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結合と教祖の人材論
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 香川大学経済論叢 第7 3巻 第 4号 2 0 0 1年 3月 3 3 1 0 6 結合と教祖の人材論 原田 保 1.教祖と結合からの人材論への接近 さて,いよいよ 2 1世紀を迎え時代の価値観が根本的に転換することとなり, これに伴い我々の個人生活の仕方や仕事の仕方については従来とは異なる方法 1世紀型のライフスタイルや が模索されている。しかし,未だに多くの人聞は 2 ワークスタイルを確立する段階には至っていない。また,企業や,家庭や,そ して多くのコミュニティにおいても,まさに一人ひとりの人聞に対してどのよ うな組織的対応を行うべきかを考えあぐねている。そこで,このような混迷の 時代を切り開くべく,本稿においては 2 1世紀の企業社会に対して期待されるべ き人材像についての提言を試みる。 1世紀という時代が人材の質の向ょ 言い換えれば,この試みについては実は 2 や育成方法が大きく関われる時代であるという問題認識から行われている。実 際に,現在既に提示されている多くの既存の人材論や教育論についてはほとん ど旧態依然たる旧い時代の価値観に依拠した考え方が残存しており,未だに本 格的には新世紀に相応しい人材の質の向上や育成方法についての道筋はほとん ど提供されていない。このようなことで,我々は一体社会の中でどのように生 き,そしてどのように仕事を行っていくべきかを見通すことができるのだろう か 。 そこで,このような聞いに答えるべく,本稿においては新世紀に相応しい人 材についてある種の組織結合や人材結合の達人であるという仮説を設定し,こ れに基づき新たな人材モデルを構築することへの挑戦を試みる。さて,このい わゆる結合の達人の持つエクスパテイ}ズとは,主に人材を結合するパワーや OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 34- 香川大学経済論叢 8 7 6 能力を編集するパワーのことである。彼らの保持している最大の武器とは,そ れぞれにその結合力によって他者に対する多大な求心力を備えていることであ り,言い換えれば多くの独立した存在である人材をある種の方法によって磁石 のように吸い付けることである。その意味においては,彼らは組織結合や人材 結合のプロフェッショナノレであり,多くの他者から信頼を勝ち取ることに秀で た人間操縦のエキスパートである。そこで,このようなパワーを典型的な形で 保持しているものとして,ここでは宗教組織にみられる教祖,預言者,グルを イメージしながら,新世紀に期待されるべき結合の達人についての考察を行っ てみる。 さて,今や我々に必要なことは自らが自信を取り戻すことであり,そのため に多くの人聞において実は信頼のおける教祖的な人聞に帰依したいという願望 が高まっている。このことは,我々一人ひとりの人聞が,それぞ、れこのような 段階にまで苦境に追い込まれていることを意味している。そこで,このような 状況から我々を脱出させることを期待できる教祖,預言者,グ 1レとは一体どん な資質を持っており,また彼らはどのような手助けを行ってくれるのかについ て述べてみる。また,彼らの大衆からの信頼獲得の方法はどのように行われる のか,大衆を帰依させるパワーとは一体どのようなものであるのか,について も併せて言及する。 なお,ここにおいては,このような問題意識に立脚しながら,いわゆる迷え る子羊である弱き大衆サイドにスポットをあてるのではなしむしろ彼らに希 望を与えパワーを行使する教祖(預言者やグルを含む)サイドにスポットをあ てることとした。その意味においては本稿の狙いは,まさに現代の教祖とは一 体何なのかを探求することであり,また真の教祖とは一体どのような特徴を 持っているのか,を明確にすることである。それは,教祖の信者に対する影響 力がきわめて多大であり,そして多くの教祖に帰依した信者は盲目的に追従し てしまう危険性があるからである。 さて,翻って我々の日常生活を見てみると,実際に教祖的なパワーを発揮し て多大な成果を上げている人聞が多数存在している。例えば,多くのネットベ OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 8 7 7 結合と教祖の人材論 -35 ンチャーの経営者もそうであるし,また既に確立した職業としての芸能界や芸 術界におけるプロデューサーなども,そのような人材の代表的な事例である。 そして,このようなパワーを持った人材が増大することが予見される状況下に おいては,一方では,これのエクスパティーズをいかに獲得するか,そして他 方では,これらの人間とどのように関係を持っていくのか,が多くの企業人に とってきわめて重要な戦略的な課題となる。 もちろん,多くの企業人において自らが教祖的な人聞になるケースはそんな に多くは生じない。しかし,たとえ自らがそのような教祖的なパワーを保持し たプロデューサーを志向しなくても,例えばある種のエキスパートとして生き ていくためには一体どんなプロデューサーといかなる関係を持つべきか,とい うことはきわめて重要な問題である。それは,才能に恵まれた有能なプロデュー サーが多くの人材の持つエクスパティーズを束ねることで組織的な付加価値を いかに増大させうるかが,今後のビジネス界における競争原理の中核を占める からである。 そこで,このような狙いを持って,本稿においては前述したように結合と教 祖からの人材論への接近を試みている。そして,そのため多くの宗教組織やカ ノレト集団にも言及しながら,教祖に代表される組織のオノレガナイザーの持つ組 織や人材の結合力について考察を深めてみる。ここにおいては,特に教祖サイ ドに見られる超常的ノ fワーを掘り下げながら,その上で新世紀の企業経営にお いて教祖に期待されるパワーと,これらのパワーを保持している教祖に見出す ことのできる組織や人材の結合方法について言及を試みる。これは具体的には, まず教祖に体化された超常的パワーを分析し,そして, ζ の結果を踏まえてカ リスマプロデ、ユーサーに見る異次元パワーの本質を抽出し,最後に人材デザイ ンの未来展望を行っている(図-1)。 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ -36- 香川大学経済論叢 8 7 8 図ー 1 人材デザインの現代思想的展開 カリスマ プロデューサー の異次元能力 教祖に 体化された 超常的パワー 議ゑ 人材デザイン の 未来展望 2.教祖に体化された超常的パワー 2 0 1 超常的パワーに見る本質 レなどの保持するパワーの本質について考 ここでは,まず教祖,予言者,グ l えることとする。なお,一般的には,教祖や予言者は伝統的な宗教組織に散見 される概念,そしてグルはカルト集団に散見される概念として捉えられるが, 著者は人材論としての本質においては両者にはそれほど多大な差異はないもの と考えている。それでは一体,教祖,予言者,グノレがなぜ、他者から信頼を寄せ られ,そして生命を賭けるほどの帰依を獲得できるのかについて考えてみる。 それは,彼らが常軌を逸したパワーすなわち超常的パワーを保持しているか らであるが,しかし,それでは一体どうして特定のごく少数の人聞にだけこの ようなパワーが与えられるのだろうか。もしも,このことが究明できれば意図 的に教祖,予言者,グルを誕生せしめることができるし,それらの持つパワー を日常の多様な組織運営に活用することも可能となる。そして,今後の企業経 営においては,このような超常的パワーを備えた新たなタイプの教祖的な人材, OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 8 7 9 結合と教祖の人材論 37 すなわち著者の提唱するビジネスプロデューサーに対して多大な期待が寄せら れる。 さて,このビジネスプロデューサーに期待される超常的パワーとは,ある種 の奇蹟を実現するパワーのことを意味している。例えば,ミラクルを連発する 巨人の長島監督などもまさしくミラクルパワー,すなわち超常的パワーを持つ ある種の教祖的な袴在としての可能性を持っている人間である。そして,この 奇跡を可能とするパワーこそが,まさにミラクルパワーとも超常的ノ Tワーとも いわれるパワーなのである。 さて,奇蹟とは一般的には常識では理解できない出来事を意味している。し かし,キリスト教においては,これは人々を信仰に導くために神によってなさ れたものと信じられている不思議な現象である。これには具体的には,例えば 聖霊による受胎とか,復活とか,病人の治癒などをあげることができる。なお, このキリスト教においては,信頼を超えて信仰の段階において人間との鮮を強 めるには,まさに主体としての神と行為としての超常現象が不可欠であると考 えられている。 そこで,以下において神と神がもたらす超常現象について考察を加え,超常 的パワーの本質について理解を深めることとする。なお,ここにおいて神は必 ずしも宗教の世界にのみ顕現するものではなしもっと等身大で日常生活のあ らゆる局面においても顕現する存在として多様な形態をとると考えられてい る。実際に,それほど現在では超常的ノ fワーが期待されているし,超常的パワー を保持した者が教祖,予言者,グVレとしておおいにパワーを発揮していること も真実である。 さて,一般的には,教祖,予言者,グルは神の代理人のような存在であると 考えてよい。そこで,ここで神とは一体どんなものなのかについて考えてみる。 この神とは当然ながら人聞を超えた存在であり,人聞に禍福や賞罰を与え,そ して信仰や崇拝の対象となる存在である。そして,このことは,たとえ神がい ずこであっても,必ずや宗教や習俗においては,神が信仰,崇拝,儀礼,神話, 教義などの中心になる位格や存在であることを意味している。特に,キリスト OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 38- 香川大学経済論叢 8 8 0 教,ユダヤ教,イスラム教においては,神は超越的な絶対者として位置づけら れている。 また,これに対して,教祖については以下のように考えることができる。す なわち,この教祖とはまさに宗教を切り開いた人であるが,一般的には神に代 わって人聞を導き教える神の代理人のような役割を担う存在である。これは, すなわち,教祖は背景に神がいることで絶対的なパワーを認められた存在であ ると考えられる。したがって,普通では自らが絶対者として存在するのではな しまさに神と不可分であることが彼らのパワーの源泉となっている。そこで, 著者の唱える後述されるカリスマプロデ、ユーサーについては,このような神を ノてックにした教祖,予言者,グ Jレのビジネス版であると考えてさしっかえない。 2 . . 2 宗教の持つ超常的パワー 今までの論述から,現在では超常的パワーが強く求められていることが理解 できたはずである。そこで続いて,超常的パワーが宗教においてどのように現 出しているかを考えてみる。超常的ノ fワーはまさに宗教によって多様な姿を見 せているが,それでもそれは基本的には共通した特徴としてまとめあげられる。 伝統的宗教においては,キリスト教においてもイスラム教においても,とも に歴史の重みが重要な意味を持っている。それは教会やモスクという場を確立 したし,そこでは聖書やコーランという経典が絶対的な意味を持っている。両 者が異なる点は,キリスト教が教会組織と聖職者の権威が尊重されているのに 対し,イスラム教では形式的な組織化よりもむしろ巡礼や礼拝などを通じた儀 礼が重視されることである。 ニューエイジについては,伝統的宗教に比較して神秘的要素が色濃く強調さ れている。また,そのこともあって,教団の指導者の信者への支配力はきわめ て多大なものとなっている。そして,そこでは指導者の神秘性に依拠した支配 によって信者は覚醒されという考え方が貫徹される。その意味で,ニューエイ ジでは教祖,予言者,グルの信者に対する影響力が伝統的宗教に比べて圧倒的 皇くなっている。 に5 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 8 8 1 39- 結合と教祖の人材論 さて,伝統的宗教とニューエイジに共通してみられる点として,人間に関わ る問題,言葉に関わる問題,組織に関わる問題がある。それは,すなわち神が 背後に存在していること,経典が確立されていること,場の形成と広告塔が存 在していること,の 3点である。こうして,組織化を推進するための仕掛けが 多様に構築されているのが宗教における特徴である。 ( 1) キリスト教の超常的パワー さて,初期のキリスト教の指導者における特徴については,イエスをはじめ 多くの弟子たちについてもほとんどが孤独な苦行者であることに見出される。 そのことは,特に礁の刑に服したイエスの死に象徴的に表されている。イエス は神の子であったが,実は彼の信仰の中心には愛が位置づけられていた。その 意味では,キリスト教の本質については愛の宗教であるといえる。 キリスト教において注目すべき点は,千年王国の建設を説く黙示録が存在し たこと,すなわちある種のビジョン形成が行われてきたことである。しかし, このビジョンは正式に認知されるまでには実に多くの歳月を必要としてきた。 なお,この千年王国は未来の報いを改宗者に約束して改宗者の熱意を掻き立て るものであった。また,千年王国については,後日宗教改革の初めにトーマス・ ミュンツアーによる再洗礼派教徒たちの間で再燃もしたし,現在でもモノレモン ( 1 ) 教徒の間ではその意義は大きく取り上げられている。 次の特徴は,異端から正統を守り抜く教父たちが存在したこと,すなわちあ る種の正統的な理論家が存在していたことである。この教会の父という概念は アウグスティヌスの中に典型的に現れ,その後にウィンケンティウス・レリン スによって定義された。当然ながら,これらの中で最も著名な教父はアウグス ティヌスであるが,彼の哲学の持つ特徴は孤独な精神の探求ではなく神との対 話による精神の探求にあった。すなわち,アウグスティヌスは膜想家であり神 ( 2 ) 秘主義者であると考えてよい。 また,宗教改革の存在についてもキリスト教の大きな特徴であると考えられ る。特に, 1 6世紀の宗教改革については,北ヨーロッパにおける新たな精神世 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ -40- 8 8 2 香川大学経済論叢 界の樹立に対して多大な貢献を果たした。最終的には,マルティン・ 1レターに よって完成された宗教改革は次第に各国に流布し,各国各様の宗教改革、が展開 されていった。こうして,宗教改革の過程からプロテスタンテイズムが登場し ( 3 ) キリスト教は多様な形で発展していった。 そして,何よりも重要なものとして,教会による組織化戦略が徹底して追及 されことがあげられる。もちろん,この組織化戦略については,カトリックと プロテスタントでは少々異なっている。 そこで,ここでは例えばカトリック教会のヒエラノレキーについて言及してみ る。このカトリック教会においては 3つのレベルのヒエラルキーが存在してい る。司教は司教区の責任を担い,司祭はここの司教管区の精神的指導者である。 また,教皇は司教を叙階して司教は司祭を叙階する。また,諸教会を治める教 皇を補佐するのは枢機卿団と教皇庁である。なお,教会の主要な仕事は裁くこ ( 4 ) とではなく教えることであり,教えを介して勧告することである。 また,いつの時代でもそうであったが,今においても教えが広く世界の人々 の生活に多大な影響を与えていた。特に,信仰の時代といわれる中世ヨーロツ パにおいてはきわめて絶大な影響力を保持していた。また,アメリカにおいて は,教会のない町はないし,大都市には多くの荘厳な大カテドラノレが建造され ている。そして,クリスマスの季節になると,街路や,家,公共の建物などは 明かりが点滅して華やかな飾りが施される。また,社会の法や倫理的判断につ いてもキリスト教に由来しているものが多い。 ( 2 ) イスラム教の超常的パワー イスラム教の他の宗教と異なる点は,これがたんに宗教であるのみならず社 会秩序であり同時に文明でもあることである。すなわち,このイスラムとは教 えとしての宗教を超えた超宗教的なパワーを備えた存在なのである。なお,イ スラムにおいては,原則としてイスラム教とはムハンマドにより人々に伝えら れた神の言葉そのものである。 このイスラムは世界に広く流布しているが,これが厳格な一神教信仰により OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 8 8 3 結合と教祖の人材論 4 1ー 統合されており,また典礼の共通語としてのコーランを唱えることが義務付け られている。そして,神たるアッラーとその預言者たるムハンマドにすべての パワーが集中された体制が確立しており,結果として誰も聖職者がいないとい う珍しい宗教組織の形態を形成するに至っている。それでは,以下において, このイスラム教の隆盛を可能とした要因について若干の言及を行ってみる。 第 lに,キリスト教と比較して歴史上に聖職者として登場する人数はきわめ て少ない。このことは,イスラム教においては預言者ムハンマド以外に聖職者 が存在しないことが前提だからである。その分だけ人々の尊敬はムハンマドに 集中しているし,彼に強い求心力を持たせている。なお,彼の説教については アラブ化を強めながら流布されていったのだが,そのため現在でも世界にムス ( 6 ) リムネットワークの形成が追求されている。 第 2に,イスラム教にパワーを与えているものとしてコーランをあげること ができる。これは,地上生活においてはすでにある種の形式的な位置に後退し てしまっているキリスト教や仏教の経典と比較すると,今でもイスラム教徒の 生活のあらゆる面を支配している絶対的なパワーとなっている。実際に,この 忙しい時代に 1日に 5回のお祈りに時間を割かせることは,まったく想像を絶 するようなパワーである。 このことは,言い換えれば宗教的儀礼の重視であるともいえる。そこで,第 3の特徴として儀礼に則った宗教生活の営みがあげられる。ムハンマドは礼拝 に行くことを呼びかけているため,礼拝の場であるモスクがムスリムたちの宗 教的結合の拠点として重視されている。