Comments
Description
Transcript
自殺の統計的研究ノート (其一) (自殺の意義及び自殺観の概観)
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE Title 自殺の統計的研究ノート (其一) (自殺の意義及び自殺観の概観) Author(s) 塚原, 仁 Citation 経営と経済, 32(2), pp.1-19; 1953 Issue Date 1953-03-25 URL http://hdl.handle.net/10069/27327 Right This document is downloaded at: 2017-03-30T21:19:10Z http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp 塚原仁 自殺の統計的研究ノート︵其一) ︵自殺の意義及び自殺観の概観︶ ︵こ 淀近我国の日刊新開に於て殆ど毎日自殺の記事を見ないことはない住、自殺は珍らしからざることである。自殺は死 亡の一原因たる人間の生理学的原因即ち疾病による死亡ではなく、自らの手による自己生命の粟却である点に放て、他 殺その他の事故死と並んで死因の一系列を構成するものである。自殺は全く偶人的原因に基くものであり、叉従て個人心 理に依存するものと考へらる1。事実自殺者について何故彼が自殺するに至つたか、その理由を説明するに当って・自 殺者の感情、性格、素性、経歴等が云々されるのが常である。此意味に於て自殺は単独の個別現象として之を観察し・ 個人心理の問題として取扱ふことが可能である。併し、自殺は叉同時に∵定の期間、一定の社会に生起する自殺の集団 として之を考察することも出来、之によって個別的なるものの単なる集りとしてゞなく、集団それ自体として新なる の如きも、之を長期間に捗って之を観察する場合は別とするも、比較的短期間に就て見れば余り大きな欒勤を示さない 性格を帯び、統一性と相性とを持つこと1なり、著しく社会的色彩を有すること1なる。例へば一社会に於ける自殺数 のが普通である。之は一般大衆の生活の基盤を構成する社会的・経済的環境に著しき姿化がなかったことの証左であ る。然るに砦し重大なる壁動が見られたとすれば、それはそこに社会的・経済的環境に一大昼勤が起ったことを意味 する。けだし、自殺は社会的・経済的環境の昼勤に対する個人心理の適応性の失陥に原因するものであって、社会欒 . 動期に於てか1る失陥は醇大するものであるからである。我国の戦後に於ける自殺激増は、実に長期に捗る戦争・放 自殺の統計的研究 経営と経済 戦、戟後の異常なる経済的・社会的混乱に基く窮之、戦争に直接間接に原凶する肉身の喪失、疾病、傷者等に基く肉体 的・精神的打撃、更に社会縫動期に於ける社会不安に基く若き世代の感じやすい純心さに基く社会並びに、又は自己に なる動きがあるととが見出される。特に西欧文明固に於て自殺の増大を見たる事実がある。(之については後で統計を 対する懐疑心等々に図るものと考へらる Lが如きその一例に外ならない。更に自殺は之を長期的に見る時、そこに重大 掲げる。﹀ 自殺は決して新なる事象ではなく、又文明国人に特有のものでもない。古くよりその例に乏しからざる所であり、未 開人に於ても亦見る所である。古来自殺に対して倫理的・道徳的・宗教的批判を見るのであるが、之は時代により、民 より見るも、将又集団現象として之を社会的立場より見るも、共に一般に人生たり、社会なりの暗い一一闘の顕現であっ 放により、又社会的階層により、更に自殺が行はれたる事情によって常に呉つてゐる。自殺は自殺者自身の例人的立場 て、何大も此悲劇的事件に対して全く無関心たるを得ないであらう。自殺が宗教・倫理・文学・医学・社会等の立場よ りする研究批判の対象となった所以である。本稿に於て企図せんとする所は、文芸的'哲学的・心理学的な自殺の考察 ではなく、社会的集団現象として見た自殺の社会学的並に統計的把握を通じてのそれであるととを断って泣く。 一 一 、 ー ' でしまう場合であるとか、更に倫理的に高く許価すべき死として、例へば溺れる児童を救助せんとして激流に投じて殉 以て自殺の真似をやっτゐる時、火薬が恭発して死んだ場合であるとか、或は首吊りの真似をして本当にくびれて死ん る訳であるが、自らの子による自己殺人が総℃自殺であるかと云へば必やしもそうは云へない。例へば冗談に銃火器を の対象たるべき自殺の意義を明確ならしめる必要がある。自殺なる語に相当する独逸話は∞0525 。己であるが、尚 宏F252お な る 語 も 伎 は れ て ゐ る o自殺とは辞書を引くまでもたく自己の手によって自己の生命を絶つことを意味す 対象とするか、総℃学問研究に当つては党づその研究対象の明確なる規定を前提とするものであって、放に自殺統計 自殺を一つの道徳的・社会的現象として取扱ふに先だって、自殺は如何なる範囲に於τ之を社会学的・統計的研究の , . 、 験する訓導や、猛火の中に包まれた赤坊を救出する為に猛火の中に飛び込んで殉映する消防夫の如き場令等は、何れも 自殺的行為たるものである。又最近我国で伝えられた焼酎一升を競飲して死んだ男、叉ウイスキーの角慢を飲んで死ん だアップレ娘も、何れも自殺的行為であると一五へる。確に此等は形式的には自己殺人であるが、何れも白殺の怠士山が欠 けてゐる。五日々はか Lる行為を自殺とは一五はない。それ等は一極の一主改死たる自己殺人行為である。要するに自殺は自 殺者に於て自殺の立士山がなければならない。併しながら自殺のな志があってもそれが内殺者の自由立志に基くものでな ければ矢怯り自殺とは一五へたい。例へば死刑の判決を交けたものが、自殺を川町市対せられ之に反すれば処刑さる Lが如き 場合、命令によって止むなく自殺するが如きは、厳密にはやはり自殺ではなく自己殺人である。紀元前五世紀頃まで希 阪で処刑子段として行はれてゐた引制自殺はその例であり、テラメネス(紀元前問O三年)、ソクラテス(紀元前三九九 年)の自殺の如きはその古典的実例である。ゎ我国の切肢も亦武士の処罰千段として賜ふものや、封建的な家族制度の 下に於ける自殺似要の悲劇の一例は活花の﹁灰佳﹂に見るが、此等は自由立芯に基くものではないから、自殺とは云へ ない。