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ブルードン社会学の教育論的考察(ー)
滋 賀 大 学 教 育 学 部 紀 要 人 文 科 学 ・社 会 科 学 ・教 育 科 学 No,39 85 p.p.85-94,1989 ブ ル ー ドン社 会 学 の 教 育 論 的 考 察(1) 一 基礎 理論 を 中心 と して 一 住岡英毅 On the sociology -Astudy of Proudhon as a educational of his principal theory concept一 Hideki SUMIOKA た 、 彼 の 主 張 す る 「理 性 の 支 配 」 や 「相 互 性 」 は じ め に ブ ル ー ドン(Proudhon の 活 性 化 と あわ せ て 考 察 す る と き、 今 日言 う と P. J.,1809-1865)は, ころ の 学 習 社 会 論 に 豊 か な示 唆 を与 え る点 で 、 19世 紀 フ ラ ン ス の 社 会 思 想 家 で あ る。 ギ ュル きわ め て 興 味 深 い もの が あ る よ うに思 わ れ る。 ヴ ィ ッチ に よ って 、 コ ン トと並 ぶ 社 会 学 の 創 始 二 つ は 、 確 か に 、 ブル ー ドソ に お け る脱 管 理 者 と して位 置 づ け られω、また 後 に 、経 済 学 に 精 社 会 へ の 志 向 は 、 現 代 的 視 野 か らみ て 魅 力 的 で 通 した 社 会 学 者 、 あ る い は 、 ア ナ キ ズ ムの 父 と あ る。 そ の た め 、最 近 に な って よ うや く、 マ ル 呼 ば れ る こ と もあ る。 周知 の よ うに 、 マ ル ク ス クス に よ っ て作 られ た ブル ー ドソ像 を は な れ た 、 の 「哲 学 の 貧 困 」 に お い て 手 厳 し く批 判 され 、 ブル ー ドンそ の もの の 研 究 が 活 発 に進 み つ つ あ わ が 国で は どち らか と言 えば 、 そ の批 判 を 通 し るω。 だ が 、そ れ は 、主 に政 治 学 、経 済 学 、社 会 て よ く知 られ る。 思 想 史 研 究 の分 野 に お い て で あ っ て、 教 育 論 の そ の ブ ル ー ドン を 、 こ こで 教 育 論 研 究 の 対 象 視 角 か ら の研 究 は 皆 無 に近 い(3)。この 点 で 、 ブ と し て と りあ げ る の は 、 大 き く言 って 、 次 の よ ル ー ドンの 教 育 論 を 分 析 し体 系 化 す る 作 業 、 ま うな 二 つ の 動 機 な い し問題 意 識 か らで あ る。 た 彼 の 思 想 、 哲 学 、 社 会 学 に み られ る さ ま ざ ま 一 つ は 、 ブ ル ー ドンの 社 会 理 論 の 現代 的 意 義 に 着 目す る必 要 が あ る 。 つ ま り、 今 日で は 、 硬 な社 会 理 論 を教 育 論 的 に 再 解 釈 す る、 つ ま りブ ル ー ドンを 教 育 論 と して 読 む 作 業 を お こな うこ 直 した 社 会 主 義 へ の反 省 、 また 体 制 の如 何 に か とは 、 これ まで の ブ ル ー ドン研 究 に新 しい 視 点 か わ らず 蔓 延 して い る管 理 社 会 化 へ の危 機 感 が 、 を提 供 す る こ とに な る、 と考 え るか らで あ る。 日 ご とに高 ま りつ つ あ る。 こ うした な か で 、 ブ さて 以 上 の よ うな 問題 意 識 を も って 、本 論 文 ル ー ドン の 社 会 理 論 が 内 包 して い る社 会 管理 の で は 以 下 三 つ の点 、 まず 、 ア ンサ ール に依 拠 し 仕 方 の 人 間 化 、 あ るい は 人 間 の 主 体 性 の 回復 の つ つ 、 ブル ー ドソ社 会 学 に み られ る方 法 論 の 教 問 題 が あ らた め て 注 目 され る よ うに な って きて 育 論 的解 釈 を 、 次 い で 「社 会 的 自発 性 」 の概 念 い る。 具 体 的 に は 、彼 の提 示 す る地 域 主 義 や 連 に み られ る教 育 性 に つ い て の 考 察 を 、 そ して 最 合 主 義 が 、 過 剰 な制 度 化 を 越 え る 社 会 建 設 の 後 に 、 以 上 二 つ の考 察 と関連 させ つ つ 、 ブ ル ー ヴ ィ ジ ョン と して 注 目 され つ つ あ る。 そ れ は ま ドソの教 育 論 そ の もの を 多 角 的 に 検 討 し て み る 1989年9月19日 受 理。 住岡英毅 86 ア ソサ ール の訳 者 、斉 藤 悦 則 氏 は、 ア ソサ ール こ と に した い。 1.ブ ル ー ドン社 会 学 の方 法 論 の 教 育 性 の論 述 を 補 足 しな が ら次 の よ うに説 明 して い る。 す な わ ち 社 会 は 「半 分 物 質 的 で 、半 分 理 知 的 な 」 ブル ー ドン 社 会 学 の基 礎 な い し方 法 は 、 ア ン 世 界 で あ る。 社 会 は 、 現 実 的 な も の と理 念 的 な サ ー ル(Pierre Ansart)に よ る と、 集 合 力 理 もの とを 同時 に ふ くん で い る。 人 間 に 関 す る事 論 、 系 列 理 論 、 イ デ オ ・レ ア リス ム とい った 、 象 、端 的 に 経 済 事 象 は 、「見 え ざ る理 念 の 可 視 的 三 つ の理 論 枠 組 の な か に 見 る こ とが で き る(4}。 表 出 」 で あ り 「人 間 の理 念 の 具 現 」 で あ る。 し 集 合 力 理 論 と は 、 か ん た ん に言 って 、 社 会 は 一 人 一 人 に よ って 構 成 され て い る もの で あ りな た が って 、 経 験 可 能 な 現 実 の 事 象 を把 握 す る と が ら、決 して 個 々人 に は還 元 しえ な い 独 自の 性 る こ とで あ り、 これ は す な わ ち 、 そ の 理 念 を把 格 、法 則 を有 す る とい うこ とを 、「集 合 力 」や 「集 握 す る こ とで あ る 。 そ して 、 こ うした イ デ オ ・ 合 理 性」 とい う概 念 を 用 い て 説 明 し よ うとす る レ ア リス ム とい う立 場 こそ 、 ブ ル ー ドン の認 識 い うこ と は 、 そ こに 内 在 す る論 理 を 明 らか にす もの で あ る。た と え ぽ 、「労 働 者 が 集 団 で 達 成 し 社 会 学 な い しイ デ オ ロ ギ ー論 の基 礎 を な す も の た成 果 は 、 同 じ時 間 に 別 々 に働 い て得 た 個 々 の で あ る〔8)。 成 果 の合 計 よ り大 きい 」⑤、 つ ま りそ こに は 「集 以 上 、 集 合 力 理 論 、 系 列 理 論 、 イ デ オ ・レ ア 合 力 」 が 働 い て い る。 ま た 同 様 の こ とは 、 精 神 リス ム とい っ た 三 つ の 理 論 枠 組 は 、 ブル ー ドン 的 生 産 に つ い て も言 え る。す なわ ち 、「複 数 の人 が 社 会 事 象 全 般 を 分 析 し、 批 判 し、 新 た な社 会 が あ る問題 に つ い て相 矛 盾 す る意 見 を 出 し合 う 建 設 の ヴ ィジ ョンを 示 そ う とす る と きの 、 そ れ と き、 そ れ ぞ れ の 主観 性 、 つ ま り 自己 主 張 す る ぞ れ 重 要 な切 り口で あ り 、 した が って ブ ル ー ド 絶 対 的 な もの は相 互 に 消 去 され 、個 人 が 議 論 を ン社 会 学 の基 礎 を 構 成 す る もの で あ る。 