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Title 常行敏夫 市民革命前夜のイギリス社会 : ピューリタニズムの社会

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Title 常行敏夫 市民革命前夜のイギリス社会 : ピューリタニズムの社会
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常行敏夫 市民革命前夜のイギリス社会 : ピューリタニズムの社会経済史
寺尾, 誠
慶應義塾経済学会
三田学会雑誌 (Keio journal of economics). Vol.83, No.4 (1991. 1) ,p.1018(218)- 1028(228)
Journal Article
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00234610-19910101
-0218
r三田学会雑誌」83卷 4 号 (1991年 1 月)
常行敏夫『
市民革命前夜のィギリス社会
.ヒ ユ 一
ズムの社会経済史 C岩波言店,1990年)
寺 尾
誠
つ の 激 流 を 形 成 し て い く 過 程 を , イギリス史研
( 1)
究の成果をふまえて, 実証的に追跡しようと意
図 し て い る 。 そ の 実 証 は , < ある時代を見るた
< 我 々 は 『プロテ スタンティズムの倫理と資
め に は , 後 時 代 人 の 眼 だ け で は な く て , 同時代
本 主 義 の 精 神 』 か ら の 引 用 に よ っ て , ピューリ
人 の 眼 を 併 せ 持 た な け れ ば な ら な い > という内
タ ニ ズ ム の 天職思想が聖徒の世俗的繁栄をも約
田 義 彦 の 学 説 史 の 方 法 に 基 づ い て い る 。 内田に
束 • 奨励する思想であったとゥューバー自身が
よれぱ < 後 の 時 代 の 人 間 の 透 徹 し た 眼 と , 同時
考 え て い た こ と を 明 ら か に し た が , 我々が引用
代人のくもった眼という二つの眼をもって過去
した筒所はすべて, ピューリタニズムの倫理が
の時^代 の 思 想 家 を 研 究 す る こ と で , 過去の思想
経 済 生 活 に 及 ぼ し た 影 響 を 論 じ た 最 終 節 「禁欲
家 も 何 と か わ れ わ れ に 理 解 可 能 に な る > という。
と資本主參精神」 か ら の も の で あ る 。 す な わ ち ,
大塚久雄に代表される<
我 々 が 引 用 し た 文 章 で ゥ — バ ー が 論 I E しよう
念 史 的 な 近 代 イ ギ リ ス 史 像 が r 後 の 時代の人間
としたのは, ピュー リタニズムを受容した俗人
の 透 徹 し た 眼 」 であり, よしんぱそれが正しい
信徒がその天職倫理によって資本主義的生活様
としても, r 時 代 の 問 題 」 を 媒 介 に し な け れ ば ,
式の形式に導かれていったということなのであ
後の時代の到達点への発展として歴史を理解す
「比 較 経 済 史 派 」 の概
る。 問 題 は こ こ に あ る 。 天 職 思 想 が 持 っ て い た
るr ウ ィ ッグ史観」と 言 わ れ て も し か た が な い >
逆 の 局 面 を ゥ ェ 一バーが見ていないということ
と著者は思い, 内外の実証的研究を渉獵するこ
である。 職 爱 労 働 に よ る 繁 栄 を 神 の 祝 福 と み な
と か ら 「時 代 の 問 題 」 に 肉 迫 し て , 本 書 が 成 立
し 貧困を恩恵の欠 如 と 見 な す 天 職 思 想 は , 貧困
したのである。 著 者 が 発 見 し た 「時 代 の 問 題 」
問題を眼前にし, それと闘いながら台頭しつつ
は, 当 時発生しつつあった中産階級のプルジョ
あった中産階級の経済的利害に適合的であり,
ア 化 と 大 衆 の 貧 困 化 の 現 象 で あ る が , これにつ
この適合性ゆえにピューリタニズムは中産階級
い て の 内 外 の 実 IE的 研 究 を ふ ま え た 著 者 の 解 釈
を 引 き 付 け た と い う 問 題 で あ る 。>
については後でふれたい。
(2 )
( 1)
ま ず 冒 頭 で 引 用 し た 「補 論 」 の ウ 01—バ ー 解
本 書 は 標 題 の 示 す 通 り 17世 紀 半 ぱ の イ ギ リ ス
釈を取り上げる。 それは大塚久雄のウェーバー
市 民 革 命 に 向 っ て , イ ギ リ ス 社 会 の 経 済 的 •社
解 釈 と の 不 協 和 音 を 示 す と 共 に , ウューバー自
会 的 • 宗教的変化が様々な矛盾を内包しつつ一
身 と 著 者 と の 不 協 和 音 を も 示 し て い る 。 まさに
注 (1 ) 本書308頁。
( 2 ) 同書10頁。
218 CiOiS)
著 者 は 実 証 的 研 究 を 通 じ て 獲 得 し た 「同時代人
わっていくことになったのか。 …
r世 俗 内 的
の くもっ た 眼 」 に よ っ て , 大塚久雄や ウ ュ ー バ
禁欲」 の ュ ー ト ス の 持 主 た ち は , ... 小商品生
一 の 「後 の 時 代 の 透 徹 し た 眼 」 の誘差を正そう
産 者 た ち の な か に い ち ぱ ん 多 か っ た 。 ... こう
いう職人(
いかけ屋さん)た ち が , とりわけ郊外
とする。 まず大 塚 に つ い て は ,
< 大塚的ピューリタニズム理解の根幹は,反
か ら 農 村 地 域 に 広 が っ て い た 。 こういう人々は V
営利的なピューリタニズムが支配したイギリス
金儲けをしようなどと思っていたわけではなく,
で 近代資本主義 が 生 ま れ た と い う 逆 説 を 解 く こ
神 の 栄 光 と 隣 人 へ の 愛 の た め に , つ ま り , 神か
とに, 『プ ロ テ ス タ ン テ ィ ズ ム の 倫 理 と 資本主
らあたえられた天載として自分の世俗的な職業
義精神』 の主題があったとするウェーバー理解
活 動 に 専 心 し た 。 しかも富の獲得が目的ではな
に 根 差 し て い る 。 大 塚 に よ れ ぱ ウ I 一バーはピ
い か ら , 無 駄 な 消 費 は し な い 。 それ で 結 局 金 が
ュ
ー
リタニズ ム が ま ん だ 世 俗 内 禁 欲 が 結 果 と し
残っていった。残らざるをえなかった。 …… と
そ利潤追求と結び付くことになった道筋を解明
ころが結果として金が儲かっただけではない。
す る こ と に よ っ て , この逆説を解こうとしたの
他面では,彼らのそうした行動は結果として,
で あ る 。>
これまた意図せずして,合理的産業経営を士合
(3)
大塚はピューリタニズムの天職倫理を隣人愛
とする, 歷 史 的 に ま っ た く 新 し い 資 本 主 義 の 社
に 基 づ く 反 営 利 的 な 世 俗 内 的 禁 欲 と し て , 営利
会的機構をだんだんと作り上げていくことにな
と 結 び っ い た 「資 本 主 義 の 精 神 」 とは全く異質
