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TPP参加を巡る韓国・中国・ タイのスタンス

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TPP参加を巡る韓国・中国・ タイのスタンス
みずほインサイト
アジア
2015 年 11 月 26 日
TPP参加を巡る韓国・中国・
タイのスタンス
みずほ総合研究所
調査本部
アジア調査部
03-3591-1385
○ 日本と輸出競合度の高い韓国は、政府の姿勢や国内の論調を踏まえると、TPP参加に向けて積極
的に動く可能性が高い。日本には韓国のTPP参加を視野に入れた対応が求められる
○ 中国はTPPへの早期参加を見送り、RCEPなどの交渉を加速させるとみられる。タイはTPPに参
加しないことへの危機感を強めているが、参加のためには農村部などの反発を抑える必要がある
○ 日本にとって中国、タイが参加するメガFTAの実現は重要であり、日本はタイのTPP参加を支
援しつつ、RCEPなどの交渉加速と自由化レベルの引き上げに向けて関与を強めるべきであろう
1.TPP大筋合意で注目される韓国、中国、タイの出方
2015年10月5日にTPP(環太平洋経済連携協定)交渉が大筋合意に至り、1カ月後の11月5日には協
定の条文・付属文書が公開された。それを受けて日本国内では、TPPの具体的効果・影響に関する
報道や議論が活発化している。TPPの意義や効果を論ずるに際し、見落としてはならない重要な視
点がある。TPPは、日本が初めて入ることになるであろうメガFTA(自由貿易協定)であるとい
う点である。
(1)日本にとってのメガFTAの意義
2010年以降、日本の通商政策においてはメガFTAに主軸が置かれており、2013年に日本は日中韓
FTA、日EU・EPA、RCEP(東アジア地域包括的経済連携)、TPPの4つのメガFTA交渉を開
始した。日本にとってメガFTAに参加することの意義はさまざまであるが、主要なものを挙げると
すれば、第1に低水準にとどまる日本のFTAカバー率(FTA締結国との貿易割合)の引き上げであ
り、第2に日本企業が展開する国際サプライチェーンの効率化であろう。
日本はこれまでに14のFTAを発効しているが、日・ASEAN包括的経済連携(AJCEP)協定以外は全
て二国間FTAである。しかも、米国、中国、EU、韓国といった主要な貿易相手国とのFTAを締
結できていないため、日本のFTAカバー率は22.3%(以下、全て2014年の貿易額に基づく数値)に
とどまっている。これに対して、2000年代半ばから多数の国・地域とのFTAを同時多発的に進めてき
た韓国は、米国、EUとのFTAを既に発効させ、2015年6月には中国とのFTAにも署名しており、
同国のFTAカバー率は62.5%1と日本を大きく上回っている。この状況は特に韓国との輸出競合度が
高い日本に不利に働いてきたため、日本のFTAへの対応の遅れは、円高、高い法人税率、電力不足、
労働規制、厳しい環境規制と合わせて日本企業の六重苦とされてきた。こうしたなか、日本政府は2013
年に公表した「日本再興戦略」の中で2018年までにFTAカバー率を70%に引き上げる目標を掲げ、
1
メガFTA交渉を進めてきた。実際、日本が進めている4つのメガFTAが全て発効すれば、日本のF
TAカバー率は73.4%まで上昇すると見込まれる。
また、多数の国が関税の撤廃・削減や統一的なルールの設定を行うメガFTAは、日本企業が展開
する国際サプライチェーンを効率化し、競争力の強化をもたらす。メガFTAにおいては統一された
原産地規則の導入と共に、参加国の間で付加価値の累積を認める累積原産地規則の適用が目指されて
いるため、複数の参加国にまたがって生産分業・物流・販売ネットワークを構築するケースにおいて
FTAを活用しコストを抑えることが可能となる。さらに、貿易・投資等に関わるルール・法制度の
調和・共通化が広域で図られることも、企業の国際事業展開の効率化につながる。これは、日本がこ
れまで発効させてきた二国間FTAでは得ることが難しい効果である。
(2)メガFTAとしてのTPPの意義
それでは、以上のメガFTAの意義は、TPPによりどの程度満たされるのだろうか。
まずFTA比率の上昇についてみてみたい。全12カ国が無事に議会承認などの国内手続きを完了で
きるのか、最終的にTPPがいつ発効するのか、現時点では明確にはわからないが、全12カ国が順調
に国内手続きを進めることができることを前提とすると、TPPにより日本のFTAカバー率は
37.2%に上昇する。日本再興戦略が目標とする70%や韓国のFTAカバー率の62.5%に対してまだ開
きがあるが、差は縮まる。
ただし、10月5日の米国アトランタでのTPP閣僚会合における大筋合意後に、未参加の韓国がTP
