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天台僧・玄棟撰の仏教説話集 『三国伝記』 の有力伝本には
1 5 ﹃一一一国伝記﹄ 二伝本と ﹃一二宝感応要略録﹄ 要旨 h の有力伝本には推定近世初期書写 譲 児 h の確実な出 池上海一︵芯∞ M︶や、新出資料の紹介にあたって間伝本との本文比較 を行う渡遺信和公演凶︶、黒田彰︵川市混と・︵苓∞凶︶、湯谷祐三 238、 ︶を挙げうる。 COOM 判一一一国伝記﹄は中世成立の有力伝本に恵まれず、新出資料の定位 渡辺匡一 には匿本・版本との本文比較の重要性が高いが、その中でも池上海 一︵目。∞ω︶は両伝本それぞれが有する本文的特徴について次のよう に端的にまとめている。 よく補われている。 ①、版本は本文に回りくどさをもつのに対して、日出本は言葉が ②、国本のわかりやすさが伝本の素性のよさを保証するとは言い 切れず、かえって後人の補筆と思われる例が少なくない。 ③、一方で版本本文にみられる浄土教的改変については編者玄棟 の何ら関知しないものであって、この点については国本が古態 をとどめることが明らかである。 すなわち現存の﹃三国伝記﹄国本・版本の本文はともに作品成立 の付加脚色などの可能性、が考えうる。 菌本・版本それぞれの独自本文の吟味から帰結される、古態的本 文の判断基準をいかなる角度から求めるかが課題となるが、稿者は 時の本文からは隠たりを持ち、作品本文の変容の主因には現在伝本 に到るまでの度重なる転写や、活発な作品利用に伴う複次的な本文 近江国の天台僧・玄棟撰の﹃三国伝記﹄は全十二巻・各 3 0話︵総 計 3 6 0話︶を収める仏教説話集で、主要伝本には推定近世初期書 写の国会臨書館本︵以下﹁国本﹂と適宜称する︶と、いずれも向版 決済みではないが、先考として版本本文の浄土教的改変を指摘した 国本・抜本間の移しい本文異問が投げかける問題点は必ずしも解 の寛永十四︵53︶年・明暦二︵訟法︶年・無刊記の版本三種︵以下﹁抜 本いと適宜称する︶の二種が知られる。 問題の所在 帯する訓読方式を比較的保存する依本と位置づけうる。 存するようである。寛永十匝年抜本は質量ともに訓点が充実し、作品享受に付 霞会図書館蔵写本は本文や語序の一致等から、作品成立時の本文を比較的保 典源との比較対照への有効視に立脚する対照作業を行う。 史を論じた出稿において詳細な分析を留保していた、ウニ国伝記 本稿では間警の究・漢説話の最重要の出典である﹃三宝感応要略録﹄の誤読 古態をとどめる本文徴証を有し、伝本関係の相対把握が難しい。 の国会図書館蔵写本︵存八冊︶と寛永十四年版本の二種が知られるがち双方が 天台舘・玄棟撰の仏教説話集﹃一一一国伝記 松 尾 編者玄棟の円三国伝記﹄編纂への活用が推測される依拠資料の援用 が実証性を持たせる上で有効と考え、以下本稿では重要な出典源で ある﹃三宝感応要略録﹄出典説話を素材に論述する。 一 、 1 6 人文科学研究 第四二号 吋一一一国伝記﹄における吋一一一宝感応要路録﹄利用 私見を追加すれば右の出典話の一部には、編者玄棟が別資料を併 用する若干の説話を含む。たとえば池上海一 233が削除する巻十 2 6は部分的に﹃三宝感応要略録﹄をも利用しているし、氏が出 黒田説に対し牧野和夫︿凶混同﹀は李嬬百詠注の類似錨所を媒介に ﹃三国依記﹄吋和漢朗詠集和談紗﹄共通の披源資料を想定する。両 ﹁昔切利夫之安居九十自﹂の出典でもある。 一 一 典に追加認定する巻二 4の出典﹃一一一宝感応要略録﹄上 1話は、黒田 彰︵日混同︶の指摘のように円一一一国伝記﹄と成立時代・成立簡が酷似 し問書の一出典と推定される﹃和漢朗詠集和談紗﹄ 5 9 2雑・仏事 問書が日本の仏教説話集に与えた影響の考察は﹃今昔物語集 hを 中心に進められているが、司三国伝記﹄における出典利用も塚本善 者一間の影響擦係の有無は容易に決しがたいが、本語は原典屈指の長大 説話でもある上 1話に比して省筆が顕著で、玄棟はヲニ宝感応要略 録﹄をも度接参看し、大筋では﹃和漢朗詠集和談紗﹄ないし根源資 料を利用したとみられる。 さらに本稿追加の巻一一 1 1話﹁天台大師事﹂は、池上氏注釈︵上﹀ が指捕するように、天台大師の伝記を伝える諸書に見えない記述が 一宝感応要略録﹄出典説話一覧 明三国伝記﹄の出典研究をそれまで手薄であった仏典関係に も展開し、﹃一一一宝感応要路録﹄所収説話のうち過学数の八四話 づ一一国伝記﹄の 散見されるが、頭注四で指擁される生、役時の逸話、頭住二五で指摘 される浄名経講義の際の奇瑞は、ともにウニ宝感応要略録﹄中 1 8 話に対応箇所を指摘しうる。 ︷表一︸ を出典に認定。照時に編者玄棟が吋三宝感応要略録﹄をよく理 解し消化しつつ利用したことを綾説する。 ②・:池上海一︵芯司﹀ 2 5話を出典に追加する。 巻二 1 1話は諾書を引いて出典操作が複雑で、元来短文の中 1 8 話の二つの段落は、巻二 1 1話の冒頭、と後半部に分断されている。 