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実戦トレーニング期 / Z Study 解答解説編 / 難関私立コース
本科 / 実戦トレーニング期 / Z Study 解答解説編 / 難関私立コース 世界史 見 本 XWAP1A-Z1C2-01 《古代ギリシア世界の展開》 次の文章中のa~h に最も適する語句を記し,下線部に関する問に答えよ。(25 点) 前 20 世紀頃からギリシア本土へ南下したギリシア人の一派は,クレタ島の a を中心に 発展したクレタ文明の影響を受けてミケーネ文明を築いた。しかし,前 12 世紀末頃になると, ギリシア本土にはギリシア人の一派である b 人が南下した。この第2波のギリシア人が南 下した頃にミケーネ文明は滅亡し,ギリシアは混乱期に入った。 前8世紀頃からギリシア人は集住を始め,各地に①ポリスを形成した。集住によって成立し た代表的なポリスとしてアテネが挙げられる。アテネでは当初,貴族が政治を独占するととも に,戦士としてポリスの防衛を担った。戦士は武器を自弁するのが原則であったため,平民は 戦争に参加し得なかったが,経済の発展に伴い,富裕となった平民も武器を購入できるように なった。重装歩兵として活躍するようになった平民は,その実績を背景に参政権を要求,貴族 と対立し始めた。その一方で,債務によって土地を失い,奴隷となる平民も出た。そこで,前 ★ ★ 6世紀初めに c の改革が行われたが,貴族と平民の不満はいずれも解消せず,同世紀中頃 には貴族と平民の対立を利用して d が僭主となり,彼の死後にはその子が僭主となったが, 暴君化したため同世紀末に国外に退去させられた。 この頃,イオニア地方にあるギリシア人の植民市はアケメネス朝の支配下に入っていたが, 前 500 年にこの地で起こった反乱をアテネなどが支援したことから,アケメネス朝がギリシア 本土に侵入し,ギリシア諸ポリスとの間でペルシア戦争が起こった。ギリシア側はアテネを中 心として前 490 年のマラトンの戦いや前 480 年の e の海戦,前 479 年のプラタイアの戦い でアケメネス朝軍を撃破した。その後,②ギリシア諸ポリスはアケメネス朝軍の再攻に備えて 同盟を結成し,その盟主となったアテネは加盟諸ポリスに覇権を及ぼすようになった。またア テネでは, e の海戦で軍船の漕ぎ手として活躍した無産市民の発言力が増大したことを背 景に民主政治が発展した。 一方,ペルシア戦争でアテネとともに活躍したスパルタは,少数の完全市民が,商工業に従 事する劣格市民であるペリオイコイや奴隷的身分の農民である f を支配するポリスで,厳 しい軍国主義体制を採っていた。アテネの発展とともにアテネとスパルタの対立は激化し,前 431 年, g 戦争が勃発した。ギリシアを二分するこの戦争ではスパルタが勝利し,ギリシ ア諸ポリスに対する覇権を握った。しかし,スパルタの覇権は長続きせず,前 371 年,エパメ イノンダスの指導下にあった h がスパルタを破って覇を唱えた。その後もポリス間の抗争 は続き,前4世紀後半,③北方に台頭した同じギリシア系の王国であるマケドニアが,ギリシ ア諸ポリスを征服した。 問1 下線部①について, 「ポリス」の中心にあり,守護神が祀られ,防衛拠点ともなった丘 を何と呼ぶか。カタカナで記せ。 (3点) 問2 下線部②について,この「同盟」は何か。(3点) 問3 下線部③について, 「マケドニア」がアテネ・テーベの連合軍を撃破した前 338 年の戦 いは何か。 (3点) XWAP1A-Z1C2-02 ポイント 古代ギリシア世界について,エーゲ文明の繁栄とその崩壊,ポリスの成立,アテネの盛衰の3つ の大きな流れの中で政治的展開を把握できているかを問うた。問題編冊子必修テーマ STEP1− 入試のエッセンス2で学習したことを振り返り,ポリス間の勢力関係やポリス社会の変質に影響を 及ぼしたペルシア・ペロポネソス両戦争や,アテネで行われた諸改革,およびこれらに関わった人 物をしっかり押さえよう。本問で出題した内容はいずれも基本的事項であるので,全問正解できる ようにしておいてほしい。 解 答 a クノッソス b ドーリア c ソロン d ペイシストラトス e サラミス f ヘイロータイ g ペロポネソス h テーベ 問1 アクロポリス 問2 デロス同盟 問3 カイロネイアの戦い 解 法 空欄や下線部を伴うリード文が提示された場合,時間に余裕がある時は,まずリード文をざっと 眺め,大問全体のテーマを把握し,その上で各設問に取り組むとよいだろう。 c・d それぞれの人物が活躍した時期と,前後の流れをヒントに空欄に当てはまる人物を特定し よう。