P参加を積極的に検討する方針を表明したことには留意が必要である。韓国内にもTPP参加に慎重
な勢力が存在することや、今後のTPPへの新規参加のための要件が明らかでないことから、韓国が
TPPに参加できるのかは不透明であるが、その展開は、韓国に対してFTAで大きく出遅れている
状況の挽回を目指す日本にとっても他人事ではない。
一方、国際サプライチェーンの効率化については、国際生産分業ネットワークにおける日本企業の
主たる立地先であるアジア諸国の多くがTPPに参加していないことから、効果は限定的と考えられ
る。特に、日本の製造業の集積が厚い中国とタイがTPPに参加していないことは、国際サプライチ
ェーンの効率化を制約する要因となる。そのなかでも中国は、世界のサプライチェーンにおける中核
的存在であり、日本以外の多くのTPP参加国にとっても重要な貿易相手国であることから、同国を
排除したTPPの経済的な実益は限られるといった論調もみられる2。
以上の現状認識に立てば、TPPに対して韓国、中国、タイの3カ国がどのように対応しようとし
ているのかを検討することの意義は小さくない。以下では、TPPに対する各国政府の公式な見解や
TPP参加の是非を巡る各国内の論調をみていきたい。
2.韓国:TPP不参加による日本との競争環境悪化を懸念、参加を積極的に検討へ
韓国のFTA政策では、従来、多数の国が関わるマルチのFTAではなく、交渉妥結までのスピー
ドが比較的速い二国間FTAが基軸とされてきた。その背景には、日本などの輸出競合国に先駆けて
米国などの巨大市場とのFTAを締結することで韓国企業の優位性を維持する目的があった。しかし、
前述の通り、現在までに韓国は既に主要な巨大市場とのFTA妥結を果たしたことに加えて、近年で
は、世界の通商政策において、メガFTAが主流になりつつあることなどを踏まえて、メガFTAに
2
も積極的に対応する方針に転換している3。
(1)韓国政府はTPP参加に前向き、マスメディアも参加支持の論調
TPPの大筋合意を受けて、韓国はTPP非参加国の中でも、いち早くTPP参加を前向きに検討
する姿勢をみせた。大筋合意が発表された翌日の 2015 年 10 月 6 日に、崔炅煥(チェ・ギョンファン)
経済副首相兼企画財政相はTPPに参加する方向で検討することを明らかにした。また、朴槿恵(パ
ク・クネ)大統領は 10 月中旬の訪米期間中にTPP参加の意思を表明している。
韓国の主要マスメディアにも、TPP参加を支持する論説が多いと言える4。むしろ、韓国のTPP
参加が遅れたことで政府を批判する意見も出ており、可能な限り早期にTPPに加わるべきとの主張
が多い。その理由として、これまで貿易立国で経済発展を遂げてきた韓国にとって、TPPのような
巨大な自由貿易圏構想に参加しないことによる経済的デメリットが大きいことや、米国との関係など
を踏まえた政治外交上の不利益があることも挙げられている。
ただし、韓国内でTPP参加に慎重な見方が全くないというわけではない。例えば、大韓商工会議
所や全国経済人連合会から、TPP参加を急ぐ必要はなく実益を正確に把握すべきという意見が挙が
っている5。また、10月に実施した現地ヒアリング調査6においても、一部の専門家から「まずはTP
Pの合意内容を踏まえて経済的影響を分析し、参加の是非を検討する必要がある。
」という意見も聞か
れ、「崔炅煥経済副首相の発言はやや拙速だった」という批判的な指摘もあった。
もっとも、今のところTPP参加に対して強硬に反対する勢力がいるわけではなく、今後、韓国内
でTPP参加を巡る議論が進展していく中で、国内世論においても参加を支持する声の方が多くなっ
ていく可能性が高いと予想される。
(2)TPP不参加による悪影響に対する懸念が強い
ここでは、韓国のTPP参加・不参加によるメリットとデメリットを整理する。
まず、TPPに参加した場合の韓国経済へのメリットを考察してみたい。韓国はTPP参加12カ国
のうち、既に10カ国との間でFTAを妥結済であるが、日本とメキシコとはFTAを妥結していない。
よって、韓国がTPPに参加すれば、日本、メキシコの関税削減・撤廃により、韓国からの輸出が促
進される効果が期待される7。また、米国など既にFTAを締結した国に対しても、韓国が既に妥結し
たFTAを上回る自由化がTPPで実現すれば、輸出が促進される可能性がある。さらに、TPPで
適用される累積原産地規則の活用により、韓国企業のグローバル事業戦略に恩恵が及ぶと期待する意
見もある。例えば、特に繊維業において、韓国企業が本国から生地をベトナムに輸出し、縫製後の完
成品をベトナムから米国に輸出するような場合に、韓国がTPP参加国となれば、TPPによる特恵
税率がより適用されやすくなることが期待されている。
一方、TPP参加によるデメリットとしては、まず農産品分野の開放による輸入拡大がある。韓国