さらに後段は寛永十四年版本に欠いている事矯もあって、先学では 見落とされていたようである。池上氏︵実線︶・李氏︵破線︶・稿 者︵波線﹀の訂正結果を以下︷表一︸に示す。 あり、一回一伝記﹄ ﹃一一一国伝記﹄を含む中世説話文学における吋一一一宝感応要略録﹄ 受容史を概観し、小林論文の出典認定から本文相違の著しい巻 十二 2 6を削除し、一方で巻二 4 ・巻六 4を追加する。 ③・:李銘敬︵Mood 日本仏教説話集の構造解明を自的に﹃一一一宝感応要路録﹄自体 の精綾な研究による日本仏教説話集の構造解明を試みた論考で ①・・・小林忠雄︵3hS﹀ 隆︵芯ふとの認定に始まり、いずれも論旨を摘要するように開文献の 研究史において画期的意義を有する①i③の各論考で、引用話数の 確定と補訂がなされ現在に至っている。 本と慶安三︵M S O︶年版本が知られる。 る仏教説話集である。大陸では早くに散逸しながらも日本では簡便 な仏教説話集として重用され、伝本も院政鎌倉期を中心に古写本数 れた、上巻五O話・中巻七二話・下巻四二話の一一一巻一六回話からな 一宝感応要略録﹄辻、中国遼代の高僧非濁︵258﹀により編纂さ 、 1 7 一:・第 7 i下4 0 巻二・:第 1 i上2 2・第 2 1上2 4・第 4 i上 1 ・第il − − 1 8 ・第 1 4 1中 7 中4 8・ 巻一ニ・:第 1 1上1 9・第 2 i上1 5・第 1 4 1 中 5 0後半 ・第 2 2 1 巻四・・・・・・引用話なし 巻五:・第 1 1下3 2・第 4 1下3 5・第 5 1下3 4 ・第 8 1下2 ・第 1 0 1 下3 6・第 1 6 i 上4 6 H引 第 . 引 叫 ん 引 い け い 刑 . 中 2 3・第 2 3 1 ・第 2 2 1 中3 3・ .第 2 9 1中4 7 巻六・:第 1 1下3 ・第 2 1下6 ・銅引け判引引・第 5 i中 4 3 ・第 8 1下6 ・第 2 0 1 上3 1・第 2 2 i 上1 8 ・第 2 3 i 上1 3・第 2 5 1 上1 1 巻七・:第 2 l中6 0・第 1 0 1 上4 3・第 1 3 1 中4 2 中7 0・第 2 3 1 中 2 4・第 2 5 1 下2 3 ・第 1 4 i ・第 2 6 1下2 2 巻八:・第 2 1下2 8 4 1下2 4・第 5 1下2 1 ・ 第 中 1 6・第 1 6 1中2 8 ・第 8 1中6 6・第 1 1 1 .第 2 3 1中6 4 巻九:・第 5 1中 2 6・第 1 4 i 上3 5・第 1 6 i 上5 0 ・第 1 7 i 上3 2・第 1 9 i 上3 3十上 3 4 ・第 2 0 i 上3 6・第 2 5 1 上4 8・第 2 6 1 中3 7 ・第 2 8 1 中 5 2・第 2 9 1 中5 7 上 2 8・第 1 4 1 巻十:・第 1 1 l 中2 上7 ・第 1 6 1 中4 ・第 1 9 1 ・第 1 7 i 上4 4・第 2 0 i 上1 4 ﹃一一一盟伝記﹄二伝本と﹃一一一宝感応要略録﹄ ・第 2 3 1 上2 1・第 2 6 1 上9 ・第 2 9 1 下3 1 巻十一・:第 2 1下9 ・第 4 1下2 7・第 5 1下1 0 ・第 7 1上2 3・第 1 0 1 上1 0・第 1 1 1 中9 .第 2 9 i下3 7 ・第 1 4 1 中 4 6・第 2 0 1 下3 8・第 2 2 i 中1 1 下3 9・第 2 6 i 下2 9・第 2 8 1 ・第 2 3 i 中7 1 巻十一一:・第 1 l上 2 9・第 2 1中 6 1・第 4 1中1 3 ・第 5 i中 6 2・第 7 1中1 2・第 8 i上 2 0 ・第 1 1 1 中 5 3・第 1 6 1 中 2 7・第 2 3 1 下1 9 ・鰐料相川桝斜糾・第 2 8 i 上3 0・第 2 9 1下1 4 ヲニ国伝記﹄各巻の引用話数を丸括弧で示せば、巻一︵1︶ ニ︵ 5︶・巻一一一︵ 4︶・巻五︵ 1 0︶・巻六︵ 9︶・巻七︵ 7︶ 巻八︵ 7︶・巻九︵ 1 0︶・巻十︵ 9︶・巻十一︵ 1 3︶・巻十二 1 2︶の以下 8 7話である。明一一一宝感応要略録﹄の連続する二話 ︵ を撞めて引用する巻九 1 9を除いて一話関士が対応する。 円三国伝記﹄の党・漢説話︵計 2 4 0話︶中、ヴニ宝感応要略録 h の出典話は三分の一強を占める。また出典話の比率は後半部に漸増 するが、池上抱一 23N ︶は玄棟が説話編纂を進めるにつれて究漢説 話の取材源不足に悩んだ結果と推、測し、同書が焚・漠・和の三国構 成を成り立たせる編者の根幹資料であったとする。 いずれにせよ出典源が判明しているウニ国伝記﹄説話において﹃三 宝感応要略録﹄からの引用説話数は自余の典籍を圧倒しており、ま とまった言語最を得られるウニ宝感応要略録 h出典説話を考察素材 とした、一一伝本の本文異同の検討は有効であろう。 1 8 人文科学研究 第四二号 本・版本を併せても難読館所の多い三国伝記本文の、中世末・ であった。