そして,このモスクにおける礼拝によっ て,主に男たちは自分たちが同じ共同体の一員であり,同一の神への信仰を共 有していることを確認している。 また,どの宗教にとっても聖地はきわめて大切なものだが,イスラム教にみ られる聖地への巡礼はきわめて大きな意味を持っている。そして,すべてのイ スラム教徒は一生の聞に必ず一度は聖地メッカを訪れることが奨励されてい る。これこそが,かのイスラム教徒のいう著名なハッジュなのである。このハツ ジュは 5日間の儀式であるが,ここにおける主要な儀式は集団儀礼である。こ OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 42- 香川大学経済論叢 8 8 4 れらを通じて,背景や言語や習慣も異なる世界のイスラム教徒が共通の強烈な 経験を分かち合うことができ,その意味においては巡礼が世界を結んでいると 考えることができる。 このように,後発の宗教であったこと,あるいはヨーロッパとアジアの境界 にイスラムが存在していることもあってか,イスラム教においてはきわめて特 異な組織化戦略がとられたし,きわめて強烈な個性を持ったムハンマドのよう な預言者,すなわちカリスマを持った人間の登場を見るに至った。このように, イスラム教は従来の宗教の枠を超えたところで世界的な人的なネットワークを 形成しており,それをまさに確実なものとする仕組みがモスクと巡礼なのであ る 。 ( 3 ) ニューヱイジの超常的パワー 以上で述べてきた伝統的な宗教のみならず,超常的パワーは現在の神秘的な 集団や新興宗教においても脈々と受け継がれている。ある意味では,どこにお いても組織化を人間の精神の結合によって実現させるためには,そのような超 常的なパワーが不可欠であった。その意味では,ほとんどのニューエイジ運動 は,いわゆるグルの神秘性による支配と覚醒による組織化が追求されている。 一般的には 1 9世紀末から今日までの神秘的な思想を背景に持った集団的な 運動がニューエイジであると考えられているが,その 1つの契機として考えら れるものとしてマダム・ブラヴァツキーの神智学運動を上げることができる。 そこで,ここにおいては,ブラヴァツキーの唱えた神秘による支配という面に かかわり一世を風廃した字宙的友愛の精神について紹介する。 この神智学の第 1の特徴としては,いわゆる知識を超えた叡智を追求するこ とがあげられる。だからこそ,神智学協会という組織名が採択されたわけであ る。神智学においては,たんなる知識や機械的な心理の動きを重視せずに,そ の代わりに変革や叡智を重視する。その理由は,前者の知識は硬直した実りの ない時には人を多様な愚かしい状態に陥れるが,後者の叡智は人を変革するパ ワーを持っているからである。 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 8 8 5 -43ー 結合と教祖の人材論 第 2の特徴としては,進化論を組み込むことで永遠の発展を運動の目標に設 定することに成功したことがあげられる。すなわち,神智学においては進化論 を変革の考え方と輪廻転生の考え方によって霊的な文脈の中に位置づけたので ある。これは言い換えれば,神智学では人聞は霊的な進化を通じて限りなく発 展するという立場がとられていることである。したがって,神智学においては, 生命意識の衝動が目的論的にその内的な要求にしたがって獲得するという形態 。 。 の発展を考えている。 第 3の特徴は,ここでもシークレツトドクトリンという教義の集大成,すな わちある種の経典が存在していることである。ここにおいては,根幹人類とい う概念が持ち出されている。なお,この根幹人類については 7つに区分されて おり,これが特定の意識のレベルを表しているという考え方が提示されている。 そして,個々人は神の火花である真我の一片を自分のものとし,いつかは完全 ω な至福を享受する時を迎えるという考え方である。 また,第 4の特徴としてはニューエイジの全体的な特徴でもあるが,この神 智学協会においてはブラヴァツキーの魅力もあってか,実に多くの著名人が運 動に参加していることである。例えば,かつてインドのネーノレ首相やマハトラ・ ガンジーが人智学協会に参加していた。さらには,詩人の W.B イェーツ,作 曲家のアレキサンドル・スクリャーピン,画家のワシリー・カンディンスキー, ペエト・モンドリアンなどもメンバーであった。 この神智学をはじめ多くのニューエイジにおいては,いわゆる超人への道を 模索するものであった。これについては,言い換えれば神の力添えによって人 間以上のパワーを獲得することを志向した考え方に基づいた運動であった。そ のために,結社においては意志の統一が前提条件とされ,高次の生活理想、と教 ω 団指導者との両方に対する忠誠心が強く求められることとなった。 ( 4 ) 超常的パワーの解釈 それでは以下において,以上述べてきたキリスト教,イスラム教,そして ニューエイジ運動に散見される超常的パワーから読み取れる共通の特徴の抽出 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ -44- 香川大学経済論叢 8 8 6 を行ってみる。もちろん,それぞれの宗教がまさに驚博するような固有のパワー を保持しているからこそ,それが超常的パワーといえるのであるが,しかし, そこには言い方は異なるといえども共通の意義を見出すことができる。 そこで著者は,ここにおいては,それらの特徴を以下のような 3点に要約を 行った。それらは,具体的には,第 1は人聞に関わる問題,第 2は言葉に関わ る問題,第 3は組織に関わる問題,という 3点である。これらのことは,いず れの宗教団体やニューエイジの組織に共通に見出される特徴として,まずもっ )。 て研究する必要性が多大な課題であることを意味している(図-2 図 -2 超常的パワーへのアプローチ軸 パワーに見られる 人間に関わる問題 さて,第 1の人間の問題については,自らが神を標梼するのではなしむし ろ神の代理人である教祖,預言者,グノレというような立場の人間のパワーによっ て宗教教団やニューエイジ組織が維持発展されている場合が多いようである。 すなわち,よい教祖,預言者,グルが登場すれば組織が発展するわけで,これ は他の一般的な組織にも当てはまる課題として捉えることが可能である。なお, 具体的にはイエスキリストやムハンマドやブラヴァツキーがそうである。 第 2の言葉の問題であるが,これは神の言葉としてまとめられたものや,後 日預言者や著名な師徒や教父によってまとめられたものがある。これの代表的 な事例として,キリスト教では聖書が,イスラム教ではコーランが,神智学で OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 8 8 7 結合と教祖の人材論 -45ー はシークレツトドクトリンが存在している。これは,組織において構成員を縛 るものであり,これが厳しければ厳しいほど組織とし‘て求心力が強くなるのが 一般的である。この言葉の重要性については,実はキリスト教において言葉は 神であるといわれていることからもよく理解できる。 第 3の組織の問題であるが,これは閉鎖的な場の形成が行われることが普通 で,同時に,この場の外部に向けて顕現される価値を示すための象徴的な著名 人材が囲われていることが前提になる。したがって,一般的には特に時の権力 者やそれに近い人々が多く参加していることが不可欠であり,場合によっては, 広告塔の役割を期待される文化人などの存在も大切な条件となる。このことか ら,宗教と政治の結合や宗教と文化の結合がもたらされていることが理解でき る 。 なお,このような人間と言葉と組織こそが特に精神界においてパワーを獲得 するための重要な要素であり,またこれらの三位一体となった戦略の構築が組 織デザインにおいておおいに期待されている。そして,これらの中核に位置づ けられるのがまさに人間であり,この人間としての預言者やグルの到来に組織 の未来が委ねられていると考えることができる。だからこそ,現在においても, 預言者やグルの登場が期待されているわけで,実際に多くのすぐれた組織は, 企業においても国家においても,また当然ながら宗教団体においても,彼らの 質がまさに組織の盛衰を握っている。 これらの 3要素が組織化において重要な理由は,これらを駆使することで多 くの人聞を組織的に支配できるし,また,そのことを通じて組織への参加者に 対して覚醒を促すことができるからである。このことは,組織からみれば支配 であっても,参加者 1人ひとりからみれば主体的な参加であり,したがって, 自己を覚醒させてくれるポジティブな空間として組織が映ることが特徴であ る 。 2 . . 3 超常的パワー関係の本質 宗教組織にみられる超常的パワーについて理解が深まったと思われるので, OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 46- 香川大学経済論叢 8 8 8 ここでは超常的パワーの持つパワー関係の本質を探ることに挑戦する。した がって,まずパワー理論の一般理論のレヴューから始め,パワー論から教祖, 予言者,グノレと信者の関係を読み解いていくこととする。なお,これによって 宗教組織に採用する組織論やこれを演出する支配者サイドの能力の優秀性に認 識することができる。 さて,支配と従属の関係を正統に成立させることは結構困難な課題である。 それは,支配者サイドと従属者サイドの聞にはいわゆる了解がなされていなけ ればならないからである。したがって,この了解の円環ともいうべき了解シス テムの意義はきわめて多大なものと考えることができる。そして,この了解の 円環に基づいて支配者サイドと従属者サイドの聞にパワーの平衡状態が確立さ れていく。 さて,この了解の円環を導き出すパワーは,支配者サイドと従属者サイドが それぞれの背景に保持している妥当域の有効性である。これが多大であればあ るほど,両者の聞の権力関係は多大になることが理解できる。そして,この妥 当域の大きさがバランスした所にパワーの平衡が,すなわち安定した権力関係 が樹立されることとなる。 また,ここで強調しておくべきことは権力と自由が相互に補完的な概念であ ることである。すなわち,このことは自由が発見されればされるほど権力が見 出されることからも理解できる。したがって,権力の行使にはある一定程度の 自由の存在が前提条件になっているといえる。そして,たとえ無意識的であれ, 権力については自由を抑圧することでその行使の意味が見出されている。 ( 1 ) パワー関係の一般理論 以上において宗教組織が持つミラクルパワーについて理解できたと思われる ので,以下において宗教組織にとって重要であると考えられるパワー関係につ いての本質を議論してみる。具体的には,まずパワー関係の一般理論の理解を 深め,その後に宗教組織が持つパワー論の本質について教祖,預言者,グノレな どパワーの行使者の立場とパワー行使の対象者としての信者の立場からパワー OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 8 8 9 -47 ー 結合と教祖の人材論 関係の本質を聞い,最後に両者のパワー関係についての総括を試みることとす る 。 パワー関係は,例えば個人や個人間関係,組織や札織間関係,国家や国際関 係などにおける社会システムの代表的なコンテクストである。そして,このパ ワー関係については昨今では新たな理論的な発展も行われている。しかし,パ ワー関係が社会理論として確立したのは実はマックス・ウェーパーの功績が大 きく,これを大きくブレークスルーさせたのがタルコット・パーソンズであり, これを超えたのがニコラス・ノレーマンであった。そこで以下において,この 3 者のパワー理論について小松陽ーの論考を参照しながら簡単な要約を行ってお く 。 ウェーパーの定義によれば,パワーとは,ある社会関係内にある行為者が他 方の抵抗に関わらず,またそれが依拠する基盤が何であれ,自分の意思を貫く 立場にある対蓋然性であると規定される。そして,彼の理論においては,この ようなパワー概念の延長戦上に支配概念が構築されている。なお,それは,第 lが合法的支配,第 2が伝統的支配,第 3がカリスマ的支配,という 3類型で 。 あった。しかし,それらのパワー関係については,主に支配者サイドの条件よ 5 ) りむしろ,服従者サイドの条件から注目した論理の展開が行われた。 続いて,このウェーパーの伝統的パワー論を乗り越えた理論としてパーソン ズのそれが登場してきた。彼は,我々が今経営学において主張している Win- Win関係を現出するパワーを,すなわち非ゼ、ロサム概念で説明しうるパワー関 係の源泉となるパワー概念を提供してくれた。このパーソンズによる非ゼ、ロサ ム概念の確立は,従来の相互に排他的な目標を持っているパワー関係であるゼ、 ロサム概念からの脱却させたパワー論のブレークスルーであった。 彼によれば,社会システムの有効性の視点、に立脚すれば,非ゼロサム関係, すなわち Win-Win関係はきわめて効果的なパワー概念となる。その理由民ノ T ワーの非ゼロサム概念においては当事者のいずれの側にも利得が獲得できる根 拠を提供できるからである。これによって,まさに競争から協創へという組織 間関係のパラダイムスイッチが可能となるし,また戦略的なアライアンスへの OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ -48ー 8 9 0 香川大学経済論叢 多様な挑戦に取り組めるようになる。 続いて,このパワー関係をオートポエーシスの観点から進化させたのがかの ルーマンであった。すなわち, }レーマンはパーソンズが提唱したシステム理論 の一般化を志向することで新たな地平を確立していった。彼は,世界はありう るべき出来事や状態の数,それらの状態や出来事の聞に生じる関係の数の増大 に連れて複雑性あるいは複合性を高め,それが人間の複雑性受容能力を超えて しまう,という観点に到達した。したがって,彼においては複雑性の縮減が追 求されることとなり,これを超えてコミュニケーションメデ、ィアとしてのパ ワー論へと発展していった。 この段階になると,社会システムは相互に予測と反応で規定しあう幾重もの 選択過程を常に前提にしているという根本仮定から出発している。したがって, コミュニケーションメディアの進化は,一方では社会におけるコンフリクトの 可能性を高めてしまうが,他方では使用可能で社会的効果のある,いわば伝達 可能な選択肢の中から選択淘汰を行う進化メカニズムが高度化することで,ま 由 自 さにコンセンサスの高度化についての可能性を高められる。 ( 2 ) 支配の論理と権力関係 以上のようにパワー論は多彩な進化を遂げたが,神の代理人でパワーの保持 者である教祖,預言者,グルによる信者に対する支配的な関係と信者による教 祖,預言者,グルに対する関係については,それぞれ伝統的なパワー論である ウェーパーの論理に依拠することで説明できる。そこで,まず前者の教祖,預 言者,グ lレのパワーである,いわゆるウェーパーの第 3の支配形態であるカリ スマ的パワーについて言及してみる。 さて,この第 3の支配形態には権力ゲームにおける権力の妥当域についての 代官と農民の聞のパワー関係と同様な支配的な関係が成立している。そこで, ここでは橋爪大三郎の論考に依拠しながら,かの著名な代官と農民の聞の権力 関係について説明を行ってみる。 橋爪によれば,王の代官 Aが農民 Bから税を取り立てるところが想定されて OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 8 9 1 結合と教祖の人材論 -49ー いる。すなわち,ここでは代官 Aは農民 Bから税を取り立てる関係が成立して いる。 Aが税を要求し,そして Bが税を払うならば,このような関係は権力関 。 。 係として成立しているといえる。 一方の代官 Aが税を取り立てるのは,その背後に彼を代官とした派遣した別 の存在としての王がいるからである。王は, Aが取り立てたのは自分の税だと 考えているため,代官にそれを引き渡すことを要求する。他方の農民 Bの背後 には,一緒に畑仕事をした家族や兄弟たちが存在している。そして,農民 Bは 自分が税を払うからという理由で,その分を彼らの取り分から集めて回ること ( 2 ) 1 となる。 このように,双方が背景にしている権力の妥当域は,その全体の構造におい て権力の妥当条件を作り出すと考えられる。このように,権力関係が権力者一服 従者という非対象な関係になるのは,双方が背景にしている妥当域の構造の差 ω ) 違に対応しているからである。 以上のような関係を宗教における教団と信者という関係で捉えてみると,以 下のような構図にまとめられる。これはすなわち,代官と農民との関係を教祖, 預言者,グルと信者との関係に置き換えることである。また,ここでは,一方 の教祖,預言者,グノレの妥当域が神ということとなり,信者の妥当域がその家 族や親類ということとなる。なお,ここでの権力関係は,代官と農民のそれが 税に依拠しているのに対し,例えば寄進に依拠していると考えられる(図 -3)。 ここにおける権力構造の特徴は,代官の妥当域が実際に目に見える存在であ る王であるのに対し,教祖の妥当域が実際には存在していない抽象的な存在で ある神であることである。したがって,神とその代理人たる教祖,預言者,グ ノレの関係が後者の恋意性によっていかようにもなるため,これは擬似的な妥当 域の創造による権力のレパレッジ装置であると考えられる。多くの権力が欲し ければ,目に見えない神の存在を大きくしていけばよい。また,権力関係が依 拠しているのは寄進であり,これらは法によって規定されるものではなく,信 者の信仰によってまたは形式的には教義によって規定される。 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ -50ー 8 9 2 香川大学経済論叢 図- 3 教団と信者における権力の妥当域 一妥当域一 一妥当域一 神の力を 背景として 権力を奮う 信者を 家族や友人が 尊敬する 〈権力関係〉 ( 3 ) 従属の論理と権力関係 さて,ここでは視点を変え信者を基軸とした預言者やグルに対する権力関係 について考えてみる。前項で述べた権力関係が支配の論理に依拠したもので あったのに対し,ここで述べる権力関係は従属の論理に依拠したものである。 したがって,前者がウェーパーのパワー論を支配者サイドから捉えた見方で あったが,ここにおいてはそれを従属者サイドから捉えた見方であると考えて よい。