Comments
Description
Transcript
HIKONE RONSO_227_135
!35 〈資 料〉 C.J. Blomfield主教への手紙にみる 「カトリック救済法案」(1829)に関 するWordsworthの見解 田 原 俊 孝 /8世紀初頭に制定された一連の異教徒刑罰法(Penal Codes)によって,イギリスでは ローマ・カトリック教徒は信仰を認められたものの,あらゆる公的職業から締め出され た。この法律はカトリック教徒(特にアイルランドの)には大打撃であった。そこで,彼 らはカトリック農民の反乱組織‘Defenders’やDaniel O℃onnellを指導者とする「カト リック協会」(Catholic Society,1823)などを結成して,異教徒刑罰法の廃止運動を起こ していた。これに対して,イギリス議会は強硬な弾圧策を取った。当時,1815年から1820 年の不況期にかけて特に保守反動的であった議会も,1820年代に入ると,景気の回復につ れてカトリック教徒に対してやや寛容な態度を取るようになる。 !829年2月5日,国王George IV世はWellingtonを首相とする議会に対し.カトリッ ク教徒の刑罰法の見直し法案やアイルランドの秩序を維持するための新たな法令を鰯定す るように促した。しかし,王の意に反し,2月17日にカトリック協会の活動さえ禁止する 法案(旧教徒連合禁止法案)が議会を通過した。これに反発した一部の議員はカトリヅク 教徒に味方するようにさえなった。この雰囲気を察知したWellington内閣は,3月5日 新しい「カトリック救済法案」 (アイルランド旧教徒解放法案)を議会に提出した。これ ユ) は過半数で両院を通過し,4月13日王の承諾を得たのである。 以上のような経過をたどって認められた「カトリック救済法」(後の『カトリック解放 令』Catholic EmαnciPation Act)は,カトリック教徒が議会や他の公職につく権利を与 え,また条件付ぎではあるが,彼らの財産を認めようとするものである。つまり,これは 1)1829年2月26日付けのWordsworthからGeor鶴Huntly Gordon宛の手紙に付けたE. de SelincourtとAlan G. H三11の注。 136 彦根論叢 第227号 イギリスの自由主義的思潮を背景にして,政治的手段によって宗教的制約を緩和しようと するものである。ここに取りあげる「カトリック救済法案」に関するWordsworthの見 解は,当時のロンドン主教Charles James Blomfieldへの手紙の中に最も如実に衰されて いると思われる。この手紙は3月3日付であるから,この法案が国会を通過する2日前の ものである。当時WordsworthはRydal Mountに住んでいたから,郵便事情を考える と,法案が両院を通過した数日後に主教は手紙を受け取ったことになる。 Wordsworth Libraryにはこの手紙を含めて三種類の原稿が残っている。すなわち, (1)Wordsworth自身の手によるもので,初めの二節はほとんど判読できない部分がある。 この原稿は最終版とは全く違っている。(2)Mary Wordsworthの手による完全な原稿で あるが,最終版とは二,三の小さな文脈上の相違がみられる。(3)John CarterとMary Wordsworthの手による美しい原稿である。ここに取りあげる資料は第三番目の最終の原 稿(手紙)であり,それに若干の解説を加えたものである。 なお,この資料はすべて,Ernest de Selincourt(ed)and Alan G. Hi11(rev.), Tlte Letters of VVzlliam and Dorothy Wordsworth, V. The Later Years, Part 2 : 1829−f834, 2nd Edition(Oxford:Clarendon Press,1979)によった。 1 WordsworthはPンドン主教という高位軍職の人に手紙を出すのをためらっている一 「私は手紙を出すのが無礼でないかと一週閲ためらった。しかし,〔「カトリック救済法 案」の〕決定が近づくにつれ,悩みが深まり.ぶしつけをお許し願いたい。あなたの寛大 さにおすがりして,私の意見をほんの少し手短かにお話ししたい」。 