﹃三国伝記﹄の国本・版本の訓点を詳細に論じた先考は 布に関する先考では、観点の祷担する役割への注視はそもそも寡少 司一一一宝感応要略録﹄など漢文文献に依拠する仏教説話の成立と流 ﹃仏法寄妙集﹄ともに版本との本文の近似性が論じられていること といえよう。本文比較は後に譲るが、﹃一一一回伝記︿平仮名本﹀﹄ 七年版﹃仏法寄妙集﹄や元禄九年版﹃新撰沙石集﹄が成立している からすれば、問書の作品流布との適度なタイムラグをもって、寛文 前節初頭で述べた近世初頭以降の数次の﹃三国伝記﹄の版行状況 ﹃一一一宝感応要略録﹄慶安版本と﹃三国伝記﹄訓点 管見の限り知られないが、罰金問の近世における享受資料であるウ一一 は、訓点をも含め版本を媒介とする、近世の﹃三国伝記﹄流布状況 近世初期の訓法を知る上で、看過し得ぬ貴重な資料である。 国伝記︿平仮名本﹀﹄や﹃仏法寄妙集﹄︵新選沙石集︶の定位にも 記﹄版本本文および訓点との近似度について、司今昔物語集﹄にも まずつ一宝感応要略録﹄慶安版本の本文および訓点と、﹃三国伝 の反映である蓋然性が高い。 訓点を射程に入れた対比が求められよう。 まず﹃三国伝記︿平仮名本﹀﹄は全十五巻︵巻一を除く十四巻現 存︶の寛永年間からそれほど下らない近世初期転写の孤本で、渡遁 料一︸﹃一一一宝感応要略録﹄中 4 8話﹁唐橡洲神母聞大般若経名感応﹂、 信和︵凶器い︶より要点を引けば次のようである。 平仮名本は全般にわたって説話を草子思に改め、和漢混清文 母開般若生天語﹂および、︷資料一一一︸一国伝記﹄巻三 1 4話﹁神 陪話を出典とする︷資料二︸吋今昔物語集﹄巻七 3話﹁震日一預洲神 取材されている説話を取り上げて対照してみたい。検討対照は︻資 ︵中略︶:・写本と板本とが異なっている部分について平仮名本 ︷資料一︺円三宝感応要略録﹄巻中 4 8話︵慶安版本︶ 母被牛牽郵仏寺事﹂の三者である。 体を和文脈の擬官文体とするなど物語的にする傾向がある。・: を検すると、板本により近いという傾向があり、平仮名本は抜 本系統の本文に拠ったと思われる。 後ノ時神母漕テレ疾四一死去 次に寛文七︵H a S﹀年刊の﹃仏法寄妙集﹄︵元禄九︵H S a︶年刊の改 の解説より要点を以下引用する。 題本叫新選沙石集﹄と無刊期版本もある︶について、黒田彰︵芯∞ム︶ 歪ル一一子閤魔法王ノ処一一二唯有 jhω業ノミ一荘︸一厳シテ身ヲ 嫡女思一一慕之ヲ一。 夢一一告テ臼ク我死シテ 新選沙石集︵仏法寄妙集︶は、一一一国伝記十二巻、全一一一百六十話 全ク無シ一一少分ノ善根一国王 捻シテレ札ヲ市徴嘆シテ一広ク汝有下関ク一一般若ノ称スルヲ一レ名ヲ善上 還テ二於人間一一一応レ持スニ般若ヲ一 の内、約その六分の一、六十五話を抜出して、版本系と患しい その本文を忠実に漢字平仮名交り文に読下したもので、一一一回一伝 の中世末・近世における流伝・受容を考える上で、また、写 1 9 遂一一生へシニ切利天一一一 然ェ人業謹一ア 剣川明川守付制対け賊ヰ判別判対般 人l業議テハ生へシ一一切i利 1天 一 一 一 先ッ還一一人i間一志シニ般若ヲ持ス 夢覚メテ書写ノ 汝不レ可lレ 生 J一 憂 i念ヲト一五々。 N到 不レ応レ生ス一一憂念ヲ 将ニ一ニ百絵巻見一一在日失。 夢覚一ァ而写スニ般若ヲ 其ノ嬬女有テ母ヲ恋ヒ悲ム程ニ、 其ノ後神母、身ニ病ヲ受テ死ヌ。 と考えられる。吋三宝感応要略録﹄原文は、人業の尽きてしまった 記 を併せ持っており、これが円今昔物語集﹄︵太字箇所︶・ウニ国伝 司一一一宝感芯要略録﹄の出典本文は説話的魅力と本文読解の難しさ 大般若一一一 i百鈴巻現一一在リ。 夢ニ神母告テ一五ク我レ死シテ 神母が切利天にい転生し、神母から夢告を受けた嬬女が発心して大般 円資料一函﹃今昔物語集﹄巻七 3話 開魔王ノ御前ニ至レリ。我カ身一一悪業ノミ有テ 若経三百余巻を書写するという趣意であり、︷資料ニ︸の﹃今昔物 ︵波線箇所︶のそれぞれが随所に敷締脚色を施す契機となった 全ク少分ノ善根無シ。而ルニ王 活ル事ヲ不得スシテ切利天ニ生セムトス。 咲﹂は、慶安版本本文よりも良質である。ただし慶安版本に存する になっているように、可一一一国伝記﹄本文の﹁捻i 検﹂・﹁徴嘆i 微 ウニ宝感応要路録﹄尊経関本との対照結果をふまえた先考で明らか 国会図書館本に欠く巻三は寛永十四年版本しか比較できないが、 h 札ヲ検テ咲テ宣ハク、、汝ヂ般若ノ名ヲ関キ奉レル善有リ。 語集﹄本文の理解も概ねこれに沿っている。 ト云ブト見テ夢覚ヌ。 ﹁然三の文字を﹃一一一国伝記﹄では欠いており、﹁人業尽テハ切利 天ニ生ヘシ﹂を開魔大王の発一語と解してしまった結果、神母、が人間 として再生後に大般若経三百余巻を書写し、嫡女への夢告により三 百余巻を託したと読み誤られてしまった。 および、︷資料五︺円一二一国伝記︿平依名本﹀﹄巻五 4話﹁牛にひか 四︸﹃仏法寄妙集﹄第二 2 3 ﹁神母が牛にひかれて仏寺にいたる事﹂ 以上の整理をふまえて﹃三国伝記﹄巻三 1 4話に取材する︻資料 歪ル二炎魔法王ノ所一唯存テニ悪業ノミ一 れて、たうにまいりし事﹂の本文を次に掲出する。 