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ハラダのラスク成功物語

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ハラダのラスク成功物語
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本気で「日本一」
2010・05・10 677号
ハラダのラスク成功物語
財部誠一 今週のひとりごと
ギリシャ危機から始まった欧州のソブリンリスク。理解の大枠はリ
ーマンショックをきっかけに顕在化した欧州経済のバブル崩壊です。
しかしギリシャ危機の実態に迫れば迫るほど、そこにはEUという国
家連合システムの矛盾や、通貨ユーロの矛盾に満ち満ちた現実が
浮かび上がってきます。ギリシャ危機がどこまで広がるのか。事態
はきわめて複雑です。近いうちにきちんとレポートをします。
さて前回の勉強会でお約束したハーベイロード・ジャパン自身のビ
ジネスモデルの革新ですが、その第一歩として画期的な瞬間冷凍
技術により一次産業復活に大きな期待を抱かせる株式会社アビー
への取材を、会員有志のみなさんと一緒に行うことにしました。詳し
くは『会員の皆様へ』をご覧ください。
(財部誠一)
※HARVEYROADWEEKLYは転載 ・ 転送はご遠慮いただいております。
わずか 10 年で群馬県の小さな洋菓子店が東京は
おろか今や全国でその名をしられる大人気菓子メー
カーになるとは、 いったい誰が想像したでしょうか。
ガトーフェスタ ・ ハラダ。
バターを塗ったフランスパンに砂糖をのせて焼いた
シンプルな洋菓子のラスクで知られています。 “グー
テ ・ デ ・ ロワ (王様のおやつ)” と命名されたこのラ
スクが誕生した 10 年前、 同社の従業員数はわずか
15 人。 知人の工場の一角を借りて、 地元の学校給
食用パンの生産もしてはいたものの、 どこの町にもあ
るごくふつうのお菓子屋さん兼パン屋さんでした。
ところが “グーテ ・ デ ・ ロワ” のメガヒットをきっか
けに事業規模はうなぎ登りとなり、 いまや松屋銀座
店、 京王百貨店新宿店、 東武百貨店池袋店、 阪神
百貨店梅田本店等々、 日本を代表する百貨店に堂々
たる店舗をかまえるまでになりました。 洗練された菓
子メーカーが軒を連ねる東京羽田空港の第 2 旅客
ターミナルでもガトーフェスタ ・ ハラダの商品を販売す
る臨時売り場を目にしたこともあります。
じつは先日、 同社発展のけん引役である原田節子
専務から決算報告のお手紙を頂戴しました。
「今期の決算がようやく確定いたしました。 売上高
124 億円、 経常利益 32 億円を計上することができ、
税金も無事支払い終えました。 嬉しい悲鳴ですが、
広すぎると思っていた工場もすっかり手狭になってし
まい、 新製品を開発しても製品化するための機械を
設置する場所もなく、 新たな問題が浮上しております」
8 年前、 群馬テレビの特番 「財部誠一の群馬発元
気情報」 で同社を初めて取材した時と比べると隔世
の感があります。
同社は創業 100 年の歴史をもつ菓子メーカーです
が、 その実態は高崎市新町の片隅で、 地域の学校
給食用のパンを作りながら細々と経営を続けてきたお
店だったのですから。 私が取材した場所も、 古い店
舗兼住宅の居間でした。
転機が訪れたのはラスク “グーテ ・ デ ・ ロワ” の
◆株式会社 原田
(ガトーフェスタ・ハラダ、
http://www.gateaufesta-harada.com)
設立 : 1901 年
代表者 : 原田 義人
本店所在地 : 群馬県高崎市 従業員数 : 500 名
資本金 : 1000 万円
売上高 : 2008 年 27 億円
2009 年 55 億円
2010 年 124 億円
明治 34 年に和菓子の製造業者と
して発足、 配給パン時代の昭和
21 年に製パンに着手し、 以後パ
ン作りの奥義を極め、 究極のフラ
ンスパンに到達。 バブル崩壊や地
域性により売上が頭打ちになるも、
「郷土に愛され、 郷土を代表する
本当においしいお菓子を作りた
い!」 との一念から、 保存料を一
切用いないフランスパンを使用した
ラ ス ク 「グ ー テ ・ デ ・ ロ ワ」 を
2000 年1月に発売、 大ヒット。
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誕生です。 「安くて美味い」。 ご近所のお年
寄りたちの間で評判になり、 律儀な世代の彼
らが群馬県内の親戚、 知人への盆暮れの挨
拶にこのラスクを贈り始めたことから口コミが
広がりました。
私が取材に伺った頃にはもうすでに 「原田
のラスク」 といえば多くの人がそれと思い浮
かぶくらい地元人気が沸騰していました。 す
でに評判を聞きつけた地元百貨店からも出店
依頼がきたというタイミングでした。
番組の中で私は原田さんに 「こんなに美味
しいのだからぜひ東京の百貨店にも進出して
ください」 と無責任な希望を申し上げました。
まさかそれが数年後に実現し、 東京、 大阪
の一流百貨店を席巻するとは思いもよりませ
んでした。
なぜこんな大成功ができたのでしょうか。 成
功はさまざまな要因といくつかの偶然によって
形作られるものです。 8 年前の取材の折に、
強く私の印象に残ったのは 「どうせ作るなら
日本一美味しいラスクを作りたかった」 という
並々ならぬ決意でした。 実の伴わぬ気合い
ではありません。 本気で日本一を目指したと
