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交通の自由、 思想の運輸 - 東京大学学術機関リポジトリ
東京大学 日本史学研究室紀要 第 五号 二〇〇 一年 三月 交 通 の自 由 、 思 想 の運 輸 はじめに ﹁文 化 の市 場 "交 通 す る﹂ と は 、 ﹃ 越 境 す る 知﹄ と 題 す る シ リ ー ズ 東 島 誠 上 し つ つふた た び 潜行 し て い った 精 神 史 の 一断 面 を 照射 す る こと を 目 標 と す る。 そ こ でま ず は じ め に、 名 詞 形 のも つ 二 つ の側 面 に つ いて 、 筆 者 の考 え を 述 べ てお き た い。 名 詞形 の成 立 は、 第 一には そ の概 念 によ って表 象 さ れ る 世 界 の成 熟 を 示 す 。 そ れま で にな か った 問 題 領 域 が 可 視 のも のと し て実 体 化 さ れ 、 (1 ) 第 5巻 の書 名 で あ る 。 こ こ で ﹁よ み が え る﹂ ﹁つむ ぎ だ す ﹂ ﹁切 り 裂 認 識 可能 と な った こと の歴 史 的 な 証 し であ ると 言 っても よ い。 例 え ば が 、 こ の名 詞 形 の使 用 に対 し て は当 時 、異 議 が申 し立 て ら れ た ほど で ド イ ツ語 の名 詞Offentlic成h立 kし eた it のが は 十 八 世 紀 の こ と であ る く ﹂ ﹁壊 し築 く ﹂ ﹁交 通 す る ﹂ ﹁越 境 す る ﹂ と いう よう に、 全 巻 に 亘 っ 調 であ る と は 言 え 、 編 者 た ち の目 指 すtransgreなs知 sに iと ve って 、 あ った 。 つま り 、Offentli とcいh うk名e詞 i形 t の成 立 自 体 が 、 ︿ 事件﹀ て動 詞 形 が 書 名 に あ し ら わ れ た こ と は 、 いか に も 原 語 の 判 じ易 い翻 訳 ま こと に相 応 し い試 み と 言 え る だ ろう 。 わ け ても ﹁交 通 す る ﹂ は 、 今 性 を 帯 び て いた の であ る 。Offentli のc 語h源kは e、 iも tち ろん形容 詞 れ て いた サ 変 動 詞 であ った 。 そ こ か ら活 用 語 尾 が 取 れ て語 幹 のみ が 延 し か し な が ら こ の ﹁交 通 す る﹂ と は 、 明 治 期 には ご く 普 通 に 用 いら 世 紀 に ﹁国 家 の﹂ と いう 意 味 を 帯 び 、 十 八 世 紀 に いた って よう や く た 概 念 で あ った 。形 容 詞offent はl十i六 c世 h紀 に 成 立 し て 以 降 、 十 七 であるが o、 f実 fは en こt のl 形i容 c詞 hも ま た 、歴 史 的 に 陶 冶 さ れ て き ︹3 ) 日 一般 には 用 いら れ な い動 詞 形 だ け に、 ひと き わ 新 鮮 に 響 く 。 命 し 、 ﹁交 通 ﹂ と いう 名 詞 形 で し か 用 いら れ なく な った の は 、実 は つ ﹁万 人 に開 か れ た﹂ と いう 意 味 を 獲 得 す る に いた る の で あ る 。名 詞 形 の成 立 は 、O こfのf語e史 nを t集 l約 ic しh てk あeまiり tあ る 。 (4 ) い最 近 の こと な のであ る。 名 詞形 と は な に か。 本 稿 は こ の素 朴 な 問 いか ら出 発 し て、 明 治 に浮 1 いや そ れ ど こ ろ か 、 既存 の価 値 体 系 そ のも のが 、記 号 表 現だ け 新 し い 緊張 感 、 既存 の価 値 への批 判精 神 は 、後 景 に 退 いて いく こと にな る。 自 然 に のぼ る よう に な る 反 面 、 そ の概念 が成 立 し た当 初 の張 り 詰 めた る概 念 が名 詞 形 を 得 る こ と に よ って急 速 に普 及 し 、人 々 の意 識 に ごく し か し他 面 、名 詞形 の成 立 は 、概 念 の値 崩 れ の始 ま り でも あ る。 あ ノ自 由 ヨリ甚 シキ ハア ラザ ル ナ リ。 吾 憐 ハ今 日 二至 ル マデ巳 二幾 二於 テ特 二尤 モ重 ンズ ベキ モ ノ ハ未 ダ必 シ モ集 会 、 結 社 井 二交 通 対 揚 スル ノ任 ヲ達 ス ル ノ図 ヲ効 サ ザ ル可 ケ ン乎 哉 。 然 カ モ只 此 間 我 廟 堂 ノ吏 ト我 江 湖 ノ民 ト ハ量 一日 モ其 経 画 ノ責 ヲ尽 シ其 聖 旨 二 乃 チ将 サ ニ ヒ ニ立 憲 政 体 ヲ興 サ ント 為 シ給 フ マデ ニ及 ピ タ リ。 今 也 我 皇 上 ハ巳 二詔 ヲ発 シ テ議 員 ヲ召 シ国 会 ヲ開 ク ノ期 ヲ定 メ、 結 社 等 ノ自 由 ヲ藪 論 シ、 乃 チ自 由 ノ罪 人 タ ル ニ陥 ル ナキ ヲ謀 ラザ 看 板 を装 う よう に な る こ とも 珍 しく な い。 こ こ に いた って批 判 の牙 は、 こう し た事 情 は 、 日本 語 の場 合 にも 凡 そ あ て はま る ので はな いか。 ル ベ カ ラザ ル ナ リ。 夫 レ人 ノ相 集 会 シ相 結 合 シ相 往 復 シ相 聯 絡 ス タビ モ 此事 ヲ論 ゼ シ コト ア ル ニモ関 ハラズ 更 二勉 メ テ斯 ノ集 会 、 本 稿 が 、 明治 期 に は サ変 動 詞 と し て普 通 に 通 用 し な が ら、 現 在 名 詞 で ル ガ如 キ 、凡 ソ民 人 ノ自 他 相 交 通 ス ル コト ハ是 レ其 民 人 二関 シ、 も の のみ ご と に 引 き抜 か れ てし まう ので あ る 。 し か 用 いら れ な く な った ﹁ 交 通﹂ を 取 り 上 げ る のは 、 そ こ に名 詞 形 " 人 人生 ト 及ビ 吾 人 ノ社 会 ト ニ要 ス ル所 タ ラザ ル コト ノ ア ラ ンヤ 。 其 政治 社 会 二関 シ、 其 道 徳 社 会 二関 ス ル コト 殊 二甚 ダ広 大 ナ ラザ と こ ろ で筆 者 は 、 す でに 一九 九 四年 度 の日 本史 研 究 会 大 会 シ ン ポジ 冒頭 に言 う ﹁詔 ﹂ と はも ち ろ ん、 前 年 十 月 に出 さ れ た 国 会 開 設 の詔 ︿実 体 化 ﹀ の圧 倒 的 な 猛威 の前 に窒 息 し て い った 、 社 会 関 係 の 一つの ウ ム に お い ても 、 や は り今 日動 詞 では 用 いら れな い ﹁公 共 す る﹂ に光 勅 の こ と であ り 、 こ れ を 受 け て植 木 が 、改 め て ﹁民 人 ﹂ 目 ﹁江 湖 ノ ル ハ莫 シ ト ス。 夫 レ其 集 会 、 結 社 井 二交 通 ノ自 由 ハ争 デカ 太 ダ 吾 を当 て、 日 本 的 ﹁公 共﹂ 概念 の析 出 過程 を 論 じ て いる 。 そ こ で は今 日 民 ﹂ に よ る集 会 ・結 社 ・交 通 の自 由 の必 要 性 を 訴 え た も の で あ る。 可能 性 を 見 る か ら に ほ か な ら な い。 的 な ﹁公 共﹂ の語義 が いか に し て形 成 さ れ て き た かを 論 じた のであ る ﹁吾 憐 ハ今 日 二至 ル マデ 已 二幾 タ ビ モ此 事 ヲ論 ゼ シ コト ア ル ニ モ関 ハ (5 ) が 、 む し ろ 本稿 は そ れ と は逆 に 、今 日 的 な ﹁ 交 通 ﹂ か ら は削 ぎ 落 と さ め にも 、 以 下 、 そ の思 索 の痕 跡 を 復 原 し て いく こと にし た い。 と の緊 張 感 のな か で陶 冶 さ れ た も の であ る。 こ の時 代 精 神 に触 れ る た り 、集 会 条 例 か ら明 治 十 四年 の政 変 、 国 会 開 設 の詔 勅 に いた る、 現 実 ど の論 陣 を 張 ってき た こと を 指 す 。 植 木 の言 う ﹁交 通 ノ自 由 ﹂ は つま ノ友 欲 ヲ妨 グ ル時 ハ国 家 ト 各 人 ト ニ害 ヲ与 フル コト 大 ナ ル ヲ論 ズ ﹂ な (8 ) 新 聞 紙 上 で ﹁出 版 演 説 ノ 自 由 ニセ ザ ル可 カ ラ ザ ル ヲ論 ズ ﹂ ﹁政 府 人 民 (7 ) ラズ ﹂ と あ る の は、 一八 八 〇 年 ( 明治十 三)四 月 の 集 会 条 例 に抗 し て、 植木枝 盛と明治 十年代 れ てし ま った 部 分 に 注 目 し よう と いう わ け であ る 。 I ﹁ ( 凡1 ソ) 民 人 ノ自 他 相 交 通 ス ル コ ト ハ﹂ 植 木 枝 盛 が 一八 八 二年 ( 明治 十 五)十 一月 に ﹃ 自 由 新 聞﹄ 紙 上 に発 (6 ) 表 した論説 ﹁ 集 会 結 社并 ニ交 通 ノ自 由 ヲ 論 ズ ﹂ は 、 ﹁交 通 ノ 自 由 ﹂ と いう 、今 日 耳 慣 れ な い ︿ 自 由 ﹀ の概念 を 提 示 し て いる 。 2 等 の権義 を妨 害 す る こ と あ ら ば専 横 圧抑 の暴 政 た るを 免 か れざ 会 す る の権 義 、奉 教 自 由 の権 義 は禁 制 す べ か らざ る也 。 若 し 此 一、 上梓 演 説 等 に由 て思 想 論 説 を 交 通 す る の権 義 、 人 民 静 穏 に集 植 木 枝 盛 は ﹁集 会 結 社 井 二交 通 ノ自 由 ヲ論 ズ ﹂ に お いて 、 ﹁交 通 ノ るなり。 植木 (枝 2盛 )に お け る ﹁交 通 ノ 自 由 ﹂ の 前 提 自 由 ﹂ の 概念 を ﹁米 人 リ ー ベ ル氏 ﹂、す な わ ち フ ラ ン シ ス ・リ ー バ ー であ る。 こ の訳 文 は 実 に 、 一八 七 六 年 ( 明治九)、 木 庭 繁 が ﹁シ ビ ルリ 右 の引 用 文 に つい ては 、 ど う や ら 植 木 の依 拠 し た 引 用 出 典 が 明 ら か (9 ) か ら得 た と し て いる。 