った。 そ れ が し ゥ か り と で き 上 っ て し ま う と ,
のも の と 解 釈 す る 。 著 者 は 両 者 が < 利潤追求を
こ ん ど は 儲 け な け れ ば 彼 ら は 経 営 を つ づ け て '^、
倫理的な義務とみなすことにおいて直接的につ
けないようになってくる。資本主義の社会機構
な が っ て い る 〉 とし, 大 塚 のウ ュ ー バ ー 解 釈 が
が逆に彼らに世俗内的禁欲を外側から強制する
誤 っ て い る と 判 断 す る 。 < 営 利 を S 己のためで
よ う に な っ て し ま っ た わ け で す 。 こうなると信
はなく, それ自体のために追求することが義務
仰など内面的な力はもういらなし 、
。> 以 上 の 文
と されている点 に お い て , ピューリタンの天職
の 後 に < こうして, 宗 教 的 核 心 は し だ い に 失 わ
倫 理 と 「資本 主 義 の 精 神 」 を 構 成 す る 職 業 業 務
れ て > を 頭 に 先 の 文 章 が あ り , さ ら に < 金儲け
は 本 質 に 同 じ 構 造 で あ る 。 異なっているのは,
を倫理的義務として是認するようになってしま
神の栄光のためという宗教的基礎づけがあるか
った。 こ れ が 「資 本 主 義 の 情 神 」 な の で す 。〉
な い か だ け で あ る 。>
と続く。
著者が大塚のウュ一バー誤読の一例として引
では, ウェーバー自身はどういっている力、
。
用 し て い る < 世俗内的禁欲 の ュ ー ト ス は い つ と
< こ の こ と 〔「自然」 の ま ま の 人 間 の 生 活 様
は な し に マ モ ン の 営 み に 結 び >つ い た と い う 大
式とは明白に相違した独自の行状による確証に
塚の文享を前後の脈絡の中に置いてみよう。
よ る 宗 教 上 の 「恩 恵 の 地 位 」 の保証〕 からし て ,
< ....このユートスは, .... そも そ も禁欲的
個々人にとって,恩恵の地位を保持するために
なプロテスタンティズムが本来もっていた反営
生 活 を :^ 法 的 に 統 御 し , そ の な か に 禁 欲 を 浸 透
利 的 な 性 格 に結 び つ い て 生 れ て き た も の で し ょ
さ せ よ う と す る 起 動 力 が 生 ま れ て き た 。 … …最
う。 そ れ が , い っ た い ど う し て , 逆 に 営 利 と 結
初は世俗から去って孤独の中に逃避したキリス
び つ い て 「資 本 主 義 の 精 神 」 などという 姿 に 変
ト教の禁欲は, 世 俗 を 放 棄 し つ つ , しかも修道
注 (3 )
同書308頁。
( 4 ) 同言305〜306頁。
( 5 ) マ ッ ク ス .ウェーバー『プロテスクンテ < ズムの倫理と資本主義の精神』 〔
大嫁久雄訳,岩波文庫,
1989年)の訳者解説404〜405頁。
219 CL019)
院の内部からすでに世俗を教会の支配下におい
とともに, こんどは, 非 有 機 的 •機 械 的 生 産 の
て い た 。 しかしその ぱ あい世俗的日常生活のお
技 術 的 • 経済的条件に結びつけられた近代的経
び る 自 然 の ま ま で と ら わ れ る こ と の な い ;生格を,
済 秩 序 の , あの強力な秩序界を作り上げるのに
概 し て そ の ま ま に 放 置 し て い た 。 いまやこの禁
力 を 貸 す こ と に な っ た か ら だ 。>
欲 は , 世 俗 の 営 み の 只 中 に 現 わ れ , 修道院とは
大 塚 と ウ ェ 一 バ ー を 比 較 す れ ぱ , 相対的には
きっぱりと関係を断つとともにほかならぬ世俗
著者の方がウェ一バーに即した解釈であること
的日生活の内部にその方法意識を浸透させ,
は明らかである。 新しい世俗内禁欲は生活行為
それを世俗勺な合理的生活—
しかも世俗に
の 伝 統 主 義 的 倫 理 を 破 碎 す る と 共 に , 生活行為
に改造しよ
の全般的合理化を方法的に実現していく心理的
ズムの世俗内的禁欲は,
方法的な動機づけである。確かに巨視的にみれ
所有物の無頓着な享楽に全力をあげて反対し,
ぱ大塚のいうように純粋に宗教的な動機から開
よるでも, 世 俗 の た め で も な く —
(6 )
うと企ては じ め た の で あ っ た 。>
< プロテスタン
テ
ィ
起動力である。 それは単純な動機づけではなく,
'滴 費を, と りわ け奢 侈 的 な 消 費 を 圧 殺 し た 。 そ
始された宗教改革者の運動が意図しない結果と
の反面, この禁欲は心理的効果として財の獲得
し て 「資 本 主 義 の 精 神 」 の世俗化をもたらした
を 伝 統 主 義 的 倫 理 の 障 言 か ら 解 放 っ た 。 利潤
ことは, ウェー バ ー も 指摘 して い る 。 だが, 同
の 追 求 を 合 法 化 し た ば か り で な く , そ れ を ……
じ宗教改革者のうちルターの天職倫理の心理的
ま さ し く 神 の 意 志 に 添 う も の と 考 え て , そうし
基礎は不確実で,その宗教生活は神秘的な感情
た伝統主義の桂梢を破枠してしまったのである。
の培養に傾き, 信者は自分が神の力を受け入れ
…
る 容 器 と し て 感 じ る 。 反 対 に カ ルヴァンの場合
( 10)
( 11)
肉の欲, 外 物 へ の 執 着 と の 戦 い は , 決して
合 理 的 営 利 と の 戦 い で は な く , 所 有 物 の非合理
に徹底した心理的起動力が生活の方法的合理化
的 使 用 に 対 す る 戦 い な の だ っ た 。>
をたえず促し, その宗教生活は感情的要素を拒
< ピュウリタニズ ム の 生 活理 想が , ピュゥリ
タ ン 自 身 が 熟 知 し て い た よ う に ,「g 」 の 誘 惑
否し実践理性を駆使した禁欲の行為となる。
人は自分が神に使われる道具と感ぜざるをえな
(12)
のあまりにも強大な試練に対してまったく無力
い。 後 者 の 禁 欲 的 自己訓練はピューリタニズム
だ っ た こ と は 確 実 だ っ た 。>
に お い て 頂 点 に 達 す る 。 < ピュウリタニズムの
( 8)
< ピ ュ ゥ リ タンは 天 職 人 た ら ん と 欲 し た —
禁 欲 ... の 働 き は 「〔
一 時 的 な 〕 感 情 」 に对し
わ れ わ れ は 天 職 人 た ら ざ る を え な い 。 というの
て 「持 続 的 な 動 機 」 を, とくに禁欲自体によっ
は , 禁欲は修道士 の 小 部 屋 か ら 職 業 生 活 の た だ
て r 後得」 された動機を固守し 主 張 す る 能 力 を
中 に 移 さ れ て , 世俗 内 的 道 徳を支配しはじめる
人間にあたえること—
^ まり, こうした形式
注 (6 ) 同書286〜288頁。
( 7 ) 同言342頁。
( 8 ) 同書351頁。
( 9 ) 同書364〜365頁。
( 1 0 ) 同* 344頁。 これはもっと重要な点なのだが, たゆみない不断の組織的な世俗的職業労働を,およ
そ最高の禁欲的手段として,また同時に,再生者とその信仰の正しさに関するもっとも確実かつ明白