逆 の 言 経 ず に ひ と りで考 え た な らそ うで あ った はず の い 方 を す れ ば 、 ブル ー ドン の社 会 学 、 哲 学 お よ もの とは 、 母 胎 に お い て も形 態 に お い て も全 く び 思 想 はす べ て 、 こ う した 三 つ の理 論 枠 組 の 具 異 な った 共 通 の見 方 が 出 て くる」㈹。つ ま りそ こ 体 的 な展 開 で あ る。 に 、 「集 合 理 性 」が 生 まれ る。 そ して 、 この よ う と ころ で 、 こ こで わ れ わ れ は 、 この よ うな ブ な 「集 合 力 」 や 「集 合 理 性 」 で 説 明 され る社 会 ル ー ドン社 会 学 の 基 礎 、 な か で も と りわ け集 合 は 、 もは や そ の構 成 メ ンバ ー で あ る個 々人 の単 力 理 論 と系 列 理 論 が 、 彼 の経 済 論 、 政 治 論 、 社 な る総 和 で は な い 、 とい うわ け で あ る。 会 論 の基 礎 で あ る と共 に 、 い や そ れ 以 上 に 、 実 次 に、 系 列 理 論 は 止 揚 の観 念 の 批 判 、 つ ま り ヘ ー ゲル 的 総 合 と鋭 く挟 を分 か つ 考 えで あ る。 に教 育 論 一 般 の 基 礎 で あ る こ と に気 づ く。 そ れ を 少 し詳 し く考 察 して み よ う。 す なわ ち 、 「ア ン チ ノ ミー を 構 成 す る 二 つ の 項 集 合 力 理 論 は、 言 うま で もな く、 第 一 義 的 に は 、 電 池 の 二 つ の 極 が 互 い に破 壊 しあ わ な い よ は ブ ル ー ドンの 経 済 学 の方 法 論 的 基 礎 で あ る。 うに 、 解 消 され る こ とは な い。 矛 盾 す る もの の そ れ は 、先 に もみ た よ うに 、 主 に物 質 的 生 産= 対 立 ・闘 争 こ そ は 運 動 ・生 命 ・進 歩 で あ っ て そ 富 の生 産 を め ぐっ て展 開 され る。 物 質 的 生 産 を の 融 合 は 死 で あ る。 問 題 は ア ンチ ノ ミー の均 衡 、 目的 と した 複 数 の 労 働 者 か ら成 る工 場 、 また は た えず 不 安 定 な 、 社 会 の 発 展 と共 に変 わ る均 衡 そ の他 の 集 団 は、 それ に 固 有 の 力 を も って い る。 を 見 出す こ とに あ る」の。 言 い か え る と、互 い に す なわ ち 、 そ れ は 、個 々の 労 働 者 の生 産 的 能 力 相 矛 盾 す る テ ー ゼ と ア ン チ テ ー ゼ と は、 そ れ ぞ の総 和 を は る か に上 回 る生 産 物 を生 み 出 す 。 こ れ 同 等 の 権 利 を も って 永 久 に対 置 す る二 律 背 反 、 の指 摘 は 、 言 うま で もな く、 マ ル ク ス の 剰 余 価 矛 盾 と して と らえ られ 、 現 実 は 、 こ う した 多 元 値 説 の 先 取 りで あ る。 彼 は 、 さ らに 、 こ う して 的 な ア ン チ ノ ミーの 連 鎖(系 して と らえ 生 み 出 され た 剰 余 分 の 富 は 、 労 働 者 が 生 み 出 し られ る。 世 界 の 本 質 は 永 遠 の 矛盾 に あ る 、 とい た に もか か わ らず 労 働 者 に 配 分 されず 、 す べ て うわ けで あ る。 工 場 主 に 収 奪 され て し ま う こ とを指 摘 し、 富 の 列)と 最 後 に 、 イ デ オ ・レア リス ム は 、ふ つ う観 念 ・ 配 分 に お け る不 平 等 を 指 摘 す る。「所 有 と は盗 み 現 実 主 義 あ る い は 理 念 ・現 実 論 と翻 訳 され る。 で あ る」 とい う きわ め て シ ョ ッキ ン グな 問 い か ブル ー ドン社 会 学 の 教育 論 的考 察(1》 87 け で 彼 を一 躍有 名 に し た論 文 、 「所 有 とは 何 か」 ブル ー ドソ社 会 学 の 方 法 論(デ は 、 こ の よ うに ま ぎれ もな く経 済 学 の論 文 で あ の 、 第 二 の理 論 枠 組 で あ る系 列 理 論 に つ い て は り、 生 産 物 の配 分 へ の論 及 とい う点 で は 政 治 学 ど うか 。 世 界 の 本 質 は 永 遠 の 矛盾 に あ る とい う の 論 文 で もあ る。 だ が 、 この 集 合 力 理 論 は 、 そ れ が物 質 的 生 産 系 列 理 論 の 、本 質 的 な特 徴 は 次 の 二 つ で あ る。 一 つ は、 この世 に存 在 す る諸 矛盾 は 解 消 され る に 関 して ぽ か りで な く精 神 的 生 産 、 つ ま り 「理 こ とは な い。 つ ま り、 諸 矛 盾 の解 消 、 統 一 を は 性 」 の生 産 に 関 し て適 用 され る と き、俄 然 、 教 か る超 越 的 絶 対 者 は あ くま で も否 定 さ れ る。 あ ソ ク ワ イゼ) 育 論 と して の 精 彩 を も放 ち 始 め る。 先 に もみ た る一 つ の思 想 で す ら絶 対 的 な教 祖 に な り得 る が 、 よ うに 、複 数 の 人 の議 論 は 、 そ の結 果 と して 、 彼 に とっ て そ れ は 到 底 許 さ れ る こ とで は な い。 議 論 に参 加 した 一 人一 人 の 個 人 の考 えに は も と 事 実 、 彼 自身 、 ・ マル ク ス に あ て た 手 紙(1846年 も と存 在 しな か っ た新 し い考 え を生 み 出 す 。 ブ 5月17日)の ル ー ドン は そ れ を 「集 合 理 性 」 と よぶ が 、 そ う れ は運 動 の先 頭 に 立 って い る の で す か ら、新 し した 「集 合 理 性 」 は 、 確 か にお れお れ の 日常 の い 不 寛 容 の指 導 者 とな る こ とは や め ま し ょ う。 話 し合 い や 討 論 の な か で しぼ しぽ 出 現 す る。 い た とえ そ れ が 論 理 の 宗 教 、理 性 の 宗 教 で あ ろ う わ ゆ る 「三 人 よれ ぽ 文 殊 の知 恵 」 とい う古 い諺 と、 新 しい 宗教 の 使 徒 と して ふ る ま う こ とは や は 、 こ うした 事 情 を 端 的 に表 現 して い る と言 っ め ま し ょ う。 … … 問 題 を決 して 論 じつ く され た な か で 、 こ う述 べ て い る。 「わ れ わ て も よい で あ ろ う。 し か し、 ブ ル ー ドソ の主 張 も の とは み な さ な い よ うに し ま し ょ う。 そ して は 、 こ うした 「文 殊 の 知 恵 」 の 存在 を 単 に指 摘 わ れ わ れ が 最 後 の 議 論 を しつ く した あ とで も、 す る に 止 ま らな い 。 彼 の言 い た い こ とは む しろ 、 必 要 とあ れ ぽ 雄 弁 と風 刺 を も って も う一 度 議 論 この 「文 殊 の 知 恵 」ニ 「集 合 理 性 」が 生 み 出 さ れ を は じめ ま し ょ う」㈹ 。 二 つ は 、 こ う して 、 諸 る過 程 、 な い しは そ の 前 提 に あ る。 矛 盾 の 均 衡 こそ こ の世 の リア ル な 現 実 で あ る と ブ ル ー ドンに よれ ば 、「集 合理 性 が 生 ま れ る た い う認 識 、 つ ま りあ る種 の バ ラ ン ス感 覚 に この め に は 、 相 互 に 働 きか け あ う個 人 が お互 い の 品 理 論 の 特 徴 が あ る。 そ して この 二 つ の特 徴 が 、 位 を 認 め あ う関 係 が存 在 しな け れ ぽ な らな い 。 じつ は 、 教 育 に お け る さ ま ざ ま な二 律 背反 を 考 この 品 位 を 感 じ と る理 性 の 力 は 、 人 間 に 内在 し え る上 で 、 きわ め て有 効 な 視 点 に な っ て い る。 