リ ー バ ー著 ﹃ 自 治 論 ﹄ 上 之 巻 が 林 董 の訳 で出 版 さ れ た のは 、 一八 八 〇年 ( 明治十三) 三 月 の こ と であ り 、植 木 は 同 年 (10 ) 外国移住﹂ 第 七 条 と 一致 し て い る の であ り 、 つづ く 十 七 ・十 八 条 の訳 文 に つ い て ベ ル チ ー﹂ から 引 用 し た ﹁仏 国 憲 法 中 人 民 ノ権 義 ヲ公 布 ス ル ノ文 ﹂ の 居動 (communion, も 、 こ れ に拠 って い る。 だ と す れ ば 一七 九 一年 憲 法 では な く 、 一七 九 七 月 に こ れを 購 入 し て いる。 同 書 第 九 章 は ﹁交 通 と は 間違 いあ る ま い。 し か し な が ら植 木 は 、 リ ー バ ー著 ﹃ 自治論﹄ の 三年 山岳 党 憲 法 にお け る権 利 宣 言 の はず な のだ が、 そ れ は さ て欄 く こ locomot) io でn あ, り 、eこ mれ iに g触 r発 at さi れo たnこ 公 刊 に よ って 初 め て ﹁ 交 通 ノ自 由 ﹂ の問 題 を 識 った わけ で はな か った。 未 だ ﹁交 通 ノ自 由 ﹂ な る表 現 そ のも の は 登場 し て いな い、 と いう 点 で (U ) そ こ で ま ず 、 植 木 に お け る ﹁交 通 ノ自 由 ﹂ の初 見 を確 認 し て お こう 。 あ る 。 さ き に 指 摘 し た集 会 条 例 に抗 す る新 聞論 説 に お いても 、同 年 十 へ 権 自 由 論 ﹄ (一八 七九 年 三月 序 、 四月 刊 ) に は 、 未 だ ﹁交 通 ノ 自 由 ﹂ の 概 二月 の ﹁政 府 人 民 ノ友 欲 ヲ妨 グ ル 時 ハ国家 ト各 人 ト ニ害 ヲ与 フル コト ヘ 念 は 見 ら れ な い。 実 は ﹃ 言 論 自 由 論 ﹄ (一八七九年十 二月序、八〇年 七月 大 ナ ル ヲ論 ズ ﹂ に は ﹁交 通 ノ自 由 ﹂ が は っき り と 登 場 す る が 、 こ れ に ヘ 刊) にお いて初 め て ﹁交 通 ス ル ノ権 義 ﹂ の語 が 登 場 す る の で あ る 。 植 先 立 つ六 月 の ﹁出 版 演 説 ノ 自 由 ニセ ザ ル可 カ ラザ ル ヲ論 ズ ﹂ に は 、未 ヘ と に し よう 。 む し ろ こ こ で注 意 し た いの は、 右 の 二 つの引 用 文 には 、 木は ﹃ 言 論 自 由 論﹄ の末 尾 に お い て、 ﹁今 日 欧 米 ノ国 々 ノ如 キ ハ則 大 だ ﹁交 通 ノ自 由 ﹂ は 登 場 し て いな い の であ る 。 従 って ここ か ら 、 リ ー ( U) 植 木 枝 盛 の ︿自 由 ﹀ に 関 す る 纏 ま った 著 述 のな か でも 、 例え ば ﹃民 抵 人 民 ガ言 論 ノ自 由 権 ヲ確 定 セザ ル コト ハナ ク﹂ と し て、 各 国 憲 法 を 仏 国 某 ノ代 二定 メ タ ル憲 法 中 ニ ハ、 上梓 演 説 等 二由 テ思 想 論 説 ヲ ズ ﹂ に お け る ﹁交 通 ﹂ の用 例 と は 、 次 のよ う な も の であ った 。 であ ろう 。 そ も そ も 六 月 の ﹁出 版 演 説 ノ自 由 ニセザ ル可 カ ラザ ル ヲ論 バー ﹃ 自 治 論 ﹄ 購 入 の前 後 に、 は っき り と 一線 を 引 く こと が 許 さ れ る (12 ) 列 挙 し て いる が、 そ こ に は次 の よう に見 え る。 交 通 スル ノ権 義 、 入 民静 穏 二集 会 スル ノ権 義 、 奉 教 自 由 ノ権 義 ハ (一八八〇年 五月序 、 右 は ﹁仏 国 某 ﹂ と いう 、 いか に も 杜 撰 な 引 用 で、直 接 の出 典 を 詳 ら 考 フ ル ニ、 人 民 タ ル者 政治 ノ 思想 ヲ交 通 スル区 域 ノ狭 小 二帰 セ ル 二在 ルカ 、吾 椚 固 ヨリ之 ヲ識 ラズ ト錐 モ 、只 其 実 事 上 二於 テ之 ヲ ラ ル ・二至 レ リ。 而 シ テ政 府 ノ如 レ此 条 例 ヲ設 ク ル其 意 果 シ テ何 然 ル ニ演 説 ノ如 レ此 二行 ハ ル ・ヤ、 政 府 ハ更 二集 会 条 例 ヲ発 行 セ (51 ) 禁 制 ス可 カ ラザ ルナ リ 、若 シ 此等 ノ権 義 ヲ妨 害 ス ル コト ア ラ バ、 か にし な いが 、 つづ く ﹃ 民権自 由論 二編﹄甲号 専 横 圧抑 ノ 暴 政 タ ル ヲ免 カ レ ザ ル也 ト ノ条 ヲ定 メ、 ( 後略) 八 二年二月刊) には 、 ﹁ 仏 蘭 西 一千 七 百 九 十 一年 の憲 法 中 ﹂ か ら の 引 用 コト ハ則 論 ヲ待 タズ シ テ然 リ ト ス ル也 。而 シ テ今 夫 人 民 タ ル者 二 (13 ) と し て、 他 の条 文 と と も に次 の 一条 が 挙 げ ら れ て いる 。 3 ズ 、 之 ヲ研 究 ス ル コト 能 ハザ レ バ 之 ヲ進 歩 ス ル コト能 ハズ 、 且 ツ シ テ政 治 ノ思 想 ヲ交 通 ス ル コト 能 ハザ レバ 之 ヲ研 究 スル コト能 ハ 何 よ り も 男 女 間 の肉 体 の ﹁交 通﹂ であ った 。 ﹃日 本 霊 異 記 ﹄ に、 弓 削 議 論 にも 相 応 し て い るわ け だ が 、 実 は 古 来 、 ﹁交 通 ス ル﹂ と 言 え ば 、 性 ノ 欲 ﹂ の 一方 で ﹁ 形 骸 ノ要 求 二関 ス ル肉 体 ノ欲 ﹂ が あ った、 と す る (お ) 其 政 治 上 ノ思 想 ヲシ テ相 通 ズ ル能 ハザ レバ 則全 国 一致 スル コト能 道 鏡 が ﹁与 二皇 后 一同枕 交 通 、 天 下 政相 摂 、治 二天 下 こ と あ る の は よく つま り 、 植 木 の言う ﹁交 通 ノ自 由 ﹂ と は 、端 的 に言 え ば ︿ 他者﹀と き ょう つう ハズ 、 固 結 ス ル コト 能 ハザ ル可 ク シ テ、 政 府 ハ政 府 ノ ミ ノ 政府 ト 知られるところであるし、﹃ 今 昔 物 語 集 ﹄ の説 話 には 、 ﹁即 チ寝所 二入 テ、 こ れ は ま さ に 、 ﹁上 梓 演 説 等 に由 て 思 想 論 説 を 交 通 す る の権 義 ﹂ に の ﹁結 合 ノ 欲 ﹂ で あ り 、 さ ら に こ れを ﹁肉 体 ノ欲 ﹂ か ら ﹁理性 ノ欲 ﹂ (π ) ナ リ 人 民 ハ人 民 ノ ミ ノ人 民 ト ナ リ 、 全 然 脈 絡 ヲ絶 シ テ国家 ノ為 メ 娘 ト交 通 シヌ﹂﹁ 此 レ未 ダ不 レ習 ズテ、 交 通 ノ間 痛 ム也 ﹂と いう 用 例 も あ る。 ほ か な ら な い。 こ の段 階 では 、 植 木 は フ ラ ン ス憲 法 し か 見 てお ら ず 、 へと 敷 街 し 、 昇華 し たも のであ った 。 そ し て 冒頭 に見 た論 説 ﹁集 会 結 (B ) ニ益 タ ル コト 靡 カ ル ベシ 。 未 だ ﹁交 通 ノ自 由 ﹂ と ま では 分 節 さ れ て いな か った の であ る 。 社 井 二交 通 ノ自 由 ヲ論 ズ ﹂ に お いて は 、 つ いに ﹁人 ヲシ テ他 ト相 往 来 害 ヲ与 フ ル コト 大 ナ ル ヲ論 ズ ﹂ は 、 ﹁人 ノ 情 欲 ﹂ のう ち ﹁理 性 ノ欲 ﹂ 一八 八 〇 年 十 二月 の ﹁政 府 人 民 ノ 友 欲 ヲ妨 グ ル 時 ハ国家 ト各 人 ト ニ シ ﹂ と いう よ う に 、文 字 通り ︿ 他 者 ﹀ の概 念 が芽 生 え る に いた る の で 相 聯 絡 ス ル コ ト ナ ケ ン乎 ﹂ ﹁叢 二始 テ 自 他 相 打 テ 一ト ナ ル ノ 帰 ヲ為 他 ノ事 ヲ視 、 聴 、 覚 知 セ シ ム ル﹂ ﹁ 夫 民 人 ヲ シ テ他 人 ト 相 隔 絶 シ 曾 テ 交 通 ス ル コト ﹂ ﹁ 社 会 ノ人 々 ヲシ テ大 二広 ク 相 往 来 交 通 セ シ メ互 二自 と し て ﹁結 交 ノ欲 ﹂ な る も のが 存 在 す る こ と 、 そ し て ﹁人 民 ノ集 会 結 あ る 。 こ こ に は今 日 見 失 わ れ が ち な 、 ︿ も う ひ と つの交 通 ﹀ の概 念 が ﹁交 (通 3) ノ自 由 ﹂ 受 容 の光 と 影 社 ス ル コト ハ是 レ結 交 ノ欲 ヨリ 根 由 シ 来 ル﹂ こと を 指 摘 し た点 で、時 と こ ろ が 、 そう 楽 観 も し て いら れな い。 さき に見 た ﹃ 民権自由論 二 息 づ い て いる と 言 って よ い。 ﹁人 民 ガ 交 通 二関 ス ル自 由 即 チ往 来 、 集 会 、 結 社 等 ノ自 由 権 利 ヲ妨 害 編﹄ 甲 号 には 、 ﹁上 梓 演 説 等 に由 て思 想 論 説 を 交 通 す る の権 義 ﹂ の引 期 を 画 す る 意 義 を 持 つ。 ﹁結 交 ノ欲 ハ人 間 天 然 ノ賦 稟﹂ な の であ り 、 束 縛 ス ル コト ﹂ は こ の ︿自 然 権 ﹀ を 躁 躍 す る こと であ る 、 と いう わ け 用 と は 別 に ﹁往来 交 通 の自 由 権 ﹂ な る概 念 が登 場 し て いる のだ が、 こ こ で言う と こ ろ の ﹁交 通 ノ自 由 ﹂ はと 言 え ば 、 こ れ が実 に常 識 的 と い であ る 。 そ し て こ の ︿自 然 権 ﹀ の承 認 の上 に 、 ﹁交 通 ノ自 由 ﹂ は 、 ﹁人 民 ノ結 往 来 交 通 の自 由 権 と は 己 れ が欲 す る所 に往 来 游 歩 し、 又は 他 人 と う ほ か な い。 政 府 ニシ テ若 シ モ甚 シク 人 民 ノ 結 合 ヲ妨 グ ルガ 如 キ コト アラ バ 、 往 来 通 信 を為 す の自 由 に し て 、或 は自 身 に旅 行 を 為 し て他 所 に往 合 ﹂、 す な わ ち ソシ アビ リ テ の概 念 と な る。 猶 ホ カ ノ男 女 ノ情 死 ノ如 キ ノ モ ノ ヲ生 ジ 来 ル ベシ 。 即 チ自 由 ト情 き 、 或 は 他 人を 誘 て我 家 に来 ら し め 、或 は手 紙 を 遣 り 取 り し 、 又 は 其 他 の文書 を 差 送 り 、或 は電 線 を 以 て音 信 を 通 じ杯 す る に皆 我 死 ス ル モ ノ ヲ生 ズ ベキ ナ リ 。 こ の讐 え は 絶 妙 であ る 。 ﹁人 ノ情 欲 ﹂ に は ﹁ 心 才 ノ要 求 二関 ス ル 理 4 も ま た十 分 に達 す る に由 しな く 、 大 に幸 福 に関 係 す れ ば 固 よ り 必 杯 と は自 ら 脈 絡 を 通 じ 、 若 し 此 の自 由 な け れ ば 言 論 出 版 の自 由等 運 送 す るを も 自 由 にす る の権 利 を 云 ひ、 上 の言 論自 由 、 出 版自 由 許 さ " るも の に 開封 楡 読 せ ら る ・等 の事 な く 、 井 に 其 他 の諸 物 を 心 に楯 て之 を 為 し 、 曾 て他 よ り 障 碍 せ ら る ・な く 、若 く は 己 れ の 自 由 権 ﹂ ﹁結 社 の自 由 権 ﹂ ﹁ 宗 旨 を信 奉 す る の自 由 ﹂ の七 つがあ り 、 そ 由 権 ﹂ ﹁言 論 の自 由 権 ﹂ ﹁出 版 の自 由 権 ﹂ ﹁往 来 交 通 の自 由 権 ﹂ ﹁会 合 の な り 、 さ ら に ﹁人 生 自 由 の権 ﹂ を 構 成 す る も のと し て は 、 ﹁思 想 の自 は ﹁身 命 保 全 の自由 権 ﹂ ﹁人 生 自 由 の権 ﹂ ﹁財 産 自 由 の権 ﹂ の 三綱 から 由 権 ﹂ と ﹁公事 上 の自 由 権 ﹂ と に大 別 さ れ、 う ち ﹁私 事 上 の自 由 権 ﹂ 付 け 加 え ら れ て いる 。 か く し て ﹁ 往 来交 通 の自 由権 ﹂ が 、他 の自 由 権 の他 ﹁行事 の自 由﹂ ﹁住 所 を 自 由 にす る の権 ﹂ ﹁住 居 を 守 る の権 利 ﹂ が つま り こ こ で の ﹁交 通 ﹂ と は 、 ﹁往 来 通 信 ﹂ あ る いは ﹁運 送 ﹂ の謂 と は 区 別 さ れ る 独 立 のカ テゴ リ ー と し て 、初 め て植 木 のな か に像 を 結 要 の自 由 権 で御 座 り ま す る が、 ( 後 略) いであ り 、 ほ ぼ今 日言 う と こ ろ の ﹁交 通 ﹂ に等 し い。 平 易 な 口語 文 で ぶ に いた った の であ る 。 ﹃民 権 自 由 論 二 編 ﹄ 甲 号 は、 そ の序 文 こそ リ ー バ ー ﹃自 治 論 ﹄ 購 入 リ ー バー ﹃自 治 論﹄ の、 右 述 の意 味 で の ︿再 生産 ﹀ は 、実 は小 野梓 の こう し て相 貌 を 顕 し つ つあ る 今 日 的 な ﹁交 通 ﹂ の概 念 で あ る が 、 ( ⑲) 書 か れ て いる こと も あ って、 な お さら そ の感 が強 い。 以前 の ﹁明 治 十 三年 五月 ﹂ 付 け と な って いる が、 前 項 の分 析 を 踏 ま え ﹁ 郵 便 ﹂ 論 にも 及 ん で いた 。 ヘ へ 二つ (の 1) 演説の間 小I 野I 梓の場合 るな ら ば 、 こ こ で言 う ﹁往 来 交 通 の自 由 権 ﹂ と は、 当 然 リー バー ﹃自 治論 ﹄ の影 響 下 にあ る はず であ る。 な ら ばな ぜ、 す で に見 てき た ﹁交 通 ノ自 由 ﹂ と は異 な った ト ー ンを 帯 び て いる のだ ろう か 。 お そ ら く こ れ は 、次 の よう な事 情 に よ るも の で はな いか 。 す な わ ち ヘ 植木 は まず 、 フラ ン ス憲 法 か ら の翻 訳 概 念 と し て ﹁思 想 論 説 を 交 通 す 明 治 十 四年 の政 変 で大 隈 重 信 に 従 って下 野 し た 小 野梓 は 、 翌年 鴎渡 (20 ) る の権 義 ﹂ を 知 った。 し か し こ の ︿ 自 由 ﹀ の概 念 が 植 木 自 身 の肪 に落 へ 会 を 率 いて立 憲 改 進 党 創 立 に参 加 、 大 隈 のブ レー ンと し て活 躍 し た 。 ヘ ち た のは 、 リ ー バ ー ﹃ 自 治 論 ﹄ に よ って であ る 、と 。 植 木 の ﹁交 通 ノ そ の 小 野 が 、 一八 八 二年 ( 明治 十五)十 月 か ら 十 一月 に か け て 東 京 明 ( 22 ) 自 由 ﹂ 論 が新 鮮 に響 く の は 、 こ の臆 に落 ち た部 分 と 臆 に落 ち き ら な い 治 会 堂 で行 な った 演 説 ﹁論 二外 交 こ ﹁論 郵 便 こ に は、 植 木 同 様 、 ﹁交 ( 飢) 異質 な 要素 と が輻 藤 し 、縦 横 に交 錯 し て いる た め であ ろう 。 と す るな へ 通 の自 由 ﹂ への言 及 が 見 ら れ る が 、 注 意 し な け れ ば な ら な い のは 、僅 ヘ ら ば 、 こ の植 木 な り の 合 点 の いき 方 ( 再生産された テク スト) には 、 充 か ひと 月 足 ら ず のう ち に行 な わ れ た こ の 二 つ の演 説 の間 に 、 ト ー ン の ヘ 分 注意 を 払 った方 が よ い。 ま ず ﹁論 二外 交 一 ﹂ で の ﹁交 通 の自 由 ﹂ への言 及 に つ い て言 え ば 、 そ 変 化 が見 ら れ る こと であ る。 概 略 ﹂ と いう 一節 に お い て で あ った 。 植 木 の整 理 に よ れ ば 、 ﹁天 然 無 れ は い さ さ か 付 随 的 な も の で あ った 。そ こ で は、 数 あ る ﹁国 政 の弊 植木 が こ の、 極 め て今 日 的 な ﹁ 交 通 ﹂ を論 じ た の は、 実 は ﹁自 由 の 限 の自 由 ﹂ と 区 別 さ れ る ﹁社 会 の 人 民 の自 由 権 ﹂ と は 、 ﹁私 事 上 の自 5 ヘ ヘ へ 便 一 ﹂ を 演 説 し た の は 、 十 一月 五 日 の こ と で あ った 。 ま さ に 、 こ の 間 害 ﹂ のう ち で も ﹁ 外 交 の宜 き を 誤 ま り 、 理 財 の政 を 失 し た るよ り 甚 し の十 一月 二 日に 、前 節 で見 た植 木 の新 聞論 説 ﹁ 集 会 結社 井 二交 通 ノ自 を 引 用 し た のは 連 載 初 日 の十 一月 二 日 号 であ り 、 十 一月 五 日 の演 説 で き は莫 し﹂ と論 じ る に先 立 って、 こ の間 題 が取 り 上 げ ら れ て いる に過 由 ヲ論 ズ ﹂ の連 載 が 開 始 さ れ て いる の であ る 。 し か も植 木 が リ ー バ ー 夫 の集 会 条 例 の過 刻 に し て社 会 交 通 の自 由 を 妨 碍 し 、 夫 の出 版 法 小 野 が 引 照 し た の も 同 じ く リ ー バ ー で あ った 。小 野 梓 の ﹁交 通 の自 ぎ な い。す な わ ち 、 規 の過厳 に し て 人 民言 論 の自 由 を 抑 圧 す るが 如 き 、 そ の国 家 ・人 由 ﹂論 が植 木 枝 盛 の そ れ を 意 識 し て いる こと は、 お そ ら く 間 違 いな い。 妨 碍 し 、夫 の出 版 条 例 を 過 刻 に し以 て仏 蘭 西 国 民 言 論 の自 由 を 束 縛 ﹂ レ オ ン 三世 が ﹁夫 の集 会 条 例 を 過 厳 に し以 て仏 蘭 西 国 民 交 通 の自 由 を と 、 一定 の留 保 はす るも の の、 フ ラ ン ス第 二帝 政 期 の例 を 挙 げ 、 ナ ポ さ に植 木 の新 聞 論 説 が 出 た 十 一月 二 日 に 、 ﹁夜 校 レ論 二郵 便 こ と し て校 翌 十 一月 一日 に は ﹁ 終 日在 レ家 、 筆 レ論 二郵 便 ﹂ と見 え る 。 そ し て、 ま 月 二十 八 日 のこ と であ り 、 三 十 日 、 三 十 一日 と自 宅 で の執 筆 を 続 け 、 ﹃ 留 客 斎 日 記 ﹄ によ れ ば 、小 野 が ﹁論 二郵 便 一 ﹂ の筆 を 起 こ し た のは 十 ( 盟) 生 に弊 害 あ る 、素 より 巨 大 な り 。 し たも の の 、普 仏 戦 争 敗 戦 、 第 二帝 政 崩 壊 によ って これ ら が 廃 止 さ れ 正 に転 じ 、 翌 三 日 は ﹁ 終 日 在 レ家 、 校 レ論 二郵 便 こ し て い る の で あ る 。 ( 器) た 、と いう こと を 強 調 す る こと によ って、 も ち ろ ん 、 リ ー バ ー そ のも の は 、 す で に 加 藤 弘 之 の 口 訳 に な る ﹃ 自 交 通 の自 由 、言 論 の自 主 、 朝 夕 を 待 た ず し て仏 蘭 西 方 百 万 里 の間 由 自 治 ﹄ が 一八 七 六 年 ( 明治九)十 二月 に 出 てお り 、 こ の当 時 広 く 読 (26 ) に復 せり 。其 之 を 改 正 す る の難 か ら ざ る、 誠 に此 の如 し 。 然 れ ど ま れ て いた こ と は 間 違 いな い。 小 野 も ま た 然 り であ り 、 ﹃自 治 論 ﹄ を (解 V も 外 交 の弊 に至 て は則 ち 然 ら ず 。 購 入 し た のは 一八 八 一年 ( 明治 十四)九 月 の こ と で あ る。 爾 来 こ れ に ( 幻) と 結 ぶ 。 ﹁交 通 の自 由 ﹂ の問 題 は ﹁外 交 の弊 ﹂ に 比 べれ ば 重 大 事 では 読 み 耽 り 、 そ の影 響 を 強 く 受 け た主 著 ﹃国憲 汎 論 ﹄ が書 か れた こと は こ れ に対 し て 翌月 の ﹁論 二郵 便 こ の方 は 、 当 時 持 ち 上 が って いた 郵 ナ ポ レ オ ン 三 世 の 例 自 体 が 、何 よ り も リ ー バ ー ﹃ 自 治 論﹄ 第 九 章 の よ く 知 ら れ て いる 。 と言 う より 、 さき の演 説 ﹁論 二外 交 こ に登 場 し た ( %) な い、 と いう の であ る。 便 税 則 の改 定 H郵 便 増 税 問 題 を 論 ず る にあ た って、 む し ろ ﹁人 々交 通 機 は 、 ﹁当 時 政 府 郵 便 税 則 を 改 定 す る の議 あ り 。道 路 頗 る 異 様 の風 説 第 五九 号 と し て、 た し か に郵 便 条 例 が 出 て いる か ら 、 これ を 論 じ た契 説 ﹁論 二郵 便 一 ﹂ を 準 備 し て いた そ のさな か に発 表 さ れた 植 木 の論 説 は 、 こ と は 、 小 野 に と って伍 泥 た るも のがあ った ので はな いか。 