では米韓FTAやEU韓国FTAの妥結によって、農産品分野の一部自由化を経験しているものの、
TPPでは既存のFTA以上の自由化が農産品分野においても求められる懸念がある。特に、これま
で締結したFTAではいずれも聖域とされてきたコメについては、日本が米国、オーストラリアに対
して輸入数量割り当てを新設することになったことで、韓国もTPP参加にあたって譲歩を求められ
る可能性が高いと受け止められている。
そして、農産品分野の自由化と同様に懸念が大きいのが日本からの輸入拡大である。韓国にとって、
3
日本は主要貿易赤字相手国であり、資本財や部品、素材などを日本から多く輸入している。また工業
製品の関税率も、総じてみれば日本よりも高い水準だ。韓国がTPPに参加すれば、工業品分野にお
いて高い自由化レベルを要求され、日本からの輸入拡大が予想される。そうなれば、日本製品との競
合により、国内の機械・素材メーカーの競争環境が悪化する可能性が危惧されている8。
以上のように、韓国のTPP参加にはメリット、デメリットの双方があり、総合するとメリットは
あまり大きくならない可能性もある。現地ヒアリングでも、多くの専門家が同様の見方を示していた。
それでも、韓国政府などがTPP参加を積極的に検討しようとしている背景には、不参加によるデ
メリットを最重視していることがある。TPPに参加しなければ、当然のことながらTPP参加国へ
の輸出や事業展開において、韓国企業がTPP参加国企業よりも不利な立場に追いやられる。また、
長期にわたりTPP不参加の状態が続くことになれば、韓国の生産・輸出拠点としての優位性が徐々
に低下していき、韓国からTPP参加国への拠点移管が進展していく可能性も否定できない。
こうしたTPP参加国への輸出や事業展開上の競争環境悪化に際して、強く意識されているのが日
本である。韓国にとって、日本は最大の輸出競合国と認識されており、日本がTPPに参加したこと
で韓国企業の日本企業に対する優位性が大きく低下することが懸念されている。例えば、韓国は米国
とのFTAを日本に先行して妥結したことで、対米輸出上は日本よりも関税面で有利な状況を維持し
てきた。しかし、TPP発効により、日本の方が米韓FTA以上の自由化を獲得するという逆転現象
が一部品目で生じる可能性もある。また、日本企業はアジアを含む広域でグローバルなサプライチェ
ーンを構築しているため、TPPにおける累積原産地規則を活用して生産分業体制を更に効率化する
ことが可能であり、韓国企業のグローバル事業戦略にとって打撃になりうるとする意見もある。
つまり、韓国にとって、TPPに参加しなければ、競合相手である日本企業に対する韓国企業の優
位性が脅かされるという点が最大のデメリットと認識されている。それを回避するため、仮にTPP
参加による実益がそれほど多くなかったとしてもTPP参加を前向きに検討すべきという意見が、T
PP参加を支持する有力な論拠となっている。
こうした論調から、主たるTPP参加支持勢力としては、日本企業との競争に直面している大企業・
輸出企業や日本への輸出拡大や累積原産地規則の活用が見込まれる業種(一部の農業や繊維産業など)
が挙げられる。これに対して、TPP参加に慎重あるいは反対の立場を取りうる勢力としては、日本
からの輸入拡大が見込まれる一般機械や自動車・部品産業、化学産業などが主に挙げられる。また、
コメなどのセンシティブ品目を生産する農家も、自由化内容次第では反対姿勢を強める可能性があろ
う。しかし、前述したように、韓国政府はTPP参加に対して前向きな姿勢を取っていることに加え、
今のところ韓国国内ではTPP参加に対して、反対を強く主張する勢力がいるというわけではなく、
参加を支持する勢力の方が多いとみられる9。韓国において農民票や農業団体の政治的影響力はあまり
大きくなく、これまでのFTA交渉において決定的な阻害要因となっていないことから10、仮に今後
農家が反対姿勢を強めたとしても、TPP参加の流れを覆すような事態になる可能性は高くない。
(3)投資やサービス分野などの自由化において、一部懸念される事項も
上述したTPP参加を巡る論点は、主に物品貿易面から考慮している。しかし、TPPでは物品貿
易以外の投資やサービスなどの分野での自由化についても、高水準での合意がなされると予想され、
こうした分野における自由化を迫られることに対する懸念が今後、高まっていく可能性はある。
4
もっとも、現状では、こうした分野の自由化が韓国の参加にとって大きな障壁になるという懸念は
大きくない。韓国は米韓FTAで既に投資やサービス分野における自由化も経験していることから、
TPPにおける自由化レベルがよほど高いものにならない限り、韓国のTPP参加を妨げることには
ならないという見方が多いようだ11。仮にいくつかの課題が出てきたとしても、韓国政府は、TPP
参加に向けて国内法の整備や個別補償などの対応を進めることで障害の打破を図ると予想される12。
