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日本企業における人事管理の問題点と 解決の方向性

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日本企業における人事管理の問題点と 解決の方向性
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日本企業における人事管理の問題点と
解決の方向性
一仕事と時間の主人公づくり一
藤 村 博 之
1.人事管理の問題点一人の使い方はこのままでいいのか?
人事担当者の不安
いま,企業の人事担当者の間から,これまでの人事管理方式に対する疑問の
声があがっている。「現在の方式のままで,従業員のやる気を維持し続けること
は可能だろうか」,「従業員の能力をフルに活用し,会社の発展につなげていく
にはこれまでの方式を見直す必要があるのではないか」など,人事担当者の自
信喪失が起こっている、
これまでの人事管理とは,少なくともある一定年齢(40歳くらい)までは,
勤続年数や学歴,性といった外から観察可能な属性によって管理する方式であ
った。もちろん,毎年行われる人事考課によって個人の能力や業績の差を見る
努力はなされてきた。しかし,人事考課の結果だけで昇進昇格を決めることは
まずなかった。常に,年齢や勤続年数によるバランスを考慮して人事が行われ
てきた。
これまでの人事管理のもうひとつの特徴は,「管理職トーナメントによる動機
づけ」であった。大卒で入社したからにはせめて課長,できれば部長,運が良
ければ取締役まで昇進したい,という「管理職志向」をうまく利用して,従業
員のやる気を引き出してきた。昇進競争で管理職になれば勝者,なれなければ
敗者と色分けし,人々を競争に駆り立てた。
企業の業績が良く,組織が順調に拡大していたときは,敗者よりも勝者が圧
倒的に多かったので問題は起こらなかった。まじめに働けば誰でも勝者になれ
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たからである。敗者になるのは,誰がみても能力のない人か,よほど運の悪い
例外的な人たちだった。しかし,オイルショック以降,企業の成長が止まり管
理職ポストが増えなくなると,普通の人も「敗者」にならざるを得なくなった。
こんなに一生懸命働いても課長にさえなれないのか 人々は昇進競争に疲れ
を覚えるようになった。
この事態を憂慮した経営者は,「専門職制度」を作って,人々の注意を管理職
トーナメントからそらそうとした。「管理職になれなかったからといってやる気
を失わないで下さい。会社はあなたの持っている多様な能力を活かす場です。
管理職以外の仕事であなたの能力を発揮して下さい」。このような経営者の呼び
かけは,従業員の耳に空虚な響しか残さなかった。昇進競争に敗れた者が専門
職になるという意識がある以上,専門職制度がうまく機能しないのは当然であ
った。
人事担当者の構成力回復のために
管理職への昇進が仕事へのモティベーションを高める有効な手段足り得なく
なったいま,従業貝のやる気を引き出すにはどうすればよいのか? 人事担
当者が求めているのは,この問いに対する答えである。
いま,日本全国でさまざまな「新しい人事制度」が生まれている。賃金管理
では年俸制,労働時間ではフリータイム制(コアタイムなしのフレックスタイ
ム)やリフレッシュ休暇制度,働く場所ではリゾート・オフィスやサテライト
・オフィスなど数え上げればきりがない。人事管理関係の雑誌には,これでも
かこれでもかと,「新しい制度」が紹介される。それらはすべて,仕事へのモテ
ィベーションをいかに高めるかという点と深く関わっている。人事担当者のま
わりには,やる気を出させるためのノウハウがあふれている。にもかかわらず
彼らは,どうしたらよいかわからないと言う。それはなぜか。
ひとことでいえば,自分の会社に最もふさわしい制度の組み合わせが見えて
こないからである。複数の仕掛けを用意しなければならないことはわかってい
ても,どの仕掛けをどの層にどう使うかという点になると明確な方針が打ち出
せない。身の回りに氾濫する材料を取捨選択して,人事管理体系として組み立
日本企業における人事管理の問題点と解決の方向性 149
てていく構成力にいまひとつ自信が持てないのである。何が問題の核心で,今
後はどの方向に進んでいくかを見きわめられないでいるとも言えよう。
そこで,この章では,これからの人事管理が進むべき方向を私なりに提示し,
人事担当者の構成力回復の一助としたい。そのために,まず,人材をとりまく
状況を分析する。以前と比べて何が変わったのか,そして今後は何が変わろう
としているのかを,個入,社会,企業の3つの側面から考える。次にその分析
をふまえて,現在とられている諸施策を評価する。いま持てはやされている制
度も,長期の視点に立つと時代の流れに逆行しているかもしれない。何が本当
に必要なのかを見きわめる。そして最後に,これからの人事管理方式の処方箋
を提示する。
2.人材をとりまく3つの変化
(1)個人の意識が変わった!