まず,Wordsworthは主教に「プロテスタニズム(Protestanism)とローマ・カトリッ ク教(Popery),狭義に言えば,(アイルランド教会を含めた)イギリス国教会(Church of England)とローマ教会(Church of Rome)とが,自由国家を構成する上に対等な権 力となりうるか,また同時にキリスト教の教義が自由主義国家において行動の活力となり うるか」という質問を投げかけている。これに答えるために,Wordsworthはヨーロッパ 大陸でのプロテスタントとカトリック教の現状から説明をはじめる。 大陸のどの国々においても,特殊な条件のもとではプロテスタニズム(新教)とロー マニズム(旧教)の存在が実用的であるといういかなる証拠もみあたらない。まして私 <資料>CJ. Blomfield主教への手紙にみる「カトリック救済法案」 (1829)に関するWordsworthの見解 137 たちの指針となるものとして,合理的なものはない。これらの国々の中で特に際立って 自由なフランスでさえ,カトリック教徒と比較するとプロテスタントの数は微々たるも のであり,そして不信仰と迷信がフランスの両教徒の間をほとんど二分する。プロシャ では,立法議会はない。政府はもともと軍隊であり,ライン川諸国を除いて,最近その勢 2) 力圏に加えられる。カトリック教徒の割合は考えるに値しないほどである。ハノーバー 3) では.Jacobはプロテスタントを1q人以上のうちの1人と述べている。ここには確かに 立法議会はあるが,その法的権限はうまく定義付けられていない。ハノーバーには出版 の検閲劃一ゆるやかな制度だが一があった,まだ残っているかもしれない。この制 度はハノーバーの常備軍とドイツ同盟軍の鎮静剤的な役割を担って,動乱に備えて実行 委員会を支援するために存続している。健企な精神をもったイギリス人なら誰しも,ネ ーザーランド王国のはかない経験を踏み台としないだろう。フランダース地方では,善 悪の区別がつかないカトリック教徒が支配している。故に,それが教育によって人々を 4) 啓蒙しようとする王の試みを挫折させたのである。碓かに,オランダのプロテスタント の一llllは.彼らがそこにいた地盤に感謝される理由がある。もしあの〔William工世〕王 国が続いていれば,その政府は大多数を占める国民の宗教として,また下劣な精神をも って国民を一層御しやすくさせる宗教として,カトリック教へと次第に傾斜していくだ ろう。もしそうならば,プロテス学田ズムぱ次第に消滅することを理解しておかなけれ ばならない。また現在よりもはるかに偉大な麦配階級の人たちは教皇制度(Papacy) の品位の低下した教義から,彼らの心の中に最:も容易に逃げる手段として,信仰心を棄 てるだろう。 上述の引用のように,「善悪の判断がっかないカトリック教徒」ぱ,「下劣な精神をも 2)RhinelandとWestphalia地方は1815年のウイーン会議の結果, Hohenzollern州となった。 3)William Jacob(1762−1851)。英国学士院会員,統計学者。ここで参照している資料はA View of the Agricerlture, Manblfaclesre, Statisties, and State of Society of Germany and Parts of Holland and France, taleen during a/burnePt throzagh those Countries 勿1819,1820と思われる。 4)ウィーン会議において,Flandersのカトリック教徒たちはAustriaに降伏させられ,ナレソ ジ家のもとでHollandの新しい王国に加えられた。 William I世の君主制の復活は,南部のカ トリック教徒の自由を保証した。しかし,国家統制のもとでの教育や,これまでのカトリック教 会を保護する王のやり方に対して,1825年目紛争が起こった。1830年の革命によってBelgium が独立国家となるが,この革命はカトリック教徒と自由党員とが二年前に結託した結果であっ た。 138 彦根論叢第227号 って国民を一層御しやすくさせる」カトリック教へと改宗させていく。カトリック教は 「教皇制度の品位の低下した教義」であるとWGrdsworthは決め付けている。そのよう な教義をもつカトリック教徒を教育によって啓蒙しようとしてもむだである。従って,ロ ーマ教会にイギリス国教会と対等な権力を決して与えてはいけないと考えていることも理 解できる。 次に,イギリス国教会はどんな敵をもっているかを説明している。 5) 革新的な国家の前には次の三つの大きな対立がある。(1)キリスト教信仰とそれに対す る不信,(2)カトリック教とプロテスタニズムとの対立,(3)旧封建君主制の精神とアメリ カに設立された代表的共和制との対立,があげられる。