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ニーチェとオーヴェルベックとの往復書簡 (1871

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ニーチェとオーヴェルベックとの往復書簡 (1871
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ニーチェとオーヴェルベックとの往復書簡 (1871-1879)
古内, 武
北海道大学人文科学論集, 9: 73-188
1972-12-08
DOI
Doc URL
http://hdl.handle.net/2115/34300
Right
Type
bulletin
Additional
Information
File
Information
9_P73-188.pdf
Instructions for use
Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP
ニーチェとオ1ヴェ ルペックとの往復書簡
官j
ハ一八七一 i
八七九)
78チェ緩衝に関しては、歴史的滋判的
内
紛らかにされた部分は訳文をゴシずグ体にした。
m
側、訳者注は番号令おって、各議楠阿の後に震いた。人点切に関しては、索引に載っていないものについてのみ考慮した。
三、編者による締法及び後注は︽ :::MV内に入れて本文のやに挿入した。窮者が指示している頁は無論阿部品畿の資であ
L た。
v
ことなしに、 ブ 予 1 ド リ ヒ ・ ニ 1 チ誌のブ一フ γ ツ
印を付した記述は訳者の補足モある。、二人の邸内底的時代には文通が少ないから、若干詳し、
AV
している一同派は、それぞれの
二
J
・
4jyo
eオ
1
絞ニ Iチェゑ条第三巻などか]参照しながら訂正を加えたむ
一一、料開別している伏字のうちの議菜、と思われるものは訳者注において示した。特にボ iダッハ務?⋮ iチ広の / iト融商問凡いによって
ニlチェ全集の繋輪開儲制緩⋮一一及び第四巻にぶつて時打‘辻し、その後の分についてもオlヴェルベゲク祭ハパーゼル大学刊﹀やハンゼル
⋮、原幾三九一六年、インゼにはミスプリントが可成ちある。の一
九
六、下欄の数字は原畳一国の貰数含一かす。
玄
、
お互い
ヴールベヅグと
7
3
設内
ニーチ況とオーヴ£ノレベヲタとの往復警察鰐
人文科学論集
ニlチェ書簡のテキストはパ 1ゼル図書館蔵の原物に基づいている。 オ lヴェルベ
らず、 ワイマルのニlチェ文庫から用立てられた。
この書簡集はそれ等の書簡を一緒にして年代順に配列したものである o
ボンとバlゼルにて
Vグ書簡は一部分しか残ってお
カルル・アルブレヒト・ベルヌリ
博士リヒャルト・ュ I ラ l
一九一四年一 O月一五日
ニ1チェ書簡に対しては最初の署名者が、 オ lヴェルベ γグ書簡に対しては第二の署名者が責任者である。
ニlチェより
︹ルガ lノ、パルク・ホテル、 一八七一年三月︺
後日なら或いは/そしたら一緒に春の最初の草花を探しに出掛けて、貴兄がこの休みに行かれるであろうドレ I スデ
ーただし今日は何とも、 いけません、北ドイツ的なひどい雨気と毛皮の様なこの厚い霧ですから/しかし明日か明
生と一緒に散歩したり、その他色々と。そのお礼に貴兄をこの青い湖の畔にひょいと移してあげたいと思いますよ
のため貴兄に余り愉快でなかったことは確かだと思われるからです。それなのに貴兄はあの時に小生を我慢して、小
正月をふり返って見ると、小生は絶えず全神経がはち切れるほどに緊張した夢の様な状態で歩き回っていた様で、そ
1i言葉の凡ゆる意味において。確かにぎりぎりの瀬戸際でした。何故なら今バ 1ゼルの
何とか切り抜けてきまし日)
れこれを思い出したかということだけはせめて信じて下さい。貴兄のおかげ、貴兄の毛皮えりまきのおかげで今回は
大いに呆れているのです/小生がどんなに誠実に貴兄のことを考え、そしてどんなに感謝して貴兄の親切な看護のあ
わが親友なる同僚よ、小生の余りの筆不精に呆れませんか?貴兄にこんなに長いこと御無沙汰するなんて/小生は
、
7
4
ンでと全︿日間様の
な蛇やとか
でここで
会晃付ける
支せんよ。湖畔
い場所が見付かったら、そこで
いますがね。 大いに
の恐れもな設にしも非
認をやらかしたのです
持れにせよ北
かも知れま役ん、北スイス
ここへくるとブ持イセ γ的になり
した、そして
のブロイセ γ将
なってルガ:ノの
ころかここにはやターラを弾くこ
るかも知れ変役ん。それで
﹂れは先ず小生の
ーで
った親哲
ませんね c
のです、
たる変化はマ γトに包
それは嬉しくない報離であるか
そうと患い
2
る
は、そこ
立役んでした。
一切が
や
ドイツ的ではない気象状態を持っていますから
なる流血
ゃしないかよ心配する必要
識畔を散歩し休日
に対する小生
に凍えなが
に交惑神経と淋巴管の組織にお
につ泊りて小生は依然たる小生で
しか示してお
O
のですけれど、ドイツの藷都市が持っておりドレースデンは何
ちがいます、さらにここには
は別のやり方で
1 ゼル
ぜねばなり
にパ
ていて昨仲良から四人に増えたことも
ています、これ
然部気なドイツ
すか
になったことをほん
の毛皮えっ
て分らなくなってしまっています。
このマント
議しつつ
し
、
し
の報酬としてドレースデンからここへ
れにせよ持ってい
良さ
校
カ
ミ
な
仲間、男議、
75
古内
ニーチ"'~こオーヴェノレベッタとの往復書簡
人文科学論集
(1 ﹀ (
バ lゼルを)離れてきた、という意味にも取れる。
ド レ lスデンの南部地区、オ lヴェルベツクの帰省地を指しているのであろう。
(2)
フ リ ー ド リ ヒ ・ ニ 1 チェ
AV
オ1ヴェルベックは一八七O年四月にパ lゼル大学助教授として赴任し、或る同僚が手配してくれていたシュッツェ γグラ lベン四
五号(現在は四七号。当時の家主はフォ iグ ラ l夫人。一八七三年頃にパウマン夫妻が家主になった。友人間では、ハ lルツ山地の名
所に因んで﹁パウマンの洞穴﹂と呼ばれた)に入った。上の部屋には既にニ lチェが入っていた。ニ lチェは八月に看護人として独仏
戦争に参加、九月に赤痢と咽喉ジフテリアにかかり、ナウムブルグで療養してから一 O月末にパ lゼルに帰った。その後に二人の親交
が始まり、冬の初め以来は夕食を一緒にオ iヴェルベックの部屋で取る習慣が出来た。七一年一月にニ lチェの健康悪化。二月中旬か
まだお互いに敬語を用いている。
ら冬学期の終りまで休暇を取り、妹を呼び寄せて共にルガ lノへ発ち四月初めまで滞在した。この手紙はその時のものであり、二人は
二、ォlヴェルベックより
ドレ l スデン、七一年四月一七日
一週間も経てば貴兄とまた会う喜びが持てるのですし、手紙書きとしての小生
親しいニ 1 チ ェ よ 、 手 紙 の 返 事 を 書 か な い の が 小 生 の 原 則 な の だ と 決 め 込 ま れ る こ と だ け は 有 難 く あ り ま せ ん o そ
れで今日は手紙を書くことにします。
の名誉を救うにはこの手紙はどうせ遅過、ぎるのですがね o け れ ど 小 生 が 貴 兄 の 長 い 沈 黙 に 復 讐 す る 気 だ っ た の だ な ん
て思わないで下さい、何故小生がここでこんなに不精になっちゃったのか自分でも分らないのです、貴兄がいなくな
って毎日淋しかったバ 1 ゼ ル で 既 に 小 生 自 身 を 貴 兄 に 思 い 出 さ せ る こ と を 何 故 し な か っ た の か と な る と 益 々 分 り ま せ
ん 。 実 際 貴 兄 の 手 紙 を 待 ち 焦 れ て い た の で し た 、 そ し て そ の 手 紙 は 小 生 の 出 発 し た そ の 日 に バ 1ゼ ル に 着 い た の で す
が、小生は回り道をしてからここへ来たものですから、貴兄が考えたであろうよりも一週間以上遅れて小生の手に入
っ た の で す 。 貴 兄 の 印 象 深 い 写 真 に は 大 感 謝 で す 、 こ の 写 真 の 貴 兄 は 、 何 時 か 貴 兄 か ら 見 せ ら れ た デ ュ lラ lの勇ま
7
6
ι -'
1
- と会ーグェルベ y クとの往復番街
しい騎士を患い
の状態の反映なのだ
それ
のことで済
見据えてい
ではあり
て寒さと凍
﹂V 4 J
f、
L
"
、
、
です。貴兄がドイツか
の気分をも不快な舎
い掲の畔にいる
だとも言えまそん。
ます。貴兄の交路神経と淋巴管の綴騒が直接に撮られていないことは確かで
る不敵な命令的なまなざし
って不調です。こ
の悶月は不議機一の特製見本と一言うべきもので、 それが今はこの
い動物たちとの
はこの地方の良さを再評録する
ごいでの小生の状態は、 ルガ i ノでの貴兄
々の地方を見てき
わノ、小生
ませんし、蛇やと
えには
らしめ
て、今は恐らく、釧のツュ 1リヒ
していることで
の時
そこでもう直き
﹂こに来ていたのでして、
るものと考えてい察した。貴兄の
ては、最近ライブツィヒで小生が成功したらしい度合よ
た新聞同僚はもうバ!ゼルに
設の身の危険に
之主よいご勺ノベーゼ iv
t
t:lJEJ
てることにし
います。妹さんにどうか呉々もよろしく。
々のお城へ
しよう。設は全く獅子の穴へ諮み込む様な気持だったのぞすからね。
フォ iグラl夫人は意外にも、貴兄が
つつ
ブラシツ・オ 1ヴェルベッグ
I チ 誌 の ラ イ ブ ツ ィ ヒ 時 代 の 友 人 ユ ル ヴ ィ l ン ・ 開 1ダ を お し て い る 。 七 ⋮ 年 一 月 初 め に ニ ー チ 誌 は タ イ ヒ ミ ュ ラ ; げ 印 公 っ た
って
っかり回捜しておいでなら良い
とを開いてきたのでした。それでこの
期について降じことか﹂クレメンス・ブ戸ツグハウスが小生
﹀一一
77
ウムブルグでその
ハ
Z
m 耕凶掛十数授時仰を得ょうとして際議中﹂おし、出口分の寸︿叫航繁繁盛の後任としてはキ i ル 大 学 の 私 議 郎 口 iJ7
後 り
な捻薦していた。しかし務
ナ
人文科学論集
イヱス伝(一八三五年刊)を著して物議をかもした自由主義的神学者ダ lヴィト・シュトラウスが一八三九年に、既に任命されて
学教授席はニ lチエの旅行中にル lドルフ・オイケソに与えられた。
いたツュ lリヒ大学の教授席を、スイス保守層の猛反対のために断念せざるを得なくなった事件。
(2)
独仏戦争中にメ lゼルを動かなかったオ lヴェルベヂクに対してイェ lナやライプツィヒの友人から非難の声があがっていたか
ら、ォ lヴェルベツクはドレ l ステンへ帰省する時には若干の懸念を抱いていた筈である。ライプツィヒの友人エ!ミル・ド l ム
(3)
lチェの論文﹁音楽と
ヶ、ザ l ロモン・ヒルツェル、ゲオルク・ェ iベルス等に対するオ lヴェルベツタの説明がうまく行ったことを指しているものと思
われる。
AV
この手紙の少し後(六月一一一一一日)にオ 1ヴェルベックは、一二歳年長の友人トライチケの﹁プロイセン年鑑﹂にニ
︹一八七二年春︺
もあります。要するに小生は彼を好きになり驚嘆する様になったのです﹂(ベルヌリ著﹁オ 1ヴェルベックとニ I チエ﹂第一巻八三頁)。
悲劇﹂を推薦した手紙の中にこう書いた、﹁彼は総じて全く非凡な才能の人間であることは確かであり、愛すべき人間でもあるし聡明で
ヘラクレスノ・
全2
どうか、来た手紙もここ宛に送って下さい。
ないのを嘆き合いましたよ/
我々両名︽パ 1ゼルのインメルマン教授とニ lチ ェ ︾ は 貴 兄 の お 元 気 を 心 か ら 願 っ て い ま す 、 今 ま で 何 回 も 貴 兄 が 一 緒 で
いるこの同じ旅館で暮す積りならです。
さ(川o 彼 が バ l ゼ ル に 着 い た ら 直 ぐ 小 生 に 電 報 を 打 つ 様 に 言 っ て 下 さ い 、 若 し 彼 が 、 今 ま で 約 六 十 人 も 詰 め こ ま れ て
生 た ち が い る の は ケ テ ラ l館 で は な く て 、 ヴ ェ ル ネ l付 近 の ロ リ ウ ス 館 で す 、 友 人 ピ シ ダ l に こ こ を 教 え て や っ て 下
(3)
く快調に今までは万事が進んできましたよ、今日の天気が実に不機嫌になったという事実を除けばです。ところで小
おお、
ニl チ ェ よ り
、
一
5
7
8
7-おと*ーグヱノv
ベ γ クとの往復書簡 予
告
内
貴兄に大い
N
H(
おお、め
ったが、
F-N
J
の
った)。ど γダ 1
一!チ芯の近くに住む様になって
iチェ常渇
盤商き替えで
とに分けられているのであるが、何故こんな然淡な分け方が
て い る 友 に し て 、 神 一 一 在 vテ ノ 叫 尽 き も 克 弟 な る
(1﹀ヘザタレスにかけて、滋つての蕊。
m
wと 口
ハ全一く﹀ぶ C
MMN
γ
ーチーを訪開削する設な湖特伎でよこした手紙会、 オ!日ヲェルベッグが
λ﹂丸一年刊一一頁点検問問。
されたかについては務総終の一編者たちも然釈に習しんだのであ号、後になってから C 同氏
ハ
2﹀次の手紙の原注で談閥的文句れている様甘いの知
ジュネ iグ湖伴、モントル iめか務方の町。
あると分ったそうである。ベルヌリ務 ?74チヱとスイ
(3)
にい総巡してあった。
︿
4﹀ ピ ン ダ iがジュネ lヴ湖への途次にバ lゼんの
AV
一一;チェは七一に調子が悪くなってインメルマ
ナデマ忍ばせた。 ι14
ナ
id
の中で呼びかけておいでの、そして
誌の前半部に
ルベッタが誤解したもの。 。ω は C 足立SF に続いている単語。ω
iゼル、七二年間出向乃
ハ
マ
まだ知らないけれども多分良い
お互いに線総ざ俊樹明し、復活祭休みには一織にジュネ Iグ湖鮮へ保養に行った︿インメルマン
は、グル iタが?Iチ ェ て ニ
だった。
館、ォ 1ヴ ェ ル ベ ッ グ よ り
貴兄が
る 全 の 持 ︽ 前 の ニ iチェの手紙をオーヴ
のは、この
﹀
これはもう不要ぬいものでしょうが、
十く
るだけ H
る方が笠しいでしょ
の電報をどう扱ってよいのか分らなかったために小生が昨日、金権を委任されて
︿
1
CE
認がその行に入りきらなかったのである︾も還っているところの異教の神々やその他の神々の名において小生が
黄克にお許し
もいないのに開封したことモ
7
:
ヲ
の
人文科学論集
ぅ。こちらは貴兄が去って以来全く北国的になってしまいました。インメルマンによろしく、この人の美しい魂が封
ニl チ ェ の 封 筒 を 指 し て い る 。
お二人の
オlヴェルベ
Vク
筒 の 大 き さ の 点 で 貴 兄 の 魂 と 競 い 合 っ て い る の を 見 て 嬉 し く 思 い ま す o しかし貴兄の四角なサテュロスの眼の方が大
きい o どうかお二人ともお元気で
(2)
(1 ﹀ 次 の 手 紙 で 分 る 様 に 、 ワ lグナーからのものである。
五、ォlヴェルベヅグより
ハlゼル、一八七二年四月一一二日
親しいわがニ Iチェよ、 また電報です、どうせ内容は見当がついたのですが、開封するに如かずと思ってそうしま
した。この前のを同封して送ったことを貴兄は変に思ったでしょうね。後になって、小生の手紙がもう小生の手を離
れてしまって、 土曜の午後のいつものお茶の時間の豊かな膜想に耽っていた時になってから、電報を打った方が良か
ったのだということに気付きましたよ。小生は、貴兄が何とか日曜より前に返事をお出しになれるだろうと思ってい
ました o今日の電報で見ると、貴兄はそうされなかったのですね。今日小生が直ぐ折り返してトリlプシェ γに貴兄
の今の滞在地を電報で報せておきました o
昨日ピ γダーがここへ来ましたから、必要な一切をお知らせしました。 ハイツのところへ小生はゲルラヅハ及びオ
イケシと一緒に食事に招かれました。ショ 1 ベンハウア 1 について二時間討論し、小生はショ I γ ハウアーを少々
へ
。
熱っぽく弁護したのですが、 ゲルラヅハの言によれば﹁騎士的﹂だったそうです、そして確かに小生は、針と棒しか
用意していない相手を前にして何回か華麗な分列行進をやらかしたのです o何とも愉快な喜劇でした。
インメルマシによろしく。貴兄たちの眼界が小生たちの限界よりも、沢山の雲におおわれているのでなければ幸いで
8
0
ニーチ z とオーグェルベックとの往復書簡 古内
す。こちらは雲しか見えず、寒くてたまりません。
ォ lヴ ェ ル ベ ッ グ
お二人の
昨日キ l ルからの手紙を転送しました、 グラ Iザーが日躍で休みでしたから切手を貼らずに。
お二人とも好調に過ごして、そして健康で元気で帰ってきて下さい。
(1) 切手を売る応の名であろう。
Aト
V リ lプ
シェ γから二回電報を受けたニ lチェは四月二五日から二七日まで最後の(二十三回目の)トリ lプシェン訪問を行なった。
ワiグナ lは既にパイロイトへ発った後であった。ニ lチェはコ lズィマの荷作りの手伝いをしたりした。
六、ォ lヴェルベ vクより
ドレ lスデ γ、七三年一二月二一百
親しいわがニ l チ ェ ょ 、 原 稿 は フ リ vチ に 届 い て い る 、 且 つ 彼 は 早 速 に も 印 刷 に か か ら せ る 積 り の 様 に 見 受 け ら れ
る、何れにせよそのことは強く念を押しておいた。僕が会った時の彼は不調気味ではあったけれど、 如 何 な る 点 で
ワイマルの詩人カルル・グロ l ス が 見 事 に 歌 っ て い る 如 き ﹁ 近 き 終 り を 思 わ せ る ﹂ 様 な も の で は な か っ た 、 商 売
人としてもだ。滞っている謝礼については、全くのずぼらに過ぎないという印象を受けた。彼の率直さは、少なくと
(1)
も話し合いの聞は終始申し分のないものだった、全く率直に彼はロザ!リエのことも話し始めたし、遺書事件のこと
もだった。彼がこの女性と如何なる関係をも持とうとしていないことは明らかだ。ただ彼の商売のやり方にもっとエ
ネルギ Iと 実 際 的 常 識 が あ れ ば と は 思 う o彼 は し っ か り や ろ う と い う 気 が な い わ け で は な い 、 と に か く 彼 の 立 場 は 君
が色々と心配せねばならぬ様なものでは決してない様だ。誕百)は新版が出される、反時代的第一作の状況に関して
は彼はまだはっきりしたことを何も言おうとしなかった、僕のクリスト教(出に関しても同様。残念ながら僕は僕の
8
1
も
人文科学論集
訪問の一番長い時聞をチェロ奏者グリュッツマッハ l
︽ワイマルの宮廷チェロ奏者レオボルト・ Gではなく、この人に教えた
ドレトス J7ンのコンサートマスターで宮廷名手のフリードリヒ・ Gであったろう。 彼は数多く作曲した、そしてフリッチは先ず第
(2)
(1)
現代の我々の神学のクリスト教性について。
悲劇の誕生。
ロ
ザ lりェ・ニ lルゼ γ関係の事件に関してはベルヌリ書第一巻一一五頁を参照のこと。
君がこの休み中に徹底的に回復することを心から願いつつ
(3)
オ lヴ ェ ル ベ ヅ グ
ニlチェがやっていた仕事を指しているのであるが、詳細は不明。フリッチの音楽週報(バイロイトの機関誌﹀の編集を助ける仕
まで﹁先生﹂であった。ォ lヴェルベック以後にニ 1チェと﹁君、僕﹂の関係に入った者としては、一八八五年に旧交を復活したザイト
ロlムγトは七四年一一一月からバウマン洞穴の同宿者となった c 序でながら、オ lヴヱルベックよりも少し遅れてニ Iチェの友人となっ
たパウル・レーはニ lチェと実に親しくなったけれども﹁君、僕﹂の関係にはならなかった。ベータ l ・ガストに対してニ lチェは最後
とオ lヴェルベックも﹁君、僕﹂の付き合いになったことは勿論である(七三年七月二一日のオ lヴェルベツク宛ロ iムント書簡参照)。
のライプツィヒ時代の友人ロ l ムントが七二年六月にパ lゼル大学哲学私講師としてやってきたことであったと思われる。ロームント
エ
。二人はいわゆる﹁君、僕﹂の間柄になっている。七歳という年齢差を考えるとこれは並ならぬことである。そのきっかけは、ニ lチ
事の類であろう。
(4)
君の
たのだと思うが、何れにせよそれを大してうまく調理しはしなかった。君と御一家皆様とに良きクリスマスを、特に
であって、 フォ γ ・プリ γグ ス ハ イ ム の 弟 分 の 様 な も の で あ り 、 恐 ら く タ ッ ベ ル ト に よ っ て こ の 焼 肉 に 注 目 さ せ ら れ
替 し た の が ゴ vト ヘ ル フ ・ ヒ ュ lブ ラ ー だ と い う こ と は お 報 せ し て お こ う o こ の 人 は つ ま り ワ lグナ l の 最 近 の 友 人
その他ライブツィヒでは気の利いた話は何にも聞かなかった、第一そこでは殆んど誰にも会わなかったのだ。君と交
ろうと思う。バイロイトのための最近の激とそれに関連した方策全体からは実際何にも期待出来ない様に思われる o
一に音楽関係の出版者であった︾と話し合うことに費さねばならなかった。ーーーキ l ツ 作 の 胸 像 は 君 を 大 い に 喜 ば せ る だ
兄
8
8
2
リ γツが挙げられる。
ニlチェより
γチのところへ行った。
︹ナウムブルク、一八七三年一二月コ二日︺
円ノヅ 9
一気にパ
土曜には最初の校正刷︽第二反時代的考察の︾を受け取ることになるだろう
のことだ。最近彼は僕に、今後は鉄板に印刷させる様にと薦めたりしている。
昨日フリ
を期す/そして、希望を持つ者たちの集いよ万歳/
お便りどうも有難う o
歴史的批判的ニlチェ全集、書簡編第四巻後書三七二頁によれば、グスタフ・ピンダーは﹁現代﹂誌において﹁ニlチェ氏﹂と題
君のフリードリヒ・ニlチェ
ーゼルへ出来るだけ早く帰りたい。家族から呉々もよろしくとのこと。では古き良き仲間オlヴェルベッグよ、再会
チュル家での体艇は口で話す﹂とにする o身体の工合が悪くて僕は寝て暮した、バイロイトへは行けない、
o
だ(彼は、 ひとの話では、四号目でやっと終えたとのことで、その論文は僕の小冊子︽悲劇の誕生︾位の長さがあると
実際、 僕はもうユダヤ的日聖書的、 詩篇的な言い方をしているね。 グスタフ・ピ γダーが聞いていないのが幸い
のことさ、外部に対しては忌わしい殺裁的猛獣、唱略する虎、 そして同様な砂漠の王者たちの仲間だ。
ふくろう共さ、バlゼルの﹁ふくろう小屋﹂のね、 だが本当に平和な感心なふくろうだ。これはお互い同志に対して
ねえ、僕たちはお互いに何時までも善良で誠実であり続けよう o僕たちは願望の、戦いの、壁の隣人同志、奇妙な
と思うからさ。
多くて全く首が回らないまま新年に入るのでせめて大晦日のうちに僕の古い負債をはっきり認めておかねばならない
親愛誠実な友ょ、君の新年の第一日に対して旧年の言葉をちょっとだけ。何故なら僕は君に感謝の負慣が余りにも
七
(1)
83
古内
ニーチェと示ーヴェえベ γ クとの往復書簡
人文科学論集
リッチュル夫妻が-一 l チェに食つでかかったのであって、この体験については、ニ│チェが矢張り一一一月三一日に出したロ lデ宛
して﹁第一反時代的﹂を鋭く批判したとのことであるから、小冊子は﹁第一反時代的﹂を指すものと考えるべきであろう。
書簡を参照のこと。
(2)
八、ォ lヴェルベ γクより
ドレ lスデン、七四年七月一一六日
親 し い 友 等 ょ 、 僕 は 最 近 全 く の 曇 り 空 の 日 に バ Iゼルを離れたのだが、 シュマイツナ I関 係 の 色 々 な 苦 し い 考 え に
耽りながらであり、その中には全く突然浮んできた﹁ロザ I リエの復讐こについての考えもあった。結局僕は、この幽
しかし思想の地平線は、 殆 ん ど 激 戦 の 様 相 で 経 過 し た 会 話 を 友 人 マ イ ヤ l
霊 も そ の 他 の 幽 霊 共 も 遠 ざ け て し ま う の が 一 番 い い の だ と 思 っ た 、 そ し て 素 晴 し い 天 気 の テ ュ 1 ビ γゲンに着いた。
空は僕が出発するまで青空続きだった、
と交しているうちに忽ちまた曇ってしまった。 つ い に は 、 大 学 の 旧 友 で ベ ル リ γから来た市会議員ウェ Iバ ー も 僕 た
ち の 話 に 加 わ っ た 、 追 従 者 の 典 型 と い う べ き エ ギ lデ ィ と す っ か り 結 托 し て だ 、 彼 は 彼 な り に 大 い に 有 能 で 親 切 な 男
マイヤーが自発的に直ぐ反時代的考察の二書を書面に買いに行かせ、 そ し て 両 方 と も 庖 に あ っ た こ と だ 。 こ
なのだが、君たちも見当がつくであろう様に、僕にとっては何の助けにもならなかった。これだけは僕の成果と言え
るのは、
﹁おっしゃることは尤もだが、 事 態 は ま だ ま だ そ ん な に 悪 化 し て は
この或る書庖で僕の母が知らされたところから判断すれば、 こ の 二 書 の 売 れ 行 き は 決 し て 悪 く な か っ た 筈 だ 。 敵 共 の 刊
確信は大きい、そして言うことは何時も同じで、
いないよ﹂というのだ。ウェ lバ l の到着を待ってテュ l ピ γゲ ン に 予 定 よ り 二 日 長 く 留 ま っ た の で 、 僕 は 昨 日 ゃ っ
とここに着いた。僕が得てきた丸で慰さめにならない印象はこういうことだ、 つまり、長年の友人たちからさえ奇妙
なことばかり聞かされねばならぬ身であるとすれば他の人々の限にはどんな風に映っているやら/僕がまださして話
を し て い な い う ち に も う 、 丸 で ゾ γネマ γだ
、 ブラシグフルト新聞だ/と言われた。こんなことやその他のことにも
8
4
僕は扶活に
にも会った、
したものの必ずしも了重にでは
ら写真入りの
の様な人は、ど
に入れる
ていて、
している著作に対して﹂関心を寄性ているとい﹀つ
は気になる、郎ち、この
ーないoiiiシ品
の秋休みの
かの近代的な女神によって家
してはくれなかった
った。テュ l ピγ ゲ γではリ 1パ i マイスタ iと (iif ﹀
サロ γ婦人の
の書斎の合い人形、ミロの、ヴィーナスは、美人の
様だ。彼が結婚した奇妙な小携な女性、
たものとしか思われない。 1111こ こ に 着 い た ら p l
﹀
のだが、次の
い報せを要求しているが、僕はニ 14J 誌 に つ い て は 残 念 な が ら 今 被 に 報 せ て
(!ii
マイツナーの手紙は実に愛想が良くて全くきちんとし
に﹁わが国の現代の社会的
って晃よ
ら見て、被災
時間かかっ
に気持よく受け入れてくれた。だか、とも角も帰路
ζ
このこ、と
-ESE
・チ
ルベ
が要求した
Vグ
の飽のことについて
ヴ
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ちの誠実な友な
7
:
による)﹃死殺という大作の楽的役送ってくれた、後げか一織品附したもの
いている、﹁ブックス撒問中んがまた手紙をくれた、十六放の突にいい手紙酬
ら元気を祈る、
ったと報されて
について oA7はパーゼルに動物麗が出来ていることもあって、
のかも知れない。バイロイトへの旅
ウマ γ夫人に、その包みを一一
に感激的刻怨念強いて
っく O I l lブックスの一一通の手続な昨晩
がら彼捻反持托約考察のことは判、も滞べていない。しかし被の手紙全体の
直 接 会 い た い と い う 申L告を載は
うと患っている。
ÚJ~
の
所
ん
これによって見ればこの愚かなふく
とにする、そし
がそれを問題なく引き受けるだろうという凡その
い方のは君たちがもう読んだもの
P
iンから七月一一二日に妹宛に
恥り
(1)
の之か
、
かすると援はそれなバイ口イトへ
いる。死者の舞踏はバ l ゼ ル に 留 め て お く
ー
に
を送った。
ベルギュ i y
L、
く
れ
な
に援す様にとの
行につい
君
ユi チ ス は ベ ル ギ ュ
難十帰
ズ
二
せてくれ結え、望むらく捻哲学者の鉄鎚の
︿
1)
の
の
終
だ、そし亡G-p; メ ン シ 品 ナ イ ダ ! " 作 の ハ ゲ iJア
85
才一ヴェルベックとの往復書簡 下
宮
内
チ
人文科学論集
で 回 比す
W なものだし。次の手紙・そも参照のこと。
lチェより
に今や出離の
て差々
ろうと
から雨の
たちが恵
って行くということについての
回帰毘は灰色の
る積りだ、
についての、
て両方と
ロームシトの鼻も深く垂れ下が
までにした。
て文
てみようと
でおり、それな
被女は僕に
ながら。神
の手軽
の気構らし
緒にこれを楽しむことが出来るね。これは僕
からね。
霞難な事摘についての部分だ
いこと楽しいこと
その上に、
︹アルブラ河鮮のベル訴さユ 1ン、一八七四年八月︺
ハ
2﹀ブックスの十六枚から市民る手紙14ナそが蓄き添えてオーダェルベツタに送ったす︿,ゅの言葉。
一
一
の友にして
も我々の
可分。
それ
に心から感謝している繋の手紙円以外に。
そして一反時代的安入手出来るこ
て印刷縦頁にして八
こに終りまで
リエ iりとシ品タザヘルベルク
にいる部分はある、真中のちょっとした意なのだ、
った、
している。第一一にブリvチが手紙軌をよこし、反時代的の
先ずシーマイツナーが実に
ていだとさ
匂なしに
のだノ
のイタ予アの
々重くな
にバイ戸イトへ
伺しろ生は重たい
は続いて
は今度の
/言いにくい
をぐれた。
を与え給え
蕊に、 リi メンシデナイダーの告は僕がここへ持ってきている。
占
ど
こ
て
九
為
カ
)2
"
8
6
難解な点はあるし、実践の
にとっては支たしても、撲が複雑様変る臨をも患い
との証明になっ
ちは一流ホテルで
ることが出来、思い
ながら楽しむことが出来るというこ
ているけれど値設は高過ぎはしない。
は大きいの
、‘を受けて
でに見
ところでここでは
搭務人が加わっている、 グ 品 ル テ γ ベ ル グ の 貴 族 が い て ブ ラ ン ク フ ル ト 新 聞 を 取 り 寄 ぜ て い る 。
﹂れは高地の謀総な谷を二つに
ス2'ち
で)帰
のつ
一 l ル嬢もい
ロームントの映の前で
つ
ぞれから、
の仲間
ホテル・ルグマ i 一二一ルには実
だ山学。二人の
ちは便秘(ヴェルトザ i 三産葡萄糖のた
こに僕は塔を建て
の
ろしている、
のつ
フめ
たものは、 ア ル ブ ラ 議 付 近 の 一 つ の
予て
のわきの谷の中にある硫黄泉守、
ム持
ている o それか
抵
?