て い る。 す べ て の 人 間 は 本 来 品 位 に お い て平 等 周知 の よ うに、 教 育 は 、 権 威 と自 由 、個 人 と で あ り、 異 質 な人 間 同 志 が そ れ ぞ れ 品位 を尊 重 集 団 、 保 守 と革 新 とい った 、 二 つ の対 立 。:葛 藤 しあ えぽ 、 葛 藤 、 討 論 を通 じて 、 集 合 理 性 が あ す る要 素 を た えず 抱 え込 ん で い る。 た と えぽ 、 らわ れ て く る」(9)。 つ ま り集 合 理 性 が 生 み 出 され るた め に は 、 お互 い の 品 位 の 尊 重 に も とず く自 権 威 と 自 由 につ い て 言 え ば 、 次 の よ うに で あ る。 一 般 に 、 権 威 は教 育 の な か で 欠 くこ とが で き な 発 的 な働 き か け あ い が な くて は な らな い 。 言 い い 、 と され て い る。 教 育 者 は 、 被 教 育 者 に 対 し か え れ ば 、 い ず れ か一 方 に よ る 自説 の お しつ け、 て 圧 倒 的 な権 威 を も って 望 ま な けれ ぽ な らな い 。 あ るい は 超 越 的 な 第三 者 の 教 義 に支 配 され た 話 そ れ で 始 め て、 人 を 導 くこ とが で き る。 被 教 育 し合 い や 討 論 は、 集 合 理 性 を 生 み 出 さ な い 。 こ 者 の 自 由を 大 幅 に認 め 、 教 育 者 の権 威 を 縮 小 す こに は 、 人 間 の異 質 性 や 多 様 性 、 そ して そ こ に る こ と は、 教 育 を い た ず ら に被 教 育 者 の放 縦 に 内 在 す る品 位 の尊 重 、 した が っ て人 間 の 平 等 へ 委 ね る こ とに な り、 必 ず し も よ い結 果 を もた ら の 希 求 が み られ 、 こ うした 一 連 の人 間観 は 、 ま さな い とい うわ け で あ る(11)。 そ れ に 対 して 、一 さに 教 育 論 の前 提 と して の 人 間 観 で あ る。 しか 方 で は 、 教 育 に お い て 権 威 は必 要 で な い 。 権 威 も、 この よ うな人 間 相 互 が 生 み 出す 集合 理 性 を 、 の 強 調 は、 被 教 育者 の 自 由 を認 め な い 頭 ごな し そ れ をi奪っ て い る教 会 や 国 家 か ら取 り も どす こ の 教 育 につ な が る。 そ れ は、 結 果 と して 被 教 育 とに よ っ て 生 き生 き と甦 らす こ とが 、 彼 の 主 張 の 自立 を阻 害 す る、 とい う考 え方 もあ る(12)。い す る「社 会 の 建 設 」、 す なわ ち革 命 で あ る。 こ の ず れ も一 理 あ る考 えで あ って 、 この二 つ の 考 え 点 で 彼 の 社 会 建 設 論 は 、 政 治 的 社 会 建設 論 と い は 、 これ ま で の教 育 思 想 史 の な か で もた えず 論 うよ りむ し ろ 、教 育 的 社 会 再 建 論 で あ る。 争 の 焦 点 で あ った。 住岡英毅 88 これ に 関 す る ブル ー ドソ の系 列 理 論 で は 、「権 明 す る と次 の よ うに な る。 威 は そ れ を 認 め るか 否 定 す る か す る 自 由 を 必 ず す な わ ち 、 社 会 は 、 諸個 人 の 交 互 作 用 か ら生 仮 定 す る。 両 者 の 一 方 を抹 殺 す る と他 方 は もは ま れ る 。 諸 個 人 が 出会 い 、 対 立 し、 議 論 す る と や 意 味 を 持 た な くな る。 権 威 は 、 討 議 し、抵 抗 き、 この 対 立 の解 決(均 衡)は す る 、 あ るい は 服 従 す る 自由 な し に は空 しい 言 第 三 者(超 よ って で は な く、 当 時 葉 で あ る。 自 由 は 対 立 す る権 威 な し に は無 意 味 者 間 の 交 互 作 用 の な か か ら 自発 的 に生 まれ る。 で あ る。」(13)。 す なわ ち 、権 威 と 自 由 は永 遠 に 対 つ ま り、 均 衡 は、 当事 者 の あ い だ に生 まれ るわ 立 ・葛藤 す る二 つ の 項 で あ る。 た だ し、 両 者 の け で あ って 、 ブル ー ドンは これ を 「相 互 性 」 と 越 的 権 威)に 、 当事 者 以 外 の 均 衡 が どの よ うに 存 在 して い るか は 、 た えず 問 よ ん で い る。 そ して 、 この 出会 い、 対 立 、 葛 藤 、 わ れ る問 題 で あ ろ う。 この こ とを 、 教 育 の 問 題 均 衡 、 とい う人 間 関 係 そ の も の が 「社 会 的 自発 に移 して 言 え ば 、「あ る社 会 に お け る人 間 の 人 間 性 」 に 他 な ら な い。 そ れ は 、 社 会 の 生 命 の 根 源 に対 す る権 威 は 、 この 社 会 が 到達 した 知 的 発 達 で あ って 、 社 会 の深 層 に か くさ れた 力 と して 、 に反 比 例 す る」(14)。 また 、「父親 の 自然 の権 威 は つ ま り体 制 の 規 定 の及 び え な い と ころ で 脈 脈 と 認 め られ うる。 た だ し、 子 ど もの 理 性 が形 成 さ 生 きつ づ け て い る。 先 に 述 べ た 集 合 力 と集 合 理 れ 、 彼 の 教 育 が 終 了 し て彼 が 父 の 仲 間 とな る 日 性 を 生 み つ づ け る もの 、 そ して また 、 諸 矛 盾 の に は 無 くな る」(15)。こ の よ うに 、 ブル ー ドンの 均 衡 を もた らす も の は 、 こ の 「社 会 的 自発 性 」 系列 理 論 は、 彼 の 社 会 学 を支 え る基 礎 的 枠 組 で で あ る。 さ ら に、 そ うした 「社 会 的 自発 性 」 の あ る と同 時 に 、教 育 論 の基 礎 的 理 論 枠 と して も 存 在 を 重 視 す るが 故 に 、 彼 の理 論 は 必 然 的 に イ 役 立 つ。 デ オ ・レ ア リス ム に な ら ざ る を え な い。 この 点 最 後 に 、 イ デ オ ・レア リス ムは 、 わ れ わ れ の で 、 「社 会 的 自発 性 」の 概 念 こそ 、 ブ ル ー ドン の 観 念 と現 実 と の あ り方 を示 して い て 興 味 深 い が 、 集 合 力 理 論 、 系 列 理 論 、 イ デ オ ・レ ア リス ム を 同 時 に そ れ は 、教 育 に お け る 永遠 の テ ー マ と 目 生 み 出 す 母 胎 で あ る。 した が っ て、 そ れ は、 ブ され る 「理 論 と実 践 の 統 合 」 へ 向 け て の、 わ れ ル ー ドン社 会 学 を 根 底 で 支 えて い る キ ー ワ ー ド わ れ が 目指 す べ き研 究 的 ・実 践 的 態 度 に か な り で あ る。 そ して 、 ブ ル ー ドン に とっ て 革 命 と は 、 近 い 。 だ が 、 そ れ は 、 ブ ル ー ドンの 社 会 理 論 の この よ うな 「社 会 的 自発 性 」 の活 性 化 に よ る、 教 育 性 を 探 る とい う 目的 か らは や や 周 辺 的 問題 社 会 の 内 部 的 変 革 で あ る。 河 野 健 二 氏 の こ と ば に属 す る。 した が って 、 こ こで は 、 これ 以 上 深 を借 りて 言 えば 、 そ れ は 、 固 定 した 外皮 、 す な く立 ち 入 らな い こ と に し て 、わ れ わ れ は次 に 、 わ ち社 会 の 表 層 を 取 り除 い て 、 こ う した 「社 会 以上 三 つ の 理 論 枠 組 を 根 底 で支 え て い る と思 わ の深 層 」 を 甦 らす こ とで あ る㈹ 。 