イギリス国教会に属しながら信 仰しない人R’ P一マ・カトリック教徒たちの攻撃,また旧制度に反対する政治家たち を加えて,イギリス国教会はそれに反対する新教徒の恐るべき一団とも戦わなければな らない。このようないくつかの結託した攻撃の中で,国教会はどのように麦持されな ければならないか。カトリック教が強固に守っている君主制(monarchy),聖職位階制 (hierarchy),10分の1税制(tithing system)に反対する新教(非国教)一共和主義 的な傾向にある一が,教皇制よりも恐ろしいと言う人がいる。新教徒たちの教理問答 書の信条の中で具体化された抽象的な理論は,カトリック教徒のそれと同じように政治 的には確かに危険に満ちている。しかし,幸いなことに彼らの信条は実行に移されな い。彼らの中で分派している。新教徒たちは外国の司法権を全く認めない。彼らの組織 や教会規律は比較的弱い。ずっと以前に,彼らが体制を覆すようなどんな力を示したと しても,再建することはできないであろう。スコットランド教会のように,長老派教会 の組織(Presbyterian form)がそれをおし勧めなければならないとしても,聖職を選ん だスコットランドの貴族階級や上流階級の子孫たちがほとんど必然的にイギリス教会へ 入ることを私たちは知っている。これと同じ理由で,職階制をなくすために(神聖な真 理をとても屈辱的な見解と結び付けることをお許し願いたいが),一,二世代のうちに 金持ちの新教徒たちは私たちの教会員となるでしょう。 以上のように,新教徒たちは君主制,聖職位階制,!0分の1税制に反対する共和主義的 5) こめように分類するにあたって,Southey氏が出版中の本の主題はこの会話の内容を予期させ る(Werdsworthの注)o 〈資料>C.J. Blomfield主教への手紙にみる「カトリック救済法案」 (1829)に関するWordsworthの見解 139 傾向にあるが,彼らの基盤は弱く,さほど危険ではないとWordsworthは考える。一方, カトリック教はそれらを強く支持しながら,まずイギリス国教会と連合して,その後,イ ギリスでのカトリック教の実権を再び取り戻そうとするからJ国教会ecとって最も危険な 敵であると結論する。つまり,彼は次のように言うのである、 イギリス国教会は上層部の命令に抵抗するので.ローマ教会よりも有利な立場ではな く,むしろその反対に不利な立場にある。すなわち,教皇制はその制度を維持するため に,実権を握ろうとして私たちと同盟しようとする。その野心は記録に残されている。 教皇制は本質的には光と知識に敵意を抱いている。しかし,こういつた祝福を認めない 力は以前ほど大きくない。もっとも認めたくないという願望は以前と同様に強烈であ る。そしてそれらを排斥するために,教皇制自体の権力を強めたいという教皇制の決意 は,少しも弱まっていないけれども。P一マ教皇庁はイギリスをまさにプPテスタソト の中心と考えている。すなわち,イギリスの権力や偉大さを賞讃し,嫉妬し,ねたんで いる。それらをこわすことは絶望的だと思っている。とはいえ,イギリスに対する失わ れた影響力を取り戻そうと常に機会をうかがっている。そしてアイルランドを通じて効 果をあげようと望んでいる。この最後の言葉は,私自身の言葉ではない。それは私と同 6) 郷の上流階級のカトリック教の家族の長が数年前に率直に語った言葉である。それを私 がここで引用している。プロテスタント政府が,アイルランドのローマeカトリック教 の前に現在おかれている無力な状況をみる時,彼の言葉に大いに励まされるに違いあり ません。「偉大なカトリックの関与」,「昔のカトリックの関与.」という言葉をイギリス の上流階級のカトリック教の家族の長がしばしば口にするのを私は知っている。またず っと世俗的にいうと一「何があなたを満足させるでしょうか」と最近ある人がとても 賢い婦人に尋ねた。この婦人は上流階級のカトリック教の家族の別の分家に属している 人である。「あの教会です」と彼女は答えた。二人の会話が行なわれた大都会の教区の 7) 教会を指しながら。恐ろしいほどの期待ではないか。いわんや,教皇制度の機能の中の 6)多分第!2代Norfolk公の甥であるGreystoke城のHenry Howard郷(1802−75)であろ う。彼はSteyning選出の下院議員(1824−26)とShoreham選出の下院議員(1826−32)であ つた。 7)WordsworthはLord Lowtherへの手紙の中でこの話をすでに述べている(1825年2月12 日)。