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欲望のエネルギー論
欲望のエネルギー論
Molecular Socio‐ energeticS of Desire一
一一一 or ATP.
(その 1)
里小
石
並
日
0 . 序
ー ・情報
・
生物学をはじめ自然科学の諸分野では,研 究対象 を物質 エネルギ
・
とい う 3分 法でとらえることが 多 く,研 究視角や方法 もこれに応 じて物質論
エネルギー論 ・情報論 と3分 される。 この うち情報論の発想を理論社会学へ適
の試みは,吉 田民人によって提唱さ
i nformatics〉
社会情報論 SociO‐
用する く
e nergetics〉
社会 エネルギー論 Socio‐
れ,精 力的に展開 されてきた。が,他 方 く
と呼ぶべ き分野,す なわち社会 を動か している原動力は何なのか,そ れはどう
い う仕組みをなして社会 を動かすのか, とい う点を問題 にす る分野には,こ れ
までさしたる業績がない といつてよい (誤解 なきように断 ってお くと,こ こで
・
いう 〈
社会的エネルギー〉 とは,入 力 とか石炭 石油,電 力 とかいった物理的
・技術史的なものではな く,社 会その もの を社会体 として動かし発展 させ る動
因としてのそれのことである)。とすれば,情 報論の前提 としても,一 度社会的
社会エネルギー論〉
エネルギー論 を考え直 してお く必要がある。本稿 は,そ の く
の試みである。
1.欲
ーーー
望 一一 人間 を動 か すエ ネル ギ
社会分析のベースとしての欲望
ー
とい う概念を
欲望 desire/dOSir〉
本論考 においては,社 会分析 のベ スに く
『
の理 論J東 京
1)吉 田民人 r自 己組織性 の情報科学』新 曜社,1990。 同 情報 と自己組織性
大学 出版会,1990。
118
彦 根論議 第 306号
お く。 この 分 析 方 針 は , も と も と ドゥル ー ズ = ガ タ リの く
分 子 的〉社 会 理 論 に
2)
由来す る もの である。
く
欲望 〉 とは,ま ず さしあたって,文 字通 り 「
何 か を欲 し望む こ と」 であ り,
「その何 かのために何 らか の
行動 を惹起 させ る,抽 象的 な衝動」である。 そ し
て とりあ えず,そ の意識/無 意識は間わない ことに してお こ う。 ここに 「
抽象
「
的」 と断 ったの は,「何 か を」 何 らかの」 とい う箇所が不特定 になって い るこ
とと呼応 して い る。何 か特定 の 目的 の ために惹起 され る,特 定 の具体的行 為 と
い うよ りも,そ れが特定 され る以 前か ら準備 され存在 して い る,未 分化 な心 的
エ ネル ギー の充電状態 ・エ ネル ギー の高 ま り。 これが本論考 でい う 〈
欲望 〉 な
の である。 そ して欲望 が解放 された ときに得 られ る心 的 な高揚感 を,伝 統に従
って本論考 で も 〈
快楽 pleasure/plaisir〉
と呼んでお く。
動 としては その 「
何 か」が特定化 された時 に しか顕現 し
ない。 したが って欲望 は一 見,そ の 「
特定 の もの」 を満 たそ うとす る欲 求充足
の作用 に見 えよう。だが実際 には,そ の 「
何 か」 が特定 された際 に欲望が発 出
す るの は,そ れが手 るた嵩 まらそ存途 とそ ふたお、らでぁって,こ の とき もはや
もちろん欲望 は,行
欲望 はその消長 の ライ フサ イクルの大半 を過 ぎて い るの だ。 だか ら欲望 は,特
定化 (具体 的快楽)に よって初めて出来す るとい うよ り,そ れ以前 に,す でに
有機体 に備 えられて い る根 源的 ・抽象的な潜 勢力 であ り,そ れゆ えに未分化 な
力 と考 えるべ きなの である。 さきに,主 体 による欲望 の意識/無 意識は間 わな
い こ とに してお こ うと断 ってお いたが,未 分化 なもの とい う意味では,欲 望 は
本来,無 意識 な もの とい うべ きだろ う (ドゥルー ズ =ガ タ リに とって もそ うで
あ った。 ちなみに,分 化 し ・意識 され るに至 って も欲望 であることに変わ りは
な い)。欲望 の 流れ は,特 定 の低 地 へ 向 か お うとす る川 の よ うな安 定 な もの
い うょ り,丘 の上 に湧 き出 る泉 の ように どこへ 流れ るか い まだ決
(stability)と
まらぬ不特定 ・不安定 の もの (instability)で
あ る。
2)Gllles Deleuze&Fё lix Guattari,乙■%″_働 ゎ夕
,Les Editions de Minuit,1972(以
下
A O と 略 記 ) 。市 倉 宏 祐 訳 F ァ ン チ ・オイデ ィプス』 河 出書房新社
,1986。 dito, %ル
P↓c姥″筋 ,MIinuit,1980。
欲望のエネルギー論
119
したが って欲望 は,何 か具体 的 な く欠乏 〉 に対す る充 足動機 とい った よ うな,
く欠乏 〉 に付 随す る副次 的 な情動 では な い。 欠乏 に よ って欲望 を定義 す る これ
まで の欲望 論 (た とえばサ ル トルの それ)は この点 を見誤 って い る。欲望 は,
欠乏動機 に よ ってプ ル され派生す る二 次 的 な力 ではな く,欠 乏以前 か ら生命 に
備 わ る根 源 的 な プ ッ シ ュ カ な の で あ る。それ ゆ え欲望 は,〈欠乏せ る ものの 充 足
とい うよ り,〈 未然 な る ものの付力田addition〉 であ る。
satisfaction〉
欲望 と欲求
欲求〉 との区分把握 を試み
欲望〉 と く
ここで次に,一 見類義語 と思われ る く
ておこ う。 これによって,欲 望 の特質をいっそ う際立てることができるだろ う。
欠乏 lack,want/besOin〉に対す る充
(a)ま ず,上 記の行論の中で否定 した く
欲求 need,want/besOin〉に対 して当ては
欲望〉ではなく く
足動機,こ れを く
める方法が考えられる。つ まり,次 の図式の ように捉えることができる。
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一―
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一
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――
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'―
一
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│
│
求 一 一― 充 足 (欠乏動機 )
欲
「
1
1
欲
│
望 一 一一 快 楽 (付加動機 )
―
―
」
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│_________―
欲求〉は,充 足に よって満 たされ
この ように欠乏動機 によって定義 され る く
れば,そ の存立根拠 である欠乏状態 を解消す るので,消 滅す るはず の ものであ
る。 ところが付加動機 に よる欲望 は,快 楽 が得 られ て も存立根拠 を失わ ない。
`
だか ら欲望 には限 りが ないので ある。欲望 は,限 りな く欲望 を欲望す る。 欲求
不満
″
″ とは い って も `