ること
生じた﹀
め
処に住んでい
J
の、ドイツ
したとのこ
の効き目は?﹂!││
アウエル
にユザアソ・シーミッ
ちは、若干
こう言っているよ、もうこれ以上機めるわけには行かないとね﹂。
る
。
んでいて、
の一部を朗読してくれた、そし
食事のおかげで教義、が増す様に
円
の日には私は
この人もえての山地人と同様に洗爾も入浴もし
な ら な か っ た 。 ア メ リ カ に い た 人 マ 今 は ベ ル ギ ー !γ よ
いる
によれば、アウ品ルパッハはタラスプ
冷たくて、そこで泳いだ撲は
、
。
PIh
今日僕たち
φ十 句 、
ν
もしV
、
一日自には挨拶をされ、一一一日羽にはこう聞かれる、どうだね博士さん、
んなものではないかしら、﹁僕の
じろじろ挑められ、
次
の
HIムγト は ウ ィ ル ヘ ル ム ・ マ イ ス タ ;
は p lム ジ ト が シ ー ト ラ ウ ス の 新 し い
にいる、
バヅハに匹敵することを認めた。
僕拭殆ん
ト
(3)
にいいボ 1イ が お り 、 こ れ は 何 れ 撲 の 下 男 兼 旅 行 付 議 人 に せ ね ば な ら な い 。 ア ル ブ ラ 綜 の 近 く に 湖 が あ り 、 恐 ろ し く
クi んで
7
こ
し
、
それを談ずるの
8
7
被
の
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と
:
;
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- ヴェルベックとの主主復書簡
T
]
人文科学論集
君も良い飲み物を醸造しているものと考えたい、甘くて苦く、薬でも毒でもある飲み物を o どちらであるかはそれ
ウ
を 注 い で 飲 む 人 に よ る の さ 。 少 な く と も 僕 は 哲 学 教 授 た ち の た め の な み な み と し た 毒 杯 ︽ 教 育 者 と し て の シ ョ lベγ ハ
lンからは西北西へ、直線距離で約七O粁
。
アi︾ を 作 り 上 げ た │ │ 願 わ く は こ れ が 君 に は 純 粋 甘 美 な 飲 み 物 で あ ら ん こ と を /
誠実をもって
君 の 友 た る 毒 H穴 熊 一 味
O粁ほど南の温泉地。ベルギュ
ワ Iレン湖畔のウェ 1ゼンから一二
ベルギュ lγ にて、木曜日。
(1)
(3)
作家(一八一二i 一八八二)、ユダヤ人。この人の作﹁素足の子供﹂をニ Iチェは一八六二年二月プフオルタからの手紙で母親に
(2﹀タール西方の保養地。前年の夏休みのフリムス行きについてはベルヌリ第一巻一一四頁参照のこと。
Vグより
スイス東端付近の温泉地。
すすめている。
(4)
一O、 オlグェルベ
ドレ l スデ γ、七四年八月一 O日
親 友 ょ 、 僕 は 少 な く と も 胃 に 関 し て は こ の 休 み は 全 く 君 と 同 様 だ っ た 。 既 に テ ュ l ピ γ ゲ γで こ れ が ま た も や ひ ど
くなり始め、今も相変らず悩まされている。だから僕の方は、 甘 い に せ よ 苦 い に せ よ 飲 み 物 の 醸 造 は 問 題 に な ら な
い、最近僕が熱心だった唯一の醸造作業は胃液の醸造だった、僕はさまざまな有効な方策、特に多くの運動によって
そのための努力をした。ところでこの点では、出来るだけここの滞在を延ばすことも有効だと思う。バイロイトをす
っかり諦める気はないが、僕たちはそこでは殆んど一緒にいる時がないことになりそうだ。既に一昨日僕は友シュマ
イツナ l に 次 の 金 曜 に 会 い に 行 く こ と を 伝 え た 、 土 曜 朝 八 時 五 五 分 に 僕 は バ イ ロ イ ト に 着 い て 鷲 屋 へ 行 く o 君 に 会 え
H
88
ニーチェとオーヴェルベックとの往復書簡 古内
なかった場合には、
一一時頃に駅へ出てみる
oところで君に注意したいのは、君がアウグスブルク、ウルム、ラ 1 ド
ルフツェル経由ならば土曜晩七時一 O 分にパイロイトを発つことも可能だということだ、そうすれば日曜午後四時五
五分にバlゼル到着だ。僕自身はバlゼルとバイロイトとの聞の凡ての経路を試してみるために兎に角このコースを日
選ぶだろうが、パイロイト出発は日曜晩にしようと思っている。そこの人たちに呉々もよろしく言っておいてくれ給
ぇ、君に対しては今は胃病の仲間として回復を願わねばならない、今度会う時にはその必要は無くなっているかも知
れないがね
君の
オ lヴェルベッグ
君の秋休みの予定をロlデに報せただろうか?僕自身は最近彼に、僕が今覚えているところでは秋休みは九月末か
ら一 O 月初めにかけてであることを報せた o このことは彼が非常に知りたがっていたから。
この手紙は、次のニ lチヱよりの手紙の後に置かれるべきもの。
AV
ニlチェより
バイロイト、ヮ iγ フリ lト︹一八七四年︺
親友ょ、何としてもバイロイトへ来給えノ・ここで見るもの、聞くもの、総じて体験するものについては僕は何も言
わないことにする││ただ、来給え、そして快適にやり給え。
僕自身は旅のために胃と腹をひどく害してしまって着くと直ぐに寝なければならなかった o しかし今は痛みが起こ
グリントウォルト氏とヨlゼフ・ルlピ γ シュタイ γ氏とが来ている、 前 者 は 家 に 泊 っ て
ることは可成り少なくなりつつあるーーらしい。
二人のピアノ名手、
8
9
一
一
、
人文科学論集
いる o
僕は土曜朝一一時頃にバイロイトを発つ積りだ o積 、 そ れ を 思 う と 恐 し い /
﹀
ニlチェより
ワlグナ lの家﹁ワ
Iンフロート﹂。
J
フリ アリ I グス
︹ルツェル γ、一八七四年九月末︺
君の
再会が本当に待ち遠しい/ワ 1 グナ lの挨拶や招待を含めてーーー僕たち皆が君を待って楽しみにしている。
(1
たよ
oill
ところで僕は神々しいばかりの無邪気さで暮している、散歩しながら、
そして自分が三O 歳になるのだとげ
誘われて、彼が後者を来年は実際に知ることになるだろうということを親切にも教えてくれた。うへえ/と僕は思つ
ζこにいる)やベテルスブルグとモスクワとの聞のロシアの鉄道食堂について吐いたために、善良なクノlトはつい
ちの知っている教援たちと同じだ o ところが僕が若干の馬鹿馬鹿しい言葉をオルテバ)について(牧師ヘルツォlクも
なに全くの身近に接している僕は皮肉な気分を脱し得ない。しかし彼等は善良な連中であり、司教の臭もないし僕た
ートだ。ボ Iイ頭は僕にこの人たちのスイスにとっての重要性を説き、修正主義党の勝利を彼等に帰している o こん
しかし僕がそんなものに誘惑されないことはセネカの如しだ。僕の食卓仲間の同宿者は司教ライシケンスと教授クノ
降りで、聖レオ lデガル記念の大市の日だ。僕の窓の前で道化役が演技をやっており、絶えず音楽が奏されている o
をするために、││或いは、 している積りになるために僕が予約した温泉回りは、それで終了するわけさ o今日は雨
これはつまり、親友等よ、火曜以後の僕の本営だ、そして今度の火曜の晩までそうである紘一口だ。健康のために何か
︹この手紙はルツェルンのホテル・聖ゴヅトハルトの絵入りである。︺
一
、
一
1
6
9
0
いうことを了解しようと常に努め
つでも同じ気分、
グを試しにたいてみてくれること、
J
一ブハム日パソ 訟にまた蹴っておいてくれることを頼んでく
なのだ。バウマ γ夫人に、撲のピアノを調律すること、 スト 1
いつも謹然と歩いたりぷ I ト に 乗 っ た り 入 浴 し た り 読 ん だ り し て い る 、 ど
には例の
かも知れない、仰しろここは非常
<
'
梅
自分の財宝を勘定し、
とに建てるべき場所を新たにし
さて校正はどうなっているかね?そして
幸
つ
それではお
ハウマソ
。月五日という期擦は?そし
てくれればくれるほ
君たちの
なゑ療のこと。
に堪えて行けるかどうかを自問
の新作、パウ γγ 瀦穴烏たち
ゴヅトハルト
O
にして兄弟
)
-
一室検分して、見りないかも知れないもの、議議、ランプ、
い均点散の繋簡の注
への頼み。ゲルスドルフのための
序でながら、 HH1ルドソメルというのはグロずプシュトずグの学者共和霞に出てくる主要人物の一人だ。
の卵は?
。
ので ee--チェの計一際会議しているそここにしたくなった
間愛すれば僕たちの友ゲルスドルツが二、三日ここへ
G
れ絵え。
る
いているのだもの ︽どこか
え
て、僕は僕の
りあそ
考り
るものだと言われている。 ii本当に、そうであるらしい。
L、
Iつ
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こ
ハ;ゼルとルヅエルンとの中閣にある町。
18
た
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こ
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大 iな
ォ;岬ソェルベヅグより
9
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L、
ハーゼル、
日
君
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一
、
一
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古
I
*
J
エーチ混とオーグェノレベックと
人文科学論集
親 友 ょ 、 同 封 の 緑 色 の 手 紙 │ │ 恐 ら く グ ル I ク か ら の も の │ │ は リ 1ギ ・ シ ュ タ ザ フ ェ バ ド ら 転 送 さ れ て き た も の
だが、今でも君にとって嬉しいものだと思う o ゲルスドルフからのは昨日着き、ロームシトが君から受けてきた指示
に 従 っ て 開 封 さ れ た o校 正 刷 は う よ う よ し て い る 、 昨 日 も 今 日 も 着 い た 、 そ ろ そ ろ 一 O 枚 目 が 来 る 頃 だ 、 し か し 何 れ
にしても一三枚にはなる筈だから、 五 日 の 期 限 と い う の は 、 ど ん な に 頑 張 っ た と こ ろ で 妄 想 で し か な い 。 ロームント
は 国 家 を 済 ま せ て 、 今 は 宗 教 の 中 を 散 歩 し て お り 、 最 近 は 専 門 の 同 僚H ︽一八七四年復活祭以来パ lゼルの哲学教授となっ
たマックス・ハインツエ︾と実に注目すべき議論を数回行なった。 水 曜 日 の イ γ メルマ γ家 の 洗 礼 祝 へ の 君 宛 の 招 待 状
がもう来ている o ロ ー ム ン ト と 僕 は 今 か い ば お け へ 急 い で 出 掛 け る と こ ろ だ 、 前 者 が 如 何 に そ れ に 値 し て い る か は 既
に暗示した通りだ、そういうわけで僕たちは、君もよろしく召し上がることと僕たち皆の真近い楽しい再会とを願う
だ け の 時 間 し か な い 。 バ ウ マ γ夫 人 は グ ラ ハ ム リ バ ン を 買 う こ と を 拒 ん で い る 、 病 気 を 家 の 中 へ 持 ち 込 み た く な い と
主張して。 ロlデから今日鍵が届いた。しかし今は大急ぎで左様ならする、 グノ l ト と ラ イ ン ケ シ ス に よ ろ し く 、 こ
の人たちは君、を聖ゴットハルトとして古カトリヅグの聖者にしてしまったらしいね。
君のオ 1ヴェルベ γグ
ロームシト
び
カルルスパート、七五年五月一一一日
lムント及び弟子ア lドルフ・バウムガルト
︽﹁及びロ lムント﹂はロ lムントの筆跡︾
(1) ルツエルン湖に突き出ているリ lギ山塊の中央部の観光地。ニ Iチェは九月末にロ
ナ!と一緒にリ lギに登り、その後ひとりでルツエル γへ湯治に出掛けたのである。
一
四
、 オI ヴ ェ ル ベ ヅ グ よ り
及
1
9
9
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- とオーグェノレベックとの往復書簡
叩
親友ょ、
﹁特例剤表通り
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ダi 吋︿の還泉の中か
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マ見た感じで
に入ったのだ
ここにある
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て、夜のカルルスパートを見たijzつまりこの時間知にはこの町は、高処
︿
は本当に悲しい。
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いのだもの。
せている。
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い出されるべ
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たちの毎8だった
々な用事をし鈴
えーーボヘミアのカルルスバ i
に、より良い
とを報せてくれ
で我壊してくれ給え ο搬慨は藍ぐ町へ下りて
い白熱現象の
つであり、
ために作られているものとすれば、
いだろう ο ミ
は釘時もそん
まだ箸の柄の
てから
杯を飲めば
ii
る。自然がフ
しかし幸いにしてこの
ール鉱泉の最初の
い側議だ。この
きはその側を流れている
ったよりも遠い処にあるのだ。序でにこの手紙も投題する積りだ。今朝僕は
な走り書きの
の隣人として通ごし
それが余り密封く窓会多忙ならしめないことを僕は明翠ずるゆりれど、君が現
は実擦
したiii設 は 僕 の 肝 臓 の 打 診 も し た の だ か らiiiそして今僕が斐つて
は物識り藻をし
と、輝く蛇が谷間をのたくってい
なくてはならない、 しかもここは
にとって
てて何フィートも吹き上げながら設えくり返っている
ているから、ここの
J
シュプル id
アルを見物した、これは実に美しくて
小川の沫から一緒
の便秘法支
L、
にある駅か
に好もしい、明るくなって
犬
﹂ βり
たのだがこの
る
;iそして今日はこの
ト、大王荘だ;
いう次第だから、どうか早く君の
?ぎそうもない。しかし余りいらいら
に思われるの
げ
と
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ル革泉、が適当だと見て取り、
は幸いにして
のことを報せるためであり、以上の問、ずっ
m
mだ、その
は
いるのは、
告げるため
悶
続で我慢するとしよう。
れ〆に
らのこの次の報せに、そして殺が例えば皮時代拾に関して
正と
かで埋め合せは
に陥
別つ
れて
をい
拐議欽む積りだi jこの閉塞状態から解放されるだろう。ところでここ
レックレ
93
主
こ
も
おI
在
も
う窓
そ壊
人文科学論集
男が僕の医者ではなくて、僕の医者はツィシマーという良いクリスチャ γ ・ネ l ムの持ち主で、序でながら退役陸軍
少佐の様に見える男だと言えば先ずぴたりだろう o ところで彼が下痢は我々が先ず恐れねばならない﹁陰険な敵﹂で
あると言った時に、僕は流儀の点では少なくともフレヅグレスの派だなと分った。それがどうであれ、僕はこの場所
が健康作りには全く良いものと実際信じている、 ちゃんと養生すればね o車中では何事もなかった、僕はあのこ人の
坊主が去ってからは殆んどずっと一人だった。このコ 1 スと列車を君のバイロイト行きに大いに薦めるよ o さて君の
ォI、ヴェルベゲグ
君の誠実な友
妹 さ ん の 来 訪 が 確 実 に な っ て い れ ば 良 い が o妹 さ ん に ど う か よ ろ し く 、 手 紙 を 直 ぐ く れ 給 え
ハウマ γ夫人には既にちょっとした報せを送った。
一
一 iチェは前年秋以来、第四反時代的考察として﹁われら文献学者﹂の稿を進めてきたのであったが、五月初めには全体を仕上げ
この医師は味気ない人物なのであろう。
る意欲を失ってしまっていた。
(1)
(2)
ニl チェより
(パ lゼル、七五年、聖霊降臨祭の後の金曜民
ベック病気休暇中は、ニ lチェがオ Iヴェルベックの部屋に住み、妹がニ lチェの部屋に住んだ︾ は非常にうまく行っている o こ
とび出してきたプードルブ eBさ。身体をこわさなかったら幸いだ。僕たちの家庭整備︽一八七五年夏学期、オ lヴェル
えてくれた、そして僕たちがパウマ γ洞穴に近付いた時に誰が穴の中にいたと思う?ボ γから二四時間×二の予定で
静 か な 感 謝 の 念 を 抱 き な が ら 君 の 部 屋 に 坐 っ て い る 、 今 だ っ て そ う だ よ 。 バ ウ ム ガ ル ト ナ l夫人が僕たちを駅に出迎
親友ょ、バ l デ γリバ l デ γで妹を迎えて戻つできたらお便りが来ていた。心から感謝するよ、そもそも何時も僕は
五
2
1
94
ニーチ Z とオーヴェルベックとの往復書簡 古内
の学期は辛いことになりそうで、僕の講義は全部行なわれるし、予科も大いに骨が折れるから、君の勤勉さが咲き呑
っているこの部屋は少なくとも怠惰によって汚されはしない、何しろ僕は毎日五時から一二時まで仕事をし、それか
ら午後は予科と学部の援業で詰まっている、或いはむしろずたずたに引き裂かれていると言う方が正しいだろう、こ
んなことでは大したことは出来ない(一三時間だ /)o 冒と眼の状態は甚だ由々しいノ昨日は全く無能力状態だった、
そしてワlグナlに誕生日祝いの手紙を書くことさえ出来なかった。妹が代りに書いてくれた。 lll
僕はワ lグナ I夫人を通じてワ lグナ I の見事な青銅製の大メダルを貰っている。君が彼女について若干知り得る
﹂れについては君も色々と考えるだろう。(シュ
返事を直ぐに出さねばならないから。) シュマイツナーは印度研究を振興し
様に、彼女の手紙を同封する。 同じくシュマイツナlの手紙もだ、
マイツナ I の手紙は返送してくれ給え、
λ円
72
たいと言っているから、僕は彼に印度の著作、特に哲学的著作の良い翻訳の叢書を創ることを提案しようと思う、そ
して例えばウィシディシュとドイセ γを考えた。僕の反時代的第四︽われら文献学者︾の執筆は全然やらずにきた、
も出来ないし、今後もやらないだろう。学期が終ればやるかも知れないが o
バlデンリバlデ γではもうちょっとで皇后につまずきそうになり、失礼なことだった o リヒャルト・ポlルのと
(2)
ころで実に気持よく昼食を馳走になった。ここの学生数はとに角もう一八四だ、喜びは大きい。今日僕はヤlコプ・
ブルクハルトと一緒だったが実に元気そうだつた、 ヒレ守プラントを既に知っていて、彼即ちヒレプラ γトは一つの宝
即 ち 一 人 の 婚 約 者 、 或 イ ハ ソ ノ 種 ノ 凡 ユ ル モ ノ JNm-r
。。 m35055 をフィレ γツェに持っているということを物
語った。
カルルスパートの温泉参考書についてはアウグスブルグ新聞の最近号の関係論説を見るべしノ
さて、 わが親友よ、起ち上がれ、君の肝臓を乗り越えて歩めノ
妹と僕の二人は、病気の幸福者に心からの挨拶を送る。
95
人文科学論集
(1)
(2)
Vクより
五月二一日
ヒレプラントの著﹁時代、民族、人間﹂。﹁人間﹂の項でニ
一
六
、 オl ヴ ェ ル ベ
バ lゼル、
lチェに触れている。
︹カラ l文字の﹁シュプル lデル﹂湯治効能書が刷り込まれている書簡紙︺
一八七五年聖霊降臨祭の後の金曜日
カルルスパート、七五年五月二六日
親友よ、無名の一芸術家はこの魔法の泉をこんな風に考えているが、勿論僕に奇蹟が行なわれたとはまだ言えな
い。この泉、が彼の兄弟たちと岡、じ様に効き目、があることは確かだろうけれど、今までのところ香ばしくない o差し当
り僕はこう思っている、苦によって楽に到らんと/君の今度の手紙の場合も同様だった、僕は待っているうちに次第
にいら立ちが大きくなった。手紙を狩り出す試みをもう一度しようとした丁度その時に手紙がやっと自分からやって幻
きたのだ。それによって僕が得た喜びと言えば、君の様子がまた分ったという位のことでしかなかったのは勿論だが
ね。何故なら他に何も格別嬉しいことが書いてなかったからさ。特に僕には君がもっと忙しくないことが願わしかっ
た。僕の部屋は少なくとも今は君の勤勉という犠牲を要求する権利を全く持っていない、何故ならその部屋の主は全
く何もせずにひょろひょろの国費痔患者の生活を送っているのだからね、但し今年は僕たちカルルスパート人には例
外的に素晴しい五月が恵まれたので大いに山や谷、森や野を回り歩いている、 し か し 勿 論 全 く 罰 が あ た ら な い わ け で
は な く 、 そ の 折 に も 時 々 自 分 の 状 態 を 思 い 出 さ せ ら れ る 。 僕 は 最 近 ワ lグ ナ lにこんなことを書いたよ、僕が望みを
かけることは結局殆んど不可能であり、とにかく多くの他のここの湯治客たち以下でしかない奇蹟的湯治効果とやら
を僕が若し望むとすれば、それは君のためであり、君もこれを何時か試してみる様に元気づけるためなのだと。君の
胃がどうしてもおとなしくならないならば、何らかの工夫をすることを本気に考え給えよ o ここでは兎に角、実際に
9
6
い効果、があった多くの人たおのことを写にする。ヮーグナ 1家からは、
ここで矢張
にはまだ少々
での僕の
お祝い
の兄弟で、
藩由来なル 1 ス
んの控嚢の
のた
ここに
ちは偶然毘
っていない、
の主なもの
で誌彼とまだ大し
とは知らされてい
}では早速﹁ベ i ト 1 ヴェ γ ﹂
しており、援養を大いに必要とす
ルーブルスという人を通じて受けた。この人は君の知ってい
でるつ、バイロイト訪問削をしてきで
その時に、毅坤到な挨拶をミヒャ
ルコの
ドバ 4ツ
の愛らしい
しなかったの
︽この人の名前は twiドルブ・ベルント︾。
ことも既に彼から問問いていた。
に比僕は既にこの人から最も必要な
明らかにパイロイトにすっかり胸紛れ込んでおり、
の送付物が若い
る人だ。 非堂な好人物で、
に療を取った。
の数歩を申し
出ワ!グナ!の大ぎな犬の名前︾
たちは
いが分った、
l の孫娘で
の完全市民と諮
加熱務気な人間であり¥鰭人的能力が大き過ぎ
キ
ム
匹
、
i
かりいるからだ。
さて僕はここで
は農たち
ほど益々強めるのみであろうと。
その山市のワ 1グナ i夫人のものは次の折に送る。 シ ュ マ イ ツ ナ ー に よ ろ 総
て、近くで
にこう告白する、
して驚い
い未聞のこと勺でもあるか
いのだとい
鱈人的見解とい
てきた挙句に火災係強会社の
情﹂0
:
は、現在のドイツについての我々の鯛人的自見解を実
のあったハニパル
ト
し
こに来
2委
ず
こ
ぃ、それで
eブィシャ
僕がゲヅティシグンの学生総合に入った持の
じ食卓につくことむなった時に
には心か
あり、撲の友人トライチケの期待に
カ ル ル ス パ ー ト へ 移 住 し て き た 様 なilsを 受 け た 後 に
の者にとって
我々の見解が個人的なものに
人を被において
m
v
a即時三震の群に
は
入
門 7は
、
盤、が諾在しているのは、
めだ、
てドイツの満足セル
で聞く人鵠の
をする場合に
っていることが、
ij送 っ て く れ
の稿信を強めるの
印象liし か も 北 ド イ ツ
こちらの
の
売
さ
しく、そして僕が間間もなくドレースデシから便りするだろうと伝えてくれ給えoiliゲ ル ス ド ル フ か ら
97
〆
者
の
3
主
e
'
の
?