すなわち,橋爪によれば権力を服従者の視点から捉えるならば以下のよ ω ) うな 4点に要約できる。 第 1は,服従者には少なくとも 2つの行為の選択肢が与えられていることで ある。それは,もしも 1つしか行為の可能性がなければ,そこには権力の働く 余地がないからである。 第 2は,服従者は自由意思を備えていて,自発的に権力に服従することであ る。すなわち,権力への服従は自由意思による選択の結果である。 第 3は,服従者は自分の選考を持っていて,ある選択肢に比べて別の選択肢 を好ましいと思うことである。それは,どんな選択肢も無差別であれば,そこ には権力が働いていたといえないからである。 第 4は,現実はこうだけれどもああでもありえたはずだと,もう lつの現実 と比較する反実仮想が存在することである。それは,服従者が想像力を働かせ OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 8 9 3 結合と教祖の人材論 -51ー なければ権力が成立しないからである。 ここで大切な観点は,実は権力と自由とは相互に相補的な概念であるという ことである。このことは,自由が発見されればされるほど権力が見出されるこ とを意味している。それは,権力が自由を妨げて抑圧することで自らの存在を 暗 。 示していくからである。 そこで,権力の行使者と権力への服従者の聞で必要となる概念が了解という こととなる。ここでも,橋爪に依拠しながら彼のいう了解の円環について考察 を加えてみる。この了解とは,他者についてのありありした像を構成するが, しかし他者の行為選択や了解のあり方についての像を含んでいる。したがって, 了解は以下のような二律背反を内包することとなっている。すなわち,一方で は了解は十分に正確で他者の了解を含む外界のあり方を写しとっている。また, 他方では了解は十分に独自で、他者の了解が届かないほど自己の内部に深く向 俗) かっている。 これは例えば,私は,自分は Aさんのことなら何でも知っていると信じてい る一方で, Aさんには自分の本当の姿などわかるはずがないと信じることであ る。このように,元来二律背反している了解は矛盾しているものだが,これを 両立させるのが実は了解なのである。このような特質を持った人々の了解はま さに相互を繰り込みつつ安定した状態を保っている。これはすなわち,実際に は人々の了解している内容が異なるのに,それは問題にならず修正する必要の ( 2 ) 6 ない予定調和の関係にあることである(図 -4)。 このことが了解の円環なのであるが,これには以下のような特徴を見出すこ とができる。 第 1に,円環はあらゆる人々の了解によって構成されているため,誰かの了 解が突然変動したからといって,それに驚かされないという意味で安定的なの である。 第 2に,了解の円環は人々が社会について知りうることの極大の内容を含ん でいる。すなわち,了解の円環は社会を有意義なものとして成立させる背景に なっている。 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 52 香川大学経済論叢 8 9 4 隠 - 4 了解の円環構造 第 3に,私の了解と他者の了解はどちらの了解の円環に内臓していると想定 ( 却 できるため,内容が異なっても同じ現実に対応するものとして接続されている。 ( 4 ) 支配の正当性の概念構成 このような伝統的ノ Tワー論で説明できる預言者やグルと信者の権力関係であ るが,その両者の結合の本質は寄進による浄化の関係であると考えられる。そ れは,教祖,預言者,グルは浄化を与えることで,その対価として信者から寄 進を受け取っている関係なのである。しかし,このような関係を支えているも のは,前述したように相互の了解に基づく相補的な存在としての認識である。 このような浄化と寄進の相互了解円環システムを確固たるものにするのは, このパワーシステムの持っている正統性すなわち支配の正統性なのである。そ こで,以下において中野敏男に依拠して権力と支配の概念構成について考察を 加えてみる。この段階において,パワー論はウェーパーやパーソンズを超えて 次第にノレーマンの世界へと突入していく。 この支配の正当性がいかなる根拠から可能となるのかについては,ハーパー マスとルーマンの論争がたいへん著名なものであることは周知のとおりであ る。これは,正当性の根拠が合意なのか手続きなのかという対立として人々に 受け取られてきた。しかし,支配とは普通権威を持った命令権力と定義される OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 8 9 5 ため -53 結合と教祖の人材論 似) 2つの思考上の外枠が無効化される可能性が出てきている。 第 1は,その作動を人格聞の命令一服従関係と考えてしまう枠であり,第 2 は,そのコントロールを超越的な理念などに根拠づけなければならないという 枠であった。そうなると,権力を安定的に作動させるためには,まず保証とい う問題が関われてくる。この保証を確保する可能性も,権力が様相構成という ( 2 9 ) 時間軸に関わる作動をなすことから時間軸上には 2つの方向に聞かれている。 第 1は,行為選択連闘を整序する命令権力の実績あるいは実力が示されるこ とで,関与者たちに指示内容に関わらず権力の制御にしたがうという一般的な 動機が形成される方向である。すなわち,命令権力の物理的,経済的,文化的, 知的な実力が実績を持って顕示され,関与者たちは各自の個別的な自己利害に 反する場合でも,権力が好ましくないと指定する選択肢が全体的に見れば自ら にとっても好ましくないものとして認め,これを回避する方向へと不断に動機 づけられる。 第 2は,ネガティブなサンクションの発動の用意が実際になされて,権力が 好ましくないと指定する行為選択連関の可能性が,サンクションの受け手に とっては確かに好ましくないと指定する選択肢を選択する方向である。そして, たとえそれ自体としては自己利害にかなっていても,サンクションの発動によ 。 。 り受け手にとってももっと好ましくない結果を招くと予期される。 したがって,第 1の保証がそれまでの実績の認知に基づくのに対して,第 2 の保証はサンクションの発動への予期に基づいていて,この 2つは時間軸上に 沿って作動する権力の特性に深く結びついている。このような仕組みにおいて, それ自体としては権力を持たない預言者やグルが,あたかも権力者の実力を根 拠に,あるいは権力者が準備するサンクションを根拠に,作動するかのように ( 泣 ) みえる。 さて,権力の妥当域が,関与者たちの自己利害より優越するという主張をな し,この主張が関与者たちに承認されることで権力の作動が保証されるように なる時,ここには権力の権威という問題が登場し支配の圏域が聞かれる。この 時,権力の権威が関与者の利害に優先するという認識に支えられて,彼らの行 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ -54ー 香川大学経済論叢 8 9 6 ( 認 ) 為選択に対して有意味な影響を与えている。 だからこそ,この権威の存立には承認が必要となり,その承認を調達しうる ような正統化が求められている。すなわち,権威を持った命令権力としての支 配の正統性とは,まずはそれの権威が関与者各人の自己利益に優越するという ことへの承認を求める主張として立ち現れる。このような論理において,教団 に代表される寄進と浄化のパワー関係として説明できる組織における支配の正 当性を理解することができる。 2 . . 4 超常的パワーのビジネスモデル ここまでで,超常的ノ fワーが宗教組織の組織運営において大切な要素である ことを理解できたはずである。しかし,このような超常的パワーは宗教組織の みならず,多くの経済的組織においてもきわめて重要な役割を担っている。そ こで,ここにおいて,宗教組織から経済的組織までトータルに腕んだ、超常的パ ワー行使の実体と効用についてレヴューを行ってみる。 具体的には,成功事例としては稲盛和夫の率いる「京セラ J,組織的対応によっ て発展する「ヤマギシ会 J,細々であるが時代の流れに適応しながら生き伸びて いる「生駒の講」を,また失敗事例といわざるをえない武者小路の提唱した「新 しき村」を取り上げ,超常的ノ Tワーとは一体何なのだろうかについて言及する。 ここでは,まずいわゆる教祖,予言者,グノレに代表される組織的指導者であ り,組織自体のシンボルになっている存在の資質やパワーについて考察を深め ている。そして,これとの関連において,組織的指導者の組織運営の方法論に ついて前述した了解の円環を踏まえながら多面的な言及を行っている。 なお,京セラにおいては創業者自身が未だ存命であるため,実質彼自身が及 ぼす役割は神と同等のパワーを持った代理人であると理解できる。しかし,あ との 3事例については神にあたる創業者は既に存在していないため,まさに神 の代理人がその妥当領域として神の威光をいかに活用するかという課題が生じ ている。 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 8 9 7 結合と教祖の人材論 -55- ( 1 ) 稲盛和夫と「京セラ」の経営 さて,第 1のビジネスモデソレとしては京セラがあげられるが,今日の京セラ における経営の成功については,ベンチャーに相応しいアメーパ型組織運営と 宗教的啓蒙を行う稲盛和夫の存在に,その最大の特徴が見出せる。そこで,こ の京セラの事業創造に卓越したエクスパティーズを持ったビジネスモデルにつ いて,特に超常的パワーの観点から構造的に分析を行うこととする。 そこで,まず、創業者である稲盛が推し進めてきたアメーパ型組織運営につい て考えてみる。これは,ある種の労務管理志向の組織運営であるが,宗教的な 匂いを強めることで管理を感じさせない,まさに従業員に主体的な行動として 企業経営にポジティフ、に,かつ一身を賭けてコミットさせる究極のパワー発揮 のメカニズムになっている。したがってこのような組織はどのように運営され, そして従業員はどのように利用されているのかについて考察を加えてみる(図 -5。 ) 図 -5 京セラ(アメーバ型組織)ビジネスモデル 事 通常時 の細胞 0名] [ 約1 意 区霊室調 利他思想とパ y ションの ビジネスモデル このアメーパ型組織運営は,表面的には組織を細胞のように細かく分けるこ とにより,社員一人ひとりが経営者的な感覚を持って仕事ができることを狙っ 0人前後の た仕組みである。具体的には,職場を生産する品種や工程によって 1 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ -56ー 8 9 8 香川大学経済論叢 小集団に細分化して,部門別採算制度を徹底する仕組みが運用されている。こ の各集団においては,いわゆる定まった形の組織は存在しておらず伸縮自在に なっている。すなわち,仕事の量が増えれば膨らみ,減れば縮んで,相互して 他の集団に手伝いに回るのである。 国友隆ーによれば,このアメーパ型組織運営はある種のパッション志向の利 益創出装置として考えられる。これは,すなわち従業員に決して目標達成を諦 めることを許さない仕組みとして作動している。それは,どんなことでも燃え るようなパッションを持って事にあたれば不可能を可能に変える,という教え に基づいた労務管理である。こうして,京セラにおいては,いわば凡人から非 ω 凡な力を引き出そうという仕組みが確立している。 この仕組みを支えている最も重要な要素は個人の熱意であれこれを稲盛の 提示した目標に向かつてすべてを賭けて捧げる仕組みであると考えられる。も ちろん,従業員が,これに対して自ら主体的に行えるよう洗脳されていること が,効果を現出する条件になっている。そのため,社員の稲盛への全面的な寄 進を行うためには両者の聞で了解の円環を確立することが多様に追求されてい 邸) る 。 これがいわゆる稲盛の説く利他思想であり,これこそがまさに人間の後天的 な努力のみを評価し,そのためにも稲盛の与えた厳しい目標にコミットするこ とが自らの能力開発につながり,ひいては従業員やその家族の幸福を現出する というロジックなのである。これは,まず利他があって結果として自己に対し て利益が還元されるという考え方である。これは言い換えれば,精神的な価値 や道徳的な価値に経済的な価値を置き換えることでグルと従業員との聞に完全 な了解を実現するための仕組みである。 このように京セラの成功は,まさに稲盛あるいは稲盛が保有する京セラとい う企業に対する信仰心を植え付け,これをいわばエンジンとした個人の能力を 完全に,かつ搾取的に振り向けさせることに成功している。そして,これを可 能にしているのが,稲盛の存在と従業員の信仰心をグルへの寄進に転換させる 仕組みの確立である。すなわち,京セラという企業においては,前述した支配 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 8 9 9 結合と教祖の人材論 -57- の正統性の論理が相互了解の円環システムとして効果的な形で確立している。 ( 2 ) 山岸巴代蔵と「ヤマギシ会」の経営 第 2のビジネスモデルは,山岸巳代蔵が創設したヤマギシ会の組織的運営や 個人の組織への参加形態などをモデル化したものである。もちろん,ヤマギシ 会サイドは,自身のことを宗教団体でも企業体でもないと主張しているが,し かし,このヤマギ、シ会は宗教的ビジネスモデルという視点、から捉えると多くの 学ぶべき点が見出される。また,集団農場という一種の農業ユートピアである ヤマギシ会の背景には,この山岸の唱える農業哲学が色濃く影響を与えている。 さて,山岸が資本主義の根本原理である個人の所有という概念を全く否定し て,あたかも原始的共同体のようにみえる農業ユートピアを構築したのが当時 の「山岸会」の誕生であった。これは,まさに全人の幸福を謡っていることか らも理解できるように,ある種のコミューン運動の 1形態であると考えられる。 そして,山岸がこの運動のいわば教祖や予言者として今でも生きていると考え 自 由 ても差し支えない。 これは,すなわちヤマギシにおいては山岸の農業哲学がすべての組織的活動 や組織の成員の行動を規定する法として今も営々と引き継がれている。した がって,今もなおヤマギシ会においては山岸が理想としたニワトリ社会的集団 形成の論理が貫徹されている。したがって,著者はヤマギシ会をニワトリ社会 型ビジネスモデルであると呼び,これに対していわばエコロジ」社会に相応し ( 訂 ) いある種の組織像を見出している(図-6 )。 さて,三重県の津市には世界ユートピアを目指す芭大集団ヤマギシ会の総本 山があり,これがかのヤマギシズム社会実顕地と呼ばれている指令塔であり, そして圏内最大の集団農場となっている。なお,この実顕地という名称には実 はヤマギシ会の理念を実際に営む実践の場という意味が込められている。ここ には,大人や子供を合わせて約 1 , 6 0 0名の人々が入村しており,周辺用地や山 林を含めて 6 0 0ヘクタールにも及ぶ広大な敷地において循環農法が展開されて いる。そして,これらの循環農法で生産されるヤマギシ会全体の農作物や加工 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 58ー 香川大学経済論叢ー 9 0 0 図-6 ヤマギシに見られるビジネスモデル 原始共同体 としての ヤマギン [ユートピア] i 食品は,何と全国 5万人の会員を通じて全国に販売されていることは周知のと おりである。 なお,このヤマギシ会の全体像については以下のような 4つの機関の集合体 であると考えられる。第 lが総本山たるモデル社会建設のためのヤマギシズム 社会実顕地,第 2が社会科,人間科,産業経済科からなるヤマギシズム世界実 顕試験場,第 3がヤマギシズムの教育啓蒙のためのヤマギシズム研鎖学校,第 4がヤマギシズム普及拡大のための幸福会ヤマギシ会,という 4つがあたかも 円のように結ばれ,そのためピラミッド型の階層は設けられていないことに特 徴がある。また,このヤマギシ会の 4組織に所属する人々はヤマギシズム生活 目 日 調整機関によって完全に生活が保証されている。 このヤマギシ会においては,参画を希望する者は有形無形を問わずその人の 持つあらゆる物の寄進が要求され,そのための契約書を締結することが前提条 件になっている。また,一旦参画したら一生村で生活するのが原則であり,万 が一脱会する場合でも始から寄進した財産の返却を求めない取り決めが行われ OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 9 0 1 -59- 結合と教祖の人材論 ている。実際に,自社を丸ごとを会に寄進してしまう経営者も多く見受けられ るし,また労働の報酬としての対価は農業組合法人に還流する仕組みも構築さ れている。このことはまことに驚くべきことだが,ここにおいては人件費がほ ω とんど必要とされない農業経営が営まれていることを意味している。 このことは,実はヤマギシ会が人間の内面を支配することで完全なる帰依を 獲得している集団であることを示している。これこそが,多くの産業界の人々 が住目することであり,すでに前述した京セラを始め多くの企業が,このよう なヤマギシ会にみられるような宗教的な色彩の強い組織化や, これを支持する 多様な儀式を採用した経営に挑戦している。さて,このヤマギシ会のシステム はある意味では社会の内部に組織と個人の利害の一致関係を人工的に作り出す 方法である。そして,その最大の狙いは少数の優れた人間の能力を巧みに活か す方法でなく,むしろ多数の平均的な人聞にとって有利な体制を確立すること n 臼 である。 ( 3 ) 毘沙門天信仰と「生駒の講」の経営 第 3のビジネスモデルとして述べるのは奉仕の仕組みとしての講についてで あり,特に生駒の事例を捉えながら企業経営への適用を考えてみる。これは, 村田充八によれば宗教の変化と宗教の私化ということから説明が可能である。 このことは,宗教行動の教団という存在拘束的なものから宗教者自身の私の宗 教として捉え直す時代の到来を意味している。このように時代において,生駒 の講が行っている対応方法について分析を行うことで,講の意味と方向性につ いての展望を紹介する。 宗教の私化が進展することは,確かに講のような組織化を行うことで自社と 信者を結ぶ関係が意味を持たないことを示している。そうなると,伝統的な講 集団としての講の役割は不必要になったとも考えられる。