仕事以外の生活を大切にしたい
1990年から91年にかけての「超売り手市場」の中で,企業の採用担当者は,
面接に来た学生たちの質問攻撃にさらされた。彼らの質問は,以前では考えら
れないような点にまで及んだ。労働時間関係では,年間総:実労働時間や年間休
日日数はいいとして,有給休暇の消化率までたずねてきた。賃金関係では,初
任給だけでなく,30歳,40歳のモデル賃金はいくらかという質問まで飛び出し
た。福利厚生関係では,保養所の場所と数,独身寮や社宅の状況まで質問され
た。
採用担当者にとっては「前代未聞」の経験でも,仕事を探すという原点に立
って考えれば,学生たちの質問はきわめてまっとうなものである。彼らは,長
期に勤めることを前提として会社を探す。若者の転職が増加したとはいえ,す
ぐにやめるつもりで就職する学生はほとんどいない。自分がこれから10年,20
年,ひょっとしたら30年以上勤めるかもしれない会社を選ぶとき,さまざまな
条件に関心を示すのは当然である。むしろ,詳しい労働条件をたずねることな
く就職先を決めてきたこれまでの学生の方が異常だったといえよう。
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学生たちの最近の行動は,仕事以外の生活を大切にしたいという,個人の意
識の変化を端的に表している。人に与えられた時間は有限である。年間8,760時
間から生活必要時間を引くと,残りは約5,000時間である。これを仕事と個人生
活にどう配分するかという議論が,普通に受け入れられるようになった。以前
は,会社が繁栄して初めて個人生活が豊かになるのだから,何にもまして仕事
を優先すべきだとされ,時間配分などという議論が成立する余地はなかった。
会社を選択する場合,会社がどこにあるかという点も重要な要素になってい
る。通勤に往復3時間も4時間もかかるようでは,たとえ年間労働時間が短く
ても考慮の対象外になる。また,自分の趣味に都合のよい場所にあるからこの
会社を選んだという人も増えている。たとえば,滋賀県の琵琶湖周辺に本社を
おく企業には,マリンスポーツを愛好する他府県出身者が集まってくる。まず
自分が望む個人生活の形があり,それを実現できる労働条件を提示する企業に
就職しようとするのである。
会社ブランドよりも仕事内容
もうひとつの個人の意識の変化として,会社の名前ではなく仕事内容で就職
先を決める傾向が強まっていることがあげられる。「いい会社だと思って就職し
たけれど,いつまでたっても自分が希望する仕事を担当させてもらえない。こ
んなことなら友人から話のあったA社に移ることを真剣に考えようか。A社は,
いまの会社に比べると知名度は低いが,自分が本当にやりたい仕事を任せても
らえそうだし…」。こうして,彼はA社へ移っていく。
会社ブランドは,人を集めるには絶大な効果を持つが,人を引き留める力は
あまりない。この会社にいてもダメだと判断すれば,最近の若年層はさっさと
別の会社へ移っていく。優秀な人材ほどこの傾向が強い。彼らの定着率を高め
るには,会社がどれだけおもしろい仕事を提供できるかである。
このような意識変化が起こった理由として,次の3点が考えられる。まず,
労働力受給の逼迫である。平成景気の後期,有効求人倍率は1.58(1990年9月)
まで上昇し,高度成長期に匹敵する人手不足になった。この会社をやめてもす
ぐに別の会社に就職できるとなると,人々はよりよい条件の企業を求めて移動
日本企業における人事管理の問題点と解決の方向性 15慶
する。企業が人を選ぶのではなく,人が企業を選ぶ時代になった。この傾向は,
最近の不況によって弱まったが,少なくとも若年層については需要超過が続い
ている。
意識変化の2番目の理由は,所得水準の上昇である。賃金水準の企業間格差
は依然として存在するが,全体としての所得水準が上がったために,会社を変
わることによる金銭的ダメージは小さくなった。また,地方の企業に勤めても
ある程度の所得が得られるので,地方に移ることに対する抵抗が少なくなった。