な証明として,宗教的に尊重することは,われわれがいままで資本主義の「精神」 とよんできたあの
人生観の蔓延にとってこの上もなく強力な横杆とならずにはいなかったのだ。そして, さきに述べた
消費の圧殺と, こうした営利の解放とを一つに結びつけてみるならば,その外面的結果はおのずから
明らかとなる。すなわち禁欲的節約強制による資本形成力.;それだ。利得したものの消費的使用を阻止
することは, まさしく,それの生産的利用を,つまりは下資本としての使用を促さずにはいかなか
った。
>
( 1 1 ) 同書126,182〜 183, 218〜220, 251〜252頁。
220 U 0 2 0 ')
的 . 心 理 的 な 意 赞 に お け る 「人格」 に人間を教
育 す る こ と だ っ た 。>
の様々な組み合せを含む生活行為について独自
の構造モデルを論理的に構成しなくてはならな
(15)
,
ルタ一派の天職倫理は信仰的動段を生活行為
い。 そ こ で こ そ 我 々 は ウ ェ ー バ ー と 対 等 に 方 法
の結果から切り離し, 専らその動機の純粋性に
的 な 対 話 を か わ す こ と が で き ろ の で あ る 。 この
固執す る 。 カ ル ヴ ァ ン 派 や ピ ュ ー リ タ ン の 天 職
点で著者の大塚批判は, 大塚と同様の方法的水
倫理は信仰的動機が生活行為に方法的に浸透し
準に留まっているといえよう。
(14)
^
合理的な結果へと貫徹することを可能とする。
ここで著者のウェーバ一批判を取り上げてみ
動機唯一型のルター派は経済的伝統主義の枠を
よう。冒 頭 の 引 用 文 の 後 半 で 著 者 は r 天職倫理が
破れぬのに対し,動機貫徹型のカルヴァン派は,
持っていた逆の面をウュ 一/ 、一は見ていない」
そ の 梓 を 破 り ,経 済 的 合 理 主 義 〔
営利の合理化)
といい, 貧 困 問 題 に 対 す る 中 産 階 級 の 経 済 的 利 ‘
へと到達する。 後者においては徹底した禁欲倫
害と天職思想が適合的であるがゆえに中産階級
理を通じて伝統的営利に対する反営利が合理的
を 引 き 付 け た の だ と し て い る 。 資 本 主義形成期
営利の正統化を結果する。
に お け る 社 会 層 分 化 と 職 業 分 化 は , < 中産階級
大塚はルタ一派とカルヴァン派の以上の相違
の 台 頭 と 形 影 相 伴 う か た ち で 貧 困 問 題 • 浮浪民
を 認 識 し て い な が ら , r 世 俗 内 禁 欲 」 と 「資本
問 題 を 誘 発 せ ざ る を え な か っ た > が, これらの
主 義 の 精 神 」 の 関 係 に つ い て は , ピューリタン
貧 民 • 浮浪民とりわけその民衆文化の無規律性
の宗 教 的 動 機 の 純 粋 性 , 反 営 利 住 を 強 調 す る 。
に 对 し , カルヴアン派, ピ
その際宗教的動機と世俗的結果の内的関連は深
対 し , そ れ を 抑 圧 し よ う と し た 。 貧 困問題の深
く追究されないのである。 これは, 現 代 の 同 時
刻 化 が 〔中 産 階 級 の 〕 規 ま 文 化 の 形成に重要な
代人としての大塚がキリストを信ずろ者として
作用要因として働いたという推測が成り立つと
現代資本主義とりわけ日本のそれに対し反発を
す れ ば , r先 進 地 域 の 中 産 階 級 が な に ゆ え 規 律
感 じ て い る た め と 理 解 す る こ と も で き る 。 だが
の厳しいピュ一リタニズムを受容したのかとい-
(16)
— リタンは最も敵
それ以上に決定的なのは,大塚の方法が彼の鋭
う ウューバーの問い」 に 対 し て は , 宗教思想の '
い 本 質 直 観 に 依 存 し す ぎ て い て , 論理 的 な 方 法
独 自 な 展 開 を 別 と す れ ば ,「中 産 階 級 成 立 は 対 極
を 十 分 に 深 化 さ せ て い な い こ と で あ る 。 プロチ
の 膨 大 な 貧 民 . 浮浪民の発生を伴ったからだ」
スタントの天載倫理こそヨーロッバにおける経
と 答 え る ことができる。 < ピューリタンの民衆
済の合理化の内的心理的起動力であったが, そ
文 化 へ の 敵 対 が 「被 造 物 神 格 化 の 拒 否 」 という
れが不徹底のも の に 終 る か 徹 底 し た も の に 到 る
宗 教 的 理 由 に 基 づ い て い た だ け で は な く , 貧困
かという問題を追究するには動機と結果の関係
問 題 に 深 く 根 差 し て い た こ と は 間 違 い な い 。>
(17)
注 (
1 2 ) 同言156〜 160,184〜 199, 205〜220, 225〜227頁。
< というのは,宗教的達人が自分の救われていることを信しうるかたちは, 自分を神の力の容器と
感じるか,あるいti:その道具として感じるか,その何れかである。前者のばあいには彼の宗教生活は
神秘的な感情の培* に傾き,後者のばあいには禁欲的な行為に傾く。ルッターは第一の類型により近
かったし, カルヴィニズムは第二の類型に属していた。
> (同書183〜184頁 )。
( 1 3 ) 同書201〜202頁。
( 1 4 ) 同書219頁。 < 〔
イギリス系アメリカ人とドイツ人が生活の中で「自然さ」に対して異なることに言
及し, ドイツ人が「自然さ」を重んずる理由として〕根本的には, カルヴィュズムと異なって,ル ',
ター派のばあいに見られる生活態度への禁欲の浸透の不足に由来しているo>
( 1 5 ) 寺 尾 誠 『価値の社会経済史』〔改訂版,税務経理協会,1980年 ),同 『社会科学概論』 (
慶應通信►
1989年 )。
( 1 6 ) 常 行 敏 夫 『市民革命前夜のイギリス社会』312頁。
( 1 7 ) 同書313〜314頁。
221 H 021')
者 者 が い い た い の は , ゥェーバ一がピューリ
ひ た む き な 努 力 と , ほかなら ぬ 無 産 階 級 に 对 し
タ ニ ズ ムの 天職 倫理 と 中 産 階 級 の 間 に , 一種の
て教会の規律がおのずから強要する厳格な禁欲
「選 択 的 親 和 関 係 」 が あ っ た こ と を 分 析 し て い
とが, 資 本 主 義 的 な 意 味 で の 労 働 の 「生産性」
る のに対して, ピューリタニズムの規參文化と
を い かに 強 く 促 進 せ ず に い な か っ た の は ま っ た
発 生 し つ つ あ っ た 貧 民 階 級 と の 間 に 「選 択 的 反
く明瞭だろう 。
>
( 18)
(22)
発関係」 が 成 立 し て い た と い う こ と で あ ろ う
我 々 は こ こ で 貧 困 問 題 を 含 む 1 6 , 17世紀イギ
か ? 前 者 の 場 合に二 者 の 間 に 成 立 し て い た と
リス の 実 証 的 研 究 についての著者の解釈に眼を
解釈される適合的な関係〔
大塚は相性という) に
向けなければならない。
対し後者の場合には一方が他方への反発の故
(2)
に他の階級つまり中産階級によって受容される。
そうだとすれば後者はあくまで前者すなわち
「選 択 的 親 和 関 係 」 を 強 化 し た に 過 ぎ な い の で