欲望不満 とい うこ とはない ことを考 えれば,こ の語法
は 日本語 のニ ュア ンスに も符合 して い る。欲望 に満足はないの である。欲望 は,
過
それ ゆえ,生 理的に必要 な もの を欲す るもの とい うよ り,む しろ不必要 な く
S〉であ り,余 計 な ものの付加 である。
剰 な もの excё
欲望 が この ような もので あるな ら,当 然,次 の点に注意が必要 である。欠乏
動機 に よる欲求 は,そ の 当該 の欠乏 を く目的〉 として (プルカ として)目 的論
的 に立論す るこ とがで きる。 しか し付加動機 (プッシユカ)に よる欲望 には,
具体的 目的 を立て るこ とがで きない。つ ま り欲望 を目的論 で論ず るの は,根 本
1郷
彦
根論叢 第 306号
的に誤 っている, とい うことである。
(b)ま た,く欲望〉の概念を,〈欲求〉概念 と対照区別 して,前 者を入!間のみに
固有の情動 と位置づ ける見解がある。敵 ・丸山圭二部 の論考はその代表 である。
彼は,動 物が対象を弁別 し世界を構成する根拠が動物固有の本能的 。
身体的「
身
分け構造」 であるのに対 し,人 間が対象を弁別 し世界を構成する根拠は言語に
よる恣意的な 「
言分け構造」にある, とい うややこなれない区分 を提唱 し,こ
れに対応 して く
欲求〉 を 「
言分け構造」に,そ れ
身分け構造」に,〈欲望〉を 「
ぞれ属するもの とした。か くしてここに欲望は,言 語を持つ人間のみに固有の
情動 と位置づ けられるわけである。
具体例 で説明 しよう。諺にい う 「
猫 に鰹節」 とい うのは猫に備わった生理的
・本能的な 「
身分け構造」から くる反応であるか ら く
欲求〉レベ ルの現象であ
る。 これに対 し 「
猫 に小判」 とい うのは猫 に言語的 「
言分け構造」が備わって
・
いないことに よる無関心 無反応である。つ まり猫 には欲求はあって も欲望が
な く,小 判への欲望は人間固有の言語的情動 だとい うことである。この ように
定義すれば,欲 望は人間に固有 の情動 であ り, また逆に人間には必ず欲望があ
る,と 考えることができる。この観点では,人 間はまさにく
欲望するヒトhomo
desiderans〉
なのである。
欲望輪 への 2つ の歴史的視点
少々結論 を急ぎす ぎたか もしれない。 ここで く
欲望〉に関する浩務な思索史
をご く簡単 に顧 みておこう。
欲望は,い ま述べ たように,人 間に備わった基本属性である 一 ― その倫理
的是非は別 として一一 か ら,当 然に古来多 くの考察 の対象になって きたが,
シュンポジオン
船 木 享 に よる と,こ れ まで の 〈
欲望 〉 論 には,晴 矢 であ るプ ラ トンの 『
饗宴』
点が あ った と
来,大 別 して次 の 2つ の視 ″
(岩波文庫 pp.99f.,新潮文庫 pp.72f.)以
3)丸 山圭 二 郎 「
文化 のフェ テ ィ シズム』勁草書房,1984,113ペ ー ジ以下。 同 『
欲望 の ウ ロ
ポ ロス』 勁草書房 ,1985,第 1部 。
欲望 のエ ネ ル ギー論
121
4)
い つ。
欲望論への 2つの歴史的視点〕
〔
│
①自分に欠如しているものを獲得 しようとするもの,と いう観点
②無限にみずからを産みだしていくもの,と いう観点
│
│
`
す なわち 欠乏せ るもの を追求す る営 み ・お よびそのエ ネル ギー″ とい う視点
欠乏動機 〉に よる 〈
欲望 〉論 が この分野 の主流 のひ とつ だったこ
①,つ ま り 〈
とも事実 なのであ る。
欲求 と相対的欠乏
だが,こ の立場 (欠乏動機)の 最大 の難点は,「知 らないモノを欲 す ることは
ない」とい う単純 な事実 である。 そ して 「
知 らない」とい う状態 は,叡 知 の ヒ F
に とっての絶 対的な く
欠乏〉 であ る。 つ ま り,絶 対的 レベ ル (ヒ トの場合,知
の レベ ル)ま で掘 り下げて間 うならば,欠 乏せ るもの を獲得 しようとす ること
はで きない。絶対的無知 ,絶 対的欠乏 の状態では,欠 乏動機 は作用 しえないの
である。逆 に い えば,欠 乏 を自覚 しそれ を求め るの は,す でにそれ を知 って い
るか らこそであ る。 かか る情動 は,そ れ を欠乏動機 と呼ぶに して も,せ いぜ い
相対的 な欠乏である。本稿 では,こ の相対的な欠乏 による欠乏動機 とそれ を得
よ うとす る行為 ・エネル ギー を,く欲求 〉 と呼し
Sヽ
。
ところで面 白い こ とに,知 の ない動物 にお いて も同様 に,相 対的な欠乏状態
を想定 す るこ とができる。 それは本能 の存在 を前提 とす る欠乏状 態 である。雌
を求め る本 能 の もとにある雄 は,雌 が得 られなければ,こ れ を求め る。本稿 で
はこれ もまた く
欲求〉と呼ぶ (例 :性 欲求)。逆 に,人 為 的 に本能 を破壊 された
。絶対的欠乏状態にある哀れな実験動物 の雄 は,雌 を見 て も何 の性欲求 をも示
さない だろ う。欲求 が相対的な欠乏動機 に よる, とい う規定 は,こ こで も成 り
立 って い る。
これ らの く
相対的欠乏〉 は,さ らに踏み込んでい えば,そ れ 自体 がす でに知
4)船 木享 『ドゥルー ズ』清水書院,1994,74ペ
ー ジ。
122
彦 根論叢 第 306号
プ ログラム化された″欠乏である, とい うことが理解 され う
や本能 によって `
るだろ う。だか らこそ,欲 求は目的論で論 じうるのである。これに対 し,〈絶対
的欠乏〉 とは,プ ログラムそれ 自体 が欠けている欠乏なのである。
欲望 と絶対的欠乏
さて,わ れわれ人間には知 らないモノ (絶対的欠乏)が 無数に存在す る。そ
して知 らぬゆえに,ほ とんどの場合,わ れわれはそれ を欲 しない。欲求するこ
とがで きないのだ (知らぬが仏)。もし,こ の ような原初の無知 の状態でい られ
たなら, ヒ トは,欲 望に苛まれることのない楽園に安住できたことだろう。人
間の初期条件が この ような絶対的欠乏だとしたら,そ こに欠乏動機が作動す る
余地はない。よしんば欠乏動機 に よって絶対的欠乏から出発 しようとして も,
すべ てが欠乏 している以上,す べ て を欲 しなければならない, とい う無茶な結
論 しか得 られまい。 だか ら,こ こか ら出発するには付加動機 しかあ りえない。
ところで欲望 ・欲求一般 の中で,唯 一の伊J外,そ れこそ人間固有の知識欲で
あった。知識欲は,絶 対的欠乏,絶 対的無知 の状態 (例 :出生直後の嬰児)か
らでも,付 加動機 に よって出発できるからだ。それは,ひ とたび偶然に知 った
もの をますます知 り深めようとする (あるいは嫌が応でも知 らされてしまう)
付加 の営みだか らである。それによってこそ, ヒ トは原初 の絶対的無知から訣
別 しうる。逆にいえば,そ れが可能 になるのは欲望が快楽 となって昇華 してい
く際に く
記憶〉 を残 してい くからである。 これは, も ともと何 もので もない と
ころへ く
〉が付加 され何 ものかになってい く, とい う意味で
余計なもの de tr品
はサル トルのい う く
実存〉に近 い存在 といえるか もしれない。 しか しそれは主
体的になされるとい うより,む しろ圧倒的に受動的かつ無意識に行われる。そ
してこのこ とが欲望 ・欲求一般 のベー スを与えているのだ。付加動機による限
りない欲望が,欠 乏動機による欲求よりも深層にあって,前 者が後者への根拠
(プログラム)を 与えるわけである。