(但し此均合には主宍の判定が甚だ困難であるが。)以上で明かな様に自殺は自らの子で自己の生命を断ったから oJ 1 と云って、それが也ちに自殺なるものではない。此立味に於て自己殺人なる概念は自殺よりもその範囲が民いととが明、 かであらう p‘ ・ 3 寸 e 附 o例 へ ば 或 人 が 自 殺 の 立 忠 良 て 断 食 し 、 そ の 目 的 を 達 す る が 如 き 、 或 叫 弘 山 自殺と一五へば何か肉体的力を必要とする暴力的な、秘似的な行為によるものであると云ふ印象を受けるが、必宇しも ι そうではなく消似的な不行為によるものもある た bh は前一傷を交けた場合に千当を担否し、或は故窓に他民を無視して死を濁らすが如きも亦然りである。叉自殺は向分の手ペト L m で自己の生命に終末を与へるものだけでなく、他人をして殺さしめても亦自殺である o メラネシア人に於ては病人や老川孔 l RCE 人をその同窓を得て之を生担めにしたり、寡婦が犬の死亡に際し、自ら経るとともあるが、又他人在して絞首せしめたぺ.い叫 SMD り、又は生担めとなるととがあるが、此等も亦自殺である o 勾 -m ・ 123 叉殉教の勝利を得る為に、大逆非を犯かして刑死するものも亦自らの子で死ぬる場合と同様、その目的を達するので﹀﹀﹀ あるから同様に自殺たるものである。め 自殺の統計的研究 経営と経済 τ J 例へば誠一病忠者が楽にならうとして、窓を問かんとする時、身体の均衡を夫知町 o .mm el bw FFLU ゐる点である。動物は死の確実性を知らない。その生八叩が外的な或刀に脅威を一文くる時、そのことが自己に危険であり、﹀ 4 感特しτはねるが、何時かは死すべきものであることは知らない。況や自ら 有害なることを本能的又は記憶刀によれ 人聞に取って最強段大の本能は自己保存のそれである。白殺は此自然的な本能の否定である o とのことは自殺をして拘 U 非自然なるもの、枇尚昆(的なるものたらしめる。人間は生物として他の動物と同様に此本能と共に生殖本能とをもつもの∞脚 であるが、人間が他の動物と兵ることは、人間はその生命がな阪であって、何時かは死すべきものであることを知って川揃 (一二一)-鈎叫 に現はる Lも の よ り も 常 に 大 で あ る 。 町 九 明 る L自殺中には自殺でありながら自殺として計上せられや、叉遂に白殺に非ざるものが自殺として計上せらるることがum e-z あるとと知るべきである o但し後者よりも前者が多いことは容易に想像し得るところであるから、実際の自殺数は統計日刊 kd 引 iAVa ・ mk 又推理小説家の好題目の一である殺人を自殺に仮装せしむるが如きとともある。かやうな訳で自殺統計に於て把握さ叫白 であって、事実は事故死たるものもある って墜落死を遂げたるが如きである oの て、自殺を事故死と紛装せしむることb るは、容易に推知し得るところである。叉逆に一見自殺なりと考へらる Lも の 制 加 obn 之を不慮死の印象を与へるが如き状況に世くととはたやすいととである。之は往時自殺に対し国家又は宗教によって厳 z h 格なる非難が加へられたる時代に於ては勿論、今日に於ても法仏政が近親者の自殺による社会的な批判又は不名誉を恐礼町制 &h 否白殺者自ら之を陵昧ならしむることも出来る。例へば入水又は高所よりの飛込自殺は、自殺者又は白殺封巾助者に於て白肌 QU るものであるとを向は歩、又それが直接自己の子によって行はる Lと他人の手にょっτ 為さる Lと を 問 は な い 。 従 て ケ 或人の死が来して自殺であるか、又は事故死であるか、又は自己殺人であるか、その決定に疑問を残す場合が少くない。 Aω& 由意志に基くものであることがその成立条件であって、その死亡が積倒的行為に図るものであらうと、消極的行為に因ゆ 心中者の一方が銃火器、刃物で殺させたり、諮らせたりしても矢扶り白殺である。自殺は自殺の怠志があり、旦自・ 四 その生命を抱っと云ふ立志や怠欲のあらう告はない o巷同伝承せられてゐるところの犬や猿等に於ける自殺、例へば捕 烏部市内の飼へる白犬(日本書記崇峻天皇)の話だとか、毘段の乞ム誌に養はれた猿や(奇説排悶録)、子猿の屍を抱いたま τ死んだ母波(新者間集)の話等の如きが、来してどこまで事実であったか、又たとへ事実であったとして L水に投じ も、それは﹁われ/¥が人間の自殺と呼ぶ現朱からはほと遠いものであらう。たとへば犬の例にしても主人の死後、急 に環境がかわったことから、犬の生理的なはたらきに、なにかの影響が与へられ、その結果、消化部官の障害で死ぬと とは充分に考へられる。﹂従て﹁とのようた動物の白殺は﹃環境の沼化による病死﹄とみるのがほんとうであり、話とし ては附白くても、科学的な研究の対象とはならない。﹂り要するに動物には自己保存の本能が至高至上のものであって、 全力を挙げてその本能の駆使に奉仕するものであっτ、仮令例外的に先例の犬が主人の死亡後食を給って死ぬるが如き 場合に於τ確に結川市としτ死亡が鷲らされたことは事実であるが、その死は犬に於て予 H 凡さる L所ではなかった。句死 の確信は只人間にのみ存し、之が超雄先的な観治国介、例へば彼の世の如き、更に之と結合して社会生活に入り込んで来 る一切の現象の出発点を形成するととは明かである。 何故人はその強大な自己保作の本能を抑制して自殺に訴へるか、その勤畿を知ることは極めて重要なことである。従日 て固によっては自殺を動機によっτ分減せる統計を発表しτゐるが、その動機は極めて複雑なるものであって、之是正ト 確 に 分 担 記 す る が 如 き こ と は 至 難 の こ と で あ る ο 一八六凶年ワグナーが一五った様に、分説に当つτは自殺の真の動機矧 rh でなく‘その動後についτ の見併を同組μし得るに出ぎないので、この怠味に於τか tる A 分帰釈を放棄し τゐ る 国 も 少 く 向 ト 仙 ない。実際問題とさ訓いるのは白殺者(税成.友人、同宿者)の怠凡であって、仮りに真の原凶が判つτゐる場合でも、不 -M 種々の迎出によワて、之を隠蔽せんとすることも稀ではないと半分ふべき理由がある。