れ る 「社 会 的 自発 性 」 の 概 念 の検 討 に 移 りた い 。 確 か に 、 庶 民 、 大 衆 、 民 衆 と呼 ば れ る人 た ち この概 念 は 、ギ ュル ヴ ィ ッチ が ブ ル ー ドンを 「深 の生 活 と社 会 は、 一 定 の 体 制 の規 定 を うけ な が さの 社 会 学 の 創 始 者」 と評 す る もと とな っ ら も、 そ こか ら相 対 的 に独 立 した あ る種 の力 強 た㈹ 、 きわ め て興 味 深 い概 念 で もあ る。 さ を も って い る。 そ れ は 、 時 に は反 体制 的 な力 2.「 社 会 的 自 発 性 」 の 教 育 論 的 意 味 とな って 噴 出 す る こ と もあ る。 た と えぽ 、 近 世 日本 に お け る伊 勢 神 宮 へ の 集 団 的 な 巡 礼 運 動 で ブ ル ー ドソ に よ る と、 社 会 に は 大 き く言 って あ る 「お か げ ま い り」 は 、 そ の最 盛 期 に は、 参 二 つ の層 が あ る。 現 象 す る社 会 す な わ ち公 認 の 加 人 数 お よそ500万 人 を数 え る大 運 動 で あ った 。 社 会 と、 永 遠 の 社 会 す なわ ち真 実 の 社 会 が これ ま た 、幕 末 、1867(慶 で あ る。 現 象(す る社 会 、 た と え ぽ 国 家 や 教 会) い か」は 、 明 らか に この 近 世 の 「お か げ ま い り」 応3)年 の 「え え じ ゃ な の底 に 、 絶 対 的 、 不 動 の 法 則 に従 って 生 き発 展 の伝 統 を利 用 して 、政 治 的 に ひ き起 こ され た 大 す る社 会 と して の 真 実 の 社 会 が あ るαη。そ の真 衆 混 乱 で あ った 、と言 わ れ て い る㈹ 。「社 会 の深 実 の社 会 こそ 、実 は 、社 会 的 自発 性(Spontan6ite 層 」 に は 、 この よ うに 、 自発 的 で 、 逞 し い、 し Sociale)の 働 く社 会 で あ っ て 、変 化 と創 造 を属 た た か な 力 が はた らい て い る。 だ が 、 そ うだ か 性 とす る社 会 で あ る。 や や 立 ち 入 って 細 か く説 ら とい って 、 ブル ー ドンの 革 命 論 が 「大 衆 の反 ブル ー ドン社 会学 の教 育論 的 考 察(D 89 乱 に よ る体 制 の 転 覆 」をめ ざ して い る と、早 ま っ 同 化 しつ つ 、 他 方 で は そ の 階 級 の 自発 性 と順 応 て 理 解 して は な ら な い 。 彼 は、 む し ろそ の逆 と 主 義 と を 識 別 す る 予 言 者 的 存 在 で あ ろ う とす し て の 、理 性 の革 命 を め ざ して いた 。 す なわ ち 、 る。」 「この ブル ー ドンの立 場 は 、 労 働 階 級 と い た が い に 異 な る人 び との 間 の 「意 見 の 交 換 」 を う存 在 に た い して 、 いわ ぽ そ れ を 主 体 化 す る と 重 要 視 し、 した が って 「敵 の品 位 を 尊 重 す る」 同 時 に客 体 化 し よ う とす る矛 盾 した 立 場 で あ り、 こ とが 人 間 の 社 会 を形 成 す るた め の 基 本 条 件 で 主 体 化 す る と き、 彼 の コ ミュ ニ ケ ー シ ョンは 権 あ り、 そ の 上 に立 った 異 質 な人 間 同 士 の 出会 い 、 力 と体 制 に た い す る対 抗 的 性 格 を あ らわ に示 し、 葛 藤 、 討 論 、 均 衡 が 、 お の ず か ら社 会 的 な 「集 客 体 化 す る と き、 潜 在 的 な 自発 性 を解 放 す る触 合 理 性 」 を つ く りだ し、 そ れ が 社 会 を 内 部 か ら 媒 的 性 格 を 示 す こ と に な る。 ブ ル ー ド ソ の コ 変 え て い く と考 え る革 命 論 で あ る⑳ 。 つ ま り、 ミュニ ケ ー シ ョン は 、 この両 義 性 を逃 れ られ な 集 合 理 性 に よ る社 会 生 活 ・人 間 関 係 ・生 産 と分 い 」(23)。 配 の様 式 、 等 々 の 日 々新 た な改 造 と構 築 に よ る、 つ ま り、 ブル ー ドンは 、 あ く まで も 「社 会 的 漸 進 的 な 革 命 が ブ ル ー ドソ の 目指 す と こ ろ で あ 自発 性 」 の 存 在 を信 じて い た け れ ど も、 そ れ が る。 変 革 へ む け て の 「集 合 理 性」 を 無 条 件 に 生 み だ だ が 、こ こで 一 つ の疑 問 が 生 じ て く る。ブ ル ー す とは考 えて い な か った 。 「社 会 的 自発 性 」 は 、 ドンの 言 う 「労働 者 大 衆 」 が 、 公 認 の社 会 つ ま 竹 内 の指 摘 す る 「触 媒 的」 行 為 に よ っ て 、 覚 醒 り社 会 の 表 層 部 分 か ら相 対 的 に 独 立 した 、真 実 さ れ 、 活 性 化 す る こ とに よ って 始 め て 力 を もつ 。 の 社 会 つ ま り社会 の 深 層 部 分 に お い て 自発 的 な ブ ル ー ドンは 、 そ の覚 醒 や 活 性 化 を、 自 らを 労 集 合理 性 を 生 み だ して い る と して も、 そ れ が そ 働 者 の一 員 と し て位 置 づ け つ つ 達 成 し よ うと し の ま ま国 家 や 教 会 な ど の公 認 の 社 会 の変 革 に ま て い る の で あ る。 この 「触媒 的 」 行:為こそ じつ で つ な が る もの か ど うか。 こ うして 生 み だ され は 、 「教 育 的 行 為 」に 他 な らず 、 「社 会 的 自発 性 」 る集 合 理 性 じた い が 公 認 の社 会 に強 く規 定 され を 強調 す る ブ ル ー ドンの 革 命 論 が 教 育 性 を 帯 び ていないか。 いやその前 に、集合理性 を生みだ て い るの は じつ に この 点 に あ る。 なぜ な ら、 教 し うるほ どの 「社 会 的 自発 性」 が 、 いつ もそ れ 育 は 「教 育 者 が 被 教 育 者 を教 育 の対 象 と して(つ ほ ど強 く働 い て い る か ど うか。 一 言 に して 、 ブ ま り客 体 と し て)扱 い つ つ も、 ど こ ま で も被 教 ル ー ドン は 、 「労 働者 大 衆 」の 自発 的 能 力 を あ ま 育 者 の 主 体 化 を 図 ろ うとす る(つ ま り被 教 育 者 りに も楽 観 的 に信 頼 し過 ぎて い るの で は な い か 。 を 自己 教 育 の主 体 へ と変 え て い く)」 営 み で あ 竹 内 成 明 氏 の 「社 会 主 義 運 動 の コ ミュ ニ ケ ー る。 この 点 で ブ ル ー ドンの コ ミ ュニ ケ ー シ ョン シ ョン 論 」(21)およ び 「ブ ル ー ドソ の コ ミュ ニ が 内包 して い る両 義 性 は 、 あ ま りに も教 育 的 で ケ ー シ ョン 論 」(22)とい う二 つ の 論 文 は 、 こ うし あ る。 た 疑 問 に対 す る一 つ の解 答 を 準 備 して い る。 そ この こ とは、 マ ル ク スの 革 命 論 と の 対 比 に お して 、 そ れ は 、 「社 会 的 自発 性 」を強 調 す る こ と い て 、 よ りは つ き りして くる よ うに思 わ れ る。 の 教 育 性 を 探 らん とす るわ れ わ れ の 目的 に 大 き 同 じ く竹 内 に よ る と、 マ ル ク ス は、 ブ ル ー ドソ な 示 唆 を 与 え て くれ る 。 