また面白いことに,付 加動機による欲望は,欠 乏動機 を超えたところに も出
5)Jean‐Paul Sartre,二″%α夕
岱を,Galliinard 1938,p.183。
欲望のエネルギー論
123
空腹 を満
現す る。 た とえば食欲 はそれ 自体 としては欲求 であ り, したが って 「
たす」 だけな らば欲求 の レベ ル で完結す る。 だが これが 「空腹 を満 たす だけで
な くもっ と美味な もの を」 となれば,欲 望特有 の付加 の作用 である。つ ま り付
加動機 は,欠 乏動機 の根拠 をなす とともに,欠 乏動機 を超 えた高度 なエ ネル ギ
ー をも供給す る,よ り広 い包括的な メカニ ズム である。
誤解 を恐れず模式的 に言えば,欲 望 は, も ともと何 もない土 台に粘 土 を貼 り
つ けて い くような もので ある。 それは,安 定 な均衡 の状態 (土台)に も,な お
みずか らつ くりだす のだ。人間は,み
付加 されて不安定 な状態 (instability)を
ずか ら好 んで不安定 の 中へ 歩 み入 った存在 であ り,失 楽 園 とは この こ とを言っ
て い るのである。
ところで欲望 は もともと, どんな形に付加 されてい くか定 まって いない,無
分化 〉 を生 じる。 この作用
定型 ・未分化 の もの であるが,あ る条件 の もとで く
に よって粘 上の器 が作 られ た とき,初 めて内容物 の不在 な こと,つ ま りく
欠乏〉
が 自覚 され るが,こ の欠乏に内容物 を満 たそ うとす る充足 の作用が く
欲求〉 な
のである。 こ う考 えれば,欲 求 よ りも欲望 の方 が深層にある, とい う主張 も納
得 され るだろう。 そ して欠乏に内容物 を満 たす だけでな く,よ り高 く 。濃 く 。
美 しく 。etc.…満 たそ うとす る付加 の作 用があれば,そ れは欲求 (食欲)を超
えた欲望 (美食)の 現れ なの である。
そ してさらに踏み込んで,動 物 の本能 におけ る付加 の作用 をも く
欲望 〉 と呼
ぶ とすれば,そ れは無意識 の超個体 的な進化 の過程 にある。 これが新形質 の付
変異〉 と呼 ばれ るものである。 だが これに対 し,人 間の知 にお
加,す なわち く
ける付加 の作用 は主 として個体 の人生 の 中にある。吉 国民人の い う遺伝情報 と
言語情報 との特性 の違 い といえる力ヽ と もあれ,こ うすれば,個 体 レベ ルにお
いて動物 の行動 が圧倒的 に欲求 的 であ り,人 間の それが欲望的なの も統一 して
理解 で きる。
欲望 の快楽,快 楽 の欲望
まとめ ると, こ うなるだろ う。欲望 とは,知 の レベ ルで一般 に い うな ら,す
124
彦 根論叢 第 306号
でに知 ったモ ノ ・コ トを 一 ― す でに知 ってい るに もかかわ らず, い や, す で
に知 って い るか らこそ一十 層 知 ろ う とす る営 み ( 付加 動機 に よるもの) で
正 フィ
あ る。 この ように, 付 加 が付加 を呼ぶ 自己増殖過程 をシステム論 では 〈
ー ドバ ック〉 と総称 してい るが, 欲 望 とはまさしく, す でに知 られ ・自分 の も
のに なって い る快楽 が, さらなる快楽 を求 め る, 付 加 の営 みなのである。 それ
ゆ え人間の世界は, 無 知 を前提 とした平穏 なパ ラダイスではな く, 知 って しま
ったために欲望 に苛 まれ続け る, 禁 断 の世界である。欲望 が人間的 な もので あ
るゆえんである。
本論考でとる欲望論の立場は,す でに前出図式の① (自分に欠如しているも
のを獲得しようとする作用)を 否定したことから示唆されていたが, もはや明
権に② (無限にみずからを生みだしていく作用)で ある。欲望の思索史に戻る
ならば,こ の陣営の代表的論者はフロイトであった。フロイトは くリビドー〉
無限に快楽を生み出す衝動のエネルギー″を論じ,② の
という概念によって `
立 場 を表 明 したの で あ った。 この精神分 析 の視 点 は ドゥルー ズ =ガ タ リの社 会
分析 に継承 され ,本 論考 の立 場 へ と繋 が って い る。
欲求〉の概念に,
そしてすでに明らかなように,本 論考では,① の観点を く
欲望〉の概念に,そ れぞれ割り振ろうというわけである。そして
②の観点を く
本論考において欲求とは,欲 望を前提 として起こる,欲 望の一種である。
行為理臨 と欲求 ・欲望
`
行為 〉 を特定 の 欲求充足
現代 の理論社会学 におけ る行為理論 は,一 般 に く
″
活動 として定義 し, 目的論 に沿 った定式化 を目指 して きた (富永社会学 はそ
の代表)。これは先進的な隣接科学 であった実証主義心理学 の影響 を受けて きた
ミクロ社会学 の伝統 (あるいは宿命 )と い えよう。 また安定均衡 へ 至 る予定調
和 を問題 に して いた古典 的な均衡 理論 の精神 に も合致 して いたか ら,学 界の側
も受 け入れやす か った。
だが今 日の筆者 の 限には,か か る行為理論 は (ナンセ ンス とは言わない まで
6)富 永健 一 r社会学原理』岩波書店,1986,86ペ
ー ジ以下。
欲望のエネルギー論
125
も)偏 狭なものに見える。動物個体 の実験 で検証 しうるのは欲求のレベ ルであ
り,実 験系の心理学がそれ を重視 してきたのは うなづ けるとしても,社 会学の
レベ ルで,人 間の行為 において,注 目すべ きは動物的欲求 でな くむしろ人間的
欲望 ― 一 人間らしさ一― で あるはずである。そして何か具体的 ・定型的 ・
特定な目的 ―欲求の もとでその充足を求めて行為す るとい うより,抽 象的 ・無
何か」が社会的に具体化
定型 ・未分化な欲望 の もとで,そ の欲望が指向する 「
・定型化 ・分化 されてい く過程 (目的 を持 たぬ抽象的欲望が具体的目的を持つ
欲求に転化 してい く過程,欠 乏を嫌が応でも知 らされてい く過程)を こそ,社
社会化」であるはず
会学は問題 にすべ きであると考える。それ こそが本来の 「
だからである。特定の 目的充足行為 を研究対象 とするだけでは,よ ほど安定 し
た,よ ほど成熟 し完成 しきった社会 だけ しか分析す ることはできないだろ う。
とすれば,こ の 「
欲望 の分化」 とい う問題 は,社 会学の, と りわけ社会変動
論 の中心問題 とな りうる。 したがって,こ れについては次節で少々詳 しく論ず
付加 ・選択論〉
ることにしたい。 これは,方 法論的には広 く 〈目的論〉か ら く
への転位 とい う問題であ り,ラ マルキズム とダー ウィエズム との間の問題 と基
本的に同型である。 また,社 会科学の用語でいえば,古 典的な均衡理論から現
代的な自已組織理論への転位, とい うことになる。
欲ヨ をベースとす る社会分析の意義
さて,こ の ように人間固有な く
欲望〉 をキー概念 として社会分析 のベー スに
置 く利点は,こ れにもとづいて分析装置をつ くることがで きれば,そ れは人類
史をその黎明から現代 に至るまで違綿 と貫 く一般的通用性をもつはずだ, とい
う点である。つ まり,社 会 の一般分析枠 となる。
の
権利〉概念は,社 会 のある
対照例 を挙げてみよう。 たとえば コールマンの く
面 ― 一社会的交換一― を 鋭 く挟 り出す優れた概念装置 として高 く評価 され
ている。これに着 目するこ とによって行為 の合理的理解 が促 され,数 学的体系
7)James S.Coleman,乃
3.