かような訳で自殺の動機は之をは持ぺ っきり把握することが出米ない場合が多いのが普通である o更に芥川龍之切が旧友に送る追背中に於τ ﹁・:君は新聞 A 南D の三両記事のうちに、生前難とか的背とか、或は精神的背泌とか、組々の白殺の勤般を発見するでb らう o然 し 俣 の 経 博 叫 56 験によれば、それは助成の全部でないのみならす、大抵は勤悦正至る道程を示しτゐるだけであるヴ・自殺者は大低一一レ﹀﹀ ヱの描いた様に似のために自殺するかを知らないでbらっ。・::・﹂と長いτゐるが‘実際自殺経験者自らさヘ﹁仰のた 自殺の統計的研究 五 誇張や見栄が介入すろ危険がたいとは云へな JH り、(十二)学業の失敗により、(十一二)その他となってゐる o 勿治之は自殺原四分類の一例であって、それが完全なる﹀ 7 ものであると云ふ意味ではない。此等の原因の列挙によっても明かである様に、文化国に於ける自殺はその殆左総てが FU (一)精神錯乱して、(二)病苦にて、(三﹀貧困にて、ハ問)前非をいゆぴ又は間協により¥(五)家庭不利により、(六)将来をい 苦慮して、(七)業務の失敗により、(八)私通又は妊娠を一致へ、(九)犬恋により、(十)深逸放蕩のため、(十ご版世によ m P 米人だけではたく、西欧学者が対立せしめんとしてゐる東洋的た社会的自殺の所前本場たる東洋に於ても設近に於てはト 此極の自殺が少数の例外を除いては大部分を占めてゐる o我国の国仇 示郊の犯罪統計古によれば次の如くである o 胤 んとする自殺である。キアヴアンは欧米人の自殺を特徴づけてゐるものは此粍の向殺であると云ってゐるが、ゎ之は欧ι 今日文化国に於ける自殺の殆ど大部分は利己的た自殺即ち何人的に堪へ時間くなった生存の故にその生命に終末を与へ (四) (二)制度的自殺(利他的・英雄的・賎罪的自殺) (一)利己的・伺人的自殺 の動機より分つととが大切となるが、之を大き︿分かてば次の如くになる。 正確なる知識、泣くしては、社会的集団現象としての向殺の意義は把掠され得たいであちう。か Lろ意味に於て肖殺をそ い。かようにして同殺の原因や動機は之を知るととは雑草中の雄一品とも称ナペきものであるが、之に関する十九八刀にして かその他の事情に上って之を判断せぎるお-得ないのであるが、それとて である。実の動機を知り之を前明するものは自殺者であるが、自殺者は死んでゐるのだから、喰その詑宍とか、手記と 不可能なるととである。例へぽ呉の原閃は不治の病であるが、向殺の百坊、動機は家庭内の不和であると一五ふが旬き場合 動機の結合であるが、之と・自殺の決窓並に実行に主らしめたろ動機とは、之そ例々の事例について両川するととは殆ど めに﹂かを知らない神秘的にして錯雑せる場合が実際には祐一だ多いのである。肖殺の貫の原閃は多︿ば多数の復権なる 経営と経済 ' - 、 / 明人にのみあっτ、未開民族にないと一五ふととはない。(註) 精神的又は肉体的な苦痛に敗れτの現世よりの逃避であっτ、利己的動機に出づるものである。だが利己的な自殺は文 向﹄ n r 註、未開民族に於ける利己的自殺の原因として、ウエスタ 1 マ1クは次の如きもの在挙げてゐる。失恋又は嫉拓、疾病又は老年、出 子供、夫、実の死た悲しんで、刑罰在恐れて、奴隷又は夫の虐待、悔恨、恥辱又は誇り在傷けられて、憤忍又は復讐目。句キゲ, 日 m ンは口論、郎諭、叱責又は刑罰、織な見との結婚、犯罪、傷害及び疾病等た挙げてゐる o 幻 o 現代的自殺を特徴づけるものは、前に述べた様に利己的な動機による自殺である。人間は精神錯乱を除いては何等の恥 τ 理由もなく自殺を決行するものではない。人間が至当主へなる生命保持の本能に背反する行為に出るには、それだけの心 る抵抗力の如何によって呉るべきもので b る o精神的苦悩苧肉体的苦痛・なやみ、絶望に耐へてその苦悩に打ち勝つこ耐 理由がなければならない。自殺者に取っ その生命の持続が堪え難いものたらしむるよくよくの事情の存在が人をし℃則 自殺ぷ至らしむるのであるが、か Lる事情が果して苧え難いものであったか否かの判断は、結局各人のその苦悩に対す明 とは、ヴエロナ lルを飲んで彼の世への逃避を決行することよりももっと勇気と克己心とを必要とする o従℃自殺は普刊 τ の自殺、更に﹁眠りとそは生活を忘れしむるゆえ、そ幻 日辿南北なる動機より生起するものではなく、利己的動般に山づるものであっτ、自殺は社会的に価値なきものに多いと⋮ 云ふ批判が下される。併しながら等しく利己的動機と云っても、そこには極々なる段階があっτ、我国でも俗に﹁死ん -m で怨を陪らす﹂と一三様、な復讐的自殺から、不治の病に悲観し MP- k 五 ︼ は人生の美なるものなれ﹂と云ふ様な阪に永久ならしむることにその救済を求めんとする哲学的自殺の様なものまでも T r h ある。℃- ιuab その他宗教的狂信による自殺がb る。之は文化固に於τは故近輩記減少しτぬるが、未聞人には此極のものが少くな m L ぬ " B n g r o ) 9) いことが伝へられ℃ゐる o西アフリカのニグロは死人の魂は呼び人同となっτ生れかわると一五ふ信仰があるが、それで恥 L 1 τ 祭湖北京をし℃ゐたニグロが故郷に生れかわる為に自殺したとか、又チユクチ 1族 (pcwnZ)で は 亡 レ 同ω 故郷三政く離μ J き税成政旧との一列会を平めんとする為に自殺するものが帰り、又サモイヱ lド族(∞E53品)では老人に売られた若い﹀ 8 娘があの世でもの と似合な配偶者を待たいと一五ふ希望で自殺したことがb る。又カムチヤデエール族(開 で 自殺の統計的研究 七 経営と怒涜 研 汀札山 ms w 次に制度的自殺であるが、之は宗教的又は社会習俗上その自殺が義務づけられて、その遵守が自明のこと L考 へ ら れ め り 1 てゐる場合と、自殺それ自体は各人の意志に委かされてはゐるが、一般与論として叉狭い仲間階級に於てそうするとと (五)側伊 一 五 ふ よ り は 制 度 的 自 殺 に 入 る べ き も の が あ る 。 従 て 只 そ の 形 式 か ら だ け で は 両 者 の 区 別 は 出 来 な い 。 間 一m 我国民於ける﹁明腹﹂もとの範鴎に入る場合がある。