これ ら の論 文 の な か で 、 の 言 う 「社 会 的 自発 性 」 を 「自然 成 長 性 」 と し 竹 内 は 、 ブ ル ー ドソの 新 聞 活 動 に言 及 し、 次 の て否 定 す る。 社 会 的 自発 性 は 、 そ れ 自体 と し て よ うに述 べ て い る。 働 い て い るか ぎ り、 「自然 成 長 的 な 社 会 」の な か 「ブル ー ドソの新 聞 は 、 自発 的 な対 抗 型 で あ で は 必 然 的 に、 疎 外 態 に お ち い る と い うの で あ る と同 時 に 自発 性 触 媒 型 で もあ る とい う二 重 性 る(24)。 そ こで 、 マ ル ク ス とエ ン ゲ ル ス に よ る を 示 す とい う こ とが で き る」「知 識 人 の上 か らの と、「共 産 主 義 が い ま まで の す べ て の 運 動 とち が 指 導 型 コ ミ ュ ニ ケ ーシ ョン に対 し て 、 ブル ー ド うの は 、 次 の点 で あ る。 す な わ ちそ れ は 、 す べ ンは 労 働 者 の側 に立 と うとす る。 他 方 、 労 働 者 て の い ま まで の生 産 関 係 な ら び に交 通 関 係 の 基 に 迎 合 す る コ ミュ ニ ケ ー シ ョン に対 して 、 彼 は 礎 を 変 革 しす べ て の 自然 成 長 性 を は ぎ と って 、 労 働 者 の 体 制 的 意 識 に た い す る批 判 者 に な る。 い い か えれ ば 、一 方 で は 労 働 者 階 級 の 自発 性 に 結 合 した 個 人 た ち の 力 に そ れ らを 服 従 させ る の で あ る」㈹ とい う こ とに な る。 つ ま り、 マ ル ク 90 住 岡英毅 スの 革 命 論 で は 、 自然 成 長 的 な性 格 を もつ 社 会 務 な どが習 慣 また は 生 産 の形 態 を形 成 す る。 生 的 自発 性 は、「結 合 した 個 人 た ちの 力 に 服 従 させ 産 の 影 響 は心 身 の 両 方 に と って 重要 で あ り、 し られ るべ き」 対 象 で あ る。 この こ とを教 育 論 と か も こ の よ うな 作 業 に教 会 は無 縁 で あ る⑳ 。そ して 翻 訳 す れ ぽ 、 社 会 的 自発 性 とそ の 担 い 手 で こで 、「教 育 は 徒 弟 制 を包 含 す べ きで あ る。産 業 あ る労 働 者 大 衆 は 、 新 た な 力(革 命 の 理 念 や 権 的 徒 弟 制 か ら文 学 的 、 科 学 的教 育 を 分 離 す る こ 力)に とは も っ と も教 育 学 に専 心 す る人 々(ル よ って 指 導 、啓 蒙 、 誘 導 さ れ るべ き対 象 ソーの で あ る。 そ の 指 導 、 啓 蒙 、 誘 導 は そ れ じた い教 「エ ミー ル」 を 見 よ)に よ って 考 え られ た。 悪 育 の 営 み と言 って よ い が 、 この 場 合 の 指 導 、 啓 い こ とだ。 近 代 の あ ら ゆ る傾 向 は 彼 に反 対 して 蒙 、 誘 導 の対 象 は 、一 定 の 超 越 的 な 力 に 向 け て い る」 ㈹ とい うの が ブ ル ー ドソ の 主 張 で あ る。 の ど こま で も客 体 にす ぎな い 。 この点 で は 、 マ バ ソ カ ー ル(Jean Bancal)の 解 釈 で は 、「ブル ー ル ク スの 革 命 論 は教 育 とい う営 み を 介 在 させ つ ドソ に と って 労 働 は、 社 会 とそ の 経 済 的 ・政 治 つ も、 そ れ は 教 育 とい うよ りは教 化 、 あ る い は 的 ・哲 学 的 発 現 形 態 の 創 造 過 程 で あ る と と も に、 政 治 の営 み とい うべ きで あ ろ う。 これ とは 逆 に 、 社 会 的 多元 性 の 統 合 過 程 で あ り、 また 経 験 、 科 触 媒 的 行 為 に よ る社 会 的 自発 性 の活 性 化 、 した 学 、 多 元 性 の 意 識 に よ る社 会 的 自 由 の教 育過 程 が っ て 労 働 者 大 衆 の 主 体 的 な 自立 を め ざす ブ で も あ る」㈹ 。あ るい は、 こ うも言 え る。 ブル ー ル ー ドソ の革 命 論 は 、 ま さに マ ル クス との 対 比 ドソ は 、 「社 会 的 労働(そ れ は経 済 的 ・政 治 的 ・ にお いて 、政 治 とい うよ りは む しろ 、 よ り強 い 哲 学 的 ・教 育 論 的 成 果 の 創 出過 程 と考 え られ る) 教 育 性 を帯 び て い る と言 って よ い。 を 通 じた人 間 に よ る人 間 の 実 現 」㈹ を 目指 し て い る。 こ こで ブル ー ドンが 「社 会 」 と呼 ぶ も の 3.ブ ル ー ドン に み られ る若 干 の 教 育 論 以 上1.と2.に は 、 も ち ろ ん 、 社 会 的 自発 性 の 生 き生 き と働 く お い て わ れ わ れ は 、 ブル ー 真 実 の社 会 で あ る こ とは言 うまで も な い。 ま さ ドン社 会 学 の 基 礎 とそ れ を 根 底 で 支 え て い る に個 人 の 自己 実 現 は、 集 合 的 な つ ま り社 会 的 な 「社 会 的 自発 性 」 の概 念 の 教 育 論 的 意 味 に つ い プ ロ セ ス と して あ る。 人 間 の 自己 形 成 能 力 は 、 て 考 察 を進 め て き た。 この よ うに 、 ブル ー ドン 人 間 が 社 会 を 形 成 す る と きは じめ て 開 花 す る 、 の 社 会 学 、経 済 学 、 そ して 革 命 論 と して の 思 想 と い うわ け で あ る。 は、 そ の 深 部 に 豊 か な教 育 論 的 発 想 を 合 わ せ 第 二 に 、 で は 、 教 育 が め ざ して い る もの 、 つ 持 っ て い る。 で は 、 ブ ル ー ドン の教 育 論 そ の も ま り教 育 目標 につ いて の 主 張 点 は ど こに あ る か。 の は 、 い か な る も の か 。 次 に わ れ わ れ は 、 これ ブル ー ドソの 次 の 発 言 は 、 そ れ を知 る一 つ の 手 まで の考 察 を 念 頭 に お きつ つ 、 ブ ル ー ドン の、 掛 か りに な る。す な:わち 、「人 生 とは一 つ の 闘 争 教 育 そ の もの へ の 発 言 に 耳 を 傾 け て み よ う。 で あ る。 人 間 が 自 由 な一 個 の 存 在 で あ るゆ え 、 ブ ル ー ドンの 教 育論 が 比 較 的 ま と ま った 形 で こ の闘 争 の た め に武 装 す る(備 え る)こ 展 開 され て い るの は 、 そ の 著 「革 命 と教 会 に お 要 で あ り、 こ の こ と は 精 神 に よ る よ りは 性 格 け る正 義 」 の な か の 、 第 五 研 究 「教 育 」 の 章 に (Caractere)に とが 重 よ って な し うる こ とが 大 切 で お い てで あ る㈹ 。全 体 と して 教 育 とい う視 角 か あ る。 ゆ え に 人 間 は そ れ ぞ れ あ らゆ る状 況 に対 らの教 会 批 判 で あ る が 、 そ れ は 、わ れ わ れ が 現 して 準 備 を と との え 、尊 厳 や よ ろ こび 、 そ うで 代 教 育 を考 え る上 で の 、 さ ま ざ ま な 、 しか も有 な けれ ぽ勝 利 した 様 態 を 示 し うる も の で あ るべ 効 な視 点 を提 供 し て くれ る。 こ こで は 、 そ の な きで あ り、 少 な く と も竃 運 命 の 手 に ゆ だ ね られ かで も代 表 的 と思 わ れ る主 張 六 つ を取 り上 げ 、 た 一 器 物(lnstrument)と そ の現 代 的 意 義 を検 討 して み る こ とに した い。 