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1 2013 年 6 月 24 日 劣等感の重荷を下ろす マタイによる福音書 11:28
2013 年 6 月 24 日 劣等感の重荷を下ろす マタイによる福音書 11:28~30 大阪西野田教会 高橋 順 徳川家康は「人の一生は重き荷を置いて遠き道を往くがごとし」と言いました。わたした ちの人生には様々な重荷がありますが、負いきれない重荷もあります。ただ、その重荷を 背負いつつも背負っていないかのように気づかないふりをしているのかもしれません。し かし、イエス様は「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ま せてあげよう」と言われました。イエス様はわたしたちの負いきれない重荷を取り、休ま せてくださるのです。 様々な重荷を上げることができますが、 一つ目は劣等感の重荷です。 多くの人は劣等感、罪責感をかかえて、それに縛られています。 「自分の存在は価値がない」 そう思っているのです。しかしイエス様はあなたを愛し、あなたの劣等感の重荷、罪責感 の重荷を全部身代わりに背負って十字架にかかり、3 日目によみがえってくださったので す。イエス様のもとに行くときに、劣等感、罪責感の重荷を下すことができます。 自分自身のお話しですが、僕も劣等感の塊でした。両親ともにクリスチャン、七つと九 つ離れた姉が二人いて、僕は末っ子の長男でした。甘やかされて育てられました。もちろ ん感謝すべきこともたくさんありますが、そんな甘やかされる中で「僕は自分の力で何も できないだめな存在なんだなあ」という思いがありました。そして中学生になったころ、 父親に「お前の教育には失敗したなあ。甘やかしすぎた」と言われました。僕はガーンと なりました。自分が失敗作のように感じたのです。そしてこんなだめな自分を何かで覆い 隠して、強くしなければいけないと思いました。高校に入学して、弓道部に入部しました。 僕の性格にあっていたのか、上達していきました。自分を覆い隠すいいのものができたと 思って一生懸命練習し、成績を残すことができるようになりました。しかし、今度は高慢 になって人を見下げるようになりました。ところがスランプに陥り、思うような成績を残 すことができないまま部活を引退しました。引退してからは学校に行くのがとても苦痛で した。その頃の僕は雨の日が好きでした。かさで顔を隠していけるからです。それほど、 劣等感の塊だったのです。何とか夜間の大学に入学してまた弓道部に入部したのですが、 ついていくことができず、すぐにやめました。僕を覆い隠すものがなくなってしまったと 思っていたのですが、僕の友達の友達の友達がクリスチャンで、不思議なことにその人と 話をしているうちに、イエス様を讃美する集会に誘われました。明るい讃美でした。喜び に満ちた歌でした。とても居心地が悪かったです。周りが明るければ明るいほど、自分の 暗さ惨めさが浮き彫りにされたからです。しかし、その集会でイエス様が僕のことを愛し ていてくださっていること、こんな僕のために十字架にまでかかってくださったことを思 い返し、イエス様を受け入れました。そこで人生 180 度変えられました。今までは人と話 すのが嫌いだったのに、 イエス様のことを伝えたいという人に変えられました。それでも、 まだ完全になったわけではなく、まだまだ欠けだらけの僕ですが、イエス様をそのところ にお迎えするたび、変えられていきます。 イエス様はわたしたちの劣等感の重荷を取り去ってくださるのです。 1