小 野 が 演 な ら ば 、 そう であ れ ばあ る ほど 、植 木 の ﹁交 通 ノ自 由 ﹂ 論 に接 し た 外 国 移 住 ﹂ か ら の引 用 であ った 。 ﹁交 通 を 伝 ふ。 故 に此 一論 を 公 演 し 、 以 て之 を 議 す ﹂ と す る ﹃東 洋 論 策﹄ の ﹁交 通 の自 由 ﹂ を や や軽 く 扱 った ﹁論 二外 交 ﹂ の論 調 を 反 省 さ せ 、 小 居動 の自 由 ﹂ を 正 面 に据 え て論 じ た も の であ る。 翌 十 二月 に は 太 政官 布 告 趣 旨 説 明 ど おり であ ろう 。 だ が 、 そ れ にし ても な ぜ こ こ で ﹁交 通 の自 野 を し てリ ー バ ーを 再 発 見 せ し め た こと は間 違 いな い。 つま り 、 小 野 に と っても 、 そ れま で ﹁交 通 ノ自 由 ﹂ な るも の は充 分 臆 に落 ち て いな 由 ﹂ な の か。 実 は小 野 が ﹁論 二外 交 一 ﹂ を 演 説 し た のは 十 月 十 四 日 であ り 、 ﹁論 二郵 6 妙 味 あ る も のあ るを 見 ざ る な り ﹂ と いう 。 ﹁通 信 の自 由 ﹂ は 未 だ 侵 害 れ あ るも 、 其 言 ふ所 渋 圏 凝 滞 し て振 は ず 、 未 だ 其 説 の痛快 に し て而も だ と す れ ば 、 こ こ で 問 題 と な る のは 、植 木 の な か に見 ら れ た ﹁交 通 さ れ た こ と が な いた め 、 ﹁切 要 ﹂ な も のと し て は認 知 さ れ て いな い。 か った の で あ る 。 の自 由 ﹂ の輻 藤 が 、 小 野 に お いて は ど の よう に立 ち 現 れ て い る の か、 そ こ へ来 て 今 次 の郵 便 増 税 問 題 で あ る 。 ﹁人 生 交 通 の 媒 介 ﹂ に し て 達 を 政 府 が専 掌 し う る のは 一私 人 が ﹁信 書 往 復 の利 を 聾 断 し て其 収 益 ﹁社 会 の交 通 を 便 に ﹂ す る 手 段 で あ る 信 書 配 達 を ど う す る か 。信 書 配 と いう 点 で あ る 。 ﹁ ( 手2 段) ﹂としての郵便 を 網 ﹂ す る 弊 を 避 け る た め で あ っ て、 そ れ を 政 府 が 自 ら ﹁収 益 の 主 義 ﹂ に走 る の は いか が な も のか 。 ま た 政 府 が 専 掌 す る こと に つい ても 、 小 野 梓 の ﹁論 二郵 便 一 ﹂ は 、 ﹁交 通 の自 由﹂ を 積 極 的 に 認 め る点 で は 、 植木 枝 盛 と 蓬 庭 が な い。 し か し 小 野 が リ ー バ ー を引 いて論 じ た 肝 要 は 、 す る ﹁監 察 の主 義 ﹂ に流 用 し て はな ら な い。 これ が 小 野 の主 張 であ っ あ く ま で通 信 の秘 密 を 保 護 す るた め でな け れ ば な ら ず 、 反 対 党 派 に 対 米 国 の大家 李 抜 嘗 て交 通 の自 由 を 称 し て 云 へるあ り 。 此 の人 生 本 た。 ﹁社 会 と 交 通す る の途 を 杜 絶 ﹂ さ せ な いた め の ﹁手 段 ﹂ と し て、 次 の 部 分 に あ った 。 源 の自 由 は 、今 更 に其 必 用 な る所 以 を弁 ず るを 須 ゐず 。 今 の時 に 要 す る に ﹁社 会 と 交 通 す る﹂ と いう 魅 惑 的 な 関 係 概 念 は 、 同 時 に こ 郵 便 、通 信 の自 由 が重 視 され た の であ る。 以 て善 良 の政 府 を 択 び 、 其 政 府 を し て 斯 人 生本 源 の自 由 に合 は し こ に 、郵 便 と いう 、 具 体 的 な 交 通 の ﹁手 段 ﹂ へと ︿ 実 体 化 ﹀ す る こと 当 て 吾 人自 由 民 が熱 心 し て 講 ず べき も のは 、唯 だ 如 何 ん の手 段 を む る乎 、 又 如 何 ん の手 段 を 以 て こ の人 生 本 源 の自 由 を 保 護 す る乎 にも な った の であ る。 と す れば 、 こ の ︿ 実 体 化 ﹀ の波 は、 必 然 的 に鉄 道路 (と 3鉄 )道 八 八 一年 ( 明治十 四) の 五月 に ﹁東 山 鉄 道 論 ﹂ を 書 いても いた 。 (29 ) 道 敷 設 の 問 題 へと 及 ん で いる はず であ る。 果 た し て小 野 梓 は、 前 年 一 の二 間 に 在 り と 。 要 す る に自 由 のた め の ﹁ 手 段 ﹂ を 重 視 し よう と いう わ け であ る。 小 野は続ける。 満 堂 の諸 君 が 熟 知 せ ら る る が 如 く 、 交 通 の自 由 に諸 種 の 別類 あ り 。 入 間 社会 に 在 て其 心 情 を交 ふ る の事 項 は 、 大抵 皆 な是 の自 由 の 部 す る の自 由 ﹂、 ﹁我 が 思 想 を筆 著 す る の自 由 ﹂ を 指 す が 、小 野 は こ れ に ﹁諸 種 の別 類 ﹂ と は、 ﹁言 論 の自 由 ﹂、 ﹁集 会 の自 由 ﹂、 ﹁我意 想 を ロ演 往 来 ノ 弊 、年 貢 運送 ノ煩 ﹂ と な って いた 、 と いう と こ ろ か ら書 き 起 こ 止 事 ﹂ は 、鎌 倉 時 代 末 期 の 関所 が、 こ の ﹁聾 断 ノ利 ﹂ に よ って ﹁商 売 形 勢 を 眺 め、 利 益 を 独 占 す る こ と を 言 う 。 ﹃ 太 平 記 ﹄ 冒 頭 の ﹁関 所 停 ﹁聾 断 ノ 利﹂ と いう 語 が あ る 。出 典 は ﹃孟 子 ﹄ で、 市 場 の高 所 か ら ﹁通 信 の自 由 ﹂ を 加 え よう と す る。 ﹁言 論 集 会 の自 由 を熱 論 す る も のは し て いる のだ が 、 ﹁往 来 ﹂ ﹁運送 ﹂ に は 、と かく こう し た ﹁聾 断 ノ利 ﹂ 類に属するが如し。 之 れ あ り 、 演 説 著 述 の自 由 を 痛 説 す るも のは これ あ り ﹂。 し か しな が が 付 き 物 で あ る 。 小 野梓 が ﹁信 書 往 復 の利を 聾 断 し て其 収 益 を網 ﹂ す (30 ) ら 、 ﹁通 信 の自 由 を 説 く も の に至 て は 蓼 々と し て 聞 く 所 な く 、 偶 々 こ 7 る弊 を 云 々 した のも 首 肯 け よう 。 (31 ) 鉄 道 を 設 け 交 通 を 利 し た る が 為 に 人 民 の交 際 結 合 を 便 に す る こ と 、 交際結合を便にしたるが為に智識を発育し、工芸技術を進捗し、 道 路 は ﹁利 ﹂ を 生 む。 そ れ が 鉄 道 ( 当 時、﹁鉄路﹂と も 言 った) で あ 其 他 殖 産 興 業 に 於 て大 に 益 す る 所 あ る を 謂 ふ な り 。 此 の如 き は 経 れ ば な お さ ら であ る。 こ の年 日本 鉄 道 会 社 が 設 立 さ れ た のを 受 け て、 済 上 の利 益 な り 。 政 治 上 の利 に 於 ては 殆 ど 勝 て計 ふ べ か らざ るも のあ り 。 小 野 が 東 山 道 な ら ぬ ﹁東 山 鉄 道 ﹂ の敷 設 を 提 唱 し て いる のは 、 そ れ ゆ え 興 味 深 い。 ﹁鉄 道 建 設 の挙 を 嘉 みし 、 讃 し て本 邦 民 人 の最 大 幸 福 を 増 進 す る の 一 小 野 梓 は 、 基 本 的 に A 説を B 説 よ りも ﹁ 当 を得 た り﹂ と し な が らも 、 を 高 崎 に通 じ 、( 中略)以 て東 西 両 京 の連 絡 を 通 じ 、 三 府 を 連 接 し 大 要手 段 ﹂ と す る 立場 か ら 、東 山道 が物 産 の大 動 脈 た る こと を 、繭 、 日 本 鉄 道 会 社 起 る尖 。 将 さ に其 線 路 を 建 築 し 東 京 よ り 架 設 し て之 て之 を 一市 場 の如 く な ら し め ん と す 。 余 今 ま 私 か に 其名 を 製 し て 生糸 、 米 穀 、 麦 、姻 草 以 下 、 具体 的 に数 値 を 挙 げ て論 じ て いる。 そ し 通 信﹂ に 及 ぶ と 予告 す るも の の、 結 局 こ れ は書 か れな いま ま 未 完 に終 て こう し た ﹁農業 ・工作 ﹂ の分 析 に加 え て 、連 載 第 二 回 で は ﹁商 業 ・ 東 山 鉄 道 と 云 ふ。 蓋 し 其 跨 る 所 の地 、 実 に 東 山 そ の諸 国 な れ ば也 。 小 野 に よ れ ば 、 当 時 鉄 道 を め ぐ って二 つの説 が あ った 。 A 説 は 時期 尚 早 論 であ る 。 小 野 が B説 を 斥 け た こ と は 象 徴 的 で あ る 。 こ の B説 、 な か ん ず く わ った 。 為 め に 物 産 の蕃 殖 を 害 し 国 家 の進 歩 を 妨 ぐ る こ と少 小 な らざ る こ ﹁間 接 の 利﹂ な る も の こそ 、 植 木 枝 盛 が 力 説 し た ﹁交 通 ノ自 由 ﹂ に、 曰 く 、 余 輩 誠 に 知 る 、 日 本 現 時 の道 路 は 現 時 の富 に適 せず し て 、 と を 。 然 れ ど も 今 俄 に 之 に 易 る に 鉄道 を 以 て せ ん と欲 す る に至 り より 近 いと 言 う べき も のだ った か ら であ る。 さ に、 こ の ﹁東 山 鉄 道 論 ﹂ の存 在 ゆえ に、 小 野 の ﹁論 二郵 便 一 ﹂と植木 を 読 む 半 年 前 に発 表 さ れ た も の であ る こと は 斜 酌 さ れ てよ い。 だ が ま も ち ろ ん こ こ で、 小 野 梓 の ﹁東 山 鉄 道 論 ﹂ が 、 リ ー バー ﹃自 治 論 ﹄ ては 、 少 し く 急 進 に失 す る な き を得 ん や 。大 凡 一国 の進 歩 に は必 ず 順 序 あ り 、貧 国 を 進 む る に 富 国 の 器 具 を 以 てす べか ら ず 。 ( 後 略) こ れ に 対 し て B 説 は 、鉄 道 敷 設 に よ る ﹁間接 の利 ﹂ を 強 調 す る。 