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第54号 - 退職者 こだま会
2001年 (平成13年)10月15日 │1県 神奈サ 職労 退職者 こだ ま会報 か に 時 間 を使 う ま い 温 職 書 。医療 ・年金 ・平和 rr 撻安 54 号 (1)第 ダイビング ・キャッチ 撮 影 :田辺典男会員 P4参 Rq 、 、 国 民 は いま 現在 の政治 的 経済 、 的 閉基 状 況 を打 開 し 国民生 活 を 立 て直 し てほ し いと 切実 に願 って いま 。 す 小 泉 首相 が ﹁ 聖域 なき構 造 改革 ﹂ 、 を唱 え た 時 国 民 が強 い期待 を 寄 せ 、 。 た のも そ のよう な事 情 か ら です し か し、 小 泉 内 閣 は本当 に国民 の期 厚 生 労 働省 は ン 口 で支 払 う息 人 関 の 窓 本 が 医 療 機 、 、 〇 二年度 か ら 者負 担 に つ いても 、 小泉 首 現在 の二割 を 一律 三割 に引き 上げ る 。 方針 です サ ラリ ー マンの健康 保 険 、 は 九 七年 に 一割 か ら 二割 に増額 さ 。 れたば かり です そ れか らま だ何 年 も って いな いのに今 度 は三割 だ と 経 つのです 。 いヽ 、 ま た 小泉内閣 の ﹁ 構 造改 革 ﹂ に 、 後 押 し さ れ て 電機 や自 動車 産業 で 。 大規 模 な首 切 り が計 画 さ れ て いま す 、 完全失 業 率 が 五 % に達 し て いる時 企業 の社会 的 責 任 を放 葉 す る こ のよ う な やり方 に 対し 相 は これを是 認 す る発 言 を 繰 り返 す だ け 。 です な痛 みだ けを 押 し つけ る政策 を 黙 過 し き ま ん。現 役 に る て い わ け は い せ 、 の労 働 者 と 力 を 合 わ せ て ﹁ 痛 み﹂ を ね し て いこう はあ りま せ ん で 眺 返 。 生方武羅夫︶ か ︵ 前途 の展望 に ついて何 一つ具体 的 に 。 語 って いま せ ん 私 たち は こ のよう 、 、 私 たち は 痛 みが 一時 的 なも ので そ の先 に希 望 が 見 出 せ る の であ れ 、 ば い っとき の我慢 を惜 しむも ので 。 し し、 か 小泉 首 相 は はあり ま せ ん ﹁ 痛 み﹂ を跳 ね返そう 待 に応 え る政 治 を行 ってく れ る ので し よう カ 、 、 小泉 首 相 は かね がね ﹁ 構造改 革 には痛 み が伴 う﹂ ことを表 明 し て 、 き ま し た。小 泉内 閣 は そ の ﹁ 約束 ﹂ 、 、 最 近 にな って 国民 が痛 みを 通り 感 ず る政 策 を 次 か ら次 へと 打 ち出 し て い ます。それは 、 。 三申 し 上 げ てみま し ょう 厚 、 来 年 度 か ら老 人 医 療 制 ﹁ 激 痛 ﹂と 言 っ ても い いも の 。 です 二 生 労働 省 は 度 の対 象 年 齢 を 現 行 の七 〇歳 以 上 か ら七 五歳 以 上 に引 き 上 げ よう と し て 、 。 いま す こ れ が 実 施 さ れ ま す と 七 、 加 ①歳 か ら 七 四歳 ま で の高 齢 者 は 入 し て いる 健康 保 険 によ って違 いま 、 医 療 機 関 の窓 口 で支 払 う 医 療 すが 、 費 は 一割 負 担 時 の二倍 乃 至 三 倍 にな りま す 。 、 サ ラリ ー マ なお く ても 困 ら な いと か 、 ま だ 生 活 必 需 。 品 と し て認 め て いな いわ け です ね 、 、 最 近 のパ ソ コンは 機 械 の性 能 も ソ フト の性 能 も向 上 し て大 変 使 いや 。 す く な り ま し た 4歳 の孫 に マウ ス 、 、 の使 い方 を 教 え た ら す ぐ 覚 え て 。 パ ソ コ ン で ゲ ー ム し て いま す 興 味 好 奇 心 さえ あ れば 誰 でも パ ソ コ 。 ン の世 界 に入 れま す 、 大 人 の場 合 は パ ソ コン に沢 山 の 、 機 能 が あ る こと を 知 って いて そ れ 、 を 一度 に覚 え よう と す る の で やり 、 切 れ な いと か 続 け ら れ な いこと に 。 な って いる よう な気 が し ま す 初 め は マウ ス の使 い方 のみ覚 え て ゲ ー ム 、 を や る か さ しあ た リ ワ ープ ロと し 。 て使 い始 め ても よ いで し ょう 、 外 国 に子 供 を留 学 さ せ た親 が 必 、 要 に迫 ら れ て E メー ル の やり 方 を 、 す ぐ に覚 え て 毎 日 やり 取 り し て い 。 ま こんな 合 は 品 です す 場 生 活 必 需 。 ね ︵ 米山東伊︶ 「 談話室」 を開 きます 。 談 話 室 ﹂ の第 一弾 は湘南 地 域 で開催 します 今年度 の ﹁ 、 、 県職 労 湘 南 支 部 と共 催 O B 現 職 と も に交 流 しあ っ 、 、 て医 療 ・介 護 な ど 生 活 の こと 自 爆 テ ロと報 復 そ の他 。 耳寄 り な話 など 語 り合 う 一刻 を 過 ご しま せ んか 出席 ・問合 せ は こだ ま会事 務 局 ︵ 肌 随︱ 別十 三 一七 九 ︶ 。 へどう ぞ 1月 1 2日 6 4 と き 1 側 ︲時 1 1時 と ころ 県 平 塚合 同庁舎 3階会 議 室 せら れた それ ぞ れ の趣 味を 記 入 さ せ ★ 因 った 時 に は 相 談 を こ の原稿 を 書 いて いる時 たま ま な 改 悪 にと も な って生 じ る問 題 で 、 み な さ ん が 困 った 時 に は 年 金 ・法 、 律 介 護 な ど の相 談 を 受 け 信 頼 で き る専 門 家 への紹 介 を し て いま す 。 