一伝本と吋三宝感応要略録﹄ 荘一丁厳シ身ヲ⋮全ク無シ一一少[分ノ善i様炎|王 吋 一 一 一 国 伝 記 ﹄ 検 札 ヲ 微 i咲シテ一五夕、汝有一ア一一一際コト一一般若ノ名ヲ一 後ノ嫡l女一一夢一一告テ日ク我レ死一ア 割引バパ側斜関川到片付嵐列川斗 ︷資料一一長﹃三国伝記﹄巻一一一 1 4話︵寛永十臨年版本︶ 其ノ後チ彼ノ神母病ィシテ死ス。頭 4 似以喧利パ矧け避制 其ノ後母ノ為ニ心ヲ発シテ般若ヲ写シ奉ル事、一二百絵巻品。 汝チ強一一歎キ悲シム事無カレ、 然リト一五へトモ我レ人業既ニ議テ、 速ニ人間ニ還テ般若ヲ受持シ可奉シト。 ス 2 0 人文科学研究 第四二号 ︷資料自︸寛文七年版円仏法寄妙集﹄ その﹀ちかの神母やまひして死す。さらに仏経に値遇 MM樹割問るに 制割引説材料制対バ糾叫議ぶ料叫割引 かの嫡女に夢につげていはく 我死てゑんま法王のみもとにいたる。た﹀あくごうのみ あって身を荘厳し。まったく少分の諮問根なし。ゑんわう 札をかんがへて微咲していはくなんぢ般若の ー 名をきくことあり。まづ人間にかへりはんにやを持すへし。 入業っきては切利天に生ずへしとて例制割引 qi ぷ寸対け討対間以制別対対版科叫例制嵩割引 q なんぢ憂念を生ずへからずと一広々。’ ゆめさめて書写の 大般若一一一百余巻現あり。 ︷資料五︸平仮名本﹃一一一国伝記﹄巻五 4話 その﹀ち、神母、つゐにおはりぬ。ベ以新日引似叫封じい引U 1 額以討料出1出口引1寸刻倒減州制以川出 m 例制割引制ォ出州制桝割以刻間割以吋 iある夜、夢につけて云、 我すてに死して後、えんまのちゃうに歪りしかは、 えんわう、 ふたをひらきかんかへて、の給はく、なんち、はんにやの 名をきく事有。よって、人間にかへり、はんにやをちすへし。 にんこうっきは、たうり天に生すへしとて、例制Uかへされ、 そせいしてーリ討対闘叫割引引 − 元同M同例制U足以判明 引制掛 qi なんち、うれふる事なかれ。これ則、しよしゃの 経なりとて、あたへ給とみて、夢さめたり。きいのおもひを なす所に、大般若六百よくわん、うつ﹀にあり。 の本文は﹃三国伝記﹄寛永版本の割み下し結果との同文性がき ︷資料一ニ︺と︷資料問︸の対照から明らかなように、明仏法寄妙 わめて高い。ただし円三国伝記﹄本文は原則的に漢文語順を濃厚に とどめており、和文語順かつ大書仮名書きの笛所は、’先に波線を付 した編者玄棟の敷街脚色が行われた箇所に集中する。 そもそも管見に入った﹃一一一国伝記﹄の各受容作品からは、原典の 漢文語順を排除する傾向が強いことが知られるが、叫仏法寄妙集﹄ や叫三国伝記︿平仮名本﹀﹄では平仮名文を採用することで全くの 読み下し文となっており、近世初頭のウニ国伝記﹄享受における平 仮名文への指向を看取しうるといえよう。 また︷資料五︸の﹃一一一国伝記︿平仮名本﹀﹄の本文は、ウ一一回一伝 記 h寛永版本とおぼしき伝本の訓み下し文を基盤としつつ、さらに 太字で示した敷桁脚色を随所に加える。とりわけ夢告の場面には神 母が書写した大般若経の嫡女への授与を加筆し、書写Lた巻数も大 般若経の全六苔券とするように変更が顕著である。 以上みてきたように近世の﹃三国伝記﹄享受資料である﹃仏法寄 妙集﹄や﹃三国伝記︿平仮名本﹀ b は、寛永版本ないし後尉本の本 文・訓点の割み下しを基盤とした蓋然性、が高く、作品流布における 訓点の重要性が注意されるところである。 一国伝記﹄の近世における享受と訓点との密 叫三宝感応要路録﹄慶安版本の訓点と、 町三国伝記﹄ の 霞 本 訓 点 と 版 本 訴 点 前節で確認された 接な関係については、 四 2 1 四年版本との間には移しい異問がみられるから、伝本異同と訓点の 傾向が看取される。 ただし先述のように、円三国伝記﹄の国会図書館蔵写本と寛永十 を出典とする﹃一一一国伝記﹄説話の観点との関係においても、同軌の 安穏ナルヲ得一アムト。王北ノ事ヲ関キ給ブ一一心聡暁ニシテ 比レ荒神有テ障難ヲ乱レ発ス。須ク大神ニ帰セハ返テ 国王此ノ尼乾子ニ国ノ荒廃セル事ヲ関ヒ給ア。 其ノ時一ご人ノ尼乾子有ヲ。強口ク諸ノ事ヲ占いい察ス。 右ニハ白銀ヲ以テ造立セリ。割引制コ叶対剖。 左一一ハ黄金ヲ以テ彫鍍セリ。 左右ノ精舎ニ安置シ給ヘリ。 不如シト恩給テ郎チ北ノ毘麗遮那ノ像ヲ 思給ハク大神ニ帰セムヨリハ仏陀ノ加護ノ議マムニハ 尼乾予知チ簿ヲ以テ地ヲ印シテ云ク 関係を押さえておく手続きが必要といえよう。 次に︷資料ムハ︸﹃一一一宝感応要略録﹄上 2 9話﹁造毘虚遮那物像払 障難感応﹂を出典とする吋三国伝記﹄巻十二 1話﹁斡索迦国毘慮遮 那像事﹂を取り上げるが、まず︷資料七︼明今昔物語集﹄巻六 2 7 ﹁震豆井洲常態渡天性一札慮舎那語﹂を二者対照する。 まず円三宝感応要略録﹄の諸本異同については、慶安抜本の傍線 日々ニ供養シテ札拝恭敬ス。 昔シ此国一一神鬼喬乱シテ ﹁戚ク﹂は金剛寺本では﹁滅﹂・尊経関本では﹁減﹂にそれぞれ作 ︷資料六︸﹃一ニ宝感応要略録﹄上 2 9話︵慶安版本︶ 人民荒療ス。