前 編 の 「16,17 世 紀 イ ギ リ ス 社 会 の 経 済 的 変
はないか
貌 」 に お い て ま ず 指 摘 さ れ る の は , 当時の人口
対が
< ピュ ーリタンの民衆文化への敵
(19)
-貧 困 問 題 に 根 差 し て い た > という言い
増大と, それによって引き起こされた食糧危機
方 と , < 職業労働による繁栄を神の祝福とみな
の 事 実 で あ る 。 16世 紀 中 葉 す ぎ に 400 万人の 大
し貧困を恩恵の欠如 と み な す 天 職 思 想 は , 貧困
台 を 回 復 し た 人 口 は 17世 紀 の 初 頭 に は 500万人 ,
問題を眼前にし, それと闘いながら台頭しつつ
そ の 世 紀 中 葉 に は 520 万 人 の 水 準 に 近 づ き , 以
あ っ た 中 産 階 級 の 経 済 的 利 害 に 適 合 的 で > ある
後 1 世 紀 ほ ど 停 滞 す る 。 こ の 増 加 に よ り一方で
という W い 方 の 間 に は 微 妙 な 違 い が あ る 。 前者
穀 物 不 足 が 生 じ , さらに凶作がこれに拍車;をか
では宗教的な天職思想とは別に貧困問題があげ
け, 農 産 物 価 格 が 急 上 昇 す る 。 他方 , 実質賃金
られ, 後 者 で は 宗 教 的 天 職 思 想 と の 関 係 に お い
や 粗 結 婚 率 が 同 時 期 に 長 期 に 下 落 し て いる。 こ
て貧困問題が中産階級の問題とされているから
れ ら の 諸 事 実 は , 民富の順調な成長を伴いな力ニ
で ある。 著 者 が い う よ う に , 彼 の 指 摘 は 1 6 , 17
ら農民層の分解が進行し,産業資本が形成され
世 紀 の 貧 困 問 題 の 解 明 は , < ゥェーバーが意図
て い く と い う 大 塚 た ち 「比 較 社 会 経 済 史 学 派 」
(20)
して果たさなかった, 禁欲的プロテスタンティ
の 歴 史 認 識 に 修 正 を 迫 る 。 著 者 は , この時期の
ズムに対する経済的 影 響 の 解 明 に 資 す る > とは
人口 増 大 が そ れ 以 前 の 民 ま 形 成 の 結 果 で あ る こ
いえ,天職思想と貧困問題を並列して中産階級
とを認め, 大 塚 の 仮 説 が 一 面 の 正 し さ を 有 し て
(21)
の ピ ュ ー リタニズム受 容 を 説 明 す る 0 式化は十
いるとする。 だが, 他方では人口の急増と穀物
分 に 說 得 的 で な い 。 ゥェーバーは心理的起動力
供給不足による食糧危機が深刻化する中で生産
云 々 の文 享 に 続 い て こ う い う 。 < ま た 他 面 に お
性 向 上 へ の 新 し い 試 み が 実 施 さ れ , それを通じ
いて, こ の 禁 欲 は 企 業 家 の 営 利 を も 「天載」 と
て農民層の分解が初めて本格化していくとされ
解 し て , そ れ に よ っ て , この独自な労働意欲の
る。 従 っ て こ の 時 期 に 絶 対 王 政 が 実 施 し た 囲 い
摊 取 を も 合 法 化 し た 。 このような天載として労
込 み 禁 止 や 穀 物 流 通 政 策 , さらに救貧法にして
働 義 務 を 遂 行 し , そ れを通して神の国を求める
も, そ れ ら の 諸 事 実 と の 関 係 で 理 解 す べ き で ,
注 〔
18)
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』134〜136頁。
常 行敏夫 『市民革命前夜のイギ リス社会』314頁。
同* 308頁。
(21) 同* 314頁。
(22) ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』360頁。
(23) 常 行 敏 夫 『市民す命前夜のイギリス社会』19〜109頁。
--- 222 (.1022)
大塚たちのように単純な封建反動として考えて
プ ナ ム に お い て は こ の 時 期 に 経 済 的分 極化が進
はならない。
むが, 同じョーマン仲間の中で土地保有規模が
生産者の側での一つの新しい試みとしては,
拡 大 し た 結 果 , 資 本 主參的農業経営者へと成り
増 大 す る 人 口 と 経 済 成 長 の マルサス的 ギ ャ ップ
上る者が現れる。 同時にそれは中規模農家を減
に 対 し ,結 婚 及 び 出 生 の 予 防 的 制 限 に よ る 人 口
少 さ せ 大 量 の 貧 民 層 を 発 生 さ せ る 。 同後の傾向
増 大 の 防 止 が あ る 。 16世 紀 半 ば か ら 試 み ら れ た
は オ 一 ウ ■ ル に もみ ら れ る 。 これらいず れ の 村
こ の方策が効 果 を 発 揮 す る の は , 17世紀半ぱ以
においても保有権の強固な相続権付コピーホウ
降 で あ る 。 より効果 的 な 新 し い 試 み は , 食糧増
ルドの保有者一部が富農として経営規模を拡大
産 で あ る 。 新 し い 班 究 に よ れ ば , 1620年代ない
していくの で あ っ て , 領 主 権 の 行 使 に よ り 農 民
し60年までにイ ン グ ラ ン ド 農 業 は 穀 物 増 産 に よ
のコピーホウルド保有が不利な定期借地へと転
る安定供給を達 成 し , 人 口 増 大 に も 拘 ら ず 実 質
換 さ れ て い っ た と い う 通 説 は , 事^実に反してい
賃金が上昇するという状態に至ったのである。
る。
著 者 は ウ ォ リ ッ ク シ ャ ー の r ア ー デ ンの森」 を
かくして資本主義的農業が形成される一方,
ケ ー ス . スタデ ィに と り あ げ , 従来 主 に 牧 畜 業
大量の貧民階層は,小屋住農などの潜在的失業
を 生 業 と し て い た こ の 地 域 が 16世紀 後 半 に 穀 物
者 の滞留場となり,貧民たちはそこから他の地
生 産 に 比 重 を 移 し 17世 紀 前 半 に は 穀 作 地 が 5
域 へ と 絶 え ず 流 れ 出 し て い く こ と に な る 。 この
割 と な る 。 これ は 穀 草 式 農 法 と い う 農 業 改 良 や ,
傾 向 は 上 記 地 域 の み で は な く , ュ セ ッ ク ス でも
そ の た め の 囲 い 込 み に よ っ て 可 能 と な っ た ので
み ら れ た が , こ こ で は領主やジエントリ一が地
あ るが, そ の 推 進 者 は 土 地 持 ち 農 民 , 特にヨー
代増加をねらって農地の定期借地化が進んでい
マ ン . ハ ズ バ ン ドマンの上層で, 彼 ら は 大 規 模
る。 こ の 他 イ ン グ ラ ン ド 南 部 , 西部 で も 同 じ 傾
な資本主義的農場を経営し,経済的にも繁栄し
向 が み ら れ る し , ミッドランドの伝統的穀物生
ていく。 他 方 で 貧 困 ゆ え に 炉 税 免 除 の 貧 民 が 全
産 地 域 や ニ 圃 制 の 混 合 農 業 の ノ一 フォークでも
世 帯 の 4 0 % に達する。 こうし て < 食糧危機とそ
の 克 服 過 程 は , この地域を富裕な農民と貧民と