い う神 の恩 寵 に ま か さ れ た 存 在 で あ って は な ら まず 、 教 育 に 果 たす 「社 会(真 実 の 社 会)」 の な い」(31)。言 い換 え れ ば 、 教 育 は、 自由 な個 と 重 要 性 の主 張 が み られ る。 ブ ル ー ドン に よ る と、 して 社 会 的 な 過 程 に か か わ り うる 「性 格 」 の形 教 育 は 「社 会 」 が 行 うもの で あ って 「教 会 」 が 成 を め ざ して い る の で あ って 、 教 会 の教 育 の よ お こ な うべ き もの で は な い 。 た とえ ぽ 、 産 業 的 うに外 か らの 教 え込 み に よ る 「精 神 」 の 形 成 で な工 程 、作 業 場 の運 用 、 事 務 所 業 務 、 商 店 の実 あ っ て は な ら な い。 か 、 キ リス ト教 徒 の ブル ー ドソ社 会学 の教 育論 的 考 察(1) 91 第 三 に 、 した が って 、 教 育 は教 会 か ら独 立 、 は い わ ぽ 空 気 の ご と くで あ っ て 、 か つ て は そ こ ひ い て は 国 家 か ら も独 立 し な け れ ぽ な ら な い。 に住 み 、 耕 し、 そ の エ マ ナ シ オ ソを 吸 入 し、 そ ブル ー ドソの 「教 会 の 教 育 」 批 判 は 痛 烈 で あ る。 の実 体 を 目 に し、 父 子 代 々血 を受 け 継 ぎ、種 族 「カ ト リシ ズ ム は人 間 を 徳 化 す る と 自負 しつ つ 、 に伝 えて い った ゆ え に 深 くか かわ って い た 土地 そ の魂 の な か に二 重 の 良 心 を つ く りあ げ 、 そ の との 関 係 が 今 で は 絶 た れ て い る。 か つ て は 土地 結 果 た る ま が い も の の 教 育 を もた ら す こ と に か ら 肉体 を受 け 、 気 質 を 、 個 性 を 、 観 念 、 性 格 よ っ て 、 陰 険 、 偽 善 、 いや み に み ち た 性 格 、 す とい うも のを 受 け 継 ぎ死 ぬ 以 外 に は そ れ と切 り なわ ち 、 人 類 と社 会 に敵 対 す る もの を 生 み 出 し 離 され る こ とは な か った の に。 今 で は土 地 を 道 た に す ぎな い」(32)。 「教 会 の 教 育 は 、鞭 や 体 罰 や 具 の よ う に 扱 う。 い や 、 そ れ 以 下 で さ え あ ひ ざ まず き を多 用 し、 少 しの 教 育 し かせ ず 、 性 る」 ㈹ 。 人 間 と土 地 との 関 係 を そ の よ うに して 格 とい うこ とに は 何 ら気 に とめ なか った 。 そ の し ま った 元 凶 は 、 「所 有 」 で あ る。 「所 有 権 の 形 目的 は 愚 鈍 で あ った 。 子 供 らの なか に鉄 を流 し 而 上 学 は フ ラ ン ス全 土 の 国土 を 荒 廃 させ 、 山 々 込 む ど こ ろ で は な く、 教 会 は 子 供 らを(そ の 意 を 荒 ら し、泉 を 干 上 が らせ 、 河 川 を 滝 に 変 え、 の ま ま に な る)や わ らか い 蝋 に しょ う と して い 谷 を じ ゃ りだ らけ に した 。 そ して そ れ は 、 す べ た 」㈹ 。 こ うして 、 教 会 の 教 育 、 す なわ ち 典 礼 て 政 府 の 許可 を も っ て行 わ れ た 。 そ の結 果 、 農 の 教 育 は、 人 間 の魂 の な か に第 二 の 良心(意 識) 民 は農 業 を た い くつ で い や な もの と思 うよ うに を 生 み 出 し、 そ れ が 自然 本 来 の 良心 を支 配 し て な り、祖 国 も うと ま し くな り、 過 疎 を もた ら し し ま う と言 うの で あ る(34)。 そ して 、こ う した 「社 た 」㈹ 。す な わ ち、 「人 間 が 自然 とか か わ りを も 会(真 実 の 社 会)の 外 か ら の教 育 」 へ の 批 判 は 、 ち は じめ るの は 占有 に よ って で あ り、 他 方 、 所 当 然 の こ と なが ら、教 会 の 教 育 に対 して だ け で 有 は 人 間 と 自然 を 分 離 させ る もの で あ る。 そ れ な く国家 の 教 育 に対 して も 向 け られ て い く。「確 は 、 男 と女 が 家 庭 的 慣 習 の 中 にお い て 結 合 され か に私 は 、 中 央 権 力 の 大 き な努 力 な しに 組 織 的 る の に 対 し、 肉欲 は 男女 を 孤 独 の 中 に と どめ る に民 衆 の教 育 を 行 う可 能 性 を信 じな い が 、 しか の と同様 で あ る」 ㈹》 。 し そ れ に も か か わ らず 私 は 、 あ らゆ る 自 由 と同 第 五 に 、 生 の 充 実 と社 会 との一 体 化 が 強 調 さ 様 に教 育 の 自 由 の 支 持 者 で あ る。 私 は 、 学 校 は れ る 。 この こ とは 、 人 間 と死 との関 係 に 言 及 し 教 会 か ら と 同様 に 国 家 か ら も徹 底 的 に分 離 さ れ た所 論 の な か で と りわ け 鋭 く述 べ られ て い る。 て い る こ と を 望 む 」㈹ 。 言 い換 えれ ば 、 真 実 の 「死 を 正 面 か らみ つ め るが よ い。 そ して 、 愛 を 社 会 の 教 育 を 強 調 す る こ と と裏 腹 の 、 公 認 の 社 も って 死 に あ い さつ を 送 るが よ い。 そ して 、 自 会 の教 育 の 否 定 で あ る。 らの 魂 を 子 ど も らの 手 に ゆ だ ね 、 そ の 肉体 は大 着 地 に 削 り くず の よ うに も どる に ま かせ 、 家 族 の 性)と の結 び つ きは 重 要 で あ る。 す な わ ち、 「人 中 に 溶 け込 む が よい 。 そ うす る こ とは 、 唯 心 論 間 と 自然 、 自 由 の世 界 と必 然 の 世 界 は ひ とつ の 的 で も、 神 秘 的 で も キ リス ト教 的 で も な い。 そ 全 き調 和 を 形 成 す る の で あ って 、 物 質 と精 神 は れ は 、 ご く単 純 に 社 会 現 実 で あ り正 義 で あ 人 間 性 を 構 築 す る こ と及 び そ れ を と りま く、 す べ て の 諸 要 素 が 同 一 の法 則 の も とに従 属 す る」㈲ 。「古 代 人 た ち の な か に は、 生 へ の 軽 視 も な く、 また 死 に 向 か って の高 慢 もな か った 。 彼 る」㈹ 。 「諸 種 族 の 各 々 が そ の土 地 に対 す る土 着 らは 、 で き うるか ぎ りよ く生 を生 き よ う とす る 第 四 に、 人 間 形 成 に お け る人 間 と 自然(土 性 を も ち う る し も って い る はず で あ る。 そ の こ と同 様 、 そ の死 を 自然 に、 お だ や か に 、 恐 れ も とは 動 植 物 が そ こに 生 育 生 存 す る とい うこ と 以 悔 い も な しに死 ん で い った 」(42)。 「宗 教 に何 も期 下 で も以 上 で もな い」「土 地 は 、そ こに生 まれ た 待 せ ず 、 良 き死 、 安 楽 死 は、 古 代 人 に お い て は 、 種 族 に所 属 す る もの で あ り、 他 の な に も の も そ 二 つ の要 因 に も とづ いて い る。 す な わ ち、 存 在 の 土 地 に そ の種 族 の表 明 す る もの以 上 の もの を の 充 実 と社 会 との 一 体 化 に で あ る」㈹ 。 「生 命 の 与 え え ぬ と い うこ とで あ る」⑳ 。 