と
下
町
内
ニーさ子再と;t-ヴヱ/レベックとの往復書簡
(1)
つもに、
l ムγトからは、なかなか来なかっ
の伶母さんは
彼には近々
は殆んど述べ
被ともドレ:スデン
ら明るい
こには来ていない
とだけだっ
:
E こ3、
γ臥勺道庁 φれ 品μ
らなかったという
ら、それを頗において手紙をくれ総え、撲のドレースデンの住所は
には無縁だから。、ところでザヅチデル
の主人はファ;ゾルトという名前だがツア;ブナーとい
という様な文句
々もよろ
、株さん
の傍にい
バウマン夫人にもよろしく。イソメルマン夫人は僕の
んに
でいるのだよ、 し か し 宿 泊 者 名 簿 と 湯 治 客 名 簿 に 載 っ て い る 設 女
ミプスコアスキー
めていない。
一つ畳根の下に
﹂こは恐しく鐙段が高い。
まではい
っては、 ザクセンでは何に
門戸
た最初の嬰にもう彼の拍母さん宛の
手紙を書く。
おらず、
なろう。ここに
レヅグニヅツ街
う名請の方が似つかわしい、
顧問官夫人が一選間前か
ぃ。イシメルマ γ
の名前以外にはまだ全然彼女らしきもの
るのを知って
た、しかしその中の
らの次の
のものなる
オi グ思ルベ吋 γグ
いいが、そして強力な鉱水が内部で暴れな
家 セ ヤ る 歳 。 ズ ィ i pフリ l トに肌祝された。
殺が今日は
とっては必ずしも然らず可
一a
o
)
で、殆んど理怨的な務れ工合だ
ハ
パ i ゼル、
ロームントはバ i ぜ ん 大 学 合 溶 い ℃ 鶴 見 に バ l ぜんをハ従ってパウマン婦問欠点ぞも﹀公っていた。
ことは君が知っている濁りだ。心か
はいいだろうか
最近バ!ゼルの婦人た
なりの重態だ。ミアスコアスキーの
一撹養記録、そ受け取ったと思う。ふ岬仇
の
、,ず
」
~
し
か
せてくるといいのだが。手紙が来たとたんに
γ 夫人
シ??iトリ;
Z
ハ
の
、
-
乏
し
﹀
(2)
のささやか
ニーチェより
韓友よ、
ば。今は珍らしく謡やか
の
L、
と
26
9
8
この典型的傑作の春全体が君の回復を断然助けるに違いないと考えた。パ lデ γ リバ lデ γでの五月の数日の様なも
のを僕は全く今まで体験したことがなかったし、 ドイツの土地では殆んど有り得ないものと思っていた。現在僕は毎
朝、君が飲むのと同じ頃に熱い湯を飲み、少し後に、薄めたミルグと生卵一個を飲む。夕食はス lプと少々のお茶だ
け。その上、酸っぱいもの、 塩漬けのもの、脂肪の多いものは控えている o 僕は君の現在の生活法に非常に近づいて
いると思う、こんな風にしてまた何とか持ちこたえている、勿論極度に用心しながらだ。妹は僕の生活を非常に楽に
してくれる o ところで僕たちは一 O 月一日から何処かに住居を借りて独立所帯を作ることを企てている。バウマシ夫
人 は ま だ こ の こ と を 全 然 知 ら な い 。 僕 た ち は 既 に 住 居 探 し を し て い る o そもそも僕は、自分がもう暫く地上で持ちこ
たえるためには自分に適合した家庭生活が今は殆んど不可欠となっていることに気付いているのだ。夏には僕のバイ
ロイト行きは難しい、或いはちょっとの間しか行けないだろう、何故なら僕は山の空気と鉱泉飲用療法を僕の胃に適
用せねばならないからだ。どうにも仕様のない状態なのだ。今日の午後僕たちはレラッハのバウムガルトナ I夫人の
ところへ行く積りだ、彼女は心から君のことを考えている、そして何れ手紙も出すことと思う。プードルフは無事に幻
ボンに帰り着いたよ︽一二頁参照のこと︾ 0昨日僕たちはケストナl嬢とザ 1ラズィlγ夫人とを訪問した。晩の訪問は
全 く も う や ら な い 。 今 学 期 は 僕 は 実 に 忙 し い 。 予 科 で は 非 常 に 良 い グ ラ ス を 受 け 持 っ て い る o ちびのケルターボルン
が四つ折判四四八頁、ぎっしりの、立派に装丁されたノ 1トを僕にくれた。ブルクハルトのギリシャ文化だ。しかもこ
ブ γグス博
れはバウムガルトナーが仕上げたものに比して幾多の長所を持っている o 材料が豊富で整っているから優れた補足物
だ、他方、バウムガルトナ lはブルグハルトその人と偉大な模倣能力とに対する繊細な眼を持っている o
0
士は自分の作品第一番を送ってくれた、近代ギリシャ民一謡のためのピアノ曲で、 へラスという題だ。ヮ lグナ l夫人
からはワ lグナ lの顔の入った非常に凝った青銅製の大メダルを贈られた 会一一頁参照のこと︾
フェステルゼンが君から注文されてとっくに到着している書籍をドレ I スデ γとカルルスパートとの何れへ送れば
99
古内
ニーチェとオーヴェルベックとの往復書簡
人文科学論集
良いかと問い合わせてきているO││ ロl ムントについて何か良い報せが耳に入らぬものかなあノ・文学中央新聞には
(3)
何時も新しい教職が出ている、どうして彼が掴まないのか或いは掴もうとしないのか僕は不思議だ。しかし聖ガレン
の場合と同じことなのだろう o
o
ミアスコアスキーのことはその後何も分らない。ラウ博士は何時かバ 1ゼルへ来る積りでいる。イ γメルマ γ夫人
は療養記録を受け取った、そして大いに感謝している。僕たちは今週インメルマ γ夫妻をお客に呼ぶ
帝 国 の 完 全 市 民 た ち に 接 し て 君 が 得 た 諸 経 験 は 非 常 に 貴 重 だ 、 詳 細 を 君 の 口 か ら 聞 く の を 楽 し み に し て い る o昨日
君の誠実な
フリードリヒ・ニ lチェ
はベルリンの新聞局のピスマルクによる廃止の記事を読んだ。彼が余りにも乱暴に扱われたかららしい。
一八七五年五月三O 日
で は 左 様 な ら 、 わ が 親 友 よ o 僕も妹も君の健康を大いに気遣っている。
ル、
ハlゼ
今 日 は 新 し い 州 議 会 員 選 挙 ノ │ │ 国 民 投 票 の 投 票 権 問 題 は う ま い 経 過 を 辿 っ た o 今日はオルテ γでの会新一)もある o
聖ガレンは、六一一二年にボ lデ ン 湖 南 方 の 高 地 に 修 道 院 を 創 っ た ア イ ル ラ ン ド の 僧 、 カ ト リ ッ ク の 聖 者 で あ る が 、 そ の 修 道 院 の あ
﹁ギリシャ文化史﹂の講義をノートしたもの。
(1﹀ パ Iゼル東北方のドイツの町。
(2)
(3)
ミアスコアスキーは、ラウ博士が所長をしているホ l エンハイム農業研究所への就職を考えていた。同研究所にいたゲルスドル
る町の名も聖ガレンである。その町での就職の可能性をロ l ムントが掴まなかったことがあるのではないかと思うが、詳細は不明。
(4)
1リヒの大学教員の合同会議がオルテンで毎年行なわれた。
フがニ1チェを介して誘ったのである。
(5﹀ パ lゼ ル 、 ベ ル ン 、 ッ ュ
一
八
、 オlヴェルベヅグより
ドレ lスデン、七五年六月一五日
1
0
0
決定した事柄として報告されてき
親友よ、君には想像がつくと思うが君のこの前の手紙は僕を可成りびっくりさせたよ、そして、準備が始まったば
かりのこととして君が僕に報せている事柄は、 昨日パウムガルトナl夫人から、
た。実を言うと僕はこの春の問、ずっと、バウマン洞穴が最近さらされていたさまざまな動揺下にあってこの素晴しい
建物がそれ等に堪え得るかどうかという疑いのために心配になることがしばしばだったのだが、こんなに早く瓦壊し
ょうとは考えていなかった。残念ながら君についてのその他の報せも、事柄のその様に急速な進展を僕に実に良く納
得させる種類のものだ。とも角も君の移転が好結果をもたらす様にとの僕の心からの願いを受けてくれ給え。バウム
ガルトナ l夫人から僕は、僕たちが少なくとも隣人同志ではあり続けるのだという慰さめを受けている o バイロイト
に お け る 僕 た ち の 再 会 が 疑 わ し い と い う こ と も 、 こ の 夏 に つ い て の 僕 の 考 え や 夢 を ま ず く 狂 わ せ る も の だ o 秋に何と m
か良くなった君と再会出来さえすれば万事良しとせねばならない。僕自身の湯治の成果については、それが僕に費や
させただけの力を僕はまだ取り戻しておらず、そしてまた僕は自分をまだ健康者に算え入れることが出来ないという
一人のカルルスパート客にとっては極めて啓発的なもの
ことだけしかまだ言えない。こちらでさらに数週間、食事療法が続けられる。この療法について君のこの前の手紙が
述べていた或る筒所は僕には嘆かわしいものと思われたが、
だった o ゲルスドルフの伯母さんを訪ねることが出来たのは、 カルルスパートの湯治客名簿の怠慢のおかげで僕のカ
ルルスパート滞在の最後の頃になってからであり、彼女にゲルスドルフの写真を手渡しただけで左様ならを言うこと
になってしまった o かりそめの印象しか得られなかったのだけれども、非常に知的で明噺でしっかりした人でゲルス
ドルフに非常な好意を持っているらしいこの婦人ともっと会えなかったことは残念だ。ワ Iグナ I夫人の親切のおか
L
の熱心な読者だと聞いているけれど残念なが
げでハ γブルグの市参事会議員。へ l テルゼシと会ったが勿論可成り皮相的な会見でしかなかった。ヮ lグナ 1夫人は
この人の娘さんと特に親しいのだ。その娘さんは僕の﹁グリスト教性
らカルルスパートへやってきたのは僕の出発の翌日になってからだった。
101
古内
ニーチェとオーヴェルベックとの往復書簡
。日以来いる、
Pイト
は国民新聞
にまたハウ
ーに
-フォン・
る、飽方、あれは詐歎部の仕業だったのだろうといぬ
のを忘れてしまった、
た手紙は
に忠実であり
の決心を
間同時にジ品 l
に楽しかった。 iji後 か ら 直 ぐ 気
ら治疲のために鉱水を欽
のちのを今は
iil折 が あ っ た ら ミ ア ス コ ブ ス や i
スパル・ハウザ!の伝説とそれ
ておいて
三三人だけでも公
て判到着援すぐに p lムントとシ品マイツナーに僕を訪ねてくる様にと担ほした
ためだ。
はまだない。 plJ
アからも使りな待っており、ゲルスドルアには早速審く、
せてバイ
﹂こに僕は今月
手紙を出し
めて
家、だ返していない
ったことがあるの
遠ざけるものであることは勿論だ
れはアオイ品ルバッハの仮説を確かに打ち砕く様に
う疑念を新しいや
シ品そ一フ Iの
ウィルヘルム・マイスターか⋮
し
アオイエルパツハの手記とが婦らかにバウマン洞穴で
に
、
ないのだ。君と知れてか
かりで伝く⋮災時代的なもののやで少々入浴することもやったのだ、これ
よろしく言って
しろ小破片とし
ハウマ γ
に彼女に呉々もよろしく言って、 カルルスバ l トか
と缶えて
ている、僕はメウマン調穴の残片、
いうちに
ことも。次の
既に二罰も僕はバウムガルトナ 1
ルヌの返却を叔留保し
が付いたのだ
ル・ヴ
されてざた後女の手紙への
について
の蕊ぐ近くで
の
、
従
拾
の
は重荷だろうが、
iベ ン 凶 五 号 )
ォーヴェルベック
に訴えられ
ろでバウムガルトナーはどうするのだろう?手紙警きは
せを努に待っている、
の
yツェン〆
方
、
てやったのと
について報せてくれることを期待し、
?もよろしく
ーチ誌が絞と ハに移ったシ品。ハ;レン門前後ぜ号お八日ちはメウ吋ン抑制穴 (
シ
ュ
44
い報せを。妹さんと友人たちに
八月に
他の人
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1)
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カスパル・ハウザlo謎めいた棄児。
ある。
オlヴェルベヅグより
子と見なされたりした。
(2)
一
九
、
一八二八年にニュル γベ ル ク に 現 わ れ 、 パ l デ ン の 皇 子 と 見 な さ れ た り ナ ポ レ オ ン 一 世 の
ドレ lスデン、七五年六月二九日
親友ょ、君が明後日去るであろうとバウムガルトナ l夫人が最近報せてくれた古い洞穴宛てにもう一回挨拶して君れ
(l)
の移転の幸を心から祈る、僕には実に悲しい移転なのだけれど。君については最近インメルマ γから報されたが本当
にほっとする内容だった。恐らくヴァルツェイナが最後的仕上げをして、僕が秋に君との再会を喜べるまでに君を回
復させてくれることだろう。僕自身もその時までにもうちょっと前進して健康を再び手に入れねばならない。差し当
ってカルルスパートは僕が思った以上に僕を低下させた、今度こそは消化したぞという期待は繰返し裏切られてき
た、だから僕は、数週間以来昨夜初めてまた昔の様に眠り今は内臓に或る種の落着きが感じられるという事実を生じ
させるために骨を折ってくれた人たちについてあれこれ述べるのは止めておく。ワ lグナ l夫人は最近親切にもウェ
ーゼンドンク夫人宛の名刺を送ってくれた、 しかし僕は目下のところそれを用いることが出来ない。僕は当分まだ、
町の中でやれる限りにおいて健康のためにのみ生きる、 ところで町を逃げ出す機会はしばしばあるのだ、 田舎の別々
の場所に住んでいる二人の妹たちのおかげで。その中の一人の健康は悲しいことに僕よりずっと悪い。
依然ワルトハイムにいるロ 1 ム ン ト に 僕 は ま だ 会 っ て い な い 。 こ こ へ 来 る 決 心 を 彼 は ま だ っ け 兼 ね て い る の だ 、 僕
が彼に会うのはパイロイトへの途次ということになるかも知れない。彼は最近、 ロIデはどうかしたのかという質問
をよこして僕を驚かせた。その数日後にロ lデの手紙がその悲しい答えをもたらした。他処では緑に輝いているこのロ
夏も僕たちの小さな仲間にとっては緑色ではない。自分が緑色に染まったり、その上、黄色に染まったい九じない様に
1
0
3
古内
ニーチェとオーヴェルベックとの往復書簡
人文科学論集
o
することだけは必要だ。少なくともロlデは兎に角八月初めにパイロイトへ行く。ゲルスドルフがこの点どうなのか
は分っていないが、近く報せがあるものと期待している
シュマイツナlは一週間前にやってきた。翻訳が依然停滞していることはバウムガルトナl夫人からもう聞いてい
るだろう o また僕たち二人の私的な喜びである最近の僕たちの著作の返口聞が今頃になっても相変らず入ってくる。出
版者変更は何時までも色々な害を生む、特にフリッチの香ばしからぬやり方の場合には。君が印度関係の叢室田を考え
て書いてよこしたことをシュマイツナ l に 伝 え 、 序 で に 君 に つ い て も 話 し て 、 君 か ら 手 紙 が 貰 え る と い う 期 待 を 当 分
捨てる様に頼んでおいた。バウムガルトナ 1夫人は僕の手紙を受け取ったと思う o 心からの挨拶と共に僕の住所(レ
ず グ ニ Vツ街一七号)を彼女に教えてあげてくれ給え、残念ながら僕の手紙に付記することを忘れたのだ。インメル
マンに手紙の礼を言ってくれ給え、彼の一家にもよろしく。頭では君はもう長いこと食事をしていないのだろうね、
全くやめてしまったのかも知れないね。それでも僕たちのテーブルに時たま挨拶する位のことは何時だって出来るこ
オI ヴ ェ ル ベ ヅ グ
君の古き穴居人にして友なる
とだし、バウマ γ夫人への挨拶も頼むよ。最後に、新しい組織作りを始めようとしている君と妹さんの元気を心から
願い、僕たちが何時までも良い隣人であり友人であることを願う
﹁寅金の頭﹂屋のこと。ベルヌリ書の第一巻一一二頁参照。
パ ウ ム ガ ル ト ナ 1夫 人 は ﹁ 教 育 者 と し て の シ ョ lベ ン ハ ウ ア l﹂ を フ ラ ン ス 語 に 訳 し つ つ あ っ た 。
﹁緑と黄色になる﹂は、怒って顔色を変えること。
ロlデは失恋したのである。
(1) クールの北方の保養地。
(2)
(3)
(5)
(4)
1
0
4
二O、 ュI チェより
︹パ lゼル、七五年七月︺
つまり、
親友よ、明後日僕は遂に出発する、休暇の第一日の早朝に。目的地はシュワルツワルトの小さな温泉だ、そこは特
に胃患者用に定められていて食事療法の用意がされており、 定評のある老練な専門医師の指導下にある。
﹁バIJアγのシュワルツワルト、 ボシドルフ付近のシュタイナパ 1ト﹂だ。
僕の調子は絶えず実に悪かった、毎週一日は寝ていなければならない日があった、激しい幅吐と非常に痛む持続的
な頭痛のために。昨日もだ。僕は約二週間前から、また独りだ、妹は僕たちの家庭用のあれこれを準備するためにナ
ウムブルグにいる。 つまり、引越しはまだやっていないのだ、休みが終ってからだ。君の祝辞は実に良い時にやって
きて、僕たちの移転準備に力を添えてくれるかの様だ。そんなわけで今日もまだ君の部屋で、君の机で書いている o
何処から一体君は僕についての報せを貰ったのだい?つまり、最近僕のところへ来る殆んどどの手紙からも、僕に関
する、 しかも僕の知らない新事実が読み取れて、僕は意地の悪い満足とでも言うべき気持を味わったのだ。例えば、
ニlチェ民は七月一日以来シュパI レγ門前通り四八号に住んでいるとか、彼は確かに偏頭痛を病んでいるとか、病
気がまた癒って彼は好調であるとか o 僕はそのニ lチェ氏に幸あれと祈るけれど、僕自身を知っているほどにはその
人を知っていないのが残念だ。僕自身については僕は、以上の三っとも当っていないことを知っている。
合唱祭の行列は実に華やかに行進した、僕は殆んど見も聞きもしなかった、音楽会には行かなかった。しかし僕は
或る日カウフマ γ氏を捉えて、或る﹁輿味ある﹂曲を所有しているかの如くに振舞わねばならぬ様に彼を追い込んで
から、それを取り寄せることを許可してくれる様に頼んだ。 しかし彼は自分で持ってくると言い張った。 ﹁けれど私
は近日中に旅行に出るのです/﹂。﹁よろしい、私は明日参上します﹂ o しかし彼は来なかった、明後日になってもだ、
これではもう彼からその﹁芸術品﹂をひったくるわけには行かない。
33
M
1
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5
古内
ニーチェとオーヴェルベックとの往復書簡
人文科学論集
をまとめて
しんでいる、
るからであり、こんな状態には当然付念物の落着かぬ
くる日もくる日も全くのその臼暮らしだ、そして由民分
︿、それが僕
ってくれるか
のだ。そう考えると、生命力が完全
と
けれど、こ
は僕にとって既に
ってくれ
彼の四重奏曲の
と重さ
ろうとやって
そして
って、
ぃ、どちらの
ょう/
って帰ってくる、そうすると澗穴は
の分裂
ipグ ス ・ ド レ ー ゼ ケ 氏 も 僕 を 訪 ね て お
シナ門ノィソトとの
クル l グの
にも高締につき過、ぎた。最近のものは郵送料不廷で僕がニフラ γ払 っ た の だ
に教授たり得るかという疑問が湯いてくる。いつ玄でも?おなぐさみにブッグスの手紙を送りたいところだ
らだ。しかし、こういうことが分った。つまり、半分の
し
、
し
が、誌に四枚の大きな切手が彼によって殆られていたのだ。数学問題、
G- ク ル ー タ
々とベルリンのグルツィウス
ろの出産は真近い。ベル叫ツンのフ且ルスタ i博士とい
てやっ
!!作曲家ブ
人 名 索 引 で 分 る 擦 に パ ウ ル ・ フ ェ ル ス タ i ︿ベル γ ハんトの兄)である。
ドレ l スデン、
て
〉
つまりお客さんの心臓のある場所を射当て
賢
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、
で
にも急一併を、
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の内部綴徐の効果がおおに新たならんこと念。君と一緒
ったんだがノさて遂に君は
っているのだ/しか
良
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七月一一凶臼 ο 機史的統制判的全集、察衛媛、議隙巻、一一O 一一氏参照。
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さて、変らぬ-誠実な友よ、湯治による
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親友ょ、 まだここからの僕の手紙を受けて変に思うだろ
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いるのだから o事実僕が出掛けるのはもう、そう遠いことではない、出発は次の金曜と決めてあるから。健康とそし
て食事の変化に依然極めて敏感らしい胃とへの顧慮が僕を特に引き留めたのだ o ところで僕は既に三週間位前から調
子が良くなっているから、僕の巡礼行に全く元気で出発する o今は、長かった無気力状態も失せたので、健康一の点、
特に丸一年間常規を逸していた消化機能の点で実際僕にはもう何の不足もない、そして、春に僕と一緒に出掛けたら
良かったのじゃなかろうかという君の前便における遅い洞察は実際僕の心に泌みた、何故なら僕自身の経験が今はど日
うしても僕の心を、君が僕とカルルスパートへ行かなかったのは非常に抜かったのではなかろうかという憂慮へと傾
けるからだ。約七週間の、無論実に情なかった期聞を代償とすることによって僕は、どうやら素晴しい湯治をしたこ
とになる様だ。 シュタイナが同じ成果をもっと安く君にもたらさんことを/バイロイトについては残念ながら君の今
回の手紙は完全に黙している、これは多分、離れていようという前以ての計画が実行に移されていることを意味する
のだろう o そうであれば益々、僕が君にあそこで再会することになったりした場合の驚きは素晴しいものだろう。そ
うならなければ再会は約一ヶ月後だ。ここでは僕はまゆにこもったさなぎの様に暮らし、家族の聞から外へ出ること
は殆んど全くなかった。さまざまな心配ごとがこの家族にのしかかっている現在だけれど、この家族の一員であるこ
とが僕には快く思われた。僕は大いに散歩をし、歩きながらあれこれのことを考えた、しかしその他の仕事は殆んど
やらず、 読むことはもっとやらなかった。 と こ ろ で 或 る 喫 茶 庖 で 最 近 文 学 団 饗 誌 に 載 っ た 君 の 最 近 の 考 察 の 或 る 批
B
﹁5
m巾ゲB戸口宮﹂に関する、 大したものだが確信に満ち
評 文 を 手 に し て い る ダ Iヴィト・アヅシャ l とぶつかった。彼はショ l ベシハウア l 崇拝の老嬢的人物にして初め
て可能と思われる傾倒ぶりを君に対して示し、 序でながら
た学校教師口調の馬鹿談議で幕を閉じた o ローム γトについては君に何も報せることが出来ないだろう。会っても無
駄だ。彼の人柄についての僕の知識と彼が絶対に変っていないことを示している彼の手紙とによって僕は彼が故意に
会見を避けてきたのだという確信を得ている o最近彼は、彼が遅くとも今週の初めにオルデ γブルグへ出発するとい
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0
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ニーチェとオーヴェルベックとの往復書簡
人文科学論集
う報せで僕を驚かせた。僕は彼に対して、彼には全く便利な場所にあるケム一一ッツで金曜日に会いたいと注文してい幻m
たのだ。ヮlグナl夫人から君が貰った手紙を送り返す代りに、僕にきたものを同封する。これはロ 1 ムγトのこと
に触れた序でに、哲学との関わりについての彼女らしい元気な分別ある言葉を幾っか述べているから君は喜んで読む
だろう o僕は君のを保管するから君はこれを保管してくれ給え。バウムガルトナl夫人はどうしたのだろう?僕が手
紙を出してから何の便りもない、受け取ったのならいいが?君が手紙を出す時には、どうかよろしく。君とまた一緒
にいると思われる妹さんにもよろしく。バイロイトへ行かない場合には、出来たら直ぐに君の様子を報せてくれ給
君の
ロ昂ロ丘問。口C
5505
オ lヴェルベヅク
ぇ。しかし僕がバイロイトへ行けばどうせ誰かから報されることは確かだろう。 ロ l デ か ら は 最 近 は 何 の 便 り も な
ぃ。では心から元気を祈る。
(1)
ロ
仏5
﹁ 教 育 者 と し て の シ ョ iベ ン ハ ウ ア 1﹂第六節の﹁悪用され一雇い入れられた文化﹂間口55zgnyg ロ
=
H
E の中の過去分詞向。55rE5Z における前綴問。の位置を問題にしたのであろう。
ハ
相
ハイロイト、七五年八月四日
今述べた様にロ lデは、ゲルスドルフと僕との心を満たしたものに十分関心を寄せる様になった。土曜に僕が着き、
いる、その上││詳しいことはまだ僕に分っていないが││非常に苦しい分かれ目にあるとのことだ、 しかし昨日は回
とさえ言ったのだが僕は力をふるってそれを止めさせたのだ、確かに良いことをしたと思う o彼の事柄は引き続いて
以外は素晴しいのだ。昨日はロlデさえ感激した。彼は一昨日打ちしおれた容易ならぬ状態で到着し、直ぐ引き返す
掛ける前に、君に短かい挨拶を送る o 君 が 僕 た ち の 聞 に い な い と い う こ と 以 外 に は 僕 た ち に は 目 下 悩 み は な い 、 そ れ
親友ょ、今日これから、ここの僕たちにとって二週間の義務である天国的日課に取り掛かる前に、 つまり試演に出
オ1ヴェルベックより
一
、
一
翌日ゲルスドルフが、月曜にロ1デが着いた、僕はオーケストラと一緒だった、 オーケストラの一一一一名は土曜と日
曜午前とに到着したのだ。午後には一種の下稽古が行なわれた、行事予定では今月一五日まで毎日二回の試演が行な
l--一二時にオーケストラだけで、午後五││七時に同じものをオーケストラと
われることになっている、午前一 O
歌手たちとで。ヮ Iグナ l の 考 え に よ れ ば 全 体 を 読 む こ と が 肝 腎 な の だ 、 そ れ に よ っ て 彼 の 狙 い が 何 処 に あ る か を 音
楽家たちに分って貰おうとしているのだ、若干の大事な部分しか注意したり説明したりせず、ぐんぐんと進んで行
く o さてそんな工合に僕たちは昨日と一昨日、ライシの黄金を聴いた。完全な正確さと歌手たちの熱心な協力とのた
めに午後の試演はもう本物の上演といってもよい位のものになっている。君がここにいてこのオーケストラの快い音
を聴けばなあ/ハーモニー、 リズムその他に未聞の大胆な点が実に多くあるけれども全体は流れる黄金の如しだ。ラ
インの黄金の大波小波の音│││ワ 1グ ナ ー が 試 演 の 際 に 音 楽 家 た ち を 鼓 舞 し な が ら 言 っ た と こ ろ に よ れ ば ﹁ 全 体 の 中
で最も馬鹿げていると言ってもよい位の部分﹂││は僕が聞いたことのある音楽の調べの中で最も驚くべきもの珍奇
なものだ。そしてユ l ベルンゲ γ音楽市そして僕の耳と心から全然出て行こうとしない一一一人のライ γ娘 た ち の 歌 / 今
日 は ワ ル キ ナ lレが始まる、僕は言い様のないほどこれが楽しみなのだ、 ところでもう出掛けねばならない。オ l ケ回
ストラを下に隠したことが素晴しい発明であることは確かな様だ、音響効果の状態の九てとなるとまだ予測は許され
ないが。この発明によって歌手たちの声は、どんなに強力な楽器編成の場合でも良くとおるし、 オーケストラの響き
ニI マンが怪しからぬことに逐電したのだ、彼は或ることを悪く取って、 いやになったらしい。毎
は、夢見心地に響くのが常である教会の中において得られる印象と似ている。ズィ I グム γトの役、が今日どうなるの
か僕は知らない、
晩八時にワ lグナ l家でリセプショ γ、がある o リストが金曜から出席している、 フォ γ ・シュライニッツ夫人は一昨
日からだ。昨晩ロ lデ が 君 の 手 紙 の 中 の 僕 た ち 皆 へ の 箇 所 を 朗 読 し た 。 絶 え ず 君 の 話 が 出 る o この手紙は一つの叫び
の積りなのだが乱雑で済まない、僕は既に述べた通り、出掛けねばならない。君がいつまでシナタイナバ Iトにいる
1
0
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古内
ニーチ手とオーヴェルベックとの往復書簡
人文科学論集
のか僕たちに報せてくれ給え、 心から抱擁したい
﹁ニ Iベルンゲンの指輪﹂の第一部。
グルムバッハ街五六一号、年金生活者ユ lリウス・へ lγ ライ γ方
(1)
君の誠実な友なる
︹シュタイナパ Iト、七五年八月︺
(1)
O
のだl │簡単でしかも発見困難な考えだと思う o
一人の眼識ある医師を知った。
この人は医学の分野における革命家であって、薬剤調合の書類に替えるに科学的根拠のある台所用料理書を以てする
る o しかし僕は少なくとも、今後守るべき食事療法の点では有益な良いことを学び、
僕 の 湯 治 に 関 し て は 僕 は 、 さ し 当 り 大 し た 効 果 は な か っ た の じ ゃ な か ろ う か と レ う 若 干 の 懸 念 22 を持ってい
な質問をしている自分の姿が眼に浮ぶのだが。
話してくれるだろう、僕は今からもう、 まことに滑稽にも﹁ここの音はどんなだったい?そしてここは?﹂という様
見出だされ得るかを僕たちが殆んど知らずに過ごすということだって、容易にあり得たのだ。しかし君が僕に色々と
ヴェルベッグ︾がそこにいることだ。僕たちの中の一人もそこにいないことだって、否、どんな幸福がそこで僕たちに刊
を奪われてしまった様な感じになる。僕を本当に慰さめてくれる唯一つのことは、君たち︽戸、 lデ、ゲルスドルフとオ l
ーケストラの響きの﹁流れる黄金﹂の如きものが不思議な誘惑の様に聞こえてくる、そうすると僕は何時も無限に心
び上がって凡てを投げ捨てて君たちのところへ急がねばならない様な気になるのだよ/散歩の途中でしばしばあのオ
わが親友オlヴェルベヅグょ、今はバイロイトから手紙がくるたびに半時間の痘撃が起こるのだよ。いつも僕はと
ニ1 チェより
一
一
、
一
1
1
0
ニーチェとオーヴェルベックとの往復書簡 古内
僕はいつも独りでいた、そして皆と一緒の散歩の類を敢て行なうことはたまにしかなかった。それでも僕はドイツ
最大の醸造所、深い花山岡岩地下室を持っているシュワルツワルトのロ Iトハウスを見物し、養豚とチーズ製造にも注
意を払った。
僕 た ち の 友 ゲ ル ス ド ル フ へ の 頼 み だ が 、 同 封 の 手 紙 を 名 宛 人 に 渡 し て 貰 い た い の だ 、 こ れ は ワ lグ ナ l夫人に尋ね
れば可能だ。 一つはフォ γ ・マイゼ γブ lグ嬢宛てで、もう一つはパリのシュレ氏宛てのものだ o僕はこれ等の人た
ちが外国からの客の中に見出だされると考えたんだ。手紙は読んでいいよ、君たちが興味があれば。近日中に僕は帰
誠実をもって君のものなる F - N
41
宅する、既に妹が僕の住居を整えて僕を待っている o
八月十一日のもの。歴史的批判的全集、室閏筒篇第四巻二二八頁参照。
悲しみを持つ凡ての者に慰さめが、希望を持つ凡ての者に保証が与えられんことを心から願いつつ
(1)
二四、 オーヴェルベックより
ハlゼル、七六年三月一一一一日
親友ょ、木曜にツュlリヒから戻る時の僕は君がまだここにいるかも知れないとの懸念を持っていなかったとは言
えない、君が出発したと知って一種の安堵を覚えた。そして天候が如何に不良でも、空気と空の転換が君の身体に全
く良かろうという僕の確信は揺がない。天候は無論ひどいわけだが、この様な場合に風邪をひくのは君ではなくて君
の旅行仲間の方だということを僕は知っている苅ゲルスドルフには実に気の毒だと思うけれど、覚悟を決められんこ
とを僕はエキスパートとしてお願いする。今日は妹さんのところでまた何か君について聞けると思ったのだが、何に
もなかった。それで僕はこの手紙でちょっとした報告を直接僕の庵室へ誘い寄せようと思う、無論僕は来週土曜にま
1
1
1
人文科学論集
たここを去って復活祭休暇の中の二週間を婚約者のところで過ごすのだけれど。その聞は﹁ツュlリヒ、 ファルケ γ
シュタイ γ﹂ へ宛てれば手紙は僕に着く。今度帰ってきて僕は実に嬉しい人と面識を得た、ライブツィヒの若い神学
私講師ハルナックだ、この人と僕との文通を君は知っているね。僕は彼において、実に博識な賢こい人物を見出だし
た、青年らしいうぬぼれがまだ可成りに付着してはいるけれど、ライプツィヒの彼の同僚とかその他あれこれの凡く叫
ら神学者より利口であっても何にもならないことが時と経験によって分ればどうせ消えてしまうと思われる程度のも
のに過ぎない。彼は君をも訪ねる積りだったのだ、 彼 が ラ イ プ ツ ィ ヒ で 交 わ っ て い る 若 者 た ち の 仲 間 │ │ 彼 は 特 に
ゲ lリ γグという哲学的な私講師だったか哲学の私講師だったかを挙げたーーでは君の諸著が大いに問題にされてい
るのだ、そして優秀な神学者の彼自身は主に君の第二の考察に感謝の義務を負うていると言明したが第三のものには
余り関わりたくなさそうだった。彼にライプツィヒ気分があるのは勘弁してやらねばなるまい。僕は、彼が君にここ
で会えなかったのを非常に残念に思っている旨を君に伝えることを引き受けた。彼自身は土曜に帰って行った。彼は
僕に、僕たちの脅迫的な同僚(││)の或る手際のよい編纂物のことを話した、序でながらそれは彼の学問的啓発を
ラガルドの報告に対して本当に怨みを抱いている一論文を見出
助けていると共に邪魔してもいる o彼の雑誌の中に︽これはハルナックに関係していることではない。﹁脅迫的同僚﹂が或る神
学関係の党派的雑誌の編集者だったのである︾僕は最近、
だした。その著者は、踏まれた虫けらがやるのよりももっと不ざまに身をよじらせ、 むしろ、 カルタで組み立てた家
をこわされた坊やの様に振舞うていた。フォ γ ・マイゼソブlク嬢の回想録についても僕は新自由新聞で、全体的に
は賞めているのだけれども全く態度の悪い批評文を見つけた。その批評は、無論控え目であるにせよ、報告されてい