穀 草 式 農 法 が g 及 し て い く 。 後者では後にノー
フ ォ ー ク . ロ ー テ ー シ ョ ン という改良農法が発
に分極化させる経済的分極化の過程でもあった
展する。
のである > 。 も っ と も こ の 地 域 の 場 合 , 貧民の
以上のような研究史上発見された新しい諸事^
増大は,他の穀物耕作地域で発生した貧民の流
実 に 基 づ き , 著者は < イ ギ リ ス 市 民革命の土地
入によるし,下層の農民も牧畜から酪農への転
変 革 は 「領 主 的 • プ ル ジ 3 ワ的」 なものでもな
換 に よ っ て あ る 程 度 の 経 済 が 繁 栄 に 与 り , r局
け れ ば r早 熟 的 • 妥 協 的 」 な も の で も な く , 農
地市場圏」 に近い構造が成立した。
民層の分解を基礎にした徹底的にプルジョワ的
(24)
さ ら に こ の 種 の 穀 草 式 農 法 は , イングランド
な も の だ っ た > という。 この点で封建的身分と
南部, 中部, 北 部 の 森 林 • 牧 草 地 域 に 普 及 し ,
土 地 保 有 形 態 を 実 体 的 に 一 致 さ せ , 市民革命の
1590〜 1660年 の 間 に イ ン グ ラ ン ド の 農 地 の 半 分
領 主 的 .プ ル ジ ョ ワ 的 な 性 格 を 強 調 す る 通 説 が
を 征 服 し 可 耕 地 を 増 大 し た 。 またこの時期の囲
批判される。
い込みも, こ の 農 法 の 普 及 と 関 連 し た 「小規模
新 し い 研 究 を ふ ま え て 提 示 さ れ た 著 者 の 16,
17世 紀 イ ギ リ ス 経 済 に つ い て の 解 釈 は , 日本の
囲い込み」 の 形 を と る こ と が 多 か っ た 。
次 に ケ ー ス •ス タ デ ィ の (2)として伝統的な穀
学界における従来の通説に対し根本的な見直し
物 生 産 地 域 の チ プ ナ ム と オ ー ウ ル の 2 ケ村
を 迫 る 一 面 を も っ て い る 。 人口増大と 穀 物 生 産
(オックスフォードシャー)の例 が あ げ ら れ る 。 チ
のマルサス的ギャップとこれに对するイギリス
注 (
2 4 ) 同* 106頁。
223
H 0 2 3 ')
( 23 )
農民の積極的対応,特に新しい農法の採用, 要
の 革 新 的 前 進 の せ め ぎ 合 い の 時 期 と み る 。 ただ
す る に 「生 存 の危 機 」 とこの克 服 への 試 み , そ
し 両 者 の 関 係 は 都 市 と 農 村 の 国 家 的 , 地域的な
の中で観察される富農層の経済的成長と中,小
制 度 の 多 様 性 に よ り 多 様 で あ り , イギリスにお
農 層 の 貧 民 化 と い う 分 極 化 の 現 象 が , 鮮やかに
いては農村工業により有利な条件があった。 こ
示 さ れ る 。 この認識は, 同 後 の 危 機 を 「生態学
の間 農 業 に お い て も 改 良 の 試 み が な さ れ た と は
的 危 機 」 として指摘し, これに対する経済活動
いえ, 成 果 が 著 し く な る の は 著 者 が 扱 う 16世紀
の 量 的 な 増 加 が 人 口 増 加 に 吸 収 さ れ , や が て 17
後 半 か ら で あ る 。 こ の た め 「農 業 危 機 」 を克服
世 紀 後 半 よ り 1 世紀の停滞となると指す商する川
し て い く 過 程 は 複 雑 と な ら ざ る を え な い 。 封建
北 稳 の 先 駆 的 研 究 と も 險 い 違 う 。 川北は農業の
領主の土地領有やこれに対する農民の土地保有
(25)
み な ら ず 工 業 , さらにそれら 全 産 業 を め ぐ る 近
の 歴 史 的 な 制 度 に 規 定 さ れ て , 封建 領 主 の 側 が
代 化 の 条 件 , と り わけ海外市場や資本形成が整
農業経営の拡大を図る方向と農民の側が同様の
う の に な お 時 間 を 要 し た と み る 。 著 者 は , この
試 み を 図 る 方 向 が 各 国 家 , 各 地 域でいずれかに
(26)
解 釈 を 「ジュントリ一帝国史観」 と名付け ,17
有利な形で試みられる。 前者は東独において,
世 紀 前 半 までにイ ギ リ ス は 農 業 面 の 改 良 に よ り
後 者 は イ ギ リ ス に お い て 典 型 的 で あ る 。 だがそ
食 糧 危 機 を 克 服 し た と し , そこから市民革命の
のイギリスにおいても封建領主の土地領有がな
プルジョア的性格 を 強 調 す る 。 通 説 , 新説に対
しくずしのジントリ一的土地所有に転化して
する著者の解釈の問題点を以下にあげよう。
いく傾向と農民的経営改良の傾向とが交錯して
いく。 16世 紀 後 半 か ら の 人 口 急 増 と こ れ に よ る
第一に人口の 増 減 と 経 済 成 長 の 関 連 に つ い て
である。 西 ヨ ー ロ ッ バ に お い て 人 口 は 14世紀半
穀物価格の高騰の中で著者は農民のプルジョ ア
までに増加し, そ の 後 ぺ ス ト の 流 行 に 伴 な う 大
化という形で後者の傾向が打ち勝つとみている
激 減 , 15世 紀 後 半 か ら の 回 復 , 17世紀前半に向
が, この解釈 を 十 分 裏 付 け る 実 証 的 成 果 が 提 示
けての急増とその後の停滞という長期傾向を共
されているとはいい難い。 交錯しあう二 つ の ®
通 に 示 す 。 14世 紀 後 半 か ら 15世紀前半にかけて
向 が 客 観 的 に 提 示 さ れ ,評 量 が 行 わ れ る 必 要 性
の 人 口 急 減 は 穀 物 価 格 の 長 期 低 下 を 伴 い 「農業
が 今 後 に 残 さ れ て い る 。 また川北が指摘してい
危 機 」 とよばれる。 ま た 「実 質 賞 金 」 の高水準
るよ う な ジ ェ ン ト リ 一 的 土 地 所 有 が 商 業 や 金 融
(27)
か ら 「手 工 業 の 黄 金 時 代 」 といわれる。 評 者 は ,
における資本形成とも交流しあっている背景に
後者については同時期が農村工業の進展期であ
は, 工 業 面 で の 近 代 化 が ,技 術 , 市 場などの条
ることから都市 手 工 業 の 保 守 的 防 衛 と 農 村 工 業
件 か ら な お 時 を 要 し た と い う * 情 も , 考慮され
注 (
2 5 ) 川 北 稳 『工業化の歴史的前提一帝国とジ- ントルマン』(
岩波書店,1983年 )。
( 2 6 ) 常 行 敏 夫 『市民革命前夜のイギリス社会』24頁注(7)。
(27J Wilhelm AbeL Agrarkrisen und Agrarkonjunktur, Eine Geschichte der Land und Ernahrungswirtschaft Mitteleuropa seit dem Hohen Mittelalter一, 2 Auflage, 1966, SS. 27〜96. ヴイルへ
ル ム • アーベ ル 『農業恐慌と景気循環一中世中期以来の中欧農業及び人口扶養経済の歴史一』 (
寺尾
誠訳,未来社, 1972年)