そして,このような 状況下において,講は講自体の存亡を賭けて時代の変化への対応を果敢に行っ ている。そして,例えば講の楽しみの場への転換などが,その代表的な傾向で あると考えられる。 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ -60ー 9 0 2 香川大学経済論叢 しかし,著者が注目するのは,このような講の時代への対応ではなく,伝統 的な講が持っていた組織的特徴の中における奉仕活動の場としての講の役割で ある。なお,著者においては,この仕組みを解明しビジネスモデルに適用する ことはきわめて効果的であると考えている。このような観点から,村田が紹介 する真言宗瀧谷不動明王寺の講に見られる奉仕の仕組みゃ生駒山宝山寺の講に 見られる楽しみや癒しの講についての紹介を行ってみる(図一7)。 図 -7 毘沙門天に見られるビジネスモデル ~一一一ー一ー一一一一-ー『一一、、 1114 織 ロ H O棉刊 -tw 諮 的 F a t ' ,ィ t w v 問問自目悶悶品 唾盃) 現 一 〉 出 、 、 、 宗教的な活動から 経済的活動への転換 唖豆⑮ 前者の瀧谷不動明王寺は生駒山系の南端に位置する真言宗の寺であり,歴史 的には特に眼病に苦しむ民衆がすがったことで著名な寺である。現在ではほと んど消滅しているが,ここに組織化されていた講は最盛期には 7 5にものぼって いたらしい。また,時代の流れとともに寺自体と講の結びつきも次第に脆弱な ものに変化してきた。このような状況下,今でも活発に活動が行われている講 として,例えば瀧峯大護摩講をあげることができる。 さて,この瀧峯大護摩講においては,実は伝統的な講参りを主な目的とした 一般の講社とは役割が異なっている。これは,平たくいえば宗教的な色彩の強 いボランティアを推進する組識であると考えられる。この講においては事務所 が寺内におかれているのだが,このことが実は宗教的色彩を打ち出したボラン ティア組織にとっては大切な条件になっている。なお,この講においては瀧谷 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 9 0 3 結合と教祖の人材論 -61ー 不動明王寺山主を道場主と仰いでおり,また明王寺信徒内の修験者及び大峯修 験者を議員として構成されている。そして,この講においては瀧谷不動明王の 多様な行事法要に参加しながら,毎月行われるお瀧行場の大護摩供には,その 例 代表者が奉仕活動を行っている。 後者の生駒山宝山の講については,今でも前者のような奉仕の講をはじめ多 くの講が活発に機能している。その中において,特に住目すべきは福寿会とい う講である。ここにおいては,楽しみの講として宗教的なモチーフを超えた, いわば楽しみのモチーフから霊場回りを行うなどの企画を通じた癒しの講が成 立している。ここにおいても規模は小さいとはいえ,パワ}関係について宗教 組織に典型的に見出される形態において運用が行われていることが読み取れ る。すなわち,この生駒山宝山の講においては,実は一方で管長の松本実道山 王を戴きながら,他方で熱心な 2人の講元による求心力が働くような組織運営 ω が的確に行われている。 このように,宗教的な活動を経済的な領域は社会的な領域に活動を広げるに あたっては,神や仏というシンボノレや寺や社という宗教的な場に求心力を持た せることがきわめて大切な条件である。すなわち,宗教を背景にすることで, 多くのボランティアな知が結集できるし,これを経済活動の仕組みに応用して いけば,きわめて強固なビジネスモデルが確立できる。これが,すなわちきわ めて低いコストと強いロイヤノレティで支えられた組織による,いわば信仰から 実現される経済的果実の刈り取りが可能となる仕組みなのである。 ( 4 ) 武者小路実篤と「新しき村」の経営 それでは続いて,今はなき我が国における農村コミューン運動の草分け的存 在であった武者小路が展開した新しき村について考察を深めてみる。なお,こ れについては前述したヤマギ、シ会の成功と比較すると運動自体や組織運営面に おいて限界があったことがよく理解できる。その失敗は,組織自体が未熟であっ たことや時代が未だ成熟していなかったことに,その最大の理由があったと思 われる。 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ -62- 香川大学経済論叢 9 0 4 しかし,それでもこのような農村コミューンにおいては,いわば見ず知らず の多くの人聞があたかも 1つの家族のような生活を行うわけだから,それなり の求心力を働かせる機能が用意されてはいた。そこで,ここにおいては新しき 村が見せた可能性と限界についてパワー論から考察を行ってみる。しかし,こ こにおいては組織における権力関係の確立というパワーに対する認識の欠落が あることが理解できる。 さて,この新しき村の失敗は実はコミューン全体の課題でもある。そして, その失敗の最大の原因は,まさに新しき村が理想社会を追求するあまり,例え ば株式会社のような営利団体化することもできず,そのため堕落することなく 組織を維持するガパナンスを確立しえなかったことに見出すことができる。す なわち,これは新しき村がまさに組織として活動できる仕組みを確立しえな かったことを意味している。 さて,この新しき村が展開された大正期の知識青年については求道性が強い ことに,その特徴が見出せる。そして,その彼らが惹かれていったのが白樺派 の文人であり,特に彼らに対する武者小路実篤からの影響は多大なものであっ レ的存在と た。すなわち,武者小路は新しき村においてスポンサーであり,グ 1 して大きな役割を担っていた。実際に,この時代の多くの社会主義的ユートピ ア運動において,一応それなりの組織的形態を整えられたのは新しき村だけで であった(図 -8。 ) この新しき村については,多くの知識青年にとって古い世界から離脱して, 新しい世界での復活を夢見ることが可能な聖なる地であった。言い換えれば, 新しき村は聖なる村であって,多くの若者から知的で文化的活動の実践の場と して期待されていた。だからこそ,まさに文人がグ Jレとして崇め立てられてい たわけである。しかし,このことが逆に組織自体の脆弱さを明白に物語ってい たと考えることもできる。 それは,新しき村においては,観念的ユートピアを実現するための場や仕組 みが,その観念としてのユートピアとまったくかけ離れた存在として立ち現れ たことに,その失敗の本質を見出せるからである。これは言い換えれば,食う OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 9 0 5 -63- 結合と教祖の人材論 図 -8 新しき村にみられるビジネスモデル 「旧き村 j ~~〆♂ 、 、 、 、 i ./ JO O O 「新しき村 O 知的若者 O O O 。 O O O O 知的若者 O ¥、¥-. O .~〆 に困らぬ文人を中心とした上層部の生活が,いわば神秘の闇に隠されることな く現出することで組織におげる権力関係の確立が行えず,そのため組織として の権力関係の了解を取り付ける仕組みが確立しなかったと考えられる。 これが,まさに文人を指導者とした組織的運動の限界であったと考えられる 理由である。それは,教祖,預言者,グルは一般的にはある意味で突然に立ち 現れ,彼らの過去についてはまったく閣の中にあることが組織的成功の前提条 件だからである。すなわち,超常的ノ Tワーは,元来組織の外部的な位置から発 揮することが困難なものであった。言い換えれば,組織の指導者が組織の掌握 を完全に行うには,彼自身が組織の中心にあって完全な支配力を行使すること で組織の構成員から完全な従属を取り付けることが不可欠な条件となる。その 意味においては,しかるべく武者小路の唱えた新しき村の運動は短期間で失敗 に終わったことがよく理解できる。なお,この新しき村は今でも指導者を変え て細々と命脈を保っていることは周知のとおりである。 2,. 5 カリスマにみる超常的パワー ここまでは,宗教組織や宗教的色彩が感じられる組織において,その超常的 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ -64ー 香川大学経済論叢 9 0 6 パワーの保持者の特性と,そのパワーを担保する正統性について言及してきた。 しかし,このような超常的なパワーが効果を発揮するのは,何もこのような宗 教組織や宗教的色彩の強い組織に限ったものではない。それは,すなわち一般 の経済組織や,政治組織,その他非営利団体においてさえ,そのような超常的 パワーがおおいに期待されており,また実際に多様な局面において現出してい る 。 そこで,この教祖,予言者,グルに見られる超常的ノ fワーの源泉について考 えてみると,カリスマ的なパワーを想起することができる。もちろん,これは かのウェーパーの提起したパワーであるが,今やこの種のパワーが経済社会の 多様な領域において多大な効果を発揮している。それは,人聞をそれぞれの主 体性を損なうことなく引き付け,結果として自在にコントロールできるように 闘い込むパワーとしておおいに期待される。これは,もちろん顧客に対しての みならず,業務上のパートナーは社内の仲間たちに対しでさえ有効なパワーで あると認識されている。 このようなパワーを持った人聞が,今後の企業経営において強く求められる 資質であり,彼らこそ正統性に裏付けられた支配力において多大なパワーを発 揮する新たな組織指導者として期待される人間像である。彼らは,類稀なる付 加価値創造のエキスパートであり,その価値創造におけるレパレッジにおいて 異次元レベルの生産性を発揮する異能人材である。 このような人材が,ピジネス界においてはビジネスプロデ、ューサーともいう べき人材像であり,これらの戦略的育成が組織における競争力を高めるための 必須の条件になってくる。このような観点から,ビジネスプロデューサーを取 り上げ,彼らの異次元能力について言及することは意義深い。前述した京セラ の稲盛和夫についても偉大なベンチャー経営者であるが,それは彼に備わった グルのような,すなわち神に支えられたカリスマパワーが存在していたからに イ也ならない。 このビジネスプロデ、ユーサーの特徴は,人間の操縦術がきわめて秀逸である ことに見出されるが,それがまた合理的な科学的手法を越えていることに注目 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 9 0 7 結合と教祖の人材論 -65- する必要がある。すなわち,このことはビジネスの展開局面においてさえも, 宗教的,神秘的アプローチから組織化や人材の能力の開発を考えることが大切 であることを示している。その意味では,稲盛のようにビジネスプロデューサー に期待される能力は,各自に限界を超えた超常的パワーの引き出しと,これら を結び付けることによる異次元パワーの現出ということである。 だからこそ,教祖,予言者,グノレに備わったカリスマパワーを研究すること により,まさに現代のグルたるビジネスプロデューサーのあるべき方向を探る ことが意義深いのである。その意味から,以下においてカリスマプロデ、ューサー の異次元能力について考祭を深めてみた。 そして具体的には,カリスマプロデューサーのパワー側面を捉えて,先ず一 般概念としての宗教的な求心力の源泉,そして続いてカリスマプロデューサー に見る諸相,カリスマプロデューサーのパワー源泉,カリスマプロデ、ューサー のパワー特性について言及し,最後にカリスマの変形として制度化を捉えるこ とで人材論から組織論への転換について述べている。 3.カリスマプロデ‘ューサーの異次元能力 3 . 1 宗教的な求心力の源泉 それでは,以下においてカリスマプロデューサーに見出される異次元能力に つい、て J思いを馳せてみる。このカリスマプロデ、ユーサーには,他者を突き動か すパワーを保持しており,また主体的に権力関係において完全なる優位性を獲 得するというエクスパティーズを保持している。これが,まさにカリスマプロ デューサーにのみ与えられている特異なパワーであり,これによって類稀なる 圧倒的な求心力を発揮することができる。 カリスマプロデューサーは,自らの行為を必ずや正統化する能力を内在させ ており,また多くの人々と了解の円環を分かち合うことの達人であるといえる。 こうして,カリスマプロデューサーは,多大な権力の妥当域を確保することで 多くの人間のパワ}を組織的に結集し,まさに異次元能力の実現を追及する存 在へと進化していく。 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 66~ 香川大学経済論叢 9 0 8 このようなカリスマプロデ、ューサーの本質を探るため,ここでは京セラの創 業者である稲盛和夫,すでに無名のカリスマ,すなわちカリスマの機関化が実 現しているヤマギシ会におけるカリスマプロデューサー,そして失敗に終わっ た新しき村のカリスマプロデューサーである武者小路実篤について,それぞれ 分析的に論述を行ってみる。 ( 1) カリスマプロデ、ユーサーの存在 今までに述べたように,超常的パワーが組織的に発揮されるには,そのため のキーマンと彼らのパワーを活かすための仕組みの存在が不可欠である。これ は,すなわち超常的パワーには,ある主のカリスマパワーといえる類稀なるプ ロデ、ユース能力に秀でた人間の存在が不可欠なことを示している。そして,こ れを活かすために,併せてカリスマプロデューサーのパワーを効果的に引き出 すことを可能とする組織化と,彼らに対するサポート体制の構築が期待される。 そこで以下において,このような仮説を踏まえながら,前述した 4つの事例, すなわち京セラ,ヤマギシ会,生駒の講,新しき村における組織指導者をカリ スマ的プロデユース能力の視点から捉えた分析的な論述を行ってみる。 すなわち,具体的には幾分宗教的な色彩が内包されている組織である京セラ, ヤマギシ会,生駒の講,新しき村について,求心力のシンボル,組織化プロデ、ュー サー,組織構成員,プロデ、ューサーとシンボノレとのパワー関係,プロデ、ューサー と組織構成員のパワー関係などについて考察することで,超常的パワーの源泉 とは一体何なのかについて理解を深めることとする。 これらの事例からは,たとえ経済的利益を追求する企業組織であっても,幾 分か宗教的な色彩を前面に出した組織運営には確かに組織にある種の求心力を 獲得できていることが理解できる。この求心力を組織に現出させているのが, 実は教祖,預言者,グ Jレに代表されるプロデ、ユーサーである。すなわち,京セ ラにおける稲盛和夫,ヤマギシ会における山岸巴代蔵,新しき村における武者 小路実篤がまさにそうであり,生駒の講においても無名のプロデ、ューサーの存 在を確認することができる(図-9)。 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 9 0 9 結合と教祖の人材論 67- 図 -9 教祖などとカリスマプロデューサー ここで重要な観点は,組織と組織に求心力を発揮させるシンボルとしてのプ ロデ、ューサーとの関係である。一般的には,組織が誕生した初期の時代には, シンボノレすなわち教祖が有能なスタップの力を活用しながら自らプロデュー サーの役回りを担うことが一般的であった。したがって,誰が教祖として組織 は立ち上がるかに組織が成立するかどうかが依拠していた。 すなわち,組織の創設時には独立したプロデューサーの存在は不可欠ではな いが,創設者が没したあとには,まさに創設の精神を表すようなシンボルと, このシンボルをオペレーションするカリスマ的なプロデューサーの存在が不可 欠となる。これが登場しないとなると,組織として創設の精神を表す何らかの 方法を模索する必要が生じてくる。このことは,いわば神と信者の聞を人聞が 取り持つのか,あるいは機関が取り持つのかという問題である。 しかし,今という時においては,手邸哉を活かすためには,時代の流れの中で 付加価値を創造しうるカリスマプロデューサーの存在がきわめて有効である。 そして,このカリスマプロデューサーは,いわば神という妥当域を背景にしな がら信者のロイヤルティを獲得することとなる。また,信者においては,カリ スマプロデューサーたる教祖,預言者,グノレと了解の円環に組み込まれること で,信者の周りに多くの権力の妥当域を持つことが可能となる。このように, OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ -68ー 香川大学経済論叢 9 1 0 カリスマプロデューサーたる教祖,預言者,グ 1 レと信者たる組織構成員の聞に は , まさに了解された支配と従属の関係が確立されている。 ( 2 ) 創造型カリスマプロテ*ユーサー(稲盛和夫) さて, 以上述べた 4つのケースにおいて,特に京セラを創業した稲盛和夫は 継続してビジョンを提示し続けることで求心力を発揮しているカリスマプロ デューサーといえる。その求心力をビジョンにおいた彼独特の経営思想によっ て , 今でも社内のみならず社外に対する多大な影響力を行使している。 このビ ジネスモデルは, 一方の社内においては完全なる稲盛への帰依の要求であり, 他方の社外に対しては完全なる布施の実施である。 これは,社内からの多大な 利益が稲盛教信者を形成するための社外への布施に回り, これがまた社内の組 織統合に多大な貢献を果たす形態の支配ノ fワーの好循環が描かれることとなる ( 図 -10)。 図-1日 稲盛和夫のカリスマ的プロデユースカ 依¥ マム︾川一 帰。 “ な 川会 。川 九 一 。 h ⋮ ¥の員/¥の員/¥の員/ ¥/41 一内業二内業二内業一 /吐逆 1 1 j廷¥/仕定¥ li│問Il-- [京セラなど] [成和熟など] さて,稲盛においては事業経営の成果をパトロネーズするというアナザー OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 9 1 1 -69- 結合と教祖の人材論 ワークとして社会貢献活動や未来社会創造活動があるのではない。彼にとって は,それぞれがまさに敬天愛人に基づいたトータルな活動であれ全体が不可 分な活動として位置づけられている。だから,稲盛はいつにおいても同時に経 営者であり,宗教家であり,そして未来学者志向しているようにみえる。 このすべてを切り分けしない稲盛は本来教祖としての資格が感じられる人物 なのであるが,彼においては自らの理念を貫徹するために宗教を背景としたカ リスマプロデューサーとしての行動を行っている。