ここに言及している場所はSheffieldである。ここにNorfolk公一族が大きな財産を持 っていた。 140 彦根論叢 第227号 一要素として見過ごすべきではない。この「偉大なカトリックの関与」を私たちは法の 形で具体化しようとしている。プロテスタント議会は二つの顔をした犬の怪物に向かう ことになろう。その怪物は見張りや世話人もなく,お互にうなり声をあげながら,むさ ぼり食おうとしているのです。 この最後の例からも,国教会はカトリヅク教に対して,恐るべき敵であるとWords・ worthが考えていることが分かる。「国教会が現在そして将来にわたって,どんな敵と戦わ なければならないとしても,この重大事に際し,国教会はローマ教会の最も強烈な敵だか ら,国教会はローマ教会に対立して,国教会の力量を判断することが特に喚起されなけれ ばならないことは明らかである」と彼は指摘する。次に,国教会はローマ教会と非国教会 の中間に位置すると述べている。つまり, 個人的な判断からすると.国教会が二つの極端な宗派であるカトリック教と非国教会 との中間にあるので,真の敬意に値する。愛情を全く損わないような思慮ある人々の中 で.国教会は認められるでしょう。教皇制度は個人の判断を全く許さない。逆に,非国 教会は他の何ものも我慢しない。この二つの反対派の誤りのために受けてきた衝撃の中 で神(providence)の恵みが国教会を今まで守ってきてくれた。そして国教会の聖体 8) 礼儀(liturgy)の中の二つ,三つ,特にアタナシウス信条(Athanasian Creed)に対し て反対があるにもかかわらず.また国教会の規約のいくつかがどんなに議論されようと も,国教会の教義はもっぱら聖書に基づくものであり.その行いは私たち弱い人間の 要求に適応されているのである。もしそうだとすれば,国教会は何で恐れる必要があり ましよう。アイルランドをみなさい一十分な答えとなるでしょう。アイルランドのカ トリック教とプ・テスタントの入口の問の不均衡をみなさい。宗教用語を使おうと主張 しているn一マ・カトリック教会の不穏な指導者たちをみなさい。そんな用語はフラン スやオーストリアでさえ,使われていません。それをローマ法王自らがしばらくの間多 分引っ込めるでしょう。プロテスタント教会や寺院,かつてローマ教会に属していたプ 8)いわゆる「罪を負わせる節」が,17世紀と18世紀の新教徒たち(Dissenters)に,そして19世 紀の広教会派の入たち(Broad−Church皿en)にとり心配の種であった。 Wordsworth(Grosart, 皿,473参照)もColeridgeも共:cこの節に重大な疑惑をもった。アタナシウス信条はアメリ カの祈とう書から省かれた。そしてごく最近ではイギリス国教会系でもその使用はかなり縮少さ れている。 〈資料>C.J. Blomfield主教への手紙にみる「カトリック救済法案」 (1829)に関するWordsworthの見解 141 ロテスタント教会.また想像であるが礼拝が絶えず行なわれている所の収入総額をみな さい。また今なおある禁制が取り除かれると,プロテスタント教会の人口と富の不均衡 が不満の的となろう。またこの計画がどんなに隠されても,新しい権力の助けをかり て,転覆させ,もしできれば乗り換えようと,すぐに着手されるのは疑いないことで す。 上述の「国教会が二つの極端なカトリック教と非国教会との中間にあるので,真の敬意 に値する」という箇所は,Wordsworthが当時何事においても極端な思想を嫌い,中庸精 神を尊んだことを如実に示している。そして彼は反対派の人たち一「カトリック教徒た ちを政治力から取り除き,宗教ヘー一.L層愛着を感じさせ,それを支持して一層強く団結させ ようと考える人たち」一と議論したいと考えている。「もしこの考えがある程度支持さ れるようなことにでもなれば,次の二つのバランスを私たちは依然として保たなければな らないでしよう。すなわち,現実のあるいは想像.Eの不満から生じる非組織的権力と,現 にある不平に譲歩した合法的な組織力との問のバランスを。というのは,不満がなくなる と考えるほど愚かでないからだと私は思うのです。もし洪水に自由に流れるだけの水路が 与えられれば,拡散して被害がなくなるだろうと結論することは,ごまかしであり.とて も危険なまやかしである」と彼は言う。 次にカトリヅク教司祭の独身主義と聴罪師について触れている。 閣下もよく御承知の通り,抑制というものは,しばらくして行動に駆り立てるが,そ れはここでは望めない。すなわち.