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いじめは日本人の本質

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いじめは日本人の本質
1P
子供は誰でも平気でいじめをする
2006・ 10・30 506号 いじめは日本人の本質
財部誠一今週のひとりごと
先週のレポートで、年末恒例の勉強会を12月10日に開催す
ることと、勉強会終了後にハーベイロード10周年「感謝の会」
を開く旨、お伝えしました。スタッフ一同、議論百出の検討を重
ねた結果、前半の勉強会は「有料」、後半の感謝の会は「無料」
と決めました。会員の方のなかからは「財部さん、無理しないで
お金とりなよ」と言ってくださる方も少なからずいらっしゃるの
ですが、今回ばかりは掛け値なしの「感謝の会」とするために無
料でご招待という形式をとることにしました。このレポートは、
本当に会員のみなさんあって初めて成立するもので、今後とも末
永く、お付き合いいただけますようにとの思いをちょっとカタチ
にさせていただいたというふうにご理解ください。ただし、たい
した料理はでません。過剰な期待はだめですよ!
(財部誠一)
※HARVEYROADWEEKLYは転載・転送はご遠慮いただいております。
いじめによる中学生の自殺が止まりません。そして事
件が起こるたびに、教育現場の教師や彼らを管理する教
◆いじめ発生件数
育委員会の醜悪な責任逃れが報じられます。もちろんそ
小学校 中学校 の背景には、彼らを管理、監督してきた文部科学省の無
平成 6年 25,295 26,828
策、無能、子供の命に対する温かいまなざしのかけらも
平成11年 9,462
19,383
感じさせない役所体質があったことはいうまでもありま
せん。十代そこそこで自ら命を絶たざるを得なかった子
◆不登校児童数
供への贖罪意識よりも、自己保身が優先されてしまう大
人たちがどれだけ多いか。いじめ報道をみるたびに、多
小学校 中学校 くの人々が日本の教育行政や教育現場の荒廃ぶりを嘆い
平成 6年 15,786
61,663
ていますが、一連の報道をみていて、つくづく思うこと
平成11年 26,047 104,180
があります。
本当に悪いのは、同級生を死に追いやるまでいじめた
備考:
子供だという現実になぜ目をむけないのか、ということ
不登校児童生徒:30日以上欠席者
です。来る日も来る日も、標的とされた子供に向かって、 出所:文部科学省
口汚くののしり、無視し、その子がクラスの誰とも関係
をもたずに、ただ一人でじっとしていられる居場所を持
◆いじめ自殺「統計に不備」
つことすら許さない過酷ないじめを行っている実行犯は、
子供たちだという現実を抜きにして、いじめを発見し、 文部科学省の調査によると、いじ
めの発生件数は近年減少傾向にあ
阻止すべき監督責任を負っている教師や教育委員会だけ
るが、依然として2万人以上の児童
に責任をなすりつけても、問題の本質的解決にはまった
がいじめに苦しんでいる。一方、
くいたらないということが、なぜわからないのでしょう
いじめが原因となることも多い不
か。
教師や教育委員会が犯した最大の罪は、いじめの発見、 登校の児童数は大幅に増加。文部
科学省調査では不登校の約2割が友
阻止ができなかったり、いじめによる自殺であることを
達とのトラブルを原因としている。
認めようとしなかったことではなく、「自分がやって欲
いじめを受けた生徒の多くが不登
しくないことは、絶対に他人にもしてはならない」とい
校となり、結果的に統計上のいじ
う人間が人間として生きていくために、絶対に学ばなけ
め発生件数が減少したととること
ればならない最低限の倫理感すら教えてこなかったこと
もできる。
です。
2006年10月30日の衆院教育基本法
はっきり申し上げましょう。子供は天使ではありませ
特別委員会では、文部科学省のい
ん。絶対に天使ではない。子供というのはそもそも不完
全な生物で、純粋で善なる心もあるけれど、人を傷め、 じめ自殺の統計が99年以降は「発
生なし」となっていることを「こ
傷つけることを当然と思い、それをすることによってち
の数字は実態を反映していないと
ょっとした心地よさすら感じているというのが子供の現
思う」と不備を認めている。
実なのです。自分が気に食わない相手に、自ら手をだす
ことはためらっても、誰かがその子をいじめることには、
内心喜びを感じる。あるいはいじめられている子供を見
て「かわいそう」という感情を抱くことはあっても、自
ら積極的にいじめを制止して、自分に火の粉がかかるの
は御免だというのが子供の世界の実態です。
2P
私は90年代なかばから6年間、小学生のサ
ッカーチームのコーチをしていました。30人
弱の子供たちが小学校に入学してから卒業する
まで、毎週末、関わってきました。そこで驚く
べき現実に私は直面しました。まだあどけない
小学校1、2年生の世界でも、「立派ないじ
め」が存在していたという事実です。練習の意
味もわからず、ちょっと目を離せば、砂遊びに
興じてしまうような、あどけない顔をした7、
8歳の子供の世界にも、30人集まれば見事な
序列ができ、派閥ができ、いじめが行われてい
るのです。
私はその事実を見て、年端もいかぬ子供たち
を「恫喝」しました。震え上がるほど、怒鳴り