明肢には云ふ迄も在︿武士が或犯罪行為の結果、処刑の手段と加仏 して明肢を命ぜらる L場合と自発的に行ふ場合とがある。前者が五日々の所謂自殺に非ざるととは既に述ぺた。自発的なト a 明肢にも種々の場合があるが、殉死とか主君の過誤に対する諌死、君命を辱かしめたる為に、敗戦に際して舟囚の恥辱ルパ L(σb を免かれんが為に、叉復綿一一一が出来ぬととを恥ぢ、その他武士としての面白を傷作たる為に等がある。此中には利己的とパ畑 心やその失策又は卑怯た行為に対する責任を感じ、自責の念に駆られ、その蹟罪として行はれたるものである o m & 悩に鞍へるととが出来、中自殺したと云ふ様紅場合である。此程の尚殺はその名誉が傷けられんとするととに対して・日傘払 戟に堪へ得た、いととを知り、抗し難い逃亡欲叉は絶叫、発作の慢があるととを感じ、自己暗示に上って、卵、化された苦 が次の様な事情の下に於て発生したとすれば、その決定は容易ではないとしてゐる。即ちその士官はその気力が到底火 地への攻撃そ前にして自殺せる場合の例を挙げて、それが利己的なものであるか、英雄的なものであるか芝うか、それ 動機がなかったかEうかは、之そ決するととは甚だ困難とする所である。ウンガ l ン・シユテルンベルクは軍人が敵陣 拾造物話百三十二室入水した司令惜の話)。併したがら或自殺が利己的動機だけであって、そとには全く愛他的・英雄的 我国に於ても土日時誤った欣求浄土の思想から、入水又は火定に入ると云ふ様た物語が伝へられてゐる。(例へぽ宇治 とがある。 m , る時と全く同様の状態であの世へ生れるので、年を取りすぎて弱りはて・泣いうちに死ぬのが一蒋上いとの信仰に基くと k完全にその照望が逮せらるととろであるから﹂と云ふのでるる。叉老人の肖殺も亦場合によっては、人間は此世を去 は全く冷静に肖殺をする。それは﹁未来は拐の連続であるが、もっと上い、ちつ左完全なととろで、此世上りはもっ 八 場合とがある。要するに制度的自殺は社会的に強制さ ah 認されたろ自殺であって、その点からは、之を社会的自殺とも云ふととが問来る。主として此積の白殺は未聞 れ又はけ V- が一つの勲功として、叉英堆的行為として賞設され、隼敬さる m怒がある。 の開始民族南東洋民族に於て見るととろである。ハ註)之に種々の m g) では向発的時粧の性格申立帯、ぴる神への止.賛を用びると止がある。即ち毎春 "J 町 凶 注、社会的自殺に特別の怠味九附与する入がある。南氏は﹁制度的自殺の第=一群として社会的要求に基いて、開制的におこなはれ&瓜 る臼殺がある。これたかりに社会的自殺と呼ぶ﹂と云ってゐる o均 い ト N 第一に{一万救的犠牲死がある。之にも強制的た色彩の強い宅資や、人身御供の如きものもあれば、叉本人の自発的意志ι に北川く均合もある。アヅテクス扶(﹀ 件が、その持者は一年前からその名に選ばれて居り、その問は現身の神として人々の川知 仰に古川・背中ゼ献げるととになってゐ。 た 1 5 命以そ受けた。役ば向ら死の時刻私選ぴ、その時が来れぽ誇らしげに死に就いたom,ウエスタ l マークも亦未問人に於︽﹀ , 、 ては内殺が引授の性格存帯、びるととがあるとして、チユ 1クチ挨(のzrnE) に於ては伝染病又は災害に際L悪霊や死回 冊目を慰める為に自殺すると云ってゐる。問我国に於ても亦かようた例を古伝説に見るととが出来る。例へば油武天皇御 ・叩斯はほんのつ二の例を挙げたどけであって、幾多の例を数へる 児の築造に於ける人杭の知き何れもその例である 山 つ M 0 古川征の時に於ける白川兄稲仮命三毛入野命の入水、日本武牟に於ける橘媛の入水の如き、叉仁侠天皇の御宇に於ける長良 ととが出来る。ト 次に制度的自殺として殉死を挙げるととが出来る。主君叉は隼属の死に際して、その臣下又は卑属が之に随って死す筏仏 即ち怨知焚殺はイギリス政府の厳重なる禁止によって漸く近年に至ってその跡を泊ったととは著明なる事実 m 同 戸 別 る場合でる一る。殉一兆と云へば我国では﹁主君の死んだ時、その巨が後を追って死ぬるとと﹂と考へられてゐるが、未開引い 人に於ける犬の宛亡に安が殉宇る場合も亦此中に入れるととが出来る。之には多くの例がある。印皮に於けるサツテイ拒 m C200) 由 JVS ∞ ( である oサ長の死に際しての殉死の例としてハワイ諸島に於けるそれを挙げるととが出来る o均 一 寸 縫 っ た 例 と し て 寅 即m 11 金海山に於て下賎の山の見で王族の姉妹と結婚したものは妻が死んだ場合又は独りの男児が死んだ場合自殺すぺきものりり と巧へられ、若しその習俗に従はない場合には殺すと云ふ様な暗示が与へられるので、それでその目的が達せられると 自殺の統計的研究 ブL 経営と経済 たかを実証する一例とし J凶 る殉一化はえシナの陸史に於てそ乃わ ah τ、或少女がその隣人愛の証左として宣教帥に物語ったことを挙げることが出米る o日く﹁病 S J W ト q d ι 同 ・ 11 て見るべきものが少くない。均例へばエスキモーに於τは此桂の自殺が多いが、之一い就て彼等が如何なる考を持ってゐのめ 捻として、虚弱児崎型児の殺児ヤ姥捨の伝説以凡らる L莱老俗とその似拠を等しくすると考へらるべき制度的自殺とし帆伽 負担を免かれしめんとする愛他的な似人的動後からのものが bるが‘未川氏族十古代民族に於τは そ の 自 殺 を 社 会 的 な 町 向 -k を挙げるととが出来る。現代文明諸国に凡る此松ω自殺は一以世やえは近税者の HA子まとびとなってゐることから、その叫凶 的にその亡さ主人に次の世までも随って一行かんとして死を遂げるものが 3bった。 m,此制度的自殺中に老人ヤ病人の自殺 J は 界ではよさ実となるが、殺さる Lことを承諾︺なかった実は姦婦と巧へら札た Q又中央アフリカのパイロ族(回 13)で は犬の基で自殺しない実は追放者と考へられた。的インカ族(阿ロg∞)の中でも主長の死に際してその区下や安安が自発句 ι β 諸島に於ては、犬は死後も安を必要とするものと巧へらる L所では、実が夫に霊魂の世界まで従って行くことは賃設す幼 ぺきことであり、又その義務たるものである。フィジィ人の信仰によれば、犬の葬儀μ故大の愛情を以て実は塁戎の世 L の例を数多︿挙げることが出来る。