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守られて生きる - 金城学院大学

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守られて生きる - 金城学院大学
守られて生きる
生活環境学部教授 櫻 井 のり子
マタイによる福音書 11:28 ~ 30
疲れた者、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげ
よう。わたしは柔和で謙遜なものだから、私の軛を負い、私に学びなさい。そう
すればあなたがたは安らぎを得られる。私の軛は負いやすく、私の荷は軽いから
である。
先ほどお読みいただきました聖書の箇所は私の好きなところです。多くの教
会でも新しく来る人用にこの言葉が掲げられることもあります。
重い軛を負って働かされて、疲れ果てている人たちに対してイエス・キリス
トは、さあ私のところに来なさい。休ませてあげましょうと呼びかけられまし
た。
軛というのは、牛やロバの首につけて、田を耕すすき、車を引かせるための
道具のことです。聖書の中では政治的屈服や隷属、罪の重荷などを大変苦しい
思いをすることなどを表しているそうです。しかし、イエスさまの軛-神への
奉仕-イエス様の教えを守ることだと思いますが、それは決して難しいことで
はなく軽くて負いやすいと語られています。
私がイエス・キリストの救いにあずかった-すなわち洗礼を受けて信仰を持
つようになったのは16年前で比較的新しいことですが、私は本日お読みしたと
ころにあらわされているイエス様の愛に導かれたのだと思っています。本日は
このイエス様との出会いとお導きについて私の体験を証したいと思います。
私は子供のころアメリカ軍の基地があった町で育ち、アメリカ人宣教師のい
る教会に友達と一緒に通っていました。第2次世界大戦が終わって間もないこ
ろで、クッキーなどの珍しいお菓子が食べられ、紙芝居も見せてもらえる-こ
れは聖書のお話でしたが-そういうまったく異次元の空間でした。その後、
徐々に普及してきたテレビではアメリカのホームドラマが盛んに放映され、芝
生の庭に瀟洒な住宅やインテリアにアメリカってすごいなと思う気持ちとアメ
リカ人宣教師のいる教会が重なって見えました。親たちもこれからの時代は英
語などのアメリカ文化の吸収も必要と喜んで送り出してくれていたように思い
ます。クリスマスのお祝いも初めての経験だけれどおいしいお菓子と主イエス
キリストの誕生劇を皆で演じました。普段は大した楽しみもない中で教会の日
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曜日は本当に楽しみでした。私は現在生活環境学部で住生活やインテリア家具
の歴史の授業などを担当していますが、このころのアメリカ文化との出会いが
のちの職業というか専門分野を選択することに影響したのではないかと思って
います。しかし、中学生になるとだんだんクラブや友達との付き合いが忙しく
なる中で教会から遠ざかっていきました。また、中学から大学にかけての1960
年~1970年ごろは政治的にも激動の時代で、安保問題、ベトナム戦争が大きな
テーマとなっていました。高校時代にはクラスで当時激しくなっていたベトナ
ム戦争-アメリカのベトナムへの介入-に反対する劇を上演したりしていまし
た。大学時代には大学紛争を経験しました。大学紛争というと皆さんには想像
できないかもしれませんが、大学の古い体質に対して多くの教職員や学生が大
学の民主化を求めて戦ったのです。私はそのような運動の中心になるほどの力
量はありませんでしたが、アメリカとの安保条約問題、ベトナム戦争、大学紛
争と社会の問題に新鮮さを覚え大いに共感し、街頭デモにも頻繁に参加してい
ました。教会の事はすっかり過去のこととなっていました。1968年、東大紛争
に象徴されますが、全国の多くの大学とともに私の通っていた大学でも大荒れ
に荒れ、半年間授業のない時期がありました。東大では1969年の入学試験が中
止されたほどです。このころの大学の雰囲気は人気作家村上春樹氏の小説「ノ
ルウエイの森」にも出てきますので、関心のある方は小説を読んでください。
学生運動に参加する、しないに関係なく全ての学生がその影響を受け、渦に巻
き込まれていたといっても過言ではありません。授業を満足にうけられなかっ
た反面、社会のことがらを判断する基準はその時代にもまれた影響を大いに受
けているのではないかと思います。
その後、大学紛争の終息とともに私の社会人としての生活もスタートしまし
た。大学紛争に明け暮れたような学生生活の中で、私は就職活動らしいことも
せずにいましたが、偶然に国立の工業高等専門学校の文部教官助手という教育
研究職のポジションが与えられました。成績が優秀ともいえない私ですが、優
秀なクラスメートはみんな就職が決まっていたものですから、残っていた私に
回ってきたのです。私は、先にお話ししたような大学生活を送りましたから社
会に出る自信もないので大学院生として大学に残ることも視野に入れながら考
えていたのですが、教授のすすめで高専に就職したのでした。その後、ここで