むしろ,名目上の受取額は減少しても,地方の方が大都市圏より快適な暮らし
ができることがわかってきた。
意識変化を引き起こした3つ目の理由は,子供の数の減少である。ほとんど
が長男長女といわれる時代になって,親のめんどうを見なければならない層が
増加している。若いうちから親と一緒に住むつもりはないにしても,親元から
遠く離れたところで働く気はないという若者が相当数存在する。企業は,この
ような意識を持った人たちを使っていかなければならないのである。
(2)社会の変化一労働時間短縮は国民的課題
労働時間の短縮は,いまや国民的課題である。政府は,年間総実労働時間1,
800時間という目標を掲げ,ゆとりある生活実現のために旗を振っている。労働
組合もこの時とばかりに,時短要求を掲げて労使交渉に取り組んできた。最初
は冷やかな目でみていた経営者側も,労働力受給逼迫の中で時短を無視できな
くなった。若年層を引きつけるためには,他社並かそれ以上の時短を進めざる
をえないからである。
長時間働くことが美徳とされた時代は終わった。いまは,効率よく働き,個
人生活を楽しむ方がカッコイイのである。時短先進企業である松下電器産業で
は,経営側が次のような標語の入ったポスターを作った。「遊ぶヤツほどよくで
きる」,「休むヤツほどよくできる」。労働組合ではなく,経営側がこのようなポ
スターを作るとは,数年前までは考えられなかったことである。
時短は,仕事以外の生活をもっと重視して行こうという個人の意識変化を促
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進ずる。ただ,時短に対する批判も労使双方から出ている。労働者側から出さ
れているのは,収入が減ることに対する不満と,家にいてもやることがないと
いう不安である。経営側からは,生産性の低下や日本人の勤勉さを損なうこと
になるのではないかという点が指摘されている。
それぞれに一理あるように見えるが,大切ないくつかの点が見逃されている。
まず,残業とは特別なものであるという基本に立ち返ることである。所定労働
時間が決まっている以上,仕事はその時間内に終わらせるべきである。管理者
は,時間内に終わるように仕事の配分を考える役割を担っている。残業とは,
本来,よんどころない事情で仕事が終わらなかった場合,「特別に」おこなうも
のである。残業が常態化していることの方がおかしいという認識を持たなけれ
ばならない。収入の減少については,所定労働時間内の生産性を上げることで,
残業をしたときと同じかそれ以上の賃金を要求できるはずである。所定内労働
時間の生産性向上は,経営者が心配する生産性低下の対策にもなる。
時短をしてもやることがないという人には,人生80年時代をどう生きるのか
を問いかけたい。定年後,少なくとも15年置「会社抜き」の生活が待っている。
定年後に充実した生活が送れるかどうかは,定年までに仕事以外の面で何をし
たかにかかっている。若いうちからいろいろなことを経験しておかないと,人
生80年時代は乗り切れないのである。
(3)企業の変化 競争力の源泉は創造力
個人の意識が変化し,社会全体の価値観が変わってくると,それに対応して
企業も変わらざるをえない。会社のことよりも自分の希望や生活を大切に考え
る個人を使って企業経営を行うには,競争力に対するこれまでの考え方を転換
する必要がある。コスト重視からおもしろさ重視への切り替えである。
これまでのわが国企業は,他社よりもいかに安く作るかという点で競争力を
高めてきた。工程の見直しを重ねて,少しずつムダを取り除き,製品価格を下
げてシェアを伸ばした。その結果,世界市場では後続を大きく引き離すまでに
成長した。しかし,こうした形でのコスト引き下げは,もはや限界に近づいて
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いる。「トン当たりいくら」という商売をしている鉄鋼メーカーが,銭単位での
コスト削減に入っていることを見ても明らかだろう。