筋〃助 夕
οり,Harvard Univ.Press 1990,chapt
ク″滋″θ
″sてメ Sθび
126
彦 根論叢 第 306号
化 に も可能性 が 開かれた。だが いかに優 れて い ようとも,〈権利〉概念 では近代
的す ぎる とい う難点 は否め ない。 つ ま りこれ を用 いて人類社会 を貫 き通す視座
を得 るこ とは難 しいだろ う, とい うこ とである。
その点,欲 望概念 を分析 のベ ー スに据 えた ドゥルー ズ =ガ タ リは,実 際 に「原
始 土地機械 (野生人)→ 専制君主機械 (野蛮人)→ 資本主義機械 (文明人)」 と
い う形 で人類史 を通観す るこ とに一 応成功 して い る。 もっ とも,同 じくく
欲望 〉
をベ ー ス としなが らも,本 論考 での筆者 の考察 は,〈貨幣 〉 とい う社会 く
分子〉
の動 向に注 目す るこ とによって彼 らとは また違 った人類史 を描 き出す こ とにな
る。
一 方,マ ル クス とエ ンゲルスは 〈
欲望 〉 ではな くく労働 〉 を社会分析 の基底
に据 えた。 マ ル クスの論考 は,社 会 をいわば `
労働本位制 ″として解釈 し編 制
す るものに な って い る。 これは,当 時搾取 されつつ あ った労働者 を人間的に も
っ とも尊 い実存 と見依す,彼 らの人間愛 の顕れであ ったろ う。労働 こそが社会
の 中に生 きる人間の証 であ り,ゆ えに労働 こそ人類 の歴史 を通底 し 。一 貫 した
視座 を与 えるキー概念 だ, と構想 したのであ る。人間 を 「
労働す るヒ ト (homo
laborans)」
と捉 えたわけであ る。 そ して個 人的労働 が社会 にお いて第一義的 に
生産 〉 である。 だか らこそ,マ ル クスの社会分析 では生産様式
果 たす営 みは 〈
が最 重要 な地位 を与 え られたのだ。 そ してそれゆえに こそ,彼 らは原始社会か
ら近代社会 までを見通す こ とがで きた (と信 じられた)の であった。筆者 の本
稿 での立場 は,む ろんマ ル クスや エ ンゲルスの それ とは異なるが,人 類史 を通
底す る視座 を希求す る意図は彼 らと共通 の もの である。
2.欲 望 の 分化
欲望 は,前 節 で論 じたように,本 来は未分化 で流動的な もの として出来す る。
だがそれは また,マ クロ社会 の文脈 の 中に置かれ ると,未 分化 なまま発露 し続
けるの ではな く,多 くの場合,特 定化 され ・定 常 的な (く りか えされ る)パ タ
ンヘ収飲 してゆ く。 つ ま り,何 もので もなか った ものが,何 ものか になってい
く。 これが社会学 で く
社会化 〉 と呼 ぶ分 化過程 である。本節は この過程 につ い
欲望 のエネルギー論
127
て 考 察 す る もの で ,欲 望 の ミク ロ分 析 に 当 た る。 欲 望 の マ ク ロ分 析 は次 節 以 降
に 行 わ れ る。
行 為 と欲望
これ まで の社 会 学 的行為 理 論 は,巨 匠に よる問題提起 にお い て も,継 承 者 に
分 類 」 の み に 関心 を集 中 して きた点 で五
よ るそ の 定 式化 にお い て も,行 為 の 「
十 歩 百歩 であ った。
た とえば,「行為 が いか な る意味 で理 解 (verstehen)できるか 」を分 類 した ケ
ー ス として M.ウ ェー バ ー の く目的合 理 的 ・価値合 理 的行為 〉,〈感 情 的行為 〉,
く
伝 統 的行為 〉 の 区分 を挙 げ るこ とが で きる。 これ らは それ ぞれ よ く知 られ た
伝 統 的支 配 〉 に対
合 理 的支 配 〉 〈カ リス マ 的支 配 〉 〈
支 配 の 3類 型 ,す なわ ち 〈
社会 は合理化 へ 向か う」 とい う有名
応す るもの であ る。 そ して ウェーバー は 「
な命題 を提示 したのだが,こ の命題 は魅力的なが ら理論的手続 きとしては歴 史
的経験則 ない し直観的洞察 の域 を出て いない。 もともとの類型が,分 類学 に と
どまって い るためである。
あるいは,そ もそ も 「
行為 が論理的か非論理的か」 で分類 したケー ス として
パ レー トの く
論理的行為 〉 と く
非論理的行為 〉の 区分 を挙 げ るこ とがで きよう。
論理的行為 とは,「その行為 をなす主体 に対 してだけでな く,ヨ リ広範 な知識 を
もって い る人々 に対 して も,そ の行為 がその 目的に対 して論理的に結合 して い
る行為 ,つ ま り主観的に も客観的 に も上 で説明 されたよ うな意味 をもつ行為」
ゆ
(松鳴 p.241)であ り,非 論理的行為 とはそれ以外 の残余 カテ ゴ リー として分 類
され る。 そ してパ レー トに とって,前 者は主 として経済学 の,後 者は社会学 の,
それぞれ主 たる研 究対象 と観念 された。
またパー ソンズは 自身の行為理論 で い う 「
合 理 的行為」 を次 の ように定義分
類 して い る。
状況 の諸条件 の下 で可能 な 目的 をば追求 し,か つ その 目的 を,行 為者 が用
8)松 鳴教茂 『
経済か ら社会 ヘ ー パ レー トの生涯 と思想 一 』 みすず書房,1985。
128
彦 根論叢 第 306号
い うる諸手段 の 中で 一 ―実証的経験科学 によって了解可能 で検証可能 な
理 由か ら一― そ の 目的に最 も適合 して い るよ うな諸手段 に よって追求 し
て い る限 りにお いて,行 為 は合理 的 である。
社会的行為 の構造』p.58,訳 I;p.97)
(『
この定義 が ウェー バ ーや パ レー トの概 念 を継承 して い る こ とは明 白であ る
(松鳴 ・前掲書 p.302)し,ま た,パ ー ソンズ行為理論 の直接 の影響下にあるわが
国の富永理論 にお いて も,社 会 的行為 を 「目的論的に」定義分類 して い る点で
は変 わ らない。
行為理論はか く 「
分類」に専心 して きた。 その理 由は簡単であると く
行為 〉を
社会学 の最 も基本的な準拠 ″
点として疑 わなか ったか らである。パー ソンズのご
ときは,「単位行為」なる概念 を捻 出 し,こ れ を力学 の く
点〉に相 当す る絶対
質″
的地位 に据 えようとした。 つ ま り行為 を分析 の絶対的な出発″
点としたわけです
これでは行 為以前 に湖 る分 析 は不可能 となる。換言すれば,行 為 を理論上 の独
立変数 として扱 い (方法論的個 人主義 の仮定),そ の他 のすべ ての社会的変数 を
ここか ら従属変数 として導出 しようと考 えたのである (今日隆盛 を極めてい る
く
合理 的選択理論 〉も,こ の延長線上 に位置づ け られ よう)。だか ら当該 の独立
変数 が いかなる値 (カテ ゴ リー値)の 範囲内にあるかで分析 の 「
場合分 け」 を
行 う。 これが,従 来 の行為理論 がや って きた こ とのすべ てだった。 この場合分
けに沿 って,「実証科学」 の名 の もとに,「検証可能 な」 (パー ソンズ),合 理 的
行為 のみに限 って恣意的な取捨 を行 ったのが,今 日の 目的論的行為理論 なの で
ある。 この過程 で,未 分化 な欲望 の発露は ごっそ りと欠落 して しまった。
だが,次 の よ うに 自省 してみ よ う。社会学 は,「科学」 を目指す場合 で さえ
も, 目的論 ない し欠乏動機 に よって理解可能 な合理的 「