課 題 と し て いま す 、 のか 国会 への要 求 署 名 な ど の取 り 、 、 組 みを と いう 意 見 も 出 て 今 後 の 、 。 本 年度 も 様 ざ た厚 生 労働 省 が医 療 制 度 の改 悪 を 発 。 表 しま した ″ 健 康 保 険 本 人 負 担 を 一割 か ら 、 0 三割 に 老 人 医療 の対象 を ﹁7 5 に 引 き げ る″ 才 から 7 才 ﹂ 上 9日 に開 か れた幹事 会 でも 9月 1 こ の制 度改 悪 に何 も しな いでよ い 、ま 。 て頂き ま した 趣 味 のお相 手 を探 し 、 、 たり そ の途 の指導 者 を見 つけ たり 。 大 いに使 って下 さ い 1分 一 父 通 平 塚 駅 下車 徒 歩 3 情 報 の豊 庫 、 新 し い会 員 名簿 を お手 元 にお届 け 、 しま した 。 今 後 オリ ンピ ツクサイ ク 、 ルで 4年毎 に そ の中 間 2年 目 に追 。 加 ・訂 正版 の刊行 を計 画 し て いま す ★ 名 簿 を 活 用 し ま し ょう 、 3 みな さ ん 会 報 5 号 のせ いか つ短 。 信 は いか が でした か 短 信 を寄 せ て 、 頂 いた方 本当 にあ り がと う ござ い ま した 。 、 みな さ ん の声 は こだま 会 にと っ 。 ては大事 な情 報源 です 行事 や会 、 報 の企 画 さら には会 の運営 は短 信 をな り ど こ ろと した方向 で進 め られ て いま す 。 ☆ せ いか つ短 信 は 湘南 地域 で ﹁ 趣 味 特 技 ﹂ の相 を 新 し く 設 け ま した 。 これ は総会 出欠 ハガ キ で寄 事務局 だより 、 パ ソ コン のスイ ッチを 入 れ イ ン 、 タ ーネ ット に接続 し て キ ー ワード を ﹁ 川 で 組 奈 県 職 員 労 合 索 神 働 検 ﹂ す ると県職 労 のホ ー ム ページ が表 一 不 さ れます 。 更 に、 そ のホ ー ム ベージ か ら は主 な 日程 と か行事 案 内 など に 、 リ ンク︶ し 県 職 労 のあ らま 接続 ︵ しが見 ら れま す。毎 月 八百 件 ほど の 。 訪 間者 があ ります こだま会 でも ホ ー ム ベージを作 っ 、 て 趣 味 の会 の予定案 内 な どを載 せ 、 た らどう だ ろう か と いう のが話 の 。 始 ま り です 三 ヶ月 ごと の会 報 発 行 、 のせ いで 赳味 の会 の予告 案 内 が早 、 す ぎ たり 遅すぎ たり し て 適 時 にお 知 ら せす る こと が でき な いので苦 労 し て いる のです 。 こだ ま会 の会 員 のパ ソ コン普 及率 、 がど のく ら いな のか な か な か予想 、 出来 ま せ んが 世帝 数 で 二分 の 一は 、 有 るだ ろう か ら 子供 や孫 の手 を 借 り れば 結構 アクセ スし ても らえ る の 。 では な いでし ょう か 、 さ て こだ ま会 会 員 でパ ソ コンに 関心 を持 って いる人 は沢 山 いるよう 、 です が な かな か踏 ん切 り が つか な いで買 う か買 わ な いか迷 って いる人 も多 いよう です 。使 え な いか ら買 わ 、 、 な いと か 覚 え る のが面倒 と か 無 県職 労 ホ ー ム ベ ー ジ ア ドレス : http://www kensyokurOu ne lp/ Eメ ー ルi kanagawa@kensyokurou ne jp (2) 第 54 号 1県職労 退職者 こだま会報 神奈サ 2001年(平成 13年)10月15日 2001年 (平成13年)10月15日 │1県 神奈チ 職労 退職者 こだ ま会報 54 号 (3)第 スイ ミ ン グ に つ い て は 専 門 の ト 、 レ ー ナ ー が指 導 す る の で 私 は 妊 婦 さ ん の健 康 指 導 と プ ー ル に 入 つて 。 マ ッサ ー ジ を しま す 、 主 に ツボ を 押 す の で 妊 婦 さ んは 、 と ても 気 持 ち が良 いら し いです が 、 な か な か重 労 働 で 終 わ って家 に帰 ると 横 にな って眠 ってし ま う こと も c 健 やか な 赤 ち ゃんを 産 み育 て る手 伝 初 産 でも ニ ー三 時 間 と 聞 い てお り そ れ でも こ の利 用 者 は お 産 が軽 く 、 あ りま す 金 子 ナカさん の誇りと生活 県 を 退 職 し て 一人年 にな る金 子 さ 、 、 ん は 助 産 婦 の技 術 を 活 か し て 退 。 職 後 も いろ いろ活 躍 さ れ て いま す ″ せ いか つ短 信 ″ に届 いた お 便 り に ﹁マタ エテ ィ スイ ミ ング ・ヨー ガ 、 の体 操 等 ﹂ と あ り ま し た の で ど ん 、 な こ と を す る のか お 話 を 聞 き に 。 行 ってき ま し た 技 術 を活 かし て 、 県職貝と しては 母子保健 セ ン 、 、 タ ー 足 柄 上 病 院 秦 野精 華 園 な ど 、 で働 いた後 非 常 勤 職 員 と し て相 模 。 原 保 健 所 や海 老 名 支 所 で働 き ま し た 、 、 、 当 然 の こと な が ら 助 産 婦 看 護 婦 、 保 健 婦 の免 許 は持 って いま し た が 退 職 後 二年 間 専 門 学 校 に通 って マ ッ 。 サ ー ジ 師 の免 許 を と り ま し た こ れ が マタ ニ テ ィ ス イ ミ ン グ ヨー ガ に か か わ るき っか け にな った 。 