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エーゲ海を舞台にして繰り広げられるアテネとスパルタ・ペルシャの戦い。ここは 中学校ではなく,高校生を意識して詳しくまとめてみた。 授業のながれ ギリシャ世界のまとめ アテナイ 王 政 商工業が発展・貨幣経済の浸透→鉄製武具 ケクロプス・パンディオン・テセウス クレタ島クノッソス 怪物ミノタウロス退治 女族アマゾンとの戦い 貴族政治 王=アルコン(終身の執政官)vs 平民・重装歩兵化 重装歩兵部隊の出現 ドラコン・・・法律による秩序の維持 前621年頃 財産政治 ドラコンの法 ソロンの改革・・・財政政治→財産の大小によって市民の権利義務 を定める 債務奴隷の禁止 負債の帳消し 潜主政治 潜主=非合法に独裁権を握るもの ペイシストタトス・・・農民を保護し文化を奨励 商工業振興・小農民保護 ヒッピアスの暴君化 民主政治 クレイステネス 部族制改編(10部族)・五百人評議会 陶片追放(オストラシズム) 有力な人物を一定期間国外に遠ざける制度 追放されるべき人物の名を市民が陶片に誌したことがその名 の由来 潜主の出現を防ぐのが目的 ペルシア戦争 前500年~前449年 前490年 マラトンの戦い 前480年 テルモペレーの戦い・サラミス海戦 前479年 プラタイアの戦い デロス同盟(アテネ中心) エピアルテスの改革 ペリクレスの政治・・・民主政治の完成 ペロポネソス戦争 衆愚政治 対アケメネス朝ペルシア デマゴーゴス(扇動政治家)の出現 スパルタの覇権 スパルタ ドリス(ドーリア)系を主体としたポリス ラコニア地方でスパルタの地に集住していた人々=スパルタ(スパルティアタイ) ペリオコイ・・・ラコニア地方のスパルタ以外のポリスの集落に居住していた人々 ・・・参政権は与えられなかったが、土地を耕作することは許されていた。 ヘイラタイト(ヘロット)・・・その他一般の被征服民 奴隷に近い存在,市民の数倍に及ぶ 市民の団結と軍事力が重要視される 発足以来2人の王によって支配 前8世紀・・・大レトラの制定→貴族政への道が確保される 長老会→2人の王と市民 王→市民軍の指導権を持つ 監督官(エフォロス)→5人(毎年選ばれる) リュクルゴス制・・・きびしい軍国主義的生活規定 ペルシア戦争 前500年~479年 アケメネス朝ペルシア成立・・・前550年 小アジアを征服→イオニアの反乱 (植民都市のギリシア人が起こした反乱) ミレトスの独裁者の個人的理由に基づく企画 スパルタに援助を求める→断られる アテナイに助力を求める→20隻の海軍にによる援助 前499年~前494年 ペルシア帝国→ギリシア諸国に従臣要求 アテナイ,スパルタを除く大部分のポリスはこれに従う ペルシア→エレトリア,アテナイに報復(前490年) エウボイア島・エリトリアを制圧 アッティカのマラトン平原に上陸→アテナイ軍がペルシア軍を圧倒 前481年 ペルシア軍再来→サラミス海戦(前480年) アテネ対スパルタ 前479年 プラタイアイの会戦→ペルシア軍の大敗 アッティカ地方にギリシャ人の デロス同盟(前477年)アテナイと諸都市との同盟 前449年 カリアスの和約 ペロポネソス戦争 前431年全面戦争 一派であるイオニア人がたてた のがアテネである。アテネは商 工業と奴隷制の発達により裕福 な平民層が現れた。彼らは武器 フィリッポス2世のギリシア制覇 マケドニア王国・・・フィリップス2世→軍制・財政の改革 軍事大国に成長 トラキア方面,カルキディケ半島に軍事作戦を展開 アテナイとの対立 アテナイ→マケドニアに宣戦布告 前338年のカイロネイアの戦い→フィリップス2世勝利 を購入し重装歩兵として活躍し た。 一方,ペロポネソス半島南部に 定住したドーリア人が征服地に 建設したのが,スパルタである。 ここでは60歳以上の男子市民 からなる長老会が実権を握って いた。7歳から20歳の男子は国 コリントス同盟(ヘラス同盟)ギリシア代表を集めた ・加盟諸市の自由・自治 ・諸市相互間の戦争の放棄と平和の維持 ・長年にわたる諸国家間の ・諸市における現存国制の変更の禁止 争乱,政争に終止符 小アジア侵攻計画→コリント同盟にペルシアに対する宣戦を提案 フィリップス2世は最高指令長官に 家の手によって軍事教育され, 国家への忠誠を最高目標にする 教育が行われた。 前336年フィリップス2世暗殺→アレクサンドロス3世 アレクサンドロス3世のドナウ遠征・・・テバイ蜂起←徹底的な殺戮破壊 前334年 イッソスの会戦 ペルシア王ダレイオス3世の敗走(前333) 前331年 ガウガメラの会戦 ダレイオス3世敗走 アレクサンドロス・・・古都バビロンに入城 ペルシス侵攻(ペルシア帝国発祥の地) 前330年 ダレイオス3世暗殺(ベッソ)・・・アケメネス朝ペルシア滅亡 前323年 アレクサンドロス3世没 デイアドコイ(後継者戦争) ・アンティゴノス朝マケドニア ・セレウコス朝シリア ・プトレマイオス朝エジプト ペルシア戦争 前5世紀初めころ,東方の大帝国アケメネス朝ペルシアの支配に対して,小アジアのミレト スを中心にイオニア植民地市の反乱がおこり,これを機として,ペルシア戦争がはじまった。 アテネはペルシア軍の侵入をマラトンの戦い(前490年)で撃退し,さらに前480年ふたたび 侵入したペルシア軍を海上ではテミストクレスの率いる海軍がサラミスの海戦で撃破し,陸 上ではスパルタと連合してプラタイアで勝利を上げた。この勝利は,東方の専制政治に対し て,ギリシャ市民の自由と独立をまもったものとして意義ぶかい。