殉死の習俗は霊魂不滅なる原始的信仰の一夫現たるものと見られてゐる。フイジ l になった c乃木大将夫主の殉一化は以固にが、ける段後の例として挙げ得るであらう。か 特に徳川時代に至って誰々峰に行はる L様になったので、家制の時代に之を禁川し、之を犯すものに厳罰を以て向ふととww ee に於て存したることを物語るものである。降ハ/て武家時代に於て追肢と一五ふ様な形式に於て主に殉中る風習が生れた。心川市 VAVA た天皇が傷み給ひ、以後殉死を禁下るミとになり、その虫后日実酢媛印の亮去の時から、出輸を以て之に代ふることになん山内 ったととが、日本書紀に出てゐる o又・文化の此併の認の巾にも殉死を禁?ることが出てゐるが、それは殉妃の俗が当時 m m のものを集め、命の墳墓の同固に生虫にしたところ、数日間死なや昼夜をわかたや泣き号ぷ声がしたので、それを閃かれ その土地の女と給好したが、その島の習慣として犬が死ねば、実が、一突が死ねば犬が安とルムパに洞箔の中に投げ込札るこ とになってゐて、シンドパッドが安の死に殉じなければならなかった誌は、此習俗の存在を物語るものである o 我 国 に 加 於ても主長の死に区下が殉やる例は古から存する所である o垂仁一六皇の同時弟倭彦命が混じた時、従来の例により近習払 P のととである o均アラビアン・ナイトにあるシンドパッドの胃険巾のある一流海に於てシンドパッドが或品に混浴して 0' L m T仏 e 気で死ぬととも川来ない一老婆がいつも部落の人々が生きるととが嫌になった時に身技げする高い佳へつれて行って呉心乱 れろ・ならば、公礼そすると一五はれたが、私はいつ式隣人を愛してゐたので.仰にも貰はたいでそとへつれて行って、崖 FL し、叉他人をして殺さしめてもよいととによって、之は明かである o初此程の自殺はアリュ l シャン諸島氏、ヤク lト ぉ 加 6vu から投げてやった。﹂と。均かようた老人の自殺が世論の支持を受けてゐるととは、老人は自らの千で自殺してもよい・ 故、チュlクチ放にも見るが、又南方のピルマのカレン挨に於ても、人が何か不治又は苦しい叩病気にか Lる と 、 自 分 は い 芯 伽 い bt 凡 sn 絡死したいと当り前にい仏、そして一一一口った通りに自殺する o均今日に於ても所謂﹁商当﹂の為の自殺があるが、未開人出nrh-m に於ける復讐の為の自殺を社会的自殺の中に加へるととが出来るものがある o ツアイ放(叶岳山)に於ては自殺を復讐の叫側一一附加 千段としてゐる。即ち虐待によって或人を自殺せしめたものは、その死に責任あるとと、恰弘殺人と同様であるとした o m一町, J 匂昨 (F58 Jl3'h7 叉パクンドl放で はγ自殺は程一一の意味を持つ脅威として用ひらる Lととがある o即ち金を貸したが、払日祝日.ね ってくれない場合、貸主ば借主の戸口で続って死んでやると脅かすととがある。均とんた例はいくらもある。我国やシ γ ﹀ ⋮m h ﹀ ナに於ても死んで怨みを晴らすと一五ふ様な物諸りや信仰がある様だが、未開人に於ても幽墜となって仇敵を迫害し得る引 z m M 2 G ベ と信じ℃自殺するものがある。均宗教的狂信に基く自殺がある o印度に於けるカンタスその他の聖河に身を投じて死を 求める慣行だとか、ジアザガルナァトの車輸の下に機殺せしめるとか、高い頂から投身するが如き、何れも次の世に或は加脱却料 F 主と・なって生れんが為とか、その罪業の救済を求める為とか、又は母の誓願を来たす為に行はる Lが 如 き 何 れ も そ の 例 ト ト ト 加 である。均如斯熱狂的な自殺は又集団的自殺とたる。中世欧羅巴に於ても、そう一五ふ意味の流行的自殺熱があった。特パ m札ぺ仙川ル 副 r m 氾mE4 に僧院に於ける殉教熱とも云ふぺき自殺があったことに就てはレツキーが数多くの例を挙げてゐる o均一又ロシアに於ての一山町 叩 ・ は最近まで﹁自己焚殺者﹂ (m巳σErBロロ OH)と称する一宗派があって、之が集団自殺を行ったとのととである。即ち狂信凶 M 叩 ML 者たちは火をつけた家の中に閑ぢ能って一所に焼死する。之等は・一種の群集的精神病主も云ふべきもので、﹁予一一一口者﹂山町伽 wm ト MGQunbqMAd 句. 又は﹁教祖﹂の暗示によって誘発されたもので、此場合此集団自殺に参加せる例人の意志民会く反対であるとともあり ωmmmmML 得るが、此群集精神病の恐怖的圧力に抵抗し得たいo m制度的自殺と称せらる Lもの中には、自菟的意士山に基くもので、内りめめの 22222 その生命を絶つことに誇りや歓喜をずら感ポる場合もあるであらうが、多くの場合大なり小なりの程度に於て、又直接 自殺の統計的研究 経営と経済 間接の社会的圧力が白殺者の心現に作用せることは明白である c Y拘る。之には全く訳のわからない狂気としか考へられぬ様な 宗教的な狂信に基くものではないが、狂品知的群集自殺J の濃いものもある。十五世紀末どり十七世相末にかけτ ナポリ地取に於て料獄した者蜘妹の皮傷により奇妙な熱病の忠 ものもあれば、叉迫害を免かれんが為とか、武士の回目を保つ為とか、又純潔を維持する為と一五ふ様なす同い道徳的な色彩 者達は群集を為して海の方へ向ひ、青い水が見えると、日刻々しい欲立刊の讃散を唱して熱情的に海中に投じたのは、初前 の例であり、多くの荒城哀史に凡らる L様な集問自殺は後者の例である。終戦後半人立に右主団体の人々の一連の自殺 さては前大戦末期に於ける我国の捨鉢戦法であった特攻隊の体当り攻撃も亦米国が自殺淡と名づけた様に、此範障に入 る自殺に入れることが出来るであらう。 以上利己的自殺ムび制度的自殺に就℃述べたのであるが、或白殺が例人的自殺と見るべきか、制度的の自殺であるか は、結局その自殺が行はる L社会環境(法律・道徳之示教・慣習一切を合めたる)の如何によることであって、等しく 面当τ自殺であっても、それによっτ相手に対する復告が遂げらる Lことが社会的に信仰され、是認されるならば、そ れは制度的自殺となるが、来世観に対する社会的な信仰もなく、口ハそうすることに対子に心川崎的打撃を与へんとする自 慰的希望と一時的な憤磁の発作との結合結山本たる自殺は利己的自殺と一五ふべきであらう。