ころに、 勝因のひとつがあります。 まず彼ら
がやったのは、 日本全国で売られていたラス
クをすべて集め、 試食、 そしてそれらすべて
の味を凌駕するという道筋を描き、 実行して
いったのです。
その奮闘ぶりを象徴するのが当初、 彼らが
ラスク作りにカルピスバター (http://www.c
alpis.co.jp/butter/) を使用していたことです。
カルピスバターとはかの有名な “カルピス”
の製造過程でできる最高級のバターで、 量
が少ないことから、 入手困難なものとして知
られています。 そのカルピスバターを手に入
れてラスク作りを始めたという一点で、 同社
の日本一に対するこだわりの強さが十分に伺
えました。
さらにいえばこの原田節子さんという専務の
“舌” も強力な武器となりました。 専務の味
覚は大衆のど真ん中の味覚のようで、 彼女
が 「美味い」 と感じる味を商品化すると売れ
行きがいいこともわかってきた。 こうして“グー
テ ・ デ ・ ロワ” のメガヒットが始まったわけだ
が、 つくづく思うことがあります。 それは 「ど
んな時でも希望と可能性を見出そうとする意
志を持ち続けること」 の大切さです。
今の日本は、 企業業績も個人の人生もす
べてを環境要因で語ってしまうことが常態化
しています。 悪いのは自分ではなく経済であ
り、 政治だと。 たしかにこの 10 年、 日本経
済は一時のプラス成長もあったものの、 総じ
て惨憺たるありさまでした。 そのなかで地方
の中小企業は常に被害者として語られてきま
した。
しかし経営は政治環境、 経済環境と無縁で
す。 表面的にみれば企業経営は時勢に翻弄
され、 右往左往されるように見えますが、 環
境変化はそれがいかなるものに起因しようと
も、 企業経営の大前提です。 社会は常に変
化し、 時として暴風雨に見舞われ、 いかな
るマーケットも揺らぎ続けます。 それこそが
日常であり、 気持ち良く帆をはらむ順風な経
営環境こそが非日常なのです。
今でこそガトーフェスタ ・ ハラダは商品力、
マーケティング力、 地道な営業力等々、 ど
れをとっても優れた企業に成長しましたが、
元をたどれば群馬と埼玉の県境に近い、 少
子高齢化の進む田舎の中小菓子メーカーで
した。 翻って日本全国を見渡した時、 日本
中に美味いものがあふれています。 言い換
えれば、 競争力のある商品をすでにもってい
る中小企業がそれだけたくさんあるということ
です。 それがなぜ地域や地方に封じ込めら
れたまま、 地域経済の低迷とともに喘ぐばか
りなのか。 すべての問題は経営の 「意思」
に帰着するのです。
北海道からアジア市場への挑戦
嶌村彰禧さんが小樽で 1970 年代に土地の
開墾から始めてワインの製造、 販売にこぎつ
けた北海道ワイン。 苦労の連続だったと聞い
ていますが、 最近シンガポールから一時帰国
した知人から 「北海道ワインがシンガポール
で人気になりつつある」 という嬉しい話を聞き
ました。 どちらかというと甘みの強いワインな
のですが、 それがシンガポール料理とのマッ
チングの良さにつながっているようでした。 嶌
村社長が北海道からアジアの市場開拓を目指
して努力されていたことに感銘をうけるばかり
です。
「北海道ワインがこの地に最初のクワを入れ
たのは昭和 47 年 (1972 年) のこと。 (中略)
挑戦は 45ha の原野を切り拓くことから始まり
ました。 2 年後の昭和 49 年 (1974 年) には、
ドイツから輸入し横浜の植物防疫所に 1 年間
置かれていた 苗木が植えられます。 ところが
やっとの思いで植えた苗木も野ウサギに食べ
られたり、 枯れてしまったりするなど、 苦難と
試行錯誤の日々が続きました。 (中略) 開墾
から 30 年の時を経た現在、 鶴沼ワイナリー
にはミュラー・トゥルガウ、 ツヴァイゲルト・レー
ベ、 セイベルなどのヨーロッパ系ワインぶどう
が 20 品種 あまり栽培されています。 (中略)
私たちが大切にするのは 『身土不二』 のここ
ろ。 つまり日本の大地で育ったぶどうからでき
るワインこそが、 日本人に安心感や幸福感を
もたらすものと考えます」 ( 同社 HP より )
7 年ほど前、 嶌村社長からその間の苦闘ぶ
りを伺いました。 苦労の結晶が積極的な海外
展開でさらなる発展へとつながっているとすれ
ば、 これほど嬉しい話はありません。
「どんな時でも希望と可能性を見出そうとす
る意志を持ち続けること」 の大切さについて、
嶌村社長にあらためてお話を伺いたいと思い
ます。 (財部誠一)
◆北海道ワイン株式会社
http://www.hokkaidowine.com/
設立 : 1974 年
代表者 : 嶌村 彰禧
本社所在地 : 北海道小樽市
従業員数 : 79 名
資本金 : 4 億 4689 万円
営業所 : 仙台 ・ 東京
連絡所 : 名古屋
直営農場 (関連会社) :
・ 鶴沼ワイナリー (約 400ha)
北海道樺戸郡浦臼町
・ みかさワイナリー (約 25ha) 北海道三笠市
自然のなかで生きる喜び、 作物
を育てる喜び、 そしてその作物
を味わう喜びを感じながら生きる
ことこそ自然との共存である、 と
の考えの下、 北海道産の葡萄
だけでワインを造ることに成功。
編集・発行
ハーベイロード・ジャパン
〒105-0001
港区虎ノ門5-11-1
オランダヒルズ森タワー805
TEL 03-5472-2088
FAX 03-5472-7225
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