ローマ教会は非常に巧妙な組織を通して,また教義 や規律を通して,他の完派とは独立している。これが司祭職に特別な権力を与える。こ れを証明するために,司祭職を共同体から分離している独身主義(Celibacy)のみの命 令と彼らを精神の長にさせている拘束の儀式一これらの教義が意志を越えた絶対的な 力を与えているが一の二つを取り上げてみよう。こういう拘束に従うために,彼らは その恩恵を固執して譲らない。その例はスペイン,ポルトガル,オーストリア,イタリ _,フランダース,アイルランド,その他大変強硬な教皇制度をもつすべての国々にみ られる。幸運の影響力がゆるやかなもとで,他の宗派がどんなに衰えていようと.も,教 皇制ぱ最も栄えている時に最も激しく狂暴であったということを歴史は証明していま す。 142 彦根論叢 第227号 このように,カトリック教徒たちは激しく狂暴で,すきがあれば入り込み,すべての国 をカトリック化しようと企む危険分子だとWordsworthは考えている。またカトリック の聖職者たちが「独身主義」や「聴罪」を固執して譲らないことも嘲笑している。これは 極端な思想を排斥したいという考えに由来すると思われる。従って,和解案の作成者や同 調者の考えはあまいと考えている。つまり, 和解は譲歩の結果ではないと考える多くの人たちは,目先だけに依存している。彼ら 9) はアイルランドのローマ教会に金を支払う計画をたてる。そうすれば,アイルランドの プレスピテリアン 長老教会派の人たちが証明しているのと同じように,後でカトリック教徒たちが政府に 従うだろうと期待するだろう。こんな方法は,まず第一に,あまりにも不誠実なので, 正直な人たちに非難されよう。なぜなら,こんな政策を行う政府なら,聖職者たちに賄 賂を贈って自滅させ,彼らの義務感とは反対に行動させるであろうから。もし彼らが司 祭として純粋であり,しかも真に崇高な精神をもっていれば,こんな期待をされている と知れば,給料を受け取れないと思うでしょう。もし彼らが俗物であり,偽った心をし ていれば.二重の取り引きをし,現実には政府の力を徐々に弱めていく一方で.その政 府を助けているように思われるだろう。というのは,もし彼らが教会の利益を犠牲にす るのでないかと思われると,彼らは会衆の権威をすべて失うことを知っているからであ る。権力と思慮は金よりももっと価値がある。政府がイギリスの枯渇した収入から人々 に与えようとした金のために,司祭たちは危険を冒してまで人々を支配しようとし向け ないでしょう。確かに,彼らはこんなわずかな金を借りるよりも,アイルランドのプロ テスタント教会の財産をほしいままにする方がいいだろう。あるいは彼らがそう思って いるように,横領する喜びすら感じるでしょう。もっとも,無いものをとろうとするこ とはできないが。この計画に賛成している沢山のイギリス人たちは,ローマ教会を助け るために彼らに収入の一部を充てようとして,アイルランド・プロテスタント教会のい わゆる修正に甘んじている。この点を彼らは合理的だと考えている。やがてそれが公け の目標となり,もし彼らの目的を果たせば彼らの喜びとなろう。閣下なら同意下さると 思いますが,もしそうにでもなれば,それはわれわれの時代に無知が生んだ最も不幸な 出来事の一つとなりましよう。結局,俗聖職者(Secular Clergy)たちがこの寺領横領 9)Wellingtonはアイルランド司祭たちに金の支払いと許可書の提案をしたが,この計画はイギ リスの主教たちの反対で廃案となった。 〈資料>C,J. Blomfield主教への手紙にみる「カトリック救済法案」 (1829)に関するWordsworthの見解 143 で罰せられるか,何か他の方法で,彼らの格下げの結果,修道会聖職者(Regzalars)た ちがあがってこよう。だから,彼らを災いから守ることができるような力はどこにあろ うか。奴らは今以上に人々を食いものにしようと国中に群がろう。この賄賂工作に対す る同志のさまざまな理由の中に,ローマ教会の明白な特質が見逃されている。 上述の中に,「長老教会派の人たち」が述べられている。元来,長老教会はイギリス国 教会,ルター派教会と共にプロテスタンティズムの三大主流の一つであるから,それはカ トリック教とは対立する宗派である。従って,政府が行う長老教会への献金は,カトリ7 ク教会へのそれとは根本的に質の違うものだと彼は言いたかったのだろう。カトリヅク教 司祭たちは政府からわずかの献金をもらうよりも,プロテスタソb教会と一緒になって金 を奪った方が得策である。つまり,カトリック教が主導権を握ることをねらっていると彼 は考える。