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NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE Title ケインズのマルサス傳を讀む Author(s) 伊藤, 久秋 Citation 商業と経済, 14(2), pp.295-301; 1934 Issue Date 1934-03-01 URL http://hdl.handle.net/10069/26994 Right This document is downloaded at: 2017-03-31T09:35:29Z http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp 新刊紹介 ケインズのマルサス傳を 讀む ケイン.スの此1宵に於ける目的は彼自身の云ふ所に よると-マルサスの人物を知るに最も璃tI叉特に彼 が成長した家庭及びケンブリツヂの如=講的雰同気を多 少詳説する男に、最も適切なろ苛料を撰び出すにあっ てー敢てマルサスの沌定的伸記を書き上けんとするも のではない。ケインズは此目的の席に'雑乗普涌毎マ ルサス停(すなはちマルサス著PoliticalEconomy第二 版・1一八三六年に--附せられた友人Otterのマルサス 侍二八三七年一月のエデンバラ叫諭しにW.Empson 伊 藤 久 秋 ケインズ(JohnI¥TaynardKeynes)は其著Essaysin の辛ける此木の評論並にボナIのFalthus and his work2.ed,1924)の外.諸著を渉接して材料を集め、 Malthouseより出づ 罪尊号は胃mltusの如-なるべ 努頭著者はMalthusの語源及牽音を語るーMalthusは る。 は主人公の撃説傾向の簡潔なる評情が加へられてゐ もケインズの書-ものは叩牡なる博記ではな-ーそこに 新たにマルサス樽記へ貢献する所も教個所に及ぶ。尤 Bio:rphy(Lonnon1933)の後篇に於て.前篇の政治 家に射し'若干の経済塾者の俸記を取扱ってゐる。其 人々はRotartMalthus,Alfred Marshall,F.Y.Edgeworth,F.P.Ramseyの国名であるO此籍は特にマ-ワ一ヤ ルの未亡人(MaryPa!eyMarshall)に猷ぜられてゐる。 私は此本の中から侍にマルサスに持する部分を取出 して紹介する。 hは殆ど響かざるを正しとするであら-と。次で マルサス家の家系を辿り、罫圃中産階級として叉田紳 くt i^-,r-こ?<に性に 〓人草-J--'--.り∵-伸JJJ':.It-)---.い ﹃ポ-コン研究﹄第四相に小松芳喬氏により紹介されて としての確立を略叙し、マルサスの父ダニエルに及ぶ。 ゐるが私自身これにつき興味を感すること淀きため今 敢て元結を草する。川 (1)本稿を印刷所に廻し1ころ後本音が雑誌変造て小泉信三)及Economic Journal, Dec. 1933 (Schumpeter)に紹介されTころ存知つTこ.序に詣すo 商業と経済 , 戸 川 HEms-P グニエルに就て著者は.彼が若干の匿名物の筆者?あ ω の献謀者であったと註 ︼吋∞ っ た と 記 し 、 特 心 の 白 日ct正 問 自 ミ 0 3 cEqE 匂 ロEV70ιSロ する。蕊に想起されることは.マルサスが父ダニエル ルとルソ 1. }CC﹁ 己 二九六 oypロ山 h25回目。5822 ヒユ l ム の 関 係 を 詳 述 す る 文 献 な き に 苦 める時.間々円。浪 一 ﹀ロ COOCEsszmazw 円2 m225( 日吋AWGiH芯 吋)FZ[2 デ(け RFa OE02 ・。gP55ごなる一本を出ニ円円台 匂 Z525 の 図 書 館 に て 手 に し . そ の 中 に 於 て ダ ニ エ ル とルソ l 及びヒユ l ム の 交 渉 が 明 に せ ら れ た る を 見 て J 欣喜拍く能はざるものがあった﹂拙著公刊の時その一 F Z }戸一旬ロr の死後間もなぐ、︺H n υ 江口。及びのSFE包 ぺ 。 ﹃ J42Z円其他二一一一の仰前 父 ダ ニ エ ル が 目HomosJ PF宮 符ざる氏も拙者の此個所に注目せられたりと九え、﹁グ 部 を 英 京 に あ る ボ ナ l氏に贈呈したるに、邦文を一訳み 山 N 口。