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「現地・現物」は情報収集の大鉄則

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「現地・現物」は情報収集の大鉄則
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生産現場だけの価値ではない
2007・11・12 556号 「現地・現物」は情報収集の大鉄則
財部誠一 今週のひとりごと
先日、石川県能美市に講演にいきました。小松市のお隣で、
森喜郎元首相とニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜選手の
出身地です。ここは建機のコマツの下請けが多いことと、大手
エレクトロニクスメーカーの関連工場の誘致に成功しているた
め「景気は良い」ということでした。その帰り道、小松空港で私
はみやげ物を物色していました。すると甘党の私の目の前に
「加賀福」というあんころ餅が飛び込んできました。それは伊勢
の「赤福」とうりふたつです。さらにいえば「赤福」同様、返品を
再出荷していた「お福餅」ともそっくりです。「赤福」―「お福餅」
―「加賀福」とくると、なかなか手が出ません。結局、私は「加
賀福」を買う気になれず、そのまま売り場を離れてしまいました。
怖いですね。負のイメージの連鎖です。吉兆ブランドも地に落
ちたいま、私たちは何を信じたらいいのでしょうか。これで役所
が焼け太りという結末だけは避けたいものです。 (財部誠一)
※HARVEYROADWEEKLYは転載 ・ 転送はご遠慮いただいております。
「やはり現場に行ってみなければわからない」
ベトナム取材はそれを私に再認識させてくれました。
人の判断というものは、過去の経験や過去に獲得した
知識によって大きな影響をうけます。たとえば共産主
義国と聞くと、私たちの頭に真っ先に浮かぶのは「中
国」ではないでしょうか。共産主義=中国という構図が
頭の中に出来上がってしまった人が、ベトナムも共産
主義国だと聞くと、限りなくベトナムを中国に重ね合わ
せて考えたくなります。それが人間というものです。とこ
ろがベトナムと中国とはまったく違います。もちろん
1000年もの長きにわたってベトナムは中国の支配を受
けてきた歴史があり、ベトナム社会のそこここに中国
の影響がみてとれます。ところが、同じ共産主義でもこ
こまで違うのかというほど、ベトナムと中国とでは考え
方が違います。
ハノイで住友商事が開発したタンロン工業団地の取
材は驚きに満ちていました。日本企業の責任者に「ベ
トナム社会になにか不満はないか」と尋ねたところ、信
じられない返事が返ってきました。
「公共事業のスピードが遅いことだ。この国は土地収
入にも時間がかかりすぎる。立ち退いて欲しい住民と
の間で何年も話し合いをするものだから、道路一本通
すにも大変な時間がかかってしまうんです」
一党独裁の共産国が、土地収用のための話し合い
に手間取り、公共事業のスピードが遅くてしようがない
というのです。そんな共産主義国ってあるでしょうか。
とにかく私の脳裏には中国の再開発ラッシュの映像が
焼きついています。ことに上海では、見慣れた町並み
が忽然と消え、ワンブロックまるまるサラ地になったか
と思えば、半年後にはお洒落な街がいきなり姿を現す。
そんな場面を何度となく上海で目にしてきた。その変
化のスピードは尋常ならざるもので、だから上海では
「地図が役に立たない」とよく言われたものです。地図
が更新されるスピードより、街が変わる速度の方が速
いからです。
◆タンロン インダストリアルパーク
総開発面積 : 274ha(82万坪)
出資比率 : 住友商事58% ドンアインメカニカル社
(元越国営企業) 42%
総従業員数 : 3.5万人
総投資額 : 12.6億米ドル
年間輸出総額 : 9.2億米ドル
(越全体の2.3%)
【背景】
1998年、 住友商事とドンアインメ
カニカル社はタンロン インダストリア
ル パーク社を設立。 総開発面積
274ha に及ぶベトナム最大級の工
業団地プロジェクトで、 2000年に
