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ロレンスにおける冬枯れと地下の世界

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ロレンスにおける冬枯れと地下の世界
文 学 部 論 集 第9
1号 (
2
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0
7年 3月)
ロレンスにおける冬枯れと地下の世界
古我正和
〔抄録〕
ロレンスが若い頃父親を通して知った地下の世界は、後に蛇踊りや蛇の詩の中に再
び現れる o また「西洋カリンとナナカマド J の詩の中でも、冬枯れとそれを慰めるた
めの酒の熟成が、酒神ディオニソスにまつわる地獄の経験と結びついている。また彼
はイタリアの溶岩がかたまった「平穏」の内側のエネルギーを、地球の鼓動や脈動と
してうたう。彼の地下の体験はあたかも伏流のように意識の奥深く沈潜し、それにま
つわる「蛇」や神話の世界となって作品の中で泉のごとく吹き出す。それはギリシャ
以来の神々の醸し出す豊かな酒の熟成する世界であると同時に、今なお有限の存在た
る人間の畏敬の対象となっている o ロレンスの生涯のはじまりがこの豊かな地下の世
界であったことの意味は大きい。ロレンスは地下の世界に対して、本質的な暗いマイ
ナスイメージと同時に、生きものを育んできた豊かなエネルギーの根元として、それ
を感じとっていたのである。
キーワード
ロレンスの地下体験、酒の熟成と冬枯れ、地球の豊かな活力、
酒神と地獄の体験
『息子たち、恋人たち~
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) の中の父親の炭坑の世界、地下の閣の世
界の体験は、炭坑そのものの描写がつぶさになされる作品が、その後あまり書かれなかったこ
ともあって、その後の作品ではあまり現れず、そのまま立ち消えとなるように思われがちであ
るが、ロレンスがニュー・メキシコに行った後、北米先住民であるホッピ一族の蛇踊りの体験
の中に再びそれは現れる。その時には毒をもったがらがら蛇が、神宮の口にくわえられて登場
し、最後には地面に放たれて地中へ帰って行く。
蛇J ‘
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) の詩などに見
またシチリア島の山荘フォンタナ・ヴエツキアで書かれた(1) r
られるように、タオルミ←ナに滞在した時には地下に対する関心の表れている詩が続々と書か
-129
ロレンスにおける冬枯れと地下の抑界(古我正和)
れる。本論では、詩集『鳥・獣・花~
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) の中に出てくる詩で、
ロレンスの地下の世界をたどってみたい。
ロレンスはイタリアに滞在中、近くのエトナ山から立ち上る噴煙を見て、その中に蛇を感じ
とったように思われる。「蛇」の詩を読むと、その中に出てくる地面の色や地球の内部を表す
言葉にそれが感じとられる。そしてそれは地下の世界で王位についていた蛇が、その後に王冠
を奪われることの、いわば伏線となって出ていることが分かる。これについては、他の論文の
中に詳しく書いたので、それを参照されたい。 (2)
2
次に「西洋カリンとナナカマド J ‘
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) の詩の中にそれを探ってみ
ようと思う。これは次のように始まる o
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) とか、妙に気
になる言葉が出てくる。西洋カリンはざくろ(柘摺)に似て果物として食べられる。ナナカマ
ドは小さいもので胡楓として使う。それは r7竃」のことで、その木は 7回もかまどにくべな
いと燃え尽きないという。「腐った」という表現は、この詩に何回も出てくる。腐りかけない
と美味しく食べられない。日本のいちょう(銀杏)の実に似ている。そしてこの「腐った美味
しさ」という言い方の中に、この木の実とそれをうたうこの詩の持つ、独特の雰囲気の秘密が
隠されている o がそれよりも、後に出てくるディオニソス教につきまとう酒への傾倒、悦惚が
この「腐った J という言い方に感じ取られる O
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上で述べた独特の雰囲気というのは、その木の実を皮から吸い出す (
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一 130-
文 学 部 論 集 第9
1号 (
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7年 3月)
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) という食べ方や、その実の口当たりが良い (
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) とか病的な (
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) という形
容の仕方、さらには腐る時 (
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) の美味さの表現に表れている o 次
にいよいよこの雰囲気に適合する酒が登場する。
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こで改めてその独特の秘密を探っていこうとする。
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雛くちゃの干しブドウや西洋カリン、ナナカマド、ブドウ酒を入れる気味悪い茶色の皮袋
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) などをまとめて、秋の排世物 (Autumnale
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と表現する。そしてこれらが白い神 (
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) を思い起こさせるものだと言う。白い神
可だろうか。
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ロレンスにおげる冬枯れと地下の世界(古孜正和)
死の王冠 (
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dcrowns) の「王冠」とは、西洋カリンもナナカマドも正面が開いていて、見
た目に王冠の形をしているからである。「死の」とは秋に取り入れられてしなびている事と、