有 J一一日ノ尼乾子⋮。善クスニ占察ヲ一。 文理解に問題があることはすでに論じたが、ウニ国伝記﹄は国会国 て尊経関本の形が正しい。慶安版本﹁威ク﹂・今昔本文﹁各﹂の本 り、中国口語表現の見地からは﹁i減﹂は﹁i未満﹂の語義であっ 書館蔵写本・寛永十四年抜本ともに﹁減﹂に作っている︿注一﹀ 国王占シムニ国ノ荒蕪 jo 尼乾以テレ霧ヲ印シテレ地一一云ク 荒神乱 l一一起ス障難 jo 須クlへシレ帰ス一一大神戸一一。 ︷資料九︸寛永十四年版本として二者を対照する。︵ 0︶1 ︵ 1 0︶ はウニ宝感応要略録﹄慶安版本・叫三霞伝記﹄関本・版本の三者を 次に﹃一一一国伝記﹄の伝本について、︷資料八︸国会図書館蔵写本、 方一一得タマハンニ安穏 jo 王聡明一一シテ 違ス一一帰宗ニ一。神ノ中ノ之大ナルハ不スト一五テレ如一一仏陀ニ 即チ造テニ此ノ毘慮遮那ノ像ヲ⋮ 安 ︷資料八︸ ﹃一一一国伝記﹄巻十一 ー話︵国会図書館蔵写本︶ 対照し、ヲニ国伝記﹄における出典との本文異開を示した、ものであ る。版本独自の異同︿ 0︶ は 、 い ず れ も ﹁ 矯 ﹂ ︵ お ごる︶意に通じることが関わる。 ニ鷺シテ左右ノ精舎一一一。 1 左目一一彫iニ鍍シ黄金 j 、 お−一用フ一一白銀ヲ一。副封劇斗﹂汁刻。 日々一一礼拝供養ス。 円資料七︸﹃今昔物語集﹄巻六 2 7 一伝本と吋一一一宝感応要略録﹄ 昔シ其ノ国ニ鬼神有一ア人民ヲ悩乱ス。比レニ依テ態荒レ廃ル。 ﹃ 一 一 一 国 伝 記 ﹄ 2 2 人文科学研究 第四ニ号 昔此国神鬼喬乱シ 人民荒廃ル。時2 一ノ尼乾子ノ善クスル一一占察ヲ一。 国王召テ︵ 2︶令︵ 3﹀占ナハ一一国ノ荒蕪j 。 本文異向︵ 1﹀i ︵ 1 0︶は以下の二種に大別しうる。 ①、文書付加による異同H 1・2 ・6 ・7 ・9 ・1 0 ②、説、法にかかわる異間H 3・4 ・5 ・8 え、編者玄棟により随所に文飾表現が挿入される傾向が顕著である 周知のように吋三国伝記﹄本文には出典文献に由来する本文に加 が、右の①からも︵9︶の原典の舌足らずな語調の整斉や、︵ 1 0︶ 尼乾以一ア二審一印レ地ヲ一五 荒神乱起シテ︵ 4﹀障難ァリ︷ 5︶。須クiへシ下版シテニ大神一一一 ﹀達ニシテ 穏コトヲ七百々︵ 6﹀。王聡明博︵ 7 得 出安 T ︵ 6︶は玄棟が慶安版本の﹁荒神乱i二起ス障難ヲ一。﹂とは異なる訓 ﹁シム﹂・﹁ト云テ﹂の本文化と考えられるのである。また︵ 4︶ ﹁令﹂・︵ 8︶の﹁ト臼テ﹂は、慶安版本の対応箇所における訓点 関 わ る 異 向 が こ れ を 示 唆 し て い る と 恩 わ れ る 。 た と え ば ︵ 3︶の 綿密な読み込みの賜物でもあったろうが、私見では②の訓読方法に 右の表現の細部にわたる玄棟の目配りを後押ししたのは、原典の の対句表現の構築などを例示できる。 為士一一飯宗セント一。神中之大ナルコト不レ知一一仏陀一一一日︵ 8 、 ︶ 即チ造テニ比毘慮遮那ノ像ヲ一 安 一置ス左右ノ精舎一一一。 1一 左ニハ影i一一鍍シ黄金 j 、 右一一ハ刻︿ 9﹀一一周白銀ヲ一。割減コ刊対汁川川。 日々礼拝シ夜々︿ 1 0 ︶供養セリ o ︷資料九︺﹃三国伝記﹄巻十一一 1話︵寛永十四年版本︶ 昔比ノ国一一神鬼橋︿ O︶乱シ 法に基づいたためと考えられる。 また﹁須クlへシレ帰ス一一大神戸一一。方ニ得タマハン一一安穏ヲ一﹂︿慶安版本︶・ 人 畏 荒 廃 ル 。 時 三 有p一ノ尼乾子ノ普クスル占察ヲ。 国王召テ︷ 2︶令︵ 3﹀出ナハ罰ノ荒蕪ヲ o ﹁須ク!へシ下版シテ一一大神戸一一得中安穏コトヲと︿国本︶は複文・単文の相 荒神乱起シテ︵ 4﹀障難アジ︵ 5﹀ O 須ク|へシ飯事大神一一 はともに慶安版本にかなり近く、部分的に訓法が異なる笛所を含み 違があるが、これらの箇所を除外すれば﹃三国伝記﹄二伝本の訓点 にヘ概ね文体改変の域を出ないが、本話も含め別資料などを介した ﹃三国法記︿平仮名本﹀﹄所収話は先掲の護議論文が論及するよう 巻十五 1話﹁韓索迦国、ひるしゃなのさうの事﹂として採られる。 本話は円仏法寄妙集﹄に採られず﹃一ニ国伝記︿平仮名本﹀﹄では つつも、原則的には類似の訓法に思するといえる。 得安穏コトヲ云々︵ 6﹀ O 王聡明博︵ 7﹀ 達 一 一 シ テ 尼乾以テ籍印地ヲ一一品ク 、 ︶ 為ルニ帰一宗セント。神中ノ之大ナルコト不知仏陀ニト日テ︵ 8 部造テ此ノ毘麗遮那像ヲ 安置ス左右ノ精舎一一。 増補改変を行う話も六一話ある。本文を︷資料十︸に掲出する。 左ニハ彫鐘シ黄金ヲ、 日々ニ礼拝シ夜々一二 1 0 ︶供養ス。 右ニハ掲︵ 9﹀用ス白銀ヲ。割減コ刊対討。 2 3 国会図書館蔵写本と寛永十四年版本との訓点比較からは、方の 両者の訓法も、多少の異同はあるが如何関性は高い。 割み下しうることがわかる。また﹃一一一国伝記﹄吋三宝感応要略録﹄ 欠落はあっても訴の異同は少なく、両伝本の訓点の大半は相補して 人民をなやませり。こ﹀に、尼けんしといふ云うらないあり。 