...

10. 不条理の時を刻む - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ

by user

on
Category: Documents
16

views

Report

Comments

Transcript

10. 不条理の時を刻む - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
10. 不条理の時を刻む
Author(s)
小路, 敏彦
Citation
長崎医科大学潰滅の日 救いがたい選択"原爆投下", pp.112-118
Issue Date
1995-11-15
URL
http://hdl.handle.net/10069/23308
Right
This document is downloaded at: 2017-03-30T11:07:52Z
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
不条理の時を刻む
本 書 で は 、 五 十 年 前 、 長 崎 全 市 民 が 体 験 し た 悲 劇 の 詳 細 に は 触 れ な か っ た 。 それは、すでに多くの
関 係 出 版 物 が あ る の も 一因 だ が 、 私 と し て は 、 戦 争 や 天 災 、 悪 疫 の 流 行 な ど で 人 々 が 最 も 頼 り に す る
医療機関、そしてそこに働き学ぶ医療専門家の集団を潰滅させた原爆という究極兵器の恐怖と非人道
性 に 焦 点 を 絞 ったからである 。
あの目、昭和二十年(一九四五)八月九日、一発の核爆弾によって、その歴史を誇りにしてきた一
つの医学校が潰滅した 。 そ こ で 学 ん で い た 医 学 生 た ち 、 そ こ で 研 究 に う ち こ み 学 生 に 医 学 を 教 え て い
た医学者たち、看護に立ち働いていた看護婦・生徒たち、そして大学の潤滑油となっていた事務職員
や 電 話 交 換 手 、 研 究 補 助 な ど の う ら 若 い 女 性 た ち 八 九 三名 と 患 者 さ ん 方 の 尊 い 命 が 奪 わ れ た 。
改めていうまでもないことではあるが、心身の健康がむしばまれ傷ついた人たちを癒すことのみを
使命とする病院や医学・医療の専門家を養成する医科大学が、個人としての人間の生命を守るため暴
力不可侵の最小限の聖域であることは、全世界に通じる合意のはずである 。
大学の受けた傷は深く長期にわたった 。 とくに優秀な教授陣、新進気鋭の若手教官・学生をふくむ
1
1
2
大量の人的損失による痛手は深刻だった 。教 育 の 連 鎖 が 絶 た れ 、 今 日 に 至 っ て も そ の 爪 あ と は 完 全 に
癒 え て は い な い 。建 物 は 復 旧 し 、 そ し て 大 学 は 再 建 出 来 て も 、 死 者 は 二 度 と 還 ら な い 。
あ の 時 期 、 永 野 若 松 長 崎 県 知 事 は 、 予 想 さ れ る 空 襲 の 救 護 対 策 の 中 心 に 医 大 を 据 え て い た 。医大の
倉庫には大量 の薬品、手術材料、注射器具、包帯などが集積されており、県は召集で激減した市内開
一般 市 民 へ の 救 護 が い か に 遅 れ て 悲 惨
業 医 師 の 代 わ り に 大 学 の 医 師 団 と 上 級 医 学 生 、 看 護 婦 の 応 援 を 要 請 し て い た 。誰 も が 医 大 が 潰 滅 す る
などとは思 ってもみなかった 。 それが全滅したのであるから、
であ ったかは想像を絶する 。 私 が 阪 神 大 震 災 の 報 道 の 中 で 辛 い 思 い を し た の も 、 こ の 長 崎 の 受 け た 痛