た だ し、 こ こ で 一点 だ け 付 け 加 え てお き た い こと が あ る 。 小 野 梓 の の分 岐 点 も 理 解 可 能 と な る の であ る。 何 の法 あ る や 。 且 つ鉄 道 の利 は 二種 あ り 、 直 接 の利 と 謂 ひ、 間 接 ﹁ 論 二郵 便 一 ﹂ を 読 ん で い て面 白 い のは 、郵 便 増 税 の風 聞 に つい て記 す 曰 く 、富 国 に進 む所 以 の器 具を 棄 て て富 国 た ら んと 欲 す 、 果 し て の利 と 謂 ふ 。 説者 は続 に其 直 接 の利 あ るを 知 て未 だ 間 接 の利 あ る 際、頻り に ﹁ 道 路 頗 る 異 様 の風 説 を 伝 ふ﹂ ﹁諸 君 は 必 らず 道 路 の言 を 、 を 知 ら ざ るも のな り 。 ( 中略)我 国 当 今 鉄 道 を 設 く る の 利 は 、 直 (32 ) 、 聞 き し な ら む ﹂ と い った 表 現 が 登 場 す る こ と であ る。 ﹁道 路 の浮 説 流 、 接 の利 は姑 く 置 き 、 間接 の利 を 挙 ぐ るを 以 て急 務 と せ ざ る べか ら 、 言 ﹂ と は 、 こ の当 時 よ く 使 わ れ た 言 い回 し であ った ら し く 、実 は ﹁道 路 無 二其 隠 一 ﹂ は 、 古 く 戦 国 時 代 に も 見 ら れ る 。 ﹁道 路 ﹂ を 、 い わ ゆ る (33 ) ず。 で は ﹁間接 の 利﹂ と は何 か。 8 ﹁思想 を 運 輸 す る﹂ と は、 た だ ち に植 木 の依 拠 し た 山 岳 党 権 利 宣 言 を務めらる可し。 て で は なく 関係 と し て捉 え る思 考 へと 繋 が って いる のだ が 、 これ ら が の ﹁思 想 論 説 を 交 通す る の権 義 ﹂ を想 起 さ せ る が 、 こ こ で は ﹁交 通 す 道 路 で は な く 世 間 と ほ ぼ同 義 に 用 いた 用 例 は 、 ﹁交 通 ﹂ を 、 実 体 と し 矛盾 な く 同 一の記 号 表 現 で思 考 さ れ て いると こ ろ に、 いわ ば 歴 史 の面 る﹂では な く 、 よ り直 裁 に ﹁運 輸 す る﹂と 記 さ れ て いる 点 が 新 鮮 であ る。 兆 民 に よ れ ば 、 ﹁荷 車 を 製 造 し 輿 論 を 積 立 る こと は 新 聞 屋 の本 業 ﹂ と 欲 す る な り 。 一は盗 を 為 ず に飯 を食 ふ が為 め なり 。 (36 ) を 製 造 し 、 論 説 記事 の輿 論 を 積 立 る も 、 一は 国家 の万 一を補 は ん ず 、 寒 中 に熱 海 に も 遊 ば ず 、 日 曜 祭 日 の外 、毎 日 々 々紙 面 の荷 車 新 聞 は 輿 論 を 運 搬 す る荷 車 な り 。新 聞 記者 は炎 天 に有 馬 にも 行 か さ ら に こ の年 九 月 に は、 ﹁新 聞 ﹂ を 論 じ て、 次 のよ う にも 言 って いる。 (35 ) 白 さ があ る の であ る 。 中江兆民と明治 二十年代 ﹁ ( 思1 想) を運輸することを務めらる可し﹂ 植 木 枝 盛 と 小 野梓 が、 集 会 条 例 か ら明 治 十 四年 の政 変 の時 代 を 代 表 し た の に 対 し 、 明治 二十 年 代 に入 って俄 に ﹁交 通 ﹂ の語 彙 を 多 く 用 い いう 巧 み な 比 喩 表 現 に よ って、 ﹁ 交 通 す る ﹂ の語 が避 け ら れ てお り 、 であ った 。 兆 民 にあ っては 、 ﹁思 想 を 運 輸 す る﹂ ﹁ 輿 論 を 運 搬 す る﹂ と 一八 八 九 年 ( 明治 二十 二﹀五 月 の東 海 鉄 道 の開 通 は 、保 安 条 例 で東 こ の点 で関 係 概 念 と 実 体 概 念 が 輻 竣 し て いた 植 木 や 小 野 の ﹁交 通﹂ と る よう に な った の が 、 中江 兆 民 であ る。 京 を逐 わ れ ﹃ 東 雲 新 聞﹄ 主 筆 と し て大 阪 で活 躍 し て いた 兆 民 にと って は 、 一線 を 画 し て いる と 言 わ ね ば な ら な い。 いて いる。 例 え ば 同 じ 一八 八九 年 ( 明治 二十 二)九 月 に は 、 ﹁大 阪 市 米 た だ も ち ろ ん兆 民 は 、 一方 で ﹁交 通 す る ﹂ と いう 語 そ のも のをも 用 空気 (を 2交 )通 す る 管 格 別 の意 味 を 持 った ら し い。 同年 二月 に憲 法 発 布 恩 赦 で追 放 処 分 が 解 け た こ と も あ って 、 余 は本 年 五 月東 海 鉄 道 の 開 通 し て よ り 七 た び此 鉄 道 に乗 り て東 京 大 阪 の 間を 往 来 せり 。 此 の如 く 屡 々余 を 駆 り て鉄 道 に乗 ら し め た ( 選 る は 何者 の仕業 ぞ 。 政論 新 聞 と東 雲新 聞 と の仕 業 な り 。 穀 の買 占 ﹂ を 論 じ る な か で、 次 のよ う に言 って いる 。 今 日汽 船 汽 車 運 輸 の便 大 に開 け 、 五 方 僻 落 の物 産 相 互 に交 通 し て、 と 、 ま さ に東 奔 西走 し て いた 。 こう し て鉄 道 を 利 用 す るな か から 、 兆 民 は ﹁両 個 の観 察 ﹂ を 行 な って いる 。 ﹁第 一の観 察 は 我 邦 政 治 思 想 の 海 に陸 に来 往 織 る が 如 し と 迄 に転 流 し 、 ( 後略) こ こ に お いて ﹁交 通 す る ﹂ を ﹁運 輸 す る ﹂ か ら 分 か つも のは 何 か 。 (訂) 益 々発 達 す る こ と を 徴 す 可 き も のに て 、第 二 の観 察 は我 邦 経 済 社 会 の 猶 ほ甚 だ幼 穰 な る こ とを 徴 す べ き も のな り﹂ と し て、 兆 民 は次 の よう で あ った の に対 し 、 ﹁相 互 に 交 通 し ﹂、 す な わ ち 双 方 向 性 を 持 つ ア ク そ れ は ﹁思想 を 運 輸 す る﹂ が発 話 者 か ら オ ー デ ィ エン ス への伝 達 行 為 政 治 家 は 成 丈 け自 身 に鉄 道 に 乗 り て 思想 を 運輸 す る こと を 務 め ら シ ョ ン であ る点 に ほ か な ら な い。 実 際 一八 九 一年 ( 明治 二十 四) 三 月 に 言う 。 る 可 し 。 実業 家 は成 丈 け貨 物 を鉄 道 に 乗 せ て利 益 を 運 輸 す る こと 9 I には ﹁交 通 管 ﹂ ﹁ 条 約 事 件 ﹂ と 題 す る無 署 名 記 事 が あ る。 ○交通管 こ こ では ﹁交 通 す る﹂ の 反 対 概 念 と し て、 ﹁四 壁 の中 に 局盛こ す る (如 ) と 見 え る が 、 ﹁交 通 す る ﹂ 行 為 の遮 断 が 、 ﹁四壁 ﹂ と いう ︽結 界 ︾ 概 念 で捉 え ら れ て いる点 が 興 味 深 い。 こ の種 の用 例 は 、 或 は 四境 を 閉 ぢ て他 と 交 通 せ ざ り し 者 有 り 、 或 は 封 土 を 啓 き て四 政 府 と 民 間 の交 通 管 は 後 藤 ・陸奥 ・青 木 の三大 臣 なり 。 而 し て 此 三 大 臣 即 ち 三 大 管 は 、 更 に支 分 し て数小 管 と 成 り て竹 内 、大 江 、 方 の行 旅 を 通 せ し 者 有 り 。 イ ンタ ア クソ ィオ ン (41 ) 井上、末松 [ 謙 澄 ]、末 広 の諸 子 、実 に 之 れ が 任 に当 れ り と 云 ふ と いう 対 句 表 現 にも 見 ら れ 、 ︽相 互 行 為 ︾ と し て の ﹁交 通 す る ﹂ の可 (24 ) は 真 耶 、 非 耶 。 硬 軍 の 一隊 を誘 惑 し て、裡 切 の功 を 奏 せ し め、 大 能 性 は、 こ こ に紛 れ も な く 宿 さ れ て いた の であ る 。 発 起 出 願 を 始 め と し て、 以 後 五 年 間 に 亘 って、 毛 武 鉄道 、 南筑 豊 鉄 道 、 は 兆 民 を も 捕 捉 し、 兆 民 は 一八 九 四 年 ( 明治 二十 七)七 月 の常 野 鉄 道 期 を も って終 焉 を 迎 え る こと と な った 。 折 か ら の鉄 道 建 設 事業 ブ ー ム し か し な がら 中 江 兆 民 に よ る こう し た ﹁交 通 ﹂ の用 例 は 、 日 清 戦争 三千 (哩 3) の汽 車 成会 中 の吏 党 と 立憲 自 由 党 中 の不 平分 子と を し て、 端 無 く 共 に抱 懐 せ し め た る が如 き は 、高 輪 邸 中 一夕 此 の大 管 小 管 の接 合 した る よ り し て、半 官 半 民 てふ空 気 の互 いに流 通 せ し結 果 な り と 云 ふは 真 耶 、非 耶 。 風 説 の世 界 、蛮 語 の社 会 。姑 く 投 書 の意 味 を 取 り て 斯 くは記しぬ。 ○条 約 事 件 右 の大 管 小 管 は 、政 府 と 民 間 と の空 気 ( 炭酸 瓦斯? 窒 素?)を 南 武 蔵 鉄 道 、 両 野 鉄 道 、 吾 妻 鉄 道 、 芸 石 鉄 道 、 延 熊 鉄道 、女 川鉄 道 、 交 通 し て立 派 に 予算 問 題 の葛 藤 を 片 付 け た るよ り 、 益 々威 勢 よ く 、 ( 娼) 房 総 中 央 鉄 道 、 菊 池 鉄 道 、 都 城 鉄道 、京 板 鉄 道 な ど 、 幾多 の鉄 道 事 業 是 れ より 又 々内 閣 の為 め 一大 頭 痛 と も 謂 ふ可 き 条 約 事 件 に 就 ても 、 へ の構 想 に関 わ る こ と と な った の であ る 。 そ し てそ の結 果 、 一九 〇 〇 年 ( 明治 三十 三)に は 、 満 を 持 し て ﹁交 ヘ 同様 の文 法 に て立 派 に功 を 奏 せ んと て、 彼 れ 大 管 小 管 は 、 空 気 の (38 ) 流 通 に 日夕 怠 り 無 し と 謂 ふ は真 耶 、非 耶 。風 説 の世 界 、蛮 語 の社 会 。 