に投じた帝一一川翰である。これは此雨誌に出に. る。(拙者マルサス人口論の研究三九四頁)クインズは 西書の搬均一伴者であると云ふ記事や反駁したるものであ 円 凶目。 rvF 210moo仏 BF5ロのO HO弓ovwO戸 岳ωロ 9 ム ﹂( ニエルとルソ l に 関 す る こ つ の 好 参 考 刊 に つ き 感 謝 ロszhHEZ05g戸)なる京味を誠一べられた。(一九二 ψく と も 右 の本の献謀者と断定したわけであって英主興味多合事 九年二月五日付私信)弐で其者﹁マルサスと彼の業績﹄ 今此マルサスの否定にも拘ら宇ダニエルを 柄である。クインズはこれを.マルサスの蔵書中にあ 問秀夫耐氏諜昭和五年後行)に於 の日本認(堀終夫.士 n 凶 受取る外はな λ る該書の中の書込みによって知つにと附記してゐるか てはボナ l 氏 自 ら 吸 個 所 の 補 筆 を 其 偲 記 の 部 分 に 加 へ ら,我々は今クインズの報遣をそのま いであらう。只不可解なるはマルサスのあの一尺駁一えと 円o m m } O口二ぜ拐け利用された。(五五三頁)今、復、クイ ら れ に 中 に 、 私 に よ る 白 を 記 し て . 前 拐 の058rの本 次 に ク イ ン ズ は ダ ニ エ ル ・ マ ル サ ス と ル ソ l 及びヒ ンズの新刊書に主として此同じ材料によって,グニエ なるわけ氏。、 叙越する。化叙述の数頁や一読むに及 FM1 ルとルソ!の関係が説かれであるのを凡て,私は少く んで私としては一一概の感慨に唱へないものがある ユl ムとの交渉 私 とも時間上の雪印 O江戸可争有することに、抑誇らしき J が﹁マルサス人口論の研究﹄を書くに岱って、父ダニエ 感じをもたざるぞ符ないのである。この事を小松芳脊 氏が認められたのは感謝に拡へない。(ポリコン研究第 四輯) べてゐるひ 著者の筆は緩いてロバ!ト・マルサスのナンプリッ 00げ orEが CMACE 児 OF) 円R O Bを主円、き仁る時 ヂ港島一時代に及び.同じく﹃クンプリッヂ人﹂たる著者 は.かの∞ の如品ぺ古きとロ︺ロ宮 hHAO 円に針する愛者と忠恭とをこ めて‘ クインズも訪れ什が川く.ルソーは自家或は抗、附廷 に減必せんことセ乞ふたダニエルの耕一請を斥けてダー ビーシャlの 巧 。 とoロに抗、住居を定めた。(拙者三八 語り、そ彼の所謂クンプリッヂ絞液製者の最初の人た る我等の主人公マルサス守一説く。 JH , 口 一 一 一HS]15円門︼を笠間り吋山、]々や話りのo一 EEmoを 八一良以下参照片尽くはあ0. 退屈はするし.叉淋しく に於ては‘人牲の完令性在信ムダる人々や反駁し.他方 の第二版よりも優れたる書物であって、、それは.一方 七九八年)はクインズによれば.後前の鍔には五年後 マルサスの名を不朽ならしめたる人口論第一版(一 スの 以 H も懇篤な招待に感じてさへゐにならば.最も有 Q ・目。︼)更に叉﹁若しジャンジャクがダニエル・マルサ に於ては.一見反針に岡山はれるけれども、建物主の方 O ム去の異常な 11 名な此文人間の事件も起ら守して済んだであらうと忠 宇闘を践し出して仕舞つに﹄とナインズは一去ってゐる もあって.彼は二三辺川の中に‘ヒュ ふ。何故ならばルソ l は浮き歓待を満喫し慰撫され世 法在是認する所の‘主としてロ 常に方決に於てロ ユ HU 0 1で あ わ 哲 間 的 で あ る の み な ら ]U 比三の書物であるつ 話されたであらうからであ,る﹄とん相川像してゐる。 クインズが報道する新事貨の一つは‘ルソーがダニ る多くの妙曲府戒する。(匂・ご吋)マルサスの入口論は 宇論調に於て恋直であり雄賠であり指辞と情緒に於け 天才の持作である。著者は人類の窮以を一説く端絡を裳 エルに貰却したる植物関係の書籍がダニエルの遺品と 見し符にと信じた。人口論の重川女性は彼の事賓の耕新 して、その中の二加ロけ、ルソ!の名前在存して.マ E2であつ 二九七 さにあるのではなく‘此等の事官より生守る筒明なる であるの(匂H03 if ER53wOMOの οると云ふこ ルサス家に現存して グニエル・マルサスがルソ lの にと云ふ訟に封してクインズは﹁在りさうにない﹂と誠一 ケイシズのマルサス停や読む 商業と経沼 此本は思想 φ) の護法に大いなる感化守奥へたる諸舎の中に加はり得 結論身痛快に強調した所にある。