切な体験を想起したからである 。
被爆後大学は 一時廃校の危機に直面したが、古屋野学長、調教授その他の生き残った教官をはじめ、
国 会 議 員 、 県 、 市 あ げ て の 献 身 的 な 努 力 に よ り 原 爆 跡 地 に 復 興 す る こ と が で き た 。 昭和二十四年(一
九四九 )
、新制度による長崎大学医学部が発足し、附属薬専は薬学部となって分離独立した 。
調 名 誉 教 授 は 、 昭 和 四 十 二年
、長崎医科大学原爆犠牲学徒遺族会会長に就任し、遺族援
九六七 )
一
(
護 活 動 の 中 心 と な って活発に中央への請願を続けた 。 その結果、遺族援護法適用による見舞金の交付、
年金交付、弔慰金交付、犠牲学徒への叙勲などに多大の成果をあげた 。
さ ら に 会 誌 ﹃ 忘 れ な 草 ﹄ を 第 一号(昭和四十三年四月)から第七号(昭和六十年八月)まで出版し、
その中に犠牲学徒の写真、遺筆、遺族の通信文などを収載し、同時に精力的に犠牲者の実数把握に努
めた 。本 書 中 の 犠 牲 学 徒 の 最 期 の 状 況 な ど は こ れ ら の 会 誌 に よ る と こ ろ が 多 か っ た 。 ま た 、 調 名 誉 教
1
1
3
授 は 銅 板 名 碑 の 建 立 を 思 い 立 ち 、 横 二 メ ー ト ル 、 縦 一メ ー ト ル の 銅 板 に 原 爆 犠 牲 者 全 員 の 名 前 を 二 ヵ
月余にわたって墨書し、それを松岡国一氏が彫刻して昭和四十二年(一九六七)八月の慰霊祭に間に
合わせた 。 この銅板は記念講堂のロビーにはめ込まれ安置されているが、同教授は名前を書き続ける
作業のため、その後長く右肘の神経の麻庫を来した程であったという。先生は平成元年四月十五日、
九十歳の天寿を全うされた 。
本書のための資料を整理しながら、私が改めて原子爆弾のもつ兇悪さに目をむき怒りを覚えたのは、
その想像を絶する高い殺傷力であり、爆発地点からある距離内であれば奇跡的生存をも許さない悪魔
性にであった 。
基礎キャンパスで被爆した授業中の学生・教官らは文字通り全滅し一人の生存者もいなかった。爆
心 地 か ら 五0 0メ ー ト ル の 距 離 と い う の が 彼 等 の 運 命 を 決 し た 唯 一の因子だった 。
日常、私たちは、ガス管が破裂し、まわりの者は皆死亡したが、自分一人はかすり傷一つ負わずに
助かったとか、あるいは圧し潰された家屋の中から必死の思いで一這い出し九死に一生を得たという話
をよく耳にする。血と汗と涙の絶望からの生還物語は私たちの心に何ともいえない救いと安息を与え
てくれる 。 生 の 原 点 を み つ め さ せ 、 隣 人 愛 と 何 も の か へ の 感 謝 に 涙 ぐ ん で い る 自 分 に 気 づ く こ と さ え
ある 。
しかし、 長崎医大潰滅のストーリーにはその救いがない。一保がない。哀歓がない。
1
1
4
必死で瓦礁の中から這い出し、苦しむ学友を背負い、自らの奇跡の脱出にホッと喜びの吐息をもら
し た 学 生 は 少 な く な い 。 これが今までなら家族や学友と肩を抱き、一俣を流してその幸運を祝福できた
で あ ろ う が 、 哀 れ 彼等 の全 員 が 続 い て 襲 った 急 性 放 射 能 症 の た め 苦 し み 抜 い て 死 亡 し た の で あ る 。 奇
跡すら許さぬその無差別性、悪魔性に私は時にペンを投げ、こみ上げてくる吐き気と戦わねばならな
か った 。
開発初期の原爆でもこれほどの非人道的破壊力をもっていたのである。いわんやその後幾つかの国
