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「誤れる良心の寛容論――中世から近世への神学的系譜」 "Tolerating
「誤れる良心の寛容論――中世から近世への神学的系譜」 "Tolerating Erroneous Conscience: A Living Legacy of Medieval Theology" 森本あんり 「寛容」は、現代リベラリズムの中核に位置する概念であるが、その適用範囲は広範でしば しば曖昧である。本稿では、寛容思想の発展に重要な役割を果たした「良心」の問題を取り上 げ、特に個人の良心が社会の一般的合意に背馳する場合の寛容の可能性について検討する。こ の問題は、宗教的良心の表現を重要な契機として形成されたニューイングランド社会において 特に先鋭化することになるが、そのニューイングランドを歴史的に定位するための準備作業と して、本稿では中世から近世までの良心論の系譜を簡略に辿る。 はじめに、「寛容」概念に付随するパラドックスに触れ、ロックやミルに見られる「愚行 権」の思想をその近代的な展開の一形態として捉える。自由主義社会にあっては、自律能力の ある個人が自発的な意志により自己自身について行うことは、それがいかに他者の視点から愚 かに見えようとも、最大限に尊重して干渉や介入を控えねばならない。ロックやミルには、こ の範疇において宗教の自由を認めた論述が見られる。 次いで、こうした近代の寛容論が、実は中世スコラ学において十分に発展した良心論の基本 的な枠組みを継承していることを検証する。トマス・アクィナスらのカトリック神学において は、特に「誤れる良心」という問題領域が設定されて注意深い議論が積み重ねられており、そ のような良心に従った行為が許容されるべきか否かという倫理的難問にも一定の解答が与えら れている。 ピューリタンは、一般に想定されるところと異なり、中世カトリック神学の深甚な影響の下 にあるが、倫理思想においても同様である。カトリックの決疑論的な良心論や実践的三段論法 は、パーキンズやエイムズを経てピューリタンへと継承された。ニューイングランドにおいて、 ロジャー・ウィリアムズらの良心的異議申し立てをどのように扱うべきかが論じられた際にも、 こうした中世以来の良心論理解が前提されている。 彼らの歴史的経験を振り返ると、良心による行為が尊重されるところでは、同時にその濫用 の可能性も増す。そこでは、「誤れる良心」ばかりでなく「偽れる良心」という問題も見られ るようになるからである。しかし、この二つを第三者が見分けることは困難である。もし、体 制の維持や社会の安定をはかるために個人の異議申し立てを抑圧することが容認されるならば、 ニューイングランドにおいて彼らが確立しようとした良心の自由は、ふたたび不透明になり後 退せざるを得ない。形成途上にあった社会がこの「両刃の剣」をどのように扱ったかを尋ねる ことにより、多様で異質な思想が共存し交錯する現代社会の寛容論に適切な視座を得ることが できればと願っている。 国際基督教大学キリスト教と文化研究所編『人文科学研究』38 号(2007 年 3 月)、31-51 頁