省 所 轄 東 京 大 学 二教 授 助 教 並 員 外 教 授 ヲ 置 キ 大 学 予 備 門 其 外 各 学 校 二訓 導 助 訓 被 置 候 條 此 旨 相 達 候 事 但 給 料 之 儀 ハ適 宜 支 給 候 事 (別 冊 ) 幻内 閣 官 報 局 ﹃法 令 全 書 第 十 二巻 ノ } 明 冶 十 二 年 ﹄ 九 〇 頁 第 四 十 六 号 (十 月 二 七 羅 輪 廓 附 ) 徴兵 令 別冊 ノ通 改正條 此旨 布告 候事 但 徴 兵 令 二関 ス ル 従 前 ノ 布 告 達 及 ヒ 指 令 ハ 渾 テ 廃 止 ト ス 徴 兵 令 52 第 二十 八条 左 二掲 ル 者 ハ 国 民 軍 ノ 兵 役 ヲ 免 ス 第人 項 公 立 学 校 教 員 及 ヒ 文 部 省 所 轄 並 二其 他 省 使 二 属 ス ル 官 立 学 校 教 員 二〇 頁 明 治 十 年 頃 の 長 野 県 の 小 学 校 教 員 に 対 す る 世 問 の 人 々 の態 度 であ る 。 田 ﹃教 師 の 歴 史 ﹄ 二 一頁 期右 に 同 53 第 二節 教 員 が拘 束 さ れ て いた内 容 ﹁小 学 前 節 で も 述 べ た よ う に 、 教 員 は 徴 兵 を 免 除 さ れ 、 扱 い も 宮 吏 待 遇 で あ り あ ま り 制 約 を 受 け て い な か った 。 し ﹁集 会 条 例 ﹂ で あ り 、 ま た 特 に 十 四 年 の ﹁学 校 教 員 品 行 検 定 規 則 ﹂ で あ る 。 か し 、 そ ん な自 由 な 教 員 を 最 も強 く 制約 した のが 明冶 十 三年 の 校 教 員 心 得 ﹂ で あ り 、 更 に次 いで 発 せら れた 教 員 を 制 約 し た 一 つ で あ る 集 会 条 例 は 、 明 冶 十 三 年 四 月 五 日 太 政 官 布 告 第 十 二 号 ωと し て 発 せ ら れ た 。 こ こ で は 、 学 校 教 員 、 生 徒 の 政 治 的 集 会 、 結 社 への 参 加 を 禁 止 し た 。 ま た 、 民 権 運 動 に お け る 教 育 と 政 治 の 統 }の志 向 を 強 圧 的 に 切 断 し た 。 そ し て 、 こ れ 以 後 逆 に 天 皇 制 教 学 体 制 の 下 で の 政 治 と 教 育 の 統 一、 政 治 に よ る 教 育 の つ つ み 込 み が 進 め ら れ た 。 当 時 の 様 子 を 御 影 師 範 の 生 徒 で あ っ た 阿 部 市 作 は 、 ﹁明 治 十 三 年 頃 集 会 条 例 の 発 布 と 共 に 政 治 上 の論 議 は 籍 口さ れ た る のみな ら ず 耳 に聞 く こと も出 来 ず 、 並 に政 談 演 説 の場 所 に立 寄 る こと さ も得 ら れ な く な り ま し た 。爾 来 三 十 幾 年 間 は 教 員 は 社 会 と 懸 離 れ の 人 間 に さ れ て し ま い ま し た 。ま あ i 仙 人 で せ う 。 (﹃御 影 師 範 創 立 五 十 周 年 記 念 誌 ﹄ 七 三 頁 ) ω﹂ と 述 べ て い る よ う に 、 政 治 に つ い て の 論 議 を す る こ と は と も か く 、 聞 く こ と も 許 さ れ な か った の は 、 あ ま り に も 厳 し く は な い だ ろ う か 。 次 に 、 小 学 校 教 員 心 得 に つい て 考 察 し て い き た い 。 改 正 教 育 令 の 品 行 規 定 に 基 づ い て 、 明 治 十 四 年 六 月 十 八 ﹁時 間 に 合 せ の 教 育 令 改 正 は 出 来 た が 、 実 際 教 育 に 従 事 す る 者 の 頭 脳 が 一 変 し な く て は 可 か ぬ と い ふ 日 文 部 省 達 第 十 九 号 ㈲を 以 て 発 せ ら れ 、 小 学 校 教 員 の あ り 方 を 示 す こ と と な っ た 。 こ れ を 定 め る に 至 っ て は 、 江 木 千 之 が こ と を 痛 感 し 、 乃 ち 一般 教 員 に 対 す る 調 条 と 云 ふ も の を 発 布 し て 、 皇 道 主 義 の 教 育 方 針 精 神 を 貫 徹 せ し む る こ と が 緊 易 で あ る と 考 へ (﹃江 木 千 之 翁 経 歴 談 ﹄ 上 、 五 五 頁 ) ω﹂ と 述 べ 、 十 三 年 に 文 部 卿 に 進 言 し て 同 意 を 得 て 起 草 し て いる 。 江 木 は初 め 、 これ を 教 員 に 対 す る勅 諭 と し て発 布 し ょう と 考 え て いた よ う であ る。 こ の小学 校 教 員 心 得 は 、 そ の 発 布 当 時 は 府 知 事 県 令 が 小 学 校 の 教 員 を 任 命 す る 際 に 、 辞 令 書 を 交 付 す る と 同 時 に 一冊 ず つ 渡 し た 。 ま だ 江 木 は 、 ﹁要 す る に 、 此 の 教 員 心 得 の 発 布 は 、 知 育 偏 重 、 欧 米 心 酔 の 教 育 を 一 変 し て 、 皇 道 主 義 に 引 直 し た る 一 大 画 期 的 の 拳 で あ っ た ㈲﹂ と 述 べ て い る 。 b4 そ し て こ の小学 校 教 員 心 得 が 、 教 員 に対 し て極 め て大 き な 制 約 を加 え た のは 次 の ﹁政 治 及 宗 教 二 渉 り 執 擁 矯 ﹁学 校 教 員 品 行 検 定 規 則 ﹂ を 設 け 激 ノ 言 論 ヲ ナ ス 等 ノ ア ル ヘカ ラ ス ﹂ と い う 政 治 的 圧 迫 で あ った 。 実 に こ の こ と が 事 実 上 教 員 の 政 治 活 動 を 全 面 的 に 禁 圧 す る こ と と な った の で あ る 。 政 府 は 集 会 条 例 や 小 学 校 教 員 心 得 を 守 ら せ る た め に 、 十 四 年 七 月 二 十 一日 て 、 教 員 品 行 の 基 準 を 定 め た 。 品 行 に つ い て 定 め る 前 に 、 七 月 八 日 府 県 に 対 す る 文 部 省 達 第 二 十 四 号 ㈲を 以 て 小 (改 正 教 育 令 第 三 十 学 校 教 員 免 許 状 授 與 方 心 得 の 第 六 条 が 改 正 さ れ た 。 こ の改 正 に よ っ て、 品 行 不 正 を し た 者 は 解 雇 す る と き に 免 許 状 を 没 収 す る と 定 め た 。 