通 機 関 ﹂ な る表 現 が 兆 民 の テク スト にも 登 場 す る に いた る 。 交 通 機 関 の発 達 は 、 一面生 産 事 業 に 関 し て 極 て有 力 な る媒 介 者 た こ のよ う に中 江 兆 民 に あ って は 、 ﹁交 通 ﹂ の語 は未 だ ア ク シ ョン と し て の生 命 力 を 保 って いる、 と 言 ってよ か ろう 。 そ し て兆 民 が ﹁交 通 る と 共 に 、 一面 又奢 修 の伝 播 者 た る を争 ふ 可 らず 。 ﹁汽 車 汽 船 ﹂ は ﹁ 智 識 を 交 通 し つ ・、奢侈 を 交 通 す る ﹂ と いう く だ ( 幽) す る﹂ と いう 語 を 用 いた のは 、 多 く の場 合 、 こう し た 政 治 上 、 外 交 上 のそ れ であ った 。 同 じ 年 の 一月 の ﹁某 貴 族 院 議 員 の傾 倒 ﹂ に は 次 のよ り に は 、 か つて の ﹁思想 を 運輸 す る こと ﹂ を 髪 髭 さ せも す る が、 今 や 三 千 哩 の汽車 は 、我 日本 帝 国 の 隅 々迄 、 日 に幾 回と 無 く 、 奢 う な 用 例 が 見 え る。 衆 議 院 議 員 中 別 し て硬 派 に属 す る 者 は 唯 、 衆 議 院 四 壁 の中 に 局 盛 修 を 運 搬 し つ ・有 る也 。 と し て、 ﹁ 交 通 す る ﹂ は ﹁交 通 機 関 ﹂ へと 収 敏 し て いく こ と と な った 。 せ ず 、 進 て此 両 種 の貴 族 議 員 と 交 通 す る と き は 大 に 援 助 を 得 ん こ (39 ) と疑無し。 10 6 、. , す な わ ち 中 江 兆 民 も ま た 、 小 野 梓 同 様 、 ﹁交 通 機 関﹂ と いう ︿ 手段 ﹀ 指 針 ﹂ と し て、 雑 誌 ﹃ 交通﹄ ( 編輯宮本森 之助)が 交 通 学 館 か ら 創 刊 さ こ れ に 先 立 つ 一八九 〇年 ( 明治 二十三)十 一月 に は 、 ﹁運 輸 交 通業 務 之 ﹁ 交 通 ﹂ ノ目 的 ハ交 通 行 政 ノ理 義 ヲ 発 揮 シ、 交 通 業 務 ノ 発 達 ヲ企 る 。 同 誌 の性 格 に つ いて は 、 二十 年 代 に お い て、 ﹁交 通 行 政 学 ﹂ へと 理 論 化 さ れ る に いた る の であ れ て いる 。 中 江 兆 民を も 捕 捉 し た鉄 道 と いう ︿ 手 段 ﹀ は、 ま さ に明 治 (46 ) への実 体 化 を 免 れ え な か った のだ と 言 え よ う 。 国家 (有 4機 )体 説 と ﹁交 通 行 政 学 ﹂ 明治 国 家 に お いて 、 ︿ 手 段 ﹀ と し て の ﹁交 通 ﹂ を 管 轄 し た の は逓 信 (菊 ) 省 であ る が、 逓 信 省 設 置 の前 年 、 一八 八 四 年 ( 明治 十七)五 月 に は 、 駅 逓 局 総官 官 房 取 調科 編纂 に な る ﹃ 交 通公 報 ﹄ が創 刊 さ れ て いる。 総 図 ス ル ニ在 リ。 故 二着 々左 二表 白 ス ル方 程 ヲ履 行 シ テ敢 テ怠 ル所 ( 翌 ナ カ ル ベ シ。 と し て、 ﹁交 通 ノ 行 政 及 業 務 二関 ス ル理 義 方 法 ヲ研 究 シ テ 、其 改 良 発 官 野 村 靖 に よ る 緒 言 は 、 次 のよう に 言う 。 交 通 之 於 二邦 家 ハ 猶 三血 液 之 於 二体 躯 一也 。 血 液 循 環 、 不 レ失 二其 度 h 達 二資 益 セ ン事 ヲ務 ム ベ シ﹂ 以 下 の ﹁方 程 ﹂ が 挙 げ ら れ て いる。 意 義 を 論 ず ﹂ は 、次 のよう に定 義 を 始 め る 。 ﹁交 通行 政学 ﹂ の第 二編 ﹁交 通 業 務 の本 性 ﹂、第 十 章 ﹁ 交通及其方法 の ル理 義 方 法 ヲ研 究 ﹂ す る 上 で避 け て は 通 れ な い。 同 誌 に 連 載 さ れ た さ て 、 ﹁交 通 と は 何 ぞ や﹂ と いう 問 いは 、 ﹁交 通 ノ行 政 及 業 務 二関 ス 而 後 支 体 生 育 。 不 レ然 則肉 燥 骨 枯 、 朝 不 二終 夕 一 也 。東 西 千 里 、 通 信 如 レ隣 、 而 後 百 貨 繁 殖 。 不 レ然 則 国 力 衰 耗 、 禍 将 レ不 レ可 レ測 。鳴 呼甚哉。 ( 後 略) こ こ にあ って は ﹁交 通 ﹂ と は 、 国 家 有 機 体 に お け る ﹁血 液 のご と き﹂ も の で あ る と さ れ 、 具体 的 に は ﹁郵 便 史 論 ﹂ 以 下 の ︿交 通 学 ﹀ が ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ヘ へ 交 通 と は 何 ぞ や 、 曰 く 転 地 の作 用 是 な り 。 交 通 の方 法 と は何 ぞ や 、 へ 立 ち 上 げ ら れ る こと と な った 。 ﹁交 通 ﹂ 概 念 が 国 家 ー-有 機 体 説 に適 合 ヘ 曰く 転 地 の構 造 是 な り 。 之 れ を 要 す る に彼 此 相 通 し 有 無 相交 ゆ る ヘ 的 な 役 回 り を 与 え ら れ る に いた った わ け だ が 、 こ こ で 一点 注 意 し て お ヘ は 人聞 生 活 上 本 然 の作 働 にし て、 人 類 貨 物 及 思 想 を 逓 送 す る は 人 ヘ き た い のは 、 こ の ﹃交 通 公 報﹄ に 言う ﹁交 通 ﹂ が 、 ﹁通 信 之 便 ﹂ ﹁運 輸 ヘ 間 生 活 上 必 要 の 構 造 と 謂 ふ べ き な り 。彼 のTranspと o謂 rt ひ、 ヘ 之 業 ﹂ の両 個 を 挙 げ な が ら も 、 基 本 的 に は 郵 便 業務 を専 ら指 し て いた と称す るも C此 om 意m 義uにn外 iな cら aざ ti るoなnり 。 故 に交 通 は 人 間 の本性 に し て其 方 法 は貨 物 の交 換 或 は思 考 若 く は感 情 の交 こと で あ る。 こ の点 で 同 じ 明 治 十 年 代 に お い て、 小 野 梓 が ﹁論 二郵 便一 ﹂を ﹁ 交 通 の自 由 ﹂ の 問 題 と し て 論 じ な が ら、 か の ﹁東 山 鉄 道 易 を 通す る洪汎 な る 意 義 を有 す る も のな り 。( 後略、傍点 原文) こ の 限 り で は 問 題 な い。 ﹁交 通 ﹂ は 今 日 的 なtranspにo一 r面 t化 し (48 ) 論 ﹂ が ﹁交 通 ﹂ 概 念 を 軸 に据 え て論 じ ら れ な か った こと は 、 興 味 深 い と 言 う べき であ ろう 。 す な わ ち 鉄 道 は、 未 だ ﹁交 通 ﹂ と いう イ シ ュー て お ら ず 、communicと at しiてoの n語 義 を 未 だ 失 って い な い。 し か る に同 誌 発 刊 一周 年 に 掲 載 さ れ た 黙 庵 学 入 の論 説 ﹁信 書 の秘 密 と 国家 と し て捉 え ら れ て いな か った の であ る。 し か る に 一八九 三年 以降 、逓 信 省 は 、官 設 ・私 設 鉄 道 事 業 を も 管 轄 権 ﹂ で は、 ﹁書 信 交 通 の自 由 権 は 決 し て 無 限 な るも のに あ ら す ﹂ と し (94 ) す る に いた る 。 そ れ は ま さ に 日清 戦争 前 夜 のこと であ った 。 そ し て、 11 て、 特 に ﹁思 想 伝 通 の自 由 ﹂ に 制 限 を 加 え よう と し て いる 。 そ の第 一 に曰 く 。 (51 ) つと に 言 及 さ れ てき た 。 ま た 、 漱 石 が 汽 車 を ﹁鉄 柵 ﹂ に見 立 てた こと を ﹃ 監 視 と処 罰 ﹄ の 日本 版 と 見 る のは 、 そ の限 り で有 効 であ ろう 。 さ だ が こ の過程 で、 ﹁ 交 通す る﹂ と いう 動 詞 的 概念 が ﹁ 交 通⋮ 機 関﹂ ﹁交 ら に 、 こう し た近 代 国 家 を 準 備 し た 明 治 二十 年 代 の画 期 性 に つい ては 、 こ こ で言 う ﹁書 信 交 通 の自 由 権 ﹂ と は 、 字義 通 り に ﹁ 信 書 の秘 密 ﹂ 通業 務 ﹂ と い った そ の ︿ 手 段 ﹀ へと 凝 固 し 、 倭 小 化 さ れ 、 そ こ に包 蔵 其 思 想 の行 為 に 移 り 、 而 し て其 行 為 国 家 の秩 序 に北旦戻す ると き は 、 を 核 と す る ︿郵 便 の自 由 ﹀ の謂 いな の であ る が 、 こ の自 由 に制 限 が加 さ れ て いた はず の社 会 性 の 一カ テ ゴ リ ー が 没 落 し て い った こと は 、 改 め て 強 調す るま でも あ るま い。 え ら れ る のは 、 ﹁其 思 想 の行 為 に移 ﹂ る場 合 であ り 、 す な わ ち ﹁思 想 交 通 の自 由 を 受 る を 得 ず 。 論 説 を 交 通 す る の権 義 ﹂ への制 限 であ った 。 こ こ に ﹁ 交 通 の自 由 ﹂ を とし ての c ﹁交 o通 mす mu るn ﹂。 ic こa のt 失iわoれ nた カ テゴ リ ー の う っか りす ると 見 逃 し か ね な い事 実 であ る。 ﹁国 家 の秩 序 ﹂ に適 合 的 な も の へと 倭 小 化 す る言 説 が成 立 す る。 さ ら 夫 れ 然 り 而 し て、 今 や 我 帝 国 の膨 張 に伴 ふ て 、 国威 を 発 揮 し 、国 と も 、 旧運 輸 省 ・建 設 省 ・北 海 道 開 発 庁 ・国 土 庁 を 統 合 す る ﹁国 土 交 でも なく 二十 一世 紀 初 頭 にお け る ﹁国 土 交 通 省 ﹂ の登 場 であ る。 も っ の再 見 の必 要 性 は、 今 日、 喫 緊 な る課 題 と し て浮 上 し てき た 。 言 う ま 光 を 顕 揚 し 、 万 国 競争 場裏 に 立 ち て縦横 馳 騎 す る の先 駆 た るも の、 通 ﹂ の 思 想 そ のも の は、 一九 五 〇 年 の 国 土 総 合 開 発 法 制 定 以 降 、 ﹁国 に 日 清 戦 争 のさ な か に 編 ま れ た 、 同 誌 第 百 号 の巻 頭論 説 は言 う 。 