と も いえ ま す 厚 木 市 役 所 か ら 紹 介 があ った のが 4 頃 です か ら も う 三 にも 昭和 6 年 一 年 、 な り ま す が 今 でも 毎 週 月 曜 と木 曜 。 に近 く のプ ー ル に通 って いま す 。 いが でき る こと を り にし て いま す 誇 、 自 然育 児 研 常 に勉 強 も 怠 らず ﹁ 、 究会 ﹂ に入り 三 ヶ月毎 に各 県持 ち 廻り で開 か れ る研究会 に遠 方 ま で出 。 かけ行 き ま す 趣味 を楽 しむ 、 いろ いろあ りま す が 鎌 倉 彫 は お 、 盆 を 作 った後 菓 子器 にと り か か り 、 ま し た が な か な か手 間 が かか る し 。 忙 し いので中 断 し てしま いま した 足柄 上病 院 の課長 に誘 わ れ て始 め た 詩 吟 は も う 一五 ︱六 年 に な る で し ょう か。 毎 月 一回横 浜 の反 町 ま で 、 年 に 一回先 生 が住 ま わ 練 習 に行 き れ て いる真鶴 町 の町 民 セ ンタ ー で発 。 表会 があ り ま す 今 は明治 天皇 の御 。 製 な ど を 習 って いま す ︵ 相模 宝 船 、 二〇年 間︶ 一番楽 し いのは ハー モ ニカ で毎 月 吟ふ 訴会 二回 火曜 日 に厚 木市 の公 民館 で習 っ 、 て いま す が 健康 に良 いと思 って始 、 、 。 めま した お ぼ ろ月夜 浜 千鳥 バ 、 ラが咲 いた等 むず か し いので若 い 。 人 に負 け て います 有格 農 法 で野菜 作 り 家 の廻 り に農 地を 沢山持 って いる 、 。 ので 野菜 は全 部自家 製 です 肥料 は残 飯 と近所 の農 家 か ら賞 っ 。 てく る豚 のふん尿 など を使 いま す 、 、 、 、 ゴ ー ヤ し よう が ト マト なす き ゆう り 、 さ つま いも 、落花 生 など 。 ただ カ ラ スが食 べに来 る ので 。 など 細 を振 る のが大 変 です 収穫 を友 達 や近 所 に住 む弟 妹 に届 。 け ると と ても 美 味 し いと喜 ば れ ます 近 く に国体 の会 場 と な った市 営 の 、 体育 場 が でき て 夜 も使 う た め照明 、 の影 響 を心 配 しま し たが 。 九 時 に消 。 灯 され る ので大 文 夫 のよう です 今 では い い散 歩 場と なりま し た 自 然環 境 に恵 まれ て 散歩 をす ると 小鮎 川 では鮎 の水 ぐ 、 のが 見 ら れ ま だ 田 ん ぼ も か な り 、 残 って いるし ゴ ル フ場も あ って空 。 気 の良 いと こ ろ です 、 庭先 では今年 一本 の百合 に花 が 、 五 〇位 つ いたり 埋 め てあ った細 い 鉄 パイプ か ら ひ ょ っこり蔦 が茅 を 出 したり 、 蝉 の脱皮 が見 られた りと 面 白 いこと が いろ いろあり ます 。 上を堀 り起 こす と み みず が数 え き れ ぬ程 う ご め いて います が大 切 に飼 う よう 心掛 け てお ります 。 む か で 。 す へ 蛇 も 縁 の 下 に 居 り ま す が 網 を 張 って し ま いま し た 。 、 と 楽 し そ う に話 さ れ る金 子 さ ん 。 で し た ま だ ま だ お 元 気 で活 躍 さ れ つ。 ︵ る こと で し ょヽ 新井︶ 卦 ︲ .ぃ .︱ぃ 一! 中” 予︱ ● す L ﹁≡ “” ︱ ﹁ 、 11 ユ 一﹁” ﹁︲ ︲ ・ r i ︲ ︲ ” ︲ ・ , ・! , 中 ! ︲ ” ・ 市 ・ 一 ・ 一 楽しい 処 木 の会 ¨ 、 趣 味 の会 は 長 生 き の散 歩道 ご 一緒 に歩 きま し ょう イ 、 部 会 の申 込 みは 葉 書 で事 務 局 へ 口協 曰 手 を つけ て こな か った受 給 者 の年 金 額 を ど のよう にし て減 ら す か にあ り ます 。 一① 月 か ら の介 護 保 険 料 の年 年 金 課 税 の見 直 しも 浮 。 小 泉 内 開 は昨 年 の同 金 控 除 額 の引 上 げ は 紛 れも な い年 金 。 の減 額 です 上 し て いま す 会 で与 野党 一致 で決 め た基 礎 年 金 の 同庫 負 担 を 三分 の 一に引 き 上 げ る こ 、 と への具体 的 な 検 討 も な いま ま 保 動 が当 面 の私 た ち の詳 題 です が 金 ﹂ に つ いても 者 々と 次 の政 忠 が 半 険 引 上 げ の凍 を 除 し よ う と し 料 結 解 。 こ のま ま 小 泉 内 関 の ﹁ 構 に日 を む け 。 入り で分 り易 く 述 べてあり ます 。 監修者 は順天堂大整形外科教授 山口順久︶ ︵ 度 ﹂ の創 設 が も と め ら れ て いま す 国 の責 任 で誰 も が 生 活 でき る最 低 の年 金 を 保 障 す る ﹁ 最低 保障 年金 制 。 ■万 円 の国 民 年 金 受 給 者 の生 活 実 態 、 年 金 を 高 齢 者 の生 活 を 。 る無 年 金 者 や 〓千 万 人 も いる月 平 均 改幸 はあ りま せ ん 造 改 革 と や ら にま か せ ては年 金 の ﹂ 。 五 五万 人 を こえ 賃 金 ス ライ ド が 凍 結 さ れ年 金 額 ア ッ 。 プ が見 送 ら れ ま し た 現 役 世 代 に 、 と っては 文 給 開 始 年 怖 の引 仲 し 年 、 金 額 の引 下 げ な ど と き び し く 将 来 t 厚 の生 活 不 安 が 高 ま って いま す ﹃ 支 え る所 得 保 障 にす る こと です 、 産 や生 市 水 準 は現 役 世 代 に遜 色 な い と いう ﹁ 高 齢 者 金 持 ち論 ﹂ を 強 調 し 。 