B. H. Slicher van Bath, Agrarian History of Western Europe, A. D. 500〜1850, 1963, B. H.
ス リ ッ ヘ ル • ファン . バ ー ト 『西ヨ 一口ッパ農業発達史』 (
速水融訳)
(28) Makoto Terao, Rural small towns and market-towns of Sachsen, central Germany, at the
beginning of the modern age, in: Keio Economic Studies, vol.2,1964; Minderstadt in historischer sicht一 Die Entwicklungslinie der Freiheit Altene一 in: Wirtschaftliche und soziale
Strukturen in saekalaren Wandel, Festschrift fiir W. Abel z u m 70. Geburtstag, Bd. 2,1974;
Probleme des sachsischen Stadtgeschichte v o m Spatmittelalter bis zur Neuzeit, in: Keio Eco­
nomic Studies, vol.15,1979.
224
Cl 0 2 4 )
( 29)
るべきであろう。 著 者 の 指 摘 す る 貧 民 の 浮 浪 民
れに対する救貧行政をピューリタンの聖俗両面
化もこうした工業面での障言と関わらせる時に,
に お け る ユ リ 一 ト 化 を 軸 に 分 析 す る 。 人口の急
都市問題ともどもよりよく解明されえよう。
増が» 少年人口を増大させ,貧困問題を深刻化
(33)
第二に資本主義的農場のとらえ方である。 著
す る 。 16世 紀 の 数 次 の 救 貧 法 と り わ け 1572年と
者 は ,農 業 の 経 営 規 模 が 拡 張 し , 賃金労働者を
76年 の 法 ま は こ れ に 対 す る 絶 对 主 政 の 対 応 で あ
多数雇傭することをもって,経営が資本主義化
る。 72年 の そ れ は 働 く 能 力 の あ る 貧 民 の う ち 浮
したとする。 経営 の 近 代 化 な い し 資 本 主 義 化 は
浪 民 と み な す 者 へ の 厳 罰 と 共 に , 働く能力のな
経営主と労働者の関係の成立を一つの重大な基
い貧民や老齢者を救済するための救貧税などの
準とはするものの, その関係が自然に働きかけ
措 置 を 規 定 し た 。 ま た 貧 民 監 督 官 , コンスタン
る技術の近代化と有機的な結びつくことにより
プルおよび教区教会役員による救貧行政の運営
決 定 的 と な る 。 この結びつき は 土 地 を 主 要 な 生
が 定 め ら れ た 。 76年 の 法 ま で は 貧 民 の 雇 用 と 續
産要素とする農業の場合に特殊であることは享
正 労 役 所 の 設 置 が 規 定 さ れ た 。 その後失業者の
実だが,結びつきそのものは決定的条件である。
ための公共享業の推進と救貧院の設置が図られ
イ ギ リ ス に お い て そ れ は 18世 紀 後 半 の 農 業 革 命
ると共に, 救貧 税 以 外 に 私 的 寄 付 行 為 も 奨 励 さ
(30)
に お い て 実 現 す る こ と に な る の だ が , それ以前
れ た 。 1563年 の 職 人 規 制 法 も 絶 対 王 政 の 農 村 エ
の大農 場 経 営 に は こ の 結 び つ き は 十 分 な も の で
業抑圧という通說よりもむしろ以上の救貧法の
は ない。 経 営 主 と 労 働 者 の 関 係 が 成 立 し て い た
措 置 と 共 通 の 目 的 を も つ と い え る 。 とうした救
とはいえ,技 術 は な お 手 工 業 的 で 労 働 集 約 的 で
貧 行 政 の 整 備 は 治 安 判 事 の 権 限 を 強 化 し , 四季
あった。 ここに農 業 革 命 以 降 の 資 本 主 義 的 経 営
裁判所を中心とする地方行政を制度化し教区
と 区 別 す る 必 要 が あ り は し な い か ?〔
例えば近代
を救貧行政の末端機構として位置づけた。
資本主義的経営と初期資本主義的経営) またこれら
この結果, 治 安 判 まに中流やそれ以下のジニ
の経営の実態につ い て の 実 証 も 今 後 の 課 題 で あ
ン トリ一 層 が 任 命さ れ , 中央政府 か ら駆 離を お
ろう。 マ ク フ ァ ー レ ン の 小 農 経 営 か ら 個 人 主 義
い た 地 方 政 治 が 形 成 さ れ て い く 。 他 方 , 教区住
的経営への展開という示唆に満ちた仮説も,法
民の上層部が救貧行政をはじめとする地域社会
制面の実!
E に 偏っ て い て 経 営 史 の 面 で 検 証 さ れ
秩 序 の 後 持 に 積 極 的 に 参 加 す る 。 最も重要なの
なくてはならない 。 また, 農 民 層 の 分 解 に つ い
はコンスタプルで, 全ての法律違反者を適切な
ても, より多くの 実 証 研 究を重ねて地域性をふ
裁 判 所 に 告 訴 す る 義 務 を 負 っ て い た 。 これに任
ま え た 全 国 的 な 実 態 を 明 ら か に し な い と , 一般
命されるのはヨーマンを中心とした中産階級で
的な傾向を云々はできないのではないか。
あり, 彼 ら は 教 区 の 政 治 的 ユ リ ー ト と な っ た 。
(31)
教区教会役員の方は教会管理と共に救貧活動も
(3)
行ない宗教的ユリートであると同時に政治的ユ
リ一トでもあつた。
さ て 後 編 は 「民 衆 文 化 と ピ ュ ー リ タ ニ ズ ム 」
(32)
と題し, 市民革命 に 至 る 過 程 で の 貧 困 問 題 と こ
この他, 貧 民 監 督 官 や 小 陪 審 員 な ど の 役 職 を
含めて教区行政には中産階級の利害が強く反映:
注 (
2 9 ) 川 北 稳 『工業化の歴史的前提』82〜351頁。
(30) M a x Weber, Wirtschaft und Gesellschaft, 4 Auflage 1956, SS. 62-69.
〔
31) Alan MacFarlane, The Origin of English Individualism, 1 9 7 8 . ア ラ ン •マ ク フ ァー レ ン 『イ
ギリス個人主義の起源』(
酒田利夫訳, リプロポート, 1990年 )。
( 3 2 ) 常 行 敏 夫 『市民革命前夜のィギリス社会』 113〜287頁。
(33) W. Abel, Massenarmut und Hurgerkrisen im vorindustriellen Europa一Versuck einer syno­
psis, 1974.