3. 中国:TPP大筋合意を受け、中国主導のFTA網構築の加速を企図
(1)中国政府は RCEP 交渉などを加速させ、米国主導のTPPの広がりをけん制する構え
中国政府は将来的なTPPへの参加の可能性を排除はしていない。商務部(経済産業省に相当)報
道官は「中国側はWTO(世界貿易機関)ルールに合致し、アジア太平洋地域の経済統合に資する制
度作りに対しては、いずれも開放的な態度で臨んで」おり、TPPもその条件を満たす「アジア太平
洋地域の重要なFTAの一つ」だと述べている。他方で、TPPへの参加に際して要求されるであろ
うハイレベルの自由化を直ちには受け容れられないとの認識も持っていると考えられる。外交部(外
務省に相当)報道官が、発展段階や発展水準の違いを十分に考慮したFTAをアジア太平洋地域で推
進していくべきだという主張を展開していることが、こうした認識の表れだろう。実際、中国政府は
韓国政府などとは異なり、現時点でTPP参加の意向を表明しているわけではない。
TPPへの主体的参加が難しいという状況のなか、中国政府は自身が主導するFTAネットワーク
の構築を急ぎ、TPPをてことした米国主導のアジア太平洋貿易秩序の形成をけん制しようとしてい
ると考えられる。その道筋として中国政府が重視しているとみられるのがRCEPである13。例えば、高
虎城・商務部長(経済産業大臣に相当)は、TPPとの対比を意識させる文脈で、「人口のカバー率
が最も高く、メンバー構成が最も多様であり、経済発展レベルの違いが最も大きく、発展の活力に最
も満ちたFTA」こそがRCEPだと、その重要性を強調している14。このRCEPを前に進める上で特に重
要なのが、経済規模の面でRCEPの中核を占めており、これまで交渉の進捗が遅れていた日中韓FTA
である。2015年11月1日に開催された日中韓サミットの共同宣言に「包括的かつ高いレベルのFTA実
現のため日中韓FTA交渉の加速に向け一層努力」との文言が盛り込まれた。背景には、TPP大筋
合意を受けてRCEPの交渉を急ぎたいという中国政府の思惑があると推察される。
また同時に、中国政府はTPPよりも自由化の度合いが低いRCEPなどの締結を急ぐことで、TPP
に参加していないことによって生じる輸出環境の相対的な悪化の度合いを弱めようとしていると考え
られる。実際、中国指導部は2015年9月に「開放型経済新体制」構築15というスローガンのもと、「一
帯一路(「シルクロード経済ベルト」・「21世紀の海のシルクロード」)」構想16の他、FTAの締
結を加速させるとの方針を発表している。さらにはその方針をより具体化した「自由貿易区戦略実施
加速に関する若干の意見」を2015年11月9日の中央改革全面深化指導小組第18回会議で採択している。
(2)中国国内にはTPP早期参加論も存在する一方、国有企業などへの影響を危惧する見方も
一方、TPPに対する中国国内の反応に関しては、次の3種類があるとの分析がある17。第1に「陰
謀」論である。TPPは米国が中国を孤立させ、抑制する手段であり、中国はアジア太平洋経済圏か
ら排除される恐れがあるというものだ。第2の反応が「衝撃」論であり、中国は孤立に追い込まれない
までも、貿易面で重大なダメージを受けるという反応である。第3に「早期参加」論がある。中国はで
5
きる限り早くTPPに参加し、TPPがもたらす貿易自由化、円滑化のメリットを享受すべきであり、
中国が目指す改革開放の方向性とTPPのルールは整合的であるため、WTO(世界貿易機関)加盟
時のようにTPPという国際ルールを用いて国内改革を迫るべきだ、というのが「早期参加」論の主
旨である。この3分類は相互排他的な分類ではないが、中国国内にもTPP「早期参加」論があるとい
う点は特筆に値するだろう。中国政府のなかにも、RCEPなどのFTAの積み重ねにより、将来的には
TPP参加への道筋がみえてくるとの考えがあるかもしれない。
他方で中国国内に明確なTPP反対論が表出しているかといえば、そういう状況にはない。政府が
TPPへの早期参加意向を示しているわけではないため、反対論を打ち出す切迫した理由がないから
かもしれない。ただし、TPP参加によりダメージを受ける可能性があるセクターについての議論は
行われている18。とりわけ中国の政治・経済的なインパクトという観点からは、国有企業へのインパ
クトを指摘する声が多い。TPPにおいては、国有企業の調達や販売は商業上の判断のみに基づいて
行わなければならない、政府が国有企業に対して非商業的な支援を行ってもよいが、それがその他の
TPPメンバーの利益を損なってはならないとのルールが設けられている。それに対し、現在中国政
府が推進中の「国有企業改革の深化に関する指導意見」では、国家戦略への貢献が国有企業の責務と
されており、この点でTPPルールとの間に大きな齟齬がある。このように、TPPへの参加は中国