が開発し保有している現今の核爆弾の天文学的破壊力を思うとき、もはや人類は滅亡不可避の道を歩
み 出 し た か と の 絶 望 感は強い 。
定大な武器を生産する技術を開発し、それを大量に相手国の奥地に運搬して生産・運輸・通信のか
なめを破壊する手段を獲得した前大戦は、まさに戦争の様相を一変させた 。戦場は点から線、そして
面 、 空 間 へ と 拡 大 し 、 犠 牲 者 は そ れ に つ れ て 一般 市 民 を も 大 量 に 捲 き こ む よ う に な っ た 。
そ の 極 限 状 況 と も い え る 無 差 別 暴 力 が 行 使 さ れ た 例 と し て 、 ナ チ ス ド イ ツ の V 1号
、 V 2号 に よ る
英本土空襲、それに報復するかのような米・英空軍によるドレスデン、ハンブルク等への無差別爆撃、
一般 民 衆 、 は て は 敵 国 土 の 一木 一草 に ま で 拡 大 し て い っ た の で あ る 。 近
あ る い は 昭 和 二十 年
九四五 )三 月 十 日 の 東 京 大 空 襲 な ど が 挙 げ ら れ よ う 。
一
(
かつての戦士たちが持っていた戦いの美学は敵に対する無制限の憎悪にとって代り、その憎悪の対
象 も 敵 国 の 戦 闘 員 はおろか、
代戦のもつ恐るべき人間堕落の側面である 。
1
1う
日 本 も ま た 先 の 大 戦 で は 南 京 大 虐 殺 な ど に み ら れ る よ う に 、 他 国 の 一般 民 衆 を 数 多 く 巻 き ぞ え に し
た 。 戦 争 当事 者 の 堕 落 は 否 定 す べ く も な い 。
一般 民 衆 は さ さ や か な 自 分 の 人 生 、 愛 す る 家 族 を 守 る べ く 必
こ れ ま で 、 す べ て の 戦 争 は 大 勢 の 一般 民 衆 の 血 と 涙 を そ の 代 償 と し て 支 払 っ て き た 。 そ れ で も 、 正
義 と 名誉 と 敵 国 憎 悪 の 大 合 唱 の か げ で 、
死に生き抜いてきた 。 そ の 民 衆 の 健 気 さ を 無 視 し て 、 た だ 勝 つ た め に 手 段 を 選 ば ず 、 戦 闘 員 、 非 戦 闘
員 の 区 別 な く 戦 い の 対 象 に 据 え る こ と は 、 少 な く と も 一国 の 最 高 指 導 者 の と る べ き 道 で は な い 。
ヒ ット ラ ー が ユ ダ ヤ 人 に 対 し て 行 った 残 虐 な ホ ロ コ ー ス ト は あ る が 、 通 常 は 戦 闘 員 の 過 剰 な 感 情 的
行動に対しては冷静に、むしろ抑制的に対応するのが指導者の重要な良識であろう。
ま し て 、 昭 和 二十 年 の 時 点 で は 、 連 合 国 首 脳 は 大 戦 終 結 後 の 世 界 状 勢 を 冷 静 に 分 析 す る こ と に 重 点
を お い て い た は ず で 、 日 本 憎 し 一色 に 染 ま って い た と は 考 え に く い 。勝 負 は す で に つ い て い た の で あ
る。
たぐい
ところが、この日本への原爆投下は、米国政府が決定したのである 。原爆は従来用いられてきた兵
器 の 類 と は 全 く 異 質 の 全 滅 兵 器 で あ る こ と は 、 こ れ ま で 繰 り 返 し 述 べ た 通 り で あ る 。戦闘員、民間人、
老 幼 男 女 の 区 別 な く 大 量 か つ 迅 速 に 殺 傷 し 、 逃 れ 得 た 者 を も 大 量 の 放 射 能 で 息 の 根 を 止 め る 。破壊は
広汎で、病院、学校、幼稚園、託児所などもすべて潰滅する 。