そ し て 、 七 月 二 十 一日 文 部 省 は 府 県 に 対 し て 同 省 達 第 二 十 六 号 七 条 但 書 ) ωを 以 て 学 校 教 員 品 行 検 定 規 則 を 定 め た 。 こ れ が 定 め ら れ た こ と に よ っ て 、 少 な く と も 全 て の 教 員 た る 者 は そ の面目 を 汚 す こ と は、 品 行 不 正 に 当 た る と さ れ た 。 よ って、 現 職 教 員 だ け では な く 教 員 候 補 者 も、 公 私 の 生 活 に わ た って そ の 品 行 が 、 厳 し く 監 視 さ れ る こ と に な った 。 反 し た 者 に 対 し て は 、 学 校 教 員 に 就 こ う と し て いる者 や 、 就 職 し た 後 で あ っても 停職 に す ると し た 。 ま た 、 本 人 が 持 って いる 師 範 学 校 卒 業 証書 教 員免 許 状 を 没 収 す る と 発 令 し た 。 こ こ に お い て教 師 は 、 政 治 か ら の 隔 離 を 余 儀 な く さ れ 、 政 治 に 対 し て 無 関 心 に な つ て い き 、 次 第 に 無 気 力 に な っ て い った と 考 え ら れ る 。 学 校 品 行 検 定 規則 が 制 定 さ れ る に あ た っ て 、 教 員 を 政 治 か ら 切 り 離 し 、 政 治 化 を 強 制 す る 方 策 が と ら れ た 。 改 正 教 育 令 第 三 七 条 但 書 は 、 ﹁品 行 不 正 ナ ル モ ノ ハ 教 員 タ ル コ ト ヲ 得 ズ ﹂ と 規 定 し た 。 こ こ で い う 品 行 と う い う のは 、 法 律 を 犯 す こと はも ち ろ ん 、 生 徒 や 親 、 民 衆 の人 た ち から 見 て教 師 と し て有 るま じき 行 為 を指 す ので は な い だ ろ う か 。前 年 の 教 育 令 と 原 案 に も ﹁品 行 正 シ カ ラ ザ ル モ ノ ハ 教 員 タ ル コ ト ヲ 得 ズ ﹂と の 項 目 が あ っ た が 、 当 時 の 元 老 院 会 議 は 、 教 員 の 品 行 特 に そ の 思 想 の評 価 が 困 難 で あ る と い う 妥 当 な 理 由 で そ れ を 削 除 し た の で あ る 。 わ ず か 一年 後 に ま っ た く 同 趣 旨 の 規 定 が 復 活 し た と こ ろ に 、 民 権 遅 動 へ の 政 府 の 危 機 意 識 の 深 ま り と 方 針 ﹁小 学 ﹁教 師 訓 条 ヲ 定 ム ル コ ト ﹂ を ﹁教 師 訓 条 ﹂ の 内 容 に 類 似 し た 転 換 の姿 を よ み と る こ と が で き る 。 改 正 教 育 令 公 布 以 前 に 元 田 永 孚 は 文 部 当 局 に 申 し い れ て いた が 、 こ の 教 員 統 制 方 策 は 、 ま ず 明 治 十 四 年 六 月 、 元 田 の 校 教 員 心 得 ﹂ と し て 実 現 し た 。 ﹁心 得 ﹂ は 、 ﹁教 員 タ ル 者 ハ ⋮ ⋮ 政 治 及 宗 教 上 二 渉 り 執 擁 矯 激 ノ 言 論 ヲ ナ ス ﹂ こ 55 と を 禁 止 す る と と も に 、 ﹁尊 王 愛 国 ノ 志 気 ヲ 振 起 ﹂ す べ き 教 員 の 任 務 と し て ﹁人 ヲ 導 キ テ 善 良 ナ ラ シ ム ル ハ 多 識 ナ ラ シ ム ル ニ 比 ス レ バ 更 二緊 要 ナ リ ト ス 故 二 教 員 タ ル 者 ハ 殊 二 道 徳 ノ 教 育 二 力 ヲ 用 ヒ 生 徒 ヲ シ テ 、 皇 室 二忠 ニ シ テ 国 家 ヲ 愛 シ 父 母 二孝 ニ シ テ 長 上 ヲ 敬 シ 朋 友 二 信 ニ シ テ 卑 幼 ヲ 慈 シ 及 自 已 ヲ 重 ン ズ ル 等 凡 テ 人 倫 ノ 大 道 二 通 暁 セ シメ﹂ な け れば な ら な いと 指 示 した 。 ㈲ 次 に 教 員 の給 与 の実 態 に つ い て 見 て い き た い 。 明 治 初 年 の 教 員 生 活 は 、 経 済 的 に は 決 し て 恵 ま れ た も の で は な か っ た 。 明 治 五 年 学 制 当 時 に お け る 教 員 給 料 の 一例 を 若 松 県 の 俸 給 令 に つ い て 見 る と 、 上 等 訓 導 三 円 、 下 等 訓 導 二 円 で あ っ た 。 明 治 六 年 、 福 島 、 磐 前 、 若 松 三 県 の 教 師 九 二 三 人 の 給 料 を 平 均 す る と 、 一円 六 拾 二 銭 と な つ て い る 。 し か し 明 治 六 年 頃 の こ の 地 方 の 米 の 価 格 は 、 一升 一 銭 六 厘 八 毛 か ら 二 銭 で あ り 、 物 価 は 低 く か っ た 明 治 九 年 の状態 を 万 一 九 八 二 円 五 九 銭 三 厘 で あ つ た 。 こ れ を 公 学 校 の 教 員 五 万 一 二 一人 に 平 均 す る と 、 一 人 の ﹃文 部 省 年 報 ﹄ ㈲で 全 国 的 な 立 場 か ら 比 較 す る と 、 公 学 金 五 二 五 万 四 五 円 二 一銭 一 厘 の う ち 、 が 、 し か し 下 級 教 員 の 一カ 月 七 五 銭 、 高 級 教 員 の 二 円 の 月 俸 で は 生 活 を 豊 か に す る こ と は 出 来 な か っ た 。 次 に 教 員俸 給 は 二一 一 = 年 額 が 四 五 円 二 二 銭 六 厘 と な る 。 し か し 地 方 別 に 見 る と 、 東 京 府 は 一人 八 九 円 五 七 銭 三 厘 、 秋 田 県 が 人 六 円 五 十 三 銭 六 厘 で 最 も 多 い 方 で あ り 、青 森 県 二 三 円 七 三 銭 一 厘 、山 口 県 二 六 円 八 五 銭 二 厘 な ど が 最 も 低 い 方 で あ る 。 こ こ か ら も 当 時 の 教 員 ノ の 生 活 が 、 裕 福 な ほ う で は な か つた こ と を 知 る こ と が 出 来 る 。 そ れ か ら 、 文 部 卿 演 説 に も 、 ﹁教 員 給 料 之 如 キ 昨 年 拾 円 ナ ル モ 今 年 ハ 八 円 乃 至 六 円 ト ナ ス 勢 ナ レ ハ 、 (中 略 ) 教 員 モ 卑 見 識 ヲ 免 レ ス ト 錐 、 人 民 ノ 不 待 遇 二 職 由 セ ス ン ハ ア ラ サ ル ナ リ 。 (中 略 ) 良 師 聰 ス ル カ 為 メ ニ 一月 二 三 円 ヲ 増 額 ス ル (中 略 )⋮﹂ と ﹃教 師 の 歴 史 ﹄ で は 以 下 の 如 く 述 べ て い る 。 神 官 、 僧 侶 兼 教 師 の 如 く 、 他 に 収 入 の あ る よ う に 、教 員 の待 遇 改 善 にお い て給 与 の面 を 見 直 す 必 要 が あ る と 述 べ て いる 。 当 時 の教 師 の生 活 実 態 を あ る 人 は 差 支 え な い が 、教 師 本 業 の 人 は 生 活 に 困 り 、妻 女 を し て 他 家 の 裁 縫 を さ せ た り 、 或 い は 会 津 、 二 本 松 、 棚 爽 平 な ど の 滑 落 の 士 族 屋 敷 か ら 、 戊 辰 戦 争 当 時 分 捕 った 古 着 な ど を 売 買 さ せ た り 、 土 地 富 豪 有 志 家 か ら 野 菜 味 噌 な ど の供 給 を 受 け 、 酒 を 嗜 む 先 生 は、 濁 酒 の供 給 を懇 望 し た 。 これ 等 は中 以 上 の先 生 で、 そ の他 は焚 木 を 採 る た め に 休 校 を 宣 言 し 、 田 舎 の 教 師 は 春 に は 蕨 取 り 、 夏 に は 魚 釣 り 、 秋 に は 栗 拾 い 、 甚 だ し き は 稲 の落 穂 拾 56 い に 児 童 を 利 用 し た も の も あ る 。 或 る 二 本 松 士 族 の 先 生 は 、 学 校 の 周 囲 に 小 豆 を 蒔 き 散 ら し て 、 そ の熟 す る や 扉 に 打 つ け 落 し て 常 食 に し 、 ﹁小 豆 程 手 の 掛 ら ぬ も の は な い 。 唯 だ 打 落 せ ば 直 ぐ に 喰 わ れ る 。 小 豆 を 作 る に 限 る ⋮﹂ と い っ て い た と い う 。 こ の よ う に 、 教 員 の 給 与 は 決 し て 高 い わ け で は な く 、 ど ち ら か と い え ば 低 い も の で あ つ た 。 給 与 に 関 し て は 、 教 員 を 拘 束 す る も の で は な か った か も し れ な い が 、 父 兄 に 尊 敬 さ れ て い た 教 員 が 生 活 に 困 って い た のだ か ら 、 法 的 に 拘 束 さ れ て い た と い う 見 方 が で き る の で は な い だ ろ う か 。 前 節 で 教 員 は 、 官 吏 の 待 遇 を 受 け て い た と 述 べ た が 、 一方 で 官 吏 だ か ら こ そ 拘 束 さ れ て い た 面 も あ る 。 官 立 学 校 の 教 員 は 、 官 吏 と し て の 身 分 を 有 す る こ と か ら 、 服 務 懲 戒 等 に 関 し て は 一般 官 吏 に 関 す る 規 定 の 適 用 を 受 け て い た 。 九 年 三 月 十 二 日 院 省 使 庁 府 県 に 対 す る 太 政 官 達 第 二 十 七 号 ㎝を 以 て 官 署 執 務 時 間 が 定 め ら れ た 。 こ こ で 四 月 か ら 休 暇 は 日 曜 日 で あ る こと を 定 め 、 土 曜 日だ け は 正午 よ り 休 暇 であ ると し た 。 これ に関 し て は 、苦 と な る 拘 束 で な か っ た こ と は 伺 い し れ る 。 四 月 十 四 目 に は 太 政 官 達 第 三 十 四 号 側を 以 て 官 吏 懲 戒 例 が 定 め ら れ た 。 官 吏 懲 戒 令 は以 下 の通 り であ る。 今 般 官 吏 懲戒 例 左 ノ通 相定 候 條 此 旨 相 達 候 事 第 三 條 第 二條 第 一條 罰 俸 ハ判 月 ヨ リ 少 カ ラ ス 三 月 ヨ リ 多 カ フ サ ル ノ 間 俸 ヲ 奪 フ 謎 責 ハ懲 戒 ノ 軽 キ モ ノ ト シ テ 本 属 長 官 ヨ リ 謎 責 書 ヲ 付 ス 懲 戒 ノ 法 三 種 ト ス 第 一謎 責 第 二 罰 臨 俸第 三 免 職 自 今 私 罪 ヲ 除 ク ノ 外 ハ 官 吏 職 務 上 ノ 過 失 ハ本 属 長 官 二 於 テ 懲 戒 ノ 権 ヲ 有 ス ヘ シ 官吏懲戒例 第 四 條 俸 ヲ 迫 ス ル ノ 法 ハ毎 月 給 俸 ノ 半 ヲ 領 置 シ 数 満 テ 大 蔵 省 二送 付 ス 懲 戒 ヲ 以 テ 免 職 ス ル 者 ハ本 属 長 官 ノ 意 見 二従 ヒ 其 奏 任 具 状 奏 請 シ テ 之 免 シ 位 記 ヲ 返 上 セ シ ム 但 懲 諸 省 長 官 ハ所 属 奏 判 任 官 ヲ 懲 戒 ス 第 五條 第 六條 府 県 奏 任 官 ハ太 政 大 臣 之 ヲ 懲 戒 ス 府 県 並 警 視 磨 判 任 官 ハ其 長 官 之 ヲ 懲 戒 ス 戒 二 由 ル ニ ア ラ ス シ テ 免 職 ス ル 者 ハ長 官 ヲ 旨 論 シ 本 人 ヨ リ 辞 職 ノ 願 ヲ 差 出 サ シ メ 然 後 二免 許 ス ヘ シ 第 七條 57 第八條 第 九條 第 十條 ヲ得 ス ヲ得 ルヲ除 ク ノ外 其 罰 俸 免 職 ヲ 四 等 以 下 ノ 判 事 ハ 司 法 卿 之 ヲ 懲 戒 ス 府 県 官 判 事 ヲ 兼 ル 者 ノ 其 所 属 判 任 官 二於 ル ハ他 ノ 奏 任 以 上 府 県 官 ノ 叶 議 ヲ 得 タ ル後 之 ヲ懲 戒 ス 府 県 長 官 警 視 長 官 其 所 属 判 任 官 ヲ 懲 戒 ス ル ニ其 謎 責 ヲ 専 行 ス ル 行 フ ハ便 宜 慮 分 シ テ 速 二内 務 卿 二届 出 ヘシ 府 県 官 判 事 ヲ 兼 ル 者 其 所 属 判 任 官 ノ 罰 俸 免 職 ヲ 行 フ ハ便 宜 塵 分 シ テ 遠 二 司 法 卿 二届 出 ヘ シ 其 有 心 故 造 私 罪 二 入 ル 者 ハ 職 務 上 ノ 罪 ト 錐 モ 之 ヲ 司 法 官 二移 シ 本 属 長 官 専 二 威 分 ス ル 教 員 の 結 婚 の 実 態 は 、 男 性 教 員 の 結 婚 は 府 県 知 事 の 許 可 が 必 要 で あ った が 、 女 性 教 員 は 結 婚 す れ ば そ の 職 を 免 ぜ ら れ 、 か つ退 職 金 な ど の 受 給 権 利 も 失 う と し た 。 男 性 に と っ て は 、 許 可 が 必 要 な だ け で そ の身 分 等 は 保 障 さ れ て い た が 、 結 婚 す る の に 府 県 知 事 の 許 可 が 必 要 だ った の は 明 ら か な 拘 束 で は な い だ ろ う か 。 