次の地獄へのつなぎである。ここで上にみられる「汗をかき、肉の匂いがして濡れている秋の
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) と結びつけられている。とすれば、
排植物」の雰囲気が、地獄の経験 (
オルフェイスやディオニソス (
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) が先の「白い神々」ということになる。ここで言
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) も言うように、キリスト教でいうようなものでは
う地獄とは、ギ、ルパート (
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ないは)のは当然である。ここまでくると、「死の王冠」の中に地獄と神々のイメージへと導く
ものがあることが分かる o 酒の神ディオニソスには、亡き母を追って冥界へ降りた伝説がある O
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cは「オルフェイスのような、神秘に満ちた」という意味になるが、これは古代オルフ
ェイス教と関係がある O オルフェイスはアポロとカリオペの息子、トラキアの堅琴の名手で、
亡き妻エウリディケを追って冥界に下り音楽で地獄の支配者ハデスを魅了して妻を連れ帰る許
しを得たが、約束に背いて振り返ったため永久に妻を失う。後、女たちによって八つ裂きにし
て殺された。この事からあたかもキリストの犠牲のような信仰となったというけ)。その響き
がここにはある o ディオニソス教の方は、ディオニソスが巨神タイタン族によって殺されて食
べられ、残された心臓から復活したと伝えられ、あたかもキリストの復活のごとくにディオニ
ソス教となった。信者は酒をがぶ飲みして狂い、死んでも魂は不滅と信じた。オルブエウス教
団の方はそれほど酒は飲まず、音楽に浮かれたという。
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) もオルガスム (
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) も、ここではナナカマドや西洋カリンの生命活
動である。オルガスムとまで言う中に、秋の果物の人聞にも似た開花や受粉、成熟などが表現
されていることが分かる。曲がり角 (
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) や新たな別れ (newp
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) などは取り入れ
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) は冬枯れと、それを慰める
時など季節の分かれ目で、二者への分裂 (
ための酒への熟成のことである o 上のオルフェイス教には、特に女性たちが群れをなして集ま
り飲み騒ぐ秘儀があるから、ここでもそのことと関連があると思われる。酒神ディオニソスは
同時に植物神でもあり、枯れた植物をよみがえらせ、豊かな恵みを人々に与えた。これは次の
詩行とも関係する。さらに深い孤独に浸りながら、地獄の不思議な小道を下って行くと、
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文 学 部 論 集 第9
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酪町による原初の地下の地獄の体験である o 肉体が滅び魂が肉体化するのは、冬枯れの死の様
子である。そしてその魂が昇華してゆく
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) 過程が、原初の地獄のイメージと結び付
く。と同時に上の古代ディオニソス教では、魂の不滅と復活が説かれたことも関係しているで
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ここで西洋カリンとナナカマドと地獄との関係が一部明かされる。この蒸留器 (
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永遠の体験である。
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人間の魂の孤独をうたう。肉体、すなわち秋の豊穣とその死の後に残るエッセンスや、それを
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体験した人間の魂の孤独である。ディオニソス教の「魂の不滅」が根底にある。仲間 (
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) とは一年の季節毎のさまざまなな自然の移り変わりや、自然が育む動植物との出会
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) ものであり、人間の魂
いであろう。それはめまぐるしく移り変わる故に見慣れぬ (
はその最たるもののまま去ってゆき、またその生こそが最善のものだという o ここには人間存
在の根底に横たわる孤独、近代が生み出した繁雑な精神の領域に属するものからの解脱、日本
の虚空の思想、世捨て人の思想、がうかがえる。
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ロレンスにおける冬枯れと地下の世界(古我正和)
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.(4)
ここには、秋の排世物である西洋カリンとナナカマドとブドウ酒による、酪町と陶酔がみられ
る。そしてさらにディオニソスの陶酔と最後の孤独・死へと終わる (15)。これはディオニソス
教に酔いしれる女性たちが、悦惚となることと通じる。ロレンスはキリスト教以前のディオニ
ソス教やオルフェイス教の、近代の偽善の入らぬ、悪擦れのしない信仰をこそ信じた。それは
先にみたように、地下の地獄でのものであり、これこそはロレンスの追求している過去の永遠
の世界である。ロレンスにおける酒はこのような意味を持っていたのである。
3
このようにロレンスは、秋の豊穣をギリシャの神々の世界と関連づけて考え、一年の自然の
めぐりを地下の世界に見いだしたが、その地下の豊穣さ、力強さを火山の吹き出す溶岩の中に
も見たのであった。
2
1世紀になった今でも、地震と火山は人間の支配を免れ、最近になっても東南アジアを大津
波が襲い、大災害をもたらしたのは誰もが知るところである。これらは共に地下のマグマに関
係して起こるもので、これだけ人類の科学が発達しているにもかかわらず、人聞の力ではそれ
をどうすることもできない。人間の努力を明笑うかのように、火山は何時にでも噴火し地震は
時を選ばず起こる。