と こ ろが 、 「今 充 実 と社 会 との 一 体 化 とい う、 これ ら二 条 件 に で は 、 人 間 は 富 裕 者 で あれ 小 作 人 で あ れ 、 根 深 良 き死 が 負 って い る とい う こ とに つ い て 、 これ い と こ ろ で 土 地 か ら切 り離 され て い る。 存 在 と 以 上 観 察 す る必 要 は な い。 大 切 な の は 、 この第 92 住岡英毅 一 条 件 が 第 二 条 件 を 仮 定 す る とい うこ とで あ る。 育 とい った 現 代 の 教 育 課題 に迫 る視 点 で あ る。 奴 隷 、受 刑 者 、 追 放 され た 者 、祖 国 を 外 国 に 侵 また 、死 と人 間 の 問 題 は 、今 日の 焦 点 で あ る「死 略 さ れ て い る者 、暴 政 下 に あ る者 、 彼 ら に と っ へ の準 備 教 育 」 論 そ の もの で あ る。 荒 廃 した 現 て は 、存 在 と は絶 対 的 虚 無 で あ る 。 した が っ て 、 代 教 育 に お け る 「理 性 と道 徳 」 の復 活 に つ い て そ の 結 果 、死 と は 、 あ ら ゆ る 恐 怖 を と も な は、 もは や 言 うま で もな い 。 考 え て み れ ば 、 あ う」㈲ 。 また 、 「死 の 恐 怖 は 独 身 者 に大 きい 。 独 る主 張 が 保 守 的 で あ る か進 歩 的 で あ る か は 、 相 身 者 の方 が 、 恋 人 、 夫 、 家 族 の父 よ り活 動 的 、 対 的 な もの で あ る。 そ れ は 、 そ の主 張 の 置 か れ 献 身 的 で 犠 牲 に躊 躇 せ ぬ も の で あ る と い うの は 、 て い る社 会 的 状 況 に規 定 され て い る。 この 点 で わ れ わ れ の幻 想 の お か した 大 き な 誤 解 で あ は、 ブ ル ー ドンの 教 育 論 は 、 過 去 に お い て も現 る」(45}。 代 に お い て も常 に、 保 守 と進 歩 との転 回 点 に 位 第 六 に 、 理 性 と道 徳 は 尊 重 され ね ば な らな い 。 置 し て い る。 「あ る ドグ マ に と って 理 性 が そ の ドグ マ を選 択 す る よ うに さ せ る に は 、理 性 に 訴 え れ ば よ お わ り に い」 ㈹ 。 「あ ら ゆ る 道 徳 の 基 礎 は 尊 敬 に あ マ ル ク ス に よ っ てそ の革 命 論 な い し社 会 改 革 る」(47)。「聖 職 、 俗 人 を 問 わ ず 一 個 入 に お い て 論 の 甘 さ が指 摘 され た ブル ー ドン の社 会 論 は 、 は、 生 来 の 良 心 は た えず 先 見 的 良 心 の 誤 りを正 じつ は マ ル ク スの 権 力 的社 会 主 義 論 に は み られ す も の で あ る。 総 体 的 堕 落 の 場 合 を の ぞ い て は 、 な い教 育 論 と して の豊 か さを 内 包 して い る。 小 人 間 とは 常 に 信 者 よ りは 良 い もの で あ る」(48》 。 論 は そ こに注 目し、 教 育論 の 視 角 か ら ブル ー ド この よ うに 、 人 間 理 性 へ の 信 頼 こそ 、 ブル ー ド ンの 社 会 論 を 検 討 して きた わ けで あ る が 、 残 さ ンの 教 育 論 を 支 え る基 礎 で あ る。` れ た 課 題 も多 い 。 な か で も、 小 論 で 垣 間 見 た ブ さ て、 以上 六 つ の 主 張 は 、 当 然 の こ と なが ら、 これ ま で考 察 し て きた ブル ー ドン の社 会 学 を反 ル ー ドン の教 育 そ の も の へ の 言 及 を さ らに掘 り 映 し て い る。 す なわ ち 、 人 間 形 成 に お け る 「真 必 要 が あ る。 また 、 ブ ル ー ドン の社 会 理 論 の う 実 の 社 会 」の 重 要 性 の強 調 、逆 に 言 え ば 、 「公 認 ち 、 彼 が 社 会 建 設 の ヴ ィジ ョン と して示 す 「連 の 社 会(教 会 や 国 家)」 か らの 教 育 の独 立 、 した 合 の 原 理 」や 「コ ミュ ニ ケ ー シ ョン論 」、 そ れ に が っ て、 自然 、 土 地 、 土着 性 、 労 働 場 面 の 強 調 、 下 げ 、 と くに 社 会 学 的 体 系 化 を 精 密 に お こな う 「家 庭 論 」 や 「芸 術 論 」 の 中 に は、 政 治 論 ・経 また 存 在 の充 実 と社 会 との 一 体 化 に よ る死 の恐 済 論 とは別 に 、教 育 論 と して 検 討 す る と興 味 深 怖 か ら の解 放 へ の言 及 、 さ ら に社 会 的 自発 性 に い 内 容 が 多 くふ くまれ て い る。 そ の 分析 と検 討 か か わ る人 間 理 性 と道 徳 へ の 信 頼 とい った 一 連 を 重 ね る こ とに よ って 、 「ブ ル ー ドンの 教 育 論 」 の 考 察 は 、 ブ ル ー ドン社 会 学 の 教 育 論 的 展 開 そ 概 究 が よ り厚 み を 増 して く るは ず で あ る。 い ず の も ので あ る 。 そ して この 教 育 論 が現 代 の わ れ れ も、 こ れ か らの 研 究 に待 た な けれ ば な らな い 。 わ れ の教 育 に 示 唆 す る もの は 、 ま さに 「教 育 の (注) 原 点 へ の 回 帰 」 の 主 張 に あ る と言 っ て よい で あ ろ う。そ れ は 、「歴 史 変 遷 の 外 面 に表 れ た 変 化 に (1)G.ギ 則 っ てそ の原 理 を 構 成 す るの で は な く、 歴 史 変 的 課 題j青 木 書店 1970P.3 遷 の内面 に潜 んで い る不 変 の原則 に基礎 を お ② た とえ ぽ、 河 野 健 二 編 「ブル ー ドン研 究 」(岩 く」(紛とい う意 味 で 、 きわ め て 保 守 的 な 性 格 を 波 書 店 1974)、佐 藤茂 行 『ブル ー ドン研究 」(木 鐸 社 もつ もの で あ るが 、 じつ は そ の 保 守 性 こそ が 、 1975)、森 川 喜 美 雄rブ ル ー ドン とマル ク ス」(未 来 今 も っ とも新 しい 教 育 的 視 点 を 提 示 して い る。 社 1979)な す な わ ち、 徒 弟 制 を教 育 に 導 入 す べ きだ とい う (3)わ ず か に、 手塚 寿 郎 「ブル ー ドンの 労働 の 哲学 と 主 張 の な か に 、 仕 事 や 労 働 を 欠 い た 今 日の 青 年 教 育 論」(商 学 討 究 期 の 教 育 の改 革 に豊 か な ヒ ン トを 見 出す こ とが 原 田 彰 「ブル ー ドンの 自由論 」(日本 教 育社 会 学 会第 で き る し、 土 地 と人 間 との 本 来 の か かわ りにつ 31回 大 会 1979、 於:文 教大 学 で の報 告)を み るこ と い て の 指 摘 は 、 民 族 問 題 と教 育 、 環 境 破 壊 と教 がで きる。 ュル ヴ ィッチ、寿 里 茂 訳 『社会 学 の 現代 ど 第12巻 上19376)、 および ブル ー ドン社 会学 の教 育論 的 考察(1) (4)P.ア ンサ ール 、斉 藤 悦則 訳 『ブ ル ー ドソ の 社 会 学 』 法 政 大 学 出 版 会 1981 (5)P.J.ブ 1971PP.141-143お 徳 川 幕 藩 体 制 と い う封 建 社 会 の な か に あ りな が ら、 そ の 臭 い は あ ま り感 じ ら れ な い 。 い や 、 む し ろ 封 建 社 会 ル ー ドン 、 長 谷 川 進 訳 か 」 『ブ ル ー ド ンIIIJ(ア 93 『所 有 と は 何 ナ キ ズ ム 叢 書 三 一 書 房) よ び 河 野 健 二 編 、 前 掲 書P, 23 か ら 独 立 し た 、 「し た た か さ」す ら 感 じ させ ら れ る 。 