225 [1 0 2 5 〉
さ れ て いく力;, 彼 ら は流 入 す る 貧 民 • 浮浪民を
それは下層民と民衆文化を同一視することを通
阻 止 し ,教 区 内 の 下 層 民 に 労 働 規 ま を 植 え つ け
じて, 民 衆 文 化 を 敵 対 視 す る ピ ュ ー リ タ ニ ズ ム
る 「教 区 主 義 」 を貫 徹 し て い く 。
の受容を促進していく。
治 安 判 * 制 や 議 会 を 挺 子 に ジ :n ントリ一層が
か つ て は 教 区 教 会 と 結 び つ い て い た 民 衆 文化
地 方 政 治 か ら中央 政 治 を ゆ さ ぶ ろ う と し て い く
は そ の 結 合 を ピ ュ ー リ タ ン の 運 動 に よ っ て 断ち
中 で , 17世 紀 に な る と 末 端 の 教 区 エ リ ー ト も 国
切 ら れ , 新 た な 拠点として居酒屋が登場してく
政 へ の 参 加 ル ー ト を 持 ち 始 め る 。 さ ら に 「小さ
る。 居 酒 屋 は 地 域 社 会 が 分 極 化 す る 中 で 貧 民 .
な学校 J の 設 立 に 象 徴 さ れ る よ う に , 教育学者
浮浪民の根城となり,貧困問題の凝縮された場
が 文 化 的 ュ リ 一 ト 層 を 育 成 し , 上層民の文化と
所ともなる。教区エリートは貧困問題と格闘し
て い く 中 で , 居 酒 屋 で の 下 層 民 の 「お 祭 り 騒 ぎ _1
民衆文化への分極化が促進される。
社 会 の 分 極 化 と 大 量 の 貧 民 層 の 出 現 は , 従来
か ら 身 を 引 き , ピューリタン 的 禁 欲 倫 理 に 同 化
の隣人関係を崩壊させ,犯罪や怠惰といった悪
し つ つ 民 衆 文 化 へ の 敵 对 感 を つ の ら せ る 。 ここ
徳が大都市のみならず地方の村々でも蔓延する。
に宗教的指導者や教区ュリートの民衆文化に对
こ れに直面してピ ュ ー リ タ ニ ズ ム が 示 す 規 ま 文
する同盟が成立し下層民の世俗犯罪と共に宗
イヒは, 教 区 ュ リ ー ト と し て の 中 産 階 級 に と り 自
教 • 道 徳 的 「犯罪」 に 対 し て も 激 し い 摘 発 を 行
らの利害に適合するものとして受けとられ, こ
っていく。 と同時にピューリタ ン 的 倫 理 を 下 層
れ を 受 容 し て い く 。 またこの 受 容 が 貧 民 に 対 し
民に植え付けるモラル.リフォーメーションが
道徳的再生と経済的自立を迫るな対応を
貧 困 問 題 を 解 決 す る 彼 ら の 主 要 な プログラムと
正当化する。
なる。
それは救貧行政だけではなく従来の日常生活
最後に, 市民革命に向い新たな文化的秩序を
全体に対する新しい規律文化の提示であり, 旧
求めるピューリタンと絶対王政の間の激しい3
来 の 民 衆 文 化 へ の 抑 圧 で も あ っ た 。 伝統的なョ
い の 過 程 が 分 析 さ れ る 。 イ ギ リ スの宗教改革は
一口ッバ社会はキリスト教化以前の民衆的祝祭
エ リ ザ ベ ス 朝 時 代 か ら 本 格 化 す る 。 だが国ぐる
が キ リ ス ト教的 な 装 い の 下 に 存 続 させていた。
み の 宗 教 改 革 は 必 要 な 指 導 者 を 欠 い て お り ,説
著 者 は そ の 象 徴 と して復 活 祭 以 前 の カ ー ニ バ ル
教 師 と り わ け 講 師 の 制 度 が 活 用 さ れ る が , それ
を 取 り上げ, 制 度 化 さ れ た 非 日 常 的 祝 祭 が 逆 に
を めぐり絶対王政の国教 会 的 画 一 化 と ピ ュ ー リ
日 常 生 活 の 秩序を 再 確 認 し , 共 同 体 の 連 帯 感 を
タ ン 的 き 立 と の 間 に 紛 争 が 生 じ て い く 。 特に聖
身 楊 さ せ る と す る 。 こ う した労働と祭りの循環
職録のない講師にはピューリタンの俗人信徒が
リズムをカトリック教 会 は 禁 止 し な か ゥたし,
多く, そこから自発的教会形成が志向されたこ
布教のために有利であれば妥協も辞さなかった。
とは, 国 教 会 制 度 の 根 幹 を ゆ る が す も の と し て
こ の た め キ リスト教 徒 で あ る 民 衆 は キ リスト教
絶 対 王 政 の 弾 圧 を 蒙 る こ と に な る 。 こうした中
信仰と民衆儀礼の結びついた況術信仰を世界で
で 1590年 代 か ら ピ ュ ー リ タ ニ ズ ム は r安息日厳
生 活 し て いた。
守 主 義 」 を 強 く 主 張 し た 。 日曜には礼拝のみを
宗教改革の指導者はこうしたカトリシズムの
守 り 「ど の よう な 穏 当 な 気 晴 ら し , 合法的な楽
妥 協 を 排 し ,民 衆 儀 礼 を 偶 像 崇 拝 と 断 ず る と 共
しみ」 も 避 け な け れ ば な ら な い 。 国教会の下に
に , 正 し い 聖 * • 教 義 理 解 ,厳 し い 倫 理 的 生 活
留りながら民衆の宗教的覚醒を促がすこの運動
を俗人信徒にも求めた。 かくて教会内部の偶像
は, 民 衆 の 抵 抗 に 会 う と 共 に 絶 対 王 政 と 国 教 会
破 壊 か ら 始 ま り ,民 衆 的 な 祭 り へ の 攻 撃 が 開 始
を民衆文化容認へと傾かせた。
17世 紀 に 入 る と 国 教 会 の 枠 内 で カ ル ヴ ァ ン 派
される。 中産階級の 教 区 エ リ ー ト は 隣 人 関 係 の
崩 壊 の 中 で 下 層 民 へ の 態 度 を 硬 化 さ せてい く 力’
S
226
の予定説を認めさせようという運動が起るが,
(^1026)
挫 折 す る 。 この間, 対 ス ペ イ ン の 戦 争 へ の 出 費
わけ民衆文化との関係については,従来の認識
や輸出不振からく る 独 占 特 許 に つ き 議 会 は 王 と
を 超 え る 一 面 を も つ と 評 価 し え よ う 。 た だし,
対 立 を 深 め る 。 国 王 が 1618年 に 「遊 戯 教 * 」 を
いくつかの重大な問題点も指摘できる。
布告し た こ と は 居 酒 屋 を 収 入 源 と し て 利 用 す る
第一に, 前編では中産階級を犧牲にした資本
政 策 と 相 ま っ て , ピューリタンとの間の亀裂を
主義的農業経営者と貧民層への分極化が指す商さ
深 め る 。 こ れ に 拍 車 を か け た の が アルミニウス
れていたのであるが, 後編では教 区 の 宗 教 的.