行為 」 のみ を対象に し
て いて よいのか, と。行為 はむ しろ集団 レベ ル では本来未分化かつ不合理 (正
しくは超論理 的)な もの として ともか く存在 し (be),そ れがある特別 な条件 の
9)訳 文 は松 鳴,前 掲書,302ペ ー ジに よる。
10)パ ー ソンズ 『
社会 的行為 の構造』,木 鐸社,1976,78ペ ー ジ。
欲望 のエネルギー論
129
も とで衆 目の納得す る合理的な ものに分化す る (become)の ではないのか。 こ
の問 いは,た とえば次 の ような切実 な問題 となる。既存 の価値体 系 (社会的プ
ロ グラム)に 飽 き足 らぬ若者 たちの欲望 の発 出は,時 に彼 らをして不可解 で未
熟な行動 へ と駆 り立 て る。暴走,ツ ッパ リ,い じめ,… 等 々。 この ような事態
が大 きな社会問題 (解かれ るべ き社会学上 の問題)で あるこ とは明 白である。
ところが当の若者 たち 自身 しば しば,当 該行動 の 目的 を問われ て も答 えられな
い。け だ しそれは,未 分化 で潜在意識下 にある欲望 の集団的発 出だか らだ。行
為 理論 は,こ の ような問題 をあ くまで個 人合理的 に説明 しようとす るだけ だっ
たのである (合理 的選択理論 はその究極)。 それ以外 の枠組 みが用意 されてい な
いか らだ。
行為 の再定義
ー
かか る 〈
行為 〉の概念 を,欲 望 をベ スに置 く, とい う本論考 の方針 に沿 っ
十一欲求 の充足作
て 「
佃別 の人 間 とい う単位 で見た場合 の,欲 望 の発 出作用」
「
用,で はない一一 と 定義 しなお してみ よう。 ここに 個別 の人間 とい う単位
で見 た場合 の」 と断 ったの は,む ろん,欲 望 は集合の単位 で も発 出 しうるか ら
である (この こ とにつ いては次節以 降 で検討す る)。行為 とは,集 団的 に発 出 し
一
挙動す る欲望 の,ご く 部 を見 た ものにす ぎないのか もしれないのだ。 となる
とく
行為 〉は もはや最 ・基本的 な準拠点 (独立変数 )で な く,欲 望 の大域的様
態 に よって変化す る従属 変数 となる。欲望 の発 出様態 に応 じて,行 為 をダイナ
ミックに とらえ直す ことがで きるので ある。
「
この発想 の転換 が意味す る ところは大 きい。欲望 のた とえば 集合 的な分化
「
様態」 に応 じて,行 為 がた とえば 非論理的行為 か ら論理的行為 へ 」変化す る,
とい う途 をあ とづ け うる, とい うこ とである。
欲望 の分化 と行為 の社会化
ー
具体 的 目的 を持 たぬ抽 象的 ・未分化 なエ ネル ギ たる欲望が,具 体 的 目的 を
持 つ特定 の欲望 (欲求)へ と変化 (分化)を 遂げ る。 そ して これに伴 って欲望
130
彦 根論議 第 306号
の個 人的発 出作用 =行 為 が変化す る。本論考 の立場 で言えば,こ の過程 こそが
社会学 でい う く
社会化 socialization〉
なのだ。 そ してこの過程 こそが,マ クロ
な社会 を ミクロに見 た場合 の,社 会変動 の現れ方 なの である。
ところで く
欲望 の分化 〉 とい う現象は, も っぱ ら集団的な もの (collective)
であ る。 集団の 中で しか,分 化 は起 こ らない。分化 は,個 人的欲望が集団か ら
何 らか の情報 を得 るこ と (知るこ と)に よって起 こるか らであ り, したが って
集国内 で,他 の成員 との相互作用 の結果 として 出現す る現 象 だか らである。 か
くて,次 の ように い える。社会化 とは,集 合 レベル に固有な現象,す なわち欲
望 の集合体 に出現す る く
創発性 〉が ,個 別 の行為 へ と浸透 してい く過程 である。
ちなみに創発性 とは,要 素 の合理的論理 では説明 されえない,要 素 に とって い
ゴ〈
わ↓
超論理的〉 な現 象 である, とい うこ とを確認 してお こ う。
こ う考 えるな ら,同 時 に次のこ ともい える。社会的 〈
行為 〉 は, もはや社 会
学 の確 固 とした準拠 ″
点た りえない。社会的行為 は集合 レベ ルの欲望 か ら社会化
の作用 (分化)を へ て 「
形成 され る」 ものであって,社 会的行為が集合 レベ ル
の欲望 をつ くるの ではないか らだ。 もし仮 に行為 が集合 の レベ ル を形成す るこ
とがあった として も,そ れは仮 の ものにす ぎず,集 合 レベ ル に創発性 が 出現 し
た段階 で再度根本的変更 を受けねばな らない (これ こそが社会化 である)か ら,
社会的行為が派生 的現象 であるとい う上記 の結論は変 わ らない。 そ して変更 さ
一
れぬ ものが あ った とした ら,そ れはその事実 に よって 一 ― ipso factO―
「
社会 的」行為 でない こ と (隔絶 した純粋 な個 人的行為 であること)を 示 して
い るの であって,こ れ こそ,社 会学 の対象 ではないの である。
比喩的 に い えば,行 為 が集合 レベ ルヘ持 ち上が るためにい ったん理 論的梯子
を掛けねばな らないに して も,行 為 が社会的集合 の レベ ル で回転 し始めたな ら
ばその梯子 を外 さねばならない こ と ― ―社会的行為 は もはや個 人の主体的信
念 よ りも集団の ダイナ ミズムに立脚す ること一― を 意味 してい る。 梯子 を外
す, とは,つ ま り方法論的個 人主義か ら訣別す る勇気 を指す。行為 は,社 会 レ
ベ ル では いつ まで も個 人的梯子 の上 で起 こ るの ではないか らだ。む しろ個 人個
人は社会 の流れに乗 って梯子 か ら浮 き上 が り,集 団の欲望 に支 えられて流れて
欲望 のエネル ギー論
131
い く。 社 会 学 は , 個 人 の 信 念 よ り も この 集 団 的 ダ イナ ミズ ム を明 らか に しな け
れ ば な らな い。ド ゥルー ズ =ガ タ リは この よ うな事 態 を,直 観 的表現 に訴 えて
「スベ スベ の 表面 を滑 り移 って い く」 と言 って い る。 言 い え て妙 であ る。
付言 :分子生物学 と分化
ー
く
分化 〉 とい う現象 は,社 会学 にお いて古 くか ら着 目され たテ マ であるが (例 :
ジンメル 『
社会分化論』),生 物学 にお いて も最 も重要 な研究対象 のひ とつ であって,
とりわけ発生生物学 ではその 中心 をなしてい る。
ー
形態形成場 の理論〉
分子生物学 の現況 では,分 化現象へ のメイン ・アプ ロ チは く
とい う形 をとってい る。生物 の発生にお いては,形 態形成 を促す分子 くモルフォゲ ン
morphogen〉の存在 が古 くか ら仮想 されていたが,こ のモルフォゲンの濃度分布や濃
度勾配が形態形成 の場 を用意 し,細 胞は これ を関知す ることによってシステム内にお
け るみずか らの位置の情報 を得,ま た分化 を指令す る遺伝子ヘ ス ィ ッチ ングが行 われ
ヽうのが形態形成場理論 のアイデ ィアの骨子 である。分化 は周囲か ら何 らかの情
ると↓
報 を得 なければ起 こ り得 ないか らである。そ してこのモルフォゲン分 子の構造 の特定
と,そ の機能 の解 明が細胞分化 の研究 の 中心 をなして きた と言って過言ではない。
3.欲 望 と社会
欲望は本来,か ならず誰か特定の人間に宿 ってい る,利 己的なものである。