次に述べるように,この法案の立法者はカトリック教徒たちの「人間性」をよ く知らなければならないと言っている。 平静さが「救済法」の永遠の帰結になろうと考える人たちは,上流階級と下層階級の ロ 一一マ・カトリック教徒との聞には意見や感情の大きな相違があることを大いに議論す る。面目にかかわるとして,教会の範囲内を常に守ろうと考える人もいれば,また大変 楽観的に考えて,目下のところ分離する準備はしないが,次第に分離するだろうと考え る人もいる。しかし,彼らの感情に従って行動し,外面的な威厳やカを失うことを確信 すれば,それは何の役に立つでしょうか。司祭たちが今与えている政治的影響あるいは それに類する影響が持続する限り,カトリックの大地主だちは見て見ぬふりをして,そ の権力の要求に従わざるを得ないだろう。こういうことが彼らの行動となりましょう。 いや,さらに言えば,財産を正当に表させる自然かつ合理的な願望を通して.現在プロ テスタントの地主たちの多くが,教皇制に改宗するように誘われるだろうと考える人た ちと私は同意見である。これは宗教的な道徳観念がカトリック教徒を追い出そうとする すべてであるが故に,プロテスタニズムに対するつまらない賛辞と考えることができま しょう。同時に,カトリック教徒を反乱の寸前まで押し込めながら,そうさせないでと どめる望みはないのか。この両方共ばっとしない見解であると私は思う。しかし,人間 性というものは,ともあれ立法者によってあるがままに見られなければなりません。 この問題を取り扱う場合,私たちは間違っているという噂を絶えず聞くが,その間違 144 彦根論叢 第227号 いは一方の側だけである。もしアイルランドの政治の権力が,アイルランド国教会に属 する人々から国教会でない人々に移行すれば,正義は有名無実となる。私たちはまた汚 点という言葉をよく聞くが,すべての役職や枢密院(Privy Council)や大法官(Chan− 10) cellorship)がカトリック教徒に門戸を開かない限り,これはなくなりません。すなわ ち,自らは判断でぎない王の良心を支えるのにふさわしい側近を認めない限り,また王 座そのものを魂のおちぶれているカトリック教徒に開かない限りは,なくなりません。 口 次にWordsworthはアイルランドの現状を詳細に分析する。 アイルランドの現状は実にさんたんたるものであり,しかもそれは長則:こ渡ってい た。とても残念ではあるが,多数の国民はひどく無知であり,その結果このような間違 った信念や感情に陥りやすいので,第三者の権力によって彼らを抑えなければお互を殺 し合うことになるでしょう。この権力こそがアイルランドで彼らを生きながらえさせる のであり,もしそれがなければお互に殺し合って数を減らすことが救済策になるのは自 然の道理であろう。故に,イギリス文明はアイルランドの野蛮主義の後ろ盾になってい ると言えるでしょう。そして今.アイルランドには偽り誤った方向の権力しかないが, このような沢山の堕落した人々はその権力を見限り,自分たち自身の道をもち,また私 たちに指図することを許すであろう。性格の悪い人々や不自然なほどの急激な人口増加 による人々は(これは数を増そうとする先見のない地主の命令によって,また金もうけ のために結婚の増加に賛成する司祭によって誕生を促されるから),政治への要求を増 そうとして,数による比例制を強く打ち出そうとしている。もっとも良識ある判断から すれば,その要求は彼らにとって反比例の関係にあるが。野蛮な暴力が本当にどこに宿 っていようとも,私たちは現在あまりに感情的に教えられているので,それをよく判断 して対抗しなければならない一毅然たる態度でそれに立ち向かうために,注意深くよ く判断しなければならないのです。 以上のように,アイルランドの多くの住民は無知であるから,「間違った信念や感情を 受けやすい」。これを防ぐには,イギリスの権力によって彼ら自身の道をもたせる必要が 10)大法官の職は1974年までn・一一マ・カトリック教徒には開放されなかった。 〈資料>C.J. Blomfield主教への手紙にみる「カトリック救済法案」 (1829)に関するWordsworthの見解 145 ある,と彼は考える。一方,カトリック教の地主や聖職者たちが数で押し切ろうとするの にも反対する。 次に,アイルランドの野蛮な行為の原因は,教皇制と土地問題にあるが,根本的にはそ の国を完全に治めていないことによる。これは歴史が証明していると言う。それは次の通 りである。 11) アイルランドの苦悩や無知の主要な直接的原因は,私がこれまで述べてきた教皇制 と.