るマツイ l ニの手紙の信頼性を疑うことを敢えてし、著者のワ Iグナーへの情熱は全く明らさまにそしられていた o
ヮlグナ l夫人のお母さんが死んだことを君たちは知っているだろうね?その時どうしたかね?iliあの回想録の僕何回
の分は最近到着した、 し か し 僕 は そ れ を 直 ぐ 製 本 屋 に 渡 し た の で ま だ 全 然 読 ん で い な い 。 ー l次の木曜に僕はどうや
1
1
2
ら学長職という恐しく酸っぱい林檎を食うことになりそうだ、
﹂の比鳴を飛び切りの意味で用いることが僕に許され
ることは君の知る通りだ。僕は幸いにも今は、この災難に対して自分を慰さめるのに必要であるよりももっと多くの
ものを持っている o 講義以外には僕は今はツュ!リヒからの実に愛らしい手紙を受け取ることのみに忙しい、そして
出来るだけ返事を書く。だから僕については報せるべきことが余りない。さらに報せるとすれば、昨日ここは物凄い
大暴風で、最後にはどしゃ降りの雨が加わったこと、 ウィ lゼ川が今日の午後、今までになかった水位に達する恐れ
があるとのこと、今朝ミュ 1 ルハウゼンとバlゼルとの聞の橋が旅客列車の通過中に折れたこと、今晩ゼルマル・バ
ヅゲがマタイ受難曲についての講演をすること。この最後の報告を以て僕の手紙の牛ガ語レリ σg-2EE 巾えの部
分を終えるのが適当であろう。
君の力と元気が建ってきたという様な報せを早く呉れ給え、ゲルスドルフによろしく、ここに置かれていた名刺を
幾重にも友情をこめて
君の
(1)
オlヴェルベッグ
僕は、今回は彼のものをこれだけしか得られないのを甚だ残念に思いながら読んだ ol--二週間後の今日パウムガル
ニI チェより
44
ト ナ lが旅立つ、今度の土曜に僕は多分レラッハへ行く。
二五、
シヨン付近のプランタニェ lル︹一八七六︺
良き親友ょ、手紙を書かなかったことは本当に済まないと思う、君は罰として二度目の手紙をくれた/如何に君が
寛容の気分の中にあり、如何に君がひとにも分かち得るほどの幸福を持っているかを僕は知っているよ。ところで僕
113
古内
ニーチェとオーヴェノレベックとの往復書強
はここに坐している、相変らず孤独な男の
朝から晩支で盗ったり降りたりし
。坐しているというのは無論全く狩本来的な意味で
と間違えるほ
何故なら僕は
の真只中でだ
だ/﹂
に多くの
っている通りだ。
の幸福惑の何時間同かか一作り出しているからだ、多くの不
しば一言道語的ない
の弾みが実に
;ii僕の
しとい
は僕にとってはそこから設け出る
知らない
の山々が涼しい
の中に輝い
なければ、
のことよりも少々ばかり以上一のものであるのが常だ。僕は
、だからあの幸福惑も、
において窮地におとし入れられている犠な気がする
の良いもの
p ーがノンヌ
サヴ占ペイの
コ
〆
指を僕は山似をうろついている捺に
恐しく患われるの
の下方にシヨン
会 I~
言うだろうし、その通りだ
明日ジナ不:ヴへ行く。新しい需は
気分が悪く器しかった、そして
、
<
古
と
胤
附
ばベルヌリノ擦問附両府
ψん約批判判的全築設問柑附総務鶴巻二六
心から君の友
と特進することになるのは実品
の試みがう
こをしず、
た時には救われた想いだった。ブォ γ三
︽ γガ l氏には手紙会一出した。この
γ夫 人 に く れ ぐ れ も よ ろ し く /
、
即日出件号が
f
Lo 養 育 / 母 詳 MHU
ι
p
に︺バウマ
898a
一一⋮⋮貝及びジュレビタ例制品、 チー全集第三巻⋮一一一六八叉参照。
一巻一六九叉以下の﹁ピカール数授の緩い出いを参黙のこと。
ハ
2﹀﹁山だし品開﹂め日放。ベルガモ人法混合点怖の山県裂。ュ;チエげか悶 l ザ γ ヌで遂が分'り
(3﹀ふ入学会燃す。
仁
γ に巡しい歩いたことについ
(1﹀ の 手 紙 は 四 月 五 日 お れ た も の で あ り 、 淡 の 二 六 番 の 手 紙 の あ と に 授 か れ る べ き も の 。
水躍。
﹂れ以よ書くことは
にパ i ゼルヘ
。
る
1
1
4
た。それは結局七八年に否決された。
ハ
4) 古 い 校 舎 が 狭 く な っ た の で 大 学 を 兵 舎 へ 移 転 さ せ る 様 に と の 請 願 書 が 六O O名の市民によって七六年=一月に州議会に出されてい
一
一
六
、 オlヴェルベッグより
ツュ lリヒ、七六年四月四日
親友よ、数日前にゲルスドルフが手紙をくれたが残念ながら二度目も僕の部屋からだ。自身については彼は全然何
(1)
も報せてくれなかったから君からもっと聞きたいと思う o 君については僕の望み通りのものではなくて、ひどい悪天
候が君たちを追って行ったので僕が心配していた通りのものだった。君はパンション・プラソタニェ l ルにまだ飽き
ないのかね、何週もその名前に馬鹿にされてきているのに。特に僕は、僕たちが一週間前からやっと恵まれている春
らしい春の日日を君、がもう少し人間の多い地帯で過ごしてきた後にこの手紙を手にしているのなら嬉しい。また、僕
は君に会いたくてたまらないのだけれど、来週バ l ゼルで再会したくはない。僕自身は勿論来週月曜には僕のパトロ
γのホフマシから新しい職の奥義を援けて貰うためにそこへまた行かねばならない。いやいやながら行くのであるこ
とは察しがつくと思う、 しかし結局は、こんな風に世の中から離れてばかり暮らすわけには行かない、今僕がここで
やっており僕の婚約者のおかげでそうせざるを得ずにいる様には。僕は君にこうしか言えない、 君 も こ ん な 女 を 探
せ、そして他の目標と共にこの目標によっても健康へ駆り立てられる様にしてくれ給え、 と。││僕の婚約者が日下品
﹂れは彼女のピアノ教師フロイシト氏
ここでは凡てだ、僕の方もこんな良い土地でこんなに笑っている空の下で彼女を傍に持っていることに忘思的ではあ
りたくないと思つてはいるのだ、が。 音楽の一タもちょっとしたものだった、
のおかげで、この人はタウズィヒとリストとの弟子であり、これ等の巨匠をも彼の故郷││ハンガリーーーをも恥ず
かしめる人ではない。僕たちは彼を土曜日にファルケンシュタイ γにへ lガル夫妻と共に招いたのだ。シュ I マγの
二重奏曲の後が主要曲目、 ショパ γの一連の珠玉的作品で、これをフロイ γトは'実に見事に弾いた、 それからマイス
1
1
5
古内
ニーチェとオーヴェルベックとの往復書簡
人文科学論集
タl ズィシガーとニ l ベ ル ン ゲ ン と の あ ち こ ち を 思 い 出 し な が ら 弾 い た o 勿 論 こ の 男 は バ イ ロ イ ト へ 行 く 、 序 で な が
ら彼は決して単なるピアノ奏者ではない、 そしてユダヤ人にしては立派な態度を持っている。 lil僕 た ち は 新 婚 旅 行
の 行 く 先 を バ イ ロ イ ト に し よ う と 本 気 で 考 え て い る 、 そ し て 僕 は 差 し 当 り ド レ l スデソの宝くじの結果を期待してい
る o最愛の友ょ、若し僕が君に健康とそして君があそこへ行ける保証とを贈ることが出来るものなら僕は喜んで諦め
o
無論彼女の性格と比べては一人の男の性格は
るのだが O │ │ フォン・マイゼ γブ l グ 嬢 の 第 一 巻 を 僕 た ち は 昨 日 読 み 終 え た 、 勿 論 実 に 心 の 重 く な る 作 品 だ 、 そ し
(2)
て彼女の叶﹁:・は彼女の限りない愛情に値しなかった様に思われる
辛い立場に置かれることになり、ややもすれば弱々しく見えることになる o l - 僕の婚約者は君に心からよろしく言
っており、僕が君に対して抱いている凡ての願い、特に健康で再会出来ればよいという願いの点でも僕と同じだ o と
君の
心から元気を祈りつつ
に角この夏は健康を本気で考えてくれ給え、そしてすっかり元気になって帰るというわけに行かなかった場合には少町
﹁春の宿﹂の意。
叶
,
z
a
o
H
( テ、オドル)。﹁一理想主義女性の回想﹂第一巻参照。
なくとも毎日の仕事の一部を遠ざけてくれ給え。
(1)
(2)
二七、 オlヴェルベヅグより
ハlゼル、七六年八月二日
ニ1チヱはこの手紙を受け取ってその返事(二五番の手紙)を書き、六日にジュネ lヴへ出掛けた。フォン・ゼンガ!の女友達マチル
︿V
デ・トランベダツハ嬢(一二歳の戸シア娘で後にフォン・ゼンガ i夫人)にニ lチェが突飛な求婚の手紙を書いたのは一一日である。
O
1
1
6
もう一度短かい便りを、親友よ、古いパウマン洞穴からだ、ここを僕は明朝去る。僕にとってはこの洞穴によって
印づけられるこの生涯の一時期を僕がふり返る時に、中心に立っているのは君なのだ。何と多くのものを君はこの中
で本当に仲好く僕と分かち合ってくれたことか、何と多くの忘れ難いものを僕は君のおかげで新しい生活の中へ携え
て行くことか/実に情ないのは、現在僕に祝辞をくれる友人たちが皆んな君についての不安の念を逃れられずにいる
という事態だ。最近の情報は勿論、パイロイトが君の健康に良かろうといつもひそかに考えていた僕の信念を元気づ
けてくれるものだった。今日は君の妹さんに会った、もう彼女は万事うまくやってしまっていて、土曜には君のとこ
ろへ行く。九月に必要であれば無論僕の部屋を使っていいのだ、悲しいほどすっからかんになったけれど。このすっ
からかんにする作業を僕は顔に汗をかいて今終えたところだ、 そしてこの数日の煩労の下でこそ﹁結婚の港に入る﹂
という心像が益々はっきりしてきたよ、僕はみじめな諸経験のことを言っているのだ、それらのためにこんな心像が
生じできたらしいのだ。ところで今からもう僕は、数日の、もっと穏やかな日日を楽しむことを考えている o 明日は
婚約者のところへ行き、火曜に結婚式ということになる o そしてその後すぐにバイロイトでの再会だノところでそこ刊
では僕たちはフロイントに関して珍しい経験︹lli││いをすることになるらしい、若し彼に関してまだ経験が問
題であり得るとすればだ/良き友人たち皆に心からよろしく、君には僕の婚約者から特によろしくとのことだ、彼女
と彼女の母は君と君の妹さんが不在だったので最近実に実に残念がったのだ、特に僕たちは当時君があんなに早くバ
ブラシツ・ォ l ヴ ェ ル ベ ッ グ
君の誠実な友
イロイトへ旅立とうとは夢にも思わないでアイゲソタlルへ出掛けたりしたのだから。大事業の華々しい発芽の中に
ルツェルン付近の湯治場の
あって君が元気でいてくれることを心の奥底から願いつつ
(1)
117
古内
ニーチ Hとオーヴヱノレベックとの往復書簡
ぐ
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関川内ノ潔白が鎧にもあるの
何故なら援はま
いことに撲たちは
僚に会った時の
しているのだから。
いにひどくやられてレるのだ。その
ゆたひそれ以前の
っているこ
めているのだった。
るところは、
、バイロイトから出された
?とした毅述の
てよりも設の
してくれているの
書いて出すことにする、この
たのかということの答弁を僕に
ここに義明い
にパ
の第一一掃公演の前日﹀に幕びパイロイトヘ決って友人たちと会い、一七日にシュレ及びレ i
AV
この手紙はパイロイト同仰に出されたものマある。ニ;チェは七丸一⋮燃は μ問、ハイロイトへ発令、八月五日にグリソゲンヅル
を去った。
ヤ
タ
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こそ彼と話さなかったのを非常に
どんな工合に終ったかということも。しかし僕は、君には
そのためゲルスドルフに会いそこ
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十二日(コフイ γ
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八、ォ 1 ヴ ェ ル ベ ッ グ よ り
親友、へこの
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たのに、そしてパイ口イトの
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君の知る知く、
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こ
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い状態に比べればまだ増しであって、撲の母は
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だ
の
118
気候の荒いこの土地で天気の激変にぶつかったのが大いに手痛かった、 しかも僕のフラウは盛り沢山の新婚旅行で少
々疲労していたのだ。しかし彼女と共にパイロイトの忘れ難い日日を体験したことが僕にとってどれほど価値がある
かは全く君に言えないほどだ o僕たちは遅ればせながらここに着いてから直ぐに君の最後の考察を読んだ、そしてこ
の 考 察 が こ の 様 な 表 題 を 持 っ て い る こ と は 僕 た ち に は 信 ズ ベ カ ラ ザ ル コ ト E2白戸口。ロ ESロ 号 の 様 に 思 わ れ た 。 僕
たちにとってこれ以上の後祭りはなかった。ーーーしかし君の調子はどうだろうか?それについて全く分らずにいるの
は、幸いにしてもう余り長いことではない。 レーとパウムガルトナ l 一家に呉々もよろしく言ってくれ給え、バウマ
妻。即ちイ lダ・ォ lヴェルベヂク
o
誠実をもって
君の
オlヴェルベヅク
ン 夫 人 と 古 い 洞 穴 に も ol--フ ラ ウ が 君 に よ ろ し く と の こ と だ 、 近 い 再 会 を 楽 し み に し な が ら 今 日 の と こ ろ は 左 様 な らだ。
(1)
一巻一九三頁以下が参考になろう。
ドレ iスデン東南方の名勝。砂岩の山地。
(2)
(3)ピアニストで音楽著述家のカルル・フヅクスである。バイロイトにおけるニ lチェとフヅクスとの決裂についてはベルヌリ書第
AV
ニlチェはパウマン洞穴のオ 1ヴェルベックが出た後の部屋で暮らしてから一 O月一日にレ!と共にベ i温泉(一九日まで)、その後
ジュネ lヴでアルパIト・ブレンナーを加え、ジヱ lノヴァから船に乗ってナポリへ。マイゼンブ lク嬢が借りていたソレントの別荘
ニl チ ェ よ り
主主田、消印はソレント、七六年一一月一一日︺
1
1
9
に着いたのは二七日。翌年一 O月まで病気休暇を貰っていた。
九
古内
ニーチェとオーヴェノレベックとの往復書簡
人文科学論集
誕生日を迎えるわが友に良きもの願わしきものが無限に与えられんことを、 そして僕たち二人に待望の再会が与え
られんことを。お便り有難う、 しかも返事は残念ながら葉書にせざるを得ない。何故なら全体的に僕の調子は去年の
今頃より良くない。ジェ l ノヴァでは病臥したし、 ソレシトではもう四回激しい発作があった。ワlグナl一家は数
日前にロ l マへ去った。僕の祖母が死んだ。老ゲルラヅハは良い人だった、哀れなバIゼルの文献学よ/︽ゲルラッ
ハは死し、ニ lチェは休暇を取っていた︾ベル γのハ lゲ γが事情を報せてくれと頼んできた、が、僕は報せてやることが
illqフレ γナーが君の演説︽オ lヴェルベックの学長就任演説︾のことを話してくれた。 それを手に入れたい
出来ないo
なあ/││忠実な奥さんと君との元気を祈る o
三O、 ニl チェより
(ソレント、七六年一二月六日)
誠実な親友よ、 ちょっと良くなったと思ったのだがまた悪く、持続的に悪くなってしまって、 まだ全然希望が持て
ない。健康になるための外的諸条件は凡て揃っているのだ、そうとあれば何か出てこなければならない筈だよ、 ね
ワ
・
0
しかし辛棒、が必要だ。幾つものお便りには心から感謝している、例え返事は碕んど書けなくても。ウォルツォ Iゲ γに日
僕は、僕の健康が許す様になったら何らかのものを何時か渡すという確約を与えた︽﹁パイロイト雑誌﹂への寄稿のこと︾
しかし彼の企ての本旨は僕たちのものではない。僕たちをプリユヅデマ γ 一味と間違えたり一緒にしたりすることは
断じて許せない。ーー
︹
Il--u 家はゲルスドルフの求婚に同意した011金は、話し合った通りの郵便為替の形式でお願いしたい。
どれだけ貰えるのか知らないが、その中の一 000フラシを先ず送ってくれ給え。
カウフマシの相場表は欲しくない。││ゲルラッハの後任についてはどんな話になっているかね?
1
2
0
僕たちは大いにヴォルテ:ル
(ソレ γ ト ) 一八七
(2﹀ カ ウ フ
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だ
、 々はマイ γ レγダ;の番だ。
γンは、人名索引によれば際緩去四回支に出て設や一人物と出向一である
0
ニ六O
殺の会計は、今期分の
、一僕が今ここで
んに心からの
﹂めて
F-N
会及川りプオン・
000フ一フγ
一八日
・刀ウブマン氏がニーチ認めために為替相相場変役オ i
フラγ
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糸川って、 それ
三一五O フラ γか ら 君 が 既 に 受 け 取 っ た
のために払い
ハーゼル、一八七六年
4
。
ヴェルベヂタに託したので為ろう。カウブマンという名前は﹁商人﹂の意味であマ心から検使であ る
は一 0 フ ラ ン だ 。 事 務 所 に お
ってソレントの欝便局へ
ォーヴェルベッグより
親友ょ、
取れる。
への賠償一九0 フ ラ ン を 差 し 引 い た
った、必ずしも驚いたわけではない
O ブラソを払い込ん
であの一 O 一
のところに置いてある。裁には今日は余りおしゃべりは
を撲が君の代り
分として
の気持は本当に
いてブィシャーに渡すので、殺に
の手紙を読んで
っかり納支る
とはなか
例えちょっとにあ佼よ、健康が蛙ってき
って考えはしなかった。しかし今は、
ろうと識待している。君、が支
るだろうとは
ん
シュテソパゲル燃に関・ずる原注参照。
後略されているのはアィノチエヅティという駒郡名である。フィレンツェの治爵家を拐すものと忍われる。原怒七
日
実に大きい。そり諜な前触れ
の
あるからだol--君の
ったことの
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チ匁とコナーグェルベッタとの往復書簡
人文科学論集
ろうと思われる o新しい年に対して僕のフラウと僕との最も切なる願いは、君の健康、が匙ることだ。││ゲルスドル
フから昨日、実に驚かせる手紙を受けた。万事がまだぐらついているのだ、事態は絶望的ではないが、哀れな彼は明
らかにひどく落着きを失って興奮している、そしてクリスマスの後あたりに数週間またここで過ごすことを考えてい
る o彼はバ Iデ γ Hバ lデ γから手紙をくれたのだが、シュレ lズィエンの宛先を報せてよこしており、この宛先へ
僕が手紙を出せば彼に届くのだ、 ただし今月二一日以後とのこと。僕がどんなに彼を歓迎したいと思っているかは君
には分るだろうol--新しい音楽堂のこけら落としのことは、僕の間違いでなければもう君に書いたと思う。僕たち
は予約者にはなっていない、 しかし昨日はフィシャ l の代理でベ lトlヴェ γの誕生祝賀演奏会に出た。 ツュlリヒ
のフロイ γトが実に見事にト長調協奏曲を弾いた。ベ lト lヴェヅを愛する気持はどんな場合でも変らない、だから
僕 は ベ ル ナ イ ス の 歌 詞 が 加 わ っ て い る エ グ モ ン ト 音 楽 に 余 り 文 句 を 言 う 気 は な い 、 しかしそんなやり方で上演するこね
と の 野 蛮 さ に は 腹 が 立 っ て た ま ら な い 。 │ │ フ ラ ウ と 一 緒 に マ イ ス タ 1 の徒弟時代を読み終えて、今は遍歴時代のく
るみ色の少女のところまで来た。著者の卓越性が遍歴時代によって益々分る、 しかし我々の周囲の今日の文学を考え
ると、この様な作品が既にドイツ文学の中に存在しているのだという驚きが始終念頭から離れない 0 1ーーゲルラヅハ
の後任に関しては僕たち二人はあれこれと空想をたくましゅうした。彼もいることだ、 つまりメ lリさ、だから他処
からの招聴は全く考えられていない oll-昨日バッハオ l フェン夫妻が僕たちのところに来た、そして君に呉々もよ
ろしくとのことであり、バッハオlフェジに対しては、一切の反時代的なものを遠ざけておくという彼の平生の態度
を良しとしてくれる様にとのことだ。彼のお父さんが最近亡くなった、 ゲルスドルフのおばあさんも。 レーはまだ君
?iデには近く僕自身が便りをくれる様に頼む。フラウが呉々もよろしくとのこと、僕たちは土曜に一週間の
と一緒だろうか、彼はどうしているだろうか、そして彼のモラリスト的な仕事は?まだそこにいるのならどうかよろ
しく。
予定でツュ Iリヒへ行く。親友ょ、僕たちの願いは何処へでも君に付き添って行く。何処にいても元気と希望とを保
1
2
2
γ
ってくれ給え。
aタイ
何らかの
ケンシ
予防仰するために、
のため鴇読み書きの
の受領を誼ちに報せてくれる
っと、娘績の
ぃ。来還は撲の
と
と
一
一
一
一
口
六日
ヅュ!りと、ファル
ォ;グェルベヅク
ソレント、
それで僕に出来た
た
、
つでも新しいのな
そして撲はこ
ーヴェグベックの母の死︾を悼むと共に、自
る状態でなかっ
の思いやりのやマ殺の痛みを尊重し、君の大きな喪失
、僕は
iチェより
えば、静か
ることのみであっ
っと多くの担を持っているのに違いない、入閣は若干の
然の銀役切られても人間がなおも生き続けるの
m考えているよ
人間は設が通 m
めとして君の役に立っただろう
った
に結欝ずる。グルスドル
つ 04 ソ
もブ“
、そしてそれが最も長い
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館教
二本規援
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作り出すのだ、と。詞時に
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複母を失ったことを君に書いただろうか?
こさせる、
全 i食 ン
レ!とブレンナーはコ一月末に
から臭化ナトザウムを用いる、
設はまた良好になっている
るOIl-- 戸I
ど絶え間なしだっ
ちはここに
と若品
と患っている。
の状態時僕に多くの危倶を
学)の没話になっている。 ナル々イシ
報告することになっている。
っムた、
γツ夫妻が僕たちのところへ
先月は
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1
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3
あポ
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大
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人文科学論集
フの事柄︽彼の婚約︾はうまくない状態だ。
親友よ、奥さんによろしく、それからバウムガルトナ I夫人、バウマシ夫人、 インメルマン夫妻にも。
ケlゼリッツに僕は感謝の返事を室田かねばならぬのだが。
元気なれ、そして君の友の愛を信じてくれ給え。
︹ソレント、一八七七年春︺
一八七七年三月二六日。皆がよろしくと言っている。どうか本屋の勘定を払ってくれ給え。
僕はあれこれのことを考え抜いた、これ等は僕たちが会った時に君に先ず話さねばならない。
ソレント、
一l チェより
お便りは実に有難かった、僕は全くみじめな状態の時に受け取ったのだ。
フlグの勘定を払ってくれるかい、同封の帽子屋の三、コ一フラシの勘定も。
これは君を悲しませることだ、しかし他にどうしょうもない。
F
、o
T ふL
ォγ
・M嬢は決心が絶対に必要だと考えている o僕は今後何年も僕の病気が続くものと考えねばならないのかも知れ
.秘密にしておいてくれ給え o 決心することが僕には困難になっている、しかしフ
てくれ給え。これは今のところ割d
どうか僕に少し力を貸してくれ給え、僕が僕の辞職願いを誰に(そしてどういう称号を付けて)出すべきかを報せ
僕が秋に講義を再開することは考えられない。だから/
船で発つ、ラガ γツ付近のプフェlフェルスで湯治を試みる積りだ。手紙はどうかラガザツへ局留で。
誠実な親友よ、調子は益々悪い、 だから僕は早く出発せねばならない、僕は三日毎に寝床に横たわっていた。明日
一
、
一
55
1
2
4
ツュ lリヒの楽譜庖。
lノヴァまでひどい船旅をして一五日にラガツツに着いた。
奥さんに心からよろしく。君の友にして兄弟なる
ソレ γト、月曜日
(2)
(1 ﹀ 五月七日と推定。歴史的批判的全集参照。
AY一Iチェはソレントを五月八日に発ち、ナポリからジェ
オlヴェルベックより
F-N
ゼル、一八七七年五月一一一一日
ハl
ぃ。だから、このことを直ぐさま押し進めねばならない特別な理由が君の側広生じているに相違ない、 しかしそれに
もっと待って、例えばプフェ l フ ェ ル ス で の 君 の 湯 治 の 効 果 を 見 る こ と に し た と こ ろ で 、 全 然 利 益 が 損 な わ れ は し な
職願いは、 た と え 避 け ら れ な い こ と で あ る と し て も 、 こ こ 数 週 の 聞 は 全 然 急 を 要 し な い 。 こ ち ら の 側 と し て も 、 君 が
が完全に裏書きされた。僕たちは差し当りこのことを最も厳密な意味で秘密にしておくことに意見一致した。君の辞
った o 僕 が 話 し 出 す と 直 ぐ 、 彼 が 僕 の 報 告 を 受 け 取 っ た 態 度 に よ っ て 、 君 へ の 彼 の 関 心 に つ い て の 僕 の 心 か ら の 期 待
密 厳 守 を 破 る こ と に よ っ て 如 何 な る 悪 用 を も 生 ぜ し め る 心 配 は な い と 確 信 し て ヤ l コプ・ブルクハルトと昨日話し合
やってしまうことは僕には余りにも苦しいことだった。それで僕は、君の了解は得られると思うし僕に課せられた秘
僕の憂患は、余りにも定めなくさまよっている。君の辞職の問題において何事かをひとりで、親しい人と相談せずに
事情の凡てから推して既に不安になっていて、良いことは何も予感していなかった。そして君の手紙を受けた後でも
親友ょ、君の手紙が僕をどんな悲しみにおち入らせたかは見当が付くと思う。無論僕は最近それ以前に生じていた
四
ついて僕に先ず報せて欲しいのだ。勿論僕は今君と是非じかに会って話したい気持で一杯だ。何時頃君がここへ来る
1
2
5
古内
ニーチェとオーヴェノレベックとの往復書簡
人文科学論集
ものと期待出来るだろうか、或いは君が二、三時間ラガッツを離れることが出来るならそことこことの中聞の何処か
で近々会えないものかどうかを知らせてくれ給え。いよいよの時には、そうすることが君に必要だという手紙をくれ日
れば直ぐに僕は日曜一杯ラガヅツへ行く o 僕は君が今そこで全くひとりぼっちなのではなかろうかと恐れる、それに
しても、僕はラガッツの温泉聞きについて僕の知っている凡てから判断して、君が今からもうそこに腰を下ろそうと
ブルグハルト、が心からよろしくとのことだ、そして君の病気に深く同情している
考えているのを不思議に思う o l - -
一つの所帯も結局は、
一つだけぽつんとして
と伝えてくれる様にとのこと。僕のフラウもだ、直ぐに彼女は、ここにおける僕たちの未来についての僕たちの夢の
大部分が今や消え去る様に思われると言った。個人の場合もそうだが、
いることを欲しない中心点の様なものなのだ、この町において僕たちの所帯は親しい他の所帯との結び付きが得られ
る見込みを殆んど持っていない。
出来るだけ早く便りをくれ給え、そして既に言った様に、それが君にとって望ましいとなったら直ぐに僕を呼んで
ォ lヴェルベッグ
F・
誠実をもって君のものなる
くれ給え、何れにしても近いうちに僕たちはまたお互いに口で話し合わねばならない。
ニl チェより
オ lヴヱルベックは聖霊降臨祭休暇を利用して五月二O日から一一一日にかけてラガッツを訪れた。
︿V
三五、
︹葉豊田、消印はラガッッ、七七年六月一日︺
まあまあの状態だ。悪い日が一日あった。入浴は一七回。当局に対してはまだ何も処置を取っていない。ためしに
予科をやめてみればうまく行くかも知れない。頭の全体的疲労は無論まだ消えそうもない。月半ばにはもっと高い処
のん
内
り
ほんのちょっと
いに修復され
ないとい
にはお
〆
なる。しかしあんな
ことがどうして
ヘーピー- Jγ
の去った翌目だったのではなかろうか
へ行く積りだ。││プブェ 1 アールス村への道、橋、
日というの
んの元気を祈る。
干
し
、
した
今は断じ
やめることに決心が付かないままでいてはい
かった。何れに
めようとす
しい持頴とに心からの喜び
JC土 工 為
すて p
ぜず会
えてみた
っかりし
ローデに
、そして美しい日
この
このお化粧の
なくなったものと関
てし、まったらしい、彼
58
める。
ォーヴェルベッグより
親友ょ、一ブガッツにお
に長く離れていた後にあの
の然、学期にここでまたやって見る
カ
ミ
日
再会したかしないかのうち
で秋にまた勤め
ろで自然は楽しい
いと思ったが、
なったのだ、
よ
ろ
て
日ヤ l コブ・ブルグハルト
ることにしてくれ給え。
いに望みを持つ
の
ゲルスドルブから手紙がきた、
のことだがね、
何かに
についての彼の蕊性的決意をま
ぶら下げていた
の間に結ばれ
ろで読は今度の
J
ニ
/殺が本当に
て自分
って、君の
いない、何れに佼
かった。
の
いると
らしてくれたよ。とにか
にも産まれたに
持は僕は
るのは全く気遣わしい。早速君のところへ
にまた
日がそ
I
"
と
二
は た っ た 今 手 紙 を 出 し た と こ ろ だ 。 前 者 に つ い て はB
金
の
持 イ セ ン と ト γガ
なかった。と
127
ゃれ者になってやって
し
守
、
喝
、
Jo-、
ジーやれムμ
カ
込
合内
と;;l--グヱノレベックとの役復書簡
エーチ
人文科学論集
(2)
の言によれば、彼がいないと彼の母が仕上げ得ない或る翻訳のためだそうだ。遂にブルクハルトは今のフランスでは
問題にされないことになるのだろうか?あの意向変更が目的に適っているだろうかという僕の徹底的疑念、或いはむ
しろその逆を良しとするという僕の言葉に対して B は 、 彼 が 前 の 冬 に 得 た 知 識 の 有 効 性 と 量 に つ い て の 彼 の 感 じ を 僕
に話した。量の方はとも角として、彼がちゃんとした方法を身につけておらぬ限り有効性の方は疑わしい。││木曜
に評議員会の滑稽な会議があって、バヅゲのケ 1 ゼ リ ッ ツ に 対 す る 苦 情 が 議 せ ら れ た 。 メ l リ と ハ イ ネ と が 討 論 の 獅
子であったが、彼等はお互の尻尾まで食い合った、何故なら彼等は意見が反対だったから。学長による詰責というこ
とに決った、 Kはその後それをフィシャーから受けたことと思う o この事件についてのフィシャIの道徳的興奮は、
彼がその瞬間の辛さと下らなさとを乗り越えるのを助けることになっただろう。 il!僕たちの給料は多分今月二一日
プ ー ド ル フ ・ パ ウ ム ガ ル ト ナ l。
ニl チヱ
にはもう出ると思う。だから君は今後は、金が要るならば、最終支払日の直ぐ前頃に来ればよいだろうO││フラウ
が君に呉々もよろしくとのこと。君の回復への僕の心からの願いを彼女も分かち持っている o
君の古い友
(1)
プ ー ド ル フ の 母 の バ ウ ム カ ル ト ナ l夫 人 は ブ ル タ ハ ル → の も の を フ ラ ン ス 誌 聞 に 翻 訳 中 だ っ た の で あ ろ う 。 同 夫 人 は 既 に
オlヴェルベッグ
(2)
ニlチェより
の第三及び第四反時代的を翻訳し、後者は出版されていた。
三七、
︹葉書、消印はラガッッ、七七年六月六日︺
一一一日悪い日が続いた。お便りはベットの中で受け取った。医者は湯治を続けることに反対であり、高地へ出掛ける
ことをすすめる。今度の日曜に僕は発つ。それまでに五OOフラ γを届けてくれることが出来るだろうか?(集金為
60
1
2
8
元気なれ、良き親友よ
ハl
ゼル、一八七七年六月八日
替で)
o ここはなしむしする空気で非常に暑いol-- ロlデの結婚は夏休みに入ってからだ。
(水曜)
オlヴェルベヅグより
から信号を送ってくれ給え。そこが君に効能あらんことを/
オlヴェルベック
誠実をもって君の
ぐに残りを引き出す全権を君は僕に与えるだろうね。何れにせよ出来るだけ早く、君が再び訪れようとしている高地
の二一日だ oill僕が昨日君のために国庫から引き出した五00フランが今日は君のところに着いていると思うo直
ハだったのだ││僕は返答を避け得たのだがな。とも角も君はまだ数日は考える曜がある。次の-評議員会は多分今月引
ッツで会ったことが皆に知られていなければ││僕が帰路にツュ 1 リヒの駅でぶつかった最初の人聞がハ lゲンバッ
らない。最近ズィ l ベヅクが今度の冬学期用の講義目録のために君の住所を僕に尋ねた。僕が君と聖霊降臨祭にラガ
度の冬学期に隠退状態を続けることに決ったわけではないにしても、万事がまたぐらついてしまったのだと思えてな
義母がお役に立っと言っているから利用し給え。さもなくばドイツの何処かに問い合わせるべきではなかろうか。今
iリヒのユグネンを有能な人だと賞讃する声を僕は最近聞いた。相談してみる気があれば、僕の
はなかろうか。 ツ?