(匂・ご る。(円 yHMG) 民 0 向子。。28 マルサスの功、の冊子、﹀ロ HEatmp8 円 。 ゼク 00)φ HO円 二九入 g m宮巳口問。﹃ せるものである。ナインズはマルサスの数筒を引用し て、言鮮と思想は筒情なるも、ここにゴ百 -M印 ) 初旬凹件。自主のゆの Oロ。日一の岳山口医長ありと述べてゐる。(匂・ も重姿であるが、叉、マルサスが後年リカルドとの文 インズは一円阿く一昨促してゐる。﹁此冊子はそれ自身に於て る﹄合、民の銭に小屋を建て住宅難の宵和と失業、救清を へてゐる。で)れは人口論の原理の極端なる遁川であ HiORHB3wzu に卦し一ーはクインズは寧ろ酷評を加 出 向 ・ 司 ・ 0ロ ﹃ 一 併しマルサスの﹀円。ロ28EE5]者ケロゲ古川三wFf 通に於て開反すべき宵際の経減問題を取扱ふ上の戎精一 鍔さうとする案に針して、マルサスは.作宅難が筑和 同 昨 日 0 の見方に既に傾いてゐたことを示すものとしてム重要 -HMω)ll マルサスは の思想に背中を向けて.満百年間も問題を人工的な消 惑的な符的構造であった、リカルドは完全にマルサス のである。然るに勝を制したものはリカルドのより魅 を県けんとしたのであるが、品同時の甚じき住宅難を却 新一段雰が救貧法を更に強化せんとするに針し反針の設 は一式はホ するものである。惟ふにマルサスは救貧刊の(急速と ω]U ︹ ︼ 何 日 ] ] 同 C円台ゐ﹀ 50 ロ 己 20 仲 プ 。 三 O﹃ O。 ﹃。円 )問 である││而し工此方法、}そ私の段も同感し得る所で 京し、救骨法の人口増加的の影響は促進されると反封 されたる卜.は、救貧汗伏、か結婚丸信奨附する影響は更に加 日 民 自fF 可ユ η0う 同 司 Hユ 守口同(︼∞ O' ω 一つの方法よりも正しき結論に刑法するの望み多きも あり、叉私の考ふに所によれば.リカルドの採つにも の中にはめ込んで仕舞った。﹄(ワ ごr o﹁の採るべき熊皮で て誠吹するが如き熊度は、叶 O] クインズの叙述は. R後に‘マルサス.リカルドの 55 徐々にる)搬照を念願とする者であって、 此叶子に於て穀物使絡が何故に不作のみに原閃すると はないであらう。クインズは日く﹁終源問一・は長しく危 、 、 忠はれざる品川間を演宇るか冶探究し、その唯一の原因 険なる堕問である。﹂(匂・ . J は、英闘の多くの部分に於て、致問の合、民救泌費が殺物 債は刊に比例して増加させられにる﹃)とにあらうと推論 有名なーる現交の事に及び新たに愛見され・にるマルサス ける財の分配の原時を求めんとするに封して、彼の友 間の友情であった﹂町リカルドは所謂均衡の欣態に於 って行った ο 併 し そ れ は 頭 の 件 質 が 全C 建 っ た 二 人 の 人は現官界に於ける牛.産量み決定する法則に興味をも を書翰を利用してこれに一段の光明を投じてゐる。率 人的山税制に於ては親父念々孫らなかっ大.此一雨入の つに。自ら取引所に出入して売を椅み得た資際入にる 向上の論敵としては終始筆陣を張って諜ら守.而も個 稀 有 の 交 渉 じ っ き で は ‘ ボ ナ ! の 編 輯 せ る 円 ♀5ωoh h リカルドが‘不思議にも現・買ル離れた一一般原理 の 探 京 りのま﹄に見つめるこ マルサスが却て現賓の世界をあ h に興味をもち‘自ら堕窓にあわて剃へ数恩を好みたる が宇一而の消息を俸ふるにしても、 リカルド側に残存すべきマルサスのす一日翰が後見され 5 子 同 町 内 PEoszp一 宇、僅に一通を見出し得したフォクスウェル教授をして、 る富岡論に針するデビッド・ヒュ l ム の 喪 失 に つ ぐ も の マルサス側の書翰の損亡は.他の一つの恩界 手 紙 の 中 に も 雨 入 の 観 勅ω相 遣 が 筆 者 自 身 に よ ぺ て 述 者眼姑の相惑があった。んツインズが拐、ぐるマルサスの とを料癖としに。雨入の論雫の根本には此融和じ難い ω恨事た とも局され得ると喫ぜしめたるものであった。然るに LL 枇舎に有盆ならしむる べられてゐる。 Lの 事 責 ぞ 指 摘 す る 傾 向 が ﹃私は確に、人吟著述を宵際 今 幸 に も.220mgp氏 は 此 マ ル サ ス 側 の 書 翰 を 後 見 し得て‘多年の渇望を四一州にじ得ることとなったと云ふ 人口に大いなる刺戟叉は大いなる障時存奥ふる如、ぎ原 より成立つものであって‘八年或は十年の間に生産と 屡々ある・・・:・:・私は昆に叶舎の進坊は不規則なる浮動 介して、財人間の接的討議の経過を明ならしめてゐる。 