これからの日本企業は,誰も作らないおもしろいものを開発していく方向に
進まなければならない。この点は,新しいアイデアでも何でもない。すでに相
当以前から言われていることである。しかし,日本企業は,本当の意味での「創
造主導型企業」への転換を果たせなかった。それは,コスト削減方式の追求で,
企業業績をある程度伸ばすことができたからである。
しかし,すでに述べたように,コスト削減は限界に近づいた。人材面でも,
与えられた仕事をコツコツ追求していくタイプから,自分が興味を持っている
分野なら寝食を忘れて打ち込むが嫌いなことはやらないというタイプに重心が
移りつつある。後者の人たちに,コスト削減方式を押しつけるのは無理な話で
ある。新しいタイプの人材を有効に使うには,創造主導型企業に転換する以外
にない。
創造の世界は多種多様であり,何が新しいものを生み出すかわからない。こ
れまでに世に出た新製品の相当数が,ガンコな技術者のねばりに支えられてき
たという事実は,大切な点を示唆している。すなわち,組織は,多様な個性の
存在を許す「ふところの深さ」を持たなければならない。また,人材を消耗さ
せないことも大切である。どんなに優秀な人材を抱えていても,彼らに創造と
は関係ない仕事をやらせていては,何も生まれない。
要は,新しいタイプの人材をうまくのせて,彼らの自由な発想を十二分に引
き出すことである。そのためには,彼らを「仕事と時間の主人公」にしてやる
のがもっとも手つとり早い。どれだけ多くの「主人公」を作れるかで,企業の
将来が決まるといえよう。
3.仕事の主人公を作るには?
(1)仕事内容の自由度
やりたいことは自分で見つける
企業に勤めている以上,組織の方針に沿って仕事をするのは当然である。自
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分が好きだからといって,組織目標とまったく関係ないことをするわけにはい
かない。したがって,厳密な意味での「仕事の主人公」は,一部のオーナー社
長を除いて,企業の中には存在しない。しかし,組織目標によってしばられる
のは基本的な枠組みだけであり,その中でどう振る舞うかは各構成員にまかさ
れている。どんな組織にも,自由裁量の余地は必ずある。
そのような中で,自由裁量の幅をもっとも大きくした試みとして,社内起業
家制度がある。これは,社員が持っている新規事業のアイデアを会社が汲み上
げ,有望なものについては資金提供して事業化しようというものである。自分
のアイデアが認められれば,新会社の社長になれるので確かにやりがいはある。
しかし,事業化に失敗した場合は,社長としての責任をとらなければならない。
使われる気楽さをとるか,企業経営を自分の手で行うおもしろさをとるか,き
びしい選択を迫られる。しかし,興味のあることにはとことん打ち込むという
新しい人材には,願ってもない制度である。
社内起業家に準ずるものとして,新規事業の責任者を社内公募する制度があ
る。企業側が事業分野を特定して,その事業に興味を示す従業員を集めようと
いうものである。従来は,経営者や人事部が選んだ人を人事異動という半ば強
制的な形で新しい仕事につけていた。本人にその分野の才能があると客観的に
判断して配属するのであるが,人事部が選んだ人がその仕事でいきいきと働く
とは限らなかった。そこで,新しい仕事に喜んで挑戦しようという人に手を挙
げてもらうことにしたのである。これもまさに,自分の仕事を自分で決める制
度である。
新規事業とまではいかないが,人事異動のある部分を社内公募によっておこ
なう会社が増えている。人は部署を動くことによって新しい経験をし,自分の
能力高めていく。人事異動は,人材育成にとって重要な手段だが,自分の意に
沿わない異動を組まれることもよくある。すべての異動を公募で決めることは
不可能だとしても,新しいことに挑戦する場合は本人の意思を尊重すべきであ
ろう。
社内公募制の問題点