而して前にも述べた様に制度 的自殺は何等かの怠味に於℃社会的圧刀が政く作別ずるものである点 b亦両者の一品川を行ふ一つの似識となり得るが、 んとする故大の欲望を抑圧し℃自殺するのであるから、自殺すべきと一五ふよりは、むしろ自殺せしめらるべき事情、そ p' 厳密に一五へば利己的自殺に於℃社会的圧刀なり、強制が全くないと一五ふことは在り符ないことで、自己の生命を保持せ日 ω れは多く社会的圧力が偏在的・積極的事官説的ではないかもしれないが作川してゐることは誤りない事である o 又制度凶 的自殺は多く社会の為とか、他人の利益 為に行はれる o未凶以始民族に HA る自殺に特にその色彩が強い。併し現代文句 明国に於℃も制度的自殺とは一五ひ符ないかもしれないが、愛他的自殺の例はある。例へば不治の病に臥せるものや老年 K もある。 ウ 自 者が家族の負担を一位一蹴せんとする消極的なものから・その死によワて妻子に年金や保険金を与へんとする積極的なものめ 既に述べた採に、現代文明国に於ては川戊的H殺は沼干の例外的な毘史的残洋在日ルるに泊ぎや、殆どその総℃は利己 的自殺である。此利己的自殺者に於ける作川川口、小川にもい叫べた様に本一く自己巾心主将の・1殺寸わって、市に戎例入なり、 社会に対する不平不満而して不信をタ・ゆとらい川かゴるものはない。かくて彼等は社公にそっぽ向いて、日らをその社会 より永久的に絶縁し、自ら身を引こうとすらちωである。だから人生の敗亡者として或は己に冷酷であった人々に対す る而当τのおに、或は犬恋、事栄の欠敗その他壮ω巾が自分の瓜ふ様にならない為に、円殺するものである。自己の天分 に過大なる名誉を欲求し、或はお的ない限公心によって' H殺することもある。而して彼等がその死によってその父母兄弟 omw その他税しき人々に与ふべき精神的背山に対し℃、山刊⋮⋮叫的骨虚無的迎由から殆ど関心を一不さない冷酷無慈悲さも亦その 特徴である。叉両却が心中すろ時、子仇モも山川一辿μ にするのは病的な破壊的以前と過皮の利己主義との結合である だが此の場合視の心に往来することは日分に対し℃冷川であった社会に、自分の故愛なる子供を委せるととがどうして 出来るかと云ふ不信である。それは誤った以切であり、又利己的な考へ方であるが、吾々は之を冷酷なる利己主義との 0. 、仏 J σ b a み断やるを符ないものがある。序ながら刈 士三十︿川没人同志のゆ中は、時に我国独特の現象であるかの如く云はる Lと仏 O の誌がある様に、欧米諸丘 とがあるが、それは一五ふ迄もなく誤りでむる。のOBO ZBOF525。止とか、︻日odzom三氏L 口 一 国にもその事宍は存布し℃ゐる (ムハ)む ω山々の一一引例に就τ、辺ぺ一ザ先・止市な批判を加へ得る何等の総利をも有ずるものではない。実印 主口々は此等の一利一日︺一川什殺 際人々の魂の中に中一泊する心川的一?一一一応、す々に以つ℃戎桂皮計に一の謎である。日殺すの杭仲状態がどれだけ否々の加 称して正常なる精神状訟の川市なるらのから‘治政いぜるものであるかは、何人と雌も之を知るを符ないからである o白山 殺況が自殺を決行する起に限りれぬ山九四伐さの苦悩を一体誌が知るであらうか。だがす々は此人生の悲創的事件が只その同 主人公だけの問題であるならば、吾、々は一⋮拘ω川前也氏を流せば、それでよい訳だが、それが社会的集団事忽として持η つな花を以ふ時、吾々は之を如何に考ふべきか、又之に対して如何なる千段に出づべきであるか、と云ふことが問題と 2 経岱と経済 自殺の統計的研究 あったととは明かである。 m ・ d L Mm mm J 円 q u ジル、シセロ、アプレイウス、シ l ザ 1、 オ lヴィザド等の如き自殺反対を説へた人々もゐたが、全般的には肯定的でりり 場合と殆ど渡りはなく、その辺一一日も法律的に認められ、相続問机に何の謎史もなかった o旬勿論ロ 1 マに於てもヴァlmm 以て犯罪とする様なこともなく、従てその為にその権利が侵守さる Lとともなく、又自殺者の霊に対しても、白然死の加加 時に死ぬる格限は此苦しみ多き世の中で、神が人間に与へた以凡のものであると一五つてゐる。町而して法律も亦自殺を 治の病だとか、堪へ mM い苦みとか、その他のみぢめさとかいくらもあると、自殺を肯定し、又プリニ lの如きも欲する M M LULU しらせを与へる時、彼のみ下に行け。だが暫くは神が汝をむいた均一川に忍び生きよ﹂と云ったが、か Lるしらせは、不払ル ある。﹂又ヱピクテタスの如きは宗教的問由より無主別的自殺に以対し、﹁小久よ、神を作げて、神が汝に此世より開放するトト 住む家中伊}選ぶ如く死すべきときには、最もよき死を選ぶであらう o人叶いは兆一だ楽しいもので、散でも欲するならば、み 4 h ぢめな日に過ふ必要はない oみぢめであってよければ、生きよ、欲せざれば山て米たもとの所へ一反るのは、汝の自由で mm OAL ギリシャ文化の承継者としてのロ l マの自殺に対する態度は大休に於℃内殺行内んであった。セネカによれば人はその山 生命を絶つととによって、その苦忠を終らしめ得るのだから、背しむのはその人口身の決であり、﹁余は乗る舶を選び、・旬 殺を認めた。 たへはゲシプスの如き人生のうつろびやすくはかなきととを論じ、又ストア半派の人々は一切の苦忠よりの救ひとして白ト た o その後ギリシアの権力の泊落と共に、自殺を肯定する半派が況はる Lに至った。例へば﹁死の代弁者﹂と称せられ 沢ではたく、プラトウの如きも戎不幸に出会ひ又は堪へ難き屈帰を-父けたるが如き場合の自殺は止むを得ざるものとし 勾上り什役けい川ハ 'iに対する不正であり、従て国家は之を罰すぺしとした。併し此時代に於ても一切の自殺が非難された 果たすぺさ花的がめらにも仰はらやノ、之を放掬するは神に対ずる反逆であるとし、叉アリストテレスは法的・道徳的立 対の立川ツ旬以った。例へばぜタゴラスやプラトウの如きは人間は沖の下伐なるものであって、犬々与へられたる本分を 先づ古代ギリシャに刈て児.るに、ピタゴラス、プラトウ、アリストテレス等の折口人は何れも理由とそ兵なれ、白殺反 なるが、之が為には従来川何たる向殺仰があったか、その歴史的た竣還についての概観を行ふ必要がある。 