の政治・経済体制への大きな変革を余儀なくさせるのである。
また、環境・労働に関するTPPルールの適用が生産コストの上昇を通じて産業に悪影響を与える
可能性も指摘されているほか、輸出競争力の弱い農業や、ハイテク産業に代表される幼稚産業などで
もTPPがもたらすダメージは意識されやすいだろう。こうしたことから、中国国内で「早期参加」
論は支持されにくいと考えられる。
4.タイ:慎重姿勢から前向きな姿勢へ転換も、決断には時間を要する見込み
(1)TPP大筋合意を受けて軍政は参加の再検討に着手
2010年にASEANのマレーシア、ベトナムがTPPの拡大交渉に参加したことを受けて、タイでは、2012
年11月に当時のインラック首相が訪タイ中のオバマ米国大統領にTPP交渉参加への関心を伝えた。
しかし、インラック首相は実際の交渉に着手することなく2014年5月に失職し、その直後のクーデター
で成立した軍政はTPPに慎重なスタンスに転換した。
一方、TPPを主導する米国は、自由と民主主義を重視する立場からタイの軍政に対して距離を置
くようになった。そうした米国の姿勢は、タイのTPP交渉参加の障害になっているとみられる。例
えば、米国国務省は2014年6月の『人身売買報告書』において、タイのランクを北朝鮮やシリアなどと
同じ最低評価の「Tier3」に格下げした。米国の法律では「Tier3」国との通商協定締結は禁じられて
いるが、タイと共に2014年版で「Tier3」に格下げされたマレーシアは2015年版で「Tier2要注意国」
に格上げされてTPP交渉に加わることができた19。これに対してタイの評価は据え置かれた。
米国がタイの軍政に距離を置いたことで、タイは中国寄りとみられるようになった。アジア太平洋
地域の広域FTA構想についても、タイは米国が主導するTPPよりも、中国・ASEANが主導するRCEP
を重視しているとみなされてきた。
こうしたなか、今回の TPP交渉の大筋合意を受けて、これまでの流れに変化が生じつつある。タ
6
イ政府報道官が10月13日の記者会見において、プラユット首相は同日の閣議でTPP参加の是非を改
めて検討する意向を表明し、関係機関に参加のメリットとデメリットを検討するよう指示したことを
明らかにした。プラユット首相は、クアラルンプールにおける11月20日の安倍首相との会談において
もTPP参加への関心を表明し、情報提供等の協力を日本に要請した。一方、米国のデービス在タイ
大使は、「軍政がTPPに関心があるのであれば、米国はこれを大歓迎する」と現地メディアのイン
タビューで発言した。TPPの大筋合意を受けて中国の関与するRCEP交渉が加速するとの見方もある
なかで、デービス大使の発言にはタイを米国側に手繰り寄せようとする意図があるようにみえる。ア
ジアの貿易秩序形成を巡るタイと米中との距離感に変化の兆しが現れているようだ。
今後については、10月22日のテレビ演説のなかでプラユット首相が「TPPの是非を決断すべき期
限は2017年まで猶予がある」と述べ、結論を急がない姿勢を示した。その後、11月2日付の主要紙によ
ると、12月9日に開催される国際貿易発展委員会20において、議長を務めるプラユット首相がTPPお
よびRCEPに関する何らかの公式スタンスを表明すると報じられている。その準備として、プラユット
首相や政府高官は日系企業を含む経営者との会合を重ね、輸出に関する提言とTPPの是非について
情報を収集している。9日の委員会では、目下のタイで問題となっている輸出の低迷に関する対策と、
農産物価格の安定および農家所得の向上を図る国内経済対策についても取り上げられる予定であり、
タイ経済をいかに立て直すかという包括的な観点からTPP参加の是非が検討されるものとみられる。
そこで、12月9日の委員会でどのようなスタンスが表明されるかを展望するために、TPP参加に関
するタイ国内の主要な論調を確認しておきたい。
(2)国内では工業セクターが賛成、農村部は反対
タイがTPPに参加するメリットとしては、累積原産地規則の適用による、部品や完成品輸出の増
加が見込まれる。タイに製造拠点を置く日本の自動車関連メーカーからは、こうした効果を期待して
タイにTPP参加を促す声が上がっている。さらにタイがTPPに参加しないことによるデメリット
として、繊維・衣料、電気・電子といった工業セクターを中心に、TPP参加国に対する米国の関税
撤廃・削減によりタイの輸出競争力が低下し、マレーシアやベトナムに米国市場のシェアを奪われる
ことを危惧する意見がある。そしてタイ商工会議所は、アジアの生産分業ネットワークにおける中核
製造拠点としてのタイの地位が低下するとの懸念も表明している。
一方、TPP参加のデメリットとして明確に指摘されているのは農産品の輸入拡大であり、タイの
農業団体は参加に反対の立場である。タイの農村部は人口の半分以上が居住する大票田であり、近年