て いま す 生 労 働 白 書 ﹄ では高 怖 者 の所 得 資 て いま す 備 さ れ て いる のを 見 逃 す こと は でき ま せ ん. 昨 年 の改 忠 で六 れ歳 以 上 の ﹁ に 章 改 忠 阻 止 ﹂ の連 、﹁ 年 小 泉 内 閑 が来 年 度 に向 け て準 備 し 、 て いる医 療 保 険 制 度 の改 革 は 私 た ち 高 者 の生 活 にと って大 き な打 撃 齢 ,ま す . にな ︱ ! 箱騨 年金改悪の動き 、 。 本 命 と いわ れ て いる 他 は 供 養 墓 。 であ る 昼食 を 駅前 の ﹁ 梅 の里 セ ンタ ー﹂ 、 、 。 でと り 二官 に移 動 二官 は 私 の 、 。 。 地 元 許 かな裏道 をと り 知 足手 に 、 吾 妻 山 の麓 浄 土宗 の知 足 寺 は 許 か 。 な た た ず ま い であ った 墓 地 の奥 、 、 ま った と こ ろ に 兄 弟 は 具 父 姉 を 一 官 朝 忠 室 ︶ と 言 い夫 と 共 に手 厚 く非 、 。 ら た れ て い 兄 弟 が姉 を 一 生 前 果っ . た想 いが 感 ぜ ら れ た一 暑参 であ った 、 駅 に 炭る道 す が ら 徳 富 蘇 峰 記 念 、 館 と ガ ラ ス のう さぎ 像 を 観 て 4時 。 す ぎ 二宮 駅 前 で解 散 と な った 中 村 先 ■ の熟 弁 に楽 し ただ 散 求 でし た ︵ 湯川 勉︶ ☆ 相 模 原 の野鳥 た ち ☆ 田辺典 男 さ ん の写真 展 開催 中 次 の改 忠 の狙 いは今 ま で比 較 的 イ ラ スト版 ひざ の痛 み こう す れば 楽 にな る 諾顕茉 暑 と ′、 黒沢 尚監修 ︲刊 講訟社/ ・9 ・0 剛 定価千 二百円︵ 税別︶ ― 巻 頭 を飾 る写真 を提 供 し て下 さ っ 。 た 回辺 さ ん の写真 展 会 報 では残 念 、 な が ら自 黒 です が 美 し いカ ラー の 。 迫 力 あ る野鳥 の姿 が楽 し めま す 8日 ま で 0月 2 と き 1 働 と ころ 県立相模 原公 国内 かな が わグ リ ー ン ハウ ス2階 77 7︶ 68 16 帆 0 42 ︵ ″ ひざ が痛 む ″の多 く は変 形性 膝 。 関 節 症 です 通院 ではな く自宅 で 、 のセ ル フコント ロー ル の方法 が 絵 2 お知 ら せな ど は 1 月 初 旬 ま で に お 願 いし ま す 欠 通 小 日急 相模大 野駅 下車 一 女 子美 行 バ ス女 子美 前 下車 、 も ヵ ▼ う l 曽 我 兄 弟 の足 跡 を 訪 ね て ︱ 秋季 歴史 散末 ︱ 、 4 秋 雨前線 の晴 れ間 の9月 1日0 ﹁ 梅 の里 の館 跡 と 二宮 町 を 尋 ね て﹂ に参 加 した。中村 猪 一郎 先 生 以 下総 0名 、 男 6名 ︶ 勢6 女1 1名 ︵ 、 。 1 1時 前 に下曽我 駅 に到着 早速 。 曽 我 神 社 に 県道 ぞ いの鳥 居 をく ぐ り 、 ゆ るやかな コンク リ ート道 の参 ″ 道 が続 く高 合 に 神 社 ″ は鎮 座 し て 、 。 いた 城前 寺も そう だ が 当 時 の神 、 社 仏 閣 は高 台 にあ り 水 国 の水 利権 を握 って いたc 、 許 かな広 い境内 は 上 代 の蘇 我部 宗 我 ←曽 我← 蘇 我 ︶の存 在 を 明示 し ︵ 。 て いるか の趣 であ った 。 次 に神 社 の東 隣 り の城 前寺 へ 曽 、 8 兄弟 の 我 兄弟 の墓 があ り 5月 2日 ︵ 。 討 入り の日︶ の傘 焼 き で有名 であ る 寺 の裏手 の墳 丘 に祐 信 夫 妻 と 兄弟 の 。 墓 があ る 全 国 に数 あ る兄弟 の墓 で 投稿 読せふ港 化 ) 第 54 号 1県職労 退職者 こだ ま会報 神奈サ 2001年(平成 13年)10月15日 2001年 (平成13年)10月 15日 il県 神奈チ 職労 退職者 こだま会報 ー ☆ こ だ ま 会 スキ 旅 行 の お 誘 い☆ 2 0 0年 の 11 2月 に 3泊 4 日 で ﹁ダ 2 、 イ ア モ ンド ダ スト ﹂ の舞 う 北 海 道 。 フラ ノ スキ ー旅 行 を 計 画 し て いま す ︲ 、0 0 来 シ ーズ ン の料 金 は 未 定 です が 2 8 年 1月 に有 志 1名 で 下見 に行 ってき ま し た 。 そ の時 の概 要 は 次 の如 く で 。 す スキ ー 宿 泊 ニ ュー フラ ノホ テ ル 3泊 4日朝 3食 、 夕 3食 、 費 用 2名 一室 五 一 九 〇 ①円 3名 一室 四 六 、九 〇 〇円 、 往 復 の飛 行 機 代 保 険を 含 む 来 シ ーズ ンは ﹁ 新 宮良 野プ リ ンス ホ テ ル﹂ 3泊 4日 の コー スも 企 画 に 0年 の価 格表 が届 い 0 旅行会社から 2 、 。 た ら 早速 資 料を 作 成 します 参 加 、 、 希 望 の方 は こだま 会事 務局 あ て 返 信 用 封筒 に⑤住 所 ・氏名 を 記 入 し 。 0 8円切手 を貼 って送 って下 さ い 、 な お 先 着 順 で定 貝 になり 次第 / 。 切 り ま す 問合 せ は 晰︱ 別十 三 十七 。 叶井︶ 九 こだ ま会事 務局 ま で ︵ 、 、 、 年 で 2名 一三 人 二 四 〇 〇 円 3 、 。 名 一室 七 〇 四〇 〇円 でした 入れています。この場合の費用は剛 54 号 6)第 一 求 草 木 染 め ,日教 宣 * 6 0月 2 6日 1 0 と き 1 0 時 1 1時 と こ ろ , こと ぶき荘 3階 会 議 室 小 日急線本 厚 木 駅東 回 、 厚木市 。 