五 、 ︷資料十︺﹃三国伝記︿平仮名本﹀﹄巻十五 1話 むかし、対以叫U1討割引州国同、きしんきょうらんして、 大玉、この尼けんしをめして、国のあれすさふ事を うらなはしめ給。にけんし、ちうをもて、ちをいんして云、 点の関連性から受容史を概説した。論旨を摘要すれば慶安版本は浄 NOH︶ O では作品読解と訓 た8 7話から縞者玄棟の潤色表現を除いた本文箆所を対象に、吋三 国伝記﹄二伝本の訓点の一致度を確認しておく︿注二﹀。 ︷表二︺には国会国書館蔵写本の現存八冊について、明一一一宝感応 要略録﹄出典話の二伝本の有訓の本文文字数︵被注字︶を示した。 国本のみ有訓の被注字は A ︵写本﹀、版本のみ有制の被注字は B ︵ 版 本︶、国本・版本が同一一訓の被注字は C ︵共通︶、国本・版本が異 訓の被注字は D ︵異同︶とした。 ︷表二︺﹃一一一宝感応要略録﹄出典話における有制被注宇の異同 から日本で広範な受容を獲得したが、掛稿︵ ウニ宝感応要略録﹄は説話集としての完成度や典拠利用の簡便さ きしうせん神、仏たにしかしとて、 ひるしゃな仏のさうをつくりて、 制引 引似嗣湯川川左右のしゃうしゃに、あんちし給。 土宗で管理された伝本の末流であり、その祖点と目される訓法は院 政期末期には成立し、天台・真一一一一口・浄土各宗で個別の展開を遂げ、 ﹃一二一回伝記﹄一一伝本における訓点の数量比較 かう神みたれおこれる。大神にきして、あんおんを いのるへしと申。大玉、そうめいはくたつにして、 しゃうしゃのたかさ二十丈、左はわうこんをちりはめ、 右は白銀をきさめり。 uq 日夜、らいはいくきゃうしたまひしかは、 ウニ宝感応要路録﹄上 2 9話は︷資料六︺引用簡所の前段に騨索 中世以降の受容資料に広く影響を与えたのである。 如上の叫三宝感応要略録﹄慶安版本朝点の定位は、ヴニ一倍伝記﹄ の本文研究に対しても有効な援用資料となるが、稿者が出典認定し 迦国の箆麗舎像の位置描写を、後段に仏像安置後の感応を有し、吋今 昔物語集﹄﹃三国伝記﹄にも踏襲されるが、吋三国伝記︿平仮名本﹀﹄ は前段を削除の上︷資料十︸波線笛所に移植する。 太字の独自描写の大半は、,やはり叫一一一国伝記﹄本文の訓点をもと 一伝本とつ一宝感応要略録﹄ とした訓読結果に基づいて表現を和らげた笛所で、手法的には先掲 ︷資料五︸に引いた巻五 2話の表現改変と同様である。 ﹃三国伝記︿平仮名本﹀﹄における改変傾向については各話ごと の検討が必要で、稿者も円三国伝記﹄および各受容資料の援用によ る別穣を予定しているが、明三国伝記﹄二伝本および受容資料に観 察される顕著な本文異間は、総体的な作品規模と一一一一口語量からすれば 一部笛所に限定的・散発的に集中するといえよう。 一間一伝記﹄ 2 4 巻 巻 巻 巻 九 八 七 巻 巻 十 計 一 一、 一 一 題 九 四 / ム \ ー 一 一 一 一 J ¥ . 一 一 A 一 一 一 一 九 五 / 司 ム \ - 五 一 一 国 四 ノ ム \ 九 一 相 ノ ム \ ー 本 。。一 八 九 論 叩 一 叩 命 、 一 B 四 一 一 一 一 一 一 七 七 七 四 1 , ・ 一 一 。 一 m 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 / ム \ ー F ム \ 世 ゅ J ¥ . 版 七 本 c 回 、 一 一 一 } ¥ ) ¥ 四 五 四 七 一 一 一 一 七 1 ーム \ . 田 七 九 一 七 五 七 ノ ー ム \ ー 一 四 玉 七 一 一 。 八 共 通 D 一 一 一 西 総 巻 計 ) ¥ 一 十 一 一、 一、 一 五 一 四 四 九 八 九 七 } ¥ 五 、 巻 人文科学研究 ︷表一一︸の観察結果から、次のことが明らかになる。 ①、国本・絞本ともに向訓を有する被注字が最も優勢である。 ②、一本のみ有訓の被注学は、版本が富本を大きく上回る。 A ・ぉ・ Dは国本・版本の本文異同からの影響例をも含むため C ③、両本が別個の割みを有する被注宇は相対的に少数である。 総 巻 九 。 玉 / ωム \ ー 四 一 四 四 一 八 一 五 五 t 、 巻 巻 巻 巻 巻 ) ¥ 七 / ' : : : ; , 一 一 一 一 一 。 。 八 叩 ノ ー ム 、 九 一 一 九 四 五 七 七 一 目角 1 2 1 1 2 2 1 1 1 l, 7, 5, 3, 2, 7, 2 2 2 1 9 4 8 。 5, 7 7 7 7 7 7 7 5, 2, 7, 7, 2 8 9 4 1' 8 。 7, 5, 5, 4, 7, 4, 6 9 9 5 4 5, 異 同 和 総 の 宇 注 被 訓 有 本 関 に 目 は を 漢 数 字 で 示 し 、 一 段 言 以 E 文 献 の 流 布 過 程 に お け る 訓 点 継 承 傾 向 を 示 唆 す 。 次 { 表 一 ニ 〕 の 比 重 は 実 数 値 以 上 に 大 き い 。 如 訓 点 一 致 度 高 さ 、 漢 文 E A .. 