映 画 「男 は つ ら い よ 」(山 田 洋 次 監 督)の 世 界 も こ れ に 近 い が 、 こ の よ うな 庶 民 生 活 と庶 民 の 社 会 は 、 時 代 や 体 制 を 越 えて ど こにで も存 在 して い る よ うに 思 わ れ る。 (6) Gurvitch, G., Proudhon 1965 p.41 政 治 ・経 済 体 制 の 違 い か ら み た 資 本 主 義 社 会 と 社 会 主 (7) idid., PP.21-22 (8)P.ア 義 社 会 、国 家 の 違 い か ら み た 日本 社 会 とた と え ば フ ラ ン サ ー ル 、 斉 藤 悦 則 訳 前 掲 書 P.287 (g》 Gurvitch, G., Proudhon (10)陸 井 四 郎 1965 PP.39-42 ンス 社会 も、一 皮剥 け ぽ 、そ の奥 に あ る庶 民 の社 会 は み な 同 じ相 貌 を も っ て い る か も し れ な い 。 ま た 、 日 本 「解 説 ブ ル ー ドン の 思 想 形 成 」 『プ に 古 く か ら 伝 わ る 数 々 の 祭 りは 、 「大 衆 や 民 衆 の 底 知 ル ー ドソ1』 (ア ナ キ ズ ム 叢 書 三 一 書 房)1971P. れ ぬ エ ネ ル ギ ーに 支 え られ て い る」 と も言 わ れ て い 344 る。 い ず れ に せ よ 、 こ の よ うな 庶 民 、 大 衆 、 民 衆 に ま (11)た と え ば 、 セ ボ ル ド(Sebald, H.)は 、 ア メ リカ の つ わ る 社 会 は 、 自 発 的 で 逞 し い 「社 会 の 深 層 」 を 彷 彿 現 代 家 庭 に み ら れ る ジ ェ ネ レ ー シ ョ ン ・ギ ャ ッ プ に 言 させ る。 及 し て 、「親 と 子 、教 師 と 生 徒 、 あ る い は 医 者 と患 者 と ㈲ 藤 谷 俊 雄 い っ た よ う な 関 係 に お い て は 、明 確 な 立 場 上 の 優 劣 が 』 岩 波 新 書 1968 ii な くて は な らな い。 なん とな らぽ 、 これ らの 人間 関 係 (2① Gurvitch, C., Proudhon 「「お か げ ま い り」 と 「え え じ ゃ な い か 」 1965 PP.39-42 に 平 等 主 義 が 介 入 す る と、 混 乱 を 招 き、 目標 の 達 成 が ⑳ 竹 内 成 明 「社 会 主 義 運 動 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョン 論 困 難 と な る か ら で あ る」 と述 べ て い る(『 ブ ル ー ドン と マ ル ク ス 」 『コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 思 想 史 プ リ ・家 庭 と暴 力 』Nα116、 現代のエス 至 文 堂 、1981PP.184-192 」(講 座 コ ミュ ニ ケ ー シ ョ ン1)研 究 社,1973,PP.135 (拗 18世 紀 の イ ギ リス の 思 想 家 ウ ィ リ ア ム ・ゴ ドウ ィ ソ -150 の 考 え は 、 そ の 典 型 で あ る 。 詳 し くは 、Godwin, ㈱ 竹 内 成 明 「ブ ル ー ドン の コ ミュ ニ ケ ー シ ョ ン論 」 The Enquirer, Reflection on Education,ル W., 毎 朋 θ欝, 河野 健 二 編 「ブ ル ー ドソ 研 究 』 岩 波 書 店 1974、 and Literature, in A Series of Essays,1797 PP.232-261 03)P.J.ブ ㈱ 竹 内 成 明 「ブ ル ー ドン の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン論 」前 ル ー ドン 、 江 口 幹 訳 「連 合 の 原 理 」 『ブ ル ー ド ンIII』(1ア ナ キ ズ ム 叢 書 三 一 書 房)1971 P.332 掲 書 PP.243-244 ⑳ 竹 内 成 明 「社 会 主 義 運 動 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン (14)同 書P.291 論 」 前 掲 書 P.142 (覇 書P.290 ㈱ 竹 内 成 明 同 論 文 、 同 書 P.146 同 (16)ギ ュル ヴ ィ ッ チ G.寿 (1わ 河 野 健 二 編 里 茂 訳 、 前 掲 書P.66 『ブ ル ー ド ン』(世 界 の 思 想 家13) 平 凡 社 1977、PP.98-99 ⑯ 河 野 健 二 1972、8、P.309 「ブ ル ー ド ン の 社 会 主 義 」 ㈱ Proudhon P.ノ:, De La Justice dans la Revolution et dans l'Eglise ㎜2.SLA 『世 界 』 と こ ろ で 、 「社 会 的 自 発 性 」の 働 い 18580EUVRES TKINE COMPLETES GENEVE-PARIS 1982 PP. 327-471 (M idid., P.332 て い る 「社 会 の 深 層 」 を 、 理 論 的 に は と も か く と し ㈱ P.J.ブ て 、 直 観 的 に 、 あ る い は感 性 的 に イ メ ー ジ 化 す る と し の 政 治 的 能 力 」 『ブ ル ー ドンII」 (ア ナ キ ズ ム 叢 書 た ら、わ れ わ れ は、 どの よ うな もの を思 い起 こす こ と 三 一 書 房)1972P.359 が で き る だ ろ う か 。落 語 の 江 戸 人 情 噺 や 下 町 の 人 々 の ㈲J.バ 日々の 触 れ あ い 、 は これ に近 い イ メー ジか も知 れ な 元 主 義 と 自主 管 理II」 未 来 社 1984 P.519 い 。 い か に も闊 達 で 、 の び の び し て い て 、 貧 し い な が ⑳ ら も 一 人 一 人 が 自 立 して い る。 そ し て 、 け ん か を し た (31)Proudhon り、 助 け 合 っ た り 、 時 に は 妥 協 し あ い な が ら も、 生 き et dans L'Eglise 生 き と け な げ に 生 き る庶 民 の 姿 が そ こ に は 見 ら れ る 。 VIII 2 SLA TKINE 同 ル ー ド ン 、 三 浦 精 一 訳 「労 働 者 階 級 ン カ ー ル 、藤 田 書 勝次郎 訳 『ブ ル ー ド ン 多 ハ453 P..J., De La justice dans La Rivolution 18580EUVRES GENEVE-PARIS COMPLETES 1982 P. 住岡英毅 94 377 働 ゴ4鼠,P.387 (3)idid., P.369 ⑬4)ゴ4鼠,P.366 W P.J.ブ ル ー ド ン 、 江 口 幹 訳 「連 合 の 原 理 」 前 掲 書P.379 ⑬6)Proudhon P.ノ:De et dans L/ Eglise ㎜a.s乙 La justice dans La Revolution 1858 五:τK11>E 0EVRES COMPLETES GE〈EVE-PARIS 1982 389 Mibid.,P.389 (3ibid., P.397 ⑬9) 必'4.,1〕1397 磁0) ibid., P.401 (41) ibid., P.440 (42) ibid.,1究410 "3) ibid., P.411 (44) あ ∫4.,P.413 (45> 必 ∫4.,P.434 (46) ibid., P.377 (47) め た乳,P.381 (48)ibid., P.385 ㈲ 玉 川 信 明 代 書 館)1986P.17 『ア ナ キ ズ ム 』(FOR BEG㎜ERS現 P.