このように人聞に無関係に、人間の受ける被害に無関心に起こる自然の在り方の中に、ロレ
ンスは神のごとき敬意と畏れとを抱いた。イタリアのナクソスでロレンスが目の当たりに見た
黒々として堅い溶岩。その中に彼は王冠を剥奪され地下に追われた、あの蛇の不気味さを見た
のである O
「平穏 J ‘
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) もロレンスが地下への関心を示す今一つの詩である。この詩は詩集『鳥
・獣・花』の冒頭を飾る「果物」という名の一連の詩の中に、果物とは無関係な詩として収め
られていて、読者を戸惑わせる。
-134ー
文 学 部 論 集 第9
1号 (
2
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7年 3月)
ロレンスがニュー・メキシコの牧場へ来て 2年目の 1
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3年 1
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0日、メキシコへ旅行中にこ
(BareAlmond T
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'
) や「熱帯'性気象 J (
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'
) と共に
の詩は「裸のアーモンドの木J ‘
N
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i
o
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) 誌に掲載された (6)。ロレンスが 1
9
1
9年にイタリアに
ニューヨークの「ネーション J (
来て、タオルミーナに二年間住んでいた聞にこの詩は書かれたと考えられる。この詩に出てく
るナクソス (
Naxos) については、ギリシャの旅行ガイドによると、エーゲ海のキクラデス
諸島最大の島にナクソスというのがあって、それはパロス島と共に大理石の産地として知られ、
ディオニソスがゼウスの腿から生まれた場所だとされているが、どうもこの詩とは関係がなさ
そうだ。
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i Naxosで、それはシチリア島最古のギリシャ都市であり、タオルミー
もう一つは G
ナとエトナ火山を見上げ、海浜の切り立った岡の底にあって海に溶岩が突き出ている。この方
がこの詩に合致している。
さてこの詩は溶岩が固まって、今は平穏そのものの状態の描写から始まる。
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「溶岩で平穏と書かれている」という表現そのものにアイロニーがある。それは地下の世界へ
の入り口だが、今までみてきたロレンスの地下の意識からみて、彼はこの入り口をどのような
感慨を込めて通過したことだろうか。その気持ちがこの言葉の中にみられる。
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) と表現され
ている。詩集の中でこれまでうたってきた一連の果物の最後として、この黒はやはり地獄の象
徴となっている。これまでの一連の地獄の幻想の嵐からみれば、この黒い静かな溶岩を見ても
とうてい平穏とはならず、果物にまつわる神話や伝説の絵姿が目の前を通りすぎるのである。
地獄の象徴としての溶岩が不気味で、普通の石のようではなく光っていて見るに耐えないも
のであり、それが溶岩流となって海岸に向かつて流れる様は、さながら王者のようだという。
これは「蛇」の詩に出てくる、地下の住人たる蛇とつながっている。また次のようにも描かれ
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ロレンスにおける冬枯れと地下の世界(古我正和)
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代にもわたる文明の興亡を示す。ナクソスがオリーヴの木の根よりも数千フィート下にあるの
は、何回も噴火しては固まることを言っていて、シシリー島にあるナクソスが、溶岩が固まっ
てできた都市であることを示している。いずれも「平穏」とは逆に、歴史と伝説の激しい動き
を思い浮かべるくだりである。
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平穏の内側にあるエネルギーをうたう。最後の「それを平穏と呼ぶのか ?J は、この詩の最初
から詩人の考えてきたことである o 地球の鼓動、脈動、それは生きていて毎年春になると地上
に実りをもたらし、年末には死んでいく植物のようだ。それが最終行に出ていて、付加疑問に
よって溶岩に覆われたナクソスの荒れ地の不気味な平穏を見ながら、我われは計りしれない噴
火力、マグマを思う。
ロレンスと地下の世界との出会いは、初期の自伝的作品『息子たち、恋人たち』を通してみ
ることができるが、本小論の最初でも述べたようにその地下の体験は、あたかも伏流のように
ロレンスの意識の奥深く沈潜し、それにまつわる「蛇」や神話の世界となって、メキシコやイ
タリアなど彼が巡った世界の各地で、泉のごとく吹き出すのである。
1世紀になった今でも地震や火山、それに伴う洪水、津波、火災
そしてこの地下の意識は、 2
など、あらゆる災難の根源とつながっている。そこにはディオニソスにまつわるギリシャ以来
の神々の醸し出す豊かな酒の熟成する世界と同時に、今なお有限の存在たる私たち人聞を翻弄
する自然災害をもたらし、畏敬の対象となっている。
ロレンスの文学的生涯の始まりが、彼の父親の生活の本拠たるこの豊かな地下の世界であっ
たことは大きな意味をもっている。それは近年叫ばれている、人間も動物も含まれる生命共同
体を育んでくれる自然と通じるものであり、ロレンスは本質的にそれが持つ、マイナスにもプ
-136
文 学 部 論 集 第9
1号 (
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7年 3月)
ラスにもなる豊かなエネルギーを感じとっていたのである。
〔
注
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) 拙論「生命共同体の担い手たち ロレンスと生きもの」併教大学、『文学部論集』第 9
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6年
、
143-152頁
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にがまさかず英米学科)
2006年 10月1
9日受理
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