したがって,彼のスタンス は天に対して敬天となり,人に対して愛人という考え方が現出する。その意味 で,稲盛はビジョン型カリスマ的特長を備えた時代の天才プロデューサーとい うことができる。 したがって,稲盛の活動における中核的な場である京セラの社是には敬天愛 人が標梼されている。この敬天愛人とは,常に公明正大謙虚な心で仕事にあた り,天を敬い,人を愛し,仕事を愛し,会社を愛し,国を愛する心を意味して いる。これは,すなわち会社を愛することが国を愛することであり,天を愛す ることであるという,まさに抽象世界と具象世界の双方からの権力の妥当域の 仰) 複合的な獲得を意図した権力関係の確立に寄与している。 そして,これらの権力の妥当域を背景として,京セラにおいては企業スロー ガンとして 3つの共生関係の樹立が唱えられるのである。それは,第 1が世界 との共生,第 2が自然との共生,第 3が社会との共生,という 3つである。 第 1の世界との共生はグルーパノレ化を脱んだ、戦略的対応、であれこれによっ て京セラが国際理解と協力の時代をリードする企業であることを主張してい る 。 第 2の自然との共生は,エコロジー化を脱んだ戦略対応であれこれによっ て京セラが機能性,経済性,合理性を超えた新たな価値観を模索する未来型企 業であることを主張している。 第 3の社会との共生は,京セラが相互に不足している点を補い合い一体と なって共に生き,そして共に栄えるためのパートナーシップを重視した企業で あることを主張している。 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 70ー 香川大学経済論叢 9 1 2 そして,この京セラの経済的活動を補完する稲盛教団の両輪には,かの成和 塾と 2 1世紀委員会が位置づけられている。これらは,いわば稲盛を中心にした 稲盛のビジョンを実現するための一体となった戦略的な場,すなわち稲盛のト リニティ組織であるといえる。成和塾では若手経営者の育成に関心を持ち,海 外を含む 5 0か所で約 3, 0 0 0人に塾生が参画している。そして,稲盛はこのベン チャー育成の思いを実現するために,同時に稲盛財団を設立して先端科学,精 神科学,表現科学の領域においてパトロネージュを行っている。また,日米 2 1 世紀委員会では,稲盛は彼の唱える利他の思想、をベースにした民間レベノレでの 日米関係のあり方を模索している。 このように,今や稲盛は京セラを超えた,そして経営者を超えた日本を代表 するビジョン型カリスマプロデューサーへと進化した。このような共生を志向 した経営思想に基づいた権力関係の確立による結果として支配と従属関係を確 立した稲盛は,まさに見事といわざるをえない現在の教祖,預言者,グ Jレと呼 ぶ、べき人材であり,また新しい時代の予言する資格を持った天才であるといっ ても過言ではない。これからは,どんな組織においても,このような形態で人 帥 ( 聞を突き動かし,そして社会を突き動かすパワーの獲得がおおいに求められる。 ( 3 ) 機関型カリスマプロテーューサー(秘密匿名構成員) 続いて,ヤマギシ会の権力構造を創始者山岸巳代蔵との関係から考察を行っ てみる。一般的には,宗教団体や神秘主義思想に立脚した組織は,教祖や創始 者のアイデンティティによって組織の存在を担保しようとする。しかし,ヤマ ギシ会においては,会の沿革において山岸巴代蔵が山岸会を創設したことは記 述されているが,その後ヤマギシ会と組織の呼称を変えており,今では幸福会 ヤマギシ会という名称へと変更している。 これは,もはや創始者山岸の存在が大きな意味を持たなくなっただけでなく, すでに山岸の呼称を活用しなくとも組織的なパワーの確立が行えることを表し ている。これは,山岸会が創設された時に権力構造がもはや意味をなさないほ ど多大な変化が行われたことを意味している。そして,このことはもはや事実 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 9 1 3 -71ー 結合と教祖の人材論 として世間に公言してもよいほど新たな権力構造が確立したことを意味してい る 。 これは,かつてのヤマギシ的ユートピア思想、を引き継ぎながらも,それらと 直接関係なく幸福を求める人々は誰でも受け入れるという組織であることを表 明した改変であった。これによって,当初の理念に立脚しながらも広く会員の 募集が可能となるし,幸福という思想性の乏しいスローガンを掲げることで実 質的な指導者の指導政策を開示することなく組織の拡大を展開することができ る 。 すなわち,表向き普通の組織のようにみえればみえるほど,ある種の理念に 基づいた特殊な権力に支配されている集団に変化している可能性が強いと考え られる。したがって,ヤマギシ会の幸福を考える組織への転換は,ある意味で はヤマギシのいわゆる幸福カルト教団への転換を意味していると考えられる。 もちろん,現時点においては,このヤマギシ会が誰によって支配されているか は未だ明白に公表されてはいない。しかも,これが宗教法人ではないというこ とは,実は誰にも管理されえない組織であるということには注視する必要があ る(図 -11)。 現在の幸福会ヤマギシ会の組織体制については,ヤマギシ会という組織があ るわけでなく,ヤマギシズム社会実顕地,ヤマギシズム世界実顕試験場,ヤマ ギシズム研鏡学校,幸福会ヤマギシ会の 4機関で構成されている。そレて,表 面的には幸福会ヤマギシ会がかつての山岸会を引き継いだ形態をとっている。 その意味では,今ではヤマギシ会はなく幸福会ヤマギ、シ会が存在していると考 えられる。 そこで,この幸福会ヤマギシ会が一体どんな組織であるかが問題となる。こ のヤマギシ会の意思決定機関はイズム生活推進研という秘密機関によって担わ れている。また,前述したように実際の権力を保持しているメンバーも公表さ れてはいなし 3。そして,宗教でもない暴力でもない方法で,すなわち最高,最 善,最終的なものを見極める研鎖方式という仕組みによって,すべての人が幸 ( 臼 ) 福である社会を実現しようという考え方が貫徹されている。 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ -72ー 9 1 4 香川大学経済論叢 図-11 ヤマギシ会に見るカリスマの機関化 〈王〉 幸福会 ヤマギシ会 図 (w~岸L巳スm 代マ議 ) az繍務雄第b ¥くと カリスマ の機関化としての 研鎖方式 長与 権力者の 無名の機関責任者 としての存在 ) 〆 」 三 / ,〆 ー 一 一 - この幸福会ヤマギシ会においては,今、では山岸巴代蔵はたんなる創始者であ るような位置に祭り上げられており,実際の組織運営は新たな権力機構によっ て担われている。しかも,教祖,預言者,グノレにあたるカリスマプロデューサー は存在しておらず,研鎮がこれに代わる位置を占めており,すなわち裏側から 秘密機関が実権を奮うという組織運営方式が採用されている。その意味では, 秘密機関のメンバーがプロデューサーであるが,しかし彼らはきわめて特殊な みえざる存在となっている。 ( 4 ) 文人型カリスマプロデューサー(武者小路実篤) さて 3つ目の事例は失敗に終わった新しき村の指導者である武者小路実篤 についての論述である。武者小路は周知のように白樺派の中心的な文人であり, 新しき村に住み着いていた時が最も文人として光吉を放っていた。その意味で は,彼の中においては文学的創造力と社会的創造力は不可分であったと考えら OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 9 1 5 一刀ー 結合と教祖の人材論 れる。そして,新しき村の一時的な成功は武者小路がかかわったからであると 考えられている。 しかし,この新しき村が短期間で失敗したのも,また武者小路がリーダーと して組織を率いていたからであるとも考えられている。それは,武者小路とい う個人の力量の問題ではなしたとえ新しき村のようなユートピア運動であっ ても,実際に多くの人間の集団生活を維持するための組織において,まさに文 人中心のガパナンスを確立することを期待すること自体が無理であったと考え るべきである。 もちろん,新しき村は多くの無名の知識青年によって推進された運動である が,組織の求心力として全員が認められるような人聞は,新しき村建設時にす でに著名であった武者小路以外に誰もいなかった。もちろん,今もこの新しき 村が場所を変え事業形態を変えながら生き長らえていることは,この運動自体 邸) が必ずしも完全に失敗であったとはいえない。 なお,この新しき村の特徴は,農民を巻き込んだ多くの新興宗教と比較する と,幾分知識にウエイトがおかれた組織であることが理解できる。すなわち, 知的な青年のユートピア社会主義運動として展開された新しき村は,まさにシ ンボ Jレとして著名な文化人の存在が不可欠であった。そして,これは時に権力 にとって幾分反社会的な存在であると映るような存在であったことも 1つの特 徴であり,そのためある種の知的コミューンのような性格を持った組織として 立ち現れていた。 したがって,武者小路の存在は,知識青年のアナザーライフスタイルを希求 する生き方のシンボルとして必要なのであった。そして,知的青年のポジティ ブ集団として組織に虚無的な思想が入り込まないようにするためにも,文人で ある武者小路の存在が不可欠だったのである。このため,このきわめて強い求 (5~ 道性によって組織化された知的青年の共同生活が可能となった(図 -12)。 この新しき村は,実は白樺派の影響を受けた多くの小学校教員や青轄に代表 される新しき女に影響を受けた独身女性から強い支持を受けていた。そして, これらの知的青年の幾分観念先行での共同生活が彼らのいうユートピアであっ OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 74- 9 1 6 香川大学経済論叢 図 一1 2 武者小路実篤に見る求心力 ユートピアの 維持装置 文化的 創造力 /// 側 ルる篤 の タで路 イあ実 スレ山 11 、 、 、 隣 フボ者 イン武 ラシ /マ士で¥¥ \\~一一~ た。すなわち,これが元来知的青年の集まりであり,そのためシンボルとして 武者小路を戴いたということは,まさに運動自体が観念的なものにならざるを えなくなることは不可避であった。 したがって,武者小路は新しき村においては権力的な支配者として登場した のではなしむしろ知的青年のアイデンティティ確立に不可欠なシンボル,あ る意味では宗教的でなないが,それでも教祖的な存在として位置づけられる存 在であった。しかし,この教祖が,文人という普通の職業,すなわち他に多く 存在する職業を持っていたことに,そしてさらに自ら組織の経営に携わったこ とに,まさに組織自体としての限界を露呈してしまったのである。もちろん, 新しき村を支えたユートピア社会主義自体にも思想としては限界があったこと も確かである。 3 . . 2 カリスマプロデユーサーに見られる諸相 カリスマプロデ、ューサーは,実際には時代によっても地域によってもまった OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 9 1 7 -75- 結合と教祖の人材論 く異なる存在として立ち現れている。そこで,カリスマプロデューサーの実相 を理解すべく,ここではカリスマプロデューサーを 4つの類型に分類し,それ ぞれの特徴を述べることでモデル化への挑戦を行ってみる(図 -13)。 図ー 1 3 カリスマプロデユーサーのモデル体系 カリスマプロデューサーモデル 機 リ " , , ' 凶 ' " 脚 " ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ " " " " ・ " “ 目 " ・ " “ 町 " ・ " “ 四 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ " “ 帥 " ・ " ' " , , ' ' ' ' ' ・ 齢 副 刷 帥 齢 ・ ・ ・・ ・ ・ ・ 句 剖 " " " . . ・ 割 引 伽 帥 齢 " ・ "刷・ ・ . . . . . . " " " . . . H H P H H H その類型は具体的には,第 1はトリックスターとしてのカリスマプロデュー サー,第 2は霊能者としてのカリスマプロデ、ューサー,第 3は神秘家としての カリスマプロデユ}サー,第 4はネイティブカテゴリーとしてのカリスマプロ デューサー,の 4つである。これらは,それぞれ独立した類型であるが,当然 ながら実際にカリスマプロデ、ユーサーが立ち現れる時には,複数の特徴を備 えた存在として登場することとなる。 第 lのトリックスターとしてのカリスマはグルに代表され,第 2の霊能者と してのカリスマプロデ、ューサーは教祖に代表され,第 3の神秘家としてのカリ スマプロデ、ューサーは予言者に代表され,これらを兼ね備えた存在がネイティ ブカテゴリーのカリスマプロデューサーなのである。そこで,これらを比較検 討しながらカリスマプロデ、ユーサーの実相に迫ってみる。 ( 1 ) トリックスターとしてのカリスマプロデ、ユーサー 以上の事例から理解できるように,組織的に超常的パワーを現出するにはカ リスマプロデューサーの存在が大事であることが理解できる。また,宗教的色 彩の強い組織においては,創業時にはいわゆる教祖が存在しているし,その後 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ -76ー 香川大学経済論叢 9 1 8 には予言者やグノレが登場する場合が多いこともあり,組織が生まれてまもない 初期時代においては,それなりに組織的な求心力が実現している。そこで問題 なのは,この組織的求心力を長期的に維持しているための方法論を確立するこ とである。 それは,外側からみれば例えば聖なる狂気を組織として意図的に演出するこ とが必要とされている。言い換えれば,ゲオログ・フォイアスティンによれば, 予言者やグルに代表されるいわば成就者は因習に囚われた精神の度肝を抜き ショックを与える手法を採用している。そして,このような度合いが強いほど, 宗教的組織においては求心力が強いことが理解されている。 彼らが持っている能力は,自らの奇抜を活用して日常生活を支配する世界観 に別様の世界観を浸透させる奇人のそれである。彼らはいわば狂気の智恵の師 であれまさに現実を転換させる名手であり,そしてタブー破りの大家であり, 同時に驚博と矛盾と暖昧さの熱愛者なのである。このような特徴を持った彼ら はいわばトリックスターは一種の道化のようなものである。なお,たとえ武者 小路実篤は別にしても,稲盛和夫に対してはこのような要素を見出すことは可 能である。 さて, トリックスターは部族宗教や神話の世界に属するものだが,超人的な 英雄であり,また非常に賢いが不道徳な要素は不合理な行動を好む傾向が見出 せる。どうも,本質的にはトリックスター的な性格を持った異能人材が表向き 聖人として立ち現れた存在が,宗教的な組織における教祖,予言者,グルであ ると考えられる。もちろん,これはトリックスターが邪悪な存在であることを 意味するのではなく,一般的な善悪の地平を超えたところに位置していること を意味している。 それでは,ここでもファイアステンに依拠しながら,特にグルと関係につい て考察を深めてみる。グノレ,すなわち霊的指導者の役割は,人々の知性を打ち 砕く発見へと導くことである。このトリクッスター的な特徴を持っているグノレ とグルに支配されるいわゆる弟子との聞には,実は神を広める者と霊的クロー ンの狂気的結合関係が現出されている。そして,どんなグルも優しく慎重でトあ OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 9 1 9 77- 結合と教祖の人材論 ( 5 6 ) るが,同時に必ずや弟子の個人的な意味世界を爆破するために働きかけを行う。 グルは,現在の科学的思想、に全面的依拠した還元主義的世界観では理解しが たいものであるが,神秘主義的世界観に立脚すれば十分に受容できるものとな る。このグルのような霊的指導者は,実はたんなる心理的投影でもなければ象 徴的力でもなく,実際に生きた存在であることに特徴がある。すなわち,グノレ の導きについては彼らが 100%人間であることに依存している。そして,彼らは 探求者を非現実的なものから現実へ,聞から光へ,主体なき状態からおおいな M る自己へ,神経症的な自己分裂から全体性へと導いてくれる。 だからこそ,多くの人々が好意的な受け取り方を行っていないのにもかかわ らず,このような特性を備えた多くのグルがまさにスピリチャル・スーパーマー ケットのように現れている。このことは,現実にいかに精神的に問題の多い人 聞が多いかを物語っているし,グルにみられるカリスマ的パワーに支配される ことで救われている人聞が多いかを示している。このような関係によって支配 と従属の関係が確立していくわけだが,これはある意味では幸福を約束する関 ω 係であり,またある意味においては不幸を強要する関係なのである。 ( 2 ) 霊能者としてのカリスマプロテ.ユーサー カリスマプロデ、ューサーの持つ第 2の特徴は,霊能者的能力を保持している 事例が見受けられることである。そこで,以下において一体霊能者とは何なの かについて考察を加えてみる。塩原勉によれば,霊能者とは,非日常的,超自 然的な能力を通じて,超世俗世界とコミュニケーションを行い,その上で神意 を知りそして霊を統御することにより,クライアントに対して問題を解決し, また除災招福のサービスを提供する宗教的職能者である。 この霊能者が保持する霊能力,すなわち非日常的,超自然的な能力は,聖な る病を通じて賦与される招命型カリスマであったり,一定の修行を通じて獲得 され学習される験力であったり,あるいは世襲の能力であったりする。そして, これは聖俗世界を超えた異界とのコミュニケーションや接触交渉をトランス状 態で行うことが多い能力なのである。この霊能力は,例えば前述した生駒の宗 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 7 8 9 2 0 香川大学経済論叢 教には端的に表されている。この生駒における都市民衆と民族宗教を媒介する 結合形態は,塩原によれば宗教的活動家,すなわち霊能者を結び目とするネツ ( 帥 トワークということとなる。 この霊能者は信者ネットワークを介して都市生活者と生駒の民族宗教との結 びつきができている。