駅 下車 徒歩 3分 結合福 社会 館 と なり ▼食 文 化 を 楽 し む 会 一 、 師 走 の 一日 体 によ い業 陪 料 理 と 。 お茶 を楽 し みま せ んか 1 5 2月 6日 1 と き ︲ い 時 1 1時 と ころ 横 浜市 健康福 祉 セ ンタ ー 材料 費 ハンカチ 3枚 で千 円 9階 料 理実 習室 ︵ 桜木 町 駅 前 ︶ 、 参 加費 一一O ①O円 、 8名 疋 員 1 わ 鈴木志 ▼第 二回 楽 し い俳 句 教 室 と き 月 5日 3 1 ﹁ 1時 0 3分 ︱ い 2 0日 ︲月 2 内 ク と こ ろ 県職労 本 部 3階 こだ ま 会 ︶ 申 込 み ヽ だま会事 務 局 5︲ ︲ 2︲ 4 三 一七九 阻0 2 。 どう ぞ飛 体 験 学 習 を歓 迎 しま す 。 び入 り し て下 さ い テー マ 小 栗 上 野介 と横 須賀 講 師 中村 猪 一郎 会員 4時 1 1 6時 と き ﹁月 5日側 1 と こ ろ 県 耽労 本部 1階会 議 室 ▼歴 史 教 宣 ︵ 議義 ︶ げ子会員 、 希 望者 は こだま会事 務 局あ て は 。 がき か電話 でお申 し込 みく だ さ い 講 師 上 野多恵 子会 員 作 成 O 輪ゴ ム か 割 り筈 染 め ② 絞 り染 め ③ 手 書 き か 型 染 め 0名程度 ︵ 疋 貝 1 3︲ 4 〒2 参 加希 望 の方 は ハガ キ ︵ 皿 1 厚 木 市 水 引 11 11 2︶ か F A X 6 ︲ ︲ 4 2 ︵ 0 21 183 4︶ 川井 弘次 あ て 。 。 申 込 ん で下 さ い 先着 順 です 側手 作 り文 化 崇 ご 参 加 を 打 自 治労 連 神奈 川退 職者 会 恒 例 。 のお祭 り が巡 ってき ま し た 出 。 演 ‘出 品 を お願 いしま す ま た 。 当 日 は誘 いあ ってご参 加 下さ い 7日 と き ﹁月 1 働 0時 1 6 1時 1 と ころ 浜市 従会館 横 桜木 町 駅徒 歩 5分 、 ま た 当 日お手 伝 いを し た い と う は に こだま 会事 務 方 思 事 前 5 ︲ 2十 三 一七九 ︶ま で 局 ︵ 皿4 0︲ 2 。 ご 一報 下 さ い こだま俳壇 小 川 水 草 電 柱 に農 家 売 るビ ラ具 珠 沙 華 ひと り 住 む か や ぶき 農 家 秋 ざ く ら 村 出 役 年 金 か こ つ宵 ま つり 住 ま ぬ家 に夕 霧 訪 う て吹 深 し 萱 の里 ガ イ ド の役 を 貰 いけ り 須藤 伸 成 処 暑 の上 手 お ほ か た犬 の夕 散 歩 す ぐ 溜 る机 上 の挨 秋 暑 し 尻 餅 を つ いて大 り し秋 な す び 小 川 達 子 ひ ま わ り の垣 根 見 下 ろす 背 丈 か な 揚 花 火 映 せ る ビ ル の窓 ガ ラ ス 幼 な 子 に遊 ば れ て いる白 日傘 ▼お詫 び と 訂 正 ▲ 3号 9頁 の俳壇 で二ヶ所 の誤植を見落 5 としました。お詫びして次 のよう に訂正 いたします。 足 早 に揺 れ て薄 暑 の胸 の線 二行 日 最後 か ら 二行 目 な がむ し の水 を渡 り し こと忘 る (6) 第 54 号 │1県 神奈ナ 職労 退職者 こだ ま会報 2001年 (平成13年)10月 15日 老年 期 を 迎え ると耐 久 力 は衰 え 、 健康 の維持 や管 理 には大 変苦 労 が多 く な りま す 。 でき るだ け体 力 と持 久 力 を 保 ち な が ら健康 で元気 に長 生き 。 す る こと に心 を配 る こと になり ます 、 日常 的 には適 度 な運動 と 食 事 への 、 配慮 それ に加え て精神 的安 定 も非 。 常 に大事 な要素 と な る でし ょう 、 戦後 農 村 と農 地 の疲 弊 、 そ こ で今 回 は食 べ物 の安 全 性 特 に農 畜 産 物 に ついて大 ま か に記 し て 。 みま す ど なたも各 種 の マス コミな 、 ど でご存 知 の方 も多 いと 思 います が 、 特 に戦後 の我 が国 の農業 は 政治 的 に農 畜 産 物 の食 糧 輸 入 が 一貫 し て 、日 の生産 物 の販 本 、 生 産農 家 の経 次 々 に拡 大 され 売 価格 は果 落 を続 け 営収 支 と生 計 は破 綻 に追 い込 ま れ続 。 け てき ま した こう し て農村 の労 働 力 は都 市 を 中 心 と し た他 産業 へと吸 収 され る仕組 、 み にと り込 ま れ 農 地 は ″ 列鳥 改造 論 ″ により吸収破 壊 さ れ農 村 と農 地 。 は疲 弊 し て行 きま した 減 反政 策 や外 国産 の輸 入 お米 でみ ると 1 9 70年 代 の前 半 、 か ら作 付 け の減 反農 政 が強制 され 、 毎 年 拡 大 され てゆき 現在 では 四国 の島 の面積 程 の水 日が 強 制減 反 さ れ 。 て いま す 政府 は国民 の米 の消費 量 が減 った か ら生産 を押 さえ ると言 う 、 の です が 戦後 の学 校 拾食 が ア メリ 、 力 の余 剰 小 麦 のパ ン食 にさ せ ら れ ″コメを う と 食 馬 鹿 にな る″ な ど と 、 ご用学 者 に言 わ せ パ ン食 を横 行 さ 。 せま した そ れ で日本 の風土 に合 っ た古 来 から の栄養 価 の高 い米 の消費 。 が減 ら さ れま した さ ら には減 反 政 策 の上 に米 の輸 入ま で拡 大 し てき て 。 いま す 中 国 では 日本 を 中心 に輸 出 す るた め の米 を作 る大 面積 の開 田が 。 