7 E 7 7 c 8 7' 8 8, 6 6, 4, 7, 5, 6 3 1 7 1, 五 { 表 一 〕 閤 本 の 有 訓 被 注 字 一 一 一 の 百 分 率 を ア ラ ビ 数 字 で 示 し た る 。 す 対 A D E C − に 下 九 9, 一 一 . − E D .. E 号 二 四 第 2 5 十 2 2 ら 3 5, 0, 8, 5, 1 2 9 。 8, 6 1 1' 1 F 6 6 5 6 6 6 4 6 c 2, 2, 5, 9, 5, 5, 7, 4, 3 7 8 1 2 8 6 1' 1 ー J ム \ ー 一 / 同 ・ \ . ” ) ¥ 3 3' 1 7, 0, 7 6 九 3 ' ﹃一一一国伝記﹄二伝本と﹁一一一宝感応要略録﹄ 3 8 6 F 8 7 一 1 1 1 一 一 3 。 1 F 3 A .. 6 .. 一 一 一 七 七 4, .. 五 J ¥ . 一 一 3, 5, B 八 。 。 。 巻 七 、 3, 4, 四 七 巻 一 十 九 一 、 、 一 一 一 七 一 一 一 一 } ¥ . 一 四 一 五 四 一 6, 5, F } ¥ . 巻 。 巻 計 4, 4, 一、 巻 巻 巻 巻 総 D ︷表四︸の結果をみると、 C の国本と訓みが共連する被注字が各巻 国 本 の 傾 向 と し て 版 超 訓 み が 共 通 す る 優 被 注 宇 勢 は 7 0 % ともに優性であるが 7 0 %を超過するものはない。 B の版本のみ宥 で 、 国 本 の み 有 訓 被 注 字 は 前 後 ・ 版 が 異 2 0 % 訓の被注字は巻によって 1 0 %代1 6 0 %代と開きがあり、国本の 未 満 と 低 い 。 同 様 に { 表 阻 } し て 版 本 1 の 有 訓 被 注 0 % 字 は c な箇所でも制点に詳細な改変を施した痕跡は見出しがたい。 みられる浄土教的改変が顕著な本文笛所が散見されるが、このよう なおウニ国依記﹄抜本の一部説話には、念仏勧化僧の手によると 自体の伝本研究にも禅益する点が大きいと目される。 は、﹃一一一一回伝記﹄の伝本関係解明にとどまらず、ヲニ宝感応要略録﹄ 問書の最重要の受容作品の一つであるウニ国伝記﹄との対照作業 影響が間々みられ、訓法の相対化には課題もなお多い。 甚だしく、制点にも本文誤脱や本来の制点遺失額所への後補による 施されているが、系統的には末流伝本に位置するため本文の遜色が ウニ宝感応要略録﹄諸伝本中、慶安版本は唯一ほぼ全文に説点が 箆所への集中的な訓の補充が考えられよう。 する。巻二の上記三話に限って版本独自の割、が多い理由には、この 2 ︵ A H一四・ B刊行四四・ C刊行田七・ D H O︶は 8 ・C、がほぼ措抗 一部・ 5 H一六0 ・C Hニ二九・ D H O﹀のニ話は︵BVC︶で、第 国本・版本が揃っている八巻では、 Bの数値が Cの数値を大幅に 下回るのが通例であるが、例外の巻二︵計五話﹀は B の百分率が 5 0 %を越えて逆転傾向を示す。 A H七・ B H七一・ C 1三二・ D 2一己・第4 ︵ 巻ニ第 1 ︵ AH 下げる要因となっている。 はBの各巻数値は八巻平均から大きくずれており、 C の比率を押し − 割みが版本と異なる被注字は各巻とも 1 0 %未満と抵い。ただし国 Dの偏差が小さかった傾向とは異なって、版本で 和 総 の 十 日 分 び 率 を ア ラ よ ビ 数 字 で お 示 す 。 D F B C ・ − 本各巻で A ・ { 表 四 } 版 本 の 存 誹 被 在 学 26 おわりに 人文科学研究 第四二号 ーム論 巻五 1 0話・:︵博論 5章︶資料六 1 ・2 巻六22話:・︵博識5章︶資料十 ︶ に 相 当 す る 第 一 部 第 一 章 ・ 第 二 部 ︵ 第 閤1 七輩︶、 うち、拙稿︵ NCMO 巻十 1 4話・:︵博論2章︶資料五/︵博論6章﹀資料十一 1 ・2 巻 一 0 1 1話:・︵博論5章︶資料四 1 ・2・ 3 巻九 1 4話・:︿博論 5章︶資料五 1 ・2 巻八16話・:︵博論7章︶資料十四1・ 2 た考察の追補であり、かつ構想中の﹃三国伝記﹄の作品受容研究の 業として、吋三宝感応要路録﹄上 7話について慶安版本、﹃当麻憂茶羅疏﹄ また︵博論 3章︶では﹃三国伝記﹄の引例はないが、訓法比較の具体的作 ︵ただし当該笛所で寛永版本が﹁成﹂に作るとしたのは錯誤であった︶ 巻一二 1話・:︵博論 2章︶資料八‘ 保存し、寛永十四年版本は質量共に仮名訓点が充実しており作品享 ウニ国伝記﹄関連の拙稿には、新出資料を紹介する拙積︵M25、巻二 1 4 巻二十− E十八、吋大経直談要註記﹄十九との問者を対照した。このほか の主人公﹁定生﹂伝を考察した拙稿︵M2どがある。 ︿注ニ﹀寛永十店年抜本全体の有訓の被注字数を悶稿補訂の上示すと、巻一ニー しているように、一一伝本それぞれに特徴的な改変箇所を析出しつつ たヲニ国伝記﹄には今後の出典判明の可能性や、典拠本文を流用する潤色 ﹃一一一宝感応要略録﹄﹃一ニ国伝記﹄両者の誹点比較は今後の課題となる。