四 キリスト教は自殺に対して冷厳なる態度を取ってゐるが、それは頭初より然りと云ふ訳ではなかった。殉教の為や、 叫ん 貞換を守る為等に行はる L自殺は之を是認し、又立讃ずらした。然るにその後次第に如何なる自殺も之を非難する様に たった。特にセント・ォ lガスチンの如きはその甚だしきもので、役の自殺の絶対的罪悪性についての見解は繭米一般お にカトリック神学者の採川する一昨・となった。即ち自殺は殺人と同視せられたるのみならや、幼児にそれよりも非道なる m ものとされた。他の凡ての犯非人に認められた権利すら自殺者には認められなかった。第六世紀オルレアン{一言会はトド ﹁罪を犯して殺されたもの L供物は交容せらる Lことあるも、自らに千を下だしたものは除く。﹂と議告し、その後の払孔 γ&V& 宗議会に於て基骨教的叫葬の儀式を一切の自殺者に担否した Q ユグが主キザストを裏切って死に五らしめた罪よりも白品向 殺した方がより大なる罪であるとすら一五はれた。や中世紀を過してキリスト教の自殺に対する否定的態度は足に制化さ m m ww れ、又その影響は、国法に於ても現はれた。ト l マス・アキ Iナスは自殺は次の即一山により非難した。(ご総てのも時聞 のは己を愛し、己を維持せんとするのは自然である o自殺は人間が自己に対し持つべき自然的愛情苧慈悲心に反するも のである o故に自殺は道徳的な罪である。(二)自殺によって人はその成員たる社会に害を与へる。(三)生命は神が人にめ均 与へた賜物であって、生殺の経岳有する神の。力に従ふべきものである。従て自らの生命を給うものは神に罪を犯かせる ものである。けだし他人の奴隷を殺すものは奴隷の主人に対して罪を犯す殺に、生一兆の判決を与へる神の権能を苓ふも m を犯すことになるからである。此中で第二の迎由はアリストテレスより借川せるもので、初期基背教精神とは全仏仏 のも 泌 ︿縁なきものであった。けだし、レツキーが一五つてゐる様に﹁愛国心と一五ふ様な観念を道徳的義務なりとするととは初トト 切抗日 王 E 朔教会の常に反対せる所であって、第三世紀に於て教会の理組となった隠者生日をM時に非難せ、下して‘自殺に対する L L 法律論を主張することは不可能であった。﹂からである o均だが他の二つは法仔教の基本的教ml人命の牟さ、神の怠凶凶 0・ る教会の自殺否定は俗外の法律にも影響を与へ、幾多のん一羽詰会の担一んが法律化せられた。仏関西に於てルイ九世 K M aA 志に対する絶対服従の義務、死の瞬間の重要性i に深く根ざせるものである か J-a は自殺者の財応決収の坊を与へたが、同趣旨の法律は之を欧結巴諸国に於ても凡るととが出来た。ルイ十間世は自殺の ) J つμ4ι 罪を重罪に比し、スコットランドの法作は﹁自殺はその近隣人を殺すと等しい草非である﹂とし、英両では自殺は自己 3 3 経世と経済 五 日設の続計的研究 一 六 に加へたる殺害と見られ、一八七O年迄狂者を除いて、自殺者の財産は没牧されるととになってゐたし、叉ロシアでは 之と並んで向役者の死昆に暴行凌日与を与へる社会的書けがあったととも亦忘れてはならない。例へば一五九八年ヱデ﹂ 自殺者の山一一一一はは無効であった。均・ 守J 占ンパラで入水自殺した女を、身体をうつむぜにしたま Lで引づりまわした上獄門台にかけるが如き、仏関西に於て十羽 八世紀の半民迄日殺者は之を笠の子ぞりの上に、提を地面にぐつつけたま L引づりまわした上、之を泣吊りにし、後でト 戸、 下水に没込んだるが如きである。併しか Lる向殺者の死体に対する凌辱は自殺が宗教的又は道和的に非難すべきもので E あるからと一五ふ上りは、ウェスク 1 マークが一五つてゐる様に、むしろ﹁迷信的恐怖﹂に築くものと云へる。即ち不ほの時 災厄で死んだ者は同殺者もそうだが、その不自然な死又は此世を去る瞬間の絶望的又は憤滋なる心的状態の為に、陶霊山 は邪恋に満ちてゐると思はれ、そとでか Lる陶丞にか Lり合を持たぬ様にする為に、杢然埋葬せやノ、又は死んだ均一附に加 mγ Rd ι 中叶いは北川将教会が絶対的権力を持ってゐた時代であったので、自殺が甚だ少なかったととは当然に想像さる Lととで U 担必ずるとか、叉は隔離せる所に埋葬するのが背過であったoその例をウヱスタ 1 マlクは数多く挙げてゐるo ある。此巾世に於ける峻、厳なる教会の態度にも拘はらや、倫相愛の情人同志の心中の如き自殺に対し同情の涙を注いだ 様た詩や物語りが存ぜることを忘れてはならぬ。中世後期に及んで自殺に対する教会と俗界との対立が明とるなに至っ o m た 界の人々は自殺は犯罪で旦不敬なりとする望オ lガスチンの教へを遵奉し続けたのけい対して、悲しみ、絶望せる 2 人々はその一一一一口業に耳を傾けで又その教へを想起しようともしなかった。ルネサンスと共に自殺は増加したるのみならり 宇一般的な白殺に対する考へをも縫化せしめるに五った o かくてカトリックの中に於ても、叉グロチ L1スその他の折口 U 学者の中に於ても、恥辱や 泌 m を免別れる為の自殺とか、死の余儀なきととによる町民より免かれる為に罪人の行ふ自殺附 の中官、僧侶又は何人の同立を受ければ、不治の難病になやむもの L白殺は認めらる Lとしてゐるし、叉セント'ポール帆 だとか、友人の為に死に至る人の行為の如き合法的自殺を区別する様になった。ト l マス骨モアはその﹁ユートピア﹂耐 寺院の有名なる司祭長ド 1ジは、若い頃一つの書物を書き自殺は必やしも自然的な罪ではないとの自殺弁護命をした。り 3 モンテ 1 ヌもその随筆の一に於て古典的自殺の事例についてはっきり同情を以て之を抗てゐる o ﹁長有意的死が円以も美 しきものである。生は他人の意志に依存するも、死は我々の意士山に依存する。﹂と。十八世記の合理主義は自殺に関す て余に与へられたものである。従て生がもはやそうでなくなる時、余は之を返へすととが出来る。原因がなくなれば、判 る教会の態度戒に国家の法律に対してともに激しく攻撃した。モンテスキューは﹁社会は相互的利益の上に建設された E るものである o だが若し社会が自己に重荷となる な ι らば、余が之を捨て去るを何人か阻止し得るか。生は一の恩寵とし問 結果も亦なくなるべきである o﹂とその合法学伊}主張した。