は都市部中間層と対立することで政治混乱にも関与してきたことから、農村部の反対はTPP参加に
とって政治的な障害となりうる。12月9日の国際貿易発展委員会で、TPPと農村経済対策が同時に議
論される背景には、このような事情があるためと考えられる。
(3)参加の可能性を残しつつ、時間をかけて農業対策を進めながら将来に決断へ
以上の通り、TPP参加に対しては農村部の反対があるものの、タイ経済再生のために貿易振興が
重要課題となっていることや、財界を中心にTPP不参加によりタイの競争力が低下することへの強
い危機感が示されていることから、12月9日の国際貿易発展委員会でTPP参加の可能性を排除するよ
うな方針が打ち出されるとは考えにくい。
しかし、国内の混乱を回避し、政治的安定を維持する観点からは、TPP参加を推進するにあたり
7
農村部等の反発を抑える必要がある。かつてタクシン政権(2001~2006年)が積極的にFTAを推進
した際にも、農村部から強い反発があり、当時はFTA等の輸出振興策と同時に、農村部支援を柱と
する内需活性策にも取り組む「デュアルトラックポリシー」を打ち出すことで、農村部の反発を抑え
込んだ経緯がある。したがって、タイがTPPに参加するためには、農村所得安定のための具体的な
対策を政府が打ち出すことが必要となろう。
現段階ではTPPへの新規参加に関する要件が示されておらず、TPP協定も発効していないこと
から、タイが正式に交渉を開始して参加を決定するには数年を要する見込みである。前述の通り、プ
ラユット首相が2017年まで時間的猶予があるとの認識を示していることからも、現実的には、タイは
TPP参加の可能性を残しつつ、与えられた時間的猶予のなかでTPP参加による具体的な影響の見
極めや農村対策等の検討を進め、参加を決断していくことになりそうだ。
5.韓国、中国、タイのスタンスを踏まえた日本の対応の在り方
本稿でみてきたTPPに対する各国政府の立場や各国内の論調を踏まえると、まず韓国については、
一部にTPP参加に対する慎重論はあるものの、大統領や政府がTPP参加に前向きな姿勢を示して
おり、国内の論調もTPP参加支持論が有力であることから、基本的にはTPPへの参加を前提とし
て交渉方針や政策対応の検討が進められていくとみられる。現時点ではTPP参加12カ国による批准
手続きが優先され、新規参加国との交渉が早期に開始されうる状況にないが、韓国は新規参加国のな
かで比較的早く交渉開始に向けて動くとみられる。
次に中国については、米国主導のアジア太平洋貿易秩序の形成をけん制したいという意向やTPP
が要求する高度な自由化に対する抵抗が強いことから、TPPへの早期参加方針が打ち出される可能
性は低い。むしろ中国は、自身が主導権を発揮しやすいRCEPの締結を急ぎ、TPP不参加による不利
益の軽減と米国主導の貿易秩序形成のけん制を図るものとみられる。
最後にタイについては、TPP不参加によりマレーシアやベトナムに米国市場のシェアを奪われ、
アジアにおける中核製造拠点としての地位が低下することへの危機感が強く、今後、TPP参加に向
けた議論が進んでいくとみられる。ただし、タイにおいては農村部をはじめとするTPP参加反対勢
力の政治・社会的影響力が強く、反対勢力の抵抗を緩和するような対策を政府が打ち出せるかが参加
の可否を大きく左右することになろう。
以上の展開を踏まえて、今後日本がとるべき対応について考えてみたい。
(1)韓国のTPP参加の可能性を視野に入れた対応を進めるべき
韓国がTPPに参加した場合、日本にはどのような影響があるだろうか。まずTPP参加によりも
たらされると期待される日本の韓国に対する優位性が薄れる可能性がある。例えば、TPP参加国の
うち韓国がまだFTAを締結していないメキシコへの輸出における日本の優位性、あるいは韓国がこ
れまで締結してきたFTAよりも高いレベルの自由化をTPPにより日本が得られることの優位性が
薄れる。また、前述の通り、日本のFTAカバー率は、TPPへの参加により37.2%に上昇し、仮に
韓国もTPPに参加した場合、更に42.9%まで上昇することが見込まれる。しかし、TPPに参加し
た場合の韓国のFTAカバー率は62.5%から71.6%になり、日本を大きく上回る状況は変わらないこ
とになる。この他、韓国企業もTPPの累積原産地規則を活用することが可能になり、国際サプライ
8
チェーンを効率化させる余地が出てくる。
ただし、日韓の二国間貿易に限定すれば、韓国のTPP参加は日本側により多くのベネフィットを
もたらすとみられる。日本にとって韓国は貿易黒字相手国であり、関税率も全般的に韓国の方が高い。
そのため、韓国がTPPに参加すれば、日本からの対韓輸出が増加する可能性が高い品目(例えば、
化学製品や一般機械、自動車部品など)では、TPP活用により恩恵を受けるだろう。また、韓国市