行 わ れ つ つあ ると言 わ れ て います 米 以 に 早 く か ら オ レ ンジ や グ 外 ー レー ど フ プ ル な ツ の 呆物 の輸 入自 、日 本 のミカ ン農 由 化 の拡 大 により 食 と 健 康 いるた め 、 少 し でも 安 価 な 農 産 物 が 、ト 、 マト ピ ー マ ンな ど 0 2余 種 の 野 菜 ガス 入手 でき れ ば 家 計 も 助 か ると 考 え る 。 人 も 多 いと 思 いま す し かし 、大 き な問題と し て ″ 安全 。 性 ″ は ど う か 例 え ば ア メ リ カを 中 心 に大 量 に輸 入 さ れ て いる大 豆 や ト ウ モ ロ コシな ど に除 草 剤 に強 い ″ 遺 、 伝 子 組 かえ ″ の農 産 物 には これ を 食 べ ると 呼 吸 不 全 な ど 健康 を 脅 か す ア レ ルギ ー性 があ ると 言 う 問 題 が あ り ます 。 、 、 ま た多 く の諸 外 国 か ら 玉 ネ ギ 、 、 カ ボ チ ャ ブ ロ ッ コリ ー ア ス パ ラ 特 に農業 生産物 の安全性を中心 に が輸 入 さ れ て 、 いま す が 日 本 ではす で に 裂道 も禁 止 さ れ て いる危険 性 の高 い 、 農 薬 が 諸外 国 ではま だ多 く使 用 さ 、 れ ており これら の野業 か ら県 民連 の分析 セ ンター の検 査 な ど からも D 、 DT や B HC 有機 燐系 の発 ガ ン性 のあ るも のや神 経 を侵 す農 業 な ど が 。 検 出 され て います 、 ま た 因 み に マクド ナ ルド社 の ハ ンバーガ ー の食材 は 醐%が輸 入品 と 。 か 日本 の有 名 な製 パ ン大 企業 製 品 、 、 のド ーナ ッツ ケ ーキ パ ンなど か ら農 業 が 検 出 ︵ ンタ← 農民連分析セヽ され て いると のこと。 小 野 。 家 を 破 綻 さ せま し た ︵ 減 反も 強制 、 され た︶ さら にこ こ数年 来 日本 、 の大商 社 や食 品 企業 が 中 国 や幸 国 、 など多 く の外 国 に 野業 を 中 心 に種 、 苗 や肥料 など の資 材 技 術者 ま で送 り込 ん で大 規模 な生産 を し 、非 常 な 、 安 値 で日本 に輸 出 さ せ てき ており 日本 の生産 農 家 の経営 を 圧迫 し、生 活 の破 綻 に脅 か され て いる こと は マ 。 ス コミなど により ご存 知 と 思 いま す 安 全 性 を みる 、 消費 者 の生 活も 長 い間 の悪 政 の 極 みか ら苦 し い状 況 に追 い込 ま れ て 、 さら に コンピ エ弁 当 は ほ ぼ全 て 、 が 入食 で し かも ど っぶり の添 輸 材 、 変 移 原生 な ど︶漬 加物 ︵ 発 ガ ン性 。 けと か 農 業 に大 き な ロ マンを求 め て 、 こ のよう な状 況 か ら 或 る消費 者 、 へのア ンケ ート では 価格 は多 少高 く ても 、危 険 性 の高 い輸 入農首 産 物 より 、安 全 で、味 のよ い、新鮮 な 国 内 産 のも のを 食 べ た いと の回 答 が 。 0 8%余 りあ った と 言う こと です こ の消費 者 の求 め る安 全 な農 首 産 、 物 を提 供 す る には 国 が農 民 にも消 、 費 者 にも 役 立 たな い大 企業 を潤 す 国民 には無 益 な 公共事 業 を 即刻 と り 、 止 め させ 先進 諸 国 では最低 と いわ 、 れ る農 業 予算 を 増 やし 農家 が安 心 し て再生 産 と 生活 が でき る基 盤 を築 く こと が重 要 です 。 それ が消費 者 が 安 心 でき る こと にも 結 び つくも のと 。 思 います 列島 改造 と大 企業 本位 の国政 によ り、 国土 や自 然 が大 き く破 壊 さ れ て 。こ れか ら は真 大 災害 も 増 え ま した 面 目 に働 く 国 民 のた め の国土 づ くり 、 を 本 来 的 に美 し い四季 や自 然 風 土 、 に恵ま れ た 日本 国上 を 再生 し 大 切 、 に守 って農 地 と農業 も 再生 さ せ 安 心 し て住 め る国と 社会 を築 き た いも 。 のです 老 いても 大 き な ロ マンをも って頑 。 張 りま し ょう 2001年 (平成13年)10月 15日 │1県 神奈チ 職労 退職者 こだま会報 (71 第 54 号 ☆医 療 に かかるお金 、 B のお金 は 、 何 七割 を保 険 者 と公 、 に つ いて適 用 さ れ 。B に つ いては ☆医療 機 関 窓 口で B 支 払 う お金 は ︵ 病 院 そ れ ぞ れ によ り 決 め ら れ て いる。 る 自 己負 担 a の部 分 費 援 護 制度 は こ の 担 aと な る 一︱三 割 が 自 己 負 。 医療 費 でま か な わ れ いて は の援 護 制 度 も 適 用 さ れ な い。 A に つ 、 そ の九 ︱ 全 額 自 己負 担 して 保険 証 で受 け ら れ る保険 診 療 Aと 、 そう でな い いわ ゆる保険 外 Bがあ 。 る Aは保 険診療 と認 め ら れ た治療 、 、 、 、 に関わ るも ので い に射 処 置 手 術 、 、 検査 入 院料 など があ り B の代表 。 的 なも のは差額 ベ ッド代 であ る そ 委 任 払 い制 度 健 保 や公務 員 の共 済 など は本 人 は A 、 、 の二割 家族 は外 来 二割 入院 は 三 、 、 割 ・国 民健康保 険 は A の三割 ・ 、 退 職者 医療 制 度 の本 人 は 二割 ・老 人医 療 制 度 ︵ 七 〇才 以 上 ︶ の本 人 は 十 a︶ 円 、 保険 診 療 の自 己負 担 aは ・組合 お年 寄 りの高 線 医療 費 と 。 