囚み考慮せ.ざることは同家の台宗の原因を閑却するも 唯一の方法として現宜のま マルサスとリカルド止の女過はクインズの云ふ所に のである。我々は此新設凡の書翰渠の公刊される時ぞ よるに、一八一一年六月に始まる。(代鮎でポナーがこ の、結局経泌臨一・に於ける凡ての研究の大目的を閑却す 待望する次第であるが.クインズはその中の数過を紹 れゆ伊二八一 O 年 二 月 と せ る こ と を 訂 正 す る 肖 深 き 相 互 るものと考へる。著者は勿論好みのま与の仮設をなす 二九九 の傘敬に始まのお互の利識は極めて淡い親密さにかは ﹄ゲイシての TWサス停た読む e t t e r so fRicard t oMalthus,P r e f a c eVII I . (1) Bonar,L 商業と経済 三O O 推論争引出さないことになるのである。貴君の利潤に に除かれ川べき呉常の現象としてしか仰絡はつけられ あって、恐慌の如き不調和の現象は二時的なる.直ち 湾政する限りに於ては‘恒常的なるものは均衡の姿で ド、セイの如含古典汲の人々の如く静態的なる研究に 関する論文に於て立花は持働の資質賃銀は不縫である ないコ然るにマルサスは現宮の前界をまともに見るこ 題への深き洞察 hq錯すことが出来たのである。リカル と想像してゐるが.これは貨物の債絡の締動につれて とに悦れ、一枇舎の進歩が不規則なる運動ょのなること ことは出来る.併し若し笠際上全く呉貫ならざること 変 m 動する(名義的には‘小慾であるが)ものであり、現買 を認識したるが匁に.恐慌或は経済界の一起一伏を を想像するならば.それは彼の仮設から何等の吋際的 に於て利潤と同じく愛化性をもつものであるから、貴 より自由に解移し得る京場にあった。マルサスの過剰 君の推論が百際ω事官に砕岡山欣て正しいと云ふ機舎はな u l h F Q ) いわけである。﹂¥包)・ z 、 、 生産説は此自由なる立場からの産物である。 クインズは一八一二年七月七日及び同年七月十六日 此手紙を引用し・米たるクインズは.嘆じて一式ふ.マ ルサスの見方が山知ど全く抹殺され、百年に亙ってリカ の二週の手続・を掲けて.過度の貯者の有山中山.不生原的 HUO] 一一片山]同 885可に一就 ルドの見方が完全に支配した事は経泌阜の進歩に封す 否、経 治捷の必要な力説するマルサスのす場ぞ鮮明にしに c 3 かるる所や反一位せるものであろが.度広間消宍の自然的 勿論これは伸、の明江口弘司]虫色 る一災難であった﹄と。(古EH) 勿論此クインズの見 解 に 針 し て は 多 く の 反 駁 が 出 得 λで あ ら う 潰翠界はリカルド封マルサスの針す在今日に於ても、 に深い。﹁若しリカルドの代りにマルサスが.十九世紀 或は強められたる形に於てすら.もってゐると一式ひ得 経済践の後出進展した舟憾であっ・にならば、今日世界 て此興味ある主戦の渦中に引入るるの感あって興趣特 拐し得ることは‘マルサスに於ける動態周一向な見方の 調和を一説く宜、論敵を前にしての.此の論惑は我壮一寸を導 蔚持であらう α買にマルサスは此見地から.白然的制 は洛に・賢明なる.裕一に富裕なる場所であつにらう。﹂と るであらフ。併 L今日の多くの墜者が品川ど一致して稀 和を信ホノゐ古典汲の主流よりは不可能なるべき恐慌問 はクインズの殴嘆であゐ J 身自ら世外恐慌の嵐の中に 在て.その賢際的解決の匁にも少なからぬ努力身銭し つ hあるクインズとしては誠にふさはしき嘆息ではな. い 、 刀 。 近年、特にマルクス凶一・試の流行の後に於て、マルサ スの京一山女性は池訴に否定されて・米に傾向がめる。今英 w介のド足クインズに於てマルサスの高き一詩情者を 間 的 一e 見出し得た事は.百凶十年に及ばんとする長き諭弔の 跡を願る我等に、少なからぬ感興を抱かしめる。マル サスは依然として偉大なる存在である。 それにしても思ふ.本年は正にマルサス残後百年に 相蛍する。(彼は一八三四年十二月二十九日に他界し た)非常時の名に主川脱されたる我凶の阜界は、知ら示、 サス停た讃む TUW ルサスの百年祭を詔一品するの徐裕冶もつや。 クインズの所謂ナンプリッヂ経一倒壊者の最初の入、マ ナイシメの 一 三O