ヴォルテールは自殺者の死体を凌辱し、その子供達より退陣 手伊}李 A惨酷な法律に激しく反対した。その行為が社会に対する一つの忍であるとするならば、総ての国の法律で認め恥 られτゐる戦争に於ける有窓的殺人は何と云ってよいだらう。か Lる大量的殺人は個々の自己殺人よりも人類に取って自 活かに有害なるものではないか。又ペツカリアは国家は自殺者よりも移民によって一一層大なる害を受ける。何故ならば覗 移民は自分と共に財産をも持ち去るが、自殺者はその財産を後に残すからであると云ってゐる。ホルパックは、自殺者拡 は自然や創造者に対し何等暴行の責任あるものではなく、反対に彼は閃かれてゐる只一つの門戸を諮ってその苦悩からリ n r n4 m p 離れるのは、自然の指示に従ふものである。又国家も家族も幸福にしてやる手段もなく、又彼に何等期待をもかけ得な却 いものに兎角の不満を述べる権利はない、と云つτゐる。その他高貨危目的の為に為されたる自殺を賞讃し、場合によ つては之を推称するものがあった。ヒュ 1 ム も 亦 そ の } 人 で あ る 。 粉 ・ かくて自殺反対論は手ひどく批判され、少くとも教会や国家の冷厳なる自殺に対する態度の妥当性を証明するには充乱 mo L 区 昌 司 、u 分ではないことが判った。併し幾世紀に渉って道徳の権威者によって教へられて来た説がそう簡単に放棄されるもので礼 はないととは云ふ迄もない。旧い説に欠陥があれば之に代って新なる説が現は礼るととは当然であらう o カントによれゆ・ ば自己の生命を処理する人は彼自身の中に存在し、之を維持する局的の為に、彼に任せられたる人間住を墜落せしめる ものである o フィヒテは生命を維持し、生きんとするのは我々の務であって、それは生命の為ではなく、我々の生命が蜘 m 我々申伊}過して道徳律実現の絶対条件であるからであるとしτゐる。又へ I Fルによれば人がその生命に対する権利を云帆ト えするのは一つの矛盾である。けだし之は自己に権利があることになるであらうが、何人も自己自身の上に立って自分り を死刑にし得るものはないからである。バレーも浩し宗教や道徳が如何たる場合でも自殺を許すとしたら、人類はその: 自設の統計的研究 七 経営と経揖 であるととは明かである。恥 (七) 1 4 .J 0 ・ 又場合札 c勿論そこには自殺者の誇川町や見栄 るが放であるととは云ふ迄もないととである。かやうにして伝染病的な群集自殺は之を除き、今日文化蕗国に於ける自 3 の手段に訴へざるを得なかったのは、そとに顕在的又は潜布的原凶(その人の泣伝的士一滋賀をも合めて)が強度に作用せη 至る迄に害めた自殺者の精神的苦悩が如何に大なるものであったかは、到底第三者の知り得ない一げであって、遂に最後怖 生きんとする強き本能の支配下に在るものであっ〆亡、之を抑制し、之を否定しτ、自己生命を絶たざるを得なくなるに伽 h が全くなかったとは云び得ないかもしれぬが、そう云った心情で自殺するものがゐたことは否定じ得ない。だが吾々は M だからと云って自殺が極めて自然的な過程によっτ、例入の自由意志によって遂行され たと考へるを得ない。人は常に間 によっτは歓喜を以てすら死に就いてゐる例が稀ではないことを吾々は知つ℃ゐる 等生に対する執着を感ぜ宇、何等死に対する恐怖もなく、口八限りに説くと同じ様な松め℃平静な気持を以て る行為に出ることは人間性に反する不自然なることである。自殺者の手記や泣者を見れば、その故後の瞬間に於て寸何ト 士山に基く自己生命の破滅行為であって、人間設大の本能たる自己保存の本能の否定であるから、何人も自ら好んでかLm 以上私は一般的に自殺の意義・種凝古に自殺舗の史的概観等につい τ述ペたのであるが、一五来自殺は個人の自発的意 が自殺者の罪のない親近者のととを考へる様になった為であると同時に、自殺それ自体に関する道徳的観念が謎った為 が賠容官の慣習となった。偽証はペンタムが云った様に人績に対する暴行を阻止する俄悔たるものである。か Lる手段 づ仏蘭西革命によって廃止され、後欧雑巴諸国は之にならった。むに対し英国では自殺者は心身喪失若なりとするとと へある様になった。宗教的権威が失墜すると共に之に対する立法にも亦愛化を見るに至った。自殺に反対する法律は先 なく、漸次自殺は非難すぺきものよりは宰ろ同情すべきものと見る様になり、自殺者をヒーローとして賞讃する場合さ 友人や親しき人々の宿命に絶へゃなぴへて生活しなければならなくなるだろう。恰も入はその生命を縮める強い誘惑が あるかの如くに、と云ってゐる。併しながら一般世人の常識的な自殺観は、偏狭なる神学者逮の束縛に煩はさる ahとと 九 て単独現象として心理学的・文学的・哲学的考察の対象たらしむるが、我々は同時に此等の自殺の持つ社会性を看過し 殺の多くは個人の行為寸あり、之を特徴づけるものはその利己的性格である。自殺の此個人的、利己的性格は自殺をし てはならない。けだし自殺は社会的・経済的(精神的-物質的)諸条件の影響を受くるものであると云ふことの外に、 自殺は一つの社会的集団現象として社会的・経済的諸条件に対して画数関係に在ると云ふ統計的事実の存在を認めざる を得ないからである。即ち社会的・経済的諸条件に推移が起る時、か Lる社会の受動出程に自己調整を為し能はざるう つるい易い不安定なる多くの人々が自殺的性向の犠牲者となる。かてく自殺の多少が犯罪その他の悪徳と同様に、社会 F ・ J の経済的繁栄や社会的更生の消極的指棋として役立つ。自殺の多い社会は繁栄せる社会とは云へないし、又幸福な社会 nh る窓味に於てメぉ hA イヨ・スミスが﹁か Lる統計(自殺・犯罪・悪徳)を社会状態の指棋として吾々が用ひるととは当然であり、多くの点 とも云へない。又自殺が漸次増加する様な場合、それは社会が住みよくたってゐるとは云へない。か R 4D) M a m r s . m hu c u HH 日 “S 白 n a d ﹂的と述べたのは正しい。次章以切 に於て宮や節約の増加と云ふが如き経済的繁栄の指棋よりは更に確実な指棋である o m 下に於て特に西欧諸国に於ける自殺の動向発展に就ての統計的研究を行ひ、次でそとに看取さる L自殺動向の原因たる 社会的・経済的基盤に於ける麓動を基礎づけるとと Lする。 自殺の統計的研究 九