つけたのです。いじめは絶対にいけない、とい
うことを彼らはロジカルに理解できる年齢では
なかった。というよりも、小学校低学年の子供
は、動物そのものなのです。やってはならない
ことは、絶対にやってはならないと、彼らの心
のなかに強烈に植えつける以外ないのです。で
すから私はいじめに対して懲罰を設けました。
「自分がされたら嫌だと思うことを他の子にや
ったやつは、絶対に試合に出さない」というル
ールを作ったのです。
これで一時はおさまりました。しかし学年が
高くなり、3年生、4年生くらいになってくる
と、いじめが巧妙になってきます。週末のサッ
カーグラウンドでは、私の目もあっていじめは
起こらないのですが、ウィークデーの学校生活
のなかで、レギュラーの子供が控え選手の子供
に対して「おまえのおかげで負けたじゃねえか。
お前なんかクラブやめろ」という調子でいじめ
ているわけです。それをまた、他のレギュラー
の子供が「そうだ、そうだ」とはやし立てる。
こんなことは、日常茶飯事なのです。しかし、
いじめをしているレギュラーの子供たちが、と
んでもなく性悪な子供たちなのかというと、そ
んなことはない。私から見れば、奔放さをもっ
た“子供らしい子供”だから、困ってしまうの
です。こうなると、相手が子供だとはいえ、一
人ひとりとじっくり話しあうしかありませんで
した。思うに、どんな子供にも、嫌いなものは
排除したいという深層心理が間違いなく存在し
ています。したがって、いじめをなくすなどと
いう発想自体が現実から目をそらした空理空論
なのです。いじめは常に存在し続けるもので、
それをいかにしてマネージしていくか、コント
ロールしていくか。そう考えなければ、この問
題は一歩たりとも前進しません。しかし、こう
したことが本当にできる大人というのは、どう
いう人間でしょうか。私には有能なビジネスマ
ンの姿がもっともそのイメージに重なります。
優秀な経営者に育っていく可能性を強く感じさ
せる有能な管理職。はっきりいえば、30人の
子供をマネージすることと、30人の部下をマ
ネージすることとは、それほどかわらないので
す。モチベーションをコントロールしてあげる
ということの本質において、そこにはなんら変
わるものはない、と私は考えています。
日本はいじめ大国
しかし、いじめによる自殺報道を単なる子供
の世界の問題として片付けるのは間違っていま
す。いじめは、日本人の精神性そのものではな
いかとさえ私は感じています。古来、日本人は
「和を持って尊し」という価値観を美徳として
きました。これはじつに日本人の精神性の中核
をなすものであり、日本企業の強さの象徴とさ
れてきた「終身雇用」や「年功序列」といった
雇用慣行も、「和を持って尊し」という価値観
の反映いがいのなにものでもありません。たし
かにこの数年、それらの雇用慣行は過大なコス
ト要因として、ネガティブにとらえられる風潮
が強まりましたが、それは制度自体が悪いとい
うよりも、それを維持する経済力を企業が失っ
ただけにすぎません。能力主義や実績主義が当
たり前の時代になったように見えますが、どこ
の企業でも、それはあくまでも「適度」なもの
であり、外資系のような容赦なしの過酷な実績
主義は、日本人の土壌にマッチせず、どこの企
業でも日本的な能力主義、日本的な実績主義と
いうカタチでうけいれているというのが現実で
す。
それでもなお、日本企業のマネージメントに
おいては「和を持って尊し」という価値観が
暗黙の了解として組織の隅々にまで、まるで
毛細血管のようにひろがっています。
出る杭は打たれる。
これがまぎれもない日本の社会です。「和
を持って尊し」とは「排除の論理」と裏腹だ
からです。和を乱す人間、和のなかに入って
欲しくない人間は排除し、心地よい和を創り
たい――そういう心理がどこの組織の人間に
も働いているのです。いじめで自殺をした中
学生の身を思うと、悲しく、やりきれないし、
またその子を自殺に追いやった生徒(つまり
結果として自殺を強要した実行犯)たちに対
しては強い憤りを感じるのですが、そうした
ニュースが続々と流れてくるたびに、こう思
います。
「学校だけじゃないだろう。大人の社会もま
ったく同じだ」
異質なものが目の前にあると、どうしよう
もなく排除したくなる因子。それが日本人の
血には流れているとしか思えません。日銀の
福井総裁が村上ファンドに1000万円拠出
していたことに始まった一連の報道は、もう
国家的いじめとしかいいようがありません。
金持ちは許せない。とことんとっちめてやれ、
という感情が日本中で爆発したではありませ
んか。たしかに福井総裁は、日本銀行の総裁
として、ところどころ迂闊で非難されるべき
行動があったことは事実で、進退問題がとり
ざたされたこともしかたありません。しかし、
福井報道の背景にあった日本人の大多数の感
情は“いじめ”いがいのなにものでもなかっ
たのです。
自殺した中学生たちが突きつけているもの
は、教師の無能や教育委員会の責任逃れでは
なく、この国の倫理感の低さです。日本では
“いじめ”を許さないという“正義”の肩身
が狭すぎるのです。子供の“いじめ”問題を
解決したいなら、日本人全体の倫理感をいか
にひきあげていくか、を考えるべきなのです。
(財部誠一)
編集・発行
ハーベイロード・ジャパン
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