それでは,以下において,この霊能者の属性とはどんな ものかについて考えてみる。この霊能者については概ね男女比は半々であり年 0歳以上が 7割となっている。そして,霊能者が保持する霊能力と 齢構成では 5 ( 6 ) > しては,霊視,霊聴,霊言,予知といった能力があげられる。 さて,多くの新興宗教は霊能者によって指導されてきた。例えば,天理教の 中山みき,大本教の出口なお,王仁三郎,天照皇大神宮教の北村サヨを想起す ることができる。そして,いつの時代においても彼らの能力によって新興宗教 の方向性が規定されてきた。また,この霊能者と信者の関係はきわめて強いネッ トワークによって結ぼれている。なお,これについては普通家族を基軸とした 強連結型のネットワークと知り合いを基軸とした弱連結のネットワークの 2形 出2 ) 態が存在している。 昨今,宗教活動の世俗化の問題が大きく取り上げられているが,これは宗教 の意義が変化してきていることを表している。すなわち,世俗化とは宗教の特 化,合理化,私事化に要約することができる。しかし,同時に世俗化の流れが 自 由 逆に対抗運動としての脱世俗化の動きをみせている。 第 lは,宗教プロパーの領域と一線を画しながらも,機能において宗教類似 の領域が拡大している。 第 2は,再呪術化といえる動きが台頭してきている。 第 3は,新たな社会的統合,社会的な連帯を求める動きが注目されているこ とである。このように,世俗化と脱世俗化の流れが同時に進行し,いわば両者 側 の対抗的分業によって長期的構造転換が現出している。 このように,霊能者を中心にして多様な宗教的現象が生じているが,彼らの 存在によって多くの苦しむ人々が救われていることは事実である。その意味に おいて,霊能者は宗教的な活動において不可欠な条件になるし,これを宗教以 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 9 2 1 結合と教祖の人材論 -79 外の活動へとディフュージョンすることも試みられた。 第 1に,宗教プロパーの領域と一線を画しながらも機能において宗教類似の 領域が拡大しつつある。 第 2に,再呪術化という動きであり呪術への再評価や一定限度内での是認が ( 防 ) 行われている。 ( 3 ) 神秘家としてのカリスマプロテ ユーサー e さて,カリスマプロデューサーの第 3の特徴として,神秘的な能力を人一倍 備えていることがあげられる。そこで,ここにおいては葛西実に依拠しながら インドに深く根差しているヒンドュー教に見る神秘家の特徴について考察を 行ってみる。ヒンドュー圏域においては,実際に今でも絶対的超越・内在の存在, 現実・現在としての神秘的働きが深く日常生活の中に刻印されている。そこで, それらが証言している特徴的な事項について,葛西が行った整理に基づけば以 ( 6 6 ) 下の 8点に要約できる。 第 1に,神秘家には人間,社会,文化,創造の意味や目的としての絶対的超 越,内在の存在や現実,現在としての神秘とその働きを見出すことができる。 第 2に,人生とは神秘に向かつての歩みであるから,神秘に徹して生きた神 秘家とは実は人生の先達であり理想的人間像であると考えられる。 第 3に,このような神秘家としての人生を歩むためにも,人間的社会の秩序 が不可欠であることが理解できる。 第 4に,その社会は少なくとも以下の 3つの基本的柱や基本的関係から構成 されている。この 3つとは実は人間と自然,人間と人間,そして人間と神秘家 であるが,この中では特に人間と神秘家が基本であり,これが否定されると社 会は崩壊してしまう。 第 5に,宗教の役割は人間の生きる道筋を指し示しており,人聞を宗教と社 会から神秘に向かつて解放させることにある。なお,宗教においては,役割的 に社会のそれと重なり,したがって絶対的真理としての神秘にとって代わるこ とはできない。これはすなわち,宗教の絶対化はありえないが,しかし人間社 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ -80ー 9 2 2 香川大学経済論叢 会において宗教は不可欠であることを意味している。 第 6に,絶対的超越・内在の存在,現実・現在としての神秘は,宇宙意識, 世界意識,人類意識の中心であり根拠であるとのことである。 第 7は,神秘家は出家者,遊行者のように出世間的で社会に対して無関係, 無責任のように思われるが,宗教,社会の印,目的の根源的証言者として宗教, 社会に最も深く関わっている。 第 8に,神秘の否定は暴力なのである。 葛西によればこれらの課題が提起していることは以下のように要約できる。 すなわち,神秘家の条件を一言でいうならば人間の条件であり,そして人間の 条件が神秘家の条件ということになる。したがって,彼によれば神秘に向かつ ての人生こそが真の人生であり,真の人生の出発点が神秘家の出発点となるよ うな相互フィードパック的な関係が確立される。そして,このような構造にお いて,神秘家は人間と対崎しているのである。そして,このような関係の中で 6 ( ) 7 宗教的組織においてはグルと弟子の関係の輪が広がっていくこととなる。 カリスマプロデューサーとは,このような意味づけで語られる神秘家の条件 を備えているし,これを中心とした宗教的組織を構成することができる。これ こそが,まさに教団的組織であり,人聞を深く神秘の糸で結ぶネットワーク形 成の方法である。だからこそ,神秘家によって統合された組織はいつの時代に おいても強い紐帯を持った組織として立ち現れてくる。 ( 4 ) ネイティブカテゴリーとしてのカリスマ 以上で述べてきたように,カリスマプロデ、ユーサーには,必ずやトリックス ター的要素,霊能者的要素,神秘家的要素のいずれかが備わっている。もちろ ん,これらの複数の要素を兼ね備えたカリスマプロデコーサーも多く存在して いる。すなわち,カリスマの依って立つパワー源泉がトリックスターであれば トリックスター型プロデューサー,霊能者であれば霊能者型プロデ、ユーサー, 神秘家であれば神秘家型プロデューサーなのである。 さて,今までに 3つのカリスマプロデ、ユーサーがあることを述べてきたが, OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 9 2 3 -81- 結合と教祖の人材論 以下において,これらの 3類型で表されるプロデューサーの持つカリスマとは 一体何なのかについて考えてみる。このカリスマとは,本来的にはカトリック で使われた概念であるが,かつては特能,霊能,聖賜物を意味していた。そし て,このカリスマをウェーパ!ーが学術的な概念へと発展させていったのである。 このウェーパーによれば,カリスマの資質を持つ者は,身体あるいは精神に 超自然的な,そして非日常的な特殊能力を持つ者として捉えられる。また, ウェーパーによれば,カリスマを持つ者とそれに帰依する者との関係は,いわ ばカリスマ的な支配形態として定義づけられる。なお,ウェーパーはこれ以外 の支配形態として合理的支配と伝統的支配をあげていることは周知のとおりで ある。 亘明志によれば,このカリスマ的支配はいつの時代にも存在しうるもので, 被支配者がその特定の人物の特異な資質への信仰ゆえに服従するような支配型 である。それは規範にしたがって行われないという意味では非合理的であり, 既存の秩序に束縛されないという意味では革命的であると位置付けられる。な ( 随 ) お,このカリスマの特徴を整理すると以下のように要約できる(図-14)。 図ー 1 4 ネイティブカテゴリーモデルのカリスマにみる特徴 歴史的パワー や神の恩部 山 叩 刊 脚 叩 加 山 対 非合理的パワー i 翠怒- 地域的パワー や文化的パワー 革命的パワー 亘に依れば,まずカリスマ的支配における権力の経験は,基本的に被支配者, 服従者に帰属している。カリスマとは,支配者の実際の資質ではなく,彼に特 異な資質を見出す服従者たち,時には自分たちの支配者が歴史的使命を担い, OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 82- 9 2 4 香川大学経済論叢 あるいは神の思寵を受け入れていると信じ,そして比類なき能力があると見な す服従者たちによって彼に付与された資質なのである。 また,カリスマ的な支配は,他の支配類型である伝統的な支配や合法的な支 配が歴史に準拠した類型モデルであるのに対し,超歴史的カテゴリーとして設 定されている。しかし実際に,カリスマはネイティブカテゴリーとしての権力 に由来することが多く見出されている。したがって,このカリスマとは地域的 ( 1 0 ) 文化的な限定性を持ったものとして捉えるのが現実的な観点なのである。 33 カリスマプロデューサーのパワー源泉 . , それでは,続いてカリスマプロデ、ユーサーの持つパワー源泉について考えて みる。このパワー糠泉とは,カリスマプロデューサーに正統性と神秘性を付与 されていることから由来している。それは,誰であっても長期的に,組織的に カリスマパワーを発揮しようと思うのであれば,正統性の獲得と神秘性の発揮 は不可欠な条件となる。だからこそ,まずもって正統化と神秘化がカリスマプ ロデューサーのパワー源泉であるといえる。 それらは,カリスマプロデューサーのパワー源泉には,第 1には儀式を活用 するプロデユース力,第 2にはシナリオを活用するプロデコース力,第 3には 超能力を活用するプロデ、ユースカの 3点である。これらを複合的に体化してい る存在がカリスマプロデューサーである(図 -15)。 図ー 1 5 カリスマプロテ。ユーサーのパワー源泉 カリスマプロデユーサーのパワー源泉 ••••••••• ・ ・ " . " . ・ ・ ・ 同 ・ 一 同 開 密 室 ト 内 向 •• •• •• れ!九ι . . " • リー . 、 ι . , . 一 ・ ・ - 一 ••• •••• 引い u -・・-.可~... 駒田 “心一← 一目齢"伽 一 一 … 山 刷l“ 刷 “}引""山一一 l ・ ・ ー - 、." . OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 9 2 5 結合と教祖の人材論 83- これらのパワーを備えたものはまさに常人を超えた存在であるといえ,その 意味ではカリスマプロデューサーとは何にも増して超能力を発揮することにア イデンティティを見出せる異能人材の代表的存在である。そして,今後のカリ スマプロデユースカの獲得に向けては,宗教組織のみならず,普通の経済系出哉 においても戦略的な課題となっている。 ( 1 ) カリスマにみる正統化と神秘化 さて,以上でカリスマプロデューサーの特徴とカリスマの本質が理解できた はずでFある。そこで,ここにおいてはカリスマのパワーを裏付ける論理として の正統性と神秘化について続けて言及を行ってみる。前者の正統性については, 実は多くの場合において,カリスマをカリスマとしていることにはある種の儀 式があることが理解できる。すなわち,多くのカリスマプロデューサーは儀式 を通じてカリスマにふさわしいパワーを獲得している。 それは,この儀式がD..Lカーツアーによれば多大な政治的効果を発揮するか らである。これは既存のシステムとその中の権力者を正統化することを意味し ている。それはすなわち,儀式によって俗界の社会的秩序を宇宙的次元に投射 することができるからである。そこで,多くの権力者は儀式の利用によって, その政治システムを聖別する中で,人々はまた政治的指導者の持つ権力の正統 由 。 化を完了させている。 そして,またカリスマプロデューサーにおいても,この権力の正当化システ ムとしての儀式の利用をきわめて得意としている。もちろん,カリスマプロ デューサーにおいては,政治的な正統化よりも文化的な正統化が希求されるこ とは当然である。そこで,変化のシンボ Jレたる儀式が強力なパワーの正当化に 多大な効果を発揮するわけである。なお,この変化のシンボノレは,社会的現実 のシンボノレを儀式の挙行がかきたてる強力な情緒と一体にする強力な手段であ ( 7 2 ) る 。 また,儀式の最も目覚ましい様相の 1つがその徹底した標準化の追求である。 これが,その反復的性質と並んで儀式に安定性を与えている。そして,このシ OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ -84 9 2 6 香川大学経済論叢 ンボリックな行為の保守的な性格ゆえに,儀式は政治変化の勢力にも重要なも のとなっている。すなわち,新しい政治システムは,新しい目的の再方向づけ された旧い儀式形式を培養することによって,旧いものから正統性を借用して ( 7 3 ) いる。 また,カーツアーによれば,カリスマのパワーを裏付げるものとして神秘化 をあげることができる。それは,すっかり脱神秘化された世界というものは逆 にすっかり脱政治化した世界だからである。したがって,政治的にパワーを獲 得するためには神秘化されていることが不可欠となる。また,不平等を正統化 するためには神秘化が前提条件となる。そして,不平等の正統化については特 (7~ 定の見方を育てられるということに特徴が見出される。 したがって,ここでいう神秘化とは現実の社会的構築の産物であって,その ため従属的な役割を期待される人々を納得させる現実の社会的誤構築である。 すなわち,神秘化のコンセプトとは,シンボリックな誤表現から権力者が引き 出す利点を強調する概念である。だからこそ,権力を維持するためには不可欠 な要素になっている。このようにカリスマの安定的な地位確保のためには,正 ( 叩 ) 統化と神秘化が不可欠な対応課題になることが理解できる。 ( 2 ) 儀式を利用するカリスマプロデューサー 続いて,ここではカリスマプロデューサーのパワーを決定的に裏付ける方法 論について言及を試みる。これはすなわち,カリスマプロデューサーが端的に いえば儀式をプロデユースすることでパワーを獲得することに秀でていること を示している。そこで,ここにおいてもカーツア}に依拠しながら儀式をプロ デユースするパワーについて考えてみる。 さて,政治においても宗教においても,歴史をみればあらゆる組織で儀式を 通したコミュニケーションが行われ,また儀式を通じてパワーが表現されてき たことが理解できる。例えば,アメリカの大統領選においてはパフォーマンス が決定的な要素を占めるに至っている。すなわち,ここでは政治家は政治式典 の中に自ら位置させる正統的な争い以上に,そのパフォーマンスに正統性のア OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 9 2 7 -85ー 結合と教祖の人材論 。 。 ウラを授けるシンボル化が重視されている。 アメリカにおいては,最も洗練された儀式の競争的用法が 4年ごとの大統領 キャンペーンである。すなわち,カーツアーによれば,旅のメタファーが全事 業のメタファーであり,キャンペーンは巡礼ということとなる。ここでは,候 補者は自身のあるイメージを提出し,それを彼が作り出すイメージと対比させ るために儀式が使われる。これは言い換えれば,選挙がイメージ間の競争をプ ( 7 7 ) ロデユースすることが決め手になることを意味している。 このように,今までに儀式は実は多くの危機や抗争を乗り切るために多様に 利用されてきた。現在でも,多くの権力闘争は儀式を通しての地位争いである ことが多く見受けられる。そこで,以下においても引き続き政治指導者を事例 にして考察を加えてみる。政治家は政治儀式を成功させるため小規模社会の指 導者と同様の努力を積み重ねている。政治家も彼らと同様に,体に適切な顔料 を入念に塗り髪を然るべき形にし正しい服装をしてはじめて公の儀式を行って 1 ( 8 ) いる。 さて,パワーを確実なものとするためには,血統とカーストがものをいうこ とは周知のとおりである。特に政治や宗教の世界においては,これは権力基盤 として不可欠な要素であると考えられる。それは,血統やカーストによってイ デオロギーが意味を持ってきたわけであるし,当該血統グループ全体の地位を 上げることが可能であったからである。すなわち,グループ別の影響力闘争に ついては,共通祖先の神社への礼拝とか一定のタブーの遵守といった共通儀式 の遵守を通して戦われていた。 このように,カリスマが持つ絶対的パワーを保証するものとして,ここで述 べた儀式の役割はきわめて不可欠なものである。したがって,カリスマは自身 が何よりも儀式プロデューサーになるか,この能力を持った人材を自身と不可 分な位置におくことが大切になる。その意味においては,権力闘争とは儀式と 儀式の闘争であるし,カリスマとは儀式によって支配を追求する権力のプロ デューサーであるといえる。 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 86- 9 2 8 香川大学経済論議ー ( 3 ) カリスマプロテーューサーとシナリオ カリスマプロデューサーは儀式を駆使してパワーを自身に集めるのだが,そ れはある種のシナリオに基づいて行使されている。もちろん,彼が教祖的存在 であればシナリオ自体も自ら書くことは当然のことである。そこで,このよう な問題意識に立脚しながら,宗教的な組織におけるシナリオの役割について考 察を加えてみる。そして,同時にカリスマプロデ、ューサーのシナリオの活用方 法についても言及を行ってみる。 さて,パワー関係をリアリティのあるものとして把握させるものとしてシナ リオという概念が必要となる。井門富二男によれば,人間社会が存在を始める には,秩序すなわち人聞を統合する元型としての脚本が必要となってくる。い ずれの文化,社会にも,秩序の創出にあたっては,元型を当の文化なりに具象 制) 的に表出するものとして言語の他に宗教や神話が設定されている。 今も昔も,法や社会的 yレーノレは人間同士 の大多数の福柾を維持する目的で設 ω 定されている。井門によれば,我々は未聞の部族以来,現実の秩序を統合的に 支える究極的な基準を,神話は宗教儀礼の形を通して象徴的に文化の中に位置 づけてきた。このような基準が成文化されたものが,実は多様な意味的規定を 言葉で表されたものである。そして,これもカリスマプロデューサーにとって 。 曲 は,まさに自らのパワーを確定されるためのシナリオとして活用できる。 日約聖書の中に表されているモーゼのイスラエルの帰還は,移 したがって, I 民たちが自分たちを自由の民,神の選民としてこの闇に導いたというシナリオ として利用されている。