交 通 業 務 た ら さ る は な し 。 読 者 諸 君 が多 年 内 養 し た る実 力 は此 れ 土 総 合 開発 ﹂ の名 のも と に、 幾 度 と な く 更 新 さ れ てき た 。 特 に 、 一九 交 通 行 政 学 は 、 こ う し て膨張 主 義 の理論 と な った のであ る。 そ し て 立 し た 田中 角 栄 内 閣 の ︿日 本 列 島 改 造 ﹀ 論 に いた る 大 型 公 共 投資 は 、 六九 年 に閣 議 決 定 さ れ た 新 全 国 総 合 開 発 計 画 か ら 一九 七 二年 七 月 に 成 ( 50 ) よ り 大 に 用 ゆ べき の秋 な り と 信 す 。 ( 傍点省略) す でに 見 た と お り 、 明 治 二 十年 代 に鉄 道 事 業 に着 手 し た中 江 兆 民 も ま ﹁国 土 交 通 ﹂ 思想 の直 接 の前 提 を な す と 言 え る 。 で は い った い何 が 問 た 、 こ の歴 史 の歯 車 か ら自 由 では な か った のだ と 言 え よう 。 へ 題 な の か。 そ れ は ﹁国 土 総 合 開 発 ﹂ の 思 想 が 、 満 を 持 し て ﹁国 土 交 通 ﹂ を 名 乗 る に いた った と いう 、 ま さ に そ の こ と であ る。 ﹁国 土 交 二 十 世 紀 初 頭 、 日 露 戦 後 の 一九 〇 六 年 ( 明治 三十九) に、 夏 目 漱 石 す る ﹁交 通 ﹂ の思 想 と も 、 不 気 味 に呼 応 し て いる 。 こう し た な か 、 歴 後 継 者 であ り 、 ち ょう ど 一世 紀 前 に勃 興 し た 、 ﹁我 帝 国 の膨 張 ﹂ に資 おわりに が ﹃草 枕 ﹄ に お いて、 ﹁汽 車 程 二十 世 紀 の文 明を 代 表 す る も の は あ る 史 家 は、 相 も 変 わ ら ずtranspにo一 r面 t 化 し た ﹁交 通 史 研 究 ﹂ を 行 通 ﹂ と は、 国 家 有 機体 の ﹁血 液 ﹂ と し て の ﹁交 通 ﹂ 概 念 の、 正統 な る ま い。 何 百 と 云 ふ 人 間 を 同 じ箱 へ詰 め て轟 と 通 る ﹂ ﹁人 は汽 車 へ乗 る な って いる のだ が 、 いさ さ か 不 用 意 では あ るま いか 。 た し か に ﹁交 通 ﹂ をtransp かoらrctommunicaへ tとiシ oフ nトす る と 云 ふ 。余 は 積 み 込 ま れ る と 云 ふ 。 人 は汽 車 で行 く と 云 ふ。 余 は運 搬 さ れ る と 云 ふ 。 汽 車 程 個性 を軽 蔑 し たも のはな い﹂ と 述 べた こと は、 12 (﹃ 植木 (7) 明 治 十 三 年 六月 十 八 日 付 ﹃ 愛 国 志 林 ﹄ 五 編 (﹃ 植 木 枝 盛 集 ﹄ 第 三巻 、新 聞 雑 誌 論 説 1、 岩 波 書 店 、 一九 九 〇年 、 一五七 ∼ 一五 九 頁 )。 こと は 容 易 で は な い。 だ が そ のた め の努 力 が皆 無 で はな か った こと を 、 最 後 に 付 け 加 え てお き た い。 ﹃日本 に おけ る ﹁公 ﹂ と ﹁私 ﹂﹄ の著 者 安 (8) 明 治 十 三 年 十 二 月 十 二日 ・二十 日 付 ﹃ 愛 国 新 誌 ﹄ 一七 ・ 一八 号 フ ェアケ ア Lieber, les principales On lois Civil politiques pp. 62f. J. a 照 de B. Liberty 1952, . を 参 照 した 。 ﹁ 交 通 の自 由 ﹂ に Go つv いe てr 論nment, 89 林-訳 9上 8之巻 一〇 七 ∼ 一二 一頁 で あ る 。な お 店 、 一九 九 〇年 、 二〇 八 頁 )。 な お 下 巻 購 入 は 同 年 十 二月 であ る。 (10) ﹃ 購 球書 日 記 ﹄ 明 治 十 三 年 条 (﹃ 植 木 枝 盛 集 ﹄ 第 八 巻 、 日 記 2、岩 波 書 林 訳 で は、communi をon ﹁ 交通﹂ ﹁ 交際﹂ ﹁ 交 接 ﹂ の 三様 に訳 し て いる。 じ て い る のは 、 原 書pp. 同 じ く 国 立 国 会 図書 館 所 蔵 のFrancis (9) 李 抜 著 、 林 董 訳 ﹃ 自治論﹄ ( 国 立 国 会 図 書 館 所 蔵 )。 原 書 に つ いて は 、 枝 盛 集﹄ 第 三巻 、 新 聞 雑 誌 論 説 1 、 一九 八 ∼ 二 〇 五頁 )。 永 寿 延 が 、 主 と し て マ ル ク ス の ︽交 通 ︾ 概 念 に 拠 り な が ら ﹁ 生産 入 の 没 落 と 交 通 人 の誕 生 ﹂ を 論 じ た のは 、 実 に田 中 内 閣 が成 立 し た 一九 七 (2 5) 二年 の こと であ った 。 そ こ には ︿列 島 改 造 ﹀ に適 合 的 な ﹁ 交 通 ﹂ の思 想 に対 す る、 批 判 精 神 を 看 て取 る こと が でき よ う 。 二〇 〇 一年 の現 在 、 歴 史 家 に要 請 さ れ て いる の は、 ま さ に こう した 感 性 では な か ろう か 。 註 (1) 栗 原 彬 ・小 森 陽 一 ・佐 藤 学 ・吉 見 俊 哉 編 ﹃ 越 境 す る 知 ﹄ 5、 文 化 の市 場 一交 通 す る ( 東 京 大 学 出 版 会 、 二〇 〇 一年 近 刊 )。 (11) ﹃ 植 木 枝 盛 集﹄ 第 一巻 、 民 権 自 由 論 ほ か ( 岩 波 書 店 、 一九 九 〇 年 ) 一∼ 三六頁。 ﹃ 植 枝i 盛t 集(﹄ 一巻 、, 民 権S自 かm 、p 五,五 ∼ 七 五 頁 。 Offen( t12 l) ic h木 ke 1第 96 2) u由 h論 rほ ka (2) こ の 点 、 如 月 小 春 ・栗 原 彬 ・小 森 陽 一・佐 藤 学 .吉 見 俊 哉 ﹁ 知 の越 境 と 内 破 ﹂ (﹃U P﹄ 三 三 二号 、 二〇 〇 〇 年 ) も 参 照 。 der (14 ) 明治 九 年 三月 十 二 日付 ﹃ 草 葬 雑 誌 ﹄ 第 一号 (﹃ 明治文 化全集﹄雑誌篇、 Strukturwandel (4) な お 、N 形e容 u詞 ao uf ff le .nt 1 の l 9 前i 9 史 c 0と h ,し て Sは . 、5 十5 五f世 .紀 に は ウ ム ラ ウ ト のな 日 本 評 論 社 復 刻 版 、 一九 九 二年 、 初 出 一九 二八 年 、 四一一 ∼ 四 一四頁 ) 。 Habermas, いoffent がl 、i 中c高 hド イ ツ語 で はoffenが li 用cい hら れ て いた 。 成 瀬 治 植 木 の 引 用 文 中 、 例 え ば 第 六 条 な ど は 別 の訳 文 に拠 って お り 、 孫 引 き 等 ( 3 )Jurgen ﹁﹃ 市 民 的 公 共 性 ﹄ の 理 念 ﹂ (﹃ シ リ ーズ 世 界 史 への問 い﹄ 4 、 社 会 的 結 合 、 に よ る 混 乱 が あ ると 見 ら れ る。 た だ し 別 の箇 所 で 引 か れ る第 十 ,十 三 . (13) ﹃ 植 木 枝 盛 集 ﹄ 第 一巻 、 民 権 自 由 論 ほ か、 一二五 ∼ 一六 〇 頁 。 岩 波 書 店 、 一九 八 九年 )参 照 。 et 十 四 条 、 第 十 六 ・十 九 ・二十 条 、 第 五 ・九 ・十 一 ・十 二 ・二十 五 ,二 十 Constitutions (5) 東 島 誠 ﹁ ︽公 共 性 ︾ 問 題 の構 図 と ︽無 縁 ︾ 論 ﹂ (﹃日本 史 研 究 ﹄ 三 八 六 . Les 六 ・二 十 七 ・二 十 九 二 二十 二 ・三 十 三 ・三 十 五 条 は 、木 庭 繁 の そ れ に (ed.), 江 湖 の思 想 Berlia 三 九 一号 、 一九 九 四 ∼ 九 五 年 )。 同 ﹃ 公 共 圏 の歴 史 的創 造 - Georges 拠 って い る。 な お、 山 岳 党 権 利 宣 言第 七 条 の原 文 に つ い て は 、 以 下 を 参 。Cf. へ﹄ ( 東 京 大 学 出 版 会 、 二〇 〇 〇 年 ) に 、 ﹁公 共 性 問 題 の 輻 較 構 造 ﹂ と し て、 改 稿 所 収 。 (6) 明 治 十 五年 十 一月 二 日 付 ﹃ 自 由 新 聞 ﹄ (﹃ 植木枝 盛集﹄第 四巻、新聞 雑 誌 論 説 2、 岩 波 書 店 、 一九 九 〇年 ) 七六 ∼ 八 〇頁 。 13 (15) な お、 こ れ よ り さ き 植 木 は 、 一八 七 七 年 ( 明 治 十) 六 月 下 旬 に ﹃ 自由 (22) ﹃ 東 洋 論 策﹄ 三 (﹃ 小 野梓 全 集﹄ 第 四巻 、 二 七 ∼ 三 五 頁 )。 六 月 六 日 の公 開 集 会 (reunion p )u にbつ lい iて qは u、 e いず れ 別 し て考 察 (23) な お 、 パ リ ・コ ミ ュー ン の出 発 点 と も な った 、帝 政 末 期 、 一八 六 八年 日 記 2、 二六 〇 頁 )、 こ れ は 前 年 十 二 月 に刊 行 さ れ た リ ー ベ ル 著 、 独 乙 し た い。 自 治﹄ 一冊 を 読 ん でお り (﹃ 閲 読 書 日 記﹄ 同 年 条 、 ﹃ 植木 枝盛集﹄第 八巻、 ミ ッ テル マイ エ ル訳 、 加藤 弘 之 口 訳 に な る ﹃ 自由自治﹄ ( 国立 国会 図 書 館 (24) 小 野 梓 の リ ー バー 受 容 を 論 じ た 研 究 と し て は 、山 下 重 一 ﹁ 小 野梓と 西 洋 政治 思 想ー 所 蔵 ) を 指 す も の と 考 え ら れ る 。 し か し 同 書 は抄 訳 と も 言 え な いほ ど の 薄 い冊 子 ( 本 文 五 一頁 ) であ り 、 林 董 訳 の ﹃ 自治論﹄を通 して でなけれ 一九 七 〇 年 )、 ﹁小 野 梓 と F ・リ ー バー ﹂ (﹃ 国 学 院 法 学 ﹄ 一五ー 四 号 、 一 リ ー バ ー 、 ウ ル ジ ー と の 関 連 ﹂ (﹃ 早 稲 田 大 学 史 記 要﹄II 、I ば ﹁ 交 通 の自 由 ﹂ に は触 れえ な いこ と を 、 こ こ で補 足 し ておき た い。 