ま た 女 性 に 関 明 冶 十 三 年 ﹄ 原 書 房 -九 七 六 年 五 七 ∼ 六 一頁 し て は 、 教 員 を 辞 め るだ け で はな く 、 退 職 金 な ど を 受 け る権 利 ま で失 効 さ れ て しま う の は、 拘 束 と う いう よ り 第 十 三 巻 ノ ⋮ 人権 が 希 薄 さ れ て いた の では な い か。 ﹃法 令 全 書 ﹃教 師 の 歴 史 ﹄ 三 四 頁 , 一九 七 六 年 八 二 三 ∼ 八 二 六 頁 太 政 官 布 告 第 十 二 号 (四 月 五 日 輪 廓 附 ) ﹁集 会 条 例 別 冊 ノ 通 被 定 候 條 此 旨 布 告 候 事 ﹂ と し 、 別 冊 に お い て 十 九 条 が 定 め ら れ た 。 こ の う ち 、 改 正 が 二 条 、 追 加 が 三 条 で あ る 。 D内 閣 官 報 局 ω ㈹ 内 閣 官 報 局 ﹃法 令 全 書 第 十 四 巻 明 冶 十 四 年 ﹄ 原 書 房 文 部 省 唾 達 籠翔十 九 号 (六 月 十 八 日 輪⋮廓 附 ) 小 学 校 教 員 心 得 別 冊 ノ 通 相 定 候 條 右 旨 趣 二基 キ 懇 篤 教 誰 ヲ 加 へ教 員 ノ 本 分 課 ラ シ メ サ ル 様 可 致 此 旨 相 達 候 事 第 二巻﹄ 五 二 二頁 上﹄ 六 三頁 り ﹃教 師 の 歴 史 ﹄ 三 七 頁 の右 に 同 ﹃江 木 千 之 翁 経 歴 談 品 行 不 正 二因 リ テ 其 職 ヲ 解 罷 ス ル ト キ ハ 免 許 状 ヲ 没 収 ス ル モ ノ ト ス の ﹃明 治 以 降 教 育 制 度 発 達 史 五 二 三 ∼ 五 二 四 頁 第 六 條 "右 に 同 第 ﹁欺 一條 懲 役 若 ク ハ禁 獄 若 ク ハ鎖 銀 ノ 刑 ヲ受 ケ タ ル 者 学 校 教 員 ノ 品 行 ハ 左 ノ 一欺 若 ク ハ 数 欺 二 鰯⋮ル 、 者 ヲ 以 テ ・oo行 不 正 ト 認 ム ヘ シ 教 育 令 第 三 十 七 條 但 書 教 員 品 行 ノ儀 ハ別 紙 規 瑚 二接 リ 検 定 可 仮 致 此 旨 相 達 候 事 学 校 教員 品 行検定 規 則 第 58 第 二欺 第 三欺 第 四欺 第 二條 第 三 條 第 四 條 但 腰 金 罰 金 ヲ 納 ム ル 能 ハ ス シ テ 本 文 ノ 刑 二庭 セ ラ レ タ ル者 ハ此 限 ニア ラ ス 前 欺 ノ 刑 ヲ 受 ケ 存 留 養 親 老 小 療 疾 婦 女 等 ノ 故 ヲ 以 テ 牧 賄 ヲ聴 サ レ タ ル者 身 代 限 ノ慮 分 ヲ 受 ケ 未 タ 辮 ノ 義 務 ヲ 終 ヘサ ル者 荒 酬 暴 激 等 総 テ 教 員 タ ル ノ 面 目 ニフ ル 汚 行 ア ル 者 第 一 條 ノ 一歎 若 ク ハ 数 欺 一 二肩 触 ル 、 者 ハ 学 校 教 員 ノ 職 二 就 カ シ ム ル ヲ 得 ス 又 就 職 ノ 後 ト 錐 モ 其 職 ヲ 停 罷 ス ヘ キ モ ノ ト ス 晶 行 不 正 ト 認 メ 学 校 教 員 ノ 職 二就 ク コ ト ヲ 許 サ 、 リ シ 者 及 其 職 ヲ 停 罷 シ タ ル 者 ア ル ト キ ハ府 知 事 県 令 ヨ リ 担 本 文 ノ 場 合 二於 テ ハ本 人 有 ス ル 所 ノ 師 範 学 校 卒 業 証 書 教 員 免 許 状 ヲ 没 収 ス ヘ シ ﹁岩 波 講 座 日 本 歴 史 1 5 近 代 2 ﹂ 二 一= 二∼ 二 二 四 頁 参 照 第 一 條 ノ 一歎 著 ク ハ 数 欺 二 触 ル 、 者 ト 錐 モ 府 知 事 県 令 二 於 テ 特 二 学 校 教 員 タ ラ シ メ ン ト ス ル ト キ ハ 其 族 籍 其 族 籍 建 名 井 二事 由 ヲ 具 シ テ 文 部 脚 二 關 申 ス ヘ シ 姓 名 井 二事 由 ヲ 具 シ テ 文 部 卿 二伺 出 シ 二 九 ∼ 三 〇 頁 ﹃学 校 教 育 と 富 国 強 兵 ﹄ 江 村 栄 一 他 著 ﹃文 部 省 第 四 年 報 ﹄ 明 冶 九 年 の安 廻 寿 之 助 公 学 金 、 教 員 給 俸 、 地 方 の 一人 当 た り の 年 額 に 関 し て 参 照 。 田文 部 省 第 一巻 ﹄ 人 九 一頁 朗 ﹃近 代 日 本 教 育 法 の 成 立 ﹄ 二 三 二 頁 酬 ﹃教 師 の 歴 史 ﹄ -四 〇 頁 剛 ﹃明 治 以 降 教 育 制 度 発 達 史 文部 省達 第 二十 七号 文 部 省 達 三 十 四 号 八 九 一∼ 八 九 三 頁 従 前 一六 日 休 暇 ノ 盧 来 ル 四 月 ヨ リ 日 曜 目 ヲ 以 テ 休 暇 ト 被 定 候 條 此 旨 相 達 候 事 但 土 曜 日 ハ 正 午 十 二 時 ヨ リ 休 暇 タ ル ヘキ 事 珊右 に 同 59 終章 以 上 、明 治 前 期 にお け る教 育 制 度 に つい て、 明治 五年 の ﹁学 制 ﹂、 明 治 十 二 年 の ﹁教 育 令 ﹂ 翌 年 の ﹁改 正 教 育 ﹁学 制 ﹂ に つ い て 考 察 し た 。 こ の 節 で は 、 頒 布 に 至 る ま で の 過 令 ﹂ を 見 て き た 。 ま た 、 当 時 の 教 員 の 実 態 と し て の 特 権 ・拘 束 内 容 に つ い て も 見 て き た 。 第 一 章 の 第 一節 で は 、 明 治 五 年 に 頒 布 さ れ た ﹁学 制 取 調 掛 ﹂ が 任 命 さ れ 、 国 内 の 学 校 の 調 査 を さ せ て い た 。 こ の 学 制 程 を 、 教 育 を 政 府 が 統 一し て 行 う た め と し て 文 部 省 を 設 立 し 、 全 国 を 統 -し た 教 育 行 政 を 施 行 し た と い う こ と が わ か った 。 学 制 を 起 草 す る に あ た り ﹁学 制 原 案 ﹂ は 、 大 網 が ま と め ら れ て か ら 約 二 ヶ 月 取 調 掛 に は 十 二 名 が 任 命 さ れ た が 、そ の 大 半 が 洋 学 者 で あ っ た こ と か ら 、文 部 省 の 欧 米 の 制 度 を モ デ ル に し て 、 学 制 を 制 定 し よ う と し て い た 意 図 が 明 ら か に な った 。 ま た と い う 短 期 間 で 完 成 に 至 った 事 実 か ら は 、 留 守 政 府 に よ る 遣 外 使 節 に 対 す る 対 抗 心 が あ った こ と が 明 ら か に な つた 。 