第一期121ha (販売面積87ha)
竣工。 2004年第二期77ha(販売
面積58ha) 竣工。 ハノイ市中心
部とノイバイ国際空港の中間地点に
位置し、 車で空港から13分 (14
km)、 市内まで24分 (16km)、
ハイフォン港から100分(120km)、
カイラン港から200分 (140km) と、
立地やインフラ面の好条件に加え、
ハノイの投資環境及び生活環境の
改善から、 日系企業の進出意欲は
強く、 キヤノン、 住友ベークライト、
デンソー、 三菱鉛筆など合計77社)
が入居もしくは入居決定済み。
即席フォーのナンバーワンは日系企業
2P
その数日後、ベトナム政府の関係者から話を
聞く機会を得ました。その人物に「なぜベトナ
ムは中国のようなスピード感で公共事業をや
らないのか」と尋ねてみました。すると彼は「話
し合いは十分にやるべきだ、だがこれからは、
土地収用の時間をもう少し早めていかなけれ
ばならない」と答えました。ベトナムはあくまで
もベトナムの流儀でということでしょう。
実際、ベトナム政府は中国のやり方を徹底
的に研究しているようで、中国の失敗は繰り
返さないという明確な意思をもって経済運営を
やっているようです。もともとベトナム人は日本
人に似た気質をもっており、スピード優先でこ
とを荒立てるよりも、多少時間がかかっても全
体のバランスを考える調整型の思考をします。
そこにくわえて、中国の行き過ぎた開発ラッシ
ュが国民感情に深い傷と強い反発を残してい
ることを、ベトナム政府はよく理解しているよう
でした。
当然といえば当然の話かもしれませんが、こ
の程度のことも、日本にとどまっている限りま
ず入手できません。インターネットでどれほど
情報収集ができるようになっても、本物の情報
はそう簡単には手にはいらないのです。トヨタ
自動車の生産現場は「現地・現物」に徹底的
にこだわることで、不断の改革改善を行ってき
ましたが、ジャーナリズムもその本質はトヨタ
の生産現場と一緒です。現地に足を運び、現
物を自分の目で確かめてこそ、責任ある情報
発信ができます。
ベトナムから見たメディアの「小沢報道」
自民との「大連立」をめぐって、小沢一郎代
表が辞任、復帰と揺れに揺れた民主党。その
ニュースを私はベトナムのハノイで知りました。
「嘘だろ」と仰天しました。大連立という選択肢
があることは理解しますが、あまりにも唐突で、
まるで文脈が読めません。国民に向かってあ
れほど熱心に「政権交代」の意義を説いてきた
小沢代表が、なぜ、いきなり「大連立」を決意し
たのでしょうか? ハノイと日本とは2時間の時差があり、私が
その辞任のニュースを知った時には、日本は
すでに夜中の2時。日本の知り合いに電話を
するわけにもいかず、ネットで検索をかけたも
のの、まともな情報はまるで手にはいりませ
ん。こんなもんです、インターネットの情報とい
うものは。現地・現物なしに、物事の本質をつ
かむことの困難さを再認識させられた瞬間で
した。
11月5日深夜にハノイを出発して、6日早朝
に帰国。日本国内では小沢代表の辞任、復
帰をめぐり、おびただしいほどの情報が新聞
やテレビを通じて流されました。ところが「なぜ
大連立だったのか」という問題の核心は、まっ
たくといっていいほど報じられていませんでし
た。福田首相との党首会談の仕掛け人として
読売新聞の渡辺恒雄会長、あるいは小沢氏
と親しい元大蔵次官の斉藤次郎氏などの名
が取りざたされ、安全保障や消費税の問題が
大連立の背景にあると報じられましたが、そ
れらは「なぜ今?」という疑問にはまったく答
えていません。
では小沢代表自身はなんと言っているでしょ
うか。
理由は2つあります。第1は次の総選挙で勝
てそうにないから。第2は連立して政権の一端
を担うことがOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニン
ング)になるからというものでしたが、まことに
説得力を欠いています。なぜ、このタイミング
で連立を決意しなければならなかったのかと
いう必然性がまるでみえてこないからです。国
民感情はもちろん民主党内からも猛反発が予