場進出に際して日本企業が障壁と捉えている項目(知的財産権の保護や医薬品・医療機器に関連した
制度の煩雑さ等)についても改善が図られ、在韓日本企業が現地ビジネス上メリットを受けられる可
能性がある。また、日韓企業のアライアンス強化をより推進しやすい環境になることも期待される。
以上の点を踏まえると、日本は、韓国のTPP参加を想定し、そのベネフィットを最大化すべく、
韓国との貿易・投資関係や経済協力関係の強化を進めておく必要があろう。一方、韓国のTPP参加
が実現すれば、韓国に対するFTA政策での遅れを挽回するというTPPの意義が薄れてしまう面は
否めない。したがって、日本はTPPに先行して参加することによるメリットを獲得すべく、TPP
協定の早期発効に向けた努力を継続する必要があろう。
(2)TPP以外のメガFTA交渉の加速と自由化レベルの引き上げも重要
日本のFTAカバー率の引き上げや日本企業の国際サプライチェーン効率化を図るためには、広範
なアジア諸国、とりわけ日本とFTAを締結していない中国が参加するメガFTAの実現が欠かせな
い。しかし、TPPへの中国の早期参加の実現は困難であり、日本はTPPへの対応と並行して、中
国が参加する日中韓FTA及びRCEPなどTPP以外のメガFTA交渉を加速させる努力を継続する必
要がある。中国自身も日中韓FTAやRCEPを重視しており、これらの早期妥結に向けた意思を日中が
共有することは可能であろう。ただし、日中韓FTA、RCEPのいずれについても包括的で高いレベル
の自由化が実現できなければ、日本にとってのメリットは限定される。日中韓FTAやRCEPの自由化
レベルを引き上げてTPPとの親和性を高めることができれば、中長期的な中国のTPP参加やFTAAP
(アジア太平洋自由貿易圏)構築に向けた道筋をつけることにもつながろう。
日中韓FTAやRCEPの交渉を加速し、かつ自由化レベルを高める上で重要になるのが、韓国やタイ
のTPP参加である。従来TPPとは距離を置いてきた両国がTPPに参加すれば、日中韓FTAと
RCEPの前進とレベルアップを促す強い刺激となろう。このため、日本が韓国やタイのTPP参加をバ
ックアップすることは重要である。特にタイについては、TPP参加への政治的障害となりうる国内
反対勢力の反発を緩和することが不可欠であり、そのために技術・知的協力等を通じた日本の支援が
求められる。日本は、こうした取り組みを展開しつつ、日中韓FTAやRCEPの交渉加速と自由化レベ
ルの引き上げに向けて関与を強めるべきであろう。
1
署名済みの中韓FTAを含む数値。中韓FTAを除くと 40.7%。
例えば、“Is China the ‘biggest loser’ in the TPP deal?”, The Straits Times, 2015 年 10 月 13 日 など。
3
2015 年 4 月に韓国産業通商資源部が公表した「新FTA推進戦略」では、①TPPや RCEP などのメガFTAへの積
極的対応、②利用率が低い締結済FTAの改善、③新興有望国との新規FTA推進が、3 大課題として挙げられている。
4
例えば、“As the world’s seventh-largest trading power which thrives on an open economy, Korea must be
armed with a trade policy befitting its status”, The Korea Herald, 2015 年 10 月 17 日, Editorial、
“Simply
put, for Korea, an export-driven economy with middle power status, being left out of the Trans-Pacific Pa
rtnership or TPP or any international grouping of significance means bad business and worse diplomacy”,
Korea Times, 2015 年 10 月 6 日, Editorial など。
2
9
5
「大韓商工会議所会長がTPP慎重論、財界の共感得られるか」
(『ハンギョレ新聞』2015 年 10 月 8 日付記事)参照。
韓国ソウルで 2015 年 10 月 15~16 日実施。
7
ただし、日本への輸出については、商慣行などの非関税障壁が大きいことから、TPPに参加したとしても輸出促進
効果は大きくないとする意見もある。
8
メキシコについては、主要貿易黒字相手国であるため、輸出拡大メリットの方が大きいと考えられている。
9
韓国貿易協会が 2015 年 5 月に実施したTPP参加に関するアンケート調査では、TPP参加を支持する回答は全体