例えば,空欄cは,空欄の前に「重装歩兵として活躍するようになった平民は,その実績 を背景に参政権を要求」 「債務によって土地を失い,奴隷となる平民も出た」とあることから, こうした状況を打開しようと債務奴隷を禁止し,財産政治を実施した人物の名が入ると判断でき る。 解 説 a クレタ文明(前 2000 ~前 1400 頃)は開放的な性格の海洋文明で,ク レタ島のクノッソスを中心に栄えた。クノッソスには複雑な構造の宮殿 遺跡が残されている。 ▼古代ギリシア ビザンティオン マ ケドニ ア オリンポス山 トロイア テーベ デルフォイ アテネ オリンピア デロス島 ペロポネソス半島 ミケーネ スパルタ ミレトス クノッソス クレタ島 サルデス イ オ ニ ア ロードス島 XWAP1A-Z1C2-03 b 前 20 世紀頃,ギリシア本土へ南下したギリシア人の一派アカイア人 が,ミケーネ文明を築いた。前 12 世紀,ギリシア人による第2波の南 下の動きがあり,ドーリア人がペロポネソス半島の南部やクレタ島など に定住した。また, “海の民”の活動も活発化し,こうした混乱の中で ミケーネ文明は滅亡に向かった。 c 前 594 年,アテネではソロンが貴族と平民の調停者として改革を行い, 負債の帳消しと債務奴隷の禁止によって,平民が債務奴隷に転落するこ とを防いだ。また,財産に応じて市民を4等級に分け,それぞれの参政 権・軍務を規定した(財産政治) 。 d ギリシアの各ポリスでは,前7~前6世紀,貴族と平民の対立に乗じ て,非合法に政権を握り,独裁政治を行う僭主が出現した。アテネでは 前 561 年にペイシストラトスが僭主となり,農民の保護や文化の奨励な プラス α 負債の帳消しという措 置に対して,金を貸し た側の貴族や富者は強 く反発した。また,平 民も与えられた参政権 に満足しなかった。 どを行った。 e ペルシア戦争では,前 480 年,サラミスの海戦でテミストクレス率い るギリシア艦隊がアケメネス朝の艦隊を撃破した。この戦いでは,武器 を自弁する経済力がなく重装歩兵になれない無産市民が,軍船の漕ぎ手 として活躍した。このため,戦後,彼らの発言権が増大した。そして, 前5世紀中頃に全盛期を迎えたアテネでは,名門貴族出身のペリクレス の指導下にすべての成人男性市民の出席する民会が国政の最高機関とな り,直接民主政が完成した。 f スパルタは,南下してきたドーリア人が先住のギリシア人を征服して 形成したポリスである。少数の完全市民は,多くの被征服民を支配して 生産活動や経済活動を行わせ,自らは政治・軍事に専念した。被征服民 のうち,参政権はないものの従軍義務を課された劣格市民のペリオイコ イは商工業に従事し,完全市民に隷属したヘイロータイ(ヘロット)は 農業に従事した。 g・問2 ギリシアでは,アケメネス朝軍再攻に備えて前 478 年頃にアテ ネを盟主とするデロス同盟が結成され,加盟した諸ポリスは軍船や納入 金の供出を課せられた。納入金は当初,デロス島のアポロン神殿で保管 され,アテネにより管理された。やがてその金庫はアテネに移され,納 入金はアテネへの貢納のような性格を帯びた。デロス同盟を通してアテ ネが勢力を拡大したことに対し,ペロポネソス同盟の盟主スパルタが反 発し,ペロポネソス戦争(前 431 ~前 404)が勃発した。この戦争中に ペリクレスが病死したアテネでは,民主政治が堕落して衆愚政治に陥り, アケメネス朝の資金援助を受けたスパルタが勝利した。 h ギリシア中部のアイオリス人のポリスであったテーベは,将軍エパメ イノンダスに率いられ,前 371 年のレウクトラの戦いでスパルタを破る などして,一時ギリシアの覇権を握った。 問1 ギリシアでは前8世紀頃から有力者を中心に集住(シノイキスモ ス)が行われ,ポリスが形成された。ポリスは城壁に囲まれ,その中心 補足 アテネはデロス同盟の 資金を流用してパルテ ノンを再建した。 プラス α 民衆はデマゴーゴスに よって扇動され,アテ ネの政治は腐敗した。 XWAP1A-Z1C2-04 には防衛拠点となったアクロポリスと呼ばれる丘と,政治や経済活動の 中心となったアゴラと呼ばれる広場があった。 問3 ペロポネソス戦争後,ギリシアではポリス間の対立が続き,ポリス 社会は変容し始めた。こうした中,マケドニアの王であるフィリッポス 2世(位前 359 ~前 336)がギリシアに侵入し,前 338 年,カイロネイ アの戦いでアテネ・テーベ連合軍を撃破した。翌 337 年,フィリッポス 2世は,スパルタを除くギリシアの全ポリスにコリントス同盟を結成さ せて,ギリシアを支配下に置いた。