ま 五・十一累計はコ一,五O O字、全巻累計は一 O,五二七学である。 も、一長一短の関係にあるこ依本の本文・訓点を相補しつつ本文を ︷テキスト︺ の敢り扱いの開題もあり、さらに精査を加えていきたい。 吋今昔物語集﹄・新日本古典文学大系﹃今昔物語集二﹄︵33岩波書店︶ 斗\ 庫蔵本をそれぞれ使用した。 ︵同まですみや書房︶影印を、寛永十四年版本・・名古屋大学図書館小林文 明三国伝記﹄・・国会関書館蔵近世初期写本は﹃古典資料﹄一・ニ・三 ︿控一﹀本話を含むつ一国伝記﹄所収説話で、博士学位申請論文﹃大陸仏教文 \ は︵ V 8aoMMM Masa︶より全文関読可能。 喜 一 語 吋 ・5E晶3250なす宮5 巻二4話:・︵博論6章﹀資料九2 学の受容と耕読の研究﹄各章における引例・論行を以下列挙する。概論文 ︷ 注 ︺ 策定しでいくことが有効かと思われる。 吋一一一国伝記﹄のテキスト再建に際しては池上氏注釈がすでに実践 作品流布に伴う改変への留意が必要な筒所もあると言えよう。 るわけではなく、版本独自の訓が目立って多い巻二の一部説話など 本の有訓被住字の多さが必ずしも作品成立時の訓点の保存を意味す 本稿の結論としても基本的に旧稿の見解からの変更はないが、版 受に付帯する訓読方式を比較的保存する伝本と正確規定した。 書館蔵写本は本文や語序の一致度が高く作品成立時の本文を比較的 田稿では司一一一国伝記﹄二伝本の本文および訓点について、国会図 準備作業でもある。 補説に相当する第一部第一了第三章において、割愛を余儀なくされ 本稿は博士学位申一韓両論文明大陸仏教文学の受容と割読の研究﹄の / ' ¥ 2 7 h の研究b o o s勉誠出版︶所載の影 塚本善隆︵芯主︶﹁日本に遺存せる遼文学と其の影響l真福寺の戒珠集往生伝と ︶ 有国語盟文﹄第 1 6巻 5号 h 一伝本と﹁三宝感応要略録﹄ ﹁解説︹補遺]﹂︶ ︵﹃説話文学研究﹄第1 9集 ︶ ︵まつお い ゆずる/日本文化学講鹿博士研究員︶ 李銘敬︵Mood ﹃ 員 本 仏 教 説 話 集 の 源 流 研 究 編 ・ 資 料 編 ﹄ ︵ 勉 誠 出 版 ︶ i﹂︵﹃説話文学研究﹄ 3 7号︶ ー浄土宗名越派の説草集 渡辺陸一︵ MOON ︶﹁如来寺松峯文庫蔵﹃一一一語集 b について 名本﹀﹄上・中・下︵古典文庫器三四・四三六・四一一一八︶所収︶ u 国伝記︿平仮 渡選信和︵同混同︶﹁書誌・解説﹂︿名吉産三国伝記研究会編吋 三 ︶ ︿﹃説話文学研究﹄ 3 3号 湯谷祐一ニ 2 3∞︶﹁養寿寺蔵守一一回伝記﹄について﹂ ︶ ︵司名古屋大学人文科学研究﹄第 4 1号 ︶﹁吋一ニ宝感応要略録﹄のテキスト読解をめぐって﹂ 松尾譲見︵ M S M ︶ ︵吋名古麗大学人文科学研究﹄第 4 0号 松尾譲克︵ MOHM ︶﹁新出﹃因縁集hl資料紹介i ︶ ︵吋訓点語と訓点資料﹄第 1 2 5輯 松尾譲児︿ M 2 ︶ 0 ﹁ヲニ宝感応要略録﹄誤読史素描﹂ をめぐる学問的諸相﹂所収、本稿はこれによる︶ 問題﹂︵台東横悶文学﹄ 1 5号、のち吋中世の説話と学問﹄ E ﹁一一一国伝記 牧野和夫︵問。∞凶︶﹁孔子の頭の由み其合と五︵六︶調子等を素材にしたニ、一ニの 金訳文庫の漢家往生伝に就いてi ﹂︵可日支仏教交渉史研究﹄弘文堂書房︶ ・・慶安版本および金剛寺本は大阪大学一一一宝感応要路録研 究会編﹃金隣寺本﹃三宝感芯要略録 ﹃三宝感応要略録 印、尊経閣本は叫尊経閣本善本影印集成﹄第六集・第四十三冊。。。∞八木 議岡市出︶所叙の影印をそれぞれ使用した。 ︻参考文献︸ 池上淘一︵同ゅは︶﹁﹃一一一国伝記﹄序説﹂ ︵秋山鹿編﹃中世文学の研究﹄、東京大学出張会︶ ︵ヲニ菌伝記︵下﹀﹄︿一一一弥井書志︶ 公選 M︶﹁﹃三国伝記﹄版本の浄土教的特徴﹂ ︵神戸大学文学部守一十周年記念論集﹄︶ 池上海一 23S ﹁中世文学における﹃三宝感応要略録﹄の受容﹂ 池上海 れぞれ問題で所収。著作集では︵右∞ ﹃一一一国伝記﹄ 小林忠雄︿芯さ︶﹁三国伝記と三宝感志要略録i 三一国伝記出典考の一部としてi 6 ・7節として所収、本積はこれによる。 ※右一ニ編は吋中世説話文学の文学史的環境﹄︵3S和泉書院︶の第三章 2 ・ ︵古典文庫︿第4 6 1冊別冊﹀解題︶ 黒田彰︵忍∞凶︶コ二一回伝記抜書l身延文態本﹂ 黒田彰︿右∞品︶﹁新撰沙石集︵仏法寄妙集︶のことi 一一一国伝記の一異本﹂ 黒田彰︵ HW ︶ ∞い︶コニ臨伝記と和漢朗、詠集和談紗﹂︵関西大学﹃毘文学﹄ 5 8号 燕など、以後の研究進展を反映して若干の加筆がある。 M ︶の吋一一一層伝記︿平仮名本﹀﹄との対 ﹀は吋二説話と記録の研究﹄第一一一編第六章にそ 究﹄第六編第四章、︵芯∞ M は 司 副 説 話 と そ の 周 辺 h第三編第三章、︵芯司︶は﹃一今昔物語集の研 心 00 ∞和泉書院︶に収められ、︵芯吋︶ 右三編は﹃池上抱一著作集﹄︵ MCCM ※