18年間建築学科の設計教育などに当たりました。また生涯のパートナーとなる
夫と出会い、共働きでの子育ての期間もここで過ごさせてもらいました。就職
後18年がたったころ、大きな転機を迎えました。夫がアメリカに派遣されるこ
とが決まったことと、自分自身の能力に限界を感じ始めたことで退職を決めま
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した。この時点ではその後のことは全く未定でしたが、母校の大学院への進学
とアメリカへの同行を同時にすすめました。夫が客員研究員となった大学で私
は家事の合間を見てインテリア家具の授業を受けたりしました。当時、日本で
はインテリア家具の歴史という教科を専門に教えているところはあまりなかっ
たので興味を持ちました。偶然にも先生は日本人で大変よく面倒を見ていただ
くことができました。また、このアメリカ滞在で予期せぬ教会との出会いがあ
りました。夫が所属していた土木工学科の先生がクリスマスシーズンの教会に
連れて行ってくださったのです。活気にあふれ、子どものころを思い出しまし
た。また、多くのボランティアの人々の働きも印象に残りましたので、帰国後
はまず、国際交流のボランティア活動に加わりました。この中で多くのクリス
チャンの方々との出会いに恵まれることになります。また、驚くことに私が金
城学院大学への就職の話が起こり、採用されました。新しい分野であるインテ
リアデザイン教育を担うということでしたが、とても不思議な気がしました。
思いがけない機会を与えられたのです。教員の聖書研究会への出席も楽しみで
した。
私が子供のころ、イエス様と出会っていたことについては先にお話ししまし
たが、夫の方も大学院を出たころにイエス様との出会っていたのです。私たち
はまだ互いに知りあっていない時ですが、大学の助手となった夫は就職直後に
結核にかかっていることがわかり、約1年間の療養を余儀なくされたのです。
療養期間中、彼は三浦綾子の文学に出会いました。三浦綾子は文学を通しての
伝道師といわれる人ですが、夫も三浦文学を通してキリスト教に惹かれるよう
になったそうです。実は彼も大学紛争を経験しており、似た者同士ともいえま
す。
アメリカから帰国したのちにボランティア活動の中でクリスチャンの方との
出会いに加え、ある出来事が私たちに大きな決断をさせました。夫が体調を崩
し、救急車で病院に運び込まれたのです。知らせを受けて病院に向かった私に
対し、夫は退院したら教会に行こうと思うといいました。私は不思議でした
が、抵抗感は全くなく、ああその時が来たのだなと思いました。私たちはとも
に1960年代の大学生活の体験から、弱者の立場に立てる人間でありたいと願う
ものであったと思います。そして信仰を持つこととそのことがようやく結びつ
いたのです。思えば、ずいぶん時間がかかったのですが、一番納得いくところ
に身を置くことができた思いがします。それぞれがイエス様を知ってから、回
り道しながら本当に納得して信仰の道を選びとるまでなんと神様は忍耐強く見
守ってくださったのだろうと思います。私が不思議という言葉を何度か使いま
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したが、本当に不思議なことが何度も重なる中で確信を深めていきました。子
供のころにクッキーに魅せられて教会に通ったこと。教会から離れ学生運動
に魅力を感じながら就職し、同じような境遇の人と結婚、アメリカに滞在する
チャンスを与えられる中で再び教会に出会ったこと、キリスト教主義の本学で
の仕事を与えられたこと、ボランティア活動の中でクリスチャンの方々との出
会い、病気の失意の中での信仰への決意など偶然ではなくすべて神様のご計画
のうちにすすめられ、守られていたように思います。
神様は本当に疲れた人、弱い人にこそやさしい方であると確信し、そういう
点がとても気に入っています。
最後に皆さんにもう一つお伝えしたいことがあります。クリスチャンのシン
ガーソングライター岩淵まことさんの歌の中の言葉です。
「強いものが集まったよりも弱いものが集まった方が真実に近いような気がす
る」
「幸せが集まったよりも不幸が集まった方が愛に近いような気がする」
誰でも弱くなったり、不幸せにはなりたくないというのが正直なところです
が、実はそういう時ほど真実の神の愛が見えてくるということです。疲れた人、
弱った時、やさしいイエス様の愛に甘えてもいいのです。マタイによる福音書
5章3節は心の貧しい人々は幸いである、天国はその人たちのものである。
心細く思うひとたちこそ神様はいつくしまれるということという意味ですが、
私はこういう神様の愛が大好きです。
私は自分自身がさまざまなこと-弱さも感じてようやくイエス様の懐に入っ
たと思いますので、今日この場におられる皆様もいつの日か心が弱くなること
もあるかと思いますが、そんな時にはイエス様の言葉を思い出してくださいま
すようにとお伝えしたいと思います。
2013年11月5日 秋の伝道週間 昼の礼拝
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