制 定 に 向 け て 審 議 は 順 調 に 進 ん で い た が 、 文 部 省 の 提 出 し た 予 算 案 に 対 し て 大 蔵 省 が 反 発 し た 際 は 暗 礁 に 乗 り 上 げ 、 話 し 合 い を 重 ね た が 結 論 が で ず 、 経 費 の点 は 未 決 定 で 実 施 さ れ た こ と が わ か った 。 そ し て 太 政 官 か ら は 、 着 手 の 順 序 に 対 し て の指 令 が 出 さ れ て い た こ と が わ か った 。 学 制 は 、 学 校 体 系 を 武 士 と 民 衆 の た め の 学 校 を 一つ に 統 合 、 組 織 す る 機 能 を 有 し た こ と に 深 い意 義 が あ っ た こ と が 明 か に で き た 。 二 節 で は 、 学 制 の 内 容 と 目 的 に つ い て 考 察 し た 。 フ ラ ン ス の 教 育 制 度 を 模 範 と し て いた が 、 こ れ は 当 時 の 日 本 が 中 央 集 権 主 義 を 取 り 入 れ よ う と し て お り 、 フ ラ ン ス が 教 育 制 度 に お い て 最 も 中 央 集 権 的 な 立 場 に あ つた こ と を 明 ら か に した 。 学 制 に お いて、 学 区制 を採 用 し た した こ と は非 常 に重 要 であ り、 教 育 を全 国 に 普 及 さ せ よ う と し た 目 的 が わ か っ た 。 内 容 は 、 第 一 に 義 務 教 育 、 第 二 に 学 問 ・教 育 の 日 的 の 明 確 化 、 第 三 に 学 問 ・ 教 育 は 人 々 の自 主 自 発 に よ っ て 行 わ れ る べ き と し て 三 っ に わ け ら れ る こ と が わ か っ た 。 そ の 中 で も 、 小 学 校 義 務 教 育 制 度 が 最 も 重 要 な 点 で 、 政 府 や 文 部 省 は 就 学 率 向 上 に 努 め た が 上 手 く 実 行 で き て いな か った こ と も わ か った 。 し か し そ れ に 反 し て 、 国 民 は 授 業 料 の あ ま り の高 さ か ら 騒 動 を 起 こ し た り し た が 、 こ れ は 予 測 で き え た 事 態 で は な いか と考 え ら れ る。 60 三節 では 、学 制 期 に お け る 師 範 学 校 設 立 と 教 員 養 成 に ついて考 察 し た。 まず 初 め に 、 教 師 よ り も学 校 を 先 に 作 っ て し ま っ た こ と を 明 ら か に し た 。 そ の こ と か ら 文 部 省 が 、 真 っ先 に 学 校 の 建 設 ば か り を 考 え て い た こ と が わ か つた 。 積 極 監 励 策 が と ら れ た の は 、 小 学 校 教 育 の 発 達 を 図 る た め に は 、 教 員 養 成 機 関 で あ る 師 範 学 校 の発 達 が 必 要 で あ り 、 文 部 省 も ま た そ の こ と を 認 知 し て いた こ と を 明 ら か に す る こ と が で き た 。 し か し 、 実 際 教 員 の 数 は 不 足 し て いた の で 、 師 範 学 校 を 卒 業 し た 者 が 、 そ の ま ま 小 学 校 で 教 え る の で は な く 、 各 地 の師 範 学 校 な ﹁教 育 令 ﹂ が 制 定 さ れ る ま で の 過 程 に つ い て 考 察 し た 。 学 制 か ど に 派 遣 さ れ て 義 務 教 育 の 指 導 に あ った っ て いた 事 実 も 明 ら か に な った 。 第 二 章 第 一節 で は 、 明 治 十 二 年 に 頒 布 さ れ た ら わ ず か 七 年 足 ら ず で 改 正 と な った が 、 民 衆 の 不 満 な ど の 膨 れ 上 が り や 、 様 々 な 問 題 に よ つ て 学 制 後 期 か ら 改 正 への う ご き が あ った こ と が わ か った 。 文 部 大 輔 田 中 不 二 麻 呂 が 改 正 に は 、 大 き く 関 わ った のだ が 、 彼 は ア メ リ カ 風 の 地 方 自 治 主 義 に 基 く 教 育 制 度 の 導 入 を 志 し て 、 教 育 令 に は そ の色 が 濃 く 反 映 さ れ て い る こ と が わ か つ た 。 こ れ は 自 由 な 教 育 を し め す も の で あ った 。 制 定 に あ た って 、 地 方 学 事 の視 察 を 行 い、 起 草 に 向 か って 委 員 を 置 き 会 議 を 繰 り 返 し 行 い 上 申 す る に い った こ と が 明 ら か に な った 。 ま た 審 議 に お い て 伊 藤 博 文 も 関 わ って お り 、 彼 に よ っ て 大 幅 な 修 正 が 行 わ れ た こ と が 明 ら か に な って い る が 、 な ぜ そ こ ま で の大 幅 な 修 正 が 加 え ら れ た か は 明 ら か に で き な か った 。 二 節 で は 、 教 育 令 の意 図 と 内 容 を 考 察 し た 。 教 育 令 は 学 制 と は 違 い全 文 は 七 八 章 か な り 、 大 幅 に 削 除 さ れ た こ と が わ か る 。 内 容 と し て は 、 学 区 制 を 廃 止 に し 、 学 校 の 種 類 を 小 学 校 ・中 学 校 ・師 範 学 校 ・専 門 学 校 そ の 他 各 種 の 学 校 に 分 け た こ と が わ か った 。 ま た こ の 時 に 、 義 務 年 限 が き ち ん と 明 記 さ れ た こ と が わ か っ た 。 自 由 を 基 礎 と し て いた 教 育 令 だ が 、 当 時 の 人 々 は そ の 意 味 を 誤 解 し て お り 、 逆 に 就 学 率 は 悪 く な って い た こ と が 明 ら か に な った 。 政 府 は 自 由 な 教 育 を 行 お う と し て いた が 、 人 々 は 自 治 の意 味 を 理 解 し て い な か った の で 教 育 を 怠 っ た と 考 え る こ と が で き た 。 教 育 令 の 特 質' は 小 学 校 教 育 の中 で も 特 に 、 初 等 教 育 に 中 心 を お い て い た こ と が 、 井 上 氏 の ﹃近 代 日 本 教 育 法 の 成 立 ﹄ か ら 明 ら か に さ れ 、 そ の た め に 小 学 校 教 育 令 と 改 称 す べ き で あ る と の 議 論 が 起 こ っ て い た こ と が わ か っ た 。 