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ただ,社内公募制で問題なのは,直属の上司に隠して応募させることである。
上司の妨害を理由に,社内公募制をとっているほとんどの会社が秘密主義にな
っている。上司にしてみれば,有能な部下が抜けていくと困るので,阻止した
い気持ちになるのは当然だろう。しかし,これでは社内公募制は育たない。上
司との面接で堂々といえるような風土を作る必要がある。
上司が有能な部下の異動を阻止するのは,彼が抜けたあとどんな人材が来る
かわからないからである。抜けた人数だけ補充されればいいが,場合によって
は,代わりが来ないことがある。自分があずかっている部や課の成績が落ちれ
ば,自分自身の人事考課に響いてくる。人材を囲い込みたくなるのは当然であ
る。では,囲い込みをやめさせるにはどうしたらいいか。少なくとも,人材を
きちんと補充する点を慣行化することである。
電機メーカーB社の社内公募制は,上司に対してオープンになっている。自
己申告書の中に挑戦してみたい職種を書く欄があり,社内公募の書類を見て「ど
こどこへ移りたい」とはっきり書く。上司は,その書類を見ながら面接を行う
ので,部下の希望を知っている。人事部は,従業員の希望をできるだけかなえ
るように努力する。人事部員が応募者全員に会って,応募の動機や将来設計を
確かめる。そして,本人のキャリア形成上プラスであると判断されれば,3年
以内をめどに希望の部署に配属する。
異動する人の補充は,新入社員で行うことを原則としている。重なりあう期
間を十分にとって,引継がきっちりなされるように配慮する。上司に不満がな
いといえば嘘になる。しかし,本入の希望にあった仕事をしてもらうことが,
会社にとってもいちばん望ましいというコンセンサスが形成されているので,
B社の社内公募制は活発に動いている。
(2)仕事をする場所の自由度
仕事はどこでもできる
仕事は会社でするものだと考えられている。毎朝出勤し,夕方から夜まで働
き,帰宅する。月曜から金曜までこの繰り返しである。場合によっては,土曜
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や日曜にも出勤する。風呂敷残業もたまにはするが,仕事の場はあくまでも会
社である。一般に,「仕事=会社」という等式ができあがっているが,本当に会
社に行かないと仕事はできないものなのか。もちろん,協同作業をおこなう職
種は,会社以外に仕事の場は考えられない。しかし,あるまとまりを持った仕
事をまかされている場合,毎日会社に行く必要はないのではないか。
成果さえあげれば,仕事はどこでしても結構です一研究開発技術者を対象
として始められた裁量労働制は,仕事をする場所の自由度を高めた制度として
注目される。研究開発という仕事は,会社の研究所に籠もっていたからといっ
て,成果のあがるものではない。疑問点を調べるために大学の研究室に行った
り,友人と議論したりして,徐々に考えがまとまっていく。場合によっては,
公園を散歩しているときに,新しいアイデアがひらめくこともあるだろう。
大学へ行くとか他の事業所へ行く場合は,現行の出張制度でも対処できる。
しかし,公園への散歩を出張扱いにはできない。開発技術者の人事管理とは,
彼らが良い研究成果をあげられるような環境を作ることである。働く場所を自
由にすることで成果があがるのならば,そうすればいい。ただし,成果の測定
と評価基準については,事前にきっちり決めて全員に説明し,納得してもらう
ことが必要である。
現在とられている裁量労働制の多くは,働く場所を完全に自由にしているわ
けではない。在宅勤務を認めていなかったり,一定時間の出社を義務づけてい
る会社があるからである。完全に自由にすることは人事管理上難しいという理
由だろうが,こういつた制限を設けること自体,制度の本来の趣旨に反してい
る。まじめに働いているかどうかではなく成果をあげたかどうかで評価するの
だ,という原点に立ち帰る必要がある。
4.時間の主人公をつくるには?