このように,シナリオが存在することでパワーに裏づ けられた意味が確定できることとなり,したがって,シナリオはカリスマパワー ( 8 2 ) を発揮するには格好のツールになる。 このことは,すなわちシナリオという言葉で書かれた脚本が多くの人聞を 1 つのアイデンティティに組織的に統合するためには不可欠であることを意味し ている。だからこそ,シナリオの正統性が大切になるし,また偽のシナリオ作 りが行われてきたのである。そして,カリスマプロデ、ユーサーが,シナリオの 作り手としてのみならず使い手としては誰よりも優れた存在形態として組織に OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 9 2 9 結合と教祖の人材論 ← 87- 立ち現れることとなる。 前述したように, カリスマプロデユーサーにはきわめて得意な能力, すなわ ち他者を引き付けて従属させうる神秘的なパワーが備わっている。そして,彼 らにとっては, そのようなカリスマパワーを正統的に説明できるシナリオの存 在が不可欠になる。 その意味においては,儀式を演出するカリスマプロデュー サーとシナリオやシナリオライティングとは不可分な関係にある。 ( 4 ) 超人としてのカリスマプロテーューサー 以上において, カリスマプロデューサーの保持する特徴が理解できたはずで ある。すなわち, カリスマプロデューサーとは自らの存在や行為についての正 当性や神秘性の獲得に注意するとともに,組織的支配を可能とするための儀式 の戦略的活用やそのためのシナリオライティングに対して多大な努力を払って しユる。 それは, カリスマプロデューサーが,彼らが多くの人聞を支配させ従属 させるためには, しかもそれを主体的に行わせるためには, それなりの方法が 図1 6 )。 不可欠であることを認識しているからである ( 図ー1 6 カリスマプロデューサーの支配構図 脳内麻樹岬 人間の支配 儀式の演出能力 !国留盟理函思惑炉 …喰欝議懇r . . . . ' . . " l 齢 創 刊 川 支配のプラットフォームとしてのカリスマの正統性と神秘性 ここに示したように,第 1の正統化や神秘化の獲得,第 2の儀式の活用,第 3のシナリオライティングの重視については,構造的な関係を読み取ることが でトきる。 これはすなわち,超能力獲得のための基本構図であるといえる。 これ OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ -88- 9 3 0 香川大学経済論叢 は,カリスマプロデ、ューサーにとっては組織的統合をカリスマ的に行い,多く の人々のパワーを自らのために活用できる宗教的な人間掌握の方法が不可欠な ことを意味している。 カリスマ的なプロデユースを可能にするには,まずプラットフォームとして カリスマの正統化や神秘化能力を位置付けることが要請される。そして,この プラットフォームに対して,儀式の演出能力と,これを可能とするシナリオラ イテイング能力を位置付けることが期待されている。その理由は,儀式の演出 能力やシナリオライティングの能力は,まさにカリスマに正統性や神秘性が あってこそ意味を持つからである。 その意味では,カリスマプロデューサーになる道は,実はある種の超能力者 になることと同義であると考えられる。そして,超能力を発揮することは,人 間の知覚の働きに影響を与えることにより,むしろ人聞に対する支配構造を明 確にする方法論であると考えられる。言い換えれば,ここで述べたカリスマプ ロデューサーには人聞を支配する能力が構造的にビノレトインされている。 そこで,このカリスマプロデューサーが行う手法について高橋紳菩に依拠し ながら考えてみる。さて,カリスマプロデューサーは人聞に対して人為的にあ る種の脳内麻揮を起こさせるように働きかける。これはすなわち,精神的な苦 痛や激しい痛みを感じ続けると,脳内に麻庫性の物質が放出されることとなり, 紛) そのためその痛みを和らげられるという特徴を活かした対応である。 そして,彼らは例えば神秘体験などを人為的に作り出し,さらに深い快楽を 感じるような誘導を行っていく。このような対応によって,人聞を主体的に従 属させ,さらには快感体験に基づく全的帰依を獲得することが可能となる。こ れこそが,カリスマプロデューサーが持つカリスマパワーの本質であり,多か れ少なかれ,このようなパワーを持ち合わせていないと超常的な成果をあげる ことはできない。その意味においては,カリスマプロデューサーとは,組織に おいて一人ひとりの人間のパワーを予期せぬほど高度に発揮せしめる程のレパ レッジパワーを利かす機能なのである。 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 9 3 1 結合と教祖の人材論 -89 3 . . 4 カリスマプロデューサーのパワー特性 それでは,以下においてカリスマプロデューサーのパワー特性について考察 を行ってみる。カリスマプロデューサーはグル的な要素を色濃く持った存在で ある。ところで,このグノレとは解脱することでカリスマパワーを獲得した人間 である。そこで,カリスマプロデ、ユーサーも解脱によるパワーが期待されるこ ととなる。そして,このことこそがカリスマプロデューサーにみる最大のパワー 特性なのである。 このようなグノレの持つパワーは,多くの信者を回心させ,グルに対して絶対 的な服従を獲得することに成功している。これは,組織運営にとってポジティ ブであるが,一方では人間への対応方法としては課題が残ることである。この ようなグル的要素を活用して企業経営において大成功した人間として,稲盛和 夫や松下幸之助など多数をあげることができる。すなわち,実際に事業創造や 急速な進化を実現するには,このようなパワーの発揮が不可欠であることは間 ) 。 違いない(図 -17 図ー 1 7 カリスマプロデューサーにみる支配構造 .~一一一ー~、、\\ の ?レ口県 て と社 者 回心による服従 = 主 〉 カリスマ プロデューサー 〈 ご 主 = 解脱による支配 そこで,このようないわば諸刃の刃であるカリスマパワーを持ったグル的人 材の登場を注意して見守ることも不可欠なことである。その上で,彼らのパワー をポジティブに活用し,多くの人々や組織が真の意味においてハッピーになる ように活用されることを信じるばかりである。もちろん,黒いカリスマプロ デ、ユーサーが現れたときには,また白いカリスマプロデューサーが対抗権力と して立ち現れることが歴史にみられる真理である。 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ -90ー 9 3 2 香川大学経済論叢 ( 1 ) 究極のカリスマとしてのグル カリスマプロデューサーのパワーにとっては異次元能力が装備されているこ とが前提となるが,そのためカリスマプロデューサーの究極の目標はグルへと 近づくこととなる。グノレについてはいささかいかがわしいイメージがあるが, それでもその特異なパワーについては誰しも羨むほどの魅力を備えたものであ る。そこで,ここではグルの持つパワーの本質について若干の考察を加えてみ る 。 さて,ゲオルグ・フォイアスティンによれば,グルの本質は霊的指導者であ り,知性を打ち砕くことにより脱構築することに人々を導くことである。どん なグ Jレもやさしく慎重であるのだが,弟子の個人的な意味世界を爆破するため に働きかける。このグルはいわゆる霊的教師であるが実は多様なタイプが存在 している。例えば,霊的成熟度,個人的に抱えているコンプレックス,教え方 などにもすべて差異が見出せる。しかし,最も望ましいグルとは完全な悟りの (8~ 段階に達している成就者である。 この成就者は貴重な存在であって,本人が意識していようがいまいが,まさ に存在そのものが森羅万象に強い影響力を持っていると信じられている。解脱 した導師,すなわち神の化身はすべて聖なるものを放射すると考えられている。 言い換えれば,彼らは聖なるものの中心に存在している。それは,彼らがはっ きりと目覚めたまま根源的リアリティとともにあり,周囲の環境をその光で ( 8 5 ) もって照らし出さずにはいないからである。 当然,この場の効果はありとあらゆるものに及ぶのだが,とりわけ師の間近 にいる者や師の霊的メッセージに敏感な者にはそれがはっきりと感じられる。 解脱した人間のオーラは変容の力を持っており,周囲をおのずと霊的修行に向 かわせる。そして,師霊的な現存は肉体にまで影響を及ぼす力として感じられ る。そして,弟子はグルからの霊的転移の衝撃波にいとも簡単に耽溺し,その ( 筋 ) 能力のことを悟り,智慧,慈悲などと混同してしまう。 それでは,このようなパワーを保持するグルの多様性について,ここでもアオ イアスティンに依拠しながら論述を試みる。このグルは霊的教師であるといっ OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 9 3 3 -91- 結合と教祖の人材論 ても多様なタイプが存在している。すなわち,真のグル,偽りのグ lレ,狂気の グノレなどが入り混じって存在しており,太陽のようにすべてを照らし出すこと のできる師を見出すことはきわめて困難である。実際に,詐欺師のようなグ怪ル も多数存在しているし,そこで本当の師とは一体どんな者であるかが重要な課 信7 ) 題となってくる。 さて,本当の師とは,例えばダー・ラブ=アーナンダにより唱えられた人生 の 7段階(第 1段階=生物的にひたすら生きる能力,第 2段階=単純な関係性 を作る能力,第 3段階=基礎的な知的能力,第 4段階=帰依の能力,第 5段 階 = 神秘的能力,第 6段階=証を立てる能力,第 7段階=解脱の能力)の 7段階目 である解脱の能力の段階に至っている。これは,超越的自己として完全に目覚 ( 回 ) める段階で,ここでは永遠のエゴ超越をともなうこととなる。 この段階については,さらに 3つの異なる相から成り立っている。これはす なわち, トランスフィギュレーション, トランスフォーメーション, トランス レーションの 3つである。この最後のトランスレーションは,解脱した基盤の 上での肉体意識の停止を意味しており,この状態は神のうちで完全なる忘却に 達した無上の法悦境ともいわれている。なお,この解脱についても実は未だに 最 終 段 階 で は な し た ん な る 1つのプロセスなのである。 ( 2 ) 信者に見るグルへの回心 それでは,ここではグルによって支配される弟子の意識や行動について,引 き続きフォイアスティンに依拠しながら検討んを行ってみる。多くの新興宗教な どにおいて,弟子が自発的に服従の態度をとることは,実は自分の自由意志で もって解脱ゲームという修行にかかわることを意味する。なお,このゲームに 自 由 ついては以下のようなルールによって展開される。 師には,弟子に霊的な命令を下す権威と力が授けられており,必要とあれば 弟子を叱りとばして鍛え上げることも許されている。ゲームが終了するのは, 弟子が解脱した時か,あるいは弟子が途中から引き返したり,師との関係を終 わりにすると決めた時である。しかし,自発的な修行を通じて獲得される真の OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 92ー 9 3 4 香川大学経済論叢 服従とはまったく偉大な業なのである。この真の服従は,並はずれた内面の安 定性,勇気,しっかりした方向感覚,さらには運命に対する直感をも必要とし 側 ている。 さて,そんな中で最も重要なものが霊的回心なのである。この回心とは,多 レト集団に対するネガティブな反応からか,昨今では強制的説得とかマ くのカ Y インドコントロールといわれるものである。しかし,ここでは,これを人間的 な繋がりを強固なものとするポジティブなものとして捉えることとする。この 回心とはまさに突然の超逆説的なスイッチ転換を意味しており,典型的な癒依 自 由 状態,特に神との合一体験はまさにこのような瞬間に生じるものである。 この回心は確かに危険なものであるため,哲学的な地固めをしっかり行って おくことが大切である。そこで,ケン・ウイノレバーのいうように,忠実な信者 に生じる生まれ変わり現象と,信仰の人における慎重な適用とをはっきり区別 することが大切になる。前者はいわば爆発的な回心であり, トランスパーソナ ル心理学では理性以前の態度でもって世界に関わろうとする準適用という概念 でもって受け止められる。後者のタイプの回心は,前者とは反対に変容しつつ 自 由 成長することを意味している。 そうなると,忠実な信者が望ましい存在ではなく,信仰の人が望ましい存在 であることが理解できるはずである。信仰の人は,すでにあらゆる解答を得て いる忠実な信者とは異なって疑うこともできる人である。その信仰が強ければ 強いほど疑いもまた深まっている。なお,この疑いはまさに自分自身との絶え ざる対時から生まれてくる。なぜならば,エゴ人格のさまざまな姿形を本能的 に突き止めようとする霊的菌感が,このような対時の中で育ってくるからであ (9~ る 。 純粋に霊的観点からいえば,回心とは一種の挟み撃ち作戦なのである。また 一方には,真のリアリティの側からの引きがある。押しの側面は,心理学,柾 会学,神経生理学などの分析手法を通じて理解が可能であると考えられている。 しかし,この押しの側面は,科学的方法で追求の手がまったく届いてはいない。 その理由は,第 1に回心が個人的な経験の問題であり,第 2に回心が神学の課 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 9 3 5 結合と教祖の人材論 -93 自 ら ) 題であるからである。 しかし,いずれにしても科学の限界を超えて,このような回心の問題を人聞 の連帯の問題からポジティプに捉えることが,現代社会特に企業組織における 求心力の観点から大切な問題である。そこで以下において,グルへの信者の回 心という観点から,幾つかの事例に見られる組織のトップとその構成員との関 係について考察を深めてみる。 ( 3 ) 京セラアメーパ方式に見る稲盛教 前述した京セラの高効率経営であるアメーパ方式について,稲盛和夫をグル に見立てて考察を行ってみる。このアメーパ方式は,国友隆ーによれば情念の システムを体系化したものである。そうなると,幾分宗教団体はオカルト組織 の組織化の方法論と類似したものと考えることができる。そう考えると,稲盛 は京セラというアメーパ組織のグツレであり,社員は信者ということとなる。 しかも,この信者は前述した忠実な信者であり,稲盛の霊的パワーによって 彼らの稲盛に対する完全なる帰依が実現されている。その意味では,京セラは いわゆるグル的なトップに指導されている宗教的な経済組織,すなわち経済教 団といえるような組織となる。そして,この情念のシステムは不動のものであ り確固不変のものとしてトップから末端までアメーパの全組織を買いており, またアメーパにおけるメンバーの一人ひとりの心に根づくことが要請されてい 曲 目 る 。 しかも,この情念の重視はただ一生懸命働こうといった体のものではなく, 情念のシステム化といわれるようにあらゆることにかかわる心の規定が行われ ている。すなわち,アメーパのメンバーとして働く目的から,仕事の意義,メ ンバーとしての性格まで指針が広範に示されている。したがって,京セラでは このようなベクトルにそった人聞が尊重され,合わない人聞はどんなに能力が あっても必要ないと言い切るまでの従業員に対する思想的な締めつけが行われ 仰) る 。 なお,このベクトルについては世のため人のために働くことに収散されてい OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 94ー 香川大学経済論叢 9 3 6 る。しかし,これが問題であって,それは,こうすることで結果的に京セラと いう企業が繁栄し,まさに稲盛という個人が大きな利益を獲得する仕組みが確 立されているからである。もちろん,京セラにおいては,実際に利益の社会的 な還元率は他社と比較して多大ではあるが,それでも,そうであればあるほど 稲盛のグルとしてのパワーが強まることとなり,同時社会的な地位も向上する システムになっている。 ここでは,すべての才能は社会のために寄与すべきであると規定されている。 したがって,研究員や技術者などが学会において自分の論文を提出する際にも, 個人の名前で行うことは許されておらず,すべて京セラの名前で行うことと なっている。したがって,京セラにおける世のためとは会社のためであり,稲 盛のためにということに巧みにすりかえられている。このことが,京セラがグ ( 9 8 ) ルによる宗教経営と考えられる理由なのである。 もちろん,このような経営者と従業員の関係が絶対的に悪いということでは ない。相互に納得して活き活きとして働けるわけだから,それはそれなりに意 義深い方法であるとも考えられる。しかし,これが前述したように忠実な信者 による回心のシステムであるとなると,それは随分と寂しいシステムであると 考えざるをえない。確かに,仕事を剃那的ではなく,人生を賭けて行うべきで あるという考え方には共感できるが,その結果がグルの l人勝ちの状況を現出 ( 叩 ) させるのではいささか問題がある。 なお,国友によれば,この京セラのアメーパシステムはグルたる稲盛に向け た求心力を{動かすパッションシステムである。これは,けしてギブアップする ことを禁じたシステムであり,燃えるような情熱でもって不可能を可能にする ことを志向するシステムである。ある意味では,例えば我が固における戦前の 特攻精神に相通じるような感じがするといわざるをない。しかし,京セラにお いては,これが凡人から非凡な力を出させる方法であるとされている。もちろ ん,人聞が燃焼することはたいへん望ましいことだが,やはり特定の誰かのた 自 国 めに燃焼するのでは幾分疑問が残ることになる。 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 9 3 7 -95 ー 結合と教祖の人材論 ( 4 ) 霊性を経営に活用する船井教 稲盛和夫が製造業の世界で多くの企業人から支持されている代表的人間であ るのに対し,船井幸男は経営コンサルタントとして多くの企業人から支持され る代表的な人間である。その意味では,両者とも現代のグルといえるわけだが, 前者が稲盛教,後者が船井教という,ある種の信仰宗教的グルということがで きる。そこで,ここでは船井の思想の中核的な論理と思われる天の理を捉えな がら,彼のいわゆる信者に対するカリスマ的な位置付けについて考察を行って みる。 