親友よ、君の今度の報せは、その前のを受け取った後なので、 またもや驚きだった o有能な臨床医に相談すべきで
八
ケ ス ト ナ l嬢の死去のことはパlゼル情報によって既に知っているだろう。彼女は特別な病気ではなく老衰のために
129
古内
ニーチェとオーヴェルベックとの往復書簡
ったのだ。
料を払うこ
味の
⋮せば、その
μ
や
A
v許 叩 、
今月一一一C お か ら の 新 し い 保 険
1
制
一マルグ
の最高額だか
、或い誌君の
い保験料として
/111
3J
、 :;ACdEL、
v
ある、これは序での
必h 品
ータの君の保険の鵠増担当を受け取って
のものとして撲の
ちは八C パi セγト﹁髄けた﹂、
昨日は君のために
っておいた。
。フラγ
れ を 一 緒 に 送 る こ と が 出 来 な か っ た の は 、 玄00フラン
八マルクつ玄り
に届ける。昨日
2Eω
長く予科から離れているこ
の参事官カル
た。とにかく予科の側か
して貰える。ところでその額警は今の
と共に、
アンで
ブ リ ヅ ツ ・ ブ ル グ ハ ル ト は 昨 晩 支 で バ iデン HバIJ
の歌のメロディー
っと返事を護くなん
、約束してあったラブラソド
。楽譜が緩いてあるのだが省略する。
親友ょ、
オi ヴ ェ ル ベ ッ グ よ り
済まない
括合していたのだ。今日やっと後に会えた。
っている。
B
誠実をもって殺のものなる
裏
ったイ i
﹂こにいるものと考えられるので心か
p lゼ ン ラ ウ イ パ ー ト に 依 然 陪 じ 様 民 満 足 し て い る こ と の み 念 願 う 。
、君が今度
とは静ましくないがアビレ九・ブルタハルトによる弐理の
らは、 君が
G
ダ・リヅチュルの婚約通知その他は着いたと思う。一重ぐにまた身長い報せを聞か佼℃くれ給え。フラウがよろし
ぃ。差し当っては
ル・ブルグハルト博士に宛てるべきだろう。これ
y
,
こ
6
2
1
3
0
﹀
ク宛に手紙を出したものと思われる
G
オIヴェルベヅグ
l ト へ 行 っ た 。 そ こ か ら オ lヴェルベヅ
オ 1ヴェルベック
63
(1
一
- l チェは六月一 O 日 に ラ ガ ヅ ツ を 去 っ て 途 中 ル ツ エ ル ン で 一 泊 の 後 ロ Iゼンラウイバ
四O、 オl ヴェルベヅグより
ハlゼル、一八七七年六月二九日
親友ょ、昨日は会計係から言われて、 七月一日分の君の俸給の残額一 O 八五フラ γを 国 庫 か ら 受 け 取 っ た 。 君 が こ
れを何時でも使える様にこのことを早速報せておきたい。君の長い沈黙のために僕はまた心配になりかけている、僕
た ち は 最 近 君 の 健 康 の 変 り 易 さ を 大 い に 経 験 し た か ら ね 。 フ リ vツ ・ ブ ル ク ハ ル ト と の 会 見 の 結 論 を 報 せ た 僕 の 手 紙
は受け取ったと思う o 君はどう決めただろうか?このことで僕のやれることがまだあれば勿論直ぐ報せてくれ給え。
一番後はミステリとタイヒマンだ。それで彼女はカが尽きた様に見えるが、それでも次の学期のために
母なる一評議員会は君の不在中に不妊だったわけではない。この夏に彼女はもう四人の男の子を例の黒衣の助手の援助
下に産んだ、
またもや、 プラ l グ へ 行 く コ ル ヌ の 後 任 と し て 一 人 生 ま れ る 筈 だ 、 ゾ ル ダ γと い う 人 だ 。 ま だ 講 義 が あ る の で 今 日 は
こ れ 以 上 書 け な い 。 そ も そ も 今 後 は プ ロ グ ラ ム の た め に 大 多 忙 に な り そ う だ011i最近僕は、 五 月 二 二 日 の た め の 僕
の祝辞に対する返事としてワlグナl夫人から手紙を貰った。明日午後僕たちはレラッハへ行く、バウムガルトナー
教員一を産み出すのでこう言われていたのだろう。
ワl グ ナ I の誕生日。
君の
はまた考え直して今度の冬学期には兎も角もイェ l ナへ行く。フラウが心からよろしくとのことだ、そして早く良い
﹀
報せがくるのを僕と共に待っている。
(1
2
︿ )
1
3
1
古内
ニーチェとオーグェノレベックとの往復書簡
人文科学論集
四一、
ニl チェより
︹ロ lゼンラウイパ lトからの葉書、消印はマイリンゲン、七七年七月二日︺
わが親友ょ、依然として目立った回復は何も報せ得ない、とにかく僕は、何れはここの滞在が効き目を現わすに違
いないと思っている。この高地は全く美しく、力に満ち、健康的だ、そしてホテルは非常に良い。僕は今サン・モリ
-1
妹が今月六日頃にやってくる。どうか彼女に金を渡してくれ給え、それの受け取り作業には
ッツ鉱水を飲んでいる。ラガッツのあとにこの療法を行なうことを僕は大いに勧められたのだ、根深いノイローゼに
対する薬としても。
ニl チェより
?lゼソラウイへ戻るのが一週半ほど遅れている。僕たちはお互
︹
ツ lク付近のフェルゼンエック館、七七年七月半ば︺
F-N
心から感謝している、 ブルグハルトとの会談にも。このことではまだ何もやっていない、もう少し待つ積りだ。
四二、
わが親友よ、妹とのラ γデ・ヴーが長くなって、
いに実に多くの話さねばならぬことがあるのだ。僕たちの滞在地はツlク付近の療養所フェルゼ γ エッグだ。
﹁一理想主義女性の回想﹂の君の蔵書をここへ送ってくれることが出来るだろうか、それが余りにも締麗に製本さ
れていないものと仮定しての話だ。僕たちは勿論土曜にはもう出発する積りだけれど、僕にはそれが入用なのだ。
僕の本はナウムブルクにあるのだ o僕の状態は哀れなほど変化する o
今日は君と奥さんに僕たち二人の心からの挨拶のみ。
フェルゼソエヅグ、水躍。
四三、 オ lヴェルベックより
65
1
3
2
ニーチェとオーヴェルベックとの往復書簡 古内
ツュ lリヒ、七七年七月三O 日
親友よ、来たる冬学期に対して君が最近決心したことについての僕の喜びをまだ述べていなかった o 一昨日以来僕
たちはここにいる、差し当り僕はフラウと義母とは別居だ。庭の中の素晴しい木蔭に離れて立っている小さな建物が
あって、僕は今後数週間残念ながらどうしても必要な勉強部屋をその中に定めたのだが、この隠遁生活の中から君に
挨拶をして、それから直ぐに僕のプログラムに取り掛かる積りだ 01li君の妹さんは金曜に非常な元気で僕たちのと
ころに現われた、そして僕たちは彼女から君がどんなにアエシで虐待されたかを聞いた。ゲラlト街の君たちの住居
は実際、大した幸運をひき当てたらしいよ o 僕 は バ l ゼ ル で の 最 後 の 日 日 に そ れ を 検 分 す る 暇 が 残 念 な が ら 全 然 な か
れめ
なる
W た
〔め
│と::
LJ
カl
ほんのちょっとだけだがやってきた。彼はここの役所に教職の件で出掛けた。彼の事
ソレントの時のことを考えねばならぬ位だ。
、
った、けれど他からそのことを聞いた。ただ僕が実に悲しいのは、僕たちが遠く離れてしまうことだ。この隔離に対
哀静
それに反して素晴しいものだ、そして君の手伝いを何でもすると言っている。ところで君がバ 1ゼルへ帰る前にここ
めたのだが僕は実のところどうして良いか分らないのだ。彼を僕は心から可哀そうだと思う。ケlゼリヅツの状態は
にも問い合わせてあり、この数週間決定を待っているのだが、今は実に樵枠して見える。ここへ来ることを僕がすす
ているのではないかと思う、その様な計画は落着いた余裕があってこそ可能なのだが。彼はドイツのあちこちの役所
っかつてばかりいる、そして何れにせよそのために、彼が思っている以上に彼のその他の真剣な生活計画も脅かされ田
ている。それで彼は教職につくことを考えているのだが、被の予備教育不足のために殆んどどう仕様もない障害にぶ
者のことを考えねばならず、彼のお父さんの援助は彼のかつかつの生活にさえ足らぬ位で、しかも止まりそうになっ
情 は 実 際 絶 望 的 な も の だ 、 彼 を 助 け 得 る の は 結 局 の と こ ろ マ ユ ケ lナlスの様な人の慈善のみだろう。彼は彼の婚約
し
に寄って行かないかね。君が来れば僕たちは皆んな非常に嬉しい、そして僕はここが、特に今日遂にめぐってきた様
1
3
3
昨て
日気
はを
の尽には、
宿泊所は、
適している
と
う
にはバ:ゼルへ
れか}切に切に
みつつ
は言える。
。ただ八月
保↓認し
臼より前⋮
、出来れば避け
iゼルとは全く違っている。君のための
ちは
おから二O 日までの
君の
中
Aiヴェルベッグ
いから。絶えず快方に向っているという報せを藍ぐ僕にくれることが出来る様なら嬉しい。そ
1﹀ ト ゥ i ン滋薦出停に近い滋畿地。
ウィ lJア マ γは必六年一一一月までであった。
ハ3) ア ウ ダ ス ト ゥ ス 僚 の 友 人 で 、 ヴ ぉ ル ギ ヲ ウ ス 、 ホ ラ ツ ィ
僕は数日中にバ iゼルへ帰る。
のことは﹀。そこから僕は荷れの閃かに
実にはっ
約一時間半なの
。つまり、
﹂のことは
もうそこにいて
のところへも、
U
ハローゼンラウイパ i ト 、 一 八 七 七 年 八 月 )
ている ︿彼女はいつも大いにうま w
ちのところへも出掛け
しかし
誌やり切れないということだ。
い観察によって今の僕に分っているのだ。
大学の勤め
は持ちこたえる
、心から望んでいるのだから。この街地滞在が撲の健康狩税金体の中で最も臨丸山間なもの
々
四四、 ニーチェより
親しい親しい
くやる、この
て議するこ
ス枕掃の文人たちの庇緩議
ハ
2﹀ ウ ィ 1 4 7 7 γ o u
℃双年一二月初めにガストと共にパ;ゼル大内ゃに入ったザタセンの池田※欲。ガストは七八年刻月九まで在学したが、
︿
いだろう、
な大事びをする、このことを義母とブラウ
れる北島きの
来訪者があるから。殺がくれ
し
、
心からよろしくと一寄っている。教がこなければ蝶たちはそう早くは
て欲しい、
し
L、
だったことは確かだ、 しかしここからも健康宏持ち帰るわけではない。それで
一つのこと
一Bに控え
v
i
1
3
4
んだり室日いた
た
﹀
0
、僕は、
、その呂のうふりにもう痛みで償わ
舞われる︿昨日もまたそれに
ならないし、その後数日間はおなじみの激しい発作に
今すっか
一切がみずみずしい
したのだog自の
ている。援のみたところ
しても人爵としても擾、れているブラックフルトのアイザi
いいのだとい
ほったらかしておかねば
々のことを考え、あとで
る必要なんかないお?)
て全体的に
/どこかに小さな家が一軒あればいい、
った⋮年から
較に中黒田きつける
ここでの
に対する新鮮な感覚を失うことによって一
な一年(出向的成果において﹀
熊を類似察法といってもよいやり方で治療したのだ c
土︿夫人間伴)の西日に瓦る来訪を得た、そしてこの人の治療法に
では、 シュレーン
今撲が自分の
の古い苔の震が取り験かれさ
きて今や撲の鰭思惑が僕を前へ押しすすめる、
苦しい
諒になるの
ことになるのではないか
毎日六1 i八時間関散歩をしなが
いでもそうだつた、
の自負のこの
F-rn
68
のだ!;iそんな夙に僕はソレントでやったのだし、
多くのもの
君の御家族皆さんに、温かい患いやりと繰返して
い親友よ、 心から
ることに
てくれ絵え。
i チ ニ が 七 月 に マ イ 手 ン ン で 会 っ た ア イ ザ ; 博 士 は - 一 1 チェの淡淡務であった。
の心から
飽の凡でのことハしか
﹀
のお招きに
︿
1
/
ザヒ、一八七七年九万
21
1
3
5
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、
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出思表にその位刑務と問機め薬を少量用いる淡淡。
盟五、 オーグ品ルベヅグより
ツ品
日
コ
ペ
コ
ペ
会内
と;tーヴヱノレベックとの往復書簡
ラ
や
人文科学論集
親友ょ、君の手紙は僕を実に喜ばせ、僕を辛い不安から解放してくれた。 君 の 滞 在 地 さ え 僕 に は 良 く 分 ら な か っ
一一日前にウィlデマンから、 君 の 妹 さ ん が い つ も 良 い 報 せ を 受 取 り 続 け て き た 旨 を 報 せ て 貰 え た の
た、何しろ僕たちがバlゼルを発った時に君の妹さんさえその点について確実なことを言ってくれることが出来なか
ったのだもの。
が、せめてものことだった。君の来訪を僕はもうすっかり諦めていたのだ。バlゼルから来るのだから妹さんも一緒
に来ることが疑いもなく可能だろう。二人ともここに泊まれるよ ︹欄外に。一晩だけという青山味でないことは勿論だ。︺、そ
して是非泊まって貰いたい。しかしこのことはフラウに言葉をゆずることにして、僕としては、来週は来ない様にと
(1)
いうお願いだけ述べておく。その中の二日間僕はルツェルンでトライチケと会うことになっていて、彼がまだその日
(
U
B母自F-Z官三。。十日間僕たちはこの自国
を決めてよこしていないのだ。さらに木曜か金曜に M ︹││︺ B ︹││いがトラ γグを取りにまたやってくる、そし
て彼とぶつかることを僕は全然おすすめ出来ない。経験セシ我ヲ信ゼヨ
称﹁芸術家しを泊めたのだ。幾つかの珍しい経験をいずれ話してあげるよ、びっくりする様なものでないことは勿論
だが。この男はまさしく、音楽的教養俗物と言えば想像、が付きそうな人物であって、美女へlレナ、アリティオフ、
オデュセウス、 アルミ I ニウス、冬の夜の童話、最近はまたスコヅトラ γド伝説、こういったものをめぐって甘った
るい鈴の音を響かせている o 半 ば 強 制 的 に 来 訪 し た こ の 男 は 直 ぐ に は 出 て 行 か ず 、 皆 が あ ん な に 願 っ て い た 君 の 来 訪
は全然なさそうに思われた。だから僕たちは君の手紙が来るまでは運命に対してぶつぶつ言っていたのだ。再来週な
らこちらでは皆が君を大喜びで迎えるだろう o月末頃に義母はプファルツへ行かねばならない、そして何れにせよ余
り待たせずにやって来て欲しいと君にお願いしている o 一
O 月四日か五日に僕たちは帰る。││君の状態に対する僕
の見方は全く君と同じだ。
そもそも今度の冬の主要課題は、肝腎の点を決して害しないこと、 つまり君にとって大事な事柄へ楽しく帰って行
くために健康を保持することだろう o 目下その事柄を中止せざるを得ない君のいら立ちには僕は心から同情する、何
1
3
6
故なら撲は
の苦境か
、 、σ
つ、チ
JR2
﹂
£
、
刀ず
L
いたことをちゃんと知っているか
僕に肝腎だった
者が羅室一を持
もう震き会えるのを心
僕には蓑択だっ
にそれを持っていたの
に入れる術会一
この数還問問こ
撲のフラウが彼女の家族の問で明らかに快適な休みを過ごしたことだ。
って少なか
ォーグ品ルベ γ グ
へ手紙を出したことを前者に知らそる嫌に頼む。
八七七年秋︺
lpヒでもっと
ちが病人
一 二 時 二 八 分 ツ ナipヒ着だ。
の、否、君たちのために願う、
さて撲がツ
︹
パ l ゼル、
は、公;ヴェルベヅ夕、がライブツィヒの大学金持代にか︿わったトライチケ仲間前り
かしら?
あればいいと僕は
いつも悪く退ごして
トイトブルタの燃料で凝ったヒェルスカ;放の隊問。
L
ったら、僕が非日ア i ラ
ために。
の
ってい
ことは
みにしている、
なi撲
。
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ウ ィ Iデ マ ン か ケ l ゼ ザ ず ツ
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(1﹀ そ ! ? ッ ッ ・ ブ ツ シ 品 で あ ろ う 。 ブ ヅ シ
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パI ゼ ル に
ア;んタウ州の首都部。
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(3) ゲんマンの滅︿愉臓や術開庶民九年にで,
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エーチェより
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木曜午後、
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137
ど
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みなこ
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議しい親しい
で
儀がいいかどうかを共に
待で
いたことを後悔
僕そ
十日
ニ ー チ お と オ ー グ ェ Ivベ ッ グ と の 往 復 書 簡
人文科学論集
今日はフォ γ ・マイゼンブ l ク嬢が僕たちのところにいる。
F・N
僕 は ブ レ シ ナ l の小説(﹁ルントシャウ﹂誌に載った) ︽題名は﹁燃える心﹂。この小説は一アルパ lト・ニルソンという偽名
のもとに一八七七年七月のドイツ・ルントシャウ誌に載った︾を持って行く積り。
皆さんに心からの感謝と挨拶を前以て送りつつ
火曜、 ゲラ I ト 街 二 二 号
ク経由でツュ lリヒへ行ける様になった。
(1﹀ ベ lツ山地はバ Iゼルとツュ lリヒの中間のブルック付近にあり、一八七四/七五年にトンネルが作られてパ lゼルからプル?