の 62.2%で、反対(3.0%)を大きく上回っている。ただし、貿易を実施している企業がサンプルに多く含まれている
とみられるため、結果については、サンプルバイアスを考慮して幅を持ってみる必要がある。
10
その背景として、多選議員が多くないため、農村部で当選を重ねて政策決定に影響力を持つ有力議員が生まれにく
いことなどが考えられる。
11
ただし、まったく懸念される事項がないわけではない。現地ヒアリングによれば、例えば、ネガティブ・リスト方
式が採用されるサービス分野において、協定発効時に存在しなかった「新たなサービス」に対する将来の留保の取り扱
いが注目されるという意見があった。クラウド・コンピューティング・サービスのように、協定発効時には想定されな
かったサービス分野が将来、登場した場合に、TPPでのネガティブ・リスト方式では自由化の対象になりうるのかど
うか、その扱いが議論となる。現地ヒアリングによれば、こうした新サービス分野が発生した際に、韓国政府は初期の
段階では保護的な政策をとる傾向があるため、TPP参加にあたって新サービス分野の取り扱いが論点の 1 つになりう
るという。また、韓国では、中小企業に対する保護的な政策なども、TPP参加に際して対応を迫られる可能性がある
と指摘する声もあった。
12
これまでの韓国のFTA交渉スタイルをみると、強い権限を持つ大統領のリーダーシップのもと、
「推進ありき」で
迅速な交渉が実施されるなか、農業などの被害が予想される事業者に対しては、FTAごとに異なる補償などきめ細か
な対策が実施されてきた。
13
アジア太平洋での貿易秩序形成を巡る米中の動きに関しては、伊藤信悟・三浦祐介「対アジア外交を積極化する習
政権~中国のアジア太平洋戦略の特徴と展望」(みずほ総合研究所『みずほインサイト』2015 年 1 月 26 日、http://w
ww.mizuho-ri.co.jp/publication/research/pdf/insight/as150126.pdf)参照。
14
「商务部长:中方对有助于促进亚太区域经济一体化的制度建设持开放态度」(『中央政府门户网站』2015 年 10 月 9
日、http://www.gov.cn/xinwen/2015-10/09/content_2943909.htm)。
15 劉家敏「開放型経済新体制の構築に関する若干の意見」
(みずほ総合研究所『みずほ中国政策ブリーフィング』2015
年 10 月 30 日、http://www.mizuho-ri.co.jp/publication/research/pdf/china-bri/cb151030.pdf)。
16 「一帯一路」構想に関しては、酒向浩二「中国シンクタンクが明かす「新シルクロード構想」全容-2014 年度中国
商務部国際貿易経済合作研究院への委託調査-」(みずほ総合研究所『みずほリポート』2015 年 7 月 22 日、http://w
ww.mizuho-ri.co.jp/publication/research/pdf/report/report15-0722.pdf)参照。
17 徐程锦「如何面对 TPP」
(『学习时报』2015 年 10 月 26 日、http://www.studytimes.cn/shtml/xxsb/20151026/15726.
shtml)。
18 例えば、前出徐程锦「如何面对 TPP」
、
「TPP 出没中国打出什么牌?」
(『新华网』2015 年 10 月 8 日、http://news.xi
nhuanet.com/finance/2015-10/08/c_128294802.htm)など。
19 マレーシアがキューバなどと共に 2015 年版の『人身売買報告書』で格上げされたことについては、マレーシアの人
権政策が実際に改善したからではなく、米国側の政治的な意図によるものだったとの見方がある。例えば、ニューズウ
ィーク日本版「焦点:弱められた米人身売買報告書、TPPや国交回復が影響か」(2015 年 8 月 5 日付)
。
20 国際貿易発展委員会は、
12 月 9 日に初会合を開く新設の政府機関であり、貿易に関連する政策について審議を行う。
プラユット首相が議長、商務大臣が副議長を務め、財務大臣、外務大臣、農業大臣らの主要閣僚や、経済関連政府機関
のトップらが委員である。
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[共同執筆者]
アジア調査部 部長
平塚
宏和
[email protected]
アジア調査部中国室長
伊藤
信悟
[email protected]
アジア調査部上席主任研究員
小林
公司
[email protected]
アジア調査部主任エコノミスト
宮嶋
貴之
[email protected]
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