ま た こ の 節 で は 、 教 育 令 の 理 念 が 、 干 渉 主 義 か ら 自 由 主 義 へと 変 わ り そ の こ 61 ﹁改 正 教 育 令 ﹂ に つ い て 考 察 し た 。 自 由 主 義 が 基 本 と な っ て い た 教 育 令 と が 原 因 と な り 、 た っ た ﹁年 余 り で 再 び 改 正 さ れ た こ と が 明 ら か に な っ た 。 三節 で は、 明 治 十 三 年 に 頒 布 さ れ た で あ った が 、 当 時 の 日 本 は 天 皇 制 絶 対 主 義 を と ろ う と し て お り 、 自 由 主 義 は 邪 庭 で あ った た め に 政 府 が 、 干 渉 主 義 に 戻 す た め に 行 った 改 正 で あ った こ と が 明 ら か に な った 。 改 正 教 育 令 は 教 育 令 の条 文 に 対 し て 、 修 正 、 追 加 、 削 除 し た 簡 略 な も の で 、 文 部 省 が 改 正 を い か に 急 い で 実 行 し た か っ た か が わ か った 。 ま た 実 質 的 に は 、 教 育 令 と 同 じ く 、 小 学 校 教 育 関 係 を 中 心 の 規 定 で あ った こ と を 明 ら か に し た 。 四 節 で は 、 教 育 令 と 改 正 教 育 令 時 の 教 員 養 成 に つ い て 考 察 し た 。 こ の時 期 に 、 始 め て 教 員 の 資 格 に つ い て 明 確 な 規 定 が で き た と い う こ と が 明 ら か に な った 。 ま た 教 員 の 処 遇 に つ い て も 改 善 さ れ た こ と が 、 条 文 に も 定 め ら れ て い た の で 明 ら か に な った 。 ﹁先 生 様 ﹂ と 呼 ば れ る ぐ ら い 威 厳 が あ 第 三 章 第 一節 で は 、 明 治 前 期 に お け る 教 員 の 特 権 に つ い て 考 察 し た 。 教 員 の 社 会 的 地 位 に 関 し て は 、﹃教 師 の 歴 史 ﹄ から 、 父 兄か ら は尊 敬 さ れ 、 生 徒 に は厳 しく 、 周 り の 人 々から は つ た こ と が わ か っ た 。 ま た 法 令 か ら 当 時 の 教 員 は 一般 官 吏 と 同 じ 待 遇 を 受 け て い た こ と が 明 ら か に な っ た 。 そ れ に 兵 役 が 免 除 さ れ て い た こ と も わ か った 。 二 節 で は 、 教 員 の 拘 束 内 容 に つ い て 考 察 し た 。 当 時 の 教 員 を 最 も 制 約 し た の は 、 ﹁集 会 条 例 ﹂ ﹁小 学 校 教 員 心 得 ﹂ ﹁学 校 教 員 品 行 検 定 規 則 ﹂ で あ っ た こ と が 明 ら か に な っ た 。 こ れ ら が 定 め ら れ た こ と に よ っ て 、 教 員 は 政 治 に つ い て 議 論 す る こ と だ け で は な く 、 聞 く こ と す ら 許 さ れ な か った こ と が わ か った 。 こ の こ と に よ つ て 、 教 員 は 政 治 に 対 し て 無 関 心 に な っ て い き 、 社 会 か ら 遊 離 さ れ た 存 在 に な って い った こ と が 明 か に な った 。 そ れ に 、 教 師 と し て品 行 に欠 け る こと を す れ ば 、 懲 戒 はも と よ り 、 卒 業 証 書 免 状 ま で 没収 さ れ る こと が史 料 を 通 し て 明 ら か に な った 。 ま た 、 官 吏 の 待 遇 を 受 け な が ら も 給 与 は 安 く 、 経 済 的 に は 非 常 に 厳 し い状 況 で あ った こ と も 明 ら か に な った 。 今 後 課題 と し て は、 教 育 令 時 の徴 兵 免 除 に関 し て であ る。 学 制 時 は、 学 制 の中 で徴 兵 免 除 が規 定 さ れ て いた が 、 教 育 令 で は審 議 の段 階 で条 文 か ら 削 除 さ れ 、 そ の規 定 は明 治 十 二年 に改 正さ れ た 徴 兵令 に委 ね た のだ が、 62 何 故 そ う な った か に つ い て は 、 今 回 明 ら か に す る こ と が で き な か った 。 今 後 研 究 を 続 け て い く 中 で 、 新 た な 文 献 や 資 料 を 見 つけ 明 ら か に す る こ と が 課 題 で あ る 。 63 ﹃祭 日 祝 日 讃 話 ﹄ 内 外 書 籍 ㎜九 三 三 年 参 考 文 献 ・史 料 一覧 ・八 束 清 貫 ﹃日 本 教 育 文 化 史 ﹄ 同 文 書 院 ﹁九 七 五 年 一九 三 三 年 ・高 橋 俊 乗 ﹃日 本 教 育 文 化 史 ﹄ 明 玄 書 房 一九 六 九 年 ﹁山 有波 講 座 日本 歴 史 1 5 日本 歴 史 15 一九 三 八 年 一九 六 二 年 一九 九 〇 年 ︹月 報 1 4 ︺﹂ 岩 波 書 店 近 代 2 ﹂ }九 七 六 年 近 代 2﹂ 岩 波 書 店 第 一巻 ・第 二 巻 ﹄ 教 育 史 料 調 査 会 一九 七 五 年 一九 七 三 年 一九 七 二 年 一九 五 五 年 ・結 城 陸 朗 ﹃教 師 の 歴 史 ﹄ 創 文 社 ﹃学 制 百 年 史 ﹄ 帝 国 地 方 行 政 学 会 ・唐 澤 富 太 郎 ・文 部 省 ﹃学 制 の 研 究 ﹄ 講 談 社 ﹃明 治 以 降 教 育 制 度 発 達 史 ・倉 澤 剛 ﹃教 育 令 の 研 究 ﹄ 講 談 社 ・教 育 史 編 纂 会 ・倉 澤 剛 ﹁岩 波 講 座 ﹃文 明 開 化 ﹄ 原 口 清 他 ﹃近 代 日 本 教 育 法 の 成 立 ﹄ 風 間 書 房 ・大 久 保 利 謙 一九 六 三 年 ﹃学 校 教 育 と 富 国 強 兵 ﹄ 江 村 栄 }他 ・井 上 久 雄 ﹃学 制 論 考 ﹄ 風 間 書 房 ・安 川 寿 之 輔 ・井 上 久 雄 一九 五 一年 付 録 一九 九 六 年 一九 七 九 年 教育 の体 系 明 治 国 家 の成 立 ﹄ 山 川 出 版 一九 六 八 年 ﹃明 治 維 新 ﹄ 岩 波 書 店 ﹃日 本 歴 史 体 系 1 3 ﹃日 本 近 代 国 家 の 形 成 ﹄ 岩 波 書 店 ・遠 山 茂 樹 ・原 口 清 ・井 上 光 貞 他 ﹃江 木 千 之 の 小 学 校 令 案 ﹄ ﹁日 本 近 代 思 想 体 系 6 学 校 史 要 説 ﹄ 第 一法 規 出 版 第 二 巻 ノ ニ 、 五 巻 ノ ニ 、 六 巻 ノ 一 、 八 巻 ノ 一 、 十 巻 、 十 二 巻 ノ 一 、 十 三 巻 ノ -、 十 第 一巻 ﹃法 令 全 書 ﹃学 校 の 歴 史 ・佐 藤 秀 夫 ・仲 新 ・内 閣 官 報 局 四巻 ﹄ ﹃日 本 近 代 思 想 大 系 6 教 育 の体 系 ﹄ 岩 波 書 店 一九 七 三 年 第 三巻 学 制 問 ﹄ 原 書 房 ﹃明 治 文 化 史 第 一編 ㎝九 九 〇 年 一九 八 一九 九 ﹂年 道 徳 教育 ﹄ 原 書 房 一八 九 一年 ﹃教 科 書 で つ づ る 近 代 日 本 教 育 制 度 ﹄ 北 大 路 書 房 ﹃日 本 教 育 史 2 ﹄ 平 凡 社 ・山 住 正 己 ・仲 新 ・平 田 宗 史 ・﹃法 規 分 類 大 全 ・村 上 俊 亮 ・坂 田 吉 雄 年 謝辞 こ の本 研 究 を ま と め る こと が でき ま し た のは 、 ひと え に指 導 教 官 であ る藤 井 徳 行 先 生 の お か げ で す 。 本 研 究 を ま と め る に 至 って、藤 井 先 生 に は 時 に 厳 し く 、時 に優 し く 指 導 を し て いた だ き ま し た 。最 後 の方 は 、 マイ ペ ー スに 進 め て い る 私 に 手 厳 し い助 言 も いた だ き 、 研 究 を す る と はど う いく こ と であ る かを 教 え て いた だ き ま し た 。し か し 、先 生 は い つも 温 か く 見 守 ってく だ さ って い た の で 、 こ ん な 私 で も本 日 の修 士 論 文 の完 成 に 至 る こと が でき ま した 。 ま た 、 難 波 安 彦 先 生 に は 、 中 間 発 表 等 で ご 指 導 ・ご 指 摘 し て いた だ き ま し た 。 そ の他 多 く の社 会 系 の先 生 方 か ら は 、講 義 等 を 通 し て 様 々な こと を 学 ば せ て いた だ き ま し た 。 次 に 、修 士 論 文 完 成 に 向 か って 切 磋 琢 磨 し た 藤 井 ゼ ミ の轟 先 輩 ・有 光 さ ん ・蓮 花 さ ん ・宮 崎 ・原 か ら は多 く の力 を も ら い、励 ま さ れ ま し た。 そ れ に 共 に 、 完 成 と いう 目 標 に 向 か って逼 進 で き た の も 、 他 の社 会 系 の仲 間 達 が いた か ら だ った と 実 感 し て い ま す 。 そ し て、兵 庫 教 育 大 学 大 学 院 への 進 学 を ア ド バ イ スし て いた だ いた 、花 園 大 学 の松 田隆 行 先 生 に は 入 学 後 も 様 々な 面 で ご 指 導 を し て いた だ きま した。 洋 志 最 後 にな り ま し た が 、 こ の 二年 間 支 え てく れ た 母 親 に 対 し て 最 大 の感 謝 を し た い と 思 いま す 。 母 親 の支 え ・協 力 が あ った か ら こ そ 二年 間 勉 学 に励む ことが でき ま した。 51 二〇〇九 年 二月九 日 船 明 治前期 にお け る教育制 度 及 び教員 の特権 ・拘 束 内容 教科 ・領域教育学専攻 社会 系 コー ス TVIO71tSD 船引 1.研 究 の 目 的 と 方 法 1.研 究 の 日 的 II論 文構成 序章 本 稿 は 、 明 治 の 前 期 に お け る教 育 制 度 と当 時 の 第 一章 教 員 の 特 権 ・拘 束 内 容 を 明 らか に す る こ と を 目的 第 二章 と して い る。 第三章 明 治 五 年 に 日本 で 初 め て の教 育 に 関 す る 「 学制 」 が 定 め られ た 。 これ は 政 府 に よ る干 渉 主 義 的 要 素 が 強 い も の で あ っ た。 しか し、 明 治 十 二 年 に は 、 教 育 は 自由 由主義 であ るべ きだ とした 「 教育令 」 洋志 近 代 教 育 制 度 の創 設 「 学制 」 か ら「 教 育 令 」へ の移 行 教 員 と して の 特 権 と拘 束 内 容 終章 皿 研 究 の概 要 第 一 章 で は 、「 学 制 」の 頒 布 に至 る ま で の 過 程 と 内 容 ・目的 、 師 範 学 校 の 設 立 過 程 を考 察 した 。 が 定 め られ た 。 な ぜ 干 渉 か ら 自 由 に 変 っ た か に つ 全 国 を統 一 した 教 育 を 施 行 し、 全 国 民 を対 象 に い て は 、 多 くの 研 究 が な され て い る。 そ して 、 わ して お り、 ま た 早 急 に起 草 が 行 わ れ た こ と を明 ら ず か一 年 で教 育 の方針 を再 び干渉 主義へ 戻す た め か に した 。 ま た 、 学 制 は 、小 学 校 教 育 に 重 点 を置 に 、 「改 正 教 育 令 」 が 定 め られ た。 き 、 義 務 教 育 制 に した こ とを 明 ら か に した 。 教 員 教 育 の 在 り方 が 定 め られ た と い うこ とは 、 そ れ 養 成 の た め の 師 範 学校 は 、文 部 省 も そ の 設 立 は急 を 教 授 す る教 員 が 必 要 に な っ て く る。 師 範 学 校 の 務 と認 識 して い た こ とを 明 らか に した。 試 験 を受 設 立 過 程 は 研 究 され て い る。 当時 の 教 員 に お け る け られ る資 格 や 、 地 方 に お け る採 用 方 法 につ い て 特 権 に は 、 徴 兵 免 除 、 官 吏 と同 等 の 待 遇 を受 け 、 は 法 令 や 先 行 研 究 か ら明 らか に し た。 社 会 的 地 位 も高 か っ た 。 逆 に拘 束 内 容 と して は 、 第 二 章 で は 、 学 制 か ら わず か 七 年 足 らず で 改 正 政 治 へ の 介 入 が 絶 対 的 に 禁 止 され 、 懲 戒 に 関 して され た 「 教 育 令 」 の頒 布 に至 る ま で の過 程 と、 そ も厳 し く決 め られ 、 官 吏 待 遇 を受 け な が ら も給 与 の た っ た 一 年 後 に改 正 され る 「 改 正 教 育 令 」 の過 は 少 な く経 済 的 に は 決 し て 豊 か で は な か っ た。 