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アッシリアとアケメネス朝の統治について考える
本科 / 実戦トレーニング期 / Z Study 添削問題編 / 必修テーマ/難関国公立コース 世界史 見 本 XWAP1A-Z1J1-04 入試のエッセンス 1 アッシリアとアケメネス朝の統治について考える のつけどころ アッシリアとアケメネス朝の政策の共通点・相違点に注目! アッシリアとアケメネス朝は,ともにエジプトを含む全オリエントを統一し,多くの民族を 支配する“世界帝国”となったが,統一後のアッシリアの統治が短命に終わり,アケメネス朝 の統治が 200 年近く続いたのには,その統治政策(異民族政策)の違いが大きく影響している。 世界史頻出テーマなのでよく理解しておこう。 アッシリアとアケメネス朝 アッシリア (前2千年紀初め~前 612) 前7世紀前半~前 612 年 中央集権体制 ● 専制君主が全国を州に分 アケメネス朝 (前 550 ~前 330) 統一~滅亡 領内の統治政策 継承 け,総督を派遣 前6世紀後半~前 330 年 中央集権体制 ◆ダレイオス1世(位前 522 ~前 486)の政策 ● 領土を州に分けてサトラップを置いた ● “王の目” “王の耳”に各州を巡察させた ● “王の道”を設け,駅伝制を布いた 強大な軍事力を背景として, 苛烈な支配を行った 異民族政策 ● 強制移住 ● 重税を課す 反省 寛容な政策を採った ● 宗教の自由,各民族の風習・制度を尊重 ● 内陸貿易で活躍していたアラム人や,海 上貿易を担っていたフェニキア人の商業 活動を保護した チェック アッシリアは,服属した諸民族に対して,① や重税などの苛烈な支配を 行ったため,服属民の反発を招き,支配は短期間で崩壊した。 アケメネス朝は,服属民に対して宗教の自由を認め,アラム人や② 人の 商業活動を保護するなど,寛容な政策を採った。 キュロス2世は,バビロン捕囚によって強制移住させられたユダヤ教徒を解放した。 アケメネス朝の③ は,全国を 20 余州に分けて各州に④ を置き, “王の目” “王の耳”と呼ばれる王直属の監察官に各州を巡察させて中央集権体制 を確立した。また,⑤ ・サルデス間など全国の要地を結ぶ“⑥ ” を設け,駅伝制を布くなど交通を整備した。 服属した諸民族に対してどのような統治政策を採るかは,帝国の存続を左右することがある。 ほかの時代・地域の国家や王朝などにおいても,意識してほしい視点である。 空欄の解答 ① 強制移住 ② フェニキア ③ ダレイオス1世 ④ サトラップ ⑤ スサ ⑥ 王の道 XWAP1A-Z1J1-05 2 古代ギリシアのポリス社会の隆盛について考える のつけどころ アテネの民主政治の成立の過程とその特徴に注目! 古代ギリシアに成立した独特の国家であるポリス。なかでも,代表的なポリスであるアテネ は,前5世紀半ばに他ポリスを支配して“アテネ帝国”を築き,ポリス内では民主政治が完成 を見た。アテネの民主政治の展開について整理するとともに,現代の民主政治との違いや,も う1つの代表的なポリスであるスパルタとの相違点について確認しよう。 アテネとスパルタ アテネ スパルタ イオニア人 種族 ドーリア人 集住による 成立 先住民を征服 王政→貴族政→僭主政→民主政 政治体制 完全市民による非征服民支配 海軍中心 軍事 陸軍中心 主に商工業 経済・産業 主に農業 私有 奴隷 国有 アテネの民主政治の発展 貴族政 平民と貴 族の対立 王政 年代 出来事 内容・意義 前7世紀後半 ドラコンの立法 成文法を制定し,貴族による法の独占を打破。 ▪貴族に代わって平民が重装歩兵として国防の主力を担うようになったため,平民が貴族に対 して参政権を要求。一方で,借財により奴隷身分に落ちる農民が続出。 僭主政 前 594 年 ソロンの改革 負債の帳消し,債務奴隷の禁止,財産政治の実施 などの改革を実施して貴族と平民の対立を調停し ようとしたが,改革は不徹底に終わった。 前6世紀中頃 ペイシストラトスが 僭主政治を行う 平民の支持を得て,非合法的に政権を掌握,独裁 を布く。貴族の財産を平民に分配し,中小農民の 保護・育成に努める。 前 508 年 クレイステネスの 改革 僭主の出現を防ぐため,オストラシズム(陶片追 放)を創始。血縁的な部族制を廃止し,地縁に基 づく制度を採用。アテネの民主政治の基礎を確立。 民主政 ▪ペルシア戦争(前 500 ~前 449) 注目 これまでの戦いでは,市民が武器を自弁して装備した重装歩兵が主力であったが,ペ ルシア戦争では,前 480 年のサラミスの海戦などにおいて,武器を購入する資産のない無産 市民が軍船(三段櫂船)の漕ぎ手として活躍できたため,無産市民の発言権が増大した。 前 443 ~前 429 年 ペリクレス時代 アテネの民主政治の確立。すべての成年男性市民 が参加する民会が国政の最高機関となり,大部分 の官職が抽選制となった。