地主の財産保有とその管理方法にある。そしてこの二つに共通する原因は,この国 を完全に征服していないことにある。古代ローマ人たちによって支配された国々や,中 世において北方民族によって征服された国々は,外国からの征服によって国が改善され るいくつかの方法の印象的な例を示すことができる。芸術や武器においてすぐれ,また 初期には美徳においてもすぐれたPt 一マ人たちは,滅びようが,野蛮主義であろうが, 彼らの慣習を他の国家に強制する道徳的な権利をもっていたように思われる。東方の征 服者たちや今日のボナパルトがやったような国そのものの侵略ではなくて,二道や駐屯 地一その周囲が文明の中心となったが一を作りながら,順序だって鎮圧し.上のよ うな効果をあげたことを私たちは知っている。御承知と思うが,私の議論の一般的な見 解に反対する者として,次のように述べておきたい。征服者も被征服者も,ローマ人た ちが文字通り伝えた市民権の大いなるおかげであった。北方民族のもう一つの征服方法 は彼らが襲撃した弱小民族の中に,勇敢で強い人々が住んで恩恵深い成果をもたらした ことである。征服者たちは彼らの独立と激しい精神を植えつけ.消耗しきった社会を再 び活気づけたり,逆に,健全な緩和剤を受け取った。ついに,時の経過と共に,征服者 も被征服者も共通の利害を持ち.お互が融合し合った。このどちらの方法も不幸なアイ ルランドの国民とは無関係であった。この島の領土という物理的な障害やさらに外から もたらされる道徳的な影響によって,その領土は本来の性質を失って独立しようとする 12) 悪い結果を増大している。エリザベス女王時代の作家たちは,十分に麦配していない野 蛮なアイルランド人の中で,その国民の長だとあまりに気安く考え過ぎた人々の間で熟 していた組織を植え付けることは何んと馬鹿であったことかを指摘する。アイルランド 11)Wordsworthは1825年6月11日付のSir Robert lnglisへの手紙の中で述べた議論の多くを ここで繰り返している。 12)特にSpenserを指す。 E W. Marjarum,“Wordsworth’s View of the State of Ireland,” PMLA LV(1940),608−11.を参照。 146 彦根論叢第227号 の道徳観をゆがめ,宗教に関する知識を妨げJそしてイギリスの洗練さと礼儀正しさを アイルランドに分け与えることを否定していることに対する幽幽や長く続く憎悪を詳細 に述べるのは私にはでしゃばりと思われるので,次の点だけを述べておきたい。改革は アイルランドで支持されなかったし,その国の土地は,しばしば没収されて,土地に受 着をもたない人たちによって,主に所有されていた。 しかし,回顧するにはあまりに遅すぎる。降参か流血かのどちらの選択もでぎない。 確かにやや言い過ぎかもしれないがJアイルランドは脅迫されている悪事を審議するよ 13) うに閣議から要求されるべぎである。しかし,閣議は悪事の問題を個別に取りあげ,両 院で無責任でしかも困ったやっかいな問題を長い間議論しながら,過去何年にも渡って 悪を育ててきたが,小さなことでは危険はなかった。しかし,今ではその危険の範囲は さまざまな要求を認めるようにとさかんにせきたてられている。危険は相関的なもので ある。故に,カトリック教徒たちの暴力に私たちが恐れなければならないと判断する条 件の第一は,プロテスタントたちに味方することである。もしイギリスの大臣たちがこ れまで本当にそうであったら,彼らがこれまでのように何年もの間「カ1・リック連合」 によって立ち向かわれるようなこともなかったであろう。 皿 Wordsworthは最後に「枢密院の一人である閣下に率直に申します。とても長々と述べ て心苦しいのですが,結論を申し上げます」と述べている。プロテスタントは現在の権利 や特権を守り,カトリック教よりももっと影響力を伸ばすために努力しなければならな い。彼がよく主張する人間性は,やさしい心と同様に確固たる心をあわせもっことを意味 するが,その人間性を働かせながらP一マ教会をそのうちなくすることが神の望むところ だと結論している。 14) オコーネル(0℃onnell)氏とその後継者たちが政府に勇敢に立ち向かっている力を 13) 閣議は前年(1828)にカトリヅク問題に関して分離した,そしてGoulburnはその年の5月 に譲歩に賛成するBurdettの動議に反対する方にPee1と共に投票した。 14)1828年6月,地主でカトリック自由主義者である0℃onne11は議員補欠選挙にクレア州から 出馬して当選したが,議会はその無資格を理由として議席を与えなかった。