誰の もので もない欲望は存在 しない。欲望 は, もっぱらみずからを快楽 させ よ
一
うとするのであって,他 人の欲望 とは 線を画す るものである。そしてこのこ
とによって,逆 に欲望は 〈自己〉の領域 を形成 し,他 者の領域 との区分 をみず
からつ くりあげる。欲望 はさらに,無 限に自らを拡大 しようとす る固有の働 き
によって, 自己の領域 を拡大 しようとす る。
ところが,欲 望が集合 して ・密集 して存在するとき,単 独で存在す る場合 と
比べ著 しく異な る現れ方をすることもまた,広 く知 られている。以下の諸節で
は,こ の ようなケー スを考 えることに しよう。
「
11)AO, p.18.訳 書 21ペー ジ,29ペ ー ジな ど。 ちなみに スベ スベ の表面」 の原語 は “La
G力)る。
surface glissante"ウ
132
彦 根論叢 第 306号
欲望 は本来 ,個 人 的 かつ 利 己的 な もの で あ る
欲望 は本 来個 人的か つ 利 己的 な もの であ る。 この こ とにつ い ては 多言 を要 す
まい。 が ,こ れ が 集合 して大 きなマ ス を形成 す るよ うに な る と,事 情 が 異 な っ
て くる。 大 きな集 団 の 中 では,本 来 な ら利 已的 なは ず の欲望 が,個 として独 立
に で な く,集 合 的 に振 舞 うの で あ る。 この 現 象 は,し ば しば 〈
集合 心 理 col―
lective psych010gy〉 と して社 会 心理 学 の興 味 の対 象 に な って きた。
本 来 な ら利 己的 なは ず の欲望 が,な ぜ ,個 として独 立 に でな く,集 合 的 に振
舞 うのか 。 そ の理 由 は,本 稿 の 立 場 で い えば,欲 望 が 本 来未分化 で 目的 を持 た
な い もの だか らであ る。 つ ま り,未 分 化 な欲望 は 多 くの快楽 ―行為 の 可能性 を
持 って い て, ま た未分 化 であ る以上 ,個 々 人 に とって どの快楽 ―行為 が選 ばれ
て もよ い ― ― 当該 の快楽 一行為 を選 ぶ べ き主体 的理 由が な い― 一 か らだ。
そ してこの ような とき,欲 望 の発 出によって最終的にある特定 の快楽 一行為 が
選 ばれ るとして も,そ れは個人の主体 的意思に よって とい うょ り,集 団 の側 の
ダイナ ミズム によって決定 され るか らである。 それは,個 人の主体 的意思 でな
い以上, しば しば無意識の うちになされ る。
前節 にお いて,未 分化 な欲望が分化す るの は必ず集団の 中でであると述べ た。
まさにこの メカニ ズムが,欲 望 の社会化 と社会的行為 の形成 を司って い る。 そ
してこの ような く
欲望 〉観が,最 初 か ら具体的な主体 的 目的 を持 つ と措定 され
る く
欲求〉の理論 と異 なる点である。
欲望 の原始的集合体 =無 器官体
ドゥルー ズ =ガ タ リは,欲 望 の この よ うな メカニ ズムに着 目し,欲 望 が未分
化 な状 態で大規模 に集合 した巨大対象 を く
無器官体 les cOrps sans Organs〉
と
ー
〉
呼 んだ。 ここに く
無器官体 とは,全 体 としておびただ しい欲望 のエ ネル ギ
が存在 しなが ら,い まだ器 官 (社会構造 を構成す る部品,社 会的行為)を 形成
せ ず ― ― したが って社会機械 をも形成せ ず一― ,未 分化 な状 態にある欲望の
集合体, と い うほ どの意味である。 そ して ドゥルー ズ =ガ タ リの理 論 では,こ
の く
無器官体〉が,社 会機械 を自己形成 す るベ ー ス とされて い る。 この論″
点は
欲望 のエネルギー論
133
重 要 な テ ー マ な の で ,節 を改 め て 第 4節 以 下 で考 察 す る こ と と し,本 節 で は ミ
タ も あ 狭 豊 と与 夕 も あ 在 拳 との 関係 に つ い て 考 察 を続 け よ う。
社会 の原動力 としての欲望
佐伯啓思 は ドゥルー ズ =ガ タ リか らの影響 の もとに,く欲望 〉 を社会 の作動
す る原動力 とみな して い る。 いわばひ とりひ とりの欲望 を通 じ,社 会へ,そ の
作動す るエ ネル ギー が注入 されて い るわけ だ。 したがって逆に い えば,欲 望 の
エ ネル ギー が備給 されな くなれば,当 然,社 会 はその作動す る活力 を失 い,疲
弊 して作動不全 に陥 るこ とになる。
「
た とえば佐伯 は,20世紀型社会主義 が失敗 したのは,それが欲望 の解放 を 悪」
と決めつ けて抑圧 した結果,社 会 自身が維持 。発展 してゆ く力 をも失 って しま
一
一
ったか らだ と指摘す る。 これに対 し今 日の資本 主義 が 応成功 して い る 十
・
その倫理的是非は ともあれ一一 の は,欲 望 の爆発 が社会 を持続 展開 させ る
エ ネル ギー として供給 されたか らである。動物 は火 の破壊的側面 を恐れ逃げ る
が,人 間 は火 の創造的側面 を制御 し利用す る。20世紀型社会主義 は欲望 の破壊
力 を恐れ遠 ざけ,資 本主義 は欲望 の創造力 を利用 したのだった。
そ して佐伯 は,欲 望 の爆発 を,マ クルーハ ンの用語 を借 りて,植 民地獲得競
「
争 の ように欲望 が外 へ 向か う帝国主義的 外爆発」 と,現 代 の大衆消費社会 の
「
ように欲望が消費者 自らの内的自己快楽 に向か うナルシシズム的 内爆発」の
2つ に分類 してい る。
社会の破壊力 としての欲望
欲望 の爆発は,社 会 の原動力にもなるが,ま たい うまでもな く,社 会主義が
恐れたように社会秩序の破壊力にもなる両刃の剣 である。 しか もそれは,さ き
にも述べ たように,人 間を人間たらしめている基本性質の顕れであるから,抑
圧 しても簡単には消滅 しない。それどころか,欲 望はその発出を求めて社会装
置の弱い部分 に大挙 して向か うのである。欲望 の流れが規制されているところ
12)佐 伯啓思 『
欲望 と資本主義』講談社,1991。
彦根論叢 第 306号
では財 も十分 には流れず,モ ノ不足 となる。他方で欲望 は地下へ伏流 してヤ ミ
市場 を形成 す る。 この よ うに,欲 望 はあちこちか ら逃走 =漏 出 (fuite)し,噴
出 (outburst)し
,こ れは社会装置が破 損す るまで続 く。 旧社会主義国は,人 々
の欲望 を抑圧 し禁欲 的労働 を強制 した。労働 が 人間の所以 (hom0 1abOrans)
であるなら,理 論的にはそれで良か ったはず だ。 だが事実 は違 った。強権 で欲
望 の流れ を堰 き止め よ うとしたベ ル リンの壁 も, ソ連官僚制 の 巨大 なダム も,
欲望 の漏 出 を防げず,つ いに決壊 した。
繰 り返す と,欲 望 の爆発 は,社 会 の原動力で もあ り,社 会秩序 の破壊力で も
ある。 しか し考 えてみれば,そ もそ も 「
力 をもた らす もの」二般が,そ の よう
な性質 を持 って い るのであ り,そ れは核分裂 で もガ ソ リンの爆発 で も,あ るい
は生体 内の燃焼 (代謝)反 応 で も,同 じこ とである。 システム を作動す る原動
力 となるか,あ るいは秩 序 を破壊 す る邪悪 な力 となるか,そ れはエネル ギー 自
葡
体 の性質 によ るのでは な く,そ れ を制御 ・調整 す るシステムの側 の編
あ問