九 七 八年 ) が あ る が 、 植 木 枝 盛 に よ る リ ー バ ー 引 用 と の 連 関 が 見 落 と さ 一九 八 二年 、 四 一七 ∼ 四 一八 頁 )。 ( 2 5) ﹃ 留 客 斎 日記 ﹄ 各 月 日 条 (﹃ 小 野梓全集﹄第 五巻、早稲 田大 学出版 部、 れ て いる。 (16) ﹃ 日 本 霊 異 記 ﹄ 下 巻 (﹃日 本 古 典 文 学 大 系 ﹄ 岩 波 書 店 、 一九 六 七 年 ) 四 三 四頁 。 (17) ﹃ 今 昔 物 語 集 ﹄ 巻 二 十 、第卅 七 、 耽 レ財 、 娘 為 レ鬼 被 レ 噸 悔 語 (﹃ 日本古典 文 学大 系 ﹄ 岩 波書 店 、 一九 六 二年 ) 二 〇 五 頁 。 二﹂におけ る ﹁ 交 通 の自 由 、 著 書 の検 閲 、 信 書 の秘 密 、 動 向 ( 24) 山 下 論 文 。 な お ﹃ 国 憲 汎 論 ﹄ 上 巻 、 第 九 章 ﹁人 民 の自 主 ( 27 ) ﹃ 留 客 斎 日 記﹄ 九 月 念 八 日条 ( 26 ) 前 掲 註 (15)参 照 。 国 の項 に 、 ﹁密 通 ・間 夫 狂 ・遊 女 、満 二於 市 都 外 ハ 遊 婬 ・交 通 業 、 妄 狂 不 を約論 す ( 28 ) 前 掲 註 (18) 新 し い例 では 、 安 藤 昌 益 の ﹃ 統 道 真 伝 ﹄ 万 国 産 物 為 レ人 言 語 論 の 阿 蘭 陀 レ忍 レ辱﹂ と あ り ( ﹃日本 古 典 文 学 大 系 ﹄ 近 世 思想 家 文 集 、岩 波 書 店 、 一九 liberty各 土 の憲 法 ﹂ が リ ー バ ー の章 構 成 を 下 敷 き に し て い る こ と は 明 白 であ る の自 由 、安 心 の自 由 、 国 教 定 置 の非 、 交 通 以 下各 種 の自 由 に 関 す る泰 西 ( ﹃小 野梓 全 集 ﹄ 第 五巻 、 三 六九 頁 )。 六 六 年 、 七 〇 六頁 )、 こう し たintercoと uし rて se の ﹁交 通 ﹂ の 用 例 は 、 枚 挙 に蓬 が な い。 (19) ま た こ こ では ﹁交 通 の自 由 ﹂ が 、 ﹁ 天 然 無 限 の自 由 ﹂=natural が 、 同 時 に 、各 国 憲 法 を 引 証 す る そ の叙 述 法 が 、 植 木 枝 盛 の ﹃民 権 自 由 li にb 分e類 rさ tれ yる 点 で、 ﹁ 人 ではなく ﹁ 社 会 の人 民 の自 由 権 ﹂=civil 論 二編 ﹄ 甲 号 のそ れ と 酷 似 し て い る点 も 見 逃 さ れ ては な る ま い。 研究ー 畿外と自己像﹂ ( 前 掲 註 (5) 拙 著 所 収 ) を 参 照 。 地 方 鉄 道 の展 開 と 市 場 形 成 ﹄ ( 日 本 経 済 評 論 社 、 一九 八 三年 )を ( 31 ) 明 治 期 の鉄 道 史 に つ い て は 、 さ し あ た り 老 川 慶 喜 ﹃ 明治 期地方 鉄道史 家- ( 30 ) ﹃ 太 平 記﹄ 冒頭 の ﹁ 聾 断 の利 ﹂ に つ い ては 、 東 島 誠 ﹁ 都市 王権と中世 国 一二 二∼ 一二六 頁 )。 ( 29 ) 明治 十 四年 五月 五 日付 ﹃ 東 海 経 済 新 報 ﹄ 二 五 号 (﹃ 小 野 梓 全 集 ﹄ 第 四巻 、 間 天 然 ノ賦 稟 ﹂ で あ る ﹁結 交 ノ欲 ﹂ と は 、 一応 区 別 さ れ て いる こと が わ かる。 (20) 小 野 梓 の事 績 に つい ては 、 大 日 方 純 夫 ﹁﹃ 内 外 政 党 事 情 ﹄ に見 る 施 政 批 判 ﹂、 ﹁ 小 野 梓 に おけ る 理 論 と 実 践﹂ ( ﹃ 自 由 民 権 運 動 と 立 憲 改 進 党﹄ 早 稲 田大 学 出 版 部 、 一九九 一年 、初 出 一九 七九 ∼ 八 三年 ) など を 参 照。 (21) ﹃ 東洋論策﹄ 二 ( ﹃小 野 梓 全 集 ﹄ 第 四巻 、 早 稲 田大 学 出 版 部 、 一九 八 一 年 、 一四 ∼ 二 六頁 )。 14 参照。 (32) 例 え ば 、 明 治 十 二 年 五 月 十 四 日付 ﹃ 朝 野 新 聞﹄ の 社 説 ﹁官 吏 講 談 の 質 (一五 〇 疑 ﹂ (日本 近 代 思想 大 系 ﹃ 言 論 と メ デ ィ ア﹄ 岩 波 書 店 、 一九 九 〇 年 、 三 七 三 ∼ 三 七 六頁 ) にも ﹁ 道 路 ノ浮 説 流 言﹂ が見 え る。 (33) ﹃ 政基 公 旅 引付﹄ ( 和 泉 書 院 影 印 本 、 一九 九 六 年 )文 亀 二年 二 ) 十 二 月 三 日 条 。 従 って 、 か つ て中 世 史 家 の問 で 流行 し た よ う な 、 ﹃ 塵 芥 集 ﹄ の ﹁公 界 の道 ﹂ を 根 拠 に ﹁道 路 は ﹃ 公 界 ﹄ そ のも の で あ った ﹂ と 言 え る か ど う か を 争 う 類 の議 論 は 、 筆 者 に は 極 め て陳 腐 なも の に思 え て な ら な い。 ( 34 ) ﹁ 鉄 道 旅 行 の観 察 ﹂ ( 明 治 二十 二年 十 一月 二十 七 日 付 ﹃ 東雲 新聞﹄ 五二 八号、 ﹃ 中 江 兆 民 全 集 ﹄ 12、 岩 波 書 店 、 一九 八 四年 、 四 九 ∼ 五 二頁 )。 (35) な お 、 山岳 党権 利 宣 言 は 、﹁一千 七 百 九 十 三 年 仏 蘭 西 民 権 之 告 示 ﹂ と し て、 中 江 兆 民 自 身 に よ って も 翻 訳 さ れ て い る ( 明 治 十 五 年 二月 二十 日 付 集 ﹄ 15、 一五 九 ∼ 一六 〇 頁 )。 (40) ︽ 結 界︾ 概 念 の布 置 に つい て は 、前 掲 註 (5)拙 著 第 二部 全 般 を 参 照 さ れ た い。 (41) 明 治 二十 一年 十 月 日 序 、 十 一月 十 日 刊 ﹃ 国 会 論 ﹄ (﹃ 中 江 兆 民 全 集 ﹄ 10 、 岩 波 書 店 、 一九 八 三 年 ) 五 六 頁 。 毛 武鉄道 を (42) ︽相 互 行 為 ︾ と ︽交 通 ︾ の連 関 に つ いて は 、前 掲 註 (5) 拙 著 一〇頁 を 参 照。 (43) 中 江 兆 民 と 鉄 道 事 業 に 関 し て は 、小 松 裕 ﹁ 兆 民と鉄道- 私設鉄道事業 を中心 に﹂ (﹃ 早稲 田大学大学院文 学研究科 紀要﹄別冊 中心に﹂ ( ﹃ 史 観 ﹄一一 一冊 、 一九 八 四年 )、 同 ﹁ 実 業 家 中 江兆 民 の 一側 面 - = 集 、哲 学 ・史 学 編 、 一九 八 五 年 )、 松 永 昌 三 ﹁ 実 業活 動 期 の兆民﹂ (﹃ 中 江 兆 民 評伝 ﹄ 岩 波書 店 、 一九 九 三 年 ) な ど を参 照 。 (44 ) ﹁ 奢 修 の運 搬 ﹂ ( 明 治 三 十 三 年 十 二 月 十 一日 付 ﹃ 千 代 田 毎 夕 ﹄ 五 一八 号 、 (45) 東 京 大 学法 学部 明 治 新 聞雑 誌文 庫 に 一 ・二 号 の み所 蔵 。 ﹃ 中 江 兆 民 全 集 ﹄ 15、 二三 〇 ∼ 二三 一頁 )。 七 八 ∼ 八 二頁 ) 。 そ こ で の第 七条 に は ﹁思想 論 説を 交 通 す る の 権 義 ﹂ な る (46) 東 京 大 学 法 学部 明治 新 聞 雑 誌 文 庫所 蔵 。 ﹃( 欧 米 ) 政 理 叢 談 ﹄ 一号 、 ﹃ 中 江 兆 民 全 集 ﹄ 14 、岩 波 書 店 、 一九 八 五 年 、 訳 語 は 見 え な い。 と は 言 え ﹁ 思 想 を 運 輸 す る﹂ の概 念 も 未 だ 登 場 し て お (47) 同 文 庫 で は 創 刊 号 が 欠 号 し て いる た め 、 明 治 二 十 三 年 十 二月 十 日 付 ﹁ 私 ﹂﹄ 日 本 経 済 新 聞 社 、 一九 七 六 年 、 初 出 一九 七 二年 )。 ︽交 通 ︾ 概 念 を (52 ) 安 永 寿 延 ﹁ 生 産 人 の 没 落 と 交 通 人 の 誕 生 ﹂ (﹃ 日 本 に お け る ﹁公﹂ と 三九頁など。 (51) 小 森 陽 一 ﹃ 漱 石 を 読 み な お す﹄ ( ち く ま 新 書 、 一九 九 五 年 ) 二三 六∼ 二 (50) 明 治 二十 八年 二月 二十 五 日付 ﹃ 交 通 ﹄ 一〇 〇 号 。 (49) 明 治 二十 四年 十 一月 十 日 付 ﹃ 交 通 ﹄ 二 二号 。 (48) 明 治 二十 四 年 八 月 二十 五 日 付 ﹃ 交 通 ﹄ 一七 号 。 ﹃ 交 通﹄ 二号 によ った 。 ら ず 、 中 江 兆 民 に と って、 こ の 問 題 が ま さ に 、明 治 二 十 年 代 に 初 め て浮 ﹃ 東 雲 新 聞 ﹄ 四 八 二 号 (﹃ 中 江 兆 民 全 集 ﹄ 15 、 上 し た も ので あ る こ と が 、 改 め て推 察 さ れ よ う 。 (36) 明 治 二十 二年 九 月 十 日付 岩 波 書 店 、 一九 八 五 年 、 一〇 三 頁 )。 号 (﹃ 中江兆 民全 (37) 明 治 二十 二年 九 月 十 四 日 付 ﹃ 東 雲 新 聞 ﹄ 四 八 六 号 (﹃ 中 江 兆 民 全 集﹄ 15、 一〇 七 ∼ 一 一〇 頁 )。 (38) 明治 二 十 四年 三 月 二 十 四 日 付 ﹃ 立 憲 自 由 新 聞﹄ 二二 一 集 ﹄ 15、 一八 四∼ 一八 五頁 )。 (39) 明 治 二 十 四 年 一月 二 十 八 日 付 ﹃ 立 憲 自 由 新 聞 ﹄ 一八 八 号 (﹃ 中江 兆民全 15 キ ー ・ワ ード と し て ︽公 共 圏 ︾ を 論 じ た 前 掲 註 ( 5 )拙 著 に お い て、 こ の安 永 の業 績 に 触 れ ると こ ろ が な い のは 、 全 く 不 当 であ り 、 不 勉 強 と 言 わ ざ るを 得 な い。 こ こ で安 永 の業 績 に触 れ る こ と に よ って 、 幾 ら か でも こ の不 備 を 補 う こと が でき れ ば 幸 い であ る 。 16