そこで各地に彼の擁 護運動が起こった。Wellington(Peel)1ま「カトリック連合」(Catholic Association)の人た ちが戦略を繰り返しており,アイルランドの反乱が起きるのではないかと恐れていた。 〈資料>C. J.Blomfield主教への手紙にみる「カトリヅク救済法案」 (1829)に関するWordsworthの見解 147 排除することができないような無力な国家は,アイルランド民族の大組織に無関心では いられない。もっとも目的を果たす手段は別だが。司祭たちの仲介力を取り除ぎなさ い。そうすれば,アイルランド国民が今直面しているように,一人の政治的扇動者の訪 「旧で反乱を起こすのは,リリパット(Lilliput)の王が訪問してプロブディッグナッグ (Brobdignag)での反乱が起きたのと同様に希望的に考えられよう。今日このような国 家の無力さは司祭たちに直接には影響を及ぼさない。従って,彼らは心に秘めた考えを もっているに違いない。つまり,彼らはアイルランドの代表を彼らの中から出そうとお だてうぬぼらせているに違いないし,また彼らの世間的な関心とそれに関係すること は,支配してすぐに有利になると考えているけれども,彼らが第一に求めているものは プPテスタントを追い払って彼らの宗教を発展させることである。そうすれば,他のす べてのものがそれに続くだろう。政治的扇動者たちは司祭たちの介入がなければ.国民 を立ち上がらせることはできないことが明らかである一方,司祭たちが彼らの教会を高 めて彼らの社会的地位を改善させようと希望しなければ,国民を奮起させることもでき ないのはまた本当である。アイルランドの立場から解釈して,このような言葉が何を意 即しているかを考えると,身の毛がよだつ。いかなる点から考えようとも,宗教はこの 問題に大いに巻き込まれているので,イギリスの監督教会(Episcopal Church)の管理 者たちは,彼らへの高い信頼に値することを自ら示すことが緊急の課題である。ロ 一一 マ・カトリヅク教徒たちの立法機関への参与を承認することのできる最高の安全監視人 たちがいるにもかかわらず,これは危険な実験だと,閣下はお考えでしょう。ここで役 立つだろうと思う誓いをなさってはいけません。信頼のおける安全監視人たちは,ただ P一マ・カトリック教そのものの改革を考えようとはほとんど望んでいないからです。 カトリック教よりもイギリス国教会の方がすぐれていると確信している議会や内閣は, プPテスタソト教会の現在の権利や特権をそのまま維持しょうとするだけでなく,全く 公平な手段によって,次第に教皇制よりも優勢になっていくことを望んで,その影響力 を伸ばすようにしなければならない。 P一マ教会はそのうちなくなることが神の望むところだと私たちは確信している。イ ギリス国教会に何が起ころうとも,彼らが1可と言おうと,ローマ教会を棄てて,プPtテ スタントを土台とした政府を守りながら,私たちが人類の福祉のために働き,私たちの 弱い人間性の中にある威厳が何であれ,それを支えていることを知って満足である。 148 彦根論叢第227号 ここで話をやめますが,主教たちの席がこの危機でなくなるかもしれないことを私は 15) 極度に心配しています。彼らは訴えられているし,また議会の席から王位の推定相続人 によってさえ訴えられている。人間性を理由に彼らをおどそうとするだろうが,人間性 とは,額面通り評価すれば,打算的ではあるが,将来性のある性質をしている。つま り,それは今ある悪と将来間違いなく来るであろう今よりももっと際限のない大きな悪 とのバランスをなすであろう。人聞性とは心の優しさと同じ位の心の頑固さをも示すも のである。人間性とは大きな叫びで思いとどまらされることもなく,またそれ自らの悲 しみによって弱められることもない。しかし,人間性はその力の及ぶ限り,善悪を判断 し,良心の命ずるところによって行動し,そして万物の支配者にこの間題をゆだねるこ とである。 閣下,もし私がこれまで述べてきた意見をうぬぼれだとお考えなら,それは面倒な修飾 表現を避けたいためであるとお考え下さい。閣下とあなたたちの同胞にあなたを守る光と なり,その光の中で歩む力となることをお祈りします。 15)Ernest Augustusを指す。彼はDuke of Cumberland,1ater King o正Hanover(1771− 1851),fifth son of George皿で「カトリック解放令」に対して頑固に反対した。どんな譲歩 も極端に嫌う優柔不断な兄の王セこ強い影響を与えた。