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第3回 - FC2

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第3回 - FC2
本日の講義要旨
• 都市国家アテナイは現代欧米文化の1つの
かなめ民主政と西洋哲学を発明した。
古代ギリシアの都市国家
欧米文化論 第3回
http://harlock.web.fc2.com/
• ギリシア文明の誕生からアテナイの隆盛まで
を概観し、なぜ民主政が誕生したのかを考え
る。
• そしてギリシア哲学と民主政との関連も併せ
て考える。
古代ギリシア(アテナイ)史
B.C.
見出し
3000年 エーゲ文明:青銅器文明
2000年頃 ミノア文化全盛
1600年頃 ミュケナイ時代=後ヘラス文化
ミュケナイ時代の終焉:この後、400年間の暗黒
1200年頃
時代
1000年頃 ギリシア全体が鉄器時代に入る
800年頃 ポリス(都市国家)の誕生
776年 第1回オリンピア競技
700年頃 重装歩兵による密集隊戦術確立
以下、アテナイ史
682年 アルコン職とアレオパゴス評議会の創設
632年 キュロンのクーデター失敗
624年 ドラコン法
594年 ソロンの改革
561年 ペイシストラトスのクーデター
514年 ペイシストラトスの息子、ヒッパルコスの暗殺
510年 僭主制の廃止
508年 クレイステネスの改革
490年 ペルシア戦争
480年 ペルシア戦争
478年 デロス同盟の成立
462年 エフィアルテスの改革
458年 アラコン職を平民に開放
451年 ペリクレスの市民権法
449年 カリアスの和約
443年 ペリクレスの将軍選出
431年 ペロポネソス戦争始まる
429年 ペリクレスの病死
404年 アテナイ降伏
特記事項
4つの文化圏から成る(年代順):
トロイア文化:小アジア
ミノア文化:クレタ島
キュクラデス文化:キュクラデス諸島
ヘラス文化:ギリシア本土
新来者がギリシア本土に定住し、ヘラス文化が他文化を圧倒する。
トロイのギリシア人の宮殿炎上、倒壊
王政の廃止、1年任期の行政担当官、アルコン職経験者による議会
アテナイ初の成文法、内容は不明
アテナイ市民の定義、民衆法廷の設置、債務帳消し、身体抵当による借財の禁止
僭主制の実施
スパルタの援助を受け、ペイシストラトスの息子ヒッピアスを追放
アテナイの民主制の基盤を作る。
アケメネス朝ペルシア王ダレイオスがヒッピアスを先頭に立てて、ギリシアに侵攻
ダレイオスの死後、後継者クセルクセスが再びギリシアに侵攻
アテナイが盟主
アテナイ民主制の完成
ペルシアとの和平協定
以後、15年間続く
デロス同盟とスパルタが盟主のペロポネソス同盟が戦う
デロス同盟も完全に解体される
スパルタとは
• 暗黒時代にギリシア北部から南下したドーリ
ア人が建国した。
• 自分たち以外のラコニア地方の住民をペリオ
イコイとヘイロータイとして支配。更に、メッセ
ニア地方の住民をヘイロータイとして支配。
– ペリオイコイとは、土地を所有し、自治権を認めら
れた民だが、軍事的義務を課される一方で、国
政参加権がない。
– ヘイロータイとは、スパルタ人が所有する農地の
耕作に従事する隷属農民。
スパルタとは(続き)
アテナイの民主化
• スパルタ人自身は、一切農耕に従事せず、男
子全員が戦士になる。
• レトラと呼ばれる国法によって定められた2人
の王、28人の長老による長老会が、民会に
議案を提案し、承認を受ける。
• 長老会は、民会に対する拒否権をもつ。
• アテナイは、ドーリア人の侵入を免れたアカイ
ヤ人の国である。
ソロンの改革(BC594年)
クレイステネスの改革(BC508年)
• BC6世紀初頭に、アテナイは、多くの農民が富
裕者に隷属し、自由民が減った。
• ソロンは、ポリスは自由民からなるべきだと考
え、債務帳消や身体抵当による借財の禁止、4
00人評議会と民衆法廷の設置を行う。
• 更に、市民と奴隷を区別するためにアテナイ市
民を財産評価によって定義:5百石級、騎士、
農民、労務者の4等級からなる自由民。
– 暗黒時代以前のミュケナイ時代(後ヘラス文化)
を継承したと考えられる。
– アテナイというと民主政治の国というイメージが
強いが、古代ギリシア諸ポリスの中では特異な存
在であった。
– そのアテナイでも最初は王政であった。
– BC682年に、任期1年のアルコン職がアレオパゴ
ス評議会と共に政治を行う貴族政に移る。
• 部族制の改編:4部族制(血縁)→デーモス
(区)を基盤とする10部族制(地縁)へ
• 村落を単位とした区を全土に139設けた。
• 400人評議会の改編:400人→500人(各
部族より50名ずつ、区を単位として選出)
• オストラキスモス(陶片追放)の導入
– 僭主になる恐れのある者の名を市民が陶片に書
き、投票し、6千票以上集まると、その者を10年
間国外追放する。その者の市民権や財産は保全
した。民会決議により、期日前に帰国可。
エフィアルテスの改革(BC462年)
• 民主政の完成
– 民主派指導者エフィアルテスとペリクレスが政変