(1)一日の労働時間の自由度を高める
あたりまえになったフレックスタイム
一日の労働時間の自由度を高めるために,フレックスタイム制をとる企業が
日本企業における人事管理の問題点と解決の方向性 157
増えている。一日の一定時間をコアタイムとして設定し,その時間帯には全員
がそろうが,出社と退社の時間は自由にするというものである。研究開発部門
を中心に,情報処理,企画・宣伝・調査,事務部門など会社の各部門に普及し
ている。ただし,仕事の性質上,現業部門で取り入れているところは少ない。
フレックスタイムは,一斉出社一斉退社という伝統的な労働時間管理をなく
すものとして登場した。1988年の労働基準法改正で可能になった制度で,自主
性の尊重や業務効率の向上を主たる目的としている。ただ,実際には,通勤難i
の解消や採用での有利さという副次的な効果があがっているようである。(詳し
くは,日本生産性本部『「フレックスタイム制に関する調査」報告書』(1992年
2月)を参照)
このような新しい労働時間管理の制度が導入された背景には,日本の労働者
の働き方の変化がある。すなわち,時間によって管理できない種類の仕事の比
重が高まってきたことである。定型的な仕事が主である場合,時間を管理の基
準とすることで対応できる。1枚の伝票を書くのに3分かかるから1時間で20
枚できる,といった具合に,時間で仕事の成果を測定できるからである。いま
の日本企業では,この種の仕事はパートや派遣労働者といった非正社員にまか
されている。
わが国企業の正社員が担当しているのは,ある種の判断をともなう仕事であ
る。さまざまな事実の中から,重要なものとそうでないものを選別する仕事と
言いかえてもよい。このような仕事は,時間では成果が測れない。同じ仕事を
与えられても,3時間で仕上げる人と8時間かかる人が出てくるからである。
人によって所要時間が変わる場合,労働時間ではなくその成果によって処遇し
なければならない。
フレックスタイムの限界
フレックスタイム制は,出退勤管理を各従業員に任せたという点で,一歩進
んだ制度である。しかし,労働時間へのこだわりを捨てされておらず,改善の
余地は大きい。たとえば,フレックスタイム制導入後の最大の問題点として,
労働時間管理の手続きが繁雑になったことがあげられている(前掲,日本生産
158 彦根論叢 第282号
性本部調査)。従業員ひとりひとりについて出社時間と退社時間を記録し,それ
に基づいて賃金計算するのだから,たいへんである。結局,ダラダラと長く働
いた人が残業手当をたくさんもらうことになってしまう。
フレックスタイムをより徹底した制度として,フリータイム制がある。コア
タイムをなくし,会社にいつ出てきてもよいという制度である。フレックスタ
イムよりも自由度が大きく,時間の主人公としての意識も高まる。残業時間の
数え方は会社によって異なるが,全員一律一定時間分の手当を支給するところ
が多い。
フリータイム制は,細かい時間管理をしていない点でフレックスタイム制よ
りもはるかに進んだ制度である。しかし,労働時間という足かせからは自由で
ない。労働基準法との関係で時間管理を完全にやめることはできないが,わが
国の労働者はもはや時間で測れるような仕事はしていないことを基本認識とし
て,処遇方法を再構成する時期にきている。
(2)休日の自由度を高める
ひとりひとりがカレンダーを持つ
労働時間短縮の結果,有給休暇も含めると1年のうち約3分の1が休日にな
った。時短を進めていく過程で,会社としての休日を増やし,全員一斉に休ん
できた。時短はこれからも進み,休日日数は増えていく。しかし,これだけ休
みが多くなると,顧客との関係で全社一斉に休むことが難しい。そこで登場し
たのが,フレックスホリデーである。会社の操業日数は減らさずに個人の労働
時間を少なくする手段として,多くの会社から注目されている。
フレックスホリデーが定着するには,2つの条件が必要である。まず,ほか
の人とは違ったことをする心地よさを従業員が知ることである。「みんなが働い
ているときに休んで申し訳ない」という意識を捨て,世間が働いているときに
遊べる楽しさを満喫できるようにする。平日のゴルフ場がいかにすいているか,
シーズンオフのリゾート施設がいかに安くて快適かを体験させることから始め
る。
日本企業における人事管理の問題点と解決の方向性 159
定着のための2番目の条件は,仕事に対する不安を取り除くことである。自
分の仕事の範囲がはっきりしていないから,休むとほかの人に迷惑がかかると
誤解し,休めなくなってしまう。ひとりひとりの仕事内容と課題をある程度明
確にし,区切りがついたら休むという雰囲気を作り上げることが大切である。