1リヒ、七七年九月二三日
ニIチェはロ lトプレッツ夫人のところ(フアルケンシュタイン荘)に九月二二日から一九日まで滞在した。
︿V
四七、 オIヴ ェ ル ベ ヅ ク よ り
ツ
ュ
親友ょ、君の出発の翌日が曇ったいやな目だったことが僕たち皆にとっては君が去ったことに対する最良の慰さめ
だった。君の方の天候が別様であったのならいいがと思う、特に君の健康を考えるとね、そして君が今度の小旅行か n
ら良いことばかりを感じてくれたのならいいがと思う。今日はあれこれのことを報せなければならない、僕たちの再
会まで延ばしておきたくないのだ。第一に、僕が昨日受け取ったパリのゲルスドルフからの、実にぞんざいに興奮し
な が ら 書 い た 一 枚 の 小 紙 片 の 手 紙 に つ い て だ 。 ス イ ス 切 手 の 貼 ら れ た パ リ の フ ォ γ ・シュテ γゲル嬢︽﹁この問題﹂(一
二行目以下の)と関係のあるフィレンツェの伯爵令嬢の家庭教師で後には相談相手。五一頁六行自と九四頁八行目をも参照のこと︾宛
ての手紙が同封されていて、それを投函することを僕に依頼しているのだ。ゲルスドルフは、彼への送付物がベルリ
1
3
8
ンから撲に題いたら、
ブ ィ レ γツ
ェ
モ後自身に送ってほしいと言っている。
の知るところから判断して、殺に
ちを近頃ほっ
ている、ブァルケンシュタイヅ
ぬだろうとい
の露宗ヱでスト!ヴ
喜ぶ。
ゆむ丹
﹂
γ
JI
のや念逗い
荒々しく一
のところは
ショールその他にくるまって
た
、
人に雪山りた宛先ハ、旬、広ンヒェ γ、 マ ク ス ィ ミ
ろう。ホテルから撲に
ことも恐れてはならないと言ってい
てくれ絵
してハイデルベルグ
話ン
かホ
いやなのだ、少なくともそれを何とか提議する意味で
、ラ
﹂とは
γ
のケ
襲
とを君が知っていて、そして干渉すペ
心配なのだ。
どブ
が進行中である
ゲルスドルフ
けつ
認識しているのマ、僕は彼
れた
は分るだ
にしないためだ。
見て分かるよ
人間何種族の中で設の
の人たちが実際に
して電気治績家 九
w 州相談すること
ことにする。
だ庚
)とは。
ったらそれをな
の病気の性質を、
イザ!と君について
らとっくに
信用しているのだ。彼は
君に必要であり、その時には
ルブ教授を推薦している。このことについてアイザ 1
ぇ。またフラ γケリノホイザlは、
一七号三階﹀
るτ
最
しまった。従つであれがベットの中
僕自身は僕
して﹁ルントシャウ﹂誌とを僕たちはザイトザッツ
る
。 ;iiザイトリヅツはもうここへはこない、そしてザルツブルクに援の
γ
昨日 B 門
lii︺がトラ γクを取りにきて別れを告、ぜて
の〉近
~
は少なくとも太陽がまた出てきたが、
ャケツ、
かったことになる ol--一一一白議か
ちが羊毛頭巾、
っている。
し、;土
渡ぐ一得会出来るの
1
2
属
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て撲
せてくれる
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とさせた離はつぶされた。しかしもう一容はその
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主
土曜に義僚は出発する。君が部門時ブラソグアルトにいるかを出来る
想
心からよろしくと言っている、妹さんにも同じくよろしくお伝えあれ。フラウ共々
139
し
、
の
て
ロ
ア
ニーチ瓜と*ーヴェノいγ
: グとの往復警機 合内
人文科学論集
ニl チェより
ニ!チェは近いうちにフランクフル卜のアイザi博士を訪ねる予定だった。
﹁人名索引﹂で分かる様に、フランケンホイザ!の専門は婦人科である。
している。
(1)
(2)
四八、
君のオ lヴェルベック
︹葉書、消印はパ lゼル、七七年九月二五日︺
今受けたお便りにお礼の言葉をちょっと。僕たちの哀れなゲルスドルフを僕たちは今はほって置かねばなるまい、
事柄はもう止めようがない。彼はパリから手紙をくれた、そこに Nとその父親とがいるのだ、ゲルスドルフは万人に
対し、特にフォン・マイゼ γブ l ク嬢(ノ・)に対して怒りに満ちており、 Nだけが是認と愛顧を得ている。今啓蒙し日
てやっても彼を怒らせるだけだろう。彼は彼女以外の如何なる人聞をも信用しな.いのだ。哀れだ、気の毒なほどだ。
││アイザl博士は一 O 月第一週に僕を待ちもうけている o バ ウ ム ガ ル ト ナ l は 今 日 発 つ 。 │ │ 電 気 療 法 は 納 得 出 来
る、僕はきっとハイデルベルクへ行くだろう。僕は自分がすっかりいやになった。君のところは、君たちのところは
ネ リ lナ。フィレンツヱの伯爵令嬢。
何と良かったことか。君と奥さんとの再会を楽しみにしつつノ
(1)
四九、 オーヴェルベヅクより
親友ょ、 シュマイツナーが三月七日の日付でこう書いてきた、﹁今日私はライブツィヒから、
E-w ・フリッチが破
ハlゼル、七八年一一一月九日
N
1
4
0
践したという報役
した。
℃私は今やど
ヮーがノナ!の
そして一一;叫ノ品の﹁悲劇縦の
設が民っ
ふ iヴ ェ ル ベ ヅ グ
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々なこと
君を案じ続けてきた。君の
から、もっ
殺の
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Hパiヂン、
ぃ、﹁従之、
︹
パ iグン
、それはそうと冷水は主要事ではなかった
い出来るかし
しい奥さんにもよろ
のために郵便為替℃
ものし
のもそれなのだ。 と も あ れ │ ! こ こ で は
ません。必要な処置を既に講じまし
ってかむきびしかった冬を思い迭し
生﹄を手に入れることになるか
、僕は
ちのところで
ばいいノブラウが心から
たちはもう知っている、明日は君の
ての楽しい日
少でニう堂西かれている、
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にも短か
ンヘ出掛けて水浴後会試みた。
かしこのことはどう見ても不孝ではないい。︾
i デ ン Hベ i
︽烈九都貯の手紙、は一一義面にニ 14ナ
ニ
、iチェは三月絞めにパ
:品ノェより
全体的に
し撲に指し
を
に僕の上にのしかかっていた 1 1 そして患い出の中では
の所得収援裂か︺払ってくれる様に
パiゼルの舟司、は
と
いつつ、
74
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の封印をお願いしたい。いつも心か
の
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五O、
﹂れに
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間関門口︿木曜﹀ザi レ 河 畔 ナ ウ ム ブ ル ク ヘ
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かかっている。
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三五フラ γと申告書を送る、
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市内
デ%とヌトーグェノレベックとの往復警綴
人文科学論集
しくお伝えを乞いつつ
ニ1 チ ェ よ り
君の
フリードリヒ・ニ l チェ
AV
四月五日にナウムブルク着。二四日にバ lゼルへ出発。四月末に﹁人間的﹂が友人たちに届けられた。六月末に妹との同居生活は解
消し、ニ Tチェは市の外れに近いバッハレテン街一一号へ移り、妹はナウムブルクへ帰った。
五一、
︹葉書、消印はインテルラケン、七八年八月二五日︺
わ が 愛 す る 友 よ 、 今 ま で の と こ ろ 僕 は う ま く な か っ た 。 僕 は 或 る 高 い 山 、 グリ γデ ル ワ ル ト 付 近 の メ ン リ ず ヒ ェ ン
ζ こで僕は今年の三月にバ
-11
僕のここ日
lデ γで や っ た 生 活 と 同 じ 様 な 生 活 を 始 め た の だ 。 し か し 、 は か ば か し く な い 。
の上にいた、そして僕の健康が益々悪くなったので三週間後にそこを去った o今は僕の望みをインテルラケンにかけ
ている、
(1)
若 し か す る と 僕 は 結 局 君 た ち の ユ l トリ山のウィ l ル 博 士 に ま た 身 を 委 ね る こ と に な る か も 知 れ な い 。
で の 住 所 は ホ テ ル ・ ウ γテルゼ 1 エγだ 。 し か し こ れ を 漏 ら す な か れ / 落 着 き が 僕 に と っ て 必 要 な の は 嵐 の 海 の 船 頭
F・N
にとってと同じだ、 ホラ 1 ツ ィ ウ ス の 頭 詩 ﹁ 静 穏 225﹂ 等 を 参 照 あ れ 。 心 か ら 常 に 君 を 思 い 、 良 き 再 会 を 期 待 し て
いる
ユlトリ山はツュ
lリヒ西郊の山で、ゥィ lル博士はここの療養所へ移ってきたのであり、ニ i fェは七七年九月のロ Iトプレヅツ
ニIチェは七五年七月にシュタイナバ lトで、当時ボンドルフの医師だったウィ lル博士に会い、その後たびたび世話になった。
敬慕するツュ l リ ヒ の 皆 さ ん に 呉 々 も よ ろ し く 、 特 に 奥 さ ん に 。
(1)
家訪問の際に同療養所へ出掛けている。
1
4
2
五二、 オlヴェルベヅクより
ツ
ュ 1リヒ、七八年八月二八日
親友ょ、この休みの天気がひどいので僕は君から余り喜ばしからぬ報告がくるのではないかと既に気になってい
た、そして今受けた報告は残念ながら予想より良くはなかった o 君がグリ γデルワルト付近の高地に巣くったことは
既にドレlスデ γでシュマイツナl氏から聞いていた。君がせめて今はずっと下にいるのを知って嬉しい。良かった
らもっとずっと僕たちのところまで降りて来給えよ o義母と義妹が昨日海水浴から帰ってきたので僕たちファルケン
シュタイ γ族はまた一緒だ、そして君がくれば心からの喜びをもって再び迎えるだろう、君がまたウィ I ル博士の療
養所へ行くという見込は僕たちに少々不安を感じさせるけれどね。フラウと僕はまだ一ヶ月位はここにいる o ドイツ
から僕は一週間前の今日帰ってきたのだ。イェlナとドレlスデンでの色々なことを君に話さねばならない。ドレl
スデ γではフヅクス博士に会ったが、その際に彼にとって有利だったのは、僕が全く好意的であるとは限らない先入
見をもって彼と会ったことだ。僕は彼と共に非常に面白い一日を過ごした。この熱血漢は君の著書に実に感激してい問
一種の覚醒の時期に被が君の書にぶつかって正気づか
て、君が今所有している最良の読者であるかも知れない。僕から主として得たいと思っていたものを彼は彼自身驚い
たであろうほどにはっきりと与えられたのであって、それは、
(2)
せられたことの祝辞を僕が彼に言ってやったからだ。 liiゲルスドルフのお父さんが亡くなったことを君はもう知つ
ているかい││既に七月にだ││O ゲルスドルフはオストリッヒェ γ へ移る o そ れ 以 上 の こ と は 僕 に も 今 は 分 ら な
ぃ、そしてまた今はこれ以上君に文字を読ませたくない。何故なら僕は君に直ぐまた会えると思うし、今日は主とし
1 1家の者一同が君の元気を祈っている。僕のフラウは特にだ、そして僕自身も o
ォlヴェルベ
Vグ
て君に、僕たちの聞の連絡がやっと回復されたことの喜びを述べれば足るのだから。とにかく直ぐまた僕に短かい報
告をくれると有難い。
君の
143
古内
ニーチェとオーヴェルベックとの往復書簡
人文科学論集
(1)
(2)
五三、
勿論、﹁人間的﹂を指す。
ゲルスドルフ家の地所。 シュレ
ニI チェより
lズィエンにある。
︹葉書、消印はイシテルラケン、七八年九月一一一日︺
前進中だ、上昇中だ、長い試みと熟慮の後にだ。今は一貫した忍耐をもって九月末まで続けることだけが肝要だ。
無論その場合にはツュ lリ ヒ を 、 君 を 吋 叫 ね ば な ら な い 。 親 友 よ 、 君 以 上 に 僕 が 今 、 心 中 を 打 ち 明 け た い と 思 う 相 手
が い る だ ろ う か 、 そ ん な こ と が 出 来 る 相 手 が い る だ ろ う か / 多 く の も の が 僕 の 中 で 俳 個 し て い る o 外から来るものは
0
バイロイト雑誌の八月号に載ったワ 1グナ l の僕に対する意地悪な悲しい論難文は僕も読んだ。僕は痛かった
ニ lチェ攻撃の後にワ lグナ 1崇拝者たちから来た円
殆んど撃退せねばならぬものばかりだ。 いやな手紙の数々︽ワ Iグナ lの
もの︾
ょ、しかしワ lグナーが狙ったその箇所がではない。││昨日僕は最近の数年間に関する決算をすませて幸福を感じ
た116
僕は五つ六つの本質的な点で自由と独立を獲得したのだ、大きな犠牲を払ってであることは勿論だ。今や健康
は前進するに違いない、そうなれば一層多くの喜びもまたやってくる o 君と君の御三家に心からの敬意をもって
ニl チェより
イ γテルラケ γ、 ホテル・ウンテルゼ l エシ、火曜
五回、
親友よ、 ファルケンシュタインの敬愛する女主人︽オ│ヴェルベックの義母、ロートプレッツ夫人︾がよしとおっしゃれ
︹葉書、消印はインテルラケン、七八年九月一七日︺
F
1
4
4
ば、二、三日出掛けることにする。この前の葉書を出してから僕の調子は実に悪かった、それで今の僕は逃亡中の如
くであって自分の頭を何処に横たえたらよいのか殆んど分らない。休暇の残りはナウムブルクの母のところで過ごす
つまり去年と同様に。(何という一年がその聞に横たわっ
ということを既に報せてやった。しかしその前に君たちに会いたいのだ。今日僕はバ lゼルヘ行く。駄目だという報
せがなければ、 木曜(昼頃)にツュ lリヒに着くだろう、
ていることか/戦傑と恐怖ノ)
誠実をもって君のものなる
F-N
オlヴェルベッグ
78
インテルラケ γ、 火 曜
五五、 オlヴェルベッグより
ツヱ lリヒ、七八年九月一九日
親友よ、君の今日の電報は嬉しくないものだけれども、少なくとも、君がくる前に僕が皆を代表してもう一度心か
ら君に歓迎の意を述べるだけの余裕を与えてくれている o 君の昨日の葉書は、その前の良い報せの後だったから驚き
であった、そして、 やって来るのを遅らせるという今日の報せからも悲しいかな僕たちは君の調子が現在悪いのだと
君の
推 測 出 来 る o や っ と で も 動 け る 様 に な っ た ら 直 ぐ 来 給 え 、 こ こ で だ っ て 君 の 看 護 は 出 来 る の だ よ o皆 が 君 を 招 い て い
るよ。
チェは二O日にフアルケンシュタイン荘。二四日から一 O月一七日までナウムブルク。
AVニl
145
古内
ニーチェとオーヴェルベックとの往復書簡
人文科学論集
五六、 オ lヴェルベvクより
ハlゼル、七八年一
O月一一一一日
親友ょ、この手紙が君の誕生日に、特に、先日旅立った時に見たよりも良い状態の君に着いてくれるといい、そし
て新しく始まる年が遂に健康を君に返してくれるといい。これを僕たち、僕のフラウと僕とは心から願っている、こ
の様に願うのは残念ながら初めてではないのだがこれを最後として遂に願いが叶えられんことを。僕たちは感謝しな
がら近頃特に君を思うことがまたもやしばしばであった o 君の推薦に従って僕は最近フラウの誕生日にシュティフタ
o 今晩は第二部に入る o
ーの晩夏を、それ以前に抱いていた別の意図よりも優先させた、そして目下僕たちは読んでいる最中で、本当にため
になり芸術的にも実に喜ばしい印象で今も心が一杯になっている
週 末 に は 君 は 、 万 事 が う ま く 行 け ば ま た 僕 た ち の と こ ろ に や っ て く る o そのことを考慮し、そして君の荷物を不必叩
(1)(2)
要に重くしないために僕は、君の実に独特な蔵書の明らかな欠陥の一つを埋めるべく君にあげようと考えたショlぺ
γ ハウア I訳グラスィアンをここに留めてある、僕がツュlリヒから持ってきた法相フォン・ミュラーも同様。
明後日は会食だ、二一日より前には誰も講義を始めない、ブルクハルトさえもだ、僕は君の掲示もその様に変更し
ておいた。 1 1 娘が生まれたというロ lデの通知││一 O 月七日付iーーを受け取ったろうね。
フラウが君と御一家に呉々もよろしくと言っている o新しい財産を皆さんが本当に喜んでいることと思う、それを
段々と皆さんのアスペル γ屋敷に作り上げることだろう o
出来るだけ健康で早く帰ってきてくれ給え、その聞に転覆するなかれ、瓦壊するなかれ、そして住民各層の調和を
危ふからしめるなかれ。そうするために、 ピスマルクの最近の演説がまたしても国家の知恵の絶頂とは言えない代物
だという見解も役立つのであれば、この見解をも他の数々の真理と共に君の心の奥に納めてくれ給え。
僕たちに良き冬が与えられんことを。再会を期しつつ
1
4
6
八
Q
君の
スペインめ問問抑制総後﹀の主著﹁絡役松制御託後一要ー一(二ハ七四刊﹀のショーベンハウア;に
ハ
2﹀ ﹁ ゲ 1 テの法務フ F ;ド リ ヒ ・ フ ォ ン ・ ミ ヲ ー と の 対 話 い ハ ⋮ 八 七C﹀で怠ろう。
る数訳。一八六二年に出版された。
(1﹀ グ ラ ス ィ ア ン ( 一 六O
O
の日隠の
ツュ ; Fヒで
ツュ
Tン
絞め家
⋮ニ月一一一一日
ちが一部
この紙片に、
変ら
については
当って君のために願っているものなの
レナ i ト ゥ ス ︽ リ ピ ナi
ちが金躍に発つ
々な計画について
ぅ。撲た九万は震のことをしば
い以上は、
いのだが。ところ
もう会えないということは今や決ってしまっ
であるの
るこ
iv と、
﹂こで一八O 九和十にふAlス l リア懐中、が絞めてナポレ
ハ
3﹀ ユ l チェの館、が、後半小品加りていたナウムブルタの家す震い取ったのである。ニ i チ ェ は そ の 殺 そ を 八 月 に グ リ ン デ ル ワ ル ト で 受
けている。
オーヴェルベヅグより
てこの休み中には、
会絞った。援隊なものにすること合意味しているのマあろう。
ハ
4﹀ ア ス ペ ル ン 機 敷 は エ ス ザ ン グ 緩 数 と 共 に ウ ィ i γ 付 近 に ふ 号 、
五七、
ちが今年は、
りつけたもの
っている新年の祝いと隠いの
μ
件ザ子込、
ふれよ
ちは辛くなった。
てもだ、後者は備えば殺が提起した
︺の僕た
る。手紙をロ 1 デ
健康、これこそ
よ
ろ
親友ょ、
、
‘
せ
ね。君を自宅に
震のために突に
ても特殊なことに
たち皆、 つまりフラウと撲と金ブァルケンシュタイシ会代表してそれをやって
般的なことに
君を兎
のやにいるのマあって僕たちのやにではない
ない、土羅午後には
I~
常な不満を述'べている。健康、
の底からだ
147
。
J
.
.
J
:
;
3
:
合内
ラヂ誌とオ{ヴェノレベックとの往復書簡
人文科学論集
五八、
ニI チ ェ よ り
昨晩から絶え間ない猛烈な痛み。どうなることか/││休講。ーー
君の
オ1 ヴェルベ
Vグ
︹名刺大の小紙片、パ lゼル、一八七九年初め︺
AVニlチェは七九年一月一八日にナウムブルクへこう書いている、﹁冬の最悪の週を過ごしました/、月曜悪く、火曜発作、水曜悪く、
ニI チ ェ よ り
F・N
︹葉書、消印はパ lゼル、七九年三月一七日︺
木曜刻叫金隠またもや非常に激しくて全く止もうとしない発作、今日は疲れてくたくた。これからはまた良くなる筈だ、と思います。
しかし講義を延期せねばならないのは全く腹立たしいことでした L。
五九、
ニl チ ェ よ り
親友ょ、僕は恐るべき状態だ、どうやって堪えたらいいのか分らない。
休講。
六O、
︹葉書、消印はジュネ lヴ、七九年三月二=一日︺
愛 す る 友 よ 、 僕 の 状 態 は 良 く な い 。 僕 の 住 所 は 、 ジュネ lヴ 、 ホ テ ル ・ ド ・ ラ ・ ガ l ル
。
一切が陰欝で冷たい。孤独は堪え難く、回同は悪く、頭は常に痛みで一杯だ。
サヴォイ連山は雪をかぶった墓の様に見えた。
1
4
8
81
戸
人の一万気合﹂祈る。
一一路入落した。
良きお
て
、
ちの京
一月一一五日︺
F-N
った。
ハ!ゼル、
ちのところの
一月二七日
F-N
滞在している、 ﹁ホテル
リ¥
湾問州はジュネlM
安心では
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主
ニーチデより
ところで僕はホテル
っても、とにかく
,
え入
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知るため
で
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ているかも知れないのだが?
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僕は
い発作が一度
γ グよりノ
心から祈る
、闘は全くおかしくなっている。
堪えよ
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、ォ i ヴェルベ
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ザシ品目モン﹂だ。
﹂の上な
品宮市に
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い感じのものでは
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僕あてのシ品マイツナ!の
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一 デ混とえーヴェルベックとの往復護衛
と周囲の
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は分るまい。
っているほどには、関口下の君の
君に
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ろで僕たち
った最も凄いものの
ちに分っていないのだから
れは僕が今交でに
の部分には、
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・なお原童日九七百 A
噌
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フラウがか山山ω
つだ。しか
でいる。
必ず
ったのだと鞘いて
iーーブルグハルトが君を最近訪ね
れは残念ながら全然まだ僕たち
いう報社]を君が卒く畏れることが出来ると
ている。
の手紙があれば少なくとも報ぜる
ったのだろうiー で は な く ル ツ 品 ル ソ ヘ
シ品マイツナl
gp仲押している
まさに通暁
に本当に入って行く様だ。 ijjけが叩ルシェはまだ十
こだわった。
いる。僕・自身は今成る評議を書き上げたところだ。
入口のふ i八世紀のと
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アマ γ
ろに来た郵便物
、ヴ aネツィアへ │ │ j
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のだからね、少なくとも、設部補ベヅグが室者たちについて知っている
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そうだ。
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そればかりでなく各々が独りでいる時も君のこ
への心からの
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やる積りだ。
おに持罷曹、僕たちは君のこと
がこんなにまで願っている
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この手紙にま
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ぇ ハ明い。シ品マイツナーの
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l グェルベヅク本八人以 3 iチ ェ の す す め で ザ ン ト ・ ブ I ヴ の ﹁ 月 間 蹴 総 談 ﹂ を 訳 し て い た の マ あ っ て 、 ﹁ ボ マ ル シ は そ の や の
m
u
原注を参燃のこと。
ハ2) トライチケの議議問。第一巻。
(1
の
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⋮ 鱗 で あ る 。 シ 品 マ イ ツ ナ i社から山出版された締約 盗品還は﹁十八役知仙の人々。サント a ; ヴ姿、月曜同開談よ持ム
﹀
の
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ま
六
二
一
、
︹葉書、消印はジュネ lヴ、七九年三月三O 日
︺
一一、三回僕は翼をまた動かした、 飛び立っために。 しかし僕自身、が余りにも疲れ過ぎていて、 駄目だっ
ニ1 チェより
親友ょ、
た。それで良かったのかも知れない。その後僕は住居をもう一度替えた、ホテルの内部でに過ぎないけれど o僕 が 住
んでいるのは非常に高い処(六階)で、美しくて、健康的だ、ディデげ)の以前の住居で湖畔にあるoll僕の生活は
保養というよりむしろ拷問だ。││レl博士かブックス博士から手紙がきているだろうか?後者は送ってくれ給え o
l - -﹁富目であればいい/﹂この愚かな願いが僕には今や一つの哲学となる。何故なら僕は読むからだ、読んではい
けないのにだ││l考えることだっていけないのだがーーーそれでも僕は考える/
仏 52Z は僕には血縁の
2
F・N
君と奥さんの元気をこちらも願っているよ o お 二 人 の 読 書 時 間 に は 僕 も 精 神 に お い て 少 な か ら ず 同 席 し て い る /
この孤独者にとっては快癒は存在しない。 1iiフォシトネルの死者タチノ対話門出回目。宮2
スイスの風景画家。
如く思われる。
日曜。
(1)
六回、 オlヴェルベヅグより
︹
パ lゼル、一八七九年三月末か四月初め︺
親友ょ、今日受けた君の葉書は、現状下で君が旅立ったことに対して僕が抱き続けてきた懸念を強めるものだ o殆
んどどうにもならぬ事情のために僕がそちらへ行って君の相手をしたり助けになったりすることが残念ながら不可能
151
古内
ニーチェとオーヴェルベックとの往復書簡
83
人文科学論集
なので、僕には実際こうすすめる以外に良い手がない。君の孤独感が持続するならば是非また僕たちのところへ飛び
帰って来給え、 と。君が今日ここにいないことを考えると僕は勿論ほっとする o何故なら空気が恐しくうっとうしい剖
からだ。けれどジュネlヴが今これより良いとは限らぬかも知れないし、何れにせよこの季節には、別の日日も期待
出来る o フラウも君が帰ることに賛成だ、僕たちは君が残念ながら丸で良くならずに帰ってくることが嬉しくないだ
けだろう。
レーかフヅグスから手紙がきていないかと僕はもう何度も君のところへ見に行った、今も行ってきたところだ。ま
だ一つも来ていなかった。明後日までは一つでもくれば直ぐ君に送る積りだ、 し か し そ の 後 は 、 君 の 今 度 の 葉 書 が 述
べている君の滞在延長がどう決定するかを待つことにする。最近僕自身の手紙の数時間後に送ったシュマイツナlの
手紙は受け取ったろうね?
君の
オlヴェルベヅグ
この手紙を受け取る時に君が、君の葉書に書かれているのと違わない気分であるならば、 また戻って来給与えよ。こ
オlヴェルベvクより
れを心から僕たちはすすめると共に願っている。
六五、
パIゼル、七九年四月七日
親友よ、今日君の住居へ行ってまた手紙のことを尋ねたらハンブルクからのものを渡された、書留だ、その上書き
が非常にブックスの筆跡らしく思われたので僕はそれを君に送ろうとした。その時僕の頭に浮んだのは、君がハ γブ
ルクとは、別のつながりをも持っていて僕に或る払い込みについて話したことがあったことだ、その後これは僕たち白
噌Eム
亡d
η,
u
の話題に上らなかったけれど。この
るとのこ
つ
命
一
、
ょう。
は留めておく
これを用開封して
った。二、
とにして、
べきかどうか、
へ帰ったらツナ iリヒから
のため
てツュ 1 p k
っと史学雑
終ると思う。その欝に
また気付いて
こぼれてきた。クリスト教が
ii僕は今週
の軒、が最近シュマイツナーから着い
にツュ;リヒに立ち寄る気はないかという賀間が含まれている o 君
には幾ら払えばよいか、ということ
たいのは、
いつきは多分当っていると患うのでこの
門戸]ニムスとの
でもその
はきれいにしてゐるとのことだ。
了度着、芝、その中に、君がここへ
であるかが封入物から分らない
全を期するために僕のロッカーに入れてあるが、さて
そして
が要求し
にはもう配布怒れている。
の、アウグスティーヌスといい
ては異教の
一るのだろう?心から挫慌たちはそういう報せ
のところ友信は合托と例も変っていない、とのことに僕
にとって、 グリスト教的な友情に関する論文のために
ふりは何として
部もかもを洗練しているけれ
いる。
についての嬉し、
グ
ちは君の休暇の
ネ
なったら一
O
一一日︺
8
6
し
、
ているハ γブルタの秘密の内容がなるべく結構なも
手/
ってくることな願っている。ま
2
ま
が次の葉書で
J
O
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J
のであればよいという顕いをも付け加える。
消
る古代のれ拍手ただしい思索を総括し復活
議
喜
﹁人間閥的﹂の補巻﹁冬まざまな意見と簸一一一員元
に議
﹀
コ
の
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1
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・・一チェより
つの願いを共にしている、
1
5
3
六六、
ちはま
牢
の
親友よ、
J
内
ニューチ混とオーグェノレベックとの往復書簡
ぢせる仕事を誰かがやることだ。⋮臼傾の・3金一ざまな鐘からの様な響きが響きわたるに
いない oiiiツ ナ iザとは気
っていた(僕が生きていれば)oil-ハシブルクの手紙は保管
から聖霊降臨祭にお邪魔したい
AY
ilil
、 1i
、
、
ノノ
さまざまな
ーートニカグ
持よく追えて
のは?アュッツ﹂だ
が入っているのであって、震にバーゼルで支払い済みのもの
の熊司法﹁ダ γツィいこで、レー
しておいてくれ結え。それは、申し込んでおい
だ
。 iiiブックス博士の
ハーゼル
っている
れない。ダカラ
部
門
戸
時
邸HU28号2rZ5弘知川口。僕はスイス
ゼルハ見棄一アラレルベ年モノト思ウのえ坊さ5252MW持
地方の出身である凡ゆる階綾の人たちの位一評を手に入れているのであって、
は意見が一致している。僕はそこでは、 僕いか錦、えばここ
一十分までし
︹薬察、消印はジデ不iヴ、
r・N
ちのm
一
一
日
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ってくれ
は/111ミュンヒェンの﹁かも知れない
次の手紙を参抑制のこと︾ だけを
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ノ、
っているとい
次に、僕は
は
どう思うかね?心から一元気祈る
のピアノ
2え念弘知内山常時目的 HH心安芸九州凶器、
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全く自由な頭を数年来持ったこ
テラレルベキデアル
︽フォン・ザイトザヅツ閥均爵がミユンヒェ γからニ Iチェヘ
ああ、哀れなブックス博士ょ、
ここに留まる。
l チェより
僕は出来る
一
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ことにした oitj
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昨日君に
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誠実合もって君のもの
と患う﹀。
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親友よ、
加えて。
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治郎はジ品ネ;グ、
八日︺
の通りにだけれど末尾にこ
過ごした。
一一一口ベスィガ;夫人に言っておいてくれるね。
った、そして二、コ
産ぐまた
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心か
に 対 す る と 湾 然 の 恐 怖 を 持 っ て い るY ﹀
ト、ふ受難を前にエルサレムに入り信者、が椋檎の淡な数いて悼棋を迎えれんは
AVニ1 チぷは四月一一一日にバiJtルヘ戻ったが、発作の液統のため講義不可能。況月一一震に退綴願な出した。
(1) 復活祭前の摂取後の
に対しては僕は
ってもよいものだった。 iiiざ
γからの手抵はザイト時ノヅツからだった oillヤl コブ・ブルグハルト
れはまさに様鶴
ーミェシ k
事I
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く
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ルにおいてでなければいいのだがと思う、そ
れたが、
みどて
1
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溺
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︹察機、消印はジュネiて 七 九 年 五 月 三 巴
の
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聞い
そして
155
ニーチェより
親友よ、意の
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コ
会内
ニーチェと才一グヱノレベッグとの往復書簡
人文科学論集
地たるその町の悪い水、悪い空気、要するに憂欝な性質全体に対する全くの不安と弱気を持つでさえいなければ、僕
o
は 直 ぐ に 行 く の だ が / そ う い う わ け で 僕 は 矢 張 り 今 い る 場 所 で 辛 抱 し な け れ ば な ら な い と 思 う o 僕はバ Iデシ滞在の開
時の凡ゆる条件を次第に作り出した、僕はこの休暇を健康のために利用するという課題に全思考を投入している
、 不可能事を自分に要求するわけには行かない。││今は、 実 に 苦 痛 だ っ た 二 日 間 の 病 床 か ら 離 れ た ば か り