さて,船井のいう天の理とは本物時代を意味しており,プラス志向のポジティ ブシンキングに裏付けられた思想である。彼の最も強調する考え方は,物的な 増大への欲求や物事をやめマクロから捉えることである。人聞は,知的に知り 知的に教えることができ,そして知的に覚えることができる動物であるが,人 間である以上は論理的に考えることが大切であると述べてい Z 。 そして,実は人間たるがために船井の教えを信奉すべきであるという論理展 開が採られている。すなわち,船井は人聞を説いてポジティブに生きることの 尊さを教えながら,自分に帰依することをその前提条件にしている。これが, 船井流の思想をプラットプオームにしたビジネスモデルなのである。そのプ ラットフォームの価値を増大させるために提案されたのが生命態の源である霊 魂なのである。 そして,彼は霊魂に訴えかけ彼のいう天の理を説き,これからは競争ではな く互助が不可欠と説いている。そのこと自体は望ましい考えかたと思われるが, この互助が自己実現のためではではなく他人のためや世のために向けられるこ とに,きわめて危険な兆候が読み取れる。すなわち,我欲をすてて世の中につ くすことが船井のためへと収飲されていく危険性が感じ取れるからであ g。 そして,これにはまさに信者の帰依の構造であり,喜捨の構造に近接したシ ステムを感じ取ることができる。このような考え方だから,実は会社人聞を作 るための洗脳教育の武器として多大な評価が与えられている。ここにも,また 死を厭わないロイヤルティを形成しようという軍事的な人間教育の影を感じざ OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 96- 香川大学経済論叢ー 938 るをえない。船井教は,実は米国極東空軍下士官用プログラムの企業人への応 用であると考えられている。 そこでは,生産性や目的到達に対する効果については追及されているが,し かし,そこには一人ひとりの人聞はそれぞれ固有のアイデンティティを持つべ きとか,固有の思、想を持つべきとかいう,まさに個を尊重する姿勢が幾分弱い ように感じられる。実は,船井のいうように多くの苦難の中で生命や死につい て勉強することは結構なことだが,それが他人のために行われる方向に誘導さ れるとなると,それはそれで大きな問題であるといわざるをえない。 すなわち,ここには以下のような懸念が感じられる。すなわち,すべてが必 然であるとか必要であるというような受け止め方を行うことや,生まれ変わり を信じる人が増え過ぎることは,権力者や犯罪者に対しては限りない無責任を 許すこととなり,権力者にでも犯罪者でもないものに対しては諦めだけをもた らす懸念が生じてしまう。このように,船井流の信者の作り方は 1つの組織化 の方法論としてはおおいに有効であるが,しかしその利用の仕方については細 心の注意が不可欠である。 ( 5 ) 使命感至上主義の松下教 現在,松下電器においては松下家の支配を脱しながらも,創業者である松下 幸之助の精神について受け継ぐことで次世代企業への転換を試みているようで ある。その意味では,松下電器は今においても,松下幸之助を教祖とした松下 教団の色彩が強いということもできる。しかし,これが今までは強みでもあっ たが,今後においてはデメリットになる司能性を秘めていると考えられる。 ところで,この松下電器を我が国最大の家電メーカーに育てたのも,世界に 適用するパナソニックブランドを確立できたのも,まさに教祖である幸之助が いたからである。そこで,松下の成長を可能とした幸之助の松下における教祖 的側面について考察を深めてみる。この松下の使命感は,利益を実現すること で社会への貢献が可能となるという考え方は,実は宗教的な組織化理念と同根 のものと考えることができる。 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 9 3 9 97 ー 結合と教祖の人材論 そこで,松下教団における教祖が幸之助であるとすると,彼の布教に不可欠 な経典がいわゆる七精神であるといえる。なお,この 7つの精神の確立に向け では,幸之助が影響を受けた宗教教団からの影響が大きく寄与していると考え られる。これは,第 1が産業報国の精神,第 2が公明正大の精神,第 3が和親 一致の精神,第 4が力闘工場の精神,第 5が礼節謙譲の精神,第 6が順応、同化 の精神,第 7が感謝報思の精神,という 7点なのであ 2。 そして,この 7つの精神をメディアとした従業員の意識統合を語り合う場と しての朝会が自然発生的に組織化されるのである。ここでは,朝の仕事始めに あたり,綱領や信条を朗読したり,幸之助の話を聞いたり,相互に所感を発表 したりして,相互に啓蒙し合ったのである。このような動きが全社的なものへ, すなわちフォーマルな儀式へと発展し,タ会とともに松下電器に求心力をもた らす仕掛けとなって発展していっ迎。 この仕組みの本質は,実は繰り返すことによる従業員の持つ内的態度を企業 の持つ本心に向けて誘導することにある。だからこそ,経営戦略の視点から松 下の七精神を評価することが重要なのである。これはすなわち,ことの是非を 問わず従業員を行動に掻き立てるためには所与の第一次的選択基準を確立させ るべきことを意味している。これこそ,まさに幸之助を教祖として崇めたてる カリスマ的経営,すなわち教祖を頂点に戴いた宗教教団的経営の典型的なモデ ノレといえる。 これを基本として,戦後すぐに松下電器は組合の体制化に成功するし,また 占領政策下における早期復興を実現し,我が国家電業界において揺るぎ無い地 位を確立することになった。そして,この上に事業部制をベースにした経営管 理システムが確立し,経理を軸とした個性的は仕組みが確立していったのであ る。これこそが,現在の松下電器の繁栄を確実にした経営のインフラなのであ る 。 しかし,このような経営システムの構築も多彩な人材の輩出も,すべてが教 祖幸之助の手の平の上で展開されたものであり,その意味において,巨大化し たグローパル企業である松下電器は,現在でも幸之助は教祖と崇めたてられて OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 98 9 4 0 香川大学経済論議 いる個人工場的色彩が残っている企業であるといえる。そして,今でも企業遺 伝子的に,松下電器には経済合理性を超えて企業に奉仕することを社会的使命 へと転換する仕組みがセットされていると考えられる。もちろん,このことに ついては評価できる側面と評価できない側面を併せ持っていることは周知のと おりである。 3 . . 5 カリスマの変形としての制度化 以上において,カリスマプロデューサーの特徴について理解が深まったと思 うが,しかし,問題はどんなカリスマであっても必ず死を迎えてしまうことで ある。そこで,カリスマの変形が不可欠となるわけで,具体的にはカリスマの 制度化という方法が採用されることとなる。 さて,カリスマとはウェーパーによればある人間の非日常的な資質を意味し ている。したがって,カリスマ的権威ということばでいわれる人聞についての 支配払特定の個人の持つ非日常的な白資質への信仰に基づ、いて被支配者が進ん で支配に服するようなことを指している。魔術を使う呪術師,預言者,狩猟や 略奪の識者,戦争の司令,いわゆる専制主義的支配者,また場合によっては政 党などに対する,こういうタイプの支配者に備えられている権威であ g 。 こういった支配の正統性は,人並みはずれた尋常一様なことではない,した がって尊厳性を備えたものへの信仰と献身のうちに根拠を持っている。言い換 えれば,その正統性の根拠は,呪術的,ないし啓示的信仰,および英雄崇拝の 内の幸福といった成果によって,カリスマ的資質が証明されることである。し たがって,この証明が行えなくなったり,カリスマ的資質の所有者が呪術的力 や神から見捨てられたことがはっきりすると,たちまちこの信何はそれを支え ていた権威と一緒に消失してしま r 。 徳永惇によれば,カリスマの制度化の方向については 2つが考えられる。第 1は,カリスマが日常化しつつ,なおその担い手が個人に求められる場合と, 第 2は,カリスマが日常化しつつ,もはやその担い手が具体的な個人というだ けではなく,一般にもはや人間ではなくて没人間的なもの,例えば知や役職に OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 9 4 1 -99ー 結合と教祖の人材論 移っていく場合である。両者はともに広義でのカリスマの日常化として一括で き,とくに後者の場合は脱人格化と呼べ g 。 第 1の人格性を保ちつつ日常化していく場合には,カリスマの日常化につい ては後継者選抜の問題ということになる。カリスマ的指導者が死んだり失脚し た場合,その権威を継続して受け継ぐべき次の指導者は,当の指導者が自ら選 定するか,指導者の側近集団の中から選定されるか,のどちらかである。この 場合には,選抜は次第にカリスマ的能力よりは,むしろ形式的な多数決論理へ と収赦してい札 第 2のカリスマが制度化されていく場合には,カリスマはたんに変形するだ けでなく,制度的なものへと変質してしまうことになる。これは,物格化とい われる現象が生じることであり,家や氏族における世襲制に見られるようなも のである。この場合にカリスマの担い手に問われることは,後継者個人の資質 ではなくて,彼がカリスマを担う家柄に属しているかどうかであ Z 。 こういうカリスマの制度的なものへの変質と転化は,非日常的なカリスマの 衰退や退化をもたらすだけでなく,多くの場合に堕落や退廃化をともなってし まう。したがって,カリスマは次第にその本質的な効力を喪失して,ただたん に現存体制を正統化するだけの道具に成り下がってしまう。これが,いわばカ リスマの歴史的衰退であり,カリスマは次第に消失していく運命に落ち入って しまヂ。 現代はあまりにもカリスマが日常化することで制度の内に消えてしまってい るが,それでも残存形態としてカリスマの存在は読み取ることができる。しか し,このようにカリスマの残存を探索するよりは,むしろカリスマが担ってい た革新力などのパワーをいかに組織が獲得できるかを認識することの方が大事 である。しかし,それでも,今後においても,カリスマ論を革新の社会学とし Z て捉え突破の側面を強調することは困難なことは間違いないと思われ 。 4.人材デザインの未来展望 さて, 2 1世紀を迎えるにあたって,新たな競争戦略とこれを支える組織戦略 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ -10 0- 香川大学経済論叢 9 4 2 や人材戦略が強く期待されている。そのような状況下では,新たな新世紀型人 材像を求めて結合能力に秀でていることをエクスパティーズとした異能人材に 可能性を見出すべく,宗教組織にみられる教祖にこれから人材モデ、/レ像を見出 し,組織論やパワー論との関係において多面的な考察を深めてきた。 ここで理解できたことは,指導者に不可欠な能力として期待される合理的な パワーを超えた神秘的なパワーの存在についてである。これによって,人間の 能力の限界を超えたパワーを現出できるし,多くの人聞からの完全なる形態で のロイヤルティの獲得を可能にしている。その意味では,宗教組織において存 在する教祖,預言者,グノレというような存在は,経済組織においても自らの組 織に求心力をもたらすものとしておおいに期待ができる。 また,教祖,預言者,グノレに帰依するいわゆる信者は,彼らに支配されるこ とで幸福が入手でき,またポジティブな生き方が与えられる。その意味におい ては,支配されることさえそれなりに望ましいことかもしれない。もちろん, 批判的視点を完全に喪失してしまい,問題を引き起こすような信仰宗教におけ るマインドコントロールされるような状況は完全に忌避すべきことである。そ れは,これについてはまったく犯罪者であるといわざるをえないからである。 そこで,期待されることは,個人に対して完全にアイデンティティを奪うこと なく,同時に,癒しゃ学びが可能な状況の創出を実現できる教祖,予言者,グ y レの登場なのである。 さて,このグノレ的要素を活用しながら多大な成果を期待されるものとして著 者が提唱するプロデューサーがあげられる。これは,今後のスピードの時代や 境界融合時代においては不可欠な人材像であるが,その保持しているパワーに ついては注意して発揮することが大切である。それは,プロデューサーが他者 のパワーをいかに引き出すかということを戦略課題とした人材活用の最大化を ミッションとしたものだからである。ましてや,カリスマ的ノ fワーを保持した カリスマプロデ、ューサーとなれば,それはなおさらのことである。 そこで,このような懸念を払拭した形でプロデ、ューサーの定着を試みようと いうことで,カリスマの持つメリットと併せてデメリットを掌握し,その上で OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 9 4 3 -101 結合と教祖の人材論 これを克服する方法を模索しようとしたのである。そして, このような観点か ら,人聞を不幸にせずにポジティブナなパワーを引き出せる能力を持った人材 像を確立することに挑戦したのである。 これが, ここで著者の提言してきたビ ジネスプロデューサーという人材概念なのである。 これは,他に比較してたとえ同じ人材を束ねながら組織化を行ったとしても, まさに圧倒的な価値創出の差異を見せつけることができる異能人材を意味して いる。 したカまって, これからは, まさに個人と個人を結ぶことで価値を創出す ることに秀でたプロデューサー的な人材の輩出がおおいに期待される。そこで, この著者の提言するビジネスプロデューサーに期待される資質について若干の 図 -18)。 考察を加えてみる ( 図 -18 ビジネスプロデューサーに期待される資質 者力一 U 済能一 救的一 個人の救済を通じて 組織への依存体質を 形成する力 個人のパワ!と ビジョン形成により 組織を統合する力 2。 E 〉 超人 的能力 ノtイ ブ ル 的能力 O O 奇を神 蹟実業 信証カ を現的 誘すな 引る圧 すた倒 るめ的 力の成 果 頼明り をすス 獲るマ 得この すと正 るで統 力性 を . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . _ _ . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . _ _ . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 第 1は , ビジョンを明快に打ち出すことでリーダーシップを確立できるカリ スマ的能力の獲得である。 このカリスマとは神から与えられた思寵であるが, まさに神々しいまでのビジョンメーカーである。 したがって, カリスマ的能力 を保持することは,神に代わってパワーを行使することが公に認められている ことが前提となる。 そうなれば,組織に求心力を働かせるべくビジョンオリエ ンティッドの組織統合を可能にできる。 したカまって, これはいわばベンチャー における創業社長のような存在である。 第 2は,他者を進んで帰依させることを可能とする優しさと癒しの能力を発 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 102 香川大学経済論議町 9 4 4 捕すべく救済者的能力の獲得である。この救済者的能力は優れた包容力によっ て他者を主体的に組織化に導く誘導的パワーであり,集団への寄与を個人の自 発性を伴いながら実現しうる組織化を可能とする能力である。このような人間 の組織化し戦力化するパワーが,今度の人材像であるビジネスプロデ、ユーサー に期待される最大の課題なのである。したがって,これはいわば心霊主義を信 奉する治療師のような存在である。 第 3は,誰が見てもとてつもないことを実現しうる類稀なる異次元能力を発 揮しうる超人的能力の獲得である。これは,実現力において超人的であること で,他者に従うことを納得させる巽能の保持者である。そのため,誰にもわか るような指標において,圧倒的な優れた成果を実現することが前提条件になる。 すなわち,誰しも一目を置かなければ成らないほどの実力に裏付けられたパ ワーの保持者である。したがって,これは例えばオリンピックの金メダリスト のような存在である。 第 4は,組織が行うべきことをどんな場合にも正統化してしまう無限の信頼 を享受すべくパイプノレ的能力の獲得である。これは,組織が迷いを吹っ切るこ とで急進力と突破力を獲得するためには不可欠なパワーである。どんな力も, その発揮の方法によって成果は異なるものである。そこで,可能な限り最大に 成果が実現しうるように組織デザインを行える人材が期待されている。した がって,これについてはいわば弁論部出身の代議士のような存在である。 以上が,今後の人材像に期待される基本的な能力であるが,これらのすべて を満足させるような人材を見つけることは不可能に近い。当然ながら,これら のパワーのいくつかをそれなりに備えていれば,あとは組織的に補完を行うこ とで対応を考えることとなる。したがって,ビジネスプロデューサーはこれら の能力をベースにしながら,組織に依存しないポジションにおいて,また人聞 を腕力で以って支配しないポジションにおいて,組織のパワーに個人のパワー を結集させるエキスパートであると考えられる。このように,いよいよ異能時 人材の登場が我が国企業にも求められる時代が到来している。 いずれにしても,カリスマプロデューサーは人聞にとってまさに両刃の刃な OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 9 4 5 結合と教祖の人材論 -103 のである。そうはいっても,多大なパワーを発揮することで組織に対して多大 な貢献を果たすことのできる人材は活用することが望ましい。そのためには, 一人ひとりの人聞が,カリスマプロデ、ユーサーに魂まで売り渡さない,すなわ ち完全に回心などは行わない自律した存在として居続けることが不可欠であ る。また,著者は,カリスマプロデューサーにおいても,黒い異能者を志向す るのではなく白い異能者を志向することを期待したい。 参考文献 (1) ジャック・ブロス(小潟昭夫訳) ( 19 9 3 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