程 と 、内 容 及 び 双 方 の 師 範 学 校 に つ い て 考 察 した。 そ こで 本 稿 で は 、 教 育 制 度 と師 範 学 校 の成 立 過 教 育 令 は 、文 部 大 輔 田 中 不 二 麻 呂 が 中 心 とな り、 程 と 、 教 員 の 特 権 と拘 束 内容 につ い て研 究 す る。 干 渉 主 義 的 な 教 育 を止 め 、 ア メ リカ 風 の 自 由 教 育 2.研 究 の 方 法 を 取 り入 れ た こ と を 明 らか に した 。 学 制 で は ニ ー 当 時 の 法 令 と研 究 者 の 見 解 を基 に 考 察 す る。 三 章 あ っ た全 文 が 簡 略 化 され た こ と は 、 史 料 か ら ま た 、 特 権 と拘 束 内 容 は 、 当時 の 人 々 の 声 を 基 も読 み 取 る こ とが 可 能 で あ り、 学 制 と同 じ く小 学 に 社 会 的 立 場 とい うの は ど うで あ っ た か を 考察 す 校 教 育 に重 点 を 置 い て い た こ と も 明 らか にす る こ る。 とが で き た。 自 由 教 育 は 、 天 皇 制 絶 対 主 義 を 主 張 して い た 当 時 の 政 府 に して み れ ば 、 自 由 教 育 は 邪 変 化 が そ う させ 、 教 員 に っ い て の 資 格 や 法 と の 関 魔 と な り、 再 び 干 渉 主 義 に よ る 教 育 を 行 うた め に 連 性 に つ い て 明 らか に し た。 「 改 正 教 育 令 」 を頒 布 し、 学 制 期 よ りも 強 圧 的 な 特 に第 三 章 に お け る 、 教 員 の 特 権 と拘 東 内 容 は 干 渉 教 育 に な っ た こ と を 明 らか に した 。 教 員 養 成 そ れ だ け を研 究 した も の が 少 な い 中 で 、 史 料 等 を に 関 して は 、 政 策 は 強 化 され 、 改 正 教 育 令 期 に教 基 に して 分 析 ・考 奈 す る に 至 っ た 。 員 の資 格 に 明 確 な規 定 が 作 られ た こ と は 、 文 献 か 当 時 の 教 員 は 、 社 会 的 な 地 位 は高 く威 厳 を も っ ら わ か っ た 。 ま た 師 範 学 校 卒 業 者 以 外 で も学 力 が て お り、 人 々 は 先 生 様 と崇 め 、 当時 の 人 々 の 談 話 備 わ っ て い れ ば 教 員 の 資 格 を有 す る こ と が で き た か ら も想 像 で き るが 、 教 員 の 立 揚 の談 話 を 見 つ け と い う こ とが 明 らか に な っ た 。 る こ とが で き な か の で 、 尊 敬 され て い た の は事 実 第 三 章 で は 、 明 治 前 期 の 教 員 の 特 権 と拘 束 内 容 に つ い て 考 奈 した。 で あ る。 しか し、 教 員 は 少 な か らず 傲 慢 な 部 分 も あ っ た と捉 え た 。 特 権 に 関 し て は 、 当 時 の 教 員 は一 般 的 に 寺 子 屋 ー方 で 、 政 治 へ の 参 加 は 完 全 に 閉 ざ さ れ て お り、 師 匠 の 延 長 の よ うな もの で あ っ た の で 、威 厳 は 保 生 活 も経 済 的 に は 決 して 裕 福 で は な く、 待 遇 で は ち父 兄 な どか ら も尊 敬 さ れ て い た こ と か ら 、社 会 官 吏 と し て の 格 式 や 権 威 が 与 え られ て い る も の の 、 的 地 位 は 高 か っ た こ と が わ か る。 待 遇 も 一 般 官 吏 政 府 か ら は 教 員 の 人 権 は 軽 視 され て い た こ とを 明 と 同 等 で あ っ た こ と も史 料 か ら明 らか に な っ た。 らか にす る こ とが で き た 。 特 権 の 中 で 最 も注 目す べ きは 徴 兵 免 除 で あ り、 明 2.今 後 の 課 題 治 前 期 の 教 育 制 度 の 特 質 の 一 つ で あ る こ とが明 ら ① 学 制 起 草 の 際 に 設 け られ た 、 学 生 厳 調 掛 の 調 か にな っ た。拘 束 内容 は、 喋 会条例 」 「 小学校 教 査 内 容 が どれ だ け学 欄 に反 映 され て い た の 員 心 得ji学 校 教 員 晶 行 検 定 規 則 」が 最 も 当時 の 教 か。 員 を 拘 束 して い た こ と が 明 らか に な っ た 。 これ ら ② 教 育 令 の 香 議 の 際 に 、 箋 被 ま条 文 の 中 で載 員 の 法 律 で 教 員 は 、 敢 治 との 開 わ りを 全 般 的 に禁 止 の 兵 役 免 除 を規 定 し て い た の を遡 除 し、 そ の さ れ 、 心 得 に は 教 員 と して あ るべ き姿 が 細 か く規 規 足 に 関 して は 、 同 じ年 に 改 止 され た徴 共 令 rキ あ /・二`=4し 17太 も 一払 蓬一 ヨ ぐ 吋 軌fl_O).,県 一rキ}醗 ゝ ξGソ 、 諜4午 轟翼}ま 去,2T17}`/T'!昏 「 庄. ユL覧 唯一 衙)、 窪'-1レi._生 ≒鉾 ∼7品} 謹 ヒー ノ噸 ・ 」! て は解 雇 す る だ け で は な く 、免 許 状 も 同 時 に没 収 … 転z!箭 ・ 」ノ 、 軸 置憩臥 禾 女 航 霧 刈d)一 蟻 ・,ア/へ 〃 唖冒Lノ い 冒 一ヂ 勢 ゝnJ 察 し て い 去 た い 一 す る とい う厳 しい も の で あ っ た こ とが 明 らか に な っ た 。 ま た 拘 束 に は該 当 しな い か も しれ な いが 、 主任指導教員 藤井 当 時 の 教 員 は 官 吏 待 遇 に あ りな が ら経 済 的 に は 恵 指 導 教 官 藤#L徳 ま れ て お らず 、 史 料 か ら も給 与 が そ れ ほ ど高 くな か っ た こ と が 萌 らか に な っ た 。 W,研 究 の 成 果 と課 題 ヱ.研 究 の 成 果 明 治 前 期 に お け る 教 育 鰯 度 の 設 立 とi教 員 の 実 態 を考 察 し た こ と に よ っ て.わ ず か 八 年 の 間 で 三 度 も法 令 が 改 正 され 、 文 部省 と政 府 、 社 会 情 勢 の 徳行 行