題 なのだ, と い うこ とである。 したが って しば ら く,こ の, システムの側 の編
制 について考察 してみ よう。
欲望 と欲望 の結合 一 一 欲 望 す る諸機械
ドゥルー ズ =ガ タ リが,社 会や人間の心理 ,… 等々,様 々 な複雑系 を く
欲望
す る諸機械 des machines desirantes〉
として捉 えた こ とはよ く知 られて い る。
ところで,彼 らのい うこの く
欲望す る諸機械 〉 とい う難解 な概念 の真意は,こ
れ までに十分 に明 らかにされた とは いいがたい。筆者 の考 えでは,そ れは,欲
望 のエ ネル ギー を用 いて編制 され 。作動す る 「
欲望機械 」 とい うこ とであ って,
これは化 学 エ ネル ギー を用 いて作動す る生物体 が しば しば 「
化学機械 」 と呼ば
れ るの とまった くパ ラ レル なの である。 その意味で く
欲望す る諸機械〉 とい う
一 見不思議 なター ム
も,突 飛 な造 語 な どでは全然 な く,む しろ周到 に考察 され
用意 された概念用具 なのだ と理解 しうる。繰 り返 して い うと,生 物体 を構成 し
て い るのが,化学 エ ネル ギー を用 いて化学結合 /化 学反応 を繰 り返す巨大 なく
化
学機械 〉 であるの と呼応 して,人 間の編制す る社会体 は,欲 望 のエ ネルギー に
欲望 のエネルギー論
135
欲 望 機 械 〉で あ る。 以 下 ,く 欲 望
よ っ て欲 望 と欲 望 とが 結 合 し作 動 す る 巨大 な く
欲 望 機 械 〉 と記 述 す る。
す る諸 機 械 〉 を単 に く
分子機械 とキ ュー リーの法則
と
分子的 mOleculaire〉
ドゥルー ズ =ガ タ リは また,自 分 たちの分析姿勢 を く
分子機械 〉の分析姿勢 を社会分析 に
自称 したが,こ れは分子生物学 におけ る く
拡張 ・投影 した もの と解釈 しうる。
ー
分子生物学 では,生 物 がエ ネル ギー変換 を行 って生 存 に必要 なエ ネル ギ 形
態 (たとえば筋収縮運動,能 動輸送,タ ンパ ク質合 成,形 態形成,な ど)を 得
分子機械 〉 と呼び,こ の
る生体 高分子 の集合体 お よびその調節機構 の ことを く
と呼 んで い
生体 エ ネ ル ギー 論 bioenergetics〉
よ うな対象 を研究す る分 野 を く
る。
ところで なぜ ,生 物 学 では
″
″
`
諸分 子 で な く`分 子機械 と呼 ばれ るのだ ろ
うか。 これに関連 して香川靖雄は次の ように記 している。
エネルギー変換を行 なうさまざまな生体高分子の集合体 は, しばしば分子
一
機械 と呼ばれる。… しかし,化学的エネルギーの源 であるATPな どは均
=異 方的な〕仕事 を
の溶液になってお り,こ れから特 に方向性 を持 った 〔
発生するときには,生 体膜を通 してのイオンの浸透圧的仕事 と電気的仕事,
筋原繊維の力学的な仕事,な どにみられるように,特 定の方向性を持 った
上上ぅ上ぁ法血)。無方
構造赤木苛災をととぶ蒜違島た註抗き九セふる(キ
ー
向性 の 〔=等 方的 な〕ガ ソ リンの化学的 エ ネル ギ を無方向性 の熱 エ ネル
ギーや水素 の化学 エ ネル ギー に変 えるには機械 は必須 ではない。 しか し,
ガ ソ リンで運動 エ ネル ギー を得 るには,エ ンジンで も,燃 料電池 に結合 し
たモー ター で も,必 ず機械 が要 る。 したが って生物 に も分子 レベ ルの機械
力屯要る。
エ ネ ル ギー の 生 産 と運動 』:分 子生物科 学 第 7巻 ,p.9)
(『
つ ま り,分 子 が ラ ン ダム な等方 的状 態 (モル)で は な く,あ る特定 の 異方 的
136
彦 根論議 第 306号
構造 に沿 って超分子的に配列 されて い ること,こ れが分 子 く
機械 〉 とい う意味
であ る。 この超分子機構 に よって,は じめて方向性 をもつ 力が発揮 され る。 こ
″
の 「
特定 の方向 を持 った構造 」 の こ とを `
機械 と呼んでい るわけである。分
子理論 の立場 でい えば,浅 田彰 の い う 「
構造 と力」 の関係 も,そ うい うもの と
して理解 しうる。
生物体 の分子機械
ここでやや 回 り道 となるが,生 物 の分子機械 の実際 につ いて少々の理解 を得
てお こ う。
さきに,系 に力 を与 える過程 (爆発 あるいは燃焼)で は秩 序 と破壊 とが紙一
重 であ るこ とを指摘 してお いた。 この ような,爆 発 (あるいは燃焼)反 応は,
反応 自体 を結果 として記述す るだけでは,秩 序 と破壊 の差異す ら表現で きない。
反応が破 壊的 (燃焼)か 創造的 (代謝)か , と い う問題 は, も っぱ ら反応 を包
含す る外側 の構造,つ ま り 〈
機械 〉の有無 とその過程 に帰着す るか らである。
このこ とを具体例 で見 てみ よう。生体 内に起 こる呼吸反応は,最 終生成物 を
見 る限 り,
桝端
十
→
晨)一 6秤 十に慾 利
な る反応 として 記述 され る。 ただ し,こ の 式 は 一 ― それ は まった く正 しい の
だが一 ― そ れ 自体 として,生 命秩 序 の 形成 ,つ ま り く
代 謝 〉 を全 然表現 して
い な い。最 終 生成物 として く燃焼 〉 と同 じ反応 を記述 して い るにす ぎな いか ら
″
であ る。 これ は過程 を消去 し,結 果 に 着 目す るだけの視 点 で,い わば `
古典 的
均衡 論 の め ざす 言説 であ る。 エ ネ ル ギー 保 存則 を知 って い る我 々 に とって,代
謝の過程で結果的に抜換島燃康 まちたて向量あ花掌上ネルや上が解放される
のも明らかであろう。もっともこれに関していえば,マ イヤーとヘルムホルツ
に よ る エ ネ ル ギ ー 保 存 則 の 発 見 (1842年)よ りもず っ と以 前 の 1784年 ,す で に
13)岩 波書店,1990。
欲望 のエネルギー論
137
ラ ヴ ォ ワ ジ ェ は 代 謝 と燃 焼 とで発 生 す る エ ネ ル ギ ー 量 の 等 しい こ とを知 って い
た 。 結 果 を認 識 す る の は ,か
くもたや す い の で あ る。
これに対 し,生 命 の過程 を認識す るのはす こぶ る困難である。今 日では,ラ
ヴ ォ ワジェの見出 した この 同量 の化学 エ ネル ギー を取 り出す過程 で,生 物 は,
糖分 が 直接燃焼 しエ ネル ギー が爆発飛散す る (無方向)の を防 ぐべ く,多 数の
酵素 を巧み に介在 させ (特定方向),ATP(ア デ ノシン三 リン酸,核 酸 の一種 )
とい う中間 的 な エ ネ ル ギ ー貯 蔵分 子 をつ くる こ とが分 か って い る。 そ して
ATPが 生体 内の各所 ヘエ ネ ル ギー を運搬 し交換す る一 般 メデ ィア として用 い
られ るので ある。ATPは ,運 搬 された先 でそれぞれ巧みにエ ネル ギー を取 り出
され るが,こ こで も再 び様 々 な特定 方向の超分子機構 (分子機械)が 動員 され
る。ATPは ,生 命 の論理 に とって消去すべ き中間パ ラ メー タではな く,そ れ ど
ころか, これ こそが,物 理 /化 学論理 を超 えた,生 命論理 その もの なの である。
この ように,ATPに
着 目す るこ とは,過 程 を直視す るとい うことである。そ
.