n-3}J
j
ふ Ji--、
だolll
お二人の元気を心から祈る o
(1﹀ こ の 手 紙 の 日 付 は 五 月 一 一 一 日 と な っ て い る け れ ど も 、 五 月 二 日 に 退 職 願 を 出 し た 後 の ニ l チ ェ は 、 ォ l ヴ ェ ル ベ ヅ ク か ら の 報 せ に
よ っ て 妹 が や っ て く る の を 待 っ て い た 。 五 月 七 日 に は バ ウ ム ガ ル ト ナ l夫人にパ lゼ ル か ら ﹁ 土 隠 に 妹 が き ま す ﹂ と 書 い て い る 。 妹
は十日に到着し、十三日に兄をベルン高地のプレlムガルテンへ連れて行き、その後パlゼルへ戻ってオlヴェルベヅク夫妻の助力
( 消 印 が は っ き り し な い た め に 判 読 を 誤 っ た の で あ ろ う ) 。 つ ま り 六 四 番 に 対 す る 返 事 で あ ろ う 。 ニ l チェは七九年三月一二O 日と四
を 得 て 兄 の パ lゼ ル の 住 居 の 片 付 け を 行 な っ た 。 以 上 の 様 な 次 第 だ か ら 、 こ の 六 九 番 の 手 紙 の 日 付 は 実 際 は 四 月 三 一 日 な の だ と 思 う
(1)
月 五 日 と の 家 族 宛 の 手 紙 で も パ lデ γ滞 在 ( 前 年 の 同 じ 時 期 に 妹 と 共 に 過 ご し た ) に 触 れ て お り 、 特 に 後 者 に お い て は ﹁ パ lデン H
ニl チェより
パ lデンでと全く向、じ様に生活している﹂と書いている。
七O、
︹葉書、消印はウィ l ゼン、七九年六月八日︺
親友よ、調子は全くのところ、これ以上ないほどに悪い。しかし、 ﹁凡ゆる新しい環境の中で、
く る か を 待 つ こ と ﹂ と い う モ ラ ル が 僕 を 高 み に 留 め て い る o 場所、家、部屋、
食
物
世
話
、そ
凡こ
てか
がら
非 l何
常 lが
に l出
良て
重 を 極 め て い る 僕 の 水 車 に と っ て 大 助 か り だ 、 今 回 も ﹁ 高 み の 空 気 ﹂ に 期 待 を か け よ う o 同時に君が安心するために
ことが出来るかい?そして他に誰が来そうかをも?)1-│
補整的丸薬叶巾主主ロmHE--2 に つ い て の 君 の 注 意 は 、 慎
くて僕に好適だ o ハ
イ γ メ ル マ シ 家 が 昨 日 申 し 込 み を し て き た 。 何 時 こ の ﹁家族﹂ が 進 入 し て く る の か を そ っ と 聞 く
ト
にり
一言っておきたいことは、僕が今ではこれ等の問題においては如何なる医者にも劣らない﹁くろうと﹂であって例えば
僕たちの優秀な富田・よりも十倍も用心深いということだ(この人に僕はそれ等について十分詳細に問い合わせたの
F-N
だ/)││IIlli--苦痛、孤独、
悪
散歩
、天 候 ー ー ー こ れ が 僕 の 循 環 だ o 興奮は痕跡すらない。 む し ろ 一 種
の、無思考無感覚の不快状態だ││
ダヴオス付近の保養地。
ではお二人共お元気で/感謝に満ちて君たちを思っている
(1)
パ lゼルの医学教授ルlドルフ・マスイI一一を指していると思われる。この教授の診断によってニlチェは前年一二月に予科の授
世ーから決定的に解放されたのだった。
(2)
10
iムガルテンで一 O日位過ごしてからツュlリヒの戸市 トプレツツ夫人のところで約一週間世話になった(同夫人
は夏の間もずっとツュlリヒからニlチェの旅を援助した)。ウィlゼン到着は五月一一一一目。
89
AV
ニIチェは妹とプレ
一lチェより
︹葉書、消印はウィ iゼン、七九年六月一一一一日︺
親友よ、状態はむしろ悪化した。ベットについていることが何と多かったことか/その他。さて僕は金曜にエンガ
デ ィ 1 γ へ 向 う 積 り だ 。 計 画 を 貫 く の だ 、 喜 び も な く 期 待 も 薄 い け れ ど o どうか今からトランクを発送してくれ給
ぇ、僕より前にそれが到着しているようにするためだ、﹁上部エンガディlγ、チャンフェール局留﹂だ。
親切なケlゼリッツが白分で描いたリlドの絵を二枚送ってくれた、彼は君宛の手紙を参照する様にと指示してい
ニ iチェの変化に無制限の同意を与えるわけにほ
る、繰返しを避けるために。││クレッツア1博士も絶縁状をよこした ︽
行かない旨を述べている手紙がクレツツアl博土からきたのであるで 予 想 さ れ た 様 に 随 分 こ じ つ け て 。 ー ー シ ュ マ イ ツ ナ I
Hi7
七
古内
ニーチェとオーヴェルベックとの往復書簡
人文科学論集
o(
OOO部と
一
彼はそのために破滅するだろう/)!││レ l氏は非常に弱って
氏が、復活祭大市の決算によれば僕の主著(人間的﹀がひどい不成功だったということを報せてきた。
いう彼の予想に反して一二O 部しか売れなかった
危険な健康状態なのに、彼が書こうとしている良心の歴史の構想を送ってきた。
君たちは僕の妹を実に積極的にそして親切に手伝ってくれたのだね。君たちのところで、そして君たちによって初
めて自分の元気と快活とが睦ってくるということを彼女は毎図書いてよこした。
心からの愛着と感謝をもって
F-N
どうぞ、どうぞ、どうぞ、僕の手から楽譜架を取ってくれ給え、それが君たちの気に入らないということがなければ
僕は実に嬉しい。
ハlゼル、七九年六月一七日
ケlゼリッツが自身の手紙を引き合いに出しているのだから、その手紙そのものを君に送ることにする、
オIヴェルベッグより
(1 ﹀ ヴェネツィア南方の烏。
七二、
親友よ、
同時にハンブルクからの一通の手紙もだ、これを送ることは今回はまだ変ではないと思うが、こんなものを今後も送刊
ることは不必要かも知れないね。だから若し君がなおも、このハ γブルグ書類が僕のところへ来た時に送って貰いた
いかどうかを報せてくれ給えo l │土曜に僕は手紙を出した、君はそれを昨日受け取ったと思うo 日曜の君の葉書は
僕たちを心から悲しませたol--楽譜架に関しては僕たちの小さな意志を通させてくれ給え、君たちがブレ l ムガル
テンにいた聞に既に僕たちはこの道具の検分のためにベスィガ l夫人を訪ねたのだ、寸法は丁度僕たちが使えるもの
1
5
8
ニーチェと*ーグェルベックとの設復書館
であって
は何れにせよ貿お
ってい
のものだった。
やり、被女とは
ってきた
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ちはそれが
c この小さな品物法、僕が震のために
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シュマイツナーの
開封する、
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これをもこな
小間
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被がその出来事を
への患い出がこびり付いているの
﹂となのだから、
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ぬ僕が書いているから。意図の
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そしてフラウからも
のと第持している。評語の報
で君に送
欲しいと言っていたのを君に
へ務らしめるのに
比二れは少々
に対してだって
った運命を持っていたろうと確信している。
ことは許されることではない。僕は、
ったものとしょ
のだ、そして
の貸しの欄にとっくに記入されている。これを先ず擦ぢねばなるまい。刑しろ君今一
自分たちのものであるかの結くにそれを取りに
いる小さな会計簿の中の
る
、
ついては
いおさせてくれるものには無上の
だ。だからこの
克服する
して鱗次に出版された、としたら現在既に
そんなものなのマ
期間難な立場にあったのだ。今の時代の
すだろう、山内放なら売れ
ザ
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コ
同時に郵便小知
共に君についての報せが寵ぐ
G
っている旨を
関する今日のバ iゼルの諸新開の
の密集を心か
っかの質問同に
から願っている。
君の
日品ノヤジフェ i ルヘ発送する
カルル・ブルグハルト
のトラング
最近の
、
、
BUW
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々もよろしくとのこと
159
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一
七
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、 ォーグ品ルベッタより
ら
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〉
人文科学論集
ハlゼル、七九年六月一九日
親友ょ、今、辞令等の書類を僕が受け取った、その写しを同封する o僕は封筒の中味を知っていたし原物は現在旅
行中の君にとって邪魔だろうから、失敬して開封した。同封の写しなら君は気楽に君の家族へ送ることも出来る、室百
類そのものは、君が良ければ僕が君のために保管することにして木製小箱にしまっておく、もう何回も君に報せよう
﹂れのことも間もなく君に報せることが出来ると思
と思いながら忘れていたことなのだが、この小箱は、或る日君の妹さんが一つの鍵でそれが聞くかどうかを試した時
に、全然鍵がかかっていないことが分ったのだ。
ところで君の年金には、 さらに大学協会の負担金も加わる、
一昨日、 まだウィIゼ γ へ宛てて、僕自身の手紙の他にハ γブルクからの一通と市内郵便一通とを送った o トラ叩
ニlチェより
君の
γグと鍵はチャ γフェールへ発送済みだ。遂に君の回復が始まらんことを/心から元気を祈る
七回、
局だ││君が払っておいてくれるかい?﹀
0
0(
OOOフラ γは君の名前で職工銀行に預
一
ハγブルグとは(三五度目の失敗の後に﹀一切の関係を断ち切った。ーー
けて貰えるだろうか?お願いだ。﹀ lli勘定書は支払いを済ませた、全く小さいもの二つを除いて(メ γメルと黄金薬
た 。 金 に つ い て の 諸 提 案 は 実 行 し て く れ 給 え 、 サ γ ・モリッツ局留で
るし、やってきた。僕を免れさせてくれたり補充してくれたりしたやり方は全くの喜びだった o何 も か も 受 け 取 っ
若干の言葉だけだ、親友よ/考えの足りないところは君が補ってくれるだろう。多くの良いものが君からやってく
︹一八七九年︺住所、グラウピュンデンの
サン・モリッツ、局留。
O
う
1
6
0
この前に葉書を書いて以来、 ベ ッ ト に 横 た わ っ て い る 時 が 大 部 分 だ っ た 。 こ れ は 注 釈 の 一 つ で あ っ て 本 文 の 方 は 省
略させて貰う。
と こ ろ で 僕 は エ ン ガ デ ィ lγ に 捉 え ら れ て し ま っ て 、 僕 の 本 来 の す み か に い る 様 だ 、 全 く 不 思 議 だ / 僕 は こ の 自 然
とは親類だ。
ゼ
リ
ツ
ヅ
0)
今こそ僕は軽快さを感ずる。ああ、何と待ち焦がれたことか/僕の居場所を誰にも隠してくれ給え、特に婦人全部
o~
ニlチェが同封したのは、ォ lヴヱルベヅクから送られたガスト書簡ではなく、
バ iゼルの文房具屋兼製本屋。
七五、 オI ヴ ェ ル ベ ッ ク よ り
と思われる。
(2)
(1)
ハ!ゼル、七九年六月二五日
七一番の手紙に載っているガス}の絵であった
月曜 o ツュ l リ ヒ か ら 君 は さ ら に 若 干 の こ と を 報 さ れ る だ ろ う o 実 に 多 く の 良 い こ と が 君 に 関 係 し て い る 。
F・N
︽九四頁参照。ガストはヴェネツィアの木蔭と気候の状態をオ iヴェルベックに報告したのだった。︾
ど ん な 疑 惑 が 彼 を 悩 ま せ て い る の や ら ? 彼 に と っ て ま だ ﹁疑惑﹂ が あ る の だ ろ う
に、君の奥さんは例外だが。(この件では君の奥さんはまさに百の中の一つという﹁例外﹂なのだよ
す者
るτ
ヶ
ロl デ は 手 紙 を く れ な か っ た 。
同研
かワ・
封究
ではお元気で、親しい親しい友よ
の
もリ
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親友よ、遂にきたこの便り、僕たちはこれが最も望ましいものであると、 つまり完全に良いものの始まりであると
1
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古内
エーチヱとオーヴェルベックとの往復書簡
ただし
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って今日君のた
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五C0フラン
の諸相場所を洩らしはしない。君の
ブラジだけ
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ながら彼は﹁今や披女の家羅を破壊する者
ているが、この
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山の中にいて彼女から安全である
であればいいのだがと思う。
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ブラシだけだった、そしてそれを僕は
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与えてくれない。││僕たち、忘恩者どもは今まで君に、パlゼル及びその近傍の実に有難い地図のお礼を言うのを
ニl チェより
心から元気祈る
いつも忘れていた。
七六、
ツ嫌悪が難攻不落であるとは思えないのだ。余り多く約束し過ぎることはしないでおく、既に言った様に僕のこの土
とか考えてくれると嬉しいのだが、奥さんと一緒に。 つまり僕は、最近断固として言明された奥さんのサ γ ・モリッ
ったol│金を本当に有難う、僕は幸いにも旅券を持ち合わせていたol--秋に君、がサ γ ・モリッツへの小旅行を何
満足している、しかし脚本が全く話にならない│llつまり僕自身が。パハニッケ氏へ帯封で送ったのが行方不明にな
ぬだろう、凡てが非常に簡素であり、しかも実に繊細な五O の顧慮から成る一体系なのだ。僕は今回は非常に上演に
きな呑りに満ちているo僕の一日の分け方、生活と食事とのやり方は、古代の賢者がこれを採用しても恥ずるに及ば
感覚器官(眼ノ・)に非常に合っており、病人に向いている。空気はソレントのよりももっと良い位であり、また僕の好田
うものだ、 いやになるのは僕だけでなくて君たちもだ/それでも││サ γ ・モリヅツはいい処だ、ここは僕の気分と
親友夫妻ょ、僕はここでも、 いつもと同じ様に病気だ、そしてもう合計八日間ベットの中だったoこれは愚痴とい
︹葉書、消印はツェレリ!な七九年七月二日︺
O
地に対する好みは余りにも個人的だから。しかしここは一度試してみる価値があると思うよolll本当に心から元気
サン・モリヅツ東北方の村落。保養地。
を祈りつつノそして感謝しつつ/
(1)
163
古内
ニーチェとオーヴェノレベックとの往復書簡
人文科学論集
七七、 オ lヴェルベッグより
ゼル、七九年七月一九日
ハl
親友ょ、君にまた便りを出すために僕がもう何日も待っていた報せが事実たった今、僕に伝えられた、それで直ぐ
君に報せることにする。 つまり大学協会の決定のことだ。教育庁の書記官ツェ Iγ トナーが僕に通知Lてくれたので
あって、今後六年間毎年一 000フラ γを君の年金に加えるとの決定だから、年金は今や三000フランにな訂﹁君
の
一 000フランがここの職工銀行にあって一一一パーセントの利子がつくことも忘れるなかれ、 さらに約一 OOフラ γ
が僕のところにある。メ γメル(八フラ γ九五)と薬局三一フラン)の勘定は払った o僕のところにある金は、君に
o
つまりその聞は僕たちはまだここにいるのだ。ーーーパハニッケへの帯
いつでも送れる様にツュ lリヒへ持って行く o また、君が君の毛布とか本とかを近日中に必要とすると思うなら二週
間以内に僕たちに報せてくれる様お願いする
封送付物は、僕の記憶では、僕が出したのだ o 僕 が 今 週 の 初 め に 君 の た め に 投 函 し た 彼 の 手 紙 二 通 一 緒 の 手 紙
さして長くないうち
サン・モリッツに対する君の喜びは僕た
そしてそこが長いうちには君に効果を示すに違いないと思う、
11
ーが同じ様なことになっていなければ良いが。 ││t
見当がつくと思うが、
ちにとって最大の喜びだ、
で、そのため僕たちは今年は、悲しいかな必ずしも金製ではない短かい鎖で大方は土地にしばりつけられて暮らす。
ぅ。ところがまさにうまくないのだ、情ないふところ工合のためだ、こいつ、が色々の理由からこの夏は特に悪い状態
たって、 僕たちにとってこの休みには、 若し可能だとすれば、 サ ン ・ モ リ ッ ツ 訪 問 ほ ど 心 を 惹 く も の は 先 ず な か ろ
だ、そして僕は目下のところ全くまだ彼女の印象、そして今や君の印象以外のものを持っていないのだ。君、がいなく
悪﹂とは何の関係もない。 そ れ ど こ ろ か 僕 の フ ラ ウ は そ の 土 地 の 印 象 に よ っ て 期 待 を 裏 切 ら れ た こ と が な か っ た の
が今度の君の葉警の中にあったよ o 僕 た ち が こ の 休 み に 二 人 で 君 を 訪 ね な い と し て も 、 そ れ は サ ン ・ モ リ ッ ツ ﹁ 嫌
に君から、その土地が君に報いてくれたという報せを貰えるものと期待している。その土地に関しては、非常な誤解
否
吋
1
6
4
いるのか
の翻訳が一
ちには
中と相成つ
いという理由なの
せを受けたのであって、君の保験中
つい蕊れられてしまって、
君の
二支参照︾ 0 次はヴォヴナルグ
った︽向れもサント・ヅ!ヴのエヲセイであって、ォ;ヴェルベッ
﹁サント・ブ i
らなかったそもそもの動機が、
ほど遅く a││ヅュ iリヒの代理路か
3LV
、
また会いたくてたまらないの w
の殺を無傷に保つ
の妹さんのこと
いたとしたら、
のところへ行く。
に雨で台無しだった。君が君の
君にとって不利でなくて、
の方だけでもゼめて一日か
の射撃大会は哀れに
p i y・ブランクヴィル
の手紙を書か
一日議に
の保証を行な
せてみる、 しかしそれと共に
の人でありそこに賠住登録されてい炊いからこ
ご︺の代理自に酷い
一務でない
そ の 上 ツ ナi ?と当局は
ゴータ保換は他
シュマイツナ i殺から度名で出版された。
、君に
た。つまり、
れなかったの
の経験とは
とだ。僕は自分でもう
i チェの任官山川淵昨吋のお十俸は⋮一一000フラン、紙脱却斡の年俸は醤ヌG Oツヲ γであった。
より
ー
。
。
の保険を承-認しないだろうという
﹀
君にもだ、これからどうしようか
︿
1
一l チ
L
及
び
ラト
数週前から何も分らなくなっている。ブラウから呉々もよろしくとのこと。マドムワゼル・ド・レスピナスとマダム・
ちのところよりももっとはっきり黙とえたのだ。
どうかね?
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}れこ
しかし若し詰来れば、
O
なかったろう。あそこで
ね だ
七八、
96
の
土八七九年七万米)
165
の
子
守
内
一 7-おとコナーグェノレベックとの往復蓬簡
人文科学論集
親友ょ、再会の楽しい期待を与えてくれたことをもっと早く君に感謝したかったのだ、 し か る に 発 作 と 就 床 の 一 日
が入り込んできたのだ。夏は本来的には終った、エ γガディ lγ の人たちの記憶にある限りでの最悪のものだった、
しかるに ﹁息子ヘルマ γ﹂︽パハニツケ博土は﹁人間的余りにλ間的な
雨と雪とで台無しだった。雪はまだ低く谷間へ垂れ下っている。それにも拘らず、これは僕が行なった最良の山地滞
在だ。良い晩夏がくるかも知れない。
大学生パハニヅケへの本は何と着いていたのだ、
もの﹂を読んだ後にニ Iチェに、自分の父になってくれないかと書いたのだった︾は婚約をして、 そのために、 当然のことなが
ら、若干の事柄を忘れたのだ。婚約者の両親が彼に大学生活を続けさせてくれる o
大学協会は僕に実に嬉しい驚きを与えてくれた o こんなに良い取り扱いを受けたりして、丸で僕がそれに値してい
る か の 如 く だ 。 し か し こ の 点 で は 僕 は 永 遠 に 最 モ 懐 疑 的 ナ ル 者 hqhS
叶去だ。
叶hhhP3
サント・ブ lヴの独訳がどんどん進捗していると聞いて嬉しい。奥さんの上部エソガディ 1γ 嫌悪が何でもないと
聞いた時は心の重荷がおりたよ、何しろ僕は、 自分が非常に愛しているもの(前述の上部エソガディ I ンの様に﹀に
関しては経験から非常に疑い深くなっていて、 その様な場合には自分が大いに間違っているのではなかろうかと白間
するほどなのだからol--今や僕は君に約束する、ここが君の気に入るに決っていると。
どうか数百フラ γを(なるべく金貨で)持ってきてくれ給え。職工銀行の金は将来の突発事のための予備金として
残しておきたいと思う、だから六ヶ月定期で預けておいてよいのではなかろうか。そうすれば高い利子がつく。とに
角このことは君にお任せする、僕には全く分らないからo l l
地上に確固たるものを何か持つために、僕は(ごく僅かな金で)ナウムブルグ市から六年期限で、 いわゆるツヴィ叩
一つの塔がその中にあって、
一つの部屋を持っている、
﹂れを母が僕の住居兼寝所として整えてくれ
ンガーを賃借りした。僕の母の家の向いの古い市壁の一部だ。そこで僕は毎春(五月から六月半ばまで)野菜栽培を
するだろう。
1
6
6
る。僕がこのことを言いだしたのであって、運よくうまく行ったのだ。この話は広めてはいけないよ。
F・N
奇妙な本のお願い。僕に(図書館かホイスラーから借りて)イェlリングの最近の著﹁法における目的﹂を送って
くれることが出来るだろうか?
では元気なれ、わが親しい親しい友ょ。
木曜。
ナ ウ ム ブ ル ク の 母 の 家 の 近 く に 巾 広 い 古 い 市 壁 が あ っ て 、 そ の 上 に 、 ﹁ ツ ヴ ィ ン ガ l﹂ と 名 付 け ら れ て い た 幾 つ か の 内 庭 が あ っ
た 。 母 と 妹 へ の 書 簡 集 ( 一 九O 九)四一 O 頁に付された妹による脚注参照。
(1)
七九、 ォーヴェルベックより
ハIゼル、七九年八月一一日
今日は一言だけだ、親友よ、この秋の君の旅程を報せてくれる様お願いするためだ、上部エシガディlγ訪問は、
君が既に知っている理由、少なくとも那辺にあるかは大体見当がついている理由のために、僕にとって実行が非常に
難しい、 それで僕は、決心する前に、君がこの秋のうちにもっと僕たちの近くへ移動しないものかどうかを知りたい
と思うのだ。君が待ち焦れていた晩夏、が実際にやってくるらしい、こちらの数日来の暑さは熱帯的だ、この天候では
山行きを諦めるのも容易ではなくなる o し か し 、 若 し も っ と 近 く の 下 界 で 君 と 再 会 出 来 る の な ら ば 、 諦 め る べ き と こ
ろなのだ o l │君のお望みのイェlリソグの小冊子は今は君に供給出来ない。ホイスラlは君の手紙、が着いた前日に川
旅行に出てしまった、図書館は手紙が着いたその日に今月二十五日まで閉館された o その代りに君に、プラトンの対
話の順序に関するタイヒミュラlのきして長くない労作を提供しよう、これは僕が最近貰ったものだ。彼はテアイテ
トスの或る箇所に立脚して、対話の形式 1 1 会 話 が 物 語 で あ る か 或 い は 全 く ド ラ マ 的 な 叙 述 で あ る か ー ー を 、 年 代 の
167
古内
ニーチェとオーヴェルベックとの往復書簡
人文科学論集
o
識別原理にしようとしている o 全 体 が ま こ と に も っ と も で あ り 、 気 の 利 い た 印 象 の 故 に 本 当 に 気 持 よ く 読 め る o
君の一 000フランは差し当りまだ三バ 1 セγトで職工銀行に置き、 いずれ別の預け方を君自身と相談する
前世紀の有名なパリの女優ソフィ・アルヌーについて僕が最近読んだ若干の逸話を記そう、この女性については
この著は前世紀にフラ γスで人気があった本
﹁アルノルディア l ナ ﹂ の 表 題 で 彼 女 の 死 後 に 同 様 の 話 を 一 杯 載 せ た 一 冊 の ち ゃ ん と し た 本 が 出 版 さ れ た の だ そ う
だ
。 君はロレ γ及び彼の著した世界史のことを知っているだろうね、
だ。ところで、既に暫く前からオペラを去っていた或る女優がロレ γという名前の総借家人と一緒に暮らしていた。
或る会合で誰かがソフィ・アルヌIにあの婦人は誰なのかと尋ねた。 アルヌーはこう答えた、 ﹁えっ/彼女を知らな
いなんて o あれはロレンの﹃古い歴史﹄よ﹂ o l - 或る皮膚病、 ︼臓病の様なものにかかっていた批評家ラアルブにつ
いて彼女は或る時こう言った、彼が古代人から受け継いだものはあれだけだ、
ちは心配だ。さして遠からぬうちに再会出来ることを期待しつつ
八O 、
ニlチェより
君の
︹葉室岡、消印はサン・モリッツ・ドルフ、七九年八月一一一日︺
いと言ってきている o しかし君は持ち合わせていないだろうね。若し持っていたら送ってくれ給え。
返事はツュlリヒへお願いする、僕たちは水曜にそこへ移る。 ツュlリヒからは断然君の保険証書があると都合がい
O
いる o 君の妹さんからちょっと報されたベルリンのプランの方は、君が本当には快方に向っていないとすれば、僕た
テュ 1ピンゲ γに留まる o僕たちは心から君の元気を祈っている。また君のナウムブルグのプラ γを素敵だと思って
水曜にバウムガルトナl夫人が来訪した、君に呉々もよろしくとのことだった。プードルフは今度の冬学期はまだ山
と
。
1
6
8
つかない/時
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なければどうなっていること
でた
だべ
めだ c 元気なつけてくれる一
の友
かったのは
いと。恐
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念だ。今や僕は間的
一七日︺
失敬、
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昭総選馬車旅行の
とはあり得るだろう。しかし少
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の状騰はその後悪化した。この良い、
からナウムブルクの
とっくに自分に
に来て葺いたい
ーリ γグ室田は
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親友ょ、
と、そして
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っけねばならない本当に色々な冨での
の谷間関へやってくるための
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被ともう一度会いたいのだ(彼も
々ね/僕は
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︹葉議、滋却はツ品 Iリヒ、
よって答えるこ
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のためだ、
攻、本当に頼むよ、
に僕の
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間の書一物だ)。周りの親しい誠実な親切な人たち皆に心から
この際ノ
派な部一浮い
著だ。
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撲が自分に
断念の夢'斑 i j j
んでいる
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々僕は思う、
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しかかること、が折々ある、そうなる
たのだ。
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169
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ニーラト且とオーヴェノレベッグとの往復書務
人文科学論集
今は心から挨拶のみ
ニlチェより
ヴェルベックは二O日から一一一一一日までサン・モリッツに留まった。
AV
オl
八二、
ないかも知れないね。
ア ウ グ ス テ ィ l ヌ ス と ヒ エ ロ l ニムス。原書八五頁参照。
君と奥さんに心からの愛着をもって
(1)
八三、 オ1ヴェルベヅクより
君の
F-N
君が歴史家の仲間入りをしているのを見るのは楽しい、今やもう君はカトリック雑誌を必要とし
けていたのだ o l - -
だ。しかし当時のお偉方は手紙を書く時は全世界を前にして書いたのだ、誠実さでさえもその際には外出服を身につ
君の凡ゆる美徳を備えた五本の指先が見て取れる(オブリエ風の比倫)この二人の文通者はまさに投獄な犬ども
(旅行)は僕には恐しい、そして何処にとまればいいのやら/相も変らず、途方に暮れるのみだ/ーーー君の論文には、
とが出来た o療養に堪えるべく元気を奮い起こしている o 君 が 知 る 如 く 、 僕 は 飛 び 去 り た い の だ 、 し か し 飛 ぶ こ と
くる日もくる日も、君が体験したのと全く同様だグそれでも僕は二、三回、君を思い出しながら農場で食事をするこ
親しい親しい友よ、君が来てくれたことは、今に到るまで僕に快い後味を残してくれている。しかし僕の状態は、
︹葉書、消印はサン・モリッッ・ドルフ、七九年八月二七日︺
O
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1
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君から別れて
った位に、
らそのこ
の事情が僕に
しなが
になって、
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ツュ!リヒ、七九年八月二七沼
のことを考え続げながら済まな
らの報告が欲しくなっている o 別れのお
僕自身は、
についての君の
んでいる幾多の川
ながら、 クールの夜ぐ手前で激しい
のた
にフィレシツおから逃げる。
した、 向じく口 1 ムントにも、 そしてま
君自身にまた持続的孤独を諜ずる様なブラ γ
のこと、そして
しい旅行が、好天に
僕は
ケi ゼ リ
よこしたロ 1デにも。
ている蜜合法、
いて、
につい
で君と会うことの可能笠を彼は考
た。彼が G - F
可避なものを除いて加何な
いであった。ジュネ 1ヴから余り遠から
っている幸喜一一行を
仰れよりも僕を苦しめたのは、今度の
の臼だったね、
親友よ、
、
、huq
くるまで緩い
にすっか
影を僕が述、
てはい
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、
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年
へくれる様に
せておい
いやりをこめて詮のことを色々
えていた、彼はジュネ:ヴ付近へ引き返してくるの
だというこ
日トライチケがここに米た。彼は
という
なかった
とは少なくとも爵民的不幸
まれたのだ。トライチケは、この
の耗理女と結婚したのだ、子供は
そんなことが
の結婚の最後の
議だというの
によって解消し
後が己れの
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コ
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いなく、公衆が彼な理解してい
一枚一一枚検関した、そして特に
についてトライチケは、附書がi i撲はこのことを決して
はこう一言ってやっ
とときては/こ
いになった奥さんの
て藷してくれた
のは、
とき口つ
だ、と。ブッシ品一綱のビスマルク
に出版したの
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liビスマルグの全霊領在の出版物だと罪証した。ビスマルクはその
遷び設い
上だ。
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ユーチおと才一ヴェノレベッグとの役復書簡
人文科学論集
絵え。
るなん
れないね。
っている。絞さん
にな
ての場一所を語り合った時には僕は彼女も一緒である
に フ ァ ル ケ γ シ 品 タ イ γの
能性のことを報せてくれた。僕
秋エ
に合
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i を
君の
メラ iγ の方がいいと思う。一疋気を失わないでくれ絵え、
しいことか/いつもそれを願いつつ
に木蔭の
と、
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てくれ
った。
のか施、が君に
で、)
リ響第一品濯を参僚のこと。
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2 ﹀ 北 イ タ ηノァ、ガルダ湖北山燃の的。
(3﹀ piNソアよりずっと北出三オ 1 ストロアに近い町。
八
問
問
、 ォI ヴ ェ ル ベ ヅ グ よ り
の手紙とが行き違ったね。待ち遺
っていた報
て本当に有難う。
ツュ i リヒ、
i p (一八二ハ111 八九五﹀であろう。ツライタークとトライチケ及び占?るヴェルベヅタとの附関係はベル F
返してくれたらどんなに
ぐ
って、
みふ、
ん
ぜ
も捧げ得るかどうかを正薮に
い方は冷
郎物的な論
であったのだむそ
、と被は述べており、
にずェネ
で容易に
ているものは、
のことを論ずる
ってくれる様に
る。撲は彼に、載の詩障がどうなっているか、そして被が内心の闘争なし
日
ハー﹀グスタブ・アライ
君に
自,分の時間同今一惜むことを彼は勿論必要と考えているが、一一、一一
しになるだろうとのことだ。しかしこん
は君の
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続友よ、
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に心配している。披自身に都知なる移転をも