想された大連立に、なぜ突然、小沢代表は前
のめりにならざるをえなかったのか。その疑問
に対して、メディアはまったくこたえていません
でした。
こういう時こそ「現地・現物」です。私にとって
の「現地・現物」とは取材です。
私は信頼できるある民主党幹部に連絡をとり
ました。すると彼は「第3の理由」があると即座
に答えました。それが防衛利権でした。
「かつて自民党の防衛利権は故金丸信副総
裁が握っていたことは有名だが、それを継承し
たのが小沢さんと野中さんです。叩けば間違い
なく埃が出る。そこを米国か地検に脅かされた
のではないか」
たしかに小沢代表が大連立を決意したタイミ
ングはきわめて異常でした。福田首相との党首
会談は10月30日と11月2日の2度にわたっ
て行われましたが、2度目の会談は守屋武昌
前防衛次官が国会で初めて証人喚問された翌
日でした。注意を喚起すべきは、2回目の党首
会談が行われた11月2日は、国会で福田―小
沢両氏が党首討論が予定されていた日でした。
守屋前次官の証人喚問の翌日に、国会の党
首討論をすっとばしてまで、2人はひそやかに
党首会談を行っていたのです。
「なぜ、このタイミングで会談が行われたの
か」
「なぜ、このタイミングで小沢代表は大連立にう
なずいたのか」
防衛利権をめぐって小沢代表が米国あるい
は地検が揺さぶりをかけられていたのではな
いかという推測が、説得力をもってきます。11
月11日のサンデープロジェクトに出演した石原
伸晃氏も「米国からの圧力」があったのではな
いかと語っていましたが、「防衛利権がらみで
はないか」という私の問いに対しては、石原氏
は明言を避けました。そのとぼけぶりが、この
推測により現実味を与えたように私には思えま
した。
いずれにしても重要なことは小沢騒動の背後
に防衛利権をめぐる米国ないしは地検からの
ゆさぶりがあったか、なかったかではありませ
ん。ただ漫然と新聞、テレビを眺めているだけ
では、ものごとの本質からずれていくばかりで
あることを肝に銘じなければなりません。マスメ
ディアの情報の流れの中に身を任せているだ
けでは、本物の情報には絶対にありつけませ
ん。「現地・現物」。情報の世界も、生産現場と
同じ原理、原則が働いていることを知って欲し
いものです。 (財部誠一)
◆小沢一郎 生い立ち
1942 年 5 月 24 日生まれ (65 歳)
東京市下谷区 (現 : 東京都台東
区) 御徒町に弁護士で東京府会
議員だった小沢佐重喜 ・ みちの
長男として生まれる。 本籍地は
岩手県水沢市袋町。 3 歳から 14
歳まで水沢で育つ。 東京都立小
石川高等学校卒業後、 弁護士に
なるため東京大学を目指して 2
年間浪人したが断念して、 慶應
義塾大学経済学部に入学。 父の
急死により 1969 年、 旧岩手 2
区から自民党公認で立候補し、
27 歳の若さで当選。 この総選挙
を党幹事長として指揮したのが田
中角栄。 以後田中派に所属し薫
陶を受ける。 しかし、 ロッキード
事件後も、 引き続き影響力を保
ち続けようとする田中に反旗を翻
した竹下登、 金丸信らと共に 「創
政会」 を結成。 のちに経世会 (竹
下派) として独立する。
◆小沢一郎 職歴
S44.12 衆議院議員 初当選
S60.12 ~ 61.6 自治大臣
国家公安委員長
S62.12 ~ H1.6 内閣官房副長官
H1.8 ~ 2.1 自民党幹事長 (1 期)
H2.2 ~ 2.11 自民党幹事長 (2 期)
H2.12 ~ 3.4 自民党幹事長 (3 期)
H5.6 ~ 6.11 新生党 代表幹事
H6.12 ~ 7.12 新進党 幹事長
H7.12 ~ 9.12 新進党 党首
H10.1 ~ 15.9 自由党 党首
H15.12 ~ 16.5 民主党 代表代行
H16.11 ~ 17.9 民主党 副代表
H18.4 民主党 代表
福田康夫という政治家
編集・発行
ハーベイロード・ジャパン
〒105-0001
港区虎ノ門5-11-1
オランダヒルズ森タワー805
TEL 03-5472-2088
FAX 03-5472-7225
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