残 存 住 民 は 、 生 涯 後 遺 症 に 悩 み 、 あ る い は お び え る 。広 い 地 域 に み ら れ る 放 射 能 汚 染 の 実 態 は 、 広
島 、 長 崎 両 市 の 報 告 書 を 見 て も 分 か る が 、 近 年 で は 一九 八 六 年 の チ ェ ル ノ ブ イ リ 原 発 事 故 に よ る ウ ク
1
1
6
ライナ共和国住民の大移動がその好例である 。
ま さ に 、 原 爆 使 用 は 人 類 が こ れ ま で 営 々 と し て 築 き 上 げ て き た ﹁ 生 存 の 権 利 ﹂ への真向からの挑戦、
冒漬 と さ え 極言 できる 。
当 時 の 米 国 政 府 首 脳 が 、 仮 に 戦 争 を 早 く 終 結 さ せ る た め に 一般 民 衆 を 大 量 に 捲 き こ み 殺 害 し て も 止
む を 得 な い と 公 式 に 決 断 し た こ と を 是 と す る な ら ば 、 最 早 人 類 に 救 い は な い 。多くの核兵器所有国は、
何時でも自らの正義の論理で将来これを用いることが可能だからである 。
いま、米国の人たちが、原爆のもたらす惨害を正しく認識したならば、それによって生ずる核兵器
反対への反応は想像以上のものがあろうと、私は確信する 。
一方 、 核 兵 器 廃 止 が 話 題 に 上 る と き 、 日 本 は 広 島 と 長 崎 の 上 で 時 間 を 停 止 さ せ 、 歴 史 上 未 曽 有 の 被
害者の立場で訴えることが多い 。 しかし、それまでの長い期間、多くのアジア諸国に加害者として振
舞ってきた日本の過去を切り離し歴史の連鎖性を棚上げする限り、その反応は、諸外国の不信感とな
ってこの運動の効果を減殺してきたとも言えるのではないだろうか。
それを思えば、わが国、近現代史上の歴史的事実を正しく認識し、反省すべき点は明確に謝罪する
と 同 時 に 、 原 爆 投 下 に 対 す る 米 国 へ の 抗 議 も 堂 々 と 政 府 の 名 に お い て 主 張 す べ き で あ る 。 その上で核
兵器は世界最終戦争への危機をはらんだ、次元を全く異にする人類全体の問題として、その廃絶を誠
意 を も っ て 全 世 界 に 訴 え る べ き で あ ろ う 。 こ の よ う な 一貫 性 を も っ た 対 応 に よ る 日 本 へ の 信 頼 感 の 全
面的回復こそが核兵器禁止運動の成否を握るといっても過言ではあるまい 。
1
1
7
歴史の正しい認識と解釈はそれほどに重要なのである 。
﹁ 広 島 市 と 長 崎 市 に 原 爆 投 下 す る こ と を 米 国 の 政 府 が 決 定 し 、 そ の た め に 大 量 の 一般 市 民 を 殺 害 し
た こ と は 誤 り で あ っ た 。今 後 二 度 と こ の よ う な 兵 器 の 使 用 を 政 府 の 名 に 於 い て 下 す べ き で は な い 。﹂
米国政府がこのように声明を出した時、新しい核兵器使用禁止への厳しい、しかし希望に満ちた将
来が出発する 。
そのため、 わ れ わ れ も 含 め 、 二 十 世 紀 に 生 き た 人 類 は 、 改 め て 人 聞 が 持 っ て い る は ず の 正 義 感 、 理
郁彦 (
長崎医大学長
、 一九六三 年没)﹀
性 、 愛 、 寛 容 、 公 正 、 自 己 犠 牲 な ど と い った す べ て の 良 い 特 質 を 問 い 直 し 、 新 た な 決 意 で 真 の 社 会 正
H
1
1
8
義 の 哲 学 を 二 十 一世 紀 へ 引 き 渡 す 義 務 が あ る と い え よ う 。
が
歴史を知らざる民は滅び歴史を忘るる民は衰う
〈
林
Fly UP