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ツィア行きをすすめることを僕に強く乞うている。蚊は九月半ばには消える、少なくとも減るとのこと 1il
O 月と一一月はヴェネツィアはまだ非常に快適だから、君が来るのが遅過ぎない方がいい
通りに書いているのだ。 一
とのこと。部屋の暖房の点は、彼の﹁専門知識﹂が及ぶ限り、或るうまい修正を加えた設備を取り付ける責任を引き受
けると言っている o実際僕はこの冬の君にとってヴェネツィア以上のものはないと思う o そこで過ごすうちには、若
し凡てがうまく行けば、十分に準備されたナウムブルクの春が爽やかにやってくるのだ、 し か も 君 は 、 君 に こ の 上 な
く誠実であるばかりか彼の手紙がまたしても証している様に優れた人間でもある一人物の保護下にあるのだ。君が彼
のところへ行けば彼は喜ぶのだ。勿論このことは、気候的に君にとって疑いもなくヴェネツィアよりも良い場所の何
れもが孤独というこの上なしの欠点を持っているというのでないとすれば、引きさがらざるを得ないであろうがね。
離れている友人である僕たちにとっても、君が冬に北へではなく南へ行くのだと考えることは断然楽しいことだ。北
へ行くとすればそのことは僕にとっては、君の状態についての君の気分を示す痛ましい徴候であるだろう。ケ lゼリ
ッツを考憲に入れれば、君のヴェネツィア移住の障害になるものは実際何一つ無いのだ。
金曜に僕たちは君の妹さんの訪問を受ける、その場合に僕たちはこの訪問自体が嬉しいばかりでなく彼女が君のと
ころへの途上にあるということも嬉しい。今や僕たちは、さして遠からぬうちに、君が独りぼっちなのだと思わずに
済む様になる O │ │僕は、君が君の療養から感ずる効果に対して本当に緊張を感じている o 鉱水を飲むのと入浴する
のとが一緒では、 サン・モリッツは非常に強い作用を及ぼすということだ。余り多過、ぎぬ方、が良いと思う o
無責任にも僕は最近君にフラウと義妹たちとの感謝に満ちた喜びを伝えるのを忘れていた、僕が彼女たちに分配す川
173
ることになった贈り物に対してのだ。彼女たちが皆んな心から君によろしくと言っている o彼女たちと共に誠実をも
って
君の
O
古内
ニーチェとオーヴェルベックとの往復書簡
タミンス
ォ:ヴェルベヅグ
親友よ、
の手紙が僕たち
自分の健康宏
震と一緒にだ/だから、この冬に
とに成功したの
に述べ
ちを完全
ツュ!リレ同、七九年九月九日
ザ︺、
'
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には、君宛の荷封の
のめしてい
僕た
ちはそれ
たちには心から
てくれ給え、
の決定についての君の手紙の
い取る可能性などうか
た喜びなせめて
になれない。殺の妹さんを通じていた最近の報
を信じたい
撲も毎日それに加わっている。
(2)
の君のところの天気が僕たちのと
の産ぐ後に、 ズィグマリツシゲ γ の消勾のあるもう
いている。
Vクスのものの様だった。
のこの品一刻の
のパソに際しての額い
フ
︿
品然、か余隠ハ九月五百
M)
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にオ iJ
ソんァ
それでは、﹁タミン久向けの殺の
過の
の手紙を送つ
君の
その筆跡はまた・もや川
ろより良かれと思う。ここは最初の長
ι iチ ェ は ま だ
Fを 訪 ね る と と 令 然 っ た ェ i チ ェ ば 、 絞 へ の 手 紙 を 書 い て そ れ な ツ デ lリヒのオ iグ ル ベ
どというのは間刊で併のったろうか。それは絞宛の手紙だった答である。八烈惑の手紙を受けて、
い。且つオ iヴェルベ V 夕、がその様な手紙な受け滋ったの・令らば、この一番鍔集に載せられてい・なければならない。
一部一一一一一一凶一員で蝕れ℃いるグラウジ﹂ユンデ γの伶好しの婦人の然一炊でおめり仲燃は当時そこにいた)から九月上如切に宇都刷会的した警がな
給路⋮⋮;ィアェが妹と p iんで会ったのは九月⋮七日ゃいある ο 従ってニ i チ 況 が タ ミ ン ス ハ タ i ル付近の町。峠献が一一 l イナ三依然二巻第
サ ン ・ モ リ ツ ツ に い る 。 九 月 一 日 に 絞 絡 に サ γ ・ モ リ ヅ ア か ら ﹁ 九 月 二O 自 に ア ウ ム ヅ ル ク へ 旅 立 ち た い と 思 う L と 書 き 、 九 月 ⋮ 。
臼に﹁鉱山川水燦(凶間後日 ) p iルヘ発ち、午後間同体吋同開脱獄くいと繋いている ο ゅぐしてグロイター版ニldナ広告会終N4、八O 支 に よ れ ば
1﹀ 一 溺 者 が ﹁ タ ミ ン ス か ら の ﹂ と 訂 正 し て い る け れ ど も そ れ な 総 淡 い で あ っ て 、 原 典 の ペ タ ミ ン ス 向 け の ﹂ が 正 し い 。
カ
ミ
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の 喜 び だ / そ の 遂 行 の 前 提 で あ る 力 も 既 に 生 じ て い る の で あ っ て 欽 し い 、 こ れ が フ ァ ル ケ γ シ ュ タ イ γの一向の臼日
る
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前
1
7
4
ヅク宛に出し、妹が夕、、、ンスへ出発した後ならば転送してくれる様にと依頼したのであった可能性がある。或いは、タミンス到着後
の妹がオ lヴ ェ ル ベ ヅ ク 宛 に 、 兄 か ら 病 状 良 好 の 手 紙 を 受 け た 旨 を 知 ら せ た の で あ っ た か も 知 れ な い 。 ﹁ 母 と 妹 へ の ニ i チ ェ 書 簡 集 ﹂
)OF
ミ ン ス 向 け の 手 紙 な る も の は 、 妹 が オ lヴ エ ル ベ ? ク に 対 し て 、 サ ン ・ モ リ ず ツ 訪 問 取 り 止 め の 理 由 と し て 作 り 出
(一九O 九 年 版 ) を 参 照 す れ ば 、 後 者 の 可 能 性 の 方 が 大 き い と 思 わ れ る ( ニ l チ ェ が 妹 宛 に 好 調 な り と の 手 紙 を 送 っ た 形 跡 が 全 く な
いのである
した架空のものであったと考えられるのであり、兄の看護にはとっくにうんざりしていた妹、がサン・モリヅツ訪問をもともと本気に
も う 少 し 当 時 の 事 情 を 詳 し く 述 べ る な ら ば 、 妹 は バ Iゼ ル の ニ l チ ェ の 住 居 を 片 付 け て か ら も ナ ウ ム プ ル ク へ は 帰 ら ず に ス イ ス 西
考えた筈はないのである。
部地方に滞在していたのであって、七月六日の妹宛ニlチェ書簡には、サン・オlベン(ヌlシャテル湖西北岸の町)の名が見られ
る 。 妹 が タ ミ ン ス に 出 掛 け る こ と は 可 成 り 早 く に 決 ま っ て い た 様 で あ る ( 七 月 二 四 日 の 妹 宛 ニ l チェ書簡参照)。八月一九日にニ l
チ ェ は 、 妹 が 持 ち 出 し た ら し い ト ヮ lズ ィ ス ( タ ミ ン ス の 南 方 の 町 ) で の 会 見 を 旅 行 不 可 能 の 故 に 拒 絶 し 、 何 れ 冬 の た め に 北 へ 行 一 く
っ て 熟 知 し な が ら も 、 サ ン ・ モ リ ヅ ツ を 訪 れ よ う と は し な か っ た 。 そ し て 八 月 二 日 か ら 九 月 一 日 ま で の 自 分 宛 の ニ l チェの悲惨な手
とすればタミンスかクールに立ち寄るという意向の手紙を書いている。とも角も妹はニ i チェの窮状を、次々とやってくる便りによ
紙 を ﹁ 母 と 妹 へ の ニ l チ ヱ 書 簡 集 ﹂ の 一 九 一 一 六 年 版 で は 凡 て 削 除 し た 。 九 月 上 旬 も ニ l チ ェ が 不 調 で あ っ た こ と は 九 月 一 O 日の妹宛
しょ、どうしても己むを得ないというのでなければ、私はこの冬はナウムブルクへ帰る気持がなかったのよ。いい年をして結婚して
書簡により明らかである。ニ│チヱが帰郷したこの冬の聞も妹はスイスに留まり続けた。彼女はニlチェにこう書いた、﹁お分りで
ボ l デ γ湖 北 方 、 ド l ナウ河畔の町。
ニl チ ェ よ り
ナウムブルグからの最初の便りだ。ここが今度の冬の宿場だ。若し君がヴェネツィアとナウムブルグとの
︹葉書、消印はナウムブルク、七九年九月一一一一日︺
一番まずいのは、一人の病人に看護婦一一人は多過、ぎることだわ﹂(グロイター版N4、八一一員)。
いない娘を見ているのはお母さんにとって気分の良いことではないし、その上、正直言って、一人増えれば苦労も増えるし、そして
(2)
八六、
親友よ、
聞のもろもろの根拠の差引勘定を僕と同じ様にやってみるならば、君の判断は僕と同じになるに違いない。しかし間
1
7
5
古内
ニーチェとオーヴヱノレベックとの往復書簡
人文科学論集
僕の絶え間ない内面
題になる一切を伝えることは到底不可能だ。要するに、僕の冬の療養プログラムの主要思想 1 1 1
の仕事を出来るだけ休むこと、自分自身からの休養、これを僕は数年来持たなかったーーがヴェネツィアでは実行不
気候的諸条件はここの方が勿論、あの入江のシロッコの都市よりも良いのであって、エ γ
可能と思われたのだ 0 1 i │
ガディlyからあそこへ降りて行くことは最悪の危険な実験であったろうO││前述の様に、君の理性(それを僕は
﹁僕の第二の、上等な理性﹂としばしば呼んでいる││失敬ノ)も僕の決心をよしとするであろうことを僕は疑わな
ぃ。僕が心から君に感謝している君のケ lゼリッツとの文通が決着をつけてくれたのだ。
オ lヴェルベヅグより
皆さんに心からよろしく。
八七、
ツュ lリヒ、七九年九月二九日
親友よ、ここの家族皆を代表して、もう一度ツュ lリヒから短かい挨拶を送ると同時に、同封の手紙をも送る o僕川
たちのこの前の話し合いの後だから、君がナウムブルクに決めたことは僕を必ずしも驚かせはしなかった。僕がこれ
だけは嬉しいのは、君をそこへ追いやったものが単なる意気温喪ではなかったことだ、この点については、後に君の
妹さんとそして君とから受けた報告が僕を安心させてくれた。旅が君にそれほど辛くなかったことは何と言っても山
の空気による君の神経の強化の徴候だ。それが君を助けて冬を凌がせてくれるといい。さらに、君がナウムブルグに
いると分っていることは僕たちにとって小さからぬ安心だ、そして君のお母さんのためにも嬉しく思う、どうか呉々
もよろしく。ヶlゼリッツが君の決定を報されているのかどうかを一言報せてくれ給え ol--サン・モリッツで君に
話すのを忘れたのだが、 アlヘンのドイセ γの生徒でその両親にとっては唯一人の息子が決闘で射殺されたのだ。僕
は最近僕の伯母が、ドイセシがこれからどうするかを僕が知らないだろうかと問い合わせてきたので、 またそのこと
1
7
6
を思い出したのだ。僕は、彼が矢張りアlへンにしばりつけられていると思う o 君は近頃何も耳にしていないだろう
ね?lll木曜に僕たちは遂にバ lゼルへ戻る o 先週の半ば以来天候はひどい、晩秋がきたらしい。君は丁度良い時に
退却を成し遂げたのだ o
君の
オlヴェルベック
フラウとその家族が呉々もよろしくと言っている。君のための心からの願いで一杯になりながら皆んな冬に入って
ニI チェより
)0
冬のプログラムがどの様に実行されねばならないかを証
110
行く、その先頭には
八八、
︹葉書、消印はナウムブルク、七九年九月二九日︺
親友よ、 ナウムブルクの一週が過ぎた o サソ・モリヅツの最後の数週間のひどかった状態に比べると非常に恵まれ
そのうちの最後の三O 日は療養
ている o療養が効き始めたのだと思う、そして僕は夏のプログラムの首尾一貫した実行が出来るのを喜んでいる(九
O 日のサ γ ・モリッツ、
明するものとして述べるが、友人レーが今回数週間の予定でここを訪問すると告げてきたのだよ、しかも僕は思い切
O月一一一一日
君の F・N
って辞りを言うことにしたのだ。御免ょ、僕、がこれほどの断念を少々誇らしく思っていることをね/そうすることが
必要なのだ。││君と奥さんとに夏の様な明るい良い秋と万事がうまく行くこととを願いつつ
八九、 オlヴェルベックより
ハlゼル、七九年一
1
7
7
古内
ニーチェとオーヴェルベックとの往復書簡
つま
、君の誕生日広当って僕が君に
なくとも数年は年経ている
に述べねば
めず手紙がお祝いの当日に、都内とか
立乎
らの、少
の報せは患
北日のものになっており僕たちは亥
るだろうか
のブラウも心まから
いのは、残念ながら相も変らず、
いる君にめ
になる様にということだ、そして
LV
£﹀立、。
4
m
んから僕たら
のフラウは、
つ司﹂、 j JナハFいふ守μ為 、
ザムア
'
r
u
めることが出来ないのは残念だ。
につけていた
は獄
い秋は兎
てだけは僕たちは安心惑を持っている、この惑
ったものだ。
ている世話の
の生き方が僕たちに決して与えて
った、そしてテ品 1 9シゲゾに
ブラ γに
僕が土曜に
、
IU んだ
﹂の手紙を無茶に
のために郵便局に
でにもう一
の上口小では、
とを決してはっさりとは譲
の分だ。
あるのだという
番簡単だ。
ぃ、ナウム
では郵税は八O サ ン チ ー ム だ け だ っ
マルグと問問ブラシを手に入れたのだ。だから問題に
いということは別として。今叢の
ブラ γに対し在フラン払わねばなる
そうすれ
の山市のホイスラ
ι4 えを φJPV}テ九、
に出掛ける前には特れにせよ煮の手に入る。!ところ勺
かったため前掛がふ 7らぐずぐずしているの合君にお
有難いもので申のろう。君が直ぐツヴィシガーで
いつレて、それを作ろ
りとで特別なお的のために僕の
1a
両
替
こにおける君
から多分今日殺に胤く毘0 0マルクは、この半年の
たらしくしないために
詫しなければならない。
への帰宅ということがあって最近数護法ブラウが色々
二、一一一枚入用かも知れない
ツ品
に角君にとっては
ての実に親窃な報
とは数年来の
々心配になっている。ただ、君が
いがけなくもその様な期待な経こ仰のせてくれた、 しかしその報せも今では
いを持っている。
ぐ〉
郵便為替は問題にならない。君は
君には
これだけの額を期待勺きる。
定しなかっ
た
、
て
ブルグ郵便鍔での一陣替が不和か
も
部
の
V
1
1
官
1
1
2
“
、
し
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1
7
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ニーチェとオーヴェルベックとの往復書簡 古内
とく
は、ナウムブルクでの両替がもっと得かどうかということだけだ、それを試すために、若しお望みなら、 五O Oフラ
ンそのままを君にこの次送ってもよい。それから僕は申し合わせてあった様に君の一 000フランを八フラン二五サ
ンチ l ムの利子と共に職工銀行から引き出して、その代り直ぐ四、 五 パ ー セ ン ト の 連 邦 債 券 ( 一 八 六 七 年 、 文 字B、
番号二四七八の連邦公債)を買った、勿論これは現在三五フラン割増しの相場だから君は高い支払いをしなければな
ら な か っ た 、 君 の 券 が も う 次 の 抽 鎮 で 当 っ て 償 還 さ れ る と い う 不 幸 な 偶 然 で も 起 こ れ ば そ れ こ そ 高 過 ぎ る o 半年分の
利子二二、 五 フ ラ ン は 一 月 末 に 僕 が こ こ で 貰 っ て あ げ る011次 の 問 題 は 、 君 が 今 バ イ ロ イ ト 後 援 会 か ら 抜 け た い か
o 近いうちにツュ
Iリヒの君の蔵書のための保険証書の支払いもせねばならな
ど う か だ 、 若 し そ の 気 な ら 君 が こ こ を 去 っ た の が 好 機 だ o 君 が 同 会 に 留 ま る の な ら 、 僕 が ま だ 預 っ て い る 約 八O フラ
γの現金から二0 フランの額を取るよ
いだろう、同証書は僕たちがそこを発ってきた時には、とっくに注文してあったのにまだ出来てきていなかったが、
代理匝の保証によればもう直ぐに入るだろうとのことだ。今週僕たちはゲルラッハ夫人のところにおいである君の書
架をもう一度新聞に出す積りだ。
これ等の報告が多岐に亘っていることを許し給え。これだけ書いて置けば暫くは大丈夫だろう、そして今日はこれ山
でもういいのだ o 次 回 は 別 の こ と を 書 こ う o来 週 の 今 日 か ら ま た 講 義 だ 、 昨 日 は イ ェ l ナからきたゲルツア 1夫妻を
食 事 に 呼 ん だ 。 彼 は プ リ ュ l ス に 次 い で 、 こ の 夏 に 照 会 を 受 け た o彼 の 拒 絶 の 後 に ワ ッ ケ ル ナ l ゲ ル と い う こ と に な
った。この人は残念ながら休暇中またもや可成り病気だったが、今は明らかに良くなっている o
生きているしるしをほんとに簡単でいいからまたお願いする。君に心からお祝いを言うと共に君のお母さんに呉々
179
も よ ろ し く お 伝 え を 乞 う 。 今 日 は こ れ で 左 様 な ら す る o 君の
今月九日にジェ Iヴァの消印のある手紙を送った、その前にパハニヅケの手紙も。
O
九O、
ニ
親しい
チーより
12
の良いものの
ある君か
い友よ、実に
この一年間に、
︿ナウムヅル夕、一 O月
三八七九年︺
ノ半バ一一
他の人たちから受けるものとは
つまり教会信仰によ
いる﹂という教会歌の開院議を怒わせる。
出
品
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自の翌日にてそ
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と会考えた、そして
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況には一日中君の
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った(僕の
、金
めて一面激しい
こと書くこ
γガディ 1γ を去って
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り、ずっといい。
ら に 続 い て い る1il毎日だ。
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その翌日に僕わ
に対する嵐
サント・ブ;
たものに(そのやには
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んに、もoi;iシ ュ マ イ ツ ナ :
ハl メ ル ザγグ か 込 知 れ な い
ら転送して
せて
は工合、がよいoii送金有難う、
﹂の非常
ちの愛するケーゼリッツは
の撲の療法なのだ。 ハ ヴ ェ ネ ツ ィ ア で は こ れ は 不 可 能 だ っ た ろ
間約かをすること
のプログラムにぴったりだ、
で一杯になってい
の手紙に、
るツュ 1 リヒの
いかな君自身にまた
、そのことは少なくとも僕の
した)li
シ ュ マ イ ツ ナ ー と ウ ィ iデ マ ン に
日ソファで
々もよろしく、
る
に示してくれた数々の親切を本当
みの小さ
すこととい
ライブツィヒ
ねばならず、
ョ
,
い方法を発見してくれた、
して惑認する、
考え得る凝り最も好都合で
明}h
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こ O
K7ふ4
」
制約詩があった、グラ l ツ の 或 る オ ー ス ト リ ア 詩 人 か ら
突さんに
た
の
1
8
0
のことをちょっと話したところ非常に喜んで受け入れた。同様にワッケルナlゲルの仏教講義のことも。
シュマイツナ Iはデュlリングの或る作を出版するのだが、彼はこの人物の不愉快な性格については全く驚いてい
る。それから彼は最晩年のラサlルの書簡を出す││これこそは僕たちが彼に望んだ類の出版物であると思うよ。
友ロ lムントの手紙を同封する、僕は彼がすっかりは分らない。信仰を持てとの訓戒に到つては僕は全く分らない山
γの方、がそんな色槌せたものよりも僕にとっては価値がある o
ナウムブルク。
F
・ニ l チェ
心から君のものなる
││何への信仰なのか?ーーと間抜けな僕は問う o彼は信仰への信仰でも考えているのじゃなかろうか。ーー一個の
バ タ 1付きパ
一O 月二一一日、
もう何回か忘れた僕の母の感謝の挨拶を忘れちゃ大変だ/
︹↓渠書、消印はナウムブルク、七九年一 O月二四日︺
胃 Og
℃o ツヴィ γガ!と塔は何れも僕が思ったより美しくて大き
MM
司教ウルフィラスが生きていたのは何時だね?一二世紀の中頃だろうか?
ニl チ ェ よ り
親友よ、 さらに一言、 庭仕事用前掛ニツイテ
いのだが、僕の手からもう別の人の手に移ってしまった。僕はここへ来て、庭仕事には僕の限が余りにも弱過ぎるこ
とと屈むのが僕の頭に非常に良くないことが分ったーーー真近で見て野菜栽培は不可能事なりと判明した、残念、残念
D
/そういうわけで僕は、僕の賃借契約(これによれば僕は洗濯物をツヴィンガlの中に掛けたり酒場を聞いたりする
ことを禁じられていた)を免れて全く幸いだった。この出来事全体で最も良かったのは、僕が期待を持ったことだ
181
九
古内
ニーチェとオーウ、エルベックとの往復書簡
ア﹂、
ないから。
未来ノ
ている。
﹂れに
て何よ
君の
の友
︺
んに心から感謝山間
ハーゼ片、七九年
心からの愛をもって
︹葉書、消印はナウムヅル夕、一八七九年 。月二九 B
った、こ
﹂八七七年秋以来あの
によって誘われて
ブラウが殺のためにその最初
かるといい
々と話し合った続線的な数々の
僕とフラ
メ テ ク レ ル 人 タ チ Mh
窓口読ん
申告。ロき -E
︿ mH印
H 公合同父母念言明を考えた、山
て葬ら
の手紙は僕たちにはっきりと、或いは,沈黙によって、君の
還の便りを殺か
った/どうか今までの
て未来ノ在的溜廃仕事というこの
している。
日一;チェより
親友ょ、さらに忘れた
会}払うのな止めねばならない
ちが食事の
D
八七九年一
九
一
一
一
、 分iJソェルベ γグ よ り
たことにより、
ちの心に残してくれたのだから。ijjiツ ヴ ィ γガ ー の 代 り に 知 か 裂 の も の
していて、君の
なければならない、何しろこ
J
状態が還にどうやら湛え得るまでになったこと
ウとの
'
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t
ミ
う
れ る こ と に な あ 。 と こ ろ で 庭 仕 事 浴 前 掛 の 代 り にp- アルベールの最近著、
しかしこれも少し持って
月
八
日
代の慰さめ多き書物、 セ ネ カ と プ ル タ ル コ ス ) を 訳 そ う と し て い る か ら 。 彼 女 は 数 日 来 ち 工 っ と 頑 固 な 眼 の カ タ ル に
悩 ま さ れ て い る の で 直 ぐ に は 勿 論 仕 事 に か か れ な い o バ イ ロ イ ト の た め の 二0 フランを君の金庫から取り出した、し
かも君がこれを手離すことに何の不都合もないとあれば、喜んで取り出した。この前の雑誌は生体解剖についてのワ
1グ ナ l の 一 論 文 を 、 そ れ に 反 対 す る 結 社 に 彼 が 寄 付 を す る と い う 声 明 と 共 に 載 せ て い る o この論文はワlグナ I の
実に力強いスタイルで書かれており、非常に良い点を含んでいる。残念なのはこの論文もまた、この優れた事柄を陰
気 な 狂 信 性 と 盲 目 的 猛 烈 さ と を 持 っ て い る 或 る 調 子 に よ っ て 1il君 も 見 当 が つ く で あ ろ う 様 に ﹁ 科 学 ﹂ に 反 対 し て の
だーーー台無しにする色々な要素を混ぜ込んでいることだ。この事柄を主張する人たちは、もっと動物たちへの素朴な
感情に望みをかけるべきだろう、結局理性的にはこの感情にしか呼びかけることが出来ないのだから。
フラウはサソト・ブ lヴ の 中 で 眼 を つ け た 諸 論 文 か ら さ ら に シ ャ ン フ ォ ー ル の み を 訳 す こ と に し て い る 、 そ う す る
と八人の人物(九論文)になる。最初としてはこれで十分だろうか?立つ出版の方式を君はどう考えるだろうか?絶
対 に 匿 名 で あ る こ と が 前 提 条 件 で は あ る が 、 そ れ で も 短 い 緒 言 は 必 要 だ ろ う o シュマイツナーが新しく得た著者たち
の中の一人が、死んで見せるという様な悪いいたずらを彼に対して演ずることは、少なくとも今後はもう不可能だ、
デュ 1リ ソ グ が そ れ を 最 近 や っ て し ま っ た の だ か ら 。 ラ サ i ル の 書 簡 が 現 在 で も 儲 け に な る か ど う か は 僕 に は 分 ら な
ヘレ lネ・ラコヴィヅツァ自身が書いてくれるかも知れない。
118
ぃ、料理書なんかの方が結局いいのじゃなかろうか、
僕がこの冬に仕上げようとしているクリスト教文献の発生に関する論文も勿論儲けにはならない。
ウルフィラスが何で必要かね?この人はコ二 O年 か 一 一 年 に 生 ま れ て 三 八O年を過ぎて間もなく死んだ、そして、
四世紀最大の汚辱であるアリウス説で身を汚す可能性が彼に丁度よく与えられたことは年代から見てお分りの如くだ
が、まさしくその可能性をなおざりにはしなかった人物だ。
ここの学生数は二O 一 だ 、 今 度 の 火 曜 に 会 食 、 そ の 一 週 後 に 大 学 の 公 開 講 座 が 始 ま る 、 こ れ の 予 約 は 今 ま で の と こ
183
古内
ニーチェとオーヴェルベックとの往復書簡
人文科学論集
君の
ろ図書館のための六三一五フランで行なわれてきた01ltフラウが君に心からよろしくとのこと、そして僕たち二人は
ニl チェより
君のお母さんの御挨拶に対して君からお礼を言ってくれる様お願いする o
九四、
等がファルケシシュタインに留まり得る限りはね。
一週毎に二度位は午後に太陽と空が見える川
書物の保険の問題を僕たちはギリシャ的鈍感さで堪えよう o僕の限の中では書物はちゃんと保証されている、それ
にとって嬉しいことだ o
最近出たトウェイ γの書﹁トム・ソ l ヤI の官険﹂をまだ知らなければ、これを君への小さな贈り物とすることは僕
母が僕に読んでくれたのはゴ lゴリ、 レルモ γトフ、ブレヅト・ハート、 M ・トウェイン、 E - A ・ポウだ。君が
天 候 が 重 く 僕 の 上 に の し か か っ て い る o それでも僕の勇気はまだくじけていない、僕は冬をここで堪える積りだ。
、
ーーという様なことになっている o精 神 的 休 息 が 僕 の プ ロ グ ラ ム だ 。 事 実 ま た 僕 は そ れ を 手 に 入 れ て も い るllが
の記憶にないほどに陰欝なじめじめしたものになっーたことは、 不運だ。
調子は良くない、夏の好影響は終った、 不断の苦痛がまたもや実にいやになる o今度のナウムブルグの秋が、人々
ない、感謝すべきことばかりだ。ーー
についての君の論文が冬に出来上がるようにという願いも/その他には、僕が君を思う場合、願うべきことは何にも
か僕には全然分らない。僕たちが再会することだ/││これは常の願いだから平凡過ぎるね。グリスト教文献の発生
親しい親しい友ょ、君の誕生日は僕にとっての祝日だ、 しかしお祝いとして願わしいものとなるとーーー何がいいの
︹ナウムブルク、七九年一一月一四日︺
O
1
8
4
君と奥さん
心を寄せつつ
二月
ルベックよれノ
いたのに、僕の
ブラウの援によって
君の友
ハーゼル、
F- ニidア品
八七九年一一万一
れてしま
もひどくはない
何時も本会}読んでやってきた。そのた
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ていた、後者は今日
に嬉しいサン・モリ
ケ;ゼりッツからも生きているしるしが
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とって患い出のため
で貰うとい
は僕たちはトゥルゲニェフの処女地を読んでい
ょ う と い う ア iグ ・ ト ウ ェ イ γのものも大いに有難い、
ので、僕は板女に
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の地質学者、がここ
しさをよく教えて
はそんな状祝下で全く停頓している c
までの
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の抹さんからは祝辞と共に、
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ナウふブルグ、
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てばかりいたことだ、 つ ま り ャ ー コ ブ え ブ ル グ ハ ル ト
まだ礼状よ支出していない
cil今了度よく思い出したのは、今、まで
ッツの写真を数枚貰った、 iiz妹 さ ん に
になってライプツィヒへ
少
々
てくれるようにとのことだった。
その閣の美術館で
し言っていたことだ、そしてもう何週間か誌のことだが、設は日下、彼が秋に英患で集め
ろだというこ
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に没一蹴していると
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8
5
まわんやってきた
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物
合内
cコテーグェノレベックとの往復書簡
ニー王子公
人文科学論集
の美術品によって心がすっかり一杯になっていた。事実今でも彼の姿を見かけることは普段より少ない。 1 i最近バ
ーゼルとツュ lリヒとが、バウマン洞穴の君の元の庵室に住んでいるここの一番若い私講師、法学者のブルンネ γ マ
イスターを得ょうとして争ったが、 ツュlリヒが正教授に招轄することによってどうやら勝ちを占めた。
木曜に僕たちはイシメルマンを学長に選んだ、 カウチが一一月四日に或る古いバ lゼルの学者、即ちセム語学者で
神学者のヨハン・ブグストルフ(年長の方)について講演をした、その話し方に接して、無作法だが実際的であって山
その様な機会にバ Iゼルの人たちを楽しませることが出来るさまざまな手管をよく知ることが出来た。
事務的なことを伝えなければならない、ゴ l タ 保 険 が 君 に 借 り に な っ て い た 六 マ ル ク を 返 済 し て き た 、 そ れ か ら ヨ
ブの報せだ、 つまり君の連邦債券、文字B、番号二七四八が今度の一一月一日の抽議で実際に当ったのだ、 しかしこ
の場合君の慰さめになるのは、来年は公債全部の利率が切り替えによって低くなるということが今分ったことだ。そ
れで来年一月二三日に君の一 000フランがまた戻ってくる、 だから君が自分でこれを何かに使 Uたいか、それとも
僕がまた適当に投資を続ける方がよいのかをどうか報せてくれ給え。││夏の好影響が終ったと考えねばならない根
拠が増えたり、もっとひどくなったりしていなければいいのだが o現在の精神的養生を変えないでくれ給え。今は僕
たちのところも陰欝で、 おまけに全く果、くなった。フラウが心からよろしくとのこと、そして君のお母さんにも僕と
一緒によろ Lく言ってくれる様にとのこと。僕たちを喜ばせる様に直ぐまた君について良い報せをくれ給え。
君の
凶報のこと。旧約ヨブ記第一晶子第十三節参照。八九番の手紙で分かる様にこの債券は拍畿に当ると償還されるのである。なお、
ニlチェより
債券番号が八九番の手紙では二四七八となっており、何れかがミスプリントであろう。
(1)
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1
8
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つだ
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⋮適間後に
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︹葉妻、消印はナウムブルク、
るのは散歩的存在の
、発作は恐ろしいほどだ(騒吐その地﹀、
ジ品マイツナーの
出て
し
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の
て以来ずっ
ハ
リ lヴァヘ﹀、
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閣の出版報告い
は大きい。
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かい?君の
の第二冊が一
心から感韻し、良、持口クリスマス
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その母と
八七九年二一月
米た。 !
ii李 総 だl i負 わ お ば な ら ぬ も の は 多 い
︹ナウムプルグ︺
ついては
奥さんの聞紙病がもう良くなっているといいが。僕は
00マ ル グ 紙 幣 出 枚 を 送 っ て く れ ら れ る だ ろ う か ? 米 議M- トウェ
工
ま
とが出来ずにいた/シュマイツナlはサント・ブl
撲のサ γ ・ モ ヲ ヅ ツ 滞 在 の
ここでは僕に許されていない。僕にそれまでに
インが君のところ
奥さんに
fJI
立っこ。
中/
おると予告されているのをそれで知つ
古代教会史後発。
で iチ
って君の
親友よ、
の
の妹はうまく持っている。
り
こ
?
段
ノ
、
を祈る。
九七、
心からの
〆「
を
V
」
hraN
187
よ
設内
と;::tーグェルベックとの往復書簡
エーチ
人文科学論集
一八七九年二一月一二日。
矢張りレ l 博 士 に 会 う こ と は 出 来 な い だ ろ う /
金曜、
ニI チ ェ よ り
地震の日は僕にとっても苦痛の一日、否、これ以上はないという苦痛の目だった。
九八、
︹葉書、消印はナウムプルク、七九年一二月二八日)
状態は驚くべきだった、前回の発作は三日間幅吐が続いた、昨日は只事ならぬ長い失神状態。もっと良いもっと暖
ロlデが素晴らしい手紙をくれたよ o
い空気の中へ行かなければ、最悪事態になる o 君 の 数 々 の 手 紙 と 送 付 物 は 凡 て 着 い て い る 、 貴 重 な 友 よ 、 僕 は 君 の 愛
情に対して感謝している。
ファルケシシュタイシの皆さんと君自身とに心から新年の挨拶を送る o
君の友
1
2
3
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