(3)生涯労働時間の自由度を高める
人間として生きるために
会社の仕事は大切だが,時として個人の事情を優先しなければならないこと
がある。たとえば,親が病気で倒れて面倒を見なければならなくなったときで
ある。親元が遠いと仕事をしながら看病することはできない。以前だと会社を
やめざるをえなかった。しかし,介護休暇制度ができて,会社をやめずに看病
ができるようになった。
この制度は,生涯の労働時問に自由度を与えるものとして注目される。多く
の日本人は,ひとつの会社に10年,20年,場合によっては40年以上勤める。そ
の間の労働時間は膨大なものである。たとえば,大学卒業直後に入社した会社
に定年まで勤め続けるとすれば,約40年になる。そのうちの3カ月や半年,個
人的な事情で会社を休んでもいいではないか。会社は少しずつ,ふところの深
さを持つようになっている。
この流れの中で生まれてきたのが,ボランティア休暇制度である。1日,2
日といった短いものから,海外青年協力隊への参加を認める2年のものまで幅
広い。企業人として働きながら,人間として他人のために何ができるかを考え
たとき,自分の時間を使うという選択が可能になった。仕事のためだけでなく,
社会のためにも時間を使うことを企業が認め始めたのである。
5.処方箋一一仕事と時間の主人公づくり
最後に,どうずれば仕事と時間の主人公になれるのか,電機メーカーB社の
経験を参考にしながら,処方箋を書いてみよう。
①生涯のキャリアパスを自分で選択
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B社では,入社から定年までを大きく4つにわけている。第1期は入社から
25歳までの基礎形成期,第II期は25−35歳の専門確立期,第III期は35−45歳の多
様性開発期,第IV期は45歳以降の経営開発期である。年齢はあくまでも目安で
ある点に注意されたい。
従業員は,入社したときにこのプログラムを示され,自分がこの会社でどう
いう方向に進んで行くのかを考え始める。毎年,2種類の自己申告書を作成し,
向こう5年間の目標と今年の目標を設定する。この書類は,年2回行われる上
司との面接に使われ,上司との話し合いの中で自分のキャリアを考えていく。
②仕事内容を明確に示す
キャリアパスを考えるときに必要なのは,この会社にどんな仕事があるのか
という情報である。B社では会社のすべての仕事について職務基準書を作り,
従業員がいつでも見られるようにしている。その厚さはちょっとした電話帳ほ
どになる。B社は以前,職務分析に基づいた賃金体系を採用していた。その時
の伝統がこの基準書に生きている。職務の変更に応じて,毎年のように内容を
修正している。
③挑戦する意欲を大切にする
B社の自己申告書の中には,自分が挑戦したいと思っている仕事を書く欄が
ある。人事部は各人の希望をチェックし,面接によって意欲を確かめる。本人
のキャリア形成上プラスになると判断すれば,できるだけ早いうちに実現させ
る。このプロセスは,本人の上司に対してすべてオープンである。
④きめ細かい面接で指導する
B社の面接制度は,すでに30年近い伝統を持っている。上司との年2回の面
接は,1回あたり30分程度かけて入念に行われる。また,3年から5年おきに
実施される節目の研修では,人事部員が全貝に面接する。上司の面接と人事部
の面接で従業員ひとりひとりの強みを知り,それを伸ばすよう努力している。
⑤実績評価と専門性評価の組み合わせ
B社の人事管理の基本は,全貝が専門職になることである。したがって,評
価の基準は,会社の業績にどれだけ貢献したかという「実績考課」と,自分の
日本企業における人事管理の問題点と解決の方向性 161
専門性をどれだけ高めたかという「スキル考課」の2つからなる。実績考課は
半年ごとに行われ,賞与・昇給の査定に使われる。スキル考課は年1回で,役
職とは別に定められている職群グレードを決める材料となる。管理職になれな
かった人が専門職になるのではなく,全員専門職とすることでやる気を維持で
きるのである。
〈参 考 文 献〉
藤村博之[1991]「個人生活とゆとり」『日本労働研究雑誌』,381号,8月。
関西生産性本部[1991]『仕事と時間の主人公をめざして一働きがいとゆとりある企業のあ
り方と労使の役割』,7月。
日本生産性本部[1992]『「フレックスタイム制に関する調査」報告書』,2月。
佐藤博樹・中村圭介・藤村博之[1989]「労働調査研究のフロンティア」『日本労働協会雑
誌』,354号,2−3月。
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