を起こし、ほぼすべての政治的実権をアレオパゴ
ス評議会から剥奪し、民会・民衆裁判所・5百人
評議会に分け与えた。
– この改革以後、民会は実質的に国家の最高議決
機関となった。
エフィアルテスの改革(続き)
• 民会=立法機関
– 成人男子市民であれば、財産や出自に関係なく
参加できる。
• 民衆裁判所=司法機関
– 任期1年の6000人の陪審員を抽選で選出。
• 5百人評議会=行政機関
– 部族毎に50人ずつ抽選で選ぶ。任期1年、デー
モス(区)の人口に比例した議席数。
ペリクレス時代
• デロス同盟を支配して、アテナイ帝国を実現し
た時代。
• BC458年、アルコン職を平民に開放。
• BC451年、ペリクレスの市民権法。
– 両親ともアテナイ人であることがアテナイ市民権の
要件
• BC447年~432年、パルテノン神殿を建設(ア
クロポリス)。
• BC443年~428年、ペリクレス民会から将軍に
選出される(15年間)。
古代ギリシアの社会と生活
• ポリスとは
– 城壁に囲まれた都市部とコーラ(田園部)からなる。
– 都市部に住み、コーラに出向く者もあれば、コーラに
住み、民会の時に都市に出向く者もいた。
– 市民権をもつ成人男子だけでもアテナイには3万~
6万いた。従って、直接民主政とは言っても全員が
顔見知りの村社会ではない。
– 都市部にはアゴラ(市場)があり、様々な店があった
が、アゴラは単に商店街ではなく、評議会場や民衆
法廷などの国政施設を含んでいた。この意味で、ポ
リスは政経分離ではなく、一体となっていた。
古代ギリシアの社会と生活(続き)
• 市民の一生
– 住宅:都市部の家庭は集合住宅であり、一戸ごとに
中庭があり、壁を道路に向けていた。
– 土地と家屋の所有は市民の特権である。
– 教育:子どもは6~7歳になると少年は学校に行き、
少女は母親のそばで家事を習った。
– 男は18歳になるとデーモス(区)の成員として迎えら
れ、2年間の国境警備(兵役)に就く。
– 男子市民が参政権を得るのは30歳で、この頃結婚
する。この時、父親は60歳で、公務から引退する。
– 女子は14~15歳で結婚した。
西洋哲学の始まり(その2)
• ソクラテスは問答法によって、当時の著名な
ソフィスト達の無知をさらけ出した。
• 問答法(対話法)とは、質問とそれに答える討
論の形式による思想の叙述方法である。
• 論語(孔子)や禅問答と同様な著述法である
が、ソクラテスの特長は「質問に対して質問で
答えること」(エレンコス)にある。
• この推論方法は、後の弁証法につながる。→
マルクス/ヘーゲル等。
西洋哲学の始まり(その1)
• ギリシア哲学と言えば、ソクラテス、プラトン、
アリストテレスが思い浮かぶが、古代ギリシア
にはソフィストと呼ばれる学者が弁論術を教
えていた。
• 弁論術とは主に評議会や民衆法廷において
相手を言い負かすスキルのことである。
• つまりソロンの改革以来の民主制が弁論術
を必要とさせ、その学者(あるいは教育者)を
生み出した。
西洋哲学の始まり(その3)
• ソクラテス自身は著書を残さなかったが、弟子のプラト
ンが「ソクラテスの弁明」などの著書(ソクラテスに関す
る初期の著述)を残した。
• そのプラトンは中期以降、イデア論を展開した。
• 善のイデアとは物事の本質、つまり目に見える姿や形
ではなく、純粋で抽象的な姿や形のこと。
• 例えば、三角形のイデアとは3つの辺で構成される図
形だが、その辺に太さは存在しない(現実の三角形に
は線の太さがある)。
西洋哲学の始まり(その4)
• 重要な点は、人間にはイデアを認識する能力
が生まれながらに備わっていると考えたこと。
• つまり哲学すれば(=合理的に考えれば)、こ
の世に存在するすべての物事や現象をいず
れは解明できると考えた。
• これが西洋合理主義=プラトン主義の始まり
である。
西洋哲学の始まり(その5)
• アリストテレスはプラトンの抽象的なイデア論を
批判して、実証的な推論方法を展開した。
• 彼は、物事の原因には、「質料」「形相」「始動」「
目的」の4つがあると主張した。
•
•
•
•
「質料」はその物事が何からできているか、
「形相」はその物事がどんなものであるか、
「始動」はその物事の始まりは何か、
「目的」はその物事の目的は何か、である。
西洋哲学の始まり(その6)
なぜプラトンなのか
• 家を例にすると、
• 「質料」は木や釘、
• 「形相」は屋根と壁や柱で構成された立体(プ
ラトンのイデアに相当、家の形はみんな知っ
ている)、
• 「始動」は大工が作った、
• 「目的」は雨露や寒暖をしのぎ住むため、に
存在している。
• 3人の哲学のうち、その後西欧諸国に広まる
のはプラトン主義(その後、新プラトン主義へ
)である。
• プラトンは自身が名門出であるだけでなく、師
ソクラテスが処刑されたことによって衆愚民
主政を否定した。
• その結果、プラトンはイデア論として理想(正
義/善)を示す必要があった?(ただし彼は
シチリアのシラクサで哲人政治を試みて失敗
した。)→民主主義には理想が必要!
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