一割 と な って いる た だ し老 人 医療 、 には 一ヶ月 ご と に上 限 が あ り 病 床 、 数 二 〇 〇 床 以 下 のと こ ろ は 三 ○ ○ 、 、 ○ 円 二 〇 〇床 以 上 で は 五 〇 〇 〇 、 、 円 が 上 限 と さ れ てお り 診 療 所 で は 一割 負 担 でな く 通 院 一回 に つき 人 〇 月 四 同 ま で︶ と し て いる所 が 〇円 ︵ 。 タプい ☆高 額 療 養費 保 険 の自 己負 担 分 aは 一ヶ月 を 合 、 計 し て高 額 療 養費 に該 当 し た 場 合 そ の部 分 が窓 口 で支 払 った ニ ー三 ヶ 月 後 に保 険 者 か ら給 付 さ れ る ︵ 戻っ 。 。 てく る︶ 額 は収 入 な ど に よ り 異 な る 、 ま た ど の場 合 でも 入 院 給 食 費 ︵ 七 八 〇 円 ×日数 ︶ は高 額 境 養 費 が適 用 さ れ な い。 ・低 所 得 者 ︵ 住 民税非 課税 所帯 ︶ ⋮ aが 二 五、四 〇 〇 円 以 上 に な った 、 場 合 そ の部 分 が高 額 療 養 費 と し 。 て 民る そ の結 呆 と し て自 己 負 担 、 。 額 の上 限 は 三 五 四 〇 〇 円 と な る ・ 一般 ⋮ aが 六 三 、エ ハO ① 円 臥 上 と 、 な った 場 合 そ の越 え た 部 分 が高 。 額 療 養 費 と し て給 付 さ れ る し か し 、 さ ら に aが 三 一人 、O ① O 円 を 越 え た 場 合 は そ の越 え た 額 の 。 一% を 自 己 負 担 と す る 従 って自 、 己 負 担 限 度 額 は aが 三 一人 ○ ○ 、 、 ○円 ま で は 六 二 エ ハO ① 円 と な り 、 aが 三 一人 ○ ○ ○ 円 以 上 の場 合 、 は大 三 エ ハO ① 円 プ ラ ス趣 え た 分 。 の 1% 円 と な る ・上 位 所 得 者 ︵ 標 準報 酬 五六万 円 以 。 上 国 保 では市 町村 税 の基 礎 と な る総 所 得 金 額 が お よ そ七 〇 〇 万 円 、 以 上 ︶ ⋮ 前 述 の 一般 の ﹁六 三 エハ 、 、 ○ ○ 円 ﹂の部 分 が 一二 一 八 〇 〇 円 ﹁三 一人 、〇 〇 ① 円 の部 分 が 六 ﹂ 、 。 〇九 O ① ①円 と な る 一人ば っちの高榛者をなくそう 自 治 体 の高 齢 者 施 策 を 利用しよう 5 以 ひと り暮 ら し の高 齢 者 ︵ 満6 才 、 上 の単 身 生 活者 ︶が増え て います が これら の人 に向 け て の自 治体 の施 策 は案外 知 られ て いま せ ん。 私 の住 む厚 木市 で市 発行 の ﹃ 福祉 、 の概 要﹄ を調 べたと ころ 登録 す れ ば つぎ のよう な施策 を利 用 でき る こ と が解 り ま した 。自 治体 によ って違 、 いがあ る でし ょう か ら 確 か めた上 で利 用 でき る も の は 利 用 し ま し ょ 、 う 。ま た 一人 ぼ っち の方 に利 用を 。 す す め てみま し ょう 、 基本 。 ◇ 火 災報 知 機 ・自 動 消火 器 の給 付 ⋮ 、 。 費 用 の0 1%負 担 ただ し 非 課 税 世 。 帯 と生活 保護 世帯 は無料 ◇ 安 否 確 認 の電 話貸 与 ⋮無 料 料金 と 六百 円 ま でが市 の負 担 九 月 六 日 の各 新 聞 のト ップ は ﹁健 。 保 本 人 三割 に﹂ だ った 小 泉 内 閣 改 。 革 の具体 化 が始 ま って いる 老 人 医 。 療 は 七 五才 か らと も 一兆 円 の自 然 き ゅう ・マッサ ージ施 術費 助 ◇ はり ・ 。 5オ以 の 成⋮7 上 高齢者 に年七枚交付 ◇ 理 容 ・美 容 助 成 券 の交 付 ⋮ 月 一 、 。 枚 無料 ☆委 任 払 い 、 高 額 療 養 費 は いず れ給 付 さ れ る 、 戻 ってく る と し ても 窓 口 で そ の分 、 を 支 払 う と な ると そ の負 担 は 厳 し 。 い場 合 が当 然 生 じ てく る そ の場 合 、 自 治体 な ど は 高 額療 養費 を貸 し付 、 け た り 病 院 の窓 口 で支 払 わ な いで 給 付 を 直 接 病 院 に対 し て行 う 委 任 払 。 い制 度 を も って いる これ ら は 住 ん 、 で いる市 町 村 に よ って異 な る の で ま ず 病 院 の窓 回 で問 い合 わ せ を し て 。 ほし い ◇ 緊急 通報 シ ステム機 器 の貸 与 ⋮通 。 話料金 は本 人負 担 増 が 見 込 ま れ る社 会 保 障 関 係 費 を 三 、 千 億 円 削 減 す ると いう のだ か ら ﹁医 ◇ 寝 具 乾 燥 消 毒 サ ービ ス⋮敷 布 団 ・ 。 掛布 団 ・ 毛布 を年 二回ま で無料 療 改 悪 を 許 す な ﹂ の声 を 大 き く す る 乳酸菌飲料の宅 ◇ そ の他 ⋮愛 の訪 問 ︵ 、 配︶誕生 プ レゼ ント 配食 サ ービ ス 。 川井弘次︶ 全 食当たり四百円︶な ど ︵ 運 動 を し な け れ ば 命 も 健康 も 守 れ な 。 い現 在 であ る ︵ 山本文子︶ 元 気 を も ら った ″ 善 さ せ て いく実 践 の積 み重 ね が大事 、 で 中央 交 渉 を より力 強 く し て いく と強 調 さ れま した。 関 に対 し て疑 問 や要望 を つき つけ改 医療 ・保 健 ・介 講 座 篠 崎次 男氏 の ﹁ 護 ・年 全 を めぐ る情 勢 と運動 課 題﹂ 。 に出席 しま した 各自 治体 や介 護 機 5回 日 第1 本高齢者大会 、 ︲ 6 2世 紀 初 のこ の大会 は 9月 1日 7日 に大阪 で開かれま した。 ︱︲ 高齢者 を苦 し める諸改悪十一 医療 福祉 介護 、 年 金 反 対 の大 合 唱 を つく り あ げ る 。 が 大 会 の メイ ンとアー マで し た 一 、 、 日目 の全 体 会 には 六 〇 四三名 一 日 目 の分科会 を含 め ると九 千人余 の老 。 いも若 き も の人 びと が結 集 しま した 全体 会 は相 撲 の大 阪 場 所 が開 か れ 、 る大 阪 府 立体 育館 大 入 りを し のぎ 四方 満席 で ステージを後 か ら見 る人 。 たち も いま した 記念講 演 は ﹁ 元気 。 湧 き お こ るも の でし た 6 次 の 1 回 大 会 は東 京 で開 か れ ま 、 。 近 いです か ら み な さ ん ご 一緒 。 に参 加 し ま し ょう ︵ 木村︶ す 全 国自 治 体 退職 者会 連絡 会 第 四 回総 会 自 治 労 連 第 二三回定期 大会 が 人月 、 二七 日 ︱二九 日 にわた って 九州 北 、 市 小 倉 北 区 の ホ テ ル で開 催 ﹁ 暮ら しと地域 を破 壊 す る小泉改 革 スト ッ 、 プ﹂ の大 会 ス ローガ ンのも と 全 国 。 か ら約 一千名 集 ま りま した 、 全 国自 治 体 退 職者会 は そ の事 前 、 会 議 の 一環 と し て 九 都府 県 か ら 五 。 記念 講 演 一名 の参 加 で開催 されま した ﹁ 社 会 保 障 と自 治体 リ スト ラ﹂ 自 治労 連 中央 執 講 師 士口田 仁 氏 ︵ 。 事 務 局 長 が 連 絡 会 の事 務 局 次 長 に再 、 今 年 度 の活 動 に 任 さ れま し た ので つい て会 員 の皆 さ ん のご協 力 を お 願 。 いしま す ︵ 明回︶ ・爽 やかな 秋晴 れ 、洗 濯を終 え ゆ っ 、 たり した気 分 に浸 り た い が世 上 は 、 。 騒然 気 分 は吹 飛 ん でしまう ・同時 多 発 テ ロ、犠 牲者 に哀 悼 ⋮ ⋮ テ ロと報 復 の連 鎖 は戦争 への道 だ 。 、 戦争 はもう ご め ん 平和 への道 を 〃 ●日本 でも 狂 牛病 、厚 生労 働省 の対 。 応 は エイズ の二 の舞 のよう た ん に 、 牛肉 を食 べる のを止 め る のでな く 、 食 品 の安 全 性 を考 え 安 心 でき る食 、 。 材 で 安 心 し て食 事 を した い ・自 治 労 が 団 体 生 命 保 険 の バ ック 。 マージ ンを横 領 か 労 働組合 ま でも 腐敗 の構 造 に汚英 した こと は許 せ な 。 を。 い 自 な こと に 治 で い 労 連 注 意 、 、 ・ ろ ろ る い い あ の が 食 欲 秋 食べ 、 木村︶ 健康 第 一にイ ︵ 過 ぎ にご用心 横浜市 中区山下町5 7 1 神奈川県職労内 T E L 0 4 5 2 1 2 3 1 7 9表) (代 行委 員 ︶ があ りま した 総会 こ の 一年 間 の活動 決 算報 告 、 等 がな さ れ 二〇〇 一年 度 の活 動 方 、 針案 ﹁ 憲法 を守 り 退職 者 高 齢 者 が健康 ・平 和 で豊 か な生活 が でき る 社 会 保 障制 度 の確立 を 目的 とす る﹂ 、 、 を基本 的 に 運動 の進 め方 当 面 の 、 、 要求 具体 的 なと りく み 予算 等 が 。 提案 さ れ全 会 一致 で採 決 されま し た 役 員 の選出 では殆 ど の方 が再 任 さ 。 れま し た 私達 こだま会 か ら は加 藤 〒2 3 1 - 0 0 2 3 7日 は 会 ﹁ 移 分 科 京 都 史 跡 めぐ ・ 動 。 りと山宜﹂に参加 、 宇治 に行きま した 、 当初 平和 ミ ュージ アムに行 くと いう 、 ので選 んだ のでしたが 月曜休館 これ c が史跡 めぐり に変更 山宜 こと山 本宜 、 山 宜﹄映 画 の 治 は 小 説 の西 口克 巳 ﹃ 山本 薩夫 ﹃ 武器 なき斗 い﹄で知 って い 。 る方 も多 いと思 います 生物 学 者 性 、 教育 のパイオ ニアであ ると同時 に 国 会 議 員 と し て平 和と 民主 主義 のた め に民衆 と とも に斗 いテ ロに倒 れた方 。 です 生家 ﹁ 花 やしき﹂やお墓 を訪 れ 、 。 て 〓心の高 さ に改 め て打 た れま した 上蔵 が記念 の資料 館 と し て公 開 さ 、 れ て いま した が 戦時 中 隠 され て保 布 さ れ たも のでも っと 保存 に適 し た 。 記念 館 にし た いなと思 いま した 今 度 の大 会 は大 阪 ら し さ に溢 れ て 、 、 元気 と笑 いを貰 って 勇 気 が おり No.54 な お芝 居 突 いのお芝 居 ﹂ 狂言 役者 。 の茂 山 千之 丞 さ ん でし た 狂言 の元 気 と笑 いに満 ちた独自 性 に つ いて語 ら れま した。桂文 福 一座 の大 阪落 語 、 。 など 会 場 を実 いに包 みま した 0ヶ ﹁ 輝 き のある高齢社会 を めざ す 1 年 行動 指 針≡ 医療 制度 と高 齢者 医療 の大 改 悪 に反対 す る決 議 ﹂ が提 案 さ 、 。 れ て そ れ ぞれ承 認 決 議 さ れま し た いず れも長寿 革命︱高 齢者 の権 利 と 、 尊 厳 を守 り輝 き のあ る生活 を求 め 。 そ し て実 践 に踏 み出 す も のです 7 2 の分科会 四 コー スの学 習講 座 が 、 6 設 け ら れ て いて 私 は 1日夜 の学 習 編集 発 行 県職労退職者 こだ ま会 発行 人 鈴 木志 げ子 発行 日 20011015 (8) 第 54 号 │1県 神奈ナ 職労 退職者 こだま会報 2001年 (平成 13年)10月 15日