H
H
c
/
︺
o
メ︲
仰
韓
専
一
中
して ここに,多 数 の酵素 (タンパ ク分子)が 巧 みに 。方向性 をもって組み合 わ
されて い るこ と 一 一 これ を ドゥルー ズ =ガ タ リは 〈
気違 いベ ク トル〉 と呼 ん
一
だ ― ,こ れ こそ生命 のエ ネル ギー が無方向の燃焼 として散逸せ ず創造的パ ワ
ー となる根 拠 (キュー リー の法則)な の である。 この超分子的構造 ・超分子的
過程 が く
分 子機械 〉 と呼 ばれ るものの正体 である。
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0
0
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C
H
洵 HHo
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へ /N
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アデ ノシ ン三 リン酸
社会体 の 分 子機械
我 々 は い まや ,生 命論理 か ら社会 論理 に戻 って,同 様 に次 の よ うに主 張 しよ
138
彦 根論叢 第 306号
方
無定型 ・未分化 の エネル ギー」 を 「
う。 人間の集合体 に包蔵 され る欲望 の 「
向性 を持 つたマ ク ロの 力」に変 えるに も,必 ず機械 (社会機械)が 要 る, と (キ
ュー リー の法則)。 これ を社会 の く
分子機械 〉と呼 ぶのである。 そ して生物 の分
子機械 が化学 エ ネル ギー を用 い る化学機械 であるの に対 して,社 会 の分子機械
は欲望 のエ ネル ギー を用 い る 〈
欲望機械 〉である, とい うこ となのだ。
ミ ″の
行動 (無方向)に 変 えるのには社会機械 は
烏合
必須 でない。 が,無 定型 の欲望 の集合体 が社会 の形成 ・維持 ・発展 ・進化 (特
ー
分
定方向)を 帰結す るには必ず機械 が要 るので ある。ド ゥル ズ =ガ タ リの く
無定型 の欲望 を群集 の
子的〉 な社会分析 (欲望機械)と は,こ の ような分析姿勢 を表 して いたのだ。
そ して この ような社会機械 の作動機構 や形成過程 を研究す るのが,本 稿 でい う
`
energetics″
Socio‐
(社会 エ ネル ギー論)な のである。
社会的欲望分子 の存在
い う分子 (化学分子)が 重要 な役割 を果
た して い た。ATPは ,い ま取 り出 した化学 エ ネル ギー を散逸 させず,と りあえ
ー
ず貯蔵 して,将 来必要 となる箇所へ漠然 と先送 りす るエネル ギ 媒体 として,
エ ネル ギー代謝 に寄 与 して い る。
生命 の化学機械 にお いては,ATPと
では,社 会 の分子機械 にお いて,欲 望 の爆発 を,秩 序 の破壊 でな くむ しろ社
会秩序 へ 導 く役割 を担 って い る中心的 な分子 (社会分子)一 一 つ ま り生命 の分
子機械 におけ る ATPの ような働 きを持 った社 会分子一一 と は何 だろ うか。
実 は,そ れ こそが本論考 でこれか ら着 目す る社会分子 =貨 幣 なのである。
ン
いわゆ る調 整 学派 の ア グ リエ ッタ とオル レア ンは,欲 望 と貨幣 の関係 につ
いて次 の ように言 って い る。
14)未 分化 の欲望は,分 子機械 を形成するその分化過程において,社 会機械 (社会 システム,
分子機械)と その部品 (社会的行為,分 子)と を一挙 に形成する。行為がまず先にあって,
爾後 これが組み合わされることで社会 システムが形成 されるのではないのだ。ルーマンは
かつて,「行為理論か社会 システム理論か」とい う問題の立て方 をした。だが実際には,そ
の ような問題は存在 しない。行為 もシステム も,両 者 ともに,欲 望 の分化 メカニズムの副
次的効果にす ぎないか らである。
欲望のエネルギー論
貨幣秩序 は まった く信 じられない ような論理 に従 って い る。
139
… これ らの関
係 の役割 は,富 へ の欲望 を静 め,そ れ を漠然 とした将来に先送 りす ること
である。富へ の欲望 は経済主体 につ きまとってお り,こ の欲望 が即座 に爆
発すれば破壊的 になるほかない。貨幣 の保証は,こ の欲望 を迂回 させ ,ね
じ曲げ,こ の欲望 に世俗 の商品 とい う二次的な獲物 を提供す る。貨幣 の超
越性 は衝動的 な暴力行為 を一 時的 に立 ち切 るがゆえに,富 へ の欲望 とい う
横暴 で,気 ま ぐれな移 り気 か ら人間の創造力 を解 き放 って くれ る。富へ の
脅迫観念があ らゆ る社会関係 を損 なわずにすむの は,ほ かな らぬ この条件
にお い て な の で あ る。
128f.傍″
点は引用者)
貨幣 の暴力』pp。
(『
この引用文 は, ま さに筆者 が今 いわん として い ることを的確 に述べ て いて,
点で付 け加 えるこ とは何 もない。貨幣 は,人 々の欲望 を吸収 し ・それに よ
現時″
って欲望 の爆発 を緩衝す る減速剤 であ り,か つ,欲 望 の力 を社会体 の隅々 まで
備給す るエ ネル ギー媒体 なのだ, と い うこ とである。ゆえに我 々 は これか ら,
分析 の先 を欲望 か ら貨幣へ と進め るこ ととす る。
ただ しそのためには若子 の準備 が必要 なので,次 節 ではその準備 を行 う。 そ
の後貨幣 と欲望 エ ネル ギー との関係 につ いて考察 し,社 会的エ ネル ギー媒体 と
しての貨幣 の振舞 いについては,第 7節 で再 び論 じよう。上記 の有益 な引用文
につ いては,そ こで新 たな コメン トを加 えるこ とにす る。
(続)
15)法 政大学 出版局,1991(井
上泰夫 ・斉藤 日出治訳)
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