主 義 者 の ■教 会 上 層 部 へ の 進 出 , 登 用 で あ る 。
政 治 的 ュ リ ー ト と し て 登 場 し て く る の は 「ヨー
予定説を否定し人間の意志の余地を認めるこの
マ ン を 中 心 と し た 中 産 階 級 」 だ と さ れ る 。 すで
派 の指導者ニール と ロ ー ドは1627年 には枢密院
に指摘したように, 前編の農民層分解分析も不
顧 問 官 に 任 命 さ れ る 。 一 方 , 絶 対 王 政 は 「強制
十 分 な の で あ る が , 後編の 中 産 階 級 は さ ら に あ
国債」 な ど 議 会 の 承 認 を 得 ぬ ま ま に 恣 意 的 な 財
いまいな社会的な位置づけしかない。
政 政 策 を 強 行 し , 民 衆 の 反 発 を く ら う と 共 に 28
第 二 に , これと関連したことである力 ' S 地 域
年 に は 議 会 は 「権 利 の 請 願 」 を盾に国王 と 対 決
や 地 方 の 政 治 に お い て 指 導 的 地 位 に あ り , さら
していく。 こ の 政 治 問 題 は 「強 制 国 債 」 の推進
に議会を通じて中央政界にも影響力をもったジ
者がアルミウス主義者だったことから宗教問題
ェ ントリ一層の 役 割 が 積 極 的 に 分 析 さ れ て い な
ともなり, 28年 の 議 会 の 抗 議 文 は 公 然 と こ の 派
L、
。恐らく先のヨーマン中産階級論も上位のジ
を 非難 し た の で あ る 。 だがロー ドは大主教に就
ェントリ一層との関係で採用された社会的位置
任 し , そ の 国 教 会 支 配 を さ ら に 強 め る 。 これに
づけなのであろう力:, そうであればなおのこと
对しピューリタン側では,分離主義的セクトが
ジュントリ一層の社会的位置づけが必要となる。
拡大すると共にア ルミニウス派の背後に力トリ
第三に,補論の部分で指摘しておいたことで
ックの陰謀を見て国王と国教会と決別しようと
ある力、
, ヨ一マンた ち かピ ュ一 リ タニ ズム を 受
い う 動 き が 出 て く る 。 特 に ス コ ッ トランドでは,
容したことと贫民問題の関係づけの問題である。
0 王と国民運動が激突し革命の引き金となる。
著者はピューリタニズムの規ま的な禁欲倫理は
そ し て 1640年 の 4 月 に 開 会 さ れ た 垣 期 議 会 が 1
貧民たちの無秩序に直面した中産階級にとり適
ヶ月で解散されるや国民の離反は決定となり,
合的なものであったために受容されていったと
次 に 国 王 が 召 集 し た 議 会 は す で に r革 命 の 議 会 【
解 釈 し て い る 。 その解釈が全く成り立たないと
へと転 換 し て い く 。
はいえない。 だがそれはピューリタニズム受容
の消極的動機, あるいは結果への考量から発し
(4)
た 目 的 的 受 容 で し か な い 。 既 に の ベ たよ うに ピ
ューリタニズムは強裂な動機づけ,動機から結
以上後編では前編の分析から引きだした貧困
果 ま で 貫 徹 す る 世 俗 内 禁 欲 の 倫 理 で あ る 。 16,
問 題 を 軸 に ピ ュ ー リ タ ニ ズ ム の 政 治 的 . 文化的
17世 紀 の イ ギ リ ス に お い て こ の 倫 理 を 受 容 し た
位 置 づ け が 試 み ら れ た の で あ る 。 一方でピュー
人々は, 自らの職業生活において方法的な合理
リタンは絶対王政 が 実 施 す る 救 貧 行 政 の 末 端 機
化 を 0 っ て い っ た の で あ り , 人 口急増やそれに
構としての教区においてュリート層として活躍
伴なう貧困問題の発生に対して出生の予防的制
し貧民問題に対処する。 しかし他方では, ピュ
限 や 様 々 の 生 産 技 術 改 良 を 試 み ろ こ と に , 解決
一リタニズムの禁 欲倫理を受容することにより
の 方 向 を 見 出 し た の で あ っ た 。 生活 全 体 の 方 法
貧民層の民衆文化と敵対し,民衆文化と妥協的
的自己統御こそピューリタニズム受容の積極的
な絶対王政や国教会とも対立していく。
動機で,貧民問題への関心もそれとの関係で初
こうした ピ ュ ー リ タ ニ ズ ム の 位 置 づ け , とり
227
(34)
めて問題となりえたのである。
CL027')
以 上 の 批 評 的 紹 介 で 明 ら か な よ う に , 著者の
には, 二 つ の 眼 の 間 に 内 的 交 流 が 起 り 「後の時
ゥ ニ 一 バ ー 解 釈 と ィ ギ リ ス 経 濟 . 社 会 • 文化に
代 の 人 間 の 透 徹 し た 眼 が 「くもり」を 含 み ,「同
ついての認識には,共通の長所と弱点がある。
時 代 の く も っ た 眼 」 に 「見 透 し 」 が与えられな
長 所 は , テ キ ス ト や 実 II的 研 究 の成果に対して
け れ ば な ら な い 。 < 歴 史 と は 歴 史 家 と ♦実 と の
読者としての思い込みをできるだけ挑して,虚
間 の 相 互 作 用 の 不 断 の 過 程 で あ り , 現在と過去
心 な 態 度 を 保 持 し て い る こ と で あ る 。 そ の結 果 ,
と の 間 の 尽 き る こ と を 知 ら ぬ 対 話 >(E. H . カー)
大塚久雄が見過してしまったゥュ一バーの洞察
だからである。 共通や類似の動機から出発しな
が 見 え て く る 。「比 較 経 済 史 学 派 」その他の通説
がら,行為の結果が何故異なっていくのか,人
が無視したり, 曲げて解釈した歴史的事実を直
ロという経済にとって外生因の性格が強い要因
視 し ,即 * 的 な 解 釈 を 試 み る 。 著者が恩師内田
が経済や社会に対してどのような影響をもたら
義 彦 の 複 眼 的 方 法 を 採 用 す る 所 以 で あ る 。 「後
す のか,経済や社会が示す対応が多様であるの
の 時 代 の 人 間 の 透 徹 し た 眼 」 と r 同時代人のく
は 何 故 か , そ れ ら の 問い と の 関 係 で 農 民 な ど の
もった眼」 の二つの眼で過去を研究するという
階 層 分 化 • 分 解 が ど の よ う な 歴 史 的 特 徴 を もつ
方法である。 前者が見過してしまいがちな同時
のか, 一 つ の 宗 教 や 思 想 の 価 値 創 出 と そ の 大 衆
代の複雑な歴史的事実にあえてこだわって,そ
的 受 容 の 間 の 関 係 は ど う 理 解 す ぺ き か , その閱
こ か ら 前 者 の 認識 の 偏 り を 直 す 。 このような即
係 が 多 様 に 変 容 す る の は 何 故 か , 等 々 , 著者の
享 的な歴史認識は歴史認識の出発点であり,著
通 説 批 判 は 多 く の 疑 問 を 誘 発 す る 。 だが残念な
者がそこに固執することは,様々な通説に対し
がら, その疑問に対する十分な回答をこの著*
て一定の有効な批判となっている。
の 中 に 見 出 す こ と は で き な い 。 今後の研究によ
だが, そ れ ら の 批 判 が さ ら に 有 効 性 を 増 し ,
著者自身の積極的な歴史認識として提示される
法 (
34)
って著者がそれらを提示されるように期待した
い。
(
経済学部教授)
E. A. Wrigley, Population and History, 1969, pp. 48〜5 3 . リグリイ『歴史と人口』ニ版,1982
年 (
速水融訳), リグリイは生産技術を向上させる場合(ヨーロッバ) とその向上のない場合〔
アイ
ルランド)では,人口扶# の能力の大きな違いが生ずるという。
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